淡路の太田守さんが亡くなられた。太田かつみさんからのメールで知ったが、二箇月ほどメールを見ていなかったので遅くなった。申しわけなく思う。
西明石のですぺらで親しくしてくださった。毎晩のように朝まで生テレビのごとく議論を繰り返した。メールには、
・・・太田は3月10日、土曜日淡路の陶芸館からの仕事帰り、立ち寄った店先で急な心臓発作で倒れて一時間後には帰らぬ人となりました。
誰とも言葉を交わさぬままこの世を去りました。
設計会社を立ち上げ西明石での仕事あとのですぺらでの時間は本当に至福の時であったように思います。
葬儀での遺影はそのころのこれ以上の笑顔はないような、この世での幸せだった彼の写真を飾りました。
と書かれている。当時、太田さんは川崎重工の機械設計をなさっていた。彼はわたしより一箇月遅れの同年代。美食家で彼のためにさまざまな刺身を造った。縮緬山椒や生海苔もそうした内のひとつで、赤坂で造った縮緬山椒に用いた縮緬は淡路から送られしもの。ただ、彼の健啖ぶりが心臓発作の遠因になったとも考えられる。
わたしはこのところ体重の静止に苦しめられているが、体重の増加は即心臓に負担をかける。病むことによってはじめて分かったが、体重の増加ほど怖いものはない。西明石時代、折角得た友を早くに喪ったことを無念に思う。