病院の売店で蕨餅買ってくる。ちょいと高いと思ったら、あん黒蜜入りとやら、嫌な甘味が口に残る。餡は定番どおり漉し餡(白練餡)、原材料は葛粉である。
蕨餅は澱粉と水、砂糖から作る和菓子。原料として蕨の根から取れる澱粉すなわち蕨粉が使われたため、蕨餅の名がついた。名古屋の芳光の蕨餅は著名だが、京都では餡入りが古くから親しまれてきた。それは分かっているのだが、今スーパー、むかし駄菓子屋で売っている安価な蕨餅がわたしの好みである。
子供のころ、紙芝居と同じく、自転車やリヤカーで蕨餅や信楽餅を売り歩いていた。安価な蕨餅は、蕨粉の代用品として甘藷やタピオカから取られた澱粉、あるいは葛粉を原材料にしていた。蕨粉で作った蕨餅は昔から高級品だった。蕨粉だけのものは茶色がかった色で、無色透明にはならない。また品質が変化するので、冷蔵庫で冷すこともできない。和菓子屋と自転車のそれではまったくの別物で、わたしは涼しげな透明感、うんと冷した蕨餅が好みなのである。
近頃、金を取るための高級化が流行っている、嫌なご時世である。高級化と云っても、餡が這入っているだけで、蕨粉を用いているわけではない。結局は擬い物に過ぎない。蕨餅や信楽餅もさることながら、わたしは安価な駄菓子そのものが好きなのである。
麦こがし、ねじりおこし、みじん棒、豆板、芋羊羹、鉄砲玉、鼈甲飴、拳骨飴、肉桂玉(ニッキ飴)、きな粉飴、かるめ焼き、花林糖、塩煎餅などがあって、他ではサメの皮入り煮こごり、するめのゲソの甘露煮(これを食べ過ぎて腎不全になったのかも)、細く切った赤い紙で束ねた肉桂(ニッキ)の小枝、お好み焼きやアイスキャンデーも売っていた。露地裏の小店では菓子だけでなく、めんこ、べいごま、ガラスのおはじき、石蹴り玉、夏は花火、冬は凧や羽根を売っていた。
駄菓子屋は保育所や幼稚園同様、こどもがはじめてデビューする社交場であり、社会である。家で天皇だった子供が、駄菓子屋で他者と出遇い、他者の存在を知る。それは失意と裏切りのはじまり、懐疑と自己否定、謂わば大人への登竜門などと書くと随分と如何わしくなってくる。「事更物々しく否定し、懐疑して得々たるが故に滑稽なのである」と長与善郎は著している。
追記
当書き込みは04月05日の「入院セット」の書き込みと前後する。
後日調べると、葛粉と蕨粉では葛粉の方が値が高いことに気づいた。