昨夜は奥平晃一さんを囲む会だった。総勢五名、郡さんと共に間奈美子さんがいらした。未生響の筆名を持つ詩人である。彼女とは古い付き合いである。94年2月のはなしだが、彼女が主宰する「二月のタルホとメリエスの月世界旅行」との催しが大阪であった。梅木さんが踊るというので、わたしも出掛けた。なにやら挨拶をした記憶はあるのだが、なにを喋ったかは覚えていない。席に生田の奥方がいらしたので昔話をし梅田駅までお送りしたのはよく覚えているのだが。
間さんはそれ以前に明石の拙宅へ見えられている。たしか彼女が第一詩集を上梓したときだと思う。この辺りの記憶が薄らいでいて申し訳なく思う。きっと生意気なことを云ったのだろう。にもかかわらず、彼女はわたしを記憶なさっていたようである。現在ではアトリエ空中線との特異なインディペンデント・プレスを営んでおられる。聞くところによると近く京都へ戻られるとか。なにひとつご協力できなかったのを残念に思い、申し訳なく思っている。
奥平さんの会は昔話に花が咲き、楽しい晤語を過ごした。かかる飲み会ならいつでも大歓迎なのだが、わたしの体調は最悪だった。背中がぴりぴりする、これはブラックアウトの予兆である。愛子さんが手伝ってくださったので、なんとか無事に切り抜けることができた。愛子さんがわたしの愛人は孫の手だと云うが、その孫の手を握りしめたまま、店を閉めてから二時間ほど動かれなかった。食べられなくなり食欲は急速になくなりつつある。それに比例して覇気も失せつつある。家の片づけはさっぱり進捗しない。ベランダに荷物は積みっぱなしである。しかし、体調はそれを待ってくれない。兎にも角にも寝ること、それ以外にできることはなさそうである。