辞書の語釈というものは良い加減なもので、あまり信用できない。しかし、中には執筆者の名を明らかにしたものもあって、よくぞここまで調べたというような力作もある。前項で書いた粥についての語釈は感心させられた。先日、天婦羅について調べていて、
「江戸末期、京坂でははんぺんの油揚げを「てんぷら」といい、いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」
「上方では今日いう薩摩揚げをてんぷらと呼び,江戸ではもっぱら衣揚げをてんぷらと称していた」
違う辞書だが上記のような箇所があった。ところで、水産練製品には、蒲鉾、竹輪、半片、真薯(しんじょ)、薩摩揚げ(鹿児島ではつけ揚げ)、伊達巻、摘入れなどがあって、それぞれに異なる。京坂でてんぷらと称したのは薩摩揚げのことで、半片のごとく柔らかい練製品は当時もいまも存在しなかった。後半の「いまでも関西では薩摩揚げのことを「てんぷら」とよんでいる所もある」は概ね正しい。この著者は半片と薩摩揚げを同じものと思っている。一方、下段の語釈は正しい。
ただ、ここで問題なのは関西のてんぷら屋はどこでもそうだが、水産練製品全般を取り揃えていて、薩摩揚げを指しててんぷらとは云わない。全体がてんぷらなのである。てんぷら屋と称するが、てんぷらとの商品は存在しない。個別に呼び名がある。しかもその名は一定の方針に則ってはいるが、店毎に異なる。
例えば野菜焼きもしくはタマネギ焼きと云うのがあって、玉葱の微塵切りを中心の煉り物にパン粉を付けて揚げている。関東にも玉葱の微塵切りを中心の煉りものはあるが、素揚げでパン粉は用いない。そこで埼玉の大手の練り天屋に訊いてみた。そうすると、関西で人気商品なので作ったが、関東ではまったく売れないらしく、現在では生産していないとのこと。またいまでは流通が発達しているので、関東で関西向けの商品を、関西で関東向けの商品を作ることもある、と。
ちなみに、パン粉を塗して揚げたカツレツ製品では、島根の赤てん、廣島のがんす、北海道のパンロールなどがある。
練り製品と衣揚げの双方をてんぷらというのは混乱しないかとよく訊かれる。はなしの前後でそれとなく察しがつくから混乱することはない。混乱すると思えば、練り製品を練り天、衣揚げを天婦羅と云えば済むことである。「江戸の三味」すなわち、蕎麦・寿司・てんぷらは江戸(東京)の郷土料理。衣揚げをてんぷらと称したのは江戸地方だけで、練り天をてんぷらと称したのは上方に止まらない。今でも和歌山、九州、四国、中国地方へ行けばてんぷらは練り天を指すのが一般的である。
フランス料理のクネルが薩摩揚げに相応するとの意見もある。確かにクネルは摘み入れの一種だが、主としてクリーム煮にて頂戴する。よって揚げ物ではない。ちなみに、てんぷらの文献上の初見は1669年(寛文9)刊、京の医師奥村久正による「食道記」である。文中、「てんふらり」に「小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」と記されている。これは小鳥のミンチを餡掛けにしたもので、この記述では揚げ物と限定していない。この方が薩摩揚げよりはクネルに似ている。
「上方流と江戸流では実体の違っていたてんぷらが、衣揚げこそてんぷらであるというような地位にのしあがっていったのは、《言海》はじめ多くの近代国語辞典が江戸流てんぷらだけを採択したせいかと考えられる。明治以降、方言が中央語に収れんされていく過程でてんぷらも巻添えをくったものであろう」と書いたのは平田万里遠さん、これなど肉声を鏤めた見事な語釈で、編輯者の手前なかなか書ける文章でない。