まなさんが遊びにいらした。魚が好きだとのことで、例のスーパーへ。大きな肝が添えられたカワハギの刺身を見付ける。一匹丸ごとで三百九十円。嘘のような値段である。オコゼとカワハギはわたしの好物。いまのわたしは食べてはいけないと思いつつ、西明石以来の活け料理を堪能する。
余談だが、蛸の湯掻いたのが売っていた。脚の太短い見るからに旨そうな真蛸である。買いはしないが、引いているのを見て愕いた、芯は生で透明感がある、元手の掛かった見事な湯掻き方である。蛸には少々五月蠅い、わたしはこの魚屋をますます好きになった。
昼網の魚を午後三時過ぎに買っている。従って、その日の七時か八時ぐらいまでなら刺身でいける。生け簀を備える店は別だが、いかなる割烹でも鮨屋でも消息は同じである。夜に刺身を食べるような無調法はいない。夜食べられるのは貝類だけである。
何時も書いていることだが、平目が好きだから平目を、鯛が好きだから鯛をというのは外道の食べ方。魚は活きですべてが決まる。くたびれた平目より新鮮な鰯の方が旨いにきまっている。これは翻訳文学にも通じる。拙いマンディアルグより、上質なオー・ヘンリーに軍配があがるのは云うまでもない。この好き嫌いというのは屡々ひとの目を眩ませる。好悪はそのひとからアプローチの多様さを奪う。薄っぺらな文学、とりわけ散文がお好きな方にはそれまでだが。