わたしにとって、文学とは自らの生き方にあれこれ思案を巡らすことである。それは生死にかんする万象を意味する。わたしは痛感ではなくて不条理感に重きを置いている。なぜ、不条理を感じるかと云えば、覚悟が整っていないからである。それなりの覚悟はあるのだが、覚悟の一歩手前で右往左往するように仕掛けている。思案を巡らすの意はそこにある。
文学を知るに典籍を繙くのは最短距離に思われる、しかし、読書は方法論であって目的ではない、そこを履きちがえると永遠に文学は解らない。極論を吐けば文学はセンスである。その論を拡げれば昨今のわたしにとって病気こそが文学である。
だからこそ、失血したときの排泄が意のままにならなかったこと、意識が失われる瞬間のこと等々、要するに存在の尊厳にかかわることを詳述してきた。さまざまな文学があり、さまざまなアプローチがある。それはそれでよい、わたしがとやかく云うことではない。ただ、思案のなかに、反芻のなかに文学は在る。