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Oの物語   一考   

 

 ジャン・ポーランをはじめて読んだのは堀口大学訳の「嶮しき快癒」(伸展社)、次いで澁澤訳の「O嬢の物語」序文(河出書房、人間の文学)、下って「タルブの花」だった。とりわけ「タルブの花」はわたしには難解で取り付く島がなかった。訳者にも意味が分かっていないのではないかと思われる惨憺たる日本語に出くわすケースがよくある。「タルブの花」などもそれに当たろうか、そんな時わたしは潔く本を閉じる。思考回路が難解なのは時間が解決してくれる、しかし、日本語そのものが難解なのは困惑するばかり。「噫、これは日本語訳ではないのだ、日本語訳が出たときに読ませていただこう」もしくは「また欠損商品に当たってしまった」と諦めるのである。その点、高遠弘美さんの訳書には外れがない。今回の「Oの物語」はジャン・ポーランの序文のみならず、巻末にマンディアルグの「ロワシー・アン・フランス」が添えられている。あの煩雑なエッセイが高遠さんの手にかかるとスコラ学の「神学大全」のダイジェスト版を読むようにすらすら判読できるから不思議である。フランス語と日本語とのあいだにどのような滲透膜を設けておられるのか、いつなんどき繙こうが、彼の為事にはほとほと感服させられる。至芸とは彼のごとき翻訳を指す。
 「Oの物語」にはかなり長文の訳者あとがきが収められている。「O嬢の物語からOの物語へ」とのサブタイトルが付けられている。この「嬢」を付けるかつけないかでアナロジーが生きも死にもする。詳しくは「Oの物語」を繙かれたいが、高遠さんは私見のひとつとしてランボーの「母音」から「O=性的絶頂で見開いた目」を挙げられている。ジュネの項でも書いたが、「O嬢の物語」が上梓された頃は、エロティシズム即反体制で、そこには疑問のひとかけらも挿まれなかった。余談ながら、過日「新宿泥棒日記」を久しぶりに観た。作中で評論家と思しきひとたちが酔っ払って議論しているシーンがあって、その低劣かつ俗悪なさまに恐れ入った。
 もっとも、この「O嬢」から「Oへ」の推移変遷に関してわたしはなにも著さない。訳者あとがきを擬えたところでそれがなにになるのか。書評にも解説にもならず、それは単なる剽窃にしかならない。

 通常、男性が愛するといった場合、欲望、支配、所有が一体になっている。ところが、本書で描かれる愛には所有と支配との概念が失われている。カミュが「ねえ、ジャン・ジャック。女は絶対にあんなこと考えつかないよ。絶対にね」と述べたらしいが、マッチョなカミュには分からない女心がここには秘められている。「女でなければ絶対にあんなこと考えつかないよ。絶対にね」だと通りがよくなる。本書を読む前にジャン・ジュネの初期作品を読んでいたので、なおさら男の作品ではないと思い知らされた。
 「Oの物語」にあってはルネ、スティーヴン卿、指揮官等々にとって支配、所有は葛藤の対象にならない。謂わば、欲望のおもむくままに振る舞う。彼等の視線はほとんど等価にエロティックなものになり、それゆえに性的な価値さえも失ってゆく。それは同時にジュネの小説の特質でもある。「Oの物語」は読み方によってはジャン・ポーランへの、というよりは男の性に対するカリカチュアと読んで読めなくもない。
 レアージュはリアリズムを信じない。彼女が立ち会う出来事はいつも現実、幻想、言葉、理念が滲透しあう次元を彷徨う。にもかかわらず、最終章で堕胎避妊薬について詳述する。書く必要のない稿を起こしたな、とわたしは思う。せっかく紡いだ夢物語をどうして現実の場へ引きずり落とす必要があったのか、ジャン・ポーランと彼女とのあいだになにがあったかは知らないし、知る必要もおそらくない。ただ、夢は夢で置いておけばよいのにとわたしは思う。もしも、あれがポーリーヌ・レアージュの計算づくだというのなら、既にこれは戯画以外のなにものでもない、恋する女もしくは恋した女への。

追記
 ですぺらで書いたので原本が手元にない。もう少し触れたいことがあったのだが、これで失礼。なお、本訳書を担当した編集者幣旗愛子さんについて書くと約束をしたのだが、次の機会に。


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2009年11月13日 20:51に投稿された記事のページです。

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