ミクシーに這入っている理由はある個人に頼まれたからで、彼によると掲示板に書き込んだ折にミクシーから連絡があるかららしい、他に理由はなにひとつない。フェースブックにも這入っているが似たものである。人から頼まれて這入っているのであって、わたしにとりたてての理由も必然性もなにもない。わたしはソーシャルネットワークにまったく書き込まないし、友人と思しき人からの申し込みも無視している。わたしはネット上の友人なるものを信じない。今までネットで知り合った人でわたしを震撼させた人などいらっしゃらない。どなた様も馬の骨、河童の屁の類いである、と糞が云うのだから間違いない。
そのようなわたしにソーシャルネットワークは無用である。今年一杯で中断する。櫻井さんやおっきーさんが掲示板を拵えてくださったが、そうした個人的な厚意こそが大切なのである。ミクシーも一年以上開けてもいないし、メールの遣り取りも絶えてない。どうして形だけの友達が欲しいのかその理由がさっぱり分からない。友人などというネット上のお祭り騒ぎに踊らされて、わたしには千人の万人のファンがいると信じることの方が怖ろしい。人は孤独で淋しいものとの原点の確認こそ絶えざる問題ではないか。その孤独に変化を与え、色を添えるのが生活であり、家族だろう。それを否定はしないが、だからと云って原点を否定するのは如何なものか。
ネットはつい最近まで存在しなかったし、わたしが携帯電話を持ったのはさらに新しく2008年、まだ五年にしかならない。あっても良いがなくても良い、どちらにしようかといまだに迷っている。そうした通信に頼らなくても、無数の知己を得てきたし、親友、盟友、戦友と思しき多くの友を得た。相手の顔を視、目を確かめ、酒を酌み返し、声を交わし、対話を幾度となく繰り返す。友というのはかかる手続きのなかから生まれ育むものだ、とアナログのわたしは思っている。