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汝の敵   一考   

 

 「ボア付きの長靴」と書けば恰好良いが、値は千八百円である。普通のゴム長であって、バタイユの「長いぶわぶわのゴム長」を想い起こす。ゴム長は長いものであって、殊更に強調する要はまったくない。かててくわえて、ぶわぶわ等という副詞は原文には含まれない。しまりなく、ぶかっこうにふくらんだ翻訳である。評論はともかく、バタイユの小説の翻訳は読まれるものがない。おそらく、なにひとつないのではなかろうか。バタイユに限らない、ブルトンやマンディアルグについても同様のことが言える。しかし、そのことは掘り下げない、掘り下げて書けば身の回りが敵だらけになるに違いない。
 さて、この場合の敵とはなんだろうか。家に寇する敵とは鏡花の言い種であり、ギュネイは内面の葛藤を家族、とりわけ女房とのあつれきに求める。家の外であれ内であれ、そのようなことはどうでもよい。対象を自己の外側に求めるのは非合理的である。仮に他に求めたとして、敵は抽象的な存在である。抽象的とは固有名詞を持たない、特定の個人ではないということ。
 「アイラ・ストーム2」で「驚いたのは偏見のなさについてである・・・意見の持ち合わせはない、なければこそ、個別の香味のみではなしをする。そしてその意見は大旨正しい」と著した。憖な意見というが、意見とはことごとくが軽率であり中途半端なものである。極論すれば、意見を持つとは先入主や僻見を持つに他ならない。「無以先入之語為主」と言われるがごとく、偏見は思考の自由を妨げる。しかし、そのいい加減さには利点もある。なぜなら、いい加減であればこそ、付け入る隙きをひとに与える。隙きがなければ世間話は成り立たない。
 意見の持ち合わせがなければどうなるのか。黙して語らず、一途にひとの意見に耳を傾ける、まるで吸取紙のように。ただし、ここには下心が垣間見られる。さらなるディメンションへ至るまでのステップの無料盗用である。もっとも、それは次元解析を心得たひとに限られる。未知の関係式を推定するなど、生半なひとでは不可能事である。されば、黙して語らずとは単に己が無知を曝け出すに過ぎない。真っ正直か、もしくは世間話を拒否する方便かもしれない。
 意見の持ち合わせがあろうとなかろうと大した違いは見受けられない。せいぜいが世間話の是非にとどまる。しかるに、敵とはそうしたものである、世間向の敵など高が知れている。怖いのは自分の内にひそむ敵である。群れたがる自分、慢心する自分、選民意識を振りかざす自分、無知を曝け出すのを恥辱と思う自分、自己解体の繰り返しを拒む自分、自分の内にひそむ敵はその勢力圏を拡げようとして虎視眈眈と窺っている。気を緩めるわけにはいかない、間断なき闘いが必要である。


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2007年12月06日 14:26に投稿された記事のページです。

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