2008年03月25日に「供花」と題するいささかセンチな文章を著した。文中に記載はないがmoonさん宛の文章である。それ以来だろうか、久しぶりにmoonさんからメールを頂戴した。彼のことだから必要があれば掲示板を用いる、メールとの手立てを取ったのはあくまで私信ということである。従って、内容には触れないままに返信を認める。
ですぺら掲示板1.0をはじめた頃、少しでも賑やかにしようと彼は一所懸命に書き込みをしてくださった。彼とわたしの書き込みはほぼ猥談だったが、あれは肉体的に枯れた者通しでなければ成り立たない内容だった。わたしはすることはいたってノーマルなのだが、そのノーマルなことすらが妄想を抱かないと不可能なのである。従って、普段は妄想のなかを生きている、といっても決して過言でない。お付き合いくださる女性もそこのところを弁えてい、適当に合わせてくださる。もしそうでなければ、わたしの一物はなんの役にも立たないのである。
その辺りの消息がmoonさんには分かっていらっしゃる。ふたりしてイマジネーションの世界を詼諧の道行と洒落てみたのである。わたしは文学などというものを関わりの要に置くような不調法は滅多にしない。おそらく山本六三とmoonさんの二人であろうか。言い換えれば、数少ない友ということになる。だからこそ、山本六三を著した文章はmoonさんに奉げられている。
わたしに関する部分は引用しても構うまいと思う。「貴兄の様に義務やしがらみが無ければ随分と楽なのにね」とmoonさんは書かれる。この歳まで生きてきてしがらみがないというのはどうかと思う。わたしの場合は親のこと、子のこと、そして家庭とおぼしきものから逃げ出して知らぬ顔の半兵衛を決めこんでいるだけのこと。その分、誰かがどこかで泣いている。もしくは泣かせているに違いない。
moonさんが持っている律儀さがわたしにはまったく欠落している。奥村チヨの唄に「責任とって 責任とって あなたも男なら」というのがあるが、そのようなことを云われて真っ先に逃げ出すのがわたしである。六三さんが市役所横の公園で似たことを問われて一言、「箪笥を買ってあげる、中味は勝手にどうぞ」どうせ何を買っても質草になるだけのはなしである。この場合の箪笥は謂わば金の成る木であろうか。六三さんの半ば真剣、半ば不真面目な諧謔には叶わないと思い知らされました。
わたしは一種の禁治産者で、都合の良いときだけ心神喪失になる生活破綻者です。徹底した卑怯者で、義務やしがらみから逃げ回っている弱虫なのです。ぼちぼち、ふたりして男であることを止めませんか。