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茫然自失   一考   

 

 一昨日、床に流したコンクリートの水分が二階へ洩れだした。慌ててコンクリートを撤去。防水工事の不備が理由だが、これで基礎工事のやり直しとなった。基礎工事が内装の骨幹をなす。怒りを向けるところ定かならず、近隣の焼鳥屋で泥酔。この一箇月の進捗を顧みて、どれがどこがプロの仕事というのか。
 かつて出版を稼業としていた頃、約束の日付を違えたときは一銭の金数も請求しなかった。百万、二百万という印刷費、製本代を土方をしながら返済したことを想い起こす。プロに一切の失敗は許されないとは申せ、想定外のさまざまな悶着にひとは巻き込まれる。その責はなべて個が被るしかないのである。生きのびるとは言訳を棄却することに他ならない。

 言訳で思い出したが、政治家や芸能人の理不尽な弁明や弁解に人心は慣らされている。大なり小なり、過去の実績、要するに権威や権力にひとは阿諛る。大衆や時流へのへつらいなら何も言わない。ただ自分自身への諛いだけはご免蒙りたい。おそらく最大の媚が一所懸命との文言である。例えば、時間潰しに過ぎない為事に一所懸命との化粧(よわい)を施し、自らに阿諛ってみせる。その酔いが心地よい慢心をひとにもたらす。慢心を存在理由と言い換えてなんら問題は生じない。寸暇を惜しんで為事に精を出すのが権威や権力への諛いでなければなんなのかということを示唆したいだけである。
 一所懸命為事をする暇があれば、耄けていろと言いたくなる。ただし、ぼけるのではなく、そそける、ほおける、ほつれ乱れるの耄けである。近隣の焼鳥屋ではひとりで酒を呑む。ひとりで呑む酒は酔いのまわりが捷い、ひたすら飲み続けるからである。五、六合も呑めば前輪と後輪が絡み合って自転車は顛倒する。とぎれることのない膝の生傷、これが耄けであり私の存在証明である。


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2007年09月28日 16:44に投稿された記事のページです。

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