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玲はる名さんについて   一考   

 

 先日紹介した「愛すべき孤独」の作者は玲はる名、歌人である。紹介文を著した後、玲さんから、あれは一考さん好みの作品ですからと云われた。彼女がどういうつもりで云ったのか定かでないが、私は好き嫌いで作品の判断は下さない。それどころか、どちらかと云えば好きな作品ではない。富永太郎や伊東静雄を想起させるリリシズムがあって、吉田一穂のようなアナロジーに充ちた詩が好きな私には食い足りない。しかし、「愛すべき孤独」一篇は屹立している。過去読んだ彼女のいかなる作品よりも胸中に素直に入ってくる。恋愛という人生最大の自己解体作業の息せき切った思いがみなぎっている。
 いまは閉じられたブログで彼女は「ぼくはいい年齢のくせして未だに胸がしめつけられたり、想うだけで涙が流れてくるような恋ができることは恵まれていると思う。でも、それは苦しみや迷いの連続で、浮き沈みの激しいものだと思う」と書いている。確かに「胸がしめつけられ」る恋をしているのは事実であって、「想うだけで涙が流れてくるような恋」の渦中にあるのは事実なのだが、恋の対象たる対手はどこにいるのだろうかと思う。その相手すなわち他者が私には見えてこないし、浮かび上がってこない。
 ここで述べておくが、私は彼女のことをよくは知らない。いわんやプライヴェートなことなど皆目である。一緒に酒を飲んだのも二度か三度、それもひとと会してである。従って、私のいうところは的がはずれているかもしれない。だからこそ、作品をのみ対象として喋っている。
 玲さんの恋は常に受動であって、完結すらが情念のなかでなされる。言い換えれば、彼女は恋などしていないし、失恋する必要がないのである。いっそ端から恋なんぞなかったとすら云えるのではないだろうか。
 前項で「外界を受容して内面に生まれる作者の情念がひしと伝わってくる」と書いたが、情念の世界にあって外界と内面とはしばしば入れ子構造を形作る。すなわち弁証法的かかわりを有するのである。なれば、外界がみだりな想いであることも重々可能である。「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学」だとみせびらきの詞で書いた。思うに、外界と内面との垣根を苦もなく跳びこえるのも想像力のなせるわざであろうか。私などはかかる恋愛、妄想の対手にされるのは迷惑なこととしか思っていなかったのだが、その妄想が「愛すべき孤独」を作りだす創造的な構成力、想像力の一とするならどうだろうか。ここにはしたたかに計量された玲さんの文学に対する「息せき切った思い」が汪溢している。
 私は引用があまり好きでない。作者は必要とするだけの文字数で自らの情念を綴る。よって作品を截り取るのは書き手に非礼を働くことになる。今回は玲さんの許可を得たので全文を引用する。なお、佐々木幹郎さんが当作品を誉めていらしたことを書き添えておきたい。

愛すべき孤独   玲はる名

日中最高気温16度/最低気温2度。文字化けに記録されたあなたの不機嫌な真昼。アメリカが嫌いなあなたはジーンズを穿かないから、こんなに寒くなってもコットンのパンツで過ごしているはず。強がりではなく弱ければ弱いほど強固になる命の染みが、あなたの全身に犇いているのだろう。ぼくは祈る。ぼくよりも遥かに高潔で賢いあなたが目を見開いて世界を見る意志を持つ日を。知性ではなく、肉体でも、精神でもなく、血汐で詩の一頁を捲る日が来ることを。この祈りがまっすぐに通じるといいな。孤独は愛されてはじめて意味を持つのだろう。身近な例で言えば「エリザベート」。いや、そんな安易な演劇であなたは納得しないかもしれないけれど。ぼくはけしてあなたを癒そうとはしないけれど、だからこそ、せめて、あなたが孤独を愛することができるように。ぼくは祈ろう。零れ落ちる木の実たちが母樹の側で誕生とも死ともつかないはじまりを向かえるように。大地は恵まれてばかりはいない。けれどもそれらはひとつの大地なのだとぼくは思う。その大地が広大で変化の激しいものであったとしても、ひとつの大地であるとぼくが語ったことをあなたは忘れないで欲しい。このひとつの大地に孤独は存在しない。孤独をつくるのはあるいは時間なのだ。ひとひとりが同じココロで同じ時間を歩むことがどれほど困難かをぼくは知っている。生まれてから今日の今日まで、ひとりの人間として確固たる自我であることなどありえないのだ。それは、自己を記録している人間ならばわかる。同様に他人も確固たる自我であることはないとぼくは思う。動いて揺れるものが自我なのではないか。あなたとぼくは同じ精神を持っている。あなたを知ったとき腹違いの双子をみつけたとぼくは思った。固体の精神はやがて崩壊し、無形の精神は常に浮遊し続ける。あなたがどう思うかわからないけれど、ぼくは後者の精神を好む。あなたが再びぼくをみるとき、ぼくはすべてを了解するのではないか。それが、ちょっと怖いけれど。


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2008年12月23日 19:27に投稿された記事のページです。

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