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人間の条件としての不条理性への認識の深化は、人間の行為や表現の無意味さについての意識の先鋭化をもたらした筈である。はずであって、実状は知らない。人間は屡々退歩し、忘れるのを常とする。もしくは人間の行為や表現に対して意味性すら求めるような事態が起こり得る。
その証拠に面と向かって話していて、君の作品は無意味だと云うと、例外なく喧嘩になる。そのような頓珍漢とのお付き合いは断じて蒙御免。単に社交辞令を求められるならわたしではなく他の方を御薦めする。
どうでも良いこととどうでも良くないことを峻別できるひととのみ、付き合うように心掛けている。どちらが本音で建て前か、そんなこともどうでも良いことのひとつだが、例えば神戸や東北の震災にしても、罹災者は個別に受けたであろう苦衷を強調する、もしくはその解決方法の示唆を期待する、解決策がないにもかかわらず。なにひとつ元には戻らない、元に戻らないがゆえの不条理なのだが。
先日朝まで生テレビを見ていて、司会者の独善に呆れ返ったが、そのようなことを気にしてもなにもはじまらない。原発の暴走は国の非常事態だと思うのだが、政府はそうは思っていない。思っていないどころか、数年を経ずして収束を宣う始末。廃炉はもとより、使用済み核燃料の最終処理すらこれから十万年、二十万年後に先送りである。間違いなく、原発は再稼働し、電力会社は新卒者を雇い、わが世の春を謳歌する、「世はこともなし」である。
不条理を多少なりとも浄化すればシシフォスの神話になるが、罹災者はそのようなものを求めていない。罹災者は不条理ではなく、不条理の弁証法的展開をしか望んでいない。それこそが不条理性の否定なのだが。弁証法が内包する不純な面を際立たせるのが不条理の概念の半分、その不条理を再度弁証させて、一体どうしようと云うのか。意図するところはなんぞや、と訊きたくなる。
歌手、俳優、アスリート、政治家が被災地へ赴けば、ひとを癒し励ますことができる。しかし、詩人に傷心や失意を翻すのは不可能である。罹災のパーソナリティを前に、詩人になすべき手立てはなにもない。不条理の極北は戦禍だとわたしは思っている。戦禍に類する事象がそれにつづく。個々の生活が断絶し、個々の人生が蹂躪される。詩人は芸能人ではない、「世界のやさしい無関心に心を開く」ことはあっても、不条理を否定することはない。と云うよりも、悲しみを深化させ、ひとを不条理の渦中に冷酷無比に追いやるのが詩人の唯一の務めであろう。
追記
2012年01月06日に書いた文章を若干手直しした。
拙宅のマイクロコンポを店へ持って行ったので、音楽が聴かれなくなって弱っていた。店はモダンジャズオンリーなので家では流行歌を聴きたいのである。先日、ビクターの UX-T1を900円で購入、送料の方が高くついた。前のと比べて音質はよろしくないが、わたしにはこれで十分過ぎる。
接続を済ませてニュースを見ようかと思ってテレビをつけると映らない。2.3秒映っては消えるが色調が真っ赤、どうやらご臨終の気配、引越時のパソコンモニターと同じ症状である。こちらはどうしようかともっか思案中。どなたか小さなテレビをお持ちの方はいないかしら。
「知床のくさや風鮭とば」について何度も書いたと思っていたのだが、高遠さんとの遣り取りのなかで一度出てくるだけである。北海道の鮭とばはアイヌ部落の数だけ種類があった。もっとも、現在売られているものは判でで押したように同じものばかりだが。
それらのなかで、ウトロで売られていた鮭とばだけは強く記憶に残っている。通常の鮭とばは身の筋に沿うかたちで、刃が入れられている。ところがウトロのそれは皮は付けたまま、身だけを筋に直角にスライスするかたちで切られている。それだけでも変わっているのだが、淡い魚醤のにおいがする。くさやと同じ作り方なのだが、あれほど強烈ではなく、微かににおう程度なのである。明石の太田守さんにそのはなしをしたところ、彼は即刻北海道へ赴いた。土産に鮭とばを抱えて戻られたのはいうまでもない。
健康な頃、毎年二輪で北海道へ旅をした。八戸近辺で鮭とばの大きな固まりを購入、バイクの後ろにテントと一緒に括りつけて走っていた。どうして八戸かと云うとウトロの鮭とばを除いて、もっとも旨く、安かったからである。フェリーで知り合った北海道の方は鮭とばを生で食する。生でも旨いのだが、皮は食べられない。皮は捨てる(北海道では投げる)のが大方らしい。わたしは皮が香ばしくて好きなので、炙るかフライパンで煎って食べる。
ウトロの鮭とば同様、スライス製法の鮭とばを見付けた。まったくの無添加かつうま塩製法とやら、期待できそうである。
http://www.gyogyoubu.jp/?mode=cate&cbid=1276889&csid=5
(株)中村漁業部 担当 中村茂
青森県八戸市尻内町前川原7
Tel 0178−27−2324
Fax 0178−27−2325
E-mail shop@gyogyoubu.jp
追記
11日、日高さんがいらしたので早速鮭とばを頂戴する。旨いの一言、鮭とばには精通しているつもりだったが、世の中にこれほど美味な鮭とばがあろうとは愕きである。中村さんのところではさまざまな鮭とばをつくっているが、無添加鮭とばには感服した。今まで食した鮭とばのなかでこれ以上のものはない。わたしが太鼓判を押す。
前回ボリス・ヴィアンが89回、間を飛ばして92回が「雨が降っていた」。イルダ・イルストとジャン・ルイ・シェフェールについて著されている。ぜひ、読まれんことを願う。
安柊 有人
おじさんと森で会いました。近頃は仕事をする気があまりないようですが、最近書いたものでは自分では一番気に入っていると言っていました。ふん。
http://www.gendaishicho.co.jp/smp/news/n22003.html
レッグウォーマーについて書いたが、乗馬用ハーフチャップスを真似て造ったオートバイ用のハーフチャップスを見付けた。乗馬用は丸皮を用いてい、大層高価なものだが、バイク用は安い。写真左は羊皮(1840円)、右はナイロン(1480円)、後者は裏側が起毛で煖かい。雨天を想定し、ナイロン製に決めた。
羊皮の方が格好は良いのだが、丸皮でないのが難点。表皮だけの皮は俗に手帳皮と云って本の装丁には不向きである。安物の限定版には必ず手帳皮が用いられているが、染めでなくペイントであるが故に、変色し、ひび割れし、のどの部分から裂けてくる。本一冊分の大きさで丸皮だと3000円以下ではない。手帳皮だと数百円乃至1000円までで手に這入るが、この差は大きい。
共に舶来品らしいが、羊皮のハーフチャップスは女性のファッション用と思う。風雨への耐久性を考えればナイロン製となる。いずれにせよ、日本人には考えが及ばないところであろう。明日から冷えるらしいが、到着が待ち遠しい。
追記
Google検索するといくらでも高級品が出てくる。韓国製の牛皮のものなどよさそうに思われるが、ギャーと跳び上がるような値段である。わたしには縁のないものばかりである。日本人がナイロンで中国や韓国が皮革など、昨今の国力の差を見事に顕している。
オートバイの冬支度を了えた。とは云ってもハンドルカバーを付けただけ、これで薄い手袋が使える。肝心の乗り手の方だが、メッシュのライダースーツのなかにニットのカーディガンを羽織り、最も寒い膝に毛糸で編んだレッグウォーマーを履いた。毛糸製は女性から頂いたもので、ちゃんとしたものが欲しいのだが、値が高すぎる。防寒、防風で他に融通が利くものを探している。今から厚着はしたくないのだが、寄る年波には勝てない。1月になるとどうなるのだろうかと心配になる。
前項の「雨の分類」を書き直した。大事なことなので、繰り返しておく。
走行中は両脚でガソリンタンクを力一杯挟んでいる、所謂ニーグリップである。するとタンクと両脚のつけ根に三角の窪みができる、そこに雨が溜るのである。ニーを緩めるとザーッと雨が流れ落ちる。このような状態では雨具はなんの役にも立たない。1時間も走れば下腹部はびしょ濡れ、おちんこはふやける。仕方なくわたしはレディースのレインパンツを穿いている。前に開放部がないため、なんとか保っている。バイク用の雨具を拵えるときに留意していただきたいと思う。
東京から広島までオートバイで雨天走行をしたことがある。そのときはゴアテックスの高級雨具を着用していた。三ヶ日あたりで雨脚が強くなり、同時に胸部へ滲透しはじめた。一箇所でも滲透しはじめるとあっというまにずぶ濡れになる。ゴアテックスやイーベントも同じで、高速ではゴム引きの雨具でない限り防ぎようがない。
レディースのパンツと書いたが、単なるビニール製である。高価だがナイロンPTFEコーティングがもっとも良いのは分かっている。しかし、ビニールの安いカッパをガンガン使って性能が落ちたらすぐ捨てるとの方法もある。わたしはもっぱら後者に頼っている。
前立腺の状態がおもわしくなく、トイレで籠もっていたところ、なにやら音がする。出てみると、周さん来店。嬉しい客である。新宿ゴールデン街のナベサンのナオさんからわたしの写真を撮ってこいとの命が出たようである。序でにですぺらの写真を撮っていただいた。
ですぺら掲示板で何度もナオさんについて書いている。
ナオさんふたたび(2008年12月30日 23:38)
このところ、ナベサンのナオさんとよく会う。よく会うと云っても逢引をしているわけではない、足繁く通っているのである。ナベサンには先代の頃から詩人と映画関係者が多く、先夜も詩人達がいた。詩人というのは詰らない話をすると述べたことが契機になってナオさんと詩について語らった。以下、ナベサンの営業妨害はしたくないので氏名は伏せる。
彼女が取り出す詩集のほとんどを私は知らない。地方で出された私家版と思しきものばかりで出版社名も定かでない。早い話がプロレタリアート詩なのだが、なるほど彼女の好みにはそれとなく統一された雰囲気が漂っている。唄でいえば原田芳雄の「生きてるうちが花なのよ・・・」「横浜ホンキートンクブルース」、浅川マキの「裏窓」「夜が明けたら」のような自暴自棄なムードが色濃く醸し出される。
詩のはなしなんぞ、彼女とははじめてである。この種の詩には垂れ流しが多いのだが、大上段に構えた社会的な作品を避けて個の呻吟濃厚な詩を的確に拾い上げてゆく。彼女は身体で文学を語る、その感覚にかなわないなと思う。修辞ではなく、考えるでなく、より皮膚感覚に近い研ぎ澄まされたひりひり焼き付くような裸の神経回路を彼女は持っている。そのような回路に私ごときが太刀打ちできよう筈がない。ゴールデン街を十八年間流浪うと、いま在ることの切なさがかくまで明確なかたちで迫ってくるのかと思う。「まえだのババア」の貫き乱るがごとき猛々しさは彼女には微塵もない。正気も本気も狂気もなにもかも呑み込んで顔色ひとつ変えない、そんなニヒリズムが彼女の立ち居振る舞いのそこかしこに匂う。
かつて「襟を抜くのを去なすというが、年長者のしたり顔をあしらうときの軽みには色気すらある。三十路前半ながら、おそろしくきめの細かい人生を送っている。きめが細かいとは気配りを指し、気配りとは存在の相対化を言う。まるで安保の時代が今様の服をまとって顕れたようで、ある種の懐かしさを憶える。遅れて生れてきた人種のひとりで、時代を取り戻そうとして気を揉んでいる。「遅く生れた」ひとはみな生き急ぐ、その困しみは一種のはがゆさに色彩られている。彼女もまた、あきらめを嘆きの霧の道しるべとするのだろうか」と書いた。この「嘆きの霧」は万葉集の「沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを」である。溜息が生じさせる霧の奥ゆかしさと深い失意が私を捉えて離さない。
ナオさんの実姉HALさんはゴスペルシンガーだが、今月(2008年12月)アルバム「 I sing becouse」をリリースした。妹も楽器をよくする。そして彼女の唄に私は魅了され続けている。無料でナオさんの唄を聴くことができる、それを愉しみに私はゴールデン街へ通う。
横浜元町の煙草屋ヒュミドールには喫煙外来のPOPが張り出されている。「手巻き・パイプ・葉巻などに関するご相談を承ります。お気軽にお立ち寄り下さい」。以下はケムリエ創刊号から引用する。
不用意に「何かおいしいたばこある?」などと訊こうものなら、「ありません」と一言のもとバッサリ。その心はこうだ。もし˝おいしいたばこ˝なるものがあったら、それ一つだけでことは足りる。煙草屋の商売は成り立たない。メーカーもそれぞれ一所懸命˝おいしい˝ものを作っている。だが、それがまさに嗜好品というもので、万人にとっての˝おいしいたばこ˝なんてあり得ない。
この消息は煙草屋に限らない。ショットバーでもっとも困るのが、「何かおいしいウイスキーをください」と訊かれることである。「1000本のなかから選んで持ってきた90本ですが」と応えると、今度は「マスターのお薦めをください」とくる。スコットランドのシングルモルトの蒸留所は129箇所ほどある。大半はブレンデッドウイスキーに用いられるが、グレーンウイスキーのような没個性のウイスキーは端から置いていない。バックバーのウイスキーはすべてお薦めである。「では、マスターのお気に入りをください」とくる。「いいんですか、高いですよ」で話は終わる。
自分で決まられないのなら水を飲めばよいのである。それか端から順番に飲んで好みのウイスキーを決めれば良いのである。ウイスキーを知らない方が知ろうと思えば最低一箇月は通って頂きたい。そうすると、わたしにも相手の好みが分かってくる。分からなければ、なにを薦めてよろしいのか、雲をも掴む思いなのである。
ハーフで飲めば1回で10杯は飲まれる。それを5回繰り返して頂ければ、相手の好みのおおよそは把握できる。そうすれば、129の蒸留所の違いについて自在に語り合えるようになる。客と店主との晤語はそこからはじまるのでないだろうか。
明石の大蔵市場の火事だが、大蔵海岸通りの方から消火に当たっている。東西の幹線が2号線と大蔵海岸通りの2本のみ、交通規制で現場はごった返している。
大蔵市場は山陽道に面しているが、道が細くて、大型消防車は這入られない。そちらに小型消防車、大蔵海岸通り側に大型消防車の布陣で懸命に消火に当たっている。大事に至らなければよいのだが。
障害者用自動二輪である。補助輪を付けただけでなく、ブレーキやシフトも細工している。この手のバイクは個々の障害に合わせなければならない。従って、同じものはなく、加工費が高くつく。同じ障害者として気持は痛いほど分かる。しかし、疑念は残る。どうしてハーレーダビットソンなのか。非常時にいかように対応するのか、そちらの方が気になって仕方ない。
わたしなら小型のバイクを薦める。わたし自身、250ccの軽二輪に乗っている。いっそ、カブでもよかったのではと思っている。余談ながら、スクーターは改造に向いていない、溶接するフレームが表に出ていないからである。
先ほどから2度にわたって、わたしが住む神戸市西区明石川沿いの避難命令が携帯電話へ届いている。たまに外を覗いているが、警報で云うような非常事態ではなさそうである。例え、川が溢れても拙宅は2階なので大丈夫、それより心配なのは店舗。明石川は西区を流れ、下流域は明石である。去年も店舗界隈は床下浸水があったと聞く。明石ですぺらは浸水に対する準備はなにもない。風雨がもっとも烈しいのは午前2時頃のようである。ちょっと見に行く心算にしている。
右翼か左翼かと云った問題でなく、レイシズムか否かとの論点は分かりやすく説得力がある。ぜひ、お読みあれ。
http://blogos.com/article/253977/?p=1
遅くなるほど雨脚が烈しくなるそうな、そこで朝7時になるのを待って投票を済ませた。投票所はがら空き、一番を競う方で混み合うものだが、出足がよろしくないようである。神戸市は併せて市長選と市議補欠選もあった。投票率が気になるところ。20時になるのを待つしかない。
はなしは変わるが、8月18日に罹った疱疹がやっと治った。丸2箇月かかったことになる。免疫抑制剤は飲み続けなければ確実に死ぬ、分かっているのだが、難儀なものである。いずれにせよ、これで何時でも風呂に這入られるようになった。
気象情報で雨の降り方は以下のごとく分類されている。小雨(1mm/h未満)、弱雨(1mm/h以上3mm/h未満)、雨(3mm/h以上10mm/h未満)、やや強い雨(10mm/h以上20mm/h未満)、強い雨(20mm/h以上30mm/h未満)、激しい雨(30mm/h以上50mm/h未満)、非常に激しい雨(50mm/h以上80mm/h未満)、猛烈な雨(80mm/h以上)。
東京ではどのような雨であってもオートバイに跨がっていた。明石では無理をせずに雨天は四輪に乗っている。だが、小雨だと躊躇なくオートバイに乗る。弱雨だと天気予報以外に西空をみたり、勘を信じて乗ったり乗らなかったり、結果、濡れるか濡れないかはほぼ半々である。いつも云っていることだが、オートバイの場合、体感温度は5度ほど下がる。同様に小雨は弱雨に、弱雨は雨になる。
このところ、勘が外れて屡々雨に打たれる。濡れるのは胸、膝、腿、靴である。走行中は両脚でガソリンタンクを力一杯挟んでいる、所謂ニーグリップである。するとタンクと両脚のつけ根に三角の窪みができる、そこに雨が溜るのである。足を緩めるとザーッと雨が流れ落ちる。このような状態では雨具はなんの役にも立たない。バイク用の雨具を拵えるときに留意していただきたいと思っている。帰宅後、下着は洗濯機へ、服と靴は風呂場で乾かすことになる。
下前國弘さんは「柳居子徒然」との Rakuten BLOG をなさっている。フェイスブックでも掲載されている。ポリティカルなスタンスはわたしと異なるが、特段に結構な文章である。
https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201709210000/
上記、洛中については諸説紛々、 下前さんのような正確なご意見は貴重かと思われる。
「人材の払底 」は時節柄ぜひお読みいただきたい。例によって名調子である。
https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201510310000/
以下は1月に亡くなられた京都の三月書房宍戸恭一さんへの追悼。
https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/201702030000/
雨降りのなか、バイクグローブとは云っても自転車用のものだが、ヘルメットのシールドを拭った瞬間に破れてしまった。10年ほど使ったもので、既にぼろぼろだった。バイク専用グローブや防水の効いたものは、ごわごわして咄嗟のときにレバーが引かれず嫌なのである。
昨日の服は乾いているが、今日は帰りの時間帯に土砂降りになるそうな。四輪で出掛けようと思う。
追記
やはり降ってきた。今日は雨の合間に店の玄関灯を付けた。付けたはよいが、明るすぎて気恥ずかしい。もう少し暗めの電球を持ってくるとしよう。
びんぐしの標準和名はセトダイ、しかし明石ではみなさん「たもり」と呼ぶ。前回紹介したマナガツオと友に、瀬戸内固有の磯魚である。なぜ、たもりと呼ばれるかと云えば、もともとは「とももり」だったそうな。とももりとは平家の頭領、平清盛の四男である平知盛のことである。源平合戦にて敗走し壇ノ浦に沈んだ知盛にちなんだ名、それが訛ってたもりとなった。
びんぐしに限らず、イサキ科の魚のうちヒゲダイ属、コショウダイ属、コロダイ属の背鰭が大きな魚はすべて「たもり」と呼ばれるらしい。大きな背鰭を、鎧を着た武士に例えたのだといわれる。ちなみに、びんぐしは鬢櫛、整髪料を付けた髪をかきあげるのに使われる目の粗い櫛のことで、この方が例えとしては分かりやすい。
イサキ科と書いたが、刺身にするとイサキと識別できない。違うのは値の安さと味のよさである、20センチのものが小売りで300円ほどで売られている。煮付けにするとメバルはおろか、カサゴよりも遙かに美味。もっとも、わたしは刺身で頂戴するのがもっとも好みだが。ゼラチン質が多く鮮度が落ちやすいのが欠点だろうか。
明石で名のある鮨屋は菊水と丹甫、その丹甫のご主人と親しいので訊いてみると、安価な魚ゆえ、漁師から馬鹿にされるので置かないとのこと。呆れかえってものが云えないとはこのことで、旨い魚は誰がなんと云おうが、薦めるべきである。オコゼの次に旨い魚だとわたしは保証する。
3日前から急速に冷え込んだ。寒さで目覚め周章てて冬物の蒲団を引っ張り出した。肌掛け羽毛布団だけで過ごしていたのである。夏物と冬物の中間というものが拙宅にはない。ですぺらでのワイシャツ1枚も肌寒い、こちらもカーディガンを引き摺り出した。カーディガンの上にジャンパーを羽織ってバイクに跨がると暖かい。しかし今からこのような格好をしていると真冬が思いやられる。カーディガンは店に置いておく。
今年の3月、パッチ(スポーツ用タイツ)を買った。戸田に住んでいた折は雪日にはオーバーズボンを穿いていた。そのズボンは裾がマフラーで焼け焦げて今は持っていない。パッチの登場は年末まで遅らせるとしよう。
今夜も雨が降っている。上着だけはナイロン製の防水着を何時もバイクに積んでいる。下半身と靴は濡れるが致し方ない。雨天のバイクは辛い、寒さよりもスリップと闇夜が怖いのである。明るい道へ帰路を変えなければならない。
「めぐみの郷」について書いたが、昨今は菠薐草のごま和え、小松菜のおひたし、高野豆腐の含め煮などの売れ残りを贖っている。含め煮には高野だけでなく、椎茸、人参、莢豌豆などが這入っている。莢豌豆は煮すぎて白っぽく変色しているが、これもご愛敬、素人料理には素人なりの趣と味わいがある。
日々、菠薐草や小松菜だけで食事を済ませているわけでない。週2回は刺身を食べている。シマアジと昼網の鯛、4分の1の短冊が398円と298円。シマアジは身がこりこりしているので、一晩置いてもおいしく頂戴できる。鯛は一晩置くとさすがに身は柔らかくなる、そんなときはポン酢で頂戴する。一味を利かせると絶妙に旨くなる。ちなみに、醤油が塩分濃度が高くて使えないので、白だしで3倍に薄めて使っている。もしくはポン酢、二杯酢、三杯酢の類いが常備品である。
日曜日には盛り合わせ398円が売れ残っている。18時を過ぎるとそれらが半額になる。シマアジの短冊は398円でも滅法安いが、200円ならさらに嬉しくなる。金がないならないなりに、娯しむ術はいくらでもある。
靴底が薄くてかかとがない、足くびを曲げやすいように後方がカットされている、チェンジレバーが当たる部分が補強されている。デザインはよろしくないしウオーキングには不向きだが、今のわたしにうってつけの靴が入手できた。ほとんど使われていないにもかかわらず、なぜか入札者はわたしのみ。
昔、W1というオートバイがカワサキから出ていた。「BSAの兄弟車」と揶揄されたバイクだが右足シフト左足ブレーキだった。ただし、踏み込み式のチェンジだったためレバーを蹴上げる必要がない。比して昨今のバイクは左足に統一され、かつリターン変速なので、どうしても補強が必要になる。
補強に用いられる材質は通常ゴムか革である。左足だけでよいと思うのだが、バイクシューズには必ず左右シンメトリーについている。デザイン面からの要請なのか、考えてみれば不思議である。
間髪を容れず、友人から連絡があってアシナガサンゴだと分かった。世界大百科事典 第2版の解説によると、「花虫綱チョウジガイ科の腔腸動物(刺胞動物)。6本の太いとげが底から出ている単体サンゴ。本州中部以南の水深150~400mの海底に分布する。サンゴ体は六角形で,おのおのの角の底から太いとげが放射状に長く出て体を支え,特異な形をしている。莢(きよう)の中は多くの隔壁でしきられるが,六つの角から生ずる隔壁が上方にもっとも高く突出する。各隔壁の側面には小さい顆粒が発達している」と記載されている。これで得心した。
木野寿紀さんのブログです。プロフィールにはエストニア共和国在住の大学生。タリン大学教養学部社会科学専攻とあり、さまざまな楽器の演奏者でもある。ポリティカルな発言が多いが、非常に面白く読ませていただいている。
http://www.from-estonia-with-love.net/
どこで拾ったのか覚えていない。フェイスブックの友達のサイトだったら申し訳ない。
ウニの化石はいくつか持っている。ただ写真の化石がなんなのかさっぱり分からない。褐虫藻や放散虫を想起させるが、どなたかご存じの方がいらっしゃればご教示賜りたい。
日中はまだましだが、深夜は寒い。ひともオートバイもブルブルガタガタ震えている。金のかかる話しは考えたくもないのだが、足下をなんとかしたい。ブーツが欲しいのである。ゴムの長靴を持っていたはずなのだが、度重なる引越でどこかへ消えた。
ヤフオクの1円出品のなかから探す予定、送料が1000円ほどかかるので、購入予定価格は500円まで。バイクブーツとして用いるには細身で足にフィットすること、底が薄いこと、甲の部分にチェンジレバーが当たるので補強できることの3点だが、防水ならそれに越したことはない。今月中になんとかしたい。
現在大阪市内には、市の運営する8箇所の渡船場があり、15隻の船が地域の多くの人々に利用されている。一方、神戸には兵庫突堤へ渡る新川に渡船があったのだが、検索しても渡船の歴史自体がなにひとつ出てこない。子供のころ、父親と自転車で中央市場へ出掛け、渡船に乗ったのを覚えているのだが。現在の渡船は防波堤行きの釣り船ばかりである。
写真は鳴門市営渡船。
尿に濁りがあって前立腺炎の再発でした。云われれば抗生物質を処方しますがどうします、と問われて、痛みは収まったようだし極力抗生物質は飲みたくない、痛みがぶり返すようだとその時にまた、と応える。尿の濁りはチェックしているのだが、見落としたようである。白血球は炎症によって増えてはいないが、わたしの場合は腎臓と関わりがあるのでいささか難儀である。
友が北海道へ行くという。うらやましく思う、わたしは今年もどこへも行かれなかった。せめてキャンプ道具を車に積み、旅をした気になってみようか。明日は病院だが、土曜日から前立腺が痛い。前立腺自体の痛みではなく、頻尿と尿意を催した際の激痛が前立腺の腫れを想起させる。フリバス(ナフトピジル)の用量を増やそうか。
枝幸港(北見枝幸)の北に突き出した小さな岬がウスタイベ岬。国道238号から外れて岬を一巡する道に入ると、先端の草原部分が無料のウスタイベ千畳岩キャンプ場。その海岸線にあるのがウスタイベ千畳岩。ガラス質安山岩の貫入岩体で、北見神威岬など一帯は北オホーツク道立自然公園に指定されている。ウスタイベはアイヌ語のウス・ウシタイペ・ぺッ(us-nitay-bet=入江・林・川)に由来する地名。
写真のバイクトレーラーはMTB-XR1輪サス付、場所はウスタイベ岬。キャンプ好きには格好の代物だが、公道での最高速度は25km/h(道路標識等の最高速度がこれ以下の場合はその速度)に制限される。
本日帰りしなにパトカーに捕まった。国道を右折するに際し、道路の中央まで出ずに短縮して走ってしまった。減点1点、反則金4000円である。いかに深夜であれ、対向車もなく、歩行者もいないとは云え、違反は違反である。これからは帰りの道順を変えることにする。
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