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ライダー   一考   

 

 「こんな寒い日にバイクはないでしょう。笹目橋の上でカチンコチンに凍てついて死んじゃうよ」と云われてしまった。伝説の編輯者でなくなって、正真正銘伝説のライダーになるとかで、それも悪くないなと独り言ちた。今年は防寒具を買ったので比してましなのだが、去年は防水処理も施されていない薄い皮ジャン一枚でよくぞ押し通したものだと感心する。たとえ一年にせよ、あの頃は若かったとしか云いようがない。
 合羽を着ていても袖口や襟元から雨が浸入してくる。寒さが冷たさになってちぎれるような痛みに変わってゆく。雨天は無惨である。普段よりも前方に着座位置を変える。ハンドルに力を入れて上体を曲がる側へ突き出すように走る。速度が落ちるのは覚悟のうえで、一段低いギアを使う。それもこれも顛倒を防ぐためである。
 わが家に辿り着いてバイクを降りる、濡れそぼちつつ戸口でしばし彳む。ちぎれるような痛みが冷たさになりやがて寒さが襲ってくる。人であることを、生身であることを取り戻すための儀式のようなものである。合羽を脱いで濡れた体躯をタオルで拭き取る。この拭き取りで手抜きをすると風邪を引くことになる。
 私がなぜバイクに乗るのかは、それがもたらす極度の興奮と緊迫感にある。まるで本を読んだり著すのと同じである。詩であろうが、短歌であろうが、俳句であろうが、日常雑記であろうが、著されるのは著者の思想であり息吹であり個々の肉体の搏動である。形態が変わるからといって著者が変わるわけはない。また立ち位置が変わるわけでもない。表現の対象は自分を除いてどこにもない。そして人は複数の自我を内包する器用さを持たない。例え持ち得たにせよ、その対立項は、より高次の総合概念の契機となる。結果としての個人は直接的、抽象的なものではない。個人はより普遍的で、かつより具体的なもの、具体的普遍だと私は思う。そうとでも思わなければこの濡忍を生きて行かれない。


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2008年12月28日 18:30に投稿された記事のページです。

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