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首相の辞職を知って残念に思う、これで日本沈没が遠ざかる。小泉、安倍と続いた戦後レジームからの脱却が意味するものは戦後民主主義教育の否定だったが、それは進歩主義思想の表明ではなく、アンシャン・レジームを懐かしむ情動の表明だった。
維新以降のアンシャン・レジームの結果が一九四五年のそれであったとすれば、安倍が冀求し体現しようとしたのは消滅への詠嘆であり、ハメルーンの笛吹きそのものだった。ヴィスコンティを持ち出すまでもなく、保守とはそのようなものであり、革命的大衆を拒否してやまないものである。支配階級の圧力に抗して個を守るために自律性を取り戻すのが大衆の責務である筈なのだが、それに夢を抱けない者は小泉や安倍を支持するしか手立てが残されていない。繰り返す、日本沈没が遠ざかって口惜しく思う。是は残念閔子騫。
新しいですぺらにはデスクトップのパソコンを置く場所がない。そこでノートブックを探している。ウィンドウズなら借り物があるのだが、マックでなければ店の資料が開けられない。用途はワープロのみなので、CPUの速度は問わない。要は旧式を望んでいる。どなたか安価なノートブックをお頒けいただけないだろうか。
諸経費節減のため、新聞は打ち切った。それ故、Kさんがたまに持参なさる東京新聞に目を通すのみである。その東京新聞の俳句月評へ宗田安正さんが書いておられる。
一九八〇年代に始った俳句大衆化は、江里昭彦によれば九〇年代に「情緒安定産業としての俳句」に変質した・・・
いずれにしても、大衆化を起点に、俳句は表現する俳句から享受する俳句、癒し合いの俳句になる。新しい表現運動はなくなり、総合誌も結社誌も数は殖えたが主張がなく、みな等しなみになってゆく。こうした状況ではかつてのように俳句をリードした総合誌の成立のしようはなく、大衆の要望に応えて俳句上達法の講座まがいの記事と、きまった俳人たちのお手本的作品の展示場になりがち。
俳句を文芸に置き換えてなんの不具合もなく、宗田さんらしい気配りの行き届いた文章である。以下は宗田さんが著されたエッセイに託つけての私の身勝手なおしゃべりである。
大衆が先天的に決定能力や統制力を欠き、非合理的、情動的な存在であって愚民とほぼ同義語として解釈されていた時代ならことは単純だった。大衆に選民意識を抱かせるのがファシズムやナチズムの常套手段であって、みな等しなみに選ばれた少数者との意識を抱いて世はうまく収まっていた。
ところで、選民意識を持たない大衆というものは考えにくい。言い換えれば、大衆という意識を持った個に私はお目に掛かったことがほとんどないのである。平等がもたらす自信について前項で書いたが、個と大衆との概念をひとは器用に遣い分けている。それをいいとも悪いとも思わないが、ただ、過剰なまでの自信や選民意識には疑問を呈したくなる。
マジョリティがさらなるマジョリティに対していかに苛酷になるかは歴史が証明している。マイノリティとマジョリティは常に入れ子構造になってい、決して対立概念にはなり得ない。この「なり」への偏見や差別と同種の情動が大衆を支え、さらには自律的組織に結集するエネルギーの源泉ともなっている。それは大衆が内包する負の部分である。
ネットの発達によって、大衆は等しなみに表現者としての選民意識を持つに至った。大衆意識、言い換えれば「孤独な群衆」意識を持たないのが大衆の大衆たる所以であって、大衆は公衆と峻別されなければならないが、ここでミルズとマルクスの大衆の意味づけの違いを論じる気はまったくない。ただ、マルクス以降、大衆を没個性的で受動的な操作の対象として捉えるのは不可能になった。
わが国に限らないが、文芸はヒエラルヒー的に秩序づけられて維持、発展してきた。その職能的な序列を棚に上げての短歌、連歌、俳句など、私にとっては笑止千万である。かつて与謝野晶子や日夏耿之介は文芸を大衆の手に取り戻そうとして血塗れになった。そしていま大事は、大衆という意識を持った個に文芸を戻すことにある。
俳句が癒し合いの俳句になって構わないと私は思う。それで俳句が自滅へと至るのであれば、それは俳句の責任であって大衆の責任ではない。大衆は歴史を創造する主体者そのものである。大衆を愚民視する危険をこそひとは慎重に避けなければならない。
車の運転技術を注意されて怒るひとがいる、怒らないまでも大概のひとは不機嫌になる。その理由が解らなかったのだが、段位のなさがその理由だと気付かされた。
水を撒いた路面やアイスバーンでのスピン、高速道路でのパンク、砂利道でのパニックブレーキ、高速で峠を駆け抜けるためのアクセルとブレーキを同時に踏む技術や後輪を滑らせるドリフト走法等々、プロドライバーからいまなお様々な技術を学びつづけている。
事故を起こしたときは免許は返上するのが当たり前、それでなくても車は兇器である。だからこそ自分が乗る車の性能、すなわち走る、曲がる、止まるの限界点を熟知しなければならない。免許証は単に車に乗っても構わないとの許可証であって、運転技術に対する免許ではない。その消息は文学であろうが人生であろうが同じである。文学の免許証は各種文学賞に相当するのだろうが、受賞は作家を名宣っても構わないとの許可証であって、文章技術や作法や内容に関する免許ではない。 なにを試みてもひとは終生素人、不機嫌になっている暇などないと思う。
段位が客観的だとは思わないし必要だとも思わない。しかし、基準がないと平等となり、平等であればこそみな等しなみに自信を持つに至る。この自信がひとを狂わせる。たれがしの文章が結構だとか、なにがしの翻訳が旨いとかいうはなしを聞かされるが一度として納得したことはない。むしろ意見を異にするばかりである。
「抽象性」で「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。と書いた。
いまなお学びつづけているのは運転技術にとどまらない。そしてその手法は種村さんから文学を教わったのと同一のものである。もし不機嫌や不快感をあとに残したとしたら、間違いなく種村さんと殺し合いになっていた。
一箇月遅れになりましたが、二十七日から三十日の四日間に酒瓶やグラスをはじめとする備品の搬入と店内の飾り付けを済ませ、十月一日から四日までをオープニングに当てようと思っています。
今回は搬出組ならぬ搬入組のお手が必要になります。運搬・開梱・駐禁対策等々、どうかよろしくお願い致します。搬出の時と異なり、一気にすべてを処理する必要がないのがせめてもの救いです。あれもない、これもないでのオープニングになります。当初の一週間はごたつくのが必至、みなさまのご協力をお願い致します。なお、七日の日曜日に旧ですぺら搬出組の慰労会を催す予定。
以上は現状での希望的観測です。異動があればその都度、掲示板へ記載します。
先週でコンクリートの研摩は済み、日曜日に壁面の半分を占めるブロック部分の研摩が終了。畢えたのはいいが、左足首の筋肉痛で動かれなくなった。車かスクーターなら左脚が不自由でも運転に差し支えないのだが、オートバイは到底無理。解決策はひとつ、拙宅から車を陸送するしかない。手伝ってくださった方がレンタカーとか病院行とかを口にした瞬間、私は殻に閉じ籠もった。非常時に至ると私はひとりでの解決策をのみ摸索する。結論はひとつ、道端へ寝そべって朝を待つのみ。痛みへの対応策は時間を稼ぐしかないのである。たいした病気ではないが激痛を伴う痔、腰痛、結石などの持病持ちのため、コスパノンからハイミナール、各種座薬などが拙宅には揃っている。医者では間に合わない種類の薬が家には山積みなのである。それやこれやで、今日は拙宅でおとなしくしている。手術の際、麻酔が醒めたあと痛みがつづくのは二十四時間、筋肉痛であれなんであれ消息は同じである。痛み止めを大量投与したので明日の夜には間違いなく癒る。
夕刻、西郷さんがですぺらへ電気屋さんを伴っていらした。オープニングは十月になるが、フードなしの試飲会なら九月中になんとか間に合わせたいとのこと、嬉しい報せである。早速ひろさんと呑む約束を取り付けた。
フードで思い出したが、過日、Tさんと奥秩父へ出掛けた。次の店では油が使えないので、茶漬けや蕎麦の実の雑炊などを考えている、その仕入れ先探訪だった。他では、小麦粉にしん粉を入れるとチジミ粉になるが、じん粉を入れてなにか作られないかと思案している。蕎麦粉にじん粉でも結構、大阪のイカ焼きとは正反対の食味になる。また、赤城饂飩もぜひ使ってみたい食材である。
携帯電話の番号を取り敢えずマイミクのみなさんに案内した。さっそくムーンさんから連絡があったそうだが、移動中は電話は取られない。そしてディスクグラインダーの使用中はなにも聞こえない。携帯が通じるのはどうやら自宅だけのようである。これでは携える意味がない、困ったものである。
高遠弘美さんもお書きだが、装訂で統一すべきと思っている。理由は書かない、調べていただければ分かる。諸橋によれば、装丁、装幀、装釘では書物にならないのである。装訂にこだわり続けたのは書肆季節社の政田岑生(きしお)さんのみ。湯川成一さんと共に戦後の名伯楽のひとりにして、私が敬愛する編輯三人衆の一人である。編輯者、装訂家、蔵書家、書誌学者がひと続きになっている人をのみ私は信用する。
一考さま
お詫びなどと、とんでもないことです。あのやうにお書きくださつて、なるほどと得心いたしました。
いつでも、何なりとお書き込みを賜りたく存じます。
ときに、本掲示板の今回の一考さんの記事ですが、深謀遠慮にたけたさすがの一考さんの筆づかひだと、実は感心してをります。わたくしの推測、当たらずとも遠からずではないかと。
お言葉を賜わり、恐縮致しております。
趣向書に記されたように、紙型取りによる鉛版印刷や清刷からフィルムを起こした写真製版でなく、鉛字による直接排印であるところに「玻璃」の真面目がございます。活版印刷を全うした、あのような襍誌は主宰者の死とともに滅びるべく運命づけられたものと心得ます。それ故の、愛するが故の固辞でした。
それはよろしいのですが、あなたのブログで不要なことを書いてしまったようです。「竹尾や小林の見本帖から用紙や皮革を選ぶのが装訂なら私は装訂家などご免被ります。同様に、かような装訂家にすべてを委ねるのが編輯者の仕事なら編輯者などご免被りたいのです」との箇所ですが、いつも一言多いようです。一言居士ならぬ放言居士で、あとさき踏まえないところに私の性分があるように思われます。その性が多くの敵を拵えてきました。当掲示板でのみ発言しておればよいものを、相済まぬことを致しました。お詫び申し上げます。
一考さま。
「玻璃」三冊が関川左木夫の作品だといふお言葉、心打たれて拝読しました。さう、まさに作品といふほかありませぬ。「玻璃」が関川氏の死去で中絶し、第四巻が思つてもみなかつたであらう関川氏自身の追悼号になつたことを知つて驚きましたが、そのあとを継ぐやうに打診されたのが一考さんだといふことを知り、ますますこの雑誌が貴重なものになりました。お書きの雑誌、いくつかは名のみ、あとは無知蒙昧なるわたくしとして初めて目にするものでした。ゆつくりそんな四方山話をお聞かせ下されば幸ひです。十月にお目にかかるのを鶴首して待つてをります。
おっきーさんと昨夜赤坂で酒を酌み交わす。コンクリートの研摩が夕四時までしかできないので、待ち合わせの時間まで三時間ほどを赤坂亭で過ごす。その後「かさね」を訪ねたくなり、料理無用との無礼を承知で、ビールと酒を飲ませていただく。店には申し訳なかったが、颱風でキャンセルが出たとかで飛び込みが許される。遅く淳久堂のTさんも合流、河岸を替えての痛飲。もっともがぶ飲みしていたのは私だけかも。
帰りは強風で埼京線が不通、狼狽える私を山の手線から京浜東北線の赤羽へ、そしてタクシーで戸田公園駅へとTさんは送り届けてくださった。何時も車を利用するので電車は不案内である、加えるに泥酔状態である。申し訳なかったと反省している。
今日は半年ぶりの宿酔で研摩作業はお休み、明日からの三日間で仕上げなければならない。ケレン作業に使うサンダーとブロワを見付けてきた。ケレン用はワイヤーブラシと異なり、飛散物が身体に刺さらない。ブロワはですぺらだからと言ってレオン・ブロワの著書ではない、吸塵に用いるハンドブロワである。これで少しは捗りそうである。
高遠さんが関川左木夫さんが主宰して発行した文藝雑誌「玻璃」について著されている。「聖盃、假面、鈴蘭、東邦芸術、サバト、游牧記、戯苑、半仙戯、豊葦原、開花草紙、ドノゴ・トンカ、文藝汎論、汎天苑、婆羅門、表象、古酒から関川左木夫さんの玻璃に到るまで、思いつくままに挙げてみても、ハイブロウな雑誌がよくもまあ、あれほど刊行されたものよと、いまにして驚く。幾多のすぐれた詩人を集めた日夏耿之介のカリスマ性にも駭魄させられる」とかつてですぺら掲示板でも触れた。奇特な人はいつの世にもいらっしゃる、忝ないことである。
戯ると書いてそぼると読む。好きな言葉なのだが遣った記憶がない。存在それ自体がそぼれているので、なにをいまさらの感がある。
そしていま戯(たわむ)れているのは煙草である。先だって書いたパイプを探し出したとき、紙巻き用のパイプが二本出てきた。十代、二十代前半の頃はパイプを用いていたのだが、Sさんから似合わないよと言われて止めた。他方、人文書院元編集長の谷さんは一貫してパイプ煙草を燻らせていた。彼が似合って私がなぜ似合わないのか、Sさんからその理由は聞かずじまいになった。頸動脈瘤の予兆が私にあったのかと思う。
家ではパイプ葉を嗜んでいる。最近はボルクムリーフのオリジナル・ウルトラ・ライトをベースにブレンドを楽しんでいる。ただ、車中でパイプは吸われない。また、出先で癖のある煙草は気おくれする。そこでゴールデンバットを専らにしている。紙巻き用パイプの出番である。
ゴールデンバットは沖縄産のラム酒を用いていると人づてに聞いた。真偽のほどは分からないが、ラム酒特有の甘味はほとんど感じられない。沖縄のバイオレットにもラム酒が用いられているのだろうか。
若い頃はオリンピアや獨逸のゲルベゾルテが好きだった。あの種の土耳古葉はまったく見掛けなくなった。似た香りのパイプ葉があればご教示いただけないだろうか。
一月余、友人の携帯電話を使っていた。ひとに言わせると携帯電話には個人情報が入っているので、全幅の信頼がなければ貸し出せないらしい。しかし、知られて困るような秘密を持つひとが世の中にいるのだろうか。思惑や着想もしくは肉体関係や性癖などがそれにあたるらしいが、そのような月並なことを隠す必要はどこにもない。
新しい店の段取りが遅れているので、管理会社、建築士、工務店、大工、鉄工所との連絡に携帯電話が必要になり、自前で持つことにした。ネットには繋がないし、メールも送らない受け取らない、あくまで電話機能だけを使う。取り敢えず、上記以外では三人の管理人に番号を連絡した。連絡に際し、ソフトバンクとの名称が覚えられず、ソープランドの携帯電話と説明して失笑を買っている。
旧店同様、ですぺらの内装は鉄板とコンクリートの打ちっ放しにする予定、従ってコンクリートの表面の研摩にもっか励んでいる。拙宅からディスクグラインダー、コンクリートサンダー、スクレッパーなどを搬び、夕四時まで頭から靴先まで真っ白になっている。鼻孔や喉は粉塵で真っ黒である。管理人から健康に留意せよと言われたが、老い先は短い。じん粉、新粉、メリケン粉、蕎麦粉の類いと思えばどうと言うこともない。
そして通勤には小型バイクを用いている。近隣の買い物は原付スクーターだが、共に二十年を越える旧車のため、元手を掛けて修復した。ドレン、キャブレター、プラグ、レクチファイアー、ブレーキシュー、ブレーキワイヤー、チューブ、ブレーキ液、オイル、バッテリーと思いのほか大金を必要とした。他ではヘルメットとリアボックス、それと原付の買い物籠を前部にも追加した。しかし、四輪の駐車料金と比べれば安いものである。
今夕はひどく雨が降った。濡れぬ先こそ露をも厭えで、雨中を走る快感はバイク乗りにしか分からない。小型とは申せ、久しぶりのライダー気分を満喫している。
某誌から連載の依頼があって神保町まで出掛けた。断わりにくいひとの紹介だったもので、直接会いに行ったのである。そして店舗と自宅の保証人の依頼にT書店へ店主を訪ねた。久しぶりの古書店であり、ガタリ、フーコー、ドゥルーズ、ベケットの訳書を数冊購入した。今の私が興味を抱くのはそうした面倒かつ不親切、もしくは「極めて乱暴で荒々しい」書冊ばかりである。従って、前述の書物談義のような原稿依頼に応じられないのである。この場を借りてお詫びしておく。
さて、ですぺらの新しい店舗である。来週月曜日夕刻に契約、火曜日早朝からスケルトンにもどす工事がはじまる。遅れていた理由はバックバーの造作を仕切ってくださる鉄工所が見付からなかったからである。こちらは戸田市内の鉄工所三十余軒を訪ね歩かされた。内装がはじまればクーラーや作業台などの備品を集めなければならない。この手のリサイクルショップはすでに大略見回ってい、実は明石焼きの鍋を購入済みである。ただ、五連装の大型なので店では用いられない。一鍋もしくは二鍋用のガス台が必要になる。開店には間に合わないが、いずれ明石焼きはメニューに加えたいと思っている。
開店日時はまだ分からないが、動きはじめたことをご報告まで。
煙草銭が食費を超えてしまった。そこで津原さんの意見を採り入れてパイプ煙草に切り換えた。十代の頃に使っていたパイプを探し出して利用、コンパニオンは某書店のKさんからのプレゼントになる。しかし四十年ぶりなので手持ちの知識が古すぎて役に立たない。従って葉も津原さんにご教示いただき、ボルクムリーフのモルトウィスキーを入手した。入手であって購ったのでない、こちらもKさんからの贈り物である。
バーボンウィスキーの薔薇の花の香やヴァージニアやバーレー葉の軽いバニラ香は望むところだが、メープルシロップ、砂糖水、ラム、蜂蜜等の甘味成分の強いフレーバードやスウィートアロマの類いは昔から好みでない。約七十種類のパイプ煙草の勉強がこれからはじまる。問題は販売店で、池袋の東武か赤羽もしくは高田馬場の煙草店まで赴かなければならない。成増が近いのだが、そちらにはチェリーやチョコレート等の甘味成分の強いものしか置いてなかった。さきほどバイクで出掛けたのだが、ニューヨーク五番街で有名な「ナットシャーマン」のシガレットの他、買い物はなかった。
パイプ煙草は口腔喫煙だが、私は紙巻き同様すべてを肺へ吸い込む。従って、一回の葉の使用量が少ない。それ故、ボウルの高さを低くしたスクワットベントのようなパイプが欲しくなった。店が落ち着けばオークションで中古品を探そうと思っている。
葉は枯葉でありひとは枯骨である、共に火をつけると灰になる。煙草の存在は乾き切った諸行無常を示唆している。そして諸行無常は消滅への詠嘆であってはならない。「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別し、無常の構造をより精緻に理論的に考察しなければならない。パイプへの考察といえば、ボズウェルやモルナアルを思い浮かべる。モルナアルはオー・ヘンリーにも似た辛口の作家である。そして私などは鈴木善太郎の「暗示」を連想する。しかし、そうしたはなしは若いひとに譲るとしよう、私の歳になると煙にむせるのが関の山である。
このところ足繁く荒川河川敷へ行く。拙宅のすぐ横が彩湖で、道満グリーンパークが隣接する。そして四日は戸田橋の花火大会。かつてA子さんは戸田の花火が好きだったが、開催が土曜日なので私は行かれなかった。戸田へ転居後八年を経てはじめて「涙しとしとちりかかる」「銀と緑の孔雀玉」の饗宴のなかに身を置いた。Kさんから預かっている自転車の籠にビールを積んでのひとりぼっちの宴だった。
煙火の業界用語でいう「座り」や「盆」はともかく、「消え口」の良くない花火が私のたっての好みである。すべての星が吹き消すようにふっと消え去ってしまうのは勘弁願いたい、「パッとしだれてちりかかる」余韻が堪えられないのである。「線香花火の一本の燃え方には、「序破急」があり「起承転結」があり、詩があり音楽がある」と著したのは寺田寅彦だが、その波のごとき呼吸が花火の魅力だと思っている。
週末から来週にかけてはペルセウス座流星群が出現のピークを迎える。自転車の活躍がまだ続く。
松友さんから問い合わせのあったですぺら新店だが、丸一箇月遅れの進陟に手を焼いている。明日夕契約のために赤坂と西麻布へ出掛けるが、開店が九月にずれ込むのは必至。これからは困窮生活に陥る。
持ち帰った酒の整理が済んだ。そして、次の店では常備しない種類の酒の処理を来客にお願いしている。要するに飲んでいただいているのだが、私は喪中につき相変わらず日本酒を嗜んでいる。
このところ、立ち替り入れ替り若いひとが拙宅を訪れてくださる。若いひとのご意見は私にとって貴重である。先達ても川津さんが来られ、バッハの「すべては神とともにあり、神なきものは無し」を頂戴した。ヨハン・アントン・ミリウスの12節の詩に付曲せしもので、二〇〇五年の初録音と教わった。日本酒とバッハの相性が良いとは田村隆一さんの発見だが、なるほど安酒にそれなりの奥行きと深みを生じさせるから不思議である。
六日夕には津原さんがいらっしゃる。彼との歓語を望まれる方は埼京線の戸田公園駅までお越しあれ、事前にご連絡いただければ小生が出迎えに参上いたします。
金曜日に比呂さん、日曜日にりきさんと土屋さんの訪いあり。比呂さんとは終電を乗り過ごしての酒盛りとなった。この日、比呂さんの来訪に間に合わせるべく彼の友人が早朝から拙宅の大掃除にチャレンジしてくださった。七年余にわたって敷きっぱなしの電気カーペットの除去にはじまり、夜の七時には拭き清められた畳のうえに薄縁が敷かれた。なにがどこへどのように片付けられたかは定かでなくなったが、藺草の匂いはその喪失感を補ってあまりある。明日のために生きているのではないと知りつつも、明日の身辺の急激な変化をひとは厭う。その保守性は一種の動脈硬化であり悪性腫瘍ですらある。生活習慣病なら油断大敵身の用心に如くはない。そのご友人にはいくら感謝しても言葉が追いつかない、いっそこのまま最期を看取っていただきたいような心持ちである。穏やかな死を指して畳の上で死ぬと言う、それを察してか、比呂さんが座しての第一声は「畳が見える」であった。
りきさんと土屋さんに来ていただいたのは、五月初頭にはじまる深痛切実なる問題の解決をはからんとの考えからであった。余計な世話と知りつつも六月に入ってから掲示板で書きつづけてきた案件でもある。肝胆を披いての話し合いは難事を容易に解きほぐす。小一時間で要点は解明され、りきさんはお好み焼きを頬張り、土屋さんと私はシェリー酒を傾ける。昼過ぎから終電までの大層な長話となった。脳軟化症を患い、食欲の権化と化すのが厭がらせの年齢だが、私の場合は食のかわりの酒であろうか、いずれにせよ食らひ倒れの落花狼藉であるに違いはない。諄いはなしに相槌を打たれた両氏に感謝する。懊悩悔恨すべしと思い、月曜日は閉店後はじめて酒を断った。
掲示板心得の一は、ひとを励ますのが目的のときは酷い書き込みをし、そうでないときは誰のことを書いているのか分からなくなるように修辞を施す、にある。いまから書くことがどちらに相当するのかは書きはじめてみないと分からない。
個々のひとの厚志に縋って露命を繋いできた。従って、個々のひとに感謝こそすれ、恨みつらみはなにもない。それ故、店で文学のはなしだけは振らないでいただきたいと再三にわたって表明してきた。その理由は「謝意」で書いた「私には表向きと内向きとのあいだに垣根がない。常に基本的な方針や原則を擬えて生きてきた」にある。そしてその原理原則とは「閉店サービス」で書いた「書き物は個のはかなごと」であり、「断碑」で書いた「ひとは新陳代謝であり、存在することになんらの意味も意義もない」である。あとは悉くが重語法であって、「ひとを啓蒙する識見や智力を持ち合わせない」と書いたのは事実である。
啓蒙を論争に置き換えても消息は同じである。早いはなしが持ち合わせは私にとっての率先事項のみで、他の事項にはなんの興味も抱かれないのである。要するに、意を違えるひと、旧慣温存を了とするひと、言い換えれば存在することや文章を著すことに意味や意義を見出そうとするひととは極力話したくないのである。
繰り返すが、属性についてならともかく、現象や風俗としての文学にはいささかの興味もない。そしてなにが現象や風俗に相当するのかについては散々書き散らかしてきた。私のなかにあって文学は混看すべからざるものとして聳ってある。
「冷蔵庫に入れきれなかった日本酒を」飲み干し、もっか冷蔵庫に収納した日本酒を片端から片づけている。二十四日からの十日間でビール二ケースと五本の一升瓶が空になり、残りは二本、そのあとは焼酎が控えている。さらに無用になったウィスキーが数十本鎮座している。肴は冷凍庫二本分あって、こちらも到底食べ尽くせる量ではない。飲んでは寝、起きては酒を繰り返す夏休みに、うれしい悲鳴をあげている。「ご苦労だった」(?!)搬出組のみなさんをお誘いしようかと思っている。
ですぺら掲示板を全部読んだという二人目の奇特なひとが現れた。乞われるがままに註釈を加えているが、すでに六日を数える。曖昧なものに対するはなし、目に見えないメタフィジックな話はとりわけ私の好むところである。酒を飲みながら、ひたすら喋りつづけている。
一昨日はそのひとに車を西麻布まで回送していただき、久しぶりにスーパースタジオを訪ねた。過日ツール・ドゥ・フランスを上梓してくださった斎藤さんが営むデザイン会社で、読売時代からの付き合いである。ですぺら赤坂店をコーディネートしてくださった方でもあり、不本意な結果に終わったことを謝りに行ったのである。
千駄ヶ谷で活鱧の湯引きと鰯、鮎などを馳走になりながら、営業方針の拙さを語り合った。モルト・ウィスキーを輝かせようと思うのなら食べ物は置くべきではなかった。なによりも食べながら飲めば、酒の香味はまったく分からなくなる。酒通は飲んでいる横で食されるのを一番嫌がる。二番目に嫌がるのが横でのお喋りである等々、痛いところをさんざん突かれた。モルト・ウィスキーは庶民が飲む酒ではない、コニャックのアーリーランテッド同様、超高級なものなのであって、しかるべき演出がなされなかったことが最大の敗因である。あれでは食堂かダイニングバーかショットバーかの判断がつかない。そもそも、モルト・ウィスキーを飲んでいる傍でチューハイを出したりお好み焼きを出すなど、なにを考えているのかと叱責された。
言われるまでもなく、こころを傷めてきたことばかりである。それが理由でやる気をなくし、パソコンにしがみつくことになってしまった。相方が腹を立てたのも私の職場放棄に理由の過多があった。「みすじ通りの新規出店が間違いなく最後の機会になる、こころせよ」とのありがたいお言葉に返す言葉もなく悄悄と帰路についた。
しばらくお休みにするつもりが、淡路から小包が着いた。中身は佐野港の高田水産のちりめん、送り主は陶芸家の太田守さん。当地ではちりめん漁の解禁は四月下旬、いまが最盛期である。地元のひとが撰んだだけあって、すばらしく美味。塩味と苦み、天日干し由来のそこはかとなく漂う甘味、縮緬山椒のために仕入れたときの各地のちりめんを軽く凌駕している。なによりも、かくまで小形のちりめんがあろうかと思われるほど小さく、かつ大きさが揃えられている。さっそく箱ごと凍結した。
ちりめんの入荷にともなって京都から生山椒を取り寄せなければならない。五里霧中の新店舗のお通しはこれで決まった。生きていてよかったと思える贈り物である。太田さん、ありがとうございました。
新店舗はいまなお交渉中、どうなるかは私にも判りません。事情があってしばらく掲示板はお休みします。ご連絡はホームページからメールでどうぞ。
庭先にまで積み上げられた荷物を前に途方に暮れるばかり、そして暮れているのはわが風采であると認識させられる写真でございます。その質の悪い写真を撮られたおっきーさんの音頭取りで二十三日(土曜日)は十名の夜逃げの予行演習希望者が殺到、感謝の念で一杯です。
本日はですぺら解体の日、トラックに積みきれない荷物を運ぶために戸田と赤坂を三往復致しました。工事は八時から十七時まで休みなく続けられ、ですぺらは完全に消滅致しました。
今週は老体に鞭打っての一週間となりました。入浴の時間はおろか、食事の時間すら取られず、腓返りを一夜に二度も繰り返しました。二十三日の深夜、大室さんと食べた肉饅頭が丸二日ぶりの食事でした。
彼等はいつも笑いを手土産に訪れてくださる。昨夜も「一考さん、そこから先は言わなくていいです」で笑い転げた。どうやら私の駄洒落の構造を読み解かれてしまったようである。同居人もしくは連れ添いにこんなひとはどうだろうかとの私の相談に、まなさんは真顔で「うちの若造くんは譲りませんよ」ここでまた爆笑となる。一家団欒とは縁なき私ゆえ、彼等は余人に代え難い友となっている。
書類上でのですぺら消滅は二十七日の夕刻、それまではまなさんが言う「冷蔵庫に入れきれなかった日本酒を」飲み続けようと思っている。
ですぺらコミュニティでケケさんが短歌を書かれている。こちらこそありがとうございました。
撮影できなかった方、すみません ありがとうございました...
お手伝い頂いた方々...「ご苦労だった」 (店主?!)。
御無沙汰しております。松友です。
もしかしたら此方での営業中にお伺いするのは難しいかもしれませんけれど。現況、御約束申し上げております23日(土)14:00~はお伺いする方向で日々奮闘中です。
まずは短信ながら御連絡まで。
明日の最終日はひとりでも多くの方と話したいので、フードは本日で打ち切らせていただきます。明日はスモークを五人前ほど用意致します。その他にも若干の用意がございますが、注文には応じません。悪しからず。
松友さん、23日の夜はぜひ手伝ってくださいな。
23日中に荷物のあらかたを搬出しなければならなくなった。22日の閉店後、24日の朝まで私は徹夜することになってしまった。搬出に伴って店の前に車を置かなければならない。私が荷物を運ぶ間、車に乗っていてくださる方が必要になる。免許証はいらない、ただ乗っているだけでよいのである。その間のアンパンとジュースは馳走する。時間は何時でも結構、ご協力を仰ぎたい。
「書物を読んで得るものなど、決定が各人にゆだねられている主観的確率を一歩も出るものでない。読書家はその蓋然性に賭けるしかないのである」を再度引用する。
文章を著すときにはそのプロバビリティーを逆算することになる。逆算とはいっても、主観的確率に平均値などあろうはずがない。それどころか、個々の読み手の能力の隔たりには想像を絶するものがある。
その辺りの消息を分かり易くいえば、一般という形での読者など想定しようがない、である。多数がなにを考えているか知り得ようはずがないのだから、不特定多数の読み手を想い描かれないのは当然の結果である。
従って、書き手は特定の読者を想定する。あのひとならどのように解釈してくれるだろうか、の類いである。私が文章を著すときに想定する読み手の半数は既に亡くなられている。そして、故人であろうがなかろうが、親しくなければ相手の「思考の脈絡」は窺い知られない。相手の思考回路が分からなければ、基準値の算定はかなわない。
さらに言えば、私が書く文章はことごとくが、特定の個人を意識して書かれている。そして意識の対象は読み手としての個人であって、その個人のことを必ずしも書いているのではない。文章の意味内容が個に拘泥するのを私は好まない。抽象性を加味しないと、アナロジーが有効に働かないからである。
以上は詰らない書き込みである。しかし、このような形での読書論なら五十枚ぐらいは易い、どなたか新機軸の読書論をお書きいただけないだろうか。
複数のメールを頂戴した。
掲示板の字句の修正は繁く行っている。理由は「アドリブ」へ書いた。
存在は暫定的なものであり、人生は「仮に」という副詞に厚く蔽われている。
よって、字句が修正されるのは当たり前だと思っている。
字句の修正と修正主義とがどのような関わり合いを持つのか私には皆目わかりませんが、修正主義の概念規定はあくまでも相対的なものでしかありえないと心得ています。
さらなるご意見があれば、掲示板へどうぞ。
ですぺらの営業日は今日と明日の二日になった。
店は暇なのだが、この一週間、毎夜酒のはなしができたのは嬉しい。 閉店間際になってやっとショットバーの雰囲気を取り戻したようである。
連日、掲示板できつい書き込みを繰り返したが、あそこまで書かねばならなかったことを悲しく思う。私はコレクターではないし、愛書家でも蔵書家でも読書家でもない。書物は大事だが、それは自らの「思考の脈絡」を確認し、新たなディメンションを摸索するための道具としてである。結果について論議するのは望むところだが、こんな道具を持っている、あんな道具を持っているとの不調法なはなしに加わる心ぐみはまったくなかった。
書物を酒や烟草に託してのアナロジーに充ちたはなしならどなたであろうが参加できる。そうした言葉のゲームや屈折した会話を楽しむ術は心得ている。しかし、ストレートな生(なま)なはなしは偏狭なショーヴィニスムやジンゴイズムを生む。
かつて「オブセッション」で「会話や共感の共有の好例は中世の一味神水に求められる。行動を同じくするひとたちは、お互いのこころの結びつきを確認し合わなければならない。同じ釜の飯を喰うとか、婚礼の三三九度、または献杯や返杯などの喫飯から掛け声や手締めのようなセレモニーに至るまで、集団としての紐帯を強める儀式の材料には事欠かない。しかし、そこには部外者を『劣った者』と見る差別観や強者の奢りがちらついている。儀式の裏面には常にパターナリズムが巣くっているのである」と書いた。パターナリズムに属するものは例え相手が愛書家であろうが蔵書家であろうが読書家であろうが、明白に私が闘わねばならない敵だと思っている。
追記
上戸下戸に差別を設けるつもりはまったくない。そして下戸であろうとも店への貢献はできる。金を使おうと思えばいかようにも可能である。私が嫌なのはですぺらが談話室として扱われることにある。それは上記パターナリズムと重なり合う。
このような直截な書き込みを除いて、ですぺら掲示板は行き当たりばったりに書かれてはいない。「その配列、構成によって自分だけにわかっている思考の脈絡の一斑を示」そうと努力している。これまでご理解を賜った、それこそ見知らぬ「少数者」に感謝している。
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