赤坂ですぺらで用意した約2000種のワインのうち、100本ほどが売れ残っていた。それをオークションで売るのだが、中身をチェックして愕いた。出水のワインが七割を占める。往時、ワインの輸送業者で信頼できるのは1社しかなく、出水は取り扱うワインのすべてをそこに委ねていた数少ないワインショップだったのである。赤坂で出店した折り、その輸送会社の女性社長が赤坂エクセルホテル東急とANAインターコンチネンタルホテル東京のバーテンダーを伴って来店、神戸地区でわたしたちのワインを扱っているのは、三宮の頃末酒店と長田のすみの酒店、個人ではあなただけだったと云われた。この日、お三方にお飲み頂いたのは、リパ・デッレ・マンドルレ(カステッロ・ヴィッキオマッジョ)の94年だった。フルボディでなく敢えて出たばかりのミディアムを薦めたのにはそれなりの理由がある。そして白はミュスカデ・キュヴェ・ワン(ルイ・メテロー)95年、90年代で唯一造られたヴィンテージで、ですぺらでもっともワインに五月蠅い永瀬さんのお気に入りだった。永瀬さんによると片仮名にするとムスカデの方に分があるようである。
ワインと云えば横須賀功光さん。前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影、イタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランスカメラマンとして名を馳せた。彼がですぺらでの開口一番、「飲んだことのないワインは存在しない」。ロマネコンティのモンラッシェが1本だけ残っていたのだが、当然、知っているよの一言。フォンテーヌ・ガニャールのバタール・モンラッシェ89年を3本、堺のコレクターから買い受けたものだが、そのヴィンテージは飲んでいないとのことで、お飲みいただいた。横須賀さんのシャトー・ペトリュスの方が好きとの言葉からワイン談義が1年間、彼が亡くなる日まで続けられた。そこから先の消息は当掲示板に詳しい。
さて、ヤフオクである。87年から96年にかけての赤ワインの一部を取り敢えず出品した。ウイスキーと違って醸造酒の経年劣化は避けられない。最初は全品1000円でと思ったが、シャトー・ラグランジュの空き瓶が1800円で売られている。自信はないが然るべき値段を付けた。家賃の足しになればよいのだが。