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「舌禍の一群」で「ひととの出遇いや読書が持って生れた稟質の変更改竄を余儀なくさせるならともかく、拾い得た知識を自らの属性と曲解し、それを出汁に友と称する悉に異しがるべきものを聚めて悦に入るなど以ての外である」と書いた。
稟質の変更改竄を余儀なくさせることに於いて友も書物も同質である、されば稟質の変更改竄を余儀なくさせない友や書物はなんなのか。それらを私は筍と称している。雨後の筍という言葉があるように、のべつ幕無しに世に顕れる。堀り立て、もぎたてなら柔らかく、一塩でおいしく頂戴できるが、二、三日で堅くなって煮ても焼いても喰えなくなる。孟宗であれ、真竹であれ、淡竹であれ、その消息は同じである。
一塩でおいしく頂戴できるさま、言い換えれば柔軟さをいかにして持続させるか、そこが思案の為所、勘所である。思案の案の字が百貫するとは毛吹草だが、安易にものを書いてはいけないとの戒めであろう。
りきさんが呼応なさっているが、書くという行為を考えるのではなく、書くという行為そのものを著せば良いのである。要するに、自分の考えそのものを書くしかない。「書けないという今の状況」「書かねばなるまいという気負い」等々、なんでもよろしいが、どうして対象となる作家が必要なのか。著す対象はいかように推移したところで自意識でしかない。××○○に託つけて、ひとは過剰な自意識と闘い、抗い、「試行錯誤」し、底の見えない渦に巻き込まれて行く。宇野さんが書かれたベールィ、ゴンブロヴィッチ、クライスト、ムージル、カフカ、リスペクトール、ペソア、メルヴィル、ジェイムズ、シンガー、ベケット、アルトー、ジュネ、ドゥルーズなどは皆そうではないか。
書物でも友でもよい、稟質の変更改竄を余儀なくさせる対象と出遇ったときは喰らいついて離さないことである。その対象こそが自意識の鏡であり投影であり分身なのだから。対象とは客体ではなく、主体そのものでないだろうか。
「ほぞ」で書いたが、七日以降の二十三日間で体重が六キロ減った。精神に変化があれば体重が変わり、体重に変化がもたらされば精神も派手な活動をはじめる。やはり精神と肉体は密接な弁証法的まじわりを内包しているようである。体重の変化はひとときのことなので気にはしていないが、あまりに急な変化のために体力の消耗が著しい。痩せるのは好ましいが、月二キロに抑えなければならない。
体重の減少を止めようと、このところ無理をしてでも食べるように心掛けている。しかし、先日も海苔弁当や丼の並盛にチャレンジしたが、食することはかなわなかった。朝飯の一日一食に戻ってしまったようである。しかし夜はかかさず酒を飲むので、その肴で栄養を補給している。前項で書いたおおむろさんにもマルゲリータを注文していただき、その内の二切れを頂戴した。
のんちさんこと川津 望さんの精神の変化が私の体躯にも似て目覚ましい。若さがなせるわざなのか、ひとの言葉の読み取り、解体、透過、吸収という一連のサイクルに非凡なものがある。「断碑」で触れたTさんもそうなのだが、人生にカルノーサイクルはない、ことごとくが不可逆なものだということを彼等は身体で諒解している。
自然界におこる変化は厳密にはすべて不可逆であるという当たり前のことを人はしばしば忘れる。その理由は分からなくもない。これ以上傷つきたくないとか、傷口を拡げたくないといった自己保身が底流にあるように思う。しかし、外界から遮断されたところでなにをいくら書こうが、それは文学とは看做されない。
エントロピーが最大値になれば、もはやどのような変化も起こらなくなる、それを避けるために、精神は常に動きを、動揺を、搖れを、振れを冀求する。振れとは場の変改であって、精神はその変改を余儀なくさせる。変改を哲学するこころと受け取っていただいて問題ない。ここで強調しておきたいのは精神とは一刻の休みなく揺れ動いているものだということである。
心にとって外界は唯一の栄養の補給路である。書くことが目的になっては本末顛倒である。なぜ書かなければならないのか、なにを書くのかが反芻されなければならない。そして反芻の原資もまた外界にしかない。「二切れを頂戴した」と書いたのはその消息を示唆している。人生に過剰な変化を意図してもたらすところに大事があり、その過剰な変化を意図して翳めるところに文学があるのではないだろうか。
いつも飲んだくれるばかりで、肴を除いて食にさしたる興味はない。 従って、ファミレスというところに足を踏み入れたことがほとんどなかった。
日曜日の夜はまなさんの連れ添いに案内されてサイゼリヤへ行った。あまりの安さに愕かされ、そして値のわりには旨いと思った。もっとも、私はビールをジョッキで二杯と白ワイン500㎖をデキャンタで注文、食の方はつまみを摂っただけである。ワインはよく撰ばれている。トレッビアーノを思わせる味わいだが、おそらくオスコのテーブルワインだと思う。店内は若いひとで満席、彼等の旺盛な食欲を横目に、不思議な経験をさせられた。どう不思議だったかは別の機会に書く。
ここで書きたいのはまなさんの連れ添いのことである。ラリーが好きとかで、滅法車に詳しい青年だった。発動機のはなしに終始したが、青年特有の刷り込みがない。刷り込みは言い換えればこだわりになる。好悪を超えて各メーカーのエンジンの特質をじつに正確に捉えている。そして改造にかんしても、ホイールのインチアップやトルクが抜ける太いマフラーには見向きもしない。要するに、風俗としての改造には興味を示さないのである。彼の車は1Jのエンジンを積んでいるが、サスペンションとショックアブソーバを換装したと言う。まったく正しい改造法である。
ですぺらでお客さん同士がどのようなはなしをしようが私が関与すべきことではない。ただ、はなしを私に振るのだけはやめていただきたい。ショットバーなので、ウィスキーの質問には誠意お答えするが、書物のタイトルや著者名の無機質な羅列に応じる気はまったくない。好き嫌い、良い悪い、名訳悪訳、文章の巧拙等々を無機質と言っている、それらは文学とはなんの関わりもないからである。言い換えれば、風俗としての文学にはいささかの興味もないのである。
まなさんの連れ添いは「おおむろ」さんと言う。福島の出身というから大室と表記するのだと思う。浩然の気というか、屈託ない彼の顔つきは清しい。良い酒と酔いに恵まれたことに感謝したい。
硬貨は用意しているが、札は三万円分の釣銭しか準備していない。この一年間はそれで間に合っていたそうである。ところが、二日は千円、二千円の勘定で、七名のお客さんから万札を出された。近隣の協力を得て対応したが、協力が得られなければ七万円分の札を用意しなければならない。そのような余裕はですぺらにはない。困ったものである。
困りついでに、モルトウィスキーの加水について一言。
加水によって香りが増すとの風評がある。あれはまったくのデタラメだと私は思っている。スペイサイドの一部に加水によって香りが変化するウィスキーがある。ただし、あくまで変化であって増すわけではない。それどころか、同割であっても香りのベクトルは十分の一に減少する。氷であれ水であれ、加えることによってウィスキーは水っぽくなるだけである。
スペイサイドのフルボディ、例えばマッカランやストラスアイラならともかく、アイラモルトはライトボディである。とくにアードベッグやカリラは水で割ると屁のようなウィスキーになってしまう。それがいいといわれれば反論はしない、ただ、ウィスキーが可哀相だと思う。
モルトウィスキーの特徴は個性の強さにある。その個性をなぜに薄めるのか、理解に苦しむところである。わざわざ淡めて飲むのなら、日本のウィスキーやカナディアンもしくはバーボンのような雑穀で造るウィスキーの方が向いている。
体調がよろしくない時はアルコール度数の低い酒を飲めばよい。モルトウィスキーの水割りと人生の水割りはあとに悔恨を遺すだけである。
まなさんのご協力を得て、モルト・ウィスキー百四十本を撤収。先月撤収した分と併せて、二百二十本がバックバーから消えました。次回の十日には次の二百本を撤収する予定です。まなさんの他にも、大室さんや松本さんのお世話になっています、ありがとうございます。
今夜は不動産会社との打ち合わせのため、開店は七時過ぎになります。
海馬車(とどぐるま)の検索で来られた方がいて管理人と大笑いした。私の徒名がとど、とどが乗る車という以外に意味はない。検索されてもですぺら掲示板へ戻ってくるだけである。
ところで、香辛料で訪なわれる方がすこぶる多い。従って香辛料の頁を充実させようと思っているが、もっかのところ暇はない。香辛料の検索は私もなんどか試みたが、コピペばかりでおよそ役に立たない。ウエブサイトにも著作権を確立させないと検索の労、無駄骨が常態化してしまう。
ラフロイグのクオーターカスクは先行品とサントリー扱いでは香味が異なることが分かった。先行品がやんちゃで、サントリーのそれは温厚にして美味。軍配は先行品にあがった。
インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグは結局十本購入した。当分は大丈夫である。アベイヒルのラフロイグがエイコーンのキルブライトに匹敵するなら、また購入資金が必要になる。
アベイヒル社からいささか下種なラフロイグがボトリングされます。2000年蒸留、2006年瓶詰、57.5度のシングルカスクです。
品性悪しく獰猛、素行の不良なウィスキーの典型です。若いだけあって樽の影響が少なく、パワフルな味わいが堪能できます。当然、冷却濾過は施されず、添加物も一切使われていません。
樽の影響が及んでいないウィスキーを素顔のウィスキーといいますが、これはひとにあっても大切なことで、形振りは時としてもしくは場に即応して捨て去らねばなりません。刷り込みを却け、幼心に戻って懼れを抱いて相対する。それがウィスキーの翻ってはバーにおけるもっとも大切な所作でなかったかと思うのです。
アベイヒル社はスコットランド・アバディーンに本拠を構えるボトラー、キングスバリー社の関連会社と言われています。過去数回に渡りボウモアのシングルカスクを角瓶でリリースしています。そちらはあまり感心しなかったのですが、今回は期待できます。頒価は七千四百円の予定。
会費が会費ですから、九日は十名ちょっとしかいらっしゃらないと思います。それを意図しての値付けでした。次の店のお客さんに繋げる意味もございます。
上條さんにカウンターの中をお願いしました。カウンターにはもう一名必要ですが、まだあてはありません。ホールと受付はりきさんと松友さんにお願いしようと思っていました。最後になりましたが、お気遣いありがとうございます。
九日の会、料理や飲み物を運ぶお手伝い程度ならできるとおもいます。ただ当日は仕事なので少し遅くなります。
昨夜も松本さんの世話になった。有り金をはたいてモルト・ウィスキーを買ってしまい、実は帰りのガソリン代がなかったのである。戦艦大和の心意気で、最悪の場合は始発電車で帰るつもりだった。
トラックの運転手をしていたため、手持ちのガソリン・カードは宇佐見のみ。安いかわりに、都心部では滅茶不便である。松本さんが五桁のワインを飲まれたので無事に帰宅、もっか泥酔状態にある。
松本さんが飲まれたのがドメーヌ・ニエロ・エ・パンションのコンドリューである。これで在庫はルイ・メテロのムスカデ・キュベ・ワンとジャック・ルムニシェのサン・ペレのみになった。
横須賀さんがですぺらへいらした時、数あるモンラッシェのなかでフォンテーヌ・ガニャールの86、87、89年を蔵していることに愕いていらしたのを思い出す。たしか松本さんはバタールを飲まれたと記憶するが、そのバタールはシャサーニュ共々、各十本ずつ神戸から持ってきた。松本さんが飲まれた一本を除いて、他の在庫はすべて銀座の酒屋と内幸町のホテルに売価のままで引き取られて行った。いささか悔しい気もするのだが、東京のお客さんにワインのプロはひとりもいなかった。銘柄を理解してもヴィンテージまで解する客に恵まれなかったのである。次の店ではワインと日本酒と焼酎は置くのをやめようと思っている。
ここまで書いて寐てしまったようである。昨日、某酒屋で赤坂のですぺらさんでしょうと訊かれた。雑誌で見たとかで、ウィスキー・ワールドの読者層の厚さを知った。次の店の準備をかねて今日もこれから酒屋を覗くつもり。
閉店が決まったので、書きたいことを書いている。キルケゴールの人生行路かボヤキの人生航路か、そんなことは一向に構わない。相方という重しがなくなったがゆえの魚説法(舌鋒)である。
ですぺらは引き裂かれていた。チョイスを楽しまれる客と自称文化好きのふたつのグループに分離されていたように思う。分離どころか乖離していたようにすら思う。その結合点がモルトウィスキーであった筈なのだが、まったく機能しなかった。
プロの書き手はごく少数を除いて、モルトウィスキーに興味を持たれ深入りなさった。問題は芸能レポーターのような意見を書物に対して抱いているアマチュアの方々である。昔は文壇雀と言っていたが、それを私は新時代に相応しく舌禍の一群と名付けた。僅か四、五人にすぎないが、喧しいばかりで中身はなにもない。第一に本なんぞ、なにも読んでいないではないか。素人衆のなかで一頭地を抜くからと言って、なんぼのもんじゃいと言いたくなる。
編集者はコミケにも出入りしているし、これというブログにも目を光らせている。全国区の雑誌から原稿依頼がないのは書く内容の陳腐さを証明している。そして、なにも書かないひとはなにも読んでいないに等しい。前項で記したように、文学コンプレックスに陥るのは本人の勝手だが、人前でマスを掻き浅薄な知識を排泄するなど愚の骨頂である。恥じを知れと言いたくなる。
明石の店には教師から警察官、ライダーから空手家、中年のアベックから女子大生、独逸文学者、英文学者、俳人、歌人、詩人、書家、絵描きとじつに多彩なひとびとが集っていた。そして話題は常に酒と魚介類を中心とする肴だった。バーというものは、店主が単数であれば引き裂かれるようなことなどあってはならない。ところが、赤坂では放逸無慚な為体であった。
一ッ木通りの店はこのままで押し通す。しかし、同じ轍は踏むまい。況して次の店はキャパシティが半分になる。我(が)にとらわれない「偏食家」でない方のみご来店いただきたいと冀求している。
七日以降、サービスの低下を鑑みてテーブルチャージは付けないできた。しかし一箇月の粗利が二万円では私は霞を喰うしかない。モルトウィスキーの値を二割引にしているので、テーブルチャージを復活してもさしたる問題は生じないと思う。
当店はもともとチャージを五百円とお通しを五百円の合わせて千円を頂戴してきた。私がよく行く新宿の店は千五百円から三千五百円をテーブルチャージとして徴収している。ちなみに、もっとも安い千五百円にお通しはつかない。お通しは別料金になっている。それを私は安いと思っている。
バーは喫茶店ではないしコミュニティでもない。あくまで私的にチョイスを愉しむためのものである。子供の偏食ではあるまいに、何々しか飲まないというのは自ら味覚の幅を狭めている。なんでもいいと言うのも困りものである。酒の味が分からないひとに文学のなにが分かるというのか、甚だしく疑問に思っている。(以下略)
明日から前述のテーブルチャージを復活する。残日は寡なく、例外は設けない。ご理解のほど、どうかよろしくお願い致します。
ラフロイグのクオーターカスクが先行販売されたときの値は7000円を越えていた。やがて、4980円で推移するが、サントリー扱いの正規品は3480円になった。この間の香味の違いを私は確認していない。具体的に言うと、ジャパン・イン・ポートやスリー・リバー扱いのクオーターカスクは飲んでいるが、サントリーのそれはまだ飲んでいないのである。
従って、最初に入荷したクオーターカスクとサントリー扱いのクオーターカスクの両方を店へ持ち込んだ。売値はどちらも700円にする。舌と鼻に自信のある方のチャレンジを待つ。
先日、見知らぬひとが来店。女性のひとり客は珍しくないが、紹介者がどなたなのか分からない。例え常連さんであろうと、名前を覚える気がまったくない。そちらも相方にすべてを委ねていた。
客に限らない、友人や連れ添いの名前を忘れることもしばしばである。はじめての公演を催してくださった「さくら」の馬場さんの名前も忘れていた。相方にしてからが、西明石の開店前に大掃除を手伝ってもらっている。その後も何度かmoonさんと連れ立ってきているのだが、いざ二人きりになると名前が思い出せない。それはひどすぎると叱られたが、思い出せないものは仕方がない。実はモルト会のメンバーの名前すら覚えていないのである。
その逆もあって、二人目の連れ添いは興奮すると決まってひとの名を叫びつづける。当然男の名前である。どういう関係だったかは知るよしもないが、私はただ面白がって聴いている。
その彼が私であろうが、私がその彼であろうが、そのような瑣末なことはどうでもよい。たかが名前である。そのようなことよりも、エクスタシーの場にあって、かかる弁証法的ないしは倒錯的言葉が飛び交う彼女の知的回路に深く興味があった。
支払いと振込を済ませて今月は二万円ちょっとの粗利が出た。久しぶりに酒屋へ走り、インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグを二本と独逸麦酒を十三本仕入れた。そしてつぶ貝である。
麦酒は定番のビットブルガーとサルバトーレ、それと黒麦酒のエルディンガー・ヴァイスの三種。プヒプヒさんを意識しての仕入れである。
それとマニア向けに英国のヴィンテージ麦酒トーマス・ハーディの90年と91年を入手した。麦酒史上最高価格を誇るプレミアムビールで、飲み頃である。
ですぺらがひとりバーになったのが七日、昨日で四週目に入った。情緒にいくぶんの安定が見受けられるが、肉体は逆で、疲れは頂点に達している。捨て置けば新宿へ籠って酒浸りになる。それを踏みとどまらせているのがですぺらとそのお客さんである。
過日、愛子さんとカウンターへ入っていて、すれ違うたびに私の腹が触れると言われた。この三週間、体重は減り続けている。とりわけ、洋袴のベルトの留位置は急速に変化している。にもかかわらず触れるのは、よほど腹が突き出ていたものと思われる。
そこで思い出したのが出臍のことである。私の出臍は単なる出臍ではない。開放感に浸ると薫香ゆたかな屁を放るときがある。放屁と包皮についてはかつて書いたので繰り返さない。しかし、出臍については失念していた。
昔、種村さんと赴いた岡山の温泉地で屁をこいた。先生は臍のあまりもの巨大さに目を丸くしていた、そこまではよかったのだが、あまりに見詰めるものだから臍がサービス精神を発揮し、ついに湯のなかでぷくぷく、ぶくぶくと媚態を演じてしまったのである。ヘーゼルナッツや完熟林檎、香草を食むような膨よかな香り、竹の根がけぶれるような繊細な趣は先ほどしこたま飲んだ御前酒の吟醸香が昇天したものと思われた。
出臍は多くの逸話を抱えている。しかし、昨夜レイハルさんから十八禁は控えるようにとの要請があった。従って、ここから先は裏掲示板へ場を移す。
「もしかしたらあの日こそが絶望に出逢った日だったのかもしれない」と愛子さんが書かれていたが、なにを隠そう、あの絶望はかの出臍との不意の会遇にあった。
相手がなんぴとであれ、またそれが義務であれ権利であれ、なにごとによらず強いるのはよろしくない。力関係を無力にしなければ個は成立しない。力関係を無力にするとは集団や類型の拒否である。そして、書き物は個のはかなごとであって、結社や同人に属するひとは文学とはついに無縁である。
すぐれた表現者は個として存立するが、そのファンクラブが結社や同人を構成する。言い換えれば、寺銭を払って創始者の権威や権力におもねているだけである。そのような有象無象を相手にする時間は同じ結社もしくは同人の他、なんぴとにも与えられていない。
個の成立がみずからの意見や考えを披陳することだと思うなら、とんでもない思い違いをしている。
披陳にあっては常に意見が意見としての体をなさず、考えが考えとしての纏まりを欠く。店での経験なのだが、彼等が披陳する知識にはもっとも大事な読み解くという行為が含まれていない。「私も若い頃はずいぶんと本を読んだものだが」との言葉に示唆されるように、読書家の多くは一季半季の徒である。
披陳でことが片づくのなら著すとの行為はなにを意味するのか、ちょいと考えれば済むことである。
幹郎さんはそのあたりの消息を文学コンプレックスと名付けている。そして、私は精神分析医ではない、強い情緒的反応を押しつけられても傍迷惑なだけである。ですぺらの勘定にはそれに該当するサービス料は加算されていない。困ったちゃんにはご退場いただくしかない。
繰り返す。書物やその意味内容は著すものであって、喋るものではない。書くとの行為のなかには反芻があるが、お喋りは無責任な排泄でしかない。この消息は活字とウエブサイトの関係と類似する。
駄洒落なら知らず、思いつきで喋るひとは無知曚昧に過ぎない。そして、お喋りとは思いつきでしかない。さらに、読み散乱した書冊から得た知識の断片を肴にしようとするなら、それは酒への冒涜になる。とは言え、お喋りほど安酒を飲む。文学という我(が)にとらわれた意識が他の知識(この場合は酒)をないがしろにする。前述の「無知」とはこのことである。
読書はある日とつぜんにはじまり、そして突然に打ち切られる。従って、知識はどこまで行こうが生半可なものである。それを整理整頓するためにひとは文章を綴る、さらなる混乱が待ち受けているのを知らずに。
他方、乱れはひとつのバランスであり、ひとは不必要なものに囲まれて生きている。必要なものなど、どこにもないと言ったほうが実体に近い。
ひとは新陳代謝であり、存在することになんらの意味も意義もないと、掲示板で書き継いできた。恋愛とか子育てなどは仮装ないしは仮想の最たるものであろう。
舞踊にためという言葉があるが、こころに思うことと書き表すまでの距離がこの「ため」に相当する。披陳は論外として、著すためには思案しなければならない。その時間差、謂わば「ため」の内側から畏れが湧いてくる。
書けば書くほどに、書き込めば書き込むほどに、先達への畏れは助長され深化し、傷口は拡げられてゆく。要するに、力関係と畏れとはまったくの別物なのである。
畏れはつねに相対するひとの智力に向けられている。智力とははたらきであり行為であって、静止したものではない。然様ならば、みずからも揺れ動いていなければ畏れを抱くことはかなわない。畏れを解さないひとは文学とはついに無縁である。プロの書き手と対峙するときは命懸けでなければならない。
で、プロとアマとのあいだに境界線は存在しない。しかし、その見極めの目をあなたは既に持っている。この場合のあなたとはTさんである。ですぺらにはTさんが多く、匿名性が高いので便利である。沈思黙考の若者とでも言っておこうか。
先日、久しぶりにそのTさんがやってきた。沙石集に「ヨシナキ世間ノ文字ヨミテ、妄慮ヲマサムヨリハ、同ハ経巻ヲミルベシ」とあるが、意味する「真実の言葉」すら私は信じられないで困惑している。
さて、これで繰言になったかしら。
幹郎さんから繰言を書けば物数奇が現れるかも、とのご教示を得た。「蓼食ふ虫は不物好きの謗となれり」の意であって、言い出したのはホワイエのマスターである。
先日高遠さんと入れ違いにその佐山さんが来店。一考はちょい悪ではなく大悪(おおわる)であって、正真の不良である。そのような男には必ずやコアな物好きが現れるものである。逃げられたからと言って落ち込む要はない、連れ添いはすぐに見つかる、との声援を残して立ち去った。この手の励ましは嘘であっても嬉しいもので、ひとをその気にさせるから不思議である。
泣き言や甘言で女を釣っては沽券にかかわるなどと言っているあいだは未熟で、五十路を超えるとと見境がなくなるらしい。もっとも、私にはのっけから分別の持ち合わせがない。従って、物心がついてから地上ことごとくの女性が眷顧の対象になっている。自信があるわけではない、自信喪失がもたらす博愛なのである。犬も歩けばなんとやらを想定していただきたい。
ただし、なにごとにも例外はあるもので、私でなくっちゃあといった「私」に憑かれたひとだけはご遠慮いただいている。その理由は連れ添いになる当方にも「私」を拵えることが強いられるからである。
とまあ、こんなことを書いているあいだは誰からも相手にされないのは必定、幹郎さんの忠告を受け容れるのが重宝というものである。しかし、肝腎の泣き言の書き方が私には判らない。私はマゾヒストなので螺子を巻かれるのは好きなのだが、どこがしどけなくだらけているのかは、いまもって見当すらつかない。判然としないものを書き綴るのは至難である。そして、ぼやきは笑いを誘うが愚痴は同情を強いる。この「強いる」との文言が気に入らない。
昨夜はありがとうございました。無事にモルト会を終了できました、みなさまのご協力の賜物です。松本さんには後片付から車への積み込みまで万般のお世話になりました、深く感謝します。
初回が二〇〇一年十一月でしたから五年半になります。昨年からはじめた蒸留所別のモルト会までは五千円という破格値で続けました。東京で横行する数万円のモルト会に対する造反のつもりではじめたのですが、松本さんとふたりきりの時が何度かあったように記憶します。
彼はもと川崎のオートバイのデザイナーで、西明石のですぺらで催していた地酒試飲会へ出席なさったのが最初でなかったかと思います。もともと下戸だったはずなのですが、最近ではワインを二本、ぺろりと飲み干していらっしゃいます。
昨夜ご参加の九名さまは次のですぺらオープニングの前夜祭に招待させていただきます。もっとも、店が無事に開店できればのはなしですが。
二十四日の書き込みについて誤解が生じたようです。千秋楽は六月九日の十九時から二十三時です。いつものようにワインとビールも用意しますが、一部のモルト・ウィスキーも供します。
「モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語」と書いたのは、新しいですぺらの商品構成についてのご意見を三十分ほど伺いたいと思ったまでで、別に九日である必要はございません。またの機会に致しましょう。
このところ、私の肉体が悲鳴を上げはじめました。従って、なにがあろうとも二十三時で打ち切らせていただきます。ご協力のほど、よろしくお願い致します。
本来は冬のものだが、いま銚子でびんちょうが大量に水揚げされている。モルト会で使えないものか交渉したところ、朝指定された時間に起きられるかどうかに論点は移行した。思案中である。
モルト会は九名のご参加を得た。忝なく思います。生鮪にさらに色を付けたいと狙っているものがあります。ご期待ください。
びんちょうの交渉途次、閉店までに一度料理らしいものを作りたくなった。ひとりでかなう筈もないのだが、五人前ならなんとかなるのではないかと自分に言い聞かせようとする、悪い癖である。
矢川澄子さんから依頼があって懐石のまねごとをしてから何年経ったろうか。あの時は百三十枚の皿を家から搬んだ。地震を掻い潜ってきた食器なので揃ってはいない。しかし、全国の窯元を巡った記憶の染みついた食器である。「単なる蒐集にさしたる意味のあろう筈がなく、つまるところ蒐集は手段にすぎぬ。要はそれらの物を通して養う眼であり、ものそのものへの見方乃至接し方であろう。蒐集された物の価値によってではなく、その物を選んだこと自体が、取りも直さず己が立場の闡明になる、かかる蒐集を心掛けたいものである」とどこかで書いた。基本はいまも同じである。
土曜日のモルト会の解説がさきほど出来上ったが、ローモンド・スティルについて調べていて下記サイトを知った。ウィスキーファンはぜひ訪ねていただきたい。
http://www.ballantines.ne.jp/enjoy/inatomi/index.html
ところで、同じ赤坂のみすじ通りで六坪の店が見付かった。これから条件の交渉がはじまるので、予断は許されないが、六月中には契約をまとめたいと思っている。改装に二、三箇月は掛かるので、うまく話がまとまった場合でも、八月末の開店になると予想される。その間は生活のために、おそらく東京を離れることになる。私にできる仕事は運転手しかないからである。
ですぺらをデザインしていただいた建築家の西郷さんと話し合っているが、次の店舗もですぺらの雰囲気を踏襲したものになる。六坪だとバックバーの格納能力は最大七百本ほどになる。とりあえず、五百本の新規モルト・ウィスキーを拙宅から運び入れ、完全に専門店化したいと思う。
そのこともあって、昨夜から食欲が湧いてきた。ひできさんに留守番を頼みサンドウィッチを買いに走った。
ですぺらの千秋楽ですが、時間は十九時から二十三時までにさせていただきます。
九日は店主ひとりですので午前中からの仕込みになります。私が倒れてしまっては催しそのものが成り立ちません。また遠くからご参加のモルトファンもいらっしゃいます。そこで暫しの休息を得て、十二時以降はこの七年間に通過していった約二千種類のモルト・ウィスキーの総括をしたいのです。従って、モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語になります。それが私にとっては最大の関心事で、六十を超えるボトラーに対する覆蔵のない意見をお聞かせいただきたく思います。短時間で済ませますので、ご協力のほどよろしくお願い致します。
週末のですぺらモルト会でテイスティング予定のグレンロッシー '80(ブラックアダー)が売り切れてしまいました。従ってインタートレード社のグレンロッシー '79に差し替えます。オーク・カスクの18年もの、43度のフル・ボディで、ディスティラリー・エディションと比してより長くクリーミーなフィニッシュが特徴です。
インタートレード社のオーナーはナディ・フィオリ。イタリア・リミニ市の酒商にして同国のインデペンデント・ボトラーの先駆け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社は樽ごとに飲み頃を見極めた上でボトリングを行う。従ってコンディションは頗るよろしく、サマローリ社同様、檻が多いのが特徴となっている。
なお、モルト会へのご参加は二名増えてもっか四名です。
本日は不動産会社との打ち合わせがあり、店へ出るのが六時四十分になります。悪しからず。
毎回メールでご案内を差し上げてきたのですが、そのアドレスが分かりません。
従って、こちらでの書き込みのみになります。
木村さんと樋川さんがご参加いただけるそうです。
参加希望の方がいらっしゃいましたら、メールでも電話でも結構ですからご連絡ください。
アドレスと電話番号はホームページに記載しています。
六月九日を一応の千秋楽にしたいと思います。楽日にはモルト・ウィスキーを提供しますので、会費は八千円。飲まれない方は三千円に致します。この日は私は厨房に籠りっきりになると思います。従って、受付とカウンターを引き受けてくださる有志を募りたく思います。どうかよろしくお願い致します。
一応と書いたのは複雑な心境で、西明石のですぺらでは「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」をモットーにしていました。従って「当店は酒は提供しますが話題は一切提供致しません。他者の生き方に何等の興味なく、況や人生訓など聴きたくもないのです。会話、談話の悉くを拒否させて頂きます。巷の叫喚ならびに喧噪の店内持ち込みを禁じます」との貼り紙をしていました。
赤坂におけるですぺらはモルト・ウィスキーの専門店でした。それ故、モルトとお通しのみの営業は可能なかぎり続けたいと思っています。安価なウィスキーは置きません。拙宅から秘蔵のウィスキーを供出します。最後の一週間はモルト・ウィスキーの話題だけでですぺらを填めたいと思っているのです。それが私のですぺらへの唯一の御礼であり別れの辞なのです。
昨夜、お手伝いしていただいた方の具合が悪くなった。久しぶりの立ち仕事が理由だと思う。世田谷は不案内のため、車で送り届けるに際しずいぶんと時間が掛かった。済まないことをしました。
帰りに近所を走ってみた。かつて豪徳寺にはWさん、経堂にはTさん、羽根木にはNさん、松原にはIさん、下北沢にはKさん、宮坂にはSさん、赤堤にはYさんが住んでいた。東松原の寿司屋でよく待ち合わせて酒を飲んだ、互いの家を往き来もした。とりわけ、豪徳寺と赤堤には繁く泊まり込んだ。しかし、徒歩と車では風景が異なる、なにひとつ確認することはかなわなかった。機会があれば昼間にでも出掛けてみようかと思う。帰路、環七の豊玉を左へ入り道に迷った、この道は何度も迷っている。
ところで、フードは在庫を売り切って冷凍庫を空にしないといけない。それは分かっているのだが、四、五人を超えるお客さんになると現実には作られない。乾きものと中華饅頭やウインナのように温めるだけのものは問題ない。その他ではピーマン炒めやチャーハンのように五分以内にできるものは別にして、揚げ物、炒めもの、焼き物は手を離せない。その間、二十分はカウンターが無人になる。出し巻きやオムレツ、烏賊焼きは既に寡多録から外したが、お好み焼きもひとりだけのときにしていただきたい。ただし、三日前に注文をお聞きして前日に作り置きできるものなら五月中に限って応じます。以上、わがままを申して恐縮ですが、ご協力をお願い致したく思います。
本日はひできさん主宰のシャンパンパーティーです。三鞭酒はもっか拙宅にて急速冷蔵中です。
オードブルのひとつ、雪花菜はより淡泊な味付けを施し、食感を考慮して具材を工夫してみました。久しぶりの自信作です。
季節柄、苺ソースを作りたかったのですが、こちらは夕方の仕入れ次第になります。
昨夜はちょっとした贅沢をしました。上記の具材購入の途次、露西亞産の大きなつぶ貝を見付けたのです。このところ自宅へ帰るに気が重く、なにかしら妙案はないかと思っていました。好物の刺身があれば、刺身を作らなければならないとしたら、少しは足取りも軽くなるのではないかと考えたのです。
ごったがえした卓子の隅に穴が開きました。室内を海風がよぎり、海藻の香がほのかに漂います。微かなヨード臭とわずかな苦み、斜里で、網走で、紋別で、さらには浜頓別で知った「Briny」な匂いです。小さな穴の向こうにオホーツクが拡がります。いまの私にはそこまでで充分です。
アボリジニーは意識され経験される時間とは別に夢見という時間の概念を持ちます。穏やかな日のオホーツクの微波、清漣な塩味、韃靼を渡っていった夢見鳥、それらが待ち焦がれ、恋いこがれた私の夢そのものでなかったか。
5月26日(土)の夕7時から10時にかけて最後のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円、オードブルは簡略に済ませます。ウィスキーのメニューは以下のごとし。
詳しい解説は当日お渡し致します。
参加ご希望の方は事前にお知らせ下さい。今回は飛び込み参加は不可能です。
店主も飲みますので、一応貸し切りということでお願い致します。
ですぺらモルト会(スペイサイドを飲む 第三回)
01 アベラワー '90(ブラックアダー)
ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61度のカスク・ストレングス。限定283本のシングル・カスク。
02 シングルトン10年(DB)
43度の旧ディスティラリー・ボトル。
03 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)
ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本にして22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
04 グレンアラヒ '85(シグナトリー)
オーク樽による11年もの、43度。3樽、872本の限定品。
05 グレンキース '76(ジェームズ・マッカーサー)
スコッチ・ウィスキー500周年記念ボトル。22年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
06 グレンファークラス '88(メーラー・ベッセ)
フレンチ・シェリー・バットの46度。熟成期間は記されていないが、12〜3年もの。
07 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
08 グレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
09 グレンロッシー '80(ブラックアダー)
オーク・カスクの16年もの、64.5度のカスク・ストレングス。160本のリミテッド・エディション。
10 ストラスアイラ '72(ゴードン&マクファイル)
22年もの、61.8度のカスク・ストレングス。4樽のリミテッド・エディション。
11 ストラスミル '85(シグナトリー)
オーク樽による12年もの、43度、限定503本のシングル・カスク。
12 リンクウッド25年(ゴードン&マクファイル)
40度。
参考品 モストウィー '75(ゴードン&マクファイル)
18年もの、40度。
ですぺら
東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂3F
03-3584-4566
「思い出はぜんぶ、記憶の中だけに留めておくのが好きなのよ」は鈎括弧で閉じられているように私の言葉ではありません。過日読んだ小説からの盗用です。
たしか、四年前に一年経てば彼女の死について掲示板で語り合ってくださいと書きました。そして掲示板を閉鎖しました。その後書き込みはございません。
あの日、来店なさったのはあなたのみ。それを忘却と言わずになんといえばよろしいのでしょうか。彼女の死の直後の掲示板の惨状を舌禍の一群と言わずしてなんと例えればよろしいのでしょうか。
忘却への献杯はあなたに向けられたものではありません。忘れ去ることを受容した不特定多数に対する皮肉を籠めての献杯です。あなたが憎悪を込めるのと同様、私にとってはアイロニーに充ちた杯だとおもっています。
私の気質のようなものが皆目伝わっていないことを悲しく思います。
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