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矢野目源一「揺籃」   一考   

 

 垂野創一郎さんが矢野目源一の「揺籃」を私家版で上梓なさった。
 一九一五年六月に上梓された「揺籃」を購ったのは十代の頃、同時期に読み耽っていた長田幹彦の「澪」や「零落」と奇妙に符合していたのを覚えている。
 幹彦が北海道を放浪中、知り合った旅役者に取材したのが上記作品だが、矢野目はその北海道のひとである。一八九六年十一月三十日の生れだから「揺籃」 開版は十九歳の折、ちなみに前年の十二月に鈴木三重吉の手によって「零落」が上梓されている。
 幹彦は戦後、通俗小説を執筆するかたわら心霊学の著作などを残したが、矢野目もまた艶笑コントや媚薬や性感増強法などの著書を多く著している。
 下って、一九七五年九月に矢野目の「黄金仮面の王」を私は造った。飾画は山本六三、本文校訂は須永朝彦、腰巻きは澁澤龍彦、解説は種村季弘という絢爛豪華裾模様の一本だった。自分の過去の仕事に興味が抱かれないので手元に書冊がないが、たしか一九八三年に谷川俊太郎さんと「世界のライト・ヴァース5」を編纂、矢野目訳のヴィヨン「四行詩の型に則りし墓碑銘」を収録した。その詩は覚えている。

 此の己フランソワ、幾許(ここばく)の悲哀を経たり。
 ポントアァズ近傍、巴里府にての御誕生。
 一筋の縄は能く、今、我が此の首(こうべ)をして、
 我が物なる臂(いしき)の、その重きを覚らしめん歟。

 上述の「黄金仮面の王」所収の解説で「芸術に聖潔なかつての初々しい青年詩人は、中年から暗黒趣味に反転したが、晩年はいささか滑稽な、落魄の道化を演じていたらしい。しかしどうだろう、シュオッブの純粋な夢想家の若い晩年も美しいが、矢野目のこの喜劇的でいかがわしい晩年も悪くないのではなかろうか」と種村季弘は著す。落魄でも零落でも意は同じだが、折口のいう貴種流離を含めて零落者の文学史のようなものをどなたかお書きいただけないだろうか。「行末とほき人は落ちあぶれてさすらへむこと」を持ち出すまでもない、健康的なものには一顧だに触れたくもないのである。あきらめとやるせなさとが行き惑うところに矢野目の、そして文学の本意がある。
 種村さんの文章が書かれたのが一九七五年五月、以降書かれた矢野目論はない。かくまで等閑視された著者の書物を上梓するのは向こう見ずである。平井功訳詩集につづく垂野さんの蛮勇に喝采をおくりたい。


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2007年09月14日 15:45に投稿された記事のページです。

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