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谷澤永一さん死去   一考   

 

 谷澤永一さんが八日午後十一時二十三分、心不全のため死去された。八十一歳だった。ですぺらへも何度もお見えになり、旧交をあたためた。
 谷澤さんは年少者であろうが異性であろうが、委細構わぬ方だった。ある日、他に客がいてわたしは厨房へ這入らざるを得なかった。その間、客のひとりとはなしになった。谷澤さんと文学に関するはなしをするときには、ひとつだけ注意が必要である。対象となる作家乃至書物についてオリジナルな意見を陳述すると云う、ごく当たり前の注意である。何々を読んだとか識っていると云った類いのはなしには、彼は激昂で応える。プロとして当然の心意気である。ところが件の客は持てる知識の大安売りをはじめた。谷澤さんは怒りはしなかったものの、二度とですぺらのドアを叩くことはなかった。
 似たはなしが読売のときにもあって、谷澤さんの著作集を出版したいので纏めろと命がかかった。わたしひとりかと思ったが、案の定役員がついてくる。梅田のいつもの割烹で待ち合わせたのだが、酒が這入るとその役員は文学論をはじめた。よりによって佐藤春夫から保田与重郎、蓮田善明とはなしはつづく。役員は早稲田の国文出身で書物を読んでいるところを披露したかったのだろうが、これでは纏まるものもまとまらない。テーブルの下で足を蹴飛ばして注意を喚起するのだが、一向に通じない。谷澤さんはわたしの顔を覗き込むようにして溜息をつく。はなしは終わったなと思った。
 割烹を出て、ちょっと用事がと云ってばらばらに別れる。谷澤さんの行くところは分かっている、あとを追って某バーへ。「やあ、一考さん、はなしはなかったことにしてくれ」「分かっています、済みませんでした」。折角の企画が潰えた、全巻の構成まで考えていたのに。
 谷澤さんをわたしは黒木書店と浪速書林の師匠と思っている。書誌学者は古書店から生まれる。黒木正男さんも梶原正弘さんも、そして谷澤永一さんも逝った。わたしも近く幕をおろさねばならない。「遊星群 - 時代を語る好書録」(和泉書院刊)について書評を書きますとの約束を果たせなかったのが心残り、雑書研究の金字塔と思っている。


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2011年03月11日 00:15に投稿された記事のページです。

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