困ったことが起きてしまった。左手のしびれについては何度か書いてきたが、今日定食屋でみそ汁をこぼしてしまった。セーター、ズボン、パッチ、パンツとすべてびっしょりと濡れてしまった。いつかこのような事態が来るのではないかと思っていたが、案の定である。店員が気に病んでくださったが、申し訳ないのはこちらである。その内、茶碗や丼椀も落とすに違いない。
月曜日はオークションの発送日なのだが、今週中にあるいは今月中に振り込みますと悠長な方もいらして微笑ましく思う。人々都合がいろいろあって、思うように処理していただければ構わない。ただ、無音に過ぎるのは困る。それといまひとつ困惑しているのが評価である。このようなことで他者を評価するのは釈然としない。納得はいかないものの、それが自然の流れなら逆らうのに抵抗が生じる。わたしは事情のいかんを問わず、機械的に「非常によい」を繰り返している。
わたしは業者ではないし、その金数が入らなければ明日首を縊るといった塩梅でもない。どだい金券であって、都合の付く人が都合しておればよい、と思ってこれまで生きてきた。いまは借りるばかりだが、昔は金を貸してそのままになった例も多くある。それも経験と割り切らなければ、出版なんぞやって来られなかった。帳尻は死ぬときに合えばよいのである。
その発送だが、事務員から今日は叱られてしまった。彼女の労働時間が過ぎているのは分かっていたが、締め切りぎりぎりになっての持ち込みが多い。そこへ私がサイクルパーツを山と持ち込むのだから、どうにもならない。こんな日にデートの約束でもあれば腹が立つだろうに、といらぬ気を回す。
ヤフーからオークションの手数料が知らされたが、五万円を超えている。いかに儲かる商いかがよく分かった。濡れ手で粟とはこのことか。