引越してからは刺身三昧だが、食事制限はともかく、ナトリウムやカリウムの総量規制はきちんと守っている。八年七月の血液検査では尿素窒素が22.8、クレアチニンが2.25である。尿酸は9.2、中性脂肪は306、血糖は127と当時の食生活の内容を如実に表してい、危険な兆候だらけである。しかして一年後には尿素窒素51.5、クレアチニン6.55に一気に跳ね上がっている。
去年の靭帯剥離骨折の前、顛倒事故を起こして足の調子が思わしくなく主治医の元を訪れた。その際の診断が痛風、ビールの飲み過ぎと鯣の食べ過ぎが祟ったようである。八年七月の段階で食事制限に這入れば発症を遅らせるのは可能だった。それでなくても腎結石との爆弾を抱えていた、すべては後の祭りである。
引越で父の写真が出てきた。一心不乱に大車輪を回っている写真である。わたしも鉄棒が好きで、よく父と一緒に車輪を舞った。そして自分の体力を過信するに至った。その過信が八年七月での対応を遅らせたと思っている。
喧嘩による怪我ばかりしていたが、命に関わるような病とはついぞ無縁だった。従って、今回は後手に回っている。わたしはこの後手が得意でない、後手と気づいたときには狼狽えるしかないのである。もっとも病人とはそういうものなのかもしれない。
外食はとんと途絶えた。たまに腹が減るが、失神が嫌で出先では食さない、一に辛抱、二に辛抱である。家でなら気を失おうがどうなろうが、大の字になって寝ておればよい。カリウム性心筋梗塞でお陀仏にならなければやがて目醒める。いずれ死ぬのだから不安感はない。不安があるのは車の運転中である。他人を巻き込むのだけは避けたいと思うが、それだってどうなるか分からない。すべては初体験である。分からないことだらけなのである。