福原のすぐ横、多聞通に上島珈琲があった。木造家屋だったのを昭和三十五年に立て直し、神戸本社ビル(現UCC第1ビル)となった。山本六三さんが珈琲好きで、珈琲豆を買いに日参していた。焙煎はじめ、いかにうるさい注文であっても、店員は快く応じてくださった。
ミルを股で挿み、がりがりと挽くのである。西明石のですぺらには古い鉄製のミルが大小取り混ぜて四、五台飾っていたが、あれは当時のなごりである。とにかく、山本さん共々、珈琲にはこだわりを持っていた。どこの喫茶店へ行こうとも、ブレンドの豆の配分が手に取るように透けて見える。山本さんはブルーマウンテンかキリマンジャロ単品がお気に入りで、漆黒の濡れたような輝きを持つ、深煎りを好んだ。シングルモルトに嵌る素因はすでに当時から醸されていたのである。
そんなことを思い出したのは、先日知己に罐珈琲を出したところ、ブラックしか飲まないのでと断わられたからである。罐珈琲は出来合いであって、大量生産されたものである。微妙な香りなんぞ楽しむためのものではない。わたしもちゃんとした珈琲ならブラックで飲む、しかし罐珈琲なら何でもよいと思っている。運送屋で働いていた頃、職場の自販機に牛乳屋のミルク珈琲というのがあって、冬の早朝それを飲むのを楽しみにしていた。
書物でも同じである。マスプロ出版で拵える本の装訂なんぞ、なんでもよいとわたしは思っている。逆に云えば、綴じ糸に麻が使われていない書物なんぞ糞食らえである。無線綴じや網代綴じの本を手に装訂がどうのこうのというのはまさに笑止。
ああ、云われたばかりなのに、また悪態をついてしまった。