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野戦病院   一考   

 

 ときとうクリニックはわたしがはじめて行った種類の病院だった。療養のための病院でなく、手術専門の謂わば野戦病院のようなところで、医師から看護師までがぴりぴりしている。入院即絶食で、消化器官を空にし、血液検査と心電図など手術に必要な基礎資料を拵える。二日目は早朝からニフレックという下剤を二時間掛けて飲んで内視鏡検査、午後は手術である。三日目の午前は術後検査で、患部からの直接の出血の有無を確認後、そのまま退院。短ければわたしのように二泊三日、長くとも五泊までが通常だそうである。駐車場は広く、県外からひろく入院患者が集まる。さぞかし著名な専門医なのであろう。隣に薬局とメモリアルパークがあるのはご愛敬だった。
 初日の検査で貧血を注意され、透析をはじめていれば輸血できるが、そうでなければ輸血は不可能、「ちょっときついが、まあ、なんとかなるさ」といわれた。これは輸血に際してカリウムの除去フィルターが使えないことを意味している。
 西明石時代、腰痛による神経ブロック療法を受けていた。また、腎結石に伴う尿管バイパス手術などで神経根ブロックや椎間関節ブロックは何度も経験している。このブロックに関しては西明石に天才的に巧い麻酔医がいて、事前に痛み止めの注射を表皮に打ってからことに当たる。それに慣らされていたので、今回いきなりブロックを打たれて、思わず唸ったところ、前述のようなサービスを当院は行っていないと一喝された。山崎医師の飲み仲間だけあって、ある種、野人のような相貌を持つ医師だった。
 失神について書いておかなければならない。慢性腎不全の患者に座薬は使われない、主治医によるとショック死した例を複数知っているらしい。そのことを医師は熟知している。にもかかわらず、どうして起こったかだが、二日目の夜、朝までわたしは痛みで呻っていた。看護師にそのむねを伝えたのだが、痛み止めの用意はないと断わられた。術後検査の折にまだ呻いていたわたしに、あろうことか医師が同情し、効能の低い座薬を打った。貧血で体調不調のわたしはそれにすら耐えられなかったのである。覚醒したとき医師に「死ぬ思いをさせられた」と一言、「死んでないじゃないか、分かってんだよ、それぐらい」。それから先、議論する用意はわたしにはない。主治医とは異なるが、時任さんもまた非常に個性的な医師だった。
 今回のことは症状に対する認識の相違であって、医師やわたしに責任があるわけではない。失神ぐらいは野戦病院では日常起こり得ることであって、珍しくはない。これぐらいの痛みがなんですかと、医師が一喝しておればおそらくなにごとも起きなかったに違いない。

 ジオン注は患部を薬品で火傷させ、傷跡を引き攣らせて治す治療法である。火傷だけあって、手術から十一日を経てなお痛い。わたしは痛みには結構強い方だと思っているが、内部からの痛みには弱い。じくじく疼くような種類の痛みへの対応策を持たないのである。


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2009年10月26日 05:33に投稿された記事のページです。

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