となりの細川スナックで駄弁ってい、店へ戻ると奥のストーブの前に増田秀光さん、明石は寒いとのご挨拶。北海道、東北、北陸、それに沖縄を除くと、北から南まで気温は似たようなもの、なにはともあれウイスキーをと、20本ほどある美酒のなかから選択する。
こちらのですぺらでは文学のはなしは法度だが、相手が増田さんだとその限りにあらず。例によって赤坂のつづきである。いろんな編集者と付き合いがあったが、彼はわたしに肉声を書かせた張本人、言い換えれば、わたしに対する重犯罪人である。彼に出合うまで、知識の切り売りに終始していたわたしを彼は糾弾したのである。彼がいてこそ、はじめてわたしは肉声を語ることができた。そういう希有な出会いは確かにある。馬が合うというのか、合わせていただいたというべきなのか。10枚ほどでよいとの意見を無視してながながと郁乎本の解説を書かせていただいた。編集者すなわち黒子との立場を離れて、毒舌を認めたのである。
某詩人が結婚し、一週間もしないうちに神戸へ舞い戻り、夜な夜な寝床へ男が来る、そのようなことが許されるのでしょうか、との一言に、彼女は間違いなく一級の詩人になると固く信じたこと、生田がばらまいた怪文書の数々、谷さんや六三さんとのこと、谷沢さんや米朝、種さんとの晤語、智満子さんおよびその友人のおっぱいのはなし、往時の鎌倉文士の相関図など、はなしは途切れることなく続けられた。彼は彼で、小夜子さんと名刺交換をし握手もしたと、嬉しそうに話していた。挙げ句は細川で歌を唄おうとママを連れて閉店した店を開けさせる始末。唄うのは十余年ぶり、よって声は出ないしリズムも音程もとられない。でも彼と大声を張り上げるのはなにものにも代えがたい快感だった。
深夜の3時、増田さんは宿へ、わたしはバイクで帰宅、明石は大丈夫だったが、家の近辺では細雪がちらついていた。彼が泊まった明石キャッスルホテルは曰く付きの部屋とやら、どこのホテルにも物置に使っている部屋がある。それを曰く付きと称するのだが、きっと心中があったに違いないとママと二人して冷やかす。次回は幽霊の足が何本あったのか尋ねたいと思っている。
キャッスルホテルは西明石にもあって詰まらないホテルだが、ホテルキャッスルプラザは永瀬さんが利用していたステキなホテルである。彼女と一緒に泊まりたかったのだが。増田さんともはなしたのだが、老いてこそ智満子さんや広政の夢をよく見る。
追記
写真は吉岡さんと大泉さん、撮影は鈴木一民さん。吉岡さん行きつけの渋谷・道玄坂の喫茶店トップの前で。