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川上史津子さん来店。下記催しの前売り券ですぺらにあります。
劇団☆A・P・B-Tokyo第23回公演
寺山修司作品『ガリガリ博士の犯罪』@ザムザ阿佐ヶ谷
作/寺山修司
演出/高野美由紀+East 10th Street
チラシ画/智内兄助
音楽/J・A・シーザー
2010年10周年を迎えた劇団☆A・P・B-Tokyoの第23回公演!
1970年に天井桟敷で初演された寺山修司初期の名作に、現代小劇場界を代表する俳優たちが集結!!
出演
高野美由紀 マメ山田 丸山厚人 保村大和 澤魁士
福谷セイジ 川上史津子 来栖隆文 小堀智弘 ジェニファー松井
山下満璃奈 尾前志織 関根愛 浜名沙綾
たんぽぽおさむ 浅野伸幸
2011年6月9日〜6月13日
6/9(木) 19:30
6/10(金) 19:30
6/11(土) 14:00/19:00
6/12(日) 14:00/19:00
6/13(月) 19:30
前売/一般3800円
ペア7000円
学生3000円
当日/4300円
(いずれも日時指定・全席自由)
詳細は川上史津子コミュにて
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61763030&comm_id=48287
2008年08月06日に「ばらソース」を挙げた。文中「神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた」と書いた。ロンドンの北西部180キロほどのイングランド中央部、ウスターシャー州の州都ウスター市で初めてつくられたため、地名をとって「ウスターソース」と呼ばれるようになった。しかし、日本のウスターソースは名こそ同じだが、独特の香味を持ち、原材料もイギリスのリーペリン・ソースなどとはまったく異なる。どちらかと云えば、フランス料理に使われるブラウンソースに近いものと思われる。なぜなら、わが国では揚げ物などに多量にかけて食すのに対し、イギリスではシチューやスープなどの隠し味としてごぃ少量用いられる。
現存する最古のソースメーカーである神戸の阪神(日の出)ソース(神戸市東灘区)は、創業者である安井敬七郎が1885年に開発販売した。他にも、オリバーソース(神戸市中央区)、ブラザーソース(神戸市兵庫区)、プリンセスソース(神戸市灘区)、タカラソース(神戸市東灘区)、ばらソース(神戸市長田区)、ニッポンソース(神戸市西区)があり、近隣ではワンダフルソース(尼崎市)、七星ソース(伊丹市)、ドリームソース(明石市)、メイジョーソース(揖保郡太子町)、ミツバソース(たつの市新宮町)などがある。ばらソースと共に神戸のお好み焼きソースを二分してきた二見ソース(神戸市長田区)も忘れられない。震災と大手メーカーの安売り競争に押されて廃業したのは残念である。
オリバーソースには「どろソース ハバネロ・ライム」との商品があって、じっくりと熟成させたウスターモルトの沈殿を世界一ホットな唐辛子ハバネロと爽やかなライムジュースでさらに過激に磨き上げた超辛口の濃縮ソース。ドリームソースは明石のお好み焼き屋を代表する激辛どろソースで、「ドリームNO.1ステーキソース」も販売している。プリンセスソースはコロッケや串カツに相応しいソースで、それぞれが個々のテリトリーを守っている。子供のころはそれらのソースを使い分けて味わっていた。お好み焼きの地域差すなわち個性を楽しむとは取りも直さず、地ソースの違いを楽しむことだった。
渋谷の中華料理店「一品香」の焼きそばをはじめ、とんかつの渋谷「蓬莱亭」なども地ソース「ハチ公ソース」で有名になった。わたしは詳細を存じ上げないが、東京にも二十社ほどの地ソースメーカーがあると聞く。前述したように、大手メーカーの安売り競争に押されて地ソースメーカーが減ってゆく。廉ければなんでも良いとの昨今の消費者の精神の貧しさを嘆く。
食肉加工業者から焼肉酒家えびすに卸された十四頭の牛に廃用牛が含まれていたようである。廃用牛とは出産を繰り返し、子牛が産めなくなった雌の経産牛のこと。肉質が硬く、独得の臭みがあって、ハンバーグやカレーなどの加工食品、レトルト食品の原料などに使われる。
トリミングや歩留まりが問題になっているが、例えば、河豚の肝の歩留まりは五パーセントほど。回りの毛細血管をそこまで削り落とし、残った芯の部分を薄切りして十分な流水(河豚一匹に水一斗と云われる)に晒す。歩留まりが五パーセントでは商売にならず、大方は二十、三十パーセントの肝を販売、死者が相次いで販売禁止になってしまった。ユッケも河豚の肝と同一の道を歩むようである。
ちなみに、某食肉加工業者はネット上では「交雑種/外モモ/B2です。赤身率が高くユッケやロースで使用できます」として販売、焼肉酒家えびすへは和牛として売っていたようである。それらは詐欺商法に当たる。廃用牛は再肥育して1キロ500円程度。グラム換算で50円の肉をトリミングしなければ280円売りで利益は十分出る。河豚同様、安売りが逆に自分の首を絞めることになろうとは。わたしに云わせると、280円のユッケを求める客も同罪と思う。
関西系の安価な焼肉屋では叙々苑が知られているが、同店のユッケは1400円。わたしはこれ以下の値段のユッケは食べないことにしている。
パキスタンに透析治療が可能な病院はいくらでもある。そしてビンラディンがイスラマバード近郊に潜んでいたのは03年ごろからという。妻の証言によれば、タリバーン政権下のアフガニスタンで治療を受け、腎臓は回復していたとある。ということは、ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。
ビンラディンの年齢から推して、移植後の平均余命は全うしている。
http://gendai.net/articles/view/syakai/130234
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)——オランダ人のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著書が話題だ。小沢一郎という異能の政治家を検察、メディアに代表される旧勢力がよってたかって潰そうとした事実が詳細に明らかにされている。小沢氏は民主党の党員資格を剥奪されて、表舞台から去った途端に大震災が起きた。右往左往の菅政権を冷徹なジャーナリストはどう見ているのか。
との前置きに続けてウォルフレン氏のインタビュー「未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸」が掲載されている。強く共感す。
腎不全で透析治療を受けていた団鬼六さんが六日午後二時六分に亡くなられた。享年七十九歳。死因はある種の合併症で、胸部食道癌。透析治療を受けるのが嫌で一年ほど拒否なさっていたが堪えきれず、04年から透析に這入られた。昨年四月、癌の治療中であることを公表。透析をはじめて七年なので長命になるが、腎不全で癌を患うとどうにもならない。
震災の映像がテレビで放映されるたびにこんなことがあっていいのかと目を覆いたくなるような心境である。
老婆が泥だらけになった孫のランドセルを手にしながら、孫の姿を懸命に探していたり、震災で親をなくした子供たちが里子に出されるなどという報道を聞くと、まさに戦後さながらの殺伐とした状況に戦慄さを覚えるのである。自ずと遠い昔、私が中学生であった当時の戦後に自然と思いは馳せる。
当時は日本政府なんてものはあってなきにしの如くで、アメリカ人の管理下に置かれた不甲斐ない状態で、当時の飢え、貧困をはじめ、不衛生、犯罪、人の安否、求職などの不満を一体どこにぶつければいいのかもわからなかった。
家も、食べ物も、親戚も、金もない、という人間がいたるところに溢れていた。あるのは命だけだった。・・・
命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。(鬼六最後のブログより)
人間にはそれぞれの価値というものがある。それが個性になり、魅力になり、その人の器になっていくわけだ。人に敬われるだけの人間が価値あるってもんじゃないでしょ。(鬼六ブログ)
前回と血糖値が変わらない。しかし、ヘモグロビンエーワンシーが安定しているので問題はないだろう。困るのは低カルシウム血症である。カルシウムD剤(前項のアルファロール)は毎日服用しているのだが、ほとんど効果がない。カルシウムD剤の後発品は種類が多くて手に負えないが、以前飲んでいた帝人のワンアルファ錠(本品は後発品でない)の方が体質に合っているように思う。しかし、病院の薬剤師にそのような註文はできない、黙して与えられた医薬品を服用するのみ。
東葛クリニックへ通い出したころ、薬の変更を希望したところ、当方では扱っていないと拒否された。こればかりは医師もしくは事務局が決めることなので、どうにもならない。さらに二週間ほど様子を見るしかなさそうである。
それにしても、血液検査のうち食事によって制禦できない部分はお手上げである。
2ちゃんねるにも面白い書き込みがある。
「大丈夫?」っていうと半月遅れて、
「大丈夫」っていう。
「発注可能?」っていうと半月遅れて、
「発注可能」っていう。
「物はある?」っていうと半月遅れて、
「物はある」っていう。
そうして、あとで不安になって、
「でも本当はちょっと欠品?」って聞くと
「ちょっと欠品」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ中外。
もっか服用中の薬はレナジェル(食前四錠)、ウラリット(食後四錠)、アルファロール(朝食後一錠)、ポララミン(掻痒時一錠)の計二十六錠、必要最低限の薬である。以前は一日百二十錠を超えていたので随分とすっきりした。
中外製薬のレナジェルはリンの吸着剤で、腎不全の患者には欠かせない医薬品のひとつ。福島県岩瀬郡鏡石工場の二十四時間操業がかなわず、欠品がつづいている。薬品メーカーに停電、節電は通じない。成分の均一性を保つには二十四時間操業が避けられないのである。
四月のはじめからレナジェル錠の入手が難しくなった。わたしは一日二食なので、他人と比して服用量は少ない、にもかかわらず次回から削るという。同じセベラマー塩酸塩でキリンからフォスブロック錠が、バイエルからはホスレノール錠が販売されてい、他にも印度からジェネリック医薬品が販売されていたように記憶するが、どうなのであろうか。
大きな医院は医薬品メーカーとの独得の結びつきがあって、簡単に切替はできないようだが、患者優先でことは運ばれるべきである。わたしは必要なら主治医に処方箋を書いていただく、もしくは個人輸入の手もあって心配していないが。
先日、百貨店だとホールマネージャーと思しき工学技師から除水を1500か2000に増やすか、ドライウェイトを一キロ減らすように云われた。要するに摂取量を増やせとの命である。除水がこの七箇月のあいだ一リットルを切っているのはおかしいとの意見である。その技師をわたしは予てから敬愛している、それゆえ言葉は重く受け止める。しかし、透析をはじめた頃は低血圧に悩まされ、治療中に失神も経験させられた。やっとリズムに乗ってきたのに狂わせられるのは困る。
病院中でわたしがもっとも除水量(率)が少ない。それは分かっているが、これがわたしのドライウェイトと摂取と除水のバランスである。平均除水が三リットルだから、せめて二リットルにせよ、というのは逆におかしい。他人は他人、わたしはわたしである。おそらく摂取量を増やそうが、ドライウェイトを減らそうが、一箇月も経てば除水は一リットル以内に落ち着くに違いない。それよりなにより現在のバランス、体調を崩されるのが怖い。
透析カレンダーなるものを頂戴した。曜日によって時間が微妙に異なる。透析をはじめてから欠席、遅刻は一度もないが、本当は時間を決めていただく方が対応しやすい。穿刺の順番を平等にとの気遣いは理解するが、ならば遅くて結構。ひとりが六、七人に対応しているので、ひとり八分として一時間弱で全員の穿刺が終わる。
月曜日は客が居なくなったのが三時過ぎ、そのまま寝ずに透析を受け、帰宅は午後二時過ぎ。気付けば、ズボンやワイシャツを着たまま寝入っていた。少々疲れているようだが、良い時に連休が入った。原稿の締め切りが近づいているが、それどころでなく、もっかのところ寝つづけている。まずは食欲を戻して体調を整えなければならない。
月曜日が血液検査だったので、帰りにメロンを買ってきた。乳製品と果物、特にメロン、西瓜、トマト、ピーマンは普段だと食されない。検査の直近だといかようにも処理できる。わたしの食生活にとって検査の後の二、三日が楽しみなのである。ただし、安価なものを買ったので熟れすぎている。液状化した果肉を啜るにどうやら浦安産のメロンのようである。
下世話なはなしが続く。焼肉酒家えびすの客から三人目の犠牲者が出た。溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症し、人工透析治療を受けていたが死去。四月二十三日に食し、二十七日に入院したが、急性腎不全としてはあまりにも遅い。血便と激痛に襲われたのは二十六日というが、食中毒の自覚症状は食後三、四時間目からはじまる。二十四日に透析をはじめておれば助かったのではないかと思われる。
わたしには焼肉屋を営む在日の友人が複数いる。厚労省によれば牛の生肉は存在しないと、それは兼ねてから知っている。友人に云わせると、仕入れ先との暗黙の了解だと云う。生肉で大丈夫との示唆があって、はじめてユッケを引く。従って数量限定で週に二、三回ほど、品切れの日の方が多いようである。ちなみに、ユッケには通常ランプかイチボの先端が使われる。
一般的に和牛はAクラスだが、A-5に評価されるのは全体の十五パーセントほど。焼肉にはA-5もしくはA-4のもも肉(焼肉屋のロースとはもも肉のこと)が使われるが、神戸ビーフだと仕入れ値はグラム千五百円を下回ることはない。友人から貴方だったら二百八十円のユッケを註文するかねと逆に質問されてしまった。Bクラスの5や4でも仕入れ値は五百円ほど。問題になったユッケは売価から推して原価は八十円以下であろう。要するにどのような肉を食べさせられているかは想像がつく。
死人を出した焼肉屋ではユッケの註文率は七十パーセントとか、一番の売れ筋商品である。そのように多量かつ上質のユッケが入手できる筈もない。さぞかし無茶な仕入れと販売をしていたと思われる。現に同店の肉の仕入先は東京板橋の大和屋商店とハンナンフーズグループ、それと地元のS館の三店。今回のユッケは大和屋商店が仕入れ先だが、主たるハンナンフーズはBSE偽装事件で夙に知られた悪質業者(Y組傘下の企業舎弟)である。利益至上主義に走る激安チェーン店の実体が垣間見られる。
追記
激安店を支えているのは仕入れ先である。某鯨肉専門店で尾の身と称する単なる赤身が出てきて焼いて食べたのを思い起こす。また新宿の某焼肉屋でユッケを註文、肉種を確認して食べるのを止めた。客が廉いものを求める限り、このような事故はつづく。
真偽のほどは知らないが、ビンラディンは2004年から透析治療を受けていたようである。阿富汗斯坦(アフガニスタン)で透析治療が可能なのは加布爾(カブール)のみ。従って、足がつくのを承知で巴基斯坦(パキスタン)に住んでいたと想像する。巴基斯坦なら透析治療が可能な病院はいくらでもある。ただし、透析治療に関して知識のないひとの書き込みばかりなので、ビンラディンの件はがせねたと思う。そうでなければ震災時の停電並びに断水をどのように乗り越えたのであろうか。一度の透析で二百リットルの真水が必要になる。いずれにせよ、ビンラディンを匿っていた巴基斯坦政府は立場を失った。今後の亜米利加、巴基斯坦、印度の関係は核保有国であればこそ、目を離せなくなった。
仮にビンラディンが腎不全ならば、幾許もなく死去したと思われるが、そのための阿富汗斯坦、次いで伊拉克(イラク)への出兵だったとすれば割に合わない。亜米利加というのは随分と阿呆な国乃至は中国人以上に面子を重んじる国なのであろうか。100645〜109942人(
http://www.iraqbodycount.net/)の戦死者を顧みない国家の実体を膝癢掻背と捉えるのはわたしだけか。
メソポタミアには米所並大迷亜との当て字はあるが、イラクにあるとは不思議である。考えてみれば第二次世界大戦後に独立した国に当て字のあろう筈がない。
追記
妻の証言によれば、タリバーン政権下の阿富汗斯坦で治療を受け、腎臓は回復していたという。ビンラディンはとっくに腎移植を受けていたのが真相のようである。
警戒区域への一時帰宅で、南相馬市小高区の足の不自由な母娘の参加が困難な状況になっているとの記事(毎日新聞)があった。「移動に支援を必要とする者は対象としない」との国の見解に対して一部で非難が起きている。明らかな少数者差別であって、国の見解には憲法違反の疑いがある。同様の理由で参加を断念するしかない住民は他にもいる。憲法記念日に起きた看過できない問題である。
朝日新聞は菅首相を支持している。新聞社が特定の政治家を支持するのは構わないし、日露戦争に於ける主戦論から日中戦争を経て太平洋戦争に至る時期の朝日新聞の歴史を問い質すつもりもない。ただ、非常時に首相を替えることを理不尽とする論調には与し得ない。菅が首相の座を固持する限り、このような独尊的言動は続く。このような非常時ゆえ、一刻も早い首相交代を願う。
何度か書いているが、透析を朝の部に移してから、まだリズムが掴めないでいる。透析のない日は大丈夫だが、透析のある火、木、金が起きられないで遅刻している。起床が朝の七時半、寝てしまうと起きられないので、伏せったまま起きている。透析が終わって帰ってくるのが二時から三時、それからすぐに寝れば三、四時間は眠られる筈なのだが、そう旨くはゆかない。結局、透析のない日に二日分眠ることになる。透析優先なので、皺寄せはですぺらの営業時間へ跳ね返る。以上、遅刻の言訳である。
長谷川さんから来店予告のメールを頂戴しているのを知った。今頃気付いても遅いのだが、申し訳ない。営業開始は八時十五分だが、前述したように、火、木、金は十分か十五分ほど遅れる時がある。相済まぬことで恐縮している。
田中秀征さんの政権ウォッチを面白く読む。文中「世論も既に潮目が変わり、「大震災だから首相を代えない」から「大震災だからこそ首相を代える」に大きく転じつつある」とある。
田中康夫さんは人工股関節の手術をして入院中だったが、退院を早めて3月19日には南相馬市で炊き出しをしていた。松葉杖をついてのボランティア参加である。
田中秀征さんは新党さきがけの理論的指導者、石橋湛山の研究家としても知られる。田中康夫さんは元知事。選挙区は長野県、共に落選。民意を反映した弁証とは、屡々妙な結果をもたらす。
お二方に関して、矢川さんと話し合ったのを想い起こす。
原発由来の放射線が大した問題でないと云うことと、原発は経済にとって必要であると云うのは論理的整合性に欠けている。事実認識はひとによって異なる筈がないのだが、現実には異なる。論拠を持たずに好悪で判断する恰好の例かと思われる。そして、そのような暴論を吐くのは東京在のひとに限られる。
地方在の原発の恩恵を被るのは都会である。だとすれば原発は都会にこそ相応しい。東京周辺に原発を拵えるのは論理の必然的帰着である。
前述の発言の底に滅びの思想があればともかく、滅びを抱きつつの経済論はなかろうと思う。暴論とする理由である。あらゆる種類の経済学は如何わしい。情念の入り込む余地がもっとも少ないのが経済学でないだろうか。
政治家がいないと多くのひとは云う、しかしわたしに云わせれば小沢一郎がいる。彼は自民党を割った93年以来、政局のひととなった。五十五年体制の瓦解が彼の目差すところであれば致し方のないことである。政局を宿命として彼は生きた、生きつづけなければならない。
爾来、09年の第45回衆議院議員総選挙での政権交代に至るまで小沢の目覚ましい活躍はつづく。小選挙区制の導入をはじめ、二大政党制に持って行きたいという明確なビジョン等、小沢の姿勢は首尾一貫している。この二十年ほどの政治は彼と小泉を抜きにして考えられない。良きにつけ悪しきにつけ民主党の首相候補のなかで人間的魅力があるのは小沢一郎だけ、と云ったのは西部邁だが、言葉の正確な意味においてわたしは深く同意する。
政権交代によって小沢の為事は政局から「日本改造計画」の履行へ変わったかに思えた。ところが、今回の統一地方選は大敗に終わった。菅のお陰で襤褸襤褸になった地方組織を建て直さなければならない。だとすれば、小沢にはもう一度政局の場へ戻っていただくしかない。そうでなければ折角の二大政党制は生きてこない。民主党を一から再構築するか、もしくは政界再編である。思うに、小沢はよくよく恵まれない政治家である。まるで政局が彼の唯一の為事であるかのごとく。しかし、五十五年体制を徹底的に崩壊させるには小沢が必要である。彼にしてはじめて可能な荒事である。
自分に自信のないひと、個としての自覚がないひとほど、世論を重視する。世論は風俗に過ぎぬ。作為的な世論形成に背を向けて、小沢はひとりわが道を行く。小沢の行動力と実績、そのバイタリティーにまだまだわたしは期待を抱いている。
追記
「小沢一郎の三人の秘書、石川知裕衆議院議員、大久保隆規、池田光智に対する裁判がはじまった・・・吉田正喜元特捜副部長をはじめ、田代政弘、前田恒彦と札付きの検事が取り調べを担当。冤罪だった村木厚子元厚労局長への取り調べと構図を一にする。
そもそも小沢一郎の事件(事件かどうかは分からないが)は検察のリークとそれを鵜呑にしたマスメディアが主をなす。担当検事の一名は左遷、一名は退職、一名は獄中にある。」
2011年02月11日に上記「札付き」を書いた。93年以来、一貫してわたしは小沢一郎さんのファンである。
血尿のつぎは血便である。血尿の理由は腎結石、血便の理由は憩室と分かっているが、血便には少々困惑している。一年半前に憩室からの大量下血で死にかけているからである。実は一昨日の朝、僅かだが下血があった。嫌な記憶が頭を過ぎる。
直前の血液検査ではCRPは増えていないし、ヘマトクリット、ヘモグロビンは共に正常である。特にヘモグロビンは12.1から12.2と平均値よりも高い。ただし、この前の内視鏡検査では憩室は大腸全面に拡がっている。今はヘパリンという抗凝固剤を一日置きに処方している、それが理由で出血すると止まらない。従って、下血がはじまれば二、三日でヘモグロビン値は7を切るところまで急落する。そうなれば、またブラックアウトもしくは失血死が待ち受けている。暫くのあいだ、大便との睨めっこが続く。
主治医から、定期的に輸血が必要になることもある、との注意は受けている。考えるまでもないことだが、綱渡りのような人生である。
追記
その後、下血はなさそうである。このまま無事に済めば良いのだが。
2011年03月31日の「疑惑」で触れたが、経産省の方から聞いていた情報の一部が週刊ポスト2011年4月29日号で暴かれた。
http://www.news-postseven.com/archives/20110418_17850.html
題して「「揚水発電」をカウントすれば原発なしでも夏の電力間に合う」。
政府の新成長戦略では原発輸出を柱に位置付けていたのは周知。菅首相はどうあっても原発を推進したいようである。従って原発の被害は極力小さく、電力不足は過大に喧伝しなければならない。やはり、計画停電は原発推進のための詐欺でしかなかった。
前福島県知事の佐藤栄佐久は原発推進派にとって天敵的存在だったが、原発は「危ないから注意しろと言うと、国家にとっての危険人物になってしまう」との記者会見での言葉通り、ゼネコン絡みの収賄疑惑から辞職に追い込まれた。一審、二審は共に有罪。官権とマスコミの罠に嵌められた小沢一郎と相似形をなす。
血液検査は無事にクリア、栄養士は挨拶だけで、わたしの前を素通りである。看護師は「何時ものことだけど、どうやってリンと血糖値を減らしたの」答えが出てくるような種類の質問でない。「極力摂取しなかっただけです」としか応えようがない。そのことよりも、最近は除水を一リットルで統一するように心掛けている。一リットルとは八百グラムの体重増である。こちらはいささか高踏技術を要する。透析日の早朝、パンをあと一切れもしくはスクランブルエッグを一箇分、そうでなければ紅茶を半杯と、実に細かい計算が必要になる。
穿刺するひとは毎日替わるが、記録は残されている。松戸のパン屋を教えて下さったベテラン看護師は気付いている。「八百グラムって意識しているんでしょ、遊んでるのよね」。遊びがなきゃあ、透析なんぞやってられませんよ。
何をどのように食べればリンが減るかは実はわたしにも良く分からない。ただ、透析をはじめてからの八箇月で得た経験則がある。それほどに意識して食事を摂っている。日々、体重計と頸っ引きなのである。かつては酒と首っ引きの人生だった。今は体重計がわたしの生き甲斐とでも称すべきか。
今日は僅かにカルシウムが減っている。前述の看護師は馴れたもので、「最近、ビタミンD剤を飲んでないでしょ」「次回の血液検査で戻しますから大丈夫」。低カルシウム血症も困るが高カルシウム血症はさらに困る。指の関節に軽い痺れが出ていたので、ちょいとカルシウムを控えたまで。いま話題の茨城の小女子でも食してカルシウムを摂りましょうか。
透析患者緊急カードというものを貰った。封印されていて中身は分からないが、透析時間、透析器種類、薬剤アレルギーの有無などが記載されているようである。事故や災害などの緊急時に他の透析施設のスタッフに透析患者であることを伝達するためのカードである。阪神淡路大震災以降、発行するようになったと聞く。スタッフが神戸へ透析を手伝いに行った折、症状の詳細が分からなくて苦慮したのが理由だとか。
そう云えば、神戸の震災では二十三日(罹災六日目)に透析患者を六甲アイランド病院から津市の三重大付属病院へヘリコプターで搬送。ただし、ヘリコプターによる搬送はこの一例のみで、その後、多くの死者を出した。その反省から新潟県中越地震では被災地の三病院の患者三百四十人がヘリコプター、救急車、バスで受け入れ先へ搬送され、全員が無事だった。今回は初動が遅く、岩手県大槌町吉里吉里地区のように自衛隊のヘリコプターによって多くの患者が助けられたものの、神戸同様、結構な死者を出したようである。たしか菅首相は元厚生大臣だった筈なのだが。
五度続いた尿検査は尿路結石で落ちが付いた。誰もなにも云わないので、看護師にむりやり問い質した。血尿の理由は腎結石だと最初から云っている、当方の見立てを信じればよいのにと思う。結局、新たな癌は見付からなかったようである。わたしの剣幕が過ぎたようで、医師に悪いことをしたと思っている。
ところが、尿検査が済んだと思ったら、今度は検便である。よほど興味を抱かせるに足る身体のようである。憩室からの脱血が怖いので、普段から便には注意している。そしてもっかのところ、異常はなにもない。
今日は定例の心電図とヘパリンが適正かどうかの検査で血を抜くという。検査を引っくるめて週一回以上、血を抜かれている。以前はナーバスになっていたが、最近は造血されているのを知ったので、いくら採血されても平気である。
透析をはじめて八箇月になるが、最初の予想とは随分と異なる。エリスロポエチンが生育され、尿も1.2リットルほど出ている。看護師に云わせると、腎臓のどこかの回路が一本だけまだ繋がっているのでないかと。未練がましい身体である。
血糖値が167に上がったが、ヘモグロビンエーワンシーは5.1と落ち着いている。血液検査の直前の食事内容によって血糖値はどうにでもなる。リンを伴っているので犯人は苺である。それを承知でふたたび苺を買ってきた。前回触れたように、一日二粒だと血糖値に変化は出ない。西瓜やメロンは大きくて自殺者向きだが、苺は小さいので助かる。
前述したように茨城産の苺で問題児である。制限内なのだろうが、汚染されているに違いない。子供には食べさせられないが、わたしは放射能の症状が出る前にくたばるので関係ない。これからは産地偽証の食品が増えるに違いない。現地のひとには申し訳がないが、農業と漁業はどうあっても諦めていただくしかないのだが。
店の水が減ってきた。硬水は大丈夫だが、軟水はあと一週間ほどで売り切れる。このような状況なので、無理をして買い集めるのは避けている。なくなれば鉄管ビールになるが、悪しからず。
福島大は13日、浜通り、中通り地方の372地点で測定した1時間当たりの放射線量を示した地図を発表した。実測データに基づいて詳細な放射線量の分布が示されるのは初めて。(河北新報社)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110414t63010.htm
菅首相が隠蔽、公表しない放射線マップを民間が公開した。
国会図書館にいらした西来寺さん来店。はなしは当然、震災と原発に終始する。
神戸では復旧、復興に必要な労働者は大阪や東京から大挙して這入った。今回は地元優先で雇用すべきである。そうでなければ、岩手、宮城、福島三県の海岸部の就労者八十四万人は行き場を失う。北茨城市にある大津漁港では漁に出られない漁師らを市の臨時職員として採用することを決め、双葉郡八町村の各役場では避難者を臨時雇用する制度をスタートさせたという。しかしそのような雇用で何が片付くわけでもない。せめて二、三十万人は傭わなければならない。そのための政令を発布すべきと思う。
原発の問題ひとつを取ってみても、菅首相の能力を超えている。と云うよりは閣僚や各省庁を使いこなす能力が端から欠落している。官僚を凌駕する能力が菅首相にあればともかく、実態は惨澹たるものである。首相たるものの確たる信念が微塵も感じられないのである。亀井静香が提唱している与野党を幅広く糾合した救国内閣を樹立して、国難を乗り切る以外に手立てはない。ところが、ことここに至っても連立とか副首相格とか、政局絡みもしくは政権延命しか脳裏に浮かばないようである。
震災対応の協力と連立とは次元の異なる話である。協力するに際して、どうして入閣しなければならないのか。連立は平時に民主的な手続きを経た上で行うべきであり、震災の混乱に乗じての連立など可笑しかろう。菅首相は政権公約(マニフェスト)の抜本的見直しに触れることなく、閣僚増員でもって自民党に連立を呼びかけた。これでは断られるのは当たり前である。相手に責任を転嫁して政権延命を図ろうとしていることが発覚してしまった。
このような非常時こそ、小沢一郎の出番だろうに。彼なら三日を経ずに大連立を拵える。そして連立のためなら、自民党であろうが共産党であろうが、他党の党首を首班に据えるに違いない。西来寺さんは田中角栄がいればと仰有っていたが、政治のダイナミズムをもう一度味わいたいものである。いずれにせよ、最悪の首相のときに最悪の厄災が降りかかった。
菅首相の出自は市民運動だが、この市民運動ほどいかがわしいものはない。市民運動としての公共性を主張するためには代表性や公益性についての考察が必須となる。市民運動において、市民の名で行われるものが、常にすべての市民を代表するものとは限らない。市民運動が特定の市民の意見、いわゆるノイジー・マイノリティによって誘導されるのは必定である。菅の市民運動の底辺には特定の政治的利益集団の陰が常に見受けられる。
民主党と比して自民党の事務能力の高さは評価する。とは云え、現在54基の原発を122基にまで増やそうと政治指導によって構想したのは自民党である。統一地方選前半戦の民主党惨敗は納得がいくが、その票が自民党に流れるのはさらなる問題を生じさせる。
阪神・淡路大震災時には、復旧、復興の関連法十六本のうち三本が一箇月以内に、八本が約四十日で成立した。今回は未だに一本の関連法すら成立していない。「民主主義とは期限を区切った独裁だ」と明言して憚らない菅首相である。独裁を保持するために「保身」と「隠蔽」が続けられる。菅首相と岡田克也幹事長、亡国の徒とはこのことか。
高遠弘美さんがふたつのサイトを紹介なさっている。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
http://francemedia.over-blog.com/
文中、某ジャーナリストが原発職員、消防員の方達が三十一人亡くなっているとの報告があって詳細が気になった。
それと小出裕章さんが触れていない点がひとつ。
福島原発の一号機から四号機までの原子炉の出力を会わせると約三百万キロワット。そしてチェルノブイリ原子力発電所の出力は恰度百万キロワット。その上に使用済み燃料プールにほぼ匹敵するだけあるとのことですが、燃料プールには使用済み燃料だけでなく、未使用の燃料が同量含まれている。単純計算でもチェルノブイリの九倍以上の核燃料が危機的状況にある。
金、土曜と久しぶりに忙しかった。昔、唐さんが新宿を焼け野原にすると云っていたが、今回の原発事故で下手をすれば東京は滅んでしまう。滅んだ方が良いと声を大にしていたのはシモンさん。シモンさんと幹郎さんの絶妙の会話は面白かった。
中井英夫さんが生きていたら小躍りして喜んだに違いない。似而非文化人が原水爆反対を唱えていたとき、ひとり中井さんは原水爆賛成だった。人類を滅ぼすかもしれない折角の玩具を棄てるなど以ての外だ、と。
このようなことは思っていても書かれない。原発で苦しんでいるひとがいらっしゃるからである。掲示板を長く続けてきたが、考えてみると本音を吐露したことなどあったかしら、と思う。
例えば、先日福島へ行きたいと云ったところ、どうしてとの応えがあった。放射能で腎臓が突然変異を起こし、完全に治癒する。そこで名を改めてスーパー一考。このようなことも書けば顰蹙を買う。
掲示板をつづけて、愉快なこともあった。高遠さんとないこと、ないことのオンパレードを書き連ねた。文学がいかに質の悪い冗談であるかを身をもって証明したのである。書きながら笑いが止まらなかったのを覚えている。
本音とはなにかを問うつもりは毛頭ない。本音とはちょっとした屈折である。ただし、ひとを大いに傷つける屈折である。これからまた、素知らぬ顔をして平常の掲示板に戻る。
追記
先日「わたしに放射能は無効である」と書いた。放射能で身体に異常が出る前に寿命が尽きる、意味するところはそれだけである。
一月十二日に「茜屋軽井沢店の柘榴のジュースとコンコード(神戸の喫茶店)の葡萄ジュースはわたしの好物だった」と書いた。その茜屋珈琲店にもぶどうじゅーすがあるのは分かっていた。共に生ジュースで、季節限定メニューである。先日、幹郎さんが来店、小脇に茜屋珈琲店のぶどうじゅーすを抱えている。嬬恋村の増屋薬舗の干川伸之さんからの贈り物である。詳しくは知らないが、干川さんは脊椎を損傷なさっている。わたしと同じ片輪者である。
わたしは身障者とか不自由な方といった思わせぶりな云い方が好きでない。掲示板で片輪と書けば物議を醸す、仕方なく前記書き方を踏襲しているが、片輪は片輪で良いと思っている。種村さんに「影法師 唖(おし)で聾(つんぼ)でど盲(めくら)で」との作品があって、わたしの愛唱詩である。
唖を唖、聾を聾、瞽を瞽、跛を跛、佝僂を佝僂、乞丐を乞丐と云って、なにが悪いのであろうか。片手ひとつ取ってみても、片腕、片落ち、片手打ち、片手桶、片手落ち、片手擲り、片贔屓、隻手、隻腕と差別用語が続く。
ひとはみな差別意識を持っている。「俺の子は俺に似て頭が良い」など、他人は俺と違って頭が悪いと暗に断言しているようなものでないか、差別の最たるものとはこのような表現を指す。わたしは差別するが差別されるのは好まない。それがアクティヴな生き方を強いているのかもしれない。
前置きが長くなったが、頂戴したぶどうじゅーすは滅法旨い。品種は信州産のコンコードとナイヤガラ。水増しのジュースまたは濃縮還元と違って、甘味その他の添加物は這入っていない。香味が濃密かつ能動的なのである。色調は黒紫色、ひとくちごとに酸味と渋味の階調が際立つ。階調と書いたが、階調であって諧調ではない。酸味と渋味が口腔で別々の味わいを奏でる。アクティヴと表現したのはその香味の闘いのさまを表す。まるで後熟を経ないモルトウィスキーのようである。調和のなさが絶妙の美味さを生んでいる。干川さんに大感謝である。妄言多謝。
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/0ae40973f2449556dad937ea3aab9184/
上記サイトでは、人工透析患者の最後の砦として役割を発揮した仙台社会保険病院が紹介されている。
計画停電は中止になりそうだが、病院のスタッフのためにも結構なことだと思う。睡眠不足で技師や看護師が倒れたら患者はどうなるのか。ちなみに、市川市は最多の七回、松戸市は六回停電している。
今夏に起こるとされる制御不能な大規模停電を避けるために「電気使用制限令」が発動されそうである。大口需要者に対して、ピーク時の電力使用量を前年より二十五パーセント減らすのが目的。本当は一般家庭の消費電力(冷房)にこそ使用制限令を出すべきなのだが。
痒みからくる出血のため、下着は毎日着替えている。その下着はまとめて、風呂に浸かった状態で洗面器で洗っている。空調や便座は当然として、洗濯機の消費電気も浮かしている。自粛ではなく謂わば他粛だが、それで良いと思っている。
http://gigazine.net/news/20110314_spaceimaging_jp_quake/
日本スペースイメージングが「東北地方太平洋沖地震」被災前後の衛星写真を公開した。相馬市の磯部地区も写っている。
日本気象学会の新野宏理事長(東京大学教授)が、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう通知していたことが分かった。国民に余計な不安を増幅させないようにとの民主党的配慮からだが、例の文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の調査結果が槍玉に上げられている。学者にせよ、政治家にせよ、芸能人にせよ、権力を握る人間にはろくでなしが多い。尖閣問題同様、情報と権力とのあいだには根の深い問題がある。
先日、追記で「わたしの身の回りにも関西へ疎開するひとが増えてきた」と書いた。閉店後、神戸へ帰ろうかと思っていたが、状況が一変した。これからの東京に興味がある。正確には東京でなく、人心にである。また、わたしに放射能は無効である。よって、滅びへの意志力を有するか、もしくは自覚なしか、その辺りを見届けようと思っている。
スリーマイル島では燃料棒取り出しまでが六年、廃炉完了まで十四年かかった。今回の放射能物質はチェルノブイリの十倍と聞く。一段落するまでに三十年、廃炉までに百年は掛かりそうである。土壌汚染と海洋汚染によって、福島県の畜産、農業、漁業は元に戻るまい。
元に戻るどころのはなしでない、完了するまではひとも住めない荒寥の地になるに違いない。暖かくなれば風は南風になる。既に汚染されている福島市をはじめ、仙台市など北方の都市にも汚染は拡がる。福島の人口は二百二万だが、おそらく東部に住む百二十万人ほどは土地を離れざるを得ない。東北の農業は壊滅し、三陸の漁業も衰退する。
書物に惹かれるとは滅びを友として現世に背を向けることである。それを諒解している方は良い。しかし現世に未練を持ち、子孫を残そうと考えるひと、もしくは十五歳までの子供を持つ方にとっては他人事でない。東京を離れるのが理想だが、それが出来ないひとにとって米国で売られている放射能除去機能を持つ浄水器は必需品となる。
過日、高遠さんが紹介なさっていた武田邦彦さんのブログをこちらでも紹介しておきたい。
http://takedanet.com/
追記
わたしの身の回りにも関西へ疎開するひとが増えてきた。
東北産の野菜や果物が安売りされている。先に書いたが苺(とちおとめ)が安いのでせっせと食べている。苺はカリウムが高くミネラル分が多いので危険である。危惧した通り、血液検査で引っ掛かってしまった。やはり一日に二粒が限度である。三つ、四つ食べると覿面におかしくなる。果物もそうだが乳製品、例えばチョコレートなども一日一粒にすべきである。せっかく順調だった血液検査が狂ってしまう。
朝の部へ移ってから、どうも調子が取られない。睡眠を二回に分割したからだろうか、食事の間合いがうまくない。要するに体重がが安定しなくなった。リズムを掴むのにもう少し日数が掛かりそうである。
看護師と苺のはなしをしていて、果物や野菜で自殺を計った患者に及んだ。その患者は普段から透析を嫌悪していて、ある日、西瓜を多量に食べてカリウムを異常に高くしたらしい。他にも、甘蕉、赤茄子で自殺を試みた患者がいたそうである。死ぬために西瓜を無茶食いするとは夢のないはなしだが、さらに夢のないのが納豆の多量摂取である。目的が死ぬことだから、どうでもよいのだろうが、納豆臭いのは気になる。わたしなら、せめて煎茶か珈琲の飲み過ぎで死にたいものである。
その看護師の紹介で、松戸の新宿中村屋とアンデルセンへ行く。原料の小麦粉の違いか、アンデルセンの麺麭は軽くサクサクした感じ、昔のピゴの麺麭を想い起こす。新宿中村屋のそれは佛蘭西の小麦粉を使っていて舌触りに癖があり、重量感があって好みに合う。稲見さんの麺麭のような芸の細やかさはないが、まずまずの麺麭であろうか。もっか稲見さんから送られてきた麺麭と新宿中村屋のそれとを交互に食べている。わたしにとっては最高の贅沢である。
透析医療のネットワーク組織が動き、福島県いわき市周辺から約四百十人の人工透析患者が、東京都内に避難。千葉県の某病院でも、いわき市の患者三十三人を受け入れたとのニュースがあった。個人で避難した方がいて、数はさらに三十人ほど増える。このネットワークは、阪神淡路大震災の折も多数の技師、看護師を神戸へ送り込んでいる。わたしが通うクリニックの看護師も神戸へ出掛けたようである。
一方で、停電の影響で東京から多くの患者が西日本へ避難している。この七日間は停電がないが、いつ復活するか分からない。折角東京へ来ながら、停電ではどうしようもあるまい。夏になれば夥しい数の透析患者が西日本へ疎開するに違いない。
二時間半とか三時間の短縮透析をわたしも受けたが、身体が痒くなる副作用に悩まされている。そしてスタッフは睡眠不足で疲れ果てたと云う。
宮城県でカリウム性心不全で透析患者が複数亡くなった。三月十八日に「一週間透析を断つと身体中が浮腫んでくる。二週間断つと心不全や心筋梗塞で斃れる方が出る」と書いたが、看護師に云わせると二週間はもたないようである。宮城県の患者は四日目と六日目の発作だった。
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