一月十四日は横須賀さんの遠日。連れ添いの誕生日はおろか親の不楽日すら覚えていないのに、なぜか彼のそれは鮮明である。これからしばらく私の「青の中」がつづく。
このところ、深夜の赤坂では一度から四度の日々がつづく。私の身体は至って頑健なのだが。
先日ナオさんと話していて、「男が女の身体に興味を抱くのは四箇月だね」四箇月の春情というのも切ないが、まあそのようなものだろうと思う。ならば、接触しなければ長持ちするのかということになるが、そうもゆくまい。肉体の触れあいと精神の交流は不可分の関係にある。要するに、人間は不可分物なのである。失意などというものはその取り分け不可能な点を諒解するところにはじまる。精神的であるにせよ、肉体的であるにせよ、そのような絶望は自慰的行為にしかならない。自慰としての絶望など考えるにナンセンスである。
ひとが不可分物でなくなるのは死人と向き合う時のみ。いくら身体が丈夫とは申せ、このところの気落ちははげしい。