昨夜は客がなかった。なかったのかどうか本当のところは分からない。終日カウンターで眠っていたからである。最近、ちはらさんに起こされることが多くなった。いつもカウンターに顎をのせて眠っている。どうやら過眠症が常態化してきたようである。尿毒症が理由なのだが、困った症状である。
尿毒症は拒食症と活力の低下をもたらす。また、遅発性症状として知力減少と昏睡を含む、とウィキペディアに書かれている。さらに、血液(エリスロポエチンの低下)、性器(テストステロン/エストロゲンの低下)および骨格(骨粗鬆症、転移性石灰沈着)など多くの身体組織の機能障害を惹き起こす、とある。異なるサイトでは、尿毒性物質の貯留によると思われる神経精神異常が認められる、眠気から意識障害や精神症状まで程度も症状もさまざま、と書かれている。
わたしは最近まで、ものを考えるのは頭脳だと思っていたが、思索を巡らすのは腎臓だと知った。ひとつの内臓(普通はふたつ付いている)がここまで響影しあっているとは驚きだった。
自覚症状は頭痛ならぬ鈍痛である。とにかく頭が重い、斬首したくなるような重さである。おそらく、効果がはっきりしない活性炭を主治医が薦めた理由はそこにある。先日は車を運転していて危険を覚え道端に停車、一眠りした。慢性腎不全の患者は疲れがひどいので車を繁く利用するが、ますますもって危険がいっぱい、危険思想や危険人物とは違った危うさを内包している。
前述のサイトでわたしが感心させられたのは、猫ほどの個体差を人は持たないという点にある。おそらく、頭がよいなどと自惚ているのは地上では人間のみ。自晦であれ自衒であれ、世は自分を中心に回っている。思うに、頭がよいとは、他の知への畏怖もしくは未知なるアプローチへの懼れであった筈なのだが、時代と共に変わってきたようである。今日では、未知なるアプローチすなわち発想の自在さは個人の好みの差で片付けられてしまう。巷では口角泡を飛ばすことがなくなってきたが、泡を飛ばす必要がないほどに、みなさん確固たる自己にお目覚めのようである。どうやら、わたしの場合は朽ちたる木をば雕るべからずであろうか。