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タコメーターが動かなくなった。エンジンを切っても回転が落ちない場合は除霊してからの修理になるので高く付くが、今回はゼロ回転から微動だにしない。間違いなく、ワイヤー切れである。十五年前のバイクのパーツだが、ホンダなので大丈夫と思う。
この一年半乗り続けて、もっか二万三千キロ。エンジン音には馴れてしまったので、タコメーターは不要といえば不要なのだが、五速六千回転で時速六十八キロが巡航速度である。何時もタコメーターを基準に走っているので、ないとなるとそれなりに周章てる。
先立つものがないのでスピード違反には気を遣う。それでなくとも帰路、毎夜のように橋の上で四輪、二輪が捕まっている。先日もBMWのR1200が覆面に逮捕されていた。とっ捕まる可能性のあるところでは決して飛ばさないのがわたしの運転の極意である。
鳩山邦夫前総務相を思わせる正義の味方はどこにでもいる。西方ではラフサンジャニとムサビがハメネイ、アフマディネジャドと悶着を起こしている。マスコミは保守派、改革派と囂しいが、要は権力闘争でしかない。抑圧する側もされる側も正義の味方であることに違いはない。
バシジに変わって革命防衛隊の登場になりそうだが、そうなれば夥しい数の犠牲者が出るやもしれず、「サッカーの試合の後の暴動のようなもので、大したことはない」と切り捨てられる大衆は堪ったものでない。躍らされる大衆に責任があるのか、シニカルになりきれないイスラムの文化そのものに責任があるのか、いずれにせよ、正義ほど恐ろしいものはない。
定額給付金の申請用紙及び自動二輪の任意保険用紙の書き込みをやっと済ませた。9ポの大きさの文字ならともかく、両用紙共に文字が小さすぎてなにひとつ判読できない。以前は人に頼んでいたのだが、今回は自分で処理しろと拒否された。仕方のないことだが、どうしてあのような小さな文字を用いるのだろうか。同じように困惑している老人は多くいると思う。
9ポと書いたが、その大きさでも読むにいままでの三、四倍の時間が掛かる。ルビに至ってはそこになにかしら文字らしきものがあるという程度にしか分からない。急速に書物から遠ざかっていると書いたが、視力の衰えはどうにもならない。悲しみと苛立ちが手に手を取って押し寄せてくるのが老いである。
日本で造られるビールはビアホールで飲む樽生ビールであれ、家庭で飲む瓶ビールであれ罐ビールであれ、中味は同じである。さらに申せば、生ビールもラガービールも同じものである。そもそも日本に生ビールはほとんど存在しない。酵母菌をミクロフィルターで除去し、熱処理していないとの理由だけで生と称している(最近出回っている無濾過・チルドタイプの生ビールを除く)。
そこでメーカーは売るために涙ぐましい努力をする。同じビールになんらの差違を設けようとするのである。今回、サントリーはボトル・ドラフトという樽生ビールに近い味わいを実現する器材を開発した。営業マンのはなしによると、管が突き出てきてプシュっとガスをひとふき、それだけで泡立ちが異なるようである。仕掛けは面白そうだし、かかる玩具がわたしは大好きである。理屈は抜きにして、瞞されることにした。七月一日からザ・プレミアム・モルツを置く。
スーパーノヴァ第二弾と書いたが、なにかしらおかしいと思い再度連絡を取ってみた。それによるとキャンセルによる返品があったらしく、三本と云われれば在庫はなかったそうな。
限定品と謳ってはいるものの、蒸留所の親会社の営業方針ををわたしはまったく信用していない。ブランド化の進捗に伴い急速にアードベッグへの興味は薄れてゆく。その分、無理をしてでもボトラーズ・ボトルを買い集めている。値は記さないが、友が貴婦人の香りと名付けたシグナトリーの74年カスク・ストレングス、ゴードン&マクファイルの旧ボトル、グレン・モーレンジが買い取る前のディスティラリー・ボトルなどを見付ければ必ず仕入れている。もっとも、店ではさっぱり売れないが。
全体の本数は分からないが、アードベッグのスーパーノヴァ第二弾が入った。さきほど電話があって、幾らでもご希望に添いますと云うので二本取り置いてもらった。当店にはそれ以上は必要ない。
この前はあまりよく書かなかったのだが、飲んでみると結構美味いモルト・ウィスキーである。あまりに強烈なピート香にお代わりを飲みたいとは思わないが、ピートが効いているが故にアフターの甘味が活かされてくる。ただ、最後に飲むに問題はないが、スーパーノヴァの後に飲むウィスキーは見当が付かない。ショットバーとしては困惑させられるウィスキーである。
ところで、東京も梅雨に入った。出掛けしなに雨だと四輪を利用する。何度も書いているが、駐車場の利用は午後六時半以降。従って開店がやや遅れる。申し訳ないが、どうかよろしく。
この二週間、お通しに柳葉魚を使っていた。他に所用があって、序でに北海道鵡川町から送ってもらった。ごく少量のため売り切れたが、評判はよかった。天日干しで地元のひとはそのまま食する。機会があればまた取り扱う。
その替わりになるかどうか分からないが、兵庫県香住産ホタルイカの干物を置いている。わたしは珍味と思っている。
赤ワインに限らず、白ワインや日本酒にも熟成が必要なことは何度も書いてきた。前期プルミエ・ジュールほどではないにせよ、樽熟が十分になされたワインにスペインの北西、大西洋に面したリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスがある。98年以降は熟成期間が短くなったと聞くが、リースリングに似たアルバリーニョ種から産出されるだけあって、柑橘系の厚い酸味と凝縮した果実味のバランスが心地よい。年初に03年ものを飲んだが、味の基本はしっかり守られていた。ちなみに、同ワインの96年ものは、添加剤の入らないボトルが間違えて輸入されている。神戸の酒屋でそれとヴィッキオマッジオのリパ・デッレ・モンドーレ(こちらは赤ワイン)をですぺら赤坂のオープニング用に十ケースずつ購入、雀躍りしたものである。
上述したワインの一部は以下のサイトでも紹介されている。信頼できる書き込みである。
http://www.atelier-v.jp/column.html
2006年08月21日に以上の記述がある。いまさら紹介に及んだのは先日著した酒屋とリパ・デッレ・モンドーレについて書きたいからである。リパ・デッレ・モンドーレはもともと池袋の和泉が扱っていた。そこへ某酒屋(インポーターでもある)が割り込んだのである。某酒屋は量販店で、大量だが、同商品はスポット扱いだった。要するに和泉より安いがその値で後は続かない。
昔、ブレンデッド・ウィスキーには正規品と並行輸入品とがあった。並行輸入品は混載で送られてくるスポット商品で、宣伝費が掛からないぶん安くなる。モルト・ウィスキーもそうだが、ワインも多品種少量生産のものが多い、その商品をいかに育てて行くかは個々のインポーターの手腕に掛かっている。
わたしが云いたいのは後々扱わないのであれば、量販店には手を出してもらいたくないと云うことである。リパ・デッレ・モンドーレは値崩れを起こし、和泉は取扱いをやめた。そして某酒屋の在庫がなくなったとき、リパ・デッレ・モンドーレは飲まれなくなってしまった。
同じ量販店のビッグがウィリアム・フェーブルのラ・ミッション・シャルドネを扱っている。こちらは既に四年になるが、コンスタントに在庫している。こちらのインポーターは稲葉、去年、脱税で挙げられたインポーターである。
それはさておき、ボディントンは毎年のごとく輸入元が変わる。そして値も一定しない。おそらく、最初に扱った重松貿易がもっとも安く、今はとんでもない高値で売られている。引用したオロサル地区のサンティアゴ・ルイスが最初日本へ入った時のヴィンテージ95年ものは1,880円だった。
東京芸術大学の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ VOICE SPACE。2004年に成田英明、佐々木幹郎両氏を顧問に発足した VOICE SPACE は、詩をいかに朗読するか、音楽とどのようにコラボレートするかを実験するために設立された。
作曲、声楽、クラシック楽器、邦楽器、アイリッシュ音楽のメンバーによって構成され、これまで日本および海外の詩人のさまざまな作品を対象にして、ジャンルを越えた幅広い音楽的アプローチをはかってきた。
今回、初の単独公演となる本公演は、谷川俊太郎、佐々木幹郎両氏の作品の音楽的新解釈のほか、中国を代表する三人の詩人の作品とのコラボレーション、朗読劇「子守唄よ」の音楽による中原中也の詩の世界を紹介する。
6月26日(金曜日) 18時半開場 19時開演
新宿文化センター小ホール
全席自由 2500円
かつて小室等さんなどと倉敷、山口、東京、北京などで活躍してきた VOICE SPACE のメンバーとは幹郎さんの山小屋でご一緒したことがある。いまでは半数がプロとして演奏なさっているが、グループの団結は強い。若い音楽家に懸ける幹郎さんの意気組が伝わってくる。行かれた方は改めて前衛というものの渦中に放り込まれるに違いない。
幹郎さんのJT土産とちはらさんの沖縄土産でこの二箇月、煙草を買わなくてすんだ。この間に喫んだのは四カートンと葉巻が少々、それとパイプ葉が一袋と刻みを半分。わたしにとってはこれでも劇的に減らしたのである。一日六十本から二十本へ、止めるつもりはないのだが、量はさらに減らそうと思っている。
健康への留意などなにもない。自らの悪意でもってわが身が滅びるならまさに結構。わが身を引っくるめて人など早く死んでしまえと思っている。
先日書いたダンカン・テイラーのブローラにまた注文が入った。それと白州のヘヴィリーピートである。双方を購入、無事にお客さんの手元に届けた。ダンカン・テイラーのブローラに続けて、セントマグデランがインプレッシヴ・カスクで頒される。82年蒸留、25年もの、62.2度、頒価は12,333円。最近のボトルのなかでは最安値、お買い得である。ポートエレン、ブローラ、セントマグデランは共に83年に蒸留所は閉鎖されている。
このところ品切れが多数出ていたが、日曜日に補填。アベラワーのアブナック、グレンファークラス105、シグナトリーのブナハーヴン等々、常備品の追加と併せて九本を仕入れてきた。暫くは大丈夫と思う。
ドライバースタンド和光2りんかんと言うのを見付けた。早い話が「2りんかん」和光店である。住所は埼玉県和光市下新倉5丁目11-1。ホンダグループの自動車教習所レインボーモータースクールのすぐ傍、ヒロユキさんがバイクの免許を取りに行ったところである。いままで気付かなかったのが不思議である。
今日、ブレーキパッドを買いに行く。ハイパーパッドが2,940円なのでまずまず、それよりも従業員が若くそしておそろしく親切である。もたついていると、バイクの台車ナンバーから型番を調べてくださった。街の車屋さんは別にして東京へ来て親切だと思ったのは鎌田のハネホンのみ、従ってとても心地よかった。
ディスクブレーキの構造は二輪も四輪も同じ、簡単な作業と思われた。パッドの交換に着手するも、家庭用の工具では間に合わない。ネジが固くて動かないのである。三十分で済む作業に一時間以上費やしてしまう。某バイク屋での修理に腹を立てたが故に、自分で修復するはめに陥った。しかし、セッティングが悪く、キーキー泣いていたローターの音からは解放された。さっそく赤坂まで乗って来たが、いたって調子はいい。結構飛ばすので磨耗が激しく、パッドは一年と持たない。ゆとりが出来ればスペアを購入する必要がありそうである。
今日は朝早くから都税事務所まで、納税にイチャモンを付けに出掛けた。税金を払うのはやぶさかでないが、マチキンから金を借りてまで払うことの理不尽さを訴えに行ったのである。結論は先送りで、七月に入ってからもう一度話し合いましょうということになった。納税が東京と埼玉に跨がるため、少々煩雑である。
このところ、金が入るたびにグレン・ロセスを購入してきた。五千円以下で手に入る数少ないモルト・ウィスキーである。ところが、今日やまやで新入荷のグレン・ロセス・セレクテッドリザーヴを見付けた。値は3,980円、扱いはコルドンヴェール、やまやとイオンの共同出資による輸入事業会社である。商品は今のところセレクテッドリザーヴのみで、ヴィンテージものを今後扱うのかどうかは分からない。
モルト・ウィスキーのインポーターは減り続けているのに奇特なことである。ただ、ワインに関してやまやの商品をわたしは信用したことがない。信用どころか、大喧嘩をなんども繰り返してきた。詳しくは書かないが、コンテナで入荷してから店頭に並ぶまでの商品管理に問題ありとわたしは思っている。
やまやに限らないが、搬送で横積みにされた酒はコルク栓が傷む。黴臭のするワイン、フォーティーファイド・ワイン、モルト・ウィスキーは返品に応じるのが当たり前である。親しくしている某酒店から電話があって、マッカラン12年ものの異臭でもめていた。飲むまでもなく、臭いだけでわたしには分かる。店員はしぶしぶ交換に応じていたが、わたしが行かなければサントリーの商品に問題はないで押し切っていたに違いない。
それはサントリーの責任でも酒屋の責任でもない、そして半分はインポーターの責任でもない、おそらく搬送にあたった業者に知識がなかっただけなのである。安売りの商品は船便を多用する。船便の多くは混載である。それ故、専門の運送業者が扱うとは限らない。逆にいえば、どこで買うかはどうでもよいことである。扱う運送業者とインポーターにこそ注意を払わねばならない。値の安いものを購入するときにはそれだけのリスクを覚悟しなければならない。
ずいぶんと前のはなしだが、四戸さんからいちご煮を二罐いただいた。ひとつはそのまま煖めて、いまひとつは炊き込みご飯で頂戴した。青森から岩手にかけていちご煮はよく知られた潮汁である。ウニとアワビが基本だが、頂戴したものは蒸しウニとチリのロコ貝を用いていた。わたしの遊びがはじまったのはそこからである。ロコ貝が可能ならツブ、バイ、ゴマなんでもござれである、池波正太郎ならアサリかシジミだろうが。
北海道から冷凍の蒸しウニを送ってもらい、さまざまな貝を用いてみた。そして気がついたのはウチムラサキ貝であった。ウチムラサキ貝を神戸ではオオガイもしくはホンジョガイという。戸田界隈の魚屋では北海大アサリというらしい。これは三番瀬の大アサリと識別するために名付けられたようである。もっとも同じアサリとはいっても属は異なる。掲示板1.0の2006年09月22日「おでん」の項で詳しく書いているのでここでは繰り返さない。
いちご煮はカツオ出汁だが、ウチムラサキの場合は塩と少量の酒だけのほうが旨い。そして大事は焚いたあと保温で置かないことである。保温するとウニが不味くなる。炊きあげてすぐラップで一人前ずつ小分けをし、冷蔵庫へ入れる。そして食べしなに大葉を刻む。
四戸さんからいただいたいちご煮は八戸市の味の加久の屋の商品だったが、内容量は415グラム、これはほぼ二合の米と合う。よいものを頂戴したと、感謝している。五月の連休は宮古から八戸の野営場へ小型バイクで出掛けたかったのだが、結局は行かずじまい。そのかわりに、拙宅でウチムラサキ貝と戯れていた。
鈴木創士さんからメールを頂戴した。掲示板のほうに書くのは照れくさいとか、そういうシャイなところこそ彼にはふさわしい。武内ヒロクニさんは「病気などどこ吹く風といった感じで、元気に画業にいそしんでおられる」とか、わたしにとってはなによりの消息である。山本六三さんが亡くなられてから、おそらく彼しかいないように思う。
「花のノートルダム」に附せられた鈴木創士さんのあとがきにエドマンド・ホワイトの「ジュネ伝」があった。読むかどうか分からないが、購入してきた。「パサージュ論」とどちらを購うべきか迷った。ベンヤミンの「主題をなくした思想」に興味はあるが、それにしても観念論に近いものはおそらく今後は読まないだろうとジュネに軍配をあげた。
「ジュネ伝」の巻頭に謝辞というのがあって、「指導的権威」とか「学識の記念碑」といった言葉が散見される。ゲイに権威もないだろうなどと書けば誤解を生む。マイノリティであろうが、マジョリティであろうが文学に「指導的権威」は必要ないとわたしは固く信じている。同じ理由でエライ先生と思しきひとの序文を冠した著書をわたしは小馬鹿にする。ただし、出版社の営業から出た戦略ならなにも云わないが。
突端から興醒めなことを書いたが、「ジュネ伝」の中味はすこぶる面白い。文中、「聖ジュネ」からの引用が目にとまった。「彼が同性愛者になったのは、泥棒だったからだ。人間は同性愛に生まれついたり、また正常に生れたりするのではない。その経歴の中での事件とそれに対する反応によって、人間はそのどちらかになるのだ。私は断言するが、性的倒錯は生まれる前の選択の結果でもなければ、内分泌の機能不全によるものでもなく、ましてやコンプレックスの受動的で決定的な結果でもない。それは、窒息しそうな子供が見つけ出した一つの出口なのだ」
微笑ましいといえば微笑ましいが、こういったサルトルの誤解・曲解には度し難いものがある。下巻の49頁からあと、この問題は続く。当然、ジュネは、「一方男色の件では、私は何も知らないのだ。人がそれについて何を知っているというのだろう? セックスをするときに、どうして自分があれこれの体位を選ぶのかという理由を、人は知っているものだろうか? 男色は、ちょうど目の色や足の数のように、私に押し付けられたのだ。まだほんの子供だった頃、私は自分が他の男の子たちに惹きつけられることを意識した。女の人には全く惹かれなかった。私がサルトル的な意味で自分の男色を自由に「決心」し、「選択」したのは、こういった種類の興味を自覚した後のことにすぎない。別の言葉でもっと簡単に言えば、それが社会から非難されるものだということを知っていたので、私は自分を抑えなくてはならなかったのだ」と反論している。
サルトルは実存主義を標榜する、従って実存が本質に先立つ。その結果、同性愛すらが後天的な選択によるものと解釈する。繰り返すが、ものの世界にあっては本質が実存に、人間の世界にあっては実存が本質に先立つというのがサルトルの思想である。この本質を概念もしくは設計図と解釈しても差し支えはない。要するに、一つのコップが存在するためには事前にコップの概念すなわち用途と設計図が必要ということである。
サルトルの失敗はものと人間という二元論で世界は割り切れるものではないという一点に帰着する。同性愛者は同性愛者として生まれるのであって、同性愛者として育つのではない。ひとしなみに取り扱うのでなく、世の中にはさまざまな例外があることを認めなければならない。未だに、同性愛に対してサルトルのような暴論を吐くひとが垣間見られるのは残念である。
鈴木創士さんが著されているバタイユの問題点も、詰るところ、聖性と悪といった二元論に帰着する。バタイユのいう裂け目とはヘーゲル譲りの弁証法的契機と、聖性と悪といった二元論とのあいだに横たわる裂け目だったように思う。ブルトンにしてもその発展の中で矛盾が止揚されるのはともかく、土台となるべき二元論自体が矛盾だらけである。この件に関しては何度も当掲示板で書いているが、もう一度繰り返す。
高いところと低いところ、昼と夜、現実と想像、そういった境界線を引かれない概念を二項対立の図式で捉えるのは間違いではないかとわたしは思う。元来相克しないものを相克するかのごとく位置づける、その繰り返しのなかに「シュルレアリスム宣言」は成り立っている。
思想を構築するのは構わないが、その思想からはみ出るものをむりやり押し込めようとしたり、例外を例外として認めないのは問題である。そうした気配りを欠いたもろもろの思索や行為をわたしは権威・権力の行使と呼んでいる。
かつてモラリーの「ジャン・ジュネ論」 を読んだ折、なるほどこのような読み方もあるのかと感心させられた。モラリーはジュネ自らが脚色し、コクトーやサルトルによって神話化された天才的泥棒作家という伝説を覆す。「彼は死にもの狂いで読み、死にもの狂いで書く。一九四二年以来ではなくて、昔からだ。十三歳で、「ナノ・フロラーヌ」は手記を書き、二十七歳で、彼はそこに音楽が聞こえる数通の手紙を書くが、その音楽はやがて彼を有名にするだろう。以後、本当に囚人となり、独房、遠方の豪邸、近郊の屋根裏部屋もものかは、彼はその先端だけがきらめいている氷山=作品を作成し、それを発表する。友情、旅行、情事、彼にあっては文章表現が一切を決定する」
ことの是非はともかく、モラリーはたまたま作家になった泥棒ではなく、たまたま泥棒になった作家を強調する。サルトルの「聖ジュネ」とは正反対の立ち位置というべきか、後半の「ジャン・ジュネの架空の日課帳」はボルヘスの「架空の図書館」を想わせて圧巻であった。
エドマンド・ホワイトはアメリカのゲイ文学を代表する作家のひとりであって、彼自身HIVの保菌者である。そしてリチャード・コーからモラリーに至るまで「聖ジュネ」の書き直しは異国では続けられている。それと比してわが国のジュネ解釈は宇野邦一さんと鈴木創士さんによってはじめられたばかりである。
「蒐書散書」には分かりにくいところがあるといわれたので、書き直しています。悪しからず。
ヴィヨンの時代の白馬亭や松笠亭(記憶定かならず、調べたい方はシュオッブかシャンピオンをどうぞ)にはじまって現在に至るまで、文学を語るとは取りも直さず飲み屋の歴史を繙くことに他ならない。そして歌舞伎町(ゴールデン街は一丁目一番地)や新宿二丁目にもそういった飲み屋は多くある。その二丁目の新千鳥街に大野さんが営むOHがあった。
須永さんに連れられて行ったのが最初である。74年か75年のことと記憶する。五、六人しか入られない小さな店で、トイレへ行くには入り口の客は起立を余儀なくされた。当時のゲイバーの常で店内はほとんど暗闇に近く、カウンターの奥には天井に届けとばかりに大層な花が日々途切れることなく飾られていた。
上京の折には必ずといってよいほど、ゴールデン街の文庫屋かOHへ入浸っていた。そして音楽に聞き惚れるのはOHだった。大野さんから薦められた金子由香利の「初めまして」と「めぐり逢い」のLPはいまも大切に置いている。もっとも、聴くための設備をいまのわたしは持っていないが。子供の頃から福原のタミーへ出入りしていたのでゲイバーは好きである。ゲイというよりは大野さんの人柄に惹かれての日参だった。
須永さんの出版記念の会を西ノ宮の割烹で催したことがあった。OHの常連客を中心に十名ほどが神戸へ集結した。上京中のわたしは大野さんと一緒に神戸へ向かった。新幹線のなかで「あちらから来る毛むくじゃらねえ、あれもゲイなのよ、嫌ねえ」と他人事のように笑う。本人はどこから見ても集金人としか思われない小さな革鞄を持ってちょこなんと座っている。ちょっとしたオネェ言葉と物腰のやわらかさに彼が舐めてきたであろう辛酸が仄見える。
会がはじまってまなし、コーベブックスの北風さんの登場となった。それまでオネェ言葉の氾濫だったのが、大野さんの「いまからエライひとが来るのだから、今日は男っぽくいきましょう」のひとことに全員が「オー」と応える。なるほど屋号のOHはこのためのOHだったのかと勝手に合点する。而るに男っぽいのはわずかに十分ほど、あとはもうハチャメチャである。神戸のゲイバーには精通しているつもりだったが、さすが現役のオネェさん達、あとは大阪や神戸のゲイバーや六甲山ホテルへと散って行った。
OHへ同伴したのは山中さんと大泉さん、そして稲葉真弓さん、ふたりの編輯者とひとりの詩人だった。2002年12月16日のですぺら掲示板1.0で書いた「稲葉真弓さんのことなど」に出てくる「ストッキングを脱い」だ店とはOHのことだった。
銀行員だった大野さんは会社をやめてゲイバーをはじめた。しかし、それは好きではじめたのだろうか。当時のマイノリティが置かれていた環境は決して生やさしいものではなかった。わたしは自己責任とか選択という概念を信じない。おそらくOHを営むしかない状況に追いやられたのだと思っている。大野さんが死ぬ日まで店はつづけられた。それが彼の悲しみであり人生だったと、それは大野さんの伴侶だった小石川さんにしか言えないことである。
書き込みありがとうございます。大野さんのお住まいはたしか信濃町だったと記憶します。小石川さんには須永朝彦さんの滅紫篇の装訂をお願い致しました。
東京にいながらOHへは行かなかったのです。何時も女性が一緒なので店に迷惑を掛けてはと遠慮しておりました。ある日、お客が一斉にいなくなり衝撃を受けました。大野さんは「あら、子宮持ちと一緒なのね、構わないのよ」と仰有っていたのですが。
行きもしないで申し訳ないのですが、わたしにとってはとても大切なお店でした。行けばいつも金子由香利をかけてくださり、「衿に巻いたスカーフよ 二人だけの絹の思い出」のところで決まって泣き出してしてしまうのです。「一考、いいのよ」という大野さんの声を思い出します。
これ以上、書かれません。ごめんなさい。
大野さんは去年の暮れにお亡くなりになったそうです。
偶然上野で友達に聞いて自分もビックリしています。
小石川さんはお元気なのでしょうか。
それも気になっています。
次回のモルト会はポート・エレン、シグナトリーのダンピーボトルを開栓する。76年蒸留、23年もののカスク・ストレングス。ダグラス・レインやダグラス・マクギボンのポート・エレンはともかく、シグナトリーのものは見掛けなくなった。ご期待あれ。
二月中旬にはいったダンカン・テイラーのブローラ、本体価格二万円は予約で完売。当店のお客も入手できなかったらしく、その彼のために今日一本仕入れてきた。リフィールシェリーバットの一本。店に置いているのでよろしく。
二万円以下で入手可能なブローラはコニッサーズ・チョイスを別にするとダン・ベーガンのボトルのみ。ダン・ベーガンはスコットランドのスカイ島にある村名。支配者である地元のクラ ン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェル社の創業家と深いつながりがあったことから、ブランド名が決まった。なお、ウイリアム・マックスウェル社はイアン・マクロード社と同一資本。1997年にフランス向けにボトリングをスタート、2002年後半に現在のパッケージ になり、アメリカ、ヨーロッパ、台湾などで販売を開始。
唐辛子三部作と名付けているホットなウィスキー、ダルユーイン、ピティベアック、グレン・キンチーのうち、BBRから頒されたダルユーイン、74年蒸留05年ボトリングの30年もの46度の在庫が少量ある。9500円という破格の値である。
ところで、友人が某インポーターへ取材に赴き、二十数万円を請求されたそうだが、その金数ならびに商売上手についてひとこともふたことも著すべきかと思う。転びっぱなしはいけないのでは。
君が風邪を引くとトドインフレだと云われた。通常、トドといえば成長したボラのことである。わたしの場合は海馬であって、鯔ではない。そしてインフルではなく、インフレだそうである。巷では海馬が風邪を引くと洛陽の紙価が下落するらしい、意は価値基準の崩壊にあるようだが。もっとも、現行のインフルエンザは年齢制限があるらしく、六十歳を過ぎると掛からないようである。
それやこれやで、ここ二箇月ほどひどく落ち込んでいた。日々死ぬことばかりを考えていた。「散骨」や「虚しさ」にはそう云った心情が表されている。昨日、鈴木創士さんの「花のノートルダム」を読んでいて少し元気が出てきた。孤絶が売りの小説を読んで元気もないものだが、ドストエフスキーやベールィ、ゴンブロヴィッチやベケットなどを読むとこころの病のようなものが恢復する。他人も同じなのだと気づかされるからであろう。
考えてみれば書物の効用はそこにこそある。言い換えれば、疾んでいないひとは本など繙かないほうがよいに決まっている。健康なひとが「トドインフレ」に罹ることだって起こりうるのである。
むかし、澁澤が「エドワルダ夫人」についてのなかでサルトルの引用だったと思うが「ヘーゲルのように弁証法的な展開を認めようとしないバタイユは、ただ現実世界に、テーゼとアンチテーゼとの悲劇的な葛藤のみを見る」と書いていたのを思い起こした。一部を捉えてどうのこうのはナンセンスだが、これでは曲解を通り越して浅ましさすら覚える。浅ましいのがサルトルなのか澁澤なのかは敢えて問わない。
「花のノートルダム」のあとがきは三島に次いでバタイユを痛烈に糾弾する。「さらに「悪」さえも裏切ることによってそれをじっと見据える冷徹な目は、たとえ汚辱の悲しみを湛えているように見えようとも、すでにしてコミュニカシオンの埒外にある・・・聖性はジュネにとってはつねにより孤独なものであり、世界からの孤絶、後ろ向きにすべての視線を消し去り、美しいフェダインの少年の日に焼けた顔にこぼれる微笑みのように、あるいは聖体顕示台の後光のように放射されるその否定である」
戦慄であり、これは既に一篇の詩である。ジャン・ジュネについてここまで書き込まれた文章をわたしは知らない。ジュネか創士か、創士かジュネか、ふたりが溶け合い、ひとつの個を目指して境界線が消えてゆく。あとがきとはこうでなくてはならない。
前項で明記したように一部差し替えです。ザ・ボトラーズのハイランド・パークはショット2600円ですが、会費は500円のアップ、12500円に修正させていただきます。
解説に関してひとこと。同じボトラーの場合、2008年1月以降のモルト会解説と重複しています。そうでない場合は新たに書き起こしました。
途中、一年間の休みなどがありますが、通算70回目のモルト会です。
01 ハイランド・パーク '90(ウイルソン&モーガン)
シェリー・カスクの9年もの、46度。
ヘザーハニーの香り、少々塩辛く微かにドライな味わいだが、加水すると甘口に変化する。豊かでビッグなフィニッシュ。
ウイルソン&モーガン社は古くからエディンバラに拠点を置きさまざまな樽をリリースしてきたイタリア資本の会社。謂わば、イタリア系ボトラーズ・ブランドの「はしり」ともいえる老舗で、ムーン・インポートやサマローリよりも幅広い支持を受けている。バレル・セレクションの名でコレクションを頒し、イタリア国内の三ツ星レストランやバーなどではよく知られた瓶詰業者である。
02 ハイランド・パーク '88(ダグラス・レイン)
オールド・モルト・カスクの一本。シェリー樽の10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、478本のリミテッド・エディション。
ダグラス・レイン社は1949年、グラスゴーにて設立。「キング・オブ・スコッツ」等、ブレンデッド・スコッチを扱うブレンダー兼輸出業者。1999年よりオールド・モルト・カスクと題するシングル・モルトのコレクションを頒布。現在はオールド&レア・プラチナ・セレクションにも力を入れる。ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは親しい。
アルコール度数を50度に限るのが同社のポリシーだが、熟成期間が長く、アルコール度数が50度未満のものはカスク・ストレングスとして頒される。50度を越える高アルコールのボトルは望むべくもないが、稀少品が多く、比較的コンディションもよい。ポート・エレンをはじめ、入手しにくい蒸留所の長期熟成品のボトリングがこのところ続いている。現在、最も活躍しているボトラーである。
ダグラス・レイン社のボトルはチル・フィルターの施されたものがクリアー・ボトルに、施されていないものがグリーン・ボトルに詰められていたが、現在ではすべてのボトルがノン・チル・フィルターである。
03 ハイランド・パーク '88(シグナトリー)
シェリー・バットのミレニアム・エディション。10年もの、43度。同じヴィンテージの9年ものも頒されている。
シグナトリー社は1988年、リースで創業。現在はエディンバラに事務所兼倉庫を持ち、ボトリングから保管に至るすべての業務をを行う。「ダンイーダン」「サイレント・スティル」等、他では飲めない稀少なシングル・カスクが多い。ヨーロッパ向け限定商品として「アン・チルフィルタード・コレクション」や「ストレート・フロム・ザ・カスク」ドイツ向けに「ザ・シングル・シングル・モルト・コレクション」「ナチュラル・ハイ・ストレングス」日本向けに「ザ・フラゴン・コレクション」をボトリングするなど、多彩なコレクションで識られる。ラベルにはカスク・ナンバーやボトル・ナンバー等、詳細が著されてい、樽がもたらす個々の性格の違いが愉しめる。
同社のカスク・ストレングスにあって、ダンピー・ボトルのシリーズは逸品揃い、ぜひ味わって頂きたいモルト・ウィスキーである。上記シリーズに取って代わったカスク・ストレングス・コレクションは同社の総力を挙げての快挙。グレンキース蒸留所で実験的に造られたクレイグダフ等が入っている。
04 ハイランド・パーク '88(ブラックアダー)
01年のボトリング。ロウ・カスクの一本。シェリー・バットの13年もの、58.0度のカスク・ストレングス。限定505本のシングル・カスク。
ブラックアダー社は1995年にザ・モルトウイスキーファイルの著者であるジョン・レイモンドとロビン・トゥチェクが創業したウイスキー専門のボトラー。ロウ・カスクの発想はきわめて単純でユニーク。大きな木片のみを除去、オリ(沈殿物)も一緒にそのままボトリングする。もちろん、氷点下フィルターもカラメル着色も施さず、すべてはカスク・ストレングスである。
05 ハイランド・パーク '88(マキロップ)
シェリー・カスクの10年もの、61.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
マスター・オブ・ワインの称号を持つグラスゴーの瓶詰業者。アンガス・ダンディ社傘下のカンパニーであり、モンゴメリー社とは兄弟会社になる。「マキロップ・チョイス」の名でコレクションが頒されている。同コレクションには稀少なものが多く含まれる。例えば、リンリスゴウ '82は現在入手可能なセント・マクデランのひとつ。
06 ハイランド・パーク18年※
43度のディスティラリー・ボトル。
北緯59度、オークニーの荒々しい自然に鍛え抜かれた「北の巨人」。ヘザー風味が強くハイランド・パーク独特の個性を醸し出す。オールラウンダーの食後酒。
きらびやかなヘザーハニーの香り、まろやかでとろけるようなシェリー風味。
グラン・シャンパーニュを想起させる長く力強いフィニッシュ。
2002年初頭にラベルとボトルの形状が変わり、そして2006年に現行の楕円底の薄型ボトルに変わった。
07 ハイランド・パーク '77(シグナトリー)
オーク樽による19年もの、43度、限定570本のシングル・カスク。
本品とミレニアム・エディションとは、ほぼ同一の内容。
08 ハイランド・パーク '70(ゴードン&マクファイル)
ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルの一本。シェリー・カスクの25年もの、40度。
同記念ボトルには美味なもの多し、要注意。
ゴードン&マクファイル社は1895年、当初食料品店としてエルギンで創業。ウィスキー産業がまだブレンデッド中心の頃から同社は世界に向けてボトルを輸出、モルト愛好家を魅了してやまなかった。謂わば独立瓶詰業者のさきがけであり、今日のモルト・ウィスキー人気の蔭の立て役者。1992年、ベンローマック蒸留所をユナイテッド・ディスティラーズ社より買収。豊富な在庫を用い、「コニッサーズ・チョイス」「マクファイルズ・コレクション」「マクファイル・プライベート・コレクション」「スピリッツ・オブ・スコットランド」「スペイモルト」「レア・オールド」等、多くのコレクションを頒している。
09 ハイランド・パーク '75(ブラックアダー)
オーク・カスクの20年もの、58.9度のカスク・ストレングス。
蒸留を経たスピリッツのアルコール度数は約70度。加水により63度前後に落としてから樽に詰める。年数にもよるが、マチュレーションガ終わる頃には、樽の中のウイスキーは50〜60度位になっている。カスク・ストレングスとはその樽出しの状態の酒精をいう。本品は香味共に絶品。
10 ハイランド・パーク '78(サマローリ)
78年蒸留、95年ボトリング。オーク・カスクの17年もの。45度、360本のリミテッド・エディション。
サマローリ社は1968年創業のイタリアブレア市にある酒商。スプリングバンク蒸留所、ボトラーのケイデンヘッド社とその子会社ダッシーズ社と太いパイプを持ち、オリジナルのヴァテッド・モルトも頒している。
同じイタリアの酒商インター・トレード社についてひとこと。インタートレード社は伊太利亜リミニ市のボトラー。オーナーのナディ・フィオリは当地に於ける業界の草分け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社のウィスキーはサマローリ社同様、檻が多く含まれるのが特徴。ディスティラリー・ボトルでは味わえない個々の樽の稟質、即ち微妙な持ち味を愉しめる。
11 ハイランド・パーク '78(ザ・ボトラーズ)
シェリー・カスクの18年もの、57.6度のカスク・ストレングス。
ザ・ボトラーズ社は1994年、エディンバラにて設立。同じエディンバラのジェームズ・マッカーサー社と共に、閉鎖された蒸留所の珍しいモルトを取り扱うことで識られる。コニャックを想わせる撫で肩の丸瓶とシンプルなラベルが特徴。同社の商品の大半はディスティラリー・コンディション。それ故、面白味には欠けるが、破綻のないのが取り柄。
12 ハイランド・パーク25年※
53.5度のカスク・ストレングスにして旧ディスティラリー・ボトル。
現行のボトルとは香味に差違あり。ディスティラリー・ボトルでは他に、200周年の21年ものと2000本限定の12年ものカスク・ストレングスが美味。長らく本品がハイランド・パークのフラッグ・シップだったが、現在では30年、40年の長期熟成品あり。
ハイランド・パークの差し替えです。78年蒸留のボトラーズ社と共に昔のサマローリ社のボトルが入手できました。78年蒸留、95年ボトリング。オーク・カスクの17年もの。45度、360本のリミテッド・エディションです。共に珍品かと思います。
ですぺら掲示板1.0の終了直前、2006年末のことだが、エスさんとの遣り取りが続いた。エスとは鈴木創士さんである。平井呈一や齋藤磯雄の雅文について書きたくないことにまで触れてしまったが、あれはわたしの本音である。鈴木創士さんのようにですぺらを地で行くひとを相手にいい加減な問答は許されない。わたしにしては珍しく気合いの入った遣り取りだった。
その鈴木創士さんがジャン・ジュネの「花のノートルダム」を翻訳なさった。河出文庫で去年の末に上梓されている。数年前から翻訳なさっていると宇野さんから聞かされていたが、上梓をわたしは知らなかった。突然本が送られてきたのである、そして愕いた。
のっけから引用とは芸のないはなしだが、訳者あとがきが素晴らしい。「花のノートルダム」についての若干の指摘という箇所には、「過剰で幾何学的なカテドラルはまるで数学のように冷厳そのものであり、ふんだんに盛り込まれたキリスト教的な聖体をめぐる隠喩も、そこでは充填されたあらゆる意味を結局は逆に放逐してしまう物言わぬ冷たい大理石の輝きだけを反射している・・・天空と地獄はこのカテドラルにおいてはあらゆる弁証法的な契機を奪われ、「ざらついて」、目を覆いたくなるような、あるいは歓喜に満ちた、分断され絶えず横滑りしていく現実の核心を喚起することによって、そのまま同時に二つの世界として現存している」と著されている。
あとがきは続く、「三島由紀夫を筆頭に、かつてわが国の読書界が常套手段としていたジュネの小説を狭い意味でのエロティシズム文学において読むやり方からますます私を遠ざけることになった。死とエロティックな同性愛について語りながらも、ジュネはすでにこの最初の小説において、むしろ彼が後に革命について語るような「あまりに強力なので、あらゆるエロティシズムを追い払おうとする官能的な喜び」(「シャティラの四時間」)に打ち震えているように思われた・・・それらの喜びはたしかにエロティシズムを追放していたのだ。それは聖性とも汚穢とも呼べないまま、そのままで冒涜的な「全実体変化」の瞬間的な場所と化す」
六十年代、七十年代にあってはエロティシズム即反体制だった。三島由紀夫に限らず、澁澤龍彦、生田耕作など狭義な意味でのエロティシズム文学が大流行だった。その消息は堀口大学の時代からなにも変わっていない。弁証法的発想のうえに成り立った二項対立がことのすべてで、サド、バタイユ、マンディアルグ等、ことごとくが歪められて行った。そのような解釈の上に成り立った翻訳が大手を振って跋扈していたのである。河出書房の人間の文学にしたところで玉石混淆、実体は浪速書房の世界秘密文学選書などと大差なく、風俗小説の域を一歩も出るものでなかった。
彼等が抗弁の援用に持ち出すのは決まってバタイユでありブルトンだった。それもご都合主義による任意の引用であって批判精神はその破片すらなかった。どうやらわが国では、翻訳は味読玩弄すべきものであって、思惟の対象にはついぞ成り得なかったようである。
それら文学史の書き換えが今日まで捨て置かれた理由が奈辺にあるのか。鈴木創士の論旨は鋭く、文意は高騰だが、文章は平明、そしてなによりも説得力を持つ。美しい文章とはかかる文章を指す。彼は趣味や余技、あるいは情趣といったものを峻拒する、ここには考え抜かれ、自らの体躯で諒解した鈴木創士の文学がある。翻訳というものが文学のなかにあってどのような領域を占めるものなのか、そのことをわたしは鈴木創士さんから教わった。彼に深く感謝したい。
訳文に関して一節を引用しておく。堀口大学訳では雲をも掴むような翻訳である。
気をつけろ。
第一に、ラ・ロープ(性倒錯者)ことジャン・クレマン、
第二に、ラ・ペダル(男色家)ことロベール・マルタン、
第三に、タタ(オネエ)ことロジェ・ファルグ、
ラ・ロープはプティ‐プレ(社交界の女)に、
ラ・タタはフェリエールとグランドに、
ラ・ペダルはマルヴォワザンに惚れている。
白州ヘヴィリーピーテッドが今月末にサントリーから頒される。前回とは異なって、アルコール度数は48度、白州を構成するさまざまな原酒のなかからスモーキーな原酒のみをヴァッティング、国内外を併せて6000本だそうである。混ぜ合わせた分、前回よりも旨く感じた。
月末の予定だが、理由があって当店への入荷は来月一日。どうかよろしく。
6月1日から罰則規定が新たになる。酒酔い運転は25点が35点へ、酒気帯び運転は0.25ミリグラム以上が13点から25点へ、0.15ミリグラム以上0.25ミリグラム未満が6点から13点へ、そこへ速度50キロ超過が加われば13点から19点へ、ひき逃げは23点から35点へ違反点数が引き上げられる。
免許取消が15点以上だから、小さなグラス一杯のビールでも駐車禁止と重なれば免許証とはおさらばになる。免許証の再取得が禁じられる欠格期間の上限も5年から10年に延長された。
モルト会の日は落ち着いて酒を飲まれなくなる。ちはらさんのエヘン、エヘンが聞こえてくる。
5月23日(土曜日)の19時半から新装開店後、十七度目のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円。
今回は「北の巨人」と呼ばれるハイランド・パークです。ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。
01 ハイランド・パーク8年(ゴードン&マクファイル)
マクファイルズ・コレクションの一本。シェリー・カスクの40度。
02 ハイランド・パーク '90(ウイルソン&モーガン)
シェリー・カスクの9年もの、46度。
03 ハイランド・パーク '88(ダグラス・レイン)
オールド・モルト・カスクの一本。シェリー樽の10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス、478本のリミテッド・エディション。
04 ハイランド・パーク '88(シグナトリー)
シェリー・バットのミレニアム・エディション。10年もの、43度。
05 ハイランド・パーク '88(ブラックアダー)
01年のボトリング。ロウ・カスクの一本。シェリー・バットの13年もの、58.0度のカスク・ストレングス。限定505本のシングル・カスク。
06 ハイランド・パーク '88(マキロップ)
シェリー・カスクの10年もの、61.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
07 ハイランド・パーク18年※
43度のディスティラリー・ボトル。
08 ハイランド・パーク '77(シグナトリー)
オーク樽による19年もの、43度、限定570本のシングル・カスク。
09 ハイランド・パーク '70(ゴードン&マクファイル)
ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルの一本。シェリー・カスクの25年もの、40度。
10 ハイランド・パーク '75(ブラックアダー)
オーク・カスクの20年もの、58.9度のカスク・ストレングス。
11 ハイランド・パーク '78(ボトラーズ)
シェリー・カスクの18年もの、57.6度のカスク・ストレングス。
12 ハイランド・パーク25年※
53.5度のカスク・ストレングスにして旧ディスティラリー・ボトル。
ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566
去年の七月のモルト会はアードベッグだった。解説で「アードベッグのディスティラリー・ボトルにはココアパウダーもしくは胡瓜のへたのような苦みが感じられる」と書いた。それ以来ダグラス・レイン、ダンカン・テイラー、ゴードン・マクファイルのごとく、アードベッグを購入するなら高くてもボトラーズ・ボトルをと心掛けてきた。同じ飲むなら美味いものがよいからである。しかし、世論はオフィシャル・ボトル一色である。先頃売り出されたスーパーノヴァが巷では奪い合いになっているらしい。近所の酒屋にはまったく入荷していない。オークションではとんでもない価格が付けられている。
非常用のルートを使って入手してきたが、このような酒の入手がどうして非常用になるのかがわたしには理解できない。ひと頃のラガヴーリン同様、ヴーヴ・クリコジャパンの策略にまんまとかけられたようである。タリスカー57ノースの一リットル瓶と一緒に買ってきた。
ところで、ラフロイグ10年とクオーターカスクの一リットル瓶が出ている。昔からあるボトルなのだが、うしろのラベルにデンマーク語でカラメル色素の使用がうたわれている。デンマークでは記載が必要なようである。サントリー扱いのクオーターカスクとそれ以前のボトラー扱いのクオーターカスクでは値も違うが味もまったく異なる。後者の方がやんちゃである。話序でに、このところのラフロイグ10年がすこぶる旨くなってきている。あれほど不味いモルト・ウィスキーはないと思っていたのだが。
ナベサン文学散歩ならびに当掲示板にてお馴染みの芳賀啓さんが5月15日(金)深夜12時15分からタモリ倶楽部へ出演します。タモリさんと気が合ったようで、三度目の出演です。今回は三田用水、ぜひご覧ください。
草森紳一さんの散骨式が下記サイトで描かれている。
http://www.machikara.net/event/index.html
クルージングの模様は幹郎さんから詳しく聞き、そして感心を持った。核家族化がはじまったのは団塊世代からである。当掲示板でもなんどか触れているが、両親の死後、難儀させられるのは遺骨、位牌の処置である。親が死ねば次はわが身である。ひとの精神や存在は相対的なものだが、死という名の虚無が暴力的な力をもって近づいてきたのをこのところ痛感する。そしてその結末をいまのうちに考えなければならない。「可及的速やかに」との言葉はこのような場合に用いるのではないだろうか。
幹郎さんから教わったように検索すると、散骨に関する多くの項目が引っ掛かる。草森さんの場合はクルージングだが、お任せコースだと六万円ほどで済む。ちなみに、ヒデキさんに火葬の費用を訊ねたところ、行き斃れで三万円、遺族がいる場合だと十万円らしい、この金数はおおむね阪神・淡路大震災のときと同じである。併せて十六万円で葬儀は終了し、あとにはなにも残らない。
恋愛であれ家庭であれ為事であれ、極力、意義や価値とは無縁の生き方を心掛けてきた。されば死後に遺すものなどなにもない。わたしにふさわしい消滅法を教わったことに感謝。
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