ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0








 【掲示板1.0では、時系列順(旧→新)に記事を表示しています。】


櫻井清彦 | それではオープンです。


当掲示板の暫定管理人こと櫻井清彦です。
それでは掲示板をオープンいたしましょう。
ですぺらのマスター渡邊さんからお酒や書物などの情報、パーティ企画の告知などがあるでしょう。
掲示板が活発になればいいですね。

ところでお店では今のところパソコンがインターネットに繋がっていないので、推測ですが、
マスターの書き込みは営業時間外になると思われます。
緊急の連絡は電話などを使って下さいね。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月03日 16:55 | 固定ページリンク




一考 | 加藤郁乎を囲む会

 加藤郁乎さんの交遊録「新版・後方見聞録」が学研文庫より上梓されました。登場人物は多士済々。当代のル・サンチマンな人々、トンガッてる人々のオンパレード。こしゃこしゃした大衆文芸が跳梁跋扈する世にあって、昨今とんと見掛けられなくなった魂の呻吟、人々の慟哭と搏動を目の当たりに窺うことが出来る名著です。
 有り余る知性と含羞い、言い換えればシャイでイナセな加藤郁乎さんと同書の編輯を担当された増田秀光さんを囲む会を催します。題して「イクヤーノフの遊雅なる花園」。会場が食虫植物や毒花の乱舞になるは必定。日時は10月20日土曜日、午後7時より12時まで。会費は4000円。会場にて署名本を謹呈。多くの御参加を願い上げます。

       ですぺら  渡邉一考
        東京都港区赤坂3丁目18の10 サンエム赤坂ビル3階
        電話03-3584-4566



投稿者: 一考    日時: 2001年10月04日 02:46 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | ごめんなさい


どうも先頭の部分が文字化けしていたようです。すいません。文面は下記の通り。

人を酔わせるほどに魅了する、堅牢美麗なる書物。そんな文学書ばかりを限定版にて上梓していた
書肆、南柯書局の渡邊一考氏といえば、美術品のごとき本造りを続けてきた人物として愛書家には
つとに知られる。その一考氏がバーを開いた。むろん、酒へのこだわり方も尋常ではない。
500種を超えるシングル・モルトをはじめ、厳選された逸品壁面にずらり。重厚な大谷石のカウ
ンターで、まるで洋酒の教科書のようなメニューを眺めつつ、一杯飲る。この酒場にはいい時間が
流れている。(「アルゴ」から)



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月05日 00:33 | 固定ページリンク




やっき(齋藤靖朗) | おめでとうございます

掲示板開設、おめでとうございます。
加藤郁乎さんを囲む会、行くつもりです。よろしくお願いいたします。

ところで、仕事の合間にですぺらの地図を作ってみました(下のリンク)。

http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg

簡単なものなので、まだ改良の余地があるかと思います。
こうしたほうがいい、というご意見などお聞かせいただければ幸いです。



投稿者: やっき(齋藤靖朗)    日時: 2001年10月06日 00:37 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | おめでとうございます

ですぺら掲示板オープン、おめでとうございます。
仕事が忙しくて書くのがおそくなってしまいました。すみません。
来週からは、余裕ができますので、また本の世界に戻ろうとおもいます。

「ヘルメス者」の画家です。どうかよろしく。
いつもおねがいしているモデルさん(ラヴクラフト者で彫刻家)と近いうちに伺う約束をしています。
その際は、よろしくおねがいします。
まずは、この日曜日のホラー対決で。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月06日 10:27 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

齋藤靖朗さんへ、地図をありがとうございます。店のオーペン時に拵えたのですが、その後当方のスキャナーが故障、取り込めなくて困っておりました。 さっそく使わせて頂きます。
よくをいえば、赤坂見附駅は丸の内線と銀座線、赤坂駅は千代田線と路線名を明記。また赤坂駅を赤坂通りと一ツ木通りの角へ、さらに見附駅より「田町通り」「みすじ通り」と記載すれば、さらに便利かと思います。勝手なことを申して恐縮ですが、お願い出来ますれば幸いにぞんじます。
たまに関西からの客人有り、いや関西でなくとも種村季弘さんが30分、加藤郁乎さんに至っては小一時間ですぺらを探索なさったようで恐縮致しております。
あなたのお心遣いに感謝。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月06日 15:24 | 固定ページリンク




一考 | 心配事

中島千裕さんへ。
新たな就職先は見つかったのですか。ご時勢だけにいささか心配しています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月06日 15:35 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 地図できましたか


よかったよかった、ですね。ちゃんとしたのができて。
明日は伺いますので、よろしくお願いします。

「グレダ・ガルポのような酒」飲みたいです。
ううん、どんなお酒なんだろう。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年10月06日 20:59 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 嬉しいです

◆一考さま

ご心配ありがとうございます。
おっしゃるとおり、今、本当に厳しい状況です。
だから、一人で営業するには限界があるので、出版に強いとされている派遣会社に登録して、バイトを紹介してもらっています。
昨日でここ2カ月やっていた仕事の契約は終わったのですが、幸いなことに、派遣元は次のバイトを用意してくれたようです。
カーナビのマニュアルを作る仕事なんですが、自転車乗りで、地理に弱いわたしがやっていいのか? なんて思いました。でも、なんでも経験ですから、喜んでやろうと思います。
先方の都合で始まるまで2週間くらいあいてしまうのですが、この2カ月の激務でぼろぼろなのと、筆者の都合で頓挫していた本の仕事がゾンビのように生き返りまして、とりあえずそっちをやっつけることにしました。
それから、芸能活動しないと!

実は、一考さんにお礼を申し上げなければ、と思っていたのです。
先日、いろいろお話いたしましたよね? すごく楽しかったです。
わたしのことを「表現者なんだから、型(常識的な生き方)にとらわれてはだめだ」って。それから、何か面白いものをつくりなさい、と。期せずして、あのとき話題になっていた人にも同じことをいわれたんですよ。「溢れるものを止めることはない」って。
それで元気になりました。
……そういえば種村先生にも同じようなことを言われたのでした。
絵を続ける為には定期収入が欲しい。だから就職したいなんてがんばってみるんですが、やっぱり、難しいんです。それで世間の垢にまみれているうちに、自分が何をやるために生きてるのか忘れてしまって苦しかったのです。
そういうとき「面白いものつくりなさい」って、思い出させてくれてほんとうにありがとうございます。

あのあと、ぐっとモチベーションがあがって、5枚組の大作を描くことにしました。エスキースができつつあります。この連休にはモデルさんも呼んで、さらに細部を検討するつもりです。
テーマは「音楽」と「対話」で、全体のタイトルは「秘密の花園」。芸(術)をやることはお互いの心にある花園を見せあうこと……そういうコンセプトです。祭壇画のようなレイアウトになっています。上下に細ながーい欄間のような絵をつけて、真ん中に三面鏡のように絵が並びます。
一番下の横に細ながーい画面には画面いっぱいに広がる薔薇の繁みに楽器を持った人、4人が横たわっているのをかかなきゃなんないんですが、あー、誰が描くの、こんな手間かかる絵、って人事みたいに思ってます。
昔の売れっ子の芸術家はこういう手間のかかることはみんな弟子にやらせてたんですよね。うらやましいなあ。売れないヘルメス画家は少しジェラシーです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月06日 23:24 | 固定ページリンク




如月 | 掲示板開設、おめでとうございます。

一考さん、こんにちは。掲示板開設おめでとうございます。RESもよろしくお 願いしますね♪ さて、前週ダウンしていた拙HPおよび掲示板、ようやく回復しました。早速 「後方見聞録」関係の案内してます。(やっきさん、この掲示板にアクセスする 前に貴掲示板にアクセスしたので、情報がダブってしまいました♪) 今度は、この掲示板の案内しないと、、、。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月07日 10:50 | 固定ページリンク




豚式 | デスペラ掲示板開設奉祝


渡邊様ご無沙汰いたしております。
10/20のイクヤーノフ先生を囲む会にコーベブックス版「後方見聞録」を
持って伺おうと思いましたが、残念なことに10/19から小生は台湾に出張
なのです。
定本全句集も持って願わくばサインなどしていただけたら・・・、などと
夢想いたしておりましたが。



投稿者: 豚式    日時: 2001年10月07日 15:01 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | こんにちは

初めまして。加藤郁乎さんを囲む会があるんですね!わ、行きたーい。でも、まだ予定が立ちません。郁乎さんに会うのは何十年(!)ぶりだろう。なお、名前は昔、日本テレビで郁乎さんが現代詩文庫に書いてくれたものです、ハイ。そういやあ、ですぺらだって、ネットで知ってるだけで、まだ行ってなかったんだぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月07日 16:01 | 固定ページリンク




金光寛峯 | ですぺら地図(テキスト版)

掲示板オープンの記念といっては -以前書いたものの使いまわしで恐縮ですが-
地図を掲げておきます。
等倍フォントでご覧下さい。
メール等でご自由にお使いいただきたく存じます。
こんなでもお役に立つのならば幸いです。

   バー「ですぺら」
   港区赤坂 3丁目18-10 サンエム赤坂ビル 3階 (一ツ木通り中程・1階は牛丼の吉野屋)
   TEL 03-3584-4566
アクセス:営団丸ノ内線あるいは銀座線「赤坂見附」駅 地下通路A出口が最寄
     ※注意! 「赤坂」駅ではない! 名前が似ているので間違えやすいです
     A出口上がってそのまま道なりに進み、スタバの角を曲がって左手に
     吉野屋が入っているビルの 3階です。
     もし道が分からなくなったら一旦A出口まで戻り交番で聞くか、また
     はお店に電話してみましょう。

                N
                ↑
                      ___¥  ¥ ¥ 外¥
        ____         |    ¥  ¥ ¥ 堀¥
       |    |        |サントリー¥  ¥高¥ 通¥
       | 鹿島 |        |      ¥  ¥ ¥ り¥
_______|____|________|_______¥  ¥速¥  ¥___
                                 ¥ ¥____
←至渋谷                              ¥道  路
             青   山   通   り         ¥
                                    ¥___

          ← ← ← ← ← ← ← ← ← ← ☆←赤坂見附駅
________ ↓ ________   ___      |地下通路_____
   |    | | | |スタバ | | | |    _|A出口
富士 |   一|↓| |_|コーヒー|み| |_| __|_|   |
銀行 |   ツ| |        |す|  ↑||   ↑|   |  ホ
___|   木|↓|__      |じ|  フ||   ポ|   |
       通| |  |←コン  |通| キァ||   リ|   |
       り|↓|__| ビニ  |り| ッ|||   ボ|   |  テ
        | |        | | チス||   ッ|   |
        |↓|        | | ント||   ク|   |
    卍   | |        | |   ||   ス|   |  ル
  赤坂不動  |↓|________| |___||____| 至 |
        |  ________   ___  ____  溜 |
        |↓|        | |   ||    | 池 |
        | |        | |   ||    | ↓ |
        |↓|
        | |
        |↓|__
        |→| ☆|
        | |__|
        | | ココ
        | |  1階に吉野屋の
        | | ビルの 3階
        | |
        | |
        |至|
        |T|
        |B|
        |S|
        |会|
        |館|
        |↓|
        | |



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年10月08日 11:54 | 固定ページリンク




ゆきち | 初めまして


初めまして、ゆきちです。

何度かですぺらには顔を出したことがあります。とっても綺麗なところで、お酒に疎い僕としては、なかなか入らないころなので、最初は感動してしまいました。

また、何度か伺わせていただきたいと思います。余り良い客には成れそうもありませんが、今後ともよろしくお願いいたします。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年10月08日 13:43 | 固定ページリンク




高阪 | はじめまして。

如月さんにこちらの掲示板をご紹介いただいたのですが、
ちょっとどういう場所なんだろう……、という感じです。
#デスペラというお店の雑談掲示板でいいのかな。

まずは開設まもないようですので、開設おめでとうございます。
ちゃんと投稿できるか心配ではありますが、送信してみます。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月08日 13:49 | 固定ページリンク




高阪 | あ。

「デスペラ」ではなく「ですぺら」ですね。失礼しました。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月08日 13:51 | 固定ページリンク




比呂 | 本当に感謝です

比呂です。

 日曜の夜は、「笹川吉晴vs中島晶也ホラー対決オフ」で本来は
お休みのところをオープンして頂いた上に、予定を大幅に延長して
頂き本当にありがとうございました。

 本当に奇跡的な出会いの場所になったかと感じております。
参加者は皆、有意義で濃厚な時間を過ごせたかな?と。

 本当にありがとうございました。

 お酒には詳しくありませんが、また天上の美酒呑みにお伺いいたします。
その時はまた美妙なるお話をお聞かせくださいませ。


追伸 あの時お約束した事は、現在極秘任務にて確認中。
様々な選択肢がありますので、近日中にどういった形がベスト
となるかをまとめてご説明にお伺いいたします。

 



投稿者: 比呂    日時: 2001年10月10日 03:17 | 固定ページリンク




一考 | モンロー

金光さんへ
よく覚えていないのですが、とある日、妙な客の登場。モンローから始まり、ドヌーヴ、ガルボ、デートリッヒのようなウィスキーをと注文が続きました。モンローにはコスメチックな香りの強さからボウモアを、ドヌーヴにはシャイな面と育ちの良さを兼ね備えたところからダルユーインを、ガルボには芯のある優雅さからマッカラン、デートリッヒには悲しいまでのダンディスムから極上のスプリングバンクをあてがいました。考えている間にかかる選択に快感を覚えました。
件の紳士は「酒呑みの自己弁護」の著者山口瞳さんのご子息である正介さんの親友。共に週一回はご来店頂いております。開口健さんの思い出話に花を咲かせています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:22 | 固定ページリンク




一考 | 器用貧乏

中島さんへ
昔、澁澤さんから、体があまりに弱く入退院の繰り返し。従って尋常の仕事かなわず、売文に明け暮れるようになったと、幾度となく聴かされました。稼ぐ手立てが限られれば、自ずから専心するしかなく。例えば私のようにいささか器用な人間は、結局何者にもなり得ないのかもしれません。
種村さんから、一考は今のままでは駄目、君は人生に今なお未練を持っている、いざりにならなければものは著せないよとの忠告を受けました。この辺りの消息は「後方見聞録」の解説で触れましたので、お読み頂ければ幸いです。
食するために働かねばならない人が表現者になるのは言語道断との命題は、かのリラダン伯以来、今なお問い続けられるべき問題です。ボクサーの殴られ役によって得る僅かな稼ぎで生き延びたリラダンがかくまで高貴なコント・クリュエルを著したのは悲壮を通り越して、言葉の正真の意味での残酷です。身近には須永朝彦という壮絶な闘いを続ける友がいます。貴女にも頑張って頂かねばならないのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:25 | 固定ページリンク




一考 | タリバーディン

如月さんへ
先日来、ご面倒をお掛けしております。有り難うございます。
当方は持病が悪化、痛みのため日中は病院通い、ご返事が遅くなりました。
直腸の腫瘍がいささかつむじを曲げたらしく、どうも体のあちらこちらが主人の意にそぐわなくなって参りました。腎臓と直腸、それに第五腰椎にタリバーンが宿ったようです。アメリカという国は最悪のならずもの国家と認識しますが、さりとてイスラムというのも好きにはなれません。タリバーンならぬタリバーディンというモルト・ウィスキーが私の好物なのですが、その蒸留所、ひょっとしてオーナーはビンラディンかしら。ちなみに、オサマ・ビン・ラディンはラディン家のライオンの意、ウサマとはオサマのパシュトゥン族の発音だそうです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:27 | 固定ページリンク




一考 | 署名本に

豚式さんへ
20日までにですぺらへ本をお持ち頂ければ郁乎さんの署名を頂戴しときますが、いかがなものでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:28 | 固定ページリンク




一考 | アナーキー

フーリエの使者さんへ
フーリエの使者なら加藤郁乎でなく、巖谷国士さんの領域ですね。もっとも私もアナーキー大好き人間です。とりわけ肉体関係に関しましては物心がついた頃から原始共産主義を地でいっております。今後ともよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:30 | 固定ページリンク




一考 | 遠回り

金光さんへ
この地図はちょっと遠回りじゃござんせんか。でも有り難う。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:31 | 固定ページリンク




一考 | もと赤面症

ゆきちさんへ
ですぺらの店主は本当は気が弱くて恥ずかしがり、お客さんの顔を正面から見ることすらままならないのです。従って、ご来店の折りは大きな声で名乗りをあげていただければ有り難いのです。
50歳を越えてからは人の名を覚えるのが困難になってきました。それ故、むかし山田風太郎氏より学びし若返りの術にもっか励んでおります。いやあ、なにを隠そう、若い愛人をこさえてうつつを抜かしているのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:01 | 固定ページリンク




一考 | 

高坂さんへ
投稿に不自由があった時は管理人の向こう脛を蹴っ飛ばして下さって結構です。
はてさて、その櫻井さんのご厚意によって開設された掲示板ですが、どういう場所なのかは私にもよく判っておりません。きざな言い方で恐縮ですが、酒、書物、オートバイ、暴走族用の車、金魚、レース用もしくはアンティークな自転車、料理、香辛料、アウトドアに関するグッズ、北海道、かつての色街、変態セックス、その辺りをテリトリーに蠢いております。かかる領域でのご質問なら何でもお答え致します。ちなみに、横浜ケンタウロスの一員として、現在なお、族を張っております。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:03 | 固定ページリンク




一考 | 007は貴方のことだっけ

比呂さんへ
極秘任務の件、ご面倒をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い致します。無事落着のみぎりには結構な贈り物あり、否悪しき贈り物かも。それにしても40歳にて独身かつ変態とは、結構なご挨拶で痛み入ります。小心者の店主をあまり驚かさないで下さい。長いお付き合いを願い上げます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:18 | 固定ページリンク




やっき | 地図

地図改良いたしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg



投稿者: やっき    日時: 2001年10月11日 02:03 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 未婚、変人

一考さま。つまらね書き込みにわざわざお返事をいただき、ありがとうございます。「後方見聞録」は、そろそろ我が片田舎にも配本されるころでしょう。私は仏文学には疎いので、学者をほとんど知りません。手元にはミステリの故・小泉喜美子さんの蔵書の形見分けの「幻想の海辺」とかいう本がありますが、手付かずです。私なんざあ、50歳にして未婚、知人たちからは(偉大なる)変人という称号?を何年も前に戴いております。小泉首相の先輩だぁ。(自慢できることかぁ)それにしても。20日夕方は相模大野駅近辺で二人の画家と面談予定。ああ、何たる不運!



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月11日 10:45 | 固定ページリンク




一考 | 高柳重信展のことなど

高柳重信展が10月10日から12月9日まで戸田市立郷土博物館にて催されています。開館時間は午前10時から午後4時30分。休館日は毎月曜日と10月31日、11月6、27、30日。入場無料。同博物館の住所は以下のごとし。
埼玉県戸田市大字新曽1707 電話048-442-2800
http://www.toda-c.ed.jp/haku

加藤郁乎さんの「後方見聞録」学研M文庫、定価680円は10月11日の発売です。お買い上げもしくは推薦を皆様にお願い致したく、どうかよろしく。なんの役にも立たない解説を同書に26枚ほど著しました。御笑覧頂ければ幸甚です。20日以降ならですぺらにも在庫有り。

上記二項、如月さんちのホームページで詳しく紹介されています。当掲示板をさまざまなところでご紹介頂き、如月さんには感謝。変人の友人というのは有り難いものです。
変態という言葉は、オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりする生物学上のメタモルフォーシスを意味し、大層気に入っていたのですが、傷付く人が多いのではと忠告を受けました。今後は変人に切り替えましょう。でも、意味するところは同じなのですが。

如月さんへの文言の中でウサマとオサマを取り違えていました。アラビア語でウサマ・ビン・ラディンが正しく、オサマ・ビンラディンはタリバーンでの呼称とのこと。悪しからず。
ネットでのやりとりを小生はおしゃべりの延長線上にあるものと心得ます。活字にする時は事前に調べますし、やばいことや曖昧なことは一切許されません。しかし、当掲示板にかような心配りは無用と思っております。酒席同様、無責任な流言蜚語が飛び交うのも愉しいではありませんか。大風呂敷を拡げる人、あらぬことに悶絶する人等々、大歓迎です。もとより、人と人との関係は誤解ないしは思い込みで成り立つもの。されば誤解を六解へ七解へと押し上げようではありませんか。アナーキーな掲示板になればと、勝手な夢想を描いております。また、社会学を最大の敵と心得ますので、そちらの話は御免被りますが、政治、経済に対しては無責任な意見を数多持っております。いずれ、駄法螺を吹き上げますので、よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月11日 15:22 | 固定ページリンク




一考 | ちょっと長い自己紹介

震災の後のおしゃべり

読み手をどこかへ連れていくような、物語の楽しさはもちろんですが、
装丁の美しさ、限定出版された書物の希少性、そして、さまざまな立場で本と接する人々……もっと多面的な本の魅力について、お話しましょう。

美しい書物

 未曾有の大震災に襲われたのは一月十七日、明石の拙宅も甚大な被害を受けました。屋根が崩れ落ちて瓦は一枚も残らず、風呂場と便所は壁の裂け目から星の瞬きが見えるようになりました。電気、ガス、水道、電話、ライフラインのすべては途切れ、露天風呂と化した風呂桶に残された僅かな水が全財産となりました。数十年かけて蒐めた焼き物や薩摩切り子のコレクションも全滅、大事にしてきた書物も書棚もろとも顛倒して、未だに手つかず。足の踏み場もない書庫から取り出せた数部の書冊も、函が壊れたり、表紙が破れたり、ねじ曲がったり、ことのほか不憫に思われます。
 電話が通じるようになってからのことですが、「大丈夫なのか」との問い合わせを随分と頂きました。やがて、馴染みの古書店や出版社の知己から義援金が送られて来、京都在住の友人は飲料水と屋根に掛けるシートを山のように抱えて、福知山経由で丸一日を費やして見舞いに来てくれました。友曰く「おまえが死のうが生きようがどうでもよろしい、ただし、この家には国会図書館にない本が多数ある。まず本を救わねば」彼はさっさと屋根に攀じ登るとシートを拡げ、傾いた襤褸屋をあっという間に「青色の館」へと変身させました。彼だけではありません。前述の「大丈夫なのか」も、大半は「先に本を救え」「屋根だけは何とかしろ」の類で、私の怪我のことなどは誰一人問いただしもしません。どうやら主語は本であるらしく、この家の主人は家中に巣くう夥しい書物なのであって、決して私ではなかったのだと言うことに気づかされました。
 本と付き合いはじめてから今日に至るまで、読書に始まって、編集、出版、装丁など、さまざまな形で書籍と接してきました。若い頃に泉鏡花を知ったのが、本好きになるきっかけになったと思います。鏡花本は美しい、実に美しいものです。鏡花本の悉くは鏑木清方や小村雪岱の版画で飾られています。あの時代は絵師に彫り師、摺り師が多く居ました。和紙も廉価で、条件が整っていました。著者自身も装丁には腐心しています。本の内容がメッセージだとすれば、装丁はメディアです。夏目漱石や鈴木三重吉、与謝野晶子はそれを自覚した作家でした。北原白秋、木下杢太郎、竹久夢二、渡辺一夫、北園克衛、吉岡実などは自らの著書にとどまらず、数多くの装丁本を遺しています。内容に相応しい装いに焦がれたのだと思います。著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁です。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生するのだと思います

罰せられざる悪徳

 すべてのきっかけはサルトルでした。
 私が中学一年か二年の頃のことです。風邪をひき、かなり高熱を出して寝込んでいる所へ、母が本を買って来てくれました。近所の本屋で薦められたからと渡してくれたのが、人文書院から上梓されたサルトル全集。その一冊に「嘔吐」があり、巻頭にセリーヌの言葉が掲げられていました。セリーヌって誰だろうと疑問に思い、手に入れた「夜の果てへの旅」今は懐かしい大槻鉄男さんの翻訳でした。そのあとがきに出てくるサドの名前。ついで買ったのが澁澤龍彦訳の「恋の駈引き」あとがきには、サドの系譜に属する作家としてポウ、カフカ、石川淳が著されていました。そうやって、本に名前が挙げられた作家の作品を、片端から蒐めていくうちに、私は本の世界にのめり込んでしまったのです。
 ヴァレリー・ラルボーに「罰せられざる悪徳・読書」と題するエッセイがありますが、そのタイトルは読書の醍醐味を的確に表した言葉だと思います。男色も、盗みも、殺人も、読書に比べれば、随分と柔な悪徳です。サドの「ソドム百二十日」では三十人がむごたらしい拷問に遭って絶命しますし、登場人物がすべて殺されてしまう著名な探偵小説はみなさんもご存じでしょう。如何にいかがわしい夢を見ようが、また、おぞましいことに身を委ねようが、書物の世界ではすべてが許されるのです。
 唐十郎さんが面白い話をしてくれました。彼が子供の頃のことですが、湘南海岸に泳ぎにいきたかったのだけれど、家が貧しかったので湘南までの電車賃がなかった。そこで、洗面器に張った水に湘南への想いを託した。それが文学への第一歩なんですね。電車に乗って湘南へ行くことと洗面器に顔を浸けることとが等価になる。即ち、想像の世界と現実の世界とが等しくなる。そういう人こそ、書物を繙く資格があるんです。夢と現実が相克すると思っている人は、本を読むなんてのっけから止めたほうがいいと思います。
 これが文章を著すという段階になると、洗面器の中に、湘南海岸どころか、全宇宙を視てしまう。そして、湘南海岸はああだこうだと活写する、実に稠密かつ緻密にですよ。つまり、見てきたような嘘を書くわけです。生活なんてどこかへ捨ててしまって、書くという行為そのものが唯一の経験になり生活になる。空想と現実との境界線をなくした寄る辺なき身、いわば汽水域に生きる白魚のようなもの、もしくは昆虫でもあり植物でもある冬虫夏草のような存在を想像すればいいわけです。
 三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。即ち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。
 そして、大好きな泉鏡花ですが、鏡花の小説は読んでいて血沸き肉踊ります。読み手をどこか別の世界へ連れていってくれます。「高野聖」で、鬱蒼たる森の中、空から雨のように蛭が降る場面なんか、ありそうにない話だと分かってはいても、思わず背中をまさぐりたくなる。描写力が読み手をぐんぐん引っ張っていく。見たこともない、行ったこともない、そんなすごい所へ連れていってもらえるのが嬉しくて、私は本を読むのですから。

そして神戸

 文学に夢中になった坊主頭の中学生は、つっかけを履いて足しげく古書店へ通うようになりました。当時は詩に興味があったものですから、詩書をずいぶん購入しましたが、他方、仏蘭西文学や花柳界を舞台にしたいわゆる「遊蕩文学」をごっそりと買い込みました。歳格好に似つかわしくない本を買っていたからでしょうか、古書店のおやじから声を掛けられたり、懇意にしている作家を紹介してくれたこともあります。澁澤龍彦さんもそうして知り合った一人です。
 京阪神の古書店では飽きたらず、お金を貯めては東京へもよく出掛けました。落合の某古書店へモダニズム関係の本を買いに行ったときのこと。書架に並べられた本を見ながら、目的の書冊を次々と引っ張り出して、その数五十冊にもなったでしょうか。店主がやって来て、「ぼく、これ買うの?」当時はまだ十代でしたから、怪訝に思ったのでしょう。「はあ、買いますよ」と答えると、「あんた、誰」「あの、渡辺っていいますが」「渡辺って……、まさか、あの神戸の渡辺さん」その店も通信販売で頻繁に利用していたので、名前は覚えていたのでしょう。「渡辺さんって、五十過ぎの方だと思っていました」
 私が驚いたのは、その日、お茶を馳走になりながらの希本の数々である。「先行き、あんたはこういう本を買うようになるんだから、よく見ておきなさい」と言いながら、永井荷風が愛人に贈った署名本や白秋宛て朔太郎の署名本、伊良子清白の詩集「孔雀船」署名本等々を観せて頂いた。

書物は恋人

 二十歳の頃です。どうしても欲しい本が明治古典会に出品されるとの話で、蔵書の半数を占めていた詩書を纏めて売り払いました。書肆ユリイカの出版物を中心に、戦後詩の主なものは大体揃っていました。年収の五倍位の大金を得て、念願の平井功の二冊の詩集、「サバト」「戯苑」をはじめとする日夏耿之介の編輯になる諸雑誌一括と日夏耿之介の詩集一口を購入しました。
 時には蔵書を売って、あるいは古書店に借金をしてでも、読みたい本は手に入れる。そんな私の本好きは、読むことからやがて造ることへと拡がっていきました。そもそもが、一部分だけ担当するというのが好きじゃないので、本を造るのも、構想を練るところから書店への販売まで工程すべてを手掛けなければ気が済まないのです。なにがしにはあの翻訳を、この人には懸かる種類の創作を、まずはそんな所から始まります。そして、原稿をとってきてレイアウトを施し、朱筆を持って校正し、自ら装丁します。最後は風呂敷にくるんで営業に歩き回るのです。
 ところで、二千部の新刊を造ったとします。売り先は、東京都内で千五百部、京阪神で百部、その他の地域は全国津々浦々すべてひっくるめて百部。残る三百部は五年ほどかけて、東京で徐々に捌けていきます。つまり、出版は東京以外の地では成り立たないのです。南柯書局の仕事もなかなか厳しく、ついには印刷会社への支払が滞ってしまいました。一億を軽く越える金数を費やして、残されたのは支払う手立てのない五百万円の赤字と在庫の山。東京の出版社から「借金を肩代わりしてやるから、おまえ、うちの編集長になれ」と声を掛けられたのは、丁度そんな時でした。そこで私は東京へ身売り、三十代も後半のことでした。
 考えてみると、本に夢中になってから今日に至るまで、東京へ夜逃げした頃だけが、唯一借金から解放された時代です。他はずっと、古書店の借金を抱えていました。欲しい本のためには借金も厭わないのですから、仕方がないのですが、借金をあまり気にせずにいられるのは、古書店側が平気で借金させるのも原因のひとつです。というのは、もし借金が払えなくても、古書店は本を差し押さえればいいからです。気が置けない古書店の中には、年末になると車でやってきて、借金分だけ本を持っていってしまうところもあります。稲垣足穂の署名本もそれで失いました。借金のかたに本を持っていかれるのは辛いものです。きっと、私が死んだあとは、一冊残さず持ち去るに違いありません。それも二束三文で。でも、真っ先に義援金を工面してくれたのは、その古書店なのです。本の売買と同様に、古書店との付き合いは行きと帰りの両面に亙ります。どちらかが往生するまでの、義理も人情もある愉快な道中です。

大風呂敷

 人って、表に出す人もいるし出さない人もいるけれど、大概自分のことを自慢したいんです。自己表現と自慢は一枚のコインの裏表。例えば、私が書物にのめり込んだのも、それは、こんな美しい本があるとか、こんな素敵な本ができたとか、つまりは「すごいだろう」って自慢したいだけなんです。
 何かしている、何かに夢中になっている時って、充実しているじゃないですか。どう顛んでも人の一生なんて、「質の悪い冗談」でしょう。行き先には滅亡しかないんですから。生き甲斐なんてあるわけないですよ。だからこそ、死に至る過程を如何に楽しむかが問題になるんです。それはスタイルであり、なりふりの問題です。例えば、人と話をする時に、信じるべき自分、話すべき自分なんて、どこにもないわけでしょう。でも、それでは会話が成り立たないから、その間だけ無理矢理自分を構築するんです、自分はこうなんだと。要するに、相手の思惟の対極にわが身を置くんです。総論反対、各論絶対反対ですね。そうすると、話をしている間だけは「自分」がある。本来、存在していないに均しいものが存在感を感じる。これ以上の錯覚、これ以上の快感はないと思うのですが。
 本でも、金魚でも、自転車でも、料理でも、何でもいいんです。なにかしている時って、それに没頭出来るじゃない。そして、自らしていることに意地を張れる。人生なんて、あるがままでは意地の張りようがないけれど、そこに何か項目をつけ加えれば、意地も見栄も張れるでしょう。謂わば限定版の人生をでっち上げるようなものです。むきになるとか、風呂敷を拡げるって、楽しいじゃないですか。そんな時だけですよ、人生がキラキラ輝いてみえるのは。

      渡辺一考(わたなべいっこう)昭和二十二年二月五日、兵庫県神戸市生まれ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月11日 15:31 | 固定ページリンク




高阪 | また来ました。

自己紹介、上げられたこと、嬉しいです。なにしろいただいた
レスに書かれています酒、書物以下、なかなか話題に入れない
なぁと思っておりましたもので。
では、勝手に思ったことをつらつら書かせていただきますね。

>読み手をどこかへ連れていくような、
素敵な言葉だと思います。私は趣味で手遊びのように文章を
書いていますが、フィクションであればどこかへ連れて行く
ように、ノンフィクションであればどこかを指し示すように
書けるといい、と僭越ながら思っていたりするものです。

>三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句が
>ありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の
>中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることに
>よって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。
こちらも感銘を受けました。こういうのは文学でしかできない
ことなのだろうかと、ノンフィクションではできないものかと
思ったりしています。単に文学を判っていないだけでしょうか。

ともかく、書物そのものに関しての思い、楽しく読みました。
どうも私はまだまだ書物そのものの魅力について知らないの
だと思います。それでは、また寄せてもらいます。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月11日 22:45 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 巡禮

一考氏が書き、先のかたも触れていた三橋敏夫句集「巡禮」を久しぶりに出してきました。小体ないい本ですね。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月12日 13:13 | 固定ページリンク




如月 | アラビア語とボイン

一考さん、現行の政治情勢のなかでは、<ウサマ>と<オサマ>の間には絶対的 な違いがあるかも知れませんが、そもそも古典的な正統アラビア語には母音字が ありませんでしたし、アラビア語では子音さえ間違えなければ、母音をどう補う かは読み手、話し手の裁量にまかされている部分が大きいのです。 アラビア語の例がすぐに思いつかないので、たとえばお隣りヘブライ語では、Jhv はaaeと補おうが(この場合はヤハヴェとなる)、eoaと補おうが(この場合はイ ェホヴァとなる)どちらでもかまわないというのと同じことです。  *   *   * ついでながら、こうした古典アラビア語の特徴が、「コーランは翻訳不可能」と いう<思想>と繋がっているようです。というのは、コーランを実際に音読する 際にはいろいろな母音を補わなくてはならないのですが、どういう母音を補うか で<意味>が変わってしまう。そうした多元的な<意味・解釈>をすべて含んだ うえで、あえてそれを一つの形象(文字体系)としてあらわしていったのがコー ランであり、さらにいえばそこに啓示の意義があるというのが、現在のイスラー ムの多数派であるスンニー派の考えです。ただこれは、あくまでもアラビア語の 表記体系からきてるんですね。 われわれからすると、こうした言語体系は不便、不合理極まりないようでも、わ れわれの国だって、<日本>と書けば問題はないが、発音上は<ニホン>と<ニ ッポン>の2つあって、それでいて<日本人>は不便を感じない。そんなことじ ゃないですか。 結局、なんでもかんでもアルファベットで表記できる(表記可能)というのが、 無意識の欧米中心主義という気がしないでもありませんけどね♪  *   *   * 以上、どうでもいいようなことを長々と書き連ねましたが、これも金魚、自転 車、料理に通底するものと御堪忍あれかし。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月12日 13:50 | 固定ページリンク




朝子 | 片仮名に漲るチカラを見ました

如月様の書き込み活字で「ボイン」と書いてあって思わずどっきり赤面きゃー!うわー!と思ったのはあちきだけでしょうか?

こんにちは、初めまして。
如月様経由J君BBSから飛んできました、朝子ともうします。よろしくお願いいたします。

大分前ですがちょいと立ち寄ってビールとウィスキーだけ頂いて逃亡という、モルトなバーでなんて馬鹿なマネを!しでかしたもんで、こっぱずかしくて、赤坂にはよく行くものの、ですぺら、にお邪魔する勇気が無かったんですけど、またお邪魔しても宜しいですか?

酒は何でも好きなのですが、モルト・ウィスキーはとりわけ旨いと思ってるものの、何から手を着けたら良いのか解らず、名前や瓶で気に入ったモノを片端からのんでいるのですが、他に良い勉強方法はありますでしょうか?

ちなみに、今、手元にはObanていうのがあります。オバン。あたくしに、喧嘩売ってるのかしらん?と思って購入です。旨いです。

つまらない話で恐縮です。またのぞき見に来ます。お邪魔しました。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月13日 01:10 | 固定ページリンク




さくら(本名JM) | マスターへ


マスターこと渡辺一考様

この度は、ですぺらの掲示版開設、
おめでとうございます。
私はさくらと申します(HN変更の予定/本名JM)。
掲示版の書きかた、よく分かっていなかったりします。
万が一失礼がございましたら、お許し下さい。

一考様の自己紹介、拝見しました。
私の父も同じ年のようです。
バイクに乗っていらっしゃるのですか。
すてきですね。

私も簡単に自己紹介を書きます。
住まい:福岡市
好きなもの:
音楽、煙草(特にshort Peace)、楽器演奏(下手)、
チョコレート(但し甘いものは一般的に苦手)、
恋愛の話、エスプレッソ、チーズ、ヨーロッパ、
言葉(翻訳や文法等)、考える事。
齢:そろそろ(待ちに待った)三十路

幼い頃は「早く大人になりたい!」と思っていて、
子供という事が何よりも嫌いな、変わった子供でした。
年を取るのはさみしい気もするけれど、
子供時代に出来なかったことが普通に出来る
今の年令がすごく好きです。また、
将来は欧州の地で生涯を終えたいと思っているくらい
ヨーロッパが好きです。
恋愛の話は本当に好きで、
このテーマで丸1日話せるかなというくらいです。

また書き込みに参ります。
初の書き込みでアガってます。ごめんなさい。
来年お店に伺いたいと思っております。

時節柄ご自愛下さい。



投稿者: さくら(本名JM)    日時: 2001年10月13日 02:01 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 自転車愛好家

◆一考さま

 自己紹介拝見しました。
 内容はみなさんが触れておられるごとく、もちろん興味深いものでしたが、一考さんの文体、大好きです。とても心地よかったです。

 わたしは自転車の乗りで、自転車を愛します。
 なんて、ここまで書いたらもう書くことがない。

 そうそう、大ニュースがあります。突然ですが就職が決まってしまいました。先日一度落ちたアメリカの会社なんですが、ゾンビのように復活し、定期収入が得られることになりました。これで、こころおきなく画材買い放題、モデルさん雇い放題、取材し放題、ですぺら行き放題(といっても上限はありますが、いままでの禁欲生活に比べると、やり放題という感覚になってしまうんです)。
 ひょっとして、ヘルメス・トリスメギストスが、この前ちょっとお書きしました五連作のアイデアをよしとして、制作できるようにしむけてくれたのか? なんて思っています。
 もちろん仕事は大変でしょうが(時事系のコンテンツプロデューサーというものです)、それはいままでだって同じこと。なにをやっても楽ということはないはずです。そして、芸のために生きてることを忘れずに、どんなことがあっても絶対筆は折りません。楽器も捨てません。

 ところで、東京都が芸術家のために100万円貸す制度を設けた、というのですが、まったくナンセンスで、笑ってしまいました。無利子で貸すというのですが、一年で返せ、というのです。100万ぽっちで何ができるというのでしょう? しかも、返せ、って返せませんよ、芸術家は。
 芸術活動どころか、その100万を返すためにバイトをすることになってしまいます。生活費以外の余剰金を100万円稼ぐのは大変なことです。ひとつの物を生みだすのに、目に見える投資(画材、モデル代、アトリエ家賃、光熱費、など)と目に見えない投資(世間を見る、人と話す、本を買う・読む、映画や劇などに触れる、音楽を聞く、動物園や植物園にスケッチに行くなどの取材費)がいくら必要か、ってことになってしまうのですが「返済」というレッテルが貼られたとたん、それをどうやって捻出したらいいの? ということしか考えられなくなってしまって、創造どころじゃありません。
 それよりも、芸術を楽しむということを子供や若い人に知ってもらいたい。たとえば、絵の見方ひとつにしても、きちんと系統だって説明すれば多くの人が深く楽しめるようになるはずです。そういう教育にお金を使って欲しい。芸術家を育てるのは、周りの人々の理解なのです。わたしがフランスで居心地がよい、と思うのは、この周りの人の目が芸術家にやさしいからです。フランス人(みな同じことをいいます)曰く「芸術家だって? いいなあ。がんばってよ。君たちが貧乏なのはあたり前だよ」そうして、家に呼んでごちそうしてくれたり、いい景色のところをおしえてくれたり、画廊を紹介してくれたりするのです。(景色、なんていう目にみえない援助だけではなくささやかながら即物的にして具体的な援助もしてくれます)
 彼らは、ピカソのような巨人は百年に一人でればよい、といいます。しかし、その一人を生むために、ひとりひとりの芸術家は大事にしなければいけない、というのです。

 ひゃー長々とごめんなさい。
 でもわたしは幸福なことに、経済面では今のところなんとかなりそうです。そうそう、いい自転車買いたいなーとか思ってます。先日、やはり自転車乗りの兄と久しぶりに会いましたら、大変よい自転車を持っているので、嫉妬の塊と化しているのです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月13日 07:00 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 高柳重信展関連のお知らせ


ですぺら臨時手伝いの二階堂奥歯です。
先日一考さんがお知らせしました高柳重信展のポスターが二枚ですぺらにございます。
告知していただける方がいらっしゃいましたらぜひご連絡くださいませ。
お待ちしております。
(一考さんご本人は寝坊のため書き込みする暇がなかったそうです。)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月13日 19:27 | 固定ページリンク




添田健一 | 高柳重信展

添田健一です。
遅ればせながらですが、掲示板設立おめでとうございます。

告知はここでよいのかな。

高柳重信展
期間 平成13年 10/10(水)~12/9(日)
場所 戸田市立郷土博物館(月曜休館)10/31,11/6,27,30(休館日)
   048-442-2800
http://www.toda-c.ed.jp/haku
入場無料



投稿者: 添田健一    日時: 2001年10月14日 12:37 | 固定ページリンク




「まっちゃん」こと「松友」 | 遅ればせながら掲示板開設おめでとうございます。

渡邊一考様

掲示板開設おめでとうございます。

関西ではお世話になりました、「まっちゃん」こと
ネット上ハンドルネーム「松友」です。
この度、諸般の事情により関東へ逃げてまいりました。
往時は、文学・哲学などの知識を持たない痴者相手に、
辛抱強く色々とお教え戴きありがとうございました。
しばし関東に隠れている予定ですので、
お伺いできる折にはお邪魔したく存じます。

もちろん、様々な御活動がお忙しいと存じます。
私メへの御言葉は戴ける折は素直に御甘えし、
あるいはお店にて頂戴できれば幸に存じます。
まずは取敢えず、お祝い方々ご挨拶まで。
   ~~松友 こと まっちゃん~~



投稿者: 「まっちゃん」こと「松友」    日時: 2001年10月14日 23:35 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 追記


添田さん、誤解させてしまったようです。ごめんなさい。

私が言いたかったことは、「お店などに高柳重信展のポスターを貼って告知して頂ける方、ですぺらにご連絡ください」というこ
とだったのです。
言葉足らずですみませんでした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月14日 23:48 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 後方見聞録

さっき、本屋に積まれていた「後方見聞録」を買ってきて、増補された第2部、第3部をさっそく読了。ウーム、矢川澄子女史への言及には、含羞が見え隠れするなぁ。現行の現代詩文庫には、折込の絵がないとは知らなかったなぁ。あの頃はスッゲー時代だったワ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月16日 17:15 | 固定ページリンク




梅子 | yorosiku よろしく

皆様、毎度ありがとうございます。 
ですぺらにて皿洗いやグラス割り担当の梅子こと薫子です。

パソコンで書き込みなんて、まあ10年振りであります。
あの頃はインターネットなんて言葉も知らず、”パソコン通信”で、
しかも電話代節約のために市内の草の根ネットにのみ接続してました。(モデムは1200bps)
通信している、というだけで変人、オタク扱いされたもんでございます。
その後仕事や男遊び(?)に忙しく、通信からは遠ざかってしまい、
ここ数年の変化にはついていけなくなって、携帯電話も着信専用、
メールって何?という状態になってしまいました。
ですぺら掲示板ができたのを契機に、二十歳の頃を思い出して、
また遊んでみようかと・・・皆さんの足を引っ張らないように。
でも、さっそくやってしまいました。ですぺら店主がパソコンをいじっている最中に、
コンセントをブッチしてしまいました。修復に一晩かかって、店主がレスをするのを
遅らせたのは私です。すみません。

どんな掲示板になるのか、なにはともあれ、どうぞよろしゅう。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:17 | 固定ページリンク




梅子 | 同感

朝子さん、私は「ボイン」の文字を見てなんて懐かしい言葉!と思ってしまいました。
店にも是非いらしてください。店主が長ーい蘊蓄と共においしいウィスキーをおすすめ
いたします。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:19 | 固定ページリンク




梅子 | さくらさんへ

さくらさん、ですぺら店主はさくらさんのような娘がいてもよい歳なのに、
未だにバイクで飛ばすは、女は追いかけるはで、困ったおやじです。
役に立たないというか、イケナイ恋愛談義なら店主の得意とするところだと思います。
来年東京にいらっしゃるのですか、お待ちしています。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:21 | 固定ページリンク




梅子 | 

中島さん、就職成功おめでとうございます。この難しい時期にすごいですね。
パワー全開準備完了というところでしょうか。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:23 | 固定ページリンク




一考 | くろちゃん

 フーリエの使者さんへ
 三橋敏夫さんの句集をお買い上げ下さりありがとう御座いました。「巡礼」のシリーズを造ったとき、指の入らない貼函は制作できませんと製本屋さんから断られたことなど、懐かしく憶い出されます。
 小泉喜美子さんの著書は須永朝彦さんの紹介で知りました。生島治郎さんと離婚の後、一段とお酒を聞し召すようになられたようで、くろちゃんが経営する2丁目の「くろのす」がまだ新宿御苑よりにあった時、2階から階段を落っこちて亡くなられました。
 ミステリー云々は私の与り知らぬところですが、小泉さんの小説は素晴らしい作品です。文学作品としての鑑賞に堪える名作が多く、貴方の蔵書も大事になさって下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:26 | 固定ページリンク




一考 | おばんとオーバン

 朝子さんへ
 「ですぺら」にいらしたとか、どうもありがとうございます。
 この掲示板でウィスキーのことを著す機会がないもので一言。オーバンはハイランドとアイラの中間の性質で、華やかさには欠けますが、時代に追従しないクラシックな味わいを持っています。完熟した西洋梨の香り、ヘザーのキャラクター。昔日のアードベッグを想わせるスモーキー・フレーバー。ピーティーな潮の香とスムースなフィニッシュ。ハイランドに聳(そばだ)つ銘酒のひとつ。というのが私の感想です。ご多分に漏れず、独立瓶詰業者のボトルはオフィシャル・ボトルと比して、引き締まるようなソルティーな味わいとスモーキー・フレーバー、そしてフィニッシュのビター・チョコの香りが顕著です。
 おばんなどと言わずに、アードベッグと共に可愛がってやって下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:28 | 固定ページリンク




一考 | 素晴らしき稼業

 さくらさんへ
 「幼い頃は『早く大人になりたい!』と思っていて、子供という事が何よりも嫌いな、変わった子供でした」と著されていますが、私は二十歳になるのがいやでした。だって、子供でなくなるなんて、そんな残酷なことがあってよいのかと、信じられない思いでした。甘えは許されなくなりますし、自己責任で価値判断のすべてを下すなんて、到底出来そうにないと思ったのです。もっと困惑したのが金銭問題です。これはもうジゴロかひもにでもなるっきゃない。運よくひもの端くれになれたものですから、なんとか生き延びられたのですが、それはそれは必死で女を漁りました。
 つらつら思うに私の人生と言いますか、精神は二十歳で静止したようで、気づいた時は五十歳でした。気づいたと申しますのは、この歳より自ら働くことを覚えたのです。言い換えますと、五十歳にして買ってくれる女人が居なくなったというただそれだけのこと。かかる自堕落な好色漢の掲示板です。みなさんヨタ話をどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | 天皇陛下万歳

 中島さんへ
 御就職おめでとうございます。
 東京都の100万円の根拠がどこにあるのかは判じかねますが、そんなゴミ金を借りる前にすべてを売り払いましょう。就職だって自らに残された貴重な時間を小売りするわけですから、炬燵から布団、万年筆から蔵書、芸から才能、矜持から思想、若さから美貌、肉体から貞操、親子から兄弟、売れるものはすべて売りましょう。もちろん最初に売り払うのは愛人であり、恋人であり、連れ添いなのです。本当に無一文になった時には天皇陛下万歳を三唱して死ねばいいではありませんか。どのみち死ぬのですから、生き延びるのに余計なエネルギーを費やすのはよしましょう。人生如何ともしがたく、またどうにもならぬものです。ウヒッ、ウヒッ、ウヒッヒッヒッ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:32 | 固定ページリンク




一考 | 奥歯牙慕情

 二階堂奥歯さんへ
 御協力感謝。今後ともよろしく。
 繰り返しになりますが、高柳重信展のポスターに余部2枚あり、必要な方に差し上げます。高柳重信さんのファンの方に。ですぺらに在庫していますのでよろしく。
 それにしても、二階堂とはこれいかに。私の友人に戸田一馬というペンネームを持つ作家がいます。埼玉の戸田ではなく、伊豆の函南の隣りの戸田でして「へた」と読みます。戸田の生まれで、種村季弘さんもご存じの作家ですが、「へたかずま」とはおもしろい名だと感心致しております。ちなみに、南柯書局のホームページには御参加いただけるとの由。期待致しております。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:35 | 固定ページリンク




一考 | フェラーリ疾走

 松友さんへ
 とりあえず、離職おめでとうございます。山崎のお医者も年内一杯で離職のご様子。都立病院は一応公務員なので、よろしいのではないかと思っていたのですが。もっとも彼氏は想像していたよりラジカルな方で、公務員で収まるような御仁ではありますまい。矯激にして愉快な酒呑みを御紹介いただいたと貴方には感謝致しております。
 ところで、フェラーリとカゼのバイクは売り払ったのですか。貴方と初めて会ったときは黄色の皮ジャンで黄色のロータス・セブンに乗っていましたね。私も族のつもりですが、四輪では貴方にかないません。奥多摩か伊豆でも二輪で疾走しますか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:37 | 固定ページリンク




一考 | ホームページの仲間入り

 比呂さんのご厚志によって、どうやらプロバイダーに接続出来そうな案配になりました。かつてお世話になった神戸のムーンさんと今回多大な御迷惑をお掛けした比呂さんには満腔より深甚の謝意を表したく思います。本当にありがとうございました。終生変わらぬ友情を捧げる所存なれば、今後共よろしくお引き回しの程、幾重にもお願い申し上げます。
 さて、ホームページ開催のみぎりには「ですぺら」はもちろんですが、南柯書局そして畏友須永朝彦さんのホームページも同時に起こさねばなりません。当然その前に須永さん宅へマッキントッシュをお持ちし、些かでも馴染んで頂かねばならず、忙しくなりそうです。
 若い人には簡便に思えても、50歳を過ぎますとパソコンの扱い方も煩雑なものに思われます。須永さんも私も共に料理は達人と自負致しておりますが、パソコン操作における整合性のなさは難儀なものです。例題を個別に覚えるしかなく、かなりの苦痛を伴うのです。
 徒し事はさておき、須永さんの初期の作品や単行本未収録の作品など、耳目を欹たしめるホームページになると確信します。乞御期待。
 須永朝彦さんの編輯になる郡司正勝さんの遺稿集が10月25日に柏書房から、11月10日には種村季弘さんの偽書作家列伝が学研文庫から、12月には種村季弘さんのファンタジー・マップに関する新刊書が柏書房から上梓されます。詳細はそのつど、当掲示板に掲載致しますのでよろしく。
 他にもピエール・マッコルランの翻訳書から須永朝彦さん久々の新作小説に至るまで企画は目白押しです。ホームページ共々、御期待あれ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:39 | 固定ページリンク




一考 | 人をだしにする術

 高坂さんへ
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、文学における作品の出来不出来はジャンルを問いません。逆に言えば、俳句であれ、短歌であれ、私小説であれ、ホラーであれ、ミステリーであれ、選れたものがよろしいのであって、読むに堪えないものはジャンルの如何を問わず駄目ということになります。ちなみに、私が結構な作品と認めるのは、その作品に作者の肉声すなわち志があるかどうか、言い換えれば、思想なり哲学なりが在するかどうかという一点に尽きます。
 澁澤龍彦さんについて「一切の観念もしくは形而上学を過価なるものとして嗤い飛ばしてやまなかった。その精神の軌跡は思いもかけぬ領域、例えばドゥルーズの流動の相と通底するような趣さえ感じさせる」と先頃加藤郁乎さんの本の解説で著しましたが、この万物を「過価なるもの」とする潔い姿勢に私は思想を視るのです。哲学という行為もしくは運動のエネルギー源は自らへの懐疑でしかありません。
 自らを信じ、もしくは自ら肯うところのものを信じ、言葉を換えるなら、拠ってたつ規範を信じる人や必要とする人、さらに言えば、自らの存在に意味や意義があると思うような人を私は俗物として退けます。例えば読書の対象が俳句のみ、ミステリーのみというような人はまさか居ないでしょうが、もし居られるとしたらその方々も同じ意味合いにおいて私は忌み嫌います。これは自らを要約してみせるような人にも同様のことが言えるでしょう。
 繰り返しますが、文学作品としての鑑賞に堪えるかどうかがすべてに優先されます。その作品がいかなるジャンルに属するかはどうでもよいことなのではないでしょうか。人も同様で、失意と懐疑というふるいによってその人がいかに風通しのよいデタラメな人品の持ち主に成り果せるかが問われるのであって、職種や職歴が問われるのではありません。
 以上、人にかこつけて自分の心情を吐露するのが、私のもっとも得意とするところなのです。悪しからず。 



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 05:00 | 固定ページリンク




一考 | 母音と無音

 如月さんへ
 アラビア語におけるボインに恐縮。スンニー派がサンボリストの先達だったとは不勉強で御座いました。母音と無音は人智を持って図ることのできない神秘でございまして、どこやらの梅子さんへの啓示、いや天啓とも称すべき逸文、否逸聞、否逸物と解釈致します。ボインを愛し色魔と化したのがランボーであれば、ナインを慈しみ海に沈潜したのがロートレアモン、その両人をクロスオーバーさせたのが月亭可朝ということになりましょうか。ボインとナイン、ボヨヨンとナヨヨン、かかる二項対立をもっか毎週末、十二分に楽しんでおります。スフィンクスに敬意を表して、「生きていてよかったなあ」
 さるにても、梅子とはなんともはや、いっそ私は竹淋とでも改名致しますか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 05:55 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 戸田村

あのー、「伊豆の函南の隣り」にあるのは、三島市、熱海市、韮山町ですぅ。函南町から戸田村へ行くには、伊豆長岡町、沼津市等を通過しなければなりません、はい。以上三島市の住人からの指摘でした。そういえば、南柯書局の本は10数冊持ってるんじゃあないかなぁ。こんど調べてみよ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月17日 10:09 | 固定ページリンク




高阪 | 高阪です。

今日はふと思いたって「白貂を抱く貴婦人」を見てきました。
それより私は、時祷書のほうにしみじみしてしまいました。
それは両掌に充分乗るような小さな本で、綺麗に彩色された
聖書の場面かなにかの絵を左ページに、右には文様に縁取られた
枠の中に、金色の飾り文字のような字体で文章が記されていて、
多分とても貴重な一冊として大事に扱われてきたのだろうと
思えました。派手すぎというほどきらびやかなものでしたが、
私のような本を活字の連なりとして見て内容だけを追う読書は、
もしかしたらとても貧しいことかもしれない、そんなことを
思ったことです。

>自らを信じ、もしくは自ら肯うところのものを信じ、
そういうものを信じられるひとは幸せだろうと思います。それを
信じることが他を否定することにつながらなければいいのにとも。

>以上、人にかこつけて自分の心情を吐露するのが、私のもっとも
>得意とするところなのです。悪しからず。 
済みません。こうした目上の方の掲示板に慣れておらず、多少
オロオロしているところはあると思います。もう少し肩の力を
抜いて、普通にお喋りを楽しむようになりたいところです。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月17日 19:27 | 固定ページリンク




一考 | 頬にキス

 如月さんへ
 種村季弘さん主演の映画の話でそちらのサイトが盛り上がっているようです。
 明治時代から続く有名な漢方医院が六本木にあるんですって、その漢方医が函南に広大な薬草園を所有してい、監督の佐伯さんはじめ、関係者はそちらで起居を共にしているとのこと。
 先日のですぺらにおける撮影は柘榴と林檎と二十世紀を用いた博打場と軍の南方への転進の両シーンでした。一方は柘榴と梨のツー・ペアと林檎のスリー・カードのどちらが強いといった理不尽な賭博、一方は南方といっても南国ではなく大陸、すなわち南極でして、新宿梁山泊の女性と種村さんがペンギンと共に空を舞い、大久保鷹さんはアザラシと怪獣探検という荒唐無稽なお話。大久保鷹さんは太宰治、種村さんの役どころは連隊長にして吟遊詩人。両のほっぺにキスマークをつけられ「君たちは墜ちてきた天使」と喜んでおられました。種村さんの役者振りにかの怪優、大久保鷹さんも舌を巻く始末。楽しい一日でした。
 佐伯さんと私は二十代からの飲み仲間、京大在学中から映画には一見識を持つ親友の一人です。映画の完成は三月の予定、前述の漢方医院で試写会を開きます。お近くですのでいらして下さい。日にちが決まれば御連絡致します。

 以下は皆様へ
 11月12日の月曜日、学研文庫に署名をしに種村さんがですぺらへいらっしゃる予定。署名本をご所望の方はですぺらか如月さんへどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月18日 02:20 | 固定ページリンク




一考 | 眼中の人

 高坂さんへ
 ですぺらを初めてから種村さんを先生と呼んでいます。もちろん過去、種村さんを先生とお呼びしたことはありません。種村さんからどうしたのと問われ、皆死んじゃって、先生と言える人がいなくなりました。呼ばせて下さいと言ったところ、「さびしいこと言うなよ」と一言。郁乎さんの解説を書くのも私には断腸の思いでした。
 人に目上も目下もありません。でも35年もお付き合い致しますと存在が妙に懐かしく思われる時があります。迷惑を顧みず種村さんの本を幾冊も造りたくなったのは、いわば氏への拳恋の情。同じ思いを須永朝彦さんにも抱いています。私も「残された時間」に差し掛かりました。後は若い方々にバトンタッチ、高坂さんや斉藤さんどうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月18日 02:53 | 固定ページリンク




梅子 | 戸田村

どうもありがとうございます。とっても関西人なもので、関東の地理には疎くてすみません。
函南(かんなみ)という名も「神鍋(かんなべ)?」(兵庫県にある地名)と聞き返してしまいました。
天気予報で「茨城県鹿行地方」と言っているのを、関東にも六甲(神戸の北側の山脈)があるのかあと思っておりました。因みに軽井沢は全国に10カ所くらいあるそうです。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月18日 03:24 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 地名は難しい

全く、地名の読みは難しいものです(そういえば、函南町にも軽井沢があります)。種村季弘サンの本でも、西伊豆の地名のルビが間違っておりました(オイオイ)。ところで、一考氏が書かれているように、好きな作家の本を自分で出したくなるのはファンのならいでしょうか。私もその昔、種村季弘サンの私家本限定百部(非売品)新書版を種村サンと作ったことがあります。これはハマリます。でも、ご多分にもれず資金難ですぐ撤退。ここが一考氏との違いだなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月18日 09:38 | 固定ページリンク




みう | 先日は楽しかったです。

一考様

こちらでははじめまして。
土曜日に飛び込みましたフリルの服の小娘でございます。
覚えていらっしゃいますでしょうか?

大人のひとのゆくところにひとりで行ったのは初めてで、
わたしはとてもどきどきしていたのですが、
優しく迎えて下さって、とても嬉しかったです。

またわたしにとってとても幸せな巡り合わせもあって、
非常に充実した一夜となりました。

また、遊びに行こうと思います。
そのときはぜひ、またお話してくださいませ。よろしくお願いします。



投稿者: みう    日時: 2001年10月18日 18:16 | 固定ページリンク




さくら | 妖気が満ちているうちに(笑)


一考様ならびに梅子様


先日はお返事ありがとうございます。今妖気が満ち満
ちております。この間に恋愛などの話題で書き込みを
しておきます(笑)。妖気発散、こちらではOKのよう
ですね。

バーですが私はしばらく行っておりません。はたち過
ぎ以来でしょうか。昔バーで一人で飲んでいると、イ
コール一夜の相手を探しに来るということだったよう
ですね。昔の名残なのか、一人でいるとやはり誘われ
ました。それも単刀直入に。誘うならもっとスマート
になさいな(笑)。(私は99%断りますが)


ところで、肉体関係を持った後に煙草を吸う男性心理
が疑問です。やはりあの行動は「君との関係は義務で
やってるんだよー」なのでしょうか。確か、そういう
行動を取るようになった恋人とはやがて別れが来たよ
うな…。私はそんな失礼な男性とはさっさと別れてい
ますけど。

お暇がありましたら答えてやって下さい。結局のとこ
ろは男女の脳みその違いなのでしょうね。


ところで来月種村氏がお見えになるとのこと。私は残
念ながら行けないのですが、楽しい会になりますよう
お祈り申し上げます。


うちの父も最近は機械がめっきり駄目になっているよ
うです。父上、もっと格好良く行こう(笑)。



投稿者: さくら    日時: 2001年10月19日 01:10 | 固定ページリンク




智里 | 血か字か参上します

(ちかじか)と打つと、こんなん出ました。でも血か、字か、ってちょっと かっこいいかな。一考さんのイメージ。 久々に上京できる機会を得たので、近々参上します。すごく楽しみです。 車をぶち飛ばして、13時間もすればそこは東京だ!もっといい車だと8時間 くらいで着くんだろうなあ。とほほ。 



投稿者: 智里    日時: 2001年10月19日 10:04 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 常連

ミステリサイト「UNCHARTED SPACE」のフク氏の日記には、ですぺらのことがちょくちょくでてきます。ウ、ウラヤマシ。私はいつ訪問できるのだろう?酒場の常連になるには程遠いなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月19日 10:34 | 固定ページリンク




香賀薫 | 戸田村のこと追記

読みは「へた」ならず「へだ」なり。 書き逃げ御免。



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月19日 12:24 | 固定ページリンク




添田健一 | へだについて

えーと、伊豆出身の添田健一です。

僕も戸田村のことは幼少より「へだ」と呼んでいました。
しかし、観光ガイドなどには「へた」とルビがふってあるものもあり、
その実はいまいち不明です。

ちょっと確認してみます。



投稿者: 添田健一    日時: 2001年10月19日 15:40 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 転記


こんにちは。
一考さんのいいつけで、以前私が自分の日記に書いたですぺら紹介の文章を転記いたします。
小娘って、みうさんとかぶって恥ずかしいな……。
明日の加藤郁乎さんの出版記念会では私またまた臨時手伝いとして働きますので、いらっしゃる皆様よろしくお願いします。
『終末領』を読み返して気持ちの準備をしております。
(しかしむしろ『荒れるや』か?)


★ 2001年7月12日(木)

熱に浮かされて、ですぺらを宣伝するという使命をおろそかにしていた。
6月25日のところでも書いている、赤坂のショットバーですぺらにみなさまぜひお運びあれ。
シングルモルト専門店といっても、シングルモルトしかないわけではありません。
シングルモルトが只事でなくあり、日本酒、ジン、ウォッカ、ビール、カクテル等その他のお酒もたくさんあります。特にワインが
充実しています。

御主人の渡辺一考さんはかつて南柯書局で粋を尽くした美麗な幻想文学の書物を作られた編集者・造本家です。お客さんも文
人多数です。
思わぬ噂話を聞くことが出来るかもしれません。

私のような小娘が行けるくらいですから、一人でひっそり行っても居心地よし。グループで行かれる向きにはテーブル席もあり
ます。
先週伺った時には『モルトウイスキー大全』他の土屋守さんがいらしていました。

お値段も幅広い上、チャージもありません。
(池袋もけっこうチャージ取らないのですが、するとなぜ馬場のちょっと洒落たバーはチャージ取るのよ!?
馬場のくせに生意気ではありませんか。学生の財布を考えてほしいものです。)

場所は赤坂一ツ木通り沿い、赤坂見附駅側を背にして進むと左手に吉野家があります。そのビルの三階です。

それでまた金魚の話。
一考さんは金魚の養殖をされていたこともあります。(というか驚くほどたくさんのことをされています)。
金魚は一言で言えばデカダンスなのだそうです。
人工的に作り出され、人間の手を離れては存在できない美しくもグロテスクな生き物が金魚だそうです。
願わくば私も金魚のようにありたいものだわ。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月19日 22:19 | 固定ページリンク




一考 | 生涯婚前交渉

 さくらさんへ
 モルト・ウィスキーに嵌ってしまった私には酒と女人は両立致しません。なぜなら、香水、化粧品等、コスメティックな匂いは酒の香りを味わうに禁物だからです。一切の化粧品を用いない女性なら問題はありませんが、私は酒を飲む時はひたすら飲み続けるべしと心得ています。ぐでんぐでんでは全くつかいものにはなりません。いずれにせよ、私にとっては酒と女人は別チャンネルの存在のようです。
 この話を言い換えますと、下心のある殿方は女性を食事に誘い、下心のない方は酒に誘うということになりましょうか。
 それにしても、妖気と名付けた割には妖気のない話ですね。バーで誘われるなんてすてきじゃないですか。誘いを望んでいても誘われない人が私の回りには多く居ます。私が女性なら相手の口舌がスマートであろうがなかろうが100%付いて行きます。また、屁理屈は願い下げで、単刀直入なほど、素敵ではないですか。単刀直入でない人はセックス以外のものを求めているようで胡散臭くかつ不純だと思われます。
 煙草は嗜好品なので、呑もうが呑むまいがその人の勝手。さくらさんが煙草をお嫌いなら、その旨申し入れればよろしいのであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのですが。この話もちょっと視線を換えますと些か意味のある話になりましょうか。
 男性のセックスは果てると同時にすべてが終了します。しかし、女性は高まりがその後も持続されます。ことの直後に煙を吹かされてしゃくにさわるのは、かかる消息ではないかと推察されます。一汗かきし後、間髪を入れず風呂に入るとかトイレに立つとかされるのと同じで、男の側の気配りの欠落に問題があります。
 若い頃、すなわちスタート時にあって、男と女のセックスは噛み合うところがほとんどありません。そして歳と共に男は女性的に女は男性的に変化していき、結果として歩み寄るのではないかと思われます。それ故、男女共に若い時は年上と、老いては若い人とお付き合いするのが上々。婚前交渉で十二分に肉体をカスタマイズしておきましょう。
 また、性交渉は互いが互いの道具と化することで、双方が無私の精神を持たないと成り立ちません。それは相方が口から涎を流しながら貪りついている間は、自らの肉体を物として提供しなければならないということです。しかし、ネクロフィリアならいざ知らず、生体を相手のセックスであれば不可能に近く、それは男女の脳みその量ではなく、質を同質化させねばならないようです。
 質の同質化を問えば、変態が想起されます。変態同士の方が黙契を持ちやすいのではないかと思い、その道の達人に問い合わせると、100人の変態が居れば100通りの変態が存在するとのこと。これはもう、1000人切りでも10000人切りでも結構ですから、とにかく天文学的数値の人と接触し交渉を繰り返し、運を天に任せて好みの人との出会いを待つ以外、解決策はなさそうです。
 と、ここまでは他愛ないおしゃべりで、ここから先は文学の領域に入ります。果てにはセルビーやジャリが著したオナニー・マシンの世界が待ち受けています。よろしくどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月20日 15:04 | 固定ページリンク




高阪 | おそれいります。

>さくらさんが煙草をお嫌いなら、その旨申し入れればよろしい
>のであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのですが。
関係ないところからふと顔を出しますが、私は学生時代には一時は
喫煙していましたが、それは嗜好というよりスタイルの問題であり
どうも煙草は苦手なようでして、喉や気管支が弱いことが発覚して
自分が吸わずにいると、すっかり煙草嫌いになってしまいました。

まぁ銘柄によっては平気なのですが嫌いなものを浴びるのも辛く、
車両も禁煙席で同席する相手には極力申し入れるようにしている
訳ですが、どうも「それ以上でも以下でもない」というふうには
思うことができません。それは自分の我慢が足りないと思ったり、
相手に変にモラリストぶっているとか思われたくないと思ったり、
そんな無駄な心理的抵抗感が強いようです。空気の悪いところに
行きたくない、という気持ちが最近では先に立ってしまいます。
大袈裟な言い方をすると、バリアフリーではない社会に出て行け
ない障害者の方の気持ちが察せられるとでもいいますか、それを
それ以下でも以上でもないと割り切るには、一体どうしたらいい
でしょう。くだらない質問で済みません。どうしてもひっかかる
問題なもので、よければご意見お聞かせください。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月20日 21:27 | 固定ページリンク




さくら | 楽しいお話でした


一考様

ご教示下さりありがとうございます。
というより、楽しいお話をありがとうございます。
「この程度は妖気ではないよ」とのこと(笑)。

私は煙草を吸うので、普段は気になりません。
書き込みを拝見して回想してみたところ、
一度だけバーで出会った男性と性愛に落ちたことがありました。
すっかり忘れておりました。
その後奢ってもらって二度美味しかったです。
今度バーで誘われたら、断らずにちょっと考えてみます。
誘われるという機会があるだけでもなかなか幸運なのだそうで、
自分の魅力の一つかと思いました。
今後とも宜しくお願いします。


さくら

追伸:こちらには齋藤さんのHPでのご紹介で参りました。



投稿者: さくら    日時: 2001年10月21日 07:46 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | ツールの写真

◆一考さま
 
 金曜日は、ありがとうございました。
 数年ぶりにほっとした一日の締めくくりにふさわしい宵でした。
 おやくそくのツールの古い写真をメールでお送りしました。
 また、お店に伺います。


◆梅子さま

 いろいろお話できてたのしかったです。
 わたしも、新しい自転車買ったら、ゴボウならぬ、ネギあたりを背中にしょうことになるんでしょうか。うーん。自転車ライフと「前カゴ」は両立しないんでしょうかねえ。画材だのPCだの背中にしょうのは気が重いんですよね。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月21日 11:10 | 固定ページリンク




朝子 | シングルガールのシングルモルトは香りは問題じゃない?


皆様またもやお邪魔いたしまする。

私はタバコもがんがんのみ、かつ、香水もじゃんじゃんふりかけ、そして
モルトウィスキーはうまい!とか思っているんですけど、それは、鼻がお
かしいということに他ならないのでしょうか?

・・・香水もタバコもそんなに邪魔になるもんでないと思うんですけど・・

つまり、その、美味しいものに対面してるときはその人に意識をがっ!と
集中させておるので、香水タバコの匂いはあって無いものと、自分では思
うのですけど・・・

で、寝屋での話も同じで、相手がタバコのみでそれがお嫌!という場合は、
タバコが嫌なんじゃなくて、相手に興味が無い!という可能性を考えてみ
てはいかがでしょうか?そうでないなら、まぁ対抗して自分も頂いてやる
か、逃げるとか、水ぶっかけてやるとか、無視して自分は旨い酒でも飲ん
でやるとか辞めないならもうしない!と呟いてみるとか・・・色々楽しい
技のかけがいがあると思うのです。

そういや一度、東大理3出の若い開業医って輩に連れ回された時があります
けど、その人が一点しか目指しておらず、酒飲んでも美味しいご飯食べても、
なんかこう・・・つまんないなぁ・・・思って連れ込みの前からタクって逃
亡したことがありましたね。各段階が面白かったら連れ込まれても良かった
んだけど。

視点が大事というか、何に価値を置くかで、物事結構楽しめたりそうでも
なかったり、すると思うんですけどね。まーその、開業医だかなんだかも、
ある一点にのみ価値を置いてたんでしょうけど、あたくしも期待してたの
に、結局オゴリご飯ぐらいにしか価値を見いだせ無かったし。

万人切りというのも楽しそうですが、妙な病気だけはお気をつけなすって。

どうもお邪魔しました。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月21日 22:28 | 固定ページリンク




香賀薫 | 煙か酒か食い物


煙草も香水も味わいには関係ないと思うならそれでいいんじゃないでしょうか?
もっとも、そういう方の半径5m以内には近寄りたくないですが。
ご本人様はどれもいけて楽しいでしょうが、あいにく香水と煙草は空中伝搬
しますので、なるべくウイスキーの薫りだけを楽しみたい煙草嫌いにしたら、
あんまりありがたくないタイプであることは確かです。
煙草とウイスキーのコンビネーションを楽しまれる方もいらっしゃいますので、
煙草を全面否定はいたしませんが、灰皿に吸い差しを放っておいて酒を飲んでいる
人を見ると「どっちかにせんかい!」と突っ込みたくなる事はままあります。
特に、その副流煙が直撃だったりすると内心泣いてます。
私の場合、後で喉が腫れて来るんですよ。
ついでに、そば屋と寿司屋で煙草を吸うのは粗暴を通り越して残虐だ!と
主張いたします。いささかとうがたった青年の主張ですが(笑)



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月22日 12:52 | 固定ページリンク




朝子 | 他人様へのご迷惑は極力避けるよう努力はしております

香賀薫様 私めへのコメントだと思いますので、イイワケなんですけど、あたくしは、 堂々たるタバコのみであるため、ポリシーを持っています。 1.複数と食事中等の時は、火を付ける前に必ず断る!ダメと言われたら当然我慢します、できます、そんなこた、当たり前です。 2.携帯灰皿、いつも2,3個持ち歩いております。 なので香賀様、マナー知らずな奴にご迷惑をかけられる事が多いのかもしれませんけど、あたくし自身は違いますし、まぁ、もしですぺらで、隣の席になったら、ちゃんと、「タバコ遠慮してくださいますか?」と言ってもらえれば辞めますし。 バーに行く前に香水かけたりしません。 香水かけるのは、朝です。通勤列車がオヤジ臭いから。見知らぬオヤジに臭い!言うわけにもいかないので、自衛手段として、自分の鼻にのぼってきやすい所にちょいとつけているだけです。 って、あたしも、幼稚な反論で御免なさいね!でも、誤解されるのもいやだし!(笑)ではまた。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月22日 22:33 | 固定ページリンク




比呂 | その後いかがでございましょう?

どうも、比呂でございます。

 日頃の不摂生と何処にでも顔を出しては自分の時間を
食いつぶす生活を続けていたせいか、この10日ほど極度の
肩凝りが行きすぎたあげくの偏頭痛に悩まされております。

 季節の変わり目、というより、自分の年齢が恨めしくなる
そんな年齢に段々となってしまったのだなあ、などと。

>一考さまへ

 その後、顔がだせておりませんが、うまくいっているものやら心配
が募って参りましたので、また今週どこかで呑みに伺おうかと思っております。

 先にお伺いをした際には、可憐なお嬢様がカウンターでお酒を嗜んでいるか
と思えば、その後思いもよらぬゲストまで登場し、実はかなりどぎまぎして
おりました。おそらく傍目には図々しく見えたものかと思いますが(笑)。
 一緒にお伺いをした翻訳家の方もあまりに驚いてなにも言えなかったと残念
がっておりました。次回からはですぺらにお伺いするときには、せめて
『就眠儀式』くらいは携帯していこうと誓う今日この頃なのでございます。


>みうさま

 こちらにもご挨拶されていたのですね。ウィスキーを呑みにきた
そのカウンターで、西洋人形の如きの女性が座っていたのはまことに
不思議でマジカルな光景でありました(笑)。


 さて、Resでもないのですがつらつらと。
 こちらの最近のお話など読みますに、私にはまるで無縁な男女の美妙な
関係のお話などございますと、純情な変人の私にはまるで別世界の大人のお話に
感じられ、すっかり困ってしまいます。バーで妙齢の女性に声をかけるなどは、
気の利いた言葉の一つも出てこない無粋者には無縁な世界なのでございます。
はてさて、ここに発言を書かれている方々と顔など会わせようものなら、
おそらく相槌の言葉以外は出ますまい。もしいつかですぺらでお見かけになり
ましたら、そういう変わった生き物とご認識の上で、存分に触ってやってくだ
さいませ>みなさま。

 思うに「純情な変態」というのは、自己紹介する上では非常に適切な表現で
あるような気もいたします(笑)>一考さま

 煙草のお話は、始終煙草を手放せない私には耳の痛いお話しでございます。
それ以前に身嗜みなど整えることも怠り勝ちな私のこと、煙草を吸わなくとも
いつも衣装からは煙草の香りが………。
 ただ、酒にしろ蕎麦にしろ、その美妙な味わいを純に楽しみたい方と
ご一緒するときは、煙草は遠慮してくれ、と言われるのが常。でも無粋な私は
煙草がないと、なんとなく手持ち無沙汰で寂しくなるのもまた本音。
ならば、根っから無粋な自分がおりますゆえ、気持ちだけはせめて無粋な真似は
すまいというのを頭の片隅に置いて酒席を楽しむのでございます。
 時折、そんなこともさらりと忘れて、「タバコはやめて!」と注意されたりも
するのですが(^^;)。難しいものでございます。ただ、煙草の煙にも退廃の魅力
を感じる私故、生涯煙草は手放すまいなあ、とは感じております。なんとかうまく
付き合っていきたいものでございます。

 もちろん、酒の旨さに煙草がどこかに飛んでしまうことも、ままございます(笑
そのあたりに、本当の旨さの秘密などあるのやもしれません(^^;)

 



投稿者: 比呂    日時: 2001年10月23日 03:00 | 固定ページリンク




一考 | 疲れる話

 高坂さんへ
 文脈は文学生活と日常生活との乖離を示唆したつもりでして、煙草を嗜むのがそれ以上でもそれ以下でもないと述べたつもりは毛頭ございません。仮に五十歩譲ったところで、さくらさんはことの後に煙草を吸う男性心理に疑問を提出なさっています。ことの後に煙草を吸うのは「君との関係は義務でやってるんだよー」との意思表示ではなく、全く意味のない行為であって、さくらさんの考えすぎではないかという私見を述べたまでです。即ち男性の行為に選択とかアンガージュといった強い意志が働いたとは思われない。ただただ煙草を吸ったという、それ以上でもそれ以下でもない日常的行為ではなかったかと、そういう意味合いです。
 ちなみに、私は自宅では葉巻やパイプを嗜み、紙巻きに換算して60本位吸いますが、外ではフィリップ・モリスなどを飲んでいます。また、先日種村季弘さんと90分テープで5本に及ぶ対談を致しましたが、その間は先生の健康への気配りからフィリップ・モリスすら飲みませんでした。近頃煙草飲みは肩身が狭く、極端な不自由を感じる少数者と相成りました。
 私の友人に書誌学者の肥田皓三さんや小出昌洋さんが居ますが、彼等は酒も煙草も一切嗜まず、菜食主義者ですが、われら仲間内の集まりには出席なさっています。一切飲食せず、会費のみ支払われています。書物談議に惹かれてのことだと思われますが、酒、煙草、書物、女、オートバイを嗜好する私がごとき移り気な不良に苦言を呈することもなく、30年に及ぶ交友を結んでいます。
 どうでもよろしいのですが、こういう話は疲れますなあ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 03:59 | 固定ページリンク




梅子 | 眼鏡の忘れ物

 10月20日の加藤郁乎さんの「後方見聞録」出版記念会にお集まり頂きました皆々様、ありがとうございました。郁乎さんも大変喜んで下さいました。短詩系はちょっと、と言う方もこれを機会に繙いてみてはいかがでしょうか。
 ところでお忘れ物のお知らせです。黒いケース入りの女性用眼鏡がカウンター下に落ちていました。今日まで気がつきませんで申し訳ありません。お心当たりの方はお知らせ下さい。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月23日 04:02 | 固定ページリンク




梅子 | お詫びと脅し

みうさんへ
 先日は店主が大変失礼をいたしました。酔っぱらいはしちこくて困りますよねえ。
わたくしもいつも手こずっている過激オヤジで、アイデンティティーという言葉には過剰反応するようにできておりますもので。あの後無事にお帰りになったのでしょうか。

伊藤ビンラディン氏は、どこで始発までの時間をつぶされたのでしょう。追んだしてしまったようですみませんでした。店主があんなにべろべろでなければお付き合いしたのですが。翌日は休みだったので、一日中パジャマ姿で「頭ぼけぼけ~」と、ふにょふにょしておりました。

週刊文春に「後方見聞録」の書評が掲載されたのは有り難いことです。これで売り上げ倍増!の訳ないですが、”あの”学研文庫のイメージチェンジになれば、ウッヒッヒ、です。
『伝説的な流れ編集者、渡邉一考』と書かれていたのには、なるほどと感心してしまいました。
この掲示板を見た方は、皆さん必ず誰かに「後方見聞録」を買うことを勧めるように。さもないと・・・などとは言いませんが、どうぞよろしくね。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月23日 04:56 | 固定ページリンク




moondial | ご無沙汰です。

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一考さん、なかなか繁盛している掲示板ではないですか。
久しぶりに貴兄の文章を拝読させていただきましたが、実に素敵ですね、
一考節健在、合間に貴兄作詞の春歌か「フランチェスカの鐘」が入れば
もう完璧ですね。活字になる文章共々貴兄の変態バージョンも又格別に
素敵です。 郁乎氏には少々失礼ながらも、「後方見聞録」後書き、
モルト香を含ませ熟成させた文章に出会えるのを楽しみにしています。
ボインもナインも満喫され一考少年大活躍の面目、お店も繁盛している
御様子、取り敢えずお祝い申し上げます。

ご依頼の妖しき物、明日か明後日には発送出来るかと思います。

梅子さん、ご無沙汰です。しかし、梅子とは実に卦体なハンドルネーム
ですね、一考氏が命名したのでしょう。まず元気そうでなによりです。
又機会があれば神戸の美味しいパンでも食べに来てください、
歓待しますよ、某ミル嬢も随分と大人になりましたから。

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投稿者: moondial    日時: 2001年10月23日 12:21 | 固定ページリンク




伊藤”御邪魔ビンラディン”敬 | 御心配ありがとうございます


伊藤”御邪魔ビンラディン”敬は、あのあと、みうさんを赤坂見附の駅
までエスコートして、タキシーに乗せてから、新橋方面に向かって歩い
て行き、途中、溜池に「カフェ・ロリータ」といふ24時間営業の珈琲
屋を見つけて、そこはロリコンを以って自称する御邪魔ビンラディン師
のこと、壁に掛けられたスー・リオンのポスター眺めながら、イクヤー
ノフ師新刊の増補分をじっくりと読んで時間をつぶしてゐたのでした。
御心配ありがとうございます。
週刊文春書評、裏から手を廻して書かせると最も効果的な人ではないか
な、と思ってゐた坪内祐三氏が、さうした小細工を弄してゐないのに、
しっかりと取り上げてくれてゐるので、これは、名著再刊の船出に、大
歓迎すべき追い風が吹いてくれたのだと思はないわけには行きません。
坪内氏は、ヨミがたしか逍遥の本名と同じで、やはりといふか早大出身。
山口昌男氏の門下では最も信頼できる評論家で、あの「月の輪書林」の
高橋徹氏の親友だと言うと、おおよその目利きのスゴさは御了解いただ
けると思ひます。もっとも、玄人受けする「シブい本」ばかりを薦める
ヒトだといふ説もあって、売れ行きにどれだけ好影響があるのか疑問視
するイヤーな手合もあるやうですが、まぁ、一旦あの本の頁を開いたら
こちらのものなんですから、あんまり心配する必要はないでせう。
デハ又



投稿者: 伊藤”御邪魔ビンラディン”敬    日時: 2001年10月23日 12:45 | 固定ページリンク




香賀薫 | こんにちは


朝子さま
ポリシーのある方はまこと有り難いです。
そのちょっとした「吸っていい?」の一言が嬉しいのです。
通勤時に、全館禁煙のオフィスに入る前に必死に歩き煙草でふかす人やら、
食事中断りもせずにばふばふとふかす人、勘弁して欲しいと言ったらゴーゴンも
かくやの目つきになる人やらにうんざりしているところでしたので、物言いが
きつくなりました。八つ当たりの感もあります。御宥恕を。

比呂様
煙草の退廃。ルイ・イカールの「スモーク」という版画を思い出します。
かの美人になら煙に巻かれてみたいものです、なんていってみたりして(笑)



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月23日 12:50 | 固定ページリンク




一考 | 月見で一献

 moonさんへ
 お久しぶり。
 東京では春歌はおろか、カラオケなるものにご無沙汰。そのうち弘田三枝子さんと合同コンサートでも開こうかと思っております。
 活字の方は明年末より新たな連載(こちらは文学です)をはじめる予定ですが、その前にウィスキーの本と酒の肴の稿を起こさねばなりません。モルト・ウィスキーの方は現在300枚位、あと300枚ほど書き足さねばなりません。基礎資料編はほぼ終了しましたが、これから先は1000種のウィスキーの香味を個別に著さねばなりません。過去の原稿で使用可能なのは約半分、正念場をむかえるわけです。
 明石の来住謙一郎さんや太田守さんのように、モルト・ウィスキーの香りについて縦横に語り合える相手に恵まれず、苦渋致しております。赤坂の酒屋さん、ソムリエやバーテンさんが葡萄酒の相談に足繁くやって来るのですが、ソムリエではなんの役に立たず、香りについてはやはり板前さんしか信用できないようです。栗の渋皮、生海苔、やや痛みかけた生麩、駄菓子屋のゴム風船、飴の純露、黴びの生えたパンツ、みつこや夜間飛行を1000倍に希釈した香りなど、来住さんからの一言は大いなる連想ゲームをもたらし、抱腹絶倒の試飲会の繰り返しでした。かつてお付き合いした香水の調香師やJTTのブレンダー、また植物学者の鼻にも驚かされましたが、食の厚みと深さ、更に香りに対する記憶とその鳥瞰図の広大さにおいて、懐石料理のプロにはかなわないようです。
 神戸で試された10種のブランデーのブラインド・テイスティング、同じく10種のジン、10種のシェリー、20種のバーボン・ウィスキーとモルト・ウィスキーのブラインド・テイスティング、同じく10種の日本酒の銘柄と瓶詰めの年月日を当てるという難問も軽くパーフェクトにクリアーしましたが、それを表現するとなると生易しいものではなく、語り合える相方が欲しいなアと思っております。
 それにしても、何時になれば赤坂のですぺらでモルト・ウィスキーの試飲会を開くことが出来るのでしょうか。ホワイエのマスターから頻繁に励まされるのですが、寒々とした心持ちです。ホームページが突破口になればよろしいのですが。

 隣りで梅子が「神戸の美味しいパンでも食べに来てください」との書込をする暇があれば、フロインドリーブのケーキとドンクの加納町工場のパンを送付せよと宣っております。パンに関する著書を幾冊も上梓した人の紹介で東京中のパンを食べ漁りましたが、満足なものに未だ巡り会えません。歴史と文化の違いでしょうか。
 妖しき逸品を鶴首。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 15:13 | 固定ページリンク




一考 | とらぶる発生

 比呂さんへ
 会社へ電話致しましたが、頂戴いた名刺先には飯田克比呂さんがいらっしゃらないとのこと。
 連絡が取れず困っております。重度のトラブル有り、なんとかしてチョーダイ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 15:34 | 固定ページリンク




高阪 | なんというか。

疲れる話をさせてしまいましたようで申し訳ないです。
気管支炎になりかけで苛々しているのかもしれません。
愛煙家の方々、済みませんでした。明日はきちんと病院に
行きます。ですが皆さんのお話は、大変参考になりました。

>神戸で試された10種のブランデーのブラインド・テイスティング、
>同じく10種のジン、10種のシェリー、20種のバーボン・ウィスキーと
>モルト・ウィスキーのブラインド・テイスティング、同じく10種の
>日本酒の銘柄と瓶詰めの年月日を当てるという難問も軽くパーフェクトに
>クリアーしましたが、
全部判るとは、すごいですねぇ。そうしたお話に参加
できるとよいのでしょうが、嗜む量が違うのだなぁと、
ただただ感心するばかりです。モルト・ウィスキーは
ウィスキー醸造所や周辺の風景の美しい写真が満載の
C.W・ニコルさんの『ウィスキー・キャット』という
本を読んで以来興味があるのですが、なかなか機会が
ありません。残念なことです。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月23日 21:25 | 固定ページリンク




フク | そろそろ

皆さん、こんばんは。
いざ書き込もうとするとどこか敷居が高い気が。
フーリエの使者さんにも紹介頂きましたのでのこのこと出て参りました。

梅子さま
フロインドリーブとは懐かしい。「ケーキなのかパンなのか」(だったと思う)
キャッチコピーの看板が、実家の近くの某駅にあって不思議な言葉だな、とずっと
思っていたことを思い出しました。ちょっと調べてみたところ、今やネット注文
して地方(東京も地方ですね)配送もしてくれるようですよ。パンが旅をしたら
味がどうなるものかは分かりませんが。
http://www.mars.dti.ne.jp/~ghb1266/


ワタクシ、シングルモルトは大好きながら一向に銘柄を覚えないため、行く度に
一考さんに選んで頂いては「うお、これは」とか「ひゃ、すごい」とか一杯毎に
嘆息したり、喜んだりしている酒飲みです。先週の予告通り、明日か明後日には
顔を出しますので、また相手にしてやって下さいませ。



投稿者: フク    日時: 2001年10月23日 23:52 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | えっ、どきっ!

◆フクさま

 まー、2分の1の確立でお会いできますのね。うむむむむむ。(笑)

========
フクさんのいわれること、よくわかります。
わたしはフランスのワインを日常的に飲みます。つまりその程度のお値段のしか手を出さないということなのですが、銘柄というのはどんどん忘れてしまいます。ラベルの顔では覚えているのですが。
事典屋なのでフランスワイン事典なんかも彼の地から買い求めたりもしたのですが、その方面の記憶中枢はかなりザルでして、どんどん忘れちゃいます。いや、ワイン、飲むほうもザルなんですが。

しかし、よくしたもんで、こういう非コレクター体質の自分の周りはワインに限らずいろいろな分野の「歩く××事典」のような生き字引のような方がなぜか現れる怪奇現象がよくおきます。だから余計覚えないという、迷宮に陥るのですが。
でも、そうした方達のお話を聞くのはとても好きなのです。とても楽しいし、得した気持ちになるのですもの。

でも好きなワインも大ざっぱにはありまして、個人的にはラングドック・ルシオン~ボルドーあたりのもの、それからコート・デュ・ローヌの中でシャトー・ヌフ・ド・パープ、アルザスあたりのものというのがいいですね。どれもワインの味だけではなくて、いろいろな思い出もつまっているのです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月24日 00:52 | 固定ページリンク




松友 | ~~反省反省~~


一考様

20日の出版記念会では大変失礼申し上げました。
扉を開く前に気がつけば宜しかったのですが、
唯一匹迷い込んでしまいました鼠こと松友です。
御歴々の先生方、先輩の皆様方には大変ご迷惑をお掛け致しました。

やはり拙メは、ここ、掲示板にても異端の徒となっているように感じます。
それでも、お邪魔してしまうのは拙メの未熟さゆえです。

関西に居られた折のお話がございましたが、
往時はモルト・ウィスキーについてそのようなお話をされていたのですね。
来住殿にも酒、肴について多く教えていただいたことを懐かしく思っております。
ホワイエのマスターとも御親交がおありとの事、さすがです。
一考さんのセレクトとなると、さぞや特徴のあるボトルが揃いそうで、
近い将来、ですぺらにてのモルト・ウィスキーの試飲会が
開かれるようになることを切に期待しております。

さて、風の単車は残念ながらすべて手放してしまい、
新たな飼主の元で穏やかな日々を過ごしております。
白蓮ならぬ黄蓮も既に掌中を去り、紅毛の駻馬はかかりつけの厩にて療養中、
早く再び手綱を採れるようになりたいものです。
もっとも悲しいかなどちらも一考さんの手綱捌きには遠く及びません。
いや、それより先に梅子様に頂戴しました宿題に取り組みませんと。

酒の本、HP、共に楽しみにしております。
まずは取敢えず、お詫び方々ご挨拶まで。
   ~~松友~~



投稿者: 松友    日時: 2001年10月24日 02:47 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | フロインドリーブ

その昔、広尾にある東京フロインドリーブでパンを買ったけど、よく分からない味でした。今ならワカルかな。だけど、本店とは味が違うんだろうなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月24日 10:56 | 固定ページリンク




如月 | 業務連絡

拙サイトのdesperaページhttp://www.furugosho.com/despera.htmより、この 掲示板にリンク貼りました。 ご確認ください。 現在のリンクはいちおう仮ということで、desperaHPが正式にオープンしまし たら、また手直し致します。 HP開設まで、まだまだ山あり谷ありのようですが、おがんばりあそばしませ。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月24日 23:54 | 固定ページリンク




つまさき | 横から失礼します

「ケーキなのかパンなのか」のキャッチコピーはケーニヒス・クローネかと・・・ 重箱の隅、失礼しました。



投稿者: つまさき    日時: 2001年10月24日 23:56 | 固定ページリンク




フク | あ、そうか

つまさきさま

書き込みを終わってから、実は小生自身もその可能性に思い当たって実は悩んで
おりました。ケーニヒス・クローネでしたか。すっきりしました。御指摘ありが
とうございました。



投稿者: フク    日時: 2001年10月25日 01:48 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 一言いいですか!?


管理人櫻井さんの10月20日の日記に「臨時バイトの二階堂奥歯さん(←女性)は胸に名刺入れを入れていて、胸元から取り出し
て客人に名刺を渡していた。変わってるなあ。」とありますが、これは決して私の習慣でも趣味でもありません!
単にポケットがないワンピースを着ていたからです!

それから、バイトではなくお手伝いです。
なぜなら……、バイト代は出ないからです……。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月25日 22:05 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | お知らせ


お知らせ係奥歯です。
ですぺらにフライヤーが置いてありますのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、改めてお知らせいたします。
エコール・ド・シモンの松島智里さんの個展が本日より行われています。

松島智里個展<Synchronicity>
10月25日(木)~11月8日(木)
アートスペース美蕾樹
渋谷区宇田川町17-1渋谷ブラザービル4F
03-3463-8477

27日(土)6:00~
オープニングパーティー

松島智里さんのHP
http://www5/ocn.ne.jp/~fetaleye/
(でも、昨日から行けないようなのですが。私のブラウザの問題でしょうか。)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月25日 22:26 | 固定ページリンク




一考 | 宇野邦一さんのことなど

 ムーンさんへ、妖しき三種の神器、かたじけなくも落手。
 Adobeのお姉ちゃんの逆鱗に触れぬよう、注意致しましょう。先日の松友さんの来信も詩的に装われていましたが、草の根ネットとは異なり、こういうオフィシャルの場では迂闊な文言や矯激な発言には要注意ですね。活字や手紙の方が、ヨタをとばせそうな気がしてきました。昔からですが、どうもレトリックなるものは苦手です。
 貴方のh・pはいかが相成りましたか。須永さんのh・pでは会員制のサロンでも拵えて、毒舌に浸ろうかと思っています。昨今、著者の息遣いが聞こえる書冊は珍しくなりました。今こそ必要なのは「署名のない紙つぶて」なのにと案じる次第。
 ところで、宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」は読まれましたか、講談社選書メチエの一冊として上梓されました。定価は1700円。取るに足らぬ現代文学(特に小説はひどい)の中にあって、ひときわ屹立した著書とかたく信じます。ご本人とのお付き合いは間合いの取り方がうまくいかず、些か難渋致しておりますが、宇野さんの拵え事にはかねてより畏敬の念を抱いております。書肆山田から上梓されたベケットの翻訳は箇々の作品に合わせて異なる文体を取り入れ、原著者の呼吸もしくは搏動に迫ろうとした意欲に溢れた逸品。気配りと芸の細やかさ、言語に対する智力が美事に三位一体をなしています。ヘーゲルを要約させて右に並ぶ者なく、恩師にあたるドゥルーズの肖像を、哲学的生涯をときほぐした著書の到来が待たれていました。もとより、わが邦における一過性の構造主義に私はなんの興味も抱きませんが、個としてのドゥルーズの哲学には大いなる興味を抱いて参りました。宇野さんの文章は行きつ戻りつ、何を読みとり、いかに読み換えるか、難解なドゥルーズのモチーフにまとわりつつ、懐疑を日本語の中にいかように織り込んでいくかに終始します。ドゥルーズに限らず、立ち徘徊ることを本意とする宇野さんの哲学が、肉声が実に簡明かつ鮮明に書き綴られています。稀にみる名著にして、お薦めの一本です。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月26日 14:57 | 固定ページリンク




一考 | 高遠弘美さんのことなど

 奥歯さんへ
 これは櫻井さんのふくらみへの憧憬じゃないですか。男と女ではふくらみの場所が異なりますし、些か成分も違えます。ないものねだりは麗しい心意気であって、非難には当たらないと思いますが、如何なものでしょうか。信仰するものは極端に尊く、然らざるものは乱離骨敗との鏡花世界の一端なのですよ。櫻井さんの中にも斉藤磯雄、松山俊太郎、高遠弘美各氏と同種の血が流れているものと思われます。
 ちなみに、高遠さんの随筆集「乳いろの花の庭から」(ふらんす堂)所収の「いつの日かフェルメールを見にどこかの町へ」へは頗るユニークなエッセー、そしてロミの翻訳「乳房の神話学」(青土社)は澁澤さんのネタ本の一冊。また、今回種村季弘スペシャルのために著されたエッセーは一随に師を憶う稀代の卓筆。文学翫賞家としての本領を発揮、再構築された資料と種村季弘に対する愛情の念とが渾然一体となり、鮮やかな種村像を浮かび上がらせている。とりわけ、結句は文句なしの傑作。読み手をして慟哭を与えるような文章との出会いは、吉行さんの死後絶えてなかった。かたじけなく存じます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月26日 16:00 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 松島智里さんのHP


昨日貼ったURLは間違っていました。
正しくは
http://www5.ocn.ne.jp/~fetaleye/
でした。

今日松島智里さんの個展に伺いました。
50cm四方程度の大きさの世界が並ぶ稠密な空間でした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月26日 21:01 | 固定ページリンク




moondial | 怪人百面相

怪人百面相の貴兄がレトリックは苦手とは面白い。貴兄の最近の文章は、別種麗しきふくらみと流麗なレトリックを絡ませ、種々アルコールを脳幹網様体に注ぐほどに、ボインとナインに揉まれるほどに、却って明晰判明になるものかと少々驚いております。毒舌に浸れるほどの錬金術を持たぬ小生のHPは未だ手付かずの状態、又苦労して作ったところで、侘びしいかな、「署名のない紙つぶて」を投げてくれる方も受ける方もおりません。お薦めの宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」、読んでみます。『千(ミル)の高原』ばかりで遊んでいないで、貴兄のように「立ち徘徊る」術を少々学ばねば。しかし貴兄は相変わらず元気ですね、小生は益々体力も無くなり容易には勃起しません(相手が悪い等と言う無かれ)、SMに走るべきかな。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月27日 12:24 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 失礼いたしました


二階堂奥歯さま
日記の文面失礼いたしました。奥歯さんのコメントを日記に挿入させていただきまして、
誤解のないようにいたしました。ご了解ください。

一考さん
フォローありがとうございます。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月28日 00:03 | 固定ページリンク




ヒデキ | はじめて書き込みいたします。

 9時頃お伺いしましたヒデキと申します。芝居が好きで、これまでも
郡司正勝先生の著書からいろいろ教えていただいておりましたので、
見せていただいた「芸能の足跡」、読み耽ってしまいました。手元に
置きたいと真剣に思案しております。
 日曜日は日帰りで大阪へ参りまして、山本六三さんの久方振りの
個展を拝見するつもりです。慌ただしい日程になるようですが、
とても楽しみです。貴店の個室で拝見できる山本さんの銅版画作品の
題名を知りたく存じます。ご教示くだされば幸いです。



投稿者: ヒデキ    日時: 2001年10月28日 00:53 | 固定ページリンク




一考 | 異端とはなんぞや

 松友さんへ
 「やはり拙メは、ここ、掲示板にても異端の徒となっているように感じます」こういう書き方はよろしくないのでは。と申しますのは、異端の徒でもなんでもよろしいのですが、自らを定義づけるという点に私は納得が行きません。
 異端であれ、変人であれ、それら文言から来る優越感と遜った様子に示唆されるコンプレックスの鬩ぎ合い。それを自らの性格の一端として他者へ押し付けるために強調なされるなら、それはそれでよろしいのですが、「私は」との主辞の後にやってくる「何々である」との賓辞、言い換えれば、人の稟質のようなものを自ら定義するのはかなり無謀な行為ではないかと思います。ヘーゲルにせよ、ニーチェにせよ、バタイユにせよ、世の哲人はその一点の証明のために夥しい量の原稿を費やしています。我ら凡人にとって、かかる判断は他者に委ねるのが最も賢明な方法ではないかと思います。というよりも、人品骨柄など、他者が判断すべき筋合いのものであって、自らが自らに下すのはさかしらな迷いごとのような気がします。誤解を畏れず申せば、他者とは自己の鏡であり、自己とは他者の投影ではないのでしょうか。
 この消息は、昨今用いられるようになった「私的(わたくしてき)には」にも同様。意見は陳述するものの、確たる自信はなく文責は負いかねる、結果として賓辞はともかく、主辞の方は弱めておこうとの自己防衛が無意識が働いているものと思われます。それら孰れもが、大事なのは私だけとの同心円を描いています。複数の芯を持つ楕円であれば、弁証や懐疑が生まれる可能性も在るのですが、同心円では同じところを繰り返し巡るだけ、犬が自分の尻尾を銜えようとぐるぐる回るのに似て、それでは自らの精神になんら変化も深化も齎しません。当然、精神に進歩や進化などは存在する筈もないのですが、深化を拒否すれば精神は老い、すべては滞ってしまいます。
 プライド、オリジナリティー、パーソナリティー、ポリシー、アイデンティティー等々。政治用語から社会学用語に至る虚言に、現代人はすがりつき、振り回されているようです。虚言と申しましたのは、それらの文言は中味すなわち実体をまったく伴っていないからです。虚言癖をかなぐり捨て、肉声を発しようではありませんか。肉声とはおのが迷いであり、逡巡であり、懐疑なのです。それは心の中にふるえを、畏れを、おののきを齎します。でも、それでよろしいではありませんか。精神に賓辞などあろう筈もなく、人に安住の地などあろう筈もないのですから。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 02:40 | 固定ページリンク




ルンルン一考 | 修辞法とはなんぞや

 ムンムンダイアルさんへ
 レトリックが苦手と著したのは自分自身が講じている下らない気配りへの物言いでして、馬鹿を馬鹿と言えず、暗喩としてしか表現出来ない中途半端な現況への自嘲でございます。などと迂闊にものを申せば聡明な貴方のこと故、暗喩が修辞法でなければなんなのですかと畳み込まれそうですね。
 会話の妙味を愉しむにはマナー以上にかなり強引な技が必要になります。昔を憶い出して下さい。舞台は三宮の安居酒屋、いやジャズ喫茶でしたっけ、革ジャンとグラサンに身を包み、くわえ煙草で肩を怒らせ、伏し目がちに構え、相手の言動から非論理的もしくは証明に難儀するであろう一言を暴きたて、相手が泣き出すまで容赦なく責めたてる。相手が暴力で立ち向かって来たときはビール瓶の一撃で眠らせる。荒っぽい時代でしたね。さすがに外科病院とのお付き合いは45歳からは沙汰止みになりました。そのかわり、最近は冷えると体の節々が痛みます。偽関節になりかけた左右二箇所の関節もうまく機能せず、感覚が元に戻りません。でも、なんら不満はないのです。過ぎゆく一刻一刻が私にとって遺された掛け替えのない日々であり、能うかぎり律儀に付き合ってきたからです。それはもう暫く、ほんの暫く続きます。
 インポテンツが自同律の問題か他同律の問題かと申せば、恐い怖いミル嬢に叱られますので、やや方向を換えまして一言。視姦という不能者に相応しい愉しみ方があるではないですか。インポテンツを嘆くなかれ、若い女ではなくフレッシュな男性を取り込み「鍵」の世界へ。なんですって、お気に召さない、やはり女にこだわりたいですって。されば「卍」の世界しか御座いませんなあ。
 この書き込み、やはり修辞法に終始しちまったようで。前言を訂正させて頂きます。なお、当方からも妖しげな一品料理お送り致しましたので、よろしく。



投稿者: ルンルン一考    日時: 2001年10月28日 02:44 | 固定ページリンク




一考 | 追伸

擬関節の(ぎ)を間違えたようです。悪しからず。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 02:51 | 固定ページリンク




一考 | 葡萄酒あれこれ

 中嶋さんへ
 ラングドッグではコルナスが有名ですが、ノエル・ヴェルセットの88年ものボトルがとりわけ美味かと思います。シャトーヌフ・デュ・パープは赤が多く白は滅多にありません。ポール・ジャボーレ・エーネの白がお薦め。96年ものがわが邦にも輸入されています。アルザスは当然、白が多いのですが、貴女が触れられているのは赤だと思います。ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールをお好きとはシブイですね。アルザスのピノ・ノワールは葡萄だけでなく、小枝や葉っぱも一緒に処理するところに特徴があります。ちなみに、オークニー諸島のポモナで醸されるモルト・ウィスキーのハイランド・パークは、独自のピートベッドから截り出される若いピートにヘザーの根や枝も一緒に焚き込みます。香味が僅かでも複雑になるんでしょうかね。
 ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールは量は飲めませんが、たまにグラス2~3杯なら飲みたいですね。それとドイツの赤ワイン、当然品種はピノ・ノワールですが、過去に3種味わいました。カンパリやスウィート・ヴェルモット同様、甘味が咽に引っ掛かり、あまり感心しなかったのですが、珍品ということで話の種にはなりました。
 私の好みですが、ワインと書くとピンとこないのです。やはり、葡萄酒でないと駄目なようです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 04:05 | 固定ページリンク




一考 | ラ・ボエーム

 ヒデキさんへ
 個室の山本六三さんの絵はメーテルランクのペレアスとメリザンド(杉本秀太郎訳、湯川書房)の装画です。同じものが須永朝彦さんの家にも御座います。山本六三さんの絵がお好きなら、次回いらした時に仰有って下さい。珍しいものを店に蔵しています。
 山本六三さんとの付き合いは古く、私が15歳の時からです。十代の頃はよく飲みました、と言うより、60年代は連日ご一緒したと言っても過言ではありません。お付き合いは頓挫したままですが、氏から得た厚誼は私にとってのラ・ボエームです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 04:36 | 固定ページリンク




moondial | 暴露メッセージ?

 
ルンルン一考さんへ

当時は、会話の妙味と云うよりは、貴兄の圧倒的なお話を精一杯拝聴するだけで終わっておりましたよ。
舞台は何処であれ、惜しいことにその場に居合わせた事はありませんが、喧嘩早い貴兄の武勇伝には事欠きませんよね。最近では、優しい気配りの一考さんで通されている御様子に甚く感服。往事の過激な貴兄そのままなら、高価なモルトウィスキー瓶の一撃はなさそうですが、厨房から何丁もの包丁がびゅんびゅん飛んできそうで誰しも「ですぺら」には近づかないでしょう。しかし当人ではなく、こちらが厄介事に巻き込まれたり勝てる見込みがないと悟られると、すっ飛んで逃げ出すであろう貴兄は、逃げる術にも長けている才人でありますよね。才人と云えば、その多彩さには恐れ入ります。繊細な美少年時には詩人として、後に春歌作詞家兼歌手、今風に云えばシンガーソングライターの先達ですよね、或時は物数奇な装幀家、奇特な出版編集人、或時は本膳と見紛うばかりに舌鼓を打つ料理を饗してくれる料理人(神戸トアロードのデリカテッセンの屑ハム、鱶鰭、銀杏等を素敵に閉じ込めた数十種に及ぶ煮凝りは絶品)、また或時は、ダ・ビンチの設計図から陰部を配慮した最新の解剖学的サドルに至るまで、手作りの種々部品を伊太利からわざわざ取り寄せる程の凝り様で油塗れの自転車作り、すわ見給えと神のごとく疾走するかと思いきや迂闊にも転倒の末痛々しい鎖骨骨折、まんまと市から見舞金をせしめ女子大生と遊興三昧、その後「金の切れ目が縁の切れ目」と宣って、ケンタウルスの旗を翻し暴走族へと変身、ん?こんなの暴露しても宜しかったでしょうか? で、その片手間に、蘭鋳、和蘭獅子頭、地金、土佐金、朱文錦、秋錦、和藤内、水泡眼、珍珠鱗魚、絨球魚、翻鰓、赭魚等の種類は存ぜぬものの、たった一年ほどで品評会一等賞を獲得する程の金魚繁殖養魚師、小生が知らない姿も多くあるのでしょうね、今では大人しく酒肆の店主になりすましておられるものの、さてお次は何に変身? 貴兄の流動する存在は実に素敵です。

「便器」は兎も角、貴兄に倣って視姦は勿論、直角に折れ曲がった男根はありませんが、複数の若い男女を宛い「鍵」「卍」擬の世界も既に試してみましたが持続効果は無く、インポテンツをさほど嘆いているわけではありませんが、残るは多分男を啣えるかSMしか残っておりません。どうも某須永氏のような巨根だと聊か怯んでしまいますし、軟弱短小の小生には、素敵なコスチュームや道具に拘ってSMごっこをする方が妥当かと思っております。傍らの某ミル嬢が矢庭に、小生が惚れている一考氏のを啣えれば等と呟いておりますが...。ところで、貴兄のお店をショットバーから、こだわりのSM倶楽部に変身させませんか? 神戸には古くから「倶楽部DOMA」と「スキン2」がありますが、これが結構流行っていますよ。貴兄が拘れば日本一、いや世界一のSM倶楽部になること請け合いです。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月28日 17:38 | 固定ページリンク




松友 | そういえば以前にも同じご指摘を戴きました


一考様

「やはり拙メは~」の書き込みについてのお言葉ありがとうございます。
自分で「自分はこうである」と言うのは、いうなれば甘えの裏返しです。
大変失礼致しました。
関西にての折にも同じように
「そんな振る舞い、止めなさいな、なんにもならんよ」と、
お教えいただいていましたのに、まだ治っていません。
「中身の無い誤魔化しを捨てよ」とも、そのとおりです。
さて、ご指摘ありました「私的には」も「自分はこう思う」と
はっきりと言わない、逃げであると思います。
あるいは会話の途中に語尾を上げて問いかけるようにする「半疑問」といわれる
表現も同じと考え、避けるようにしていますが咄嗟に出てしまい
反省することがあります。
おっしゃって戴きました通り、思うままに言葉を発するようになるよう、
遅々とした速度でも癖を捨てて行こうと思います。

あ、ですがもう一つの「癖」の方はなかなか難しいかもしれません。
関西の方々には既にバレバレなのが少々恥ずかしいものがありますが、
もしかしたらドクトゥールはご存知無いかもしれませんね、えへへ。
(とっくに見通されているのに気付いていないだけだともっと情けない。)

では。



投稿者: 松友    日時: 2001年10月28日 19:21 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | お気遣いいただきまして


櫻井清彦さま

お気遣いいただきましてありがとうございます。
櫻井さんが書いていたことは事実です。
ただとにかく恥ずかしくなってしまったものですから。
私の方こそすみませんでした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月29日 00:37 | 固定ページリンク




一考 | 秘密倶楽部

 moondialさんへ

 「便器は兎も角、貴兄に倣って」はないでしょう。私の性癖なんざあ貴方に比べりゃ可愛いもので、ちょいと花柳界に生まれたのが災い(幸いかなあ)しただけですよ。こだわりのSM倶楽部とやら、考えなくもないのですが、元手をすべてモルト・ウィスキーの購入に使っちまいましたので、老いたる先の楽しみに取り置く次第。でも、北海道のライダー・ハウスや牧場にも未練があるなあ。ライダー・ハウスでスワッピング教室や乱交パーティーでも催しますか。
 「倶楽部DOMA」と「スキン2」より古いのが「ジュニア」です。もっとも「ジュニア」は神戸最古のゲイバーにして、マスターは博多の産。その「ジュニア」の一期生が「タミー」のオーナーです。たしかカルーセル・麻紀さんも「タミー」の出身者ではなかったかと思います。三宮のゲイバーでちょいと古いお店「三番街」「タブー」「漁火」(この店は郡司さんをお連れしました)など大半はその二店の出身者です。当時「タミー」の独身寮が福原の拙宅の道を挟んで真ん前にあり、幼少の頃から徹底的に性的玩具としての教育を受けたのも懐かしい思い出です。「ジュニア」さんからはゲイバーの発祥の地は博多で、神戸の「ジュニア」が二番目なのよと再三聞かされました。「どん底」「田園」「アスター」のオープンが昭和22年、「ジュニア」は昭和21年ですから、私が生まれる直前の話です。その時の保証人が「ムーンライト」のオーナーで、その「ムーンライト」の一期生が「飛鳥」の創始者だった百地さん。貴方もご存じの、私が15歳で一緒になった最初の女房は「飛鳥」の二代目ママ。それに父と同じ部隊にいた「上高地」「不二家」「明治屋」のオーナー、その辺りの方に支えられて私の十代は成り立ちました。
 かつての国際会館の浜側、奥まった路地の突き当たりにあった「ジュニア」は夜の12時になるとシャッターを閉め、秘密倶楽部に変身します。ゲイバーであるにも関わらず、白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード。今日は鞭打ちで来週は縛りと浣腸……はじめて招かれたのが小学六年生の時、刺激強すぎたよなあ。でも、デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう。こんなことしか自慢するものありませんから。
 一昔前「幻想と怪奇」という雑誌が出ていましたが、その編集長だった人が「髭のサロン」とのSMサロンを営んでいます。私の父が昔関係した「スナイパー」に独自のページを持っていますので、ご存じかも。ちょいとわけありで詳細は控えますが、HPもあります。リンク先に見るべきところ多く、一度覗いて下さいな。例えば新宿の「マーキス」もリンク先のひとつ、こちらはサロンではなく倶楽部です。東京では現在のところ最も過激な秘密倶楽部でしょう。
 「ジュニア」のママ(と呼ばれるのを嫌がっていたので、私はマスターと呼んでいました)は引退後、大丸上の柳筋でステーキ・ハウス(よく食べに行きました)を、「タミー」のママは新開地でお好み焼き屋を営んでいました。最後にお会いしたのは20歳と30歳の頃、私がコーベブックス入社前に「ジュニア」さんは死去、「タミー」さんのその後は存じ上げません。兎にも角にもお世話になりました。
 追伸。私に秘密などまったく御座いません。というよりは暴露するのもされるのも大好きなのです。何故なら、人の中で最も変わらない部分は性愛構造、ブルトン流に申せば「野をひらく鍵」ということになりましょうか。それが災いして東京ではこのところ絶交状が飛び交っております。ちなみに、当方からの一方的絶交です。プライドは格闘技の世界に任せたいものですね。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 01:31 | 固定ページリンク




一考 | 癒しの文学

 松友さんへ

 もう一つの「癖」なんぞ、治す必要があるんですかね。気に掛ける必要すらないんじゃござんせんか。MOONさんなんざあ、私ごときが出る幕もないご立派な変態であらせられるじゃないですか。御邪魔ビンラディンさんやMOONさんとご一緒して「性的不能者の文学館」など編輯すればいかがかしらん。第一回配本は「ロリコンの呟き」。投げ込みのタイトルは「文学にとって癒しとは何か」と「性的不能その悲劇の根源」。呟きがしわぶきにならない内に纏めて下さい。これからは高齢者の時代を迎えるわけですから、売れることは請け負います。出版社はソニーがいいんじゃないかしら。
 渡辺淳一さんの小説だって、ちょいと見方を換えれば川端や谷崎に勝るとも劣らないインポ文学じゃないですか。ホラーやミステリーのような若者向けの小説は余命幾ばくもありませんよ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 01:48 | 固定ページリンク




moondial | 秘密倶楽部でプレミアショー

なるほど、さすがに花柳界の事情にお詳しいですね。潰れちゃいましたが、二宮に「ポパイ」ってのがあったでしょう?あの店も確か寄港船員がよく出入りしていたその筋のお店だったと思いますが、あの店も貴兄に教えて貰ったのかな。「倶楽部DOMA」と「スキン2」は随分と新しいお店だと思いますが、御出身は貴兄が挙げられたお店かも知れませんね。その2店ともう一店、都合3店は親子でやっておられる様子で、HPも作っておられます。ただこれらの店は随分と今風でスタイリッシュで大人しいお店です。北海道の牧場でスワッピングですか、佳いですね、実に健康的で牧歌的な風景(どこがやねん!)。「タブー」は一度貴兄に連れて行かれたと記憶しています。きんちゃんにも色々案内して貰いましたが、今では残念ながら殆どのお店は消滅しています。しかし、貴兄が十代の頃から花柳界の女性に玩具にされたことは聴いておりましたが、その「タミー」の独身寮でも性的玩具としての教育を受けておられたとは、全く知りませんでした。貴兄はそちらも素晴らしい才能をお持ちだと、以前意味ありげに梅子さんから聴いた事がありましたが、なるほど、両性の専門学校ご出身だったんですね。あの福原のご自宅の真ん前が寮だったのですか?気が付きませんでした。「デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう」ふむ、確かにこれもご立派。「白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード」、これも実に楽しそうですね。一度、貴兄ご自身が出演の素晴らしい白黒ショーを拝見したいものです、一般公開前のプレミアショーですね、貴兄の、素敵な毒素をたっぷり含んだ銀製の「野をひらく鍵」を是非観てみたいものです。しかし、またまた絶交状騒ぎですか、お疲れ様です、何故そんなことになるのでしょうかね。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月29日 11:21 | 固定ページリンク




一考 | 赤坂について

 moonさんへ

 二宮のポパイは結構なお店でよく行きました。同じ二宮にあったプーペ、確か中学生の頃の話です。こちらはピアニストの当麻さんに連れて行かれたのが最初で、私が月並みなウィスキーを注文したところ、「それはぼんが飲むようなお酒ではない」とグランシャンパーニュの35年ものを奨められました。初任給が5000円ほどの時代、原価で50万は下らないコニャックだったと思います。ムーンライトも同様で、宛われるのは常に化粧瓶に入ったコニャック、あのころはブランデー神話が生きていたんですね。どうやら、それが引き金になってウィスキー好きになったようです。
 福原の家の向かいの寮というのは黒田荘というアパートで、オーナーは中村美容院、後年の割烹赤坂です。黒田荘をタミーが建物ごと借り切って寮として用いていました。
 十数年前、いろんな雑誌で阪神間のことを書かされたのですが、父が生きていたので福原を描くのは躊躇われました。父にとって水商売とは、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出屋のみでした。クラブやバーの類は気質さんが営む商売として、最後まで認めなかった。こだわりでもあったのですかねえ。飛鳥のママさんの母親が岩国で外人バーを営んでいたのですが、やはり、父とはうまくいかなかったようです。いずれにせよ、関係者の大半が亡くなられたので、福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。共に伊藤博文が拓いた色街というのが引っ掛かりますが。
 私を過激な共産主義者にしたのは父、すなわち福原なのですが、水上勉さん同様、著さねばならないことは山のようにあります。父が逝った時、一滴の涙も流さなかったのは表向きでして、自宅に辿り着き一人になってから、朝まで泣き崩れました。私も所詮は人の子ですかねえ。あれほど嫌っていた福原が、最近は懐かしく感じられる時があるのです。
 「赤坂」の息子が後年、赤坂でショット・バーを始める、親父が生きていたら呆れたでしょうね。
 秘密倶楽部は秘密が売りでして、ここに記すのは憚られます。あちらさんから早速クレームが付けられました。従って、メールで送りました。よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 14:34 | 固定ページリンク




moondial | せっしぼん~

赤坂のぼんへ

なるほど、色々と繋がりがあって実に興味深いお話ですね。「福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。」これは楽しみですね、伊藤博文って確か兵庫県知事だった事がありましたよね、その頃の話でしょうか。花柳界やその周辺の風俗には興味が尽きません。白鶴美術館の元館長さんも、長崎の遊郭ご出身で郭について書かかれた本がありますが、縁あって読ませていただきましたが、あまり面白くない。貴兄が書かれるのなら読み物としてそりゃ面白くなりそうです、面白いネタ探しの才にも常々感服しております。

貴兄からの秘密のメール、楽しませていただきました、また続編を是非お願いいたします。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月29日 22:11 | 固定ページリンク




めいぷるしろっぷ | つんつん。

さらに重箱のすみをつついて申し訳ありませんが
「ぱん」ではなく「ぱい」です。
「けーきなのか?ぱいなのか?」であります。
けーにひすくろーねの名物の「こるね」のことを
いっているのであります。
あぁ食べたい・・・。



投稿者: めいぷるしろっぷ    日時: 2001年10月29日 23:13 | 固定ページリンク




一考 | つちのこ編集者の戯れ言

 奥歯さんへ、先日の哲学問答に感謝。

 「もともと人は好き嫌いだけで生きています。自らの感性や直感を正当化するために、理屈は後を追ってやってきます。対象が酒であれ、食物であれ、友であれ、すべては同じ筋道をたどります。理なくして、想いに形を与えることは叶いません。だからこそ、最も大切なものは思惟であり、思想なのです。思惟とは宛もなく立ち徘徊(もとお)ることであり、思想とは自らへの懐疑に他なりません」とは店の寡多録に記すところですが、この思惟を哲学に置き換えれば先日の話の通りが少しでもよくなりましょうか。そもそもフィロソフィーを哲学と訳したことからして面妖な話で、素直に叡智とするのが妥当ではなかったかと思われます。
 哲学とは行為であり、営みであり、運動なのは言うまでもなく、そのエネルギー源には対極としての概念、もしくは複数の概念が必要となります。ひとつの概念もしくは価値観が生まれた時、即座にそれを疑ってかかるのが人の叡智であり、思惟なのだと思います。繰り返しますが、ひとつの価値観が派生した時、それに対応する新たな価値観を自らの中に拵えないことには精神に振幅運動は始まりません。この価値観を歴史観と置き換えても意は同一です。それら精神の構造上の骨格を成すのが懐疑ではないのかと思うのです。他人を疑うというのは言葉の撞着です。懐疑は常に自己の深部めがけて穿たれていきます。私がポリシーとかアイデンティティーなどという言葉を忌み嫌うのも、自信など持ってよろしいのですか、もしくはひとつの立場に安住していてよろしいのですかとの疑問を自らに突きつけるのを常態としたいからです。
 社会の最小単位は夫婦であり、親子であり、家族です。でもその絆が、やがて町になり、地域になり、社会になり、国家になり、民族になり、宗教にも変化していきます。精神の帰属や同一性という魔物が排他性を育み、また単位としての矜持が、自信が民族の浄化を正当化し、人々を殺戮へと向かわせるのです。別のところで「若さから美貌、肉体から貞操、親子から兄弟、売れるものはすべて売りましょう。もちろん最初に売り払うのは愛人であり、恋人であり、連れ添いなのです。本当に無一文になった時には天皇陛下万歳を三唱して死ねばいいではありませんか」と著したのは、謂わば私流の弧絶の薦めなのです。弧絶としたのは他でもありません。孤独という受け身の甘酸っぱい感傷とは無縁の、能動としての参画としての孤独、即ち引くに引けない失意の果てに我とわが身を投じるしかなかった暗闇。そういった孤独を弧絶と呼びたいのです。そしてその弧絶こそが、精神の帰属を拒否し、自己同一性と闘うための唯一の武器になるのです。
 何時の時代でもそうなのですが、若者の中にはポリシーとかアイデンティティーが国家や民族や宗教とは結びつかず、大事なのは一重に私だけ、という考えが根強くあるのを識っています。そういう人はアイデンティティーは自己の内側にのみ向かうものと錯誤しています。なぜ錯誤というかについては好例が数多あります。かつてヒトラーは選挙で選ばれたのであり、わが邦において軍靴の跳梁を許し(許すというのは支持するに等しいのですが)たのはかかる無意識かつ無定見なマジョリティーだったのです。要はアイデンティティーを声高に唱える人々こそが多数派の構成要員なのだということです。
 一方で、若者を酔わせてやまない「選ばれた少数者のために」との標語があります。ゲッペルスが好んで用いたプロパガンダですが、昨今ではなりふりかまわぬ広告代理店や出版社の金看板と化しています。用いる側すなわち資本家は少数者かもしれませんが、踊らされた消費者がマジョリティー、要するに一般大衆でなければなんなのでしょうか。話を書物に限っても、書物は複製芸術であり、いかに限定を謳ったところでそれすらが逞しき商魂。よしんば購入者にマイノリティー意識という妄想を抱かせたとすれば、それは偽善でしかないのです。というようなことを書き綴っていると、どちらが妄想を抱いているのか、境界線が定かでなくなってきます。
 貴女は大学で哲学を専攻なさったという。私の学歴は中学校中退なので、哲学の通史や言葉の意味を学ぶ機会はなかったのです。言い訳は不本意なのですが、用語の選択に曖昧さが残るのも致し方ないのかもしれません。綻びを縫い、でたらめを取り繕うようにして、断片的な知識を糊と鋏でツギハギすることが、中学生時代の理由のない怒りと飢えを宥めるために必要でした。そして誰もが逢着する自家撞着、大方の人はそれを飼い慣らすことによって「人間性」に目覚めて行きます。しかし、それでは「情念とのクリンチ」は手付かずのままじゃないですか。矛盾をいかように飼育調教したところで、新たな壁が次々と立ち顕われるのは必定。「矛盾が矛盾、撞着が撞着でなくなるような至高点」も、私にとっては夢物語にしか思われず。されば、いっそ虚と実、偽と真の間にバイパスを拵えればどうかと、これは辻潤の著書から糸口を掻っ払いました。覚束無かった手綱さばきも、知らぬ間に馴染んできます。人間性という空虚な先入観を打ち壊したバイパスは、現況と至高点との間にすら有効でした。躍動と蠢き、飛翔と脈幅、すべての価値は倒壊し、他者と私は等価な存在となって行きました。他者が私の中を過ぎ行き、私が他者の中を通り過ぎる。いたるところで滲透し合う存在と存在。謂わば存在が伸縮自在なオブジェと化したようです。さらに、等価は無価値となって居候を決め込む始末。目の前にごろんと寝転がる無価値、すなわち虚無がもたらす風通しのよさが私には愛おしくなりました。
 私の為事に結論はありません。ただ、貴女との問答の中で概念の曖昧さをこっぴどく突かれました。対応の至らなさに畏れ入っております。でも、私にとっては久しぶりの快感、「身にしみそめし秋風の月」の心胸です。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月30日 03:58 | 固定ページリンク




一考 | エロ先生

 29日の月曜日、種村季弘さんがNHKの柿沼さんを伴って来店。著書翻訳を取り混ぜ、年内5冊、来年10冊の上梓を確認。それ以外に文庫がおそらく4冊は刊行される予定。過去書き溜めし膨大な量の作品が順次形になって行きます。
 例によって、取り留めなき歓談の一夕。「エロティシズムとの蓮っ葉な文言に興味なし、エロでなければ臨場も煽情も感じません」「ビンラディンのお陰で熱海も箱根も息を吹き返した」とアイロニーの連発。相も変わらぬ先生の反語的精神に溜飲が下がる。すべての存在に対する悪意と嘲笑と哄笑に乾杯して、群衆の中に紛れ込む先生を見送る。自らの孤絶を知るに巷の群衆は必要欠くべからざる書割なり。

 次回は11月12日に来店なさいます。新刊の学研文庫に署名をして頂くのが目的。お会いしたい方もしくは署名本をお求めの方は是非いらして下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月30日 13:13 | 固定ページリンク




moondial | e-mail

一考さんへ

返信で3件ほどお返ししましたが、e-mailちゃんと受け取れていますか?
以前お送りしたフリーのメールソフト、ちゃんと設定すればso-netとmac.comの貴兄の2件分のアドレスへのメールを、自動で取ってくれますよ(^_^;)。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月30日 17:41 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 今日の道行きあるいはパラフレーズ(とりあえずそぞろ歩き篇)


一考さま

一考さんの思想を記す当て馬に使われているだけのような気がしますが、それでも光栄です。ありがとうござ
います。


     不在するために
     いつでも
     あなたはゆらゆらしている
     その揺れはばを
     はかりきることができなくて
     わたしは膝をかかえこむ
     (金子千佳『遅刻者』思潮社)

いや、かかえこむつもりはありません。


私が哲学科を出たということ、一考さんが出ていないということ。
当然ながらそんなことは思惟にとって何事でもありません。
哲学科で学ぶのは哲学史だけ。今ここにたち現れている思考に、数千年の哲学史など薬にもなりません。
「人が考えたから考えなくて済む」をいうわけにはいかない領域こそが哲学であり文学ではないでしょ
うか。

私が用語にこだわるのは単に思考に不可欠だと思うからです。哲学用語が邪魔になるなら捨てても結構。
私と一考さんで新たに言葉を創ればよいことです。
ただ私は、一考さんが、そして私が、ある言葉で何を指しているのかをはっきりさせたいだけなのです。
バベルの塔を建てるための言葉の煉瓦があやふやでは困るのです。

言葉はアリアドネの糸です。思考の軌跡を残しておかなければ同じところをそれと気づかぬまま何度も
ぐるぐるまわるだけにもなりかねません。
糸がなければ迷宮を進むことは出来ない。
そしてまた同時に、確かに糸は先には伸びていないのです。
言葉は常に後付けで、進む先からは遅れている。しかし、思考の道行きに携えていくにはそれしかない
ではありませんか。

なるほど、恋人と一対になることでさえ帰属である。それから逃れたならば次に向かうのは自分自身に
なるでしょう。
自己にすら帰属しないこと。
一考さんがアイデンティティーという言葉を忌み嫌うのは当然です。
アイデンティティーを保つとは自己に帰属することに他ならないのですから。

「二階堂奥歯なる私」など社会的な約束事に過ぎず、「思考者」(いや、「者」が邪魔ならいっそ「思
考」でも「思惟」でも)は無名です。
名前、自己同一性、そんな重いものを引きずっていたらどこにも行けません。言葉を軌跡としてただ飛
べばよいのです。

自己同一性を求めないなら、この矛盾をそのままにしておける。
一考さんが見つけたこの方途。
そして至ったフラットな世界が「すべては同じ」だと言えるものならば、その世界は私の求めるもので
はない。
そこが私にはよくわからないところです。
一考さんはすぐに「すべて」と言う。「すべて」を捨て、「すべて」を疑うと言う。
「すべて」なんて言葉は発した瞬間に「すべて」を捉える立ち位置を作ってしまいます。
きっと、一考さんはその立ち位置さえもすぐに疑うのでしょう。動き続けるのでしょう。
でも、「すべて」と一まとめに扱うのは大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎます。

「一」に至るにはまだ早い。
すべて異なるまま、差異を明らかにしたままで、それを位置付ける価値体系をなくす。
いや、それは価値体系を一つも持たないということではなくて、無数の価値体系を同時に持つことによっ
て、どこにも帰属しない無意味なオブジェとしてすくいあげるということなのです。
フェルメールの絵のようにしらじらとした光の中で、くっきりと、あまりにくっきりとした輪郭を持つ
個物が並ぶ世界。

もう一つ、一考さんが振幅というその言葉、私はそれがよくわからなかったのです。
それは同じところに何度も立ち戻ることかと思ってしまいました。
でも、そうではないのですね。同じ道を辿って行きつ戻りつするのではない。
たとえ同じ道だとしても、歩く一歩は地をうがち、道は下へと向かうでしょう。
思考は螺旋を描いて下降し、地獄巡りがはじまるのです。
パラフレーズ、それもまた同じことを繰り返すことではない。
同じ地点からより明確に見ること。考えを自分になじませ使いやすくすること。新たに進むための道具に
すること。
言われきったこと、書かれきったこと、それはもはや目的ではなくて手段です。
私は足場を作りながらそちらに向かって進みます。今日はここまで。

いや、一考さんに「そちら」になんていないでしょうけれど。
あるいは、「ここ」にも「そこ」にもいるのでしょうけど。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 00:07 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | だけど


私の言葉は意味が不明確な部分多々多々あり。
「観念的すぎてなにを言っているのかさっぱりわからん!」と言われたばかりなのに、またやってしまいました。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 00:20 | 固定ページリンク




moondial | 伸縮自在!

熱い一考さんへ

奥歯さんってどんな女性なんでしょうかね。貴兄のメッセージ、まるで彼女へのラブコールのようで、実に真摯で熱を帯びた書き方ですよね。さぞかし可愛くてチャーミングな女性なんでしょうね、ちょいと興味津々であります、しかし同時に、彼女に対してジェラシーをも感じてしまいますね。貴兄が彼女との問答でこっぴどく突かれたと仰ってる、その曖昧な概念って一体何なんでしょう、想像もつきません。貴兄は昔と違って物事を至極丁寧に説明してくださるし、曖昧さなんぞ露ほどもないように思われるのですがね。ひょっとすると、惚れた弱みで答弁もしどろもどろ、要領を得なくなっていたとか、てなことはないですよね。貴兄の文章を再読してみると、どうも気になるなぁ~、奥歯さんの存在って。貴兄の真面目な書き込みを茶化すような物言いをしてどうもすみません。ところで「存在が伸縮自在なオブジェと化したよう」とは羨ましい、なかなか伸縮自在なオブジェとはならない今日この頃であります。

梅子さん、カラヴァッジオ展良かったですか?



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 00:45 | 固定ページリンク




moondial | はじめまして。

二階堂奥歯さんへ

どうもはじめまして。moondialと申します。
先程の小生のメッセージ、貴女のメッセージを読む前に投函していまいました。
お二人のお話を茶化しちゃって申し訳ない。
思うに、きっと一考さんは、貴女に相当な思い入れがあるのですよ、魅力的な方なんでしょうね。
一度是非お逢いしたいですね、神戸に遊びに来られませんか?歓待しますよ。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 01:03 | 固定ページリンク




一考 | パンは皆目

 フクさんへ

 十数年前、明治期の横浜と神戸のパンの歴史、それと大正期のお好み焼きの歴史について書かされたことがあります。その折りに明治から終戦に至る製パンに関する資料を蒐めました。一部はまだ蔵していますので、古い話なら多少はお相手できるのですが、戦後のそれも東京のパン屋さんの話は私には皆目です。お相手できず申し訳御座いません。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 01:48 | 固定ページリンク




一考 | デリリウム・トレメンス

 高坂さんへ

 上京してから二度入院したのですが、手術前の検査で医師が目を丸くさせて言いました。「貴方は重度のアルコール依存症です」と。松友さんの紹介で知り合ったアナーキーな山崎医師で、ですぺらのお客さんでもあり、親友でもあります。病室でだけは酒を飲まないでくれと命令されましたが、この「病室でのみ」というのがミソでして、後は勝手に判断しろとの、それはもう優しくも慈愛に充ちたお言葉でした。
 かつて明石で四度、同じ病気で入院しているのですが、その折は手術の後、看護婦に担がれて飲み屋を梯子致しました。深夜に病院に戻ったのですが、ことはバレバレ、きつくお灸を据えられました。MOONさんが書き込みなすった交通事故の時の医師は、喧嘩で五度入院した病院の院長で、分かれた最初の女房の次の旦那(神戸大学医学部のお偉い方)の教え子だったものですから、かねてよりの飲み仲間。手術は二度に分けて行われたのですが、その間は痛みに堪えかねてゴクン、ゴクンの体たらく。ベッドの下に隠した多量のジン・フィズと水割りウィスキーの空き缶が発覚。こちらもまた、酒を飲むなら屋上でどうぞとの有り難いお言葉。こんなことをいくら書き綴っても詮方なく、要するに私は単なるデリリウム・トレメンスなのであります。
 「ウィスキー・キャット」は写真の美しい書物ですが、マイケル・ジャクソンの「モルト・ウィスキー・コンパニオン」ではない最初の本「世界のウィスキー」の方も珍しい写真が多く含まれています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 01:52 | 固定ページリンク




一考 | つちのこ編集者

 伊藤”御邪魔ビンラディン”敬さま

 週刊文春の書評、気に入りました。坪内祐三氏との面識はないのですが、有り難いことで忝なく思っております。「後方見聞録」の押さえどころ、例えば稲垣足穂の巻の書き出し、シャイで切れ味のよい人物描写、「心がひどく動かされる」矢川澄子の巻き等々、肝要なところはしっかりと押さえていらっしゃいます。手前味噌で恐縮ですが、「伝説的な流れ編集者」には感激。一切の権威を擲って出版と対峙してきたつもりですので、「流れ」の一言はうれしう御座いました。
 10月30日の東京新聞夕刊の大波小波にも書評が掲載されました。書き手は「風紋」とのみ著されていますが、内容から押して先々代の学芸部長風間寿夫さんではないかと思われます。解説より引用し「今どき、こんな純な言葉をはき出す出版人がいるだろうか」続けて「こんな本を文庫に入れた出版社の見識は見上げたもの」との賛辞。増田さん共々、喜んでいます。
 伝説を捩りまして、ペンネームを「つちのこ」にしようかと思案中、命名は柿沼さん。つちのこ編集者は「わんわん」より可愛い名ではありませんか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 02:00 | 固定ページリンク




一考 | 本と女は中古に限る

 moonさんへ

 「寸鉄人を刺す」との警句がありますが、「寸肉菊を刺す」では絵になりますまい。と言って「熟れ茄子の」の茂吉先生の自信には些か睥睨させられるものの、かかる同性愛者のけぶれるような情緒は理解できる気がします。かつて、鴻池御殿におわします天皇陛下は朝立ちをご利用なさって御子をもうけなすったとか、朝立ちの威力に吃驚仰天致したのは、なにも私だけではありますまい。思うにナニは早朝致すものにして、夕刻はひたすら飲み続けるべし。徹宵痛飲、長夜燕歌とはよく申したもので、これら総てが前偽ならぬ、前戯ではなかったか。御貴殿も潔くコトを諦め鏡花党に改宗、朝でもなく昼でもない東雲の刹那に成就なさるよう願い奉り候。
 もっとも、私なんざあ、まだまだ現役でして、洗濯屋ならぬ「ザマーミロ健ちゃん」で御座います。ノヴァーリスの日記と断腸亭日乗では意味が異なりますが、白いモノが飛び交うロケーションは同じ。大向こうを張ってチカチカ輝く星印を天文学的数値にまで高めなければと、刻苦勉励の日々を送っております。
 「健ちゃん」が誕生するずっと前に「風たちぬ」との名作あり。ジェーン颱風だか伊勢湾颱風だか忘れましたが、木の葉のように舞う小舟がヒントになったと、これはバイロスやアラステアを京都に持ち込んだ舞子のエラーイ先生から聞き及びしこと。私にはそれよりも、船縁に脚の親指を掛けてのオイッチ、ニー、サンの方が衝撃。幼少の砌、横目で学びしものに廓でのモーニング体操あり。障子の桟を用いて同様の技を競い合います。障子がガタつけば失格。音もなく、声もなく、ひたすら女人の洩らす糸の如き溜息と妍冶にのたうつ姿態。私の脳裏に焼き付いたのはそんなものばかりで御座いました。
 貴方の古里である中国は流石に歴史と伝統を重んじる国柄。腰を振るなどという野暮は下賤の行い、貴きお方は寄せては返す括約筋のうねりのみにて成仏なされるとか。当然、男の側も相方の蠕動に合わせて自らのモノを痙攣させねばなりません。男女共に然るべき習熟が必要で、鍛錬を重ねなければ、かような境地に達するのは難しかろうと思われます。これ今時の風俗のネエチャンに聞かせたい話ですね。
 私が年端もいかぬ女性に一切興味を無くしたのは、かような行為に対する彼女たちの思い込み、言い換えれば、腰は振るもの振られるものとの浅薄な一つ覚えに愛想が尽きたからに他ならないのです。ささやかな経験すら持たず積まずに男の性の有り様を決め付ける、その高飛車な態度が鼻持ちならなかったとも申せましょうか。いずれにせよ、若さ以外売りのないようなショボイ女のために汗なんぞかけますか。なんて言っちまえば当方の傲慢無礼が問われます。男女同罪、時勢のせいにしても何も始まりませんが、要はそういう種類の知識に重きを置かなくなったということなのでしょうね。
 「本と女は中古に限る、比されてこその存在よ」との信仰にも似た感慨を私が抱くに至った理由を述べました。蛇足ながら前段の読みはちゅうぶる、後段は、かの人はああだったこうだったと過去連れ添いし御仁と十二分に比較されてこそ、はじめて当方に立つ瀬有りとの意です。些かマゾヒスティックな趣向ですが、プラトニックとは本来受動的なもの、精神すなわち逡巡を伴わない性愛など毒にも薬にもなりますまい。
 渡仏中の御邪魔ビンラディンさんや比呂さんのように、韜晦もしくは衒いでロリコンを任じるのは理解出来るのですが、本音であれば、それは所有欲、独占欲を表明するに等しいのです。だとすれば、能動的な男性の性を掛け値なしに是認したに過ぎず、上述した茂吉の受け身としての性愛構造とは永遠にまみえることはなかろうと思います。尋常な御仁にあらぬ同情、あらぬ憐憫は大きなお世話、詮無いことと分かってはいても愚痴のひとつも零したくなる。いやはや、文学を読むとはかくも因果な迷惑メールを綴ることに他ならないのでしょうか。……捨て置けばいつまで続く綴り方。  



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 02:03 | 固定ページリンク




一考 | 件のソフト

 ムーンさんへ

 メール・ソフトはドルフィンの使い勝手がよろしいのでずっと用いています。メール・ソフトの設定の件は承知していますが、あえて自動にはしていません。携帯電話に全く興味が持てないのと同じ理由です。
 10年前に縦書きと絵の添付が可能なワープロ・ソフトはマックワードのみ。今ではDTPソフトがいくらでもありますが、いささか重いので、相も変わらず原稿はすべてマックワードを用いています。クオーク・エキスプレスでも起きるのですが、念のため送付致しました。
 HPの南柯書局の領域に掲載すべく、かつての原稿を打ち込んでいます。小生は自らの過去になんら興味なく、手元にない稿もあったのですが、奇特の氏によって大方の原稿が揃いました。HPに掲げるのは一部ですが、そちらには全稿をお送りします。ご笑覧あれ。
 ゴーライブではなく、クラリス・ホーム・ページ2.0でHPを立ち上げる予定です。掲示板の管理人櫻井さんのお薦めです。同1.0を昔使ったことがありますので、多少は馴染みがあります。
 それにしても漢字の制限は如何ともしがたく、パソコンで満足な原稿など書けよう筈もなく、G4でOSXを走らせたところでヒラギノしか起きません。まだまだ幼児の玩具の域を出ません。昨夜も博報堂から電話があり、フランス語をなんとか処理してくれとの依頼。OSを換えないことにはどうにもならないと伝えました。比呂さんに言わせるとあと5年は辛抱が必要とのこと。一部パソコンを使っていた作家達も、最近は手書きに戻る人が多いのが実状です。プロの世界にはまさか居らんでしょうが、もしパソコンだけで原稿を著すような人があれば、間違いなくそれは似非ですよ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 03:41 | 固定ページリンク




moondial | 恐縮至極

一考さんへ

実に面白いではないですか、続けてくださいな。「ザマーミロ健ちゃん」には爆笑しました。「括約筋のうねりのみにて成仏」、そんな気持ちよさそうな歴史と伝統が中国にあったとは知りませんでした、ネタは何処からですか。それと、花柳界直伝のテクニックも是非拝見したいものですね。しかし「比されてこその存在よ」云々には参った、もう少し懸命に励んでおけばよかったかと、後悔先に立たずですね。ふむ、たたない話ばかりで申し訳ない。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 04:06 | 固定ページリンク




一考 | 手間暇かけて

 奥歯さんへ

 この返信はちょいと時間を下さいな。難解ですよ。でも、難解なのは非難の対象にはなりません。例えば、寺山修司だって、透明な文章になったのは高校に入ってから、中学校の頃は結構、難しい文章を著していました。じっくり、解読させて頂きます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 05:57 | 固定ページリンク




一考 | ガラガラポン

 ムーンさんへ

 「物書きとは人に託けて自らの思いを描く、悠長にして周到な詐欺師に他ならない」と幻想文学で書きましたでしょう。誰がラブコールなんぞするものですか。私の女性観を貴方はよくご存じの筈です。極端な言い方をしますと、鏡花と正反対の荷風の女性観に近しいものを持っています。おそらく、フェミニストとはさかしまの位置に私は居ます。

 こんなことを書いていいかどうか迷いますが、この掲示板に書込をなさった方の文言の中に、理解しにくいことや承伏致しかねるようなものも御座います。例は挙げませんが、それらに私なりの返答を加算していくとあのような戯れ言になるのです。せっかく書込をして下さった方々じゃないですか、極力律儀にお付き合い致したいと思います。拙い文章ゆえ、ご理解を得るのが難しいのは承知の上ですが、例え一行、一節でもよろしいですからご納得いただける箇所があればうれしく思うのです。それと2チャンネルで始まった、人の揚げ足を取るような書込の方法を私は好みません。書込にスタイルなどあってたまるかとの思いをこの掲示板では貫きたいと思っています。
 貴方の文面の末尾はすこぶる結構。皆さんとかかる駄洒落が飛ばせる間柄になればと言うのが私の望みなのです。

 ご指摘の曖昧な概念について一言。言語論とは一般的に言って認識論です。存在論と認識論とが手に手を取って、揺れ動いてきたのが哲学の歴史だと私は認識しています。その揺れを私は振幅と著します。当然、定点から定点への移動ではなく、宛もなく立ち徘徊るものと心得ます。ただし、その認識論を人と語るに際し、言葉が内包する意味合いが互いに異なれば会話は成立しません。知識を得ようとの行為はその溝を事前に最小にしておこうとの意欲の顕れなのではないでしょうか。
 概念は言語によって表現され、その意味として存在します。従って一般化、抽象化が必須となります。彼女との哲学問答の間、私が困惑したのは彼女の乳房ではなく、彼女の言葉遣いと私のそれとの間に、予想した以上の乖離が在ったというなのです。繰り返しますが、彼女は哲学用語を大学で習得しました。私のそれは独学です。貴方の言葉遣いは間違っていると強く示唆されれば、引き下がるのは私の方でしょう。後日、その溝に対して私なりに挑戦したものがあの戯れ言の一部を成します。お解り頂けましたか。「曖昧な概念」ではなく概念の持ちように曖昧さがあったというのが正確な言い方です。
 ともあれ、いかような例題であれ、一つの概念の内包と外延を証明しようとすれば、それだけでも300枚位の原稿用紙が必要になります。それは掲示板の域を超えます。ただ言えるのは、ソクラテスの唱える個体概念を私は承伏することが出来ません。内包と外延との二項対立にも異議があります。内包と外延をもう一度弁証法の篩いにかけ、ガラガラポンをやってみたいと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 06:01 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | おはようございます


荷風がフェミニストでないように、鏡花もちっともフェミニストではありません。
どちらも女性を人間扱いしていないではありませんか。
人間でないものを崇めようが貶めようが根本は一緒です。


moondialさま

こちらこそはじめまして。
お噂はかねがね伺っております。
茶化すなんてとんでもありません。

武勇伝いろいろ聞かせてください。
いつの日かお逢いできる日を楽しみにしております。
(ですぺらにいらっしゃったらよろしいのに)。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 08:11 | 固定ページリンク




moondial | 某一考さんの足蹴りは有名です。

二階堂奥歯さんへ

最近炭疽菌の所為で益々アルツ症状が進行しておりまして、何故、荷風、鏡花のフェミニズムのお話が出てきたのか定かではありませんが、そうですね、鏡花はフェミニストではないかも知れませんね。しかし、鏡花ほど、女性をぞっとするほど美しく凄味ある存在として描ける文筆家はいないのではないでしょうか。そう言う意味合いでなら、フェミナからすればフェミニズムの後援者として、彼をちょいとぐらいヨイショしても佳いのではないでしょうか。僕は鏡花大好きですね、彼が描くところの女性にぞっこんです。一考さんが二十歳ぐらいの時、お酒を呑みながらで多少感傷的にもなっていたのでしょうが、涙して鏡花作品の素晴らしさを話されていた光景を、ふと思い出しました。

それに今ではもうフェミニズム論議は必要ないのでは?
最近の女性は優秀ですよ、思考力も行動力もあり精神的にも経済的にも自立している方が大勢いる。男性の方が寧ろ、家庭に籠もったりパソコンなんぞでマスかいてるのが多いですからね。しかもリストラにあって経済的にも自立出来ない人も増えている。若い男女と呑みに行けば、女性はとことん付き合ってくれるのに、男性の方は終電車の時間を気にしたりする、第一呑めない人が多いですからね。女性はワイン一本軽く空けちゃうのに男性はカクテルなんぞを召し上がる、斯く偉そうに云う私自身も歳の所為か随分と呑めなくなりましたが、もう完全に逆転していますよ。米国では、男性がセクハラで女性を訴えるケースも増えているそうではないですか。僕や一考さんなら進んでズボンのジッパーを下げるでしょうけど。

武勇伝ねぇ、一考さんと女性達とのそれなら数多く見知っているのですがね。

ですぺらへのお誘いありがとうございます。しかし神戸からとなると泊まりになっちゃいますからね。オブジェとしても魅力なく役に立たない小生ですが、奥歯さん、面倒みてくだいますか。神戸に遊びに来られるのなら、山本六三さんのように鞄一杯のダイヤモンドは贈れませんが、ですぺらでの貴女のボランティア活動に酬いて、真珠で宜しければ大粒珠を差し上げますよ。勿論、泊まる寝床もありますし、お気に召すかどうかは判りませんが、役に立つ素敵な男性でも女性でも用意いたしますが。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 10:41 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ムーンさんへ


花と荷風の話は一考さんのガラガラポンの冒頭を受けて、不特定多数の方に向けて書いたことでありました。ムーンさんへのごあいさつはお名前の後からでした。

女性賛美者がフェミニストだとか、(本来強く男らしい筈の)「男性」が昨今弱く元気がなく、(本来か弱く女らしい筈の)「女性」が昨今強く自立しているとか、そういった言葉を拝見する限り、フェミニズムはまったく古びてはいないと考えますがいかがでしょう。
しかし、フェミニズムに関してはあまり語りたくありません。私の知る限りこれくらい不毛な議論もないからです。わかる人には言わなくてもわかり、わからぬ人にはいくら言ってもわからないのがフェミニズムであります。あきらめるわけではありませんが、それより他に言いたいことは多々あるものですから。

神戸への魅力的なお誘いありがとうございます。
ふらふらと新幹線に乗ってしまいそうです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 13:11 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 改行


私の書き込みは改行がおかしいですね。
試行錯誤です。
みなさんどうされているの?

私だって鏡花は大好きです。
問題はそこにあるのです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 13:44 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

二階堂奥歯さんへ

なるほど。
奥歯に衣着せぬストレートなご意見ですね。男女双方の基本的な意識変革をって事ですか。現在の伴侶の学生時代の専門がジェンダー関係なんですが、付き合い始めた頃、迂闊な意見をぽろりと出すものなら、そりゃ揚げ足を取られて往生しておりました。ジェンダー問題は、それぞれの国の歴史的特徴や情勢の影響を受けますからね。もう僕の判断は時代に合わないのかも知れません。「擁護」から「獲得」、今は何処に向かっているのでしょう。ほぼ私と同年輩の周りの女性で、私の基準で、精神的にも経済的にも自立されていると思われる方からは、フェミニズムの話題等は殆ど聞かないですね。実際楽しくもないしね。

一考さんとの哲学談義、頑張ってください。僕はついていけない。

こちらは新神戸駅から歩いて来られる距離なのでふらりといつでも遊びに来てください。
梅子さんも偶には休暇を貰って、ご一緒に遊びに来られては如何?「爆睡」させてあげますよ。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 16:35 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | おじゃまします

◆一考さま
 梅子さま

 本日、といっても昨日ですが、
 たのしい一時を過ごさせていただきました。連れの者たちも喜んでおりました。すこしかしましくて、すいませんでした。
 また、先日のレスの「アルザスワイン」についてのご教示は嬉しゅうございました。アルザスという土地の思い入れは、ウンターリンデン美術館があるからいつかいってやる、だから、フランス語をがんばるぞ、ということからはじまったのですが、実際訪ねると、土地の酒、料理に魅了され、フランスに行くごとにかならずアルザス料理を食する、というまでに増大しました。悲しいかな、東京でアルザス料理屋をみつけられないのですが、まあまあ似ているドイツ料理屋にいってちょっと雰囲気にひたったりしています。わたしはアルザスの白ワインももちろん好きです。蔵元で試飲したのはよい思い出です。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年11月01日 01:59 | 固定ページリンク




一考 | 痴呆症

 ムーンさんへ

 鏡花と荷風の話は貴方の書込「伸縮自在」で触れたラブコール云々に対する反論ですよ。アルツ症状がひどすぎるよ。何時からボケ老人になったんだい。

 フェミニズムなどと言う不用意な言葉を私は遣いませんよ。フェミニストでしょう。澁澤さんが拒否し、郁乎さんが称揚する円卓騎士の系譜を示唆したまでで、俗にいう女性崇拝家を指します。奥歯さんが仰るようにフェミニズムの世界は鬼門です。この話は書けば書くほど突っ込まれますので、私は年期の入った女嫌いであるとだけ、申しておきましょう。この女嫌いに就いてさらに一言。女性は好悪の対象になりますが、男は対象外、問題外でして、私にとってはどうでもよいことなのです。

 文章を著して一番疲れるのは言い訳せざるを得ない時です。当然、書き手が悪いのであって、不用意にものを書くと弁明弁解の淵に立たされます。ところで、貴方のフェミニズム談義はハチャメチャですよ。プラトン的な要素と社会学上の問題、それに現象学的な要素と性愛学上の問題が入り乱れて、要点をなにも捉えていません。ここでもし私が「要点をなにも捉えていません」の後に「女に嗤われますよ」などと失言すれば、次回叩かれるのは当方なのです。フェミニンがかったポリティックスの話題はやめて、フェチかフェラがこの掲示板には相応しいのに。

 10月31日、この掲示板に書込ありとの斎藤さんの連絡で高遠弘美さん来店。曰く、氏がフランスで日本製パソコンの取り扱い方を女性に教示中、16ビットと32ビットとどちらがよいか、女ども異口同音に32ビット。さて、フランス語のビットとは西鶴のいう竿のこと。

 発言は慎重かつ無責任に、というのが私の標語ですが、この「無責任」が簡単に見えて結構難しい。無責任に書けではなく、責任を取らなくても済むように書けということなのです。文責を問われないようにちゃらんぽらんに、また言質を掴ませないようにのらりくらりと書く。しかも、文章に起承転結をつけるために、適度に純な肉声や雄叫びらしきものを掻払ってきて挿入する。早い話が、読者の読み手としての能力、すなわち読解力(もう少し正確に言うと再構築する能力、読み換える能力のことなのですが)を査定して、後はいかに気取られないように、狡猾に振る舞うかですよ。でもその狡猾さを逆手にとって、ぶっ跳んだ映画を作るのが鈴木清順、ぶっ跳んだ俳句を作るのが加藤郁乎、ぶっ跳んだ文章を作るのが種村季弘ということになりましょうか。
 いずれにせよ、ムーンさんと奥歯さんという絶好の餌食が手に入りました。どこやらでも書きましたが、人を出汁にして自らの意見ならぬ異見を陳述する。堪りませんなあ、この快楽。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月01日 04:36 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 意味

一考さま

>フェチかフェラがこの掲示板には相応しいのに。
全くその通りでございまして、フェミの話などしたくありません。

でも、一考さんがどういう意味で「フェミニスト」という言葉を使ったか書かれているので私もどういう意味で使ったか書きます。
フェミニスト:女は人間だとする者
フェミニズム:女は人間だとする考え方

女性賛美者を「フェミニスト」と呼ぶのはこれは誤用でございます。
基本的に私は誤用だろうが言葉の乱れだろうが通じればよい、通じることが第一だという考えです。(それと、実践での私の振る舞いはまた別です)。
しかし、「フェミニスト」を女性賛美者とすると、これは本来の意味(辞書的に言うと、男女同権論者・女権拡張論者)と正反対になり、言葉としての使い勝手がしごく悪く、会話を妨げ、通じるものも通じなくなります。
だから、女性賛美者は「女性賛美者」と呼んでくださいませんか、お願い一考さん。

ついでに申し上げますと、私のことは煮るなり焼くなり好きにしてください。


中嶋さま

昨夜お目にかかりましたが、ろくに挨拶も出来ず申し訳ございません。
ご就職おめでとうございます。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年11月01日 08:16 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

一考さんへ

はい、「荷風、鏡花のフェミニズム」なんて類の間違った事をオンラインで書いた僕が悪いんです。煮たり焼かれたりするのは御免ですから、一目散に逃げましょう。

ところで、何気なく書いた六三さんの名前ですが、別の場所で危篤状態だと知らされました。昨年、井上さんの作品展示会でお見掛けしたときは元気そうだったんですが。



投稿者: moondial    日時: 2001年11月01日 10:58 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 失礼しました

◆二階堂奥歯さま

 ありがとうございます。
 こちらこそ、どたばたと帰りまして、申し訳ありませんでした。
 またおめもじすることもあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年11月02日 01:26 | 固定ページリンク




一考 | 山本六三さんのことなど

 ムーンさんへ

 かつて「神様も大あくび」を書肆山田より上梓して頂いた時、画家の武内さんの絵に大泉さんが難色を示されました。それを強引に説き伏せたのには訳があったのです。西区、当時の垂水区の枝吉に住んでいた頃、毎度のことなのですが、喰うや喰わずの生活で、2~3日の絶食は頻繁。体重も50キロを割り込んでいました。ある日、武内さんが奥さん共々自転車で見えられたのですが、玄関まで這っていく体力すら残されておらず。慌てた武内さんは私の体をいたわるようにさすり、その間に奥さんが米を取りに自宅へ疾走。冷蔵庫には梅干しの一片すら無く、塩を振り掛けて馳走になりました。一食の恩義を返す必要が私にはあったのです。
 「生ゴミを喰って育った」とは種村さんがよく口にされる言葉ですが、私の場合も似たり寄ったりでした。近所の雑貨屋さんが届けてくださる変質したペットフード(犬用は美味でしたが猫用はまずかった)、近所のパン屋さんが届けてくださるパンの耳、近所の米屋さんが届けてくださる破砕米に賞味期限の切れた味噌、またてんかすとキャベツの炒めものだけで半年を暮らしたこと等、振り返るに、十代の頃懐石料理で賞を頂いた料理人の食生活ではなったなあ、と自責の念。ちなみに、それらご好意にお応えして、チラシやパンフのキャッチ・コピーは多量に著しました。
 出版で生じた赤字とは申せ、1億を超える借金はさすがに重圧でした。睡眠時間を一日3時間に切り詰め、がむしゃらに働きました。土方で作業中、空腹と疲労で幾度となく失神、その度に頭から水をぶっかけられました。60キロのプロパンガスのボンベの配送で生じた掌の傷は消えるのに5年掛かりました。一考が土方をしているとの噂が東京で広まっているんだがとの電話が再三御座いましたが、すべては事実だったのです。でも、好きで始めた出版ですから常に平静を装いました。須永さんの「なりふり構うべし」を日々反芻していたのです。
 明石の来住さんも大変らしく、綻びを繕うために古着を融通し合っています。ですぺらを始めて困ったのは、お客さんから靴ぐらい履けよと注意されたことです。靴下の購入費がないのによく言うよねえ。早速明石の山内さんが近所をかけずり回り、中古の靴下が30足ほど送られてきました。それをきっかけにパンツでも構わないかとの一言。今では下履きも中古を融通してもらっています。それでも、今回上京してからはいささか裕福になり、衣食併せて月3万円で梅子さんと暮らしています。この2年の間に梅子さんは1万円のへそくりを作りました。大したものでしょう、私ごとのように喜んでいます。
 「人類よ消滅しよう」とか「自殺の薦め」のようなエッセイを多く書き綴ってきました。「不退転の意気込み」で生き延びるなど、とても人に奨められるものではないからです。先日、柿沼さんとの間で某有名女優のその後を語り合いました。山谷で30歳の生涯を終えたのですが、浮浪者の前での排泄行為を生業にしていたのです。おしっこやうんこを捻り出すことによって僅かな金数を得る。釜ガ崎には私が親しくする文筆家も幾人か居ますので、この話はよく判ります。そういった生活に堪えられる覚悟がなければ、志を持ち続けることは出来ないのでしょうね。「後方見聞録」の解説にも書きましたが、本当にみなさん貧乏でした。一箇の電球すら買えない生活だったのですから。
 かような「なりふりを構わない」身も蓋もない話を綴ったのは他でもない。このところ山本六三の名が掲示板に二度も乗ったからです。
 山本六三、私にとっては六さん。我が師にして我が友。そして私に倍する赤貧と困窮に立ち向かい、闘って来た思想家にして画家。思索の体現化というよりは思想そのものを一つのスタイルにまで昇華せしめた男。迷いや逡巡、要するに一切の躊躇いを断じて人前に出さず、誤解を懼れず、人を嘲笑し、地上を呪い続けて来た男。宝玉を拾い歩くごとく、悪意を蒐集する韜晦家。過去知り得た唯一人のアナーキスト。
 六さんと私との間に共通項があるとすれば、それは「女性の厚志に甘んじて露命を繋ぐ」との一点のみ。六さんの過激さ、矯激さを学ぶのは最大の試練でした。何故ならそれは添い従うのではなく、事も無げに勝手に学べとの厳格な条件が付されていたからです。精神そのものに対する禁欲を六さんは私の体躯に刻み込みました。修道僧のような生活の中で、詰めてはならない人と人との距離、要するに存在することの失意と絶望を彼は私に身をもって教えたのです。
 その六さんが危篤だとか、六さんが逝った時は必ず教えてください。私が彼を送る場所は地上に一箇所しかありません。それは北海道の美国の西端、かつて吉田一穂が佇んで海を眺めたという断崖絶壁。虚無に捧げる供物にと、名もない一輪の雑草を海に流しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月02日 05:23 | 固定ページリンク




一考 | 脱字

 ムーンさんへ

 14行目の「懐石料理で賞を頂いた料理人の食生活ではなったなあ」は「懐石料理で賞を頂いた料理人の食生活ではなかったなあ」の間違い。時間がなく、また活字ではないので、推敲はせず、書き殴っています。お許しを。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月02日 05:38 | 固定ページリンク




一考 | 名無しの権兵衛さんへ

 名無しの権兵衛さんへ

 一昨日、掲示板を見たとの客あり、「マスターは過去に興味を持たないとのこと。前向きな人なんですね」と言われました。お客さんが一人減ることになるのですが、邪推は許せません。
 人は過去を曳きずって生きているので、その過去に興味はない、詮索するのは嫌だし、詮索されるのも嫌だとの意思表示をしたまでです。
 で、明日ですが、過去以上に興味はありません。人は明日のために生きるのではないからです。一刻、一刻、人は歳を経て行きます。今日が一番若いのであって、明日はまた一日歳を喰うのです。そんな明日など、私にとっては呪われてあれなのですよ。本日、今日、現在、たった今のためにのみ人は生きています。ラジカルであらねばならないとする根拠はその一点にのみ存在します。明日を信じるほど、私は能天気な人間ではないのです。月賦やローンを拒否するのも、同じ理由です。どこのどなたか存じませんが、世の中あなたのような浅薄な人間ばかりではないのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月02日 15:43 | 固定ページリンク




白衣のくま | お元気ですか


大変ご無沙汰いたしております。明石の田村ペアです。
まっちゃんに「ですぺら」の掲示板のことを教えてもらいました。
懐かしさのあまり、ちょっとだけお邪魔します。
まっちゃんとは「きし」さんで再会し、時々お目にかかっては「ですぺら」での
思い出ばなしに花が咲いていました。そんなまっちゃんも関東へ行ってしまい寂
しい限りです。
ところで私たち2人は、と言えば相も変わらず、健康的に海や山で遊び、夜は
気ままに飲み食べしゃべり・・最近の彼の口癖は「休肝日つくろ」ですが、
飲みながら言ってるので、真実味が全くなく聞き流しています。
強がり言っても無理の利かないお年頃、お互い健康にはくれぐれもご注意を!
チャンスがあれば是非2人で「ですぺら」に行きたいです。
シングルモルト飲ませて下さい。では、また。



投稿者: 白衣のくま    日時: 2001年11月02日 22:52 | 固定ページリンク




朝子 | 赤貧てそーゆーのかー・・・

どひゃーと、雷に打たれたような。

日頃金が無い金が無いとわめいているパラサイトフリーランサーなのですが、私の場合は金が無くなるのは稼いだ分きっちりさっぱり使ってしまうからなんですけど、うーん、どうやったら貯まるのだろうかとずっと疑問だったんですが。

ここ、最近は華麗なジャムとパンチをラム飲みながら呑気に眺めさせてもらったんですけど、いきなり凄い話題が。てゆうか核心にどーんときたというか。

なりふり構わずという方針は同じでも方向性が全然逆だったということかなぁ?とか。

なりふり構わず貯金に励め!という事が自分出来るわけもないので、かといって前述の赤貧みたいなことは絶対逆立ちしても出来ないと思うし、なんていうか、きっと一生貧乏で決定だなと思った次第です。稼いで使って全然残らないとほほ、で終わりだなーとか。

どっちにしろトコトンやってみたら格好いいだろうけど、どっちに行くにも相当覚悟して気合いいれないと出来無さそうと思うのですが、あのような赤貧に耐えられたのは何故だろうかとちょっと考えてはみたいと思います。

わけわかんないと思いますけど、ありがとうございましたー。



投稿者: 朝子    日時: 2001年11月03日 00:29 | 固定ページリンク




梅子こと薫子 | ようこそお越し

 白衣のくまさんへ

 お懐かしゅうございます。お元気そうでなによりです。明石では本当にいろいろとお世話になりました。一考が病院から抜け出る手配をして下さったり、亀(焼酎)を一甕飲み干して頂いたり。

 最近は、さすがのポルシェ(気分だけ)も16万キロを越えてボディはガタガタになってきましたが、エンジンのみ絶好調です。荒川を渡る橋の上で度々白バイに追いかけられ、警察官と口喧嘩をしております。でも今年目出度く一考もゴールド免許になり、見せびらかしています。

 こちらに来てからはまだ一度も花見宴会していませんし、キャンプにも行けず、ヒステリー気味です。毎週のようにキャンプ場を梯子してましたのに。東京では深呼吸できる景色の良いところはありませんが、関東方面の山に挑戦しようなんてときには、是非「ですぺら」に寄ってください。亀も置いていますし、シングルモルトは日々増殖しております。なんでも極めないと気のすまない性格は、相変わらずのようです。自宅には車も置けますし、来客用の別室もあります。ご遠慮なく利用してください。

 また明石、関西情報を教えてください。



投稿者: 梅子こと薫子    日時: 2001年11月03日 05:04 | 固定ページリンク




梅子 | 詐欺師 一考

 朝子さんへ

 東京へ行って丸ビルと東京タワーを買いましょうとの一考の言葉を信じてついて来たのですが、それは真っ赤な嘘でした。こんなにひどい貧乏人とは思ってもいなかったのです。東京へ来てからパンツ一枚買えません。ある日、ティーバックのいいのが欲しいなあと言ったところ、自分の中古のパンツを鋏で切り裂いてティーバックを作るのですから、冗談では済まされません。
 私は騙されたのです。家賃が払えなくなって、どうするのと聞きますと「君には貯金はないの」ですって。朝子さん、くれぐれも男にはご注意あそばせ。



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月03日 06:13 | 固定ページリンク




松友ことまっちゃん | 白衣のくま様、御懐かしゅうございますぅ~


ご無沙汰しております、松友です。明石では大変お世話になりました。
関西を発って一月もたっておりませんのに、
遥か以前のことに感じてしまうのは不思議なものです。
以前にもまして、先輩お二方はパワフルに遊んでいらっしゃるのですね、
さすがです。
ただ、お約束しておりましたのに、くまさま、田村さまと
ご一緒できなかったのが残念です。
明石で、関東で、あるいは何処かで、是非またご一緒させてください。

まずは取り急ぎご挨拶まで。

そそ、同じメールで失礼致します。
梅子さま、白い単車とバトル(?)とはアグレッシブでいらっしゃいますね。
お店で拝見している印象とは全く異なる意外な一面かと。
一考さんの免許がゴールド成ったのはおめでとうございます。
でも梅子さまの免許は?
ちょっと心配です、お気をつけになって下さいませ。
しばし、お休みを頂戴しておりました m(_ _)m



投稿者: 松友ことまっちゃん    日時: 2001年11月03日 17:58 | 固定ページリンク




朝子 | いや、そりゃぁだって(笑)


梅子様ったら。

丸ビルと東京タワーですし、そもそも(にっこり)

あの一瞬天使が通り抜ける瞬間がきたんでしょうね「ま、いっかー・・」
とつい流されるというかなんというか・・・

えらんじまったんですから、腹くくって頑張ってくださいまし。

ってこういう台詞は野郎には一生わかんないだろーなーとか。

あたしだってわかったようなつもりで言ってるだけだけが。

まぁでも、幾ら自分で決めてそうした結果なんだから!と頭では解って
いてもですよ?「こいつ、火ぃつけたろか?」と思ってライター手に、
咄嗟に・・・て時も、無いとは思わないので、どうかキヲツケテ。



投稿者: 朝子    日時: 2001年11月03日 23:21 | 固定ページリンク




moondial | 限定版

>自分の中古のパンツを鋏で切り裂いてティーバックを作るのですから、冗談では済まされません。

それはオートクチュール製Tバックではないですか。
ISSEYならぬIKKOUブランドの限定Tバックと云う訳です、しかも紙魚模様、おっとまた間違った、染み模様と薫香つきと云う一考さんコダワリの贅沢貧乏な一品です、感謝して履くべきでしょうね。



投稿者: moondial    日時: 2001年11月04日 14:26 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 50Kgを切ったというのはすごい


足穂「弥勒」を読んで頑張ります。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年11月04日 23:00 | 固定ページリンク




一考 | 直列エンジン

 松友さんへ

 明石ではで田村さんとは何時も車の話をしていたように思います。懐かしいですね。先日、20年前のボルボのアイドリングを調整しました。代理店で断られたとの話でした。たしかにアクセル・ワイヤーは複雑な取り回しだったのですが、ストッパーは定位置にあり、車の構造が分かっている人なら簡単な作業です。今時の整備士はマニュアルがない車だと何も出来ないようです。
 このところ、古い車をぽちぽち調整しています。オルタネーターのダイオードの欠損、キャブのメイン・ジェットの数値がバラバラ、デストロビューターのタイミングが遅すぎる等、たわいない故障ばかりです。レガシーのシングル・ターボ(現行のレガシーはツイン・ターボ)車はインタークーラーの横に冷却用の煙突があるのですが、それが詰まるというとんでもない問題点を発見しました。BMWのバイクに乗っているので、よく分かっているのですが、水平対向エンジンのオイル洩れは激しいものです。それとあの車のタイミング・ベルトは長過ぎますよ。次回はインプレッサにでも乗ろうかなと思っていたのですが、その気がなくなりました。
 ZもGTRも大排気量になってしまいました。やはり、トヨタの1Jか2JもしくはBMWの2.5リッターの直6ですかねえ。
 先日、インテグラRの暴やん仕様とセルシオのツイン・ターボのノーマル車と競争しました。ホンダ車は問題外、セルシオはゼロ発進で僅かに負けますが、ターボが入ればこちらのもの。ブースト・コントローラーの威力を改めて知りました。
 荒川を渡る橋の上の話ですが、あそこは県境のため、捕まらないのです。私も50キロ制限を130キロで走っていて白い単車に追っかけられました。スピーカーで「そこのボケ、止まれ」と怒鳴られました。叱られるだけと分かっていたのですが、今にも殴りかからんばかりの勢いで、随分謝りました。思うにあのポリさんは関西の出身者だったのかなあ。
 免許証は二人共ゴールドですよ。なにしろ、優良ならぬ、要領ドライバーですから。それにしても、最近の彼女は飛ばし過ぎです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月05日 07:57 | 固定ページリンク




一考 | 白熊のオッパイ

 白衣のくまさんへ

 いろいろお世話になりっぱなしで恐縮。
 それにしても腎臓にバイパスを拵えるのは痛かった。途中までモニターをみてたのですが、それどころでなくなっちゃいました。痛みにはかなり強いつもりで、脱臼や単純骨折なら脚であれ手であれ、自分で修理するのですが、内蔵はそうはいきません。でも、何度も入院したお陰で、ますますアイラ・モルトが好きになりました。消毒液の慢性中毒患者になったようです。
 石割りだけでなく、上京後は体の不都合が吹き出しました。それも臍から下ばかり。やはり(無理の利かないお年頃)なんですかねえ。

 最後になった人丸神社の花見の宴は忘れません。あの時、貴女に胸を押しつけられて、あれよかったなあ。だって、大きいんだもの。しかも尖ってんのね、貴女のオッパイは。東京へいらっしゃる機会があれば、オッパイではなく、腰を据えて酒を飲みましょう。店の営業日はカレンダー通りですから、休日をはさんでなら貸し切りでゆっくり飲めますね。正月でもいかがですか、田村さんのホンダ車で。

 貴女をほったらかして、田村さんとは決まって車の話ばかりでしたね。チェーサーのスターター・モーターの磁石の接点が摩耗したものですから、田村さんから頂戴したクラウンのそれと取り替えて使っています。よろしくお伝え下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月05日 09:15 | 固定ページリンク




松友 | ロリコンに加えて


つちのこ編集者こと 一考様

田村様とはやはり車の話をなさっていたのでしたか。時折盛り上がって店内遥かに聞こえる内容、
専門的なお話で、さすがだなぁ~と感じていたものです。
今の車はまずはテスターなどでエレキから調べると伺いました。機械式が主だと、対応方法、
いやさ原因も掴みにくいのかもしれないですね。
レガシーの煙突の持病は初耳です。ご存知の通り紅毛の悍馬の親の方(V12)は、実は180°バンクの
V型で、外観上水平対抗エンジンと近似なのですが、こちらもご指摘の通りオイル漏れと
長いタイミング・ベルトが要注意点、先輩方は結構気を使っていらっしゃるそうです。
交通整理時の言葉といえば、以前、(諸用で)高速湾岸系の車が集う某道PAを訪れた時、
台数が多すぎて溢れ出し渋滞していた事がありました。と、パンダさんの如き色をした車が現れ、
大声で場所を開けるよう指導。今にして思うと関西の言葉であったような。こういう事は
何処も同じなのでしょうか、不思議です。

以前ご指南を頂戴致しました「癒しの文学」。え~と、第一回配本は「ロリコン」。
確かに高齢化の時代にロリコンは大きなテーマです。加えて直接的合体を最終目標としない(-_-;、
でも身体を主要な媒体として得られる交流について追求するのであれば、結構ジャンルが広がりそうに
感じました。しばし考える時間を下さい~そういっている内にしわぶきにならないようにしませんと。

さて、この間、ようやく映画「宮廷料理人ヴァテール」を観ました。
が、その後、主人公ヴァテールは「華やかな食物誌」に於いて言及されていると伺いました。
~しくしく~拝読してから観ればよかったです。物語を先に知ってしまうと映画の楽しみが
半減すると思いこれまで避けてきましたが、ある程度の前知識があった方が楽しめる事を再認、
ちょっと失敗でした。でももっと料理が映っていて欲しかったです。
  以上取り留めの無いお話まで。



投稿者: 松友    日時: 2001年11月06日 06:21 | 固定ページリンク




白衣のくま | オッパイは・・・


一考さまへ

いや~オッパイを誉められ?嬉し恥ずかし・・
裸体を想像されたみたいで、やっぱり恥ずかしいかも。
脱いだらもっとスゴイ!!と言いたいけど、それは「彼のみぞ知る」です。うふっ
でも、もっと凄いのはあいちゃんのオッパイだと思います!
あー懐かしい・・彼女も元気でしょうか。NO1はあいちゃんです。
(昼間から、熱く語ることでもないけど・・)

彼の愛車は、昨年の夏に自宅事務所の前に駐車していてクラッシュされ廃車に・・
今は、二代目プレリュードです。よほど愛着があった様で、初代と同じ型式の奴を
(グレードはちょっと上らしい)探し出し美しく乗っています。
高速道路では、水を得た魚のように疾走し・・スピード好きが多いんですね
このお年頃は。

お体、気をつけて下さいよ。
脱臼、骨折は自分で治さず病院へ!
ちなみに、現在は整形外科の病棟で勤めております。
チャンスがあれば?手厚い看護を施して差し上げます!



投稿者: 白衣のくま    日時: 2001年11月06日 14:58 | 固定ページリンク




一考 | 再びトラブル

ひろさんへ

ADSLについて、NTTは済みましたが、ソニー側がルーターを不承認。如何ともしがたく。御連絡乞う。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月06日 19:09 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 種村季弘サイン会開催!

おしらせ係奥歯です。

来る11月12日(月)、種村季弘『偽書作家列伝』(学研M文庫)発売前夜祭として、サイン会が行われます。
サイン会自体おそらくもう二度とないと思われますのでこれは貴重な機会です。
種村さんの他の本にも、時間の余裕があればサインしていただけます。
みなさまどうぞいらっしゃいませ。

『偽書作家列伝』発売前夜祭
場所:ですぺら
時間:18:00~21:00
会費:3000円(サイン本付・飲み放題)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年11月06日 23:10 | 固定ページリンク




一考 | 山本六三さん逝く

 ムーンさんへ

 既にご存じでしょうが、山本六三さんが6日午後2時に逝去なさいました。死因は食道癌。通夜は7日、御影教会にて、葬儀は8日のようです。山本さんの版画に出てくるような教会です。私の代わりにご出席頂けますまいか、話だけでもお聞かせ頂けれぼと願うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月07日 03:41 | 固定ページリンク




梅子 | 訂正記事

 皆さんへ

 訂正でございます。
お知らせ係の奥歯さん、ちがうってば~~(関西弁では、ちゃうやんか)
時間は18時から20時です。
20時以降は通常の営業とさせていただきますので、よろしく。



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月07日 03:55 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 種村季弘サイン会開催!!(訂正)

薫子さんごめんなさい。間違ってしまいました。

来る11月12日(月)、種村季弘『偽書作家列伝』(学研M文庫)発売前夜祭として、サイン会が行われます。
サイン会自体おそらくもう二度とないと思われますのでこれは貴重な機会です。
種村さんの他の本にも、時間の余裕があればサインしていただけます。
みなさまどうぞいらっしゃいませ。

『偽書作家列伝』発売前夜祭
場所:ですぺら
時間:18:00~20:00
会費:3000円(サイン本付・飲み放題)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年11月07日 07:19 | 固定ページリンク




moondial | 山本六三氏のご逝去に合掌。

一考さんへ

ニシキタさんから深夜に連絡を頂きました。六三さんの、透き通る程白く細長い指が、胸元に優しく合わさっている姿が目に浮かびました。奇跡的に意識が戻り退院されるそうだと、先日貴兄に連絡させていただいたばかりでしたのに、残念です。ご依頼の件ですが、ここ数日は仕事が立て込んでおりまして残念ながら出席できそうにありません、申し訳ないです。



投稿者: moondial    日時: 2001年11月07日 10:27 | 固定ページリンク




やっき | 転載

「種村季弘のウェブ・ラビリントス」管理人です。
サイン会の情報を転載させていただいてもよろしいでしょうか?



投稿者: やっき    日時: 2001年11月07日 21:12 | 固定ページリンク




ヒデキ | 湯原嬢のこと

かおる子さま 先ほどは酔っ払いの言いつのり、たいへん失礼いたしました。
かおる子さまと他人とは思えぬタレントの湯原嬢、サイトのアドレスは以下の
通りです。他人と思えぬと考えるのは私だけの思い込みでしょうか。


http://www.rey-s-in.co.jp/artists/yuhara_marie/



投稿者: ヒデキ    日時: 2001年11月08日 01:22 | 固定ページリンク




一考 | 転載お願いします

 やっきさんへ

 種村季弘さんのサイン会の情報をぜひ転載して下さい。どうかよろしくお願いします。
 このところ、当方のパソコンはトラブル続きで通信の状態がおもわしくありません。ご返事が遅くなり申し訳ございません。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月08日 04:28 | 固定ページリンク




こしぬま | 山本六三

山本六三氏が亡くなったことを、女友達に知らせたところ、彼女、とんでもない声をあげて、絶句しました。この前、新幹線で大阪まで行って「死の舞踏」(間違ってたらごめんなさい)を買ったそうです。多分、最期のサインがあるもの。きのうかな、彼女は山本氏にファンレターを投函したそうです。山本六三氏のご冥福をお祈りします。



投稿者: こしぬま    日時: 2001年11月08日 10:24 | 固定ページリンク




moondial | 黒木書店

 一考さんへ

昼時、中央郵便局での用事を済ませた帰りに、久しぶりに元町をぶらぶらと歩きました。黒木の前を通りかかると、シャッターが降りていたので今日は定休日なのかと思いましたが、ふと何気なく見上げると、何と看板まで外されているではないですか。張り紙も何もなかったので推測でしかないのですが、この御時世ですから、多分廃業されたのでしょうね。店主も随分とお歳を召されていたので、病気で臥されているのではないかと少々気掛かりではありますが。



投稿者: moondial    日時: 2001年11月09日 22:56 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 不躾ながら

渡辺一考さんにいろいろお教えを頂いている高遠弘美と申します。 初めて「書き込み」なるものをいたします。 実は先日、「掲示板」で渡辺さんが採り上げてくださった拙著『乳いろの花の庭から』(ふらんす堂刊。1998。中村真一郎序文)ですが、ついさきほど版元から連絡があり、税務署の調査が19日にはいるので、売れない本のひとつとしてほとんどの在庫を断裁するという決定に至ったようです。本の世界では日常的なことだとは思いますが、やはり辛いものを感じます。もし、奇特にもお需めくださるという方がいらしたら、ご一報くださると幸いです。掲示板をお借りして、私的なことを連ねました。お赦しください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2001年11月10日 18:11 | 固定ページリンク




石川 潤 | 渡辺一考取扱説明書

 戸田の梅子さんの訪(おとな)いあり。ついてはですぺらに集う酒客への一助として渡辺一考との付き合いの極意(心構え)について些かの注釈を試みられよとの由。常々、あの厚顔無恥でしたり顔の一考氏の化けの皮をはいでやろうと・・・いやいや元薄幸の美少年、福原のアイドル渡辺一考氏のために一肌脱ぐかと、何の責任も(本当はやる気も)なけれどお引き受けした。一考氏の逆鱗にふれぬ(る)ことを願う。
 そもそも渡辺一考とは何か。伝説の流れ編集者? 南柯かぽあんかれーらいす書局の主人? 赤坂のショットバーのハーテンにしてパーテン? 自転車作りのプロ? モツの煮込みから懐石まで何でもござれの料理人? 稀少本とビデオテープの蒐集家? ジャスコで買った2000円の皮ジャンを身に纏いさっそうと走るライダー? 金魚マニア? 喧嘩マニア? 書き込みマニア? ただの変態(これが一番ただしいかも)。まさにヴィアンも真っ青の百面相振りだが、一言で言えば、この人ただのペテン師である。大法螺ふきで無責任、その場限りのやけっぱち、どう転ぶかは気分任せの捨て鉢人生。いやいやこれは誉めすぎ、ただの口先三寸、3センチ5ミリの肉塊ならぬ魂を持つ男なのである。
 一考氏、一度口を開けば他人から聞いた話は自分の体験談となり、数字の二桁三桁の水増しはあたりまえ。トイレの造花はたちまち百宝の花を咲かせ、路地の水溜まりはカスピ海を越えるほどの・・・とまあ、どこまで果てしなく大風呂敷が拡げられていくのかと、側で聞いているだけでクラクラと眩暈がするばかりである。そこの御一考様じゃなかった、御一統様早く目を覚ましなさい。
 さらに詳しく言えば、一考氏、他人なんぞはどうでもよくて自分にまつわる面白話や下ネタをまくし立て、その話に酔いしれているのが楽しくてしょうがない人。ゆめゆめ、一考氏を信じることなかれ、裏切られる事を前提にしなければ、到底付き合うことの出来そうもない浅ましくかつ卑しい人品骨柄の持ち主なのである。さらにさらに言えば誠意、義理、情を三歩、歩いて忘れてしまうのが渡辺一考なのだから。人を貶す時の一考氏の口癖は「ゴミ、塵、あくた」であるが、要するに僕が何を言いたいかと言うと(これも口癖)、倫理観や社会的通念(そんなものがあるとすれば)から見れば、まさに一考氏こそが真性の「ゴミ、塵、あくた」なのである。一考氏は色街が産み落とした宛先のない小包、残飯にして夾雑物、うんこのようなものなのである。
 しかしそれは至極当然のこと。なぜなら一考氏とてわが同朋、地上なんぞは仮の宿でしかないのだ。要するに現実と一考氏を結び付けているもの、それは「書くという行為」に他ならないのである。そう、このデタラメ一考氏、書かれた言葉の世界に対しては自他に関係なく、とても真摯なのである。(三日で消えるようなやつじゃなくて、キラキラしてないと駄目だけどね)その一点がなければ、一考氏の首はとっくの昔に空中の縄の輪を間違いなく通過しているのだ。現実なんてつまらない、あの鈍感な奴の首を目をつぶってチョンと飛ばしている方がよっぽど面白いのではないか・・・。そういえば先日、松山俊太郎も三人殺したって言ってたっけ。ねえ、一考さん堅気の人相手にそんな息巻いてもしょうがないよ。言って解らない奴は目をつぶってチョンでいいじゃないですか。(夷斎曰く、人間の最大の罪は鈍感の罪だからね)
 さっきから僕が何を言いたいかというと、一考氏の話なんかに耳を貸さないで何でもいいからまずは一考氏の書いたものを読んでみなさいということである。「玲瓏たる虚無---ドラコニア紀行」「鏡花本の世界」「黄金のシャワー」もとい「黄金の日々」を。例えば「黄金の日々」311頁と312頁、特に311頁の最後の行から312頁8行目(が、もう抜群)を読め。そこには私の知っている加藤郁乎や種村季弘や・・・切ないまでの(存在を否定した上に屹立する、いまひとつの存在)、スッとした美しい後姿(立ち姿)が見えるではないか。これぞ文学(いい文章、いい俳句は勃起してなきゃ)。もう一度言う、これぞ文学。言葉の織りなす吸引力でどこか見た事もない、行ったこともない所へと誘ってくれる。文体とは精神の運動、即ち思想であり、肉声であり書き手の体臭に他ならない。内容なんて洒落臭いものはそこらに置いといて、そこに香り立つ詩を楽しめばよいではないか。(そう、渡辺一考の長所、それは文章がいい、それだけ)
 要するに僕が何を言いたいかというと、一考氏の書いた文章の中に一考氏を探せばよいのである。スプリングバンクやラガヴーリンのように華麗な文章。こんな紙面上の人格は認めざる(全面的に降参)を得ないのである。そうすればあの酒焼けしたニタニタ顔ではなく、初々しくはにかんだ不良少年、まさに福原のアイドルの顔が見えるはずなのだから。もう一考ちゃんステキ!(分かるひとには三分で見つけられるだろうが、分からない人には一生分からないと思うけどね)。そうでないとカウンターをはさんで目の前にいる一考氏は口先三寸、種村季弘流にいえば「渡辺一考から七、八人の人間がぞろぞろと逃げ出して、ひょっとするといまそこらへんが渡辺一考だらけになってしまうような」とデタラメばかりで溢れて、もうそこには一考氏の実体は存在しないのだから・・・。
 もしや渡辺一考って存在するのに存在しない、えっ、それってビンラディン。いやいや存在しないのに存在している(地上は仮の宿だからね)、えっ、それってもしかしてつちのこ。そう、渡辺一考とは自称するように「つちのこ」である。
 そして頭にかえって渡辺一考と付き合う心構えとは・・・君たち、「つちのこ」相手にどこまで本気になれるかという事だよ。



投稿者: 石川 潤    日時: 2001年11月11日 00:12 | 固定ページリンク




一考 | 友の氏に思う

 ムーンさんへ

 このところ悲しい話が続きますね。神戸も大阪も京都の街も、なべて未練や思い入れはないのですが、幼少期を過ごしたのは事実です。20歳を経てからの上方には憎悪しかなく、栖を流転しましたのも、その憎悪即ち自らの悔恨から逃れたい一心だったのかも知れません。若くして故郷を喪った者に安住の地などあろう筈もなく、またかかる地で心を許せる友を求めるなど烏滸の沙汰で御座いました。いや、こんなことを書けば貴方や山本六三さんには礼を逸することになります。確かに佳き友を得ました。でも、友を得たら得たで、それは新たな拒否を、更なる拒絶の芽を自らの中に生み出すだけなのです。落ち行く先で未知な友を拵えたところで、同じ消息の繰り返しとなります。

 いかように託けようとも、人に存在理由はありません。ならば、友も同様にして、「私は友であった」と著した瞬間に、友は指の間から砂粒のように零れ落ちて行きます。「友であった」かどうか、逝った他者の真意を推し量るなど、欺瞞以外のなにものでもなく、もし仮に友たりえたとしても、相方の死と共にすべてのかかわりは消滅します。さればこそ、友の存在を退けるのが本音なら、友の死を悲しむのは建前ということになりましょうか。自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨てて行くのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別になりましょう。人の死の悲しみと生きることの哀しみ、この両端を結ぶ橋は存在しません。かつての友というよりは戦友の死を前にして、悲嘆に暮れるなど我が儘な振る舞いは許されるべきではないのです。彼が歩んだ思索者としての言動をいかに解釈し、いかに読み換えるか。山本六三さんに対して私に出来る供養と申せば、それを除いて他にはありますまい。

 ちょっと切り口を換えてみます。「いかように託けようとも、人に存在理由はありません」と著しました。確かに人としての個体には生きる理由も生き延びる理由もなにもないのです。でも、それら余りにも茫漠とした風景に人の心は堪えかねます。そこで編み出されたのが、世のしがらみです。しがらみとは柵(さく)であり、渡しであり、堰なのです。要は流動する心を塞き止めるためのノーハウということになります。謀と言って拙(まず)ければ方策で結構です。その方策の中に人は胡座をかき、かかわりの中に存在理由を見つけ出そうとするのです。即ち人から必要とされる存在であるとの誤謬を自らに刷り込むために。また、存在理由により確とした信憑性を持たせるために、しがらみは時と共に複雑化され、更に錯綜したものになって行きます。しがらみの最たるものが家族であり、仕事であり、友であり、金品なのでしょう。
 さて、しがらみの対極に個があります。個が個であることの証明はひとつ、それは才能と権威の拒否です。才能とは実績に他なりません。さればこそ、実績を積めば権威が生じます。いわゆるその道のプロというやつです。プロに成り果せるのは容易ですが、それを拒むのは然るべき意志力が必要です。何故なら、飯の種を自ら投げ出すことになるからです。山本六三さんは人生の後半、全力を傾注してやまなかった一群のタブローを一枚として売却しませんでした。氏の本意が孰れにあろうとも、六三さんが個に拘泥し続けたのは事実です。志をもたない山本六三さんに同志やともがらは必要なく、人を愛する能力が欠落した氏に連れ添いや伴侶は本来不似合いだったのです。また、特定の趣味を持たない氏に常に親しく交わる仲間の要もなく、定めのない氏の生き方に従者や道づれなど生じよう危惧すらない筈だったのです。そこのところを何時の日か綴らねばなりますまい。

 先頃、高柳重信さんの若書きに「戸田橋へ乾反葉走る切通」との句があるのを知りました。故郷の風景ををかくまで冷淡かつ冷酷に描いた句があったでしょうか。一切の帰属を切り捨て続けた高柳さんの壮絶なまでの覚悟、苛烈なまでの現体験が過不足なく著されています。この句に登場するのは風を身にまとった虚無のみ。いや虚無を携えた風でしょうか。切通しの彼方にも此方にも趣はおろか、情念のひとかけらすら存在しません。重信さんの句を引用したのは他でもない、高柳重信の名を15歳の私に教えた人の名は山本六三。彼もまたマントの中に虚無をひそめて、さりげなく現れ、にこやかな微笑みを残して去って行ったのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月11日 16:37 | 固定ページリンク




一考 | 誤植

タイトルの「友の氏に思う」は「友の死に思う」の間違いです。周章てています。いや、狼狽えているのかも。申し訳ない。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月11日 16:42 | 固定ページリンク




一考 | 弔意忝なく

 フーリエの使者さんへ

 弔意忝なく存じます。「死の舞踏」を買われたお方にもよしなにお伝え下さい。
 毎週、木曜日に須永朝彦さんがですぺらへ来店なさいますが、先週も山本六三さんと郡司正勝さんの話に終始致しました。何時か二人で山本六三さんについて著しましょうということになりました。私自身、六三さんの取り巻きとのお付き合いはうまくいかず、告別式にも参列かないませんでした。残念なことです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月11日 17:09 | 固定ページリンク




一考 | 希有の奇人

 高遠さんへ

 初めての書き込みとは驚きました。「乳いろの花の庭から」は残念なことです。私の一押しの随筆集です。掲示板を読まれた方は是非購入をお急ぎ下さい。買って損は致しません。
 15編のエッセイが含まれています。タイトルにも用いられた1部の「乳いろの花の庭から」は、詩歌を中心に日本文学にあらわれた乳房のアンソロジー。博覧強記の氏ならではの逸品です。2部には櫻井さんのホームページにもかかわりのある久生十蘭、ロミ、小津安二郎などにかんするエッセイ。3部はプルーストに纏わるエッセイが収められています。
 「高遠弘美氏は自然と人工のあらゆる物に、美を発見するために生きている、現代における希有の奇人である」とは中村真一郎さんが寄せられた序文の書き出しです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月11日 17:43 | 固定ページリンク




moondial | 糞尿譚

一考さんへ

拝読いたしました。
小生は、複雑且つ錯綜した柵(しがらみ)に多少翻弄されようがされまいが適当に楽しんでいる輩です。貴兄の様に自らを「孤絶」すると云う在り方は、実に素敵ですが、壮絶すぎて性に合わない軟弱者であります。それに、貴兄の単なるファンの一人ですから六三さんのお名前に連なるなど、それこそ烏滸の沙汰で御座いまして、流石にストーカー行為は慎んでおりますが、「もう一考ちゃんステキ!」てな具合ですからね。しかし実に上手く表現されていて感心した石川 潤氏の「取扱説明書」、貴兄の大風呂敷も口癖も、「ただの変態」も「3センチ5ミリの肉塊ならぬ魂」も、「色街が産み落とした宛先のない小包、残飯にして夾雑物」は勿論の事、「うんこのような」存在も、小生は好きです。つまりは、勃起不全を治すにはスカトロへ向かわなければ駄目だと云う事になりますかしらん。



投稿者: moondial    日時: 2001年11月12日 01:04 | 固定ページリンク




一考 | 山本六三さんについて

山本六三さんについての記述が、下記掲示板にて多く見受けられます。興味ある方はどうぞ。

http://www.tcup5.com/525/takeshi.html



投稿者: 一考    日時: 2001年11月12日 01:37 | 固定ページリンク




一考 | つちのこ編集者の戯れ言2

 石川潤さんへ

 「文字を書きつつ恥をかき、汗をかきつつマスをかき、金欠き礼欠き節操欠き、かくして今はですぺら店主。いっこうに懲りない一考さん」とはかつて荻窪にいらした永瀬由利子さんの弁。由利ちゃんよ、「ですぺら店主」とは「でたらめ店主」の誤植ではないのかい。
 かようなメールを頂戴したあくる日には「一考取扱説明書」なる珍文書が掲示板に載る始末。私も大物になりましたなあ。それにしても、文の始まり位はオリジナルであって欲しいもの。あの書き出しはどこやらの大先生の文章の盗用ではござんせんか。落ちの巧さと比してバランスが取れてませんよ。「厚顔無恥でしたり顔の一考」は結構、かかる賛辞に私は弱いのです。先般もある女性編集者より「マッチョな男」との連打を受けました。相手方は非難のつもりだったのでしょうが、筋肉労働者の私としては栄光の糞づまり、単なるインテリではなく、些かでもインテリヤクザを髣髴させるではないですか。実は内心は嬉しかったのです。そこまで考慮してのマッチョならば、私は彼女にますます頭が上がらなくなるのですが。

 文中、たって数行のお褒めに与りしは幸甚。以下、文章を著すに際しての質と量の問題について一言。骨法についてはムーンさん宛の書込で触れましたので、重複は避けます。
 いつぞや、「一行以上三枚位」との原稿依頼が御座いました。どなた様であれ、言いたいことはほんの数行、他はその数行に至るための伏線、ないしは盛り上げるための前菜のようなもの、と私は心得ます。従って、当意即妙の依頼かと思われましたが、結果は惨憺たるものであったと聞き及びます。
 エッセイにあって肝要なのは、あなたも仰るとおり「きらきらした部分が含まれているかどうか」です。前菜であるべき部分が前菜としての体をなさない、即ち結句の輝きを盛り上げる役を務めていない場合。言い換えれば、本来、前菜であるべき部分が知識のオンパレードに終始し、「きらきらした部分」との間になんら脈絡が見受けられない場合。そんな時は、いっそ結句の一行、二行だけの方が救われます。ところがほとんどの物書きは売文の明け暮れに精を出し、それこそ「社会的通念」の中にどっぷり浸って行くのです。著されるであろう中味は自らの記憶の襞にのみ在します。故に、引用に必要とされる最小限の書冊があれば十分なのです。ノン・フィクション作家は異なるカテゴリーに属しますので除外しますが、文章を著すに際して不必要に多量の書物を繙き、資料を漁り、取材を繰り返すような文章に私は些かの未練も興味も抱きません。何故なら、それは自らの体臭を希薄に、そして喪わせる結果にしかならないのですから。
 商売柄、書物蒐集家や愛書家と称する人々とのお付き合いが御座います。元本における函、カバー、帯の有無並びに美醜に口角沫を飛ばしております。それと何処のラーメンが、ケーキが、干物が旨いか不味いかとの話の間に質的な差違が在るのでしょうか。私は愛書家を否定しているのではないのです。個人の持つ価値もしくはその判断としての価値観は認めます。ただ、愛好会(そのようなグループに限って少数者意識、選民意識を持つ)と称するような集団の持つ価値評価の判断は御免被りたいのです。さらに申せば、様々な価値観は並列にしか存在しないと言うことです。旨いウィスキー、旨いラーメン、旨い干物は存在するでしょうが、ラーメンと干物、どちらが美味かとの質問は意味を成しません。いずれにせよ、等し並に単なる知識じゃないですか。箇々の人が持つ「染み模様と薫香」の話ならいざ知らず、井戸端会議に興味が尽きないなんて、益体なしを通り越して慇懃無礼です。喋る側も訊く側も俗物ですよ。

 私は通過し損ねましたが、多くの友の首が「空中の縄の輪を間違いなく通過」しました。先日も一人の思索者を喪ったばかりです。これからは愚鈍な輩の首を「目をつぶってチョンと飛ば」す覚悟と技量が必要になりましょう。悔恨の日々は何処かで断ち切らねばなりません。御意見、身に沁みて辱く思います。
 話はあらぬ方へ滑りました。問題は質と量との相関関係についてでした。マルクスの大向こうを張って、貴方好みの結論を申し添えます。「文章の長短は、結句としてもたらされる一行の哀しみの深さに比例するものでなければならない」と。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月12日 02:02 | 固定ページリンク




一考 | 御期待あれ

 ムーンさんへ

 西北八島さんをご存じなかったのですね。昔からのお付き合いで、32歳の頃、明石へ引っ越しする際に随分とお世話になった方です。ここでは憚りますが、京都の大先生との悶着の後は神戸の友人はめっきり減りました。今では貴方だけなのかも、逆に京都の友人は増えました。孰れにせよ、私を東京へ向かわせたという点で、幸いな事件だったのですが。
 石川潤さんは西明石時代に知り合った、若い友人です。物書きではないのですが、読解力に非凡なものがあります。「内容なんて洒落臭いものはそこらに置いといて」には私もドキッとさせられました。今度東京へいらっしゃる時に紹介致しましょう。
 もっか、掲示板を利用して頭の中を整理しています。次の仕事の必要に迫られてのことです。ウィスキーの本を済ませて取り掛かる予定です。店が暇なため、編輯が捗ります。様々な書物が順次出版されます。乞う御期待。 



投稿者: 一考    日時: 2001年11月12日 02:49 | 固定ページリンク




Campagnolo | 報告

訂正します。山本六三兄が死去されたのは、11月6日午前2時5分、神戸市西区医療センターにおいて。私が山本芳樹氏を通じて神戸新聞社に連絡したのですが、文化部の糸野氏が念のために遺族に確認を取って、訂正されました。この時点で喪主が亜里さんから佐保子さんに変更。一考さんには7日の夕刊をコピーして送ります。記事中、日本キリスト教会とあるのは日本基督教団の間違い、大混乱の中の電話連絡ですから仕方がありません。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年11月12日 06:54 | 固定ページリンク




Campagnolo | 高遠弘美様

良書から先に断裁されて行くのですね。恥ずかしながら私は貴書の存在すら知りませんでした。投稿によって今頃知ったのが残念です。早速、ふらんす堂のHPから二部注文しました。他の方法だと断裁日に間に合いそうもないので。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年11月12日 07:52 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 感謝を込めて

Campagnolo様、渡辺一考様。

勝手な書き込みにすぐに温かいお返事を頂き、本当に忝なく存じます。売れない本であれば、断裁は必定。在庫の本に税金がかかるこの国の税制とあらばやむなしとは思っておりましたものの、突然の報にいささか周章狼狽。見苦しいところをお見せしました。須永さんの「なりふりかまふ」というお言葉。いまさらに噛みしめております。
いまはこれのみ書き留めて、感謝の思いを申し上げたく。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2001年11月12日 09:03 | 固定ページリンク




ムラチカ | どうもお世話になりました

フラフラのおかっぱ女子学生、ムラチカです。
無事、自宅に辿り着きました。
種村先生にお会いするのは勿論、バーという空間に足を踏み入れるのも初めてだった為、大混乱。
右も左も判らぬまま遂には沈没してしまいました。お恥ずかしい……
ゆきちさんをはじめ、BEEさん、やっきさん、お邪魔ビンラディンさん、
それからお店の美人さん(お名前聞き忘れてしまいました)、そのほかの皆様、
ご迷惑おかけしたにもかかわらず本当に親切にしていただきました。
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

◆一考さま
帰り際にお話できて本当によかったです。
なんだか慰められました。
筵のうえで280歳、最高に素敵です。
図々しくもまたお店にうかがうことがありましたら、是非お話お聞かせください。
それでは失礼します。



投稿者: ムラチカ    日時: 2001年11月13日 02:35 | 固定ページリンク




一考 | ちゃらんぽらんの奨め

 ムラチカさんへ

 肩の力を抜きましょう。試験の時も、面接の時も、逢い引きの時も、いつ、なんどき、例えいかなる状況にあろうとも、肩の力を抜いて生きましょう。肩に力が入っていると、非常事態に対処出来なくなります。
 ちゃらんぽらんに生きるのはよくないことですが、心根だけは常にちゃらんぽらんを装っていないと自らが傷つきます。
 愚鈍な人に傷つけられれば傷つけられるほど、自らも愚鈍になって行きます。それに対応するに「ちゃらんぽらん」はすこぶる有効な手立てです。
 貴女はステキな娘さんです。精神の初まりを、純粋さを忘れないために「ちゃらんぽらん」を装って生きて下さい。またお会い出来るのを楽しみにしています。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月13日 12:59 | 固定ページリンク




一考 | 懐かしのハンドルネーム

 カンパさんへ

 わざわざのご報告ありがとうございます。コピーを鶴首。
 campagnoloとのハンドルネームに些か嫉妬と羨望を抱きつつも、過ぎ去りし日々が懐かしく思い起こされます。
 戸田から赤坂まではたかだか片道22キロです。一昔前なら苦もなく自転車で疾駆できた距離なのです。休むことなく日々60キロを走っていた頃もあったのですから。でも、近頃は酒量が増えました。ただ量が増しただけではなく、酔いが深くなりました。記憶がなくなることも繁くなりました。その度に須永朝彦さんや石川潤さんから叱られております。体力の減衰と比例して、アルコール依存症は進捗して行きます。他に地上を肯う術はなく「分かっちゃいるけど止められない」ありさまです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月13日 16:22 | 固定ページリンク




やっき | ありがとうございました

一考様

昨日はありがとうございました。平日ということもあり、人数は少なかったものの落ちついた楽しい会で、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。

種村先生の「大学を辞めて暇になったのでどんどん書いている」との言葉、倒れられて以来の停滞を吹き飛ばすような宣言にも聞こえ、インターネット宣伝担当としては何よりもうれしいことです。特に「ユリイカ」での連載を準備中との仰せは、不覚にも涙しそうになりました。笑われるかもしれませんが、澁澤の死後数年してようやく澁澤・種村両氏の文章に触れた私にとって、かつての「ユリイカ」は光り輝いてみえるのです。私にしてからがかように種村神話に毒されているわけで、私より若いムラチカさんが緊張のあまり倒れてしまうのも仕方のないことでしょう。「種村季弘スペシャル」の一考さんとの対談がそのあたりの毒消しの役を果たしていただけるのではないかと期待しております。

ところで、会費に含まれているサイン本とは別に知人のためにもう一冊購入させていただいたのですが、帰宅して鞄を開けてみると一冊しかありません。私はムラチカさんのように緊張していたわけではないのですが、生来の下戸にしてコップ三分の一のワインに(さもなくば下ネタに酔いしれる店主の吐息に)いささか酔っ払っていたもので、あるいは鞄に入れたつもりが床に落としていたのかもしれません。そちらで見つかりましたら、保管しておいていただけないでしょうか。もし見あたらないということであれば、もう一冊購入させて頂きたく思いますので、取り置きしておいていただけないでしょうか。

また、サイン本はまだ十数冊ほど残っていたように思いますが、それらは今後そちらで購入できるということですよね。その旨ホームページの方で宣伝させていただいてもよろしいでしょうか。


高遠様

ご著書ありがとうございました。署名をしていただいたうえ、割引価格で購入させていただきまして、逆に申し訳ないくらいです。さらには新聞連載「壺中の天を求めて」のコピーや種村先生の新聞書評までお貸しいただき、お心遣い痛み入ります。あまりお話はできませんでしたが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。


ムラチカ様

初来店にしてその存在をアピールするには絶好のパフォーマンスでしたね。あなたのような方が倒れるぶんには可愛いもので、私なぞが倒れた日にはただの粗大ゴミ、吉野家の残飯と一緒に捨てられてしまうのがオチです。これに懲りずにまた機会がありましたらぜひご参加ください。そういえば種村先生のご子息の友人で古書店を営まれている方をご存知とか。そんなおいしいネタがあるなら種村先生に言えば色々楽しい話が聞けたでしょうに。次の機会にはぜひ聞いてみてください。



投稿者: やっき    日時: 2001年11月13日 19:52 | 固定ページリンク




朝子 | 幻の怪獣だったら。


Nessieのほうが良くないですか?ネス湖の妖精。ハイランドだし。
多分酔っぱらってるからずーっと水中に居ても平気なんだろう。
繁殖法の秘密に長けてそうな所も、つちのこより、本当にそこに
おる感じがするし、ネッシーのほうが似合うと思うんですけど>一孝様

先日、ネッシーのフィギュアを手に入れました。いまパソコンの上に
飾ってます。ネッシーのフィギュアって時点でおいおい!と思いますが
なにげに可愛かったりします。

おじゃましました。



投稿者: 朝子    日時: 2001年11月13日 23:09 | 固定ページリンク




梅子 | お忘れ物のお知らせ

11月12日 種村さんのサイン会の日に
「エレンディラ構想」というメモを置き忘れていかれた方、
ですぺらに保管しています。
ご一報下さい。



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月14日 04:33 | 固定ページリンク




梅子 | 私はつちのこではない

 やっきさんへ

 べろべろ店主を引きずって帰ろうとテーブルを片づけていたところ、
端の方に一冊ありました。誰が忘れていったのかしらん、またこれを売ろうか
などとつちのこが申しておりましたが、やっきさんのだったのですね。
こちらも気が付きませんで、すみませんでした。ちゃんと置いておきます。
サイン本については、やっきさんのホームページで宣伝して下さって結構です。
よろしくお願いします。

ムラチカさん

 忘れられない一夜になったのではないでしょうか、私もお酒には弱いので
昔はよくぶっ倒れたものです。ですぺらではオープン以来一年半の間に数名の方が
床の上で休んでいかれました。あの床は横になるには具合がよいようで、
なかなか好評なんです。
それにしても「お店の美人さん」ってもしかしてあたくしのことかしら?
(如月さんかな・・・)夜目遠目ですぺらの中、昼間はお会いしないように
いたしませう。ちゃらんぽらんが服着て歩いてるような店主の話に
お付き合い頂けるのでしたら、またいらして下さい。

朝子さん
 石川潤さんは、一考の体型からつちのこを連想されたのではないでしょうか。
ネッシーじゃ可愛すぎません?つちのこって、食べ過ぎて糞詰まった短小の蛇って
感じで、やっぱりぴったりでしょ。それにネッシーはネス湖にしか出現しないけど、
つちのこは日本各地にいるらしいし。つちのこのフィギュア作ってみましょうか。



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月14日 07:16 | 固定ページリンク




石塚 | 始めまして。

饅頭茶漬けを食べにお店には一度お邪魔いたしました。サイン会にも是非
伺いたかったのですが、風邪をひき断念しました。
まだ在庫がおありとの事、購入させていただきたいのですが。
よろしくお願いいたします。



投稿者: 石塚    日時: 2001年11月14日 12:52 | 固定ページリンク




B | (無題)

一考様・梅子様

種村先生のサイン会ではありがとうございました。
ですぺらで種村先生にお会いするのは二回目ですが、前回は遠巻きにして矢川先生とお話されてる姿を拝見してるだけでしたが(といっても、ちゃっかり一緒に写真を撮ってもらいましたけど)、今回は近くの席で話を聴くことができました。
11月で東京を引き払って、兵庫県の山奥で仙人生活をすることにしてるので、最後の東京土産として最高の夜になりました。(といって、ちゃっかりまた東京に出没するのでしょうが)
種村先生のサイン本、大切に読ませていただいてます。
ありがとうございました。



投稿者: B    日時: 2001年11月14日 21:10 | 固定ページリンク




さくら | 久々に

久し振りに訪れました。相変わらずの大盛況。種村さんのサイン会は今週の月曜だったのですね。私は地元の書店で予約しました。そろそろ入荷の電話が入る頃でしょうか。楽しみにして待っております。一考さんの装丁された本は美しいとのこと。早くですぺらに行って、そちらに置いてあるたくさんの本を拝見したいです。マスターのお話も楽しみです。チャージが要らないとは嬉しい限り。お酒も手頃だそうだし、何といっても料理が旨いらしいし、何だかわくわくです。ですぺらのコックさんを貸して下さい。



投稿者: さくら    日時: 2001年11月15日 09:42 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 乳いろの花の庭から

高遠氏のお名前は、全くの初見ですが、ネット注文しました。返信が来るまえに本が今届きました。なにせ乳房は好きなので。まだ本文は読んでおりませんが、乳房というと、志賀直哉「暗夜行路」の結末を思い出します。では。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年11月15日 11:12 | 固定ページリンク




ゆきち(福澤) | (無題)

どうも、ゆきちです。月曜はとても楽しかったです。

さて、あれから、種村先生のご本、通勤途中に読ませていただいています。非常に面白くて、離せないほどです。なかでもトマス・チャタトンの話は若年天才に弱い僕としては、とても面白く読みました。

それでは、また、機会ありましたら、ですぺらに伺わせていただきたいと思います。それから、ムラチカさん、よかったら、今度、ですぺらと隣のお店をはしごしてみましょう(笑)。



投稿者: ゆきち(福澤)    日時: 2001年11月15日 12:18 | 固定ページリンク




Campagnolo | 「死の舞踏」を買われた方へ

山本六三さんは、いつも時間をかけてゆっくりと署名された方ですが、「死の舞踏」の際は、衰えた体力に自ら鞭打ち、これが最後だと最後だと覚悟しながら、一枚一枚、見届けるように、丁寧に署名されました。あの作業で寿命は確実にニヶ月か三ヶ月分は短くなってしまったと思えます。「死の舞踏」未だ半分ほど残っています。僕は他の作品を六枚買いました。後日三枚買って、「六三」にする積りです。「ばかなことするんだね。何の意味があるの」と小さな声で煙草に火を付けながら、六さんが囁いている声が聞こえます。それが僕の美意識だからと答えたら、「あ、そう」と一言つぶやいて、微笑みながら後ろ向いてコーヒーをご馳走してくれそうな気がします。必要な方は、急がないとなくなりますよ。                                                                                   わんたんには他のものも、まとめて一セットにして送るから、ちょっと待ってね。それから神戸のSKIN2とその系列数店は、裏の会員制の所も含めて、今はやりのソフトSM風スナックだよ、時々ぼくも遊びには行けど、こんな物置くんじゃないとか余計なことばかり僕が言うので、いつもけんかになってしまうの。蛇を置いてるからって、どうだっていうの。ただの、まがいものの店でしかないよ。だいたいコスチュームにラバーをけちってビニール使っちゃダメ。La peau!て二回言ってこないだ帰ってきた。ここで働いてた子としばらく付き合ってたんだけど、かわいいだけの普通の子だった。やっぱり新大阪か十三まで行かないとダメよ。ところで「漁火」は僕が景子と一緒に最初に連れて行ったんじゃない。エッチャンどうしたんだろう。しげチャンも死んじゃったし、一番仲良かった二丁目の「さざえ」のヨッチンも死んじゃった。  カンパの話は又ゆっくりね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年11月15日 14:01 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 死の舞踏

昨晩、「死の舞踏」を買った近所の女友達に電話して、このサイトを教えました。彼女は、たどり着いたので、電話をきりました。で、今朝。なあんだぁ、彼女、書き込んでいないんですね。その彼女は、某銅版画家に師事して、ビュランで銅版画を作っています。まだまだですが。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年11月16日 10:20 | 固定ページリンク




智里 | 遅ればせながら・・・

初めての個展も何とか無事に終了いたしました。 ですぺらを通して来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。 せっかく上京するのだから、毎日のようにスモークを食べに行こう!と息巻いて いたのに、心身ともに以外にヤワで、結局1度しか行けず残念、無念。 狂牛病の会は実現したのですか?いきたかったなあ。



投稿者: 智里    日時: 2001年11月17日 11:50 | 固定ページリンク




きまいら舎 | 山本六三さんのこと

 小さな星がひとつ消えました。小さく見えるのは距離の遠さゆえ。 俗世間からなんと遠く離れたひとだったことでしょう。この小さな喪失ゆえに 宇宙の暗黒が少し広くなったようにさえ思います。 死の舞踏を買った人へのお便りありがとうございます。私の最後の手紙は届き ませんでした。生前、一度だけいただいたお手紙を読み返して泣きました。



投稿者: きまいら舎    日時: 2001年11月17日 18:14 | 固定ページリンク




ゆきち | 昨日は

大変失礼いたしました。酔っ払いものゆきちです。

あのあと、渋谷でカプセルホテルに一泊。その後、シュバンクマイエルを見て帰宅しました。学研の方(申し訳ありません、お名前を失念しています)、本当にお世話になりました。大変不躾なお話をぶつけてしまいまして、今でも反省のいたりです。

それでは、またうかがう機会もあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。もちろん、電車で帰れるまでの時間までにします。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年11月17日 19:40 | 固定ページリンク




梅子 | 毎度おおきに

石塚さんへ

サイン本は店に置いてありますので、お越しいただければ幸いです。

Bさんへ

兵庫県の山奥ってどこでしょう。 篠山、生野、神鍋・・・。
それより北は知らないもんで。どこに住んでいてもお喋りできるのが
ネットの良いところ。
東京出没の折りには、是非ですぺらにお越しやす。

さくらさんへ

ですぺらのコック、ええ、いつでもお貸しいたしますよ、どんどん持ってってください。
ちょっとかさばりますし、少し口うるさいですし、やや勝手きままなところがありますが、
あり合わせのものや、出来合のものをちょちょいで、それなりの味にしてしまう技は
持っております。



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月18日 04:01 | 固定ページリンク




石塚 | よろしくお願いいたします。

できるだけ近いうちに伺いたいと思います。



投稿者: 石塚    日時: 2001年11月18日 18:00 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | お知らせ

お知らせ係奥歯です。

郡司正勝さんの遺稿集『芸能の足跡』が須永朝彦さんの編集によって柏書房から上梓されました。これを機会に在りし日の先生を偲ぶ会を催します。

会費は四千円、十一月二十三日(金曜日・祭日)午後六時よりですぺらにて。
葡萄酒とウィスキーはたっぷりと用意いたします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年11月18日 23:41 | 固定ページリンク




一考 | 海馬の寝姿

 朝子さんへ

 十代の頃、惚れた女性宅への行き帰りに動物園の横を通りました。夜ともなれば、いろんな動物の鳴き声が聞こえて来るのですが、今なお耳にこびりついているのがアシカの叫びです。糸を曳くような切なげな声で、悲しそうに泣いているのです。哀愁に充ちた声を確認すべく、日中かの王子動物園に幾度も通いました。セイウチ、アザラシ、トド、アシカ、似た動物達なのですが、やはり鳴き声は異なります。しかも、昼と夜とでは鳴き声の響きが変わります。セイウチはコントラバスを思わせる重低音、アザラシはホルン、同じアシカ科の生物でも、トドがバスサックスならアシカはアルトサックスになりましょうか。木下大サーカスの曲芸で馴染んでいたものの、かくまで遣る瀬ない声を聴かされたのは、あの時が初めてだったのです。
 月日は流れ、私は54歳になりました。昨今では泥酔し寝転がった私を見て、梅子さんは何時も爺トドと呼びます。何となく粗大ゴミより悪意があると思いませんか。私の中でアシカに対する好ましい印象は崩れ去りました。折角のお申し入れですが、ネッシーはトドをうんと大きくしたみたいで、あまり気乗りがしないのです。突き出てきた腹を眺めやるに、私のあだ名は爺トドを通り越して老怪獣になりそうです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月19日 00:25 | 固定ページリンク




一考 | 「託ける」とは

 ゆきちさんへ

 「種村季弘流にいえば『渡辺一考から七、八人の人間がぞろぞろと逃げ出して、ひょっとするといまそこらへんが渡辺一考だらけになってしまうような』とデタラメばかりで溢れて、もうそこには一考氏の実体は存在しないのだから・・・。」以上は石川潤さんからの孫引きですが、文中ぞろぞろと逃げ出していくのは種村さんなのであって、いかように思いを致しても一考ではない。などと書き出すとそれ自体が種村さんの術中に陥ることになる。要するに、扱いにくいのですよ、種村さんは。と振ってみれば、何もかかる術策が種村さん固有のものではなく、いやしくもプロの物書きなら誰しもが了解している事柄であるのに気付かせられる。種村さんの随筆は常に書くという行為、即ち物書きの生き方のからくりを示唆しているのである。
 石川潤さんによれば「ぞろぞろと」をはじめ、駄洒落には深い意味があるそうな。そりゃあ、ありますよ。別のところで種村さんが「何ものにでもなれるこの男」と著していらしたと思いますが「何ものにでもなれる」と「ぞろぞろと」は同義反復です。「何ものにでもなれる」とは相手の望むところのものになるとの意志表示。自らを相対する人の鏡にしつらえる訳ですから、これほど人を小馬鹿にした文言はないでしょう。Bから視て、Aがちゃらんぽらんに見えれば、それはBがちゃらんぽらんな人間だと言うことです。何故ならAはBの鏡なのですから。そのからくりを承知でAが私はデタラメな人間ですと言った瞬間、Aを除くすべての人間はデタラメな存在と化してしまいます。種村さんの興味の対象はその辺りから派生するからくりの謎解きにあるのですから、化かし合いをするだけの暇と才覚を持ち合わせた人だけがお付き合いすればよろしいのです。
 「学問としての哲学を学んでいます」「ハイデッガーとドゥルーズを読んでいます」等と、とぼけたことを口にする人はまさかこの世に居ないと思いますが、もし居らっしゃれば抱腹絶倒。露伴が愛したという饅頭茶漬けにも似て、真性のデペイズマンコ。その異星人の頭の中でハイデッガーとドゥルーズがいかようにクロスオーヴァーするのか、そこのところを是非お聞かせ頂きたいと願う次第。小生は福原大学遊蕩学部放蕩学科酒席卒業ですが、学びしは「うんこと精液にまみれた哲学」。卒論は自然的存在や道具的存在から区別される基礎的存在論としての「蝿取り器と泥鰌鍋の研究」で御座いました。
 昨日の客は今日の餌。まじめに物を書いていると人生は退屈なものになってしまいます。人に託けて一筆啓上。因果な性格ですが、たまらんね、ウィッヒッヒ。石川さんの曰う「目をつぶってチョン」とはこういうことなんですかねえ。

 追伸。ですぺらの隣の「かさね」さんは料理の内容から押して安いお店です。しかし、一人二万円を下ることはありません。赤坂だということをお忘れなく。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月19日 00:28 | 固定ページリンク




一考 | 記憶違い

 campagnoloさんへ
 私の記憶違いで申し訳ない。エッチャンとやらは鉄板焼きを売りにしていたとの話を聞きましたが、それも震災のはるか前のことです。コーベブックス在籍中が最も飲み歩いた時期ですが、三宮も京都も行きつけの店はほとんどが廃業致しました。北へ行くことはあっても、もう上方に戻ることはないので、どうでもよいのですが。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月19日 01:19 | 固定ページリンク




一考 | デスタンス

 きまいら舎さんへ
 ビュランで制作なさっている方ですね。文中あなたが触れておられる「距離」は山本六三さんも執心なさった言葉です。氏がこよなく愛した詩に吉田一穂の「母」があります。

   あゝ麗しい距離(デスタンス)、
   つねに遠のいてゆく風景……

   悲しみの彼方、母への、
   捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。

 いつ読んでもいい詩です。悲しみの深さと会った回数は比例しません。あなたが投函なさった手紙はきっと届いています。山本さんはそういう方でしたから。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月19日 01:21 | 固定ページリンク




ゆきち | はい、すいませんでした


>  「学問としての哲学を学んでいます」「ハイデッガーとドゥルーズを読んでい
> ます」等と、とぼけたことを口にする人はまさかこの世に居ないと思いますが、
> もし居らっしゃれば抱腹絶倒。露伴が愛したという饅頭茶漬けにも似て、真性の
> デペイズマンコ。その異星人の頭の中でハイデッガーとドゥルーズがいかように
> クロスオーヴァーするのか、そこのところを是非お聞かせ頂きたいと願う次第。
> 小生は福原大学遊蕩学部放蕩学科酒席卒業ですが、学びしは「うんこと精液にま
> みれた哲学」。卒論は自然的存在や道具的存在から区別される基礎的存在論とし
> ての「蝿取り器と泥鰌鍋の研究」で御座いました。


もう、酒の肴にされるのは百も承知、身の丈に合わないおしゃべりをするのは生来
からのことでして、後悔だけが先に立つばかり、一夜のぐてんぐてんで渋谷であれ
やこれやをめぐらしておりました。おっしゃるとおり、何一つ反論はいたしませ
ん。

これで勘弁してくださいm(__)m。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年11月19日 12:44 | 固定ページリンク




ゆきち | 御礼

この点、忘れておりました。

「追伸。ですぺらの隣の「かさね」さんは料理の内容から押して安いお店です。しかし、一人二万円を下ることはありません。赤坂だということをお忘れなく。」

どうもありがとうございますm(__)m。しかし、二万円となると、安月給の身には少しばかりきつくなってしまいます。もうすこし、いろいろと算段してから赴いてみようかと思います。

情報、ありがございました。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年11月19日 23:24 | 固定ページリンク




梅子 | (無題)

智里さんへ

無事に岡山まで帰られたのですね、お疲れさまでした。
せっかくの機会でしたのに、個展には伺えませんでした。申し訳ありません。
また上京された折りには是非店にいらして、岡山情報を教えてください。

梅子こと薫子



投稿者: 梅子    日時: 2001年11月20日 04:18 | 固定ページリンク




Campagnolo | 一考様へお詫び

もう、首は麒麟状態でしょうけれど、わたくしの仕事がご存知のように多忙を極め、毎日、一時間か二時間寝ることが出来たら幸運という毎日です。約束の物が遅れて申し訳無い。先日、その反動で、560SLのAMGを衝動買いしてしまいました。排気量も6リッター近くとなると、やっぱり、尋常じゃありませんね。今度、戸田橋で勝負しましょうか。昔320に、ラジエーターを改造して(収まる場所が無いので)、3000のエンジンを積み替えて、デフからミッションまで、足回りを全部壊してしまったのは覚えてますか。その倍近いのですから、ストレートだけなら負けないでしょう。去年、180キロオーヴァーで赤切符。拝み倒して、免取だけは逃れたばかりなんですけどね。200km/h越すとオービスに写らないなんて、あれは嘘ですよ。ご用心下さい。最近のカメラは、性能が良くなってますよ。 ところで、高遠さんて8000cc位の方ですね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年11月21日 00:09 | 固定ページリンク




一考 | 勝井隆則さんのことなど

 やっきさんへ
 種村さんとの対談の中で、話題は芝公園で野たれ死にした作家藤澤清造に及びました。その時、私も君もひどい生活だったが、もっと壮絶な暮らしをしている出版人がいる。それは金沢の勝井隆則さんであり、「藤澤清造貧困小説集」の刊行者であると教えられました。種村さんが金沢で倒れし折の見舞客の一人ですが、以降お付き合いは続いているという。
 聞き通いによると、勝井さんは法政大学を卒業後、郷里の金沢へ帰り、亀鳴屋と号する出版社を一人で営んでいる。今なお、「蛍の光 窓の雪」を地でゆく家に女房と住み、テレビはなく、窓にガラスの痕跡すらなく、冬ともなれば家の中を吹雪が舞うにまかせるとの風流な暮らしぶり。今回上梓された「藤澤清造貧困小説集」にしてからが、刷り部数を500に限り頒価は2800円、締めて140万円じゃないですか。それでは全冊完売しても制作原価がかろうじて賄えるだけ、人件費はおろか、編集費すら出てこない。しかも頒布する書冊は餓死文学叢書とでも名付けるべき代物ばかり。次回配本は、戦後石川県小松市に在住した森山啓の著作と聞きます。森山啓は金歯を売って生活したとの伝説を持つプロレタリア作家です。
 今どき、こんな純な出版人が、しかも地方に居たというのが驚きです。風紋さんの言う、明るい表通りばかりを歩きたがる昨今の表現者や出版人から抜け落ちているのが、こうした不退転の意気込みであり、貧窮をものともしない強靭な精神なのです。物欲にまみれ、日々の金数を求めて蠢くような輩に表現なんざあ出来るわけも御座いません。芝公園でホームレスの頭領になってからでも遅くはないのです。表現者や編輯者に必要なのは不死鳥のように蘇る気力と無頼の精神のみと信じます。いずれにせよ、種村季弘さん推薦の「藤澤清造貧困小説集」を読んで貧困を謳歌しようではないですか。
 書物の佇まい清楚にして申し分なく、手染めの布表紙とつげ義春の絵とのバランスは美事。また、同書の巻末に付された粕井均さんの編纂になる「同時代評・ゴシップ細見」と小幡英典さんの「清造がいた場所」と題するアルバムは逸品。前者は書誌学の範にもすべき必読の文献、生田長江、島崎藤村から遺骨の焼却料を負担した長谷川時雨に至るまで、藤澤清造にまつわる証言と文献を稠密にときほぐし、おのが清造感をそれこそ干鰈を陽に翳すがごとく浮かび上がらせている。かかる書物が藤澤清造を愛する人々によって拵えられたのは何よりの供養。文学史の書き換えに直接結びつく行為のみが出版であるとの勝井隆則さんの身を呈しての異議申し立てに三拝九拝。貴方のような存在こそが私が生き延びるための唯一の糧なのです。
 地方の方は下記住所へご注文を、東京在の方はですぺらへご注文を頂ければ幸甚。ちなみに、ですぺらには取りあえず10冊送付して頂く予定です。

  「藤澤清造貧困小説集」亀鳴屋本第二冊目 限定500部 頒価2800円
   亀鳴屋 石川県金沢市大和町3-39



投稿者: 一考    日時: 2001年11月21日 21:09 | 固定ページリンク




朝子 | WATCH OUT! the Sea Horses


一孝さま>>

海馬は脳味噌ん中にありますね。なんか賢い感じがよい感じです。いや。
ネッシーのフィギュアみたけど、結構なんていうか、ヒルにヒレが4つ
ついただけで、麒麟のよに伸びた首、ふたコブで角が生えているらしい
ですよ。つちのこはビール瓶大でしたっけ・・・なんかな・・・しょぼい
から、もちっと、格好いい方が良いべか、と思っただけなのでした。

そのうち又見に行ってきますよ、ロッホ・ネスに!行った事ありますか?
今時分の北関東の空は丁度なんていうかスコットランドみたいで好きです。

所でゆきち君ことゆっきーをいぢめないであげてください、いや、いぢめて
下さい。ヤツは根っからのぼんぼんで困ったモノなので鍛錬が必要です。あ
たしに言われたくないだろうけどっ(あははー!)

物の怪に対抗するのにカミングアウトしなきゃだめか?とか言ってますが
彼には宗旨替え以前に修行が必要だという事をコンコンと言ってるのですが
私の言葉なんぞ素通りする模様ですなさけなや。

どうすればいいんでしょうか?



投稿者: 朝子    日時: 2001年11月21日 23:34 | 固定ページリンク




ゆきち | 余計なこと書くでねぇ!

だっーーーー! そないなこと書くな! 誰も対抗しようとかしないとか考えてませんて。堪忍しとくれやす。というわけで、僕は、良心に基づいて、いぢめにはこころから反対です。

それから、僕は、10秒たりともぼんぼんだったことなどないぞ(笑)。朝子さんからは、そうみえるのかい? 

っていうか、マジ頼むわ。これ以上はプライベートメールにしてくれ……。

以上、失礼いたしましたm(__)m。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年11月22日 01:28 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 感想


お久しぶりの暫定管理人です。
一考さんの中年パワー炸裂してますねえ。
団塊の世代はパワーがあるということかな(もっとも一考さんにパワーがあるだけかもしれない)。
エロと貧困がこんな形で共存するとわ。

ところで「藤澤清造貧困小説集」、面白そうだけど、読みたいような読みたくないような気分。はっは。

今の若者、もっと力をださんかい。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年11月23日 01:02 | 固定ページリンク




やっき | 注文します

一考さん

「藤澤清造貧困小説集」については先日の出版前夜祭のときにも
おっしゃっておられました。「落ちぶれた男ほどエロティックなものはない」
と書いた種村さんのご推薦、これはぜひとも読みたいと思っていましたが、
入手方法がわからなかったので、お知らせ下さって助かりました。
一冊注文させていただきます。よろしくお願いいたします。

高遠さんの『乳いろの花の庭から』読みました。
博学と色気を併せ持つ稀有のエッセイですね。
断裁に際し、高遠さん自ら数十冊を引き取られたとのこと。
知人に宣伝して回ろうと思っています。
本書と出会えたのもこの掲示板のおかげです。ありがとうございました。



投稿者: やっき    日時: 2001年11月24日 01:39 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 亀鳴屋

亀鳴屋のホームページがありますね。ヤフーで一発でした。金沢では、名の知られた方のようですね。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年11月24日 10:02 | 固定ページリンク




一考 | 心にもあらざる記

 ゆきちさんへ
 自分というのは人が望むところのものでしかない、というのが私の持論です。自分が自分の思っているような人間であるかどうかは自分にはなにも判りません。人が判断するところの自分が常に正しい自分の像なのです。これは松友さん宛の文章で著した賓辞の問題と同じことなのです。いついかなる状況にあろうとも、判断を留保し行使するのは他者なのです。どうしても酷い誤解があるというのであれば、五解を六解に七解にしつらえ、自らの快楽の対象にしてしまえばよろしいのであって、「そないなこと書くな」では些か見苦しくはありませんか。男の子はもう少しダンディに行きましょう。また、人の意見に対して異議があるのであれば、どうどうと議論すればよろしいのであって、それを「余計なこと」とか「いじめ」と退けたところでなにも始まりますまい。繰り返しますが、他人にかく見られたいという望みがもし有るのであれば、自らの立ち居振る舞いを然るべきものに改めるのが先決かと、爺トドからの心にもない親切心です。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月24日 20:30 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 藤沢せいぞう貧乏小説集


藤澤清造は朝日書林の全集刊行の広告を見て以来 (まだ出ていないようで
すが)、こんな作家がいるのかと気になっていた一人でした。表紙がつげ
義春というのも狙いすましたかのごとき人選で嬉しいです、一冊頂戴した
く存じます。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年11月24日 20:33 | 固定ページリンク




如月 | ウイルス情報

昨日、私のメールボックスがウイルスに汚染されてしまいました。 このため、これまでメールの遣り取りをしたことのある人すべてに私の名 (実名)でウイルスメールが送られてしまったようです。 あやしいメールが届いた人は、すぐに削除してください。 なお、このウイルスの被害状況等は、拙掲示板に書きこんであります。



投稿者: 如月    日時: 2001年11月28日 13:11 | 固定ページリンク




一考 | 敷衍曲

 奥歯さんへ
 敷衍曲と題するつちのこ編集者の戯れ言第三弾。例によって、奥歯さんへ託けての戯れです。

 かつて郡司正勝さんは日経新聞の「オリジナリティーとはなにか」とのアンケートに応えて一言「オリジナルなんてありません」。また貴女がお好きな澁澤さんはオリジナリティーを過価なるものとして嗤い飛ばしていました。確かに貴女が仰有るように、文学と哲学にはパラフレーズとの言葉が似合います。ただし、敷衍ではなく、敷衍曲の方がより相応しいでしょう。
 金子千佳という詩人を私は存じ上げませんが、結構な詩です。男女の稟質の違いがよく表現されていると思います。素敵なイントロです。

 第一節からはじめましょう。まず『「人が考えたから考えなくて済む」をいうわけにはいかない領域こそが哲学であり文学』であるとの御指摘。「いうわけにはいかない」を「それを言っちゃあ、お仕舞いよ」と転じ、「言えねえところが文学よ」と結ぶ方が通りがよくなります。冗談はさておき、物理学にせよ天文学にせよ、大方の学問は類推の上に成り立ちます。例えば天体の運行をつぶさに観察し、任意の一点にブラックホールがなければ、運行の整合性が得られないと言った案配です。現象を統一的に説明することが可能な仮説をまず打ち立て、それを検証し、妥当するところの真理を導き出すのです。
 一方、人間には先天的な概念と後天的な概念とが混在します。でも、人生に仮説としての設計図はないのです。人はまず存在ありきで、生きて行く課程で双方の概念が絡み合って概念構成がなされて行きます。サルトルが示唆したことは半分正しく、半分は間違っています。その問題点の整理は後日述べるとしましょう。
 文学は書き手個人の倫理観、価値観、歴史観を綴るものであって、アナロジーもしくは一般化とは所詮馴染まない領域のものです。三島由紀夫の死と共に三島の文学も終了するのであって、三島文学とは三島由紀夫の存在そのものだと申せましょう。要するに、百人の物書きが居れば、百通りの文学が存在するのです。だとすれば、他者が著した文学なり哲学を以て自らを諾うには常に危険が伴います。特定の他者にいくら恋い焦がれたにしても、すべてのシチュエーションが重なり合うような人生はおそらく望むべくもないからです。仮に体験に頗る似通ったところがあるにせよ、それを読み換える変換機能としての内的体験までが同じというのはおおよそあり得ないことです。従って、文学にあっては他の学問に見られるように類推が入り込む余地はほとんどないのです。
 「人が考えたから考えなくて済む」のが思惟の結果なら、その推論は個人の否定になりますし、そうでなければ、内包した自家矛盾にも気付かない不自然な存在、即ち馬鹿者ということになります。いずれにせよ、支配されるのを望むファシズムの立派な構成要員なのです。もちろん、考えたからと言って何が解決されるわけでもないのですが、それに関する発言は後段に譲ります。今一つ、類推とイマジネーションの問題がこれでは解決されませんが、属性に関する類似の否定が、イマジネーションを羽ばたかせるのではないかとだけ指摘しておきます。

 第二節と第三節は言葉とその概念の問題です。これはどこかで触れたので繰り返しませんが、「言葉はアリアドネの糸です。思考の軌跡を残しておかなければ同じところをそれと気づかぬまま何度もぐるぐるまわるだけにもなりかねません」の中の「思考の軌跡を残しておかなければ」はとても大事な文言だと思います。ただし、文意は貴女とは異なります。
 「独語録」か「三位一体論」が貴女の脳裏を去来しているのでしょうが、同じところをぐるぐるまわるのは単にその人の頭が悪いだけであって、気付こうが気付くまいが大した問題にはならないでしょう。問題は思考の軌跡です。
 言ってしまえば文学好き、されど思想のない文学なんぞ読みたくもない、そこまでは問題ないとして、考えるとの行為すなわち思考が迷いであり、逡巡であり、躊躇いであると、恐らくこの定義も問題なし。ただし、なにが迷いなのか、なにを持って逡巡とするのか、なにをして躊躇いと名付けるのか、ここには個体差が生じます。その逡巡の過程を取り敢えず試行と名付けましょう。試行を包み隠さず書き著すことによって、読者は筆者の搏動即ち個体差を識ることが可能になります。逆に言えば、包み隠さず綴られた試行は個体差を認識した人の生存の課程であり、まさにドゥルーズのいう流動の相の自ずからなる表明になります。また、搏動とは個としての書き手の生の証しに他ならず、搏動を伴わない文学とはその意の通り、思想のない文学ということになります。……と書いてきて、貴女との亀裂をいつも思い浮かべます。「なぜ、思考が迷いなの」との質問を度々受けます。一方、私はよく懐疑との言葉を用います。私が用いる「懐疑」はヘレニズム時代の懐疑派のそれとは全く異なります。私は個人的平安を与える処世術や思い煩いのない平常心など求めていませんし、判断中止に陥ったこともありません。より重要なのは思考にいかなる形であれ、結果や結論を求めていないという点です。懐疑が思考のエネルギーの唯一の源ではないかと思っているだけなのです。
 自己に懐疑を差し挟まない、言い換えれば、自己を信じて疑うところがない、否これは言い過ぎかも知れません。でも、例え博捜の上、自己の立場を見出したにせよ、状況は同じでしょう。たどり着くとの概念自体が私には胡散臭くかついかがわしいものに思えるのですから。ピュロンが言うように、確かに言葉への不信は人間不信に直結します。そして、真理の探究、本性の認識は不可能だと私も思っています。西洋で哲学がその目標とエネルギーを新たにして甦る時、否定するにせよ、肯定するにせよ、必ずキリストの問題が立ち顕われます。私は日本で生まれ、日本語で育ちました。キリストという概念が希薄ですし、キリスト教の文化と伝統も審らかにしません。でも、好奇心は旺盛です。その好奇心が私にエポケーを拒否させるのです。懐疑の原語である「スケプシス」skepsisというギリシア語は元来探究という意味でした。真理の探究は無理でも、生きた人間すなわち戦友の苦衷には大いに興味を抱きます。この点に関しても後日述べます。

 第四節に問題なし、第五節の「言葉を軌跡としてただ飛べばよい」は貴女らしい詩的な文言ですが、それこそ飛んじゃっています。おそらく「名前、自己同一性、そんな重いもの」からの脱却を示唆しているのだと推察します。昔、安部公房が「砂の女」でこの問題と格闘していたのを憶い出します。弛緩した文学者が陥る二律背反を「夢見のわるい道学者」と論断し、止揚としての実作者を「俳に濡れそぼるシュルレアリスト」と讃じたのは加藤郁乎さんですが、同じ飛ぶなら今少しなりふりを構いましょう。

 第六節の『フラットな世界が「すべては同じ」』には重なり合う問題点があります。私が試みたのは、価値としての等価を認識することによって存在そのものが滲透し合う、言い換えれば、孤独や失意の中に溶解してゆく自分の様を言いたかったのであって、ひいては人の存在には価値がないとの立論を示唆しようとしたのです。ところが、貴女は「同じ」ではなく「すべて」に論点を移しています。私が用いた「すべて」は「人の存在には価値がない」との立言に例外はないということを強調したまでなのです。ここでの「例外はない」は自己に懸かってきます。自己の内部に向かわない思惟なんぞ、机上の空論に過ぎないのですから。幻想文学でも著したのですが「他のいかなる人間とも完全に等価である」ということを識った時、人はまず苦悩に陥ります。「そんなことを認めてしまえば、今までの私は一体なんだったのか」との疑問に逢着するからです。等価は今まで当たり前の存在として容認してきた自分をまず否定することになります。大仰な言い方をすれば、等価への認識は人間存在の極限、絶望の果てを意味します。しかし、かかる境地の向こう側には風通しのよい球形の荒野が拡がっているのですが。
 繰り返しますが、「すべて」との言葉を用いたのは論理的整合性を強調するためではなく、また他者に向けての物言いでもないのです。自分に対して「例外はない」「等し並」であると言い聞かせる、自分自身へのイエロー・カードの随時発行であり確認なのです。同列、同様、一様との文字を私が好んで用いるのも他者と自己を差別したくない、もしくは差別など出来る筈がないとの立言に則ってのことなのです。「すべての存在は虚しい」それが「大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎ」るものの考え方なのでしょうか。

 第七節は難解です。特に「無数の価値体系を同時に持つことによって、どこにも帰属しない無意味なオブジェとしてすくいあげる」この文意は私にはよく解りません。経験を抽象そして捨象することによって得る概念であれ、経験から独立した先天的概念であれ、「無意味」との概念上の文言と価値体系を強いられるであろう「帰属」との関わり合い。「価値」に含まれる「反価値」と「無意味」との関わり合い。そして「無意味」と「価値体系」との関わり合い。最後に「無意味」と「オブジェ」との関わり合い、その辺りが私には読み切れないのです。主旨が単数の立言とは限らない、これは若い人の文章に多くみられる欠点のひとつです。そういう場合は文章を長くし、論点を分割するように心掛けるべきではないでしょうか。結論を急ぐのはよくないことですし、結論を導き出さない方が説得力が増す場合すらあるのですから。
 概念は確かに意味として存在するのですが、表現する際には言語になります。いかに「優れた」と予想させる思想であっても、表現が拙ければ、それは拙い思想にしかならないのです。なお、価値体系における優劣の階層的序列に私はなんら興味を抱きません。そんなものは端から信じていません。それは貴女がよくご存じの筈。

 第八節の「振幅」はムーンさん宛の「ガラガラポン」に記載。
 「思考は螺旋を描いて下降し、地獄巡りがはじまる」これにはちょっと異議あり。思うに、貴女の頭の中にはアウグスティヌスやダンテのイメージがあるのでしょうが、幸田露伴や稲垣足穂のシャボン玉やパンティを括りつけた風船を千里の空に飛ばした下着デザイナーの鴨居さんのようなパラフレーズの方が、夢があって楽しいではありませんか。「地獄巡り」は好みではありません。
 もう一つ、「言われきったこと、書かれきったこと、それはもはや目的ではなくて手段です」にも異議あり。既に口に出したこと、書き著したことはさほど重要でなく、大事なのは今現在の思惟なのでは、ということが仰りたいのだと思います。でも、思惟は生き延びるための数少ない手立てではあっても、目的ではありませんし、思惟そのものにも目的はないと思うのですが。人の生、即ち人の存在に目的や価値がなにも無いのと同様です。たって申せば、滅びるためとでもしておきましょうか。

 終章の二行に関してはゆきちさん宛の文章で触れました。自己と他者の問題は安直に境界線が引けるようなものでなく、片側だけでは議論の対象にすらなりません。それは自らの主辞と賓辞を繙くことにもなりますし、それだけでも数冊の書物を著すことが必要になります。前記文章ではあくまでかかわりのカラクリのひとつを述べたに過ぎませんが、誤解を畏れずに結論のみ申せば、「人は人の望むところのものになるしかない」ということになりましょうか。きっと、お付き合いした人の数に比例した複数の貴女が、そして一考さんがあちらこちらで蠢いているのでしょうね。
 他者が自らの鏡であれば、自己とは他者の投影、されば、言葉とは思考の酩酊なのでしょうか。

 「考えたからと言って何が解決されるわけでもない」との疑問を前述致しました。それについて一言。話をマラルメに持って行きたいのでアナロジーから始めます。アナロジーは自動記述やデペイズマン同様、文芸上の技法としては有効です。マラルメの「イジチュール」からボリス・ヴィアンの「日々の泡」に至るまで、それこそマラルメの言う「類推の魔」を書物の世界から抽出し列挙するのは容易いことです。
 「後方見聞録」所収の「西脇順三郎の巻」の中で「マラルメのメはまなこなり」との西脇さんの駄洒落を郁乎さんが引用しています。思うに西脇さんは洒落の達人で、とりわけ酒席における駄洒落の切れ味には怖いものがありました。「マラルメのメはまなこなり」にしましても、マラルメの散文詩におけるアナロジーの地歩を過不足なく示唆するに際し、他ならぬアナロジーそのものを援用するという芸の細やかさ。東大、京大、九大のノータリン学者(とりわけ「種の論理」を唱えたヘボ学者)が一冊の著書で著したことを一言の駄洒落で切って捨てる、頭脳というのはこのように使われなければなりません。かような高級な会話、即ち晤語の中で読解力の妙味を味わわせてくれる人を私は達人と呼びたいのです。
 「考えたからと言って何が解決されるわけでもない」この文言は言い換えれば「読んだからと言って何が解決されるわけでもない」と同一の意味内容を持ちます。読者の智力が書き手のそれに肉薄するものでないかぎり、読書は虚しいものです。単なる時間の浪費でしかないのです。私事にわたり恐縮ですが、かつて限定本に興味を持つ人で読書力、読解力を持ち合わせた人と一度も出会ったことがないのです。そしてある日、南柯書局の一部の本がコレクターの愛玩物ないしは投資の対象と化していたのに気付かされました。私が出版を止める日が訪れたのです。
 このような話を始めるととめどがなくなります。最後に繰り言を一言。櫻井さんがご指摘のように、年齢に相応しい覇気といいますか、負けん気の強さが望まれます。年長者に立ち向かう時は常に玉砕を覚悟しなければならないのです。破綻を懼れていては精神にダイナミズムは生まれません。そうして繰り返される抗いの果てにのみ、新たな精神の領域が立ち顕れてくるのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月28日 13:28 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ウイルス

昨日如月さんからウイルスメールが二通来ました。
Re: ENbN
Re: ヘkV
という件名のメールが如月さんから来た方は、速攻削除なさったほうがよいと思います。
アウトルックに感染するようです。

>一考さま
ご存知の通り、秘密のお仕事で手いっぱいですので、レスは来月にさせていただきます。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年11月28日 21:30 | 固定ページリンク




一考 | ウイルス

 皆さんへ
 今回のウイルスもウインドウズ専用です。マック用のウイルスはここ4年ほど聞いたこともなく、当方のOSにはなんら影響は御座いません。念のために申し上げますが、ウインドウズとマックの双方に有効なウイルスは存在しません。ウイルスを開発する人は愉快犯のため、マックのような少数派は相手にしないのです。恐らく、テロリストはマック・ユーザーではないかと思われます。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月29日 09:21 | 固定ページリンク




智里 | また行きますとも!

メッセージありがとうございます!ぼっけぇー、でえれぇー、もんげぇー (岡山弁、標準語で大変、とても、すごく、という感じ)うれしかったです。 また会えるのを楽しみにしています!たまには暴走トド号に乗って、こっちにも 遊びに来て下さいね!



投稿者: 智里    日時: 2001年11月29日 11:13 | 固定ページリンク




松友 | 12月01日、今宵は満月


ご無沙汰しております。先日所用にて関西を訪れました。
幸い終電には時間があったので、いそいそと西明石の割烹「きし」さんへ。
ついこの間も期せずして常連さんがカウンターに大集合なさったそうです。
礒自慢と共に頂戴する久方ぶりの活ひらめのお造り、鮎の一夜干。
時節には、鮮度の良い鮎の「西瓜のような」香を教えて戴いたりもしました。
こちらのご主人は、以前、一考さんがタイトル「月見で一献」で
モルト・ウィスキーの香について縦横に語り合える~と仰っていた御一方と
存じます。お店のカタログにもお名前が紹介されていたような気がします。
やはり懐石料理のプロは一方ならないものをお持ちなのでしょうね。

さて、過日の獅子座流星群は明石ではそれは美しかったそうです。
どうせ見えないだろうと、たかをくくっていたらこのありまさま。
幸い今夜は満月なので、一人で公園ででも月見で一杯します。
ムーンインポートのスプリングバンクあたり欲しいところですが
高価で手が出せないかも。
では。

付記:一考さんは「トド」説が有望視されつつあるようですが???
   「つちのこ」説は何処へ跳んでしまったのでしょう。



投稿者: 松友    日時: 2001年12月01日 16:57 | 固定ページリンク




あやめ | ごちそうさまでした。

一考様
薫子様

加藤郁乎先生を囲む会、その他何度かお店にはお邪魔しているのですが、
初めて書き込ませていただきます「あやめ(本当は殺め)」と申します。

昨晩は須永先生のカルチャー講座池袋チーム懇親会でお世話になりまし
た。お料理、とっても美味しかったです。ありがとうございました。
私、お酒は飲みはじめると取りあげられるまで延々と飲んでしまうので
すが、何故か初めてお酒の席で御一緒した方には「これや意外」と、驚
かれてしまいます。昨晩も先生をはじめ、他の受講者の皆様を心配させ
てしまったようで、ちょっとヒヤヒヤ。でもまだ暴走してない…。

さて、宴の後は、家に帰るのを諦めた4名の方々とお店近くのジョナサ
ンで青汁を飲みながら楽しく夜を明かし、無事に帰宅いたしました。
青汁のおかげで(?)二日酔いもございません。

ふつつかな娘で恐縮ですが、またお邪魔させてくださいませ。
よろしくお願いいたします。



投稿者: あやめ    日時: 2001年12月02日 22:11 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | はてさて


一考さんのPowerMac 7600は無事復旧したのだろうか?
一考さんの年齢でパソコンばらせるとは大したものだと感心した次第。
私もばらせるけど、こわいからホントはばらすの好きじゃない。ははは。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年12月03日 23:26 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン(伊藤敬) | マラルメ学者の件(どうでもよいことながら……)

昨日は、いつぞやの記事の「九州大学のマラルメ学者」というのが誰かな、
と質問をいたしましたが、それはK藤美雄氏のことだよ、と御返事いただ
きましたけれども、K藤氏は、同志社予科→大阪市大→関西大学という経歴をたどっておられるようで、九大には、集中講義で出張なさったことがあるかどうか、といった関わりにとどまるようです。
それにしても、仏語を学び始めてすぐの人にも分かる初歩的な誤訳の多い西脇順三郎訳マラルメの方が、「作品としての訳詩」として、仏文系の「碩学」たちによるものよりも、ずーっと優れているのは皮肉な話ですね。(そういえば、新潮社版世界詩人全集の名伯楽として、マラルメに西脇氏の起用を決定した河盛好蔵氏が、誰もそのスゴさを認めないことを、何かのエッセイでこぼしていました)
そういえば、いま、アマゾンドットコムで弥生書房版K藤美雄訳マラルメ詩集の書影を呼び出すと、小沢書店版の西脇訳の写真が出てくるのは、御愛嬌というものでしょうか。
以上、どうでもよいことながら、一考さんのメールアドレスわからぬので、こちらに投稿申し上げる次第です。



投稿者: 御邪魔ビンラディン(伊藤敬)    日時: 2001年12月04日 10:14 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン(伊藤敬) | マラルメ学者の件(どうでもよいことながら……)

昨日は、いつぞやの記事の「九州大学のマラルメ学者」というのが誰かな、と質問をいたしましたが、それはK藤美雄氏のことだよ、と御返事いただきましたけれども、K藤氏は、同志社予科→大阪市大→関西大学という経歴をたどっておられるようで、九大には、集中講義で出張なさったことがあるかどうか、といった関わりにとどまるようです。
それにしても、仏語を学び始めてすぐの人にも分かる初歩的な誤訳の多い西脇順三郎訳マラルメの方が、「作品としての訳詩」として、仏文系の「碩学」たちによるものよりも、ずーっと優れているのは皮肉な話ですね。(そういえば、新潮社版世界詩人全集の名伯楽として、マラルメに西脇氏の起用を決定した河盛好蔵氏が、誰もそのスゴさを認めないことを、何かのエッセイでこぼしていました)
そういえば、いま、アマゾンドットコムで弥生書房版K藤美雄訳マラルメ詩集の書影を呼び出すと、小沢書店版の西脇訳の写真が出てくるのは、御愛嬌というものでしょうか。
以上、どうでもよいことながら、一考さんのメールアドレスわからぬので、こちらに投稿申し上げる次第です。



投稿者: 御邪魔ビンラディン(伊藤敬)    日時: 2001年12月04日 10:15 | 固定ページリンク




一考 | 押し寄せた貧困

 皆さんへ
 やっきさんが引用していた「落ちぶれた男ほどエロティックなものはない」はいい言葉ですね。頻繁に風呂に入りたがる男と財布を持ち歩く男を私は信用しないことにしているのです。ひと昔前ならポマードを塗りたくった男とネクタイを締めた男だったのですが。
 私が女だったら、浮浪者に輪姦されるのを夢に見ますね。顔が見えないというのが刺激になって、具合がよろしいのではないでしょうか。落ちぶれるとは自らの顔、すなわち矜持とか自信とか誇りなどが肉を削ぐように喪われて行くことでしょう。人品が赤裸になる、落ちぶれるとはなんと麗しい契機ではないですか。
 「ですぺら」に貧困が押し寄せて来ました。と言っても「藤澤清造貧困小説集」が金沢から送られてきたのです。御注文頂いた伊藤、柿沼、金光、斉藤、高遠、樽本、芳賀、増田各氏に感謝。勝井さんに代わりて満腔より深甚の謝意を表します。鹿島の鈴木さんにも深謝、貴方の好きなドライ・ジンは英国では労働者が好んで嗜むお酒。貧困小説集は肴に相応しいものと思われます。残部は一冊ですが、それに関係なく、一層の宣伝を皆様にお願い致します。
 書冊に勝井隆則さんの長文の手紙が添えられていました。種村さんからの聞き通いに補正を施したもの。「戸や窓をしめても、ちゃんと家の中に吹き込む雪が盛り塩の如く積もります。暖房はコタツひとつ、厳冬には部屋が0゜近くまで冷えこみ、死ぬ気で買ったMacが寒くて立ち上げられず、毎冬、Macは冬眠を余儀なくされることになりました」と著されています。いい味の出た書簡です。いずれ詳細を御紹介致しましょう。
 阪神大震災の後、拙宅は壁が崩れ、窓や戸がきちんと閉まらなくなり、部屋の中を煙草の煙が走り、庭を乾反葉が舞う有り様。金沢ほどではないにせよ、室温は常に2~3゜、女房から苦言と小言を頂戴する日々を送りました。何時の日か種村さんをお呼びして「ですぺら」で、勝井さんを囲む会でも催したいものです。題して「餓死作家列伝」を語る会。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月05日 16:23 | 固定ページリンク




津原泰水 | お邪魔をいたします


一考様 薫子様

 広島に戻りました。東京ではお世話になりました。
 私はですぺらに、帽子を忘れてしまったかもしれません。
ただどこかで無くしてしまったのかもしれません。
 帰途、気がつくと頭の上が淋しかったような次第です。



投稿者: 津原泰水    日時: 2001年12月06日 01:56 | 固定ページリンク




一考 | パソコン解体

 櫻井さんへ
 2台のPowerMac 7600を解体。ロジックボード、ハードディスク、フロッピードライブ、メモリー、Vラム、ディスプレイカードを組み合わせて1台を完成。ちなみに2台ともなんとか機能するようになりましたが、片側はジャーンがジのみにて起動します。これはおかしいのかな。
 解体の前から、どうせどこやらは壊すであろうとの予測通り、電源スイッチの外側の細長い板状のプラスティックを折りました。どこかで手当して返却せねばなりません。
 CPUをメルコのG4に取り替え、片側に装着されていたNewer TechnologyのG3をPowerMac 7500の604と差し替えました。G3の方のドライバーとしてXLR8 MACh Speed Controlを用い、こちらは快適。ただし、XLR8 MACh Speed Controlがどのようなコントロールパネルなのかは私には解りません。念のためにMAXpowr G3 v1.3.9J Installerをダウンロードしているのですが。
 G4に用いたHG4Utility ver1.40は調子が悪く、HG4Utility Ver1.31に切り替えるつもりです。起動時にHG4機能拡張が起きたり起きなかったりで頗る不安定。何時もドライバーでは困惑させられます。
 セレクタがプリンターを認識しないトラブルはモデムのジャックに接続することで解決。先日、津原さんから教わったのですが、これには大感謝。
 いずれにせよ、PowerMac 7500が十全に機能していますので、心配はなし。7600へのソフトのインストールはのんびり致しましょう。いろいろありがとうございました。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 04:35 | 固定ページリンク




一考 | 竿の先

 御邪魔ビンラディンさんへ
 K藤氏は大正4年生まれにて昭和13年に京大を卒業致しております。1974年に森谷さんのところからマラルメ詩集が上梓されてい、その森谷さんから九州大学とお聞きしました。調べもせず、いいかげんなことを書き、申し訳ございません。ちなみに、森谷さんから聞き及びしは60年代の話にて、モーリス・セーヴ作品研究が上梓されし頃かと思います。わが邦にあってリヨン派の研究者は少なく、幻想文学で澁澤龍彦さんの訳詩集を編みし折りは同書のお世話になりました。
 バタイユが退化せし頭頂の目を松毬の目と名付けたのは有名ですが、ピエール・ルイスによれば竿の先にも退化せし目があったのではないかとのこと。二十歳にしてロリコンに陥り、生涯を通じて幼女の裸体の写真撮影にしか興味を示さなかったルイスならではの逸話かと思われます。だとすれば、その師のマラルメのマラは陰茎にして魔羅LE目(敢えて単数)が正しい訳語かと推察されます。
 月曜日は久しぶりに貴方と種村さん、そして高遠さんの四人で話し合うことが出来ました。愉快にしてデタラメな時を過ごせましたことに感謝します。当方のメールアドレスは despera@mac.com ですが、どうせなら掲示板でヨタ話に華を咲かせましょう。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 06:19 | 固定ページリンク




一考 | かっとびカンパ

 Campagnoloさんへ
 約束の物の詳細は判じかねますが、委細お構いなしにて結構、気になさらないで下さい。
 なお、私の愛車は15年前のトヨタのチェイサーです。いくらブースト・コントローラーを取り付けたところで300馬力が限界、現行の2Jなら500馬力、1Jでも400馬力は軽く出ます。ところが1Gは2リッターにして、もともと160馬力のエンジンです。6リッター近い化け物ベンツにかなうわけが御座いません。
 私がオービスでやられたのは75キロオーヴァー。メーターが180キロまでしかないので自覚はないのですが、どうやら185キロで走っていたらしく、こっぴどく叱られました。車重を同じとすれば、加速は軸トルク、最高速は馬力に比例します。それにしても、今のリッター・バイクは300キロ以上のスピードが出ます。400~500馬力にチューンしたGTRやRX-7ですら置いてきぼりを喰らいます。しかも前方にナンバー・プレートがないのでオービスはフリー・パス。長期免停が解除された暁には、ぜひバイクでぶっ飛ばして下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 07:12 | 固定ページリンク




一考 | 完売御礼

 勝井さんへ
 かつての「江戸っ子」編集長の小倉さんが来店、共にいらした宝島社の富永さんと京都文化振興機構の板倉さんが「藤澤清造貧困小説集」をお買い上げ下さいました。目出度く完売、どころか私の分が無くなりました。追加注文を出しますのでよろしくお願いします。
 「銀花」の編集長もこの掲示板をご覧になっているらしく、書評をお願いできませんかねえ。切なくなるほどいい本なんですよ。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 07:30 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 江戸っ子

わあ、「江戸っ子」に「銀花」!「江戸っ子」は大好きな雑誌でした。でも、いつ廃刊になったのか、知らないうちに見えなくなっておりました。私の住む地方には配本されませんでしたから。手元には十冊あまりあります。「銀花」は17号から飛び飛びで買っています。「銀花」で明治後半の木版口絵の紹介なんかしないかなぁ、と思っているんです。今、神保町では木版口絵がひそかにブームなんです。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年12月06日 10:06 | 固定ページリンク




石川潤 | 渡辺一考の裏の裏は表

 過日の事、ですぺらにて一考氏と20年ぶりの再会を祝して、法悦の一夜を送っていると、この店にいよう筈がない種の酔っぱらいに遭遇し、大変不快な思いをした。詳しくは割愛するが、この御仁「単なる酔っぱらいなんです、すみません」などと言いながら、私や周りの人々の話に馴れ馴れしく割り込んでくるのである。
 酔っているという状態に甘えて、少々の事だったら何をやっても謝ればすむと思っているこの精神。私に言わせれば「酔っているので話かけました、すみません」も「酔っているのでちょっと殺してしまいました、すみません」も全くの等価である。仮面を被って日常を送りながら、毎週2、3人殺して、ケロリと「はい、すみませんでした」の一言ですむと思っているのならば、何も言いますまい。
 要するに酔うなら自分の存在(自身で決意した、自分と生を結びつけている存在)をかけて酔うべし。話しかけるなら相手を殺す、否定する気で話しかけろということ。酒場だって紙の上だって、いくらでも殺しあいの場になるのだから。勿論遊びの場だって構わないが、酔っぱらっていた御仁は「私は物書きです」と言っていたので、このように一言いわずにはおれなかったのである。
 それともう一つ、渡辺一考の裏の裏は表ということ。これは何かと言うと、首をチョンと飛ばす一番の相手は、自分を差し置いて存在する筈がないということを渡辺一考は了解しているのである。一考氏は十八番である下らない冗談や下ネタの裏の裏に、「人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在」でしかないという事を、まざまざと実感させる様な言葉を忍ばせている。さり気ないところにチラリ、キラリと匕首を忍ばせているのが渡辺一考なのだ。まあ、50回に1回ぐらいで、あとの49回は本当に何の裏もないお下劣話だけれど・・・。よっぽどシャイなのか、ただ意地が悪いだけなのか、ストレートにものを言わない一考氏の「書き込み」も注意して読めば、他人への返事に託けて、ブスリとこちらを刺す勢いで構えている、言葉の殺戮確信犯の顔がそこら中にある事に気が付かれるであろう。
 要するに僕が何を言いたいかというと、かこつけカッコつけ魔の一考氏が、自分の店の屋号をどうして「ですぺら」と名付けたのか、その悪意、いやいや誠意をゆめゆめ忘れる事なく、大いに酔うべしという事である。
 これってもしかして営業妨害?



投稿者: 石川潤    日時: 2001年12月06日 17:56 | 固定ページリンク




一考 | 手技

 フーリエの使者さんへ
 「江戸っ子」は80年の25号で廃刊になったと記憶します。77年の15号に加藤郁乎さんの原稿を掲載したのが「江戸っ子」と私のお付き合いの端緒。16号からは「江戸の風流人」と改題の上、郁乎さんの連載が始まりました。他では藤浦富太郎さんの鏑木清方に纏わるエッセイが秀逸です。
 小倉一夫さんとは古い付き合いです。彼は在学中から博報堂に所属し、独立してからは編集者の地位向上のために励んでおられます。「江戸っ子」廃刊の後は「TEWAZA(テワザ)」の編集を手掛けられました。「江戸のデザイン」とのサブタイトルを持つ季刊誌で発売元は福武書店。85年の創刊でしたが、こちらは6冊で終わりました。「銀花」と共に稿料がよく、恩恵に与りしことが思い出されます。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 19:12 | 固定ページリンク




一考 | 楽しきは誹謗中傷

 石川さんへ
 今回の文章には前回ほどの切れはありませんなあ。舌足らずで落ちも甘く、点数を付ければ100点満点で11点といったところ。
 御仁もしくは私を否定したいのか肯定したいのか、定かでないところが歯痒いですね。「匕首」や「言葉の殺戮確信犯」など、気の利いた言葉も鏤められているのですが、表現が直截に過ぎるようです。悲しさを描く時に悲しいとの言葉が遣えないように、表現とは二重三重に慎重かつ周到に対象に迫らなければなりません。悲しいと書いてしまえばただそれだけのこと。悲しいもしくはそれに類する言葉を用いずに悲しみを表現すれば読み手は思わず落涙します。相手の気持ちを高ぶらせる、言い換えれば、読者の心情を徹底的にいたぶるには然るべき手立て、即ち時間差攻撃の繰り返しが必要なのです。
 起承転結がなく、起結に終始する文章をユル褌(ふん)と申します。書誌学者や編集者によく見られるパターンです(そうですよねえ、増田さん)。これに懲りず、次回また頑張りやす。
 なお、営業妨害は大歓迎です。管理人はどうやら暫定らしく、最終責任者がいないのが当掲示板の特異なところ。少なくとも禁句は御座いません。種村さんの迷句「影法師 唖(おし)で聾(つんぼ)でど瞽(めくら)で」であろうが、参加者への個人攻撃、中傷、誹謗、なんでもありでよろしいのではないでしょうか。特に僻み、妬み、謗り、差別の類を私は好みます。だって、恋愛なんぞは誰それでなければならないとの独りよがりの思い込み、世迷いごとでしょう。差別の極北に位置するのが恋愛でなければ何なのですか。心の病んだ人すなわち精神がいびつに歪んだ片端者にしか恋愛は出来ません。ちなみに、いびつとは飯櫃の略にして、その心は楕円形であること。これは花田清輝の最も得意とするジャンルではありませんか。楕円の思想は不肖私めが率先して範を垂れると致しましょう。他者に対して悪口雑言を吐けない輩に文章なんぞ著せる筈もなく、また文学から悪意と毒と嘲笑を除けば一体なにが残るのでしょうか。ホラーやミステリーのような唾棄すべきオポチュニストの読み物しか残らないではないですか。
 ただし、管理人だけには敬意を表しましょう。時には小さな親切大きな下心も必要なのです。何故なら、かの人を怒らせると掲示板を閉ざされますから。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 19:22 | 固定ページリンク




一考 | 三橋敏雄さん逝く

 三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。即ち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。

 との書込をしたのが10月11日。そして12月1日、胃ガンで三橋敏雄さんが死去、享年81歳。弟子筋にあたる中村裕さんが葬儀の後、わざわざ来店なさいました。
 医師を厭がり痛みを堪えての晩年、入院わずか6日目の最期であったとか。点滴その他の管の挿入を潔しとせず、自分で引きちぎる有り様を伝え聞くに、死期を迎えた弧絶者の自らへの矯激なまでの弾劾に思いを致し申し述べることなし。苦痛に顔をゆがめながら「ですぺら」へ挨拶に行かなきゃあと幾度となく口にされたとか。そんなことを知っていたら、挨拶状なぞ誰が送るものですか。
 貴方は俳壇一のダンディさん、それは私が最もよく了解していました。間違いなく、最期の一瞬までダンディに振る舞われたのですよね。
 何時でしたっけ、貴方と二人きりで福原で朝まで飲み明かしました。西東三鬼が金も払わず登楼し、日本丸のパーサーだった貴方は航海中無駄金を一切遣わず貯金し、その金数を三鬼に代わって女郎屋に支払っていた。そんなことを貴方はどこにも書きはしなかった。三鬼の愛人だった愛々のお玉ちゃん、懐かしい名前です。ちっぽけな飲み屋の壁一面に張られた三鬼の色紙、三人で三鬼お得意の体位の話もしましたっけ。的屋や香具師を集めて昔話に花を咲かせましたね、終戦直後の話題ゆえ、私は頷くのみ、よこっちょでしんみり酒を呑んでいました。私は福原で生まれて育ったのですが、貴方と連れだって歩くときはその福原が遠い異郷の地に思えました。小便臭い路次を右左に折れ曲がって傾いだドアを開ける、返ってくる声は決まって「まあ、お久しぶり、敏ぼん元気」。一緒に歩くと幾人もの博徒が挨拶します。私だって顔は広いのですが、とても貴方にはかないません。お玉ちゃんが亡くなって20年にもなりましょうか。今頃は雲の上で、否貴方のことだから海の底でなくては、三鬼とお玉ちゃんと三人で詰まらなかった地上の憶い出を肴に浴びるほど酒を呑んでいますよね。
 1月の偲ぶ会には加藤郁乎さんと共に伺います。地上に残された僅かな時間、此岸では郁乎さんと私が浴びるほど酒を呑んでいます。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月06日 21:55 | 固定ページリンク




暫定管理人 | 一応おことわり


昨今はインターネットの世界にも法の規制が入り込んできておりまして、
個人情報(携帯電話とか)の無断なる掲載とか愚かなる誹謗中傷には刑法が適用されてしまいます。
一考さんはそんなあほなことはしないとは思いますが、その点だけは気をつけて下さいね。
世の中には追従する馬鹿な輩や、無闇に法令を振りかざす困ったちゃんが多数いるようですから。

>片側はジャーンがジのみにて起動します。これはおかしいのかな。
アクセラレータを載せるとよくある現象です。サウンド関係では動かない部分が出るかも。

>電源スイッチの外側の細長い板状のプラスティックを折りました。
ここはすぐ壊れるんですな。僕も壊しました。はは。

>ただし、XLR8 MACh Speed Controlがどのようなコントロールパネルなのかは私には解りません。
たぶんバックサイドキャッシュのクロック設定ができるんじゃないでしょうか。クロックをあげすぎると
動かなくなります。

>G4に用いたHG4Utility ver1.40は調子が悪く、HG4Utility Ver1.31に切り替えるつもりです。
メルコはたしか韓国だか台湾で作られたものを輸入していて、しかも機能拡張はどこかよそに作らせて
いたと思います。だから外国製と同じく、若干信頼性に乏しいですね。
もうひとつ、G4のAltivec(Verocity Engine) を動かす為にはOS8.6(だったかな)以上でないと
動かなかったような記憶があります。そうしないとPhotoshopなどでフリーズします。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2001年12月07日 02:40 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 合掌

三橋敏夫氏が亡くなったことは、存じませんでした。新聞記事で気づきませんでした。合掌。ところで、 鏑木清方の名前に反応しました。最近、彼の若き日の木版口絵にぞっこんです。今、加藤一雄という方の「鏑木清方の芸術」(『雪月花の近代』京都新聞社、1992年収録)に感銘しているところです。『江戸っ子』のそのエッセイ、探してみます。では。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年12月07日 10:01 | 固定ページリンク




朝子 | 内親王の名前はラヴ&リスペクトって事か。ええやん。


えーそれって貧しすぎませんか?そりゃ楽しく飲んでるトコ邪魔されて
お怒りなんでしょうけど、酒の勢いを借りて、素面では出来なかった事
にチャレンジしてみるのは、なにもマイナス方向にだけじゃーないと、
思うんですけどねぇ。

酔った勢いでベッドまで持ち込んでやるぞー!とか?
酔った勢いで誰兵衛のサインもらってきちゃったー!とか?
酔って勢いをつけた所でステージで楽器もって大暴れ!とか。

色々あると思うんですけど。

絡まれたときのあしらい方の問題じゃないんですか?それって。

なんて、偉そうに、言ってみましたぁん(はぁと)
<<公開私信>>

ゆっきーちゃぁん。
あたし、まだ、待ってるからねぇ!
反論しないうちは、プレゼントももらってあげないし、
デェトもしてやらん。良いか?



投稿者: 朝子    日時: 2001年12月08日 00:18 | 固定ページリンク




B | お悔やみ申し上げます お悔やみ申し上げます

「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句に、死さえも、何も心配するようなことはない、
大丈夫だと微笑まれているような、懐の深さをしみじみと感じています。

フーリエの使者さんへ
はじめまして。鏑木清方、伊東深水、竹久夢二といった浮世絵は、
遅寝をした春の陽気の中でみる夢のようで好きです。
美人画の女の人は、時折植物のようにも見えます。
浮世絵版画の技術で継承されないまま消え去ったものもたくさんあるのでしょうね。

一考さんへ
一考さんの仰る信用できない男の条件は、女のほうにも当てはまりそうですね。
ひと昔前ならスニーカーを履いた女と香水をつけない女だったのですが。
ところで、女だったら浮浪者に輪姦されたいというのも結構ですが、
一寸それに付け加えるとしたら、浮浪者という肩書きさえないような
「芋虫」(江戸川乱歩)のほうも刺激的かもしれません。
それでも女の欲望は果てしないもので芋虫の目まで突いてしまうものです。

12月に入り、晴れて爪に火灯す贅沢な生活が始まりました。兵庫県の山奥で、とい
っても甲斐性がないのでそんなに大したものでもなく、西宮市内にぎりぎり留まって
います。京都の丹後なぞであれば日本海も拝めて良い風情なのに、とは身の丈に
合わぬ風流のため諦め顔。



投稿者: B    日時: 2001年12月08日 01:26 | 固定ページリンク




B | (無題)

題名を2回入力してしまいました。
失礼致しました。



投稿者: B    日時: 2001年12月08日 01:28 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 曖昧な記憶

パソコンは仕事場(職場)にありますので、帰宅して『江戸っ子』を調べましたら、38号まで25冊持っておりました。加藤郁乎氏から教えられて買ったことを思い出しました。加藤氏の連載が終えて、買うのも途絶えたのでした。どうも物覚えが、頭以上に悪くて。勝浦氏の2巻にわたるエッセイを読みまして、記憶力の差をまざまざと痛感しました。『銀花』も、9号からあって、アレアレです。『江戸っ子』では、知らない世界がいつも開けて、忘れがたい雑誌でした。小林礫斎の極細芸術も、これで知りました。今年7月、季刊『版画芸術』のインタビューを受けたとき、待ち合わせに渋谷のたばこと塩の博物館前を指定し、二人の若い女性編集者をそこでの小林礫斎展へ案内しました。二人とも、感嘆してました。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年12月08日 15:36 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 新編大手拓次全集


沖積舎から出る予定(?)とか、「新編大手拓次全集」はいったいどうなっているのでしょうか。
どなたかご存知ありませんか。
もうみんな諦めていた「ノヴァーリス全集」ついに刊行 (1・2巻が既刊)、それじゃあ大手拓次
どうなっているの?



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年12月09日 09:37 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 乱反射

世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。
(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.44)

「敷衍曲」に対した時のおののきは、難解さによるものではありません。細かな点にまでいたる無数のすれ違いの集積を前にして、どこから手を付ければいいのか決めかねるからです。
(とりあえず金子千佳の詩が「男女の稟質の違いをよく表現している」というご意見には異議があるということを明らかにするにとどめます。)

(私に言ったのではないでしょうが)玉砕など私がするものですか。私にとって議論は戦いではありません。そもそも、戦う戦わない以前に、私と一考さんは議論の場で出会ってもいません。私たちそれぞれが持つ前提と言葉遣いは余りに大きく隔たっています。
呼びかけに返ってくる声の方向とその響きだけを頼りに、さまよいながらめぐりあおうとすることが、私と一考さんの言葉の交わしあいでなされていることではないでしょうか。
一考さんがなさったように、一節一節にこたえることは、すれ違いの集積をいたずらに大きくするだけのことでしょう。違う方法で私はとりあえずの立ち位置を示したいと思います。

学問としての哲学を学ぶとは哲学史を学ぶことに過ぎず、自分が哲学することとはまったく異なるということは、私と一考さんの共通認識かと思います。
しかし、一考さんはかつて私に次のようなことを言いました。哲学科に行ったと言うから、じゃあソクラテスなりプラトンなりアリストテレスなりの哲学をそれぞれ説明して見せろと言ってもやってもみんな答えられない。それで哲学科に行ったなんてちゃんちゃらおかしい、と。これは学問としての哲学を重視し、哲学科はそれを学ぶところだと考えているからこその発言ではないでしょうか。

「有名哲学者の学説」をうまい具合に切り取って説明できることは、哲学する上で必須の能力ではないでしょう。そんなことは、(一考さんがそうしているように)哲学のデータベースを適宜参照すれば済むことです。過去の哲学者が役に立つのは、その人が考えたことを引き受け、それをヒントにして自分が考える時だけです。そしてその時その「哲学」は変化し続ける生きたものになり、「○○の」と所有格で語られる「哲学(説)」ではなくなります。他者が考え出した概念をこのように自分の中に接木し、自分の考えと一体化させて育てたならば、その哲学者の用語は自分にとっても便利な使い勝手の良いものになりますし、理解を共有する相手と話すときにも役立ってくれます。
私も哲学用語を使うことがありますが(でもあまりない。一考さんと話すときにはほとんどないと言ってもいいくらい)、使うために使っているのではないし、必要もなく哲学者の名前を出すこともしません。先日の書き込み「パラフレーズあるいは」の背景にはエックハルトとアウグスティヌスとダンテがあったのは確かです(私の血肉と化したヴィトゲンシュタインは常にあります。そして今回の書き込みにはディヴィドソンとローティーが響いています)、だからと言って彼らの名を知ることも書物を紐解くことも必要ではないのです。私が考えたことをかつて彼らも考えたことがあるというだけのことです。私の中では重層的に響いてはいても、それはそれだけのことです。
(ところで、一考さんが会話や文章の中でばらまく哲学者の名前や用語、あれはなんのために使っているのでしょうか。(多分煙幕をはるためだと思いますけど……)。私は一考さんが「ヘーゲルの弁証法」という言葉を発するのを何度も聞きましたが、その内容に言及しているところに立ち会ったことは一度もありませんし、その言葉が議論を補強していると感じたことも一度もありません。)

私は哲学(なり文学)は、書き手がその人生によって生み出す(一対一で結びついた)ものだとは考えません。書き手は思考が生まれる為の場に過ぎないと考えます。その場が非常に細かな設定を必要とするものの場合、たまたま同様の場があらわれることがなく、ゆえに書き手と書かれたものがわかちがたく思えることがあったとしても、それは偶然に過ぎません。思考はふさわしい場におのずから立ち現れるものだというのが私の考えです。
(厳密に言うと、思考と書かれた物は異なり、書かれた物は書き手固有のものだと言えると思います。だから、文学は書き手の人生哲学なるものと固く結びつくものでもあるかもしれません。そういうものなら私はあまり興味がありませんが。)
ある人が雷雨の中びしょぬれになりながら山の天辺で鉄竿を掲げていたら、そこに雷が落ちたとします。そこでその人がそうしていなかったらそこに落ちなかったとしても、その雷をその人がおこしたとは言わないでしょう。そのような奇怪な儀式をやり続けようという決意と覚悟を持つ奇特な人物を哲学者や文学者と呼ぶことに異論はありません。でもやっぱり雷はその人のものではないでしょう。私は思考をこのようなものとして捉えています。
だから、(便宜的にそう呼ぶことはあるとしても)「○○の哲学」というものは存在しないでしょう。誰かがかつて考えたことを、私もまた考えるか、あるいは考えないかです。それはその誰かのものでも私のものでもありません。
議論が戦いではないというのは、そういうことです。「私の考え」と「一考さんの考え」がぶつかり合って一方が勝ち一方が負けるという図式を私は持っていません。私の思考と一考さんの思考があらたな場をつくり、そこに新鮮な考えが立ち現れることを期待しているのです。結果的に、両方あるいは片方の思考は大きく変化するかもしれません。しかし、それは思考のおのずからなる変化であって、「負けて屈した」ためではありません。

個やアイデンティティやオリジナリティを否定する一考さんが、「文学は書き手個人の倫理観、価値観、歴史観を綴るものであって、アナロジーもしくは一般化とは所詮馴染まない領域のものです。三島由紀夫の死と共に三島の文学も終了するのであって、三島文学とは三島由紀夫の存在そのものだと申せましょう。」と語るということが私には解せません。

多くの場合、一考さんは形式と内容を混同し、カテゴリーミステイクをおかしているのではないかと思います。
肯定・否定する(判断する)為には前提が必要です。「黄が嫌い」、「青が好き」というのと同列に「色が嫌い」ということはできません。色はこの場合判断の前提だからです。色を形式、黄・青を内容と言い換えることが出来ます。ちなみに、「色」を判断するためにはたとえば他に「温度」や「形」などを内容として持つ「感覚」という形式などを前提にする必要があります。
このように、形式と内容は入れ子になっていて、どのレベルにでも設定することができます。しかし、それ以上外側を持たない特別な形式があります。それは(もっとも根本的な意味での)「存在」、「世界」などといった形式です。
可能なのは「存在するものに対して」、「ある規準に照らして」有意味・無意味を判断することだけです。だからまず第一に、判断を可能にする土台である存在自体を判断することはできません。
そして第二に、前提や条件を伴わないならば、どのレベルでも判断はできません。

一考さんが「すべてを否定する」などと言うたびに「安易です」とか、「どこに立っているつもりなんですか」などと言うのは、自分の判断を可能にする前提をないことにして(ひょっとして、気がつかないで?)「すべて」と言ってしまうことに異議を唱えるからです。
そしてまた、一考さんの存在が「孤独や失意の中に溶解してゆく」といった内容を持っていようとも、それであらゆる人の「存在」という形式を否定しようとするのは混同も甚だしいと思います。安易と言って据わりが悪ければ、粗雑だとでも、慎重でないとでも、懐疑が不徹底とでもなんとでも言えましょう。強調しておきたいのは、一考さんの人生が安易だと言っているわけではないということです。カテゴリーをごちゃ混ぜにした上、一気に結論してしまうことを安易と言っているのです。「すべての存在は虚しい」という発言は、たしかに「大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎ」るものの考え方です。

どんなにつらかろうが不幸だろうが、それは世界の中の一登場人物のつらさであり不幸なのです。そんなものはこれまでもありこれからもあるありふれたものであり、この世界の一挿話に過ぎません。そんな一挿話を全体に敷衍して世界を語るなんて、結局自己を特権化していることになりはしないでしょうか。
(孤独を感じ、自分を憎み責め、負の感情に苦しんだことがないわけではありません。それが私にとっていかにリアルであろうとも、それは世界という形式とは違うレベルにあるということです。)

そしてまた同時に、世界は私と離れたものでもありません。
(二階堂奥歯の人生の内容に関係なく)私が存在しているということ、そしてそこにこの世界が開けたということ、その点において世界と私とはわかつことができないのです。視界と視点が離れては存在しえないように。
そして私が語りたいのは、何かが見えているということ、見える範囲、見え方です。具体的に何が見え、それが孤独な景色だとかそうではないとかいうことは、私にとって最重要事項ではありません。

一考さんは、書き手固有の人生哲学が見えてこない文学など文学ではないとおっしゃいます。そのように個の屹立を求める心性と、個を否定しようとする心性とが、どのように関係しているのかを私は知りたく思います。等価であることに絶望したがゆえに、生き延びるため・自己を肯定するために、ことさらに個人の倫理観・価値観をつづるのでしょうか?
私は誰もがひとしなみに人間であることには絶望などしません。そもそも何を希望して(それがかなえらないからといって)そんなに絶望しているのですか?
人間というカテゴリーの中にはたくさんの人がいて、それぞれの内容を持っている。皆同じ形式の中にいると気がつくことと、その個々の内容を無意味とすることはまったく次元の異なることでしょう。そして、私が形式の次元に気がつく時に感じるのは絶望ではなく、新しい視野に対するおどろきであり、よろこびです。
まさか、絶望なんて! できるならもっともっと他の次元を知りたいのです。他の次元を知ったからと言って、これまでの次元内の価値はなくなりはしません。
もちろん、それらの次元の内、どれかを重視することはできます。私は基本的に外側の次元(形式)を重視します。それだけに、内容と形式を混同し、形式を内容で汚染することによって成り立つ一考さんの考えに対して異議を唱えずにはいられないのです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月09日 15:25 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 乙女的変態話

お邪魔「伊藤敬」ビンラディンさま

昨夜は上野文庫買い出し自慢ありがとうございました。
会社が割と近くにあるので上野文庫はたまに行くのですが、まさに宝の山。貞操帯の記述がある本はないかと血眼です。

サドの「悲惨物語」が少女(!)漫画化されていると昨日お話ししましたが、うちに帰ったらタイトル等わかりました。
高階良子「十字架に血の杯を」(「なかよし」掲載)です。
掲載されたのは何十年も前、単行本収録はされていないようです。
私も見たことがありません。ご覧になったら教えてください。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月09日 15:45 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 高階良子

『十字架に血のさかずきを』1974年は、『真珠色の仮面』講談社コミックスなかよし225巻、1975年11月刊に収録されているようです。探してみよっ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年12月09日 18:07 | 固定ページリンク




朝子 | 高階女史は


黒とかげ、も書いてましてね、それは漫画文庫になっておりますので、
お手にとりやすいかと思われます。ずいぶん昔の絵柄でアナクロは
アナクロなんですけど、でも、高階さんはこの手のゴチックな漫画を
書かせたら一番だと思います。迫ってくる感じが。無駄なゴージャス
感とか。



投稿者: 朝子    日時: 2001年12月10日 02:07 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 映画「マロンブラ」讃

現在、京橋のフィルムセンターで開催中の「イタリア映画大回顧」は、たいへんな好企画です。(昨日までにわたしが見た全プログラムの3分の1強にあたる作品については、少なくとも一本もハズレがないと言うことができます。)
全作品とも一見の価値ありといって過言ではないと思いますが、この掲示板を御覧になる方にゼヒお薦めしたいのは、マリオ・ソルダーティ監督の『マロンブラ』(1942年)。今度の日曜日(12月16日)午後4時の回が、今回の特集における最終上映ダ。フィルムセンターちらし所載のあらすじによると「叔父に引き取られた、身寄りのない侯爵令嬢マリーナ。その叔父は彼女に、結婚するまでコモ湖畔の豪華な別荘を出てはならぬと命じる。」となっていますが、ファーストシーンの湖上の美しさに始まり、「別荘」はいわくありげな古いお城で、道具立てはまったくのゴシック・ロマンスそのもの。物語は終盤の破局に向けて、いろいろな複線を張りながら展開してゆきますが、これを詳細にわたって紹介すると、これから見る人の楽しみを奪ってしまいかねないので、ディテールの紹介は控えておきましょう。ジュリアン・グラックの『アルゴールの城にて』をやや通俗化して映画にすると、こんな雰囲気になるのではないかな?(前売券は、かなり残っておるぞ!!)
途中までの盛り上げ方やハズシ方によいものをもちながら、大団円に向けて突如失速するような気配のあるキーロフ・クラサコフ氏など、この映画の呼吸を学ぶと、本当の凄みのある作家に化けるのではないかと、わたしはニラんでおります。
妄言多謝、では又
追伸:管理人への注文ですが、前回の小生の投稿、改行位置を間違えて投稿したものと、送りなおしたものが並んで掲載されていますが、どちらかひとつを削除した方がよろしいのでは? そこんとこヨロシク!



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2001年12月10日 18:21 | 固定ページリンク




梅子 | 帽子

津原さんへ

ですぺらにて大切に飾ってあります。
てっきり某書房の某社長の帽子だと思いこんでおりました。
近々上京されますでしょうか。
お送りしましょうか。この冬はとっても寒そうですし。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月11日 03:24 | 固定ページリンク




一考 | 多田智満子さん入院

 多田智満子さんが子宮ガンで先週入院なさいました。詳細は控えさせて頂きますが、今週から7週間の放射線治療がはじまります。快復をお祈り申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月12日 09:59 | 固定ページリンク




フク | 新年会予約

一考さま、薫子さま

こんばんは。昨晩にお願いしました通り、幻想的掲示板新年会、1月12日の
方向で進めております。本来は改めて御伺いしてお願いするところ、まずは先
に掲示板にて失礼します。
年内に改めて相談に伺わせて頂きますが、よろしくお願いいたします。



投稿者: フク    日時: 2001年12月14日 01:44 | 固定ページリンク




梅子 | フクさんへ

毎度おおきに!
一週間ぐらい前に人数を教えて下さい。
一考は編みタイツ履いてお迎えしようと申しております。
よろしくお願いします。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月15日 03:26 | 固定ページリンク




津原泰水 | RE:帽子


梅子様

 緑色のものでしたら、私のです。
 長年の酷使にへたりきった、とても送付のお手間をいただくほどの代物ではありませんが、
そのぶん幼児的な愛着がありますから、例の朗読の際にでも引き取らせていただきます。
 それまで、ですぺらに咲く議論や猥談を聞かせてやってください。
 よろしくお願いします。



投稿者: 津原泰水    日時: 2001年12月15日 06:35 | 固定ページリンク




栗田ひづる | はじめてお邪魔いたします。


 一考様・梅子様

 先日はお世話になりました。
そして来年の語りの件では、更にお世話になります。(^_^)
初めての試みの上、無理等も申し上げましたが、
ご承諾頂き感謝しております。

 その後、まだ作品が決定していない状態ですが、
もし例の作品に決まった場合、
お忙しい中恐縮ですが、お手隙の時に
方言指導をして頂けましたら幸いです!m(__)m

 また、詳細が決まり次第ご報告させて頂きます。
いろいろご相談させて下さい。
どうぞよろしくお願い致します。



投稿者: 栗田ひづる    日時: 2001年12月16日 17:24 | 固定ページリンク




steward | 文字化けも失礼いたしました。

 下の書き込み、ひどい文字化けで大変失礼しました。以下の内容で書き込みしたつもりでした。
 

 
 先程は高遠様、二階堂奥歯様にお目にかかり、お話を伺うことができて大変うれしゅうございました。ありがとうございました。
 高遠様には仏語、仏文学についてとても興味深いお話を伺って楽しい時間を過ごさせていただきました。balconの深い意味などを巧みな話術でお聞かせいただいて勉強になりました。
 奥歯様にははじめてお目にかかって数秒後に抜歯した奥歯を見せていただいて、近頃希有な言行一致のお方だと感じ入りました。
 今後ともdesperaさんでお目にかかった際はよろしくお願いいたします。



投稿者: steward    日時: 2001年12月18日 00:12 | 固定ページリンク




暫定管理人 | サルベージされました


下の書き込みが一部の機種で文字化けしていましたのでサルベージしました。

steward  文字化けも失礼いたしました。 2001年12月18日(火)00時12分57秒
 下の書き込み、ひどい文字化けで大変失礼しました。以下の内容で書き込みしたつもりでした。
 

 
 先程は高遠様、二階堂奥歯様にお目にかかり、お話を伺うことができて大変うれしゅうございました。ありがとうございました。
 高遠様には仏語、仏文学についてとても興味深いお話を伺って楽しい時間を過ごさせていただきました。balconの深い意味などを巧みな話術でお聞かせいただいて勉強になりました。
 奥歯様にははじめてお目にかかって数秒後に抜歯した奥歯を見せていただいて、近頃希有な言行一致のお方だと感じ入りました。
 今後ともdesperaさんでお目にかかった際はよろしくお願いいたします。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2001年12月18日 02:32 | 固定ページリンク




Campagnolo | なべちゃん

MOONさんが、かつて投稿されていた折、resしようとして忘れていましたが、神戸元町の「黒木書店」は先月正式に廃業されたことを報告します。春頃から、古書組合に大きな酸素ボンベを引きずって、管を口にくわえてやって来ていました。「古書の鬼」のような執念を感じました。落札した書物を持って帰ることなど出来ないので、よく僕が手伝いましたが、奥さんもご病気で、店に寄ると「今日も1冊も売れなかった。」「いやな客が来たので追い返してやった。」等が、例によって、いつものセリフでした。バブル期のままの値付と入札価格ですから、売れるわけありません。それでも僕は授業料のつもりで、寄る度に損を覚悟で何万か買っていました。だからという訳ではないでしょうが、いつもココアの出前をしてくれて、なべちゃんこと一考氏の話題になり、いつまでも帰してくれないものでした。ご本人はお嬢さんのお宅に転居、いたってお元気です。処分する商品は東京の古典会に送る筈です。今週あたりから、目録を見ていたら出品しているようですね。但し飛びっきりの珍本は自宅に秘蔵する由。僕も中学生の時はじめて行った古書店が黒木さんでした。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年12月19日 10:07 | 固定ページリンク




今松泰 | 多田智満子さんのご快復を祈っております。


はじめまして。
こちらの掲示板にははじめて投稿させていただきます。
今松と申します。

多田智満子さんとはたまたま同じ町内に住んでいる(らしい)
というだけのファンに過ぎませんが、
どこかの通りですれちがうことがあるかもしれないな、
いつかサインをもらいたいな、などとミーハー精神丸出しの
期待とも妄想ともつかぬことを考えたりしていました。

一日も早くご快復されることを心よりお祈り申し上げます。



投稿者: 今松泰    日時: 2001年12月20日 00:09 | 固定ページリンク




Campagnolo | 多田さんへお見舞い

彼女はきっと、元気になって退院される筈です。実は私も同じ町内に住んでいて、ローカルな話で申し訳ありませんが、昔は篠原公設市場という所へ初代マツダキャロルに乗って買い物に毎日来られていました。処分される折には、必ず声をかけて下さいねと言ってたのに、いつのまにか別の車に替わっていました。入院先は自宅そばの海星病院ですか、それとも婦人科なら市民病院でしょうか。小学校に行く時は多田さんのお宅のそばを通っていましたし、あの庭の裏には多田邸とは知らず勝手に入って遊んでいました。お渡ししたいものがあるのですが、自宅に届けれればいいですね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年12月20日 20:53 | 固定ページリンク




梅子 | すみません

 随分と書き込みさぼってしまいました。どこかのダスターが、いえ、マスターが
家のマックをいじくりたおしては、調子悪くしてしまったもので。
(何でも人のせいにするのは、どこかのダスターに倣って)

伊藤ビンラディンさま
 土曜日に店に来て下さった時はいつも「今日はどんな映画見たんですか~」と
聞いているばかりで、せっかく良い映画情報を教えていただいているのに、
なかなか見に行くことができずにいます。二日酔いで倒れているおっさんは放っておいて
独りで行くしかない!来年の目標にします。

栗田ひずるさま
 朗読会はですぺらにとっても初めてのことなので、試行錯誤になるやもしれませんが、
どうぞよろしく。私はとっても楽しみにしています。スケベ店主はひずるさんに
カウンターの上に乗れだの、天井から釣り下げて、そこで語れだの勝手なことを
申しておりましたが、聞き流してください。
 方言は店主は柄の悪い福原弁、「おんどりゃ、われ、なにしてけつかんねん」
なんていうのが得意だと思います。私は大阪弁でもなく、神戸弁でもない阪神弁が得意です。
ってそんなもの必要ないかしらん・・・。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月27日 05:56 | 固定ページリンク




梅子 | 営業日のお知らせ

ですぺらは年内無休で、三十一日まで営業します。
店主は二十九日ぐらいから飲んだくれる予定を立てております。
(いつもと一緒じゃないの)
大晦日は零時過ぎたら初詣にいきませんか。
(去年も店主はそんなこと言っていたけど、飲み続けてただけだった)

新年は四日から通常通りの営業です。
四日は新年会をいたしましょう。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月27日 06:07 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 今年最後の御邪魔ムシ

サドの『悲惨物語』のマンガ化という高階良子『十字架に血の杯を』は、講談社漫画文庫の「高階良子傑作集」第4巻『血まみれ観音』に収録されています。(角川ホラー文庫版の『血まみれ観音』の方に収録されているか否かは未確認)
主人公の名前とシチュエーションはサドの『悲惨物語』そのままですが、少女マンガとしての「制約」のためか、サドの小説の根幹をなす近親相姦のテーマが欠落してしまい、マンガそのものとしては充分に楽しめるものの、これを『悲惨物語』のマンガ化とするのは、ロジェ・ヴァディムの映画『悪徳の栄え』 (映画の原題は『美徳と悪徳』。それにしても、サドの映画化というと、なぜ、みんなナチスを持ち出すのだろう?)をジュリエット物語の映画化と称するのと同様の無理を含んでいると思われます。
実際に時代考証なぞをはじめると……文学的感性やマンガ的感性を疑われざるを得ないような野暮な指摘のオンパレードになってしまうので、ここは,高階良子さんが、サドのモチーフを借りて、おもろいマンガ書いてるでぇ、と言うにとどめておくべきでしょう。
それから、二階堂奥歯さんへ
佐藤紅霞の『貞操帯秘聞』という本入手しました。未入手なら、いづれ、小生が読んだ後に御進呈申し上げませう。ただで差し上げると、こちらの下心を疑われかねないので、ホイスキーのビンラディン(フィンラガン)とタリバーン(タリバーディン)を一杯づつ御馳走してもらおうかな。
では又



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2001年12月28日 13:30 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 年越しは実家で

『十字架に血の杯を』、私もその後入手しました。
悪の美少女物になっていてだめでしたね。『悲惨物語』後半の、母親の元に娘が帰ってきてからがメインですし。
『悲惨物語』の魅力は無論前半。父と娘だけの甘い蜜の部屋での生活と教育の様子が良いのに、やはり「なかよし」的に実の父娘近親相姦はまずいのでしょう。

御邪魔ビンラディン伊藤さまへ
貞操帯のこと、気にかけてくださってありがとうございます!
佐藤紅霞の『貞操帯秘聞』は私も持っています。一冊丸ごと貞操帯の本かと期待させておいて、貞操帯関連はタイトルになっている文章のみという。
酒井潔も貞操帯について書いているし、あの辺を探せばきっともっとあるんでしょうけれど、書いてあることはもうほとんど同じなのですよね。図版だっていつも使いまわし。
それでも買ってしまう貞操帯本。
今年はすでに実家に帰ってきてしまったので、また来年フィンラガンとタリバーディンをご一緒できたらうれしいです。

私にメールを下さるみなさまへ
プロバイダを乗り換えた関係で、なんと実家にいる間(来年4日まで)主要メアドでメールを受けられません。御用の方は携帯メールの方に下さるかお電話で願いします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月29日 01:30 | 固定ページリンク




金光寛峯 | シーシュポスの神々


ここ数ヶ月、友人の同人誌作りを手伝っておりました。
ずいぶん手がかかりましたが、ともかくも見本が刷り上るところまでは
こぎつけました。
いま手元にその現物があるのですが、見ていると、今にして了解できる
ところもありました。この場を借りて書いておきたく存じます。

「才能とはすなわち実績である」と以前お聞きしました。それでは実績と
はなんなのか。
今回私が手伝ったのは昔の作品の復刻でした。著作権者との交渉から、校
訂作業・入力・校正, 解題書きまで、途中いろいろトラブルや差し戻しを
経て、特にここ 2ヶ月というのは、仕事以外の私的な時間ほぼすべて編集
作業にかかりきりになってしまいました。お金も使いました。
他にもいろいろやりたい事や、本来ならばやっておかねばまずい事なども
ありました、本も読みたかったし映画や展覧会も良いものがたくさんあっ
た。義理ごともあった。いろいろ調べてみたい事も多くありました。
でも、体はひとつです。これはどうしようもありません。同時に二つも三
つもできはしませんし、限られた時間で何を優先するか、なんとか決める
しかありません。
ほんとうにたくさんの事を見送りました。

要するに何かを選ぶということは、その他の多くの選択肢を切り捨てると
いうことに他ならないでしょう。
「これに集中するんだ」と自分で決めた、そしていちおう結果は出た。拙
いものではあるけれども、一応これも実績といえば実績であるのでしょう。
だけれども、この選択をしていなかったのならば、もっと他のより良い事
があれもこれもできたのではないか?

しかし、その可能性は自分自身で切ってきたのです。多くの選ばれなかっ
た選択肢、あり得たかもしれない数多くの可能性や未来、他ならぬ私自身
の意思により切り捨ててきたものと引き換えに、実績はできました。

いま刷り上った見本誌を手に振り返り、見送ったものたちの多さを思いま
す。
才能とは実績、そして実績とはどんどん切り捨てることそのものでした。
なにかある事をやるとする、でも同じ時間で別のことをやった方がよりよ
い結果があったかもしれない、しかし両方は取れないのだからどちらかい
ずれかを取るしかない。捨てて、捨てて、捨てまくって挙句、無数の未来
を捨て去った、その代償として、1つの実績はここにある。

さてそれで、そもそも私の "実績" とやらがそもそも何からの意義なり、
意味なり価値なりあるのでしょうか。
無いでしょう。
「無為である、それを知悉した上で、なお行う。だから良い」。

思うに私がやっていることは大岩転がしのようなものでした。カミュの
「シーシュポスの神話」です。シーシュポスは山の頂上まで巨大な岩を転
がしていきますが、頂上は鋭角になっており押し上げられた岩はそのまま
向こう側に転がり落ちていきます。彼はまた麓まで降りていって最初から
岩を押し上げてゆきます。
永劫に続くというこの苦役は、一見は悲劇の構図です。しかし、何かを求
める行動に身を投じること。そして探求の陶酔に浸ること。ただそれのみ
が人間に許されている幸福なのではないのでないでしょうか。

私の岩は下まで転がり落ちたようです。さてまた上げると致しましょう。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年12月29日 08:32 | 固定ページリンク




如月 | 謹賀新年

みなさん、明けましておめでとうございます。
年の初めの祝歌をと、今年はまず「千載集」をひもといてみました。
  *   *   *
さて、1月12日(土)に、NHK「美と出会う」で四谷シモンが特集されます。
くわしい情報は、拙サイトに掲載致しましたので、ぜひご覧ください。



投稿者: 如月    日時: 2002年01月01日 09:57 | 固定ページリンク




暫定管理人 | あらあら


こっちの掲示板は最近すっかり流れが止まっちゃいましたか。

とはいえ、今年もよろしくお願いします。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年01月07日 03:06 | 固定ページリンク




Siesta | はじめまして


先日1/4に、閉店時間をすぎて午前2時までお邪魔してしまった者です。僕は、ですぺらと同じく赤坂に住んでいるので、終電の心配が無いのをいいことに長居をしてしまいました。
最後まで一緒にいた方(掲示板での名前をお聞きしたのですが、忘れてしまいました。すみません。)と、帰りに歩きながら少しお話しました。ですぺらのこと、一考さんのこと、いろいろ教えていだきました。

「一考さんはただ者じゃないよ。」


ですぺらにはこの日初めて行ったのですが、僕の好きなGLENROTHES1981年に、店主おすすめの星印がついていたのはとっても嬉しかったです。このグレンロセスはボトルが丸っこく可愛らしくて、シングルモルトにはまるきっかけになったウイスキーでした。そして何よりも1981年は僕の生まれ年でもあります。
さらに、なんと店内ではPowerMac
と古いAppleのモニターの横でマック談義が!僕は小学生以来のマック好きなもので。小学生当時には、クアドラ、セントリスの夢のようなスペックと目を疑うような値段を見て胸を躍らせた記憶があります。


ところで、この掲示板のCAMPAGNOLOさんは、もしかしてロード乗りですか?


最後に、僕のような若造が、ですぺら及びこの掲示板にお邪



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月08日 01:58 | 固定ページリンク




CAMPAGNOLO | siestaさま

ご想像通り、ローマオリンピック以来のロードでございます。デビュウは、今はなき甲子園競輪場のバンク。当時はピストもやっておりました。イタリアによく書物を買いに行くのですが、古書店より自転車屋めぐりに終始してしまいます。この間レースで事故して以来、今はsiestaでランドナーとスポルティーフに移行しています。siestaさんはロードですか。僕のマシーンは実戦を無視して60年、70年代の物にレストアしていっています。ですから、シマノとMACは嫌いなのです。



投稿者: CAMPAGNOLO    日時: 2002年01月10日 09:43 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

 
>僕のマシーンは実戦を無視して60年、70年代の物にレストアしていっ
ています。ですから、シマノとMACは嫌いなのです。

60年、70年代のコンピューターを使っておられるのですか?(^_^;)



投稿者: moondial    日時: 2002年01月10日 11:26 | 固定ページリンク




一考 | 難儀な新春

 年末から新春にかけて、飯を喰うための仕事に追われています。今回は今までと異なる広告屋さんの販促策ですので緊張の連続、対象はビールなのですが、わが邦のビールにあまり興味はなく、頭を抱えています。12日には一段落の予定。それが済めば種村さんの対談を纏めなければなりません。締め切りまで僅か3日、間に合うのでしょうかねえ。
 奥歯さんが正月休みの間にですぺらのホームページを拵えて下さったのですが、収録予定の小生の文章に文字化けの問題が多数見付かりました。もっかお店にてすべての文章を修正中、恐らく20日頃には完成の予定。今月中になんとか開設出来ればと思っています。
 1日より、車とバイク双方の点火系が故障、電装屋が6日まで休みのため、梅子の125ccの小型バイクで赤坂を往復、4日の新年会は鍋物の予定でしたが荷物が運べず、皆さまに迷惑をお掛け致しました。鍋の会は別の日に催しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月10日 15:15 | 固定ページリンク




一考 | 先祖帰り

 Siestaさんへ
 転んでもただでは起きないただの人で御座います。若造と書かれていらっしゃいますが、かく言う私も4、5日前までは確か二十歳位ではなかったかと記憶致します。近頃若返りか先祖帰りかは判じかねますが、至って情想の風通しよろしく、精神年齢は常に十代のそれではないかと思い居る次第。昨日も四谷シモンさんと管理人の櫻井さん共々夜明けまで飲み明かしましたが、まだまだ負けてはいませんよ。
 わが家ではクアドラ650が気持ちよく走っていますが、CPUは601。ちなみにフォトショップからイラストレータまですべての仕事はこれで十分可能です。初めてパワーPCを動かしたのは転居祝いにMoonさんから贈られた7500ですが、そちらはまだ2年にもなりません。それまではLC475で本の装幀や図版の修整を行っていました。

 CAMPAさんへ
 コンピューターの通史をよくは知りませんが、パーソナル・コンピューターとしてならマックの方が古いのではなかったっけ。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月10日 15:52 | 固定ページリンク




Siesta | CANPAGNOLOさま

僕はいまvoodooのMTBに乗っています。
冬風が身を穿つ中、HUTCINSONのスリックタイヤでかっ飛ばしております。
ロードにも乗りたいのですが、フルカンパなどで組もうものなら、
僕には到底手が出せません。
でも、いつかはカンパでロードに乗ろうと日々企んでおります。
しかし、CAMPAGNOLOさん玄人だったとは。
60、70年代のパーツはいまでも手には入るものなのでしょうか。
いや、なにしろスチールしかやらないと豪語したウーゴ・デローザも
アルミ、チタン、果てにはカーボンでフレームをビルドする時代ですから。
僕は60、70年代のカンパのパーツは
カタログでしか見たことがないのですが、今のrecordなどよりも
「イタリアの職人」的なものを感じるので好きです。



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月11日 00:33 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | パーソナルコンピュータの歴史


パーソナルコンピュータの歴史を振り返ってみましょう。
今となってはみななつかしい。
出展はhttp://www.cqpub.co.jp/try/kijidb/rekishi/pchis1.htm
一部削除してあります。
それと黎明期に有象無象のメーカーがたとえばコモドールとか乱立していましたが、これには載っていません。
なくなっちゃったからなあ、大多数が。


1964
*IBM,システム360発表、PL/1登場
1965
*ダートマス大、BASIC開発
*DEC,初めてのミニコンPDP発表
1969
*ベル研究所、UNIXを開発
1970
*IBM,8インチ・ディスケットを採用
1972
*Intel社、4ビットマイクロプロセッサ"i4004"開発
*Intel社、8ビットマイクロプロセッサ"i8008"開発
1973
*Intel社、8ビットマイクロプロセッサ"i8080A"開発
1975
*Zilog社、8ビットマイクロプロセッサ"Z80A"開発
1976
*7月 Apple Iを発売開始($666.66)
*9月 NEC,TK-80(\88,000)を発表
1977
*1月 ウォズニックとスティーブがApple社を設立
*4月 Apple,世界初のパッケージ化されたパーソナルコンピュータ、AppleIIを発表($1,298)
*IBM,超大型機3033を発表
1977
*Intel社、16ビットマイクロプロセッサ"iAPX8086"開発
1979
*8月 NEC,PC-8001(\168,000)を発表
*10月 Personal SoftWare社が、Apple II向けに世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトVisiCalcを発売
1981
*12月 NEC,PC-8801(\228,000)を発表
*IBM,Intelの8088MPU使用16ビットパソコン、IBM PCを発表←MS-DOS(PS-DOS)の登場
1982
*Intel社、16ビットマイクロプロセッサ"iAPX8286"開発
*9月 NEC,PC-9801(\298,000)を発表
*ICOT(新世代コンピュータ技術開発機構)発足
1983
*10月 NEC,PC-9801 F1(\328,000)を発表
*10月 NEC,PC-100 model 10(\398,000)を発表
*11月 NEC,PC-9801E(\215,000)を発表
*Apple,Lisaを発表($9,995)
*IBM,PC-XTを発表
*任天堂ファミリーコンピュータを発売
*パソコンメーカー14社、MSXの採用を発表
1984
*Apple,Macintoshを発表($2,495)
*日本IBM,16ビットパソコンJXを発売
1985
*1月 Apple,パーソナルコンピュータ用レーザプリンタ LaserWrinterを発売($6,999)
1986
*Intel社、32ビットマイクロプロセッサ"i386"開発
*1月 Macintosh Plusを発売($2,599)
*11月 東芝がJ-3100を発売
1987
*3月 Apple,Macintosh IIを発売($5,498)
*10月 三洋電気、シャープなど国内ハードメーカー19社がAX協議会を設立
*IBM,PS/2モデル30,50,60,80を発表
*IBM,OS/2を発表
1989
*Intel社、32ビットマイクロプロセッサ"i486"開発
1990
*10月 IBM,PC-DOS 4.0/Vを発売(DOS/V初登場)
*Microsoft Windows3.0を発売



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2002年01月11日 04:42 | 固定ページリンク




一考 | カンパのパーツ

Siestaさんへ
60、70年代のカンパのパーツがご覧になりたいのであれば、拙宅にすべて揃っています。今月はちょっと時間的に無理ですが、2月の休日でしたら何時でも大丈夫ですよ。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月12日 03:28 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 Siestaさんへ
 神保町の田村書店の店主奥平晃一さんが乗っているデローザは72年制作のフレームですので、すべてのパーツを72年のレコードで纏めました。今回上京の折、もう少し乗りやすい自転車をと言うことで、78年制作のアランのツーリング・タイプとクロカン・タイプを2台組み立てました。ちなみにデローザは近所の鮨屋の職人に20万円で売却したとのこと。アランのフロントはアウターが45Tでインナーが26T、フリーはレジナの12-26を用いました。ディレーラーは78年のレコードにワイド・タイプのガイドを組み合わせ、プーリーはサンツアーのベアリング入りにスペーサーを入れました。ホイールは後々のメンテナンスを考慮し、リムをマビックのMA40、スポークはスイスのDT、タイヤはミシュランの20Cの組み合わせに致しました。ちなみに、BBやハブをはじめクランクを除く主要なパーツはカンパにて、チネッリのステムとハンドルバーも同時代のものをアッセンブルしました。チェーンはエベレストの肉抜き。ただし、見えない部分には新しいパーツを使っています。例えばワイヤーの類はカンパのインナー入りと言ったところです。またアウターの歯の一部をシマノに倣い、削り取ったことも書き加えておかねばなりますまい。最新技術のよい部分は取り入れなければならないというのが私の方針です。ツーリング・タイプは奥方が乗られますのでインナーを2T落とし、フリーは13Tからの組み合わせに、またスポークはミラノのサチェッティに、チェーンもレジナにと、それなりに気は使いました。
 要するに、50歳を越えますと50Tを越えるアウターは回せなくなります。それでも45×12ですと平地で60キロは軽く出ます。ただし下りで80キロを超えるとペダルは踏めなくなります。淋しいことですが、私自身が乗り手のため、奥平さんの気持ちはよく分かります。貴方は若いのですからちょいと鍛えれば53Tが難なく回るのでしょうね。53Tですと120、130キロまでペダルで追うことが可能になります。40歳位までは明石や加古川の山岳コースで100キロを超えるスピードを楽しんでいたのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月12日 04:54 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

 櫻井さんへ
 御丁寧な紹介に痛み入ります。ムーンさんの策略に嵌って私がLC475を購入したのは確か93年末だったと思います。購入の祝いに大阪で生ビールを飲んだ記憶があるのですが、とするならば私は酒気帯び運転をしたことになりますね。購入当初は促音の打ち込み方も知らず、ムーンさんを四六時中悩ませました。よくまあ、怒りもせずにお付き合い頂けたものと感謝致しております。櫻井さんのリストを見るにムーンさんは80年前後からパーソナル・コンピューターを使いこなしていたことになりますね。
 櫻井さんのソフトからソフトへの検索と読み取りの方法を横で見ていて、私のソフトの利用法の至らなさがよく理解できるのですが、そちらは余り期待できそうにありません。きっと、どこかで諦めているのでしょう、この程度出来ればいいじゃないかとの甘えが私の中にあるのです。でも癪ですね、人に出来て私に出来ないなんて。マニュアルに投資して、もう一度基礎から遣り直しますか。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月12日 05:33 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

一考さんへ

おやおや、また一考さんの負けず嫌いの気質が顕れた様ですね。策略とは人聞きの悪い。ガレージでやっている頃のアップルへ遊びに行った事もある叔父から、Apple IIを触らせて貰った事もありましたが(櫻井さんの年表によると77年頃になりますね)、その後NECの2機種を経て、なんと梅子さんに唆されてSE/30からMac信者になりました。

キーボードも打てない貴兄が、半年程でエクセルが使える程になっていたのには驚きましたが、あまりコンピューターに深入りしない方が身のためですよ、他に何も出来なくなります、必要な事だけを周りから教えて貰う方が賢明です。ソフトを使いこなすのは或程度必要でしょうから、櫻井さんにソフトの使いこなし等の要領を、迷惑を掛ける事など厭わず構わず、しなを作るなりヨイショするなり、梅子さんか一考さんのおっぱいを差し出すかなりして、どんどん尋ねて教えて貰いましょう。貴兄の素敵な仕事と文章を心待ちにしていますので、残り少ない貴重な時間を割くのはコンピューターでは役不足で勿体ない。

ところで奥歯さんの作られたというHPのアドレスは?



投稿者: moondial    日時: 2002年01月12日 12:27 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ですぺらHPはまだまだ

あけましておめでとうございます。
昨年末にmac(iBook)に乗り換えてしまった二階堂奥歯です。


ですぺらHPはまだアップロードされていません。
一考さんが厳しくチェックし好きなだけいじりまわしてからアップされる予定です。
並のウイスキー本など目ではないくらいの充実した解説をご期待ください。
ご本人は薫製に使うスパイスのレシピ集も作ろうとおっしゃいますが、それはやりすぎではないでしょうか。そんなものを作らされる身にもなっていただきたいものです。

今日は休日出勤の後ですぺらにお手伝いに行きます。牛込のみなさまよろしくお願いいたします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年01月12日 17:16 | 固定ページリンク




匿名希望 | (無題)

>薫製に使うスパイスのレシピ集も作ろう

いいですねぇ~、是非。



投稿者: 匿名希望    日時: 2002年01月12日 18:32 | 固定ページリンク




Campagnolo | 自慢とお礼

 一考さん 書物とコピー、確かに落掌。感謝致します。コピーは既に刊行当時、西明石で頂きましたよ。但し出典が分からなかったので、助かります。Camoagnoloのパーツに関しては貴兄と違って、僕の場合、60年代のものは60年代に、70年代の物は70年代当時に新発売を待って城東輪業と山王スポーツで買ったということが、ちょっと自慢です。今、60年代にどうしても買えなかったTOEIのランドナーを組んでいますが、パーツが揃いません。どこかにFDないでしょうか。いっそルネルスかA.シンガーにしようかと迷っています。奥平さんまでデ.ローザに乗っていたとは知りませんでした。この話は長くなりそうなので又ゆっくり別の機会に。ただ50歳を過ぎると確かに50Tは無理ですね。大きい方がかっこいいのだけど。                                                                      siestaさん  僕は決して玄人ではありません。ただ「書物より自転車の方が大事だと思う」だけです。ですから二輪にエンジンを載せるのは邪道だと考えています。自転車とは金属と肉体が合体した美しさではないでしょうか。 一考さんの大反論があるでしょうね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年01月13日 07:42 | 固定ページリンク




亜美 | トパーズです

女性主導の乱交パーティーを女性スタッフのみで運営しています。非営利の会なので費用はほとんどかかりません。
その分男性会員の入会審査は厳し目です。
よろしかったらHPを見てください。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/chinitu/topazu/index.html



投稿者: 亜美    日時: 2002年01月13日 16:16 | 固定ページリンク




Siesta | i-Mac

皆様、新しいi-Macはご覧になりましたか?TIME誌の表紙をジョブス氏とともに飾っていましたが、なんだか生き物のようですね。


一考さんへ
一考さんも自転車乗りだったんですね。是非カンパのパーツ見たいです。件のデ・ローザとアランのマシーンはさぞかっこいいのでしょうね。僕はちょっと昔のデ・ローザが大好きなので、いつか中古でフレームを手に入れようと考えています。
山岳といえばパンターニを思いますが、「山岳下りでの時速100kmを越える走行時の小さなミスがマシーンをただの金属のかたまりと化す。」というランス・アームストロングの著書の中の一節も思い出します。
今までT数のことはあまり考えたことがありませんでした。50歳を過ぎると、50T以上が回せないものなのですね。
僕の自転車はMTBですから、フロントは44x32x22Tです。下りではペダルが追いつかないこともたまにありますが、かつて車道にて前方のスクーター転倒に巻き添えを食らい、愛車もろとも中空へ投げ出されて以来、高速走行に多少の恐怖を覚えております。幸い、僕も愛車もかすり傷程度で済みましたが、皆様くれぐれも事故には気を付けてください。
ところで、アランの自転車にはどんなサドルを合わせたのでしょ



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月13日 23:59 | 固定ページリンク




一考 | ホームページ開設

 ですぺらホームページのアドレスです。制作は奥歯さん、アップはひろさんにお願い致しました。「蒸留所とモルト・ウィスキーの解説」と「インディペンデント・ボトラーズ一覧」は既に新しい原稿が出来上がっていますが、取り敢えず、旧稿を載っけました。恐らく毎週更新されることになります。どうかよろしくお願いします。それにしましても、ホームページ開設までには実に多くの方のご協力を得ました。感謝致します。
 ですぺらのホームページは私にとってはほんの入り口です。これからネット上の無料出版社南柯書局のホームページを作らねばなりません。活字になる機会のなかった忘れられた作家や作品2、3000冊の書物を暫時アップしていかねばなりません。そちらは死ぬ日までの仕事になります。どうかよろしくお願い致します。

 http://www19.u-page.so-net.ne.jp/tc5/despera/



投稿者: 一考    日時: 2002年01月14日 00:30 | 固定ページリンク




一考 | 結構なお誘い

 亜美さんへ
 結構なお誘いですが、私ごときが参加致しますと援助交際ならぬ介護交際になってしまいます。要介護老人は視姦のみに留めるのが身の程かと存じ上げます。ただし、私の周りには活きのよい女性が多く、そちらは「乱交パーティー」と聴いただけで身悶え致しております。女性の参加はいかがなものでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月14日 00:48 | 固定ページリンク




一考 | スパイス

 匿名さんへ
 管理人の櫻井さんから変換に便利なソフトを頂戴致しましたので、スパイスのレシピはいずれ掲載します。7、8年前のことですが、薫製を作り始めた頃、購入したスパイスの本の記述がほとんど役に立たなかったのです。料理も文学と同じで、現場で覚えるしかないのですね。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月14日 00:56 | 固定ページリンク




Siesta | 尻切れトンボ

暫定管理人さん
どうやら、僕の投稿した文章はみんな最後の1,2行が切れて表示されてしまうようです。
Palmでテキストを送っているからでしょうか。



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月14日 02:46 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 祝!ホームページ開設


ホームページ開設おめでとうございます。
ウィスキーの情報では日本一だと思います。
ダウンロードして熟読いたします。うう、家で旨いウィスキーを飲みたくなってしまって
今たまらん状態です



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2002年01月14日 03:32 | 固定ページリンク




暫定管理人 | Re:尻切れとんぼ


Siestaさま
 Palmでテストしていないのでなんともいえません。
 ただこの掲示板のプログラムはフリーのものを使用しておりまして、
 改行の少ない一行が長い文を投稿すると文字化けすることがあるようです。
 Linux上のlynxでは大抵文字化けしてしまいます(使っている人は少ないと思いますが)
 Palmを持っていないのでテストすることができません。一行を36文字以内で改行して
 投稿してみて下さい。もっともそれでも駄目な場合、対応策はないのですが。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年01月14日 03:34 | 固定ページリンク




松友 | ホームページ開設おめでとうございます。


おめでとうございます。
いや~内容がすさまじい事になっておられますね(-o-;
少しづつ拝読いたします。

それはそうと、「つちのこ」、「トド」改め今度は「ダスター」ですか。
dusterなら手元の辞書によると「塵払いブラシ、はたき、ぞうきん、
散布器、ふるい、掃除着」などなどの意。フィギュア造りには向かないような。
ちょっと考えます。では。



投稿者: 松友    日時: 2002年01月14日 09:07 | 固定ページリンク




フク | サイト開設おめでとうございます

「ですぺら」のサイト、拝見致しました。
以前に設計図を見せて頂いていた通り、期待以上の内容でのスタートに正直
驚いています。何よりも継続が一番骨ですので、今後いっそうの内容の充実
を期待しております。
(奥歯さんもお疲れさまでした)

先日は色々とありがとうございました。馬場でとりあえず牛丼を食べていた
らすぐ始発が走り始めました。



投稿者: フク    日時: 2002年01月15日 00:53 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 大手拓次なら約一名


サイト開設おめでとうございます。

以前お話を伺った、忘れられた作家に陽の目を「無料出版社南柯書局」は期待
しております。
とりあえず、詩人・大手拓次だったら狂喜するであろう人を約一名知っており
ますがいかがでしょうか (全集は出てはいますけども)。「日本一古書を買う男」
のシコ名を持つ ↓ の方でございます~
http://www.02.246.ne.jp/~pooh/
幻想文学館



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年01月16日 01:38 | 固定ページリンク




如月 | おめでとうございます♪

ですぺらHP開設、おめでとうございます。 遅れ馳せながら、拙掲示板にも開設の告知書きこみました。 HPの今後の発展と、そしてなによりもお店のさらなるご繁盛をお祈り致します。



投稿者: 如月    日時: 2002年01月18日 14:59 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 今から行きます


今日はなんにしようかな、ハバナクラブにしようかアップルトンにしようか……



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年01月19日 20:39 | 固定ページリンク




金光寛峯 | ですぺらからこんばんわ


今飲んでます、いい気分です。
ラムは初めて飲んだグァテマラの「ロン・サカパ・センテナリオ」、うまい。
上品な香り。おすすめ。
たった今戴いているのは、こんなのあるのー? な、ブルーベリーのリキュール。
こいつをソーダ割りで。口当たりがいいのでくいくい行けます。今夜はだいぶ
酔ってしまいそうです。ぐえっっぷ。つまみは須永朝彦さん綴本『明石本町新選
百人一首』、いまある百人一首は気に入らないといって選びなおした、いや典雅
でございますぅ。唐揚げの味噌だれも美味です。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年01月19日 23:39 | 固定ページリンク




松友 | さすが金光様(-o-)/~~~


金光様、週末は遠くから御姿を拝領させて戴いていたのですが、
掲示板にカキコなさっていたとわ、成る程。
さて、残念ながら○元社のラ○クラフト集をやっとこさ読んでいる拙メ、
金光様の自費翻訳本を拝謁賜れたとしても、
その意義の片鱗すらも理解することなく終わってしまうでしょう(悲
それはそうと、もしかして「コミケ」等には
御出品なさっておられるのでしょうか?
学生の時分には、ツレを引率とかして一般入場で頑張ったっけなーと。
最近は諸般の事情でとんとご無沙汰ですが、
ブース出店予定がありましたら是非お教えください。
次の夏は8月9日(金)~11日(日)でしたでしょうか?
でも、会場に行けなかったらカッコ悪いから内緒でお願いします、でわ。



投稿者: 松友    日時: 2002年01月22日 19:09 | 固定ページリンク




一考 | 月と奇人

 ですぺら開店時からのお客さんに白鳥友彦さんがいらっしゃいます。二十代より親しくお付き合い頂いている仏蘭西文学者です。「リラダン=マラルメ往復書簡翰集」「モンテスキュウ詩集」「モーリス・ロリナ詩集」などの翻訳でご存じの方もいらっしゃると思います。「幻想文学」に訳詞を掲載されたことも御座います。その白鳥さんが一昨年の九月、森開社より「月と奇人」と題する訳詩集を上梓なさいました。リラダン、モンテスキュウ、ジャン・ロラン、エフライム・ミカエル、ピエエル・ルイス、ジェラアル・ドゥヴィル、ルネ・ヴィヴィアンの詩を収録した異聞近代ふらんす詩抄にして、全編が本邦初訳。小野夕馥さんの装幀ですので、頗る閑雅な、趣のある書冊になっています。詳細は以下の如し。
   限定500部 頒価3500円 サイン入り4000円
 当店に10冊のみ在庫が御座います。特別にサイン入りで3500円で頒布致しております。ご希望の方はお申し出下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月22日 22:59 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 素晴らしい訳詩集です

一考さんが書いていらっしゃる白鳥さんの訳詩集ですが、わたくしも一冊需めました。一篇一篇の彫琢ぶりは見事というほかありません。長く手許に置いて読み返したい詩集です。あまりにすばらしいので、ある連載コラムでとりあげたほどです。未読の方はぜひに、とお薦めいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年01月23日 10:02 | 固定ページリンク




Campagnolo | おねがい

白鳥さんの訳詩集、是非お譲り下さい。どこへ代金を振込めば、いいのでしょう。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年01月23日 22:42 | 固定ページリンク




梅子 | はい

Campagnolo様
白鳥さんの訳詩集、すぐにお送りします。
代金はうちのスイス銀行、チューリッヒ支店の
口座の方に振り込んでいただきましょうかしらん。
オホホホ・・・。
詳細は別途お知らせいたします。



投稿者: 梅子    日時: 2002年01月24日 05:38 | 固定ページリンク




一考 | 紳士御紹介

 ムーンさんへ
 フクさんが阪急平野へ転勤になります。モルト・ウィスキーがお好きなので、三宮のメイン・モルトと頃末酒店を紹介致しました。レストラン、古書店、その他いろいろとご紹介頂ければ幸甚です。いろいろの方は貴方なら必ずや役立つ筈。フクさんは上背があり、なかなかの色男です。しかし、私のようなハチャメチャではなく、隆とした紳士です。従って、ムーンさんの電話番号は自宅、携帯共にお教え致しましたが、貴方の寸法までは伝えておりません。東京で得た友なれば、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月25日 19:50 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

 一考さんへ

諒解です。
ショーンコネリー氏の様な紳士を想像しておけば宜しいのですね。

僕の寸法は、一考さんよりほんの少し大きい3センチ6ミリです。
どうぞ宜敷。>隆々のフクさん



投稿者: moondial    日時: 2002年01月26日 00:42 | 固定ページリンク




フク | こちらこそ宜しくお願いします。 こちらこそ宜しくお願いします。 こちらこそ宜しくお願いします。

「ですぺら」を知り、ようやく構えず入れるようになった途端、勤務先の都
合にて五年半ぶりに関西に戻ることになりました。一考さんには短い期間な
がら色々とお世話頂きましたうえ、昨晩には神戸のモルトウィスキー事情、
そして神戸ならばmoondialさんに連絡を取ると良い、とアドバイス頂くな
ど過分の御厚情を賜って恐縮、そして大いに感謝している次第です。

ムーンさん、小生、粋の域には程遠く、無知と不勉強が服を着たような若輩
故、色々と失礼などあるやしれませんが、落ち着きました折りには是非とも
宜しくお願いいたします。



投稿者: フク    日時: 2002年01月26日 02:35 | 固定ページリンク




フク | 下の

下の題名はカット&ペーストのミスで間違いです。何かの効果を狙った
ものではありませぬ。しかし格好悪い。



投稿者: フク    日時: 2002年01月28日 04:35 | 固定ページリンク




一考 | 誕生会

 フクさんへ
 書かでものの記です。了解致して居ります、気になさらないように。私など、ついこの間、全文を削除されました。削除されて致し方なきものを認めたので仕方ないのですが、げに「おなごはん」は怖ろしきものと改めて思い知りました。男女の情愛とは何ぞやということに頭から水をぶっかけられた次第。近頃のおのこのカッコ悪くもだらしなきこと、この上無し。
 その様も無き五十五歳の誕生会を二月五日に催します。もちろん、須永朝彦さんと同日の誕生日に託けての催しに御座います。詳細は日を追ってということで、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月28日 05:40 | 固定ページリンク




如月 | サーバー不調

現在、拙サイトのサーバーが不調です。掲示板 http://www.hp-web.net/kisaragi/bbs/bbs.cgi のみで細々と営業しておりますが、どうぞお見限りなく。



投稿者: 如月    日時: 2002年01月29日 23:22 | 固定ページリンク




一考 | 誕生会のお知らせ

 2月5日の火曜日、須永朝彦さんとの二度目の合同誕生会を「ですぺら」にて催します。本命は須永さんにて、徒に齢のみ重ねる私如きはほんのつけたりに過ぎません。須永さんには本年も御健筆を願う次第ですが、早速、2月末には国書刊行会から「美少年日本史」が、また学研文庫にて小説集「就眠儀式」の新版が上梓される予定です。当日、小生は下拵えのみにて客席に陣取っての置酒歓語、つちのこ編集者の遠吠えにお付き合い下されば幸甚です。
 会費は3000円、午後7時より、葡萄酒とウイスキーはたっぷりと用意致します。多くのご参加をお待ち致します。

  ですぺら  渡邉一考
   東京都港区赤坂3丁目18-10 サンエム赤坂ビル3階
   ?03-3584-4566



投稿者: 一考    日時: 2002年01月30日 19:46 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 関西に行く楽しみ

◆フクさん

 関西へお戻りとか、ほんとうにさびしくなりますね。
 バイタリティーのあるあなたのご姿勢に、元気づけられたものでした。
 東京にいらっしゃる際はご一報下さい。

 関西には、一時文楽を観に通ったものでした。
 ここ数年は身辺がさわがしく、あれこれ全く余裕がなくなり、文楽はもとより、演劇や映画やコンサートをみることもなくなりました。
 最近少し新生活にもなれてきて、そういうものに目を向けようかと考える余裕もできてきました。よい演目があったら、また文楽を観に関西に行こうかと思い始めています。

 フクさんがたたれるのは寂しいことですが、知り合いを訪ねるという楽しみができましたね。
 旅行をするきっかけが増えるのは嬉しいものです。
 新天地でもご息災で。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2002年02月02日 22:52 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 メールの皆さんへ
 亀鳴屋の勝井さんの御指摘の他にも、約30ほどの誤字、脱字が発見されました。ただいま訂正中です。今月の半ばまでに暫時修正していきますのでよろしく。また、ホームページに掲載したインディペンデント・ボトルについて、メールによる問い合わせや御指摘を多く頂戴致しております。返事も出さず、御無礼致しておりますが、大方の情報は当方にも入っております。
 小生はもっか、モルト・ウィスキーの本を刊すべく執筆中なれば、最新の情報をホームページ上に掲載することは叶いません。本年も夥しい量のモルト・ウィスキーが入荷されています。一月だけでも、およそ150種のボトルが紹介され、現時点でおよそ6割位までは確認済みです。それらの詳細はすべて上梓されるであろう書物に掲載の予定です。ホームページ掲載の稿はあくまで「ですぺら」に在庫し、販売中のボトルを中心に編まれています。ホームページ上にて、すべてのボトルを記入紹介する予定は今のところ御座いません。申し訳なきことながら、御了解の程、よろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月05日 03:59 | 固定ページリンク




Bee | 足跡

須永朝彦さん、渡辺一考さん、お誕生日おめでとうございます。
今頃は宴も酣でしょう!



投稿者: Bee    日時: 2002年02月05日 22:35 | 固定ページリンク




如月 | めでたさも・・・

昨晩はめでたいやらめでたくないやらの事態の続出で大変おめでとうございました。 さて、件の若者のサイトは↓のとおりです。 http://www1.interq.or.jp/usinau/ty/ なお拙サイトは、現在↓URLで冬眠しております。 http://www.shibauranavi.com/simon/uketuke.htm



投稿者: 如月    日時: 2002年02月06日 13:00 | 固定ページリンク




一考 | 誕生会御礼

 皆さんへ
 思わぬアクシデントも御座いましたが、まずは重畳の会で御座いました。ご参加下さった33名の皆様に感謝を申しあげます。いの一番よりお手伝いくださった如月さん、大層なご配慮に預かった白鳥さん、カンパさんから送られしポーイヤックの高級ワイン、斉藤さんからは大きな花束、佐藤さんからは貴重な銅版画、また須永さんのゼミの方からはさまざまな贈り物を頂戴致しました。有難う御座いました。去年に引き続き、相澤啓三さんのご参加を得ましたことに深謝。今後ともどうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月06日 21:04 | 固定ページリンク




一考 | 西脇順三郎のことなど

 中村さんへ
 3日、日曜日の催しは書肆山田の新年会なのか、ソシュールの研究会なのか、無事終えましたものの、いまだ定かならず。木曜日に高橋睦郎さんが、土曜日に宇野邦一さんがお見えになられた後の前田さんだったものですから、いささか複雑な心境で御座います。いずれに致しましても、無事手打ちと申しますか、仲直りしたことに変わりなく、またまた、大泉女史の手のひらで遊ばされたなあ、との思いが強う御座います。
 徒し事はさておき、中村鐵太郎さんの西脇順三郎論には期待致しております。審美社より上梓された近藤さんの西脇順三郎論を除き、未だ西脇翁に相応しいエッセイは刊されておりません。
 確かに「Ambarvalia」と「旅人かへらず」の距離よりは、その次の詩集「近代の寓話」への移行に更なる苦渋があったことは容易に察しがつきます。例の永遠の問題にしましても、三好達治が本当にかようなことを口にしたのかどうか、存疑を覚えますが、いずれにせよ、天衣無縫なシンクレティシズムが確立されたのは「第三の神話」ではなかったかと。そしてそのシンクレティシズムにこそ、わがアナロジーの魔を窺うわけで御座います。西脇さんの詩集を年代順に繙く時、彼と女性との問題、即ち係わり合い方が唯一の「野をひらく鍵」になります。西脇順三郎の女性観、女性像もしくは西脇が抱く「女」の概念を語らずして西脇詩を論じたことにはなりますまい。以上、貴方が現在、稿を進めていらっしゃる西脇順三郎論に多大な関心を払っている理由を述べました。ご健闘を祈ります。

 先だって当掲示板にて「敷衍曲」なる徒書きを認めましたが、その中で西脇さんの「マラルメのメはまなこなり」を引用、マラルメ同様、西脇詩におけるアナロジーの地歩を示唆致しました。それに対し、高遠弘美さんから素敵なメールが送られて参りました。ここにはフランス詩が得意とするライト・ヴァースのポエジーが流れています。高遠さんの許可を得て、全文を掲載させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・
先夜も、いつものようにすこぶる愉しい夜でした。
ありがとうございます。
これから仕事に行く前なので、簡単に書くことをお許し下さい。
掲示板にお書きの「魔羅LE目」には大いに目を開かれました。面白い!
そこで、それに続いて(アクサン記号は省きます)以下のような戯れうたを。

魔羅LE目
Mal arme(二語目の最後のeにアクサン・テギュ)「弾を装填されていない」
m'alarmait 「俺にショックを与えた」
ma larme et...「俺の涙、……」

「魔羅に目があり、挑んでみたが、
 弾が不足で、撃てもせず
 如何にせうとて
 泣くばかり」
・・・・・・・・・・・・・・・・



投稿者: 一考    日時: 2002年02月06日 21:07 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 先に死んだ方が負け

仕事がずれこんで宴たけなわのころに参入しましたが、火曜はたいへん気持ち
よく酔えました。
添野さんのご紹介で、歌人の玲はる名さんなど初対面の方らと、短い間でした
がとても面白い話ができたのが収穫でした。
河東碧梧桐 (碧門) の自由律俳句をすこし読んだが、自然観照だけに留まらずに
人情や人同士の機微も直接的表現で詠ってみせる― ということのようだけど、
どうもそうよいものとはおもえなかった、やはりこれは残らないのではないか
云々という話をしたところで――
俳句を嗜む小説家はけっこういる、けれど短歌も小説も両方やる人はあまりいない。
俳句だと季語もあるし語数も決定的に足りない。だから小説で自己表現にむかう、
短歌だと自己表現できてしまうので、もう小説のほうまではやらない、という指摘
には膝を叩きました。歌人で翻訳家という方もおられますね。

いったんお開きになったあとにはこじんまりした囲み。厳しいご意見など拝聴。
ここには書けないよな裏話など伺うと、「先に死んだほうが負け」というのは
一面の真理かと考えてしまう次第。
例えば平亭翁にしても、十代のころに詠んだ俳句を今更活字にされるとは、こりゃ
思いもよらなかったでしょうね。あの気取りたっぷりの句を見つけたときは嬉しく
なって、よし、ともかくもこれを活字にできればそれで満足だ、とつっ走りました。
ご存命なら絶対に「止しな」と言ったでしょう。
しかし、もうお亡くなりであれば、これはいたしかたなし、先に死んだ方が負けと
いうものです。生誕百年の記念だったら、一発こんなヤニ下がったやつもありでしょ
う。面白いんですから、先生、一回くらい紹介させてくださいな。そう心の中で念仏
あげながら書いた、わるものです。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年02月07日 01:19 | 固定ページリンク




鳥兜 | ですぺら店主様お誕生日おめでとうございます。

ですぺら店主様。お誕生日おめでとうございます。(もう、5日は過ぎましたので、お誕生日おめでとうございました。と申し上げるべきでしょうか。)
5日のお誕生会に出席させて頂いた者でございます。(一考様にミニブーケを差し上げた者・・・と言えばお分かりになりますでしょうか?)
5日は誕生会終盤に色々ありまして、お店にもご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。
私は一考様とお話が出来、大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。又、お店にお伺いする機会もあるかと思いますが、その時は、又、楽しいお話をお聞かせ下さいませ。立春過ぎたといえども、まだ寒さが続きます。くれぐれもお風邪など召しませんようにお気をつけ下さいませ。



投稿者: 鳥兜    日時: 2002年02月08日 01:56 | 固定ページリンク




Campgnolo | おくらばせながら

ワイン、気に入ってもらえたようで安心しました。なにしろアルコール類には、人一倍うるさい貴兄ですからね。81年のPouilly-Fuisseや79年Ch.Lyonnat 93年のCalon-segurなど一時間位迷いました。女の子じゃないしCalon-segurは、はずしましたけれど。ところで、めでたい折なので書きこみを遠慮していたのですが、神戸では去年の南天荘の閉店に続き、先日は一考氏ゆかりの、そして僕が一番お世話になったコーべブックスも、さんちか店メトロ店共に廃業しました。北風家の書店は全て消えてしまった訳です。偶然でしょうがそごうの南に紀伊国屋書店が来るそうです。この間から、アシヤ書房、文紀書房、書店Bの各ご主人が、亡くなられました。そのかわり若い人たちが新しい古書店を次々開いています。一考氏がいた頃のコーべブックスは出版もさることながら、新刊書に関しても貴兄の眼にかなったものだけをセレクトしていて、楽しみで毎日のように通っていた記憶があります。



投稿者: Campgnolo    日時: 2002年02月08日 20:57 | 固定ページリンク




如月 | 抑制された華やかさ

Campgnoloさん、こんにちは。 そのボルドー・ワイン私も試飲させていただきました。ボルドーといってもただ 重いだけじゃなくて抑制された華やかさがあり、とてもおいしかったです。   *   *   * さて、みなさまにいろいろご心配いただきましたが、昨晩、拙サイト復活いたし ました。カウンター等まだ不調ですがコンテンツも少し増やしましたので、どう ぞまた遊びにいらしてください。 (プロフィール内に須永さんの文章はめこんであります。)



投稿者: 如月    日時: 2002年02月09日 11:22 | 固定ページリンク




Campagnolo | 如月さま

そんなに、喜んで頂けると、送った甲斐があります。こちらこそ有り難うございました。60歳の誕生日用には一考さんの生年のCh.Haut Brionを準備しています。お楽しみに。但し、その時まで二人とも生きていたらの話ですが。そして、お店がそれまで続いていることを何よりも祈ります。もうちょっとだから、がんばってね。                                                                         一考さん 昨日、久しぶりにセンター街に行って見ると「イナハラ」まで閉店していました。星電社も倒産するし、「後藤書店」は瀕死状態でめちゃくちゃな値付けをして、しかも買値はただ同然、巷では「ゴートー書店」と陰口をたたかれています。コーべブックスはイヌキで、別の書店が営業していますが、当然似て異なるものです。黒木さんは娘さんの所で元気に暮らしていますよ。     



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年02月13日 21:14 | 固定ページリンク




一考 | 純粋造本について

 石川さんへ
 種村さんの特集号も大詰めを迎えましたが、眞にご苦労様です。出鼻を挫かれたのが遠因で、私の動きが鈍いというよりは何も致して居りません。原稿依頼は確かに私の名でなされましたが、私ごときの名が通じる相手ではなく、貴方の個別打破と梅子さんの補助によってのみ、可能だったと痛み居る次第です。
 さて今般、装幀の件で三度貴方にご迷惑をお掛け致しました。深くお詫び致します。
 その理由は、絵描きさんの意見と私のそれとの間に余りにも大きな乖離があったことです。もともと、私は純粋造本を志としてきました。でも、純粋造本に於ける装幀の98パーセントは本文紙の選択と用いる活字、そして本文のレイアウトにあります。表紙や函、カバーのレイアウトなどは私に言わせれば、装幀のおまけみたいなもので、言ってしまえばどうでもいいことなのです。選ばれた和紙は1000年を軽く超える耐久力を持ちますが、皮革でそれに拮抗するものはパーチメントしか存在しないのです。従って、寿命の尽きた表紙は折々の所有者によって再度装幀されます。欧州におけるルリュールはそういう時に活用される技術なのです。
 装幀され直す書物は当然、糸縢りで巻き見返しでなければなりません。でも、それを現在の営利目的の出版社に求めるのは無駄であり、徒労です。私は常に趣味人でありたいと願っているので、かかる場で鬩ぎ合いとか歩み寄りとか妥協とかに応じる気は毛頭御座いません。また、装幀を方便に、生活の糧にしようなどという浅ましい考えを私は持ち合わせていません。
 自らの意志を通そうと思えば、自ら起業するしか方法はありません。だからこそ、当時の湯川さんや私は負け戦を覚悟で立ち上がりました。当時は元活と日活と岩田の活字しかなかったのです。平井功がかつて游牧記で用いた上海の宋朝体の活字に倣い、まず活字と母型を作るところから作業は始められました。数百、数千の母型を新たに作りました。湯水の如く貴重な資金が消えていきました。しかし、美しい書物をしつらえるために、ことほど左様に活版印刷にこだわったのです。
 このような話をいくら申し述べても詮無いことです。私が申し上げたいのは、活字で刷られていない本文の表紙に活字に似た文字、即ち似非活字を用いようという下司な装幀感覚が許せないという一点なのです。商業出版の装幀と純粋造本のそれとを同一視する、もしくは混同するような輩をどうして許せるのですか。
 芸術家としての自負や矜持を商業出版の世界に持ち込むなど以ての外。もしどうあっても、それを持ち込みたいのであれば、勝井さんのように身銭を切って出版をはじめるしか手立てはなく、それも、活字印刷と糸縢りは必須の条件となります。
 今回の装幀にしましても、裁ち落としぎりぎりの位置にある表罫がうまく収まるとは到底私には思われません。商業出版では容易に推察できる危険は事前に回避しなければなりません。況や、完成された書物一冊づつへの箔押しならいざ知らず、表紙に表罫を用いるような愚挙に対して、私には何等の意見の持ち合わせも御座いません。
 純粋造本の出版に携わり、道半ばにして病死した者、縊死した者、破産し餓死のやむなきに至った者、妻子に見捨てられ狂死した者等々、累々たる屍が目前に横たわっています。純粋造本に相応しい装いがあれば、商業出版には商業出版に相応しい装いがあります。そこには確たる一線を引くべきなのです。それこそが無惨な死を遂げた先達への唯一の供養ではありますまいか。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月13日 23:51 | 固定ページリンク




一考 | コーベブックスのことなど

 Campgnoloさんへ
 貴重な葡萄酒を有難う御座いました。高遠弘美さんがいたくご執心の様子にて、半分近くを飲まれたと思います。
 お手紙に著された神戸の惨状に衝撃を受けました。南天荘の閉店も知らず、北風家の書店が全て消えてしまうなど思いも掛けなかったのです。ご存じの通り、北風さんはご子息に経営のすべてを譲るとのことで、ほどなく村田さんは三宮ブックスを起こされました。紆余曲折はありましたが、90年代初頭には幹部社員のほぼ全員が解雇されました。店員は素人さんのみにて、人件費も掛かろう筈がなく、コーベブックスはともかくとして、南天荘が閉鎖されたとは驚きです。詳細は判じかねますが、バブル期に悪しからぬ投機に走ったのではないかと疑いたくなります。篠原本町だか北町だかの能舞台をしつらえた邸宅はどうなったのでしょう。いずれにせよ、ご子息には経営手腕がなかったということになりますね。

 板宿村の庄屋であり、神戸新聞の前身である波でしたっけ、を起こした村上家と共に神戸では古い家系と聞き及びますが、世の中分からんものです。神戸が出身地の某大型書店にしても、来年末から有利子負債の返還で大変なことになりそうです。現行の出版流通形態の崩壊が遅くとも2004年には始まりますので、書店そのものの屋台骨が大きく揺らぎます。新刊配本と委託配本が滞りなく続くと思っている版元が大方を占めるのですが、その脳天気さには呆れ返る次第です。言い方を変えれば、コーベブックスの閉鎖は潮時だったのかも知れません。
 ところで、書店Bのご主人とは何度か酒を酌み交わしました。気のいい人で、酒の嗜み方は黒木の息子さんとは正反対。元町から三宮に掛けての安居酒屋のアナザー軒が懐かしく思い出されます。新開地の愛愛、福原のよしのと新橋、元町の金杯と吾作、三宮の樽八と八島、新在家の大学等々。当時は「あまざけのくがだち酒のたぎちざけ」よろしく、友と呑む酒は熱燗と相場が決まっていました。ウィスキー浸りの日々だったのですが、さすがに六さんが逝ってからは日本酒が恋しくなりました。
 人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在、すべては切なく哀しいものです。

 追伸。黒木の娘さんはコーベブックスを結婚により退社、北海道へ行った筈なのですが。今は神戸にお住まいなのですか。コーベブックス時代に私の専用電話を利用して、連日北海道へ長電話。会計を担当なすっていた木庭さんから、電話代がかさむとの叱責を受け、人の恋路の邪魔をするなと応えたことなどを思い出します。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月14日 03:04 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 浅学老酒生

Campagnoloさま
御礼を申し上げるのが遅くなりまして、たいへん失礼いたしました。
口の卑しきは育ちの貧しさ、一考さんと須永さんのお誕生会なのに、わたくしひとりで、ほとんど瓶の肩まで呑んでしまったやもしれず、いたく耻じております。
とともに心から感謝申し上げます。あのようにおいしいワインは滅多に口に入りません。素晴らしい香りと味でした。

一考さま
先日は失礼な問い合わせのメールを差し上げましたこと、お詫びいたします。最近呑むと(いいえ、呑まなくとも)ほんとうに物忘れがひどく、翌朝思い出そうとしてもそれがうつつのことなのかゆめのことなのかわからぬことしばしば。どうかご放念下さい。
近々またお伺いいたします。

追記
昨日Hisse! Eaux! a qui? 編集長にお会いしました。3月8日の須永さんのご出版お祝いの会のこと、伺いました。その前に恩師を偲ぶ会というのに出ますが、すこし遅れて参るつもりでおります。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年02月14日 12:23 | 固定ページリンク




松友 | 企画上映「誘惑のイタリア映画」、先刻御承知と存じますが御容赦を


勝手にお知らせさせて戴きます。
既に情報誌等で御存知とは思いますが、JR阿佐ヶ谷駅北口の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で
「誘惑のイタリア映画」という企画上映が行われています。

期間は2002年2月10日(日)~3月9日(土)。
上映作品はヴィスコンティの「ベニスに死す」「イノセント」、フェリーニの「甘い生活」「魂のジュリエッタ」、
そして「ひまわり」、「鉄道員」、「ニューシネマパラダイス<完全版>」の7作品だそうです。
同館は席数50の劇場。同建物内のフレンチ・レストランとの割引セット券もあるようです。

ラピュタ阿佐ヶ谷HPアドレス
http://www.laputa-jp.com/
「誘惑のイタリア映画」頁アドレス
http://www.laputa-jp.com/laputa/itary.shtml

特撮好きとして2002年3月10日(日)~4月20日(土)に予定されている「円谷英二の技 第2期」も外せませんです、
おっと、はなぢ・・・(^-;^)タラッ。尚、拙メは同館のマワシモノではございません由。以上、勝手にお知らせでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年02月14日 16:21 | 固定ページリンク




如月 | 芝居にテレビに・・・。

13日、ポツドールという劇団の公演「騎士クラブ」観てきました。 とにかく、まあ、凄かった。 拙掲示板に印象記アップしてありますので、ぜひお読みください。 また、2月16日(土)の深夜に「美と出会う――四谷シモン特集」が再放送されます(NHK教育テレビ)。 前回見逃された方、この機会にぜひご覧下さい。 放送時間は次のとおりです。 2月16日25:05~25:29(=日曜早朝)



投稿者: 如月    日時: 2002年02月15日 09:28 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 天野可淡だムットーニだ人形づくしだ

酒には酔ってみろ。嘘には騙されてみろ。尻馬には乗ってみろ。
というわけで私も宣伝を。

人形愛好家の友人りきさんからのご教示。
上野の人形屋佐吉で天野可淡の人形が展示されているそうです。
実物を間近で見られる機会はめったにないらしく、是非行っておけと強く勧められました。
天野の人形はたしか「幻想文学」の人形特集で写真を見たかどうかで、予備知識ほぼ無し。
なおのこと楽しみです。案内は以下。
ところでりきさんご自身の感想は 9日付日記に書いてあります。

・人形屋佐吉コレクション展示会
 台東区元浅草1-8 銀線ビルB1F (地下駐車場スペース使い切り、湿気は大丈夫かね?)
 最寄りは新線上野御徒町駅 A-3出口より。看板等はないとのことで、迷ったら電話
 されるのがよいでしょう。
 TEL: 03-3499-1508
 時間: 13:00~21:00
 料金は…… ですぺらで一杯飲むくらいですか。

私はこの土曜にでもちょっくら拝んでこようと思っています。

   *

ついでに続いて。彼、りきさんが大好きな人形師がムットニーで、私も展覧会に誘われ
ました。渋谷パルコPart1、B1F「ロゴスギャラリー」にて開催中のもので、彼が購入し
た「アニバーサリー」という作品も展示されています。彼が気にいったのも納得で、と
ても良い作品でしたよ。
ムットーニ人形は、いってみれば "オルゴール" なんですね。それも音楽が流れるので
はなくて物語が展開するのですが、その物語を裏付けする人形からくりの精妙さがすば
らしかった。ある作品では、針金二本だけ動かして腕の動きを操作しているのですが、
この感情豊かなことといったら。この高度な技術があればこそ、物語が "絵空事" に堕
することがないのでしょうね。でたらめには何も期待できませんもの、"よく出来た嘘"
だからこそ観客は堪能できるというものではないでしょうか。強くお勧めします。

そうそう、作者ムットーニの語りと伴奏による展示で、語りも独特なのですが、終了後
お話しようと思って声をおかけしたら…… いやー、独特な間合いの方でしたねぇ。なん
といいますか、こちらを「死んだ鍋」のように呆然とさせる御方でした。

   *

りきさん、四谷シモン展は行ったのかな。今度また東京でやるのでしたっけ?
その時は私から誘って行くつもりでいます、私も前回の展示は見逃したので。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年02月15日 11:06 | 固定ページリンク




石神茉莉 | ありがとうございます。

こちらには初めて書込みをさせていただきます。

金光様
人形屋佐吉ゴシックコレクション「フランチェスカの斧」行って参りました。
会社帰りに寄ったので、ちょうど人出の少ないときでした。天野可淡の人形がいる空間を独り占めしました。
蝋燭の光の中、しばらく人形の傍らにしゃがんでおりました。本当に息がかかりそうな距離で。(本当は緊張のあまり、息は詰めていましたが/笑)
おかげさまで、とても贅沢な時間が過ごすことができました。
心より御礼申し上げます。

あ、ちなみに最寄り駅は大江戸線の「新御徒町」の方です。



投稿者: 石神茉莉    日時: 2002年02月15日 23:49 | 固定ページリンク




斉藤 | 矢川さんが

誌の朗読会に出ます。明日の武蔵大学で。詳しくは「poeca」を参照して下さい。



投稿者: 斉藤    日時: 2002年02月16日 10:29 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | フランチェスカの斧

金光さんと石神さんの書き込みを見て、私も今日<フランチェスカの斧>に行ってきました。
場所がわからないでうろうろしていたらゴスロリのお嬢さん二人組が歩いてきたので教えてもらいました。
御徒町にふさわしくない黒ずくめの人(ほとんどが女性)に道を聞くのが近道かと思います。
石神さんのおっしゃるとおり、座り込んで見てしまいますね。特に一番奥の小さい人形のところは天井がかなり低くなっていて、しゃがみこまないとそこまでいけない展示なのでした。

恋月姫の人形を過ぎて天野可淡の人形にたどり着くわけですが、それぞれの人形の雰囲気があんまり違うので驚きました。
恋月姫の人形は、存在感を放つというよりは、自らの中に存在を沈殿させていくように感じます。眼球をくりぬかれ血の涙を流していても、その状況を受容し、見る者を赦しています。
天野可淡の人形は異質さを発し見る者を圧倒するように思います。見る者はその中に受容されることはなく、せめて対峙するしかないのです。
(私が好きなのは後者なのですが。)
日記にも人形展のことを書きましたので興味のある方はご覧になってください。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年02月16日 21:12 | 固定ページリンク




りき | こんばんは。

金光さんの招待できました。りきと申します。<○>

PEGANA LOSTで、芥川とダンセイニの比較という
無茶な論考を書いた当人です。(^^;;

一応、芥川が専門の研究者ということになってます。(休日のみ)

さて、可淡ドール。はじめてみました。
眼に力があるのが印象的です。

ほぼ個人コレクションで収まっているので、なかなか
表にはでない人形です。いいものをみました。

毎日、微妙に展示内容を変えているらしいです。

さて、ムットーニ「ナイトビジター達の競演」。

僕は、作家武藤政彦さんと作品である「ムットーニ」そのものが、
好きですね。はい。
なつかしいなにかを考えさせる。

作品をとうとう買ってしまいました。

四谷シモンさんの回顧展は、2年くらい前に新宿でやりました。
いまは、地方の病院跡での展示(限定期間)をやってるのは
しってますが・・・・。

では。



投稿者: りき    日時: 2002年02月16日 23:40 | 固定ページリンク




金光寛峯 | フランチェスカの斧を見て

りきさんへ。
私にはあなたのことを人形愛好家と評するよりほかに言葉がなかった。
一度、あなたがお買いになったムットーニの値段を、あつかましくも尋
ねてみたことがありましたっけね。一年間節制して貯めたという額にお
どろいて、
 「ぼくだったら『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』の初版本買
  うなあ。やっぱり高いんだねえ」
とつぶやいた私に、いいやそれは違うぞ金光おまえは分かっていないね、
けっして高くなんかないんだと、それからはえんえんと、いかにムットー
ニさんがファン思いであるか・価格も手間暇にくらべてどれだけ安く抑え
ているか・できるだけ多くの愛好家に作品が行き渡るようにと考えていて
云々…… を夜中の電話でじゅんじゅんと説かれたあなたのことを、そう
してまた、天野可淡を見てきた興奮を熱っぽく語ってきかせてくれたあな
たのことを、ほかにどう呼んだらよかったのでしょう。
………これではなんだか弔辞ではないですか。止めよう!
それより<フランチェスカの斧>展について書いておかねばなりません。

人形屋佐吉ゴシックコレクション<フランチェスカの斧>聖バレンタイン
の天使と人形たち
2002.2.9~18まで、人形屋佐吉協催
台東区元浅草1-8 銀線ビル地下駐車場にて
1ドリンク千円

「《殉教》という、このうえなく荘厳で甘美な響きに彩られ、語られてきた
人、聖バレンタイン」, 「天草四郎・フランチェスカ(恋月姫作)を始めとし
て、天使が潜んでいるような人形たちとその殉教記念日にまつわるものたち」
をテーマに集めた (パンフより) 人形展。
まずいきなり目に入るのが中世風の装飾過多な服で着飾って身を横たえる女性、
ミロのヴィーナスは両手だけど、彼女は首を叩っ切られている。そのかたわら
にはべているのは、日本の童人形の首がいくつか、座布団の上に乗せられて甘
やかに微笑んでいるという構図。
刳り貫かれた眼窩から鮮血を流す、可愛らしい無惨の部屋の少女 (恋月姫作)。
ここにはおいしい残虐がある。
きらびやかな筆致でつづられた随筆集『鬼の言葉』は、江戸川乱歩著作のなか
でも屈指の一本でありますが、その中に収められた「残虐への郷愁」において、
残酷絵の大蘇芳年を "ほんとうの血の夢を知っている" と称賛します。

石子責め、鋸引き、車裂き、釜ゆで、火あぶり、皮剥ぎ、逆磔殺などの現実を享楽し得るものは、神か、無心の小児か、超人の王者かであって、現実の弱者である僕には、それほど深い健康がない。しかし、それらのものが、一たび夢の世界に投影せられたならば、たとえば、その実父を殺し、その実母と結婚しなければならなかったエディポス王の運命の残虐を歌った、あのギリシャ悲劇さえも、たとえ当時のギリシャ看客のような力に満ちたほがらかな現実感をもってではなくとも、又別の、もっと幻影な国的な恐ろしさで、享楽することができる。
(中略)
神は残虐である。人間の生存そのものが残虐である。そして又本来の人類が如何に残虐を愛したか。神や王侯の祝際には、いつも虐殺と犠牲とがつきものであった。社会生活の便宜主義が宗教の力添えによって、残虐への嫌悪と羞恥を生み出してから何千年、残虐はもうゆるぎのないタブーとなっているけれど、戦争と芸術だけが、それぞれ全く違ったやり方で、あからさまに残虐への郷愁を満たすのである。芸術は常にあらゆるタブーの水底をこそ航海する。そして、この世のものならぬまっ赤な巨大な花をひらく。
芳年の無惨絵も、また彼女たちも、 "幻影の花園の小さな可愛らしい一つの花"
にほかなりません。
芸術において <残虐美> はつねに主要なテーマのひとつでした。文学において
もいわゆる怪奇小説, 怪談として繰り返し語られてきました。なにゆえに、ひと
はこの主題に惹かれるのか。
何十年か前、「おフランス帰りのミーの思想に逆らう奴は死刑ざますーーっ!」と
ポル・ポトが叫んだとき、カンボジア人民数百万の運命はきまりました。この世に
悪魔なるものが実在して、二十世紀の ――そして現在進行中の―― 地獄を演出し
たのがかれらのしわざだったのならば、ある意味ひとは救われます。
ですが、人間を傷つけるものは人間自身にほかなりません。"人間の生存そのものが
残虐" であり、 "人類が如何に残虐を愛したか" をまざまざと思い出さずにはおられ
ません。残虐美を主要なモチーフとする怪奇小説も、 "恐れるということは護るとい
うことで、人間の弱小の本音みたいなものだ。けっきょく、妖怪趣味というものは、
人間の霊魂に対する潜在意識の郷愁みたいなものかもしれない" (平井呈一) と考える
ことができるのではありますまいか。人間の、霊性とでもいうべきものを、いかに美し
くまたリアルに描き出してみせるか、私の嗜好はそういうところにあります。

天野可淡についても触れておかねばならないでしょう。やはりまず眼に惹かれます。
石神さんもお書きになられていますが、ほんとうに息がかかるほどの間近で鑑賞する
ことができました。
「どうやって作ったらこんな眼ができるのだろう」と、じぃっと観察していました。
奥眼がちで、精妙な色彩を持っています。するうち、今度は少し引いて全体を眺めます。
どうでしょうか、この佇まいといったら。
正直言って展示の大半の人形は、フンフンほうほうとかいって軽く流した鈍い私も、
天野人形だけはしばしその場に止まらずにおられませんでした。力がある、という形容
はまさにこれを指していうのでしょう。
人形とはここまで出来るものなのだとは、今まで知りませんでした。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年02月23日 01:43 | 固定ページリンク




一考 | マッカランとじゃこ飯

 2月頭にマッカランからファースト・エディションが頒されました。10年もの、58度のカスク・ストレングスです。過去の100プルーフより、アルコール度数が高くなり、香味も深くなりました。しかも、初回は1リットルボトルによる頒布です。ボトルは大きければ大きいほど、香味はよりこなれたものになります。
 例によって、ヘレス地区のシェリー樽を熟成に用いていますが、今までのマッカランと比して赤みが鮮やかになりました。香りから推すに、オロロソのクリームかと思われます。通常、ダーク・シェリーの樽を熟成に用いると、ラスト・ノートに渋みが残ります。本品は10年もの故、そこのところが上手くクリアーされています。
 ですぺらのコレクションはボトラーが中心ですので、あまりオフィシャル・ボトルは褒めないのですが、本品は実に結構なエディションだと思います。売り出しの最初のボトルは特に美味なもの、どこかで見付けられた時は是非購入なされることをお薦め致します。

 ですぺらの開店当初、じゃこ飯を置いていました。飯を炊くのが面倒なのでやめたのですが、問い合わせが多く、じゃこの佃煮の造り方を一言。
 ちりめんは卸で2500円/?が適当です。まず、ちりめんを油で十分に炒めます。次いで、同量の水と酒を浸るまで加え、灰汁を取ります。そこへ同量の濃口醤油と砂糖を加えて煮詰めます。最後に有馬山椒を加えて出来上がり。
 ちりめんが高ければこうなごでも結構ですし、飯を主とするなら甘めに、酒を主とするなら砂糖を減らして醤油を増やし、やや辛目に仕上げるのがコツと申せましょうか。
 有馬山椒は東京ですと「なり駒」のものが美味です。デパートになければ、当店の一階の食料品店でも売っています。200グラムの瓶入りで1000円から1200円ですが、一回に作るちりめんが200グラムなら、4~5回分に相当します。その辺りのスーパーで200~300円で売っているしその実のたまり漬け等を加えると、更に有馬山椒の使用量を減らすことが可能です。
 冷蔵庫ですと半年は大丈夫なので、突然の客人に重宝致します。家で京都の割烹の味を愉しんで下さい。ちなみに、そこに大量の糸鰹を加えますと、ちりめんに限らず、如何様なる佃煮にも対応可能です、試して下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月25日 21:31 | 固定ページリンク




一考 | ヴォーグのカメラマン

 須永朝彦さんの「美少年日本史」が国書刊行会から上梓されました。当店にも署名本を置きますので宜しく。
 如月さんのホームページでご存じの方もいらっしゃると思いますが、3月9日はですぺらの営業日ですので、常連さんは歓迎致します。お構いなくご来店下されば幸甚です。
 特に、当掲示板の高遠さんには写真家の横須賀さんを御紹介致したく、御両人のおっぱい談義に期するところ大であります。
 このところ、版画芸術にいらした佐藤さんと横須賀さんが当店に入り浸りです。横須賀さんはかつてヴォーグのカメラマンとして識られた方でイタリア在が長く、同様に30年をフランスで過ごす大月さんと意気投合していました。
 江戸っ子の編集長であった小倉さんのプロデュースにてキムタクの写真集も出されていて、男を撮った唯一の例外とか。
 スティルに動体を取り込もうという、甚だしくアクチュアルな作家で、土曜日もベンヤミンの写真論からドゥルーズ等について、朝まで語り明かしました。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月25日 21:35 | 固定ページリンク




一考 | 再会は掲示板

 書き込みはまだですが、佐藤さんも当掲示板を常に読まれているとのこと。従って、ここで書かせて頂きます。
 まず、15、6年ぶりの再会ですね。永瀬さんと一緒に飲み歩いた荻窪の街を思い出します。言われるまでもなく、当時は仕事に追われ、人とお会いするのも分単位でした。30分も酒を飲むとまた職場に戻り、頭から水を被っては仕事を続けるような有様でした。寸暇を惜しむハードな仕事の中で複数の連載を抱え、よく生き長らえたものと、不思議に思っています。また、貴方が版画芸術にいらっしゃらなければ、私の陶芸に関するエッセイはすべて無かったものと心得て居ります。ご迷惑の掛けっぱなしで、恐縮致しております。てなことを書くと永瀬さんからもっと恐縮しろとのきつーいメールがやってきそうです。
 貴方の現住所が分からず、高橋睦郎さんに訊ねようかと思っていました。四季社にいらした方が当掲示板を見付け、再会に至ったらしく、管理人の櫻井さんに感謝しなければなりません。お陰でこの数箇月は結構な御神酒を頂戴していますし、新たな企画も随分と進みましたね。
 先だっても、金曜日はシモンさんと土曜日は横須賀さんと共に愉しい晤語を送ることが出来ました、感謝致しております。

 さて、貴方から私への注文は二点ですね。ひとつはですぺら通信なるものを上梓なさりたいということ。今ひとつは現代美術に関するエッセイを自ら書きもし、また書かせようとの魂胆ですね。
 前者に関しては、今月中に貴方の歓迎会を催しますので、その日に石川さんと梅子さんの御両人と話し合って頂けないでしょうか。腹案はあるのですが、もしそれを始めると他の仕事が滞ることになります。かつて湯川書房の雑誌の編集をお手伝いしたので、この手の仕事の煩雑さはよく諒解しております。ことは慎重に進めましょう。
 後者に就いては貴方が望むなら、その雑誌様のものでも、当掲示板でもかまわないではないですか。ジョイントでなら私に異存はありません。何時の日か貴方と一緒に仕事がしたいと私は最初から申していた筈です。対象を決めて公開書簡というのも魅力を覚えますが、どうあっても活字というのであれば、より相応しい雑誌を友人が出版しています。前々から頼まれているのですが、きっかけがなく、そのままになっているのです。
 いずれにせよ、貴方の逸る気持ちは分かるのですが、現状では貴方の方が多忙過ぎます。少し時間を掛けてよりよい方策を編み出すことに致しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年02月25日 21:41 | 固定ページリンク




梅子 | 失礼なお願い

いつもご迷惑をおかけしています。
常連様は避ける話題を、来られる度に繰り返される方がいらっしゃいます。
うちの爺とどに休肝日はなく、毎日飲んだくれているのですが、I田さんの話が出ますと爺とどは3~4日は怒り狂っています。
酒量が増え、私などは泥酔したとどに押し潰されるのではないかと、恐怖の日々を送っています。
申し訳ないのですが、なにとぞその話題を持ち出さないようにお願いしたいのです。
過去の交友関係や過去の出版の話をしますと、とどは不機嫌になります。
モルト・ウィスキーに限らず、お酒の話ですと、とどは喜ぶのです。
どうかよろしくお願いします。 



投稿者: 梅子    日時: 2002年02月25日 22:18 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ……

梅子さん。

……大変ですね。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年02月25日 22:44 | 固定ページリンク




一考 | 茶利放談

 本日、種村季弘さんの特集号のゲラがすべて上がって来ました。4月1日の発売日を前に、漸っとそれらしい体裁になりました。川島さんに感謝しなければなりません。それにしても校正には自信がないのですよ、困ったものです。
 タイトルの「怪人タネラムネラ」は高橋睦郎さんの頌から掻っ払いました。高橋さんがわざわざご来店、事前に種村さんと私の茶利なる放談のゲラを読まれるとのこと。矢野目源一の訳詩の順序が間違っているとのありがたい御指摘を受けました。初稿とはいい条、私の記憶の出鱈目を早々に指摘され、恥じ入るばかりで御座いました。
 唯一ちゃらんぽらんが売りの私にとって、種村さんと対談する気など最初から毛頭御座いませんでした。相手の土俵に上がらずに約束を果たす。そのために私が講じた策は種村さんを酒席におびき寄せることでした。編輯の打ち合わせとの名目で酒を持参して押し掛ける、酔っ払わせての放談からなんとか稿をでっち上げる、それが私の最初からの思惑だったのです。
 正面切っての文学的対談なら青土社からもっか刊行中です。従って、種村さんのお気に召さないかもしれないが、読者にとってより楽しく読める内容、即ち素顔の種村さんが少しでも表出されているもの、肉声をうかがえるもの、と心掛けたのです。
 以上、サービス精神旺盛な元編集者の無責任な言い逃れです。

 絢爛豪華な目次すなわち執筆陣を視て思い遣るに、柿沼さんと言うよりは、本誌の責任編集者は種村季弘その人ではなかったかと。正確に申せば、仕置き人種村季弘、口入れ屋渡辺一考、その有様を丹念にフィルムに撮っていった監督が柿沼さん、されば梅子は照明か音入れ屋といったところ。主演者の仕置き人と監督との間のディスカッションにてすべての書割と舞台衣装はしつらえられ、例によって私めは徒に飲み惚けていただけ。とこんなことを申せば原稿用紙と格闘なすった諸先生方から叱られましょうか。
 種村さん主演の映画の撮影と別冊幻想文学の編輯とがですぺらにて同時進行、種村さんの名演技に小生の腹の皮はいまなお捩れたまま。その捩れがかかる後日談を著したくなった所為なのです。いずれにせよ、何の苦労もなく、かかる雑誌の編輯が終了するとは摩訶不思議。世に持つべきは友であり、朋ですなあ。
 



投稿者: 一考    日時: 2002年02月25日 23:54 | 固定ページリンク




高遠弘美 | たのしみにしております。


渡辺一考様
高遠弘美です。掲示板にお書き下さってありがとうございました。
三月九日、喜んで伺いますので、よろしくお願いいたします。

わたくし、ただいま花粉症にていささか苦しんでおります。
医者にゆき、薬をもらってきましたので、九日には治っていると思いますが。

不順な折からくれぐれもご自愛下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年02月27日 12:28 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 悪口です

前項に続きますが、お許し下さい。

本日は悪口を申します。悪口のお嫌いな方はここでおやめ下さい。

次のいくつかの文をご覧下さい。

まず、数字の表記から。「二〇年前」「九二〇億ドル」「イスラエルの三四年にもわたる非合法な軍事占領」「八月二十七日」「一〇〇人」「二〇〇人」「五〇〇人」「三〇〇〇人」「七〇〇万」「一万九千人」「四九パーセント」「六、〇四五戸」「三二、七五〇戸」「二二〇ヵ所」「十九世紀」……。
いかがでしょう。私はこういう数字表記の不統一が人一倍気になるほうなのかもしれませんが、読んでいていささか引っかかりました(私なら「二十年前」「三十四年」「二百二十ヵ所」「六千四十五戸」のように書きますが、それはともかく、不統一が気になります)。
それからこんな一節。
「しかしながら、もっと気が滅入るのは、世界の中でのアメリカの役割を理解するために費やされた時間があまりに少ない」。
あるいはまた、
「(略)が、プロパガンダの目的である。また、イスラエルがいままでどおり弾圧を続けつつ、同時に犠牲者であるように見せかけることなのだ」。
また、
「前述のように、アメリカの政治的・文化的シーンに働きかけようとする計画と思考がまったく欠如していたことが(といってもそればかりでもないのだが)、一九四八年以来驚くべき規模に達するアラブ人の土地と生命が(アメリカの援助を受けた)イスラエルによって奪われたことについて大いに責められるべきなのである」。
あるいは、
「そして、こうしたキャンペーンをひじょうに効果的にしてきたものは、西欧がもっている自分たちの反ユダヤ主義に対する積年の罪悪感なのだ」。

みすず書房の新刊サイード著『戦争とプロパガンダ』からの引用です。
内容は素晴らしい。読まれて然るべき本だと思います。それなのに、この文章は何でしょうか。
こちらの理解力の乏しさのせいかもしれませんが、何を言っているのかよくわかりません。惜しい、残念、癪に障る、というのが率直な感想です。
ふだんこういう非難めいたことは書かない主義ですが、原著が素晴らしいだけに、大手がこういう翻訳を平然と出してしまうことに無性に腹が立ち、書きました。妄言多謝。

もうひとつつけ加えます。最後にサイードのインタビューが載っているのですが、そこでの「ぼく」「ぼくたち」はどうでしょうか。
「ぼくの知っているアラブ人やムスリムはみんな合衆国にものすごく興味をもっています」。
。一九三五年生まれ。六十六歳。私生活ならともかく、公のインタビューでこんな言い方をするでしょうか。

洋書屋はこの本の原本を早急にそろえた方がいいのでは。翻訳を買ったひとの大半が途中で匙を投げるから。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年03月01日 01:23 | 固定ページリンク




暫定管理人 | 新入荷のウィスキー


先週、ですぺらにお邪魔して新入荷のマッカランとカリラをいただきました。
結構なお味でございました。

ところで、掲示板だけよんでですぺらに行かないのは勿体ないですよ。
みなさん、ですぺらでうまい酒をいただきましょう。
そうしないと、店がなくなってしまいますぞ。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年03月04日 00:45 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 大半の同感、若干の疑義

高遠先生のおっしゃられることは、おそらく正しいのだと思います。
(実物を読んでいないので、全面的に肯定するのはフェアでないですね)しかし、ここに、若干の揚げ足取りめいた疑問を表明したいのは、はたして、みすずは「大手出版社なのか」ということです。
2001年版出版年鑑によると、資本金1000万、従業員22名。(むろん、これは編集だけでなく、営業も総務・経理も含めてですね)
講談社の3億、新潮社の1億5千万にくらべると、零細とは言えないまでも、やはり「中小」の部類でしょう。社員の給料は……こういう詮索は慎みましょう。
おそらく、あれは広報誌「みすず」に昨秋あたりに載せたものを、そのまま単行本にしたものだと思います。雑誌掲載記事のデータをダウンロードすれば、組版関係はほとんど費用がかからない。それで、出版を急いで、つい仕上げの統一を怠ったというのが実情でしょう。
みすずの本の誤植の多さは、かつての北一輝著作集から定評のあるところで、さいきん気になったのは、吉田加南子さんのエッセイ集の中のプルーストを論じた数頁の文章の中のすべてが「ブルースト」になったいたことや、新進気鋭の学者が書いたクナッパーツブッシュ論のなかで、「弱冠」とすべき部分がことごとく「若干」となっていたことなど、御愛嬌で済ませられることかもしれませんが、たしかに、あんまり手放しでいてもどうかと思います。
(もっとも、ロラン・バルトの邦訳が三宅徳嘉氏の目を通していないものがほとんど役に立たないといったことの方が、大きな問題かもしれません)
まずは、とりあえずの、若干の疑義の表明まで
(誰だい、かえってとどめ刺してるじゃないの、って言ってるのは?)



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年03月04日 13:50 | 固定ページリンク




暫定管理人 | 三月危機


人身売買業というのは言い過ぎかもしれませんが、現代版口入屋へいった帰りに、
やるせなさを肩にしょって、またまたですぺらへ寄ってしまいました。
(しかし我が身を商品として投げ出して査定されるのはつらいことでありますなあ。
情けないったらありゃしない。)

世間ではゼネコンがつぶれたり、潰れかけた銀行が合併して国に延命させてもらったりしながら
3月危機とか申しておりますが、ですぺらにも3月危機が訪れているようです。
どうせなら国ごと壊れちまえと思う今日この頃であります←やけくそ。はっは。

危機があちこちを襲っている状況ですが、売り物と化した我が身はモルトウィスキーで
体の浄化を行ったのでした。
ちなみに今日はカリラばっかり3杯。wild horseな酒です。あばれる。あばれる。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年03月05日 01:14 | 固定ページリンク




一考 | 限られた金数

 りきさんへ
 芥川龍之介「芋粥」論を著された方ですね。今後ともよろしくお願いします。
 中間にアナトール・フランスを挟めば、芥川とダンセイニの比較にさしたる無理はないと思います。「新思潮」の同人に久米正雄や菊池寛が居ますし、松村みね子と芥川と堀口大学は恋の鞘当てを演じた仲ではないですか。「無茶な論考」どころか、頗る至当な根拠のある論攷と思います。貴方のこれからの活躍に期待します、頑張って下さい。
 カミユとダンセイニの比較の方はのっけから滅茶苦茶なデペイズマンコ?だと思います。一方は情念とのクリンチが売りの作家で、一方は乾いた観念派、何処に接点を求めるのか、金光さんのお手並み拝見ですね。
 金光さんは先日、宇野邦一さんからいささか突っ込まれていたようですが、あれは彼のユニークな励まし方です。自らの意見を簡略かつ直裁に述べる癖を日頃から付けておいた方がよいとの、彼一流の優しさなのです。私なら金光さんの意見を聞き流してお仕舞いなのですが、啓蒙家としての宇野さんの意外な面に気付かせられました。
 いずれにせよ、宇野邦一さんは現在のフランス文学者の中で、もっともアクチュアルにしてラジカルな思索者です。一筋縄ですむ相手ではなく、こわい人ですよ。

 りきさんは高価な人形を買われたそうですね。私は書物にしても5000円を超えるものは購入致しません。泉鏡花や木下杢太郎、日夏耿之介等を蒐めたのも、当時は顧みる人もなく安かったからであって、人口に膾炙し値の上がったものには些かの興味も持たないのです。忘れられたまったく無名の作家を発掘するのが読書の醍醐味でして、「ドグラ・マグラ」や「黒死館殺人事件」の初版は値が上がった時に叩き売って文庫を買い求めました。文庫本で読めるような作家は文庫で十分ではないでしょうか。限られたお鳥目なれば有効に遣いましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月06日 11:57 | 固定ページリンク




一考 | ざる校正

 高遠さんへ
 かつて親友が編集した足穂の選集は誤植のないページを探し出すのが一苦労とのシロモノでしたし、これまた私の親友が出版した野溝七生子さんの著書も正誤表は60箇所を超えました。また、辞書の語釈を方便としていた研文社時代に使っていた広辞苑第三版の誤植箇所は軽く100を超えました。その半数は国家大観をはじめとする原典からの引用ミスでした。
 かく申す私も、かつては笊校で名を馳せた迷編輯者。諸般の事情を問わず、名を偸めば「迷」が「名」に出世して行くのもご愛敬。編輯も愛嬌商売の一であったかと思われる次第。

 種村さんが何度かクライストのペンテジレーアのことを書かれていますが、曰く・・・「約束」の再帰動詞 sich versprechen には「約束する」と同時に「言い間違える」の意味がある・・・。
 結婚を「約束した」の意と「言い間違えた」との意が寸分の狂いなく一語の中で重なり合うとするならば、歪みやねじれ、言語と人の生き方との乖離といった問題を一足跳びに乗り越えて、これはもう文学的結婚とでも称する他なく、言語それ自体が人間の実存とすり替わってくるような恐怖を覚えます。
 言語遊戯の場で多用されるアナロジーは泰西語には付き物で、フランス語からドイツ語、イタリア語からフランス語への翻訳なら何とか処理可能ですが、表象文字である日本語で多面的かつ重層する意味を示唆するのはおよそ不可能事です。従って、マラルメ、ジャリ、ヴィアン、ブルトン、バタイユ、マンディアルグ、ジュネ、ベケット等々の翻訳は、元来翻訳者個人の勝手な咀嚼すなわち数多ある解釈のうちの一として供されるべきなのであって、日本語に置き換える時には試訳こそが相応しく、翻訳との言葉を用いること自体に無理があるように思われます。
 と思い巡らせば、高邁かつ流麗な訳文と稚拙かつ低劣な訳文との間にさしたる差異はないのではないかと思われてくるから不思議です。
 もっとも、小説であれ、短詩形であれ、エッセイであれ、翻訳であれ、推敲がなされていない文章にお鳥目を支払うつもりは毛頭御座いません。貴方のロミにせよ、宇野さんのベケットにせよ、白鳥さんのロリナにせよ、お鳥目が支払われる先は訳者の心意気にあり。心意気とは思い入れ、文学から藝を除けばおそらく何も残りますまい。妄言多謝。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月06日 11:58 | 固定ページリンク




一考 | 

 高遠さんへ
 文学のちから、文学のいのちに就いて著された高遠さんのエッセイは「みだりに行分あやしく、論理の精彩を欠き、リズムの乱れた散文など読むに値しない。達意はもとより散文のいのちである」との文章から書き起こされています。プリズムに乱反射した輝きがやがて一点に消え入るように収斂されてゆく、30枚の彩なす種村論の校正刷りに改めて酔わせて頂きました。編輯者冥利に尽きるとはかかる酔いへの逢著を指します。どうも有難うございました。
 エッセイにとって最も大事なことは、何を対象にしたかではなく、いかに捉えいかに料理したかという点だと思います。自らの意図を行き届かせるのが調理であり、割烹であり、作法でなければ何なのでしょうか。
 もちろん、対象への好悪すなわち選択もひとつの立場の闡明にはなります。しかし、それをもって佳とするならば、書物は目次のみにて結構ということになりかねません。オマージュをのみ著すのであればともかく、悪口や罵詈雑言が内包するエネルギーにも私がごとき俗物は惹かれのです。例えば荷風が逝った時の足穂の文章など、思わず快哉を叫びたくなるような逸文もあるではないですか。おそらく、オマージュの香辛料としてもっとも有効なのは悪口ではなかろうかと、貴方の達意の文章を読ませて頂いての感慨でございます。

 私は鏡花が好きで「鏡花論集成」のような書物を編んだこともあるのですが、同書の編輯に関して今では異なる意見を持っています。あの書物の中身を編んだのは私が二十歳の時です。若い頃は雑読期ですから、あのような書物の編輯も可能だったのですが、今なら時間が勿体ないのです。
 ぎりぎり自分が述べたいこと、即ち料理法、思想、歴史観を著すのに時間は費やされて然るべきではないかと思うようになったのです。また、その料理法や思想や歴史観等を包括する弁証法が文学というふうに解釈致しております。
 エッセイとは自らの立脚点を詳らかにするために書き始められるのかもしれませんが、結果は必ずしも思う方向に向かうとは限りません。重箱の隅をつつく種類の書誌学は論外として、対象と斬り結ぶとは自らの存在が「消え入る」ような虚しい行為ではなかろうかと、昨今の私は思っています。そもそも、立脚点や立ち位置なるものほど訝しく如何わしいものはないのではないかと。
 「立場の闡明」と前記しましたが、この「闡明」との言葉には「立場」との枕詞が常に取り憑いているように思われます。消息を鮮明にすればするほど、繰り返されるのは至らなさであり、自己の解体なのではないでしょうか。
 季節はとどめなく流れ、固着し定着するかりそめの場すら持ち合わせず、為す術もなく徒に拡散してゆく自分を眺めやるのみ。宇野さんの影響もありましょうが、ドゥルーズに読み浸るようになったのも、そのような理由からなのかもしれません。
 贅を刮げ、衒いをなくし、含羞を湛えた透き通るような弧絶感の中に死んで行った多くの先達を私たちは識っています。自らの思想と自らの生き方とが交錯し、照応し合うような季節がいつの日かたとえ一瞬でもよろしいから立ち顕われないかと、これは私のささやかな夢なのです。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月06日 13:38 | 固定ページリンク




Siesta | 昨晩は。

昨晩は「ですぺら」の旨い酒と一考さんの痛快な話に酔いつつ、楽しい宵を過ごせました。
壁に掛けられた3枚の写真、「ですぺら」の石材の内装と照明の色温度にとけ込んでいてカッコよかった。
ところで、赤坂で写真といえば、東京写真文化館をご存知でしょうか。
場所は、赤坂見附駅をコージーコーナー側から出て左に少し歩いたところにある紀陽ビルの4階です。
今度、4月の初頭から「アンセル・アダムス生誕100年記念写真展」が催されるそうです。
これまでも、ブレッソン、カニングハム、ジャンルー・シーフなどの一見の価値ある写真展をやっていました。「ですぺら」に行く前に少し足を運んでみてはいかがでしょうか。

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投稿者: Siesta    日時: 2002年03月06日 14:53 | 固定ページリンク




Siesta | 訂正。

東京写真文化館の場所の説明が間違っていました。正しくは

赤坂見附駅をコージーコーナー側から出て「右」に少し歩いたところにある紀陽ビルの4階です。

「右」「左」を間違えるとは情けない。ちなみに、水曜日は優待日で入場料が安くなることを付け加えておきます。



投稿者: Siesta    日時: 2002年03月06日 15:19 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 拝読しました

一考さま

長文のメール、ありがたく拝読しました。仰言ること、わかるような気がいたします。オマージュにはある部分、対象そのものにではなくても、部分冠詞附きの悪口が必要であり、そこに生まれる緊張感がなければ、ただ弛緩した代物になってしまうのですね。むろん、悪口の度合いが濃い、と言いますか、タメにする悪口というのはオマージュに限らず、文章を損ねます。むつかしいのはそのあたりの匙加減、というより、「対象と切り結」ぼうとするなかで、その加減は自ずと定まってくるのですけれど、しかしなおかつ厄介なのは、これも仰せのごとく、「消息を鮮明にすればするほど、繰り返される至らなさと自己の解体」の問題が影のように筆の先から指や手を伝ってこの身のうちに入り込むことではないでしょうか。何かを書く、何かについて書く。それが自らの生と交錯し、重なり合い、照応し合う時の訪れをわたくしも待ち望んでおりますが、いま、具体的に駄文を書くときに感じる抵抗感、あるいは抑圧は、一度前にお話ししたことのある若い頃の吃音の苦い記憶と結びついているような気がしてなりません。太平楽で脳天気なわたくしがいまなお時に魘されるのは吃音の夢です。いや、夢ではないこともあり、春休みや夏休みのあとに最初に教室に入ってゆくときは、いまだに吃って言うべきことも言えぬまま立ちつくす幻影に悩まされます。だからどうしたと言われれば、ただそれだけのことですと申すほかありませんが、しゃべるのではなく書いているのに、たどたどしく、意味不明で、あるリズムを感じることのできないものに対する侮蔑と嫌悪、これは大袈裟ではなく子供の頃からありました。三つ子の魂百まで。馬齢を重ねるばかりで、内実はまったく進歩なく、あいも変わらぬ小者としては、いまだに小説であれ、エッセイであれ、翻訳であれ、そんな文章は最後までつき合うことなく「裏の川に投げ捨てたい」と思います。先日のサイードは一考さんの仰言る「稚拙かつ低劣な訳文」どころではなく、最後につけ加えていらっしゃる「推敲がなされていない文章」でした。「大手」かどうかという点については伊藤さんの警抜なご指摘がありましたが、わたくしが問題にしたのは、数字の不統一ということと、文章が「推敲されていない」ということです。この点は伊藤さんが書いていらしたみすずの本の誤植の多さということでは必ずしもなく(わたくしの本も誤植は決して尠くありません。人後に落ちずと言うと変ですけれど)、意味の通らない日本語をそのまま本にするのは、ムネオ風に言えば「いかがなものか」と思ったのがああいうことを書きつけた理由ですが、それは「藝」以前、「勝手な咀嚼すなわち数多ある解釈」以前の問題でした。わたくしは翻訳は音楽で言う演奏に近いと思っています。好きなればこそ弾く。弾くからにはおのれの解釈をとことん追求したものを聴かせたい。宇野さんや白鳥さんもそう考えていらっしゃるのではないでしょうか。プルースト(ブルーストではなく)の『失われた時を求めて』のなかに、話者の恋人が下手ながらピアノを弾く場面があり、それについて話者はたとえ下手な演奏でも、作曲家の本質は伝わるものだと書いていますが、その意味で言うなら、稚拙な翻訳であろうと流麗な翻訳であろうと、伝わるものは伝わるでしょう。しかしだからといって、話者は恋人にサロンで演奏させようとか採譜しようとか言っているのではありません。やはり進んで「お鳥目」を投げたい、これぞという演奏家はいるのであり、それはまさに一考さんの仰言る「藝」であって、それと、たとえどんなに愛しくとも恋人が二人だけの時に弾いた下手なピアノを同列に並べてはいけないだろうと思います。おっと、軽く御礼のご挨拶のつもりで書き始めたのが、いつのまにか一考さんの術中にはまって長々とまたまた駄文を連ねてしまいました。こちらこそ妄言多謝と繰り返して、本日はここにて打ち止めといたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年03月06日 19:01 | 固定ページリンク




暫定管理人 | こっちでもマック話


Old PCI MacにOS X をインストールする方法は
http://fujisawa.org/mac/RyanRempel/OldWorld/Instructions.html
に記述されています。
ただ危険を伴うので、ハードディスクのパーティションに充分気をつけて作業するべきです。
下手するとハードディスクが論理的に壊れます(フォーマットすればなおるという意味)。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年03月07日 01:47 | 固定ページリンク




りき | こんばんは。

一考さま

ありがとうございます。精進していきたいと思います。
ダンセイニと芥川の比較論、もし、ご感想などいただける
と幸いです。



投稿者: りき    日時: 2002年03月07日 23:09 | 固定ページリンク




松友のお願い | 二回目は御容赦戴けますと

管理人様よりの二度の三月危機についての御言葉は曇天の霹靂と申し上げましょうか。
失礼ながら過去ログ落ちする前にしばしカキコさせてください。
~危機は杞憂のうちに過ぎ去って戴きたく存じます~

数年前、東京から数百キロ程西で、似たようなお言葉を伺ったような気がします。続いてのお話は「北への旅立ちが始まる」。往時の目標地点は北海道。北海道はライダー天国ですから、やはり夏はツーリングの合い間の開店でしょうか。でも札幌は遠いですね、関東からですと。しかもカシオペアは言うに及ばず飛行機も北斗星も高価です。

西での移転準備直前の営業日は喧騒が渦巻いていたと記憶しています。その日まではいつものように淡々と過ぎてゆきましたのに。時折、”東京だったらこういう事は起きないのだろうな”などと感慨に耽っていました。夜になっても暗いままの入り口の前では色々思い出しました。素晴らしい先輩方の末席にお邪魔できて、多くのことを教えて戴きました、と。

さて、昨日頂戴しましたマッカランのファースト・エディション、十年もの、五十八度のカスク・ストレングス。通常のオフィシャルと比べて、大胆に突き抜けた特徴と申しましょうか、個性がはっきりしていて興味深く戴きました。またそのうち、シェリー樽仕上げのモルトなど御相伴に上がりたく。
ですが、お邪魔しようとしても満席で入れない方が幸せかも(^_^)



投稿者: 松友のお願い    日時: 2002年03月08日 13:26 | 固定ページリンク




一考 | 三月危機の店主

 櫻井さんへ
 ご心配をお掛けして申し訳ない。去年は三度店を畳んで北上しようかとおもったのですが、某編集者と某出版社と某広告屋さんのご厚意により、なんとか家賃と維持費は払えました。そのお世話になった方々も当掲示板を読まれています。お名前を掲げてお礼を申し上げたいのですが、どうあっても匿名を望まれるとのこと、どうかよろしくお願い致します。
 本年はまず二月が危機でして、生活の予備費と車のバッテリー代等を借用、なんとか乗り切りました。バッテリーはバイク用を連結して使用、オートマ車のため何時エンジンが止まるかという綱渡りの毎日です。日々、充電を繰り返していますので、既にバイクには使用不可。新品が購入出来るまでバイクは動かず、またキャブ使用のバイクなれば、次回動かす時には修理が必要です。従って、手放そうかと思案中。
 もっとも、この程度の貧乏は慣れっこにして困窮に非ず。慌てず、騒がず、狼狽えず、パルナシアンの不感無覚の境地に御座います。ですぺらにしましても、とどのつまりは閉店、早いか遅いかの違いのみ。今あるところの境遇を快楽しておれば、やがてはよもつくにから怖いお迎えが参りましょう。与太を飛ばし、シモネタで死神を煙に巻くのを手ぐすね引いて待っているのです。

 御指摘のソフトはすべて落としました。OS Xのインストールはパーティーションを切らず、余っているハード・ディスクで試します。どうも有難う御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月08日 16:10 | 固定ページリンク




一考 | 一考好み

 Siestaさんへ
 わざわざ有難う御座います。東京写真文化館とやら、早速行ってみます。写真はずぶの素人なので、これから横須賀さんに手ほどきして頂こうかと思っております。いずれにしましても、彼の節操のなさには呆れるやら惹かれるやら。私は昔から「芸術家」が大の嫌いで、横須賀さんや佐藤さんのように「芸術家」に対して罵詈雑言を吐く種類の芸術家が好みなのです。入れるかどうかは心許ないのですが、土曜日にはぜひご来店下さい。ちょいとした美人を呼んでおきましたので、乞うご期待。

 佐藤さんへ
 ちょいと時間が取れましたので、お気に入りのダン・イーディアンのカリラ、東京中の在庫を掻き集めました。とは申せ、その数僅かに10本。取り敢えず、二箇月は大丈夫でしょう。それにしても、貴方のガハハの飲み方は迫力がありますね。荻窪ではよく呑みましたが、国立時代の飲み方を私は知りません。山口正介さん、宇佐美さん、木村さんから噂話はよく聴くのですが、かなり荒っぽかったそうですね。一度、国立のOB会でも催しますか。宇佐美さんは私が編んだツール・ド・フランスの写真集のコピーを書いて下さった方で、博報堂時代からの付き合いです。それにしても、あの二階の喧嘩は頂けませんよ。ですぺらにて美術論を闘わせましょう。

 増田さんへ
 一昨日偶然、横須賀さん、白鳥さん、高遠さんと役者の揃い踏み、深酒もやむを得なかったのですが、あれから仕事になりましたでしょうか。いささか心配致しております。
 あれもこれもは叶わず、屡々優先順位が入れ替わるのが人生です。今般、その優先順位に若干の移動があり、些か自由時間が取れるようになりました。
 昨日もキャピトル東急にて友人が催すパーティに初参加、いろいろと教わるところ大でした。複数の友人が頻繁に催すテイスティングの会、モルト・ウィスキー愛好家の会、バーテンダーの会、モルト・ウィスキーを扱う業務店の親睦会、輸入商社が催す研究会、赤坂のオーナー会等々、土日に集中するので断り続けて来たのですが、これからは全面的に参加することに致しました。今月も31日以外の土日はすべて詰まりました。
 ネット上でモルト・ウィスキーの情報を得ることはほとんど不可能だったのですが、これからはウィスキーに関する情報の質と量が大きく変化します。迷惑をお掛けしている原稿も進陟するかと思います。半年ほど情報蒐集に専念すれば大丈夫、御期待に応えますだ。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月08日 19:09 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 「円谷英二の技」

ですぺらに集う怪獣者のみなさんへ
大変です。こんな素敵な上映が一月あまりラピュタ阿佐ヶ谷にて行われます。
私はもう毎回でも行くつもりです。

「円谷英二の技」第二期 -日本映画の技術水準の象徴
3月10日(日)~4月20日(土)
三本立てが週代わりです。
放映作品は『ゴジラ』、『ゴジラの逆襲』、『電送人間』、『獣人雪男』、『透明人間』、『モスラ』、『キングコング対ゴジラ』、『怪獣総進撃』、『キングコング対ゴジラ』、『モスラ対ゴジラ』、『怪獣大戦争』、『三大怪獣地球最大の決戦』、『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』、『サンダ対ガイラ』、『キングコングの逆襲』、『緯度0大作戦』、『ゲンと不動明王』、『大怪獣バラン』、『日本誕生』、『海底軍艦』、『極楽島物語』、『クレージーの怪盗ジバコ』、『大坂城物語』、『孫悟空』、『地球防衛軍』、『空の大怪獣ラドン』。
詳しくは
http://www.laputa-jp.com/laputa/tsuburaya/index.shtml



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年03月08日 21:01 | 固定ページリンク




Siesta | (無題)

一考さんへ

直々のお誘いありがとうございます。しかし、本当に僕などが伺ってもよいのでしょうか。
「入れるかどうかは心許ない」というのはちょっと心配ですが、ここはひとつ一考さんに騙されたと思って伺ってみましょうか。
でも一考さん、伺った際にはちゃんとかまってやってくださいね。



投稿者: Siesta    日時: 2002年03月09日 03:26 | 固定ページリンク




steward | Half Human


「獣人雪男」は以前大井武蔵野館で一度観ただけですので、観にいきたいと
思います。根岸明美がよかったです。なんでヴィデオソフトが未だに出ない
のでしょうか。



投稿者: steward    日時: 2002年03月09日 03:28 | 固定ページリンク




一考 | 北帰行

 松友さんへ
 確かに、東京から数百キロ程西での閉店前の1箇月はいそがしかったですね。日を追って客が押し掛け、最後の一週間は客を追い返す有様でした。でも千秋楽で私が怒っていたのもご存じでしょう。理由は言うまでもないと思います。あの日はお客を限定し、無料で朝まで飲み明かすつもりにしていました。その旨を明記もしていました。而るに・・・・・悲しい思いをさせられました。まあ、過ぎ去ったことはどうでもよろしい。
 秘めた事情が御座いまして、赤坂の店は何千万円維持費が掛かっても、そう簡単に閉鎖するわけには行かないのです。でも「北への旅立ち」を始めてしまったのも事実です。何年後になるかは分かりませんが、ライダー・ハウスは出版同様、撤回出来ない私の意志なのです。私にとって一番大事なのは勃起行ならぬ北帰行ですからね。梅子さんは反対していますので、その時が来れば彼女はきっと屋久島へ旅立つでしょう。
 先だっての書き込みでバイクを売ろうかと書きましたが、けしからん話ですね。東京へ来てから四輪などという下らない乗り物に深入りしたようです。自転車であれ、単車であれ、二輪車に惹かれて北海道詣でを繰り返す、根っからのライダーだった筈なのですが。
 いつぞや、西明石で走り屋仲間に頼まれて正月に店を開けました。私がバイクなら、お客も皆バイク。ハーレーにBMW、ドカにW1&W2がずらりと並びましたっけ。貴方のKAZE号もね。例のハーレーのレーサー・レプリカはなんて言いましたっけ。CXLRでしたっけ、迫力有りましたねえ。ハーレーのウイリーなんぞ初めて目にしました。当時はへべれけでバイクを転がしていました。兼武と暴走族を蹴散らしたこともありました。兼武さんもうさぎさんも、近頃は空手の県大会に出場していません。仕事に追われているんですかねえ。
 暫し他のことにかまけておりましたが、今年からはケンタウロスに復帰の予定、近く走り出しますぞ。奥多摩を爆走するBMWをご覧あれ。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月10日 13:50 | 固定ページリンク




松友 | 暖房術

一考様
力強い御言葉、と申し上げて宜しいでしょうか、ありがたく拝聴いたしました。
北のライダーハウスは梅子様はお見えにならないのですか~?とても悲しぅございます(;_;)/~~~ 寒い環境は御麗人方には厳しいですものね。いや、爆音は嫌いっっ、の意ならば、モー省。しませんと。屋久島は鹿児島県は種子島の西隣、暖かそうです。土地の焼酎「太古屋久の島」もあるのですね。

ここ数日暖かい日が続きますが、今年は暖冬傾向なのでしょうか。数年来、冬は空調は使わず、よって暖房器具は持っておりません。お湯を飲んで寒さを凌いでいますが、ある程度の寒さですと緊張のせいか眠りが浅くなります。このあたりを耐えしのぐ術など、お伺いした折に御教授戴ければ幸いです。では。



投稿者: 松友    日時: 2002年03月13日 07:10 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 今度のラピュタ阿佐ヶ谷の円谷英二特集について

かつて「大井武蔵野館評論家」と異名を取った御邪魔ビンラディンの主観に基づいて、今度のラピュタ阿佐ヶ谷の円谷英二特集について、簡単なコメントを加えましょう。これは、わざわざつまらない作品を見るために阿佐ヶ谷くんだりまで出かけて、帰りはヤケ酒を飲んで「アサガヤリ」なんてならないようにという御節介から来るものであります。
まず、15日からの「電送人間」「獣人雪男」「透明人間」は、それぞれに見ごたえがありますが、作品自体の面白さでは「獣人雪男」がやや劣っている模様です。「獣人雪男」や石井輝男の「恐怖奇形人間」がヴィデオ化されないのは、おそらく(売行見込<トラブル処理経費見込)という不等式によるものですが、それならなぜ、曲谷守平の究極のゲテモノ映画「九十九本目の生娘」(新東宝1959)がヴィデオ化できたのだろうか、と不思議に思わない人は少なくないでしょう。(いまは廃盤)……と、25作品全部に対してこんな具合にやっていると、こっちはともかく、読む方が疲れてしまうから、お勧め作とそうでないものとを挙げるにとどめましょう。
まず、特撮を期待して行くと損するのは、意外や稲垣浩監督の三本。「ゲンと不動明王」は、今の目で見ると、三船敏郎が不動明王の格好をしてラスト近くで踊るのだけが見ものというトンデモ映画ですし、「日本誕生」も「大坂城物語」も、ウェルメイドな「娯楽大作」ながら、いまひとつの面白みに欠けている。戦前の巨匠稲垣浩がこの程度であるからして、当時の黒澤明が、同時代的に見ていかに抜きん出た監督だったかというのが、逆説的に納得できますね。
今回の特集の作品としてのベスト5は「ゴジラ」、「空の大怪獣ラドン」、「地球防衛軍」、「モスラ」、「海底軍艦」。それにキングコングもの2作とフランケンシュタインもの2作がつづくといったところでしょうか。
意外な隠し玉が佐伯幸三監督の「極楽島物語」で、川島雄三の「グラマ島の誘惑」と似た雰囲気だなと思ったら、撮影が岡崎宏三で、脚本が長瀬喜伴ではないか! プリントの状態がよければ、最後の噴火シーンだけでも、もう一度見てみたい。
それはそれとして、ラピュタ阿佐ヶ谷の今回の特集チラシで困るのは、「孫悟空」が戦前のエノケン版か、戦後に同じ山本嘉次郎がリメイクしたのり平版かがまったく分からないことです。製作年が「1959(S15)」とあって、キャスト、スタッフ等が全部リメイク版の陣容なのですね。こいつは、「あーのネ、オッサン、わしゃかなわんヨー」だ。
昨年、「小林信彦が選ぶ100本の日本映画」というのをここで特集したときの中川信夫監督「エノケンの頑張り戦術」のプリントは、はたして「防弾チョッキの人体実験」のギャグが入った完全版だったのかどうか(昔見た完全版を再見しようと思って、ニュープリントと称するやつを見に行って、まったく別の映画館でこのギャグのカットされた短縮版を2回見た!)、どうも細かいところばかりが気になる御邪魔ビンラディンなので、あった。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年03月13日 08:58 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | あえて「みすず書房の弁護」を試みる

先日の高遠弘美先生の書き込みで、みすず書房の新刊、サイードの「戦争とプロパガンダ」の数字表記の不統一と訳文を批判された文章に、一応は賛成の意を表しましたが、ようやく該当の本を入手するに及び、あれは必要以上に厳しい批判ではないかと思うに至りました。
小生の「幻想文学」誌上における書評ぶり(さいきん、原書との照合をしている間にいつのまにか締め切りを過ぎてしまうというのが何度か続いて、ちょっとサボりがちですが)を御存知の方からは、あるいは意外の感をもたれるかもしれませんが、省みて他を言うの批判は甘んじて受けることとして、ここにその理由を述べてみようと思います。
まずは、数字の表記。たしかに、あれは読みにくい。しかし、あの読みにくい表記の中にも、一応の統一性は存在しています。日本エディタースクールの『校正読本』の中に、数字表記にいくつかの方法が存在することが示されていて、その中のひとつに当てはまるようになっているので、困ったちゃんなのです。「数字は原則としてそのまま漢数字に置き換えるが、月日や概数を示す場合には例外を認める」といったやつですね。「わざわざ読みにくく書くな、バカヤロウ!」と常識と文章上の美意識をもって批判することは可能ですが、「統一性がない」という批判は、的が外れているように思います。
次に訳文に対する「推敲不足」という批判は、原文を見ずしても、まさしくそのとおりだと言えます。この点については、異論の余地はありません。(なお、このサイードの「原本」は、まだ海外では上梓されていません。向こうの雑誌に発表された文章を集めて翻訳・編集したもので、かつてのカミュ=サルトル論争を佐藤朔さんが編集・翻訳した『革命と反抗』のような構成だと考えていただければよろしい。)達意の翻訳のために心血を注ぐ高遠先生のような方から見ると、たしかにアラが目立つのは仕方がない。しかし、法政大学出版局から出る翻訳の大部分に比べると、これでも何割方かは分かりやすいのではないですか。また、先日御指摘のあった部分なども、前後関係からの類推を行えば、ピンぼけながらも、ある程度の意味(らしきもの)を察することは可能です。しかも、日本の社会科学書や人文科学書の翻訳の過半は、この訳文と同程度のレヴェルにすら達していないといういまひとつの事実が見落とされてはいないでしょうか。 あるデータや考え方をいちはやく日本の読者に示すジャーナリスティックな性質を求められる本の翻訳と、文芸書のように味読すべき日本語による訳文が要求されるものの翻訳に、同じ仕上がりの質が求められるべきであるかというと、わたしはいささか懐疑的です。 それから、インタヴューの一人称代名詞が「ぼく」だというのも、小林信彦さんや故植草甚一さんなどの「語り」を連想すれば、さほど不自然ではないでしょう。
高遠先生のような優れた翻訳の実践者が、これが自分のレヴェルにはるかに及ばない翻訳であると指摘することによって、いままさに読まれるべき、鬼畜米英(同時多発テロへの報復戦争で、何倍もの犠牲者を出すことを正当化した時点から、わたしは古式ゆかしい「鬼畜米英」なる言葉を愛用することにしています)とシオニストの悪辣非道ぶりを世に示す好著が読者を失うことの方をわたしは危惧します。 
あえて「みすず書房の弁護」を試みるゆえんです。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年03月13日 19:18 | 固定ページリンク




如月 | エコール・ド・シモン人形展

本日(14日)~19日(火)まで、新宿・紀伊国屋書店4階の紀伊国屋画廊 (TEL=03-3354-7401)で、「第21回エコール・ド・シモン人 形展」開催です。 エコール・ド・シモンで四谷シモンに学ぶ人たちの作品が中心の展覧会ですが、 四谷シモンの新作「PORTRAIT DE PETITE FILLE 2002」も展示されておりま すので、新宿にお出かけのさいは、ぜひお立ち寄りください。 夕方は、四谷シモン本人や私も会場に詰めていると思います。 (開場10:00~18:30。ただし最終日は18:00まで) ちなみに、「PORTRAIT DE PETITE FILLE 2002」は、案内状の写真より別嬪 に仕上がっていると思います♪



投稿者: 如月    日時: 2002年03月14日 15:28 | 固定ページリンク




一考 | 駆逐エディタースクール

 御邪魔ビンラディン伊藤さんへ
 伊藤さんへの反論として、高遠さんが公明新聞に著された「誤った言語表現」は有効ではないかと思います。スイスの仏語紙「ル・タン」社で、記者の誤字脱字や文章のミスなどに罰金を科すことになったとの紹介からはじまり、読者や視聴者の言語生活に大きな影響を与えるであろうテレビや新聞の公器としての自覚のなさを指摘、ら抜き表現や「全力を投球」と言った、いわゆる「日本語の乱れ」に警鐘を鳴らす。次いで、「言語は変化する」「民衆が言語を決める」式の訳知り顔を糾弾し、哲学も歴史も政治も教育もすべては言葉が基本であると結論付けています。
 伊藤さん御指摘の日本エディタースクールの「校正読本」の規則に叶っているからと言って、それが「統一性」と取られては困ります。私自身、同スクール出身の編集者とはトラブル続きです。漢字におけるヒラクとトジルの不統一、送り仮名の不統一、不変化語尾の不統一、さらに差別用語等々、私に言わせれば「勝手にしやがれ」で御座います。二言目には統一、統一と宣い、文章上の美意識等どこ吹く風、「なら、てめえが書けよ」と開き直りたくなります。女人からのお咎めとしての「小さな親切大きなお世話」ならよろしいのですが、相手が編集者では興醒めです。岩波の外校の資格ならいざ知らず、そもそも編集者になるに際しエディタースクールへ通うという余人の無自覚さと無責任さが苛立たしく思われます。「鬼畜米英」と共に「駆逐エディタースクール」もわが標語の一なのです。
 「日本の社会科学書や人文科学書の翻訳の過半は、この訳文と同程度のレヴェルにすら達していないといういまひとつの事実が見落とされてはいないでしょうか」と御座います。レヴェルに達しようが達しまいが、それが事実であろうがなかろうが、駄目なものは駄目ですよ。かかる論法を用いれば、アメリカよりはイスラエル、イスラエルよりはイギリス、イギリスよりは日本の方がまだましだから許そうかと言うことになりかねません。
 「ジャーナリスティックな性質を求められる本の翻訳と、文芸書のように味読すべき日本語による訳文が要求されるものの翻訳に、同じ仕上がりの質が求められるべきであるかというと、わたしはいささか懐疑的です」結句は伊藤さんらしからぬ文言かと思います。誤った言語表現が紙面の質の低下に繋がるは必定。タレントだから、別嬪だから、学生だから、もしくはワイドショーだから、娯楽番組だから、週刊誌だから、新聞だからと言って追求の手を弛めると、勝手に「言語は変化」して行きます。活字は同時通訳とは異なるのです。高遠さんの言う「哲学も歴史も政治も教育もすべては言葉が基本」その根柢を蔑ろにして、どこに文化が、文明が存立するのでしょうか。
 文中に示唆された懐疑の向かう方向性に些かの危惧を覚えます。人の思惟すなわち懐疑の原点とも称すべき言葉の問題には優先権が与えられて然るべきかと思います。例え、それが理由で鬼畜米英とシオニストの悪辣非道ぶりを世に示す好機が喪われたとしても。
 なぜなら、確たる言語文化すなわち懐疑精神を持たないが故に、アメリカのような史上最悪のテロリズム国家を信じ、パレスチナの人々の涙に気付かないのです。なすべき啓蒙は未だ端緒にも至らず、状況は悪化の一歩です。人類の明日に期するものは何もあらず、しかし何か致さねば。 



投稿者: 一考    日時: 2002年03月14日 20:16 | 固定ページリンク




松友の闖入 | タイミングが悪かったかしらん?? モルト三昧

先回カキコ予告の通り、久方ぶりにdesperaさんにてとても美味しいお酒を頂戴しました。
一杯めは、クール・ダウンにシャンパーニュのランソン・ブラックラベル・ブリュット、ミニ・ボトル。生き返ります。暖かめのこの頃では、贅沢なリフレッシュです。そして本題。
モルト一杯め。シェリー仕上げ好きとしては外せない一本。
スプリングバンクのシグナトリー、ファット・ボトル。敢えて年数を記すのは躊躇します。かつて西の地で僅かな残りを顰蹙を買いながらもあまりの美味さに飲み尽くしてしまいました(本当)。勿論、いくら寝惚けた鼻と舌でもウエスト・ハイランドが美味しいとは存じます。ローカル・バレーも同様に。ですが、両方ともとても高価でそうそう飲めませんですよ。翻ってこちら。この香り・味にして、この価格、悦楽。たまりませんです。
モルト二杯目。お鼻と口が気分爽快のこちらはオーク樽。
スプリングバンク、シグナトリーのノン・チル・フィルタードの11年もの。若い色してます。シェリー樽と違ってやはり色の出方が薄いのでしょうか。これがまた面白い味で嬉しいです。スプリングバンクは往年の(細長首の)17年ウェッジウッド・デキャンター(黒ラベル)のように、辛くて険しい風味が楽しみとも思っていました。オークの美点でしょうか、こういった荒々しいとも取れる鋭さが残っているように感じました。いや、これもシグナトリーへの偏愛のせいかしら?
モルト三杯目。気持イイですけど、もはや電車が危ないです。
アードベック1975年、ミルロイのシェリー、25年、カスク。一考さんに秘密のボトルを教えていただいて、頂戴しました。ミルロイの記念ものとかは外れが少なく、高水準と思っておりました故、期待大です。初めて戴きましたが、今日の一番といえるモルトです。シェリー仕上げのまろやかさを保ちつつ、アードベックの遠慮会釈の無い香と味が青年の主張宜しく若々しくもたげてきます、驚きです。
今一度、是非一杯目に頂戴したいです。
あ、終電が。今宵はここまでで。では失礼します。m(_ _)m



投稿者: 松友の闖入    日時: 2002年03月15日 03:50 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 本音とタテマエ

手厳しい御指摘ありがとうございます。
じつは、昨日、精神分析学者と一緒にラカンを読む会などというのに顔を出したところ、「今日はあの書き込みの文章を話題としよう」ということになりまして、出席者一同から、「あの文章では、実は高遠弘美先生の意見がいかに正しいかを逆説的に言っているだけで、ちっとも『みすず書房の弁護』にはなっていないね。」、「結局、全体は前振りで、一番言いたいのは『鬼畜米英とシオニストの悪辣非道ぶり』という言葉なんじゃないですか。おれはビンラディンだぞと主張するために……」と、こちらの本音をすっかり見抜かれていました。
たしかに高遠弘美先生に対する実質的な異議申し立ては、「一人称代名詞は『ぼく』でもおかしくないぞ」ということと、「原書が出ていないのに最後のキメ台詞はないだろう」という2点のみに限られています。(あの書き方が高遠先生への皮肉やアテツケと取られるようであったら、小生の文章力不足ゆえの無礼というやつであります。非礼の段は御海容を乞う次第です。)
日本エディタースクールの『校正読本』の中に示されている数字表記の統一性などよりも、読者の「わざわざ読みにくく書くな、バカヤロウ!」という文章上の美意識による批判の方が正当な根拠となるのは自明の理ですが、「統一がないのが気になる」という言い方では、この自明の理が前面に出てこないではないですか!(ここでボオドレエルの「鏡」という散文詩の最後の一文を思い出してください。)
それから、あの本の訳文の「推敲不足」は、思うに商品としての価値の有無という点で、ボーダーライン上にある性質のものですが、そうなると、御邪魔ビンラディンとしては、「この種の本は、箸にも棒にもかからないほどのホンヤクでなければ、ぜひとも多くの読者に読まれるべきだ」というタテマエ論の方が前面に出てきて、点数が甘くならないわけには行きません。しかし、かかる「政治的配慮」に足をすくわれて、あたら多くの才能が失われていったことも事実で、小生がそうなりつつあるのではないかという御心配には、感謝の意を表しなければならないと考え、あえて蛇足めいた一文を投稿する次第です。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年03月15日 18:41 | 固定ページリンク




一考 | ヘレスの味わい

 松友さんへ
 一杯目ののランソンは間違いなく、同じクラスならドン・ペリより旨いシャンパンです。私はランソンがサントリーの扱いであるとの理由だけで、サントリーを高く評価しています。
 スプリングバンクのシェリー・カスクは12年と21年のみ、それ以上の熟成年数を持つバンクは原則としてアメリカン・オークです。ちなみに、シグナトリー社のファット・ボトルのアードベッグはオロロソ・カスクの30年ものですが、珈琲のような色と渋味を有しています。
 シェリー樽での長期熟成にはちょいと無理が生じるようです。従ってシェリー・カスクと言っても、タリスカーの21年ものカスク・ストレングスや貴方が飲まれたミルロイ社のアードベッグはフィノ・シェリーの樽を用いています。
 ニュー・ブルイックラディの長期熟成品はさまざまな樽で熟成されたモルトを混ぜ合わせたものですし、マッカランのオフィシャルの30年~50年ものはリフィール・シェリーをはじめ、やはり同じ蒸留所の各種モルトをヴァッティングしたものです。ボトラーのボトルと異なり、オフィシャル・ボトルはすべてがヴァッティングのため、かかる操作が可能になります。ダーク・シェリーの樽のみで30~50年と寝かせますと、上記アードベッグのような結果となってしまうのです。今回のマッカランのニュー・カスク・ストレングスにしましても、10年だから美味なのであって、あと2年寝かせれば渋味が勝って飲めなくなります。

 話序でに、オーナーが代わったブルイックラディ蒸留所について一言。
 旧オーナーのインヴァー・ゴードン社は在庫をドル・シャン・アイラの名でボトリング。2002年初頭、40度の10年ものが頒されました。香味は旧ボトルと同一です。
 新オーナーのマーレイ・マクデヴィッド社はボウモアのジム・マクイーワン氏をトレード。2001年5月21日に操業を再開した蒸留所は2002年3月に新しいオフィシャル・ボトルを頒布しました。アイラ・モルトとしては初めてアイラ島の水を仕込用水に用い、アルコール度数は46度、カラメルを一切用いないナチュラル・カラーが謳い文句です。
 ニュー・ブルイックラディの10年ものは60%がリフィール・シェリー、40%がアメリカン・オーク。15年ものは85%がアメリカン・オーク、15%がオロロソ・シェリー。20年ものは100%がアメリカン・オークです。
 ペーパー・フィルターのみでチル・フィルターを施さないことによって、油分がウィスキーに残ります。特にアメリカン・オーク由来のバニラ香とシェリー樽由来のフルーツ香とのベスト・マッチングの15年ものはジムさん(愉しいアルチュー患者)の面目躍如と言ったところ。理由があって、ですぺらには当座は置きませんので、他店でお飲み下さい。
 それ意外にも何種類かのカスク・ストレングスがボトリングされました。そちらはすべてアメリカン・オーク。フレッシュ・バーボン・カスクのボトルは気に入りましたので、ですぺらに置きます。

 西の地の時代にはシグナトリー社が素敵なボトルを陸続と売り出していました。現在ではダグラス・マクギボン社とダグラス・レイン社が華を競っています。とは言っても兄弟会社。レイン社が50度のプリファード・ストレングスを、マクギボン社が43度に加水したアイテムとカスク・ストレングスを頒しています。そこへもっか殴り込みをかけているのがイアン・マクロード社と言うことになりましょうか。いずれにせよ、オフィシャル・ボトルより安価で、より旨いモルト・ウィスキーが飲めるのですから笑いが止まりません。

 ところで、私は14日は閉店後、六本木にて編輯の仕事。貴方は終電に間に合ったのですか。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月15日 21:00 | 固定ページリンク




松友 | チーフテンズ、イアン・マクロード社

一考様
14日は駅までとんでいったことが功を奏し、幸いにも終電に間に合いました。御心配をお掛け致しました。

頂戴しましたお酒についての詳細御教授ありがとうございます。
スプリング・バンクの長期熟成は原則としてアメリカン・オークなのですか~。はたと思い、昔剥したケイデンヘッドの恐らくはオーセンティック・コレクションの1本、1965年、31年もの1996年10月瓶詰め50.5%もののラベルを確認。"Matured in an Oak Cask"と"SHERRYWOOD MATURED"の両方の表記がありました。
イアン・マクロード社、チーフテンズ・チョイスはラベルの柄が派手目ですが、お店で紹介してくださったボトルは皆美味しく頂戴しました。これからどのような樽が頒布されるのか、とても楽しみにしております。
近々、お教えいただきましたニュー・ブルイックラディのバーボン樽ものをお店に頂戴に上がります。
では。

付記:今日16日、早くも東京で桜の開花宣言、満開は約1週間後だそうです。ですが寒さがぶり返さないとイイです。(-_-;



投稿者: 松友    日時: 2002年03月16日 19:01 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一言のみ

掲示板に書くことはないと思いつつも一言だけ書きます。
インターネット上でのやりとりというのはあまり好きではありません。文章にこだわらずに書くからです。一考さんがお書きになる掲示板はよく吟味されていますが、ほかの方々がいつもそうとは限りません(わたくしが見る掲示板はですぺらのものだけです。日常インターネットのご厄介になるほどわたくしは暇ではありません)。わたくしもそう。決して「推敲」して書いているわけではありません。推敲されていない掲示板の文章について揚げ足取りのような批判は向いていないのです。わたくしがサイードの翻訳に文句を言ったのは、それがまさに「読まれるべき」本だと考えたからです。読まずに捨てておくべき本に何の贅言が必要でしょうか。数字表記の不統一、六十歳を過ぎたサイードに「ぼく」が不適当との意見を撤回するつもりは毛頭ありません。もしそういうわたくしの考えに賛成できぬならわたくしのするわずかな仕事など読まれることはない。捨てておかれよと申し上げます。伊藤さんがサイードの翻訳のひどさについて書いたわたくしの駄文に何を感じ、何を書こうとご勝手ですが、わたくしの真意を取り違えるかのごとき姿勢にはわたくしは違和感を覚えます。ただ、いまはもうあの本にまつわるすべてがいぶせきわざくれです。「ぼく」を厭うわたくしの考えはユリイカの鏡花論冒頭で書きました。賛成なされずとも結構。わたくしはわたくしの道をたどたどしくも歩むしかありません。その同道に伊藤さんやサイードのあの翻訳をよしとする方々がいなくとも構わない。喧嘩を売るわけではありませんが、あえてそう申し上げておきます。言葉はわたくしには伊藤さんがわたくしについてお考えになる以上に大切なものです。今日は妄言多謝とも申し上げますまい。さようなら。
追記。掲示板に本名を使うのがわたくしの流儀です。それもおそらくはご理解いただけないでしょうね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年03月16日 23:54 | 固定ページリンク




柊 弘夢 | ぼくみたいな子供がカキコしていいのか、わからないけど・・

(*?◎?)ノ 初めまして。 或る知り合いのHPで、掲載されていたので、興味感じて来てみました。 ぼくは、まだ16歳になったばかりの、子供だけど、コンテンツ色々覗いて、いいなあ・・って思って、んで感想?みたいなことカキコです。 色んな知識を自分に入れられることは、ぼくには最大の喜びです。 ちょこちょこ来てみたいと思います。 ごめんね、ただそれだけ。。 大人の社交場に、顔出すなんて、生意気かもしれないけど、許してくださいね。 (*~◎~)ノまたね~♪



投稿者: 柊 弘夢    日時: 2002年03月17日 08:58 | 固定ページリンク




一考 | 薬物中毒患者

 柊 弘夢さんへ
 取り敢えずいらっしゃいませ。
 十六歳のとき、私は既に仕事を持ち、結婚すなわち女性と同棲していました。また、年長者に傲慢にも文学論をぶっていたように記憶します。
 いろんな十六歳があるわけで、それはそれで結構なのですが、十六歳を子供というのはちょっと私には理解しにくいですね。
 印刷用語で文字・数字以外の各種記号活字を約物(やくもの、またはやくぶつと言う人もいます)と総称します。日本語にはもともと句読点や括弧はなかったものですから、どうも約物には抵抗があります。例えば単行本には『』、作品名には「」等々、誰が定めたのか存じ上げませんが、私が文章を著す時は「」以外は極力用いないようにしています。句読点はともかく、その他の約物には文章の流れを留めるという弊害を助長させる働きしかないからです。
 当掲示板では松友さんも屡々遣うのですが、(*?◎?)ノや (*~◎~)ノの意味が私のようなロートルにはまったくチンプンカンプンなのです。「カキコ」に代表される2ちゃんねる的語法もまた、理解できません。一種の薬物(約物)中毒患者と咀嚼すればよろしいのでしょうか。
 昔ヒロポン、今(^_^)(^_^)なんちゃって。またね~♪



投稿者: 一考    日時: 2002年03月19日 03:14 | 固定ページリンク




一考 | 薬中は私のこと

 柊 弘夢さんへ
 失礼を致しました。
 「或る知り合いのHP」ではなく、如月さんちからとでもお書き頂ければよろしかったのに。私は生来の軽薄派でして、如月さんからこっぴどく叱られました。申し訳御座いません。
 当掲示板初の論争(実はそれを待っていたのですが)の真っ只中だったものですから、本当に御免なさい。
 それにしましても、薬物と約物とを引っ掛けた上で「昔ヒロポン、今(^_^)(^_^)なんちゃって」ってかなり出来の良い駄洒落だと思ったのですがねえ。笑って頂けると思い込んでいたのですが。
 私は十代の頃、ヒロポンを止めるために、睡眠薬を大量に摂取していました。ハイミナールの致死量は確か8錠だったと記憶しますが、それを毎日2~30錠は飲んでいました。薬中だった自分の過去を揶揄する、不器用な私が生き延びるにはそんな生き方しかないのです。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月19日 16:44 | 固定ページリンク




一考 | いぶせき存在

 柊さんへの返事にて「当掲示板初の論争の真っ只中だったものですから」と書いてしまいましたが、論争などとあらぬことを口走りますと高遠さんに怒られます。あれはみすず書房に託けて著された高遠さんの言葉に対する信仰告白みたいなものでして、伊藤さんがみすず書房にこだわったところに掛け違いの端緒が生じました。
 高遠さんに限らず、物書きとお付き合いするには、全著訳書を通読し、生涯を賭して書き手が何を欲し何を訴えようとしているのかを了解致さねばなりません。謂わば空間的な場で相手の思惟するところを捉えないとならないのです。そして、書き手の好悪すなわち思想を共有できるか否かにすべてが掛かっているのです。その辺りの消息を了解しないで迂闊にものを申せば、拒否反応を喰らうだけです。
 一方、伊藤さんは手練れの書評家です。書評は難しい所作です、と言いますのは、対象たる書冊の存在をないがしろにして書評は存立しません。でも、書評の本懐は対象たる書冊の存在を突き破ったところにあります。理解して頂きたいので繰り返します。対象たる書冊の存在を通り越して読者を異なる領域へと誘うところに書評の醍醐味があるのです。
 しかるに、今回の伊藤さんの論旨は当初よりポリティカルな方向に振られていました。高遠さんのような文学馬鹿(最大の尊敬の念を込めて)にそれは通じません。ポリティカルならポリティカルで結構なのです。晩年のジャン・ジュネが仮説としての人生の設計図を拒否し、生きて行く課程で先天的な概念と後天的な概念が絡み合って新たな概念構成がなされて行くとのラジカルな弁証法をパレスチナの地で証明しようと試みたように、であれば。
 伊藤さんの踏み込みがもう少し深く、存在の悲しみに肉薄するような相貌を帯びていれば対話が成り立ったのかも知れません。書評を多く著されて来た伊藤さんであればこそ、書物の呪縛から逃れ得なかったと申せば言い過ぎになりましょうか。
 助け船を出したつもりだったのですが、返答のタイトルが「本音とタテマエ」では、火に油じゃないですか。ボオドレエルの「鏡」のことだけを書けばよろしかったのに。

 高遠さんに一言。貴方が仰るように、私もインターネット上でのやりとりはあまり好きではありません。確かに、文章にこだわらずに書かれているからです。でも、世の中には書物を繙くことすらかなわず、ネットだけが世界への唯一の窓口という方もいらっしゃいます。その理由にはたって触れません。私はそういう方のためにこそ、ネット上の南柯書局を起こしたいと願っております。
 貴方も私も本音だけで生きようと極力勉めています。立前を拒否し、本音のみを己が趣旨とするならば、著すところのものすべてが鬱悒きわざくれではありますまいか。さらに申せば、貴方や私のような存在それ自体がいぶせき存在なのではないでしょうか。
 掲示板はお薦めできません。貴方を当掲示板に引きずり込んだことが悔やまれます。相済まぬことを致しました。しかし、貴方が著される言葉への信仰告白をいまもっとも必要としているのはインターネットなのです。かつてのテレヴィジョン同様、生まれたばかりのよちよち歩きのインターネットが表現としてのメディアに脱皮できるかどうか、これから正念場が始まります。オンライン・ゲームやチャットを愉しむような下司な輩に興味はありません。しかし、「ぼく」を厭う読者は少数ですが常にいます。そういう人達はこれから表現力を持たねばならないのです。例え半歩でも、より呪われたメディアに近づけんがため、これに懲りずに一方通行での発言をお願い出来ますまいか。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月19日 18:49 | 固定ページリンク




一考 | ボルボ

 友人宅から23年前のボルボが美しい状態にて拙宅の庭に迷い込んで来ました。ツードアで、ハードトップの外部とシートは黒の革で覆われています。型式はE-26B27。全長490、全幅171、高さ138、乾燥重量1380?、総重量1655?。機械式インジェクション、2660?のV型六気筒エンジンを積載。現状では最高速度140?、燃費はリッターあたり2?、信号で止まる度にエンジンストップに見舞われます。
 六気筒のうち一気筒は動作していませんが、バルブ並びにバルブガイドには損傷なく、プラグとプラグコードを取り替えれば作動すると思われます。エンジンルームにラジエーターのクーラントが飛び散った痕跡あり、エンジンそのものの異常な音量と振動から推し量るに、ガスケットが抜けているようです。恐らく、ラジエーターの液が飛散した後、少しく距離を走行したものと思われます。
 欠損部品はホイール・カヴァーがひとつと、左側の室内灯のプラスチック・カヴァーの二点のみ。左の前照灯の下部よりエンジン上部へ走る吸気用の筒に破れがありますが、これは走行には何等支障無し。
 ガスケットの取り替えは当然として、点火系と六気筒の同調によって最高速度180?、リッターあたり5?の燃費は可能と思われます。走行距離が13万?を超えていますが、ラジエーター・ホース以外、部品交換の痕跡なく、80Aのバッテリーと履いているブリジストンのGグリッドは新品。スターターモーターの磁石の接点とオルタネーターのダイオードに支障あり、簡単な修理で生き返るように思われます。最悪のケースを想定しても以上にラジエーターそのものと燃料ポンプの交換を加えれば万全でしょう。ただし、古い車ですので吸排気は触れず、ラジエーターも入手不可能でしょう。ちょいと問題が残ります。
 贅沢ですが、サスペンションとショック・アブソーバを汎用品に取り替え、車高を3~5?ほど落としてやればスポーツカーらしくなり、路面への食い付きもよくなります。
 はてさて、急ぐ必要も理由もありません。今乗っているチェイサーの走行距離が16.2万?、あと4万?を走りきるまでに序々に修理して行けば丁度具合良いのになあと思っています。
 さて、松友さん、E-26B27についてどのような情報でも結構です。何かあれば御教示下さいな。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月19日 18:59 | 固定ページリンク




一考 | どぶ入荷

 この度、柏書房の芳賀啓さんが福島県双葉郡川内村に別宅を設けられました。草野心平村として識られた村です。その村の和尚さんの手造りになるどぶろくが当店に到着致しました。管理人さんをはじめ、御用とお急ぎでない方はぜひいらして下さい。一本限りですし、芳賀さんが既に飲み始めています。お早くどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月19日 19:20 | 固定ページリンク




Siesta | 洋書店Shelf

二階堂奥歯さんへ

先日、「Shelfが無くなって、服屋さんになってた。」と仰っていましたが、Shelfはまだ営業していましたよ。何かの勘違いではないでしょうか。ワタリウム美術館を出て左手に10mほど歩けば、''Shelf''と書かれた小さな青い看板を発見出来るはずです。二回目のバックミンスター・フラー展の後に是非足を運んでみて下さい。
奥歯さんの仰るように、あの店は尖っています。そしてなによりも私は、あの店の特価本コーナーでいつもいい買い物(散財?)をしてきたので、服屋さんなどになってしまっては困るのです。

ですぺらにお越しの皆様
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/shelf/
をご参照下さい。



投稿者: Siesta    日時: 2002年03月20日 02:00 | 固定ページリンク




如月 | 恋・順番


一考さん、柊さん、「こっぴどくしかる」だなんてとんでもない。あたしゃ、そ
んなこと誰にもしてませんよ♪(←一考流にいうと、この記号も薬物かしらん?)
さて、一考さんと、柊さん(HN=なまこちゃん)の接点というのは、考えるだ
けで不思議だけど、せっかく拙サイトのリンク集でならべて貼ってありますので
(あれは濃い順番という噂も・・・。=デリダ流には恋・順番か!?)、これを
気に友達の輪に入れてあげてくださいな。
なまこちゃんのサイト「コタツネコ」にアクセスしたことのない方は、彼の足跡
をたどって一度訪問してあげてください。
ヨロシク。



投稿者: 如月    日時: 2002年03月20日 09:03 | 固定ページリンク




一考 | 絵葉書の店

 Siestaさんへ
 Shelfというのは、ひょっとしてギャルリー・ワタリの娘さんのお店ですか。30年ほど昔の話になりますが、上京の折、ギャルリー・ワタリではよく泊めて頂いたのですよ。寺山修司の写真展が最初に催されたのが同画廊で、寺山さんと語り合ったのを思い出します。随分経ってから娘さんが絵葉書専門の店を開き、繁盛していると人づてに聞きました。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月20日 10:37 | 固定ページリンク




一考 | 緊迫感

 如月さんへ
 どうでもよいことなのですが、私は人を非難し、論難し、拒否し、否定し、忌み嫌うことはありますが、揶揄したことは一度もないつもりなのですがねえ。自らへの揶揄は生き延びるための便法として屡々用いますが。
 それにしましても、高遠さんの「一言のみ」のすぐ後によく書き込みをなさいました。驚いております。すべての物事にはそれなりの流れがあり、到底私には出来ない芸当です。当事者の伊藤さんですら、ですぺらで返答をすべきか否か思い悩んでいらしたのに。もっとも、そちらは差し控えるように具申致しましたが。
 高遠さんも伊藤さんも私にとっては文学の話が出来る数尠ない友人ですので、久しぶりに緊張しました。でも、いいですねえ。このような緊迫感が常に底流になければ、掲示板なんてなんの意味もないですから。何を「カキコ」しても総攻撃を受けるような、緊迫が緊縛になるような「板」を目指したいものです。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月20日 11:12 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | Shelf

Siestaさんへ
ああよかった。Shelfありましたか。
私は消えてしまったデルタミラージュを求めて一時間さまよい、「そうだあんなに素敵な画廊が存在していたはずがない。きっと私の妄想だったんだ」と結論したことがあります。
(それは間違いです。勿論実在していました。渋谷の美蕾樹は今もあるのは皆様ご存じの通りです)。
Shelfもあんなお店が存在し続けないということはなんら不思議ではないと思って一人で了解していました。
でも勘違いでよかった。
ところでバックミンスター・フラー展今度行ったら三回目です……。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年03月20日 12:22 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さまへ

掲示板一般が嫌ひでもこの掲示板には書き込みをしたのは、ひとへに、言葉を大事になさる一考さんゆゑのこと。仰言つてくださつたこと、有り難く拝読しました。相済まぬ、などとはむしろこちらの申すべき言葉。折に触れて駄文を連ねることを厭ふものではありませぬ。どうぞよしなに。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年03月20日 16:26 | 固定ページリンク




一考 | BMWのエンジン

 松友さんへ
 あと半年位は使えそうなバッテリーを頂戴しましたので、R100RSを始動させようとしたのですが動きません。どうやら右エンジンのプラグの不調。このバイクは最初購入したときに、大阪の内燃機関屋にてバルブガイドを打ち直しました。レギュラー・ガソリンで走らせたかったからです。国内で売られているハイオクとレギュラーの間にはさしたる差異はなく、点火のタイミングが僅かに異なるのみ。当然、オクタン価が高くなれば点火時期も早くなります。四輪の方は古い車ですのでデストロビューターがついています。従って、ハイオクとレギュラー双方のガソリンに即応できます。近頃贅沢になったのか、点火タイミングを触らずにハイオクを入れる人がいますが、あれは嗤えます。
 バルブ関係がまさか理由とも思われないのですが、Rは最初から右エンジンが不調でした。最初は左右の同調があっていないのかなと軽く考えていたのですが、どうもそうではなさそうです。メイン・ジェットの調整は0.2単位で、左右を無視して何度も行いました。燃料にフィルターを掛けてまで試したのですが、右のプラグが黒く焼け焦げます。要するに、不完全燃焼ですね。
 BMWのエンジンのマイナス面はタペットの調整が定期的に必要なことです。もっとも、電装関係はまるごと駄目ですが。貴方のセブンはキャブ仕様でバイク並みのエンジンでしたが、調子はいかがでした。わがRのエンジンは持ち主に似て、駄々っ子のようなエンジンです。今回の引っ越しに先んじて、家探しで何度も上京しました。時速150キロ位で東京、神戸間を突っ走るとプラグの先端は光ってきます。そういう車なんですかねえ。
 前の日曜日、近所のバイク屋さんでスズキのバンディットの修理に付き合いました。排気側のカムタイミングを可変させるVCシステムの車です。驚いたことにレッド・ゾーンが16000から17000回転なのです。8000回転を維持しながらブレーキで速度調整をしないと走られないのです。5000回転にまで落とすと半クラッチすら効かなくなります。ちなみに、加速は10000回転から上、これではF1のエンジンではないですか。六甲山なら間違いなく死ねますね。
 かかるバイクには縁のない年齢に達しました。貴方がデザインしたZRX1100のような軽量化されたコンパクトなバイクでフルカウルはないものかと探しています。K100RSを売却した代金で、いっそPACIFIC COASTでも買おうかなと思っています。だって、いくら体が草臥れて来たとは申せ、スクーターという小市民的にして平和な乗り物にだけは乗りたくないですから。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月21日 12:09 | 固定ページリンク




一考 | 竹箆

 高遠さんへ
 他の私の書き込みによって、二三日悶着があったようです。それこそ「余りの鬱悒さに、目をふさいでぞ落しける」の心境で御座いました。もっともその理由、私には未だ解せざること夥しく、これも老いたるが故と、自らに言い聞かせております。

 実は貴方の「一言のみ」を拝読せし折、一瞬背が凍てつきました。売るのは媚、買うのは顰蹙とはわが標語ですが、掲示板も同様に、いささか媚を売りすぎた嫌いが御座います。貴方の一言はまさに、安直な私の姿勢に対する痛烈な竹箆と相成りました。繁盛するに如くは無いのですが、なにもそれだけが掲示板の存在理由ではありますまい。さまざまな掲示板があって然るべきかと気付かされました。いかに脇道に逸れようとも常に本懐に立ち戻るべく、その振幅という名の新たな方向性を付与されしことに深甚の謝意を表したく思います。
 最後になりましたが、20日付けの書き込みと申すよりはお便りに感謝。折に触れての晤語と申しますか、出会いの絶景にわが身を浸すことかなえば、それにまさる喜びは御座いません。御自愛をお祈り申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月21日 13:24 | 固定ページリンク




松友 | 失礼致します。ボルボについてと様々。

 一考様
 お返事遅くなり大変失礼致しました。暫し長文を御容赦ください。

 先日はどぶろくありがとうございました。ふと、よしのとものにごり酒を思い出しました。あちらに比してコクが豊かで、とても美味しく頂戴いたしました。一本のみとの事、ちょっと幸運でした。

 まず、ボルボのツードア・ハードトップにつきましては、申し訳御座いませんがあまりお役に立てるか判りません。
 もしかすると262Cと呼ばれる機種でしょうか。こちらだとすればイタリアの老舗カロッツェリア、ベルトーネによる通称「ボルボ 262C ベルトーネ」、なかなか通好みの一台です。海外販社さんのホームページによれば下記の通りです。車種を取り違えていたら赤面ものですが、その切は御容赦をお願い致します。
 「ボルボ 262C」1977年のスイス・ジュネーブ・ショーで発表され、ボルボ50周年をからめ発売。1977年から1981年まで6622台製造。ボルボ264、4ドアを基とし同じ軸距(2640mm)。2ドア化に伴いガラス、屋根などが変更。スタイリングのデザイン自体はボルボで行われ、車体製造をイタリアのベルトーネが担当。エンジンはV型六気筒のOHC、2664ccか2849cc。四速マニュアルか三速オートマ。四輪共に油圧ディスク・ブレーキ。全長4900mm。なお、ベルトーネは御存知の通りイタリアのデザイン業並びに車体製造で有名です。四輪においてはやや直線的なスタイリングが持ち味でフェラーリの308GT4やフィアットのX1/9、近年のシトロエンなど多数手掛けています。
 症状に関しては白クマ様の御知り合い殿にお問い合わせいただくのも宜しいかと存じます。もしもラジエーターからでなく、エンジンのヘッドからクーラントが飛散したのであれば、これはちょっと。ですがヘッドを開けておられるようなので、嫌疑は既に解消済と存じます。点火系、吸気系の調子も気になります。前所有の御知人殿にも由来等々を今一度お伺いになるのも宜しいのではないでしょうか。また細かい話ですが、この型であれば正規輸入ではない可能性も御含み置き下さい。排ガス、法規対策による改善で重量が欧州仕様と異なる場合も多々あり、ちょっとややこしい部分ですよね。
 一考様にあられましてはチェイサーの四万はすぐに走りきってしまう距離、あまりのんびりは出来なさそうです。オールド・ボルボはアマゾンやP1800といった通好みの機種が豊富で、根強い愛好家が多くいらっしゃいます。また、所沢のボルボ専門店がホームページを持っており、こちらでは中古パーツも扱っているようです。今回直接のリンクは避け、併せて取り纏めてお店にお持ちしたく、しばしご猶予をお願い致します。
 さて、四輪、二輪共に立て続けに似たような不調が発生しているように感じ、お見舞い申し上げます。BMWは一通り再確認しないとならないようで大変そうですね。以前より機嫌が悪いのでしたらキャブか電装と思ったりしますが、最初からという所に難しさを感じます。手間が掛かりますが、念の為、バルブシート以外を元の状態に戻すというのも一案かと存じます。
 その未だ四輪なのにキャブ仕様のセブン。仰る通りのエンジンでして、しかも当時のベーシック・モデルのOHV。幸いにも当りに出逢えたのか、噂に聞くとんでもない目には会わずに済みました。ですがその日初めのエンジン始動は大切で、かぶらせずに、かつ吸わせておく按配に失敗するとダメ。高地でしかも寒冷前線など急激な天候の変化に見舞われると、調子が変わったりするのも御愛嬌。ただ、整備に関しては、幸いにも専門店が傍にあったので、半年に一度点検傍らキャブ調整をお願いしていました。このエンジン、OHVとはいえバランス取りがしてあったそうで気持ち良く回り、少しザラっとした独特の味と相俟ってタコメーターの針を上げては愉しんでいました。
 とはいえ、四輪の数値には目もくれない程よく回る近年の単車についてはご指摘の通りです。性能云々をいえば、多いとはいえない排気量で出力を稼ごうとすれば致し方ないのでしょうね。以前は乗っていましたが、回して走るのは疲れを感じるようになりました。もう、この路線のお好きな方々にお任せしております。 尚、力の出方や鼓動といった味わいに関しても、ある程度の総排気量か一気筒当りの大きさが関わるそうです。一気筒当り300~400ccは欲しい由。さて、このまま掛け算をして四気筒なら1600cc、となるとこれは重くなりそうで怖いものがあります。やはり今日主流になっている排気量は色々なバランスの上に成り立っているものと存じます。主だった四気筒車が上限1000cc前後で並んでいるのにも、その辺りの事情でしょう。
 ZRX1100も大排気量四気筒車、御記憶に留めておいて戴き誠にありがとうございます。仰せの通りカウルが小さいですから、一考様の用途には力不足ですよね。その点、単車を移動の手段として突き詰めた場合、ホンダのパシフィック・コーストは渋いです。かなり懸命な選択と存じます。スクーターを避けるのでしたら落とし処という感じがします。そういえば同じくホンダの125は元気してますでしょうか。あちらは乗りやすいのではと、勝手に想像していたのですけど。

 前回お邪魔しました折はニュー・ブルイックラディを戴くのを失念しましたので今度こそ。



投稿者: 松友    日時: 2002年03月21日 16:10 | 固定ページリンク




一考 | ボルボ其の二

 松友さんへ
 書き込みをしながら早朝からBMWと格闘、見込みどおりプラグの換装とキャブの掃除でとりあえず始動に成功。なぜか右側のキャブに水が溜まるという、摩訶不思議な現象あり。同じく右側のジェットにのみ濃厚なぬめりがこびり付いていました。ガソリンタンク内の連結部分もしくはタンクとドレンの間に異常ありと言うのが平凡な見立てですが、燃料パイプはドレンの下部で左右が連結されているにで、ぬめりの理由が分かりません。左右のエンジンに温度差があり、右側の放熱が悪いということなのでしょうかねえ。常にメイン・スタンドを用いているので、なおのこと理由がわかりません。

 ボルボの方はご指摘の通り262Cです。エンジンは260と同じ3速オートマのPRVのV6を積んだタイプです。私が記載したのはエンジンの型式です。ボルボの中でもちょっとした希車のようです。初年度登録が57年、従って登録前年の1981年、最終年の262Cになるわけですね。
 リフトアップしてみました。ローターの研磨面とブッシュの一部にヘタリがありますが、腐食と水漏れは問題なし。後は例によって、フューエル・フィルター、マフラー、ブレーキホースとドライブシャフトのオイル漏れ、ポール・ジョイント、ドライブ・ブーツ等々大きな問題はなし。以前の所有者は結構気を遣って乗っていたようです。
 チェイサーの話ですが、東京へ来てから100キロ・オーヴァーからの急制動に不安があり、ローターを研磨しました。しかるに、有効だったのは一箇月のみ。例によって、例の橋の上で120キロから急制動、車は右へ45度で停車。これでは町中でやばい運転は出来ません。NSXやGTRが前方で急制動を掛けた時のことを想像しますと怖くなります。やはりブレーキはブレンボですね。国産は話になりません。雨降りの川越街道で前方のベンツ500Cが事故で急制動、目にも止まらぬポンピングで止まったのですが、その距離僅かに10センチ、冷や汗をかきました。否、10センチに汗をかいたのではなく、後続車があれば死んでいたかも。
 話を戻します。クーラントの飛散はエンジンのヘッドからではなく、エンジンとラジエーターを結ぶパイプの損傷によるもの。電話で問い合わせたのですが、その後かなりな距離を走ったらしく、きつく叱っておきました。ガスケットは一部焼き付いています。友人には悪いのですが、素人さんがこういう車に乗るのはよくないですよ。古い車はエンジン・ルームでスチームが使えず、掃除には苦心させられそうです。
 お申し越しのごとく、正規輸入車ではありませんね。タイヤハウス等にこびり付いた泥によって車重を量るのは不可能です。機械式のインジェクションというのが食わせ物で見るのもはじめて、これは分解してみる他手立てなく、インテーク・マニフィールドに取り付けられたの三つのポッチの役割も定かではありません。
 セブン同様、マツダの最初期のロードスターも始動が大事だったと聞き及んでいます。暖機に時間がかかったそうです。それを思えば、BMWの暖機は走り出してから、それなりに利点もあるのですね。ホンダの125は梅子さんの愛車ですが、まったく乗らないので、乗る度にキャブレターのガソリンを捨てねばなりません。動かなくなるのも時間の問題かと思われます。だって、私は120キロしか出ないバイクなんぞいやですよ。
 いろいろお調べいただき有難う御座いました。ではまた、お店にてお会いしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月21日 18:50 | 固定ページリンク




Siesta | ギャルリー・ワタリの娘さんのお店

一考さんへ

現在ワタリウム美術館の一階では夥しい絵葉書と気の利いた雑貨類を販売しており、地階はOn Sundaysという洋書店になっています。
おそらく、それらの前身にあたるのが一考さんの仰るギャルリー・ワタリの娘さんの店なのだと思われます。
佐藤さんが仰っていたのですが、以前On Sundaysは少し離れたところで和多利さんの娘さんがやっておられて、それが今の場所に移ったそうです。その娘さんが、現在同美術館キュレーターを務めておられる和多利恵津子さんなのではないかと思います。ですから、Shelfはそれとはまた別の店なのではないでしょうか。
とはいえ、あれだけ近い距離にあるのですから何か関係があるのかもしれませんね。



投稿者: Siesta    日時: 2002年03月21日 22:21 | 固定ページリンク




高遠弘美 | よしなしごと

まつたくの暇人の言葉です。お急ぎの方はお捨ておきください。
けふ、つれづれに仏和辞典を開いて遊んでをりましたら、以下の記述にぶつかりました。いや、フランス語は、といふか、ほかの言葉を知らぬせゐもありますが、面白いと思ひました。列挙します。
puce 蚤、ちび、チップ(集積回路の乗つてゐる半導体片――仮名遣ひはべつとして、仏和の説明です)
puceau 童貞の
pucelage 處女(童貞)であること
pucelle 處女の/la Pucelleジャンヌ・ダルク
puceron 油虫

わたくしはふだん電子辞書を使つてをりますが、冊子体の辞書にはそれなりの愉しみがあると実感したひとときでした。
よしなしごとのみつらねました。お忘れください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年03月22日 00:49 | 固定ページリンク




りき | ムットーニ、つきました。

>金光さん、如月さん。
先日は、いろいろありがとうございました。
本日、無事にムットーニ「アニバーサリー」が、つきました。

しみじみ感動しています。(--)

いいです。



投稿者: りき    日時: 2002年03月24日 21:48 | 固定ページリンク




一考 | 女装趣味

 メールあり。某掲示板にて高遠弘美さんが女に化け、しかも米倉涼子に似た美女であるらしい。これはおもしろい。ひとつ、高遠さんに米倉論でもお書き頂きますか。題して「レスボスの苑」。
 巻頭に女装した網タイツ姿の高遠さんの写真を掲げなくては。隅っこで結構ですから、私も共演させて頂ければ嬉しいのですが。二丁目の恒例に従い、薔薇の節句には一同女装しますか。こちらはデカ腹の夢、幻の共演。さらに伊藤さんが加われば、舞台が抜けますわなあ。多くの著訳書が上梓されている硬派の仏文学者なのにねえ、読んでいないのですね。
 さるにても、いずこの掲示板なのでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月25日 13:46 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン | 男か、女か

高遠弘美先生が、新年度にはじめての教室に行くと、「なんだ、オトコか」と小声でもらす学生が、毎年、何人か出てくるというはなしを聞いたことがありますが、名前だけから男女を識別するのは本当に難しい。斉藤由貴をサイトウヨシタカと読んだり、安田成美をヤスダシゲヨシと読むツワモノも存在するし、三木のり平の本名は「田沼則子(タヌマタダシ)」、児童文学のかこさとしさんの本名は「加古里子」と書くので、たいへんややこしい。
御邪魔ビンラディンは、読みだけで言うと、シューマンの名演で知られる女流ピアニストの伊藤恵さんと同じになってしまうけれども、これは、彼女にとっては大いに迷惑でしょうな。 これが、ネット上でわたしが本名を使わない理由であります。(笑)



投稿者: 御邪魔ビンラディン    日時: 2002年03月27日 17:01 | 固定ページリンク




一考 | よみちゃん

 どこの掲示板なのか分かりました。噂に聞いてはいたのですが、覗いたのははじめて。誹謗中傷に重きを置かず、会話を愉しむという他愛もなき所で、用語法やからくりを知らない私は軽くいなされたようです。それはそれでよろしいのですが、別な意味で興味をそそられました。
 30年ほど前にかかる掲示板があり、匿名で書けるのであれば、材料はいくらでも御座いました。一昔、二昔前の文士、作家のゴシップなら粗方存じ上げているのですが、そのようなものに今様の御仁が興味を示す筈もなく、時代遅れの私は地団駄を踏むしかないのです。
 それにしましても、こしかたの人々は遊びには元手を掛けていらっしゃいました。酒でも、女でも、古物でも、なんでもよろしいのですが、半端な遊びではなかったように思います。私が親しくお付き合い頂いた上方の某作家は常時四、五人の女人を侍らせて騒いでおられました。私も御相伴に与ったことがあるのですが、「一考さん、君は二輪車で我慢してくれ」との仰せ。また、女性達を引き連れての御帰館、今なら即離婚でしょうね。
 左京区の大学の教授連で、芸者や愛人に店を持たせていたのが六名、中京区の二大学で三人ずつ。ちなみに、神戸には二人しかいませんでしたが、これが大阪になるとずーっと増えて、私が知るだけでも十四人、いやはやお盛んなことで御座いました。南や石塀小路の待ち屋や出会い茶屋を貸し切り、置屋の芸者を一人残らず呼び付けるような剛毅な方がいらっしゃいました。それが西陣の旦那衆なら分かるのですが、昨日までは赤貧洗うがごとき生活をしていた物書き風情なのですから驚きです。なにしろ、小説にせよ翻訳にせよ、一冊当たれば家が建った時代です。「一考君、去年は五百人の女と寝たよ」なんて馬鹿な輩も幾人か居ましたっけ。
 ネットの代わりにトップ屋が跳梁跋扈していました。トップ屋にネタを掴まれ、泣く泣く大枚を支払った作家も多くいました。また、その揉み消しに走り回ったことも御座います。
 今回、私を羨ませたちゃんねるの向こうを張って、物故作家専用の黄泉ちゃんねる、約めて「よみちゃん」。当然、スレッドはすべて私が立てさせて頂きます。連日、遺族から名誉毀損の告訴がなされるは必定。こんなの流行りませんかねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月27日 22:35 | 固定ページリンク




一考 | 和多利さん

 Siestaさんへ

 どうも有難う御座いました。
 私も佐藤さんからいろいろ聞き出しました。すべては私の記憶通りでした。和多利さんは遣り手で、現代美術の目利きとして非凡なものをお持ちでした。息子さんと娘さんがいらっしゃるとは聞いていましたが、お会いしたことは御座いません。
 なにしろ古い話で、掲示板では憚られるような逸話も多く聴かされました。業界では数少ない立志伝中の人。昨今の画廊の不況話と比するに、出世頭かと推察致します。かなりな御高齢と思われますが、お元気なのでしょうかね。
 おもしろそうな書店ですので、暇を見付けて出掛けてみましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月28日 00:05 | 固定ページリンク




一考 | 種村季弘さんを囲む会

 別冊幻想文学「怪人タネラムネラ」が四月一日に発売されました。題して「種村季弘の箱」。種村さんのはじめての特集号です。全六十五名のオマージュを中心に、種村さんのアルバム、単行本未収録のエッセイ、翻訳、インタビュー、対談、書目録などを収録、全二百五十六頁の清楚な冊子です。
 頒価は千八百円、一日以降ですぺらにも在庫していますのでよろしく。皆さんにも宣伝の方をよろしくお願い致します。

 四月十三日の土曜日、種村季弘さんを囲む会をですぺらにて催します。会費は女性三千円、男性四千円、午後六時より、例によって葡萄酒とウイスキーとジュースはたっぷり用意致します。お誘い合わせの上、ご来店頂ければ幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月01日 21:14 | 固定ページリンク




一考 | 種村季弘特集号

 「現代詩手帖」に連載された「ナンセンス詩人の肖像」や「映画芸術」に掲げられた諸エッセイを繙き、手に汗を握った六十年代後半の日々を思い出します。時はうつろい、種村季弘さんの特集号を編む羽目に陥りました。手に汗ならよろしいのですが、至らぬが故に冷や汗をかくは必定、大方の寛恕を乞う次第です。

 別冊幻想文学「種村季弘の箱」の編輯に託けて上記にはじまる駄文を連ねました。拙文をなぞりながらの捕捉を少々。
 青春の日々、種村さんと酌み交わせし数多なる美酒を宴を思い起こします、ある時は神戸で、ある時は大阪で、またある時は京都で。宴と申しましたが、過激なそして冷酷な眼差しとなりふりに私がごときは最初は懼れおののくばかりでした。ある日、ひとつの主辞に対して、賓辞を天文学的数値にまで高める、言い換えれば、雨後の筍のようにひしめきあう二項対立、ありとある弁証法が仲良くあるいは仲悪しく共存するささくれ立った球形の宇宙、ある種いびつな球体感覚のようなことを種村さんが呟きはじめました。
 「いざりにならなきゃ駄目だよ、いざりに」「未練を断ち切らなきゃ駄目だよ。そうでなきゃあ、ものは著せないよ」「書くことだけが生きることなんだよ」気付かない内に、種村さんは「情念や怨恨とのクリンチで陰々滅々とのたうち回る」俗世間からの脱出を、解放を身を挺して教えて下さっていたのです、拙い存在への憐憫を込めて。
 自らへの同情を憚り斟酌を差し控える、即ち未練未酌のなさを唯一手懸かりにする他、生き残る術のないことを繰り返し繰り返し、種村さんはお教え下さったのです。
 かの日の結論は「君、風通しだよ、風通し・・・」。それが今回の特集号のテーマとなりました。怪人タネラムネラ、百面相タネラムネラが按配よく風に乗じて舞台を擦り抜けましたかどうか。編者へのご意見、ご叱責等、お聞かせ頂ければ幸甚に存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月01日 22:23 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 誤植訂正いたします

生来の迂闊さに加へ、老来、目がよくみえず、誤植を見逃すことしばしば。
『種村季弘の箱』に寄せた駄文にも以下の誤植がありました。
お読み下さつた方がゐるとすれば、お詫び申し上げます。
211頁上段5行目DankerはDenker、
214頁上段二行目「かかるがゆえに」は「かるがゆえに」の誤植です(何だか吃音が表記に現れたやうで耻かしき限りですが)。
とりあへず、お詫びまで。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月04日 10:35 | 固定ページリンク




りき | 椿実さん逝去。

昨日深夜、金光さんと電話していて、
金光さんにうかがったのですが、
椿実さんが亡くなったらしいよと・・・・。

同姓同名の別人かなと思ったのですが、
いま、検索をかけたら、死亡記事がでてきました。

中井英夫さんとのかかわりの範囲でしか、
知りませんが・・・・。私は。

ご冥福をお祈りします。



投稿者: りき    日時: 2002年04月04日 22:11 | 固定ページリンク




ちこ☆ | 美容整形のサイトをやっています

はじめまして。美容整形PLACEBOのさいとを経営しています。整形に興味のあるひとや芸能人の整形に興味のあるひとはぜひきてください。カキコしてってね~♪



投稿者: ちこ☆    日時: 2002年04月05日 11:11 | 固定ページリンク




一考 | 恐縮

 高遠さんへ
 斯あるが故に校正は嫌なのです。笊校正の第一人者として申し訳なく思います。孔があれば入りたいアナーキストより。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月06日 18:12 | 固定ページリンク




一考 | 連休

 moonさんへ
 5月の連休の後半、3日から6日にかけてですが、バイクで西日本を爆走致します。静岡、福井、京都に野暮用あり。従って、神戸着の日付は未定ですが、西明石の「来住」へは必ず一宵参上仕ります。明石の連中への連絡は来住、太田、山内、高野各氏にお願い致しました。
 その前後と言うよりは当日、貴宅にて一泊させて頂けないでしょうか。バイクの置き場所もご一考頂きたく、駄目な場合は明石の酒屋の軒下を借りるつもりにしています。前述の野暮用の方の日程はすべて貴方の都合に合わせます。御都合よろしい日を御連絡下されば幸甚です。

 白衣のくまさんへ
 この掲示板をお読みでしたら田村さんにもよろしくお伝え下さい。日付は追って当掲示板に掲げます。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月06日 18:14 | 固定ページリンク




高遠弘美 | わたくしこそ

一考さま

わたくしこそ、みづからの迂闊さにひたすら耻ぢてをります。
もうひとつ、207頁上段4行目「いずれも」はもちろん「いづれも」です。
ほんたうに厭になります。折角書かせて頂いたのに、このていたらく。お詫び申し上げるのはただただわたくしのはうです。お許しください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月06日 22:19 | 固定ページリンク




無学者 | 囲む会についての2、3の質問

 小生、種村氏の著書は1冊しか(汗)持っていない微温的なファンです。しかし、ですぺら見学も兼ね、囲む会に参加したいと思っています。
 ご本人への質問などは識不足によりできないわけですが、ただ他の皆さんの会話を聞いているのみでも、気詰まりなことはありませんでしょうか。忌憚のないところをお教え下さい。
 出来れば最近の青土社の対談集3冊、幻想文学別冊とにサインをいただければ、と思いますが、これは厚かましいお願いでしょうか。また、許される場合、対談集は用意して行ったほうがいいのでしょうか(幻想文学別冊は貴店で購います)。
 以上御一考披下御願申上候。



投稿者: 無学者    日時: 2002年04月07日 01:34 | 固定ページリンク




moondial | (無題)


一考さんへ

いつでも貴兄の都合の良いときに遠慮なく泊まってください。
来られる直前にでも電話くだされば結構です。
梅子さんか、或いは若い彼女ご同伴なのでしょうか?



投稿者: moondial    日時: 2002年04月07日 14:38 | 固定ページリンク




一考 | バイクと道行

 moondialさんへ
 貴方らしくもない、道中「野暮用あり」と書いたではありませんか。そちらへ行くのは一人に決まっています。
 梅子さんは全くの別行動にて大阪へのいい日旅立ちとやら。なんと往復飛行機なのだそうです。
 私は久しぶりに一号線を南下の予定。12~3年前は一号線の穴ぼこの位置まで記憶していたのですが、その後静岡県内のバイパスも完成し、おそらく様変わりだと思われます。高速道路には風景がなく、かっ飛ばす以外に面白みが何もありません。勝手気ままなツーリングと野暮用を楽しもうと思っております。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月08日 00:21 | 固定ページリンク




一考 | 大歓迎

 無学者さんヘ
 いかなる御仁であれ、最初は皆初対面です。出会った人が友になるか連れ添いになるか敵になるかは本人の心懸けひとつかと推察致します。また、気詰まりかどうかは各人の御判断であって、私ごときが判断すべきことではないと思われます。ただし、私は大歓迎です。新たな出会いを求めての「ですぺら」開肆で御座います。多くの方、さまざまな方のお越しを常日頃より希求致しております。
 署名にかんしまして一言。種村さんは右手がやや不自由で、しかも痛みを伴っていらっしゃいます。この前倒れられてから筆を長時間握ることかなわず、原稿もすべてワープロ打ちです。従って、種村さんの体調次第と言うことになります。せめて対談集の首巻一冊ならお願い出来そうにも思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月08日 00:23 | 固定ページリンク




無学者 | ほっとしました

 一考様
 参加、ご快諾いただきありがとうございます。
 サインの件、アドバイスに従い、粗相のないように致します。最初の書き込みは、なんだか厚顔ですが、まあ、サインをじゃんじゃか書く方である場合もある(そういう人、あまりいないか)と思い、お伺いしてみました。もとより無理押しするつもりはありません。
 これをきっかけとして、自分の今後の人生で、書物の世界も予想外に展開するやもしれません。楽しみにしております。



投稿者: 無学者    日時: 2002年04月09日 00:56 | 固定ページリンク




一考 | ハンドル名

 無学者さんへ
 御理解を賜りありがとう御座います。13日にお会い出来ますのを楽しみに致しております。多くの私の友も参加致しますので御紹介させて頂きます。楽しい一宵でありますように。
 序でに、当掲示板への今後の御参加を願いますが、ハンドル名を変えられんことを。貴方に他意がないのは分かりますが、「無学者」では開き直りもしくは慇懃無礼な印象を人に与えますよ。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月09日 16:26 | 固定ページリンク




一考 | バックファイヤー

 松友さんヘ
 ゴールデンウィークの遠出のための馴らしとモルト・ウィスキーの仕入れを兼ねて、R100RSにて日曜日に120キロほど走行致しました。戸田から三鷹、吉祥寺、目白、東京駅を経て葛西を往復するコースでした。
 加速はよろしく、走行はおおむね良好だったのですが、2~30分に一回位、右エンジンがズドンと大きな音を立てます。バックファイヤーのような音と解釈して頂ければ結構です。ただし、これは音だけで、バイクそのものには些かの振れも揺れも感じられません。まるでバイクが拗ねてちゃぶ台をひっくり返しているような心持ちです。
 首都高速には入っていないので、一瞬100~120キロ位のスピードしか出していません。この次の日曜日にでも高速でせめて200キロ位は出してみようと思っています。ちなみにガスはハイオクにてプラグの状態は良好、つじつまの合わない爆発音も飼い主に似たのですかねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月09日 16:28 | 固定ページリンク




松友 | 難しいです

一考様
 お疲れ様です。R100RSはなかなかすっきりしないようで残念です。
 バックファイヤーですか。既に各方面でお調べになっていらっしゃると存じますので、繰言やら怪しくおぼろげな内容になりますが御容赦下さい。
 バックファイヤーに似た音で、車体に振動は無しとの仰せですので、そのものと存じます。スロットル・オフ時に頻発するのであれば、基本に還って今一度左右の同調という可能性はどうでしょう。アイドリングは安定しているとして、時速何キロ位でとか、特定回転域で発生とかございますでしょうか?ふと、スロットルまたはチョーク・ケーブルの戻りなども怪しい?ただ、左右の比較の元となる状態になっていないと如何ともしがたいのでジェットを指定水準として、タンクからキャブへの経路でチューブの歪み有無、エアクリーナーからキャブへの間で吸っていなかどうか、プラグコードは硬くなく錆びていずと。あるいは新車時から点火系電装が一切交換されていないのでしたら、劣化もありでしょうか。
 左右の温度差は例えばエキパイの焼け色ではどうでしょう。高速走行が多いと綺麗に焼け易い筈ですが、市街地が長いのならば傾向が出ているかも知れません。あるいは入手当時は如何でしたでしょうか。尚、主に加速時に発生し、音色はエンジンが冷える時のキンキン、パチパチに似てはいませんですよね。もしこちらですといささか話が違うかもしれません。
 御予定は近日ですし行程は不安の無い走行をお願いしたく、北海道といった広い場所での対応など御考えもあると存じますが、専門店さんなりの診断を受ける事をお勧め致します。別行動といっても、梅子様の愛車で走る距離とは思いませんです。

 おまけ:以前お話があった”ツチノコ・フィギュア”。チョコエッグではレア物だった”ツチノコ”が、おまけ付御菓子・食玩「ムー 未確認動物1 ~UMAの謎~」に含まれています。しかも”ネッシー”もあります。学研・ムー編集部による解説カード付というのも泣かせます。傍のコンビニで見つけられないのが残念です。
 今度お邪魔した折、箸置きがツチノコ・フィギュアだったら、うーん。



投稿者: 松友    日時: 2002年04月10日 02:11 | 固定ページリンク




一考 | メーゾン・ベルビウ

 りきさんへ
 椿実の名は上林澄雄の「悪魔とピアノを連弾した大学生」と共に北鎌倉の澁澤邸でなんどか聞かされました。三十年ほど昔の話です。
 当時、購入した「第十四次新思潮」を私は今でも所持していますが、第二号に掲げられた「メーゾン・ベルビウ地帯」には驚嘆させられました。雑誌については幻想文学で書きましたので繰り返しませんが、「桜の木には桜の臭、椎の木には椎の匂、そして私も女も植物なのであった」との書き出しに激しく魅了されたのを思い出します。
 メーゾン・ベルビウは上野池之端七軒町の椿さんの実家に近く、実際に存在したアパートの名であると、これは中井英夫さんから教わりました。中井さんに「ある苦さについて」と題するエッセイがあり、「それはいちめんの夕映えを映して流れる川のように、金も紅もオリーブも紫もいっしょくたに輝く不思議な小説だった」とのくだりがあります。その「いっしょくた」との部分に揺さぶられたのです。楚々とした衒学趣味とロマンティシズムの交錯する椿さんの小説は、弁証法というよりはある種、思考の酩酊のようなものをもたらすのが常でした。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月10日 13:04 | 固定ページリンク




動坂亭 | Re:ハンドル名

 無学者改め動坂亭です。幻想掲示板のほうでは、2、3度書き込みをさせていただいています。
 ほんの間に合わせのつもりで使った仮の名が、二度使うと、これがアイデンティティを持ち始めるから、言葉とは怖いものですね。感心してる場合じゃないかもしれませんが、言わずもがな、やはり言葉に対して鋭い感覚をお持ちなんだな、と思いました。へりくだりや、おもねりでなく。
 すぐ前の「メーゾン・ベルビウ」にしても、さらっと書いているその内容は、実に驚嘆すべきものです。小生、澁澤龍彦氏のファンでもありますので。



投稿者: 動坂亭    日時: 2002年04月12日 01:02 | 固定ページリンク




一考 | 糊と鋏

 動坂亭さんへ
 お褒めに預かり恐縮致しております。糊と鋏の使い方が少々器用なだけで、私には一切のオリジンは御座いません。
 貴方が引っ越されたのが2001年2月、私が明石から引っ越したのは1999年9月です。それにしましても結構なところにお住まいで、いささか羨んでおります。
 私の引っ越し先は埼玉県戸田。貴方が日記でお書きになっている情緒纏綿にはほど遠く、まさに「病い田」と呼ばれる劣性な忌地です。散策の途は荒川の土手しかなく、対岸に尻を向けてのふて寝が屡々で御座います。
 毛沢東に倣い「種村季弘の箱」の私なりの綜括を著しました。東さんの斡旋によってbk1に掲載されるらしいのですが詳細は不明。いずれにせよ、手を入れた稿を当掲示板にも載せる予定です。ご笑覧頂ければ忝なく存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月12日 13:59 | 固定ページリンク




東 雅夫 | bk1タネムラ棚


 bk1のホラーサイトに『種村季弘の箱』の「責任編集者のことば」が
アップされましたのでお知らせしまーす。
 まだ一冊も売れていないようなので(泣)、皆さま、よろしく!
 併せて、最近のタネムラ本も陳列しておりますので、そちらも是非に。



投稿者: 東 雅夫    日時: 2002年04月13日 16:13 | 固定ページリンク




如月 | どうぞよろしく♪

動坂亭さん、こちらではじめまして。 実はこの数日、despera掲示板にアクセスしていなかったものですから、動坂亭 さんの書きこみ、はじめて拝読致しました。 なにはともあれ、無学者から動坂亭へのHN変更は賢明かと拝察申し上げます。 仏教では、これ以上なにも<学ぶ>ものが<無い>最高の境地=さとりを別称し て「無学」というそうですから、無学の人とお話するというのは「有学」の身と してはあまりにも畏れ多くて・・・。 これからも、いろいろなことお教えいただきたく存じますので、どうぞよろしく お願い致します。



投稿者: 如月    日時: 2002年04月13日 23:44 | 固定ページリンク




動坂亭 | 種村季弘さんを囲む会

 >如月さま
 メッセージに破顔一笑いたしました。HPのプロフィールも楽し。
 帰り道に、妻が、如月さんについて「とっても頭のいい人」と(甚だ僭越ですが)感想を述べておりました。

 素人の僕にも楽しい宴でした。一考さん、東さんはじめ、皆様に感謝しきりです(もう少し書きたいところですが、オフレコばかりで書けません)。 



投稿者: 動坂亭    日時: 2002年04月14日 11:21 | 固定ページリンク




りき | (無題)

昨晩は、本当に楽しかったです。 掲示板で、お名前だけわかっていた人ともお会いできましたし。 本当にいろいろ皆さん、ありがとうございました。



投稿者: りき    日時: 2002年04月14日 21:16 | 固定ページリンク




内山勝司 | 再開に感謝

渡辺一考さんへ
ひょんなことから、再開できて光栄です。約12年ぶりになりますか? 店のシングルモルトの品揃えにびっくりしました。さすがに筋金入りののんべいは違う。店の方にはまた遊びに行きます。
閑話休題。房総の海水浴の際に飲んだ、サッポロビールの『エーデルピルス』という缶ビールを覚えていますか? 通常のビールよりホップを3倍使った美味いビールでした。



投稿者: 内山勝司    日時: 2002年04月15日 10:28 | 固定ページリンク




一考 | 爽やかな思い出

 内山さんへ

 永田耕衣さんの俳句をもじって「語釈手込めの梨花一枝」があの頃の生活でしたね。懐かしく思い出されます。貴方も水野さんも12年と仰いますが、私の運転免許取得が平成元年の梅雨時ですから、少なくとも14年を越えました。
 幼少期より私は常に通行人でした。一度も当事者足り得なかったのは不徳の致すところです。でも、中井社長はその通行人の自由さに憧れたのです。ただ、それだけのこと。だからこそ、中井さんが今でも好きなのです。人生にあって、責任とはどう弄くってみても金でしかないのです。そういう生き方が空しくなる時ってありませんか。とばっちりを受ける人は叶わないかもしれませんが、自らが生涯を費やして構築してきたものをすべて抛り出すには大変な意志力が必要になります。後継者を育てられなかったとの一点に中井さんの慙愧があります。私には中井さんの気持ちが痛いほど理解できます。
 ちょっとだけ生臭いと申しますか、未練がましい方がお二方ほどいらっしゃいましたが、私にとって研文社は爽やかな思い出のひとつです。貴方にはあらぬ迷惑をお掛けしたと思います、深くお詫び致します。今後、新たなお付き合いが繙ければ幸いに存じます。
 房総の海水浴はよく覚えています。貴方の車のクーラーのホースが外れて水浸しになりましたね。貴方が仰るように、確かに房総まで出掛けながら原稿用紙とにらめっこしていました。でも、あれで良かったのです。千葉の海は時間に追われていた私の切なさを悲しみを十二分に癒してくれたのです。いずれ紹介致しますが、佐藤さんからもよく叱責されました。あの頃の私は分単位で生活していました。酒を飲むのまでが、今日は15分、今日は20分といった具合でした。その佐藤さんや幻想文学の東さんが今時間に追われる量の仕事を処理しています。人の営みは繰り返されます。
 エーデルピルスもよく覚えています。昔からサッポロとサントリーは旨いビールを造るのですが、売れ行きが思わしくないとすぐ中断してしまいます。アサヒやキリンの向こうを張るのはやめて、ゲリラ戦に徹するべきではないかと、二箇月ほど前もサッポロビールについて銀座で2時間もお喋りをしたのですが。店に在庫があと30本しかないのですが、英吉利マンチェスターのバディントンはぜひお飲み頂きたいビールです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月15日 15:52 | 固定ページリンク




内山勝司 | 在庫がある内に伺います

一考さんへ

>貴方にはあらぬ迷惑をお掛けしたと思います、深くお詫び致します。
この件では(他の件でも)私は一度も一考さんからは、迷惑は受けていません。
逆に私の当時の言動の中で、一考さんがこう思われるような誤解を与える部分があったのなら、こちらの方こそお詫び致します。

>今後、新たなお付き合いが繙ければ幸いに存じます。
こちらの方こそ、よろしくお願いします。

>店に在庫があと30本しかないのですが、英吉利マンチェスターのバディントンは>ぜひお飲み頂きたいビールです。
在庫がある内に、ぜひ早めに伺います。

なお、今朝(4月15日)送りました、私のメールのタイトル及び本文の中にある「再開」は「再会」の誤りでした。失礼しました。



投稿者: 内山勝司    日時: 2002年04月15日 18:05 | 固定ページリンク




一考 | 匿名について

 東さんの尽力によってbk1のホラーサイトに『種村季弘の箱』の「責任編集者のことば」がアップされました。
 物議を醸す内容なので、敢えて署名原稿に致しました。かつて谷澤永一さんが「署名のない紙つぶて」で試みられたように、無記名もしくは匿名でものを書くのは大変です。匿名ゆえに匿名で返されるのを覚悟しなければなりません。論争を挑まれた折に相手の顔が見えないのは一種の恐怖です。相手の専門畑を知らずして、いかような反論にも即応する識見と討ち死にする覚悟が必要とされるからです。谷澤さんや肥田晧三さんのように万巻の書冊を繙かれた方ならいざしらず、私がごとき半可通が論争のやむなきに至った時には相手方を無視するか謝罪するかの二者択一しか手立てはないのです。
 繰り返しますが、無記名もしくは匿名なら無責任なことは書けません。書き手の名を明記することによってのみ、駄法螺を吹き有らぬ事を書き散らかすのが可能になるのです。
 ちなみに、拙文は二頁にわたっています。二頁目の頭は一行あきです。最下段のURLをクリックして下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月15日 20:26 | 固定ページリンク




一考 | 房総の海

 内山さんへ
 辞書の仕事をなさっていた人は誤植が気になるんですね。掲示板ですから良いではないですか。
 BK1の原稿でも「かるがゆえに」が「かかるがゆえに」とご丁寧に誤植されていました。「かかるがゆえに」では意味が通じなくなるのですが、近頃では腹も立たなくなりました。ネット上のことですから。
 迷惑と書きましたのは他でもない、研文社のことです。ここ二度ほど水野さんから当時のことについて発言を求められたからなのです。より積極的な解決方法もあったのですが、どう考えても古参の社員と私の存在との間には壁が御座いました。謂わば蚊帳の外だったのです。中井さんとはさまざまな解決法、それも荒療治をかなり深く話し合ってはいたのですが、あのように纏まりのない状況下では手の施しようもなかったのです。結局、もっとも消極的な方法を選びました。即ち、私が遁走するという手段です。遅れて参加した者が発言することの難しさを思い知らされたのです。私にとっては遠い過去の話ですが、社長と私との遣り取りの全貌を知っていたのは中井陽君だけだったのです。
 尽力を尽くさなかったと言う点において、私は非難の対象になります。突然の会社解散によって困惑した人、また困窮に立ち至った人もあったろうと推察されます。
 しかし、時はすべてを洗い流します。十数年後に貴方とお会いできたことを仕合わせに思います。その十余年のあいだに私はアウトドアの達人になりました。房総の海と再び巡り会いたいのです。千葉のキャンプ場を御教示頂けますまいか。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月15日 21:28 | 固定ページリンク




一考 | 本当に難しい

 松友さんへ
 スロットル・オフ時ではなく、ギヤチェンでもなく、走行中のバック・ファイヤーです。タンクからキャブへの経路は最初にチェックしました。アイドリングは安定しています。スロットルまたはチョーク・ケーブルの戻りは十全です。ジェットは左右共に現在は指定水準です。プラグコードとプラグは取り替えたばかりです。スパークは満足できる状態です。
 残るはバルブ関係しかないんですが、それにしてもねえ。
 2サイクルなら吹き飛ばすか焼けばお仕舞いなのですが、4サイクルでかつマフラーはオイルパンの下で左右繋がっています。ちなみに、左右の排気と排気音は順当、エキパイも均一に焼けているように思われます。

 日曜日は二日酔いでバイクどころではなかったのです。酒は飲むもの、女は乗せるもの、バイクは跨るもの、エンジンは回すもの。基本に忠実に、次週は限界まで回してみましょう。

 おまけのツチノコは学研・ムー編集部が関係しているとか。確か学研には友人が居たように記憶するのですが、この掲示板を見てるかな。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月15日 23:48 | 固定ページリンク




東 雅夫 | あらららら


 ホントだ、見事に誤植してますな。
 まあ、スルーパスで原稿がアップされることも多いネット上では、ちゃ
んと担当エディターが目を通しているだけ良心的ともいえるのですが、と
もかく失礼をいたしました。
 訂正しておくように連絡しときます。



投稿者: 東 雅夫    日時: 2002年04月15日 23:52 | 固定ページリンク




高遠弘美 | あれもさうかな

種村季弘特輯の拙文中「かるがゆゑに」が「かかるがゆゑに」になつてゐたのも同様ですね。他の二カ所はわたくしの見落としですが、これはねえ、ちよいと……。もしかしてわたくしが間違つてゐるかと思ひ、日本国語大辞典第二版をもひいてしまひました。誰かが勘違ひしてゐるのでは。率直な物言ひをお許し頂きたく。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月16日 00:46 | 固定ページリンク




東 雅夫 | おそらくは


 漠然と「かかる」だと信じこんでいる人が多いのでは?
 種村季弘スペシャルはどういう校正過程を経たのか、小生、委細を把握
していないので分かりませんが、bk1のほうは、同社の担当の方が単独
で作業をおこなっているので、実務面で人的重複はないのですよ。



投稿者: 東 雅夫    日時: 2002年04月16日 01:08 | 固定ページリンク




一考 | 笑い話

日本国語大辞典第二版とは大事ですね。東さんの仰る通り、幻想文学の方は私の責任にて、BK1の方は担当エディターのミスということです。当掲示板の笑い話に致しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月16日 03:39 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 承知いたしました

一考様、東様
もちろん笑ひ話にして下さつて結構です。私とてきつと何かを間違へてばかりでせうから。

ただ、それでひとつ思ひだしたのですが、しばしば「すべからく」をほとんど「すべて」の意味だと勘違ひしてゐる文筆家(小説家を含む)がゐて、苦笑することがあります。「すべくあらく」の「べし」の意識がないのでせうね、きつと。

もう一つ蛇足。
昨今の学生の日本語能力は概してきはめて低く、英語をマスターしたいなどと一方でいふのが、軽薄でいやになります。めつたに使ふことのない英語などより、日本語をきちんと教へたほうがいいのではと思ふことしきり。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月16日 10:02 | 固定ページリンク




一考 | お遊び

 高遠弘美さんへ
 かつて某誌で「立ちどまりつれ」と著したのを「連れだって立ち止まる」の意ですか「連れと立ち止まる」の意ですかと念を押され「立ちどまってのツレション」ですよと応えたことがあります。青蘿や如亭はいうに及ばず、西行や芭蕉すら読まない人が編輯や校正を生業とする御時世です。「微句抄」の他、手はありますまい。
 郁乎さんで思い出しましたが、コーベブックスで郁乎さんの丈草論を上梓しました。題して「夢一筋」。瀧口修造さんの丈草論への反歌との趣でした。売れたのは百五十部そこそこ、わが邦に於けるイジドール・デュカスの人気もいまいちで御座いました。

 もう一つ蛇足。
 芥川賞受賞作家の代表作巻頭に「一天にわかにかき晴れて」とのくだりがあります。井上ひさしさんのようなパロディ小説にあらず、嘲笑や哄笑へのいざないを売りにした(としか私には思われない)大真面目の告白体の小説でした。それと比してネットなんざあ、ガキタレの暇つぶし。きちんとした日本語などより、存在していることへの羞じらいを教へたほうがいいのではと思ふことしきり。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月16日 14:59 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 面白い

一考さま

一天にわかにかき晴れて、は面白い。いかにも不勉強で無知蒙昧な今日日の小説家らしい。笑ひました。
どんな話題にもつねに新しく、刺戟的な話題をふつてくださる一考さんに感謝するのみ。
さて、それでは雨降りさうな午後のひととき、橘南谿でも読んで口直しをしますか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月16日 15:14 | 固定ページリンク




一考 | 見本

 動坂亭さんへ
 日記でも触れられていらっしゃいますが、当掲示板にオフレコは御座いません。思ったことを書けばよろしいのですよ。◯◯◯◯は宮武外骨に任せましょう。ただし、発言に責任を取っては駄目ですよ。責任は人に押しつけて擦り抜けるのが一番。桐生悠々のミスを繰り返してはいけません。
 ある日、ムーンさんと共通の友人の悪口を肴に酒を飲んでいました。件の友が現れた途端、その雑言は私一人で述べていたらしく「一考さん、さっき彼の悪口を言ってましたよね」ですって。酒席は闘技場へと化しました。ムーンさんがいかにひどい人かが分かりました。でも、だから素敵なのですよ、いい加減でちゃらんぽらんで無責任で。これムーンさんのことであって種村さんのことではないですよ。種村さんはそれに輪をかけて悪意がありますからね。(と隣で梅子さんが申しております)



投稿者: 一考    日時: 2002年04月16日 15:46 | 固定ページリンク




一考 | クリメカ

 松友さんへ
 BMWを専門に扱うクリメカさんのホームページを見付けました。CRIMECA通信なる冊子が掲げられています。内容は驚くべきものです。
http://www5.justnet.ne.jp/~CRIMECA/index.htm



投稿者: 一考    日時: 2002年04月16日 15:59 | 固定ページリンク




内山 | 誤植とキャンプの件

一考さんへ

>辞書の仕事をなさっていた人は誤植が気になるんですね。掲示板ですから良いで>はないですか。BK1の原稿でも「かるがゆえに」が「かかるがゆえに」とご丁寧に>誤植されていました。「かかるがゆえに」では意味が通じなくなるのですが、近>頃では腹も立たなくなりました。ネット上のことですから。
掲示板で、誤植が話題になっているようなので、体験談を一つ。
14年前に、新規の漢和辞典を作っていた頃の話です。原稿校閲の際に、諸橋先生の「大漢和辞典」(大修館)を愛用していました。五、六年間、毎日見ていたせいで、誤植も数ヵ所発見しました。この「諸橋の大漢和にも誤植があるのか」とも思いました。同時に同じようなレベルの漢和辞典も参考にしていたので、分かったのですが、大漢和と同じ箇所を間違えているものありました。ちなみに同じ所を間違えていたのは角川書店の「新字源」、旺文社の「漢和辞典」、明治書院の「漢和辞典」、そして大修館の「漢和辞典」でした。(あくまで14年前のことで現在の版については不明です)ここで私は、二つの教訓を得ました。孫引きの恐ろしさ(=編集者と校正者の怠慢)と権威を疑うことです。このことは、今の仕事にも戒めとしています。
 
>尽力を尽くさなかったと言う点において、私は非難の対象になります。突然の会>社解散によって困惑した人、また困窮に立ち至った人もあったろうと推察されま>す。
私は、そうではないと思っています。(ご本人が尽力を尽くしてたというのに、失礼かもしれませんが)尽力を尽くして下さったと思っています。
なお、この件(研文社のこと)は、微妙な問題もはらみますので、今後は、この掲示板ではなく、直接お会いした時に話したいと思いますがいかがでしょうか? 

>十数年後に貴方とお会いできたことを仕合わせに思います。
このお言葉は、そっくり一考さんへお返ししたいと思います。またいろいろと教えてください。

>その十余年のあいだに私はアウトドアの達人になりました。房総の海と再び巡り>会いたいのです。千葉のキャンプ場を御教示頂けますまいか。
逆に私は、すっかりアウトドアから離れていて、今は地元の草野球チームでほぼ毎週の試合を楽しんでおります。ただ、後輩に詳しい者がいるかと思いますので、訊いてみます。少しお時間をください。なお、小学校六年生になる息子が今年の夏休みにはキャンプに行きたいといっていますので、もしスケジュール調整が可能なら
一緒に行きませんか?



投稿者: 内山    日時: 2002年04月16日 16:18 | 固定ページリンク




一考 | 辞書

 内山さんへ
 結構な体験談を有難う御座います。諸橋の「大漢和辞典」と「広辞苑」からの孫引きの恐ろしさは身にしみて理解しています。「大漢和辞典」から独立した漢和辞典といえば、富山房のものしかないのではと思っています。角川書店の「新字源」は先行する「漢和中辞典」の良さを生かしきれなかったようです。まだ仏和辞書をはじめとする語学辞書の方がオリジナリティを含んでいるようです。
 私も語釈の真似事を試みましたが、まったくの新規原稿ですと一日十項目から二十項目がやっとでした。一項目、百円や二百円では生活費の足しにもなりません。学生のアルバイトに多くを依頼するため、孫引きはやむを得なくなります。前半は広辞苑、後半は大辞林からのアッサンブラージュというのがほとんどの辞書の実体です。
 今後とも版元の姿勢に大きな変化の起きよう筈もなく、辞書の世界はお寒い限りです。
 柏書房の「宛字外来語辞典」や東京堂の「類語辞典」のような優れた辞書はすべて関係者の持ち出し、もしくは個人の犠牲によって賄われています。話序でに、この掲示板をお読みの方で上記二著をお持ちでない方は必ずや購入されんことを。後著は文章の推敲に必携ですし、前著は世界の主用都市名、地名、国名等が漢字で表記されています。私はその大半をパソコンに単語登録して日々使っています。

 千葉のキャンプ場ですが、スケジュール調整が可能ならぜひ御一緒させて下さい。息子さんが小学校六年生とやら、わが愚息もちょうどそれぐらいの歳なのですが、上京以来合って居りません。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月16日 19:53 | 固定ページリンク




内山 | 過去ログを拝見

一考さんへ

早起きしたので、過去ログを約1時間かけて斜め読みしました。役に立ったのは、金光氏の作った(書いた)お店の地図です。これは傑作ですね。
後は、気になっていた神戸大震災の時の一考さんの居場所です。今度店に行ったときに聞こうと思っていましたが……。やはり震災に遭われたんですね。大変でしたね。私も神戸に親戚(おじ・おば・いとこ)が多数いて、3月に見舞いに行き、惨状の一部を聞きました。いとこの「トランポリンの上にいるようだった」とう言葉を今でも思い出します。それにしても「一考さんの生存より、蔵書を心配して知り合いが集まる」とは、一考さんらしいエピソードですね。素敵な?知り合いをお持ちでうらやましい限りです。

また、夏のキャンプの件、こちらのほうこそよろしくお願いします。場所探しはしておきます。なお、希望する条件(海の近く、山の中など)がありましたらお教えください。



投稿者: 内山    日時: 2002年04月17日 02:52 | 固定ページリンク




松友 | (無題)

一考様
 昨晩は失礼致しました。BMW関連のお話をお持ちしようと思いましたのに、ディスクを忘れてしまいました。ご紹介したいサイトが複数あるのですが直接リンクが増えてしまいますので近々お店にお持ちしたく存じます。また、お教えいただきました「クリメカ」のサイト拝見いたしました。ありがとうございます。内容が本当に濃いお歴々です。さて、症状を伺いますに仰るようにバルブ系と、残るは点火タイミングくらいでしょうか。やはり難しいです。
 四輪に話を振れば、ドリフト・コントロールがお出来になる一考様でしたら、何と言ってもコンパクトなFRが御薦めなのですが、リア・ミッドシップも楽しいです。エンジンの振動と音を全身で感じながら走る悦楽は病み付きになります。どうしても四人乗る必要がおありでしたらそのような構成の車もございます。この場合、エンジンとの間に座席が入りますので前座席での振動は少なくなります。

付記:アウトドアの達人と思しき一考様。もしかしてコールマンのランタンでプロパン・ハイマウントとか、ビンテージのスプリット・グラスもお持ちでいらっしゃるのでしょうか。とすると、やはり凄いです。



投稿者: 松友    日時: 2002年04月17日 19:22 | 固定ページリンク




一考 | 縦書き

 櫻井さんとムーンさんへ
 Syoken 218a1.sitとSyokendai PPC v00.220d97、他にCeDar1.6とJamming 2.9.1 PPCが電子辞書を読むために用いているソフトです。
 このうち、コピー・ペーストの使い勝手とメモリーの使用量は書見台が一番です。ところがワープロ・ソフトのMacWORD3.0と相性が悪いらしく、頻繁にフリーズします。どちらを用いても結果は同じで、このところイライラさせられています。
 MacWORDはシステム7.0の時から使っているソフトで、軽いことと縦書きが出来るのが取り柄でした。ウィスキーに限らず、過去のすべての原稿はMacWORDを用いています。他に閲覧ソフトはないものでしょうか。もしくはMacWORDをテキスト・エディターに変える方がよろしいのでしょうか。その場合縦書きの可能なテキスト・エディターをご教示頂ければ有り難いのですが。手持ちのJedit4.0からYooEdit 1.71-ppcに至るまで、当方のテキスト・エディターは縦書きが不可能です。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月19日 03:22 | 固定ページリンク




一考 | ドリフト・コントロール

 松友さんへ
 BMWはバルブ系を西明石で点検するつもりです。

 262Cに740ターボを積んだ車を見付けました。美車で売価は38万円。ただし、エンジン換装ですから走行距離は不明。ボルボにはハイ・プレッシャーとロー・プレッシャーの二種があるのはご存じでしょうが、ブーストは高い方で5.5らしく、9.8まではコンピューターを触らなくても大丈夫なようです。わが庭に262Cを持ち込んだ御仁にはそちらの方がよろしいのにと思いました。機械式インジェクションにせよキャブにせよ、古い車は騙しだまし乗らないとすぐに不機嫌になります。構造に対する知識がないととんでもない事故を起こしかねません。

 それはそうとこの次の車はツー・シーターに決めました。私の肉体が立ち枯れになる前に一度は乗っておきましょう。カローラ・レビン、スプリンター・トレノ、旧スープラ、MR2、フェアレディ、シルビア、180SX、FTO等々、乗りたかった車が次々と消えて行きます。
 仰るとおり、パワー・スライドやスピン・ターンは300馬力から380馬力位にチューンしたFRの小型車で排気量は1600ccから2000ccまでが最も使い勝手がよろしいようです。車重が1.5トンを超えるとどうしてもアンダー・ステアーになり、いくら出力があっても峠では小型車に置き去りにされます。奈良や和歌山の未舗装路でレビンに一蹴されたのを思い出します。ターボが入った途端に前輪を中心に後輪がコンパスのようにぐるりと回転してしまいます。そういう危機には何度も出くわしました。アクセルとブレーキが同時に踏めるようにペダルを改造した車でないと駄目ですね。
 ペダルと言えば、トヨタとニッサンはブレーキペダルが前方に迫り出し、スバルは平面に並んでいます。その辺りもパワー・シートのように調整できると有り難いのですがねえ。ターボもシングルのどっかんパワーは勝手の悪いものです、少なくとも峠では使えません。RX7が積んでいるシーケンシャルの小口径ツイン・ターボがいかに優れたものかは北海道のバトルで了解しました。
 リア・ミッドシップではNSXとMR2以外にどんなのがありましたっけ。確かずっと以前にホンダとニッサンから出ていたように記憶するのですが。
 このところ、ネットで車探しをしています。金もないのに呑気なものです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月19日 04:33 | 固定ページリンク




一考 | 追伸

松友さんへ
(http://www.autowave.net/autowave5/plazaframe9.html)をご存じですか。マニア・こだわり派向サーチを選び、チューニングカーを指定して下さい。ちょいとした車がありますよ。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月19日 04:44 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 縦書きソフト

一考さま
私はひらがな入力、縦書きで書いてゐます。MACですが、いままではORGAIといふソフトを使つてゐました。最近、エディタソフトで優れものがでました。上級バージョンがLightWayText、無料バージョンがiTextといひます。どちらも同じ作者によるもので、さして大きな違ひはありません。縦書きはむろん、原稿用紙にしても打てます。軽くて使ひやすく、もうこれがあれば、日本語であれば他のワープロソフトは必要ありません。どちらもMACの雑誌のCD附録についてゐます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月19日 10:59 | 固定ページリンク




一考 | 事故

 今日は朝から262Cのパーツが入ったとの連絡で、終日車屋さんでボルボを整備。寝てなかったのもあったのですが、BMWにて接触事故を起こしてしまいました。信号で停車したBMWのサイドバックと後続の四輪駆動の左フェンダーとが接触、車体はずるずると左前方へ流れ、右側へ顛倒。私は跳んで逃げたのですが、右エンジンのヘッドカバーが傷付きました。
 このところ、須永さん、奥歯さんと事故が続きましたが、とうとう私もやってしまいました。BMWでは転ばない、事故らないを心掛けてきたのですが、駄目でした。いかにオカマされたとは言え、後方確認が不十分だったようです。ヒュルヒュルと妙な音が前輪のブレーキシュー、もしくはフロント回りから聞こえます。これでバイクの事故は二度目。
 お隣の掲示板への無遠慮かつ陰湿な書き込みといい、今回の事故といい、どうやら焼きが回って来たようです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月19日 23:34 | 固定ページリンク




松友 | 塩梅はいかがでしょうかしらん

一考様
 本日はお教え戴きました内容につきまして書き込みさせて戴きたく思っておりましたが、なにやら事情がおありの御様子、いずれにしても近々にお店にお伺いできると存じますので、その折にでもお願い致します。
 先ずもって、お体が御無事でしたら本当に宜しいのですが。そして梅子様は。
 ありゃ、土曜日になってしまいました。では又お店にてお願い申し上げます。本日は開店戴けるのでしょうか。ですが無理はなさらないで下さいまし。
 お伺いできたらば、あぁ、スプリングバンクとかダルウィニィーが戴きたいです、では。



投稿者: 松友    日時: 2002年04月20日 02:10 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

LightWayText 4.0.2を入手しました。高遠さん、辻さん、有難う御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月20日 08:59 | 固定ページリンク




一考 | 営業中

もちろん営業してます。西明石で腕を脱臼した時も二度指を骨折した時も休みはしなかったでしょう。私の体は少々のことではダメージは受けませんよ。遅くなりました、今から車屋さんです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月20日 09:09 | 固定ページリンク




こしぬま | 宛字外来語辞典など

一考氏推薦の宛字外来語辞典は、近所の本屋で見て、なぜか買っています。まあ、買ったままですが、使わなくては。ところで、近所のどこの本屋にも「種村季弘の箱」がないので、ネット注文しました。早いですね、もう昨日届きました。早速拝見。高遠氏の評論を拝見して、ううっ、でした。「天どん」のくだりは、私にも忘れられない可笑しさでした。それからヴォルプスヴェーデの黄昏。リッカー美術館でフォーゲラーの展覧会を見て、種村さんの本を読んだので、行きたい思いはつのりました。で、そのことを種村さんに話すと、あんまり面白くない所だよ、といった返事。それから・・・やっぱり一度は行ってみたい場所ですね。



投稿者: こしぬま    日時: 2002年04月20日 12:56 | 固定ページリンク




如月 | シモン語録


一考さん、先日はどうもありがとうございました。
また、BMWの接触事故にもかかわらず元気とのこと、なによりです。
   *    *    *
さて、拙サイトの「人形愛掲示板」http://bbs1.cgiboy.com/yotsuya_simon/
にて、「別冊文藝/特集・澁澤龍彦」(河出書房新社、5月20日発売予定)の
四谷シモン・桑原茂夫対談より、シモン語録を先行紹介しております。
ご興味のある方、のぞいてみてください。



投稿者: 如月    日時: 2002年04月21日 15:34 | 固定ページリンク




高遠弘美 | (無題)

一考さんから伺つたある掲示板を拝読しました。
なかなか面白いと思ひましたが、そこでわたくしの敬愛する東雅夫さんが、一考さんや高遠のやうに掲示板でもふだんの文体と変へずに書いてゐる者は尠いといふ意味のことを書いていらして(名前を出して頂いたのは光栄ですが)、意外な感がしました。わたくしはまだメールやインターネットにつなぐときにいちいち電話をつなぐ方式なので、電話代の節約といふこともあり、掲示板に書くのは一つだけと決めてゐます。それがこのですぺらの掲示板ですが、わたくしは駄文を連ねるときとこの掲示板に書き込みをするときとで同じ文体で書いてゐるつもりはありませんでした。もちろん、信念から申して、歴史的仮名遣ひが正しいと思つてゐるので、それを禁じられることのない掲示板ではもうそれでいかうとは考へてゐますが、ふだん絶対といつていいくらゐ使ふことのない一人称主語(わたくしの書いたわづかな駄文で一人称主語をつかつた例はごく尠いはずです)を掲示板では「わたくし」として使つてゐますし、ですます体もふつうは使ひません。それでもなほ東さんがそのやうに仰言つたといふことは、如何に変へようと思つても所詮物書きとは縁遠いただの語学教師ゆゑといふことなのかと思ひました。
追記。東さんのお仕事にはいつもほんたうに敬意を抱いてゐます。歴史的時間軸と同時代への目配りのきいた批評家といふのはいつの世にも決して多くはありません。東さんはさういふ数尠いお一人です。従つてこれは東さんへのcontestationではなく、いつまでも未熟な自分自身への嘆きぶしです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月24日 01:12 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 追補

追記。
さきほど投稿した拙文中、contestationは英語ではありません。フランス語です。英仏で少々意味合ひが違ふことにあとから気が附きました。あしからず。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月24日 01:23 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 連続で申し訳ありません

加齢のせゐでせうね、最近妙に気になります。
ただ、如何せんただの悪口ですので、さういふものがお嫌ひな方はお捨ておきください。
1、早川雅水といふ人の書いた集英社新書の「フランス生まれ」といふ本を読んでゐたら、「バプテーム」「ギャレリー・ラファイエット」「(珈琲の)エキスプレス」「ポール・ヴォキューズ」といつたカタカナが続出。言ふまでもないことですが、「バテーム」「ギャルリーかガルリ」「エクスプレス」「ボキューズ」となるところ。もしもし、集英社にはフランス語の初歩の発音の仕方が判る編集者はゐないのですか、と野次のひとつも飛ばしたくなりました
2. 今朝新聞で週刊文春の広告を見てゐたら、小泉首相が「私淑する作家に本音を語った」といふ見出しがありました。あれあれ。私淑はむろん私(ひそか)に淑(よし)とするであつて、面識があつたら使はないのに。知つてゐるときは親炙でせうに。小言幸兵衛と言はれさうですが。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年04月24日 12:27 | 固定ページリンク




金光寛峯 | ボン書店の幻

内堀弘『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(1992.9.15, 白地社) を読了。
鳥羽茂という、純粋造本に殉じて窮死の止む無きにいたった出版人の軌跡をえがく。
かくもすさまじきものか。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年04月25日 05:28 | 固定ページリンク




一考 | ベトナム料理店

 金光さんへ
 川越街道沿いに「華福」という素敵なお店を見付けました。中華と越南料理の専門店です。オープンは先月の十二日。営業時間は午前11時から午前二時半。当分、休みは無し。住所は板橋区大山西町五十四の二。七号線と池袋の中ほどにして、左右に岐れますが日大病院と都立豊島病院へ曲がる交差点の池袋寄りです。貴方の住居からですと右側です。
 ゴイクオン、バングン、水ギョーザがお薦め。揚げ物は油の温度が高過ぎていまいち。終日定食があり、五百六十円から八百円。久しぶりに旨いものを食したと梅子が申しています。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 14:13 | 固定ページリンク




一考 | ボルボの整備

 松友さんへ
 さまざまな資料と問い合わせ先を御教示下さり有難う御座いました。ボルボの内燃機関に関するマニュアルは安田保険から提供を受けました。これもネットのおかげですね。
 最後にスェーデンから到着したプラグコードを換装してエンジン始動。「インテーク・マニフィールドに取り付けられた三つのポッチ」が問題でした。奥がアイドリング、手前のふたつが左右独立したインマニの同調でした。同調を合わせること小一時間、エンジンそのものの異常な音と振動はピタリと止みました。
 「やったぜ」私にとって最もうれしい一瞬です。ディーラーが手を焼いた262Cのエンジンが見事に蘇ったのです。早速オーナーに電話を入れたところ、さすがに驚いていました。「貴方が飽きるまで自由に乗ってていいよ」そうこなくっちゃあ。1箇月半の整備はすべて終了しました。車検用の整備は簡単ですので、来週にでも車検を取って、燃費と最高速の確認をしなければなりません。

 今回の作業で、車の歴史とは内燃機関から生じる高熱との闘いの歴史ではなかったかと思いました。ラジエーターにせよオイルクーラーにせよ、まず冷却能力があって、その範疇にまでエンジンをデチューンするところから商品が開発される。例えば12000回転が可能なヤマハの1GGを6700回転に留めなければ熱対策が間に合わない。梅子さんと北海道からの帰り、新潟県下で6000から6700をキープして僅か15分でオイルの安全弁が吹き飛び、散々な目に遭いました。謂わばエンジンが文字で、熱対策が自らの能力のようなものです。もっとも、私は屡々暴走致しますが。

 今度はR100RSが発するヒュルヒュル音の出所を見つけ出さねばなりません。予定が詰まって来ましたので急がなければなりません。
 事故りはしましたが、さすがに160キロからの加速は申し分のないものでした。換装したプラグも左右均等にうまく焼けています。後は同調を含めて水平対向のエンジンの調子をシンメトリーに持っていかねばなりません。西明石までは遠いですから。
 



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 14:15 | 固定ページリンク




一考 | 

 中島さんへのご返事が遅れ、申し訳御座いません。もう少しお待ち下さい。
 野暮用で恐縮ですが、もっか車と格闘中です。大変世話になっている方の愛車ですので、手を抜くことが出来ないのです。なお、乱入を反省し、今後の小生の書き込みは当掲示板にてやらせて頂きます。
 西崎さんの思慮深い丁寧なご挨拶に痛み入ります。次回ですぺらへお越しの折は直接声をお掛け下さい。取って置きのウィスキーを馳走させて頂きます。

 「いまなぜに鏡花なのか」「いまなぜにベックフォードなのか」との時代への問い掛けを「幻想文学」は繰り返して来ました。そこに新たな価値観を歴史観を求めてのあらがいを繰り返して来たのです。あらがいの中にしか思想はありません。だからこそ、私も幻想文学のファンの一人として駄文を書かせて頂いたのです。
 荒俣氏や俵氏の登場によって、文学から聖性が喪われて久しくなります。ジャンル分けに代表されるカタログ文化の跳梁に私は警鐘を鳴らし続けます。読ませて頂いた上でしか私はものは申しません。その上で、いとすこしのアクチュアリティを現代の若者に求めるのが叶わぬ願いであれば、沈黙するしか御座いません。
 噛み合いもしない無意味な喧嘩を売ったようですね。その無意味さにこそ、恥じ入っております。
 



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 14:17 | 固定ページリンク




一考 | アルティメット

 新しいボトラーの紹介です。The Ultimateのモルト・ウィスキーについて。
 ヴァンウィー社は1921年に煙草の卸業者としてオランダのアムステルダム郊外に設立。マッカランやグレンファークラス等の蒸留所元詰めや、ゴードン&マクファイル社やケイデンヘッド社のボトラーズ・モルトをオランダで最初に輸入。1994年からアルティメットの名でコレクションを頒す。シングル・カスク、ノンチル・フィルター、ナチュラル・カラーを順守し、モルト愛好家の期待に応えている。

 スプリングバンク   オーク        1989 11年 43度
上記が先行して一月に入荷。以下はジャパン・インポートの扱いによって六月に入荷予定。
 クライヌリッシュ   ホグス        1991 9年 43度
 マッカラン      リフィール・シェリー 1990 11年 43度
 オールド・プルトニー バーボン・バレル   1990 11年 43度
 トーモア       シェリー・バット   1989 11年 43度
 ストラスアイラ    バーボン・バレル   1989 12年 43度
 ダルモア       ホグス        1986 15年 43度
 グレンリヴェット   シェリー・バット   1984 16年 43度
 ローズバンク     ホグス        1991 10年 43度
 ブラッドノック    バーボン・バレル   1991 10年 43度
 カリラ        ホグス        1994 7年 43度
 ボウモア       ホグス        1992 9年 59.0度

 同社のホームページはこの種のものとしては傑出しています。情報量の多さもさることながら、マイケル・ジャクソンに倣い、すべてのボトルに点数を設けています。蒸留所の写真も豊富に掲載されてい、モルト・ファンなら覗かずにはいられないホームページです。
 (http://www.awa.dk/whisky/windex.htm)



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 14:28 | 固定ページリンク




一考 | アデルフィ

 アデルフィー・ディスティラリー Adelphi Distillery Ltd
 アデルフィ蒸留所は1826年グラスゴーにて設立。1880年にはスコットランドで最も大きな蒸留所の一つになっていました。しかし、20世紀に入り景気が後退、生産調整のために多くの蒸留所が閉鎖されました。アデルフィ蒸留所も時局を免れること能わず、1902年に閉鎖。ボトリングラインと倉庫のみ使用されるという状態で1960年まで建物は残っていましたが、その後取り壊されました。
 蒸留所の最後のオーナーであったアーチボールド・ウォーカー氏より数えて四代目にあたるジミー・ウォーカー氏はアデルフィ蒸留所の再興を願い、1993年にエディンバラでインデペンデント・ボトラーを設立しました。
 アデルフィ社は低温濾過すなわちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門としています。無着色とはカラメルによる色づけをしないことであり、カスク・ストレングスとは水で希釈してアルコール度数を調整しない、要するに樽出しのままということです。
 ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。すべてが一樽のみのシングル・カスクのため、英吉利では主にメール・オーダーで頒されています。信頼できる瓶詰業者のひとつですが、わが邦での評価は異常なまでに高く、97年に頒された78年蒸留の19年ものアードベッグは既にプレミアが付いています。いささか気になるところです。 
 そのアデルフィ社のニュー・ボトルが入荷しました。香味を確認の上、下記の五種のみの仕入れになりました。どうかよろしくお願い致します。
 
 ダルユーイン     1980 21年 56.1度
   (ホットでビターなアフター・テイストが特徴)
 バルミニック     1990 11年 59.7度
   (ハニー香の強い甘口だが、フィニッシュはスパイシー)
 クライヌリッシュ   1989 12年 57.2度
   (リキュール系の甘さとマスタードの辛さ、バランスのよい銘酒)
 ノックドゥー     1989 12年 56.6度
   (完熟林檎と西洋梨の香り、クリーミーなラスト・ノート)
 ローズバンク     1992 9年 61.8度
   (ドライなミディアム・ボディ、初手は焼き林檎の甘い香り)

 クライヌリッシュでは88年蒸留の11年もの、84年蒸留の16年もの、72年蒸留の28年もの、74年蒸留の27年ものが頒されています。また、ローズバンクには樽の異なる61.0度のボトルもあります。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 19:56 | 固定ページリンク




一考 | ですぺら二周年

 ジョン・ミルロイの兄のウォーレス・ミルロイのコレクション「ベニーヴァー」やヴァンウィー社の「アルティメット」等、インデペンデント・ボトラーの新規参入が続きます。またポット・スティルの形をしたボトルでお馴染みのリキッド・ゴールド社がセカンド・ボトルを。ダグラス・レイン社は「オールド&レア」と題するセレクションを世界に先駆けて日本で発売しました。モルト・ウィスキーの世界は活況を呈しています。

 来る五月一日と二日の両日を当店の二周年記念日とします。連休の中日ですが、お付き合い頂ければ幸甚です。会費は三千円、午後六時より、葡萄酒とスコッチとバーボンとブランデーはたっぷりと用意致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 19:58 | 固定ページリンク




一考 | ベニーヴァー

 ユニークなボトラーの誕生です。ジョン・ミルロイの兄のウォーレス・ミルロイが新たにコレクションを頒しました、題してベニーヴァー。初回は下記の三点ですが、秋にも頒布されるそうです。
 モートラック    フレッシュ・シェリー  1974 27年 46度
 クライヌリッシュ  バーボン・ホグス    1983 18年 46度
 リンクウッド    バーボン・ホグス    1983 18年 46度
   (リンクウッドのバーボン・カスクは珍品。北ハイランド特有のピー
    トの効いたアロマが顕著です。)

 ポット・スティルの形をしたボトルでお馴染みのリキッド・ゴールド社がセカンド・ボトルを頒しました。題してスピリット・オブ・ザ・アイラ。ケルティック・ヘリテージとのサブ・タイトルが添えられています。
  Liquid Gold Enterprisesは1997年にエディンバラで創業。創立者はボウモア蒸留所に勤めていたアンドリュー・グレイ。ちなみに、同氏はブルイックラディ蒸留所の再興にも関与しています。現オーナーは元ワイン商のアンソニー・ウィルスで、アイラ島にキルコマム蒸留所を造ろうと画策中。ロンバード社とのパイプが太く、「カレドニアン・セレクション」の名でカスク・ストレングスを頒しています。カレドニアンとはスコットランドのかつての呼び名。同社のボトルは甘味が深く舌触りはよいが、ボディがいささか軟弱。それ故、ラ・リザーヴ社のコレクション同様、日本人にはすこぶる好評。
 ボウモア      1990 11年 40度
   (若草の香りとフェノールのキャラクター、柔らかいスモーキー・フ
    レーバー)
 ハイランド・パーク 1991 11年 40度
   (元詰めと比してシェリー香は控え目、クリーミーなスモーキー・フ
    レーバー)
 ブルイックラディ  1991 10年 40度
   (繊細なピート香、すべてが軽くアイラモルト固有の刺激はない)



投稿者: 一考    日時: 2002年04月25日 20:35 | 固定ページリンク




松友 | ローズバンクのカスクに期待

 一考様、取敢えずは御無事の御様子で一安心です。
四輪ではかなりの進展があったそうで宜しゅうございました。あまりお役に立てませんで失礼致しました。御教授戴きましたサイトは時間を掛けてしっかり見ようと思います。ありがとうございました。
 内燃機関は御指摘の通りで熔けても構わなければ瞬間の性能は出るようですがそれではちょっと。特異な例は単車のドラッグレースのエンジンで走行時間が余りにも短いので冷却フィンなどは削り取られている事があります。ですが一考様が爆走できる場所はサーキットよりも一月程前にお話のあった「よみちゃん」ではないのでしょうか。スレッドをお立て願えたとしても拝見することしか出来ないのが残念です。さて、この名を検索すると全く別の存在があることに気が付きました。暦を変換をする技術が先ず目に入りますが、とある漫画の登場人物の愛称もよく見ます。TVアニメにもなっていますので人気があるのでしょう。
 TVといえば25日「世界酔夢紀行」(NTV、21:54~22:00)にてグレンゴイン蒸留所が紹介されていました。建物、ポットスチル、熟成樽、小さな滝の映像。仕込みに用いるとされる水が流れ落ちる様、彼の地でウィスキーは自然に囲まれながら生まれているのだなと参考になりました。
 そのウィスキーについての多くの御紹介、勉強になります。これほどブランドが増えるとは大変なことになっている御様子。リキッド・ゴールドはファースト・ボトルのスプリングバンクが濃厚な香りがあるも親しみ易い味で好印象でしたので今回も期待大です。これで手頃な価格ならとても嬉しいのですが、やはり結構なお値段になるのでしょう。また、アデルフィのローズバンク、カスクは是非御相伴賜りたくお願い申し上げます。確か往年のブレンデッドで甘い香りと蜜のような舌触りが印象的な「ハイランドネクター」のキー・モルトでしたっけ。とても楽しみです。

付記:東京都現代美術館にて「フェラーリ&マセラティ展」が開催されるそうです。世界初出となるフェラーリの次期GT「FX」のデザイン・モックアップをはじめ、フェラーリとマセラッティ約20台。木型、図面等もあわせて展示されるそうです。
期間:4月27日~7月14日(月曜、5月7日休館)
場所:東京都現代美術館(江東区、木場公園)



投稿者: 松友    日時: 2002年04月26日 02:04 | 固定ページリンク




外山恒一 | 裁判総括

今回は、フザけないで、ちゃんとぼくの心境を書き残しておこうと思う。
 高等裁判所の判決は「控訴棄却」、判決理由は、ほとんど第一審判決のまんまコピーで、
裁判所がいかに手抜き仕事をやっているか、3審制なんてものがいかに機能していないかと
いうことだけがハッキリする代物だった。
 一応、身辺整理のための時間稼ぎをしたいので最高裁への上告手続きをおこなっていると
ころだが、上告が受理される可能性は1%もないだろう。
 欧米なら、百%、無罪判決が出ている裁判である。
 日本という国がいかに先進国でも法治国家でもないかということが、身に染みて分かった。
 ともあれこれで、ぼくの10ケ月の刑務所行きは、ほぼ確実となった。
 弁護士の話では、入獄はおそらく5月か6月だろうという。
 悪あがきしても仕方がない。個人の力ではどうにもならないことだ。
 黙って10ケ月の刑務所生活に甘んじる他ない。

 政治的な表現をあえてすれば、ぼくの問題意識は極めて明確だ。
 セクハラ問題あたりから予兆があって、近年のストーカー規制法、DV防止法など、誰も
正面切って反論できないような大義名分で、国家権力の及ぶ領域が市民社会のすみずみにまで
拡大していく状況にぼくは反対だということだ。
 しかも、国家権力の肥大化に本来なら歯止めをかけるべき左翼勢力が、むしろフェミニズムの
猛威に萎縮して、それを事実上、後押しさえしているという様は言語道断と云うべきだ。
 ぼくは、そうした極めて現代的な最先端の問題に、真正面から闘いを挑んだ。
 現実に起きたのは、単なるちょっと行き過ぎた痴話喧嘩である。
 本来なら、他人がとやかく口を出すべき性格のものではない。
 しかし、いったんそれが立件、起訴、裁判にまで発展している状況、そして当事者の一方が、
刑務所送りになるかもしれないという事態にまで公的、政治的な問題にまで進行しているという
のに、ぼくがこれまで「同志」だと固く信じていた人たちさえもが、宮沢を唯一の例外として、
直視を恐れ、沈黙を貫いた。

 「メンズリブ」の運動には、心底から幻滅した。
 こんな時にこそ、彼らは男の側に立って、ぼくの起こした事件への評価は各々の活動家によって
差異はあるにせよ、女を殴ってしまった男の追い詰められた精神状態を理解することに努め、
少なくとも裁判という公の場では、ぼくを擁護する側に回るべきではなかったのか?
 善し悪しはともかく、「メンズリブ」発祥の地、アメリカでは、反フェミニズムの、場合によって
はマッチョ主義のグループすら存在するという。
 しかし、日本の「メンズリブ」は、フェミニズムの横暴に完全に屈服した、女の奴隷共の集団ではないか。
 「男性解放」なんて口先だけの方便で、現実には、怖いフェミニスト様の茶坊主に成り下がっている
だけではないか。
 かといって「右」に転向できないぼくとしては、結局、宮沢を除いては現在、共に闘える「同志」は
存在しないんだということを思い知った。
 つまり、いわゆるこれまで式の「運動」路線では、ぼくに活路はないということだ。
 もちろんぼくは懲りることなく運動を続けるが、それははた目には「運動」の体を成さない、
異様なものとなるだろう。
 そのシナリオは、すでにぼくの頭の中にある。



投稿者: 外山恒一    日時: 2002年04月26日 16:39 | 固定ページリンク




管理人 | どなた?


↓、はてさて、どちらのひと?



投稿者: 管理人    日時: 2002年04月26日 17:06 | 固定ページリンク




動坂亭 | 種村季弘の箱

 一考様、梅子様、先日は大変お世話になりました。
 掲示板を読んで梅子様と書きましたが、先日紹介いただいた西宮ご出身の方でよろしいのですよね(違っていたら申し訳ありません)。
 事故のほう、悪くとも大怪我ではなさそうで、なによりです。
 いまは皆川博子氏の新著『冬の旅人』にのめり込んでいますが、「種村季弘」という巨大なテーマについては、これからじっくり、ロングランで楽しむつもりです。
 『徘徊老人の夏』を読んで感じたのは「文体の魅力」という当たり前すぎる一点でした。この場では阿諛追従と取られかねませんが、『箱』で唯一、文体について書かれている高遠弘美氏の論考が、やっぱり、どう見ても群を抜いているように思われます。
 たとえ面識ある場合でも、作家と向き合うのは、著書を通じてすべきで、思い出話でお茶を濁しているようなものからは、なーんにも出てこない。特にダメなのはI氏とH氏ですが、理由を書かないとりきさんに怒られそうなので(笑)、苗字のイニシャル以上は控えます(ただし池内紀は論外)。もっとも、勿論そんなものばかりではないので、読む価値のあるものは他にもかなりありそうな感じです。作った本人は満足するってことはないのかもしれませんが、日が経ってみれば、けっこう良かったと思われるかもしれません。
 ほかには、写真がどれも素晴らしいし、面白い。
 幻想的掲示板のほう、東さんの「なんだー」っていうタイトルに、思わず笑ってしまいました。



投稿者: 動坂亭    日時: 2002年04月27日 02:45 | 固定ページリンク




りき | トゥーランドット姫展

こんにちは。
りきです。

人形屋佐吉から、人形展の案内がきました。
一応、紹介してきます。

今回はビスクドール中心の展示会。
特別出品:天野可淡、恋月姫
出展人形:オリンタルブルユ、A.T、ジュモー、その他
(はっきりいってよく分かってません。僕)

時:2002年4月27日~5月20日(14:00~19:00)
場所:マリアクローチェ
   (東京都台東区元浅草1-8-11銀線ビルB1F)
   マンションの地下駐車場です。かなり分かりやすくはなっていますが。

入場料:ワンドリンク制 ¥1000
お問い合わせ:03-5828-3075

以上です。

こういうことを書くから、「人形愛好家」とかいわれるんだろうな・・・・。



投稿者: りき    日時: 2002年04月27日 11:48 | 固定ページリンク




一考 | Re.ボン書店の幻

 金光さんへ
 ボン書店に限らず、貴方の本拠地の上方にもユニークな出版社はありました。金尾文淵堂、ぐろりあ・そさえて(前記二社共に後年東京へ進出)、五典書院、和露文庫などです。そちらの消息に詳しいのはCAMPAGNOLOさんと肥田晧三さんです。CAMPAさんが上方出版人列伝を著されるのを待っているのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月27日 14:08 | 固定ページリンク




一考 | 食べ物

 こしぬまさんへ
 「種村季弘の箱」のお買い上げ有難う御座います。桑原さんによると頗る好評だとか、しかし聞くところによりますと売れ行きはいまいちとか。いずれにせよ、売れねば川島さんや東さんに合わせる顔も御座いません。書評や紹介も随分頼んだのですが、反応が鈍いようです。
 「天どん」のくだりは私も同感、と言うよりも種村さんの「食物漫遊記」を読んでこのかた、あの人と食事を共にするのが嫌になりました。だって、食べ物に対してあそこまで屈折した信条は持ち合わせていないからです。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月27日 14:10 | 固定ページリンク




一考 | 若者来訪

 松友さんへ
 四月に入ってから、若いお客さんが一気に十人ほど増えました。みなさんモルト・ウィスキーのビギナーで、アードベッグがいたくお気に召された二人連れは貴方もご存じでしょう。
 ですぺらのビルの二軒隣に住む若者はラガヴーリンとオートバイがお好きで、一昨日も遅くまでバイク談義になりました。ケンタウロスは憧れていたものの、まさかこんな近くに現役のケンタウロスがいるとは思いも掛けなかったとか。900SSの購入に付き合うのと、仲間五人とのツーリングを約束させられました。関西でジェット・コースターとの異名を獲ったおっさんは峠では常に命懸けで走っています。過去、私の前を走ったのは兼武さん一人のみ。若さにまかせて私を置き去りにするような人が出てくれば本懐なのですが。
 貴方も乗っておられたのでよく御存知でしょうが、ドゥカティはもっとも気難しいバイクです。BMW、ハーレー、モトグッチのエンジンはごまかしが効きますが、ドカだけは調子の悪いのにあたると手の施しようがないのです。慎重に選ばねばなりません。
 みなさん二十代ゆえ、パソコンには慣れっこです。情報を載っけて欲しいとのことですので、これからはモルト・ウィスキーとボトラーズの最新ニュースを定期的に掲載します。
 しかし、久しぶりに若者と時を忘れての晤語を楽しみました。やっぱりいいですねえ、遠慮がなくて言いたい放題ですもの、若さがすべてですよ。

 R100RSは貴方と私の見立ては当たっていました。前輪のブレーキが異音の原因でした。それと右エンジンのバルブの汚れが思ったより激しく、取り替えることにしました。タペットとキャブの再調整は私がしますが、バルブの交換は時間切れで拙宅では不可能、中村モータースへ持ち込みました。整備の仕上げは二日午前しめ、これで安心して神戸へ行けます。来住さんで酔い潰れてきますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月27日 14:25 | 固定ページリンク




一考 | 異議と論争

 高遠弘美さんへ
 なるほど、英語のcontestationでしたら異議との意味合いは薄くなりますね。私も掲示板ではですます体を用いています。手紙を書くのと同じ要領です。ネットもメールもすべては昔日の尺牘、尺翰の延長線上と心得ているのです。
 それにしましても、いつも耳の痛い話ばかりですね。私も久しく、墜落をげきらく、究極をくうきょくと読んでいました。げきらくは撃墜に通じ、くうきょくは空虚に通じるなどと虚勢を張っていたのです。きっと今でもとんでもない読み違えをしているのだと思います。
 お申し越しの宛字外来語辞典、昨日柏書房の芳賀さんが紀伊国屋書店の重役と来店なさったのですが、ですぺらへ来る予定ではなかったので持参かなわず、いま暫くの猶予をとのことでした。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月27日 14:34 | 固定ページリンク




松友 | 旬の蛍烏賊他

一考様
 まずもってR100RSの状況も良好になりつつあるようで、宜しゅう御座いました。久々の遠出となる御様子、気をつけて行っていらっしゃいませ。来住さんの所に行けるのは本当に羨ましい限りです。居心地良し御食事美味し御酒の揃え申し分なしでお手頃価格の「きし」、彼の地では一番好きです。今の時期ですと鰹、赤貝、蛍烏賊が旬でしょうか。蛍烏賊のお造り、沖漬けは美味で懐かし。
 先日頂戴しましたアデルフェィのローズバンク 9年 61.8%、辛かったです。しっとりとした甘い蜜のような香りが心地好くも年数と度数からか舌への刺激がありとろみのような感覚は薄く、ハイランドネクター、キングジョージ4世のキーというのは聞き間違いでしたのかしらんと、どうもあの印象から抜けきれません。拙メもモルト・ウィスキーのビギナーです。今後もウィスキーについての御教授、宜しくお願い申し上げます。
 ドゥカティは御指摘の通りでして、中古であれば峠やサーキットでの走り込みが多かったり改造してあったりで、是非、時間を掛けてお選びください。エンジンを被うフル・カウルであれば夏場の熱気の直撃は如何ともしがたく、これを厭うならハーフ・カウルの選択となりましょうか。「夏場の股火鉢」は男には辛いものがあります。先のボルボについての件で発熱量についてのご指摘がありましたが、これが正に体験できるのではないでしょうか。もっとも、オイルを大切にすればある程度の対応ができるとも聞きます。900SSは前後キャブがVバンク内に収まっているモデルをお選びと思います。同じ機種名でもカムシャフトがベベルギア駆動のモデル、もしくはMille等の外観換装型も味わい有です。こちらは今日のお若い方々であればまず苦も無く跨れますが、ある程度の体格があった方が楽しめるでしょう。
 なお、遅くなりましたが、国産リア・ミッドシップには大手メーカー製ではトヨタ・MR-S、ホンダ・BEAT(軽)、マツダ・AZ-1(軽)とOEMのスズキ・CARA(軽)が、少量生産メーカー製ではトミーカイラ・ZZ(エアコン無)があります。ですが多くが現行機種ではなくなってしまいました。穿った見方をすれば軽トラも多くがリア・ミッドシップでホンダ・Z(軽)は同様の構成によるミニバン的概観のRVとなっています。
 車関連の書き込みを長くすると多く無興を買いそうなのでこの辺で。

 おまけ:往年のZのミニカーですが、おもちゃ屋さんの店頭に並んでいてお金を入れると透明ケースに入ったおもちゃが出てくる所謂ガチャガチャのカプセルトミカの第四弾には240Zがあるようです。加えてゲームセンターでの景品にもあったようです。この手は入手に金と労力が掛かるのが難点です。



投稿者: 松友    日時: 2002年04月28日 23:46 | 固定ページリンク




一考 | バイクにて見参

 明石の皆さんへ
 五月五日の日曜日、午後六時に来住さんへ参上します。アイラ・モルトのカリラを持参、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月30日 20:09 | 固定ページリンク




高遠弘美 | おめでたうございます

ですぺら開店二周年を心よりお祝ひ申し上げます。本日は十時までの夜学勤務のあと、押つ取り刀で伺ふつもりでしたが、日頃の不摂生が祟り、体調芳しくありません。休講にするわけにいかないので、仕事には何とか参りますが、お店には伺はず、帰宅して静養にあひ努めます。
皆様にくれぐれもよろしくお伝へください。
末尾ながら、ですぺらのますますのご繁昌と皆々様のご健勝を祈つてをります。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年05月01日 08:23 | 固定ページリンク




一考 | エッセイ集の注文

 高遠さんへ
 当掲示板をお読みの方から「乳いろの花の庭から」の注文が入りました。メールを転送致しましたのでよろしく。
 文中「掲示板で高遠先生のご文章を拝読するにつけ、圧倒され、先生の言葉の世界にもっと触れたいと願うようになりました」と御座います。有り難いことです。管理人の櫻井さんにも感謝。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月01日 14:03 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 忝なく存じます

何よりもありがたく存じます。
その方にはさつそく当方よりご連絡申し上げます。
感謝をこめて。
皆々様にはよい連休をお過ごし下さいますやう。
一考さんもご無事で。BON VOYAGE!



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年05月02日 07:13 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 鈴蘭も綺麗だけど君影草という名前も良いですね

石神茉莉さま

1日には鈴蘭の花束ありがとうございました。
5月1日に鈴蘭を贈られると幸せになれるというのが、本当だといいなあ。
鈴蘭の花言葉は「純潔・幸福が訪れる」だそうです。

一考さん=ですぺらも贈られていましたが、純潔な一考さん、純潔なですぺらというのは実に奇妙ではありませんか。

5月2日より7日までいつものメールアドレスにいただくメールは見られません。
その間のメールは下記メール欄までお願いいたします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年05月03日 11:54 | 固定ページリンク




松友 | よみちゃん、ミニカー、そして「ほしのこえ」

一考様
 暫しの長文を御容赦お願い申し上げます。
 先の書込みにて触れました漫画の登場人物「よみちゃん」ですが、透明ケースに入ったおもちゃの所謂ガチャガチャでフィギュアを見つけました(本品の販売元バンダイでは「ガシャポン」という登録商標で呼んでいるようです)。幸いなことに直に出てきましたので、今度お店にお持ち致します。今回の六種の中にはなかなかなキャラクターもありますが未だ手に入らずそちらは御容赦お願い申し上げます。原作は既に連載を終えた雑誌掲載の漫画で、”癒し系”などと紹介される事が多いそうです。近々の頒布が発表されている次のシリーズでは別仕様の「よみちゃん」が出るようです。
 そのガチャガチャ、例えばスーパーカー消しゴムが記憶にありますが、近年のミニチュアの類の品質は見事なもので、隔世の感があります。御存知のダイドー・デミタス・コーヒーによる二玄社・NAVIの名を冠したミニカー・コレクションはダイキャストによる本格的な作りで車種選択が渋く、十車種各二色づつというのも泣かせます。こちらについて御店にてお客様に月刊・NAVI誌上にて製品化に至る経緯が掲載されていた旨御教授賜りましたのはとても勉強になりました。恐らくは2002年2月号から4月号までの「1/100への挑戦」という3回にわたる記事かと存じます。近隣の図書館にて拝読しようと思いましたが残念ながら貸出し中でした。文中「次があったらスーパーカーにしようか世界の名車にしようか」なる旨の記述もあったようです。どちらも魅力的な組み合わせになりそうですが、動物などと比し興味を持たれる向きが絞られそうな感もあります。今回の人気の程は実際の処どうだったのでしょうかしらん。
 さて、話は跳びますが、ふとアニメーションについて一つだけ。今年2002年の始めに発表された新海誠製作の「ほしのこえ」という作品がCGアニメーション界で注目されているそうです。ここ数年来の一般向けPCの性能向上とCGソフトの充実から、個人でもアニメーションを創れる環境が整いつつあったのは先刻御承知の事と存じます。これまでも地道に製作してきた方々がいらっしゃり、アマチュア限定のコンテスト等はそういった方々の発表の場の最たるものの一つでした。やはりビデオ等何がしかの実体のある媒体での頒布が難しい事に変わりは無く、そうした中でも「ほしのこえ」はこの関門を乗り越える事が出来るのではないかと期待を持って見られているそうです。同氏の前作「彼女と彼女の猫」を併せて収録したDVDは既に初期生産分(噂では一万本とか)をほぼ初めの一週間で売切り、追加の分は扱ってくれるソフト販売業さんの店頭に不足無く並べられるよう準備中との由。氏自身、ネットやブロードバンドの普及と時期が合ったなどの故を挙げておられましたが、本作は目立った広告をしてこなかったにも関わらずのDVD販売等、様々な点で興味深い事例なのだそうです。成る程と思い探してみれば、ネットにて自主制作アニメを配信する向きも増えつつあり、こちらも隔世の感を否めません。
 では。



投稿者: 松友    日時: 2002年05月08日 11:24 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ

昨日の目黒のアスベスト館の件。たしかに緊急事態ですね。
神楽坂のセッションハウスの伊藤夫妻をよく知っているので、彼らを通じて
若い舞踏家やダンサーにも署名などの協力を要請したいと思います。
まずは近い内に署名用紙を取りに行きます。



投稿者: 内山    日時: 2002年05月09日 12:47 | 固定ページリンク




こしぬま | 切り絵

きのうから「王子ペーパーギャラリー銀座」で成田一徹「The Cigar Story 葉巻を巡る偉人伝」出版記念原画展が催されています。以前、「To the Bar」というきり絵の本で惚れた作家です。17日まで。職人だからネットは関係ないというので、勝手に宣伝しました。失礼。



投稿者: こしぬま    日時: 2002年05月09日 17:54 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 行かれなくてすいません

◆一考さま

 ごぶさたしてます。
 二周年のお祝いにお伺いできなくてすみませんでした。
 末長いご発展をお祈りしています。

 実は、突然思い立って二年ぶりにフランスに行っておりました。
 
 今回は孤独を楽しむというテーマで、パリの街の彫刻やらモニュメントやらに堂々と溢れかえる秘境的なシンボルを
見つけ出しては、ほくそえむ、というオカルトな旅でした。
 といっても特別なところにいくわけではなく、一見普通の観光客と同じ、ルーブルだの、ノートルダムだの、
コンコルド広場にやまほど見いだせるのです。
 パリというのはかなりの魔術都市なのだと実感しました。
 そういう観点から見るとすると、行き足りない所がまだあるので、近いうちまた行きたいと思っています。

 そうそう、宿のバーで選挙実況をさかなに、あーだこーだ知らない人たちと盛り上がりました。
 この手の話をしないとフランス行った甲斐がないというものです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2002年05月12日 01:55 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 『宛字外来語辞典』について

一考さんのお薦めの本はどれも面白く、その眼力に恐れ入ることいつものことではありますが、先日書いていらした『宛字外来語辞典』(柏書房)はこれまた素晴らしい辞書で、昨夜以来時の経つのを忘れて読んでをります。パリの中華街を歩きますと、法國巴黎(仏国巴里を彼処ではそのやうに書きます)とか、超級市場(もちろんsupermarche)、自助洗衣店、可口可楽、正宗牛肉粉といつた文字があちらこちらにあり、愉快至極に思つたものですが、この辞典はそんなささやかな経験をはるかに越えた驚きと感歎と喜びといくばくかの当惑をもたらしてくれます。まこと、机辺におくべき一冊です。一考さんと柏書房の芳賀社長に深甚の感謝を申します。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年05月14日 12:45 | 固定ページリンク




一考 | 山下清澄さんのことなど

 ムーンさんへ
 先日はお世話になり有難う御座いました。ミル嬢のお持てなしには感服、宝石のお仕事にかかる才能がもしなければ、太郎屋さんと共に西を代表する割烹の女主人に成り得たものを、私の嗜好から推して残念至極。料理の要は愛情と、この歳にて改めて気付かされました。よろしくお伝え下さい。
 来住では刺身とモルト・ウィスキーと発動機の話に終始。板前から暴走族、アル中から陶芸家、旋盤工から宝石商、空手家から運送屋、配管工から登山家、整備士から看護婦等々、酒だけを拠り所によき友が久しぶりに集いました。一人として同業の者が居ない、不思議な光景で御座いました。更に獣医、歯科技工士、書家、画家、サーファー、新聞記者、そして鍍金屋、自動車屋、バイク屋、酒屋、金魚屋、自転車屋、焼き肉屋、お好み焼き屋のおやじとニッカポッカの沖縄のあんちゃんと銀行の支店長を加えれば、それが明石のですぺらの常態だったのですが。おっとワーグナーとアドルノの研究家三光長治さんを忘れるところでした。

 刹那の広島行きだったものですから、津原泰水さんには連絡をとりませんでした。山下清澄さんが近く広島で個展をなさるらしく、その折にでも御紹介しようと思っております。あのお二人なら呼吸があう筈です。ムーンさんには個展の日時が決まれば連絡致します。次回は車で参りますので、一緒に広島へ行きませんか。作品は六万から二十万円くらいまでとお聞きしました。近作は驚くべき稠密さを持っています。横須賀さん、須永さん、高遠さんも驚愕なさっていました。
 それにしましても、一宵徹して山本六三さんの話になりました。もっとも紹介したのが私ですので致し方御座いません。六三さんの影響を受けた方は多くいらっしゃいますが、六三さんが影響を受けたのは山下清澄さんの他、恐らくは三名のみ。山本六三についてのエッセイを是非著したいとのことですので、雑誌を工面致さねばなりません。発動機と書物は確実に私をどこかへ連れて行ってくれます。山下清澄さんとの久しぶりの再会が私の中のなにかに火をつけました。まだまだ朽ち果てるわけにはいきません。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月15日 18:28 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

一考さんへ

暫く貴兄の書込もなく、無謀なバイク遊行の所為で、肩腰、手首の硬直は勿論の事、疲労困憊、ひょっとすればご自宅でぶっ倒れておられるのではないかと聊か心配しておりました。

持てなしという大層な事は何もしておりませんよ、恐縮です。ミル嬢は、思い掛けず貴兄に料理を褒められ、まるで生娘の様な仕草で面映ゆしいなどと申しながらも、すぐ背後でうきうき雀躍りして喜んでおります。大嫌いなヘビースモーカーの一考さんが、誉め言葉を頂いて一瞬にして大好きになった、などと申しております。なんと単純な。「割烹」などと云う大層な表現は勿論過分ではありますが、誉め言葉は、女性の能力などを有効に生かす素晴らしい「活法」ではありますよね。

広島へのお誘い有り難うございます、是非ご一緒させていただきたいものです。しかし、貴兄に芸術的に調整された車であの負けず嫌いの熱血運転となると、ちょいと即答を躊躇してしまいます。勿論貴兄の運転の素晴らしい腕前は先刻より承知しておりますが、ふむ、広島駅での待ち合わせと致しましょう。発動機と黄泉の国へは行きたくない。 旅程が決まればまた連絡ください。 陶芸家の太田さんも誘って序でに備前にもご一緒したいものです。

「ワーグナーとアドルノの研究家三光長治さん」と云う方は残念ながら値遇を得られませんでしたが、最近は西尾さんの影響でワーグナーも随分と聴いております、是非機会があれば紹介してください。



投稿者: moondial    日時: 2002年05月15日 23:23 | 固定ページリンク




一考 | 車検

 松友さんへ
 十五日に262Cの車検を取りに行きました。川越街道沿いの練馬自動車検査場が拙宅から近いので便利です。なぜか今年に入ってから車検場はがら空きで待たされることもなく、おそらく一時間もあれば済むと思っていたのですが、排ガスで何度も引っ掛かってしまいました。
 ご存じのとおり、基準値は4.5の1200PPM。一回目はCOが5.5。二回目はバキュームを抜いてアイドリングを550にまで落としても4.9。三回目は検査器のホースを折り曲げて排ガスがあまり入らないようにしてやっとパス。ディーラー車検なら誤魔化しが効くので問題はないのですが、次回の車検は難儀なことになりそうです。
 仕方のないことですが、今後排ガス規制はより厳しくなります。やがて古い外車には乗れなくなりそうです。BMWはオートバイメーカーですので昔から排ガスに真摯に取り組んで来ましたが、ベンツやボルボはちゃらんぽらんですから大変です。縦目のベンツのオーナー等はどう処理しているんですかねえ。値の張るディーラー車検が繁盛している理由がやっと納得できました。きっとその場しのぎの違法な車検が罷り通っているんでしょうね。徳大寺さんが古い車に乗るのは犯罪だと申しておりますが、解る気がします。
 12Aロータリーをフロントミッドシップに搭載したサバンナRX-7が車検で何度もはねられていました。四回目で排ガスをクリアーしたものの光軸で再三はねられていました。光軸はシビアですから、ハロゲンに換装して事前にテストしておかないと到底無理です。そうでないと1500円が無駄になります。もっとも、私のR100RSも右側通行用のライトですのでいつも冷や汗をかかされます。そちらの車検も七月に控えています。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月16日 21:22 | 固定ページリンク




松友 | タウザーさんとアンバーさん

一考様へ
 御言葉ありがとうございます。車検お疲れ様で御座いました、練馬が近いというのも不思議な御縁と存じます。車検場が空いているというのは意外でした。
 そういえば、過日お持ち致しましたフィギュアは速攻撤収願えていた御様子、指向が異なりますのでむべなるかなと、失礼申し上げました。既に御含み置き願えておりますように、排ガスは様々な側面を有し、徳大寺氏の弁はごもっともなのですがこれも微妙な御発言かにゃ、と。それでは今度のフィギュアはYUJINの「昭和の猫」をお持ち致したく存じます。とは今晩TVにてグレンタレット蒸留所が紹介されていました。グレンタレットといえばディスティラリー・キャット、そのアンバーさんが出演していました。「君」と称されていましたが彼さんなのでしょうか、確か先代タウザーさんは彼女さんだったような。そういえばグレンタレット蒸留所のサイトにはタウザーさんの壁紙があるそうです。
 では次は、アンバーさんに因んでグレンタレットの12年など、御相伴に預かりたくお願い申し上げます。

付記:さて板違いやもしれませんが、既に御存知の通り11日ベルリン発共同通信によればドイツ・ベルリン東部にてドラキュラ王国の樹立宣言がなされたそうです。元首たる国王はドラキュラのモデルになったとされるブラド公の御子孫でベルリン南方のシュンケンドルフ村に土地、邸宅を持ち、レストランを経営しておられる由。他のニュースも見れば、地元ブランデンブルグ州による町村合併策に対する異議の意もあるらしいのですが、紋章入りパスポートも揃え気合十分との事。ちょっと拝見してみたいものです。



投稿者: 松友    日時: 2002年05月17日 02:21 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン | さて、シャンパンの”マルキ・ド・サド”はどうしたものか?

うーむ、それでは10年ぐらい前に話題になった”マルキ・ド・サド”という「高級シャンパン」はどうなったのだろう?
たしか、高橋睦郎が代理店の代表だったという噂を聞いたこともあるけれども…
そういえば、小生は、むかし甲府に出張したときに「マルキワイン」と「サドヤワイン」を1本ずつ東偏執長のところに贈って、「どうだ、マルキとサドだぞ」と申し上げたことがありましたな。(憶えてるかな。さて、今度も「幻想文学」の書評は「落として」失敬!)
それから、サドの名訳者橋本到さんが、今度、法政の専任になられたという話を松山俊太郎さんから聞いたのだけれども、この人のホームページは、いつのまにか開けなくなってしまっている。これも、一体どうしたことだろうか?
ドラキュラからサドに連想が飛んで、いろいろと気になることの多い御邪魔ビンラディンなので、あった。



投稿者: 御邪魔ビンラディン    日時: 2002年05月17日 15:27 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 文楽

まつたくの素人の感想です。無視してくださつて構ひません。ご用とお急ぎでない方だけお附きあひ頂ければ幸ひです。今日、国立劇場で文楽「菅原伝授手習鑑」通し上演を見てきました。フランス語風に言ふなら「聴いてきた」entendre une comedieといふべきかもしれません。11時から21時まで。もう2時間もあればパリについてゐるくらゐの時間でしたから、長いと言へば長いのですが、さう苦にはなりませんでした。
文楽は観るごとにその魅力に目を開かれます(先週見た松禄襲名披露の歌舞伎はもうひとつでした。とくに勧進帳は新聞では褒めてゐましたが、さてどうでせう)。
人形遣ひで、吉田玉男、文雀、簑助、太棹で鶴澤寛治、義太夫で竹本住太夫、といふ五人の人間国宝が出てゐたのですが、83歳の玉男の遣ふ菅丞相の静と動、理性と狂気、簑助の女房千代のたをやかさと哀切、文雀の覚壽の勁さと真率さ、また、人間国宝でこそありませんが文吾の松王の激情と抑制、桐竹一暢の白太夫と武部源蔵の落ち着きと軽妙と悲哀にいたく心動かされました。
いままでもさういふところは素人ながら感じてゐたのですが、けふは義太夫の重要さに今更ながら気づきました。いままでぼんやりしてゐて気づかなかった太夫の藝の違ひが文楽の出来そのものを左右するといふことがわかつたと言へばいいでせうか。
けふ住太夫(77歳)は櫻丸切腹の段を語つたのですが、四ヶ月病気で休んでゐたとは思はれぬほどの充実ぶりで、フシもみごとなら人物描写もふかく、また鮮やかで、かういふ太夫を聴ける幸福を感じました。9月には住太夫の素浄瑠璃があります。それもぜひ行きたいと思ひます。
それに判つていらつしやる方には笑止千万と言はれさうですが、義太夫がしみじみと聞こえてくると、太棹もよく耳にはいつてくるのですね。住太夫の相方(さうは言はないでせうがともかく)の野澤錦糸、綱太夫と組んだ清二郎、伊達太夫(けふはまつたく不調でした)と組んだ寛治、十九太夫の相方をつとめた清治の三味線にはどきどきしました。とくにけふは錦糸と清治には脱帽です。今度は三味線の会にでも行かうかなどといふ不埒な気持ちが湧いてきたほどです。東京では次回は9月が文楽です。8月7日が予約開始。奥歯さん、今度は取れるといいですね。

追記。
柿沼様
もしこの掲示板をご覧ならメールを頂けないでせうか。たまたまけふの公演は映像収録してゐたやうです。NHKで放送する日時がわかりましたら、お教へ下さいませんでせうか。勝手なお願ひをご容赦ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年05月18日 01:55 | 固定ページリンク




梅子こと薫子 | 羨ましい

 高遠さん、行かれたのですね。「菅原伝授手習鑑」については新聞記事で読んで、
見てみたいなあと思っていたところでした。須永さんや高遠さんが熱く語って
下さる影響か、最近は歌舞伎や文楽の公演に行って見たい気持ちがむくむく
湧いてきました。関西に住んでいた頃は、大阪の文楽座や京都の南座にも、
気軽に行ける状況だったのにと今更ながら悔やまれます。
いつになったら実現するやら。当分はお二人の実況中継を伺いながら、
想像するしかありません。
高遠さんの身振り手振り付きのお話、お願いしますね。
 柿沼さんは近々ですぺらに来られるようですので、お伝えしておきます。



投稿者: 梅子こと薫子    日時: 2002年05月18日 05:24 | 固定ページリンク




動坂亭 | とりとめもなく

講談社文庫の新刊『十二宮12幻想』の東雅夫氏による解説は、アンソロジーと競作集の違いについて熱く持論を語ったもので、それを読んだ小生がゆくりなくも連想したのは、他ならぬ『種村季弘の箱』でした。
 東氏の論に沿って譬えるなら、『箱』はアンソロジーと競作集の両面の性格を持っていて、その競作集とならざるを得ない部分に、”伝説の名編集者”(『SFマガジン』最新号)渡辺一考氏のbk1での総括における葛藤があるのかな、と(ちなみに、アンソロジー部分の代表格は吉行淳之介「「幻に化す料理」集成」で、やはり、さすがに違いますね)。
 『十二宮12幻想』は、そもそもコンセプトが抜群に優れていて、各編の出来不出来からは独立して称揚されるに足ります。『箱』もまた、企画と内容とを別個に捉えることができ、初めての特集本という意義は出版史に残るものでしょう。
 内容については、bk1で触れていらした各氏の文章はもちろん、他にも秋山裕徳太子、池田香代子、石井満隆、石内都、大内順、大久保鷹、坂入尚文、谷川渥、田野倉稔各氏のエッセイや談話は、興味深いものがあると思います。ご本人へのインタビューでの「無邪気に生きているつもりでも、家族構成やなんやら、既に決定されてしまっている歪みをもろに蒙っているんですね。それが非常に嫌だということでしょう」という言葉なども、実感として身に沁みます。
 対談で示唆されているように、例えば『書物漫遊記』を書評や作家論としてでなく「小説」として各編ごとに具体的に読み解く試みなどが、将来もっともっとなされてほしいものです。ほんとに。
 一日一度は覗く「ですぺら掲示板」や「我楽多本舗」でも、誰か種村氏について書いてくれないかなーと、勝手に期待しています。
 ところで文庫版『12幻想』、当初様子見だったのが、「エロチシズム」はレアカバー(いまなら書店にまだまだある)、「十二宮」は東氏の解説につられ、3冊揃えるしかなくなってしまいました。やれやれ。



投稿者: 動坂亭    日時: 2002年05月18日 13:38 | 固定ページリンク




松友 | スプマンテの「フェッラーリ」にも興味津々

 「マルキ・ド・サド」、初めて伺いました。ありがとうございます。
 ネットを暫し彷徨ってみました。なんでも生誕250年を記念して1990年に名を冠して発売された由。葡萄栽培から瓶詰を行っているところがサド家と所縁が深いとか。ニッカが通販していた事もあるそうなのですがこの点詳細不明です。「マルキ」と「サド」も美味しそうでこちらも続けて勉強致します。
 「ドラキュラ王国」につきましては赤坂の関係すると思しき所に勿体無くもお伺いをたててみたが「こちらでは聴いておりませんけれど」との事でして、いまいち釈然としません。
 ところでスプマンテではイタリアの「フェッラーリ」を是非戴いてみたいと思っております。こちらも高価らしいのですけれど、はて。



投稿者: 松友    日時: 2002年05月18日 16:17 | 固定ページリンク




高遠弘美 | マルドロールに感謝をこめて

けふはこれまた一考さんの紹介にかかる書肆マルドロールについて。
先日古書案内を頂き、書名こそここには記しませんが、今を遡る二三十年前、コピーを製本して大切にしていた本の原本が出てゐるのを知り、早速入手いたしました。いまそれらの本を手にしながら、ある感懐に耽つてをりますが、このやうな書店があるといふことに多大の感銘を受けてをります。まだまだ買ひたい本があります。どうぞこれからも良い本をお蒐めくださいますやうお願ひいたします。感謝を込めて。
追記。
薫子様。
文楽についてもまつたくの素人の感想しか言へませんが、京都の南座、文楽劇場の名前はいまのわたくしには禁句に近いものがあります。仕事をさぼつて上阪しさうで困ります。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年05月20日 23:52 | 固定ページリンク




川上史津子 | 初めまして、川上史津子と申します!

皆様 初めまして 役者をしております 川上史津子と申します 
舞台でご一緒した大久保鷹さんに連れてきて頂いたのが ですぺらとの出会いです。
このたび、以前から書き溜めておりました性愛をテーマにした短歌が出版される運びとなりましたので、宣伝させてやって下さい。
処女歌集『恋する肉体koisuru karada』飛鳥新社・1600円(税別)です
装丁:榎本了壱 写真:稲越功一 の両氏にお願い致しました 
5/30の夕刊フジにカラーで大きく取り上げてもらえるのとアサヒ芸能の書評欄(これは6月)が決定しました!よろしくお願い申し上げます

p.s.遅れ馳せながら一考さん 2周年おめでとうございました
   ワイン美味しゅうございました!



投稿者: 川上史津子    日時: 2002年05月26日 17:53 | 固定ページリンク




Siesta | 疾走するアート

 昨日、東京都現代美術館でフェラーリ&マセラティ展を見てきました。普段は写真でしかお目にかかれない車の数々と対面することができただけだけでも、木場まで足を運んだ甲斐がありました。何よりも私が楽しみにしていたのは、マセラティのボーラでした。かねてより生で見たかったジウジアーロデザインのマセラティです。実際に目の前に立ってみると、なんというか殺気のようなものを感じて体が震え、暫く立ち竦んでしまいました。
 イタリア関連の展覧会は昨年のカラバッジオ展以来でしたが、フェラーリやマセラティにもカラバッジオの絵画の背景の漆黒と似たようなものを感じます。そういえば、カラバッジオ展のときは「聖マリアの法悦」の前で30分ほど立ち竦んでいましたっけ。
 



投稿者: Siesta    日時: 2002年05月26日 18:21 | 固定ページリンク




一考 | 強制終了の夜

 川上さんへ
 『恋する肉体koisuru karada』の飛鳥新社からの上梓、おめでとう御座います。
 ちょっと難産のようでしたが、処女歌集に相応しい品のある本になりました。表紙に用いられた貴女の裸体写真も素敵に収まりました。歌人としての技術云々は申しません。腰巻にも著されていますように、貴女の奔放で無垢な感性が短歌の形を借りただけと私は思っています。まだ一年足らずのお付き合いですが、性愛に対する貴女の照射角度のユニークさには舌を巻いております。当掲示板の方々にも購入をお薦めしたいので十首ほど引用させて頂きます。

   つい先刻(さっき)逢ったばかりの男性(ひと)の手を握りしめてる
   堕ちないように
   眼を閉じて舌を絡めてふと気付くあなたの顔が思い出せない
   そそくさと離れて事後の処理をするどの男性(ひと)の背も同じ表情
   左手の指枷(リング)窓から放り出し最早誰にも飼われまいとす
   肉の芽に性具を押し当てて果つる・強制終了・の夜
   クシャクシャに丸めて欲しい掌(て)の中でどんな形も思いのままに
   ・好きだよ・と云って気持ちは無くていい刹那の我が溢れ出すまで
   道端にツバ吐くような射精して「ごちそうさま」のある筈もなし
   してもいぬ目隠し気付けば外されて少女の我を殺せしアナタ

   禽獣の咽喉(のど)にタオルを詰め込んで突き殺すまで壁薄き檻

 初めて原稿を読ませて頂いた折の印象は仏蘭西のすぐれた心理小説、恋愛小説に触れた時のそれと共通するものが御座いました。貴女のなかには間違いなく男女を超えた表現者としての眼差しが息づいています。あまりにも素直、あまりにも実直な貴女と表現者としての貴女の意思、そのあわいをこれからいかように埋めていかれるのか。貴女と共に同時代を生きるという愉しみをお与え下さったことに感謝致しております。必ずや、次回は短編小説を試みられるよう願い上げます。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月28日 10:31 | 固定ページリンク




一考 | トミーカイラ

 Siestaさんへ
 フェラーリやマセラティは美術館で観るものであって乗るものではなさそうです。アルファロメオ、フィアット、ランチア、ランボルギーニ、アウトビアンキ、デトマソ、イノチェンティ等、他の伊太利亜メーカーと比しても前記二車種は別物ですね。それにしても、セカンド・ギアで160キロまで延びるような車を日本のどこで走らせるのか、かねてより疑問に思っておりました。
 ところで、そのフェラーリやマセラティを置き去りにするような車がわが邦でも造られています。軽さを徹底的に追求したレーシングカーに一番近い市販車として売り出された京都のトミーカイラのZZやRがそれです。
 ZZのボディは主としてアルミ押し出し材で構成されていますが、それにRB31系の200psのエンジンを搭載、車重わずかに710キロです。私の車は300psですが車重は1500キロもあります。
 他にZZ-2、ZZ-3があり、ZZ-2はGT-RのエンジンをチューンしたRB27DETTを搭載、550PSで4輪を駆動して(2駆仕様も可能)最高速度は330km/hを超えます。
 これではフェラーリやマセラティはおろか、GT-RやRX7やNSXですら取り残されます。ステージア260RSオーテックバージョンが世界最速のワゴン車なら、ZZは文句なしに世界最速のレーシングスポーツです。
 当掲示板に写真を掲載できないのが残念ですが、精悍ないい面をしていますよ。ちなみにZZに用いられたアルミ材、すなわち9000番台の超々ジェラルミンのトリプルバテッドのパイプはアラヤのフレームにも使われました。カンパと今はなきサンツアーのパーツを組み込んだ私の愛車の一台です。

 追伸。
 マクギボンの新規入荷のご教示に預かり恐縮致しております。日曜日は車の陸送で忙しいので、土曜日に葛西の河内屋へ出掛けました。さっそく伊藤さんと松友さんが試飲されていましたが、オスロスクのカスクは絶品。5年ものであれだけの香味があるのは嬉しいですね。他にハイランドパークとロイヤル・ブラックラの5年ものカスク・ストレングス、それに仏蘭西で売られているシールダイグのカリラ10年ものを購入致しました。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月28日 12:08 | 固定ページリンク




一考 | 書誌学

 京都在の中村さんへ
 かつて私が編みました澁澤龍彦著作目録は意図して省いた書物が少なからず御座います。さして意味があるとも思われない異装本もぞんざいに扱っています。原稿の誤記、私の勘違いも御座います。澁澤さんが亡くなられたあと、あの短い期間で可能な精一杯のことをしたつもりなのです。従って、貴方のような奇特な方が完璧な著作目録を作られるのを待ち望んでいたのです。
 今回の種村季弘さんの著作目録もそうですが、本人が掲載を拒む書物を掲載するのは私には出来ません。生前にお付き合いがあればそのようなケースも多々あろうかと思います。関係のなかった方でなければ完全な目録を拵えるのは不可能なのです。澁澤さんの場合も種村さんの場合も「目録抄」と敢えて記したのはそのような理由があってのことなのです。
 話序でに一言。歴史学者のとなえる芭蕉、国文学者のとなえる芭蕉、または各地の地方史を研究なさっている方々のとなえる芭蕉、俳人のとなえる芭蕉等々、それらには言わずもがな大きなもしくは些細なずれが生じます。そのずれを縦横に月旦するのが書誌学であって、著作目録をつくるのを書誌学とする昨今の風潮は私にはまったく理解できないのです。
 わが邦における書誌学の一端を学ぼうとすれば青裳堂書店から上梓されている「日本書誌学大系」を繙くの他なく、もし文章を著す才覚がないにもかかわらず文学との関わりを断つことかなわずに著作目録を拵え、それを持って書誌学と名付けるならばまさに笑止千万。
 もっとも、貴方はそのような方とは思われません。今後澁澤さんの著書に対するご感想を著されることを強く望みます。
 当掲示板には澁澤さんのファンも多く、ぜひ中村さんのホームページをお訪ね下さい。

 http://www08.u-page.so-net.ne.jp/xc4/candy/shibusawa/index.html



投稿者: 一考    日時: 2002年05月28日 12:30 | 固定ページリンク




一考 | 三光長治さん

 ムーンさんへ
 三光長治さんのエッセイ集は「アドルノのテルミノロギー」です。87年5月に法政大学出版局から上梓されました。他に「新しいワーグナー像を求めて」とのサブタイトルを持つ「エルザの夢」が同じ出版社から刊されていますが、私はワーグナーに興味がなくそちらは購読しておりません。
 三光さんが翻訳されたアドルノの「ミニマ・モラリア」は名訳ですが、同書の106番と「アドルノのテルミノロギー」の60頁に著された同一性の問題を併せ読んだ時の眩暈のようなものを忘れることが出来ません。他に「荷風瞥見」と題するエッセイが収録されています。頗る噛み応えのあるエッセイです。
 三光さんとはじめてお会いしたのは瞑草舎の西岡さんの紹介、「青銅時代」の例会の席にて小川国夫さんも一緒だったと思います。私が存じ上げる仏文学者とは異なりさすがに独文学者、背筋を伸ばしての剛毅な飲み方に感服致しました。
 「青銅時代」の同人の著訳書からは小椋順子さんのドルヴィイ「レア」と金子博さんのボレル「シャンパヴェール」を出版しました。

 過日、書肆山田の大泉さんから頼まれて森乾について調べ事をしたのですが、その森乾さんの著書「父・金子光晴」が同書肆より上梓されました。400頁に及ぶ大冊で2800円は安いと思います。西脇順三郎と共に金子光晴はいいですよ。お薦めの一著です。



投稿者: 一考    日時: 2002年05月28日 13:05 | 固定ページリンク




松友 | デラヘイ135Mも

 漸く観て参りました「フェラーリ&マセラティ展」。今回の展示はキュレーター氏が造形に重きをおいて選択した旨パンフレットに記載がありましたが、正にその通りでした。この展示車両達、恐らくは個人オーナーさんや複数の博物館殿の協力無くしては一堂に会すことは無かったのでしょう、大感謝です。マセラッティは初対面の機種が多く感動もひとしおでした。又、入り口付近のスケール・モデル群の中の大阪万博にやって来たモデューロにも暫し見入ってしまいました。
 既に乗るものである事から離れ展示するに相応しい車があるというのは納得です。この範疇の四輪として、埼玉県は大宮駅傍の「オールドロコ ハタ・クラシックカー博物館」の白眉、1948年式デラヘイ135Mも是非加えさせて下さい。まるで往年の夜会の御婦人方のドレスの如きスタイリング、内装の典雅さは圧倒的です。同車は元々ボディーがオートクチュールであり、コンクール・デレガンスに出場する類のものですので、至極当然の事としてスタイリストが腕を揮ったのでしょう。尚、同博物館はブガッティも数台所蔵し、クラシックカー好きには堪らない場所です。
 名前:オールドロコ ハタ・クラッシックカー博物館
 住所:埼玉県大宮市下町3-7大宮ハタプラザ内
 電話:048-648-0065
 時間:10:00~18:00(毎週月曜日、月曜が祝日の場合その翌日休館)

 さて、話を挫く様で申し訳御座いませんが、トミーカイラZZの最初の型は生産中止が決定しており在庫のみの販売ではなかったでしたっけ、と。少し検索してみますと総生産台数は206台。トミーカイラは今後オートバックスと協力し「ガライヤ」なる車を計画中であると風の噂に聞いております。この中でZZ-2は「RS-01」として既に発表しておりますが、ZZ-3は、どうなるんでしょう。はて。
「ガライヤ」についてはこちらで ttp://www.autobacs.com/asl/
 トミーカイラZZはアルミ押し出し材を車体骨格の基本に用い、その設計思想はロータス・エリーゼに近いものがあります。エリーゼの場合ですと主フレーム単体では何処か一箇所地面に着いていれば片手で楽々持ち上がる程の軽さ、しかも部材の取り付けを接着にて行っていました。恐らくはZZのフレームもかなりの軽さである事が期待され、走りに大きく貢献していると思われます。軽量化が果された車はタイヤの接地状況を常に感じている方が好ましいと存じますが、もともと余裕があるので、やはり操る楽しさが大きいです。何れにしましても高価な車を振り回すのはきっと勇気がいるのでしょうねぇ、と勝手に心配してしまいます。

付記:マクギボンの新規入荷分、大変興味深く、且つ美味しく頂戴いたしました。5年であれだけの香り、舌触り、味が愉しめるというのはちょっとした驚きでした。この場をお借りまして御礼を申し上げます。



投稿者: 松友    日時: 2002年05月29日 19:09 | 固定ページリンク




一考 | 眷恋の人

 29日水曜日朝、矢川澄子さんが黒姫山麓の自宅にて自死なさいました。享年71歳。 矢川澄子さんとは二十歳前からのお付き合いです。澁澤龍彦さんが亡くなられた時は銀花誌上で二人きりの追悼特集を組みました。中井英夫さんが逝かれた折は二人で遺骨を拾 いました。今回、彼女の骨を拾うことすら私にはかなわず、愛する人の死に大きな衝撃を 受けております。種村季弘さんは旅に出られました。私はですぺらを抛り出すわけにいか ないのですが、当掲示板を含め他のすべての作業を一週間休止致します。(この項目の初稿は削除されました)



投稿者: 一考    日時: 2002年06月01日 11:22 | 固定ページリンク




薫子 | 今夜

矢川澄子さんはですぺらの大切なお客様でもありました。
今宵、内輪で矢川さんを追悼しつつ、一考が酔いつぶれたいと申しております。
矢川さんの葬儀の模様などもお話するかと思います。
ご都合のよろしい方はお越し下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月01日 15:29 | 固定ページリンク




ゆきち | 2chの澁澤、矢川関連スレッド

どうも、ゆきちです。昨日は大変お世話になりました。非常に有意義な夜を過ごせたと思っております。

で、早速ですが、昨日話していた、2chでのスレッドです。

http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/972233886/
澁澤達彦好き集まれ!

http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1022850540/
矢川澄子が自殺?

たいした内容ではありませんが、お話になっていた「最近の若い読者」の様子がつかめるかもしれません。ただ、一部頭に血が上りそうな発言もありますので、お読みになる方はお気をつけください。

また
Yahoo!掲示板で「矢川」でも検索結果
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?R=&sid=&M=g&p=%CC%F0%C0%EE

同じく「澁澤」での検索結果
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?p=%DF%A7%DF%B7&M=

とりあえず、目についたのは、以上です。
一助になれば。



投稿者: ゆきち    日時: 2002年06月02日 10:48 | 固定ページリンク




一考 | ありがとう

 ゆきちさんへ
 早速ご教示いただき恐縮です。
 どなたが編纂なさるのかは存じ上げませんが、遺稿集を編むのは難儀な作業になると思われます。単行本未収録の稿があまりにも膨大です。矢川澄子さんのお仕事を熟知なさっている方が複数担当するにせよ、優に半年はかかるでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月03日 15:58 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 童姦ぢゃ 息み下に下に 非直線

矢川さん急逝の報は ― しかも、病気や事故ではなく自死であったことには、少なからぬショックを受けています。一度ですぺらでお会いして、たいへん品のよい、好感のもてる方だという印象を受け、こうした方が、どこかで健在でおられるというだけで、日本という国もまだ捨てたものではないと思わせるだけのものが、かの女にはありました。少なくとも、死の前日までのかの女は、今の若い女性たちの生き方のひとつのお手本となるべき人ではなかったかな? (わたしにロリコンの気がなければ、おそらく、かの女のような女性をパートナーに選ぶであろうとまで、ここで断言してしまおう!) 好人物で作品はダメというのであれば、(一人の死について当然払われるべき敬意といったもの以上には)惜しむ必要はないのかもしれません。しかし、かの女には、これからもなお、豊饒な世界を展開する大きな可能性がありました。惜しんでも余りある急逝です。 
「その前に、今後噴き出るであろうゴシップに立ち向かわねばなりません。大変なことが起こると思われます、おそらく今月末にも。闘いがはじまります」という一考さんの発言には、全面的な支持と同時に、及ばずながら、何らかの応援をしたいと考えています。
一愛読者としては、生前に彼女を自死から守ることは(それだけの深い付き合いもなかったので)できなかった。そもそも、その機会というものがなかった。けれども死後の名誉は、なんとしても守ってやらなければならない。それが、せめてもの手向けになるのであれば……、といささか感傷的になっています。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年06月03日 18:18 | 固定ページリンク




一考 | お別れ会

 矢川澄子さんとのお別れ会は7月28日(日曜日)の予定です。詳細は追って掲示させて頂きます。
 相澤啓三さん、四谷シモンさん、高遠弘美さんはじめ、多くの方々がですぺらへ来られました。飲んだくれるしか能のない店主ですが、心のなかで皆様のやさしさに涙しております。また、編輯者各位のご協力により、遺された膨大な量の原稿の居場所もあらかた確認できました。遺稿集は三回忌を目指して編輯に入ります。それとは別に、青土社からユリイカの別冊で追悼特集号が、筑摩書房から「私の一世紀」が上梓される予定です。
 今回の矢川さんの突然の自裁に関して書肆山田の鈴木一民さんと大泉史世さんには多大なご迷惑をお掛け致しました。でも、誰かが防波堤になるしかないのです。お二方の尽力に満腔の謝意を表すとともに、いま暫くの猶予をお願い致したく存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月04日 23:34 | 固定ページリンク




一考 | お詫び

 前項の書き込みはすべて予定であって、決定事項はひとつも御座いません。先走りましたことをお詫び致します。

 なお、「しょぼたま」のCDのレコーディングは、黒姫の矢川さん宅で行われました。矢川さんが深く関わりを持った「たま」のホームページのURLは以下のごとし。
http://members.tripod.co.jp/ukyup/t.html



投稿者: 一考    日時: 2002年06月06日 22:08 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

明日、6月8日(土)6時よりですぺらにて、須永朝彦さんのカルチャーセンター講座の打ち上げ会が催されます。講座の生徒さんに限らず、須永さんのファンの方なら参加自由です。会費は3000円、よろしく♪



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月07日 23:07 | 固定ページリンク




如月 | 下記の掲示板にも・・・。

↓の掲示板にも、矢川さんを悼む書きこみ発見しました。 http://www.ai.wakwak.com/cgi-bin/menote.cgi?book=aura-obscura:anoyo これも、故人の交遊関係の広さを物語るものといえるでしょう。



投稿者: 如月    日時: 2002年06月08日 15:56 | 固定ページリンク




薫子 | またまたお知らせ

 明日、いえもう今日ですね。朝日新聞の朝刊の書評欄に、種村季弘さんが
矢川澄子さんの著書について書かれたそうです。是非ご覧ください。
 ですぺら店主はここ一週間、きっちり毎晩飲んだくれては、
「僕が何を云いたいかというと、」とか「要するにだ、・・・」を
連発しております。入れ替わり立ち替わりお相手いただきました皆様、
ありがとうございました。店主にもそろそろ酔いを醒まして活動開始
してもらわねば。おい、こら、しっかりしいや。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月09日 01:24 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

 成田さんへ
 貴重な資料のご送付にあずかり感謝致しております。
 貴女のような方が当掲示板を支えて下さっているのです。ところで「大道あやというひと」が掲載された雑誌名と刊行された日付を御教示頂けないでしょうか。
 「手頃なボーイフレンドと一緒に暮らし、あとは犬たちと烏骨鶏何十羽と」がいれば、タケノコを肴に昼から酒盛りもできたのですが、このような結論を得るしかなかったところに、深い悲しみと憤りを覚えます。長崎へ行く機会にはいまだ恵まれず、年内にでも訪れてみようかと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 19:27 | 固定ページリンク




一考 | 重ねてお詫び

 あまりにプライベートなことを書き込み、関係者各位の逆鱗に触れました。今後、矢川澄子さんに関する書き込みをすべて中止します。御迷惑をお掛けした皆様に深くお詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 19:29 | 固定ページリンク




一考 | 吉岡実詩集「赤鴉」

 五月三十一日は吉岡実さんの十三回忌でした。私は都合で出席できなかったのですが、当日「赤鴉」と題する詩集が参加者に配られました。発行所は弧木洞、限定七十二部の配り本ですから、一般への頒布は御座いません。ご送付くださった吉岡陽子さんに感謝致します。
 同書に附された吉岡陽子さんの「覚書」には「元となったものは、若い吉岡実が、B五版の原稿用紙にペンで清書をしたもので、赤いクロスの厚表紙で製本し、背に横書きで『詩集 赤鴉 吉岡実』と黒く箔押ししてありました。作品に付された日付から、昭和十三年から十五年初めにかけて書かれたものと思われます」と著されています。
 「戯欷」「奴草」の二部構成になっていますが、後者は句集で、前記稿本に含まれていない句作と共に近く形を改めて刊行の予定とか。楽しみな一本です。

 同じ五月三十一日に書肆山田から秋本幸人さんの「吉岡実アラベスク」が上梓されました。四百九十頁に及ぶ大冊であり、実に多様なアプローチが繰り返しなされています。
 「詩でね、変わらない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変わりたい。(中略)そうありたいのね。ありたいってことが真実なのか自然なのかわからないんだけどね。やっぱり百年一日同じ詩を書く人も偉いと思うんだけど、ぼくたちは、すべて考えも変わり、環境も変わる。やっぱり変わらざるをえないという感じね」との吉岡さんの言葉をキーワードに、吉岡詩の変遷をたどった「吉岡実の《引用詩》」と「吉岡実晩年の詩境」は特に圧巻。
 死後すっかり現代詩の舞台から忘れ去られた感のある吉岡実さんへの処遇に、かねてより義憤を覚えていた私には最良の贈り物となりました。
 私自身かつて「括弧で括られた〈引用〉への旅」との文章を著したことが御座います。吉岡実さんへの追憶なのですが、一部分を引用して吉岡さんを偲びたく思います。

 柳田国男のいう「俳諧の功力」を抜きにして吉岡詩は語られない。荘周の哲理を何もかも承知の上でおどけとパロディの「俳」に焼き直した松尾芭蕉。その芭蕉を回向し直して上前をはね、大胆この上ない「崇高な諧謔」を示唆した西脇順三郎。また金沢で出会った内藤丈草と夢の共喰いに狂じ、蓑笠をかぶった諺をひねって逝った滝口修造。そして〈引用〉という相互浸透の逆戻りのきかない流れのなかに身を置くことによって、「僧侶」の詩人という貌を剥ぎとり、原形質としての詩人を立ち昇らせようとした吉岡実。彼らにとって、詩とは機知であり、ウィットであり、イロニイであり、パラドックスであり、そして俳であった。
 吉岡実が換骨奪胎の名手であるという点については、おそらく誰しも異存のないところであろう。そしてその萌芽は『サフラン摘み』に収められた「ルイス・キャロルを探す方法」「『アリス』狩り」「示影針」などに容易に見てとられる。また時を同じくして吉岡実は『耕衣百句』を編纂する。この秀句選を手掛けることによって、相互浸透の手法を骨肉化していったものと、私は解釈している。この手法は後に『土方巽頌』という美事なコラージュ集を生む。
 ジャンルとは芸術家の背後にあるもの、彼の前にあるものではないと著したのはチボーデだが、吉岡実もまた、括弧で括られた〈引用〉の活用によって、すべての垣根を取り払い、自在な伸縮という新しい属性を言葉にもたらしたのである。〈引用〉されるものは必ずしも他者の言葉、すなわち作品とは限らない。絵画や音楽のタイトル、歴史や民俗学の断片、出典不明の文言、手を加えられもしくは新たに書き直された箴言、そしてかつて著された自らの作品までもが一人歩きし、勝手気ままに出入りする。括弧で括られた〈引用〉への旅、それは内と外との弁証法、すなわち〈内面性と膨張の弁証法〉に他ならない。〈俳に濡れそぼつシュルレアリスト〉吉岡実は晩年『サフラン摘み』から『夏の宴』『薬玉』を経て『ムーンドロップ』に至る四冊の詩集を遺した。それはわが邦において、ついぞ見かけることのなかった新たな詩の誕生を明示している。土方巽の言葉を借用すれば、吉岡実の詩はまさに命がけで突っ立った碑(いしぶみ)であり、オブジェと化した観念そのものであった。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 23:18 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 例え一部とは申せ、過去著したものを掲示板に載せるとの無粋な真似をしましたのは、ただただ気分を変えたかったからに他なりません。高遠さんではないですが「お急ぎの方はお捨ておきください。」



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 23:20 | 固定ページリンク




成田 | お受け取り頂きほっとしています


一考さま

雑誌を開いて頂けるかどうかが不安でコピーをお送りいたしました。
月刊モエ MOE 2002年7月号 白泉社です。
あやさんが住むオッペ美術館は、埼玉県の越生の山の中。
「安心しきってうたた寝までして・・」とあるその場の空気を深く吸い込みたい気持ちでおります。
どうぞ、ご自愛くださいませ。



投稿者: 成田    日時: 2002年06月10日 00:02 | 固定ページリンク




一考 | 埼玉県人会

 成田さんへ
 早速のご教示有難う御座います。
 同じ埼玉県の越生の山の中とは驚きました。もっとも拙宅は戸田ですので埼玉の南の端、すこぶる空気の悪いところで、雨が降るたびに白い車が真っ黒なシミに覆われます。三年前に引っ越して来た時には驚かされたものです。今度の日曜日は「うたた寝」の出来るキャンプ場でビールでも飲もうと思っております。
 これを御縁に当掲示板にお書き込み下されば幸いに存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月10日 02:25 | 固定ページリンク




高遠弘美 | アスベスト館

昨日、一考さんのご文章にも何度か引かれてゐる土方巽の記念館に行つてきました。出し物は未亡人の元藤■(火へんに華)子さんも出演なさるポーの大鴉でした。73歳になられたとは思へないほどしなやかでお元気なご様子。それだけに、また今までの歴史を考へても、アスベスト館の競売売り立ての話は腹立たしく、國の文化行政と銀行を呪はずにはゐられませんでした。これはもう有志の意志で何とかできる事態を越えてゐます。
サッカーの予選で一点取つて勝つただけであれだけとち狂ふ莫迦莫迦しさを見ると、この國の先行きに絶望の二文字しか思ひつけないのはわたくしだけでせうか。元藤さんの踊りを拝見した当日だけに、その思ひを強くしました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月10日 16:10 | 固定ページリンク




一考 | 憂さ晴らしにもなりゃしない

 高遠弘美さんへ
 道頓堀へ飛び込んだバカが百五十人とか。戦後、力道山にはじまって映画俳優、そして歌手からスポーツ選手へと、アイドルの対象は変遷しますが、いずれも莫迦であることに違いはなく、その莫迦に入れ込む莫迦をなんと表現すればよろしいのか。政治家と芸能人とスポーツ選手は並の神経の持ち主には務まらず、やくざ以下で人間じゃないと安部譲二もどこかで書いていたように思います。そのような戯け者にうつつを抜かすような無意識かつ無定見なマジョリティーもまた、羞じらいなどには縁もゆかりもなき烏合の衆。
 当掲示板でも書き込みましたが、「日本ガンバレ」というようなことを臆面もなく声高に唱える人々こそが逡巡や懐疑に拘泥する少数派にとって最大の仇敵なのでしょう。なにも拘泥する必要はありません。ちょいと背中が気になる人、過去を消そうと消しゴムを持って徘徊するような人に勝ち負けは関係ないのです。飛び込んだバカが百五十人、そして死んだ阿呆が十五人であれば、いささか憂さも晴れたのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月12日 23:15 | 固定ページリンク




 | 明日というか、もう今日ですが

お店に伺いたいと思います。
いえ、伺います。
一考さまにお会いしたいです。
ここでは、もう話題にされないとお断りされていらっしゃいましたので、
私も書きません。
ですが、友人のホームページの掲示板をよろしかったらご覧下さい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~phasma/bbs.html
はじめまして。都といいます。



投稿者: 都    日時: 2002年06月13日 01:17 | 固定ページリンク




高遠弘美 | こんな若者もゐました

一考さま。仰言るとほりです。莫迦騒ぎが何とも気鬱です。
ただ昨日、ひとつだけほつとしたことがありました。勤務先で、わたくしのもとに遊びに来る学生たち(大半が男といふのが寂しいと言へなくもないのですけれど、それはともかく)がかう聞いてきました。いはく「どうしてサッカーにあれほど我を忘れて夢中になれるのでせうか」。またいはく「きちがひじみてゐませんか」等々。そのやうな若者たちがゐることに、やつとすこしだけですが、ほつとしました。道頓堀に飛び込んだり、渋谷で騒乱を引き起こしたりする者だけではないのですね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月13日 07:59 | 固定ページリンク




一考 | 新入荷

 上京してからのこの短い期間に、辻征夫、高橋康夫、宮園洋、曽根元吉、中村苑子、三橋敏雄、山本六三、矢川澄子と多くのすぐれた先達、知己を喪いました。
 想い起こせば二十年から十五年前、本づくりの情熱を掻きたてて下さっていた多くの作家が相次いで亡くなられました。夢をなくした私は装幀を編輯を避けるようになり、明石で蟄居に近い生活を営みました。赤貧洗うがごとし平成の丸十年、追い打ちのような大震災にも見舞われました。
 吉岡実さんの云う「ぼくたちは、すべて考えも変わり、環境も変わる。やっぱり変わらざるをえないという感じね」との言葉に大きく頷ける年格好にやっと至ったのでしょうか。いよよ投げやりに捨て鉢になって行くように思われます。
 「気に入ろうが入ろまいがお好きにどうぞ」では飲み屋の親父は務まりますまい。人品になんら魅力のないことは先刻承知、それゆえに酒だけは珍にして希なるものを取り揃えております。店主と酒、これも棄却と拾収、削除と捜聚の弁証法とでも申しますか。いかような場にもそれなりの葛藤とバランスはあるもので御座います。

 ジェームズ・マッカーサー社のオールド・フェッターケアンが入荷致しました。オールド・マスターズの一本。92年の蒸留になる10年もの、60.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。カスクナンバーは3022。オフィシャル・ボトルと比してナッツ系の香りが顕著。オーバン、クライヌリッシュ、ノックドゥーと共にハイランドを代表する銘酒です。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月13日 12:08 | 固定ページリンク




一考 | 宝物

 都さんへ
 貴女が入手なさった「架空の庭」は1960年に上梓された弥生書房版と思われます。奥付には鎌倉市小町410澁澤方と印刷されています。発行部数はわずか200部の希少本です。それにしても、野溝さん宛の献呈本とは驚きですね。大切になさって下さい。
 澁澤さんも矢川さんも本の美醜はまったく気になさらない方で、中身さえ読むことができれば結構という純な読書家でした。気に入らない函やカバーは棄てることすらあったのですよ。
 60年代後半から70年代の話でしたら何時でもお話致します。お会いできるのを楽しみに致しております。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月13日 12:42 | 固定ページリンク




松友 | 「映画の斜陽か?革命前夜か?60~70年代 大手五社と寺山修司」(仮)特集

 度々闖入御容赦御願い申し上げます。松友です。
 「誘惑のイタリア映画」「円谷英二の技」と渋い企画上映を繰り広げるラピュタ阿佐ヶ谷で『「映画の斜陽か?革命前夜か?60~70年代 大手五社と寺山修司」(仮)特集』が予定されています。期間は7月21日(日)~9月28日(土)。
 上映作品は以下順不同、「エレキの若大将」「東京オリンピック」「クレージーだよ 奇想天外」「てなもんや東海道」「運が良けりゃ」「けんかえれじい」「にせ刑事」「博徒外人部隊」「人間蒸発」「人斬り」「田園に死す」「サード」「初恋・地獄篇」「上海異人娼館」「皆殺しの歌より拳銃よさらば」「ボクサー」「夕陽に赤い俺の顔」「さらば箱舟」「乾いた湖」「書を捨てよ町へ出よう」「かぶりつき人生」「進め!ジャガーズ・敵前上陸」「狙撃」「緋牡丹博徒・花札勝負」「心中天網島」「少年」「白昼の襲撃」「アッと驚く為五郎」「非行少年・若者の砦」「赤頭巾ちゃん気を付けて」「高校生ブルース」「喜劇・女は男のふるさとヨ」「奥様は18歳・新婚教室」「黒の奔流」「旅の重さ」「新兵隊やくざ・火線」「音楽」「股旅」「祭りの準備」。開映時間、料金は未定ですが、他詳細はサイトに掲示されています。
ttp://www.laputa-jp.com/
 さて、同建物の地下の劇場・ザムザでは演劇実験室◎万有引力の公演が行われていたのを最近やっとこさ知りました。よく考えれば同映画館のある阿佐ヶ谷は所縁のある土地なのですね。
 以上、勝手にお知らせでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月13日 23:49 | 固定ページリンク




 | 昨晩はありがとうございました

素敵なお店でした。
一考さんをはじめ、皆様に御親切にしていただき、嬉しかったです。
また、ぜひ遊びに行かせて下さいね。
初めてでしたのに、私にはとても懐かしい場所のように思えてなりませんでした。
矢川さんを惜しまれる方が沢山いらして、少しですが、私の痛みも昇華したのではないかと思います。

桜井さんへ
「枢機卿」についてですが、ローマ教皇をローマ法王と呼んだ時期があったように「すうきけい」と呼んだ時期もあったようですが、現在は「すうききょう」と呼ぶようです。夫に教わりました。。。



投稿者: 都    日時: 2002年06月15日 02:51 | 固定ページリンク




如月 | 414

辞書でみましたところ、ラファエル風のという形容詞は、仏英ともに Rapfaelesqueでした。ラファエル前派もこれでいけるか、用例はみつかりません でしたけど、おそらくこれに「プレ」をつければいいのではないかと思います。   *   *   * ただし、この辺の正確なところは、みなさまにご教示いただけると幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2002年06月15日 11:26 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お教へを頂ければ幸ひです

都様
掲示板拝読いたしました。
その道に昏い者にご教示を賜りたく、お願ひ申し上げます。
1.「ローマ教皇」に統一されたといふことでせうか。テレビではまだ「ローマ法王」と言つてゐたやうな気がするのですけれど。また、ジッドの小説Les Caves du Vaticanは定訳といふことで、「法王庁の抜け穴」のままでよろしいのですか?
2. 「枢機卿」には「すうきけい」「すうききやう」の二つの読み方があることは存じてをりましたが、大体いつ頃から、どこの指示で「すうききやう」に統一されたものか、およそのことでもご存じでしたらお教へ願へませんでせうか。手許の国語辞典では、日本国語大辞典では「すうきけい」の見出しのところに語義が書かれ、「すうききやう」の方は「すうきけい」を参照と書かれてをりました。また、小型の辞典、たとへば、新明解あたりですと、「すうきけい」の見出ししかありません。キリスト教関連の事柄に(も)疎いわたくしのやうな者の蒙を啓いて下さいますやうお願ひいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月15日 16:29 | 固定ページリンク




松友 | 素人の辞書引き

如月様
御無沙汰しております。松友です。
御専門の御歴々がお見えになる掲示板です故、赤面ものですが手近の辞書を引いてみました。
研究社「新英和大辞典・第六版」によれば以下のようです。
---------------------------
Pre-Raphaelite:形容詞:ラファエル前の、ラファエル前派の
the Pre-Raphaelite Brotherhood:名詞:ラファエル前派、ラファエル前派の画家
Pre-Raphaelitism:名詞:ラファエル前派の主張した写実主義(運動)
          = Pre-Raphaelism
---------------------------
又、小学館「ロベール仏和大辞典・初版」と、三笠書房「最新フランス語大辞典・初版」によればこちらのようです。
  、    、
preraphaelisme:男性名詞:ラファエロ前派運動の
  、    、
preraphaelite:形容詞:ラファエル前派の
           :名詞:ラファエロ前派の画家
---------------------------
スペースが崩れないとよろしのですけれども。以上、御目汚しでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月15日 16:51 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 如月さんへ
 矢川さんの「失われた庭」における「ポスト=プレ=ラファイエット」は94年2月に上梓された初版本からの誤植がそのまま「作品集成」(414、435頁)に持ち込まれたものです。ご指摘の通り、正しくは「ポスト=プレ=ラファエリット」になります。言い訳になりますが、私が校正をお手伝いしたのは詩歌の部分のみ、差別用語でかなり紛糾しましたのも懐かしい想い出です。それにしましても、実に細かいところまで丹念に読み込まれる貴方の姿勢に感服、矢川さんも佳い読者を得て本望かと・・・しかし脚注まで解読なさらないで下さい。

 高遠さんへ
 現在では「ローマ教皇」に統一と考える方が自然でしょう。ちなみに「シュオブ小説全集」でも教皇を用いました。59年にドン・ボスコ社から上梓された橋口倫介訳のドルメッソン著「教皇」あたりから一般化されたようです。
 ジッドの本邦初訳は大正12年の本間久雄訳「オスカア・ワイルド」でしたが、以降、昭和3年に上梓された石川淳訳から新庄嘉章や中島健蔵のエッセイに至るまで「法王庁の抜け穴」が用いられています。ご指摘の通り、そちらは定訳ということでよろしいのではないでしょうか。法王ですと仏としての法王や法皇を連想しますので、私は教皇の方が好みです。
 枢機卿は公卿(コウケイ)・六卿(リクケイ)等から「すうきけい」との読みになったのではないでしょうか。ただし、こちらは既刊書にルビがうたれていないので、いつ頃から変化したのかは分からないでしょう。日本国語大辞典と広辞苑は「すうきけい」ですが、百科事典の類は「すうききやう」で統一されているようです。林達夫公認の「すうききやう」ならそれはそれでよろしいのでは。ジッドかジイド同様、共に間違いではないのですから。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 14:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご教示ありがたうございました

一考様
お教へありがたく存じます。教皇でもちろんいいのですが(いましてゐる翻訳も「教皇」で通してゐます)、ジッドの題名のせゐでせうね、アヴィニョンの「教皇庁」の話をするときもたいてい「法王庁」と話すのが習慣のやうになつてゐたものですから。ところで、これはAtok14で変換してゐますが、「教皇庁」は最初の変換では出ないのに対して、「法王庁」は一度で出ました。枢機卿はどちらでも変換されました。何を基準にして変換辞書を作つてゐるのでせうね。
追記
櫻井さま
仰せのとほり、書き込みも閲覧も気易いすてきな掲示板です。管理ありがたうございます。先日、矢川さんについて、阿呆な者たちが書いている忌まはしいどこかの掲示板を見て、インターネットなどいらないとつい申しましたが、撤回いたします。失礼しました。これからもご活躍ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月16日 15:09 | 固定ページリンク




一考 | 紺青の野辺

 都さんへ
 百人の人がいれば百通りの人生があるように、人の死に接しての悲しみも百通りなのです。個々の悲しみの表現に深浅の違いはあっても、悲しみの質に軽重の差は御座いません。
 公的な場に参列するのがひとつの野辺であれば、ジャン・コクトーではありませんが、一人海にたたずんで見送るのも潔い別れではありませんか。かつて吉田一穂翁が亡くなられた時、私は葬儀にも参列しておりません。没後十五年を経てやっと吉田一穂の生地古平を訪れました。古平の隣町の美国の断崖の下の番屋、一穂の詩で詠われた紺青の海とはじめて対座したのは88年のことでした。それから四度、計五度、私は積丹の海を訪れています。今なお、私の心の野辺は続いているのです。
 物書きとは孤絶との立場を選び取るしかない存在なのです。プラトン的な意味において、親兄弟、連れ添いとも大きく隔たってしまいます。だからこそ、個と個の出会いそして個と個の別れとは「存在という罪へのあがない、美というはりつけの情念への苦さ」を噛み締めかみ砕くことにしかならないのです。
 貴女に心の痛みを与えた女性の死について三年後、否五年後になればなにか著せるかと思います。それまでは黙するしかないのです。幻想文学を内包するところの異端の文学、異端の文学を内包するところの圏外文学を博捜し紹介したところに澁澤龍彦、種村季弘、矢川澄子の・・・等といくら贅言を費やしても、個としての彼女の思想すなわち情念に肉薄はできません。
 此岸に遺された「うららかな情念のまがり 昔のはるかなるにおい うとうととまどろむ」愁い、そういった彼女の記憶を私がどう咀嚼しいかに読み替えるか、おそらく問われるのはその一点のみでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 15:15 | 固定ページリンク




一考 | 就職祝い

 櫻井さんと掲示板のみなさまへ
 櫻井さん就職(それとも身売りかな)おめでとう御座います。久しぶりの労働ですので、身体に変調をきたさないかと心配致しております。おそらく最初の一箇月がもっとも疲れるのではと拝察致します。頑張ってなどとは申しません。仕事は適当かつ適宜に処理なさることを願います。

 さて、22日の土曜日に当掲示板の管理人でもある櫻井さんの就職祝いをですぺらにて催します。例によって指定の銘柄飲み放題にて男子4000円、女子3000円です。6時から店主が酔い潰れるまで(おっと主賓は櫻井さんですよ)時間はたっぷり御座いますのでごゆるりと。普段お世話になってる方、集まって下さいね。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 16:12 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 このところ、はじめての方が多くのメールを、また当掲示板を訪れていらっしゃいます。メールにはご返事を差し上げていません。こちらでみなさまにお詫び致したく思います。
 小生の不徳の致すところで当掲示板にいささかの不都合が生じましたが、その分、如月さんの掲示板が頑張っています。如何にささやかな思いであろうとも、書きあらわす即ち追体験にことの大事が、愁い嘆く人の心が御座います。必ずや下記掲示板を訪れて頂きたく思います。

 http://www.hp-web.net/kisaragi/bbs/bbs.cgi



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 18:51 | 固定ページリンク




薫子 | 新刊案内

 昨晩、須永朝彦さんが出来上がったばかりの須永さん編訳「現代語訳 江戸の伝奇小説」(全六巻、国書刊行会)の第一巻をお持ち下さいました。今月22日ごろには店頭に並ぶようです。
内容は「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」山東京伝作、北尾重政画と「桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのぞうし)」山東京伝作、歌川豊国画の二作。
 親の敵を尋ねる美少年喜次郎、妻の密通相手に殺される役者小幡(こはだ)小平次、陸奥を舞台に孝子(こうし)の復讐と怨霊の祟りを描く「安積沼」。叶わぬ恋に狂う破戒僧清玄、様々な怪異に魘(うな)されて離魂病を患う桜姫、美女玉琴の怨霊に翻弄される鷲尾(わしのお)家の転変を描く「曙草紙」。(内容見本より)
 私はまだぱらぱらと眺めただけですが、挿画が沢山入っていて、ああ怖い、でも見たい、やっぱりコワイ、でも読みたい。
 「ですぺら」にて須永さん署名本を予約受け付けております。価格は3500円、消費税は頂きません。<伝奇ノベル>にご興味のある方、是非ご一読を。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月17日 00:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ただ黙して弔す

知り合ひの画家がまだ五十代なのに癌のため金曜日に逝つたことを今朝知りました。以前新聞連載したときに、27回にわたつて挿し絵を描いてくれた方です。個展にも何度か行きました。
お名前をここに記しておきます。
前澤征男さん。いくおと訓みます。笑顔の美しい、含羞のひとでした。
合掌。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月17日 16:05 | 固定ページリンク




a | (無題)


unko



投稿者: a    日時: 2002年06月19日 08:36 | 固定ページリンク




一考 | うんち大全

 unkoではなくunti、正確には「うんち大全」。原著者はジャン・フェクサス、訳者は高遠弘美さん、98年10月に作品社から上梓されたスカトロジーの百科全書。著者は澁澤龍彦さんがネタ本に用いたロミの教え子、代表作に「ファティの告白」「おなら大全」「でぶ大全」などがある。ちなみに高遠弘美さんの名はヒロミ、ロミを内に秘めるところが奥床しい。
 「うんち大全」は宝暦七年に刊行された「薫響集」と共に天下の奇書と称すべき一本。「薫響集」に云う。

 君にけさ貰ひし芋を煮て食へば恋しさごとに屁をや放らなん
 この道にむべも富みけり小つづみの三つ地六つ地の曲放(べ)りをして 
 小便に起きて放りたる折しもあれ月も山屁に有明のそら
 つつめども隠れぬものはすかし屁のもれてほのぼの匂ふゑり袖

 さて、高遠さんの訳文は紛うことなき曲放りにして、すかし屁のもれて匂うはaさんとやらのおつむの腐臭。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 19:26 | 固定ページリンク




一考 | 私の北海道

 永瀬さんへ
 間違っていれば、きっと貴女からなにか云って来るだろうと薫子さんと話していました。
 山形では売っていると聞き及び、私が車の免許を買いに行ったのは89年の7月6日。と免許証に記載されています。免許証の平成1年を88年と思い込んでいました。その年すなわち89年10月に中野新橋から明石の太寺へ転居、たしか12月から1年半ほど「クラブ武田」でバーテンをしたと思います。薫子さんと最初に出会ったのもその頃です。
 あとは貴女の記憶通りですね。「武田」を辞めた91年の夏が貴女と一緒に最初の北海道行き、1年飛ばして93年が2回目、94年にはバイクで35日間北海道をさまよい、11月に西明石で「ですぺら」開店、1年飛ばして96年に愛ちゃんと、98年に薫子さんと北海道へ出掛けています。都合5回になりますが、積丹半島美国断崖の下の群青の野辺は91年の夏と記憶するのですが、やはり間違っていますか。
 ちなみに、63~71年が割烹赤坂、72~77年がコーベブックス、78~83年が南柯書局、84~85年が雪花社、86~87年が読売新聞社、88~89年が研文社、94~現在がですぺらですので、貴女と知り合ったのは86年なのでしょうね。だとすれば、それから後の私のことは貴女が一番ご存じということになります。
 仰るとおり「いつだろうと、そんなことはどうだっていいんだよ。大切なのはあの時に見た海の色の青さとひそやかな野辺の送り・・・」なのですが、どうも私に年譜のようなものを作らせると大変なことになりそうです。お付き合い頂いた女性もしくは逃げられた元連れ添い6~7名の協力を得て、今の内に履歴書でも拵えておきますか。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 21:15 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さま

一考さま

ありがたき御(おん)言の葉のエスプリにしづむ心も屁のごとく浮き

また、

いつかしら疎ましきNの字の去りしをことほぎて詠めるざれうた、

烏滸(oko)の沙汰依怙(eko)のためにはあらねども、于古(uko)なる意故(iko)の彼処(ako)に去り、得ぬ(n=エヌ)



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月20日 01:20 | 固定ページリンク




一考 | 断屁断笑

 文学の原型を端的に示唆したものとして「人間というものは煎じ詰めれば消化器と生殖器から成り立っている」とのグールモンの言葉を援用し、「すべての文学は消化器系と生殖器系にわかれ、さらに拡大して考えるなら前者は屁の文学であり、後者は愛の文学である」と中重徹は結論づける。
 中村幸彦を師と仰ぎ、興津要と共に「新編薫響集」(昭和47年、読売新聞社)を著した中重徹は明治30年鹿児島生まれ。沖縄師範学校を卒業後、熊本、福岡の中学校や高校で教鞭をとったという。前書における論理は明快、書誌学者に相応しい伸縮自在な思考を持つ、謂わば外道文学の達人。
 中重氏はわが邦における放屁に関する戯文への評価の低さと屁と愛の不均衡を嘆く。日本文学の淵叢である古事記には、「生む」が250、「娶ひ」が164、「ほと」が8。それに対して「糞」が6、「屁」は0回。屁を等閑視する上代文学はすべて生殖器系文学であると。源氏物語を濡れ場のないポルノ小説と論断したのが誰だったかは失念したが、室町末期の一休、江戸中期の平賀源内、明治初年の団々珍聞に至るまで、日本のデカダンス文学はひたすら黙屁を続けてきたのである。
 屁は、かのガルガンチュワのように、すかし屁でも風車を四つも回せるほどのエネルギーを内包する。また、昔ある大宮人は女のすかし屁をくって世をはかなみ、出家を思い立ったこともある等々、鞠躬如とした消化器系文学の復権を願う中重氏は、余人の偏見を人間性の歪曲を一蹴する。

 わが親の死ぬるときにも屁をこきてにがにがしくもをかしかりけり

との犬つくば集の俳諧を「わが親ならばいかでかをかしかるべき。それををかしと思ふことの心あるものは、人の子にてはあるまじ、畜生にもおとりたるものなり」と評した松永貞徳を中重氏は断罪する。曰く「この句がそれほど親不孝なのかどうかの論議はともあれ、それを親不孝と思うところに貞徳の文学観のあさはかさとその俗人ぶりがうかがえる・・・元来『をかしみ』は緊張が大なれば大なるほど効果的なのである」
 われわれは稲垣足穂、永田耕衣という共に1900年に生まれた屁文学の大家を識っている。中重氏が擱筆にさいし、「肛門の抜け落ちるほどの笑いを爆発させうる威力ある文学は、わが『屁文学』をおいて考えることはできない」と宣ってはや30年、鬼籍に入られたのを寂しく思うのは私一人か。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 20:38 | 固定ページリンク




一考 | スポイルド・チャイルド

 80年を境に文学から聖性が喪われ、文学のカタログ化がはじまったと思っていたのですが、その聖性を簒奪する種蒔きをしたのは6~70年代に活躍した作家達、すなわちスポイルド・チャイルドの世代ではなかったかと。これは種村さんの朝日の書評を読んでいて気付かされました。 
 N井、I田の世代からS澤に至る「スポイルド・チャイルド世代の文学」との括りがこれから必要になるのではないでしょうか。だって、以降の世代はますます傍若無人に育っています。彼等が自己弁護の言質に前記作家達を利用するのは当たり前ではありませんか。これからはスポイルド・チャイルドの全盛期になりそうです。
 同時代を生きた私は大きな過ちを犯していたようです。一抹の危惧はあったのですが、表現者の特権としてあの人たちの我が儘や傲慢さに目を瞑ってきたのです。そして、気付かずに私自身がスポイルド・チャイルド化していたようです。自ら構築した時代と文学を今一度ガラガラポンせねばならないようです。
 西脇順三郎や吉岡実、永田耕衣や土方巽に見られる過度なまでの方法論、固着した精神や趣味性を呪い続けた彼等の瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想、そうした自らへの懐疑のみが思想ではなかったのか。危惧と前述しましたのは他でもない、N井、I田、S澤等に見られる思想の希薄さを指してのことです。種村さんとは異なり、どうやら私はスポイルド・チャイルドには否定的な見解しか持てないようです。

 もちろん、あの人たちの紹介者としての識見、換骨奪胎の名手としての評価は揺ぎないものです。もっとも、一口で換骨奪胎と申しても、I田が焼き直しならN井は本歌取り、S澤は趣意返しのごとき趣あり。前者がオリジナリティを前面に出し、後二者はオリジナリティを全面的に否定する。換骨奪胎の語釈の定義からはじめねば話はややこしくなりそうです。それは後日に譲るとして、例え井の中蛸壺の中であるにせよ、権勢を振るい君臨したのは事実。その君臨にスポイルドの原点を体臭を嗅ぎ取るのは易いことである。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 21:10 | 固定ページリンク




一考 | ナラトロジー

 如月さんへ
 「個人史の述懐にとどまらず、述懐のナラトロジーを自分でぶち壊して自己の根源に迫っていく迫力・・・私が好きなのは、この<つきつめる力>なのです」
 すてきな言葉ですね。久しぶりに如月さんの肉声を目の当たりにして興奮。歴史は文学における梃子の力点のようなものです。力点がなければ文学から有効性は喪われます。いくら力でねじ伏せようと思っても、それは体力の消耗にしかならず、文学はたちどころに衰退します。
 ナラトロジーを自ら壊すことによってのみ、語られた事実は虚構の事実へと昇華されて行きます。それが根源かどうかは私の与り知らぬところですが、貴方の仰る<つきつめる力>は十二分に理解できます。ただ、書き手にはその運動の質量は把握できても、方向性はまったく分からないのが常なのです。すなわちベクトルとしての体をなさないというところに問題が残ります。
 かつて中井英夫さんの葬儀のあと、新宿の浪漫房にて彼女と情念についての論議を繰り返しました。思想より情念との表現を好むと。また、思想とは搏動であり、蠢きであり、立ち徘徊ることであって、方向性は意に介するようなものではないと。また、論理ないし論理回路は永遠に情念とは交わらないと。その結果が今回の出来事となりました。いかに読み解くべきか、大きな宿題を課せられたような気がします。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 22:01 | 固定ページリンク




 | 遅くなりましたが

高遠弘美さま

 すぐにお返事できずにすみません。さて、ご質問の件ですが、夫に教えて貰いました。

1.に関しては、そのとおりです。
2.に関しては、1981年からです。
 もう少し詳しく申し上げますと、確かに明治初頭の翻訳では「法王」とされ、枢機卿の読みについても「すうきけい」と「すうききょう」が混在して使用されておりました。また、教会内部では教皇の名称が一般的でしたが、特に問題にはしておりませんでした。
 しかし現代になり、1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の来日にともない、教会用語を用いて報道される場合の混乱を避けるため、日本におけるカトリック教会の対外窓口であるカトリック中央協議会(日本カトリック司教協議会)において、「ローマ教皇(きょうこう)」、「ローマ教皇庁(きょうこうちょう)」、「枢機卿(すうききょう)」で統一することを公式に決定、各メデイアに正式に通知したという経緯がございます。
 従って、従来のローマ法王、ローマ法王庁の呼称も決して間違いではなく、()の中にローマ教皇庁を併記してある場合も増えてきたようです。また、英語では the Holy See となり、「聖座」が正しい翻訳です。国連や外交の場ではこの呼称が用いられます。
 そこで結論になりますが、現在、他宗教でも「法王」号を使用しており紛らわしいきらいがあるのも事実なので、今後、少しづつ、マスコミ各社、教科書などでの「ローマ教皇」併記での用語の統一がすすんでいくことでしょう。

一考さま

 どんな青だったのでしょう。水とも空ともつかぬ青さが私の中へ広がりました。「どう咀嚼し読み替えるか」とありましたが、私も私なりに彼女の文学に出会えたことを無駄にはしたくありません。
 昨夏、原民喜展を主催したため、久しぶりに民喜と向き合う作業が続きました。彼の死についての想いが10年前と比べて大分変わってきていたし、驚いたことに、10年たって初めて気付いたこともありました。そんな風に、今の痛みは変わらなくとも、月日を重ねるうち、彼女の死を受け入れることができるかもしれません。
 「失われた庭」は日本海沿いを鈍行列車にえんえんと乗りながら旅する中で初めて読みました。プレ=ラファエロ前派の本、決して読むことのできないあの本を幾夜、夢想したことでしょう。



投稿者: 都    日時: 2002年06月22日 00:52 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 櫻井さんの会

◆櫻井さん
◆一考さん
◆梅子さん

本日の櫻井さんの就職祝いの会ですが、なんと、デスクのお当番に当たってしまい、
朝から深夜まで仕事をすることになってしまいました。
それもこれもW杯のせいなのですが、もうしわけなし。

盛会をお祈りしています。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2002年06月22日 01:36 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございました

都さま

お忙しいところ、正確な情報を賜りまして、まことにありがたく存じてをります。以後、わたくしも気をつけて使つて参りたいと思つてをります。
また、原民喜展を主催なさつたと伺ひ、驚き、かつ、憧れてをります。
原民喜はわたくしの愛する文学者のひとりです。すこぶる大切な作家と申せばよいでせうか。
その原民喜展についてもお話を伺ひたく存じます。
お暇な折、またお言葉をお聞かせください。

感謝をこめて。

櫻井さま
ご就職おめでたうございます。本日は野暮用にて伺ふことができませんが、ご盛会をお祈りいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月22日 14:36 | 固定ページリンク




松友 | 「怪異・妖怪伝承データベース」に見るツチノコ

 表題、既にニュース等で先刻御承知とは存じますが、「怪異・妖怪」についてのデータベースがネット上で公開されています。

「怪異・妖怪伝承データベース」
ttp://www.nichibun.ac.jp/youkaidb/
 概要は以下、サイト内の「目的」より『特に民俗学関係雑誌や江戸時代の随筆類に採録されている、この種の存在によって引き起こされたとされる「怪異・妖怪」現象に関する書誌情報を集めています。扱っているデータはすべて文字資料で、絵画資料はまったく扱っていません。』。

 そして現在「ツチノコヘビ」は22例あり、要約の記述が済んでいるものの内、No.12と14の記述に外観の描写などがあります。
 まずもって、製作と公開に感謝、加えて、より一層の充実には多大な労力と時間がかかると想像しますが、今後にも期待です。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月26日 05:15 | 固定ページリンク




匿名希望 | (無題)

この話ですが、これについて「「岸信介」「共産主義」は ヒットしなかったが、将来入るのだろうか?」と語っていた方がいました(笑)。



投稿者: 匿名希望    日時: 2002年06月30日 02:35 | 固定ページリンク




松友 | 今回の富江に期待

 こちらは文献出自が「民俗学雑誌や江戸時代の随筆類云々」である為か、当該サイトはYahoo!カテゴリに於いては「生活と文化 > 神話、民話と民俗学 > 空想上の生物 > 妖怪 」に分類されているようです。
 さて、Yahoo!カテゴリといえば時として予想だにしない方向に走ってしまう様です。今回「エンターテインメント > 映画、ビデオ > 作品 > SF、ファンタジー > 日本映画 > さくや妖怪伝」を見付けてしまいました。そういえば同映画主演の安藤希は6月29日公開の「富江 最終章 ~禁断の果実~」で富江を演じています。今回の富江は都合四作目、フライヤーによれば『「テーマはロリータとレズビアン」とは監督の弁』。「櫻の園」(吉田秋生原作、否チェーホフ)、「コンセント」の中原俊ですので、期待です。



投稿者: 松友    日時: 2002年07月01日 06:51 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | トルコ土産

トルコより帰国いたしました二階堂奥歯です。
おみやげにトルコのおいしいお酒ラクを買いました。
ライオンのミルクと言われる酒で、葡萄から作るそうです。
アルコール度数45で、アニスの香りがつんとして、薬くさくもあって、甘みがあって、透明感があります。
水を加えると白く濁るそうですが、ストレートでしか飲んでいないのでまだ目撃してはいません。
明日ですぺらに持っていきます。お楽しみに。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月02日 15:49 | 固定ページリンク




素天堂 | お礼です


一考さま

先日は、たった2回目にも拘わらず、看板までお世話になり
ありがとうございました。
底の浅い幻想文学ファンではありますが、
格好をつけて赤恥をさらすことのないように致したいと存じております。
なにとぞこれからもよろしく。

二階堂さま
トルコ土産ありがたくご相伴させていただきました。
美味しかったです。



投稿者: 素天堂    日時: 2002年07月06日 12:59 | 固定ページリンク




初心者 | 質問


こちらのお店はウイスキーのボトルキープはいくらからございますのでしょうか。



投稿者: 初心者    日時: 2002年07月06日 13:22 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ラク

素天堂さま

ご丁寧にありがとうございます。
水を入れると白く濁ると聞いていましたが、オパールのような綺麗な半透明になりますね。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月06日 13:27 | 固定ページリンク




Campagnolo | 高遠さま 一考さま

ご無沙汰しております。高遠さまの御著書は、先日谷川渥さんに一冊差し上げました。種村さんを通じて、てっきり御懇意かと思っていたのですが。お知り合いじゃなかったのですね。谷川さんはたいそう喜んでいました。丁度フェルメールの話をしていた所だったのですよ。ところが僕の分が無くなってしまいました。もう一冊残っていませんか。更に先日、梅木英治君の個展に行った折、夜中まで彼とワインバーで飲んでいたら自転車の話から始まって貴兄の話題になり、絵もお買いになった由。しかもそれが表紙に使われていたとは全然気が付きませんでした。   この間、スコットランドからニッカに払い下げられたウイスキー樽を200本、下取りしました。勿論、空ですよ。これら使用済みの物は定期的にヴェトナムなど東南アジアに輸出しているのだそうです。鋸で挽くとホワイトオークから未だモルトの香りが漂います。場所を取るので全部ばらしましたが、蓋だけでも一枚「ですぺら」に送りましょうか。大きすぎて邪魔だろうね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年07月07日 05:22 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございました

CAMPAGNOLOさま

高遠弘美です。
掲示板、嬉しく拝読いたしました。
早々にお送り申し上げます。
梅木氏といひ、谷川氏といひ、大兄のお顔の広さに驚いてをります。
谷川氏は國學院大學の教授でいらつしやるはずですが、実はわたくしも1985年以来、途中在外研究でフランスに長期滞在した年を除いて、いまだに國學院でフランス語の非常勤をしてをります。それでも氏と面識がないのですからいまさらながら、自分の顔の狭さ、交遊の狭さに呆れております。
ウイスキーの樽を二百もお買ひになつたといふのはわたくしごとき凡人の想像をはるかに超えてをります。お話を伺ふだけでなんだか爽快な気持ちになります。ありがたうございました。

二階堂さま
トルコより無事にお帰りとのことで、喜んでをります。また、ご就職を心よりお祝ひ申し上げます。新天地でますますのご活躍をなさいますやうお祈りいたしてをります。
トルコのラクといふ酒は、もちろん存じませんが、掲示板を拝見する限りでは、フランスのanisetteに近いのでせうか。Ricard, Pastis, Pernod, 51(cinquante et un) , Berger Blanc(ああ、これはなかなか日本では買へず、呑みたいといふ思ひがつのります)のたぐひです。

追記。
先日、都様より貴重なご教示をいただき、やはり辞典・事典を買ふ必要ありと思ひ、カトリック大辞典は高いので、とりあへず、出たばかりの岩波キリスト教辞典(7500円也)を需めました。「一冊でわかるキリスト教のすべて」と帯にあつたので期待もしてゐたのですが、率直に申して大いに期待はづれでした。いつも本の悪口ばかり書いてゐると面上の唾になりかねないので細部は差し控へますが、岩波の辞典は例のケンブリッジ世界人名辞典といひ、どうしてかう中途半端なのでせうか。以前ある雑誌の年度末アンケートの翻訳ベスト3の一冊に、ある編集者がケンブリッジ世界人名辞典を挙げてゐたことがあつて、当方はわざわざ値の張るCD-rom版を買つたのにあまりのひどさに怒り心頭、それだけにその回答者の不見識に腹がたちましたが、今度もこのキリスト教辞典についてはまたどこかでどなたかが褒めているのかと思ふと多少なりとも暗然たる気持ちを抑へることができません。漱石の猫や、一茶句集、西鶴その他の名訳者で知られるリヨン第三大学のジャン・ショレー教授が何度も「広辞苑はだめですね」と仰言つてゐたことをゆくりなくも思ひだしました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年07月07日 09:39 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ありがとうございます

高遠弘美様

ありがたいお言葉恐縮でございます。
某所で働き始めるのは来月一日よりになります。

高遠様には別件でも大変お世話になりました、ありがとうございます。
『乳房の神話学』翻訳者でいらっしゃる高遠様に、エフェスに行ったらアルテミス神像のレプリカを買いもとめお礼の気持ちを込めてお送りしようと思っておりましたが、行ってみたところ非常に安っぽい上に全体の表現が甘く、乳房が乳房とわからない有様だったので買うのを控えてしまいました。

ラクは、梅子さんによるとアブサンに似ているそうです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月07日 20:21 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | やはり買わなくて正解だったのか!? 「岩波キリスト教事典」

さいきん岩波の本といえば、岩波文庫以外には、あんまり食指を動かされる本がありませんが、(ヘルダーリン詩集と狐物語は、たいへんよかった)それでも、「岩波キリスト教事典」、買おうか買うまいか少し迷っていたところなので、高遠先生の書き込みを見て、やはり買わなくてよかったのだ、と妙に納得しています。いずれは、カトリック大辞典の安価なCD-ROM版が出ると一番よろしいのですが、それは、一体いつごろの話になるのかな? 富山房、ガンバレ!
いつのころからか、岩波は事典、辞典関係の編集がぞんざいになっていて、「ケンブリッジ世界人名辞典」(日本語版監修者の優れた英文学者の名前でダマされるのだよな……)が、じっさいには使い物にならないという評判から、二年ほど前に十数年ぶりに版を重ねることになった「岩波西洋人名辞典増補版」が、これも、再版時に誤植の訂正を行った跡があまり見られないといったていたらくです。たとえば俳優の天知茂を「天地茂」とやるようなたぐいの誤植ならば、ある程度の同情の余地はありますが、バタイユの主著「無神学大全」を「神学大全」と正反対の意味になるような誤植をやったまま、すぐ脇に御丁寧にも原語で正確な原題を示すがごときエラーを放置しているといえば、(小生、このミスを二、三度書状で指摘していますぞ)おおよそのお察しはつくでしょう。
「広辞苑」の新版が出る周期が短くなっているのは、とりもなおさず、岩波書店じたいの経営不振のあらわれだというのは、公然と囁かれているウラ情報ですが、それでもなお、「広辞苑」1冊の値段が「ヘア・ヌード写真集」(と、今でも言うのかな?)2冊分よりも安いという事実を考えると、出来の悪さは認めつつも、コスト・パフォーマンスの高さだけは認めてやらなければいけないかもしれません。
そのむかし、岩波で仏和大辞典が計画されたことがあって、ある人が編者の河野与一氏に「どこまで進んだかね」と聞くと、河野氏いわく「Wの項まで終わったところだ」「それじゃぁ、もうすぐ完成だな」「いや、Zの方から執筆しているんだよ」というやり取りがあった由。そのうち、碩学の河野氏は天寿を全うして、仏和の原稿は宙に浮いたままですな。こうした神話的なおおらかさが、いつのまにか失われてしまったことが、最近の編集のぞんざいさを招いている一因ではないかと思います。
最後に、岩波の辞典で特に一冊だけ推奨に値するものとして、齋藤秀三郎の「熟語本位英和中辞典」が出ていることだけは、一応強調しておく必要があるでしょう。
いつもながらの、蕪雑なる感想まで。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年07月08日 01:03 | 固定ページリンク




air | 掲示板では、初めまして


一考様、梅子様、ビンラディン伊藤様、櫻井様、須永様
先日は楽しい時間をありがとうございました。

いつもいつもの濃い内容のこの掲示板、つい書き込むのに気後れしていました。
初めまして、西明石在のairです。
先日ふとした思いつきで初めて東京・ですぺらを訪れました。
店に踏み入ったとたん懐かしさを覚え、どうも舞い上がっちゃったみたいで。
とにかく楽しいお話で、酔ってるはずなのに酔いを感じませんでした。
濃ゆい内容だったような…(ほとんど覚えてません。やっぱり酔ってましたね)
これからも頻繁とはいきませんが機会をつくってぜひ再訪いたします。
あの歩いて帰れる距離の頃は今から思えばとても贅沢な時間でした。
東京はやっぱ遠いわ。

翌日は都現代美術館へ行き「ARTEDINAMICA:フェラーリとマセラティ 」「ルイス・
バラガン展」と「常設展」で、気がつけば5時間以上いたため結局江戸東京博物館は
行けずじまいになりました。これは次回のお楽しみにしておきます。
「ARTDINAMICA」は実物もさることながらスケッチから図面、模型、オブジェまで
見応えありました。フェラーリの赤の変遷がわかる展示も面白いものでしたが誰も
気づかなかった様子で。
ですぺらとここで手に入れた本は6kg足らずもあってさらに諸々の入ったバッグを肩に
よくまあ徘徊したもんだ。
深川めしも初めて食べましたが、そんなにうまいものかなあ?という感想。生海苔の
みそ汁は美味しかったけれど。

帰りは新幹線でしたが手洗いで切符を落としたのに気づかず車内放送で呼び出される
という恥ずかしいやら情けないおまけが付いてきました。それにしてもなんで飛行機
より新幹線の方が高いの?



投稿者: air    日時: 2002年07月08日 01:41 | 固定ページリンク




一考 | ショット売り

初心者さんへ
ですぺらはショット・バーですのでボトル売りはいたしておりません。ご注文がモルト・ウィスキーでしたら、お代は800円からです。ただし、50ccの値段ですので30ccのご注文ですと480円になります。1000円のウィスキーですと600円との計算になります。東京では二番目に安い店と自任しております。ちなみに、ブレンド・ウィスキーは600円からですが、こちらは50cc売りのみです。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 02:27 | 固定ページリンク




Campagnolo | 高遠弘美さま

ご好意、ありがたふございます。我侭ついでに是非献呈署名入りにして頂ければ、なほ有難ひのですが。ふらんす堂のHPから注文しやうとしたら、貴著だけ消へてます。あのやうな名著を断裁するのは犯罪です。谷川さんとはつい先程まで大阪で合ってゐました。元京都書院の濱田さんがやってる書店兼画廊で草間弥生さんと対談するといふので。彼は京都の家にかへりました。この内容は「美術手帖」に掲載の由。濱田さんは一考さんの荒田町から西明石、西明石から東京への引越し手傳ひをしたんですね。高遠さんと谷川さんは國學院という共通項で、てっきり知合ひだと思ひ込んでました。實は僕も美學校で種村さんの授業をニ年間受けたのです。美學校時代の逸話は僕が書きたかったな。また美味しいワイン探して送りますね。サドだけじゃなくてマルドロオルといふ酒もあるんです。ご存知でしたか。味はお薦め出來ませんが。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年07月08日 04:24 | 固定ページリンク




一考 | アブサン

 奥歯さんが4000万リラ(邦金換算4000円)で買って来られた土耳古土産のラク(YENI RAKI)は一種のフレンチ・パスティスでした。そこで猫ではなく酒のアブサンについて一言。
 フランス人医師ピエール・オルディネールが1792年にアブサンのレシピを創り、1797年にペルノ社(現在のペルノ・リカール社)の創業者アンリ・ルイス・ペルノが引き継ぎ、彼はスイスのネウチャテル州クーヴェ村に蒸留所を創立しました。しかし、20世紀初頭に西ヨーロッパでの生産が禁じられ、以降は東ヨーロッパで細々と造られてきました。
 穀類主体の原料アルコールにニガヨモギ(アルテミシア・アブシンシューム)を浸しアブサン特有の香味をつけます。次いでペパーミント、クローヴ、シナモン、パセリ、コリアンダー、バジル等、17種類の薬草類を5日から10日ほど浸漬、エキスを十分に抽出させます。さらに香味成分として少量のアニスとミントを加え、味わいをまろやかにするためごく少量の糖分を加えます。
 アニス系の強烈な芳香と強いアルコールのハーヴ系リキュールですが、モネ、ドガ、ピカソ、ゴッホ、またはボードレール、ランボー、ヴェルレーヌなどが耽溺した中毒性の高い酒として識られています。ニガヨモギに含まれるツヨン(Thujone)が中毒作用すなわち習慣性を生じさせる元凶です。
 1906年にはスイスで、1915年にはフランスでアブサンの生産が全面禁止されましたが、1981年にWHOによってツヨンの規制値が見直され、10PPM以下なら生産可能となりました。そのEC基準に則って86年ぶりにフランスでの製造が再開され、昨年12月中旬にトレーネ(60度)の商品名で日本へも輸入されました。
 同時期に輸入された「ABSENTE」表示のフランス産リキュールは、私達が普段口にするペルノやリカールなどフレンチ・パスティス同様、「Substitute of Absinthe」つまり「アブサンの代替品」と呼ばれている商品であってアブサンではありません。味わいは甘く、その名の由来であるアルテミシア・アブシンシュームやツヨンなどは含まれず、アメリカなどのアブサン禁止国へ輸出する目的で特別に造られた商品です。また、アブサンはエメラルド・グリーンと呼ばれる魅惑的な薄い緑色をしています。主原料のニガヨモギ、バニラ、各種スパイス、紅茶類、天然香料等の成分がアルコールに溶け込み、混じりあう行程での発色です。一方、フレンチ・パスティスも水を加えれば半濁しますが、酒そのものは無色透明のものが多いようです。ラクもパスティスの一種ですからアブサンほどの強烈な癖やアクはないのですが、ペルノと比してすこぶる上品な香味に仕上がっています。アブサンにこだわらなければ、素敵なトルコの地酒です。
 フランスに次いで、ブルガリアでも2001年末にハプスブルグの名で1792年のオリジナル・レシピによる復刻が販売されました。こちらは加水しても濁りませんのでアブサン・カクテルに向いています。グリーン72.5度(8.3PPM)とレッド85度(8.4PPM)の二種があり、トレーネより美味ですが、やや値が張ります。
 それにしても、昭和33年から40年頃にごく少量輸入されていたアブサンはどこの国で密造されていたのですかねえ。ご存じの方がいらっしゃれば教えていただけませんでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 04:26 | 固定ページリンク




一考 | 吟雪

 CAMPAGNOLOさんへ
 22日の櫻井さんの就職祝いの日に谷川渥さんがいらしたのですが、私にはお名前と貌とが結びつかず失礼を致しました。吟雪という荻窪駅前にあった行きつけの店で酒を飲み、郡司正勝さんのお宅へ連れ立ってお邪魔したらしいのですが、まったく記憶にないのです。恐らく酔い潰れていたのでしょう。
 濱田信義さんから谷川さんのあとを引き継いで講演だか対談だかをしてくれと頼まれたのですが、ですぺらを休むわけにいかず、困っております。ところでウィスキー二百樽は何に使われるのですか。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | レダの会

 久世光彦さんが先週の水曜日にですぺらへいらっしゃいました。矢川さんと当店で逢われたのが最後とか。それは二月九日、当店では三度目のレダの会の日でした。レダの会とは野溝七生子さんを偲ぶ会の名称です。「野溝七生子という人」でも触れられていますので詳しくは書きませんが、久世さんは忙しい中、三度とも参加なさっています。
 如月さんの掲示板でやっきさんが書き込まれていますが、「BRIO」(光文社)8月号には久世さんの追悼文が掲載されています。
 「矢川さんは晩年のアナイスについて、ほとんど語っていない。異様とも言える熱心さで〈アナイス・ニンの少女時代〉に目を凝らすのである。まるで自分の少女時代を解剖するような執拗さと、愛着とをもってアナイスとの同化を企(はか)っているのだ」
 言うまでもなく、他人に託けて自らの情念を描くのが表現です。だとすれば、表現者に「他」と「自」もしくは「公」と「私」の区別は御座いません。生きるとは取りも直さず「私」の解体であり、捐棄であり、棄甲でしかないのです。それ故、表現者とは常に傷を負った存在です。その傷の深さ、裂け目の按配に「個」が「個」としての愛着を眷恋を感じるのです。かねてより、久世さんの文章の底辺には〈高等遊民〉や〈少女〉の血脈への憧憬が妖しげな旋律となって刻み込まれています。今回も文章の要の部分に「信用」との信仰告白がさり気なく鏤められています。鬩ぎ合いに終始せず、決して抱いてはならない信頼という名の麗しいディスタンスに囚われてしまった表現者をまた一人識りました。
 久世さんがかいま見た希有な出逢い、醸し得た出逢いの絶景、言い換えれば個と虚無との逢瀬。その苦衷と遣る瀬なさに一献捧げたく思います。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 05:51 | 固定ページリンク




素天堂 | 緑の妖精


チョコチョコのぞきに行く、
ちょっとだけ危ないサイトにこんなコーナーがございます。
よろしかったらごらんください。
http://www.feeverte.net/



投稿者: 素天堂    日時: 2002年07月08日 05:52 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 素天堂さんへ 
 緑の妖精とやら覗きに行きました。やっぱり、あのようなサイトがあるんですね。アマゾンともしっかりリンクされていました。ご教示有難う御座います。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 06:26 | 固定ページリンク




Campagnolo | 一考さま

ウイスキー樽は何も考えずに買ってしまいました。その前に日本盛が樽酒用に使った四斗樽を四トン車二台分買い、それを転売してイタリアでの書物代としました。そのノリで買ってしまったのですが、ちょっと今回は持て余しています。でも上質のホワイトオークは非常に入手困難なので、なにかと道具や家具など作る折には重宝しています。一度床に敷き詰めようと考えたことがあるのですが、大工に断られました。理由は日本酒の樽は和紙と竹釘でつなぐのに対し、洋樽は太い金釘と笹のような植物の葉で組んであって、鉋をかけられないからです。濱田さんの所の講座に来られたら又会えるのにね。但し生徒は集まらないよ。谷川さんの時も二十人そこそこだったらしい。一考さんはどんな内容にするんでしょうか。僕も今、他で変な講座を頼まれて全六回なんですけど、生徒は八人にしてもらっています。少ない方が場合によっては楽ですが、講演で人が少ないのは寂しいね。谷川さんもですぺらに行ってたんですか。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年07月08日 06:50 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | マルキ・ド・サドの逆襲?!

今、輸入盤のCDがやたらに安いので、クラシックやジャズのCDをついつい買いすぎてしまいます。
たとえば、ショルティのワグナーセット(バイロイトで上演される「指輪」以外の6演目を21枚のセットにしたもの)が約1万7千円、ワグナーの「指輪」ではグスタフ・キューンやギュンター・ノイホルトの新録音でも、フルトヴェングラーのリマスター版でも、十数枚で4千~5千円程度。あるいは吉田秀和さんが数ヶ月前の朝日の音楽時評で触れておられたショスタコヴィッチの交響曲全集が3千円台といったアンバイでは、あに衝動買いせざるをべけんや、です。
そんな中で、ジャズのCDで珍品を発見。(残念ながらこれは廉価版ではない!)
「燃えよドラゴン」や「スパイ大作戦」のテーマ音楽で知られるラロ・シフリンが、昨年、”Return of the Marquis de Sade”というアルバムを吹き込んでいたのですな。 この邦訳タイトルは、やはり「マルキ・ド・サドの逆襲」でなければ、ちょっと洒落っ気不足というものでしょう。 ラロ・シフリンは、35年ぐらい前にヴァーヴから「マルキ・ド・サド」というアルバムを出しておりまして、わたしはその実物は聞いていないのですが、「バロック風の雰囲気をもった楽しいアルバム」として、マニアの間に語り継がれています。 これは、その昔のアルバムにちなんで作られた企画ということになると思いますが、雰囲気はオイゲン・キケロとジャック・ルーシェとMJQと上野耕路をちゃんぽんにしたような感じ。 特筆すべきは、収録曲のタイトルがたいへん洒落ていることで、「リラクシン・アット・シャラントン」(カマリロではないのだな)「恋人の仮面」「カム・マイ・ウェイ」(俺について来い……、か)「ヴェニスの夜」「侯爵御帰還」「ジュスティーヌ」「バッハからブルースへ」「アイネ・クライネ・ジャズ・ミュージック」「マドリガル」の9曲。 あえて難を申すならば、一考さん御推奨のホイスキー同様に口当たりが良すぎることでしょうか。(こう言えば、買う買わないの選択には十分な情報になると思います。)
とりあえず、珍品の御紹介まで



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年07月11日 02:08 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ

キャンプの件、別荘の持ち主と話ができました。
行き先は、佐久群南相木村というところでした。
別荘までの地図や別荘内の見取り図ももらいました。ご安心下さい。
もよりのインターが、中央高速道の須玉とのことでした。
待ち合わせ場所の変更が必要かと思います。
ちなみに中央高速道の入り口は、高井戸で、最初のSAは[談合坂]のようです。
くわしくは、明日(12日)か来週(15日の週)に一度店の方に伺いますので、確認をさせて下さい。



投稿者: 内山    日時: 2002年07月11日 18:09 | 固定ページリンク




薫子 | 朗読会のお知らせ

 来る7月27日(土)、29日(月)に「栗田ひづる ひとり語り」をですぺらにて催します。詳細は以下の通りです。
 
 日時 7月27日(土)、29日(月) (28日はお休みですのでお気をつけ下さい)
 時刻 18:30開場、19:00開演
 朗読 「古傷と太陽」津原泰水 作 (書き下ろし)
    「私の居る場所」小池真理子 作 (「水無月の墓」新潮文庫より)
 ☆津原泰水 トークイベント

 料金 ¥2000 (ワンドリンク付)
 会場 ですぺら
    港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂3F
    (一ツ木通り中程、1Fは牛丼の吉野屋)
    TEL 03-3584-4566
 お問い合わせ kurizuru@anet.ne.jp

栗田ひづるさんは、声優を生業とされている、とってもチャーミングな女性です。
津原さんの作品はこの朗読会のために書き下ろしされたもの。
トークイベントは一体どんな内容になるか、まったく分からないのですが、
きっとアツイ夜になることでしょう。(人いきれで冷房が効かないかも)
ですぺらで朗読会は初めてなので、音響の面など心配なこともありますが、
私自身とても楽しみにしているイベントです。
是非いらして下さいまし。

 なお、イベントは21時ごろまでの予定で、その後は通常の営業になります。



投稿者: 薫子    日時: 2002年07月12日 04:16 | 固定ページリンク




一考 | 久々のキャンプ

 内山さんへ
 中央道の須玉は山梨県、信越道の佐久は長野県、目的地はちょうどその真ん中なのでしょうね。それにしても談合坂SAは最も混雑するところですね。待ち合わせ場所は他のSAを検討しましょう。
 ついでに塩尻まで足を延ばせば旨い蕎麦屋がたくさんあります。長野の蕎麦屋は北と西が旨く、軽井沢方面の有名店は軒並み駄目です。ぜひ蕎麦の梯子を致しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月14日 00:12 | 固定ページリンク




一考 | 新入荷2

 5月と6月はサッカーの影響もあって売り上げは芳しくなく、好ましくない記録を更新致しました。「天の河いと川波は立たねども」の心境を亢進すべく、今月は僅かばかりの新規ボトルを購入致しました。

 アイランズからは
 【ハイランド・パーク '95(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。5年もの、62.0度のカスク・ストレングス。
 【ハイランド・パーク '91(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 【スキャパ '85(イアン・マクロード)】
 チーフテンズの一本。バット樽の16年もの、43度。2樽、1626本のリミテッド・エディション。

 アイラからは
 【カリラ '90(シールダイグ)】
 ウィリアム・マックスウェル社のリリースになるカリラ。10年もの、43度。シールダイグとは西ハイランドにある風光明媚な漁村。アルマニャックのボトルを用い、ギフト用として仏蘭西国内で販売されている。当ボトルとは異なる700?の17年ものも頒されている。
 【カリラ '94(ヴァンウィー)】
 アルティメットの一本。オーク・カスクの7年もの、43度のシングル・カスク。ノン・チル・フィルター、ナチュラル・カラー。アルティメットはオランダの名物ボトラーのヴァンウィー社のコレクション。同社のホームページ(http://www.awa.dk/whisky/windex.htm)はモルト・ウィスキーに関するものとしては最も完備している。
 【カリラ '92(ブラッカダー)】
 ロウ・カスクの一本。オーク・ホグスヘッドの10年もの、58.6度のカスク・ストレングス。限定328本のシングル・カスク。

 スペイサイドからは
 【オスロスク '95(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。5年もの、62.3度のカスク・ストレングス。ダグラス・マクギボンのセレクション。無着色にして低温濾過は施されていない。
 【グレンロセス '90(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。シェリー・カスクの11年もの、43度。
 【ストラスアイラ '90(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 【ストラスアイラ '92(ブラッカダー)】
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定278本のシングル・カスク。
 【ダルユーイン '80(アデルフィ)】
 21年もの、56.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 【バルミニック '90(イアン・マクロード)】
 チーフテンズの一本。ホグスヘッドの11年もの、43度。4樽、1800本のリミテッド・エディション。
 【バルミニック '90(アデルフィ)】
 11年もの、59.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 【マッカラン '73(マーレイ・マクデヴィッド)】
 リフィール・シェリーの26年もの、46度のシングル・カスク。

 ハイランドからは
 【アバフェルディ '91(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 【クライヌリッシュ '89(アデルフィ)】
 12年もの、57.2度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。他に88年蒸留の11年もの、84年蒸留の16年もの、72年蒸留の28年もの、74年蒸留の27年ものが頒されている。
 【ノックドゥー '89(アデルフィ)】
 12年もの、56.6度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 【ロイヤル・ブラックラ '94(マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。5年もの、59.3度のカスク・ストレングス。

 ローランドからは
 【ローズバンク '92(アデルフィ)】
 9年もの、61.8度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。他に樽違いの61.0度のボトルあり。

 以上で御座います。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月14日 00:16 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ

蕎麦屋の梯子とは妙案ですね! 明日か明後日には一度伺う予定です。



投稿者: 内山    日時: 2002年07月16日 13:45 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 受賞ご報告と御礼

「ですぺら」にも委託させていただいている拙誌、ロード・ダンセイニ翻訳
紹介誌「PEGANA LOST」が第21回SFファンジン大賞 翻訳・紹介部門賞を授与
されました。
これで何かがすぐに変わるというものではありませんが、短く持ってこつこつ
当てろともいいますし、少しづつでもダンセイニのことが認知されていくのな
らば、これ以上のことはございません。
詳細は幻想的掲示板の方に書きましたので、ご参照いただけますれば幸甚
です。下記「URL」リンクをクリックしてくださいませ。

渡辺一考さんには委託を快く引き受けていただいたばかりか、販路等について
もご尽力いただきたいへん感謝いたしております。また、さまざまのご鞭撻
を賜りましたことにも改めて御礼申し上げます。
本来ならば直接お店に足を運んで、いつもより高いめのお酒を干して祝いたい
ところですが、ちょっと間がないので略儀にて。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年07月17日 04:04 | 固定ページリンク




松友 | 入荷分は

 過日は久々にすっかり戴いてしまいました。やはり新入荷のものはドキドキします。さても「酔ひ泣きするし 優りたるらし」などとの境地に至ってみたいものですが、当たり前の如く出来よう筈もありません。そんなこんなでも、頂戴してみればマクギボンのロイヤル・ブラックラは若さに満ち溢れつつも、応じた分別を備える心地よい一杯。バルミニックはイアン・マクロードとアデルフィのものを、並べて御相伴すれば一層面白く戴けるかしらん、など感じたりしました。
 そういえば、並べて頂戴してみたいものといえば、暫し前に特食シリーズというのがありました。同シリーズには、「ゴジラ印の肉」「ガメラ印の肉」があったそうです。恐らくはこちらに御越しの御先生方諸氏にあられましては「アミルスタン羊印」は無いのか、「ナヌムモ印の調味料×二壜」はどうした、といった厳しい御指摘を賜ったりはしないかと不安ですが、そちらは御遠容赦お願い申し上げたく存じます。

付記:数あるネット上の、とある「SM診断」なるものに挑戦してみました。すると、明確な”癖”がある旨、提示されてしまいましたが、はたしてそうなのかしらん。まぁ「この「診断」はあくまでもお遊びです。」だそうですけれども。
「SM診断」↓
ttp://www.f3.dion.ne.jp/~ykurata/smi/sm1.htm



投稿者: 松友    日時: 2002年07月18日 02:23 | 固定ページリンク




松友 | 自己レス・成る程、404な参照先を探すなら

自己レス御容赦お願い申し上げます。
こちらに御見えの御先生諸氏は、当然、御含み置きと存じますが、暫し御許しお願い申し上げます。
ディープ・リンクすな、との御声があると思しき昨今ですが、さておき。

団藤保晴の「インターネットで読み解く!」 第121回「リンク切れ対策に特効薬があった」
ttp://dandoweb.com/backno/20020718.htm

恐らくは、より洗練された手段があるのでしょうけれども、もしや御参考になりましたら。尚、参考文献中にもありますように、本文中に紹介されているサイトを参照する折は、彼の地との時差を鑑みるのが宜しいようです。

付記:恐らくは多くの方々が関係無いと御推察申し上げますが、残り二週間を切りましたです。御無理をなさらず、体調は万全に。日本の夏は厳しゅうございます。その節は、宜しくお願い申し上げます。今年は夏・冬共三日間開催でございます由。



投稿者: 松友    日時: 2002年07月20日 01:00 | 固定ページリンク




Campagnolo | 高遠弘美さま

res.遅くなって申し譯御座いません。御著書、確かに落掌致しました。我侭をお聞き下さり、識語署名入りにして下さった事にも深く感謝致します。永久保存版に致します。お礼は何にしようかと考えても私には著作があるではなし、又VIN等選んでおきます。中眞さんは例によってちょっと誉め殺しの感あり。最近少々体調悪く、昨日は点滴とCT、明後日は精密検査を言い渡されております。貴兄も時節柄御自愛の程。この出会いを作って下さった一考さんにも多謝。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年07月23日 19:52 | 固定ページリンク




一考 | アイラモルトの最新情報

 年末にラガヴーリン蒸留所から10年か12年ものカスク・ストレングスが、明年春先に25年ものディスティラーズ・ボトルが頒されるようです。ご存じの通り、現行の16年ものはリフィール・シェリーの樽を熟成に用いていますので、かつての12年もののようなパワフルな味わいが薄れていました。2000年にハート・ブラザーズ社からボトリングされたラガヴーリン(88年蒸留の12年ものカスク・ストレングス)は稀にみる好コンディションでしたが、今回のカスク・ストレングスも期待出来そうです。
 同じく年末にカリラのディスティラーズ・ボトルが久しぶりに販売されるようです。オフィシャル・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズですが、それとは異なります。予定では12年か15年もの43度と55度位のカスク・ストレングスの2種類になりそうです。ラガヴーリン同様楽しみなボトルです。

 8月頭にスコッチ・モルト・セールス社の新しいコレクション「ケルティック・クロス」のローハン・ソランが入荷します。ローハン・ソランとはラガヴーリン蒸留所が仕込み用水を取っている川の名、従って中味はラガヴーリン(90年蒸留の12年もの、46度のシングル・カスク)です。スコッチ・インデペンデント・ディスティラーズ社すなわちイアン・マクロード社の樽をスコッチ・モルト・セールス社がリリースしたものです。前回のディスティラリー・コレクションのラガヴーリン(91年蒸留の10年ものカスク・ストレングス)がすこぶる美味なモルト・ウィスキーだったので、早く味見がしたくてじりじり致しております。
 ちなみに、同ケルティック・クロスの9月頒布は91年蒸留のカリラです。アイラ党には堪えられない年後半になります。それにしても、13種類ものラガヴーリンを蔵したバーはですぺらの他にはないと思うのですがねえ。

新入荷2の追加
 【グレンファークラス '88(メーラー・ベッセ)】
 蒸留所のボトリング。リリースは独逸人で仏蘭西ボルドーにてワイン商を営むメーラー・ベッセ社。フレッシュ・シェリー・バットの14年もの、46度。
 他に88年蒸留のダーク・オロロソ・シェリーとマンザニラ・シェリー、81年と79年蒸留のポート・パイプ熟成のボトルの計5種が頒されています。一番人気はダーク・オロロソ・シェリーだそうですが、私の意見は異なります。輸入元はノアキャル。
 【グレンロセス '87(ベリー・ブロス&ラッド)】
 ベリー・ブラザーズ&ラッド社の手になる12年もの、43度。
 本品は蒸留所元詰めのグレンロセスの定番。実に多くのヴィンテージが頒されています。72年以降は現在なお入手可能。本品は赤坂店開店以来、8本目です。すべてヴィンテージは異なりますが、やはり人気ものですね。
 ですぺらにてケース単位で売れたモルト・ウィスキーは他にタリスカー、ハイランドパーク、アードベッグ、カリラ、ラガヴーリン、ラフロイグ、スプリングバンク、オスロスク、ストラスアイラ、マッカラン、グレンモーレンジの計12種です。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月25日 14:55 | 固定ページリンク




一考 | 栗田ひづる ひとり語り

 栗田ひづるさんの朗読会に42人もの御参加を頂きました、有難う御座います。
 関係者を含め、52人の人いきれで冷房は効かず、噎せ返る一夜でした。ビールが売り切れましたので日曜日に補充、店内を掃除し、冷房をつけっぱなしにしておきました。今宵も盛会になりそうです。開場は18:30、開演は19:00です。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月29日 14:22 | 固定ページリンク




一考 | ヘプコ

 松友さんへ
 日曜日、所沢でモルト関係者の寄り合いが御座いました。欠席するわけにもいかないので店の掃除が終わってから参加しました。帰宅は深夜の二時になりましたが、おかげで八月の二日か三日にはちょっと珍しいウィスキーが入りそうです。
 帰宅後、ハネホンさんからメールが入っていましたが、貴方から教わったヘプコのリアキャリアは二本サスのR100にしか用いられないとのことでした。ビーマーからは返事がなく、あとダッツさんの返事待ちなのですが、どうやら諦めるしかなさそうですね。ヘプコ以外のメーカー、すなわちクラウザーとGIVIのステーをつけるとサイドケースが使えなくなります。
 私が望むリアステーはサイドケースと抵触しないこととGIVIのトップケースのベースを取り付けられることの二点ですが、条件を満たすステーは誂えるしかないようです。いろいろ有難う御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月29日 14:23 | 固定ページリンク




松友 | お役に立ちませんで

 一考様
 まず、キャリアの件ではお役に立てませんで申し訳ございませんでした。特注はサイズを望むままにできるのが大きな利点ですから、ここは一つ妥協せずに行って下さいまし。単品モノであれば現物合わせが確実・簡略と思いますが、図面などが御入用でしたら採寸の上お手伝いさせて戴きます。それにしてもお店さんからの御返事が遠いというのはちょっと寂しい話ではあります。
 さて、ウヰスキーは何が入るかドギドキしてしまいます。一考様をして”珍しい”とは、とても楽しみにしております。
 では、では。



投稿者: 松友    日時: 2002年07月30日 22:56 | 固定ページリンク




一考 | 八ヶ岳

 内山さんへ
 20、21の両日は有難う御座いました。三年ぶりのキャンプでしたが、やはりよいものですね。残念ながら、蕎麦は期待はずれでした。アルプスサラダ街道の蕎麦屋は論外としても、「翁」程度の蕎麦なら都内でも食することが出来ます。
 日曜日は八ヶ岳のキャンプ場で泊まりました。一人がデイキャンプで400円、泊まりだと800円になります。時間制限はなく、炊事場は一カ所にて屋外灯も一切なく、車は道端に置くという私好みのキャンプ場でした。
 このところ薫子はインターネットにかじりついて近隣のキャンプ場を探しています。4日は埼玉か栃木の山奥へ出掛けることになりそうです。真夏は車を利用しますが、涼しくなればバイクツーリングに切り替えます。
 それにしても、貴方の友人の手造りの別荘はすごいものです。鉋と鑿のコレクションにも脱帽。どうかよろしくお伝え下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月30日 23:56 | 固定ページリンク




一考 | ホキ徳田さん

 先週の金曜日に白鳥友彦さんと銀座で酒を飲みました。席上、偶然にジャズ・ピアニストのホキ徳田さんとお会いし、四時間ほど語り合いました。67年にヘンリー・ミラーと結婚、五人目の奥さんでした。ヘンリー・ミラーはジョイス、プルーストと共に20世紀を代表する作家です。そのお話を伺いたく、ホキ徳田さんを囲み「ヘンリー・ミラーを語る会」が催せたらと思っています。
 パリでのボヘミアン生活を描き「何よりわいせつなのは無気力である」という主張を叩き付けた「北回帰線」と熱烈な恋愛描写で識られる「南回帰線」について語り明かせたら面白いと思います。ホキ徳田さんの弁によるとヘンリー・ミラーが付き合った八人の女性はすべて異国人だったとか。愛による自己の精神的な蘇生を図ったロスト・ジェネレーションに相応しい恋愛だったと推察出来ます。
 韓国語に「ワッタガッタ」との言葉が御座います。韓国語と日本語を混ぜ合わせた言葉で「わったりがったり」を縮めたものです。意は「行ったり来たり」、ちなみに酒席における杯の往返、すなわち回し飲みを表現する際にも用います。言い換えれば「往来」「往還」「ゆきかえり」「行きつ戻りつ」となりましょうか。ただし、廻国または商用旅行の意が強く、日本語でいう「徘徊」や「立ち徘徊る」には馴染みません。いずれにせよ、文化の本義とは廻国。互いにゆききすることによって、異なる生活形成の様式と内容が混じり合い、育まれて行きます。
 当店での晤語がヘンリー・ミラーの恋愛にも似て、識見、つまり思想や志の交流の場ともなれば、店主としてそれにまさる喜びはないのですが。  



投稿者: 一考    日時: 2002年07月31日 00:00 | 固定ページリンク




一考 | ヘプコ続き

 松友さんへ
「87式R100RS用リアキャリアはその下部をサイドケースのステーに装着するのか、それともテールカウルに孔を開けて装着するのかを知りたい」との問い合わせにドーケンさんから以下のメールが入りました。
「ドイツのH&B製は、トップケースホルダーはクラブバーをはずした螺子穴を使用し、穴あけ加工等は必要ありませんが、同社製のケース専用の取付ブラケットになります。またサイドケースのステーには結合させません。品番650-605-0101ブラック塗装¥22,200-又は650-605-0102クロムメッキ¥23,900-となりますが、申し訳ございません、現在在庫切らしており、次回入荷は9月末を予定しております。あとAIR代¥5,000-掛かってしまうのですが、航空便で取り寄せも承ります。こちらでしたら2週間ほどでお届けできております」

 文中、クラブバーの意味が分かりません。おそらくセンタースタンドをかける時にバイクを引き上げるための持ち手、すなわちテールカウルの上部に装着されているアルミのブリッジ状のものではないかと思うのですが。もしもご存じならお教え下さい。
 ちなみに「海外ツーリング情報」の掲示板でヘプコ&ベッカー社のステーはトップ用もサイド用も鉄製パイプ。またトップケースのステーがリアキャリアとして使えるようにデザインされていて、かなりお薦めとか。リアキャリアとしての体を成しているのであれば、そこにGIVIのトップケースの取付ブラケットを乗せることが可能になります。ドイツのホームページにもステーの形状は紹介されておらず、何も判らず注文するのは怖いものですね。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月31日 00:52 | 固定ページリンク




松友 | グラブバーは御指摘の通りです

 返事が届きましたですか、宜しゅう御座いました。御指摘の通りグラブバー(もしくはグラブレール)は後席乗員が体を安定させる為の「握り棒」を表します。同様にセンタースタンドを掛ける場合にも用います。一考様の車輛ですと、シート後ろに繋がっている樹脂製のカバー(テール・カバーとかシートカバーとか)の左右に付いている「握り」、アルミのブリッジ状の部品が該当すると思われます。この握りは上下で車体に取り付けられているはずですから、キャリアは左右二箇所づつ計四箇所で取り付けるのでしょう。テールカバーに穴あけ加工が要らないのは朗報ですが、これですと後席乗員用の握りは何処へいってしまうのかしらん、ということですね。確かに、新たな部品に同様の握りが付加されていないと、一考様の用途には向かないかもしれませんです。形状の取り回しによっては、握り部分を溶接・ボルト留めする方法もありますが、後加工含め素材は鉄の方が有利です。既に自転車でも御経験の通り、アルミは瞬間的な力が加わった時、及び変形したものを直そうとすると、割れるか若しくは折れ易く、車体からはみ出す部分に用いるのはあまりお勧めできません。アルミのレバーやステップ・ステーが折れ、割れてしまい、走行できなくなるというのはレース場ですら時折聞く話です。
 それにしても実物の形状が判らないままの注文というのは、あまり芳しい話ではないように聞こえてしまいます。そういうものなのでしょうかしらん。例えばドイツの単車雑誌「モトラッド」にはバッグなどの広告がショップ含めある程度掲載されていた記憶があります。残念ながら手元には御座いませんので、気軽に見れる場所があれば良いのですけれど。



投稿者: 松友    日時: 2002年07月31日 18:09 | 固定ページリンク




一考 | グラブバー

 松友さんへ
 貴方からのご返事が先に入っておりました。恐縮です。
 「センタースタンドをかける時にバイクを引き上げるための持ち手」が蟹の形には見られないので、クラブバーとはグラブバーの間違いではないかと思います。ドーケンすなわちダッツさんからのメールをコピーペーストしましたので、これは明らかな誤植なのでしょう。
 先日、蒲田のハネホンさんでシリンダーキーの修理方法を教わりました。実は私のR100RSは問題児でして、エンジンキーとハンドルロックキーとシートキーがすべて異なります。さらにパニアケースとシティーケースのキーも加わるので、ツーリングの時には多くの鍵を携帯していました。西明石のバイク屋さんがワンキーにチャレンジして下さったのですが見事に失敗。諦めかけていたのですが、簡単に処理できることを教わりました。すべてのキーがワンキーで間に合うようになりそうです。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月31日 21:07 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ざれごとのみ

一考さんのメールをはじめ、いつも面白く拝読してをります。
今日は詰まらぬ話題ふたつ。
暇に飽かせて近所を散歩してゐたら、神社の結婚式場があり、その説明があまりに可笑しかつたので、写してきました。
挙式、披露宴プラン。40名928000円。
さてその内訳は、
1.御儀式(挙式初穂料)
2.お控へ室
3.御披露宴会場費
4.お料理(和洋会場、和洋盛り込みいづれか選択)
5.お飲物(飲み放題)
6.手打ち蕎麦
7.シャンパンタワー・乾杯用(ワイン、冷酒)
8.メモリアルキャンドル
9.卓上キャンドル
10.生デコレーションケーキ
11.カラオケ
12.司会者
13.演出・効果料
14.メインテーブル装花
15.卓上装花
16.花束
17.ご招待状
18.席順表
19.席札
20.芳名帳(二冊)
21.お写真(5ポーズ、アルバム二冊)
22.記念品プレゼント


もうひとつ。

いつか戯れ歌でマラルメのことを茶化しましたが(おお、何たる冒涜!)、けふつれづれにある本を読んでゐたら、ショップといふジャーナリストが、やはりマラルメを「マル・アルメ」=「マラルメ」とかけて論難している文章(1876)にぶつかりました。 アクサン記号は省きますが、Mallarme ne desarme pas.
といふ一文には思はず、嘆声をあげました。お茶らかしのことばさへ、あまが下にあたらしきものなし。新しいものを探してばかりゐるひとたちが滑稽であはれです。いまさら何を求めることがあらうやと言ひたくなることも。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年07月31日 21:43 | 固定ページリンク




如月 | 「徘徊録」オープン

本日、↓URL
http://www.furugosho.com/vertige/nomadologie/index.htm
で、小サイトの新コンテンツ「徘徊録」オープン致しました。
これまで掲示板に書きこんだ書評、劇評等の一部をまとめたコーナーです。
新設したばかりのため、まだ手直ししなければいけない箇所や細かいミスも
いくつかありますが、お暇な折にでもアクセスしていただければ幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2002年08月02日 01:27 | 固定ページリンク




Campagnolo | いっっこう 一考さま

BICYCLE CLUBの別冊で「カンパニョーロが丸ごとわかる本」というムックが出たのをご存知ですか。勿論150頁でカンパが分かろう筈がありませんけれど、もし未読だと、いけないので書き込んでおきます。こういう書物だけコンビニか書店で買って、他は殆どnetから買うようになってしまいましたから、コーべブックスも南天荘も、遂には近所の小さな新刊書店も廃業してしまったんですね。倒産ではなく「廃業」ですからご心配なく。変な不動産投機に失敗した訳ではありません。最近、私はLambretta150という1966年式の妙なスクーターを買ってしまい、困っております。幸い、うちのビルの一階に自転車、バイク、四輪を扱う業者を誘致したので、まるで専用工房を持ったようなものですから、たいそう便利です。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年08月02日 09:04 | 固定ページリンク




Campagnolo | 追記

先程、書き込み途中で居眠りしてしまった上にどこか違うキーボードを顔で押してしまったらしく、尻切れトンボの記述になり、失礼しました。一考さんに「カンパニョーロが丸ごと分かる本」bycle club別冊、 えい出版社刊を既にご存知でしょうが、念のためお知らせしようとしていたのです。150頁でカンパが分かる訳などありませんけれど。こういうものだけをコンビニや郊外の大型店で買って、私も他の書物はnetで注文しておりますから、コーべブックス、南天荘、果てはそのそばにあった小さな新刊書店までが廃業するはめになってしまったのでしょう。北風家は変な不動産投機に失敗したわけではなく、今が潮時と判断して廃業したようです。決して「倒産」ではありませんから、負債はない筈。ところで先日より高遠さんと話題になっている、「宛字外来語辞典」は20年以上前に一考さんに見せた時は、全然興味を示さなかった記憶があります。大月雄二郎が欲しがってパリに一冊送りました。柏書房なのに見切りを見かけません。戦前に類書がたくさんありますね。それからちょっと違うかもしれませんが、高遠さんに推薦書。「法華百科辞典」DUDENの台湾海賊版ですが、Francais-chinois dictionnaire en IMAGES、 図版はDUDENと全く同じですが、訳がおもしろいですよ。これも大月に送りました。                                       先日、Lambretta150の1966年モデルというスクーターを買ってしまって困っております。ところが、うちのビルの一階に自転車、バイク、四輪の修理業者を誘致したので、プライベート工房が出来たようなもの。工具は揃っていますが技術的には問題あり。これから指導していく積りです。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年08月02日 16:23 | 固定ページリンク




一考 | ご返杯

 高遠さんへ
 挙式、披露宴プランならぬ葬儀プランについて一言。
 父の死去に伴う火葬のおり、三種のランクがあることを識りました。小一時間に及ぶ火葬の鉄の扉のまえに設ける祭壇の華麗さによって価が異なるのだそうですが、それを知ったのは父が真っ白な骨に変身したあとのこと。当初、私はてっきり焼き方にランクがあるのだと思い込んでしまいました。すなわちレア、ミディアム、ウエルダンの三種です。父のことだから生焼きでもよろしかろうと、もっとも安いコースを指定したのですが・・・
 前日から、御儀式、お控へ室、通夜会場費、お料理、お飲物、献花、霊柩車、そしてお寺さんへのお布施にはじまって、戒名、自宅に設える祭壇から永代供養の費用まで、二百万ほどの金数が瞬く間に飛び散らう始末。それも決まって「一般的にはもうひとつ上のランクを皆様は選ばれます」とのご託宣を携えて、営業マンは喪主の私を通り越して母親に取り付いて離れないのです。かかる当惑の果てに火葬と骨壺の選択がやって来ました。
「売るのは媚、買うのは顰蹙」とは畏友、永瀬由利子さんが私をさしての名言ですが、かの葬儀の日、遺体の焼きはレアで結構ですと参列者の前で述べ立てた私のデスペレートな識見を彼女は見通していたのですかねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月02日 23:56 | 固定ページリンク




高遠弘美 | もう一杯いかが?

一考様
思はず、志ん生「黄金餅」の「生焼けでいいからな、とくに腹んとこは焼きすぎちやだめだぞ」を思ひ出しましたが、成人してのちに親しい人の葬儀を出すとさういふ目にあふのですね。わたくしは父が小五、母が高三で死に、二人の骨も拾ひましたが、子どもの頃の読書がさうであるやうにいはば純粋経験であり、父や母の骨だけが脳裡に強烈に焼きついてゐます。ただ、子どもながらに、こちらにはどれほど大切な人の死であらうと、他人(親戚を含む)にとつてはどうでもいいものだといふことは感じたせゐでせうか、概して他人に対する不信の念が色濃く残りました。(「隴西の李徴、性狷介にして」を教科書で習つた時、ああ、これだと思つたことを覚えてゐます。加へて吃音者の僻みもあり、人づき合ひはすこぶる悪く、それは今もあまり変はつてゐないやうです)。もちろん、それでも「東京物語」の紀子は慥かにゐるのであり、決してmisanthropeを気取つてゐるわけではないので、心許せる一考さんのやうな方にはついかやうな打ち明け話までしてしまふのですが。

Campagnolo様
Dudenの中国語版は存じませんが、わたくしが持つてゐるのは、Entree libreといふフランスで出ている教材の中国語版です。単語や表現を眺めてゐるだけで暇つぶしになります。フランス語教員には、フランス政府と日本の文部科学省が主催する研修(stage)に参加する機会が与へられることがありますが、今、それで渡仏してゐる知り合ひから来たメールに「カーンではFrancais Langue Etrangereの教員養成クラスで毎日8時間ほどフランス人たちと勉強しておりました。そこでは外国語を習う気持ちがわかるための試みとしてベトナム語を習います」とあり、ちよつぴり羨ましくなりました。1989年にわたくしがスタージュに行つたときはそんな愉しみはありませんでしたから(しかも当時の研修地はVichyとParisでした)。

さうさう、もう一つ餘談ですが、ワープロの日本語変換ソフトでは「志ん生」は出ません。さつき打つたとき、「し」で「死」が出て、それならと「志望」と打たうとしたら「死亡」と出ました。しかし「死ん生」では宛字にも洒落にもなりませんね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年08月03日 09:49 | 固定ページリンク




一考 | ピッキング

 松友さんへ
 仙台の輸入屋ビーマーから返事が届きました。「R100RSにはシートカウルがあるので、これが邪魔になり、旧タイプのキャリアは取り付けできません。残念ながら、アフターマーケットでも、RS用の頑丈なキャリアは存在しません。ご理解下さい」とのことでした。
 ヘプコのリアキャリアは強度に問題あり、走行中に折れたとの書き込みをビーマーが主宰する掲示板で複数見付けました。
 先日、蓼科高原から八ヶ岳を走った折、サイドケースやトップケースを装着した多くの単車と出会いました。一昔前なら北海道以外では見掛けなかったのですが、やっとキャンプ主体のツーリングがわが国でも根付いてきたかと嬉しくなりました。しかし、その内の何台かはトップケースが風圧でぐらついていました。ヘプコのリアキャリアの強度がどのようなものかは分かりませんが、現在使用中のビーマーが危惧を示唆するのであれば、私としては逡巡せざるを得ません。 トップケースを諦めて正規のリアキャリアに寝具を縛り付けるか、トップケースを装着するためのキャリアを誂えるかの二者択一になりました。あとは懐との相談になりますが、前者が一万円で後者が三万円では考えるまでもないでしょう。北海道用に寝具を入れる大型の防水袋は購入済みですので秋にはBMWのリアキャリアを月賦で購入の予定となります。
 西明石なら岩田さんをはじめ、鉄工所から溶接、鍍金の職人まで人材は揃っていたので話は簡単だったのですが。

 手持ちの二組のパニアケースとシティーケースの計十六本のシリンダーキーをR100RSのエンジンキー一本で開閉出来るように細工しました。これで随分と便利になりました。バイク本体の方はガソリンタンクのシリンダーが抜けないようですので、ハンドルロックキーとシートキーをガソリンタンクのキーと共有にし、エンジンキーのみそのままにしました。その方が私にとっては都合がよろしいのです。四時間ほどシリンダーキーを触って構造を理解、中のタブを一枚外してストッパー代わりに用いられることも知りました。ひょっとすればこれで私もピッキングの達人かも。職種替えでも前向きに検討しようかな。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月03日 18:50 | 固定ページリンク




松友 | え、ありませんでしたか、申し訳ございません

 そうでございますか、存在しておりませんでしたか。ドイツあたりで作っていそうな印象があったのですが、あて違いであったかもしれませんでした。いい加減な事で御時間を割いて戴いてしまい、申し訳御座いませんでした。それに先のご連絡では、上手くツッコミが出来ませんで失礼申し上げました。関西に暫く居たのにまだまだです。
 トップ・キャリアに関しては、一般の樹脂ケースをホンダ・VFRに剛毅に取り付けた方がいらっしゃいますので、恐らくはご存知とはお察し申し上げますが、ご参考になりましたら。
「VFRツーリング日記」の「魅惑のパニアケース」の項。同サイト・トップ。
http://www.hi-ho.ne.jp/t-sasama/index.html
「魅惑のパニアケース」
ttp://www.hi-ho.ne.jp/t-sasama/Paniacase.htm
ただ、こちらですと、寝具やらの長物が入りきらない可能性があり、結局あまり改善されないかもしれませんです。また、安全面に関わるので強度は確保しませんと怖いです。確かに関西では色々な御方面の方がいらっしゃいましたけれども、なかなか上手くゆかないものですね。キーも取り合えずは落着いたようで宜しゅう御座いました。
 さて、ツーリングで御覧戴いた光景からすると、漸く単車趣味も海外のような方向性へと進み出した可能性があり、それは喜ばしい事ではないかと存じます。いわゆる「大人の趣味」という傾向ですね。残念ながら、従来国内メーカーはこちらに関しては消極的でしたから、徐々に進路修整されてゆくように期待したいものです。
 話し変わって、本日あたり入荷予定のモルトはどうなったのかしらんと、御相伴預かりに御邪魔したくてドキドキしております。次週あたりはザムザ阿佐ヶ谷にて舞台「時代はサーカスの象にのって」と「さらば、映画よ!(スタア編)~寺山修司と遊ぼうよ~」を拝見予定の松友でした(多分、東京ビックサイトにも出動:苦笑)。



投稿者: 松友    日時: 2002年08月03日 19:56 | 固定ページリンク




一考 | 自転車、金魚、書物

 CAMPAGNOLOさんへ
 「カンパニョーロが丸ごとわかる本」とやら早速入手してみましょう。ランブレッタはファンクラブもあり、また専門店が多いのでパーツの入手にはおそらく不自由しないのでは。SX150や
Li150などがあるようですが、そちらは松友さんが詳しかろうと思います。
 自転車のパーツに関しては近々すべて売却しようと思っております。書物も売るばかりで随分長いこと購入はしていません。友人から寄贈を受けることが多く、それだけで十分なのです。特に好きな詩文に関しては、もっとも信頼するO女史が読むに値する新刊書籍を揃えて毎月送って下さっています。そうした厚意に甘んじて露命をつないできました、有難い話です。
 K風一族とはその後お付き合いもなくどうでもよろしいのですが、潮時と判断しての廃業であれば、そのふがいなさに腹が立ちます。解雇された人たちのその後を顧みるに許されることではないでしょう。
 「宛字外来語辞典」を購入したのは80年末となっていますから、貴方から教わって購入したのでしょう。記憶がなく申し訳ないのですが・・・その当時の履歴のほんの一部は下記のごとく。

1981年   昭和56年  34歳
  2月、「雪」356号(神戸市防火協会連絡協議会)に「発禁本の昭和史」掲載。
  8月、「季刊ブック・レビュー」創刊号(エディション・アルシープ)に「愛書狂ダンディズム」掲載。

  ポートピア'81-7の準備で桑原茂夫来神、菊水町のアパートに半年ほど泊まる。
  春、垂水区枝吉5-14のマンションへ転居、本の引っ越しに西北八島の協力を得る。空冷のワーゲンは高速道路では非力、それとも書物が重すぎる。
  夏、明石駅前の酒道場でI田のことで喧嘩、山中貞子と別れる。
  赤貧洗うがごとき枝吉の生活、武内博州が自転車にて二合の米を届けしことあり、その縁で翌年ライト・ヴァースの挿し絵を依頼す。
  東京新聞の風間さん取材のため枝吉を訪れる。明石焼きを奢る。

1982年   昭和57年  35歳
  1月11日の東京新聞夕刊に「一人で頑張る南柯書局」との記事掲載。
  1月、『定本庄司浅水著作集第7巻』所収「月報10」(出版ニュース社)に「ゴンドラの唄」掲載。

  川畑公子と同居。
  明石市太寺3丁目へ転居。裏庭に1.5メートル四方の池を五面と1.5頓の貯水タンクを造り、本格的に金魚の飼育をはじめる。ミジンコの採取に必要となり、自転車にも凝り出す。日下サイクル、マツイサイクルと親しくなる。
  行きつけの「やまちゃん」で一鉢のお新香の代金が払えず、ツケにしたのは未だに明石の笑い種のひとつ。
  淡路島をツーリング中交通事故、重傷を負い田中整形外科で二度の手術。入院中にライト・ヴァースの稿を纏める。
  酒屋「花園」でリハビリを兼ねてのアルバイト、60キロのガスボンベを担いで終日走り回る。全身十四箇所の骨折による身体の膠着から解放されてゆく快感。この仕事は以降断続的に続く。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月03日 20:10 | 固定ページリンク




一考 | 苔の生えた反抗期

 ムーンさんへ
 隆慶一郎こと池田一朗さんが命名した愚息隆君がいよいよ上京の予定。川畑女史よりもめごとの解決を求める連絡が入りました。貴方からあらましを事前に聞いておりましたので助かりました。
 自らを省みるに中学生ともなれば性欲が生じます。その性欲を飼い慣らすまで情況は未分化なままです。もっとも分化されてしまえばそれは性欲ではなくなるのですが。
 いくら歳を経ても性欲は頭をもたげてきます。分化したつもりが、妄想とのインバネスを羽織ってこやつは日々定期的に登場します。
 怒り、懼れ、おののき等々、いかように名付けようとも詮無い話で、その時は頭がポッポッと白い煙を吐き続け、学業も仕事もへったくれもあったものではないのです。
 理解しようとしても無理、咀嚼しようとしても駄目、対応しようとしても無駄。要はコクトーの云う「宛先のない怒り」・・・反抗期とは性欲すなわち妄想の謂いなのではないでしょうか。
 性欲‐妄想‐情念‐思想との流れはそのまま人生の起‐承‐転‐結に当て嵌まります。内、起承が観念に相当しましょうか。言い換えれば、性欲と妄想とが未分化な情況をもってはじめて「観念的」なる文言が生じるのではないかと、それは私の経験則であると同時に今なおその渦中から一歩も動けずにいる、というのが実態なのです。苔の生えた反抗期をいまなお繰り返しているのですよ、私は。
 この辺りの消息は母親というよりも女人には理解出来ない部分なのです。たまに観念的なセックスを好むということを述べ立てる女性がいますが、話を聴いてみると出鱈目インチキ。どこに妄想があり、どこに観念があるのですかと逆に尋ねたくなります。
 性と恋愛との分化という私流の些か荒っぽい解決法もあるのですが、それは今の隆君には二、三年は早いようにも思われます。取り敢えず話し合いましょう、解決は与えずに明石へ帰すことになります、と川畑女史には伝えました。

 管理人の櫻井さんが隆君のふるさとである神楽坂を一日案内しようと仰って下さいました。店の営業時間中はどうしようかと思っていましたので、ただただ感謝。家に捨て置くのも店へ同伴するのも憚られます。他の日をどうするかこれから考えねばなりません。
今日は店が終わり次第、隆君と訪れるであろうキャンプ場の下見に奥秩父へ行きます。八月半ば、やや気の重い晩夏を迎えることになりそうです。
 隆君も当掲示板を読んでいます。そのための前哨戦としての書き込みです。彼は私の子供です、されば正面から私に立ち向かう他ないのです。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月03日 21:42 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 西崎憲さん祝賀会

いきなり話題が切れますが、これも掲示板の仕儀とご容赦願いたく。

翻訳家・アンソロジストとしてご活躍の西崎憲氏が、このたび創作に志をたてられました。
そして、受賞を契機にささやかな祝賀会を開催したく存じます。
まだ詳細は未定ですが、会場はですぺらを使わせてもらえればありがたく、よろしくお願い
申し上げます。
近々お店に直接参ってお話ししたいと思います。

ご多忙ではございましょうが、皆様ご参加いただけますれば、幸甚です。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年08月05日 02:30 | 固定ページリンク




松友 | コンビニでマッカランとボウモアが買える時代

金光様
 申し訳御座いません、再び流れをカットしてしまう気配が。やはりスレッド・ストッパーなのですよね、拙メは多分。暫し御容赦をお願い申し上げます。

さて、一考様。
 御指名賜りありがとうございます。どこまで御役に立てるかどうか判りませんけれども(悲)。
 ランブレッタとはかなり魅力的です。どちらかといえば通好みですが、今日の目で見てもスタイリングや個々の部品が往時の存在感を失っておらず、逆に新鮮ですらあります(特に”テレビ”などの機種)。一考様の仰る通り、御若い方々をはじめ愛好家は多く(渋谷、原宿では目撃率高し)、ファンクラブ、専門店が御座います。レストアし甲斐があるブランドであると存じます。加えまして同様の理由により環境は良好な方かと御想像申し上げます。
 翻って不人気絶版車を好きになった時の苦労は悲しいものがあります。純正はおろか流用可能な部品が無かったり、情報も少なかったり。趣味であれば探すのも楽しくなりますが、もともと無いのを聞きかじってしまうと、気力すら失せてしまいます。
 ランブレッタ、お楽しみ戴ければ幸いに存じます。

 さて、遅くなりましたが表題。最近漸く気が付いたのですが、近在のコンビニになんと「マッカラン12年」「ボウモア12年」が売られているでは御座いませんか。ハーフ・サイズのボトルですが、例えばマッカランはきちんと”あの”箱に入っています。その棚には販促用リーフレットが鎮座ましましていました。曰く「ウィスキーに、地酒あり。その名は、シングルモルト」ここまでは、まぁ、いいとしてですね、「その頑固さが、かわいいね。シングルモルト。」
 そうなのですか?
いえ、安価に、手軽に、品質のばらつき無く、シングルモルトが頂戴できるのは、嬉しくてしょうがありません。ですが”かわいい”? 釈然としないままコンビニを出た訳で御座います。ま、他の好きな蒸留所が並ぶような事があったら、より感慨深いものがあると存じます。そうならないように願うのみです。

付記:隆さんは既に中学生ですか。月日の経つのは早いもので御座いますね。



投稿者: 松友    日時: 2002年08月05日 22:36 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ですぺらよりのお知らせ代理

渡邉邸とですぺらのmacが相次いで故障、現在ネットに不通状態です。掲示板・メールの対応がしばし滞る点ご承知下さいということです。

*  *  *
ですぺらに行ったら白鳥友彦さんと奥様がいらっしゃいました。白鳥さんは次号の幻想文学に評論を寄せられるそうです。私は白鳥さんの大ファンなのでこれはとてもとても楽しみなことです。

ご夫妻がお帰りになったらわれらが御邪魔ビンラディンさんがいらっしゃいました。次号の幻想文学には絶対書評を書くとおっしゃっておられましたのでこれもまた楽しみなことです。

次号の幻想文学には期待大です。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年08月05日 23:29 | 固定ページリンク




一考 | どこまでも文学

 ムーンさんへ
 隆君の上京は10~12日と決まりましたが、その件に関しいささか過激なことを著しました。私がいかような教育を受けようが、それは彼の与り知らぬこと。従って、私の経験則で彼を推し量る気は毛頭なく、私の真意は別なところに御座います。
 相手が貴方であれ、親兄弟であれ、例えわが息子であっても、私にとっての他者とはこれすべて託けるための対象でしかないのです。通常言うところの社交辞令や常識や憐憫、すなわち仲間意識や家族愛の持ち合わせは一切御座いません。もちろん、託けた事柄はすべて他者を介して自らに帰着して行きます。私に公私の分水嶺がないのはここに起因します。
 私がこの掲示板で試みたいのはあくまで文学であり、生体解剖でしかないと言うことです。もちろん掲示板ですからどなたが何を書かれようが一向に構わず、私にしてからが発動機やモルト・ウィスキー等、たわいない戯れ言も書き記しております。また時として管理人の櫻井さんからもいかがなものかとアドバイスを受けることも御座います。かかる逸脱や転覆をひっくるめての管理人ゆえ、櫻井さんへはかねてより満腔の謝意を表しております。
 さて、あくまで文学、どこまでも文学と前述致しました。文学を売りにした掲示板は枚挙にいとまなく、喧しいかぎりです。しかるに、斯く斯くを購入、然々を読了、あとに続くのはメリハリのない読後感想と手応えのない書目録ないしは金魚の糞のようなとりとめのない購入目録と相場は決まっています。
 「北回帰線」で繰り返された叩き付けるような呪詛や「南回帰線」で執拗に克明に描かれたジューンとの情痴の日々を持ち出すまでもなく、60年代に私が知った文学とはシュルレアリスムのような死体解剖ではなく、ホラーやミステリーのようなエンターテイメントでもなく、個が個として生き、個が個として闘う、その息づかいであり、心臓の鼓動だったのです。私が搏動とか肉声との言葉を好んで用いるのがおわかり頂けましょうか。
 マジョリティーであろうがマイノリティーであろうが、数を頼みにするという点においてそれらは同根異種でしかありません。選民意識を持つがゆえにマイノリティーを自認する方がたちが悪いと申せましょうか。気候風土や民族言語または時代によって攻守ところを入れ替えるのが多数派と少数派の定めなのです。結果、いずれの側もが個にとっては敵でしかありません。
 少なくとも、私が知る文学とは自らの立場の闡明であると同時に定点の拒否であり、個の表明であると同時に解体、失意、欺瞞、裏切り、蘇生の無限地獄へ自らを放逐することではなかったか。一刻と言えども立ち止まれば、そこが終の栖、死後に落ち着く場でしかないのです。生活の安定や権威を拒絶し続けてきたのも、まだ性にそして生に執着が未練があるからなのです。
 存在に存在以上の意味も意義も本義もなく、その存在の搏動である文学がいかにデスペレートなものであり、いかに暫定的なものであるか。命題論理であれ述語論理であれ、直接証明であろうが帰謬法であろうが、かかる重箱の隅はどうでもよろしく、任意の個は文学であり、文学は個であるとの同一性を苔の生えた反抗期を経てかつ証明し続けるしかない、文学に淫するとは因果なものですねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月06日 22:49 | 固定ページリンク




一考 | ありがとう

 奥歯さんへ
 ハードディスクの損壊により、しばし不通になりました。自宅のシステムのスペアをコピー、機能拡張と初期設定を調整しハードディスクを差し替えてめでたく開通です。まだ不安定ですが、マックは簡単でいいですねえ。いつも代理の書き込みを依頼し申し訳ない、有難う。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月06日 22:59 | 固定ページリンク




一考 | 新規ボトラー3

 ダンカン・テイラー社がザ・ピアリス・コレクションを発売。新しいボトラーの紹介です。
 ダンカン・テイラー社は1961年にアラン・ゴードン氏によって設立、ダフタウンから東へ20キロ、ハントリーの町にオフィスを構えています。オリジナル・ブレンデッド・ウィスキーの「グレン・アルバ」「スコティッシュ・グローリー」「グレンダロッシュ」やシングル・モルトの「ウィスキー・ガロール」などの商品を持つウィスキー・メーカー。
 2002年5月、新たにザ・ピアリス・コレクションを頒布。21年以上熟成されたシングル・モルトとシングル・グレーンを専門に扱い、カスク・ストレングス、ノン・チルフィルター、ノン・カラーリングでボトリング。Peerlessとは他に類を見ないの意。ファースト・エディションの中から今回入荷はボウモア69年蒸留の32年46.9度、ストラスアイラ67年蒸留の35年51.2度、グレンロセス67年蒸留の35年40.5度の3種。
 ザ・ピアリス・コレクションは元々D・デペロップ社から頒されていたが、その商標をテイラー社が買い取ってラベルを新たにしたもの。ちなみに、デペロップ社のボトルはわが邦には未入荷。

 前回紹介のローハン・ソランが入荷しましたが、キルダルトンの十字架をモチーフにしたラベルを用いた同シリーズ「ケルティック・クロス」は、ディスティラリー・コレクションやミニカスク・セレクションに続くスコッチ・モルト・セールスのニューブランド。チルフィルター処理やカラーリングを施さないシングル・カスク、アルコール度数46度でのボトリングです。

 なお、先週ホームページをご覧になってですぺらへいらした仙台の毛呂さん、遠いところを有難う御座いました。同じ仙台出身の二階堂さんとお話なさっておられたようですが、彼女がですぺらのホームページを作成したのですよ。今後ともよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月06日 23:04 | 固定ページリンク




一考 | 歓迎

 金光寛峯さんへ
 回線不通につき、電話にて恐縮。櫻井さんよりお聞きしてましたのでこちらこそよろしく。
 西崎憲さんのプライベートな祝賀会なら大歓迎です。9月の7日は置酒歓語、徹宵痛飲、長夜燕歌のくさぐさと参りましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月06日 23:22 | 固定ページリンク




一考 | ハーフ・ボトル

 松友さんへ
 マッカランとボウモアのハーフ・ボトルとはいいですね。「かわいい」のはボトルの大きさを指しているのでは。キャンプ場に持っていこうかな。ラガヴーリンやアードベッグのハーフ・ボトルだとより嬉しいのですが。ところでボウモアの方は冷却コンデンサーを切り替えた後の分なのでしょうか。ちょいと気になりますねえ。コンビニの売値も教えて下さいよ。探しますから。

 キングスバリー社のケルティック・コレクションからフェッターケアンの66年蒸留の35年もの、49.6度のカスク・ストレングスが頒されました。日本のみの発売でタイプはホグスヘッド、96本のリミテッド・エディションです。蒸留所チーフブレンダーのリチャード・パターソンが樽を選択、かつボトルに直筆サインを入れています。高くて購入かなわず、他店(西川口のショットバー)へ飲みに行こうと思っています。

 そう言えば、貴方も西明石で隆君とは何度か会っていますね。一時期、昼間に喫茶とランチをしていましたから。当時から私は隆君、彼は私をパパ君と呼んでいましたっけ。今日隆君はムーンさんと一緒に大阪へ新しいマックを取りに行ったらしく、聞くところによると、回線が繋がらず格闘中とのことでした。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月07日 00:06 | 固定ページリンク




一考 | 返事が遅くなりました

 airさんへ
 説明するのを忘れていましたが、戸田の拙宅でよろしければ四台分のスペースがありますのでレガシーは置けますよ。仙台の方へは定期的に行かれてるご様子なので、何時でもご利用下さい。東京へいらしたついでに長野方面へ旅をするのも結構ではないですか。もっとも貴方なら飛行場巡りになりますか。
 西明石の行きつけのショットバー「ノットホール」のオーナーからいい加減にして戻ってこいとの連絡が入りました。そう言われてもねえ、今後北上することはあっても、南下する気はもうないのですよ。
 「なんで飛行機より新幹線の方が高いの」との仰せですが、だったらドリーム号がよろしいのでは。泥酔運転に要注意ですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月07日 00:42 | 固定ページリンク




一考 | カードをゲット

 ひろさんへ
 今般 C-Life-CLUB に入会、Master Card の取得に成功致しました。七回目のチャレンジにてやっとカードをゲット。須永さんが持つカードをなんで私が持てないのか、地団駄踏んでおりました。私にとっては盆と正月が同時にやって来たようなものです。So-net の手続きをいかに処理すべきか、ご指導のほどよろしくお願い致します。

 ちなみに C-Life-CLUB こと JRS について一言。半官民の JAF と比して入会金はなく、年会費は半額の2000円。ロードサービスに関しては JAF を圧倒していますし、対応車両数が約七倍、従ってサービス・カーの到着までの待ち時間が短縮されます。また、四輪に限らず二輪もサービスの対象になるのが私にとってはありがたく、ライダーは JRS に入らざるを得ないのです。
  JRS のホームページは以下のごとし、http://www.j-rs.co.jp/



投稿者: 一考    日時: 2002年08月08日 14:20 | 固定ページリンク




りき | 宣伝です。ムットーニ再上演会決定。

こんばんは。

宣伝です。
横浜そごうで行われている北原コレクションの
ムットーニの再上演会の日程が決定しました。

8月18日(日)13時、15時、17時の3回です。

作品は、3作品です。
「サテライトキャバレー」「カンターテドミノ」「やがて鐘が鳴る」

この中の「カンターテドミノ」は、武藤さん会心の作品です。
僕は、一番の出来だと思います。

口上も素晴らしいので。是非。



投稿者: りき    日時: 2002年08月11日 22:32 | 固定ページリンク




比呂 | ご連絡ありがとうございます

一考さまへ
 
 ご連絡を読みまして、先の金曜夜お伺いしようといたしましたが、
終電まで仕事などしておりましたら、到着がとんでもない時間となり、
空足をふんでしまいました。
 やはり横浜から赤坂は、なかなかに遠いなあと痛感した次第。

 手続きは簡単ですので、近々早めにお伺いする機会を練ります。
もう少々お待ちを願います。

             今月末には浅草に引越いたします、比呂

                  



投稿者: 比呂    日時: 2002年08月12日 01:44 | 固定ページリンク




松友 | コンビニさん扱いのモルトは三種

 一考様。
 御返事遅れまして申し訳御座いません。
 近隣のコンビニさんで販売中のモルトの値段は、別途御連絡させて戴きました通りです。また、リーフレットにはラフロイグやスキャパを含め輸入物八種、国産二種が紹介されておりますが、こちらはサントリーさん扱いの意だそうです。今回セブン‐イレブンさんによる販売は、輸入物は次の三種と確認致しました。マッカラン12年・43%・375ml(箱入り)、ボウモア12年・40%・350ml、グレンフィディック12年・40%・200ml(ベビーボトル・缶入り)。確かに店頭に三種類のハーフ・ボトルが並ぶ様はちょっと「かわいい」かもしれません。この三種は手堅い選択と判っていても、できればラフロイグも扱って貰えるとちょっと嬉しかったです(但し、同オフィシャルのラベルは剥し辛いのが難点といえば難点です)。
 話し変わりましてウィスキーの持ち運びに便利なスキットル。以前、錫加工品の御土産屋さんに連れて行かれた事がありました。その時は左胸に入れるには素材は何が良いのか思い出せず、残念ながら入手には至りませんでした。中途半端な聞きかじりは役に立たないの好例になってしまいした。

付記:先の週末はザムザ・阿佐ヶ谷と有明・東京ビッグサイトを訪問、ちょっと疲れました(苦笑)。ですが週末にもう一回。



投稿者: 松友    日時: 2002年08月13日 02:29 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

 「新規ボトラー3」のD・デベロップ社のスペルはB.Developです。従って、B・デヴェロップ社と訂正させて頂きます。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月16日 18:52 | 固定ページリンク




一考 | 数年後の君に

 消費資本主義社会の主要な規範のひとつを「自分は自分、人は人」との命題でとらえている、とは芹沢さんの弁だが、ごく最近社会に浸透してきたその規範を子供の偏食に当て嵌めるとどういうことになるのか。というのも、偏食の是非を子供と論じようとするに、「仕方がない」との些かの遠慮と「大きなお世話ではないか」との傲慢が綯い交ぜになった応答を得るケースが多いからである。この場合、前者には「自分は自分、人は人」との命題に則った個人という観点が垣間見られるのに対して、後者では食事を用意する個としての親の存在が等閑視されている。
 親が食卓をしつらえるのは善意であり、そこには間違いなく親としての務めも重なり合っている。しかるに、敢えて「個としての」と強調するのはその行為を一方通行の善意と解釈したいからであって、義務とか権利とかの文言を用いたくないからである。その理由は、親子間の義務や権利について述べ立てるには私はあまりにも個人主義的であり、失格者でしかないことを十二分に諒解しているからである。身内であろうが他人であろうが、生活を共に営まないかぎり言葉の共有はかなわず、いわんや信拠を共にする等不可能事であろう、と言って沈黙してしまえば日和見の謗りをまぬがれない。
 私の発言が常に日和見を排し、断定的物言いに終始するのは、まずなによりも私自身が暫定的な存在でしかないからである。それぞれの情況に応じてその場で即断された個人的見解しか私には持ち得ないし、その見解にしてからが目まぐるしく流転するのである。通常、親は子の成長や発育をうかがうばかりで意志的実践的参加が試みられることはほとんどない。体よく申せば「子が気付き、目覚めるのを悠長に待つ」と言うことになるのだが、かような関わり合いを拱手傍観と難ずるのは私があまりにも親として稚拙であり、かつ性急だからなのであろうか。
 繰り返すが、自らが犠牲にするであろう時間と分限に応じてしなければならないこととの狭間で強いられる拘束、もしくは自己の好悪にかかわりなくなすべき道徳的強制を甘んじて受け容れられるほど私は公平にして無私な人間ではない。言い換えれば、能動としての愛にはかねてより甚く欠乏を感じているのである。愛おしく思う、恋をする、岡惚れする、いかような文言であっても結構、要は人を愛する心を持ち合わせていないのである。前述した拘束や強制としての愛なら理解可能だが、それすらが私にあっては任意規定であり、時を超えた愛を信じるほどお人好しには出来上がっていない。と言うよりは、人との信義を重んじるが故に私はいまなお愛や情を諾うことが出来ずにいると言うのが正直な意見である。対象が親であれ、兄弟であれ、友であれ、連れ添いであれ、わが子であれ、事情は同じである。
 次に、義務と権利とが入り組む絡繰りは必ずや不実である。なぜなら、義務と権利とは表裏一体にあり、義務を果たせば自動的に権利が生じるのである。むしろ権利を派生させたいがため、一家言を留保させたいがために義務を果たすと言う方が消息は明解になる。もっとも私の場合、その消息の目的は説諭ではない。親と子ではなく、個と個の遣る瀬無いひとときの逢瀬、行く末、異とする精神の目合をはかることがかなえばとの切ない願いからに他ならない。
 しかるに、その賦与されたところのものを子が辞み、また親の善意を善意として受け容れられないのであれば、他所で勝手に食するしかなくなる。結果としての自立は極論だが、一食の拒否の繰り返しの中で、コミュニティーとしての食卓すなわち個人を吸収する場は存在が薄らいで行き、集団や類型を拒否する個人としての自覚が生まれてくる。言い換えれば、家庭の崩壊、親の子離れ子の親離れが加速されて行くのである。本当はそれこそが私の望むところなのだが。
 思うに、他の哺乳類と比して人が自立に至る期間はあまりにも長い、長すぎるのである。15年もしくは20年もの間、子の食事のために子育てのために費やされる時間、前述した拘束、道徳的強制を想像しただけで、気の弱い私は心臓麻痺を起こしかねないのである。
 もっとも、かような社会学的なものの考え方を私は好まない。私が言いたいのは、個の権利を弁解に用いる子供の不遜にして低劣な態度とその整合性のなさが鼻持ちならないのである。もう一度最初に戻って「自分は自分、人は人」を「子は子、親は親」に置き換えてみると話の通りがよろしくなる。子が個人を標榜しはじめた時、その個を尊ぶのであれば、親と子は対等の存在になるしかない。子供がもらったお年玉を親がピンハネし、生活費に流用すれば子供が怒るように、存在の対等を謳うのであれば子が親を搾取するのも許されることではない。自らの存在を相手に委ねているあいだはよろしいが、そうでなければ当然の帰結として自己責任が生じる。人と人とのかかわりにおいて、責任とは金銭の独立を意味する。
 偏食自体は取るに足らぬえり好みの一種である。酒を嗜むようになればあらぬ肴に惹かれ、また歳とともに嗜好そのものも変化して行く。私が問題にしているのは、自らの偏食になんら疑問を抱かないのは好奇心の欠如ではないかという点である。より強靱な個を得るには有りとある文化の異相に身を曝すしかなく、その機会を自ら閉ざすのが個の自覚の抛棄でなければなんなのか。偏食児童もまた個人という観点が欠如した存在なのではないか。
 金銭に贈与はあっても、精神に贈与との観念はそぐわない。さればこそ、大人の立ち居振る舞いから何かを推し量るしか子に手立てはない。何時の日か一人で生きて行くために、自らを問い質し、自らに疑問符を突きつけ、懐疑の渦中に暫定的存在としての個を打ち立てなければならない。尊厳と欺瞞との間を行きつ戻りつし、自らへの不実と相対するしか生き延びる術はない。世に絶対との概念はなく、自分も他者も立ち位置も価値観もすべては儚くうつろなもの、やがて訪れるであろう消滅の日まで君はいかように抗って生きるのかしら。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月22日 13:42 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 『安心』から『BUBUKAまで』


夜など だいぶ涼しくなって参りました
一考さま 皆様におかれましては お変わりありませんか?

お陰様で処女歌集『恋する肉体 koisuru karada』飛鳥新社は
売れ行きも好調で あと1歩で二刷りというところです

先日TOKYO FM生放送で 
坂上みきさんに 拙作を朗読して頂き感激!
平日の昼間にエロ短歌・・・う~んマンダム(古っ!)

8/31発売「ブブカ」でインタビュー&写真
9/21発売「特選小説」グラビア&短歌
「安心」11月号のインタビューと 
お陰様で次々に取り上げて頂いております


講談社より 年内に恋愛ショート&短歌で2冊目が決定しました!
初の小説に挑戦中です

今月一杯 イギリスのRADA(英国王立演劇アカデミー)の
日本でのワークショップに参加中 役者モードです
ゴーリキーをテキストに18才の役です(ウフフ・・・)

9月になったら お邪魔致します

                            川上史津子拝



投稿者: し~ちゃん    日時: 2002年08月22日 22:53 | 固定ページリンク




一考 | 西脇流リバーサイド

 し~ちゃんへ
 処女歌集『恋する肉体 koisuru karada』飛鳥新社の売れ行き好調らしく、我がことのように喜んでいます。早く二刷になるとよろしいですね。
 思いとは日々の泡のようなもので、甚だしく印象的です。文章を著すとはその断碑断章を選り取り、些かでも論理的に見えるように取り繕う行為なのです。それ故、著されたものは原初の思いとは懸け離れたものになります。
 ふつふつと湧いては消える泡、またはつぶやくさま、そして寄せては返すさざれなみのごときル・サンチマン、そう言ったあぶくの呼吸のようなものをピンで留めるように文字で捕捉できないものかと考えてまいりました。そんな時に貴女と出会ったのです。
 埒もなく生き延びてきた証である自らへの懐疑を振り返り振り返り拾い集める、そのしゃがみ込んだ場所が渡し場であろうが、路地裏であろうが、山の辺の道であろうが、連れ込みホテルであろうが、委細構いはしないのです。そこに存在の悲しみ、さびしさがあるのですから。
 貴女の作品の底流を流れる尊厳と欺瞞の弁証を私は高く評価します。だって、人は自らへの不実と相対するしか生き延びる術はないのですから。
 またお会い出来る日を楽しみに、そして「恋愛ショート」には期待致しております。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月23日 20:21 | 固定ページリンク




一考 | HID

 松友さんへ
 25日でR100RSの車検が切れました。5月の広島行で前輪ブレーキの鳴きと後輪ブレーキの効きに問題があるのが発覚。前後いずれにせよ、旋盤加工が必要なため専門業者に車検を依頼、二週間はかかるとのことでした。明石なら岩田さんの旋盤を借りて自分で処理できたのですが。
 さて、ご教示頂きたいことがふたつ。ひとつは二輪には有効なイリジウムが、四輪にはさしたる効果がないと聞かされました。OHVとDOHCの違いがその理由なら理解できるのですが、そうではないらしく因果関係が分からないのです。
 いまひとつはHIDが違法ではないかとの意見です。6ボルト仕様ほどではないのですが、さすがに15年前のバイクですので前照灯が暗く、なんとか光量を上げたいのです。昨今、対向車のホワイトビームがまぶしく、四輪のハロゲンを改造する気はないのですが、バイクのロービームはもう少し明るい方がありがたいのです。どこでも売っている商品ですので、まさか違法とは思ってもいなかったのですが。それとバッテリーの負担も気になります。もしご存じならよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月25日 05:48 | 固定ページリンク




松友 | ごめんなさい

 一考様
 大変申し訳御座いませんが、御質問戴きました二点共正直なところ判りません。

 まずイリジウム・プラグ。
 念の為御確認として、聞きかじりによればイリジウム・プラグの利点は次括弧内のようです。
「従来点火栓の電極部分に用いられていた金属では、先を細く(若しくは鋭く)するとスパークした時の消耗が激しい為寿命が短くなる。電極は先端が細い方が火花(=それを飛ばす電気)を一点に集中できるため効率的。また、混合気に発生した火炎が電極によって冷やされる割合が減って伝播にも有利。イリジウム・プラグに用いられている材質はスパーク時の消耗が少なく長持ちするので電極を細くできる。結果、電気の無駄が減り、かつ確実に混合気に点火できる。」
 一方不利な点は次括弧内。
「微小な部分へ電流を流すので電圧が必要。また、部品単価が高い。」
 さて、仮にメーカー側の理屈が正しければ悪い事は無さそうなのですが「値段分の燃費・性能向上が達成できるか疑問、省エネ運転した方が良し」との意であれば。さて、どうなのでしょう。なお、全く別な理由であれば皆目検討がつきません。

 次にHIDについて。
 こちらは以前どちらかで伺った事のあります「HIDはその明るさから照射範囲を最適化しないと規制に抵触する可能性が増える」の意でしょうか。この点単車は軸距が短いので四輪に比べ条件が厳しいように感じますが、漸く完成車にも装備され始めたようですので何らかの進展があったのかもしれません。「一燈式だから(Hi-Loできる球がない)」との話もかつて聞いた記憶がありますが、今日市販されている交換キットには複数燈でなくても車検対応をうたっているものも見受けます。なお、御留意戴いております様にHIDは一種のアーク燈ですので、これも点火栓同様火花を飛ばす関係上電装系への負荷は勿論漏電対策は確実に行う必要がございます。それはそうと、安全には替えられませんがHIDランプは結構な御値段ではなかったでしょうか。あまりに安価なものであれば、そちらも心配です。

 尚、ブレーキはディスクはもとよりパット、シールにも問題があるかもしれませんですね。足回り、特にブレーキはしっかりしてくれませんと危険ですから、ここは確実に専門家さんに御依頼戴けまして宜しゅうございました。
 秋は単車が楽しい季節ですので、せっかくですから快調になると宜しゅう御座います。
 お役にたちませんで。



投稿者: 松友    日時: 2002年08月26日 17:54 | 固定ページリンク




百町研一 | 高山宏トークLIVE


はじめまして。工作舎の百町と申します。高山宏先生の講演会が
下記の通り決定いたしましたので、お知らせをさせてください。

  神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ
  『表象の芸術工学』発刊記念
  9月8日(日曜日)午後2時半より
  青山ブックセンター本店・カルチャーサロンにて
  (渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山B2)
  入場無料
  先着100名様(要電話予約 03-5485-5511)

工作舎HPでもご案内しております。
http://www.kousakusha.co.jp/

ご都合のつく方はどうぞお誘い合わせの上、お運びいただければ幸いです。



投稿者: 百町研一    日時: 2002年08月28日 12:25 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 天野可淡人形展のおしらせ

ついに、ついに天野可淡だけの人形展が開かれることになりました。
この展覧会は100年後まで語り継がれること間違いありません。

時 2002.9/14(sat)~9/23(mon) Open 14:00~19:00
所 マリアクローチェ(東京都台東区元浅草1-8-11銀線ビルB1)
入場料 900円

フライヤーより
人間の夢や恐怖、無垢な魂を創作人形に封じ込め、美しく幻想的な世界を構築した人形作家、天野可淡。
夭折から10年以上経った現在も熱狂的ファンをもち、直接目にする機会が極めて少ないことから、作品展の開催が熱望されて来ました。
神秘的で魅惑的な天野可淡の世界を、心ゆくまで御堪能下さい。

*   *   *
天野可淡は37歳で亡くなり、可淡人形はごく少数の人々によって大切に秘蔵され、殆ど表にでることはありませんでした。
ファンは写真集で可淡人形を見ることしかできませんが、その写真集も版元トレヴィルの解散によって絶版になっています。
この機会は本当に貴重なものだと思います。どうぞ皆様お運び下さい。
(私は1人のファンであって、主催者とは全く関係がありません。)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年09月03日 20:08 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 地図

以前書いた地図は自分で実際行ってみたらひどい遠回りで、書き直しです。
等倍フォントでご覧下さい。
メール等でご自由にお使いいただきたく存じます。
こんなでもお役に立つのならば幸いです。

・赤坂モルトバー「ですぺら」
 港区赤坂 3丁目18-10 サンエム赤坂ビル 3階
  (一ツ木通り中程・1階は牛丼の吉野屋、地図は下記)
  TEL 03-3584-4566
  営団丸ノ内線あるいは銀座線「赤坂見附」駅 赤坂出口が最寄り
  徒歩およそ 3分
  ※注意! 「赤坂」駅ではなくて「赤坂見附」駅。名前が似ているので
   間違えやすいです。
   赤坂出口を出てすぐ左の四つ辻、サンドイッチのお店サブウェイを
   右に折れてまっすぐ、つきあたりの一ツ木通りを左折してまもなく、
   左手の牛丼吉野家が入居しているビルの 3階です
   もし迷ったら "一ツ木通りの吉野家" で道をたずねてみて下さい

                N
                ↑
                    ___¥  ¥  ¥ 外¥
       ____        |    ¥  ¥  ¥ 堀¥
      |    |       |サントリー¥  ¥  ¥ 通¥
      | 鹿島 |       |      ¥  ¥  ¥ り¥
______|____|_______|_______¥  ¥高 ¥  ¥__
                               ¥  ¥____
                         _______¥速
                                   道  路
←至渋谷     青  山  通  り      ______________

________   ______   _____            __
   |    | |      | |   | |   広場 |   |
みずほ|    |一|      |み|   |_|     _|←交番|
銀行 |    |ツ|      |す|    ↑|  __|_|   |
___|    |木|      |じ|    フ| |    |   |
        |通|      |通|   キァ| |    ←駅ビル
        |り|      |り|   ッ|| |    |ベルビー赤坂
        | |      | |   チス| |    |   |
        | |      | |   ント| |    |   |
        | |      | |     | |☆←赤坂見附駅 |
    卍   | |______| |_____|↓|___赤坂出口 |
  赤坂不動尊 | ← ← ← ← ← ← ← ← ←         |
        |↓ ______   _____   __  _    |
        | |      | |  |  | |  |||   |
        |↓|      | |  |__| |  |||   |
        | |            ↑ | |  |||   |
        |↓|        サンドイッチ| |    |   |
        | |__       サブウェイ | |    |   |
        |↓| ☆|
        |→|__|
        | | ココ
        | |  牛丼の吉野屋が入居
        | | しているビルの 3階
        | |
        | |
        |至|
        | |
        |営|
        |団|
        |千|
        |代|
        赤田|
        坂線|
        駅
        ↓



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年09月03日 22:46 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 百町さんへ
 お知らせ有難う御座います。当掲示板は書き込みこそなさらないものの、編輯に携わる方が屡々ご覧になっておられるようです。効果があればよろしいのですが。今後ともよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月06日 00:50 | 固定ページリンク




一考 | メールアドレス変更

 ひろさんの友人のご協力を得て、ですぺらのホームページの体裁が変わります。もっか突貫工事で新たな原稿を起こしています。旧稿には百箇所を超える誤記誤植があり、そちらも修正中です。
 本日、モルトウィスキーの第一人者土屋守さんから二時間の取材を受けました。先頃日本酒とビールの講演は致しましたが、モルトウィスキーについて存分に話し合ったのは初めての経験です。当然のことながら、当方が教わるところ数多御座いました。また、拙稿について土屋さんのご協力を得られることになりました。掲載量は一気に1.5倍になります。少なくとも、ボトラーズに関する最大のホームページになると思われます。乞うご期待。

 8月31日付けにてメールアドレスが《despera@mac.com》から《despera@tc5.so-net.ne.jp》へ代わりました。従って、前記アドレスは既に使えません。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月06日 02:22 | 固定ページリンク




石橋 | はじめまして


横浜の石橋と言います(^-^)

流れ流れて、このHPに辿り着きました(^-^)
お酒は強くないのですが、モルトは好き
なもので。。。(^_^;

この掲示板にも話が出てきたバイククラブに
最近出入りをしている新参者です。
残念ながら、お会いしたことがないと思います。

ケンタウロスの一員とありましたが
一考さんは、看板持ちの方ですか?

大変失礼な聞き方かもしれませんが、何分にも
新参者でして。。。

時間を作りまして、横浜の方から正装して
飲みにお伺いします(^-^)

石橋



投稿者: 石橋    日時: 2002年09月06日 11:50 | 固定ページリンク




りき | 宣伝です。すいません。

ムットーニさんのCG画集が発売になります。

 ● ムットーニのCGタロット作品集~タイトル未定
 ● 出版社名:平凡社 ?03-3818-0746
 ● 発売時期:平成14年11月発売予定
 ● 価格  :未定(1600~1800円)
 ● 月刊百科の掲載された表紙と文章に更に数枚を加えて一冊の本
   にまとめたもの。

雰囲気ある作品ばかりです。
良かったら。



投稿者: りき    日時: 2002年09月07日 00:47 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 空間いっぱいの人形これが全部可淡だなんて


おはようございます。ご店主さまにおかれましては今ごろ仕入れや仕込みに
てんやわんやなのでしょうか。今日はお世話になります。

奥歯さんへ。
どうせ今晩お会いできるだろうしそのとき話せばいいやと思っていましたが
我慢できません。
天野可淡人形展がまさか実際に開催されるなんて。心配です、入場したが最
後、帰りたくなくなるんじゃないか。とりあえず数時間は居ずっぱりになる
のは目に見えるよう。すばらしいよね、りきさんも当然行くよね? ちょっと
すごい空間になるよ。
凝り固まり屋なところが私にはあるので、ああした自分の視野には今まで無
かったものにどんどん触れて揺さぶられたい。可淡人形のことを人に伝えた
いけれども、今の自分の語彙や修辞にはあの魅力を解説するようなものがな
くてすごくもどかしいけれど、このもどかしさは大事なものなんだ、きっと。

うちには DM等は届いていませんでした。奥歯さんの書きこみがなかったら
ひょっとしたら気がつかなかったかもしれません。ありがとうございました。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2002年09月07日 09:57 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン | 種村季弘さん「重病」の報

今日は、2ちゃんねるの「おジャ魔女どれみのビデオ鑑賞に夢中になって遅刻」
という予想に反して、松山俊太郎師美学校講演を聞きに行き、その後、参加者有志
で焼酎を飲んでいて、満員が予測されるパーティーへの出席は御遠慮申し上げたの
ですが、この席上で、種村季弘さんが重病だとの報に接しました。
病名その他の詳報は、あえて控えるべきでしょうが、6月に体調を崩して、かなり
重い病気であったものの、新薬の投与によって病状は小康から安定に向かったとの
こと。とりあえずは、心配は無用のようです。
しかし、完全なる回復は無理であるにしても、発病前と同程度の活躍が可能な程度
には回復してほしいもの。
この掲示板の読者に病気退散の祈祷術の大家が折られるやも知れぬと考え、まずは
とりあえずの一報といたします。



投稿者: 御邪魔ビンラディン    日時: 2002年09月08日 01:11 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン | 種村季弘さん「重病」の報

今日は、2ちゃんねるの「おジャ魔女どれみのビデオ鑑賞に夢中になって遅刻」
という予想に反して、松山俊太郎師美学校講演を聞きに行き、その後、参加者有志
で焼酎を飲んでいて、満員が予測されるパーティーへの出席は御遠慮申し上げたの
ですが、この席上で、種村季弘さんが重病だとの報に接しました。
病名その他の詳報は、あえて控えるべきでしょうが、6月に体調を崩して、かなり
重い病気であったものの、新薬の投与によって病状は小康から安定に向かったとの
こと。とりあえずは、心配は無用のようです。
しかし、完全なる回復は無理であるにしても、発病前と同程度の活躍が可能な程度
には回復してほしいもの。
この掲示板の読者に病気退散の祈祷術の大家がおられるやも知れぬと考え、まずは
とりあえずの一報といたします。



投稿者: 御邪魔ビンラディン    日時: 2002年09月08日 01:13 | 固定ページリンク




一考 | ようこそ

 石橋さんへ
 ようこそいらっしゃいました。ケンタの方ははじめてですので、どうかよろしく。
 私は琵琶湖畔の例会にのみ参加、かつ酔い潰れるのが私の唯一の務めで御座いました。明石の主要メンバーには兼武(CX-LR)、小松(SS900)、中尾(GPX1100)さん達がい、兼武、小松の両名は横浜にも赴いています。兼武さんは極真の師範でもあり、地回りの真似事をしたと聞き及んでおります。
 琵琶湖畔のキャンプでは滋賀支部の方が横浜のメンバーと協力して準備をなさっていました。しかし、高齢化に伴い、関西は参加人数が減り続け、今年の集いは見送られたようですね。もっとも、私自身、土曜日に店を休めないので、上京してからは御殿場への参加を見合わせています。
 ところで、関西の連中が北海道へ行くときは拙宅をライダー・ハウス代わりに用いています。貴方もバイクの時はお気軽にどうぞ。そのうち、奥秩父へでも行きましょうか。住所はお店へいらした時にでもお伝えします。
 横浜在の常連さんはもっか四名で、うち一名が女性です。みなさん気持ちのさっぱりした方ですが、残念ながらライダーでは御座いません。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月09日 04:38 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 御邪魔ビンラディンさんへ
 入院なさっていたのは存じ上げていますが、詳しくは知りません。風邪でもこじらせたのかなあと思っておりました。先日の電話ではお元気でしたよ。次回いらした時にでもご教示頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月09日 04:49 | 固定ページリンク




一考 | 新規カタログ

 もっかですぺらをお手伝いしてくださる方を捜しておりますが、それに先行してすべてのカタログを新しく書き直しました。ショットを50ccから30ccに変更、かつモルトウィスキーに限ってハーフショットを設けましたので、最低価格は300円になりました。これで少しずついろんなモルトを楽しみたいとのご要望にお応えできると思います。ショットグラスの購入はまだですが、おいおい揃えて行きます。今後ともどうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月09日 05:16 | 固定ページリンク




百町 | 感謝です

昨日の高山宏先生の講演会は、お陰様で盛況のうちに終了、主催のABCが用意した本も随分と売れ行き好調だったそうです。 おいでくださった方、ありがとうございました。また、折り合わずにご来所かなわなかった方もお心にお留め措き戴いて恐縮です。 しかし、種村さんのご病状、ちょっと心配ですね。昨日高山さんとお話した際に、種村×高山対談のことが話題になったのですが、特に何も仰っていませんでした。



投稿者: 百町    日時: 2002年09月09日 16:18 | 固定ページリンク




石橋 | 琵琶湖焼き肉パーティーのことですか?

10月12日に、今年もあります。
ご案内は発送されております。
近々にHPにご案内もでます。

年々、人が減少ですか?高齢化?してないと思いますけれど。。。
変わってないと思います、私も参加しております。
まぁ、平均年齢は、私も含めて押し上げてはしまってますけど(^_^;
主催は、滋賀支部ボーダラーですので、横浜のメンバーは
関わってないはずです、参加はしてますが

あと地回りは、児廻りですよ(^_^;

僕も出入り初めてほんの10数年です。
横浜の方にもバイクならすぐですし、遊びに来てください。

私の方もモルト好きの友人とおじゃまさせて頂きます(^-^)



投稿者: 石橋    日時: 2002年09月10日 01:32 | 固定ページリンク




治田豪和 | (無題)

一考様、皆様、今晩は。書くとしたらいつも幻想的掲示版で、こちらには一度も書き込んだことの無かった治田豪和(おさだとしかずと読んで下さい)と申します。よろしくお願いいたします。
金曜日の西崎さんの祝賀会、幹事様も、参加者の方々も、お疲れさまでした。ですぺらの料理、今回もおいしかったです(特に肉と芋)。お酒もがぼがぼと、呑ませていただきました。

ところで当日、私はですぺらに傘を忘れてしまいました。その前日に、絵画教室の先生の展覧会の飲み会があって、中村橋の飲み屋に忘れ、金曜朝に折角取り戻したのに今度は赤坂に忘れてしまいました。少し間抜けです。
たしか緑色の傘で、柄の部分にSunny Booth 丸R と書かれていたように思うのですが、もしお店に残っているようでしたら、取り置いて頂くわけにはいかないでしょうか。既に処分されているようでしたら諦めます。
赤坂は私の家から遠いので、残っていたら、次の恐怖の会の時に持ち帰りたいと思います。
もしも、お邪魔にならないようでしたら、よろしくお願いいたします。



投稿者: 治田豪和    日時: 2002年09月10日 02:05 | 固定ページリンク




一考 | 走り回っています

 石橋さんへ
 明石からの情報もいいかげんですね。これからは貴方にお聞き致しましょう。
 お名前は失念したのですが、ですぺらで朗読をなさった栗田さんの仲間にもケンタの方がいらっしゃるそうです。きっとご存じなのだと思います。
 琵琶湖の腕相撲はボーダラーだけでなく、横浜のメンバーを入れての10人抜きですから大変ですよ。途中で休憩が取れるようにシステムを変えましょうよ。
 横浜へも行きたいのですが、休みは日曜日のみ。その日曜日はモルト・ウィスキーの仕入れで葛西から八重洲、目白を経て吉祥寺まで走り回っています。朝8時に家を出て帰宅は夜9時、そうしないと情報が入ってこないのです。今しばらくは駄目ですね。
 10月12日に貴方の後ろを走ることがかなえばよろしいのですが。いずれにせよ、お会い出来るのを楽しみに致しております。
 ところでバイクは何にお乗りなのですか。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月10日 03:17 | 固定ページリンク




一考 | 新入荷3

 先日、土屋さんがいらした時に、現役の蒸留所のウィスキーはすべて揃っていますかと尋ねられ、グレンフィディックは在庫なしと応えました。トーモア、トミントゥール、ブナハーブン同様、どうしてもグレンフィディックが好きになれないのです。しかし、置かないわけにもいかず、本日二種購入してきました。

【グレンフィディック12年スペシャル・リザーヴ】※
 43度のオフィシャル・ボトル。
 世界で飲まれているシングル・モルトの3本に1本はグレンフィディックと言われる。事ほど左様に人気があり、入手しやすい銘柄である。ボトルの形状がトライアングルをなすことを除けば、不偏不倚で過不及のないことを唯一の持ち分とする、謂わば日本人向けのモルト風味のウィスキー。
【グレンフィディック15年ソレラ・リザーヴ】※
 43度のオフィシャル・ボトル。
 シェリー酒の熟成に用いられるソレラ・システムを利用。些かでも複雑な味わいを加味しようとの努力は評価できる。

 加えるに二種。

【アイル・オブ・ジュラ '87(スコッチ・モルト・セールス)】
 ディスティラリー・コレクションの一本。14年もの、57.3度、限定276本のシングル・カスク。
 樽の提供はイアン・マクロード社。ボトリングはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社。塩味が強く、ディスティラリー・ボトルと比してかなりドライ。
【クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)】
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 本品は店主がまだ試飲しておりません。

 そして西崎さんにお飲み頂いた下記ボトルの追加分が入荷致しました。

【グレンファークラス '88(メーラー・ベッセ)】
 フレンチ・シェリー・バットの46度。熟成期間は記されていないが、12~3年もの。
 蒸留所のボトリング。仏蘭西ボルドーで独逸人が営むワイン商メーラー・ベッセ社のリリース。他に88年蒸留ののダーク・オロロソ・シェリーとマンザニラ・シェリー、81年と79年蒸留のポート・パイプ熟成のボトルが頒されている。樽のコンディションがよく、いずれもが美味。年に一度の稀にみる傑作。

 また年末用にアルティメットのオールド・プルトニー11年(バーボン・バレル)とクラガンモア12年(ホグスヘッド)。チーフテンズのローズバンク10年(フィノ・シェリー)、ブラッドノック18年(シェリー・ウッド)、カリラ10年、キャパドニック28年、ダフタウン14年(シェリー・フィニッシュ)、グレンタレット11年(ポート・フィニッシュ)、ブローラ19年(シェリー・ウッド)、マノックモア22年カスク・ストレングスを本日注文致しました。入荷は12月上旬の予定。さらにアードベッグ、カリラ、ラガヴーリン、スプリングバンク、クライヌリッシュ等、10種類のモルト・ウィスキーの注文も済ませましたが、こちらの詳細は内緒です。ご期待下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月10日 03:20 | 固定ページリンク




石橋 | だれだろう。。。

残念ながら、思い当たる節が多すぎて。。。(^_^;
だれなんだろう?です。
男性ですよね、、、女性でも思い当たる人いるし(^_^;

サマーパーティーでも、ここ10年は腕相撲はやってないです
琵琶湖でもやってないんですよね、ここ数年
骨折したり、テーブル壊れるわで(^_^;
力自慢はたくさんいるしなぁ。。。

情報は聞くものもありますが、やはり走り回って集めるもの
ですから、横浜にも顔を出してくださいね(^-^)



投稿者: 石橋    日時: 2002年09月10日 12:58 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 横浜ケンタウロス石橋伸一さんへ
 メールにて失礼を致しましたが、やっと安心出来ました。それにしましても、ご面倒をお掛けしたことを深くお詫び致します。
 実は東京へ転居の折、横浜ケンタウロスへは二度電話を差し上げました。にもかかわらず、案内状が送付されず、見放されたのかなと些かの危惧を抱いておりました。私の新住所は埼玉県戸田市笹目7丁目6-28です。次回からはなにを差し置いても参加致します。もちろんその前に横浜へ推参仕ねばなりません。何はともあれ、三年間の欠席を貴方にお詫びせねばなりません。次週は駄目ですが、22日と23日の連休は大丈夫です。ご都合よろしき日時をご連絡頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月11日 02:56 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 百町さんへ
 ご返信恐れ入ります。未だお会いしていないと思いますが、貴方が辻潤のファンだと伝え聞きました。何時の日かお会い出来るのを楽しみに致しております。朝まで語り明かしたいものです。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月11日 03:08 | 固定ページリンク




一考 | ブルイックラディ

 阿佐ヶ谷さんへ
 先日は有難うございました。貴方のような若い世代にモルト・ウィスキーのファンが増えているのを心強く思っております。先日は他にお客様がいて充分にお話が出来ませんでした。
 さて、ブルイックラディですが、新オーナーのマーレイ・マクデヴィッド社がボウモアのジム・マクイーワン氏をトレード、操業を再開したのは2001年5月21日です。従ってボトリングされているウィスキーはインヴァー・ゴードン社時代のものです。しかし、カラーリングの有無、チル・フィルターを施すか否か、そしてアルコール度数、最後にヴァッティングのセンスによってウィスキーはまったく異なる香味を持ちます。
 ボウモアの例を持ち出すまでもなく、仕込み用水、ピート、蒸留器、冷却用コンデンサー等の変更によってウィスキーは思わぬ変身を遂げます。でも、元になるウィスキーが同じであっても、上述したフィニッシュの変改によって意外な相貌になるのも事実です。
 最近、ブラッカダー社がローカスクと題するコレクションを出しました。ボトルの中に樽の木屑が入っていますが、あれは殊更らしい演出で、別に木屑が入っていようがいまいがどうでもよろしく、問題は油分を除去するか否かにあります。新しいブルイックラディはペーパー・フィルターのみでチル・フィルターを施さないことによって、樽由来の油分がウィスキーに残されています。グレンファークラスやスキャパのようなオイリーな舌触りがブルイックラディにももたらされたのです。詳しくは過去ログ14の「ヘレスの味わい」をご覧下さい。
 例えばラフロイグが時折同様のリミテッド・エディションを頒します。76年や77年蒸留の18年ものは有名ですが、89年蒸留の10年ものハイグローヴ等は典型でしょう。通常のディスティラリー・ボトルと比して1.5から4万円との値はともかく、それだけの価値はあります。同じ10年もので約6倍の価格差があるのですが、香味には20倍を超える差があると思います。ですぺらに蔵している72年蒸留の29年ものカスク・ストレングスも、これが同じブルイックラディなのかと驚かれると思います。要はボトラーズに倣い、ワン・カスクのリミテッド・エディションを蒸留所ももっと出すべき、というのが私の意見なのです。この先は俗に言うオフィシャル・ボトル、即ちディスティラリー・ボトルとボトラーズのボトルとの話につながります。次回はその話を致しましょう。

 モルト・ウィスキーにかんする書き込みを歓迎します。至らぬ店主ですが、私で間に合うことでしたら極力お応え致します。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月12日 15:45 | 固定ページリンク




一考 | 熟成年の当て方

 前述したジム・マクイーワンさんから教わったのですが、10年、15年、20年ものでは舌の熱く感じる部分が異なるとのこと。ごく少量のウィスキーを口に含み舌の上で転がします、10年ものでは舌の先が、15年ものでは中央部が、20年ものでは舌の奥が熱くなるとの話でした。多少の個体差がありますので、何度か試されるようにお願いしますが、これを身体で覚えてしまうとお店で熟成年を当てるのが可能になります。アルコール度数はその日の体調に左右されますが、熟成年の方はかなりな確率で当たります。モルト・ウィスキーに限らず、バーボンでもアイリッシュでもブレンド・ウィスキーでも結果は同じです。ちなみに、私は12年ものぐらいから舌の熱くなる部分が前からやや中央部へと移動してきます。きっと普段から若いウィスキーばかりを飲んでいるからなのでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月12日 16:10 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会

 スコットランドのすべての蒸留所のモルト・ウィスキーを飲む会をそろそろ始めようかと思います。類似の会はそこかしこで催されていますが、内容価格共に、ですぺらならではのモルト会にしたいと思います。
 ディスティラリー・ボトルはどこででも飲めますのでそちらは参考品程度の扱いとし、ボトラーズのワン・カスクもしくはリミテッド・エディションのボトルを中心に紹介したいと思います。一回につき十種類のモルトをハーフ・ショットにて提供、会費は九千円、ご参加は十名様までに限らせて頂きます。毎月第四土曜日、六時から九時までの催しと致します。
 また、すべての蒸留所とは申せ、スペイサイドのグレン・エドワーズのようにブレンドに用いるの他まったく味見する必要のない蒸留所が若干あり、適宜端折らせて頂きます。

 アイランズからはアイル・オブ・アラン、アイル・オブ・ジュラ、スキャパ、タリスカー、トバモリー、ハイランド・パークの六蒸留所にトバモリー蒸留所のレダイグを加えた七種。
 アイラからはアードベッグ、カリラ、ブナハーブン、ブルイックラディ、ポート・エレン、ボウモア、ラガヴーリン、ラフロイグの八蒸留所。
 キャンベルタウンからはグレン・スコシア、スプリング・バンクの二蒸留所にロングロウを加えた三種。
 スペイサイドからはアベラワー、アルタナベーン、インチガワー、インペリアル、オスロスク、オルトモーア、カードゥ、キャパドニック、クラガンモア、クレイゲラヒ、グレン・エルギン、グレン・キース、グレン・グラント、グレン・スペイ、グレン・マレイ、グレンアラヒ、グレンダラン、グレントファース、グレンバーギ、グレンファークラス、グレンフィディック、グレンリヴェット、グレンロセス、グレンロッシー、コールバーン、コンヴァルモア、ストラスアイラ、ストラスミル、スペイバーン、ダフタウン、タムドゥー、タムナヴーリン、ダラス・ドゥー、ダルユーイン、トーモア、トミントゥール、ノッカンドオ、バルヴィニー、バルミニック、ピティヴェアック、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ベンリアック、ベンリネス、ベンローマック、マッカラン、マノックモア、ミルトンダフ、モートラック、リンクウッド、ロングモーンの五十蒸留所にグレンバーギ蒸留所のグレンクレイグ、ミルトンダフ蒸留所のモストウィー、マノックモア蒸留所のロッホデュー、さらにゴードン&マクファイル社のマクファイルを加えた五十四種。
 北ハイランドからはクライヌリッシュ、グレン・アルビン、グレン・オード、グレン・モール、グレンモーレンジ、スペイサイド(もしくはドラムーイッシュ)、ダルウィニー、ダルモア、テナニャック、トマーチン、バルブレア、プルトニー、ブローラ、ミルバーン、ロイヤル・ブラックラの十五蒸留所。
 東ハイランドからはアードモア、グレネスク、グレンアギー、グレンカダム(もしくはブレチン)、グレン・ギリー、グレングラッサ、グレンドロナック、グレンユーリー・ロイヤル、ノース・ポート、ノックドゥー、バンフ、フェッターケアン、マクダフ(もしくはグレン・デヴェロン)、ロイヤル・ロッホナガー、ロッホサイドの十五蒸留所にグレネスク蒸留所のヒルサイドを加えた十六種。    
 西ハイランドからはオーバン、グレンロッキー、ベン・ネヴィスの三蒸留所。
 南ハイランドからはアバフェルディ、エドラダワ-、グレンゴイン、グレンタレット、タリバーディン、ディーンストン、ブレア・アソールの七蒸留所。なお、ロッホ・ローモンド蒸留所はインチマリン、オールド・ロスドゥー等数種のモルトを醸していますが、ローランドのリトルミル一種にさせて頂きます。
 ローランドからはインヴァリーブン、オーヘントッシャン、グレンキンチー、セント・マグデラン(もしくはリンリスゴー)、ブラッドノック、リトルミル、ローズバンクの七蒸留所。

 以上、百十三蒸留所、百二十種のモルト・ウィスキーを一年がかりで楽しむことになります。
 蒸留所の組み合わせ等、詳細は追って掲載させて頂きます。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月13日 12:26 | 固定ページリンク




松友 | 遂に!

「モルトの会」。

キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!!!

あ、いけない、本掲示板でも禁じ手かしらんという、顔文字を使ってしまいました。これで嫌になって”やーめた”と仰らないで下さいまし。
いえいえとても嬉しいです、モルトの会。きっとやって下さると信じ、今か今かとドキドキしながらお待ち申し上げて下りました。さて、旧来の印象では全蒸留所というとソサエティを射程に入れないとならない感覚があったように存じますが、ボトラーズ(まぁ、ソサエティもそうといえばそうですが)のその辺りの状況はだいぶ変わったのでしょうか、と、ちょっと訝しげに。
いやさ、とても愉しみです。告知があるのをドキドキしながらお待ち申し上げております。

付記:舌の感覚で熟成年がよめるというのは初耳でした。でもそこまでの舌を持っていないかも、と(悲



投稿者: 松友    日時: 2002年09月14日 02:47 | 固定ページリンク




一考 | ボトラーズの会

 松友さんへ
 ご指摘のとおり、ソサエティとアダジオ社(ユナイテッド・ディスティラーズ)を除いて120種のウィスキーが揃うかどうか。いまひとつは、ディスティラリー・ボトルなら安いのですが、ボトラーズのボトルを中心に添えて一万円を切るような低価格を出せるかどうかが分岐点で御座いました。
 もちろん、ヒルサイドのようにレアモルトしか頒されていないようなウィスキーは致し方ないのですが、おそらく九割以上はボトラーズで可能だと思います。鳥瞰図は粗方ひいているのですが、ストックを持ってはじめるのではなく、日々の味見や購入に駆けずり回ることになります。二年半の思案の結果ですので期待して下さい。
 「ですぺらモルト会」と別に、個別のボトラーもしくは個別の蒸留所のリミテッド・エディションを試飲する会も月一回第二土曜日に開きます。かかる会を催さないと、何時まで経っても新規ボトラーのボトルの仕入れができません。例えばメーラー・ベッセが頒した五種のグレンファークラスを飲み比べるとか、同じタリスカーながらキングスバリーのヘブリディーズとダグラス・レインのタクティカルのオーク樽とシェリー樽各四種とダブル・マチュアードのディスティラリー・ボトルを飲み比べる等、考えただけでも楽しいではありませんか。お客さんとの共同仕入れによる飲みきりの会にでも発展すればいいのになあと思っております。

 話は変わりますが、マクギボンのグレンダランは飲まれていませんよね。プロヴァナンスの一本で85年蒸留の15年もの。オールド・パーの原酒モルトで、花と動物シリーズがディスティラリー・ボトルですが、フルーティーな香りはこちらがはるかに上。クレイゲラヒやグレンキースにみられる焼き林檎の香味を思い起こして下さい。
 口当たりは軽いのですがミディアム・ボディ。軽く焼いたプリン、クリーム・ブリュレを思わせる香りが素敵です。外連身がなく、ソフトでスムースな味わいは貴方が好きなモートラックから厚みを削ぎ取り、アベラワー固有の琥珀のような透明感で包み込んだ上質なモルトです。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月14日 15:17 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会2

■ ピート香もしくはヨード臭の顕著なモルト
タリスカー、レダイグ、アードベッグ、カリラ、ポート・エレン、ラガヴーリン、ラフロイグ、ロングロウ、ブローラ

■ 香味共にバランスのとれたモルト
グレン・スコシア、スプリング・バンク、オスロスク、クレイゲラヒ、グレントファース、グレンバーギ、ストラスミル、ダルユーイン、バルヴィニー、バルミニック、ピティヴェアック、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ベンリネス、マノックモア、モートラック、リンクウッド、ロングモーン、クライヌリッシュ、テナニャック、アードモア、グレンユーリー・ロイヤル、ノックドゥー、フェッターケアン、ロイヤル・ロッホナガー、オーバン、アバフェルディ、タリバーディン、グレンキンチー、セント・マグデラン(もしくはリンリスゴー)、ブラッドノック、ローズバンク

■ コスメティックな香りのモルト
ボウモア、オルトモーア、グレンアギー、グレン・ギリー、グレングラッサ

■ エキセントリックな香味をもつモルト
コールバーン、コンヴァルモア、タムナヴーリン、ダラス・ドゥー、ダルモア、リトルミル

■ シェリーもしくはフルーティーな香りがあり、芳醇な味わいのモルト
ハイランド・パーク、アベラワー、グレン・キース、グレンアラヒ、グレンダラン、グレンロセス、グレンロッシー、ストラスアイラ、マッカラン、マクファイル、エドラダワ-

■ さまざまな樽由来の香りが楽しめるモルト
クラガンモア、グレン・マレイ、グレンモーレンジ、オーヘントッシャン

■ オイリーな味わい、舌触りを楽しむモルト
スキャパ、ブルイックラディ、インチガワー、グレンファークラス、グレンクレイグ、モストウィー、インヴァリーブン

■ ビギナー向けの温厚な味わい
アイル・オブ・アラン、ブナハーブン、インペリアル、カードゥ、グレン・エルギン、グレン・グラント、グレンフィディック、グレンリヴェット、トーモア、トミントゥール、ミルトンダフ、ダルウィニー、バルブレア、グレンゴイン

■ まずまずの及第点からまあまあまで、判断は飲み手次第
アイル・オブ・ジュラ、トバモリー、アルタナベーン、キャパドニック、グレン・スペイ、スペイバーン、ダフタウン、タムドゥー、ノッカンドオ、ベンリアック、ベンローマック、ロッホデュー、グレン・アルビン、グレン・オード、グレン・モール、スペイサイド(もしくはドラムーイッシュ)、トマーチン、プルトニー、ミルバーン、ロイヤル・ブラックラ、グレネスク、グレンカダム(もしくはブレチン)、グレンドロナック、ノース・ポート、バンフ、マクダフ(もしくはグレン・デヴェロン)、ロッホサイド、ヒルサイド、グレンロッキー、ベン・ネヴィス、グレンタレット、ディーンストン、ブレア・アソール

些か荒っぽい分類ですが、とりあえず以上のように部分けして十二箇月の組み合わせを考えました。順序はともかくとして、結果は以下のごとし。当掲示板でもメールでも結構です。ご意見お聞かせ頂ければ幸甚です。

01.アイル・オブ・アラン、アードベッグ、アベラワー、アルタナベーン、オスロスク、オルトモーア、クラガンモア、クライヌリッシュ、グレン・アルビン、ベン・ネヴィス、

02.アイル・オブ・ジュラ、カリラ、インチガワー、インペリアル、グレン・キース、クレイゲラヒ、コールバーン、グレン・オード、グレンモーレンジ、ヒルサイド

03.スキャパ、ブナハーブン、キャパドニック、グレンアラヒ、グレン・マレイ、コンヴァルモア、ストラスミル、テナニャック、グレンドロナック、グレン・モール、

04.タリスカー、グレン・スコシア、カードゥ、グレン・スペイ、グレントファース、タムナヴーリン、リンクウッド、アードモア、スペイサイド(もしくはドラムーイッシュ)、グレンタレット、

05.トバモリー、レダイグ、グレン・エルギン、グレンダラン、スペイバーン、ダラス・ドゥー、バルミニック、グレンユーリー・ロイヤル、トマーチン、ブレア・アソール、

06.ハイランド・パーク、グレン・グラント、グレンバーギ、グレンクレイグ、グレンロッシー、ダフタウン、エドラダワ-、グレンアギー、ノックドゥー、プルトニー、

07.ブルイックラディ、グレンファークラス、グレンフィディック、グレンロセス、タムドゥー、バルヴィニー、グレン・ギリー、ミルバーン、ロイヤル・ロッホナガー、ブラッドノック、

08.ポート・エレン、グレンリヴェット、ストラスアイラ、ノッカンドオ、マノックモア、ロッホデュー、グレングラッサ、フェッターケアン、ロイヤル・ブラックラ、セント・マグデラン(もしくはリンリスゴー)

09.ボウモア、トーモア、ブレイヴァル(ブレイズ・オブ・グレンリヴェット)、ベンリアック、マッカラン、オーバン、グレネスク、ダルモア、バンフ、ローズバンク、

10.ラガヴーリン、ダルユーイン、トミントゥール、ピティヴェアック、ベンローマック、
アバフェルディ、グレンカダム(もしくはブレチン)、マクダフ(もしくはグレン・デヴェロン)、バルブレア、インヴァリーブン、

11.ラフロイグ、マクファイル、ミルトンダフ、モストウィー、モートラック、
タリバーディン、ディーンストン、ロッホサイド、ダルウィニー、オーヘントッシャン、

12.スプリング・バンク、ロングロウ、ベンリネス、ロングモーン、グレンゴイン、グレンロッキー、ブローラ、ノース・ポート、グレンキンチー、リトルミル、



投稿者: 一考    日時: 2002年09月14日 20:50 | 固定ページリンク




し~ちゃん | いってきました!可淡人形展


こんばんは 川上史津子です

天野可淡人形展atマリアクローチェに行って参りました
今回展示されたものは 全て 表参道・人形屋佐吉店主 
片岡佐吉氏の所蔵と氏に伺いました 

10/12に予定している 天野可淡人形展・本展に向け
可淡人形をお持ちの方は協力頂きたい旨のお願いが張ってありました

想像以上に広い コンクリート打ちっぱなしのスペースに
各人形ごとに こだわり、気配りの為された展示方法で
息がかかるほどの距離で 鑑賞できました

人形の目や口に訴えかけられた経験は 正直言って 初めてでした

カタンドールを一度にこれだけ見られて900円はスバラシイ!
二階堂さんも書いておられましたが 本当に一見の価値ありでした
大江戸線 新御徒町・A4出口から徒歩2分と便利なところでした



投稿者: し~ちゃん    日時: 2002年09月16日 19:34 | 固定ページリンク




松友 | アーマーも

 「モルトの会」、各回の組み合わせはとても楽しみでもあり、かつ難しいものかとご想像申し上げます。
 それはそうと最近御教えいただきましたミッチェルですとかマッカンガス等のお手頃ブレンデッドの会というアイデアも楽しそうです。安価でここまで美味しければ言う事なしといったラインナップ。その時は意表をついて是非アーマーも加えて下さいまし。
 ではでは。

付記:本掲示板にては全く意味が無く、今となっては遅すぎですがマリアクローチェさんへの地図を作製、アップ致しました。もっとも諸般の事情が発生した折は予告なく改変・削除等行いますです。アドレスはURL内です。なお、拙メは関係者ではございませんので”勝手にアップ”状態です。



投稿者: 松友    日時: 2002年09月23日 00:10 | 固定ページリンク




如月 | 掲示板

サーバー・ダウンで自分の掲示板が開かないので、最近はもっぱら↓掲示板
http://cgi.linkclub.or.jp/~tougo/TSERCH/BBS/petit.cgi
で暴れまくっております♪
なお、小サイトの人形愛掲示板はアクセス可能ですので、よろしければそちらも
のぞいてみてください。



投稿者: 如月    日時: 2002年09月24日 00:07 | 固定ページリンク




一考 | さらし奈乃里

 友より板橋の蕎麦屋を紹介されました。屋号は「さらし奈乃里」、住所は板橋区前野町6-47-10、電話番号は3969-8775です。営業時間は11時30分から14時30分と17時から20時に分割されています。ただし、水曜日は昼の部のみの営業にて、木曜日が定休日になっています。
 場所は川越街道と首都高速五号線下の見次公園を結ぶ前野中央通りの中程、川越街道から入れば前野小学校手前の路地を斜めに左折、すぐ二方向に道が分かれますので左へ進行、20メートルほど直進しますと一方通行になりますので、そこを右折、後は道に沿って左折を二度繰り返しますと店の前に出ます。裏手に駐車場が三台分設けられています。徒歩なれば、前述の一方通行を突っ切って右へ曲がった所になります。
 北海道産の蕎麦粉を石臼挽き、御前更科700円、変わり蕎麦800円、もり600円、ざる700円が主たる献立。酒は群馬、山形、福島の地酒三種と菊正宗の樽酒、加えるに茨城の地ビールを置いていますが、こちらはお薦めにあらず。
 友によれば変わり蕎麦の山椒切りと柚子切りは名品とか、あいにく私が行った折は胡麻切りにて、香りはともかく粘りのないパサついた食感、デリケートにすぎる舌触りはいまいちでした。御前更科ではなく、通常のもり蕎麦の変わり種の方が望ましいのにと思いましたが、そちらは件の名品を食するまでは判断を留保しておきましょう。
 しかし、御前更科ともりの二種は絶品。更科蕎麦は山形、秋田、青森の板蕎麦、すなわち長野で言う田舎蕎麦の対極に位置します。蕎麦の実の芯のみを用いる純白の蕎麦であり、さらさらした舌触りの良さと透明感に充ちた際やかな味わいには結構なものがあります。田舎蕎麦と比して腰の弱さは否めませんが、爽やかさを賞味するには打ってつけの蕎麦種、真澄のあらばしりとの組み合わせなら、さぞや杯がすすむのにと思いました。
 蕎麦固有の噛み応えを求められる方にはもりがお薦め。先週、福島の川内へ蕎麦を食べに行ったばかりですので、「さらし奈乃里」の細切り蕎麦には随分と繊細かつ上品な香味を感じました。昨今の冷凍饂飩や一部の讃岐饂飩にはタピオカが練り込められています。腰を強くするのが目的ですが、さような添加物によって不必要に堅くされた麺など御免被りたく、自然な歯応えこそが「嚼」の字に相応しいものと心得ます。いずれにせよ、かくまで端正な蕎麦を食させる店が板橋にあろうとは驚きでした。能書きが多い東京の蕎麦屋のなかにあって頑固親父ではなく清々しい若夫婦がいとなむお店、御内儀の笑顔に好印象を抱くのはきっと私だけではありますまい。出色の蕎麦屋と信じ敢えて御紹介致したく、蕎麦好きの贔屓偏頗とお聞き流し下されば幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月26日 00:54 | 固定ページリンク




高阪 | うわぁ。

久し振りに拝見すれば、素敵な企画が……! シングルモルトを
語れるほど飲んではいないのですが、好きというか、最近良さが
判ってきた気がするというか、楽しくなってきたところなので。

毎月東京へというのは条件的に厳しいので参加は無理だと思われ
ますが。はー。いいなぁ。せめて掲示板で勉強させていただきます。



投稿者: 高阪    日時: 2002年09月26日 23:56 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございました。

金曜日は、ありがとうございました。
また、ご迷惑かけること続くと思います。

そのときはよろしくお願いします。



投稿者: りき    日時: 2002年09月29日 00:21 | 固定ページリンク




一考 | 闇の階調

 横須賀さんへ
 貴方が当掲示板をお読みだとは意外でした。御指摘の通り「数年後の君に」と題した書き込みは山本六三さんについての文章「友の死に思う」の末尾に引用した高柳重信さんの句への返しであって、けっして息子のことを書いたのではありません。思うところあり、ちょいとばかし、入り組んだ書き込みを致しております。しかし、貴方が仰るように私が述べたいところはおおよそシンプルです。スタンスの如何を問わず、表現とは自己欺瞞の極地にしか横たわってはいないのですから。
 それにしましても、かくまで深読みをされますと面映ゆく思われます。と申すよりは貴方のような方と出逢えたことを嬉しく思うのです。親友とは裏切り裏切られるためにのみ存在します。それを承知の上でのお付き合いですから、なおさら嬉しいのです。
 当掲示板も今月で一年になります。言いたいことがあれば、原稿用紙に書くべきで、掲示板には違った用途がありそうです。先日もウィスキーの先達から前代未聞のホームページだとお褒めの言葉を頂戴致しました。ホームページの稿の刷新だけでも三、四箇月は掛かります。暫くのあいだ、モルト・ウィスキーに専念しようと思っています。

 山口小夜子さんには驚かされました。久しぶりに品のある女性とお会いできました。出逢いの絶景をお与え下さったことに感謝致します。山口小夜子さんを被写体に撮られた写真の数々、肉体がオブジェとして屹立している点、闇の階調と称するしかない貴方の写真に対する絶望的なまでのデスタンス、如月さんがご指摘なさるように人が肉体を喪失し関節人形と化して行く摩訶不思議な光景に感じ入りました。
 山口小夜子さんの写真に限らず、黒一色のなかでのぶつ撮りを試された資生堂のお仕事。光と影という呪うべき二項対立を拒み続ける貴方の姿勢を最大限の興味を持って眺めております。上梓がかなうなら、いかなる雑事も負いましょう。未発表のまま捨て置くには余りに惜しい作品です。年明けには一本に纏めましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月30日 04:02 | 固定ページリンク




一考 | アバフェルディ

 Siestaさんへ
 アバフェルディ蒸留所の創設は1898年。創業者はジョン・デュワー。1925年にジョニー・ウォーカーなどと合併、D.C.L.に加わりました。1986年にU.D社の傘下に入り、1998年にバカルディ社に売却。かつてのモルトハウスをコンペンション・センターに衣替えし、地元に開放しています。
 花と動物シリーズが頒布されるまではラベルに蒸留所の絵を刷り込んだディスティラリー・ボトルが出回っていました。下って2000年、バカルディ社から新たなディスティラリー・ボトルが頒されました。
 貴方が仰ってらしたボトルはそのディスティラリー・ボトルです。40度の12年もので、ラベルに蒸留所の絵と創業者ジョン・デュワーの肖像を刷り込んでいます。U.D社のボトルは在庫のみにて終了ということになりますが、まだ結構な量があるそうです。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月30日 04:04 | 固定ページリンク




一考 | こちらこそ

 りきさんへ
 金曜日は柿沼さんの宴会と一緒になってしまい、テーブルが使えなくて申し訳御座いません。これに懲りずにどうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月30日 04:15 | 固定ページリンク




一考 | 新規ボトル

 高阪さんへ
 先だっては有難う御座いました。貴方が関西へ行かれて淋しい思いをしています。モルト・ウィスキーの香味については少なくとも五、六人で話し合うのがもっとも楽しいのです。意外な連想ゲームになりますので。また機会が御座いましたら、ぜひ飲みましょう。
 それと、九月半ばに輸入されたカリラ三種(12年もの43度、55度のカスク・ストレングス、18年もの43度)とクライヌリッシュ(14年もの46度)のディスティラリー・ボトルを今日試飲致しましたが、かなりイケます。特に12年もの43度のカリラには感心させられました。他ではブラッカダー社のローカスクのクラガンモア(13年もの59.6度のカスク・ストレングス)とカリラ(10年もの59.4度のカスク・ストレングス)が特筆大書すべきモルトだと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月30日 04:45 | 固定ページリンク




一考 | お会い致したく

 Bさんへ
 12月8日の書き込みにて西宮へ行かれたものと思っておりました。もっとも、確か有馬の奥まで西宮市内で随分と南北に長い鰻の寝床のような市街だなと思ったことがあります。もし東京にいらっしゃるのであれば、お会いして話したいことが御座います。何時でも結構です、店へいらして下されば幸いに存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年09月30日 04:59 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 『アリスの人生学校』

こんにちは、二階堂奥歯です。
全国の乙女な皆様、ポルノグラフィ愛好家の皆様、マッコルラン好きな皆様、澁澤好きな皆様、本日10月1日は大変な日です。
ピエール・マッコルラン『アリスの人生学校』吾妻新訳 学研 1900円
が書店に並ぶ日なのです。

これは『恋する潜水艦』(国書刊行会)のピエール・マッコルランが、サディ・ブラッケイズという変名で書いた清く正しい(?)鞭打ち小説です。澁澤龍彦もお気に入りのポルノグラフィとして何度もその名をあげています。『奇譚クラブ』臨時増刊号 7巻13号(昭和28年12月 曙書房)に発表されたきりで、幻の傑作として知られていました。
解説は高遠弘美さん。この解説の為にフランスから何十万単位でサディ・ブラッケイズ名義の著作や研究書を取り寄せられたということです。西洋における「鞭打ち」の意義について語り、マッコルランがこの小説に登場する書物をいかに換骨奪胎しているかを絵解きする充実の解説です。
『アリスの人生学校』は『カンディード』と『ル・メナジエ・ド・パリ』という二冊の奇書から作者の偏愛のままに、十五歳の少女(言うまでもなく十八歳のアリスは第二部で十五歳の幼妻に重ねられる)に対する支配欲と鞭打ち趣味だけを抜き出すことで、鞭打ちの二面性、すなわち、訓育と性的快楽を際立たせた秀作である。継母を思わせる伯母と醜い中年男からアリス(本来「高貴」「優しさ」を意味する名前であった)を救い出すのに、反キリスト教的自由思想と反保守派的政治思想を旗印にしたという点でもなかなか穿ったポルノグラフィだと言わねばなるまい。(解説より)

ですぺらでも買えるそうです。
ですぺらで買った方にはおまけで二階堂奥歯を鞭打てるというのはどうですかと私が言ったらあきれられてしまったので、そのようなおまけはつきません。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年10月01日 17:09 | 固定ページリンク




りき | こちらこそ。

>一考さま
こちらこそ、ありがとうございました。
友人もまた来たいといってました。

機会つくってまた連れていきます。



投稿者: りき    日時: 2002年10月01日 22:26 | 固定ページリンク




an | ハワイからお知らせです

こんにちは。ハワイからメールしています。 空き時間、インターネットを利用して自宅からビジネスをしたい方を探しています。 家事、育児、本業と両立してなにか始めたい方はHPを見てくださいね。



投稿者: an    日時: 2002年10月03日 18:43 | 固定ページリンク




猫女 | 先日はお邪魔しました

 初めて書き込みさせていただきます。先週の金曜日に大阪からお邪魔した者です。
 いただいたウィスキーと燻製の美味しさに舞い上がってしまい、他のお客様や一考様、薫子様にご迷惑をおかけしたのではないかと反省しております。
 また東京へ行く機会がありましたら、お店へ伺いますので、美味しいお酒をいただけたら幸いです。



投稿者: 猫女    日時: 2002年10月04日 01:46 | 固定ページリンク




高阪 | (無題)

心温まるお言葉、そのままいただいてしまいたい気も
いたしますが(笑)。残念ながら、どなたかと勘違い
されているかと思います。

まさか先日、梅田でアイラ系の香りの理由について教えて
くださった見知らぬ方ではありませんよね。もしもそう
だったら面白いなと思いつつ。ありえないお話です。



投稿者: 高阪    日時: 2002年10月05日 00:55 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介9

 モルト・ウィスキーに関する書き込みを整理致します。
「アルティメット」「アデルフィ」「ベニーヴァー」「新規ボトラー3」を一括りにして、次回からは「ボトラー情報5」と致します。新規ボトラーの紹介を中心に内容は「ボトル紹介」とも若干重複します。
「マッカランとじゃこ飯 」「ヘレスの香り」「新入荷」「新入荷 2」「アイラモルトの最新情報」「新入荷3」「アバフェルディ」「新規ボトル」を一括りにして、次回からは「ボトル紹介9」と致します。ボトラー・ボトルに限らず、ディスティラリー・ボトルも紹介します。ただし、紹介のみにて必ずしもですぺらに在庫があるとは限りません。どうしても飲みたい方には購入なさった業務店を紹介させて頂きます。
「アブサン」「ブルイックラディ」「熟成年の当て方」「ですぺらモルト会」「ボトラーズの会」「ですぺらモルト会2」を一括りにして、次回からは「モルト情報7」と致します。ただし、店主の節操のなさを反映して話題はモルト・ウィスキーに限らず、酒全般と致します。
 なお、所有ならびに複数を示唆する英語のSは煩わしいので原則として除去致します。

 では「ボトル紹介9」をはじめます。
 まず、ベニーバ(BENIVOR)社から初のカスク・ストレングスが三点頒されました。同社のボトリングはウィスキー評論家として知られるミルロイ兄弟の兄、ウォレス・ミルロイ氏の手になるもの。
 グレン・グラント '77 24年 54.8度
 ダフタウン '85 17年 57.3度
 インチガワー '89 12年 60.2度
 インチガワーと前回紹介しました46度の三商品のうち、バーボン・ホグスヘッドのリンクウッドが10月10日に入荷します。

 ロンバード社のコレクション「ジュエル・オブ・(各地域名)」が「ジュエル・オブ・スコットランド」へリニューアルされました。ボトル形状がコニャックのそれに替わり、背が34センチと高くなりました。アルコール度数がダグラス・レイン社の「オールド・モルト・カスク」同様、50度のプリファード・ストレングスになり、ラベルは地域ごとに色分けされ、下部にカスク番号やテイスティングノートが付されています。もっとも、同社のコメントは「チャームにしてエレガント、バランスのよいモルト」等々、月並みでなんの役にも立ちません。本品も10月10日に入荷します。
 ローズバンク '89 12年 50.0度
 モートラック '90 10年 50.0度
 スプリングバンク '91 10年 50.0度

 スコッチ・モルト・セールスの「ディスティラリー・コレクション」に新たな一本が加わりました。店主期待の一本です。
 グレン・スコシア '91 11年 57.0度 276本

 コンパス・ボックスからカリラとクライヌリッシュのバッテッド・ウィスキーが頒されました。
 エルーセラ(ELEUTHERA)46度

 ディスティラリー・ボトルですが、グレン・モーレンジから「コート・ドゥ・ボーヌ・ウッド・フィニッシュ」と「1981ソーテルヌ」の二種。前者はバーボン樽で10年間熟成後、コート・ドゥ・ボーヌの赤ワイン樽でおよそ2年のフィニッシング。12年もの43度の逸品。後者はソーテルヌ(白ワイン)の樽で30箇月のフィニッシング。20年もの46度、4000本のリミテッド・エディション。とてもリッチでスウィートな味わいですが、私には高値の華。
 前回紹介致しましたカリラのディスティラリー・ボトルのうち、カスク・ストレングスと18年ものが10月10日に入荷します。特にカスク・ストレングスがお薦め。クライヌリッシュ14年は10月15日頃に入荷予定。
 新たなディスティラリー・ボトルではグレンギリーとグレンオードが年内に頒布されます。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月06日 18:21 | 固定ページリンク




一考 | ボトラー情報5

 ロンドンの新しいボトラーから“ザ・ダンデールセレクション”が頒布されました。ボトラーの詳細はまだ不明ですが、82年蒸留の20年もの46度のモートラックと72年蒸留の30年もの46度のクライヌリッシュが輸入されました。チルフィルターやカラメルを一切使用しない本物志向のボトラーです。これからの展開に期待が持てそうです。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月06日 18:35 | 固定ページリンク




如月 | 食べられないクスクス

「アリスの人生学校」発刊記念日には、事情も飲み込めないまま飛び入り参加さ
せていただきましたが、奥歯さんの書きこみを読み返して、なるほど、あれはそ
のような由緒正しい会だったのだと、改めて自分を納得させております。
それにしても橋本さんの「処女の生血」解説のすばらしかったこと♪二日たった
今でも一言一言が鮮明で、一人でクスクス笑っております。



投稿者: 如月    日時: 2002年10月07日 00:21 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 処女の生血

如月さんこんにちは。
ええ、私が鞭を持っていたのにはちゃんと理由があったのです。いつも持って歩いているわけではないのです。

金曜のですぺらは大変な人出でした。
高遠弘美さんと橋本克己さんともうお一方とですぺらに行きましたら、白鳥友彦さんと金光さんとりきさんがいらっしゃるではありませんか。
その内、如月さんと、(出張で来られた)フクさんがいらっしゃいました。
さらに遅くなり、横須賀功光さんがいらっしゃいました。
私はおろしたてのヴィヴィアン・タムのドレスを着て、『アリスの人生学校』記念の鞭を持っていたのですが、あまり鞭は感心してもらえませんでした。
ただフクさんがお仕事柄鞭の金属部分の構造に興味を持たれたようでした。
(それだけかい!)とわたくしは思いました。

私も橋本さんに教えて頂いたウォーホル「処女の生血」と岡本かの子「肉体の神曲」をはやく見たり読んだりしたいです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年10月07日 00:49 | 固定ページリンク




フク | ありがとうございました

先週は上京のついでに二晩寄らせて頂きました。
一考さん、薫子さんいつも暖かくお迎え頂きましてありがとうございます。
最近は自分のなかで上京とですぺら詣でがセットになっており、どんなスケ
ジュールを立てようと締めに必ず赤坂が来るようにコントロールしてしまう
のです。特に今回の収穫は”ぎあら”。ですぺらに行く度に酒にしろ食べ物
にしろ新発見があるのが魅力です。

『アリスの人生学校』出版祝賀会の皆様ともお話したかったのですが、金曜
日は入る時間が遅すぎたか、輪に加われず残念でした。奥歯さん持参の本物
の鞭をはじめて触らせてもらって、格闘系フィクションの登場人物のように
鞭を自在に操るというのは思いの外難しいことを学びました。スナップの加
減と打擲点の把握がポイントなんだろうな(何やってんだか)。 ちなみに
握り部の金属加工は職人技ですよ、あれ。

年内に何回かは上京する機会もあると思いますので、もしお会いする機会が
ありましたら、また皆様宜しくお願いします。



投稿者: フク    日時: 2002年10月08日 06:22 | 固定ページリンク




あだち | 「心を強くするメッセージ」のご案内

    お邪魔いたします。 悲しみを喜びに、不安を平安に 失望を希望にうち変えてくれる メッセージをお受けください。    日替わりにて 「心を強くするメッセージ」     を発信しております。  http://www5a.biglobe.ne.jp/~subrow/                 安達三郎



投稿者: あだち    日時: 2002年10月08日 19:32 | 固定ページリンク




薫子 | 猫女さまへ

 先日はお越し頂き、ありがとうごさいました。お一人で静かに飲んでいらしたのに、あれこれと話しかけたりして、こちらこそお邪魔じゃなかったかしら。猫女さんの関西弁のイントネーションに、なぜか気持ちが暖かくなりました。そう、嘉門達夫の唄じゃないけれど、私は関西人、思いっきり関西人だったのだ。なにゆうとうねん、家では関西弁しゃべっとるやないか、と言われそうですが、他の人が、特に女性が話すのを聞くのはとても心地良いのです。また上京の折には是非お寄りくださいましね。



投稿者: 薫子    日時: 2002年10月09日 06:26 | 固定ページリンク




如月 | 新掲示板できました。

9月はじめから掲示板が停止し、一考さんをはじめみなさんにご心配いただきま
したが、ようやく新掲示板ができました。URLはhttp://www.furugosho.com/cgi-bin/bbs/yybbs.cgiです。
みなさんのアクセス、お待ちしております。



投稿者: 如月    日時: 2002年10月09日 14:59 | 固定ページリンク




名無しのオプ | 【告知】


姉妹スレ告知
【奥歯姫】東殿下と幻想文学の仲間たち4【萌え】
http://book.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1034008160/

重複スレ
【奥歯姫に】東雅夫と幻想文学の愉快犯たち【跪け】
http://book.2ch.net/test/read.cgi/mystery/1034008108/
は放置でよろしく。



投稿者: 名無しのオプ    日時: 2002年10月10日 00:00 | 固定ページリンク




管理人 | IT社会の罠


↓の書き込み、こんな下らない書き込みするなよな。まったくもう。
ちゃんとした名前も名乗らずに書き逃げするから制裁を加えます。

161.30.221.202.xf.2iij.net, "Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Q312461)
こいつの書き込み情報です。
どこのプロバイダからつないで、どういうOSを使っているかわかってしまうんですな。

もちろん、犯罪行為と思われる投稿ならば、然るべきところに連絡すると身元は分かります。
完全に匿名の存在なんて、ネット上ではそうそうないのです。ゼロじゃないけど、技術があれば。
便所の落書きではないのです。こいつの場合は単なる下らない代物ですけど。



投稿者: 管理人    日時: 2002年10月10日 01:11 | 固定ページリンク




松友 | ボトルも綺麗

 新入荷分の数本、美味しく戴きました。ロンバード社の「ジュエル・オブ・スコットランド」シリーズ、味には関係ありませんがまず背の高いボトル形状が綺麗で。細身の瓶はワインやグラッパなどでも拝見しますが品のようなものを感じました。そのせいで居心地が悪そうなのは少し残念ですが。'91y10年のスプリングバンクのバーボン樽使用は元々の持ち味を生かす懸命な選択かと。ただしdesperaさんにはスプリングバンク最終兵器がございますから(否、東高地)こちらは異なる纏め方を楽しむというところなのでしょうか。また、ローズバンク'89y12年は同じく”らしい”辛みが残っていた印象。で、御相伴に預かった中での白眉はSMSのグレンスコシア'91y57%でした。いいですねー、辛くって味があって。

 そういえば以前ダルユーインのシグナトリー記念ボトル(デキャンター)を酒屋さんで比較的安価に試飲させてもらいました。色から推察できる通りの重みなり(行過ぎる数歩手前?)が美味しかったのですがそれは値段を考えれば相応だったのかもしれません。しかも加工の入ったボトルと木箱の御代も馬鹿にならないものがあったのでしょう。手頃で面白いボトルがある傍らで、(レアものに代表される)価格の高騰は辛いものがあります。いくら好きでも追いかけられないです。



投稿者: 松友    日時: 2002年10月11日 17:45 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | サンタ・サングレ

本日から天野可淡展が行われています。私は今日行ってまいりました。
先月プレビューがありましたが、その時は片岡佐吉(人形屋佐吉)と恋月姫所蔵の人形だけでした。
今回は他のコレクターも出品しています。大体7体くらい新しい人形がありました。薄紫(?)のドレスを着た大きな少女人形と、手が鳥のそれに変化している少女人形が特に見事でした。

二月の「聖ヴァレンタインの斧」を皮切りに二ヶ月に一度くらいの割合でマリア・クローチェで人形展がありましたが今回で終了ということです。可淡の人形が次に見られるのはいつなのでしょう。

天野可淡人形展「サンタ・サングレ」
10/12sat~27sun 14:00~19:00
http://members8.cool.ne.jp/~koitsukihime/page/event.html



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年10月12日 23:14 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン | 注目!フィルムセンターの韓国映画と川崎市民ミュージアムの木村威夫特集

フィルムセンターの「日本映画の発見」という日本映画史をほぼ時系列に沿って回顧上映してきた特集も、1970年代後半となると、だいぶ作品のヴォルテージが落ちてきて、ちょっとどうかなという作品が多くなってきたけれど、11月からは目先が変わり、1960年代のもっとも充実していた時代の韓国映画の特集が行われます。上映作品は28本。わたしは韓国映画にはなじみがないので、詳細はフィルムセンターのホームページ(作品梗概と上映スケジュールあり)を御覧いただくべきでしょうが、ですぺらホームページを御覧の皆さんには、次のような作品がお勧めではないかと愚考します。フイルムセンターのホームページ上では、作品名の前の記号を目印にお探しあれ。
K4 燕山君  K14 夢  K15 月下の共同墓地  K25 千年狐  K27 李朝女人残酷史  K28 李朝怪談
一方、川崎市民ミュージアムでは、11月23日から、鈴木清順の映画で知られる美術監督木村威夫の特集が組まれます。こちらは土日祝日のみの公開で、1954年の大映の「或る女」(豊田四郎監督)から2000年の「『紅の銃』よ永遠に」という「日活芸術学院25周年記念映画」に至る34本。
なかには、12月8日上映の「氷雪の門」という「政治的圧力」で広く公開されるに至らなかった作品もあります。ここで34作品全部の名前を列挙するわけにも行かないから、やはり市民ミュージアムのホームページを御覧あれということになってしまいますが。
今回の特集には入っていませんが、昨年公開された清順師の「ピストルオペラ」など、もっぱらこの人の美術と韓英恵ちゃんの可愛さだけが見どころであったと言って差し支えないでしょう。お勧めは、やはり、日活作品ですね。
今年は、「東京国際映画祭」は面白くなさそうだけれど、映画ファンは「鬼畜米英」なんかの作った映画は後回しにして、こちらと中野武蔵野ホール、自由ヶ丘武蔵野館のレイトショーで渇を癒すべきでしょう。妄言多謝



投稿者: 御邪魔ビンラディン    日時: 2002年10月15日 01:56 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報7

 土屋守さんが主宰する「スコッチ通信No.10」でですぺらが紹介されました。
 定価は700円、偶数月発行のニューズレターです。発行はスコッチ文化研究所(〒106-0047 東京都港区南麻布5-2-39ニュー東和ビル503号 TEL.03-5789-2690 ホームページhttp://www.scotchclub.org/ )
 スコ文研の年会費は5000円ですが、会員になると「スコッチ通信」送付の他、会員証やバッジなど楽しいグッズがおまけに付きます。また各種特典あり、試飲会や講座、国内外の蒸留所ツアーなどユニークなイベントが目白押しです。
 「スコッチ通信」はモルト・ウィスキーに関するわが邦唯一の専門誌。毎号連載されている「話題のウィスキーのテイスティング」「失われた蒸留所」「蒸留所探訪記」などは一級の資料です。モルト・ウィスキーに興味を持つ方にお薦め、と言うよりはモルト愛好家は「スコッチ通信」を読むべし。
 入会手続きはですぺらでも仲介致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月16日 16:46 | 固定ページリンク




し~ちゃん | こんばんは~ 宣伝させてください!


川上史津子出演イベントのお知らせです!

『大人のオモチャ寄席2』atお江戸上野広小路亭
10/29(火)18時開場、18時半開演。  
快楽亭ブラック・プロデュース公演 バラエティショップ「アラジン」提供

上野広小路亭(03-3833-1789)
入場料、前売り2300円、当日2500円。
問い合わせ アラジン上野店(03-3832-7913)
前売り予約 オフィス快楽亭(090-3692-3405)

官能小説の睦月影郎さんもご一緒です
川上は知らないうちにゲストになってました
(前回公演時に次回予告で発表になっていたらしい・・・きゃあ!)

地図↓
http://www4.plala.or.jp/C-RANO/mapueno.html


『かいぶつ祭り』at西新宿ローズガーデンホテル
11/10(日) 15時開演 5000円(食事ドリンク・句集8号付)

榎本了壱さんとご一緒させて頂いている句会のお祭り
山口椿さんの新内、サエキけんぞうさんのテクノ等
川上は エロ短歌朗読&未発表短編小説朗読を予定

http://www.atamatote.co.jp/monthly/CFrame.html

↑HPには11/10(月)となってますが 正しくは日曜日です スミマセン
ご希望の方は 川上までメール下さいませ


そしてそして・・・

おかげさまで 歌集が増刷になりました!ありがとうございました!

只今発売中 『ダ・ヴィンチ』11月号に歌集が紹介されました
10/29発売『週刊女性』で「読者による性の手記」選考を務めました
11/5発売 『アサヒ芸能』「最後のベッド」インタビューと短編小説です

講談社より恋愛ショート&短歌を 年内に上梓予定
光文社・知恵の森文庫で 書き下ろし恋愛エッセイを2003年に予定

新作のキーワードは?エロキュン?です
ご期待下さいませ!
                             川上史津子拝



投稿者: し~ちゃん    日時: 2002年10月18日 15:38 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | サンタ・サングレ訂正ほか

今ちらしを見ていて前回の書き込みの間違いに気がつきました。
開催中(27日まで)の展覧会が天野可淡展、11月22日~12月24日に開催する最後の人形展がサンタ・サングレでした。
すみません。

今日は弥生美術館に「江戸川乱歩の少年探偵団展~迷宮へのいざない~」を見にいきました。
詳しい情報は
http://www.info-media.co.jp/museum/list/68yayoi.html

私のサイトに内容についてちょっと書いてありますので興味のある方はどうそご参照ください。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年10月20日 20:29 | 固定ページリンク




如月 | 近況

新掲示板を設置して喜んでいたところに珍客(文○春○の元編集者らしいです)
の来場で、いいかげんうんざりしておりましたが、その後、日台友好にもいささ
か寄与できて、現在は曇りのち晴れといった感じのわが家です。
さて、その合間をみて、「院政期社会の言語構造を探る」と題して小サイトで発
表しております研究に、このほど「絵巻物の時空表現」~「1.顕密体制と絵巻
物」をアップいたしました。
http://www.furugosho.com/vertige/inseiki/kenmitsu_emaki.htm
今回アップした部分は、後白河院時代の絵巻物制作についての私見をまとめたも
ので、院政期における絵巻物の位置付けのための序論です。なお、タイトルにい
う「言語構造」は「人間行動」というほどの意味です。
   *    *    *
例の第2校はまだあがってきません。先週desperaの帰りにメールを開いたら、
翌日中に初校を帰して欲しいとのことで、アルバイトがはじまる前に急いで3章
分FAXしたんですが、どうなってるんでしょう。
   *    *    *
さて、25日に渋谷のパルコ・ブックセンターがリニューアル・オープンするそ
うですが、そのポスター写真が澁澤さんの書斎(本棚)です。横に主亡き本棚を
見つめるという感じでシモン人形も写っておりますので、機会がありましたら、「あ、これのことだな」と見てみてください♪



投稿者: 如月    日時: 2002年10月24日 08:32 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 追加情報で~す

こんばんは 川上史津子です

10/28発売『週刊現代』にインタビューが載ります
11/5の『アサヒ芸能』は10/29発売に繰り上がりました
「最後のベッド」をテーマに 短編小説&短歌です
ちょっと、泣けるかも?

講談社からの次回作は 来年2月頃になりそうです~



投稿者: し~ちゃん    日時: 2002年10月24日 20:38 | 固定ページリンク




松友 | good smell

 続々と新しいボトルが入っていらっしゃるようで。えーと、恐らくは新入荷のクライヌリッシュ14y46%は甘く柔らかな香りがたまらないかと。味も全体に纏まりがあって。今まで確たる印象を持っていなかった蒸留所ですが(失礼をば)、思いを新たに致しました。またカリラ12y43%はドキドキものでございました。若くって元気で粗野。いや~色々な香りと味に出遭えるというのは何にしても愉しく感じました、"good smell"とでも申しましょうか。
 そういえば、昔どこかで"smell"は心地よい香りには使わないんだよと教えてもらいました。で、そのように覚えていたら、過日"dinnerrush"なる映画でイタリアン・レストランのベテラン・オーナーシェフが家庭的料理の心地良さとして"美味しい匂い(=香り)"の意でか"good smell"と。おぉ、そうなのでしょうか。かつて西で冗談として"good smell"とか言っていたのが嘘のようです(悲
 ダメダメな松友でした。

全く脈絡ない付記:さて、西の御仁さんはこちらをRomっていらっしゃるのでしょうか?先の週末に幕張メッセで開かれた「2002・~~ショー」の記事は既にネットにて御覧頂けたかと存じます。”まにあなあいてむ”大集合な訳ですが、現行種に触手が動く御仁にもG○○○は宜しいのではないでしょうか?いえ、設計思想は異なりますので比較にはならないのは既に御含み置き頂いているとは存じますが、まずはZDNで速報が出ていたかと記憶しております。それにしましても設計思想は日々進化致しますから、その時代により、もっと魅力的な”アイテム”が増えているかと存じます。今後の展開が楽しみです。余談ですが個人的には現在ですと拙メとしてはM○○のクル○が好きかもしれませんです。ではでは。



投稿者: 松友    日時: 2002年10月25日 00:42 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介10

 アデルフィー・ディスティラリー( Adelphi Distillery Ltd)の紹介です。
 1902年に閉鎖されたアデルフィー蒸留所のオーナーの末裔ジェイミー・ウォーカーが1993年にエディンバラで設立。そのジェイミー・ウォーカーとチャーリー・マクレーンのサンプリング(樽の選択)には定評あり。低温濾過、即ちフィルターの無使用と無着色のカスク・ストレングスを専門にボトリングしています。ラベルとボトルのデザインはスコットランドのグラハム・スコットの手になるもの。少量生産のため、英吉利では主にメール・オーダーで頒されています。信頼できる瓶詰業者のひとつですが、わが邦での評価は異常なまでに高いと思われます。
 さて、アデルフィ社が久しぶりにニュー・アイテムを頒しました。以下の11種類です。

 アイル・オブ・ジュラ '96 6年もの 60.5度
 カリラ '92 10年もの 59.4度
 グレンロセス '92 10年もの 57.1度
 タムドゥー '90 12年もの 53.6度
 モートラック '89 13年もの 58.3度
 ダルユーイン '80 22年もの 55.2度
 グレンリヴェット '75 27年もの 55.4度
 クライヌリッシュ '89 13年もの 56.7度
 グレン・グラント '74 27年もの 56.9度
 ハイランド・パーク '82 20年もの 56.4度
 ノース・ブリッティッシュ(グレン・ウィスキー)'90 8年もの 67.5度



投稿者: 一考    日時: 2002年10月25日 18:43 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介11

 イアン・マクロード( Ian Macleod & Co.Ltd.)の紹介です。
 スカイ島の豪族、マクロード家のイアン・マクロードがオーナー。エディンバラ近郊のブロックスバーンに本拠地を置いています。同社はイングランドでの「グレンファークラス」の発売元。「タリスカー」をベースに用いたブレンデッド・ウィスキー「マリー・ボーン」「アイル・オブ・スカイ」や「クイーンズ・シール」で識られ、「チーフテンズ・チョイス」とは姉妹関係にあります。その後、3種類のブレンデッド・ウィスキーを出しましたが、私はまだ飲んでおりません。河内屋さんに在庫あり、興味ある方はどうぞ。
 同社が関与するボトルについて一言。蒸留所名を記載できるボトルはイアン・マクロード社、蒸留所名を記載できないボトルはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社というように区分しています。
 1999年に頒された上記「チーフテンズ・チョイス」は2001年に「チーフテンズ」と変更。ラベル、パッケージ共に一新、フルラインナップとなりました。ウィスキー・マガジンでも同社のグレンカダムがシルバー・メダルを受賞、日ごとに評価が高くなっています。
 その「チーフテンズ」に新たな商品が加わりました。以下の7種類です。

 リトルミル '84 18年もの 46度 ラム・フィニッシュ
 カリラ '90 12年もの 43度 ラム・フィニッシュ
 スキャパ '79 23年もの 54.7度 シェリー・フィニッシュ
 リンクウッド '90 12年もの 43度 クラレット・フィニッシュ
 グレンロッシー '92 10年もの 43度
 グレンタレット '90 12年もの 43度 ポート・フィニッシュ
 グレンタレット '90 12年もの 43度 シェリー・フィニッシュ

 こちらはスキャパ以外は明年一月末、当店にも入荷の予定です。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月25日 18:45 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介12

 ジャパン・インポート・システムからオリジナル・ボトルが頒されました。
 ボトリングはゴードン&マクファイル社。JIS向け限定商品としては第4弾になります。

 モートラック '70 32年もの 58.0度 リフィール・シェリー・バット 限定302本
 ダルユーイン '75 27年もの 55.1度 ファーストフィル・シェリー・ホグスヘッド 限定256本

 ボトルは壺の形をしたジャグ・デキャンターです。両方味見させて頂きましたが、後者の噎せ返るようなシェリー香にびっくり。ダルユーインはホットかつビターな辛口でフルボディのウィスキーです。シェリー樽との相性はよく、タリスカーのアモロソと共に傑出したモルトだと思いました。

 ホームページの新稿は六割方は書き直しました。取り敢えず、650種のボトルを扱うことになりそうです。乞うご期待。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月25日 18:47 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報8

10月の新入荷のモルト・ウィスキーの一部

 【アイル・オブ・ジュラ '87(スコッチ・モルト・セールス)】
 ディスティラリー・コレクションの一本。14年もの、57.3度のカスク・ストレングス、限定276本のシングル・カスク。
 樽の提供はイアン・マクロード社。ボトリングはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社。塩味が強く、ディスティラリー・エディションと比してかなりドライ。

☆【エルーセラ(コンパス・ボックス)】
 46度。
 カリラとクライヌリッシュ、それぞれの個性を生かした究極のヴァテッド・ウィスキー。
 どちらかと言えばフルボディ・タイプのクライヌリッシュとライト・タイプのカリラを掛け合わせたところがユニーク。食前食後を問わないオールラウンダー、絹綾のように滑らかで豊かなこく、杳々たる余韻を誇る銘酒クライヌリッシュに少量のカリラを加えることによって、スパイシーな部分にさらなる深みがもたらされた。

☆【カリラ 12年】※
 43度のディスティラリー・エディション。
 2002年夏にU.D社の花と動物シリーズに代わって新しいディスティラリー・エディションが三種頒された。本品と43度の18年もの、そして55度のカスク・ストレングスである。正規代理店を経ての入荷は10月より。
 U.D社のボトルと比してずんと骨太、荒々しさを感じさせる飲み口。存在感のあるビッグなフィニッシュ。ただし、旧ディスティラリー・エディションの品の良さはなくなった。人によって好き嫌いが訣れるのは必至。

☆【カリラ・カスク・ストレングス】※
 55度。ディスティラリー・エディションのカスク・ストレングス。
 新たに頒布された三種のディスティラリー・エディションのなかで最もパワフル。正規代理店を経ての入荷は11月より。

☆【カリラ 18年】※
 43度のディスティラリー・エディション。
 12年ものと比してピート香とスパイシーなフィニッシュが格段に重厚。シグナトリー社のファット・ボトルほどのインパクトはないが、旧ディスティラリー・エディションよりは確実に美味。

☆【グレン・スコシア '91(スコッチ・モルト・セールス)】
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン・バレルの11年もの、57.0度のカスク・ストレングス、限定276本のシングル・カスク。
 ボトリングはロンバード社。グレン・スコシアのカスク・ストレングスは貴重、店主が知るかぎりでは初めてのボトリング。
 スムースでオイリーなボディ。カスク・ストレングスだけに、Briny(塩辛い)なキャラクターがより深く楽しめる。強調しておきたいが、グレン・スコシアとスプリングバンク即ちキャンベルタウンのモルト・ウィスキーはアイラ・モルトと比して一歩も退かぬ塩味を持っている。本品はディスティラリー・エディションとは全く異なり、水なしではとても飲めない強固なハードリカーである。

 【スプリングバンク '91(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 以前の「ジュエル・オブ・各地域名」をリニューアル。ボトル形状はコニャックのそれに、地域ごとに色分けされたラベルの下部にカスク番号やテイスティングのコメントが付されている。同時頒布にモートラック90年蒸留の10年ものとローズバンク89年蒸留の12年ものがあり、すべてバーボンのシングル・カスク。チル・フィルターや着色は施されていない。
 リニューアル後、最初のボトリングにしては問題あり。割水とウィスキーとが馴染んでおらず、水っぽく感じられる。舌先で香味が割れるようなちぐはぐな味わい。同時頒布のモートラックやローズバンクがまずまずの出来だけに残念。

☆【インチガワー '89(ベニーバ)】
 バーボン・カスクの12年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 セント・アンドリューズのベニーバ社によるはじめてのカスク・ストレングス。同時頒布にグレン・グラント77年蒸留の24年ものとダフタウン85年蒸留の17年ものがあり、すべてバーボン・カスク。
 溶かしたバターの甘くスムースな香り、ディスティラリー・エディションより若いが味わいはこちらの方が雑味が少なくリッチ。

 【モートラック '90(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの10年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 豪奢なフルボディ。同時頒布のローズバンク12年と共に、ほのかなフレーバーと甘いフィニッシュが特徴。
 モルトの優等生と謳われるモートラックとリンクウッドは共にシェリー樽熟成のものが大半を占める。こういうモルトこそ、バーボン樽熟成のものを味わって頂きたい。

☆【リンクウッド '83(ベニーバ)】
 バーボン・カスクの18年もの、46度。
 ベニーバ社のファースト・エディション。ウィスキー評論家として識られるミルロイ兄弟の兄、ウォレス・ミルロイによるサンプリングとボトリング。同時頒布にモートラック74年蒸留の27年ものとクライヌリッシュ83年蒸留の18年ものがあり、すべてバーボン・カスク。
 新春の原生花園に降り立ったようなフローラルな香り、リキュールのマンザナベルデに似た青林檎のアロマ、シェリーとは異なるバーボン樽由来のほのかな甘さを伴ったフィニッシュ。
 他にバーボン・カスクのリンクウッドでは89年蒸留の12年ものがマーレイ・マクデヴィッド社から頒されている。

☆【アードモア '90(シグナトリー)】
 アン・チルフィルタード・コレクションの一本。バーボン・バレルの11年もの、46度。329本のシングル・カスク。
 同コレクションでは他にカリラ11年、スプリングバンク11年、ミルバーン17年、コールバーン19年、グレンロセス11年等が頒されている。
 他にゴードン&マクファイル社から81年と85年のヴィンテージ・ボトルが、ケイデンヘッド社から17年もの59.0度のカスク・ストレングスが、ダグラス・レイン社から79年蒸留の21年もの50度のプリファード・ストレングスが頒されている。またシグナトリー社はアードモアに力を入れてい、90年蒸留の43度のボトルの他、アン・チルフィルタード・コレクションから同じヴィンテージの10年ものも頒されている。

 【アバフェルディ12年】※
 40度のディスティラリー・エディション。
 バカルディ社が2000年に頒布したニュー・ボトル。U.D社の花と動物シリーズが頒布されるまではラベルに蒸留所の絵を刷り込んだディスティラリー・エディションが出回っていた。本品もまた、ラベルに蒸留所の絵と創業者ジョン・デュワーの肖像を刷り込んでいる。香味にさしたる変化はなし。

☆【クライヌリッシュ14年】※
 46度のディスティラリー・エディション。
 2002年夏の発売だが、正規代理店を経ての入荷は10月より。
 U.D社のボトルと比して、初手はよりホットにしてスパイシーな味わい。暖かく長く続くフィニッシュの中に僅かな甘味があり、バランスの良さでは本品が優るものの、旧ディスティラリー・エディションにみられるバターのようなこくと香りはなくなった。香味にかなり差異があり、好き嫌いが訣れるところか。

 【クライヌリッシュ '90(ヴィンテージ・モルト)】
 クーパーズ・チョイスの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
 本品は樽のコンディションの良さが売り。変わりものカスクではイアン・マクロード社のチーフテンズが頑張っているが、内実は玉石混淆である。その点、シグナトリー社とヴィンテージ・モルト社のフォーティファイド・ワイン系のカスクは信頼度が高い。
 ロイヤル・ロッホナガーのスペシャル・リザーヴやスプリングバンクの12年、21年もののボトリングが中止されたのは熟成に必要な樽の確保が困難になったからである。これからはシェリーに代わってクラレットやラムそれにブランデーのカスクが幅を利かせそうである。特にワイン樽ではグレンモーレンジ社がめざましい業績を残している。

☆【フェッターケアン12年】※
 40度のディスティラリー・エディション。
 2002年10月の発売。ブランドと蒸留所名が統一され、熟成年数が10年から12年に、アルコール度数が43度から40度に下げらた。当初は1?ボトルによる頒布。
 唇に触れた時のえも言われぬ甘味、旧ボトルと比して確実にまろやか。

 【ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)】
 リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
 軽くスムースな味わい、ドライなフィニッシュだが余韻が残らず、なんら特徴を持たない。グレンモーレンジ同様、ミネラル分を含む硬水を仕込み用水に用いる。
 モントローズにはロッホサイドとグレネスク、ふたつの蒸留所があったが、共に80年代半ばから操業停止、90年代に閉鎖された。ただし、グレネスク蒸留所はモルトスターとして活躍中。

☆【ローズバンク '89(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。バーボン・カスクの12年もの、50度のプリファード・ストレングス。シングル・カスク。
 同時頒布のモートラック10年と共にバランスがよく、デリケートな薫香と甘いフィニッシュが特徴。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月26日 18:12 | 固定ページリンク




マミと野獣 | 人妻マミ公開調教

人妻・マミさん〔31歳)公開調教のパーティーを開催します。まだ若干人数に余裕がありますので興味ある方はご連絡ください。彼女は不倫の彼に調教され今ではアナルでも感じる淫らな女になってしまったとのことです。今回は複数の男性による調教プレーを希望しています。10月30日〔水)または11月1日〔金)13時頃から渋谷の某ホテルで楽しみたいと思います。平日の昼間で恐縮ですが参加ご希望の方には詳しいことをお知らせします。 richman@m1.freehost.ne.jp



投稿者: マミと野獣    日時: 2002年10月28日 19:45 | 固定ページリンク




一考 | 香味の鳥瞰図

 Siestaさんへ
 勘違いで高阪さんへなにかしら妙なことを書き込みしたようです。でも梅田のアイラさんなら確かに話は面白そうです。猫町ならぬモルト町が梅田には存在するそうで、一度迷い込んでみたいものですね。
 このところ、浪速書林の梶原さんが何度かですぺらへいらっしゃいましたが、こしかたに連れられて通いし北新地のクラブの閉店が相次ぐとの由。震災で瓦解した三宮のクラブやバーと併せ、いよいよ上方には馴染みの店が無くなってきたようです。梶原さんのテリトリーにモルト町は存在しないのですかねえ。

 もっか、モルト・ウィスキーの原稿と格闘中、たかだか120余の蒸留所のウィスキーの香味の鳥瞰図がうまく引けなくて困っております。甘みや辛みの種類、舌触り、喉ごし、フィニッシュの長短などは如何様にも処理できるのですが、フローラルな香りだけはどうにもなりません。
 アイラ・モルトの潮の香やハイランド・モルトのナッティーな香りの微妙な差異は言葉でなんとか捕捉できるのですが、スペイサイド・モルトのきらびやかな花の香はお手上げです。個々の花の香りに関する知識、記憶の引き出しを持っていないからです。如月さんから頂戴した鉢植えを庭一面に移植、一所懸命匂いを嗅いでおりますが、「花びらの端にをかしきにほひこそ心許なくつきためれ」の心境なのです。
 どなたか、花の香に詳しい方はいらっしゃいませんか。ヒントだけでも頂ければ、後のでっち上げは得意とするところなのですが。
 徒し事はさておき、Siestaさんにはモルト・ウィスキーの原稿にご協力頂けますまいか。すべての蒸留所ならびにボトラーに対する問い合わせとその返信の整理、ヴァンウィー社のホームページの翻訳など、お願いしたいことが山のようにあります。私自身そちらに専心致したく、それ故にですぺらのアルバイトを募集したのですが。そちらは未だに妙齢のご婦人の一顧だになく、空しい日々が過ぎ去っております。
 モルト・ウィスキーの件、ご一考頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月28日 22:23 | 固定ページリンク




一考 | 遊びをせんとや生まれけん

 マミと野獣さんへ
 このところ、anさんからの「ハワイからお知らせです」、名無しのオプさんからの「告知」、マミと野獣さんからの「人妻マミ公開調教」など妙な書き込みが続きます。内容から推して私が些かでも興味が持てるのは最後の「某ホテル」へのお誘いなのでしょうが、「人妻・マミさん」とは生憎と面識がないのでしょうね。マユミさんなら複数存じ上げていますが人妻ではなく、他に心当たりがないのですもの。
 それにしても「今ではアナルでも感じる淫らな女になってしまった」そうですが、例えアナルであっても最初から感じるのが道理であって、マミさんが不感症なのか、不倫の彼が初にしてテクニックがよほど拙いかのどちらかだと思われます。そのような場に「その道のプロ」の私が押し掛けて大方のジェラシーを双肩・・・(間違えました)三センチ五ミリの大竿に担うのは苦痛にしかなりません。淫乱になられるのがマミさんとやらの夢であれば、10月30日または11月1日のどちらかお暇な日に拙宅へどうぞ。ご希望なら駅からの道順等、詳しいことをお知らせします。私のささやかな趣味から申しますとご乱交の直後のほうがよろしいのですが。despera@tc5.so-net.ne.jp



投稿者: 一考    日時: 2002年10月28日 23:32 | 固定ページリンク




四谷シモン | (無題)

みなさん、こんにちは~。
この間から僕の半生記(実は反省記?)を書いてたんですけど、校正ようやく終
了しました。一考さん、ゲラ・チェック、どうもありがとうございました。
「人形作家」(講談社現代新書、税別¥880)、11月20日に発売の予定で
す。都内の大型書店では20日の夕方から、地方では21日から店頭に並ぶと思
います。
内容は次のような感じです。
   ☆    ☆    ☆
第1章 人生が始まっちゃった
第2章 問題児の青春
第3章 新宿に漕ぎ出す
第4章 女形・四谷シモン誕生
第5章 ただごとじゃつまらない
第6章 人形作家としてデビュー
第7章 人形観を模索する日々
第8章 答えはない
   ☆    ☆    ☆
生まれた時から、現在まで、僕のすべてを書きました。
よろしくね(ちょっと恥ずかしいけど…)。



投稿者: 四谷シモン    日時: 2002年10月31日 10:24 | 固定ページリンク




一考 | エロキュンに期待

 し~ちゃんへ
 アマゾンの文芸歌集部門で一位になられたとか。大ブレイクのご様子、嬉しく思っております。赤坂の文鳥堂ともう一軒の書店は共に平積みしています。
 上野広小路亭へは営業がありますので参加かないませんでした。句会のお祭りの方ですが、11月の3、4、10、23日は予定が入っています。こちらも残念ですがと八木さんによろしくお伝え下さい。
 歌集は端から増刷になると信じていました。当掲示板で雑誌を宣伝して下さい。私自身が貴女の作品を追うことができますので。それにしても、いよいよ短編小説ですね。エロキュンの新作とやら期待に胸を膨らませています。少し読ませて頂きましたが、ベストセラー間違いなし。五冊目まではいまのベクトルで問題は生じないでしょう。明年の春になるか夏になるかは分かりませんが、テレビでの活躍を期待します。
 四谷シモンさんの「人形作家」ではありませんが、貴女には対象のことごとくをミラーボールのような多面体の一要素として捉える能力が備わっています。楕円形における二定点ではなく、螺旋のような歪な弁証法、言い換えれば伸縮自在な佇まいが作品から看て取れるのです。
 繰り返しますが、主張と表現との狭間をみずから突き崩してしまうような、ある種捨て鉢な才能ですね。無責任な読者の要望のなかにひととき解体してみせるのも愉しいことではないでしょうか。自分などあってなきに等しいものですから。
 しばらくの間、無理を承知で頑張って下さい。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月31日 22:28 | 固定ページリンク




一考 | Office 2001不調

 Siestaさんへ
 Office 2001の不調につき、プリンターが使えません。プリンターの故障ではなく、エクセルとワードのトラブルです。今日再インストールをしましたので、帰宅後プリントアウトに挑戦の予定。資料の整理は来週に延ばしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年10月31日 22:31 | 固定ページリンク




如月 | 「美と出会う(細江英公特集)」

今日(1日)の午後は、原宿のエコール・ド・シモン・アトリエでNHK「美と
出会う」の収録がありました。
この番組、今年の1月に四谷シモンを特集したので観てくださった方も大勢いる
と思いますが、今回は写真家・細江英公さんの特集です。
細江さんは、三島由紀夫、土方巽などの写真で有名な、日本を代表する写真家で
すが、昭和46年に、四谷シモンを被写体にした「四谷シモンのプレリュード」
という作品を発表しています。
今回、その30年後の四谷シモンを写したわけですが、背景に30年前の「四谷
シモンのプレリュード」のスライドを投影し、また四谷シモンの横には現在の彼
がつくった人形2体を置いて、人、時間、作品を組み合わせるという写真になり
ました。
「美と出会う」の番組のなかで四谷シモンが関係する部分は、その写真を撮って
いる現場風景ということになるわけで、細江さんが被写体のポーズ、ライトなど
にいかに細心の注意を払っているか、よくわかると思います。また、人形ファン
にとっては、四谷シモンの近作が見れるいい機会でもあります。
   *    *    *
私は、ここでこうしてみなさんに番組の内容を報告するために収録に立ち会った
のですが、細江さんにライト(懐中電燈の簡易品)を支えてもっていて欲しいと
いわれ、急遽番組に参加することに…。あのTVカメラのアングルでは、醜い姿
を視聴者の前にさらすことになるかもしれません。
放送は11月16日(土)の予定で、再放送もあります。
くわしい放送日程は、わかりしだいご報告します。
なお、この番組については、「ピグマリオニスム掲示板」http://bbs1.cgiboy.com/yotsuya_simon/にも書き込みがありますのでご参照
ください。ただし、そのなかでは、30年前と同じ場所に行って撮影すると書き
ましたが、その企画はなくなりました。



投稿者: 如月    日時: 2002年11月01日 21:14 | 固定ページリンク




四谷シモン | サイト独立のご挨拶

突貫工事の末、僕の個人サイト「四谷シモン――人形愛」が、如月さんのサイト 「世善知特網旧殿」から独立し、独自に展開していくこととなりました。URL はhttp://www.simon-yotsuya.net/です。みなさん、あらためてよろしくお願 いします。 当面は、如月さんのサイト「世善知特網旧殿」木戸口からも「四谷シモン――人 形愛」に直行できますが、これを機に、新サイトをみなさんのお気に入りやリン ク集に加えていただければ幸いです。 独立したといってもあまり変わりばえはしませんが、とりあえず僕の展覧会に三 上満良さん(宮城県美術館学芸員)が寄せてくださった解説の英訳を掲載しました。 http://www.simon-yotsuya.net/exposition/tokyo-simon.htm サイトのなかをあちこちクリックして楽しんでいただければうれしいです。



投稿者: 四谷シモン    日時: 2002年11月03日 13:15 | 固定ページリンク




けー | 今週の公開調教パーティー

先週は人妻マミさんの公開調教パーティーを皆さんと楽しみました。マミさんは複数の男性にいじりまわされ、バイブに腰を動かしていました。かわるがわるの肉棒を咥えてヨガリ泣き一人ひとりのザーメンを浴びて淫乱女と化して果てました。この模様は後日hpで公開いたしますのでお楽しみに。さて、今週は20代OLの公開調教パーティーを金曜日に開催予定です。参加ご希望の方からの連絡をお待ちいたします。場所は渋谷or新宿近辺のホテルです。時間等詳細はおってお知らせいたします。 richman@m1.freehost.ne.jp



投稿者: けー    日時: 2002年11月06日 18:41 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介13

 今年の4月からはじまったダグラス・レイン社のオールド&レア・プラチナ・セレクションの紹介です。
 シングルカスク、カスクストレングス、ペーパーフィルター、ノンカラメル、ボトリングナンバー記載の認定書添付をうたい文句にファースト・ボトリングは全量日本向けの先行発売でした。そのアイテムは以下の3点。
 アードベッグ '74 27年 52.3度 224本
 ブローラ '71 30年 51.7度 233本
 ロッホナガー '71 30年 46.4度 212本

 下って7月、海外で先行発売されたセカンドリリースが日本へ上陸。5点のロングエイジの樽がカスクストレングスにてボトリングされました。
 マクダフ '65 36年 49.2度 180本
 グレンダラン  '66 36年 55.1度 210本
 グレンアラヒ '71 31年 53.8度 150本
 アードベッグ '72 29年 50.4度 180本
 ブローラ '72 29年 51.0度 180本

 そして11月、第3弾が7種発売されました。輸入元のジャパン・インポート・システムは「これまでリリースされた商品に比べてマイナー蒸留所が多いのは、裏を返せば品質(テイスト)を厳選している証拠ではないでしょうか」と著しています。大量生産のオフィシャル・ボトルとは異なり、オールド&レアでは極めてコンディションのよい樽が選ばれます。また割水されてアルコール度数をおとすウィスキーとは異なり、カスクストレングスには総じてすぐれた樽すなわちコンディションのよい樽が優先されます。
 おなじ飲むならオフィシャルよりはボトラーを、割水されたウィスキーよりはカスクストレングスを、さらに言えばボトラーのカスクストレングスを自ら割水して飲まれるのがもっとも賢明かと思います。
 グレン・モール '66 35年 49.2度 150本
 グレネスク '70 31年 55.1度 150本
 ミルトンダフ '66 36年 41.7度 150本
 ハイランドパーク '74 27年 56.8度 150本
 グレンユーリー・ロイヤル '68 33年 48.8度 60本
 ブローラ '70 32年 58.4度 60本
 リンリスゴウ(セント・マグデラン)'70 32年 52.4度 60本



投稿者: 一考    日時: 2002年11月07日 22:26 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報9

 先日、お客さんから「Glen Ranoch」について質問されたのですが、実は私にも分からないのです。さっそく代理店のやまやから購入してきましたが、ラベルにはシングル・ハイランド・モルト、グラスゴーのグレン・ラノック・ウィスキー・カンパニーと記載されるのみ。当然これはペーパーカンパニーなのでしょう。オーク・バレルの40度。熟成年数は記載されていませんが、おそらく10年もの。カスク由来のほのかな甘味と上質のバニラ香は結構ですが、フィニッシュが浅く、後に余韻の残らないモルト・ウィスキーです。
 似たものに巴工業が扱う「Glen Edward's」があります。ラベルには日本語で「スペイサイド地区に独自の蒸留所を持つロングマン・ディスティラーズ社により作られております。1891年より同社は、伝統的な製法を守りながらシングルモルトのスコッチ・ウィスキーを作り続けています」と記載されています。
 グレン・エドワーズは40度。熟成期間が短く(おそらく5年から7年)、アルコール臭や薬品の匂いが鼻に付きますが、スペイサイドに相応しいシェリー風味を持っています。香味はグレン・ラノックより落ちますが、コスト・パフォーマンスが高く、ビギナー向けのウィスキーです。
 エドワーズと言えばオルトモーア、ベンリネス、ダラスドゥー蒸留所を創業したアレクサンダー・エドワードを想い起こします。また、クレイゲラヒ蒸留所の創設者ピーター・マッキーは当初、アレクサンダー・エドワードとパートナーシップを組んでいました。そして1891年に設立された蒸留所はストラスミルとクレイゲラヒのみ。従って、グレン・エドワーズの中味はクライゲラヒと思われます。
 イギリスの都市部のスーパーでは各スーパーのオリジナルラベルを貼ったモルト・ウィスキーが売られています。地域名を記載したボトルもありますが、大半のボトルは中味不詳です。これからわが邦にもそういった並行もののウィスキーが増えそうです。

追記
 先だって紹介しましたラガヴーリンの12年ものカスクストレングスと25年ものカスクストレングスのファースト・ボトリングはそれぞれ20000本と2000本にて、一部は既に入荷済みとのこと。きっと値を決めるのに逡巡しているのでしょうね。12年ものが5~6000円で頒されると嬉しいのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月07日 22:28 | 固定ページリンク




一考 | ボトラー情報6

 アバディーンに事務所を構える新しいボトラー、ロッホデール社から「スプリングバンク ファウンダーズ・リザーヴ」がボトリングされます。オーナーのゴードンライトはスプリングバンク蒸留所の創業者の子孫で、マーレイ・マクデヴィッド社の関係者でもあります。
 同オーナーの記憶の中にある60年代のスプリングバンクを再現すべく、年数の異なるバーボンとシェリー数種類のカスクをブレンド、クラシックなスプリングバンクの香味の再現に成功しています。ロッホデール社のファースト・リリースにして1800本のリミテッド・エディション。46度のミディアムボディ。裏ラベルにテイスティング・ノートと署名が記載されています。
 シトラス、蜂蜜、メロン等のリッチな香り。バーボンとシェリーカスクのコンビネーションからくる甘味と微かなバニラ香。「すべてのクラシックなスプリングバンクと同様に、口の中で温まるにつれていくつもに重なったフレーバーが1つずつ解き放たれています。まず香ばしい潮の風味と甘味の後、深くてやわらかなココナッツや熟したトロピカルフルーツ、甘いオロロソとアーモンドが続いて現れます。やさしいバックグラウンドのようなピートの風味はまるでキンタイア半島にかかる霧のよう」とはインポーターの著すところ。
 いずれにせよ、潮味の効いた長く繊細なフィニッシュを堪能するには最適のモルト・ウィスキーです。
 当店への入荷は12月初旬の予定。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月08日 22:44 | 固定ページリンク




一考 | シモンという名の人形

 みなさんへ
 四谷シモンさんの「人形作家」は昨今めずらしく読み応え、噛み応えのある本です。
 本書では状況劇場におけるチームとしての表現から人形作家という個の表現へと向かうシモンさんの葛藤がつまびらかに著されています。また、リメーク、コピー、量産といった作品の規格化を拒み、人形に限らず文化そのものの類型化を忌み嫌ってきたシモンさんの本音が澹澹と綴られています。
 四谷婦人会から状況劇場へ、青木画廊における狂気の第一回目の個展から疾風のような二回目の個展に至るまで、人形と共に疾駆したシモンさんの半生が克明に刻まれています。60~70年代の貴重な証言であるにとどまらず、一人のシャイな暗い美青年がどのようにして表現者に成り果せていったのか。かつて地上にあり得なかった息吹をいかにして人形に吹き込み、ヒトガタを作るとの行為のなかで自らを昇華させていったのか。華やかな表現の裏に潜む、作家の心のなかで反芻され揺れ動く怨念、遺恨の一端を読者はかいま見ることになります。
 澹澹と前述しましたが、過去の怖ろしいシモンさんを知っていればこそ、その執着のなさに私などは眩暈を感じたほどです。作り手としてのシモンと拵えられたシモン・ドールとの間に生じる呻吟、呻吟というよりは繰り返される同化と解体。その間にごろんと横たわる今ひとつの存在。私はその存在を「シモンという名の人形」と名付けたく思います。

 11月30日の土曜日7時から四谷シモンさんのサイン会をですぺらで催します。サイン入り「人形作家」の代金込みで会費は4000円です。大いに語り明かそうではありませんか。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月09日 16:32 | 固定ページリンク




りき | 小林健二展のお知らせ

「ぼくらの鉱石ラジオ」でおなじみの小林健二さんの
個展が小島びじゅつ室で行われています。

11月2・3/9・10/16・17/23・24/30 土・日(12:00~19:00)要予約 
電話:03-3728-6038
東京都大田区南雪谷3-7-21

です。

詳しくは以下を。

http://kas.gaden.com/tsubaki/news/021102.jpg



投稿者: りき    日時: 2002年11月10日 20:26 | 固定ページリンク




1まー | 教えてください

ZRX1100にZXR750のラジエーターを付けようと思ってるんですが ステーなどは自作で作らないといけないのでしょうか?あと、 電動ファンも付けないとダメでしょうか?教えて下さい。



投稿者: 1まー    日時: 2002年11月12日 21:15 | 固定ページリンク




松友 | あなおそろし

 どうなのでしょう。仔細に述べる事叶いませんので、代わりにと申し上げるのは心苦しいのですが、あくまでも一般的と思われる内容を記させて頂きます。やや文体が硬くなりますが御容赦を御願い申し上げます。

・ある機種の部品を、別の機種に取り付けることは出来るか?
 まず最低限の事として次の二点が確認できない限り取り付けるのは避けなければなりません。
1-A)取り付ける相手の機種を構成している全ての部品に接触しないか、影響を与えないかを仔細に検討し、安全であることを確認する。
なんとなれば、他の部品にぶつかっていれば取り付ける事が出来ません。また、静止状態で当っていなくても可動する部分が傍にある場合、相手が動く全ての場合において接触することは避けなければなりません。例えばサスペンションがストロークする範囲に部品を取り付けたら、ぶつかってしまい最悪転倒をまぬがれません。また、高温に弱い部品の傍に発熱するものを持ってくるのもそれだけで危険です。これら全てを検証する必要があります。
1-B)対象となる部品の使われる状態が異なっているか、いないかを仔細に検討し、安全であることを確認する。
基本的にメーカーの製品では、組み立てた完成体はもとより個々の部品の状態でもどれだけの負荷がかかるかを実験にて検証し、安全であると確認された上で用いられています。ですので部品の交換を検討するということは、既に用いられている部品にかかわる用件を理解した上でないと避けなければなりません。
 加えまして、これらを解決した後に少なくとも次の点を考慮する必要があります。
2-A)取り付け方は他の部品に影響を与えない上で堅牢・確実にして容易に外れない方法を採る事が出来る。
2-B)取り付け部分、必要な部品や加工した部位が、危険性が無い形状並びに方法を採る事が出来る。
 単車は人体そのものが発揮できる力を超える性能を有しますが、それが故に操る御本人はもとより周囲の方々、環境に対して常に優しくなければなりません。御含み置き戴いておりますように、工場出しの状態はこのような内容をごく一部とした多くの検討を経て出来上がっております。そして改変を加えるということは当初の状態を崩すという意味もあることを御理解願えれば幸いです。ですので、想定しておられる内容が少なくとも前述いたしました点全てを満たし、かつ行うその件に対し自ら負うものである事を願ってやみません。
 なお、あくまで個人的な所感ですが、例えばレース参戦などで実績のある専門店さん、あるいは自作フレームにて車検を取るなどといった事に携わっておられるショップさんですと技術面についてかなりの知識と経験があるとお見受けしますので、直接訪問するなりして質問をぶつけるのが宜しいかとは存じます。

 ひとりごと(あくまでもひとりごと):例えば平面ラジエーターと湾曲ラジエーターだったら常識的に考えればそのままでは付かないような。で、コアの厚みが増える場合はフロント・フォークがストロークした時にタイヤとの隙間が小さくなるような。ラジエーターの容量はレプリカとはいえ排気量差からくる発熱も違うでしょうし電動ファンは空気流量が不足した時の「唯一の対応手段」((((;°Д°)))



投稿者: 松友    日時: 2002年11月13日 02:20 | 固定ページリンク




一考 | ZX-12Rに乗り換えましょう

 1まーさんへ
 ZRX1100とZXR750のラジエーターの容量と冷却能力の差が分からないので私にはなにも言えませんが、松友さんはZRX1100の設計者の一人なので、「あなおそろし」との結果になるのでしょう。
 小排気量から大排気量のパーツへの換装ならまだしも、いくらレーサーレプリカとはいえその逆はちょっと理解に苦しみます。それにしても性能アップなら、キャブやマフラーの換装、キャブからヘッドのポートに至るテーパーの修整、ヘッドを0.2~0.3ミリほど削るとか、もしくはバルブガイドの打ち直しからボディやエンジンへのEの追加に至るまで、なすべきことはいくらでもあるでしょうに。
 四輪の話で恐縮ですが、私は71式のチェイサーのツインターボに乗っています。チェイサー、クレスタ、マーク2は同じ車ですが、ターボ車とノンターボではクランクシャフトやコンロッドの肉厚からして異なります。例えば同じスカイラインでも、GTRとGTSTではエンジンの強度は当然として、クラッチやミッションそのものが異なります。
 そのチェイサーの1Gの210馬力を限界点の280馬力にアップするには箇々のパーツの強度を上げなければならず、ブーストコントローラーを積むにさいしてまずバルブガイドの打ち直しからはじめました。ミッションオイルの安全弁が吹き飛んだり、デストロビューターの調整不能など苦心惨憺させられましたが、18万キロを超えてまだ機嫌よく走っております。
 1G同様、ZRX1100はカワサキにしては珍しく軽量化、小型化をメインに設計されたバイクです。従ってZZ-R1100ベースのエンジンそのものの肉厚も薄く、おそらくラジエーターの能力も目一杯なのでしょう。そこを指してのご意見なのでしょうが、松友さんが指摘なさるように、コアの厚みが増えれば減衰力とプリロードの調整にキャパシティが取れなくなるような気がします。Z2やGPZとはスタンスが異なるバイクです。あまり無理をなさらないように。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月13日 06:22 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺらモルト会のお知らせ

ようやくモルト会の準備ができました。
十種類のモルトをハーフショットで試飲していただきます。

日時 11月23日(土)午後6時より9時まで
会費 6000円

 スモーク盛り合わせとおつまみをお出しします。

参加ご希望の方はメールにてご連絡下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2002年11月17日 03:13 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ウイルスメール

このところ、他人の名前を騙ったウイルスメールが飛び交っていますが、今日なんとusigomeという名前でメールが来ました。
英文タイトルで添付ファイル付きだったので速攻消しましたが。
同時に如月さんとこのsimonpgmという名前でも同様の名前がきたので、関係者のどなたかがが感染しているのではと思われます。ご注意下さい。
(一般的掲示板にも同じ投稿をしました)。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年11月17日 20:15 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 取り残されるばかりかな

最新のウィルスソフト(月々更新)を入れてゐるのに、一度だけ私のところにもそれらしきメールが来たことがありました。もちろん、奥歯さんのやうにすぐに捨てましたが、厭なものですね。また、つい最近ですが、これはウィルスとは関係がないと思ふのですけれど、データのバックアップを比較的小まめにとつてゐるのに、あとで開いたら一部が文字化けしてゐて青くなつたことがありました。職場でもチェックしようと思ひ、ソースネクストの親指大の32MBのメディアを持ち歩いてゐるのですが、毎日書き込み、修正をしてゐたがために、劣化したものでせうか。ともかく大事な仕事なので、慌ててCD-Rの機械を買ひ込んだまではよかつたのですが、機械音痴の悲しさ、マックで作成し、マックで読めるはずなのに、読めません。何が原因か、トリセツをきちんと読もうと思つてゐるところです。辞書や資料にいくらかけても惜しくないのに、かういふものに大枚を払ふといふのはどうも馴染めなくて困ります。IT時代に取り残されてゆくばかりです。
追記。
ただ、言葉には興味があるので、最近フランス人に聞いて確かめました。
http: //www.とか、 @といつた記号のフランス語での読み方やMBは何と言ふかといつたことです。
また、暇なときに書きます。今日はこれから授業です。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年11月18日 14:30 | 固定ページリンク




一考 | ボトラー情報7

 ダグラス・レイン社はスチュアート・ハンター・ラングさんとフレッド・ハミルトン・ラングさん兄弟が営まれるインデペンデント・ボトラーです。今日4歳年下のフレッドさんが来店、当ホームページの間違いを指摘されましたので、修正させて頂きます。
 修正個所は「チル・フィルターの施されたものがクリアーボトルで、施されていないものがグリーンボトル」の部分です。最初の2年間はチルフィルターを掛けていたが、現在ではすべてのボトルがノン・カラーにしてノン・チル・フィルターであるとの由。10~15年ものをクリアーボトルに、16年以上熟成されたシングル・モルトをグリーンボトルに詰めているそうです。ちなみに、ラベルはもったいないので古いものを使用、着色と濾過に関する記述は信じないで下さいとのご意見。昔のラベルを捨てもせず訂正もせずに用いるのがスコットランド式らしく、その姿勢を微笑ましく思いました。
 2日前に、87年蒸留の15年ものラフロイグ、限定348本のシングル・カスクがクリアーボトルで入荷したのですが、それも着色と濾過は一切施されていないことが確認されました。また以前はローダブルの名を用いていたが、ラフロイグ蒸留所の許可を得、今回のボトルからラフロイグ名でボトリング出来るようになったそうです。
 フレッドさんによると、1949年の創立以来、免税店のブレンデッド・ウィスキー(デキャンタ)が主な商品であり、特に南アメリカを最大の市場としてきたが不景気に見舞われ、環太平洋全域に市場を拡げたものの日本経済の落ち込みにあえなくダウン。4年前から上り調子のシングル・モルトにアイテムを変更したが、思えば随分と貴重な20~35年ものモルト・ウィスキーを惜しげもなくブレンデッド・ウィスキーに使ってきたものだ、との溜息まじりのお話でした。
 ウィスキーのボトルは昔からグリーンかブラウンと相場が決まっていたが、色合いの確認のためにクリアーなものを望む声が多く、もっか考慮中とのこと。色合いよりも澱の確認のためにクリアー・ボトルが好ましいのではと思いました。かつてはチル・フィルターはなく、60度位でのボトリングが普通だったので、気温の変化による瓶内の白濁を嫌って色硝子が用いられた。また瓶内の白濁にとどまらず、日本人が氷や水を用いるのでチル・フィルターの使用のやむなきに至ったのが実状だそうで、ブレンデッド・ウィスキーはかまわないが、シングル・モルトはやはり氷も水も使わないで頂きたいとのこと。日本人の節操のなさ、見てくれ至上主義をやんわりと非難されました。
 ダグラス・レイン社は父方の、ダグラス・マクギボン社は母方の一族が営み、ミルロイ兄弟とは古くからの友であるともお聞きしました。はるばるスコットランドからの手土産を頂戴し恐縮、未開封のポートエレンにサインもいただきました。ウィスキーは飲むものであって飾り物にする趣味は私にはまったくないのですが、当ボトルだけは店の唯一の宝物として開栓しないでおきましょう。ダグラス・レイン社の今後のご活躍をお祈り申し上げると共に、フレッドさんをお連れ下さったジャパン・イン・ポートの皆さんに感謝致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月19日 23:04 | 固定ページリンク




し~ちゃん | またまた・・・


こんばんは 川上史津子です~

11/18発売の『週刊現代』に登場しました

告白手記ってことになっておりますが
インタビューを起こして頂いた内容を見せてもらったところ
あんまりにもアンマリな書かれようだったので
(誇張と捏造で単なるエロ姉ちゃん扱い!・・・近いけど)
結局自分が小説&短歌の体裁で書きなおしたものを
掲載してもらうことと相成りました

よろしかったら 立ち読みしてやって下さいませ



投稿者: し~ちゃん    日時: 2002年11月20日 00:28 | 固定ページリンク




りき | ムットーニさんCG画集発売されました。

平凡社から「ムットーニ おはなしの小部屋」がついに
発売されました。

黒い表紙の小さな本です。

ムットーニさんのCGに加え、CGにまつわるお話も収録。
ダンセイニにまつわる話も収録されています。

詳しくは、URLを参照のこと。



投稿者: りき    日時: 2002年11月22日 22:27 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会

本日の夕六時から九時にかけて第一回目のですぺらモルト会を催します。会費は六千円、メニューは以下のごとし。なお、十二月のメニューも掲載致します。一年分のボトルの取り置きは不可能ですので、二箇月分ずつ紹介させて頂きます。一年間で百二十の蒸留所のシングル・モルトを飲む、いよいよスタートです。

十一月.
  ラガヴーリン(ヴィンテージ・モルト)
  ダルユーイン('80 アデルフィ)
  トミントゥール(10年 ディステラリー・ボトル)
  ピティヴェアック('86 イアン・マクロード)
  ベンローマック(12年 ゴードン&マクファイル)
  アバフェルディ('89 ダグラス・レイン)
  グレンカダム('74 ゴードン&マクファイル)
  マクダフ('75 ゴードン&マクファイル)
  バルブレア('73 ゴードン&マクファイル)
  インヴァリーブン('84 ゴードン&マクファイル)

十二月.
  ハイランド・パーク(8年 ゴードン&マクファイル)
  グレン・グラント('76 ウイルソン&モーガン)
  グレンバーギ('88 グレン・アラン)
  グレンクレイグ('81 ケイデンヘッド)
  グレンロッシー('89 マクギボン)
  ダフタウン('90 マクギボン)
  エドラダワ-('76 シグナトリー)
  グレンアギー('67 ゴードン&マクファイル)
  ノックドゥー('89 ケイデンヘッド)
  プルトニー('90 ヴァン・ウィー)



投稿者: 一考    日時: 2002年11月23日 05:14 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 小林健二展に行ってきました

りきさんのお知らせを見て、今日小林健二展に行ってきました。
実は金曜の夜から風邪で寝込んでいて、熱が下がっていないのにどうしても行きたくてマフラーをぐるぐる巻いて出かけました。
行ってよかった。お知らせありがとうございました。展覧会の様子は日記にも書きましたのでよろしければご覧下さい。
りきさんは「PSYS COPE」をお持ちなんですよね。いいなあ。いつか実際に見せていただけたら本当にうれしいです。
素敵な展覧会でしたが風邪が激しくぶり返したのでもう寝ます。お休みなさい。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年11月24日 19:38 | 固定ページリンク




りき | (無題)

どうやらここが、公式サイトのようです。

http://www.aoiginga.com/

行ってみてください。



投稿者: りき    日時: 2002年11月26日 01:11 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報10

 ですぺらモルト会第一回目を無事に終えることができました。有難う御座います。
 長時間にわたり、ウィスキーの香味の話に専心できたのを嬉しく思います。特にベンローマックとバルブレアに関しては異論百出。通常、このような会は蒸留所の歴史などの蘊蓄の披露に終始するのが常ですが、生体解剖に興味は有っても死体解剖に店主はいささかの興味も抱きません。人は時代の子、あくまで香りと味わいを捻弄するとの現場主義でありたいものです。
 バルブレアはマッカーサー社、ダグラス・レイン社のオールド・モルト・カスクやゴードン&マクファイル社の旧コニッサーズ・チョイス所謂白コニと黒コニでボトリングされていますが、いずれもが30年超の熟成品です。若いモルトではマキロップ社の16年ものカスク・ストレングスと現行のゴードン&マクファイル社の10年ものしかありません。
 バルブレア蒸留所はアライド・ディスティラーズ社の系列で、同社のバランタインの主要原酒でしたが、現在ではノックドゥー同様、インバーハウス・ディスティラーズ社が所有。インバーハウス社初のディスティラリー・エディションの16年ものは旧ボトルと比して西洋梨の香りは消えましたが、全体に軽く穏やかな味わいは変わりません。問題は今回試飲したゴードン&マクファイル社のバルブレアです。73年蒸留の21年もの40度、100周年記念ボトルの一本です。
 若い味わいが売りのバルブレアにもかかわらず、初手は樽由来の強烈な渋み、オロロソ・シェリー樽で長期熟成されたマッカランやロングモーンの行き過ぎた苦みを想起致しました。ところが舌の上を転がすと、シェリーではなく、バーボン・カスクの趣です。ここで思い起こしたのは、内側を異常に焦がしたバーボン樽を熟成に用いるマノックモア蒸留所の得意芸です。一味ではなく七味のピリッとした辛さ、ぼてっとしたやや締まりのないボディの厚み、これらから推察するにエズラ・ブルックスの樽を熟成に用いたのではないかと。かかる勝手なちゃらんぽらんな想いに身を委ねている間こそが至福なのです。
 ベンローマックは飲むほどに苦みが増すモルト・ウィスキーです。根生姜、がり、茗荷を思わせる苦みです。飲むにつれ、もろみ味噌が恋しくなります。もろきゅうでもよろしいのですが、胡瓜のサクサクした食感はウィスキーには馴染みません。私は焼き味噌が欲しくなりました。大阪の行きつけの居酒屋で食した北京味噌もしくはしゃもじに塗りつけて焼く蕎麦味噌を懐かしく思ったのです。
 などと埒もない第一回目では御座いましたが、まずは御参加くださった方に感謝。ですぺらモルト会第二回目は12月21日の土曜日です。お誘い合わせの上、御来店頂ければ幸いです。次回からは口直しに日本味のさっぱりしたビールも用意致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年11月28日 20:06 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 相澤啓三さんの詩

風邪で寝込んでいたため四谷シモンさんの会に行くことできず本当に残念でした。

ここならばご存じの方がきっといらっしゃるに違いないと思いお尋ねいたします。
矢川澄子さんを送る会で相澤啓三さんが朗読された詩の題と、どこで読めるかを教えていただけませんでしょうか。断片的な言葉しか覚えていないのですが、矢川さんの幸せを願う気持が痛いほど伝わってくるやさしいやさしい詩だったと思います。

それでは私はちょっと遅れてこれから出勤いたします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年12月02日 11:00 | 固定ページリンク




松友 | 「SANTA SANGRE」蛇足的補足

タイミングが悪い事に加え、拙メが改めて申し上げる事ではないと御推察致しますが、蛇足としまして。

 マリア・クローチェのクリスマス・イベントたる「SANTA SANGRE」の本開催は2002年12月14日(土)~2002年12月24日(火)、14:00~19:00。12月09日(月)発売の関東版「ぴあ」にも詳細が載る予定だそうです。
 プレビューとして執り行われた11月22日(金)~12月01日(日)とは幾分趣向を変えての展示となるそうで、また12月02日(月)~12月13日(金)は休館の由。
 翌年初めは2月のバレンタインあたりにイベントを置けないか現在模索中で、そのお知らせが次回の本開催時に出来ないかな~といったところですとか。

以上、勝手に伝聞補足でした。



投稿者: 松友    日時: 2002年12月03日 03:20 | 固定ページリンク




薫子 | 相澤さんの詩は

先月届いた書肆山田発行の季刊誌「るしおる」に掲載されていました。
題は「黒姫のレクイエム--森の中の女友達 矢川澄子のために」です。
書肆山田のホームページは以下の通り。

http://www.t3.rim.or.jp/~shoshi-y/



投稿者: 薫子    日時: 2002年12月03日 05:41 | 固定ページリンク




薫子 | ありがとうございます

 土曜日の四谷シモンさんのサイン会にお越し下さいました皆様、ありがとうございました。出足は遅かったものの、夜が更けるにしたがい熱く語り合う光景が広がって、特に横須賀功光さんと宇野邦一さんが話合われている姿には「ブルトンも真っ青のシュールな光景」との某氏の感想が出るほどでありました。
 「人形作家」をまだ読んでいない方、シモンさんのことはよく知らないし~、と言う方でも絶対引きこまれる本ですから、是非ご一読を。ですぺらにサイン本がまだ少しありますのでお早めに。



投稿者: 薫子    日時: 2002年12月03日 06:13 | 固定ページリンク




りき | お礼&お知らせ。


シモンさんのサイン会、楽しかったです。

約束なので。お知らせが。

京橋にあるギャラリー椿で、12/2~21で、
桑原弘明さんの個展があります。

箱の中に別世界を構築する。

少しふしぎな作家さんです。
日曜日・祝日は休みです。注意。

詳しくはここ。
        ↓
http://kas.gaden.com/tsubaki/2002/021202.html



投稿者: りき    日時: 2002年12月03日 21:51 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | るしおる買いました

薫子さん、相澤啓三さんの詩を教えていただきありがとうございます。
早速今日書肆アクセスで「るしおる」を買いました。

りきさん、私も桑原弘明作品好きです。
サンタ・サングレもあるし、他にも人形展がちらほら。今月は展覧会巡りで忙しいですね。
まだ風邪が抜けきっていないのをなんとかしなくては。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年12月03日 22:36 | 固定ページリンク




薫子 | 12月のですぺら

えー、もう12月! なんて言っている間に一週間経ってしまった。
ですぺら12月の予定をお知らせしなくては。

今月は日曜日、祝日でも予約を入れていただければ、営業いたします。

22日(日)は、須永朝彦さんがカルチャーセンターの生徒さんとの懇親会を催されます。
席に余裕がありますので、参加ご希望の方は是非どうぞ。
午後6時より、会費3500円です。

29日は休まず、31日まで営業いたします。
31日には年越しそばをご用意しますので、日枝神社、豊川稲荷への初詣のついでにお寄りくださいまし。
なお、年明けは4日からの営業です。
この日はですぺら新年会として鴨鍋をやるぞ!、と店主が盛り上がっております。
正月早々、来て下さる方があるのだろうか、ちょっと心配。まあ、その場合は
店主一人で鍋一つ平らげるでしょう。



投稿者: 薫子    日時: 2002年12月08日 06:27 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会御案内

12月21日の夕6時から9時にかけて第2回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを飲む、いよいよスタートしました。1月からは毎月第4土曜日になります、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

12月.
  ハイランド・パーク(8年 ゴードン&マクファイル)
  グレン・グラント('76 ウイルソン&モーガン)
  グレンバーギ('88 グレン・アラン)
  グレンクレイグ('81 ケイデンヘッド)
  グレンロッシー('89 マクギボン)
  ダフタウン('90 マクギボン)
  エドラダワ-('76 シグナトリー)
  グレンアギー('67 ゴードン&マクファイル)
  ノックドゥー('89 ケイデンヘッド)
  プルトニー('90 ヴァン・ウィー)

1月
  アイル・オブ・ジュラ('87 スコッチ・モルト・セールス)
  カリラ('91 ドナート)
  インチガワー('89 ベニーヴァ)
  インペリアル('89 マクギボン)
  グレン・キース('76 マッカーサー)
  クレイゲラヒ('84 ハート・ブラザーズ)
  コールバーン('80 ダグラス・レイン)
  グレン・オード(12年)※
  グレンモーレンジ(10年)※
  ミルバーン('72 ゴードン&マクファイル)



投稿者: 一考    日時: 2002年12月10日 16:10 | 固定ページリンク




松友 | 追補・新雑誌「S」にマリアクローチェの記事他

 またしてもタイミングが悪くなってしまいました。

 さて表題、この度創刊されたと思しき季刊誌「S(エス)」。2003年冬号、No.1にイベントスペース・マリアクローチェの紹介、佐吉氏への取材、先の天野可淡展の写真がP72~75の4ページにわたって掲載されています。同誌は”漫画・アニメ・イラスト・ゲーム≪キャラクター&ストーリー≫表現の総合誌”を標榜し発行・スタイル、発売・飛鳥新社、¥1,200、-(税込み)。表紙は白バックに御二方の乙女がこちらを向いているイラストです。新宿南口紀伊国屋書店ですと雑誌のニュージェネレーションのコーナーに平置きされていました。こちらは伺ってはいたものの追いかけられずにおりましたがこれで役目を果たせたかと存じます。
飛鳥新社アドレス ttp://www.asukashinsha.co.jp/
同「S」の頁(新刊予告)アドレス ttp://www.asukashinsha.co.jp/comic_s.htm
 なお、「ぴあ」の「SANTA SANGRE」本展の紹介は関東版12月16日号P246「話題のイベントピックアップ」の頁、上段中央に載っております。

以上、勝手に伝聞追補でした。



投稿者: 松友    日時: 2002年12月12日 17:56 | 固定ページリンク




一考 | バックバーについて

 このところ購入するボトルの一部は自宅に持ち帰り、バックバーには並べておりません。当店の総合寡多録には2390種類のシングル・モルトが記載されていますが、現在バックバーに並んでいるのは540種類のシングル・モルトです。ブレンデッド、バーボン、ブランデー、ラム、ジンなどを極力減らしていますが、店内の格納能力が1200本位ですので、これ以上増やしますと管理が行き届かなくなります。悪しからず。
 なお、開店から3年を経て、120本のシングル・モルトが未開封です。こちらはボトリングの古いもの(90~95年)から順に撤去し、より安価なモルトへと入れ替えていきます。入れ替えに伴い、寡多録とバックバーのボトルが不統一になり迷惑をお掛けしていましたが、先週の土曜日に寡多録は新しくなりました。2月の頭にもう一度ボトルを差し替えて終了、バックバーを常時500本とさせて頂きます。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月16日 05:38 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報11

 先だって紹介しましたラガヴーリンの12年ものカスクストレングスと25年ものカスクストレングスの発売は3月になるそうです。それまでは高値ですが、並行もので間に合わせるしかなさそうです。

 スプリングバンク蒸留所のロングロウが新しくなります。その前にロングロウの香味と歴史について一言。
 ロングロウはスプリングバンクのセカンドラベルにして10年もの46度。オーク・カスクとシェリー・カスクの二種があり、特質は麦芽の乾燥にピートのみを用いる点。バンクの6時間に対して55時間もピートを焚くといわれています。湿った草や土の匂い、微かにシェリーの甘味、長くピーティーなフィニッシュ。塩辛く、口腔が沸き立つようなオイリーな後口。通好みのヘビーなモルトです。
 1973年から74年にかけて蒸留、85年より発売。ブランドはスプリングバンク蒸留所に隣接していた蒸留所の名。同蒸留所は1896年に閉鎖され、現在ではスプリングバンク蒸留所の瓶詰工場になっています。90年以降、年毎の生産量は増え、2000年からは定期的にボトリング。91年からはボトリングされた年が記載されるようになりました。ところが記載は92年で終了、93年以降、すなわち来年のボトルからはオーク・カスクとシェリー・カスクのヴァテッド・モルトに統一されます。熟成年月の10年はそのままだそうです。
 通常のディスティラーズ・エディションのほか、73年、74年蒸留の蒸留所元詰めブルー・ボックスを始め、マーレイ・マクデヴィッド社の90年、91年蒸留のモルト、サマローリ社の16年、21年熟成のもの等、さまざまなボトルが頒されています。
 また、現在生産が中断されているオロロソ・カスクの21年ものスプリングバンクは2008年もしくは2010年に復活の予定。現行の15年ものはそれまでのつなぎ商品ということになるそうです。

 ダンカン・テイラー社のザ・ピアリス・コレクションからボウモアの66年蒸留の36年もの45.3度、同じく43.2度、68年蒸留の34年もの41.4度、69年蒸留の32年もの43.4度、同じく46.9度。ダグラス・レイン社のオールド・モルト・カスクから66年蒸留の34年もの45.1度、同じく36年もの40.6度、69年蒸留の31年もの46.4度。キングスバリー社のケルティック・コレクションから66年蒸留の35年もの43.7度、72年蒸留の29年もの54.8度、同じく30年もの53.2度等々、長期熟成のボウモアが相次いで頒布されております。66年のボウモアが美味との日本生まれの神話に託けてのボトリングなのでしょう。商魂の逞しさには参ります。

 いつものことですが、「モルト情報」はあくまで情報であって、当店のバックバーには高級品はなにひとつ蔵しておりません。ただし、在庫している業務店の紹介は可能です。どうかよろしくお願い致します。末尾ながらメールにご返事、ハート・ブラザーズ社の長期熟成のモルトはダンカン・テイラー社の提供になるものが多いと聞き及んでおります。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月16日 05:39 | 固定ページリンク




一考 | 稲葉真弓さんのことなど

 今年上梓された詩集からお気に入りを刊行順に紹介。
 「遐い宴楽」入沢康夫、「水無月の水」尾崎昭代、「母音の川」稲葉真弓、「少年日記」渡辺洋、「小枝を持って」高橋睦郎、「砂から」佐々木幹郎、「孔雀荘の出来事」相澤啓三、「ブリキのWE」大石健、「いろはにほへとちりぬるを」木村迪夫、「ARROWHOTEL」北爪満喜、「老梅に寄せて」窪田般弥、「足の冷える場所」瀧克則の十二冊が特に印象の深かった詩集です。
 詩に関係するエッセイ集では、辻征夫「ゴーシュの肖像」、秋元幸人の「吉岡実アラベスク」、森乾「父・金子光晴伝」の三冊を特筆致します。
 以上、稲葉真弓さんの詩集のみ思潮社にて、他は書肆山田から刊行されています。

 「ゴーシュの肖像」は2001年に上梓された「貨物船句集」と併せて辻征夫さんの遺著となります。まだお元気なころ、「銀花」に横田稔論をお書き下さったことに感謝。雑司ヶ谷の鮨屋での幾たびかの語らいが懐かしく思い出されます。

 森乾さんとは「本の手帖」の金子光晴特集以来ですので1963年からのお付き合いでした。本書は金子光晴をめぐる散文作品を未発表のものも含めて収めた遺稿集です。氏の銘でもあったヘーゲルの「ミネルヴァの梟は、夕暮にとぶ」に因んだ装いで上梓されました。

  おいら。
  おっとせいのきらひなおっとせい。
  だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで、
  たゞ、
  「むかうむきになってる
  おっとせい」

 反骨かつ奔放な生を生きそして詩を著し、思索の体現化を作品と生との合致のなかに追い求めてやめなかった金子光晴。その搏動を識るに相応しい書物がもたらされたのです。

 「孔雀荘の出来事」は2000年に上梓された「五月の笹が峰」につづく詩集。「一夜、ですぺらで」が収録されました。巻頭の一篇は私には涙なしに読むことはできません。あまりにも遠く遅れて生まれてきた私ですが、あの人たちとすれちがった僅かな日々、かすかな息づかいは鮮明に記憶しています。

  親しい者たちが死についでゆくと
  出来事はわたしのまわりに影をひそめ
  死の出来事の大きな影の上に
  根を張ることをやめて死を待つ者の影は淡い

  死を受け入れ死に馴染む者の退廃を
  愛する者にひらいて見せるのは愛する者への裏切り――

 「年齢の開き」が「ジョークで跳べない危険なクレバス」になる歳に私もやっと到達したようです。

 「母音の川」は稲葉真弓さんの三冊目の詩集。第一詩集の「ほろびの音」が1982年、その前年の二月に第一作品集の「ホテル・ザンビア」が上梓されています。贔屓筋の頭目に安原顕さんがいらっしゃいます。安原さんの尽力によってかつて海に掲載された短篇が来年二月に河出書房新社から纏められます。私が雪華社在籍中に中井英夫さんの「夕映少年」についで出版する予定だったのですがかなわず、そのままになっていた稿です。無責任な編集者で申し訳なく思います。
 プライヴェートな憶い出で恐縮ですが、80年前後、稲葉さんとはしばしば酒を酌み交わしました。当時の私は真冬でも素足につっかけでした。貴女は「寒くないの」と訊ねましたね。「猥褻にならなければどこを晒けだしてもよいのよ、それよりなにより水虫が痒くってねえ」と嘆いてみせたのは精一杯の虚勢。なにね、靴を買う金がなかっただけなのですよ。貴女は飲み屋でスカートを捲りあげ、ストッキングを脱いで靴を肩に掛け「これで私も裸足、今日は朝まで飲みましょうね」裸足で御苑通りから新宿二丁目、要町からゴールデン街を徘徊しました。あの夜、人の情と言いますか、気配りの深さに私は驚いたのです。貴女のような詩人をいい女と言うのですよ。
 「母音の川」のあとがきから数行、

――書いている間、ずいぶんたくさんの体が私の前を通っていった。十代の少女の体、耳や手足などの部位のほかに、ややくたびれかけた女たちの体、あるいは祖母や母たちの眠り、魚や昆虫の交尾までもが「あいうえお」を発語として姿を現し。思いがけず豊かな川を渡ってきたような気がする。
 もちろんこの詩集はポルノグラフィーとして読まれていいのだ。女たちの声はポルノグラフィーの川。たくさんの娘たちが、今日もその川を熟れた果物のように流れていく――

 ひとつのテーマを決めどんどん穫り込み、そして削りとり刮げおとしてゆく、その取捨選択の狂いのなさ、自在なイマジネーションに裏打ちされたしたたかな構成力に脱帽。吉岡実、辻征夫の死以来、諦めかけていた「詩集」に久しぶりに逢着しました。才能という名の元手がたっぷりかけられた贅沢極まりない一本です。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月16日 05:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 買ひたい本は神保町では買へません


今朝の朝日新聞で、池内恵さん(池内紀さんのご子息。さとしと訓むらしい)の『アラブの社会思想』(講談社現代新書)が大佛次郎賞論壇賞を受賞したとの記事を読み、面白さうなので、たまたま仕事で駿河台に行つた序でに神保町で探しましたが、つひにみつかりませんでした。東京堂は二階の売り子さんがさすがにちやんと知つていて、こちらは書名と著者名をうろ覚えだつたのに、すぐにわかつて、売り切れてしまつたといふことのみか正確な書名と著者名(ただし、「めぐみ」と言つてゐましたがそれはご愛敬)まですらすら教へてくれたのですが、その前に行つた三省堂は最悪でした。新書の階の担当の女性に「今朝の朝日に載つた」云々を言つてもちんぷんかんぷん。新聞の、せめては本に関するところくらゐ目を通さないのかと言ひたくなりました。前にも三省堂では同様のことが何回かあり、社員教育がなつてゐないなあと慨嘆したのでしたが、けふはそれをまた実感しました。そのあと、知る限りの新刊本屋に行つたのですが、探す人が多いのでせうね、上に書いたごとく結局みつからなかつた次第です。
そこで教訓。
一、すぐにでも読みたい本を探すときは神保町で探すべからず(アリスだつてなかつた、いやいまだに置いてないのですから)。
二、とくに三省堂では買ふべからず。店員のあまりの無知に気分が悪くなるだけです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年12月19日 00:17 | 固定ページリンク




高遠弘美 | すみません、もう一度投稿します

改行がうまくいかなかつたやうなので再度同じものを投稿します。

//////////////////
今朝の朝日新聞で、池内恵さん(池内紀さんのご子息。さとしと訓むらしい)の『アラブの社会思想』(講談社現代新書)が大佛次郎賞論壇賞を受賞したとの記事を読み、面白さうなので、たまたま仕事で駿河台に行つた序でに神保町で探しましたが、つひにみつかりませんでした。東京堂は二階の売り子さんがさすがにちやんと知つていて、こちらは書名と著者名をうろ覚えだつたのに、すぐにわかつて、売り切れてしまつたといふことのみか正確な書名と著者名(ただし、「めぐみ」と言つてゐましたがそれはご愛敬)まですらすら教へてくれたのですが、その前に行つた三省堂は最悪でした。新書の階の担当の女性に「今朝の朝日に載つた」云々を言つてもちんぷんかんぷん。新聞の、せめては本に関するところくらゐ目を通さないのかと言ひたくなりました。前にも三省堂では同様のことが何回かあり、社員教育がなつてゐないなあと慨嘆したのでしたが、けふはそれをまた実感しました。そのあと、知る限りの新刊本屋に行つたのですが、探す人が多いのでせうね、上に書いたごとく結局みつからなかつた次第です。
そこで教訓。
一、すぐにでも読みたい本を探すときは神保町で探すべからず(アリスだつてなかつた、いやいまだに置いてないのですから)。
二、とくに三省堂では買ふべからず。店員のあまりの無知に気分が悪くなるだけです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年12月19日 00:19 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報12

 UDV社の「プレミアムモルトシリーズ」からポート・エレンとタリスカーのニュー・ボトルが出ました。
 ポート・エレン 1978/02 24年もの 59.35度 12000本のリミテッド・エディション
 昨年発売された('79/01 22年 56.2度 6000本 ポート・エレン・モルティング社)のセカンドエディションです。来年のサードリリースでUDV社が所有する樽はなくなると言われています。

 タリスカー 1981/02 20年もの 62.0度 9000本のリミテッド・エディション
 昨年発売された('75/01 25年 59.9度 6000本)に次ぐボトルです。タリスカーのカスクストレングスがオフィシャルボトルでリリースされることは珍しく、他では蒸留所で販売している15年ものカスク・ストレングス60.0度と59.9度が日本へ入荷されています。

 お客さんから教えて頂き、パシフィック・カレドニアンのアイル・オブ・ジュラ '99を取り寄せました。3年もの、60.7度のカスク・ストレングス。447本のリミテッド・エディションです。ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリング。ディスティラリー・コンディションですが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いています。レダイグ15年を想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュはアイラと見紛うようなモルトです。記載はありませんが、熟成に用いた樽はおそらくバーボンカスク。ロッホデール社のスプリングバンク・ファウンダーズ・リザーヴと共に今月入荷のボトルの中では一番のお薦めです。

 そのほかでも、気になるボトルが若干入荷されました。
 ポート・エレン '82 19年 50.0度 ロンバード社
 ポート・エレン '82 19年 61.3度 マクギボン社
 ラフロイグ '92 10年 59.9度 マッカーサー社
 ラフロイグ '90 12年 57.9度 ケイデンヘッド社
 ラフロイグ '89 12年 52.5度 ハート・ブラザーズ社
 ボウモア '90 11年 46.0度 ハート・ブラザーズ社
 スモーキングアイラ '92 55.0度 ブラッカダー社
などです。最下段のスモーキングアイラはラフロイグとカリラのヴァッティングモルトではないかと言われています。また、ハート・ブラザーズ社のラフロイグはゴードン&マクファイル社からスピリッツ・オブ・スコットの一本としてボトリングされたアードベッグ'90/11年/58.4度もしくはアードベッグ'90/12年/56.4度同様、カスク・コンディションがよいのでしょう、非常にすぐれた香味を持っています。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月19日 00:20 | 固定ページリンク




一考 | 女店員

 高遠弘美さんへ
 池内紀さんのご子息ならさぞかしひねくれた複雑な文章を書かれるのでしょう。期待できますね、早速購入致しましょう。それにしても「新書の階の担当の女性」が可哀相ですね。私なら同情しますよ。ジュンクにいた小山さん(現在のマルドロール店主)や現役の矢寺さんのようなプロは滅多に居るものではないのです。件の女性は肩身が狭くなりますよ。それだけならよろしいのですが、減給かも。きっと貴方好みの女性ではなかったのでしょうが。
 男子たるもの、小さな親切大きな下心を常に身に纏うように心掛けましょう。親しくなれば、欲するであろう書冊を気を利かせて取り置いてくれるようになりますよ。
 アリスの担当者はおそらく私のご存じの方なのでしょうが、営業に走り回っていないのだと思いますよ。むかし、風呂敷片手に南柯書局の本を小山さんに押し売りしたのを思い出します。安酒を飲ませて色目をつかい、文化のためとかなんとか口先三寸でたぶらかすのが私の常套手段だったものですから。
そこで教訓。
一、すぐにでも読みたい本を探すときはそれに先行して書店に愛人を拵えること(上述の女性はそういう方ではありませんよ)。
二、とくに親しい女性のいない書店では買ふべからず。いくら金数を支払ってもそれに見合う効能なり、役得がなにもありません。店員のしたり顔に気分が悪くなるだけです。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月19日 11:07 | 固定ページリンク




一考 | 中井英夫全集

 先日「稲葉真弓さんのことなど」で中井英夫さんの夕映少年に触れましたが、さっそく東京創元社から「中井英夫全集-5」が送られてきました。夕映少年、幻戯、星の砕片、星の不在などが収められた巻で、本多さんの解題には当時著した案内状の文章までが掲載されておりました。なんとも面映ゆく、一宵、中井さんのこと、田中さんのこと、しばらくの間お世話になった羽根木の流薔園のことなどを淋しく思い起こしました。

 ──この世には理解を拒み続けるがゆえに美しい魂というものも厳然と存在する。佶屈としてしかも不羈、ただただ瑰麗としかいいようのない孤独──

 中井さんとのお付き合いのなかで私の身体に刻み込まれたものは存在学的孤独。肝要な点は、にっと哄ってあの痛々しいまでの傲慢さを容認することでしかなかった折々の語らい。はにかみが微かな緑青となって浮かびあがった中井さんの貌。自らの肉体を生活と文学との通底器と化し、血塗れになって死んでいった中井英夫を私はどの面をさげて見送ればよかったのか。葬儀の日、「転々として可説不可説、想いだすのは知らぬことばかり、知ることと知らぬこととが転々として、くるくる虚空を舞う大法輪」愛する詩人の詩をくちずさみながら、ただただ途方に暮れていました。あの日、一人で酔い潰れるつもりが、新宿の浪漫坊で矢川澄子さんや相澤啓三さんと一緒になりました。情念と死について語り明かしたのもはじめてのこと。こころならずも密咒を呟き、はからずも白鳥の歌を刻むしかなかった人に、今生の思いはあるまじと、美酒一献・・・つらい日でございました。

 「中井英夫全集-5」がどなたからの贈り物なのかが分かりません。メールで結構ですのでご一報下さればありがたく思います。846頁もの大冊です。時間をかけて繙かねばなりません。ご送付に感謝致しております。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月19日 11:11 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さんへ

Vous avez raison! 一考さん。
まつたくね。でも老来、とんとご婦人に縁がなく、折角のお勧めの方法も無骨な私には無縁のやうで哀しいだけですが、実は書かなかつたことがあります。一考さんに勧めて頂いた窪田般彌詩集『老梅に寄せて』を東京堂で買ふことができました。おお、さすが東京堂。
窪田般彌といへば、いまさら私などが申すまでもなく、「独楽」(ひとりたのしむなどと!)「烏賊」(ああ、香料の湯ぶねにひたりきり、笑ひながら死んでゆく海のエピキュリアンよ)そのほかあまたの記憶に残る詩を書いた詩人ですが、生来人見知りをする私は、仏文科の学生のとき、仏詩の授業で窪田般彌のクラスと村上菊一郎のクラスをどちらか選ぶことになつて、何だか怖さうな(つまり不出来な私ごとき学生には厳しさうな)窪田先生を敬遠し温顔の村上先生のクラスに行つたのでした。同様の理由で平岡篤頼さんには一度も教はつたことがありません。しかし、窪田般彌の詩は好きで、今度の詩集もすばらしい。
「きみは月光の花と魔女に恋いこがれ/花なき里の夜の長さを知った」(『魔術師メルランの墓』

「死神めが日々顔を出す/――もう平均寿命にも達したようで/相手はやさしく皮肉っぽく笑う/――いや もう少し煙草をのみたいので/こちらはいささか未練たっぷり煙に巻く」(『秋海棠』)
「死がない生活は深刻だ/死がない人生は残酷だ」(『嬉遊曲』)
まだまだ続きます。こんなに暗い詩集も珍しいかもしれませんが、これほど美しい詩集もそうはありません。勧めてくれた一考さんに感謝します。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年12月19日 17:46 | 固定ページリンク




一考 | 編集者

 高遠弘美さんへ
 あれほど地中海をいとおしまれた窪田般彌さんがかくまで暗い詩を著すとは意外でした。実はあの詩集が発送されたあと、相澤啓三さんが店へいらっしゃいました。『老梅に寄せて』の消息を確かめに来られたのです。おおよそのところを説明させていただきましたが、淋しいことでございます。
 以前、書肆山田をもっともラジカルな出版社と書きましたが、編集者として、時代の証言者としてのあのお二方の仕事には頭が下がる思いです。窪田般彌さん同様、大泉史世さんの身体もぼろぼろだと思われるのですが。
 いま貴方に果敢にチャレンジなさっている編集者もすぐれた人です。お仕着せではなく、こころざしで仕事に立ち向かっていらっしゃいます。こころざしとは時代を先取りすることでも肯うことでもなく、時代と烈しく斬り結ぶことです。時として対象をまた自らを拒否し、結果としていずこかへ突き落とすようなこともございます。
 ゲーテやガイガの主観主義や享楽主義に対する非難を持ちだすまでもなく、ディレッタンティスムは諸刃の剣です。ひとりよがりに陥る危険性を回避する手立ては懐疑しかございません。聡明な貴方にこのような野暮なことを申し上げるのは恐縮なのですが、それもこれもかの編集者に対して私が抱く友誼の表明に他ならないのです。うつしよに旅人のかすかな息づかいを遺したい、かりそめの華を咲かせたいとの文学への思慕を大事に育もうではありませんか。
 繰り返される日々はこしかたへの一会、帰路を断ち滅びを選んだ旅人たちへの追薦ともなるものだけが世にのこされてあれ、と思う次第です。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月20日 12:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 窪田般彌『一切合財みな煙』

一考さんへ。
すでにご存じと思いますが、松井須磨子が歌つた『カルメン』の主題歌(北原白秋作歌)を書名にした窪田般彌のエッセイ集『一切合財みな煙』(河出書房新社)は最近の本の中では群を抜いて素晴らしいものでした。巻末で窪田先生(遠くからあくがれ眺めてゐた学生時代の思ひがどうしても抜けず、とても「さん」附けや姓だけの呼び捨てはできません)が引いて居られるレニェの詩の一節、
 Le vrai sage est celui qui fonde sur le sable, sachant que tout est vain qui n'est pas eternelの「まことの賢人」といふのはまさにこのやうな文章を書くことの出来るひとを言ふのであらうと思ふことしきりです。これを本にした河出書房の編集者の見識もみごとといふほかありません。それだけに、一考さんから伺つたうつしみの先生の現在の状態を思ふとき、胸ふたぎ物が言へなくなります。最初に詩集のことを書かなかつたのはそのゆゑでした。
「うつしよに旅人のかすかな息づかいを遺したい、かりそめの華を咲かせたいとの文学への思慕を大事に育もうではありませんか」とのお言葉、ふかく心に刻み、私もまた、のろくまた鈍き歩みながら、よちよちと進むことにいたします。

私を理解してくださる一考さんをはじめ、私に「果敢にチャレンジ」して下さる編集者の方と出会へたのも「うつしよの」よろこびです。そのよろこびの大きさについては改めて書かずとも判つて頂けるものと思ひます。
年の暮れ、といふだけでせはしさが増しますが、風邪など召したまふなかれ。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年12月21日 08:09 | 固定ページリンク




本当にするですかの、松友 | 31日の年越し蕎麦あるいは4日の鴨鍋って

~投稿の頃合の悪さは治りようがないのかもしれませんです~
 年の瀬でございます。31日は年越し蕎麦な由、それってまさか18:00からOKとか、いや何かしらSpl.があるのでしょうかしらんと。しかも4日の鴨鍋もアリなのでしょうか?それなら地元のスーパーにて下仁田ねぎを確認しましたので、当日あれば背負って襲撃しようかと。
 ~さてもさても昨日幸いにとある1964のボトル飲み終えに滑り込めた松友でした。"BOWMORE IS THE ONLY REMAINING FAMILY CONTROLLED DISTILLERY ON THE ISLAND OF ISLAY. DURING THE COURSE OF 1964 ITS NEW OWNERS, STANLEY P. MORRISON LTD., INVESTED IN AN EXTENSIVE UPGRADING OF THE DISTILLEY. AS PART OF THIS, THE TRANDITIONAL COPPER POT STILLS WERE CONVERTED FROM DIRECT COAL FIRING TO INDIRECT TEAM FIRING. THE FIRST DISTILLATE FOLLOWING THIS CONVERSION, BLACK BOWMORE, HAS BEEN MATURED IN THE ORIGINAL DISTILLERY VAULTS BELOW SEA-LEVEL UNDISTURBED UNTIL ITS DAY OF BOTTLING. REMARKABLY COMPLEX, YET MELLOW, BLACK BOWMORE IS A SUPERB EXAMPLE OF AN ISLAY WHISKY MATURED IN SHERRY BUTTS."
だそうで。



投稿者: 本当にするですかの、松友    日時: 2002年12月27日 01:44 | 固定ページリンク




りき | ムットーニさん例年の上演会速報です。

以下、とびうおさんのサイトからの転用記事です。


タイトル  ムットーニの部屋【ナイトビジターたちの競演】

★会期  2003年2月6日(木)~26日(水) ※2月20日(木)休業
     10:00~21:00(但し、最終日は17:00に閉店)

★会場  ロゴスギャラリー(渋谷パルコパート1 B1)
     東京都渋谷区宇田川町15-1 〒150-0042
     【?】03-3496-1287

★内容 ◆ 自動からくり人形師ムットーニこと武藤政彦による新作約10点の展示
      ・「カンターテ・ドミノ」
      ・「アクア・プラネット」
      ・「カプセル・エンジェル」
      ・「サテライト・キャバレー」
      ・「にわとり男」    他。
        ※CD内蔵大型タイプから小型オルゴールタイプまで出展予定。
    ◆ ムットーニBOX・CGプリント・書籍・缶バッチ等の販売
    ◆ ムットーニ本人の口上による上演会の開催
      ・日程  2月/7日(金)8日(土)9日(日)11日(火・祝)14日(金)
             15日(土)16日(日)21日(金)22日(土)23日(日)
             ↑日程の各日4回の上演があります
              ①14:00~ ②15:30~ ③17:00~ ④18:30~
      ・上演時間  約30~40分  *但し、ムットーニ氏の興がのれば延長あり
      ・参加方法  入場無料。会期初日よりロゴスギャラリー内で整理券配布
              <各回とも整理券をお持ちの方が優先となります>
      ・1回の定員 約30名



投稿者: りき    日時: 2002年12月27日 21:08 | 固定ページリンク




一考 | 新年宴会

 松友さんへ
 風邪で二日間寝込みました。と言うよりは、28日の恐怖ノ忘年会のために26、27の両日中に風邪を治す必要あり、店は薫子さんに任せてひたすら眠り続けております。もっとも、水分補給と睡眠の間を縫って山本六三さんの思い出をペラで40枚ほど認めました。そちらは時間を置いて100枚位に仕上げるつもりです。

 31日の年越し蕎麦と4日の鴨鍋はぜひ開催しましょう。新年の挨拶状にも書きましたが、このところ、親しい人が死についでゆきます。山本六三さんにとって山本六三は常に変わらぬものとしてそこに存在しつづけたように思われます。その山本さんに対して「年々歳々花相似、歳々年々人不同」とはあまりにも犬儒的になりましょうか。老いし者、生き残りし者の瑞々しい屈折を相澤啓三さんや窪田般彌さんの詩作に擬えてうかがう理由も一つ。いずれにせよ、ディレッタンティズムやダンディスムのような鎧を必要としない強靱な精神を保ち続けたいと願っております。
 帰らぬたびびとが一人またひとりと重なるたびに背負い込むものも増してゆきます。いとせめて肩に食い込むものをシニカルに嗤い飛ばして酒でも飲もうかと、言い換えれば鴨の擬傷動作に範をとった防護戦術でございます。参加者は現在のところ10名ほど、挙ってご参加賜れば幸甚に存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月28日 05:08 | 固定ページリンク




松友 | 今宵は年越し蕎麦

 体調不全の折の水分補給は忘れがちながらも大切な事柄です故、御留意戴けているようで宜しゅうございました。その御身にて想ひ出40枚とは。でも布団の中と外は環境が異なりますゆえ(え、一切の暖房を使”え”ない拙メだけかも)お気をつけ戴けますと。
 ~いっそ丹砂でも誠に存在すればなどと夢想もいたしますが、それは人が望みの生み出したもの、金子にて買ってすなるものなのかは御本人の御心の内にしかのおぼえる事はないのかもと。かつて拙メは少なからぬおのが年齢まで達し得ることの叶わなかった若年者の御仁と同じ屋根のもと暮らした期間が短くありませんでしたので、何を申し上げる事もできませんです~
 さて話し代わってこの年の暮れ、日照時間の減少に相関して睡眠時間が増加致しますがそれをおしての有明行き、今年の冬は30日最終日のみ、情報系の入手を楽しみました。今年は通期いったいどれ程の御仁がお見えになったのやら、初の冬3日間。先回は述べ一般参加48万人、入場証かわりのカタログが¥2,000.-弱、すでに民族大移動かしらと。隔世の感なのは仕方ありません、初めての訪問が最後の春、1983yのNo.23ですもの。あぁ、GMやら、皆で花いちもんめやらが懐かしい(涙
 では十数時間後に御邪魔致します。



投稿者: 松友    日時: 2002年12月31日 01:14 | 固定ページリンク




再確認の、松友 | 年末年始予定は31日と4日

~で、31日は年越し蕎麦で4日は鴨鍋でしたよね。



投稿者: 再確認の、松友    日時: 2002年12月31日 01:33 | 固定ページリンク




し~ちゃん | あけましておめでとうございます!


今年もお引き立ての程お願い申し上げます 

2003年は『えろきゅん』で参ります!           川上史津子拝



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年01月01日 01:28 | 固定ページリンク




シモン | 謹賀新年

一考さん、みなさん、新年明けましておめでとうございます。
本年も、みなさんにとって、良い年でありますようにお祈り致します。
さて年明けそうそう、9日には、文化放送のラジオ番組に登場し、「人形作家」(講談社現代新書)について語ることになりました。
また2月には、金沢フードピアでのトーク、WOWOWの「センセイの鞄」放送などでみなさんとお会いできると思います。
今年も、明るく楽しくいきましょう。

平成15年 元旦  四谷シモン



投稿者: シモン    日時: 2003年01月01日 13:16 | 固定ページリンク




りき | あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いします。

追伸:
お蕎麦とてもおいしかったです。



投稿者: りき    日時: 2003年01月01日 14:18 | 固定ページリンク




薫子 | 明けまして

あけましておめでとうございます。
昨年は多くの方にお世話になり、ありがとうございました。

一考の風邪が移ったようで、文字通りの寝正月を過ごしております。
休み明けには、一回り体重も増えてお目にかかれるやもしれません。
年末ジャンボ宝くじに外れて、今年の予定が早くもくるってしまいました。
おかしいなあ、当たる筈だったのに。

本年もどうぞよろしく。



投稿者: 薫子    日時: 2003年01月02日 19:07 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 謹賀


おそば美味しかったです (何食っても美味いんですけども)
残念ながら 4日は行けなくなりました。鴨鍋と焼酎お湯割り、惜しいなぁ。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2003年01月02日 21:30 | 固定ページリンク




浅暮三文 | 謹賀新年

あておめでとうございます。昨年はお酒のネタをちょうだいし、短編に仕上げることができました。今年はイベントや忘れ物がなくても、暇を見てお伺いしたいと考えておりますので、どうぞ、よろしくお願いします。浅暮三文拝



投稿者: 浅暮三文    日時: 2003年01月05日 02:40 | 固定ページリンク




谷口正人 | 鴨鍋の御礼

川上さんに連れてもらって昨日の鴨鍋に飛び入り参加した谷口です。 4000円であそこまで鴨食べられるとは感激しました。ありがとうございました。またお邪魔します。



投稿者: 谷口正人    日時: 2003年01月05日 16:22 | 固定ページリンク




如月 | 9日のラジオ・トーク番組

9日、四谷シモンが出演(トーク)する文化放送のラジオ番組の概要がわかりま
したのでお知らせします。
   *    *    *
番組名「吉田照美のやる気MANMAN」
コーナー名「午後2時の興味津々」
出演時間帯:午後2時25分~45分(20分間の生放送)を予定
   *    *    *
番組パーソナリティーの吉田照美さんと四谷シモンが、昨年出した「人形作家」(講談社現代新書)を中心にさまざまな話をする予定ですので、みなさん聴いて
みてくださいね。



投稿者: 如月    日時: 2003年01月08日 10:16 | 固定ページリンク




管理人 | 晒しもの


2度に渡りアホな書き込みをしているやつはこいつです。さらします。ふーむAOLか。
cache-tkp-ab05.proxy.aol.com, "Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; AOL 7.0; Windows NT 5.1)"



投稿者: 管理人    日時: 2003年01月09日 04:20 | 固定ページリンク




小林一郎 | webサイト「吉岡実の詩の世界」を開設しました


渡邊一考さま

小林一郎と申します。

吉岡実さんのご本を拝見することを通じて、
渡邊さんのお仕事を仰ぎみてまいりました。

このほど(吉岡さんの十三回忌に遅れること半年後の2002年11月末)、
念願の「吉岡実の詩の世界」というwebサイトを開きました。

http://members.jcom.home.ne.jp/ikoba/

渡邊さんの手掛けられたご本も、写真入りで紹介させていただきました。

ぜひとも、ご高覧いただきたく存じます。

限定本に関する吉岡さんとの想い出など、お伺いできればうれしく存じます。

以上、簡単ですが、ご案内とさせていただきます。



投稿者: 小林一郎    日時: 2003年01月17日 00:46 | 固定ページリンク




一考 | モルト会3

1月25日の夕6時から9時にかけて第3回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は2月22日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

1月
  アイル・オブ・ジュラ('99 パシフィック・カレドニアン)
  カリラ('91 ドナート)
  インチガワー('89 ベニーヴァ)
  インペリアル('89 マクギボン)
  グレン・キース('76 マッカーサー)
  クレイゲラヒ('84 ハート・ブラザーズ)
  コールバーン('80 ダグラス・レイン)
  グレン・オード旧ボトル(12年)※
  グレンモーレンジ(10年)※
  ミルバーン('72 ゴードン&マクファイル)

2月
  ロングロウ・ダブルマチュアード(10年)
  カードゥ(12年)
  ベンリネス('88 ゴードン&マクファイル)
  ロングモーン('90 ドナート)
  グレンゴイン(17年)
  スペイサイドもしくはドラムーイッシュ(10年)
  ブローラ('82 ゴードン&マクファイル)
  グレンタレット('90 イアン・マクロード)
  リトルミル('84 イアン・マクロード予定)



投稿者: 一考    日時: 2003年01月17日 14:40 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報13

 ダグラス・マクギボン社の豊富な樽のなかからミルロイ氏が選択するジョン・ミルロイ・セレクションが頒されました。
 今回は82年蒸留の20年ものポート・エレン、シェリー・カスク熟成、61.7度のカスク・ストレングスです。同様のジョン・ミルロイ・セレクションが過去2回頒されています。

 ポート・エレン、82年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、61.3度のカスク・ストレングス
 ポート・エレン、78年蒸留の23年もの、シェリー・カスク熟成、62.2度のカスク・ストレングス

 ちなみに、マクギボン社のプロヴァナンス・シリーズは通常43度でボトリングされます。過去のポート・エレンのボトリングは以下のごとし。なぜ紹介するかと言うに、シェリー・カスクを用いたポート・エレンでは同社のボトルは群を抜いています。
 「接着剤と含嗽剤を綯い交ぜた臭い。塩辛く鋭角なこく。舌を刺す刺激と極めてスパイシーなフィニッシュ」もしくは「押し寄せる胡椒、ヨード、海藻、鞣し革の香り。アイラ党を熱狂させるオイリーなボディとピクリング・スパイスを噛みしだくような深く長いフィニッシュ」等々、いかように著してもよろしいのですが、要はポート・エレンが持つエキセントリックな香味がシェリー・カスクでもってあらぬ方へ歪められ、想像だにしなかった新しい味わいを生むのです。
 カスク由来のヘーゼルナッツや干し葡萄、杏を思わせる香り、とろりとした甘さ、円熟したまろやかさと引き締まった芳醇なテイスト、そういったおよそポート・エレンとは相容れない筈の香味が、かつて存在しなかったベクトルを誕生させ、双方の個性を際立たせるのです。

 83年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、43度
 82年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、43度
 82年蒸留の18年もの、シェリー・カスク熟成、43度
 82年蒸留の17年もの、シェリー・カスク熟成、43度
 81年蒸留の18年もの、シェリー・カスク熟成、43度

 話序でに、勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます。前者をおたく、後者をおたくではない人と見立てます。おたくとはアイラ・モルト。おたくがおたくでなくなるその介添えが熟成に用いるカスクとするならば、カスクは自らへの懐疑であり、熟成とは情念の有り様そのものではありますまいか。薫子さんは酒を嗜みません。従って、寝酒は何時も一人で楽しみます。かかるご託を肴に飲むのも一考かと。 



投稿者: 一考    日時: 2003年01月17日 16:48 | 固定ページリンク




薫子 | (無題)

 14日朝、店主の親友が亡くなりました。まだ掲示板での告知は出来ませんが、一考はひとり喪に服しております。酒の量が増えそう・・・



投稿者: 薫子    日時: 2003年01月19日 04:25 | 固定ページリンク




paragon 石井 麻里 | 残念です。


こんにちは。

去年の秋頃、お店にお邪魔した者です。

あまりにも急な出来事で、

しばし呆然としております。


一考さんの心中お察しいたします。

またお店に伺いたいです。


パラゴン 石井麻里



投稿者: paragon 石井 麻里    日時: 2003年01月20日 10:48 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 察するにあまりありて

昨夜、一考さんの夢を見ました。寝しなにこの掲示板を読んだせゐでせうか、夢のなかの一考さんはふだんの姿とはまるで違つて悲しみにうち沈んでをられました。ご親友の死とは、言葉もありません。その方のご冥福を心よりお祈りするとともに、一考さんの悲しみの深きを思ひ、口をつぐみます。どうぞ御身大切に。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年01月20日 17:17 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 愕然とするのみ

いま新聞を開いて愕然としました。横須賀さんが亡くなつたのですね。14日と書いてありましたから、一考さんの「ご親友」とは横須賀さんのことだつたのですか。私もさらに言葉をなくします。ショックです。素晴らしい静物写真を頂いておきながら、ゆつくりお話しする機会をつひにもてませんでした。思ひ千々にみだれ、何を記してもうつろに響きます。あらためて、慎んでご冥福をお祈りするほかなすすべがないのを口惜しく思ふばかりです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年01月21日 09:27 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | (無題)

横須賀さんが亡くなられたと今日知りました。
若々しくて飄々とした横須賀さんがこんなに早く逝ってしまわれるとは思いませんでした。
自分のサイトに横須賀さんのことを記したのですが、横須賀さんと出会いお話し楽しい時間を過ごしたですぺらにも転記させていただきたいと思います。
*   *   *   *
2003年1月21日(火)
古い大きなオフィスビルにその人はいた。

机、ライティングデスク、ネガの束、三脚、ライト、カメラ、オブジェ、作りかけのオブジェ、ファイルと写真集が整理されたキャビネット。
オブジェになる前のがらくたが置かれたベランダ。
茶色い水が流れるトイレと割れた洗面台と錆びたシャワー。

その部屋は仕事場だった。住居ではなかった。

シーツも布団も枕もないベッドに腰掛け、真っ白な上等の毛布に裸でくるまって私はペットボトルからマグカップについでもらったお茶を飲む。その人はゴブレットにワインをついで飲む。
このベッドの上でこの人は眠るのだ。この部屋でこの人は眠り、身体を洗い、排泄する。しかし、これは住居ではない。そしてこの人は他に住居があるわけではない。
この人は住む家を持たない。この人は、この地上のどこにも住んではいない。

目が覚めたら世界中から生物がいなくなっていた。誰もいない街を歩き、歩き、私はこのビル街にたどり着いた。ここは人が住むための街ではない。仕事をし酒を飲む街、日曜日には誰もいなくなる街だ。そんな街にあるビルに入り込んだ私は、黒いニットキャップをかぶり、黒いセーターに仕立てのいい黒いジャケットを羽織り、黒いパンツに黒い靴を履いた痩せた背の高い男性を見つけた。私よりきっかり40歳上のその人は、このビルの一室で眠り、そのあたりの店で食べるものや飲むものを得ているのだ。

「このビル中誰もいませんね」
「いないね。この街には誰もいない」
「この街だけじゃありません。どこにも、だれもいません。からっぽの建物とからっぽの都市があるだけ」

そうだねと言ってその人はカメラを手にする。
「ここを撮っておこう」
「この部屋を? この街を?」
「この部屋にあるものを。この街にあるものを。
ここにあるものを。ただ、ここにあるものを」

私は服を脱ぐ。その人は慎重にオブジェを配置し、そしてそこに私を縦向きや横向きにして置く。
その部屋や、誰もいない廊下や階段に色々なものを置き、その人は撮った。
色々な形にされながら私は置かれ、その一部となった。

その人は夜の写真を撮っていた。誰もいない何の意味も物語性も持たない街を撮っていた。
そして「なにもないね。なにもない」と言いながら、その写真をめくるのだった。

「ね、なにもないよ」
「ええ、そうですね」

14日、脳出血で死去、65歳。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2003年01月22日 00:17 | 固定ページリンク




内田みどり | 三省堂ってしょうもない

幻的からお邪魔しました。『幻想文学』終刊に泣く内田と申します。

時期はずれで,しかも前後の文脈と離れていて申し訳ありませんが、池内恵さんって紀先生の息子さんなんですか?あらまあーー。
『論座』2003年2月号に受賞記念論文「地域研究は政策決定にどう貢献できるか」を寄稿されておられます(そういえばそこはかとなくお父様ににているようにも思われるが、才色兼備な方である。男性にはこういう言い方はしないのだろうか)。

高遠さま。三省堂神保町は本屋としてのプライドを神田川に投げ捨てちゃったみたいです。いつだったか、まじめな政治学の専門書の本棚に、トンデモ本として悪名高い『コールマン委員会』の本が混じっていたりしました(怒)。も・ち・ろ・ん、レジの兄ちゃんに教えてやっても何を言われているのか分かっておりませんでした(手提げをサービスしてくれたお返しの、なけなしの親切だったんだが)。もう三省堂では社会科学の専門書は買わない。他店に比べてそれほどセレクトがよいわけでもないと思います。

幻想文学系の店員はそれよりマシなようだったが。

一方、『書泉グランデ』では岩波ブックレットの下に宇野正美講演ビデオ(反ユダヤ主義で有名なあの方ですね)が並んでおり、嫌がらせとしか思えないとりあわせ(笑)。

それに比べると、人口40万の地方都市では売れそうにもない(すみません)水声社のラテンアメリカ文学をそろえている某書店のほうがよほど志が高いです。
サド選集もありますが一向に売れる気配なし。あまり売れなかったら,結局私が買ってたりして(笑)。



投稿者: 内田みどり    日時: 2003年01月22日 00:25 | 固定ページリンク




一考 | 安原顕さん逝く

 20日夕、安原顕さんが亡くなられました。享年63歳、死因は肺がん、通夜は25日午後6時、告別式は26日午前11時、台東区上野公園14の5寛永寺の輪王殿(03-3821-4433)です。
 12月26日に慶応病院を退院、1月15日に再入院の予定でしたが、それを潔しとせず、少し休むということで寝入ったまま、奥様と娘さんの傍で眠るように逝かれたと聞きます。
 安原さんとは古いお付き合いです。彼が海の編集に携わっていらした時からです。最初の著書を雪華社から上梓しようと画策したことも御座いました。友人のMさんが安原さんを伴って来店、対決の予定が抱き合っての歓談となり、旧交を温めたのも懐かしい想い出になりました。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月22日 19:16 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 高遠弘美さんへ
 厚かましくも夢のなかにまで参上、恐縮致しております。21日には須永さんからもお電話をいただきました。横須賀さんの若いころの写真、お子さんの写真の話などを致しました。理屈先行のちょっとやんちゃでセンチな横須賀さんが、なぜか須永さんとは意気投合なさっていました。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月22日 19:18 | 固定ページリンク




一考 | 横須賀功光さんの死

 14日朝、横須賀功光さんが亡くなられました。享年65歳、死因は脳溢血、18日に密葬。偲ぶ会は3箇月後の予定です。
 18日にルーム・エヌ・ワイの村上勝彦さんが、20日にはスティルの矢野有里子さんが来られ話し込みました。横須賀さんは10日に河岸へ出掛けられ鮟鱇を購入、その日は鮟鱇鍋を食し、11日から13日までは一人で自宅にて過ごされたとか。室内が隅々まで掃き清められていたのが切なかったと矢野さんからお伺い致しました。横須賀さんとの愉しかった晤語については近いうちに掲示板へ書かせていただきます。眷恋の人の突然の死に心は千々に乱れております。悲しみをとても言葉に託せるような状態ではないのです。昨日も増田さんが帰られたあと、ふらっと横須賀さんが店に入って来られそうな気がし、振り返り振り返りつつ2時間ほどカウンターの隅でたたずんでいました。

 石井麻里さん、書き込みを有難う御座います。何時の日かご来店頂ければ忝なく思います。20日の深夜には宮岡知子さんもいらっしゃいました。パラゴンの皆様のご心中お察し申し上げます。くれぐれもよろしくお伝え下さい。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月22日 19:25 | 固定ページリンク




一考 | 多田智満子さん逝く

 十代からお付き合い頂いた多田智満子さん死去。先週木曜日に高橋睦郎さんがその件にて来店、多田さんの話をずっとしていたのですが。相次ぐ訃報に絶句。とりあえず、読売新聞の配信を掲載させて頂きます。

 多田智満子さん(ただ・ちまこ、本名・加藤智満子=かとう・ちまこ=詩人)23日、肝不全で死去。72歳。告別式は26日正午、兵庫県芦屋市浜芦屋町4の21葬祭会館芦屋ホール。自宅は神戸市灘区篠原北町4の11の16。喪主は夫、加藤信行(のぶゆき)氏。

 ギリシャや古代中国の神話に関する豊富な知識を基に、磨き抜かれた簡潔な言葉で知的な詩の世界を構築した。1963年、仏の作家ユルスナールの小説「ハドリアヌス帝の回想」を翻訳・刊行、三島由紀夫や渋澤龍彦から絶賛された。随筆でも活躍した。80年「蓮喰いびと」で現代詩女流賞、98年「川のほとりに」で現代詩花椿賞。2001年、詩集「長い川のある國」が「時と永遠の交錯の諸相を表現した」として読売文学賞を受賞した。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月23日 15:52 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 多田智満子さんが亡くなられたのは23日の午前8時56分です。
 なお、通夜は25日午後6時より7時まで、告別式は26日正午より1時半まで、共に前記芦屋ホールで無宗教にて執り行われます。芦屋ホールの電話番号は0797-34-3232。阪神芦屋駅から南へ5分、JRの芦屋駅からですと徒歩20分です。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月23日 16:44 | 固定ページリンク




hal | 多田さんの死を悼む

多田さんの訃報に接し、一考さんと何年ぶりかで電話をしました。 稀にみる立派な分筆家を失ったことは、誠に残念です。 ご冥福をお祈りします。 (P.S このH/Pのメールアドレスがリターンメールになっています 正しいメールアドレスを教えてください)



投稿者: hal    日時: 2003年01月23日 23:57 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 天喪予

横須賀さん、安原氏に続き、多田さんまで。言葉をうしなふのみ。哀しいなんてものではありません。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年01月24日 00:16 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 halさんへ
 横須賀さんを偲んで四谷シモンさんと酒を酌み交わしていました。いま帰宅したばかりです。本当に久しぶりですね。貴方の噂は須永さんから聞き及んでおります。
 despera掲示板はhttp://ushigome.bird.to/bbs/despera.html
 小生のメールアドレスはdespera@tc5.so-net.ne.jp
以降、よろしくお願い致します。
 多田智満子さんの逝去に関しては神戸から数本の電話がありましたが、記載したとおりです。明日の朝刊には詳細が掲載されると思います。
 告別式は高橋睦郎さんと谷誠二さんが取り仕切ることになります。谷さんは小生の親友で、人文書院の編集長です。よろしくお伝え下さい。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 02:31 | 固定ページリンク




一考 | 誕生会来たれり

  一夜ですぺらで

 記憶の迷宮に影を失い
 まさぐる壁に個有の曲率で相隔てられながら
 奇怪な共振を受胎する幽閉者たちの
 再開して爆ぜ散るサバトの残り火──
 歓声の下 声を呑んで注ぐ渇いた目に
 まぎれもなくモアレに顕れる暗黙の記号──
 「日の下に新しいものはない」の伝道者の断言は
 若年の衒いが心の墓碑に銘していたが
 いま老年のとぼそをめぐらせて唱えられると
 絶望を辛うじて封じる知恵へとひびきを変え
 迷宮は迷うがうちに拓かれおえていても
 美少年の面影は
 なお礎石の上にしたたるばかり

 一昨年の二月五日、相澤啓三さんから上記の詩を頂戴致しました。「須永朝彦・渡邊一考両君の誕生祝いの宴の後に」との添え書きが付されていました。「孔雀荘の出来事」(書肆山田刊)に収録されていますのでご存じの方も多かろうと思いますが、須永朝彦さん共々目頭が熱くなるような感動を覚えました。その二月五日(水曜日)がまたやって来ました。須永朝彦さんと不肖私儀の合同誕生会を催します。午後七時より、会費は男子四千円、女子三千円です。葡萄酒、ウィスキー、さけ、ビールは潤沢に用意致します。滅びを忘れるわけには参りませんが、いとせめて、一会の切なさに身をまかせたく、ご参加賜れば幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 02:44 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報14

 阿佐ヶ谷さんへ
 先日はこちらこそ失礼しました。昨日ジャパン・インポートの方が来店、88年ものラガヴーリンの存在をお訊ねしたのですが該当品なく、UD社のペドロヒメネスのことと分かり安心しました。あのダブルマチュアードは79、80、84、86がボトリングされていますが、私には79年が美味しく感じられます。甘味に内包される雑味が少しずつひどくなって行くような気がするのですが、勘違いなのでしょうか。タリスカー同様、当店は最初のヴィンテージを置いていますが、欠点は値の張る点です。もっとも、在庫が底をつけば新しいヴィンテージを買うしかなく、売価は半額になると思います。
 4月から6月にかけて東京のインポーターから3種類のラガブーリンがボトリングされる予定です。8年ものと12年ものカスク・ストレングスと12年もの46度の計3種。すべてシングル・カスクで、スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズとアズウイゲットイット、要するにイアン・マクロードの樽をリリースするようです。3月にジャーディンさんが売り出すオフィシャルの12年ものと25年ものカスク・ストレングスもあり、ちょっとしたブームになるかもしれませんね。当店のラガブーリンの在庫は12種類にまで減ってしまい困っていました。タイムリーな企画で喜んでいます。
 なお、貴方のお名前を存じ上げないので、阿佐ヶ谷さんとしたまでで、お名前でもハンドル名でも結構ですからご教示頂けないでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 12:30 | 固定ページリンク




一考 | 恐縮ですが

 SEAさんへ
 掲示板をお読み頂きありがとうございます。
 小生は26日の告別式には出席できません。休日ですが、かねてより宴会の予約が入っています。すき焼きを楽しみに10人のお客様が集う予定です。お店を営む以上、いかなる事情があろうとも先約優先が原理原則なのです。関西の友人はみなさん参加なさる予定です。申し訳ないのですが、その旨お伝え下さればありがたく思います。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 13:21 | 固定ページリンク




Campagnolo | (無題)

相次ぐ訃報のなか、多田さんだけは、お元気になってまたいい仕事をして下さるものと信じていたので、亡くなられたと聞いても信じられません。若輩者の僕たちが未だ何も出来ないうちに本物がひとつびとつ消えて行きます。高遠さん位のレベルの方が他に十人以上いてくれたら逝ってしまった方々の遺志を少しなりとも継げるのですが。悲しみや絶望を通り越して言葉がありません。一考さん、昨夜はお仕事中なのに携帯の電池がなくなるまで長電話してしまったことをお許し下さい。営業妨害ですね。誕生日にまた何か贈ります。



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年01月24日 14:11 | 固定ページリンク




阿佐ヶ谷 | 阿佐ヶ谷です

ロクに書き込みもせず失礼致しております。阿佐ヶ谷です。 一昨日、HPに記載されていたアドレスへメールを差し上げたのですが、 書き込みの内容から察するにメールは届いていなかったようで・・・。 ラガブーリンに関する情報ありがとうございます。 ダブルマチュアドは書き込まれたとおりにて、1988ではなく大変 失礼致しました。 先日買い求めましたので飲んでみたら報告しようかと思っております。 他のページでは他にHNがあるのですが、阿佐ヶ谷というHNもなかなかに 良いかと思いますので、ここでのHNは阿佐ヶ谷としたく思います。 本名などは後日お邪魔したときにでも、もしくはメールにて。 次回は、諸事情などありましてアルティメットを飲みにお邪魔致します。



投稿者: 阿佐ヶ谷    日時: 2003年01月24日 15:09 | 固定ページリンク




一考 | 窪田般彌さん死去

 窪田般彌さんが22日に亡くなられました。死因は肺がん。享年77歳。
 早稲田大学の関係者各位により、葬儀は済まされました。治療を拒否なさり、酸素ボンベを担いで家の中を行ったり来たり、最後の二著の原稿整理から校正までを済まされての壮絶な往生だったと聞きました。
 昔コーベブックス在籍のころ、山下清澄さんや横尾龍彦さんと一緒に楽しい仕事をさせて頂きました。荻窪のご自宅での団欒、名曲喫茶ミニヨンでの晤語、西脇順三郎さんや加藤郁乎さんとの酒席などなど、憶い出が走馬燈のように巡ります。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 16:49 | 固定ページリンク




一考 | ちょっと一言

 作家、画家、写真家といった公人なら仕方がないのですが、私人への非難はいかがなものでしょうか。書店に限らず、企業がまずいことをすれば当然叩かれて然るべきなのですが、そこで働く人たちは管理職でないかぎり私人なのではないでしょうか。個人名が記されていなくとも、特定できるような書き方を私は好みません。企業、組織、団体への攻撃なら私もお手伝い致しますが、私人の場合よほどひどい発言がないかぎり許すべきですし、また、いやなら他所へ行けばよろしいのであって、それを非難したところで何もはじまりますまい。「女店員」でも触れ



投稿者: 一考    日時: 2003年01月24日 18:59 | 固定ページリンク




松友 | マリアクローチェ・ラストイベント

 やはり拙メの頃合の悪さは治し難いのやも。
こちらの掲示板では既に御存知の御方がほとんどであられますでしょうが、一応念の為。
表題、東京の地下に潜むイベントスペース「マリア・クローチェ」のラスト・イベントの告知がなされたようです。

「Arrivederci Maria Croce」
  ~さようならマリア~
日程:2003年02月08日(土)~16日(日)
時間:14:00~19:00
詳細は、URL欄のアドレスの頭に"h"を足して御覧戴ければ幸いです。演奏会も予定されている様子ですので日程の御確認など。

以上、勝手に伝聞補足でした。恐らくは差し迫る状態が現れない限りこれにて拙メによる同スペースに関する書き込みは一段落となるかと存じます故、御目汚し御容赦賜れれば幸いです。



投稿者: 松友    日時: 2003年01月24日 22:52 | 固定ページリンク




如月 | 「著者に会いたい」(朝日)

本日(26日)の朝日新聞朝刊13面の読書欄「著者に会いたい」のコーナーに
四谷シモンへのインタビューが掲載されております。みなさん、ぜひお読みくだ
さい。
「四谷シモン――人形愛」サイトhttp://www.simon-yotsuya.net/掲示板で、
インタビューや本(「人形作家」)の感想もお待ちしてま~す♪



投稿者: 如月    日時: 2003年01月26日 09:27 | 固定ページリンク




如月 | 大月雄二郎さんの展覧会

23日に亡くなった多田智満子さんのお話をしようと、翌日desperaに行ったと
ころ、四谷シモンの状況劇場時代からの友人でパリで活躍する画家・大月雄二郎
さんにばったり会い、2月の展覧会のお話を伺いました。今回の展覧会は「キネ
マの月」というタイトルで稲垣足穂に捧げるものとのこと。渋谷Bunkamuraでの
展覧会、ぜひ足を運んでみてください。
   *   *   *
展覧会会期 2月4日(火)~2月12日(水)
会場 Bunkamura Gallery
http://www.bunkamura.co.jp
   *   *   *
「かつて、ハレー彗星が地球に大接近した時、ぼくもタルホ星雲に少しでも近づ
こうと、銅版画集「一千一秒物語」を神戸玻璃館から出版した。そして17年が
過ぎた…ゼンマイのもどける気配がして、パチンと何かが弾ける音がしたと思っ
たら、懐かしい「Modern Fairly Tales」をふたたび絵の具でなぞっている自
分に気がついて、めまいを覚えた。一千一秒。星のまたたきにも似た「地上の想
い出」をこんどは油彩の紙芝居に仕立てて、童話の天文学者タルホ・イナガキに
捧げようと思う」(大月雄二郎さん――展覧会の案内状より)
   *   *   *
ちなみに、四谷シモンの「人形作家」のなか(97~100ページ)に書いてあ
る、状況劇場と寺山修司さんの天井桟敷の<乱闘事件>の際に、同じ車で逃げよ
うとして四谷シモンと一緒につかまったのは大月さんだったとのこと!



投稿者: 如月    日時: 2003年01月26日 10:02 | 固定ページリンク




hal | 多田智満子さん告別式

告別式は芦屋ホールで1月26日12時から執り行われました。
高橋睦郎さんの司会進行で行われ、黙祷から始まり、故人の紹介
友人からの弔電朗読、故人作 謡曲 「乙女山姥」の流れるなか
幼年期から晩年に至るスライドが映写され、献花へ。
句集 風のかたみ、年譜、謡曲 「乙女山姥」の小冊子をいただきました。
簡素な中に厳かな別れの儀式でした。
 「草の背を乗り継ぐ風の行方かな」  句集 風のかたみ から
ご冥福をお祈りいたします。



投稿者: hal    日時: 2003年01月26日 14:55 | 固定ページリンク




如月 | 「慈円」の項をアップ

小サイトの「院政期社会の言語構造を探る」のコーナーに、「慈円」の項をアッ
プ致しました。
http://www.furugosho.com/vertige/inseiki/jien.htm
これは、瞬時に和歌を詠む「速詠」や作品を子供に仮託するなど、和歌における
無意識的記述を重視するダダイストとしての慈円の側面を強調したもので、それ
なりにユニークな論考になっているかと自負しております。歴史そのものにはあ
まり興味がないという方も、ぜひアクセスしてみてください♪
(歴史の論考としてみれば、ユニークであればいいとは言えないとは思いますが…。)



投稿者: 如月    日時: 2003年01月27日 01:08 | 固定ページリンク




一考 | 寄贈御礼

 年末にまた貴重な書冊を恵まれました。白石かずこさんの「浮遊する母、都市」、中堂高志さんの「菜の花句集」、川崎洋さんの「旅ゆけば」、種村季弘さんの翻訳「科学の結婚」、到津伸子さんの「不眠の都市」の四著訳書です。
 到津伸子さんは池田満寿夫さんの映画「エーゲ海に捧ぐ」に出演されていますが、著名な画家でもあります。77年パリでの展覧会を皮切りに、82年ジョルジュ・バタイユ生誕百年展招待出品、また海上さんの斡旋でUNAC・TOKYOと西武渋谷店全館及び同ギャラリーで個展が催されたのでご存じの方も多かろうと思います。画文集も上梓されていますが、本書ははじめてのエッセイ集です。はじめてお会いしたのは82年、大月雄二郎さんの紹介でした。山本六三さんと会われたあと、明石市太寺3丁目の拙宅へ来られたと記憶します。即興で題扉へ描かれた猫の画と「神戸のことも書いたのですよ」とのお言葉を添えて頂戴したのですが、随分と味のある記憶の物語(モザイク)を構築なさったと驚いています。横須賀さんも到津さんの能動的ニヒリズムを讃美なさっておられました。版元は講談社、定価は2500円、お薦めの一本です。
 昨年も百冊を超える書物の寄贈に与りました。心のなかで涙し、感謝致しております。ありがとう御座いました。

 岩波文庫から上梓された種村季弘さんの「詐欺師の楽園」と森銑三さんの「おらんだ正月」を頂戴、架蔵させていただきました。「新橋の狸先生」「明治人物夜話」「俳諧博物誌」「団扇の画」等々、小出昌洋さんの編集になる森銑三本の上梓が続きます。小出さんは森銑三さんの弟子で、吉川弘文館の「日本随筆大成」全巻を編集なさった方です。大阪の肥田晧三さん(「上方学芸史叢攷」青裳堂書店刊「上方風雅信」人文書院刊など有り)と共に碩学として書誌学者としてもっとも尊敬しています。それにしても、書誌学者に甘党や下戸が多いのはなぜなのでしょう。肥田さんも饅頭や羊羹の食べ過ぎでほとんどの歯が抜け落ちています。
 88年に研文社から森銑三さんの「書物の周囲」を上梓しました。小出さんとの愉快な編集の日々が憶い起こされます。また、野溝七生子さんが新橋の第一ホテルを栖になさっていた頃、何度か一緒にお会いしました。あの頃は私もスマートでいまよりはお洒落だったのですが。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月27日 12:14 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 Campagnoloさんへ
 「誕生日にまた何か贈ります」とやら、かかる気遣いは一切無用にて、よろしくお願い申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月27日 12:16 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 阿佐ヶ谷さんへ
 諒解致しました。阿佐ヶ谷さんで参りましょう。
 酒肴あり、文学あり、車あり、人形あり、映画ありで、屋号の「ですぺら」に相応しい節操のない掲示板です。要するに、なんらの趣旨をも持たない掲示板なのです。
 それにしましても、貴方の日本酒に関する知識には驚かされました。もっとも、それだけではありますまいが。ひとつ今後ともよろしくお願い致します。
 モルト会ご出席ありがとう御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月27日 12:19 | 固定ページリンク




一考 | 大月雄二郎展

 如月さんへ
 大月雄二郎展の御紹介ありがとうございます。本来なら私が書き込まねばならないところ、恐縮です。例の渋谷の<乱闘事件>のあと、花道を駆け抜けた大月さんはそのままパリへ逐電、状況劇場の新たな伝説を拵えました。1971年12月のことでした。出奔の証人に、とでも考えたのでしょうか、大月さんに呼び出された私はあの前後の一箇月を東京で過ごしました。四谷シモンさんとはじめてお会いしたのも少女都市の初日、大変な騒動に巻き込まれてしまいました。
 23日に大月さんと一緒に来られた方は、昨年2月横須賀さんが二度目に来店なさったときのお連れさんです。世のなかの仕組みとはよく判らぬものですね。
 大月さんが関西学院大学在学中の1967年の2月、彼の紹介でI田耕作と出会いました。その大月さんは山本六三さんの紹介で知ったのです。当時はみんな若く、いい人たちでした。

 大月雄二郎展のオープニング・レセプションを紹介させて頂きます。
 日時:2月4日(火曜)の18時から19時30分
 会場:Bunkamura(渋谷東急本店横)一階メインロビーフロア
 お問い合わせ:03-3477-9174
 当日は会場に大月さんも来場。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月27日 16:05 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 Halさんへ
 ご苦労さまでした。「草の背を乗り継ぐ風の行方かな」いい句ですね。Y川さんや加藤郁乎さんと篠原北町のお宅へ伺ったときのことを思い出しております。せっかく多田さんが用意なさったキューバ産の葉巻を酔っ払った郁乎さんがくちゃくちゃにしてしまい、ひんしゅくを買いました。あれ以来、ひとに葉巻を勧めるときは包装を解いてから勧めるようにしています。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月27日 16:06 | 固定ページリンク




Campagnolo | HARIKAN主人

ここのところ。知人に関する記事が連続して投稿されているので、僕も何か書いておかないといけないような気になりました。                Halさん 多田さんの告別式で同席だったんですね。面識がないものですから、失礼しました。睦郎さんの見事な司会進行で個人の意思通り「簡素にして典雅な清々しい式」でしたね。「私の骨は薔薇で飾られるだろう」という「薔薇宇宙」の言葉のまま、白い薔薇を一輪、一考さんの分も献花いたしました。棘に気をつけてという睦郎さんの言に反してちゃんと棘は全部抜かれていたところが多田さんらしいですね。式場で澁澤龍子さんを見つけて挨拶したら「会うのはいつもお葬式ね。」と言われた後、二人とも無言になってしまいました。ずっと流れていた宗家観世清和氏の謡には偶然持っていた大鼓を打ちたくなってしまいました。一考さんの書かれた篠原北町4丁目のご自宅は3丁目生まれの僕にとって歩いてすぐの所。因みにその間に朝比奈隆さんの家があります。小学生だった僕にとって、素敵なおねえさまとおじさまでした。お手伝いさんはいたけれど買い物は初代マツダキャロル360に優雅に乗って近所の市場によく来ていらっしゃいました。お使いに来ている僕が荷物を彼女の車まで持っていく代わりに上り坂を家の近くまでよく送ってもらったものです。命日は「風草忌」と高橋氏の案で名づけられたんでしたよね。                                 如月さん  雄二郎と状況の時からお知り合いですか。どこかでお会いしているかもしれませんね。彼とは上記の2丁目にあった子供絵画教室の同窓生なんです。山本六三、渡邊一考、大月雄二郎・・・・・悪友ばかりですが、彼らから学んだことは計り知れません。BUNKAMURAでお会いできれば幸甚です。                                 一考さん  伸子の新著も紹介してくれて自分のことのようにうれしく思います。ロボット工場に連れて行った時の事を書いてくれていますが、余り見ることの出来ない風景なんできっと印象に残ったんでしょうね。「不眠の都市」もう少し平易な日本語を使えば、もっと売れるだろうにね。彼らの話をするときりがないので、今夜はこの辺で切り上げます。     



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年01月28日 02:07 | 固定ページリンク




Campagnolo | 火星人

「火星人」多田智満子さんの病床での辞世の句は睦郎さんによれば「夏痩せやすこしふへたる死のおもひ」だとか。睦郎さんの編集になる「風のたより」に収録していないところを見ると、偶成なんで収録しなかったんでしょう。Halさんが紹介された最後の方が秀句ですね。          一考さん 種さんの新刊で「科学の結婚」ってありましたがJ.V.Andreaeの「化学の結婚」の間違いですよね。別のものが出たのかと、慌ててしらべましたら新装版が出たんですね。改訳増補とかありませんでしたか。種村先生の授業ではこれもテキストのひとつでした。同氏の著書が岩波文庫に収録とは存じませんでした。                                                                如月さんが紹介してくれた雄二郎の「ハレー彗星云々」の文章はパリと日本とメールのやり取りを幾度もして、二人で作ったんですが、若い時以上にわがままな彼は僕の言うことをなかなか聞き入れないし、僕も頑固なもんだから中途半端なものになってしまいました。ああやってパンフレットになって読むと出来が悪いね。文章には人一倍うるさい一考さんには見せたくなかった。雄二郎らしい文には違いないので、ご寛容のほどを。        



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年01月28日 13:00 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

中島さんへ
闖入者大歓迎です。掲示板の方へ書き込んでいただいて結構だったのですが。
ルネ・ヴィヴィアンについては了解致しました。白鳥友彦さんの連絡先はメールにてご連絡致します。『月と奇人』は訳者白鳥さんの搏動を窺い知るにたる、昨今希にみる撰れた訳詩集です。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月29日 14:39 | 固定ページリンク




一考 | 残日を指折りかぞえて

 六十五歳と五十五歳、共に、おそらく、生まれてはじめての熱いバトルを繰り返しました。青春を謳歌したのです。「生きていてよかったね」とふたりで独り言ちながら。

 あなたが現れたのは昨年の二月の八日。少年期に得られなかった欠けたピースを探し求める目つき、ひとの迷惑も顧みずがぶり寄ってゆく貪欲な好奇心。なにを言っても「知ってるよ」「それも知っています」いかように言葉を返そうが「すべて分かってるよ」と畳み込んでくる居丈高な物言い。身勝手、我がまま、傲慢、不遜の権化のような顔をしてあなたは私の前に現われました。でも、ひとを喰ったあなたの眼差しは私にとっては遠い日の懐かしい眼差し、少年の頃のせつなさ、はじめてめぐり会ったときの爽やかさのままに、私はもうひとりの私と出会ったのです。
 相手を傷つけまいとする遠慮もしくは自らの立場という力関係を信じ、話は一方通行に終始し対話になることは滅多にありません。いわんや、傍若無人な言葉のキャッチボールなどしたくても出来ないのが世の常なのです。ところがあなたは断じて原理原則を曲げず、壮絶な虚無感に裏打ちされたセンチメンタリズムを振りかざして挑んできたのです。
 ひとがたまらなく好き、だからこそひとを拒否する。でも拒否するのはあなたではなく、それを選択するのはいつも相手側だったのです。「あっそう、なにも分かっちゃないね」とのあなたのさびしげな口癖がすべてを物語っています。あなたの口をついてでるノンは非難や排撃といった能動的なものではなく、言葉のゲームが出来ないことへの失意だったのです。「分かっちゃないね」とはひとの白々しさに逢着したときの自らへの絶望。見果てぬ夢を、友を捜して、あなたも私も共に繰り返してきたのですよ、数十年のあいだ。
 「勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます」あなたとのあいだで繰り返されたテーマのひとつでした。まず出逢いがあって、BはAとの同化を願います。自己解体がBのなかで繰り返されます。その解体によってBは「相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプ」を撰び取り、他方Aは否応もなく、勉めてAであることを強いられます。もちろん、それを強いるのはBということになります。友という眷恋の情が、ひとを慕い募るこころがひとをあやめる。塚本邦雄の「感幻楽」に「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」との句がありますが、真に親しく接するとは互いの身を絶巓に押しやり、ときとして奈落の底へと背を衝くことになりかねないのです。友とはそして愛とは残酷なものです。かつて掲示板で「自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨ててゆくのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別」と著したのにはあなたがご指摘なさったとおりの事情が秘められていたのです。互いが互いを敬い、思慕するがゆえに、精神的には引き裂かれて行く。その距離に絶望を、あまりもの怖ろしさを感じたとき、BはAの元を去るしかないのです。もちろん、Aの精神の躍動を跳梁を願っての行為であり、Bにとっては一種の自傷行為のようなものなのです。だって、そのことによってBは恋人を、もう一人の自分を失うのですから。
 でも、あなたの場合はすべてが異なりました。議論の時のあなたの過剰なまでの方法論、「固着した精神や趣味性を呪い続けた瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想」スポイルド・チャイルド世代固有の自己疎外を意に介せず、「人は終生変わらない」という精神の荒野を躊躇なく踏みにじり、ひとの立場と称するところのすべて、すなわち権威や権力を逆に恫喝してやまなかったのですよ、あなたは。前日、私から剥ぎ取り刮げ落とし簒奪したばかり文言を、今日はみずからの武器として用いる。ひとはなにものにでも為り変る、それ以上の個性がこの世にあったでしょうか。「間断なく繰り返される解体を伴わないかかわりなど、毒にも薬にもなりませんよ」あなたと私はいつのまにか完全な入れ子になってしまったようです。
 あなたはひとの弱味に付け入り、いかに相手を傷つけるかに心血を注ぎました。でも、それを加虐趣味と解釈するのは間違いです。「傷つけられて怒るのは結構だが、怒りに身を震わす自分をあんたは信じているのかね、たわいない存在だねえ」「第一、言葉で傷つくなんて本当かねえ、もう少し自分に正直になれば」との独り言が聞こえてきます。それこそ怒っているのはあなたなのであって「人なんて取るに足らない存在なんだよ」ということを知らしめたい。否、知らしめる必要すらなくて、当たり前のことを当たり前として認識した人とのみ言葉の逢瀬を楽しみたい、ひとの言葉で傷つくような嘘つきの輩に興味はない、というのがあなたの真意であり、曲げることのできない原理原則だったのです。
 「明晰さといっても、いろんな種類の明晰さがあります」などと迂闊に口を滑らそうものなら、大層な反撃を喰らいました。「おもしろいじゃないの、どういう種類があるの、そこを詳しく」。ひとと議論をするときは事前に逃げ道を拵えておくのが常道です。しかし、あなたはそれではゲームにならないと怒りました。宇野邦一さんが「かくまでナイーヴなひとは珍しいね」と一言。そこいらからすでにゲームははじめられているのです。
 糅てて加えて、あなたは私が掲示板に書き散らかした雑文のすべてを対象に論戦を挑んできました。「主要な部分はすべて一人の男のために著されている」と、なにもかもがお見通しでした。双方の論理回路を接続するのに四箇月ほどかかりましたね。それからあとはメタフィジカルな禅問答でした。週のうち最低三日、いや毎日いらしたこともしょっちゅうでした。あなたが見えられたときは朝まで生テレビの有様でした。薫子さんに「いつも遅くなって申し訳ない。でも、今だけだから」そう、分かっていましたよ「今だけ」なのは。あなたは病気を顧みず毎日刺身包丁で魚を下ろしていましたね。あなたは命がけで生きていたのです、残日を指折りかぞえながら。死臭と腐臭を漂わせながら命がけで突っ立っていたのです。だからこそ、私も持てるすべてのエネルギーを傾注したのです。共に、おそらく、生まれてはじめての言葉のゲームのために。
 あなたが写真家であろうが、あなたが仰るように私が思索者であろうが、そんなものはかりそめの装い、個として生まれ、個として生き、個として死んで行くのです。互いの実績など無視しあいましたね。だって、「今だけ」だったのですから。バランス感覚など洒落臭いものをあなたはせせら嗤っていました。生き延びたことに対する唯一の良心は自己欺瞞だけ、あなたは横須賀功光という渦中を濃密に生きたのです。
 私が「今日は私の負けですね」、あなたは「ここのところ二連敗だったからね」と返す。「そっちへ振りますか」「それは想定外だなあ」「さて困った」「今日は用意してきましたからね」ひとを追い詰め追い込んでゆくときの張り詰めた雰囲気、そんなときのあなたの顔は輝いていました。どちらが勝とうが負けようが、横須賀さん、愉しかったね、嬉しかったね、仕合わせだったね。すべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。一ツ木通りでどちらからともなく別れ際に交わされた一言「生きていてよかったね」

 あなたもわたしも極端なワイン好き、彼の地で愉しむ酒は限られます。やはり遅摘みのグルナッシュ種ですか。さればルーションのモーリかバニュルス。あなたのことだ、きっとバニュルス・グラン・クリュの四十七年、ペッパーやシナモンのスパイシーな香りがシガーに合いますよね。なんですって、彼の地にあってもひとを煙に巻くんですって。大丈夫、私もじきに追いかけますからね。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月29日 14:42 | 固定ページリンク




松友 | TERAYAMA RETROSPECTIVE 2003 IN PARCO

表題、既にお含み置き願えている事と存じますが、念の為。以下、フライアーより抜粋他、敬称略。

◇寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年記念映画祭◇
『幻想と詩とエロチシズムの寺山修司◎映像詩展』

日程:2003年3月19日(水)~23日(日)
劇場:PARCO劇場(渋谷パルコパート1・9F)
料金:税込み
前売り1回券\1,500.-/3回券\3,900.-
フリーパス寺山お面券\10,000.-(限定100枚シネクイントのみ扱い)
プレミアムシート券\2,800.-(指定席・1プログラム限定36枚、チケットぴあのみで前日まで)
当日1回券\1,700.-/3回券\4,500.-/学生\1,500.-/小人・シニア\1,000.-
内容補:多数の映像作品を残した氏の足跡を辿る事が出来る企画な由。22作品を11プログラムで一日5プログラムを上映。各回完全入れ替え制、整理券による。毎18:00(23日は19:00)開始の回は上映前にスペシャルトークもあり。著名な作品は数回上映されるようですが、特に観る機会の少ないと思われる「涙を獅子のたて髪に」は3月19日(水)のみ。この機会に一気に網羅してしまおうという向きにはフリーパス寺山お面券がお得。

◇寺山修司没後20年パルコ劇場30周年記念関連企画◇
「寺山修司と天井桟敷の全ポスター展」
演劇実験室◎天井桟敷の宣伝美術の全貌

日程:2003年3月28日(金)~4月14日(月)
会場:ロゴスギャラリー(渋谷パルコパート1・B1)
内容補:今回はあまり普段目にする機会の少ない海外公演時のものも含まれるということですので、興味のある向きは必見かと。

◇寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年記念公演◇
魔術音楽劇「青ひげ公の城」

日程:2003年3月28日(金)~4月17日(木)
劇場:PARCO劇場
入場料:\7,500.-(全席指定・税込み)、2月8日(土)一般前売開始
チケット取り扱い:イープラス(eee.eplus.co.jp)、チケットぴあ(03-5237-9966[Pコード323-860])ローソンチケット、CNプレイガイド
出演:三上博史(823年映画「草迷宮」にてデビュー)、荻野目慶子、秋山菜津子、河原雅彦、ほか。
台本・詞:寺山修司
演出・音楽:J.A.シーザー
内容補:ペローの童話やバルトークのオペラにもなった、中世フランスの妻をめとっては殺害したという伝説がモチーフ。1979年、当時の西武劇場にて初演。元天井桟敷の面々に新スタッフ、キャストを交え復活公演の由。

~以上です~

さて、同じ文面にて御容赦を。

一考様

「死にも生きも 同じ心と 結びてし 友や違はむ 我も寄りなむ」

とまでは。



投稿者: 松友    日時: 2003年01月30日 18:38 | 固定ページリンク




如月 | 大月さんと如月

Campagnoloさん、こんにちは。
拙掲示板の対応に追われ、なかなかRESできなくてごめんなさい。
大月さんと私とは、四谷シモンをとおした知り合いで、2001年のパリ旅行の
時が初の面識かもしれません。↓写真は、私が撮影したものです。
http://www.simon-yotsuya.net/profil/pari.html
きっかけはなんであれ、今度ぜひお会いしたいですね。
ただし、大月さんのオープニングは、アルバイトと重なるため伺えそうにありま
せん。また、2月5日のW誕生会も、アルバイト終了後伺う予定で、12時近く
になりそうです。
(本文を打ち終わってからこのスレッドのタイトルを入れたら、大月さんと私と
は「月」が重なるんですね♪)



投稿者: 如月    日時: 2003年01月31日 00:17 | 固定ページリンク




一考 | 種村季弘さんの新刊

 種村季弘さんの翻訳「ビリッヒ博士の最期」リヒャルト・ヒュルゼンベック著が未知谷から上梓されました。安原顕さんが編輯なさっていた海へ掲げられたものです。かつて雪華社から本にしようかと話していた一本です。上梓なされた未知谷の飯島徹さんに大感謝。同じ著者の「ダダ大全」鈴木芳子訳も未知谷から刊行されています。併せてよろしくお願い致します。
 種村さんには他にもパウル・シェーアバルトの翻訳(「小遊星物語」のみ既刊)をはじめ、独逸のモダニズム文学の翻訳で活字になっていないものがまだ8冊もございます。上梓されんことを待ち望んでおります。

発行所 未知谷 千代田区猿楽町2丁目5-9 電話03-5281-3751



投稿者: 一考    日時: 2003年01月31日 19:41 | 固定ページリンク




一考 | 寺山修司◎映像詩展

 松友さん御紹介ありがとうございます。
 今回の寺山修司映像作品一挙上映は4年ぶりの企画です。ポスターハリス・カンパニーの笹目さんの尽力に負うところ大です。併催されます「寺山修司と天井桟敷の全ポスター展」は必ずお目通しいただきたく思います。「青ひげ公の城」の練習は一ツ木通りの旧TBS会館で行われます。役者さんがですぺらへもいらっしゃるそうです。
 チラシを多数店に用意しておりますので、詳細をお知りになりたい方はどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月31日 19:44 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 如月さんへ
 2月4日の大月さんのオープニングには私も伺えそうにありません。日曜日に行くつもりです。
2月5日のW誕生会はいくら遅くなられても結構です。必ずいらして下さい。
 掲示板上でもなんどかご指摘を受けましたが、Campagnoloさんは事実関係を大事になさる方のようです。でも、夢と現実とのあいだに境界線を引くことは私には出来ません。というよりは、事実に重きを置かず、虚構を楽しもうとの性癖が強いようです。あなたが歴史の世界で翼を得て遊ばれていらっしゃるように、私は印象だけで現世と戯れたいと常日頃より願っているのです。

 須永朝彦さんの誕生会の受付をどなたかにお願いしたいと思っています。こころあたりがございません。松友さんはいかがでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月31日 19:51 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 横須賀安里さんがですぺらへいらっしゃいました。横須賀功光さんの最期を詳しくお聴きしました。もっとも悲しいのはあなたなのです。それにもかかわらず、私が泣いてしまいました。おのが不明を恥じ入っております、深くお詫びいたします。
 横須賀功光さんの作品は多岐にわたります。本業の広告写真、発表することなく撮り続けられた自らへの問いかけともなる作品、そのなかにはピエール・ルイスが好んで用いた一群のプラチナプリントも含まれます。山口小夜子さんを被写体に撮られた一連の未発表写真もあります。そうした作品が上梓され、私たちの精神の糧になりますよう願わずにはいられません。
 生前、と書いてはたと困惑いたします。亡くなられたのはつい半月ほど前のこと。でも、私のなかではあれから随分永い歳月が経巡ったような気がするのです。その年月に反比例するかのごとく、横須賀功光さんの存在は私のなかで濃密に、より確たるものに変化して行きます。夜ごと対話は繰り返されます。あの自由闊達な、傍若無人な語り部が枕元を訪れます。「そう、そのとおりなのよ。でもね・・・」朗らかな笑顔、すずしげな眼差しでからだを押しつけてくるのです。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月31日 20:54 | 固定ページリンク




松友 | オーダー、承りました

至らない面が多々あるかとは存じますが御容赦を。



投稿者: 松友    日時: 2003年02月01日 20:43 | 固定ページリンク




りき | 秋吉巒遺作展のお知らせ。

ご無沙汰しています。

銀座の青木画廊で以下の日程で、題記のイベントがあります。

日時:2003/2/10~2/22
月~金:AM10:30~PM6:30
    日祭:12:00~18:00(会期中無休)

場所:銀座 青木画廊
http://www2.tky.3web.ne.jp/~aokigaro/

油彩・水彩・鉛筆35点です。

なかなか実物をみることができない作家さんです。

是非。


   



投稿者: りき    日時: 2003年02月02日 00:56 | 固定ページリンク




hal | 祝 誕生日

須永さん、一考さん、誕生日おめでとうございます。
神戸から、<あい>をこめて。。。
ご一緒できなくて残念です。



投稿者: hal    日時: 2003年02月05日 22:46 | 固定ページリンク




薫子 | 誕生会の御礼

 2月5日の須永朝彦さんと一考の誕生会にお越し下さった皆様、ありがとうございました。
一考がお礼を申し上げなければならないところなのですが、いつものように飲んだくれて鼾かいておりますので、代わりにご挨拶させていただきます。大勢の方にご参加頂き、賑やかな楽しい会になりました。寒い廊下での受付を引き受けてくださった松友さん、いつの間にかカウンターの中でお手伝いさせてしまっていたCさん、感謝、感謝です。普段はヒマな店なもので、あのような時には手際が悪くて申し訳ありませんでした。
 須永さんは近々パソコンに挑戦されるそうですので、掲示板への書き込みも、もうすぐ!・・・かも。
店主は・・・年内にはウィスキーの本を仕上げましょうね。



投稿者: 薫子    日時: 2003年02月07日 05:23 | 固定ページリンク




一考 | 掲示板の行く末

 管理人さんへ
 「そう遠くない時点で引っ越ししなければなりませんが、容量的に考えて」とのことですが、ですぺら掲示板の過去ログを抹消するのはいかがなものでしょうか。ひとさまのことは分かりませんが、私にとってすべては移ろい、過ぎ去るもの、掲示板とは「日々の泡」のようなものと心得ております。
 すくなくとも私の書き込みに関してはちゃらんぽらんであることへの疎明に終始し、とても内容のあるものとは申せません。あえて資料と申せばモルト・ウィスキーに関する書き込みでしょうが、それは当方にコピーあり、希望に即しメールで送ることも可能です。
 かくあらねばならないとの意見はなく、すべては管理人さんの考えひとつですが、過去を引きずる掲示板というものに、なにやら釈然としないものを感じます。よりさり気なく、さらに消え入るような風情に私などは惹かれるのですが。



投稿者: 一考    日時: 2003年02月07日 14:22 | 固定ページリンク




りき | ついに開催!!ムットーニさんの新作上演会。

もう一度告知させてください。
ついに、大作「カンターテドミノ」を見ることができます。

タイトル  ムットーニの部屋【ナイトビジターたちの競演】

★会期  2003年2月6日(木)~26日(水) ※2月20日(木)休業
     10:00~21:00(但し、最終日は17:00に閉店)

★会場  ロゴスギャラリー(渋谷パルコパート1 B1)
     東京都渋谷区宇田川町15-1 〒150-0042
     【?】03-3496-1287

★内容 ◆ 自動からくり人形師ムットーニこと武藤政彦による新作約10点の展示
      ・「カンターテ・ドミノ」
      ・「アクア・プラネット」
      ・「カプセル・エンジェル」
      ・「サテライト・キャバレー」
      ・「にわとり男」    他。
        ※CD内蔵大型タイプから小型オルゴールタイプまで出展予定。
    ◆ ムットーニBOX・CGプリント・書籍・缶バッチ等の販売
    ◆ ムットーニ本人の口上による上演会の開催
      ・日程  2月/7日(金)8日(土)9日(日)11日(火・祝)14日(金)
             15日(土)16日(日)21日(金)22日(土)23日(日)
             ↑日程の各日4回の上演があります
              ①14:00~ ②15:30~ ③17:00~ ④18:30~
      ・上演時間  約30~40分  *但し、ムットーニ氏の興がのれば延長あり
      ・参加方法  入場無料。会期初日よりロゴスギャラリー内で整理券配布
              <各回とも整理券をお持ちの方が優先となります>
      ・1回の定員 約30名

なお、上演会は、一人2講演、一度に3枚までの制限つきでの
整理券配布となります。

今回は絶対にみにいったほうがいいです。
損します。はい。



投稿者: りき    日時: 2003年02月08日 08:17 | 固定ページリンク




北爪満喜 | 遊びにいらしてください

一考様。はじめまして。北爪満喜です。 詩集をお読み下さってありがとうございます。 ぜひホームページへ遊びにいらしてください。



投稿者: 北爪満喜    日時: 2003年02月09日 23:24 | 固定ページリンク




管理人 | ご心配なく


一考さん
 掲示板の容量については、ご心配なく。
 ハードディスクと同じく、プロバイダの提供する容量はどんどん大きくなっておりますから。
 適宜、引っ越しすることはインターネットの世界ではよくあることです。
 きちんと告知さえすれば読者が迷うことはないと推測しています。
 掲示板のあり方についてはこれは別問題です。
 昔のログを消す方がめんどうなので、これは私としては御免蒙りたいです。
 ごそっと全てダウンロードして、ごそっと引っ越し先にアップロードする方が簡単なのです。
 「日々のうたかた」には関心がないという一考さんの考え方は理解できますが。



投稿者: 管理人    日時: 2003年02月10日 00:34 | 固定ページリンク




一考 | モルト情報15

 モルト・ウィスキーは生産地域によって固有の香味を持ちます。その香味の違いを気軽にお愉しみいただくためにハーフ・ショットのお薦めコースをいくとおりか拵えました。当店はインデペンデント・ボトラー(独立瓶詰業者)のボトルに力を入れています、にもかかわらず、ディスティラリー・ボトルを中心に編んだのには理由が御座います。お客さんが酒屋で入手しやすいボトルから味わって頂きたいと思ったからなのです。それぞれの蒸留所の基本的な香味を領解なさったあとは、インデペンデント・ボトラーのシングル・カスクやリミテッド・エディションの世界に遊ばれんことを願います。

「モルトの地域差を知る」2400円
 タリスカー10年、ラガヴーリン16年、クラガンモア12年、オーバン14年、ダルウィニー15年、グレンキンチー10年。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のクラシック・モルト・シリーズを味わっていただきます。ひとつとして同じものはないといわれるモルト・ウィスキーの間口のひろさと奥行きがお分かりいただけます。

「アイラ・モルトを知る」2800円
 アードベッグ10年、カリラ12年、ブルイックラディ10年、ポート・エレン19年(ゴードン&マクファイル)、ボウモア12年、ラフロイグ10年。
 アイラ島には8つの蒸留所があり、すべての蒸留所が海辺に面しています。潮、海風、海藻の香などと表現される独特のヨード臭とスモーキーな味わいはそこからもたらされます。いちど診療所の臭いに魅せられた人は抜けられなくなります。

「アイランズ&キャンベルタウン・モルトを知る」2500円
 アイル・オブ・ジュラ10年、スキャパ12年、レダイク・ピート、ハイランド・パーク12年、グレン・スコシア14年、スプリングバンク10年。
 本コースの生産地域には共通の香味といったものはありません。島育ちとの地理的共通項を持つモルトにキンタイア半島のキャンベルタウン・モルトを取って付けたものです。塩辛いなかにも豊かな香りとこくを持つモルト・ウィスキーが多く見受けられます。

「スペイサイド・モルトを知る1」2400円
 アベラワー10年、グレンキース10年、グレンダラン8年、グレン・マレイ・シャルドネ、グレンロセス10年、ストラスアイラ12年。
 西洋梨ヤ林檎、オレンジ、檸檬などの香が強く、優雅な味わいのモルト・ウィスキーを選びました。スペイサイドの華やかな果実香とスムースなフィニッシュをお楽しみください。

「スペイサイド・モルトを知る2」2400円
 オスロスク10年、グレンファークラス10年、ノッカンドオ12年、マッカラン12年、バルヴィニー12年、ロングモーン15年。
 完熟果実の香りで知られるスペイサイドのなかから、比較的甘味をおさえた個性的なモルトを選びました。グレンファークラスのオイリーな味わいやロングモーンのスパイシーなフィニッシュをお楽しみください。

「ハイランド・モルトを知る」2400円
 エドラダワー10年、クライヌリッシュ14年、グレンモーレンジ10年、タリバーディン10年、フェッターケアン12年、ロイヤル・ロッホナガー12年。
 広範囲におよぶため、香味の特色をひとことで表現するのは難しいのですが、大麦麦芽(モルト)が持つシャープな甘味と木の実をすりつぶしたようなナッティーな香りを持つモルト・ウィスキーが多く見受けられます。



投稿者: 一考    日時: 2003年02月14日 13:15 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会

2月22日の夕6時から9時にかけて第4回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は3月22日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。今回はロングロウ、ロッホデュー、グレンゴイン、ノッカンドオ、ドラムーイッシュが入りますので、ディスティラーズ・ボトルが多くなります。

2月
  スプリング・バンク,('90 キングスバリー)
  ロングロウ,('92)※
  カードゥ,(12年)※
  ベンリネス,('88 ゴードン&マクファイル)
  ロングモーン,('90 ドナート)
  ロッホデュー,(10年)※
  グレンゴイン,(17年)※
  グレンタレット,('90 イアン・マクロード)
  ブローラ,('82 ゴードン&マクファイル)
  リトルミル,('84 イアン・マクロード)
3月
  ポート・エレン,('80 ゴードン&マクファイル)
  クラガンモア,('90 マクデヴィッド)
  グレンリヴェット,('75 マキロップ)
  ストラスアイラ,('90 マクギボン)
  ノッカンドオ,(12年)※
  グレングラッサ,('83 ゴードン&マクファイル)
  ドラムーイッシュ,(10年)※
  フェッターケアン,('92 マッカーサー
  ロイヤル・ブラックラ,('94 マクギボン)
  セント・マグデラン,('81 ゴードン&マクファイル)



投稿者: 一考    日時: 2003年02月14日 13:16 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介14

 一月は予期せぬできごとがあり、シングル・モルトの紹介をかまけました。取り敢えずリストだけでも載せておこうと思います。また、モルト情報とボトル紹介の分別がうまくなされていませんでした。メールを頂戴した方にお詫び致します。

 ダンカン・テイラー社のピアレス・シリーズの紹介。
 ダンカン・テイラー社は1938年創業のボトラー。Whisky Galore Limitedの会社名にてウイスキー・ガロアーと題するシングルモルト、ヴァッテッドモルトを販売しています。ピアレス・シリーズ同様、ノン・チル・フィルター、ノン・カラーリングで、46度まで加水した状態でボトリングしています。最近も10年から12年熟成のモルトを数蒸留所、2002年ボトリングで頒しています。ウイスキー・ガロアーの詳細は同社のHPをどうぞ。
 ピアレス・シリーズは同社が所有する樽の中から21年以上の熟成を経たモルトを用いています。2002年5月のファーストリリースから希少な長期熟成樽を数回頒布しており、60年代を中心に充実したラインナップが今後も予定されています。
 ハイランド・パーク 1966 36年 43.4度
 ブナハーブン 196933年 42.8度
 ブナハーブン 196636年 40.7度
 ブルイックラディ 1969 33年 48.7度
 ブルイックラディ 1966 36年 43.1度
 ボウモア 196933年 43.4度
 ボウモア 196932年 41.2度
 スプリングバンク 1967 35年 40.5度
 キャパドニック 1972 30年 46.9度
 キャパドニック 1970 32年 51.7度
 グレン・グラント 1970 32年 46.6度
 グレン・グラント 1970 32年 46.1度
 グレンバーギ 1966 36年 40.7度
 グレンリヴェット 1968 34年 53.2度
 ストラスアイラ 1967 35年 51.1度
 タムドゥー 1968 34年 40.1度
 ベンリアック 196834年 50.4度
 マッカラン 1969 33年 40.3度
 マッカラン 1968 34年 56.9度
 ミルトンダフ 1966 36年 42.7度
 トマーチン 1965 37年 48.0度

 ブルームスバリー社からニュー・リリースです。同社は専らオロロソ・シェリー樽を熟成に用いますが、そのカスクのコンディションのよさには驚かされます。
 ポート・エレン 1982 20年 60.0度
 グレンリヴェット 1975 27年 50.1度
 マッカラン 1980 22年 55.7度
 ブルームスバリー・ブレンデッド 25年 43度
 ブルームスバリー社の過去の主要ボトルは以下のごとし。
 アードベッグ 1975 25年 58.0度
 グレン・グラント 1975 25年 58.3度
 グレンリヴェット1970 57.1度
 トマーチン 1967 32年 53.0度
 ポート・エレン 1982 20年 61.7度
 ポート・エレン 1982 19年 61.3度
 マッカラン 1974 26年 50.2度
 ロングモーン 1974 54.8度

 キングスバリー社から新たにハンドライティング・シリーズが頒布されました。その名のとおり、ラベルがハンドライティングで仕上げられています。オリジナルとケルティック・コレクションに次ぐシリーズです。
 ハイランド・パーク 1975 26年 51.5度
 ロングモーン 1973 28年 57.7度
 バリンダロッホ(グレンファークラス)1966 35年 52.7度
 カリラ 1974 27年 59.7度

 ヴァン・ウィー社のアルティメット・シリーズから新たに八点が頒布されました。こちらは廉価なボトルばかりです。
 アードモア 1992 10年 43.0度 バーボン・バレル
 プルトニー 1990 12年 43.0度 バーボン・バレル
 ミルトンダフ 1989 13年 43.0度 バーボン・バレル
 ダフタウン 1985 17年 43.0度 シェリー・バット
 ローズバンク 1991 11年 43.0度 ウィスキー・ホグスヘッド
 ジュラ 1988 13年 43.0度 ウィスキー・ホグスヘッド
 カリラ 1994 7年 43.0度 ウィスキー・ホグスヘッド
 ボウモア 1992 9年 43.0度 ウィスキー・ホグスヘッド



投稿者: 一考    日時: 2003年02月16日 16:33 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介15

 ハート・ブラザーズ社からファイネスト・コレクションが六点新たに頒布されました。上記三点がカスク・ストレングス、下記の三点は廉価なボトルです。
 ボウモア 1968 34年 40.2度
 マッカラン 1968 34年 43.1度
 バリンダロッホ(グレンファークラス)1967 35年 48.5度
 カリラ 1990 10年 43度
 タリスカー 1990 12年 46度
 マッカラン 1990 12年 46度

 ケイデンヘッド社のオーセンティック・コレクションに新しく六点が加わりました。比較的廉価なボトルです。
 アベラワー 1987 15年 52.1度
 バルヴィニー 1979 22年 55.4度
 グレンクレイグ 1981 21年 56.2度
 ブラッドノック 1989 13年 54.9度
 ローズバンク 1989 12年 54.7度
 カリラ 1989 12年 56.0度

 リキッド・ゴールド社のケルティック・レジェンド・シリーズに新しく四点が加わりました。
 トマーチン 1966 36年 46度
 トミントール 1967 35年 46度
 マッカラン 1989 13年 46度
 アベラワー 1990 12年 46度

 ジョン・ミルロイ・セレクションからニュー・ボトルの紹介です。
 グレンリヴェット 1972 30年 53.1度 バーボン

 スコッチ・モルト・セールスのディスティラリー・コレクションに新しく三点が加わりました。すべてカスク・ストレングスです。
 カリラ 1991 11年 57.1度 オーク
 クライヌリッシュ 1972 30年 58.0度
 スプリングバンク 1974 28年 48.0度 オロロソ・シェリー

 グレン・マレイのマネージャーチョイスの第二弾が頒布されました。同蒸留所のマネージャー、エド・ドットソンが選んだリミテッド・エディションです。
 グレン・マレイ・マネージャーチョイス 1974 28年 53.4度 限定676本
 ちなみに、2001年に頒されたファーストリリースは以下のごとし。
 グレン・マレイ・マネージャーチョイス 1981 19年 57.7度 限定463本

 伊達者ボー・ブランメルが贔屓にしたベリー・ブラザーズ&ラッド社のグレンロセスに新しいヴィンテージが追加されました。1979/02-22年、1984/02-17年、1987/02-14年の三点ですが、1973/00-27年、1982/97-15年、1989/00-10年も同時に頒布されています。インポーターのカタログによると89/02も頒布されているようですが、そちらは未確認です。

 グレンロセスの蒸留年とボトリング年は手書きで著されていますが、印刷された年号としばしば狂いが生じます。またハート・ブラザーズ社のタリスカーにはカスク・ストレングスと印字されています。ダグラス・レイン社の紹介の項でも書きましたが、多量に印刷したラベルがもったいないのでそのまま使用とのケースもあります。自らのテイスティングを信じるしかないのです。



投稿者: 一考    日時: 2003年02月16日 16:34 | 固定ページリンク




一考 | ボトラー情報8

 イタリアの新しいボトラー、ハイスピリッツ・コレクション社から「ザ・スコティッシュ・カラーリスト」の第一弾が頒布されました。スコットランドの画家四名によって描かれた風景画をラベルに用いています。絵柄をお見せできないのが残念ですが、蒸留所の絵ではなく、各地方の風景もしくは建物の絵です。新規のボトラーであり、その内容から推し量るに樽の提供はダンカン・テイラー社だと思われます。
 ハイランド・パーク 1966 35年 41.1度
 ブナハーブン 1966 35年 43.2度
 ポート・エレン 1978 22年 60.4度
 ボウモア 1966 35年 43.7度
 ラフロイグ 1989 12年 52.5度
 ストラスアイラ 1967 34年 46.0度
 スプリングバンク 1967 34年 40.9度
 グレン・グラント 1970 31年 55.4度
 バルミニック 1972 30年 50.1度
 クライヌリッシュ 1989 12年 57.2度
 ベン・ネヴィス 1967 35年 49.8度
 ローズバンク 1981 20年 62.3度



投稿者: 一考    日時: 2003年02月16日 16:35 | 固定ページリンク




りき | すいません。

>一考さん、薫子さん
21日の件、仕事の都合で、幹事なのに、
大遅刻になりそうです。
19:30ころ連れをお店のほうに行かせます。

ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。
21時ころにはゆけるかと思います。



投稿者: りき    日時: 2003年02月16日 21:49 | 固定ページリンク




にしした | こういち 国際映画祭 レポート


こんにちは!

第19回モスクワ国際児童青少年映画祭の審査委員長、扇 千恵さんによるレポートが到着しました。第1回目は、最優秀作品をめぐって議論が白熱する審査の様子をお伝えします。

→ 第19回モスクワ国際児童青少年映画祭レポート「鉄の女」と呼ばれた審査委員長
http://web.ffn.ne.jp/~russia-eigasha/arc/fest/child/19th/index.htm

そしてもうひとつ、酔いどれスタッフによる同行記。抱腹絶倒の珍道中や国際映画祭の舞台裏を日記形式で連載中です。

→ ほぼ毎日酔いどれ映画祭日記 
http://web.ffn.ne.jp/~russia-eigasha/yama/child/index.htm

是非、読んでみてください。宜しくお願いいたします。



投稿者: にしした    日時: 2003年02月17日 21:28 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 『えろきゅん』本日発売です!


いつもありがとうございます 役者で歌人の川上史津子です
新作『えろきゅん』の宣伝をさせて下さいませ
2/24には「週刊現代」にインタビュー掲載予定です
以下の宣伝文でPR中でございます ご協力下さいませ!

昨年は、処女歌集『恋する肉体 koisuru karada』を
お引き立て頂きありがとうございました。
2002年5月に飛鳥新社より上梓致しましたこの歌集は、おかげさまで
10月に重版がかかり、只今7000部に届く勢いです。
私が確認できたものでは、9月と11月にはインターネット書店アマゾンの
文芸・歌集部門において、1位を何週間かに渡り記録。また、週刊誌、文芸誌等
多数のインタビュー、グラビアでもご紹介頂きました。

さて、川上は此の度、散文に初挑戦致しました。講談社より2/20発売。
タイトルは『えろきゅん』!定価1300円(税別)です。

『えろきゅん』に登場する女子は、皆、必死で恋愛しています。そして、
とりわけ?H?は私も含めた女子にとって最大の問題なのです。
恋をすると、色んなところが?きゅん?となって、嬉しかったり痛かったり……。
でも、恋してないと死んじゃうのだ、女子達(わたしたち)は!
そんな気持ちを込めて、私にとって二冊目となる『えろきゅん』を書きました。
三十一本の短篇小説に、一首づつ、
三十一文字(みそひともじ)の短歌を添えて、
三十一歳の女子(笑)川上史津子が、皆様へお贈りします。

今回、特に女性に読んでもらいたいと願っております。
ご紹介頂けそうな女性誌、女性向のサイト等御座いましたら、
お教え頂ければ幸いです。

ご連絡お待ち申し上げます。宜しくお願い致します。



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年02月20日 01:30 | 固定ページリンク




阿佐ヶ谷 | すみません

用事ができてしまい、本日のモルト会へは参加できそうにありません。
また時間のあるときに伺います。
次回は79年のラガブーリンのペドロヒメネスを是非。



投稿者: 阿佐ヶ谷    日時: 2003年02月22日 18:04 | 固定ページリンク




松友 | 英国ドールハウス展とルネ・ラリック展

僭越ながら此方を御覧戴いている御向きは既に御含み置き願えている事と存じますが。
以下フライアー他より部分抜粋、敬称略御容赦。

○日本初公開"Maple Street"ドールズハウス&ミニチュアミュージアム所蔵
1/12の世界でみる夢 英国ドールハウス展
会期:2003年03月06日(木)~18日(火)
場所:大丸ミュージアム・東京[大丸東京店12階]
時間:会期中無休、入場時間10:00~19:30(20:00閉場)、最終日は16:00まで(16:30閉場)。
料金:入場料(税込み):一般¥800.-、大高生¥600.-、中学生以下無料。尚、前売り並びに団体割引有。
参考:著名なコレクターの所蔵品を受け継ぐヨーロッパ有数のミュージアムの品、約60点を展示する由。
大丸ミュージアムのサイトでもフライアー他詳細が見れます。先頭に半角小文字の"h"を加えて御使用御願い申し上げます。
ttp://www.daimaru.co.jp/museum/existing/tokyo/index.html

○ガラス芸術 アール・デコの華 ルネ・ラリック展
会期:2003年03月27日(木)~04月08日(火)
場所:大丸ミュージアム・東京[大丸東京店12階]
時間:会期中無休、入場時間10:00~19:30(20:00閉場)、最終日は17:00まで(17:30閉場)。
料金:入場料(税込み):一般¥800.-、大高生¥600.-、中学生以下無料。尚、前売り並びに団体割引有。
参考:今回は勿論香水瓶等も含め例えばテーブルセンターや花瓶等やや大型の作品を取り揃え、総数240点余を予定の由、期待大です。

以上、勝手にお知らせでした。

遅まきながら:先の御会では御役に立てませんで大変御無礼申し上げました。要、修行ですm(_ _)m



投稿者: 松友    日時: 2003年03月01日 00:47 | 固定ページリンク




一考 | お手伝い

 ひろさんへ
 主演は大久保鷹さんと種村季弘さんですが、唐さんをはじめ、状況劇場、唐組、新宿梁山泊の役者さんたち20名が集まります。私は酒肴の用意を致さねばならないのでお手伝い頂ければありがたいのですが、いかがなものでしょうか。親しい仲間ばかりなのと久しぶりの参集ですので話がはずむと思われます。
 それとは別の日に、22日がですぺら恒例のモルト会ですから、おそらく3月21日と23日に上映会を催すつもりです。そちらは詳細が決まりしだい掲示板でお知らせ致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月05日 21:24 | 固定ページリンク




比呂 | お手伝い参上致します

比呂です。

 当日、道具箱片手にお手伝いに参ります。
これでも昔は8mm映写機とフジZC-1000を担いでいた輩にて、
多少は覚えも御座います故、ご迷惑はかけなかろうと存じます。

 委細は今週改めてお伺いをいたしますので、その際に。



投稿者: 比呂    日時: 2003年03月06日 12:50 | 固定ページリンク




一考 | モルト会5

 3月22日の夕6時から9時にかけて第5回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は4月26日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。
 この一年のあいだにインデペンデント・ボトラーがずいぶん増えました。新しい紹介文を拵えています。次回のモルト会でお渡しできればよろしいのですが。

3月
  ポート・エレン('80 ゴードン&マクファイル)
  クラガンモア('90 マクデヴィッド)
  グレンリヴェット('75 マキロップ)
  ストラスアイラ('90 マクギボン)
  ノッカンドオ(12年)※
  グレングラッサ('83 ゴードン&マクファイル)
  ロッホデュー(10年)※
  フェッターケアン('92 マッカーサー)
  ロイヤル・ブラックラ('94 マクギボン)
  セント・マグデラン('81 ゴードン&マクファイル)
4月
  スキャパ('85 イアン・マクロード)
  ブナハーブン('90 マクギボン)
  キャパドニック('74 イアン・マクロード)
  グレンアラヒ('89 ケイデンヘッド)
  グレン・マレイ('89 シグナトリー)
  コンヴァルモア('77 ケイデンヘッド)
  ストラスミル('91 ゴードン&マクファイル)
  テナニャック('82 ゴードン&マクファイル)
  グレンドロナック('88 ケイデンヘッド)
  グレン・モール(15年 ゴードン&マクファイル) 



投稿者: 一考    日時: 2003年03月07日 20:09 | 固定ページリンク




管理人 | サイトの引っ越し


管理人達の会社設立に伴い、新たにドメインを取得しました。
で、会社のサーバーに牛込櫻会館は引っ越しというか、間借りします。
現在移行作業中です。一部不具合があるかもしれませんが、寛恕願います。
掲示板も引っ越しできそうなのですが、もちょっと先にします。

引っ越し先は
http://www.aisasystem.co.jp/~sakurai/



投稿者: 管理人    日時: 2003年03月15日 17:29 | 固定ページリンク




一考 | 窪田般彌さんを偲ぶ会

 新聞紙上に掲載されました「窪田般彌先生を偲ぶ会」の詳細です。
 日時 2003年4月11日金曜日午後5時半より8時半まで
 場所 リーガロイヤルホテル東京 ロイヤルホール
    (新宿区戸塚町1-104-19 TEL03-5285-1121 新目白通りに面し、都電荒川線早稲田からすぐ)
 会費 1万円
 3月末日までに出席の連絡が必要です。連絡先は以下のごとし。

 窪田般彌先生を偲ぶ会
 新宿区戸山1-24-1早稲田大学文学部内 小林茂研究室 郵便番号126-8644
 



投稿者: 一考    日時: 2003年03月18日 20:56 | 固定ページリンク




一考 | プロジェクター

 松友さんへ
 ご返事遅くなり恐縮です。日曜日にバイクの電装と格闘致しました。デンソーのイリジウム・プラグとプラグコードを換装、バッテリーからプラグまでの接点をチェック、なんとかエンジンの始動に成功したものの因果関係は分からず仕舞い、BMWの電装ラインは細く、繁くトラブルが起きるのですが、私の能力ではどうにもなりません。いずれにせよ、久しぶりにバイクに跨れたのが嬉しく、最近みつけた外環沿いの高速コーナーを存分に楽しみました。

 プロジェクターの件ですが、シャープの XV-P3は94年式です。画素数は問題ないのですが、500ルクスは少し暗いように思われます。avacの秋葉原店でもみつけたのですが二の足を踏んでおります。古い型式ですので、ランプの使用時間が分からないのです。大久保鷹、種村季弘さん主演、佐伯直寛さん監督の「KINTOKI」の上映会を今月の21、23日に予定していたのですが、延期することに致しました。プロジェクターとスクリーンは気長に探すしかなさそうです。9日の日曜日にひろさんにお手伝い頂き、CASTとSTAFF20名対象の非公開試写会を催しました。種村さんが興奮なさっておられたのが愉快でした。
 このところ、加藤郁乎、宇野邦一、四谷シモンさんのバトル、また、久世光彦、白鳥友彦、須永朝彦、石井満隆、川上史津子さんが同席なさるなど、とんだハプニングが何度か御座いましたが、67年に銀座のガスホールで踊られた石井さんの「オジュネ抄」のテープが残されているのを知りました。土方さんのテープと共に、上映会を催さねばと思っております。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月18日 20:58 | 固定ページリンク




一考 | 中谷忠雄写真展

 中谷忠雄写真展が3月18日から29日までスパンアートギャラリー(中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F 03-5524-3060)で催されています。中谷さんの写真集「土方巽の舞踏世界」の出版記念を兼ねての催しです。同書には種村季弘さんが「死の劇場」と題する序文を著されています。会場で同書を購入されんことを願います。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月18日 20:59 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介16

 ジャパン・インポート・システムがゴードン&マクファイル社とタイアップ。二年ぶりに「スピリッツ・オブ・スコットランド」の一本としてアードベッグが頒布されました。
 カスク番号2011,'91/03,52.6度,リフィール・シェリー・ホグスヘッド,318本
 なお、同様のボトルはウイックからも入荷しています。そちらの詳細は以下のごとし。
 アードベッグ'91,'91/02,11年,55.6度(GM)スピリッツ・オブ・スコットランド
 アードベッグ'90,'90/02,56.4度(GM)スピリッツ・オブ・スコットランド
 アードベッグ'90,'90/01,11年,58.4度(GM)スピリッツ・オブ・スコットランド
 すべてのボトルがノーチルフィルター、ノーカラーリングです。ゴードン&マクファイル社の隠し球とでも称すべき逸品揃いです。人気商品ゆえインポーターに在庫はなく、見掛けたときは買い。

 ブラックアダー社の「スモーキング・アイラ」が入荷しました。それを機会にアイラ・モルトをメインに用いたヴァテッド・モルトと中味不詳のシングル・モルトを紹介致します。
 【スモーキング・アイラ '92(ブラックアダー)】
 10年もの、55.0度のヴァテッド・モルト。
 ラベルにはザ・ピュア・スピリット・オブ・レジェンドと表記されています。ラフロイグがメインのヴァテッド・モルトですが、相方にはおそらくカリラが用いられていると思われます。ピーティーかつスモーキーな味わいが売り。
 【ハウスモルト・アイラ '93(ウィルソン&モーガン)】
 8年もの、43度のシングル・モルト。
 本品はシングル・モルト。中味はラフロイグもしくはカリラと言われますが、店主の見立てはラフロイグ。
 キャラクターはメディシナルにしてスモーキー。ヴィンテージ・モルト社のフィンラガンやクーパーズ・チョイス社のアイリークとよく似たモルト・ウィスキーですが、若干の雑味があります。
 【エルーセラ(コンパス・ボックス)】
 46度。
 カリラとクライヌリッシュ、それぞれの個性を生かした究極のヴァテッド・ウィスキーです。
 【フィンラガン(ヴィンテージ・モルト)】
 40度。
 ボウモアとカリラの間の高地に在った伝説の砦がブランドの由来。ヴィンテージ・モルト社のリリースにして、他に10年ものカスク・ストレングス、12年もの40度、43度、60度のカスク・ストレングス、15年もの43度などがあります。
 ラベルにはアイラ・シングル・モルトと記載されています。中味は昔はカリラだったのですが、現在は判然としません。しかし、アイラ・モルトの特徴である潮や海藻の香りをしっかり具えています。
 【アイリーク '89(ハイランズ&アイランズ)】
 マン・フロム・アイラとのサブ・タイトルを持ち、通称はイラック。
 ハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー・カンパニーのボトルにして、元々はドイツ向けの商品。当初はラガヴーリンを詰めていましたが、ラベルに描かれた蒸留所の絵柄から推し量るに、現在は40度のラフロイグと思われます。しかし、ブリニーなピート香にラガヴーリンのおもかげが色濃く、なお疑問は残ります。横須賀功光さんの愛飲するモルト・ウィスキーでした。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月19日 00:18 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介17

 マーレイーマクデヴィッド社から新しいコレクション「ミッション」が頒布されました。

 ハイランドパーク'79,23年,46度,アメリカン・オーク
 グレン・リヴェット'74,28年,46度,アメリカン・オーク
 クライヌリッシュ'72,29年,46度,リフィール・オーク
 ロイヤル・ブラックラ'75,27年,46度,リフィール・シェリー
 ダラス・ドゥー'79,23年,46度,アメリカン・オーク
 ラガヴーリン'79,23年,46度,アメリカン・オーク,600本

 以上の6種です。他にベリーブラーザーズ&ラッド社より久々のボトルが頒布されました。アイラ島のカリラとBBR初のデメララ・ラム(ヴェルサイユ)の二点です。ボトラーズもののラムで、はずれが無いことは皆様すでにご承知の通りです。

 カリラ'83,19年,46度
 ヴェルサイユ デメララ ラム'85,46度

 ですぺらのバックバーに新規6点のボトルが入荷致しました。他に7点が入荷しましたが、そちらはすべてモルト会のためのボトルです。あしからず。

 【ブナハーブン '90(ダグラス・マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 【クレイゲラヒ '89(ダグラス・レイン)】
 オールド・モルト・カスクの一本。12年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。360本のシングル・カスク。
 【トーモア '90(ダグラス・マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 【グレン・ギリー '82(ダグラス・レイン)】
 オールド・モルト・カスクの一本。19年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。288本のシングル・カスク。
 【グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)】
 オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
 【ダルモア '88(ダグラス・マクギボン)】
 プロヴァナンスの一本。11年もの、43度。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月19日 00:20 | 固定ページリンク




一考 | もっとからだで恋を

 川上史津子さんの小説集「えろきゅん」が講談社から上梓されました。
 川上さんは舞台に立とうが、歌を書こうが、小説を著そうが、常にどこかに本音をちりばめています。ちりばめているというのは不正確かもしれません。なぜならそれは意図してちりばめられたのではないからです。

 歌集「恋する肉体 koisuru karada」飛鳥新社を上梓、直球勝負で性を詠い幅広い世代の支持を得る。自称「日本一のエロ短歌女優」

 と今回の本に記載されていますが、それはそうでしょう。貴女に癖玉は無理ですよ。だって、貴女はかくありたい、かくあらねばならないというようなディレッタンティズムやダンディズムを持ち合わせていないのだもの。構うべきなりふりがなく、のっけから解放されているのですよ、固定観念から。だからこその直球勝負なのです。知識という鎧を持たず、自らの精神に定型を、また自らの肉体に定形を持たず、とのスタンスを崩してしまえば役者はつとまりません。望まれるところの者になりおおせるのが役者の唯一のつとめなのですから。
 貴女には輝きがあります。根が純で、貴女の日々のすべてが旬なのです。既存のカタログに収まりきらない新しい文学を拵えていただければと願います。それがいかに珍妙なものであれ、不真面目なものであれ、よろしいではありませんか。そんなところからしか、明日へのステップは生まれないのですから。
 この歳になるまで、なにかありそうで何もないものばかり見せ付けられてきたような気がします。鬱屈した心情や佶屈な文章などはわたしたちの世代で終わらせるべきなのです。「浦の苫屋は朽ちやしぬらむ」の心意気が必要です。「エロティックで甘くて苦い三十一文字と恋物語」大結構、ついでにそこに「かろみ」もお忘れなく。
 みなさま、一考推薦の「えろきゅん」をお買いあそばせ。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月19日 20:04 | 固定ページリンク




一考 | 佐々木幹郎さんとスランジバー

 詩人の佐々木幹郎さんが来店。佐々木さんは高橋睦郎さんと共にアイルランドとスコットランドへ旅行なさっているので、ウィスキーに詳しいとはお聴きしていましたが、さすが飲んべえ、よくご存じでした。シグナトリーのカリラ、プライヴェート・コレクションのカリラ、クーリーのロックス、ロイヤル・ロッホナガー12年、ノックドゥー21年、ハート・ブラザーズのラガヴーリン、最後にローハン・ソランと飲み継いで「ノーブル」を連発なさっていました。
 佐々木さんと話していて、アイリッシュ・ウィスキーとスコッチ・ウィスキーの違いが日本人には知られていない、どうも誤解があるのではないかということになりました。そこで一言。
 アメリカの禁酒法時代、アイルランドとスコットランドのキャンベルタウンではウィスキーが粗製濫造されました。それに懲りて禁酒法解禁後、アイルランドとキャンベルタウンのウィスキーはそっぽを向かれ、ほとんどの蒸留所が閉鎖もしくは倒産しました。四十以上あったキャンベルタウンの蒸留所で生き残ったのはスプリングバンクとグレンスコシアの二社。アイルランドに至ってはイギリス領北アイルランドのブッシュミルズと南部コーク州のミドルトンの二つの蒸留所のみになり、共にアイリッシュ・ディスティラ-ズ社の所有となりました。かてて加えて同社はフランスのペルノ・リカール社に買収され、アイルランド人によるアイルランド人のための蒸留所は壊滅したのです。ジョン・ジェムソン、ブッシュミルズ、ブラック・ブッシュ、パワーズ、パディー、タラモア・デュー、ダンフィーズなど、アイリッシュ・ブレンデッドに用いられるモルトはすべてその二つの蒸留所で醸されているのです。
 アイルランドでもっとも売れているタラモア・デューとジェムソンは業界に先駆けて1974年にコーン・ウィスキーをブレンド、「ノース・アメリカン・ブレンド」と称する軽くて滑らかなライト・ウィスキーを開発。大麦麦芽のみを原料とするスコッチとは異なり、カナディアンやジャパニーズ・ウィスキーと同じ穀物(雑穀)ウィスキーとして人気を博しました。アイリッシュがスコッチと異なる点は、ピートをまったく炊き込まず、原材料を大麦麦芽(モルト)に限らず、大麦、ライ麦、小麦、とうもろこしなども用いるところなのです。
 下って1987年、アイルランド共和国と北アイルランドの境界線に近く、ダンダルクのリヴァースタウンに独立系のクーリー蒸留所が創設されました。クーリーは伝統的な製法を踏襲、麦芽にピートを炊き込み、二回蒸留を施します。手法としてはほとんどスコッチと同じで、自己主張を持つモルトをつくりはじめました。1994年発売のブレンデッド・ウィスキー「ミラーズ・スペシャル・リザーヴ」の他、カネマラ、ティルコネル、ロックスなどのシングル・モルトを陸続とボトリング、2000年には樽出しのシングル・カスク「リムラック」を発売するに至ったのです。愛飲家が求める伝統的なアイリッシュ・ウィスキーは70年代半ばまでにボトリングされたものに限られ、いずれもが高値で取引されています。従って、アイリッシュ・ウィスキーの浮沈はクーリー蒸留所のこれからの活躍にすべてがかけられているのです。「スランジバー」と叫びたくなるようなアイリッシュ・ウィスキーの誕生に立ち会う日が近くやってきます。佐々木さんと私はそれを待ち望んでいるのです。 



投稿者: 一考    日時: 2003年03月20日 00:32 | 固定ページリンク




一考 | 縮緬山椒

 以前に紹介したのですがアンコールの要請あり、ちりめんざんしょの作り方をもう一度説明させていただきます。
 ちりめんは卸で2500円/?が適当です。まず、ちりめんをやや多めの油で十分に炒めます。次いで、同量の水と酒を浸るまで加え、灰汁を取ります。7~8分ほどで笊に取り、煮汁を切ります。煮汁を切ることでちりめんの塩抜きにもなります。そこへ同量の濃口醤油と砂糖を加えて煮詰めます。濃口醤油と砂糖の量はちりめんの量に比例しますので申しにくいのですが、10分ほど煮詰めてなくなるぐらいの量を目安にしてください。最後に有馬山椒を加えて出来上がり。
 じゃこ飯を主とするなら甘めに、酒の肴を主とするなら砂糖を減らして醤油を増やし、やや辛目に仕上げるのがコツと申せましょうか。
 「有馬山椒」は東京ですと「なり駒」のものが美味です。デパートになければ、ですぺらの一階の食料品店で神戸の「漬善」のものが売っています。180グラムの瓶入りで1450円ですが、一回に作るちりめんが400グラムなら、二回分に相当します。
 冷蔵庫ですと半年は大丈夫なので、突然の客人に重宝致します。家で京都の割烹の味を愉しんで下さい。ちなみに、同割の濃口醤油と砂糖に大量の糸鰹を加えますと、ちりめんに限らず、いかなる佃煮にも対応可能です、試して下さい。
 先日、須永朝彦さんに試食していただいたのですが、銀座のデパートで売っている京都のものよりもはるかに美味とのこと。また、出来合いのちりめんざんしょは値が高いのが難点です。お新香と佃煮は家で作るのが一番です。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月20日 00:34 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 「アンコールの要請あり」をはじめ、毎度のことながらひどい悪文で恐縮です。内容には関係ないのでこのままにします。
 二日酔いですが、いまからウォーター・ポンプと燃料ポンプのチェックです。古い車はメンテナンスが大変です。



投稿者: 一考    日時: 2003年03月21日 14:56 | 固定ページリンク




山崎利彦 | 御馳走様でした

毎度の事になりましたが、モルトの会、楽しみにしていながら遅刻・欠席ばかりで申し訳御座居ません。昨夜は楽しまさせて頂きました。
ああ、でも下記の「縮緬山椒」、事前に知っておりましたら是非にも食したかったです。今度、それ目当てにイカせて頂きます。



投稿者: 山崎利彦    日時: 2003年03月23日 03:04 | 固定ページリンク




松友 | 「えろきゅん」な検索

 さても内燃機の調子が芳しくないようで御愁傷様で御座います。残念ながら拙メは未熟者にて全くお役に立てそうにありません。加えてプロジェクターに関しても御無礼を申し上げました。なかなか一考様の御目に叶う品を見つける事が出来ず恥じ入るばかりで御座います。
 それはそうとしてなのでございますが話替わりまして。

 ありゃま、と。
 ふとググルな検索をしましたら、「えろきゅん」がS○KAI―SHIの図書館に入荷している旨が出るでは御座いませんせんか。素人考えでは、これは読者層拡大を期待できる状態かと御推察申し上げますが、翻ってかような事象が結果として新刊書の衰退の一因とも喧伝される昨今、部数縮小の要因ととってしまわれかねないのがちょっと淋しいような、見解の別れる部分かとは存じます。
 拙メの地元の如き田舎には入っていないですもん、かような世情にては申し上げるまでも無く理解者の増えようはやや困難に感じますし、それとも応援者一人一人がエヴァンジェリストにでもならないといけないのでしょうかしらんとか、これも自負している旨の御方には結果的に難しい宿題かもしれないのではとか想像してみたりしまして、如何申し上げましたもので御座いましょうか。
 そういえば昨今の気候は"♯65・酔っ払いブギ(@うる星らつら・TVシリーズ)"では御座いませんが、一部の向きにはやや厳しいものあるようにお見受け申し上げます。とはいえ、せかっくの地球のエージェントさんの頁には追加しておいた方が宜しいのではないのかな~とか、多分アスキーアートの”しーちゃん”も心配しているのではと、(*゜ー゜):他類似多数。皆、梅モノで酩酊しているこの時期ですもの。

 さても拙メ小劇場に足を運ぼうかしらんと感じている昨今、やや筋が異なるかもしれませんが近々に「幻想演劇 永久アリス」なる集団の作に拝謁に上がろうかと存じております。あるいはバーチャル・アイドルのハリウッド的解釈「シモーヌ」が一日も早く観たいのでした。とはいうものの最近は「弟切草」「呪怨」の主演女優さんも引力大だったりして(爆、特に「戦国自衛隊」の○○○姿の薬師丸ひろ子さんに萌えた(いや、拙メは違うっっ)向きは「弟切草」は激御奨めやもしれず梅な酩酊にて意味不明いやさ本当に申し訳なく(大爆
 ~そうじゃなくて久里洋二、柳原良平、真鍋博のアニメーションを大画面で見れてちょっと嬉しい松友でした。



投稿者: 松友    日時: 2003年03月25日 02:20 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 薫子さんに質問です

こんにちは。お久しぶりです。
薫子さんのメールアドレスって何でしか?
mac.comと一緒に変わったようなきがするのですが。
教えてください。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2003年03月28日 19:22 | 固定ページリンク




薫子 | 奥歯さま

mac.comの方は有料になったのでやめてしまいました。
ヤフーでアドレスを取ったのですが、約一名の友人にしか
連絡していないという状態です。マメにメールを出したり
電話をしたりしないもので、すみません。
メールにてお知らせいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年03月30日 04:36 | 固定ページリンク




阿佐ヶ谷 | ご無沙汰しております

阿佐ヶ谷です。ご無沙汰しております。 先日、富士醗酵の二級のウイスキー(一升瓶)を入手しました。 宜しければ今度お持ちしますのでお味見でも。



投稿者: 阿佐ヶ谷    日時: 2003年03月31日 14:40 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 謹んでご報告いたします

ご無沙汰してをります。私事にわたるといへばさうなのですが、ご報告ひとつ。
足かけ五年かかつてゐた『珍説愚説辞典』の翻訳がさきほど終はりました。
この三月のちやうど後半、一日も休まず、外にも行かず、ひたすら机にむかつて終はつた次第です。途中からはLight Way Textで作業を進めてをりましたが、全部で一行42字で、32901行です。もっともこれは上げ底と申しますか、項目の間の空白行まで全部入れてゐますので、実際にはさうはありません。
版元の國書刊行會のI編集長にはほんたうにご迷惑をかけました。Iさんが伴走してくださらなかつたらとても仕上げることはできませんでした。心より御礼申し上げます。
とともに、この翻訳の完成を待ち望んでゐてくださつた方に謹んでお詫びとご報告を申し上げます。元國書のKさん、Sさん、お待たせしました。やつとできました。
最後、一気呵成にできたのには(どれくらゐしたかは、ここでは申しません)、もちろんIさんの心強いご支援があつたためですが、同時に「新潮45」に『珍説愚説辞典』のことを書かせてくださつた新潮社のWさん(たぶん五月発売号には載るのではと思ひます)、Wさんをご紹介くださつた学研のM編集長、Mさんとともにいつも激励してくださる一考さんと薫子さん、次の翻訳その他の仕事を辛抱強く待つてゐてくださつたS社のUさん、S社のIさん、S社のTさん、H社のKさんはじめ編集部の皆さまに対しても、心より御礼申し上げます。
また、今より10年以上前でせうか、『珍説愚説辞典』について「この翻訳が待たれる」と書いていらしたと、Iさんよりうかがつたお邪魔ビンラディンさんには、その炯眼に敬意を表しつつ、謹んでご報告いたします。じつに面白いしごとでした。時間は意想外にかかつてしまひましたけれども。
最後に、この仕事のために随分義理も缺きました。フランスはヴァランシエンヌにゐるS君、そのうちゆつくりメールを書きます。
それではけふはひさしぶりに休むことにして、この筆もここにてとどめます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年03月31日 16:15 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | まちかねておりました!

高遠様

『珍説愚説辞典』、ついに、ついに翻訳が終わったのですね。
年代も言語もまちまちの原文を翻訳するのは大変なお仕事だったことと存じます。
一刻もはやく手に入れ、そしてゆっくりと味わいながら読ませていただきたい本です。
お疲れさまでした。そしてありがとうございました。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2003年03月31日 21:28 | 固定ページリンク




無名子 | 気の効いた台詞もなく

 ルールは存じていますが、今回はあえて匿名で書かせていただきます。奥歯さんの、すぐ下の書き込みを読んで、ほっとして、少し腹も立った、たくさんの人間のひとりとして。
 ほっとした理由は言うまでもなく、その書物を手にして読むまでの間は、生きる意志があると分かったからです。
 面識がないに等しい私などが、親しい方々を差し置いて、ごく私的なことに口を出すのはどうかと思います。が、日記を公開されているのだから、これもありでしょう。
 あまり心配させないでほしい。とにかく、生きてください。



投稿者: 無名子    日時: 2003年04月01日 01:55 | 固定ページリンク




一考 | 次回もよろしく

 山崎さんへ
 主治医のご登場に恐縮致しております。次回のモルト会は4月26日、先生のご都合がつくようだと嬉しいのですが。ところで、大学の方へ戻られるとか。当掲示板のSiestaさんはもっかモロッコへ出かけておりますが、先生の母校の生徒です。ご贔屓下さればありがたく思います。
 縮緬山椒は好いちりめんが手に入ればお届けします。気長にお待ち下さい。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 04:39 | 固定ページリンク




一考 | 残念ながら

 阿佐ヶ谷さんへ
 京晴さんのアーマーは昔からのファンですが、富士醗酵の二級のウイスキー(一升瓶)は残念ながら存じ上げません。富士醗酵といえば白ワインにすぐれたものがあり、またワインのインポーターとして知られていますよね。確かエルミタージュなども輸入していたように記憶するのですが。味見できれば幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 04:41 | 固定ページリンク




一考 | おめでとうございます

 高遠弘美さんへ
 『珍説愚説辞典』楽しみに致しておりました、おめでとうございます。あとはI編集長の仕事ですね。中味に相応しい装いになることを期待しています。「新潮45」に掲載される玉稿も楽しみです。だって、初稿しか読んでいないのですから。Mさんがとても気になさっています。共に酒を酌み交わしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 04:43 | 固定ページリンク




一考 | 「友」について

 ふと思い起こした言葉が涙を誘いました、久しぶりに。「友」の死を思い起こしたのです。あれからまだ二箇月半しか経っていません。でも二十年くらいの歳月を経たような気がするのです。

 概念は言語によって表現され、その意味として存在します。だからこそ「友」の概念の整理を、すなわち相手との対話を私はかまけてきたのです。いままでお付き合いいただいた方はほとんどが年長者でした。従って当方に遠慮があり、例え疑問に感じてもそれを口には出せなかったのです。また編輯を生業になさった方ならお分かりいただけるのですが、黒子ゆえの強いられた沈黙がございました。「そうじゃない」「いや、そんなものではない筈だ」との疑いを抱いても、人品骨柄にかかわる議論を闘わせるのはすべてのケースにおいて不可能でした。やばいと思う直前にはなしを相手へのオマージュにすり替えるか黙するか、もしくは「まあ、いいから飲みましょうよ」の繰り返しに終始するのが常でした。編輯者同士の酒席では極めて辛辣な言葉が飛び交うのですが、その手の仲間内での雑言が嫌で、私は概ね沈黙を選択するか、下ネタに振るかしてお茶を濁してきました。なぜ嫌かと言いますと、一方で編輯し本を拵えながら、一方で毒舌を吐く、その整合性のなさが許せなかったのです。「嫌なら出版するな」「あたまに来るならやめちまえ」と自らに怒鳴りつけたくなるのです。
 編輯に限らず、どうやらこの世の中、何処へ赴こうとも本音と建前があるようです。それは恋情の足を引っ張る時と生活のようなものです。人は間違いなく現在を、刹那を生きているのですが、その一方で、明日飯粒がなくなるとか来月の家賃をいかにして工面するかとか、あらぬことにも執心しているのです。そうした不純な面、すなわち「自分自身の中の悪」に思いを致せば、
すべては妥協または諦観の産物なのかもしれないなどと考えたりもするのです。
 「友とはなにか」「友ってどんなものなのだろう」現況への満足もなく、判然としないままに齢五十五に至りました。そんな時なのです、「一考さん、ゲームをしようよ」。「人生はたちの悪い冗談」を地でゆく人が現れました。彼は「友」に確たる概念を抱いていました。「人品骨柄にかかわる議論」が、批判が双方向で行われること、互いの原理原則をぶつけ合えること、そしてその原理原則の主人であるところの自分自身を信じないというもっとも大切なことを繰り返し諒解しあえること。その最後の諒解がなければ、議論がゲームになりませんから。
 蟋蟀は九回脱皮すると言われます。また蟋蟀の成長は、昼が短いと成長が早くなる短日型です。共にいるかぎり、脱皮を際限なく続けましょう、あなたとならできそうな気がするのですが。「あなたとなら・・・」この一点に彼の論理のからくりが、あやかしがありました。ゲームのなかでは頻繁に、あなたがわたしになり、わたしがあなたになります。「それ自体では目に見えない観念が、アナロジイによって、可視的なものになる」ように、互いの見えなかった部分が滲透しあうことによって、白日のもとに曝されていきます。言い換えれば、あなたでもない、わたしでもない、そして誰でもないところの存在、「友」に明解なひとつのかたちが与えられていったのです。「友」が、対置するところのものではなく、相対するところのものでもなく、謂わば伸縮自在なオブジェのような共作物であり、明確な輪郭を保つ観念そのものであったと申せば、横須賀さん、いかがかしら。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 04:49 | 固定ページリンク




一考 | 愚考

 無名子さんへ
 当掲示板をはじめたころ、何でもありと記しました。それでなくとも、名前などは単なる記号ぐらいにしか思っておりませんので、実名であろうが匿名であろうが、さしたる問題ではないでしょう。
 書き込まれたこと、並びにその詳細を私は存じ上げませんので、なにを申すこともできません。また、貴方の奥歯さんへの眷恋の情の発露だとするならば礼を逸するのは私の方です。ただ、プライヴェートなことであればあるほど、次のステップ、新たな精神の領域を示唆するものであってほしいと願わずにはいられません。貴方なればこそ、いますこし抽象性を持たせられなかったかと、愚考する次第です。
 掲示板とは申せ「友が死んで悲しい」などという意味のない無責任な文章を私は書きたくないのです。レトリックも標榜致しません。いくら技巧を凝らした文章であっても、そこに肉声がなければ意味がないからです。文章の背後から滲みでるメタファー、そのメタファーにしか真実はないのですから。「友」についてとの駄文を前に置きました真意をお分かり頂ければ幸甚に存じます。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 05:05 | 固定ページリンク




一考 | 横須賀功光さんを偲ぶ会

 掲載しようかどうか迷ったのですが、ですぺらのお客さんで横須賀さんとのバトルを楽しんでいらした方もいらっしゃいます。ご参加には事前の連絡が必要ですので、下記矢野さんか私宛にどうかよろしくお願い致します。なお、「故人の遺志により供花、香典等は辞退」に相成っております。

 横須賀功光さんを偲ぶ会
 会場 資生堂パーラー
 4月21日月曜日 17時から19時
 中央区銀座8-8-3東京資生堂ビル5F

 お問い合わせ スティル 矢野有里子
 港区元赤坂1-5-11-201 Tel03-3497-0190 Fax03-3497-0345



投稿者: 一考    日時: 2003年04月01日 19:53 | 固定ページリンク




一考 | ATCFさんへ

 ATCFさんへ
 ご来店ありがとうございました。気がつかなくてすみませんでした。土屋守さんのご紹介かと思います。今後ともどうかよろしくお願いいたします。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月03日 16:24 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介18

 エイコーンから蒸留所元詰の良品が入荷されています。まずはスプリングバンクから。
 【スプリングバンク '89】
 ポート・パイプの13年もの、54.2度のカスク・ストレングス。
 欧州向けの専用ボトルで、3120本のリミテッド・エディション。
 同様の変わり種にラム・ウッドの12年ものがあります。89年蒸留で、ボトリングは02年。54.6度のカスク・ストレングス。バーボン樽で7年、デメララ・ラムの樽で5年熟成させた逸品です。
 【スプリングバンク '74】
 28年もの、46度の加水タイプ。
 ドイツ向けの専用ボトルで、630本のシングル・カスク、カスクナンバーは1157。2003年2月25日のボトリング。
 同様のドイツ向け専用ボトルに89年蒸留の12年もの、58.1度のカスク・ストレングスがあります。

 次ぎはラガヴーリンです。
 【ラガヴーリン12年】
 57.8度のカスク・ストレングス。
 02年末発売のファースト・エディションは58.0度でした。03年3月発売のセカンド・エディションはわずかにアルコール度数が落ちました。しかし、香味に変わりはなく、美味なモルトです。
 【ラガヴーリン25年】
 57.2度のカスク・ストレングス。9000本のリミテッド・エディション。こちらはまだ賞味しておりません。
 17回で紹介しましたマーレイー・マクデヴィッドのミッションの一本としてボトリングされた
 【ラガヴーリン '79】
 アメリカン・オークの23年もの、46度、600本のリミテッド・エディション。
共々、アイラ党の私にとってはうれしい限りです。今月末にも異なるボトラーのラガヴーリンが頒布されます。

 ディアジオ社のニュー・カスク・ストレングスのラガヴーリンを紹介したついでに、同社の会員に頒布されるフレンド・オブ・クラシック等々、高級品の一覧をどうぞ。
 【オーバン '69】
 32年もの、55.1度のカスク・ストレングス。6000本のリミテッド・エディション。ニュー・カスク・ストレングス。
 【クラガンモア14年】
 47.5度、4987本のリミテッド・エディション。フレンド・オブ・クラシック。
 【バリンダロッホ・キャッスル・プライヴェート・ストック】
 17年もの、51.4度のカスク・ストレングス。中味はクラガンモア。
 【グレンキンチー12年】
 58.7度のカスク・ストレングス、5010本のリミテッド・エディション。フレンド・オブ・クラシック。
 【タリスカー15年】
 60.0度のカスク・ストレングス、蒸留所の売店にて販売のボトル。本品の他に59.9度のボトルも入荷されています。
 【タリスカー '89】
 10年モノ、59.3度のカスク・ストレングス。フレンド・オブ・クラシック。
 【タリスカー '81】
 シェリー・カスクの20年もの、62.0度のカスク・ストレングス。9000本のリミテッド・エディション。02年末ボトリングのニュー・カスク・ストレングス。
 【タリスカー '75】
 シェリー・カスクの25年もの、59.9度のカスク・ストレングス。6000本のリミテッド・エディション。01年末ボトリングのニュー・カスク・ストレングス。
 【タリスカー '73】
 リフィール・アメリカン・オークの28年もの、43.3度のカスク・ストレングス。100本のリミテッド・エディション。01年ボトリング。
 【ダルウィニー '66】
 36年もの、47.2度のカスク・ストレングス。1500本のリミテッド・エディション。02年ボトリングのニュー・カスク・ストレングス。

 話ついでに、スプリングバンクのセカンドラベル 「ロングロウ」を定期的に頒布しているインデペンデント・ボトラーはイタリアのサマローリのみ。その一覧です。 
 【ロングロウ '87】
 12年もの、45.0度の加水タイプ。ムーン・インポートとのジョイント・ボトル「ドリームス」の一本。99年のボトリング。
 【ロングロウ '87】
 12年もの、55.0度のカスク・ストレングス。ミレニアム記念ボトル。99年のボトリング。
 【ロングロウ '87】
 13年もの、45.0度の加水タイプ。00年のボトリング。
 【ロングロウ '87】
 15年もの、45.0度の加水タイプ。354本のリミテッド・エディション。02年のボトリング。現在入手可能。
 他ではマーレイ・マクデヴィッドからも90年蒸留の9年もの、46度のロングロウが頒布されています。ボトリングは99年。なお、ロングロウのディスティラリー・ボトルには通常の10年ものの他に、ブルー・ボックス、蒸留所ラベル、テキスト・ラベルなどがあります。テキスト・ラベルのカスク・ストレングスは絶品です。詳細はいずれまた。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月03日 16:26 | 固定ページリンク




一考 | ボトル紹介19

 先だってパシフィック・カレドニアンのアイル・オブ・ジュラ '99を購入致しました。3年もの、60.7度のカスク・ストレングス。447本のリミテッド・エディションで、ジュラ蒸留所のマスターブレンダーのリチャード・パタースンと同蒸留所長マイクル・ヘッズ両氏によるボトリングです。ディスティラリー・コンディションですが、従来のエディションと異なり強烈にピートを焚いています。レダイグ15年ものを想起させる強いピート香、パワフルでスモーキーなフィニッシュに驚かされました。
 その若いヘヴィリー・ピーテッド・ウィスキーと13~20年、21年以上のジュラのヴァテッド・モルトが頒布されました。題して「ジュラ・スーパーステーション」45度のディスティラリー・ボトルです。2002年9月13日の金曜日にシェリー・バットへ移され、2003年2月18日にボトリング。4830本の欧州向けリミテッド・エディションです。そのうちの100本だけが輸入されました。初回のボトリングは2002年12月13日で、1500本は即完売。ブランドは13日の金曜日に縁があるボトルだからとの由。ジュラのイメージを大きく変える一本です。
 
 以下はスコッチ・モルト・セールスのボトルならびに取り扱い品の紹介です。
 ブローラとラガヴーリンに次ぐケルティック・クロスの第二弾としてスプリングバンクとカリラが頒布されました。詳細は以下のごとし。
 【スプリングバンク '75(スコッチ・モルト・セールス)】
 ケルティック・クロスの一本。バーボン・カスクの27年もの、46度。
 エディンバラのスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社によるボトリング。リリースはスコッチ・モルト・セールス社。僅かに加水されているが、それが成功。クリーミーなバターの香り、バランスよく、厚みのある長いフィニッシュは特筆もの。
 先月、スコッチ・モルト・セールスのディスティラリー・コレクションの一本として頒布されたスプリングバンクは74年蒸留、オロロソ・シェリーの28年もの、48度のカスク・ストレングスでした。長期熟成品は60年代から70年代へ移行しつつありますが、久しぶりに足腰の強いスプリングバンクが続きます。
 【カリラ '91(スコッチ・モルト・セールス)】
 ケルティック・クロスの一本。11年もの、46度。
 カリラにしてはいくぶんスムースでまろやか。

 ウィスキー・エクスチェンジとロンバードのボトルならびに新しいシリーズの紹介。
 【カリラ '90(ウィスキー・エクスチェンジ)】
 12年もの、58.8度のカスク・ストレングス。
 輪ゴム臭を思わせる刺激的な薫香と強烈なフレーバー、飲むに連れヨード香がこれでもかと押し寄せてきます。トップからラストまで堪能できるパワフルなモルト。
 【ブローラ '82(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。20年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。 リッチでスムース、ナッツのキャラクター。2003年のボトリング。蒸留所は1983年に閉鎖、もともと生産量の少ないモルトであり、徐々に在庫が市場から消えつつある。
 【ロッホサイド '81(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。20年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。
 ライトな芳香でミディアムドライ。2001年のボトリング。蒸留所は生産を中止しており、1997年には熟成庫も閉鎖。
 【タリバーディン '89(ロンバード)】
 ジュエル・オブ・スコットランドの一本。13年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。
 フルボディでフルーティーな味わい。南ハイランドを代表するウィスキー、2003年のボトリング。
 ディスティラリー・ボトルは10年ものですが、他にジム・ビーム・ブランド(JBB)からスティルマンズ・ドラムの一本として25年ものと30年ものが頒布されています。スティルマンズ・ドラムは共に河内屋さんで扱っています。インデペンデント・ボトラーのタリバーディンはキングスバリー、ダグラス・レイン、ブラックアダーから頒布されていますが、いずれもが66年蒸留の長期熟成品です。従って、ボトラーの13年ものははじめてではないかと思います。
 ジュエル・オブ・スコットランドはロンバード社のメインとなるシリーズで、すべてがシングル・カスク。冷却濾過やカラーリングを行わず、46度からカスク・ストレングスにてボトリング。今回が二回目の頒布。

 ロンバードから新しいシリーズ「ディスティレーション・エリア・モルト」が頒されました。
同シリーズは比較的若いモルトで、蒸留所名を明かさず、海にかかわりのある名前を冠したシングル・モルトです。初回はドリフトウッドとタイダル・エブの二点。
 【ドリフトウッド(ロンバード)】
 ノン・エイジの40度。
 ディスティレーション・エリア・モルトの一本。中味は北ハイランドのモルト。ブランドの意は流木。
 【タイダル・エブ(ロンバード)】
 ノン・エイジの40度。
 ディスティレーション・エリア・モルトの一本。中味はラフロイグと思われる。ブランドの意は引き潮。

 最後に、カリラのヒドゥン・モルトが4月1日から値上げされました。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月03日 16:27 | 固定ページリンク




櫻井清彦@管理人 | 管理人のネットショップDeepMacプレオープンです


みなさん、こんにちは。管理人の櫻井です。今日は宣伝させてください。
この度、ネット通販ショップDeepMacを始めました。
プレオープンです(プレオープンという意味はまだ、一部でしか発表していないのですね。)
マックの専門店になっております。
また、Windows系の商品も卸から引けますので、欲しい商品があればお問い合わせください。

みなさまのご来店をお待ちしております。

マッキントッシュ専門店DeepMac
http://www.deepmac.com/



投稿者: 櫻井清彦@管理人    日時: 2003年04月04日 14:13 | 固定ページリンク




松友 | 「寺山修司の青春時代展」世田谷文学館

う、またしても頃合の塩梅が。
さて、既に御含み置き願えている事と存じますが、標題、展覧会が開催されるそうです。同館サイトからの詳細抜粋は以下に。

せたがや文化財団 設立記念事業「没後20年 寺山修司の青春時代 展」
会   期:平成15年4月26日(土)-6月15日(日)
開館時間 :午前10時―午後6時(入場5時30分まで)
休 館 日:毎週月曜日(5月5日開館、翌日休館)
観 覧 料:一般500円、大学・高校生300円、中学・小学生200円、65歳以上250円、団体料金有
概   要:東京では初出品となる高校時代の書簡を含め、「文学者としての寺山修司」の側面を紹介する由。
住   所:東京都世田谷区南烏山1-10-10
展覧会図録:B5判、152頁、予価1,400円(4月26日~)

トップはこちら→ttp://www.setabun.or.jp
関連頁はこちら→ttp://www.setabun.or.jp/terayama.htm

付記:世田谷文学館の常設展にはムットーニさんの作品、『猫町』『月世界探険記』『山月記』がございます。

さて、同じ文面にて失礼致します。
管理人様。
ネット通販ショップ開店おめでとうございます。
Win系などでお力添え賜りたくなりました折には是非宜しく御願い申し上げます。



投稿者: 松友    日時: 2003年04月06日 19:28 | 固定ページリンク




一考 | 身からでた錆

 みなさんへ
 勝手な店主が行き当たりばったりに営むですぺらを御贔屓くださりありがとうございます。常日頃から心底で感謝致しております。
 のっけから私事で恐縮ですが、些少にせよ、月単位で黒字が出たのは2000年12月と2001年12月の二箇月のみ。三年半ほどですぺらを続けてきましたが、去年の五月からは慢性の赤字続き、これ以上店を維持するのが不可能になりそうな雲行きです。今月末にですぺらを閉店するか続けるかを決めるぎりぎりの状況がやって来ます。よしんば続けるにせよ、年内一杯が限界ということになりましょうか。お世話になったみなさんには申し訳なく、こんなことを著すのは心苦しいのですが、最後の御贔屓を賜りたく、どうかよろしくお願いいたします。

 どこからか、「ざまあみろ」との声も聞こえてきそうですが、それは私がみづからに突きつけてやまなかった、謂わば座右の銘とも称すべきもの。ですぺらの寡多録には「人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在・・・営みのすべては儚くうつろなもの。ですぺらもまた、夜ごとの演目を終え、やがてなにごともなく消滅。その日までは媚びを売り顰蹙を買う、いたずらな搏動におつきあいいただければ幸甚」と開店のときから明記致しております。
 どなたかが「さよならだけが人生さ」と申したらしいのですが、されば「ざまあみろだけが人生さ」が私の私自身への戒めなのです。人生などという、たちの悪い冗談のただなかに寄寓するにさいし、他の戒めなど考えようもなかったのです。みづからへの訓戒を他者から示唆される事態を世間では「身からでた錆」と申します。
 次回みなさまとお会いするのはわが心のふるさと北海道かと思われます。でも、その前に赤坂のシングル・モルトを例え一箇月でも、一週間でも余分に楽しめないかとの、これはささやかな執心なのです。逼迫しております。重ねてどうかよろしくお願いいたします。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月07日 19:50 | 固定ページリンク




松友 | いやさ新年度の門出に相応しい御言葉なりや

~いや違いますって ( ・ω・)

 さてもかつて似たような御言葉を西ノ地で拝領した記憶が云々と此方に書込みさせて戴きましたのは何時の事でしたしょうか。彼の折にては区切りの時節、拙メ膝を折って其れまでの御愛顧に御礼申し上げた記憶が御座います。その際には御苦笑賜っていた記憶がございますが、この東の地でも再び御挨拶申し上げならなくなるとは。
 彼の地では”ウヰスキーな御方の人数が結果として望むべくもない地ではむべなるかな、東に参ればそうはなりますまい”と想像がてら申し上げておりましたのは、全くの夢の幻であったという事で御座いましょうかしらん。
 う~ん、さすれば一考様の北放蕩が始るので御座いましょう、何時の日にか東国の、いやさ北方の土地にでも宿を求めた際の奇遇を御期待申し上げる他なさそうです。恐らくは北の地にて野営やらなにやらの先達として活躍なさるのではと御推察申し上げます~、東野においで賜りたいのですがそれが叶わないのでしたら如何ともし難く。残された時間を堪能し次なる機会を御期待申し上げさせて戴きたく。

 でもスプリングバンクの面白そうなのは、許す限り教えてくださいねっ(←最悪っ

付記:放蕩には、駐車場代が許すのでればサイドカーが面白いかもしれません。結構色々な事に遭遇するそうで。某社○―ジョンのカッパ・サイドカーなど如何でしょうか、癖も少ないそうですし(爆



投稿者: 松友    日時: 2003年04月08日 01:34 | 固定ページリンク




薫子 | よろしくお願いします

 私は寒いのは苦手なので、東京を北限にしたいものです。
ここのところ、お花見の季節のためか、イラク攻撃のテレビ中継のせいなのか、
ですぺらでは、カウンターの上を閑古鳥がギャーギャーうるさいぐらい飛び回るは、
店のすみっこにはペンペン草ははえるはで、とんでもない状態です。
家では健康のためにと思って作っていた麦ご飯の麦の割合が、二割から四割になり、
一考のパンツから作った私のティーバックはほつれてくるし。
 ということで、皆様の暖かいアイノテを。 ア~イ~ヤ。
ちゃう、ちゃう。愛の手を。
でも手ぶらじゃなくて、お財布をお忘れなく。



投稿者: 薫子    日時: 2003年04月08日 06:03 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 今夜

私はですぺらが大好きです。今夜七時過ぎ頃に伺いたいと思います。
(ただ、体調がちょっと不順なので、ひょっとして行けなくなるかもしれません。そうしたら、ごめんなさい)。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2003年04月08日 12:21 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 考えたこと。勝手な、とても勝手な考え。

今晩はおじゃまいたしました。久しぶりに人混みの中に出たのでなんだかとてもくたびれてしまって、早く帰ってきてすぐに眠りました。今頃起き出してきています。

勝手に考えたのですが、北海道にライダーズハウスを作る前に、ですぺらを移転できませんか?
神保町にです。
ですぺらには本が好きな人が沢山来ます。出版関係者も沢山来ます。
神保町には、出版社はたくさんあるし、取り次ぎも書店も古本屋もたくさんあります。
そこにですぺらがあれば打ち合わせに使えるし、仕事帰りにちょっと寄りたくなります。そして、古本屋巡りの後、本の街神田の紙袋を両手に提げて、成果を自慢しにふらっと寄ってしまいます。だって、ですぺらに行けばきっと誰かがいるんですもの。
あの南柯書局の渡邉一考さんがやっているお店とあれば、きっと古本屋ガイドやタウンガイドにも載ります。

大体、ですぺらは赤坂値段ではないのです。とてもとても安いのです。
(といっても値上げされると私にはとても厳しいのですけど。)
しかも、常連さんばかりです。神保町界隈にいらっしゃいそうな方ばかりです。それに、なんとなく赤坂より神保町の方が家賃が安そうです。

一考さん、北海道に行ってしまう前に、神保町に行きませんか?
ですぺらがなくなるのはさみしすぎます。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2003年04月09日 02:23 | 固定ページリンク




一考 | スプリングバンクについて

 松友さんへ
 カッパーはともかく、サイドカーにはかねてから興味を抱いています。二輪駆動で雪中を疾駆する夢をよく見ます。逆夢になるか正夢になるか、人には明日すらが五里霧中、雲をも掴む思いで生きとし生ける日々を・・・間違いました。藁をも掴む思いでした。
 さて、お申し越しのスプリングバンク、掲示板で値を公表しますと酒屋さんから恨みを買いますのでリストのみ。うまいまずいの詳細は店ででもお話致しましょう。

スプリングバンク10年, ,10年,46度, , ,(DB),ファースト・エディション00年春,
スプリングバンクCV, ,12年,46度, , ,(DB), ,
スプリングバンク12年, ,12年,46度,シェリー, ,(DB),赤マーク,
スプリングバンク12年, ,12年,46度,シェリー, ,(DB),緑マーク,
スプリングバンク'89,'89,13年,54.2度,ポート・パイプ,3120本,(DB), ,
スプリング・バンク・ラム・ウッド,'89/02,12年,54.6度,ラム, ,(DB),バーボン7年-デメララ・ラム5年,
スプリングバンク'89,'89,12年,58.1度, , ,(DB),独向けプライベート・ボトル,
スプリングバンク'74,'74/03,28年,46度, ,630本,(DB),独向けプライベート・ボトル、シングル・カスク,
スプリングバンク15年, ,15年,46度, , ,(DB),2002年ボトリング,
スプリングバンク21年, ,21年,46度,シェリー, ,(DB), ,
スプリングバンク21年, ,21年,46度,オーク, ,(DB),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク25年, ,25年,46度,オーク, ,(DB),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク30年, ,30年,46度,オーク, ,(DB),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク25年, ,25年,46度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク30年, ,30年,46度, , ,(DB),正規、白ラベル,
スプリングバンク30年, ,30年,46度, , ,(DB),並行、白ラベル,
スプリングバンク35年, ,35年,46度,シェリー, ,(DB),白ラベル。ミレニアム・シェリー・カスク,
スプリングバンク40年, ,40年,40.1度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク45年, ,45年,40.1度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク50年, ,50年,40.5度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク'67,'6796,28年,46.0度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク'65,'65,30年, , , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク'66,'66,33年, , , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク'65,'65/95,29年,46.0度, , ,(DB),白ラベル,
スプリングバンク'62,'62/95,32年,46度,オーク, ,(DB), ,
スプリングバンク'62,'62,29年, , , ,(DB), ,
スプリングバンク・ダァ・ヴィーレー'92,'92/99,7年,46度,シェリー,1000本,(DB),99年12月発売、オーガニック,
スプリングバンク・ダァ・ヴィーレー,'92/99,7年,59.6度,リフィール・シェリー,1000本,(DB),オーガニック,
スプリングバンク・ローカル・バレー'66,'66,32年,54.4度,バーボン, ,(DB),オーガニック、樽違い3種あり,
スプリングバンク・ローカル・バレー'65,'65/01,36年,47.6度, , ,(DB),オーガニック,
スプリングバンク・ローカル・バレー'65,'65,36年,49.1度, , ,(DB),オーガニック,
スプリングバンク・ウエスト・ハイランド'66,'66, , ,シェリー, ,(DB),オーガニック,
スプリングバンク'67,'67, , , , ,(ウィスク・イー),土屋守コレクション,
スプリングバンク'91,'91,9年,46度,オロロソ・シェリー, ,(キングスバリー),バルデスピノのドン・ゴンゾーロ,
スプリングバンク'91,'91,8年,46度,オロロソ・シェリー, ,(キングスバリー),バルデスピノのドン・ゴンゾーロ,
スプリングバンク'90,'90,8年,46度,リフィール・バーボン, ,(キングスバリー), ,
スプリングバンク'93,'93, ,61.1度, , ,(クライズデール), ,
スプリングバンク'93,'93,6年,60.6度, ,290本,(クライズデール), ,
スプリングバンク'93,'93,5年,61.3度, ,350本,(クライズデール), ,
スプリングバンク'87,'87,12年,57.2度,バーボン・ホグス,300本,(ケイデンヘッド),オーセンティック・コレクション,
スプリングバンク'80,'80,18年,53.4度,シェリー,582本,(ケイデンヘッド),オーセンティック・コレクション,
スプリングバンク21年, ,21年,カスク, , ,(ケイデンヘッド), ,
スプリングバンク'67,'67,32年,46.8度,シェリー, ,(ケイデンヘッド), ,
スプリングバンク'67,'67,32年,44.6度,シェリー,228本,(ケイデンヘッド), ,
スプリングバンク'66,'66,21年, , , ,(サマローリ), ,
スプリングバンク'97,'97/02,5年,45度, , ,(シグナトリー),スティル・オブ・スコットランド,
スプリングバンク'89,'89,11年,46度,オーク,362本,(シグナトリー),アン・チルフィルタード・コレクション,
スプリングバンク21年, ,21年, , , ,(シグナトリー), ,
スプリングバンク12年, ,12年, , , ,(シグナトリー),ストレート・フロム・ザ・カスク500?,
スプリングバンク'69,'69,30年,50.0度,シェリー, ,(シグナトリー),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク'69,'69,28年,52.3度,シェリー,590本,(シグナトリー),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク'67,'67,32年,49.1度,オーク,225本,(シグナトリー),ダンピー・ボトル,
スプリングバンク'75,'75,27年,46.0度,バーボン, ,(スコッチ・モルト・セールス),ケルティック・クロス,
スプリングバンク'74,'74,28年,48.0度,オロロソ・シェリー, ,(スコッチ・モルト・セールス),ディスティラリー・コレクション,
スプリングバンク'67,'67,33年,41.4度, , ,(ダグラス・レイン),オールド・モルト・カスク,
スプリングバンク'65,'65,34年, , , ,(ダグラス・レイン),オールド・モルト・カスク,
スプリングバンク'67,'67,35年,40.5度, , ,(ダンカン・テイラー),ピアレス,
スプリングバンク'67,'67,34年,40.9度,バーボン, ,(ハート・ブラザーズ),ファイネスト・コレクション,
スプリングバンク'65,'65,30年,43度,オーク, ,(ハート・ブラザーズ),ファイネスト・コレクション,
スプリングバンク'67,'67,34年,40.9度, , ,(ハイ・スピリッツ・コレクション),スコティッシュ・カラーリスト、伊のボトラー,
スプリングバンク'89,'89,11年,43度,オーク, ,(ヴァン・ウィー),アルティメット,
スプリングバンク'90,'90,9年,43度, , ,(ブラックアダー), ,
スプリングバンク'90,'90,9年,57.9度,オーク, ,(ブラックアダー), ,
スプリングバンク'67,'67,30年,カスク, , ,(ブラックアダー), ,
スプリングバンク'65,'65/96,31年,42.7度, , ,(ボトラーズ), ,
スプリングバンク'91,'91,8年,46度,リフィール・シェリー, ,(マーレイ・マクデヴィッド), ,
スプリングバンク'89,'89,9年,46度,バーボン, ,(マーレイ・マクデヴィッド), ,
スプリングバンク'65,'65, , , , ,(マーレイ・マクデヴィッド), ,
スプリングバンク21年, ,21年,54.8度, , ,(マッカーサー),柑橘系の香が強い,
スプリングバンク'91,'91,9年,60.35度,リフィール・バーボン, ,(マッキンタイア), ,
スプリングバンク30年, ,30年,50度, , ,(ジョン・ミルロイ), ,
スプリングバンク'85,'85,11年,50.0度, , ,(ムーン・インポート),ルネッサンス,
スプリングバンク'67,'67,31年,45.8度,バーボン, ,(ラ・リザーヴ), ,
スプリングバンク'65,'65,35年,46度,リフィール・シェリー・ホグス, ,(リキッド・ゴールド),カレドニアン・セレクション,
スプリングバンク・ファウンダーズ・リザーヴ, , ,46度, ,1800本,(ロッホデール),02年末ファースト・エディション,
スプリングバンク'91,'91/01,10年,50.0度,バーボン, ,(ロンバード),ジュエル・オブ・スコットランド,
スプリングバンク'91,'91,8年,58.5度,オーク, ,(ロンバード),ジュエル・オブ・キャンベルタウン,
スプリングバンク'65,'65,31年,46度, , ,(ロンバード), ,
スプリングバンク'65,'65/91,25年,46度,オーク,4樽,(ロンバード), ,



投稿者: 一考    日時: 2003年04月11日 03:46 | 固定ページリンク




一考 | どうなることやら

 みなさまへ
 八日はみなさんありがとうございました。もっとも、九日からは何事もなく元通りの暇な店に戻りましたが・・・。それにしても、ありがたかったのは久しぶりに米が買えたことです。かようなこともあろうかと、りきさんから頂戴した稲庭饂飩をはじめ、我が家には非常食がそれなりに蓄えられています。しかし、私のような世代は飯粒におみおつけがないと胃の収まりどころがなく、ふっくらとした飯粒が「枯れ野」の夢のなかを「飛び散らう」始末、難儀なことでございます。
 ですぺらの方は月末までじっくりと考えて結論を出します。かなり悲観的ではありますが。

 二階堂奥歯さんへ
 八日は失礼致しました。女性客が多く食堂状態になり、厨房にこもりっきりになってしまいました。貴女のお母さまに挨拶すらかなわず、恐縮しております。よろしくお伝え下さい。
 建設的なご意見に感謝。神保町は最初に出店を考えた場所でした。神保町には昔からの友人も多く、数人の古書店主に相談もしました。でも、あの街は午後八時を過ぎるとゴーストタウンになります。全員から反対されてあっけなく諦めたのです。また、女房を質に入れても本を買うのが本好きでして、本が好き酒が好きというのは素天堂かフクさん、もしくはお邪魔ビンラディンか私ぐらいなものでしょう。さらに、一献傾けるのは居酒屋と相場が定まってい、肴も百円までの冷や奴か塩辛と相場は決まっています。神保町が昔から貧乏町と揶揄されるのも、そのあたりに理由があるのでしょう。

 フクさんへ
 この二~三箇月、さまざまな雑用に追われつづけ、当掲示板以外のネットへの接続はほとんどしていないのです。九日に管理人さんから聞き及び、貴方のHPを見ました。心配をお掛けし申し訳なく思っています。でも、事情のいかんを問わず、貴方とお会いできるのは私の喜びとするところです。櫻井さんと共に久しぶりの置酒歓語、一夜の酔いに身を任すべく冀求致しております。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月11日 03:49 | 固定ページリンク




一考 | 評価は低いが美味なモルト

???T?から日本での評価は低いが美味なモルトを紹介してほしいとのことで、ちょいと文章をでっち上げました。おそらく人の目に触れないと思いますので、載せておきます。

オスロスク
 【グレンヒース(スコッチ・モルト・セールス)】800円
 10年もの、40度。中味はオスロスク。
 かつて、グレン・マレイを核とした同名のピュア・モルト・ウィスキーが頒されていたが、本品はまったく異なる。オスロスク蒸留所のシングル・モルト3樽をボトリング。1000本のリミッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルと比してまろやかさ、潤沢なこくと味わいで優る。色は淡く、カラメル香もなく、シェリー酒のテイストが濃厚。
 蒸留所の創業は1974年と新しいが、既に数々の品評会で受賞し、国際的な名声を得ている。クラガンモアと共に、スペイサイドのよさをすべて備えた銘酒。ディスティラリー・ボトルは「シングルトン」のブランドでボトリングされていたが、2002年よりユナイテッド・ディスティラーズ社の「オスロスク10年」に変更された。
 イアン・マクロード゙社からポート・フィニッシュの11年もの、ケイデンヘッド社のオリジナル・コレクションからシェリー・ウッドの10年ものが、他のボトラーではドナート社のダン・イーディアンとマーレイ・マクデヴィッド社から加水タイプのボトルが頒布されている。また、ダグラス・マクギボン社、ダグラス・レイン社、ケイデンヘッド社のオーセンティック・コレクションから数種のカスク・ストレングスが頒布されている。

クレイゲラヒ
 【クレイゲラヒ '89(ダグラス・レイン)】1000円
 オールド・モルト・カスクの一本。12年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。360本のシングル・カスク。
 蒸留所の創設は1888年。株主のひとりピーター・マッケイが1890年にブレンデッド・ウィスキーのホワイト・ホースを発売。爾来ホワイト・ホースのメイン原酒となり、シングル・モルトとして出回る量は極めて少ない。
 ディスティラリー・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、それと比して遙かにリッチ。アイリッシュ・クリームの香り、オレンジやナッツの風味、長く濃密なフィニッシュ。最良の食後酒のひとつ。
 イアン・マクロード社、ハート・ブラザーズ社、シグナトリー社、ゴードン&マクファイル社、サマローリ社などから加水タイプのボトルが頒布されている。また、ボトラーズ社、イアン・マキロップ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

グレンアラヒ
 【グレンアラヒ '91(シグナトリー)】1300円
 シェリー・バットの8年もの、43度、限定902本のシングル・カスク。
 女性に人気のエレガントな食前酒であり、僚友アベラワーと通底する味わいを持つ。きれのよさは心地よく、極上のフィニッシュに飲み手を誘う。オーク・カスクにはない、アーモンドのようなナッツ系の香りが特徴。
 仏蘭西のペルノ・リカール社が所有する蒸留所はアベラワーとグレンアラヒ。クッキーやキャンディの甘さ、まろやかな喉ごし、すこぶるデリケートな香り、軽くのびやかな酒質等々。仏蘭西ならでは、と想わせる所が愉快である。
 シグナトリー社からは数種の加水タイプが、ケイデンヘッド社、ゴードン&マクファイル社、ダグラス・レイン社からカスク・ストレングスが頒布されている。

グレンロッシー
 【グレンロッシー '89(ダグラス・マクギボン)】1000円
 プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
 すがすがしい白檀の香りと糖蜜と干し草の匂い。フレッシュでドライな喉ごし、麦芽とシェリー香のアクセントを得て、フィニッシュは徐々にスパイシーに。
 リンクウッドやロイヤル・ロッホナガーと共にソフィスティケーテッドなウィスキーとして識られる。
 ディスティラリー・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、それと比して円熟度高く、よりスイートな味わい。重厚な香りと切れ上がりの暖かさが絶妙。
 インタートレード社、ゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社、イアン・マクロード社から各種加水タイプのボトルが、アデルフィ社、ダグラス・レイン社、イアン・マキロップ社からはカスク・ストレングスが頒布されている。

ストラスミル
 【ストラスミル '91(ゴードン&マクファイル)】900円
 コニッサーズ・チョイスの9年もの、40度。
 キース地区特有の熟した果実の香りと長く続くスパイシーなフィニッシュが特徴。
 インデペンデント・ボトラーズのボトルとしては最も新しい。
 ディスティラリー・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、それと比して薫り高く、ラスト・ノートで優る。
 ウイルソン&モーガン社とシグナトリー社から数種の加水タイプのボトル、またダグラス・レイン社とイアン・マキロップ社からも数種のカスク・ストレングスが頒布されている。

ダルユーイン
 【ダルユーイン16年(ユナイテッド・ディスティラーズ)】1400円
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 アイランズのタリスカー同様、ジョニー・ウォーカーの核となる原酒モルト。
 マルティニック・ラムの香りを持つフル・ボディ。ホットな辛口でアフター・テイストに特徴がある。フィニッシュが長く、スモーキーからビターへと次第に変化していく。
 ゴードン&マクファイル社、サマローリ社、ハート・ブラザーズ社などから加水タイプが、アデルフィー社、ゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、イアン・マキロップ社、マッカーサー社からはカスク・ストレングスが頒布されている。

バルミニック
 【バルミニック '90(アデルフィ)】1100円
 11年もの、59.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 ヘザーハニーの香り、甘辛のバランスが佳く、ジンジャーを想わせるスパイシーなフィニッシュが長く続く。グレントファースと共に、スペイサイドの隠れた銘酒。入手可能な間にぜひ味わっておきたい逸品。
 ディスティラリー・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズにて1991年の発売。他にゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスはお薦めの一本。
 ゴードン&マクファイル社、ハート・ブラザーズ社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社、イアン・マクロード社から加水タイプのボトルが頒布されている。アデルフィ社、ハート・ブラザーズ社、ハイ・スピリッツ・コレクション社、イアン・マキロップ社、イアン・マクロード社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

ピティベアック
 【ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)】1300円
 チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルはユナイテッド・ディスティラーズ社の花と動物シリーズだが、本品はそのオイリーな舌触りはなく、きれのよさがそのままホットなアフター・テイストに繋がって行く。
 ダフタウン蒸留所に隣接する。仕込用水からポット・スティル、熟成庫までを共にする、謂わば弟でありながら、兄とは異なり個性的。蒸留所は93年に閉鎖。
 自己主張が強く、ダルユーインのようなホットな辛口。ピリピリ感を伴うフィニッシュが比較的長く続く。同じ飲むなら、ダフタウンよりこちらがお薦め。
 ブラックアダー社とイアン・マクロード社から加水タイプのボトルが、キングスバリー社、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、イアン・マキロップ社からカスク・ストレングスが頒布されている。

ブレヴァル
 【ブレイズ・オブ・グレンリヴェット '89(ケイデンヘッド)】1200円
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの10年もの、62.2度のカスク・ストレングス。限定288本のシングル・カスク。
 アルタナベーンとは兄弟蒸留所だが、こちらは重厚な味わい、噛み応えのあるボディ。メイプルシロップや干し葡萄の甘い香り、蜂蜜のような深くまろやかなこくとオレンジ・ピールの風味。フィニッシュは長くドライ。
 創業は73年と新しいが、ストラスアイラと共に傑出したモルト。ストラスアイラが甘すぎるという方に強くお薦め。
 蒸留所名はブレイヴァル。シーバス・リーガルの原酒モルトのためディスティラリー・ボトルはなく、インデペンデント・ボトラーを介してやっと入手可能になった。
 キングスバリー社、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、ダグラス・レイン社からカスク・ストレングスが頒布されている。特筆すべきはスコッチ・モルト・セールス社とハート・ブラザーザ社から頒布されたマディラ・フィニッシュのボトル。樽由来のフレッシュ・ミントとオレンジの花の香り、心地よい甘味の中に秘められた爽やかな酸味が美味。

ベンリネス
 【ベンリネス '88(ゴードン&マクファイル)】1000円
 ゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスの一本。9年もの、40度。
 糖蜜やカラメルのヘビーな香り、厚みのある優れた食後酒。クロフォードの原酒モルトだが、ブレンドされた製品とは異なり、すこぶる辛口に仕上がっている。
 ウォッシュ(もろみ)の一部を3回蒸留するのが、ベンリネスの特徴。大半は2回蒸留だが、それに3回蒸留を施したものを加えることによって、よりライトタイプのモルトになるという。ドライだが、ボディが厚く、リッチなフィニッシュ。
 ハート・ブラザーズ社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社などから加水タイプのボトルが頒布されている。ダグラス・レイン社、ブラックアダー社、ボトラーズ社、イアン・マキロップ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

グレンユーリー・ロイヤル
 【グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)】1500円
 コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 ヴィンテージ・モルト社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。とりわけ28年もの、58.4度のレアモルトはオロロソ・シェリーのアロマが顕著。

ノックドゥー
 【ノックドゥー '89(ケイデンヘッド)】1100円
 オーセンティック・コレクションの一本。バーボン・ホグスヘッドの10年もの、56度のカスク・ストレングス。限定306本のシングル・カスク。
 ディスティラリー・ボトルのブランドは「アン・ノック」だが、「ノックドゥー」とは味わいガ異なる。アン・ノックは麦芽の風味と微かなスモーキー・フレーバーを持つフレッシュなキャラクターが売りだが、ノックドゥーは完熟林檎や西洋梨、スコッチ・バターの艶のある香りなど、遙かに濃厚でパワフル。香味に求心力がありベクトルも強く、クリーミーなラスト・ノートを堪能できる。
 アデルフィ社とケイデンヘッド社のカスク・ストレングスの他、ディスティラリー・ボトルで21年と23年ものカスク・ストレングスが限定頒布されている。共に傑出したボトルである。

フェッターケアン
 【フェッターケアン12年】700円
 40度のディスティラリー・ボトル。
 2002年10月の発売。ブランドと蒸留所名が統一され、熟成年数が10年から12年に、アルコール度数が43度から40度に下げらた。当初は1リットルボトルによる頒布。
 旧ボトルの「オールド・フェッターケアン」と比して確実にまろやか、唇に触れた時のえも言われぬ甘味。ホワイト&マッカイの原酒モルトのひとつ。
 芳ばしいヘーゼルナッツや胡桃の風味、甘辛のバランスにすぐれたユニークな食前酒。スムースでシルキー、清爽なフィニッシュ。ミディアム・タイプ。
 フェッターケアンは熟成庫の広さと保管する樽の量が多いことで識られる。
 キングスバリー社とマッカーサー社のカスク・ストレングスの他、旧オーナーのジム・ビーム・ブランドからスティルマンズ・ドラムの一本として26年ものが頒布されている。さらに、現オーナーのキンダル・インターナショナル社からシングルカスク・セレクションと銘打って72年、73年蒸留のカスク・ストレングスが頒布された。かつてシグナトリー社から80年蒸留のヴィンテージものがボトリングされたが、スティルマンズ・ドラム同様、特筆大書すべき逸品だった。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月11日 03:58 | 固定ページリンク




フク | 今晩

 一考さま
 わざわざ言及頂きまして恐縮至極です。約一月ぶりとなりますが、今晩伺わせて頂きますので、また宜しくお願いします。(ただ別の飲み会の後となりますので多少遅くなるやもしれません)。
 毎度のことではありますが、文章にて現せないほどに楽しみにしているのです。ですぺらに向かうエレベーターに乗り込む時の程良い緊張感も、また。寛ぐためにバーに行くのに、どこか背筋をしゃんとしておきたくなるような――。



投稿者: フク    日時: 2003年04月11日 06:32 | 固定ページリンク




松友 | 「寺山修司の青春時代展」招待券

 さて、先に書き込みさせて戴きました「没後20年 寺山修司の青春時代 展」[平成15年4月26日(土)-6月15日(日)、世田谷文学館にて]ですが、やんごとなき御方の御好意により招待券が片手で数えられる範囲を超える塩梅でdesperaさんに贈られているそうです。
 という事で、御希望の折は声をかけてねとの一考様の由。

 同じ投稿で御容赦を。
一考さま
 スプリングバンクの詳細御教示痛み入ります。より踏み込んだ範疇は是非御店にて御願い申し上げます。
 さて、彼の地では拙メ煩悩の多さゆえ『仙人目指してます』などと申し上げておりましたが、実は貧しさの余り霞を口にし酒をもて日々過ごしたかっただけの事でした。やはり霞では腹は膨れないですね。



投稿者: 松友    日時: 2003年04月12日 18:14 | 固定ページリンク




某若 | 先日はどうも


先週土曜にお伺いしました某若こと若尾です。

アドベックをはじめとする珍しいモルト、大変楽しくいただきました。
また、貴重な資料などお分けいただき感謝しております。

族長より「俺が行くまで潰すな」との言伝です。

私も、インディペンデントボトラーズのモルトを楽しめる場所として大切にしたいと思いますので、
諸般の事情を吹っ飛ばしてでも頑張っていただきたく、よろしくお願いいたします。



投稿者: 某若    日時: 2003年04月14日 17:24 | 固定ページリンク




一考 | ありがとう

 若尾さんへ
 わざわざのお出ましありがとうございました。シングル・モルトに関する資料はいろいろ有ります。すべてオープンにしておりますので必要なものが御座いましたらお知らせください。
 石橋さんへのメールにも記したのですが、「日本のメーカーはバイクは作るが乗り方は教えない、その間隙を埋めてきたのがケンタウロス・・・謂わばバイクの文化史を担ってきた」との大将の文言に興味を惹かれてのお付き合いで御座います。私もささやかながら、シングル・モルトの側面、謂わばボトラーの文化史をいつの日か著したいと願っております。
  過日、横浜へ参った折には大将より蛸料理の馳走に与り恐縮致しております。横浜へ行こうと思いつづけているのですが、店の方がかんばしくなく、日曜、祭日はその足しにとアルバイトに明け暮れております。見兼ねた常連の編輯者から次回の連休の間にと原稿依頼を頂戴しました。臨時収入が続くあいだはですぺらも大丈夫です。大将に心配をお掛けしたことを深くお詫びするとともに、くれぐれもよろしくお伝え頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月16日 19:45 | 固定ページリンク




愛子 | 一考様


まだわからないのです。
この世に生まれて何年もたつのにまだわかりません。
まだ、「自分」が一番わかりません。

だから、一考さんのおっしゃる「自分」なんてないのだ、という言葉がよくわからないのですよ。
「自分」なんてないのだという、その立場を選んでいるのは一考さんの「自分」ではないのですか。
それ自体、ひとつの貴方の、「自分」のあり方ではないのですか。
その選びひとつに、一孝さんが滲み出ているではないですか。

いくら否定しても否定しても、「自分」とは残ってしまうものだと思います。 否定する感情がある限り、その感情の中に「自分」が立ち現れます。 どんなに隠そうとして、殺そうとしても、生きている限りそれは漏れてしまうものです。何かをひとつ選ぶたび、全てを持ち得た可能性は消え、ひとつという現実が手に残ります。そのひとつに、どうしようもなく自分は現れてしまうのです。たったそのひとつに、たったひとつのくせに、そこにはすでにあふれんばかりに自分が充満してしまっています。
それは、考えただけでもとても恐ろしい。そして、恐ろしいと一語選んで綴ったそのぶんだけ、またその恐怖はいやますのです。他者からみれば、気にも留めないことかもしれない。しかし、それは救いですらありません。
問題は、何故私が「あれ」を選ばず「これ」を選んだのかということなのですから。だから、選びをすることはとても恐ろしいのです。けれども、現実に生きていこうとするならば、何かを選び続けなければ生きていけないのです。今日、朝起きて食べるもの着るもの、仕事に行けばどの手順で物事をすすめるのか、終わればどうするのか、家に帰るのかどこかへ寄るのか、お風呂に何時に入るか、就寝前に何をするのか。
確かに、このような選びは極々当たり前な日常生活です。誰だってしていることです。しかし、「自分」の選びと完全に全ての選びが一致するほかの人なんているでしょうか。決していません。そのようなことはあり得ないのです。なぜなら、「自分」は「自分」であって、「他人」や「貴方」ではないからです。
だから、何かを選び続けるかぎり、つまり生きているかぎり「自分」がないということが、私には到底考えられないのです。そのような選びをする「なにか」を「自分」と呼ぶかどうかは好みの問題かも知れません。
しかし、そのように考えている「なにか」を、今現在の私は便宜的に「自分」と呼ぶことにしています。なぜなら、他に呼びようがなく、この私の手が、実際にパソコンの前に座り、この文字をつづらせているのですから。

一考さんの「自分」と、私のいう「自分」の範囲が違うのは承知の上。
でも、そうであればこそあえて聞いてみたいのです。

そう、だから、わからないのです。まだわからないのです。
「自分」がないということが、いまだわからないのです。

全て、何をしてもかんがえても、この世は神さまの掌の中。
だけど、目指しているのは「自分」があるだのないだの、わからないだのなんなのかだの、
かような迷い言を抜かす地点を超えることなのです。
自分の存在から解放されることなのです。 自分の存在から逃れることなのです。
それができれば「自分」はプラスでもなくマイナスでもない絶対値ゼロになれる、と思っているのです。

自分で自分を認識しなくなる地点、自我が融解する地点。
そこまで、ゆけば、その地点ならば「自分」はもうないと信じているのです。

かの地点へいたる道は何処か探し続ける、考え続ける、
換言すればそれが生きていくということ。
少なくとも今現在の私にとっては。

ノアの箱船から飛んでゆき、二度と戻ってこなかった鴉がときおり無性に羨ましく。



投稿者: 愛子    日時: 2003年04月18日 03:11 | 固定ページリンク




りき | 私信

>薫子さん、一考さん
昨日いっていたメモ書き、細部調査のうえ、
さっき、メールしました。
メールの内容から確認していただけると幸いです。
多分、作家名とかはこれであっているはずです。

本当にいろいろとご迷惑をかけます。

しかし、恐ろしいほどのラインアップということが調査して
分かりました。
本当に忘れられた作家たちばかり。
(^^;;



投稿者: りき    日時: 2003年04月19日 12:08 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会6

 4月26日の夕6時から9時にかけて第6回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は5月24日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

4月
  スキャパ('85 イアン・マクロード)
  ブナハーブン('90 ダグラス・マクギボン)
  キャパドニック('74 イアン・マクロード)
  グレンアラヒ('91 シグナトリー)
  グレン・マレイ('89 シグナトリー)
  コンヴァルモア('77 ケイデンヘッド)
  ストラスミル('91 ゴードン&マクファイル)
  グレンドロナック('88 ケイデンヘッド)
  ディーンストーン(12年)※
  ティーニニック('82 ゴードン&マクファイル)
5月
  ボウモア('92 ドナート)
  トーモア(10年 ダグラス・マクギボン)
  バルミニック('90 イアン・マクロード)
  ブレイズ・オブ・グレンリヴェット('89 ケイデンヘッド)
  ベンリアック(10年)※
  マッカラン('90 ドナート)
  グレンロッキー('75 ダグラス・レイン)
  ダルモア('88 ダグラス・マクギボン)
  バンフ('66 ダグラス・レイン)
  オーヘントッシャン・スリーウッド※



投稿者: 一考    日時: 2003年04月22日 18:46 | 固定ページリンク




一考 | 鴉の失意

 愛子さんへ
 私にも「自分」はわかりません。わかっているのは暫定的な存在だということだけなのです。雲も風も木立も鳥もそして人も、生あるものすべては暫定的なものだと思っています。「約束された滅びへのみちのり、『年々歳々花相似、歳々年々人不同』間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです」と横須賀功光さんへの追悼で著しました。その思いはおそらく終生かわらないのではないかと思っております。
 貴女の実存主義的な姿勢に対してですぺらでは中途半端な物言いに終始しました。従って、いずれこのような書き込みがなされるのではないかと思っていました。ただ、進行形で「自分」と格闘なさっている貴女と人生の大半を抛り投げてしまった私とのあいだの時間差、すなわち年齢差にはいかんともしがたいものがあるのです・・・などと書けば嘘になります。年齢に責任を転嫁すれば、事態を中二階へ置き去りにすることになります。やはり、真っ向から意見を述べないといけないのでしょう。内容が内容だけにちょいと疲れます、時を費やして気長にやりましょうか。

 昨日は横須賀さんを偲ぶ会が銀座であったのです。ですから横須賀さんに託けていつも通りのことを記します。
 人は核となるような自分を常に持っているわけではありません。相対し、人と語り合うときだけ、仮説としての自分が存在するのです。そういう存在の危うさ、虚しさ、切なさのようなものをしっかり携えて彼はやってきました。その「仮説としての存在」が彼の原理原則だったのです。真実により近いものは、言葉の端々から滲みでるメタファーのなかにしかない。そしてそのメタファーによって焙りだされ、アナロジーによって射抜かれたとき、未分化なものにはじめて明瞭な形態が与えられ、可視的なものに変化するのだと。これも横須賀さんとの諒解事項のひとつでした。「分かっちゃいないね」が彼の口癖だったと、これもかつて著しました。曖昧なものを彼は忌み嫌いました。対象に確たる輪郭を与えるために、話し合おう、言葉のゲームをしようと、それが私に突きつけられた彼の匕首だったのです。
 高いところと低いところ、昼と夜、現実と想像、そういった境界線を設定できない概念を二項対立の図式で捉えるのは間違いではないかと私は思うのです。貴女はカトリックなので、二項対立や二律背反などの概念に馴染んでいるのでしょうが、元来相克しないものを相克するかのごとく位置づけるのは無理があるように思います。
 話が佳境にはいってくると横須賀さんが「にじり寄ってくる」と書きましたが、にじり寄るどころか、体をぴたりと添わせてくるのです。心身ともに融合を試みるといった按配でした。彼にとっては自己と他者との融合、その一点のみが踏み越えねばならない最後の垣根ではなかったかと思うのです。先だって「『友』が、対置するところのものではなく、相対するところのものでもなく、謂わば伸縮自在なオブジェのような共作物であり、明確な輪郭を保つ観念そのものであった」と著しましたが、それは横須賀功光というユニークな精神の私なりの解釈なのです。
 人はみな他者に託けて文章を著します。しかし、述べるところは自分のことだけ、もしくは解釈とは自己の能力ないしは物差しにおいてしかなされず、人の数だけ異なる解釈が共存するのが世の常なのです。それはそれですこしも悪いことではないのです、ただ、横須賀さんはまるで異なりました。横須賀さんは一種の入れ子構造とでも称すべき包括的融合を求めてきました。それは自分を信じるとか信じないとかの問題ではなく、まったく無防備に自己をさらけだしての趣向であり、自らが不確かで揺れ動く存在ならばいっそ激しく揺すってみようかとの魂胆であったと思われます。かかる場にあって、既存の価値観や定規はなんの役にも立たず、取りうる武器は唯一アナロジーのみ。分からない自分を、やはり分からない他者と重ね合わせ、アナロジーの世界に深く身を沈めることによってなんらかの形が見えてくるのではとの、おそらく最初にして最後のぎりぎりの選択。言い換えれば、彼がですぺらで試みた最終のクリエーションに私が立ち会わされたのだと、いやいっそ彼と私であるが故に可能になったクリエーションだったと解釈致しております。

 「選択がひとつの立場の闡明」である。よく用いられる文言ですが、この「選択」との言葉に内包されるいかがわしさが気になります。生物は与えられた環境に適応し順応して生きてゆくのであって、その環境を選択できないところに存在の悲しみがあるのではないのでしょうか。また、生きてゆくとは死をむかえるまでつづく道程であり、仮説なり暫定なりの繰り返しではありませんか。どうしてその生きるとの不安定かつ不確実な行為に「立場の闡明」が必要なのでしょうか。人の精神に闡明は必要です。しかし「立場」が冠されれば話は別です。立場、立ち位置、拠ってたつ規範、アイデンティティ、どのように申しても結構、それらは口の端にのぼった瞬間、指のあいだから零れる砂粒のように消えてゆきます。なぜなら、精神は運動でありエネルギーであって、固着した精神など精神ではないからです。偽善に類することに思いを致すのは、時を費やすのは徒労ではありませんか。
 私は「『自分』なんてないのだという、立場を選ん」だことは一度も御座いませんし、「『自分』のあり方」を求めたことも一度も御座いません。自己と他者とが融合し合うようなところがもしあるとするならば、未知な新しい精神の領域を得られるようなところがもしあるとするならば、その時こそ有効と思われる選択を試みたいと心しております。対象が雲であろうが、風であろうが、木立であろうが、鳥であろうが、横須賀功光という名の人であろうが、それが何処の地にあろうともそこへ赴きたい。この世に仮に有効と思われる選択があるとするならば、それは融合を示唆するところのものに対して費やされた時間と情熱の重量のみ。その重みこそが「友」であり「愛」であり「観念」ではなかったのか。
 「ノアの箱船から飛んでゆき、二度と戻ってこなかった鴉」の失意の一端がお分かり頂ければありがたいのですが。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月23日 01:00 | 固定ページリンク




一考 | さりげないとは

 Mさんへ
 昨夕は恐縮、貴方を励ますどころか、私があの体たらくでは問題です。飲み屋は非日常でないといけないのですが、歳とともに涙腺のゆるみっぱなしです。一月十四日以降、酒が入ると悲しくなるのです。済まなく思っております。
 「真っ向から意見を述べるのではなく、もう少しさりげなく書けないのか」とのご指摘、忝なく存じます。「種村季弘の箱」編集の折に吉行淳之介さんの「『幻に化す料理』集成」を再読、改めて驚かされました。「食物漫遊記」を「幻に辿り着く」物語と見立てての話なのですが、その趣向、その呼吸、いずれをとっても美事。種村さんの人となりとその嗜好を描いて比類ない逸品と思いました。薄田泣菫を持ち出すまでもなく、肯綮に中る名品とはさりげない文章のなかにしかあらず、達意の文章とはこういうものよと畏れを抱きました。また、「隠し味」をた
 菊地信義さんからは、メタファーが読めない編集者ばかりになってしまいました。これでは玉も石もごた混ぜにされてしまいます、とのご指摘を受けました。もっか、自分を相手のアナロジーに苦戦しておりますが、自分自身を編集の対象にするのは至難の業なのです。だからこそ、貴方のような好敵手を得たことを喜んでいるのです。御迷惑と存じますが、今後ともどうかよろしくお引き回し頂きたく、伏してお願い申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月23日 16:13 | 固定ページリンク




一考 | スプリングバンク追加

 松友さんへ
 スプリングバンクの追加です。マクロード社から三点同時頒布、すべてシングル・カスクのカスク・ストレングス。値は17349、18106、19114の順です。カスクのコンディション次第ですが、安いと思います。ただ、事前に味見ができないので私は見送ります。

スプリングバンク'75,'75,27年,53.7度,バレル, ,(イアン・マクロード),チーフテンズ,
スプリングバンク'74,'74,28年,55.0度,バット, ,(イアン・マクロード),チーフテンズ,
スプリングバンク'72,'72,30年,46.0度,ホグスヘッド, ,(イアン・マクロード),チーフテンズ,



投稿者: 一考    日時: 2003年04月23日 16:15 | 固定ページリンク




一考 | 風変わりな魚たちへの挽歌

 稲葉真弓さんの「風変わりな魚たちへの挽歌」が河出書房新社から上梓されました。発売日は4月30日、編集は太田美穂さん、装幀は菊地信義さんです。全員が店のお客さんでもあり、安原顕さんの古い友人でもあります。表題作の他、四篇が収録されていますが、表題作は「海」83年2月号に掲載されました。既に二十年前のことになりますが、その前後、稲葉さんや安原さんと繁く飲み歩いたことを思い起こします。「これからの幻想小説を担うのは稲葉だよ」との安原さんのにぎやかな声がいまでも聞こえてきます。「風変わりな魚たちへの挽歌」一篇に彼も私も酔いしれていたのです。
 稲葉さんは愛知県生まれ、73年「蒼い影の傷みを」で婦人口論女流新人賞、80年「ホテル・ザンビア」で作品賞、92年「エンドレス・ワルツ」で女流文学賞、95年「声の娼婦」で平林たい子賞を受賞、他に三冊の詩集がありますが、そちらは12月に掲示板で書きました。 
 稲葉真弓さんと太田美穂さんが二十八日にですぺらへいらっしゃいます。サインなら可能と思います、稲葉さんの著書をお持ちの方はどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月23日 17:03 | 固定ページリンク




一考 | モルト会追記

 26日のモルト会に佐々木幹郎さんがいらっしゃいます。昨年、書肆山田から詩集「砂から」が上梓されています。佐々木さんは高橋睦郎さんと一緒にスコットランドからアイルランドを旅行なさっています。シングル・モルトには一家言お持ちの方です。にぎやかな会になりそうで、私も楽しみにしております。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月23日 17:07 | 固定ページリンク




一考 | 山崎剛太郎さんの著書

 山崎剛太郎さんの著書「一秒四文字の決断──セリフから覗くフランス映画」が春秋社から上梓されました。山崎さんがフランス映画の字幕翻訳を手掛けられて半世紀になりますが、その間、折に触れて綴られた文章をまとめしもの。映画ファンにはこたえられない一本と申せましょう。
 1985年7月に山崎剛太郎さんの小説集「薔薇物語」が雪華社から上梓されました。当時、私は雪華社の編集長でした。「戦前の短い一時期の、甘美な憂愁の空気を湛え」た作品、「一人の若くして虐殺された作家」の悲しみとはかなさを封じ込めた作品に魅せられて「薔薇物語」を出版したのです。栞は立原道造、堀多恵子、加藤周一、高野悦子、中村真一郎、小山正孝、矢内原伊作、白井健三郎、新庄嘉章という豪華メンバーで、中村真一郎さんは栞の他、書評まで著して下さいました。立原道造が示唆するのは堀辰雄のそれとは異なるユニークな悲しみであり、プルースティアンに相応しい肌理の細かい文体への共鳴でした。
 文学からリリシズムが喪われて久しくなります。「一秒四文字の決断」によって清澄な氏の文章にふたたび巡り会い、颯爽とした氏の声貌に接する機会を与えられたことに感謝致します。

 「出版をお祝いする会」は2003年5月31日(土)正午より2時まで。
 品川駅前のホテルパシフィック東京 白珠・漣の間。会費は10000円。
 連絡先は株式会社春秋社総務部内「山崎剛太郎さんの著書出版をお祝いする会」事務局。
 千代田区外神田2ー18-6 電話03ー3255-9610です。
 なお、出席の連絡は5月6日までにお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月25日 05:58 | 固定ページリンク




松友 | スプリングバンク詳細追加御礼

 一考様
 頃合の悪さは隠しようもなく御容赦下さいませ。
 スプリングバンク詳細追加の御教示痛み入ります。醸造年からいえば'72,30年がとても興味をそそるところです、この御歳でこの価格というのも。ですが、御値段記述して大丈夫でせふか、ちょっとふあん(;´Д`)



投稿者: 松友    日時: 2003年04月25日 06:07 | 固定ページリンク




一考 | マデイラ

 松友さんへ
 やはり、やばいかも。値の記述はやめましょう。
 フォーティファイド・ワインのちょっと面白いオファーが入りました。店の方で出力しておきます。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月25日 07:27 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら三周年

 前世紀最後の年に開業した「ですぺら」。三箇月で駄目になるとの予想もありましたが、
なんとか四年目を迎えることができました。経営状態はご時世のためか、「ですぺら」
という店名のせいか、青息吐息ではありますが、一日でも長く生き長らえようと、
悪あがきをしております。
 ささやかながら三周年の祝いとして、四月二十八日(月)より五月二日(金)までの間、
ご来店の際にはグラスワインとスモーク盛り合わせ(小皿)をサービス致します。
お誘い合わせの上、お越しいただければ幸いです。
(なお、四月二十九日は祝日のため休業いたします)



投稿者: 薫子    日時: 2003年04月27日 15:16 | 固定ページリンク




一考 | 悲報

 二階堂奥歯こと、佐々木絢子さんが昨夜10時半に死去なさいました。
 通夜は28日18時から21時まで。告別式は29日12時から13時。通夜告別式は共に落合斎場にて。落合斎場の住所は新宿区上落合3-34-12、電話番号は03-3361-4042。もより駅は地下鉄東西線落合もしくは西武新宿線中井です。
 ですぺらのお客さんには絢子さんの友人多く、みなさんでお送り致したく思います。また、絢子さんには私が存じ上げない知己もたくさんいらっしゃいました。当掲示板をご覧になられた方からお声をお掛け下さればと念じます。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月27日 15:51 | 固定ページリンク




一考 | 三枝和子さん逝く

 三枝和子さんの告別式は26日午前10時から大田区池上の厳定院エコーホールにて執り行われました。長いお付き合いのなかで、三枝さんのエッセイ集と編纂本をかつて上梓しました。私が岡山の生協で仕事をしていた折、花蔵院で原稿依頼。それから十年余お会いしてなかったのです。二年ほど前、体調すぐれぬなか、無理を押してですぺらへいらっしゃいました。お連れくださった講談社の方に感謝致しております。三枝和子さんとは新宿のエイジでよく酒を呑みました。いまではそのエイジのママと酒を酌み交わしています。清水弘子さんとは合うたびに三枝和子さんの話をしていたのですが・・・こころからご冥福をお祈り申し上げます。

 ですぺらで二度とお会いできなくなる方が増えてゆきます。帰らぬ旅人の記憶が層になって店内を漂います。このところ、ひとりで店に居ますと無性にさみしくなるのです。ですぺらというスペースの維持にそれこそ意地を張らねばと覚悟致しております。みなさまの御協力に満腔の謝意を表したく思います。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月27日 20:26 | 固定ページリンク




東 雅夫 | 葬儀場変更のお知らせ


 二階堂奥歯/佐々木絢子さんの葬儀場が、下記に変更になったそうなので、
取り急ぎ御連絡します。
 なお、日時は変更ありません。

 落合第一地域センター
 新宿区下落合4-6-7
 電話03-3954-1611
 最寄り駅は西武新宿線の下落合。タクシー等でお越しの場合「聖母病院の
横」と言えば分かるそうです。



投稿者: 東 雅夫    日時: 2003年04月28日 15:14 | 固定ページリンク




一考 | 同じく

 みなさんへ
 東 雅夫さんのご指摘通りですが、通夜も落合第一地域センターへ変更されました。お間違いないよう、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月28日 15:26 | 固定ページリンク




 | さようなら

あなたの美しいものが、無惨にも失われていきます。
あなたが心の底から美しいと思い、愛したものが、あまりにもたやすく失われていく。
あなたが心の底から汚いと思い、さげすんだものが、あなたの死後、なおいっそうのさばる。

死とはそのようなものでありました。
あなたが失われるのではない。
あなたの思いが失われていくのです。

けれどもそれは、あるいはささいなこと。
あなたからついに、恐怖が去ったのだから。
もうおびえずにすむのだから。

よくやりました。
よくやりとげました。

世界で最も美しかったあなた。
おめでとう。
さようなら。



投稿者: 哲    日時: 2003年04月29日 08:59 | 固定ページリンク




 | はじめまして

拙い文章で申し訳ありません。
書かずにはいられませんでした。
2ちゃんねるに投稿することも考えましたが、やはりそれはためらわれ、図々しくも突然この場をお借りしました。
この場に不適切なものでしたら、削除していただいてもいっこうに構いません。

昨日は開催場所の伝達ミスでみなさま方にご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。
幾人かの方々の適切なご判断ご行動により、それほどのトラブルにはならずにすんだようです。
心より感謝いたします。

あの人の魂はすでに失われましたが、今日はあの人の肉体がこの世に存在する最後の日です。
今日もたくさんの方がいらっしゃるのでしょう。
それを見たあの人はなんと言うのでしょうか。
得意気に、でも少しはにかんで、「えっへん!」とでも言うのでしょうか。

ああ、私の中には、まだなんとかあの人が生きているようです。
どうか、みなさま方の中にも、あの人が生き続けますように。

失礼いたします。



投稿者: 哲    日時: 2003年04月29日 09:05 | 固定ページリンク




一考 | お詫び

 哲さんへ
 ですぺらの掲示板へお書きくださったことに感謝致します。貴方が編集者なのは知っていましたが、表現なさる方だと確認し、少々安堵致しました。なぜなら、表現は自らの苦衷を客体化する行為なのですから。
 貴方の話は絢子さんから何度もなんども聴かされました。「あなたがいたから私は最後の五年間を生きてこられたの」そのとおりです。貴方という連れ添いを得た彼女は仕合わせだったと信じています。
 「明日が来るのがおそろしい」とこれもまた、幾度となく彼女から訴えられました。私にはなすすべはなかったのです。だからこそ、「よくやりました。よくやりとげました」との言葉が理解できるのです。掛け値なしの貴方の肉声として深く諒解させていただきます。
 「『えっへん!』とでも言うのでしょうか」との言葉には貴方と絢子さんとの呼吸が、互いのこころの鼓動が感じられ、思わず涙が頬をつたわるのです。
 私は拙い存在ですが、彼女のことは忘れません、忘れませんとも。どうして彼女のことを忘れられるのでしょうか。魂が、肉体が消滅したあとも、記憶の襞の奥深くに栖をかえて人は生き続けるのです。

 通夜のあとは朝の六時までみなさんと語り合いました。葬儀のあと、店の掃除と明日の仕込みを片づけ、酒の補填に葛西まで出掛け、たったいま帰宅したところです。他ならぬ貴方の書き込み、返事が遅くなりましたことをお詫び致します。いささかの時を経たあと、絢子さんを偲ぶ会をですぺらで催しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2003年04月29日 21:57 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

管理人さんへ
不愉快です。かかる品のない掲示板になんら興味はありません。当掲示板の閉鎖を強く要求します。



投稿者: 一考    日時: 2003年05月02日 03:48 | 固定ページリンク | トラックバック (0)




管理人 | 掲示板停止のおしらせ

この掲示板は投稿できない状態にします。
再開するかどうかは未定。



投稿者: 管理人    日時: 2003年05月02日 09:56 | 固定ページリンク | トラックバック (0)




渡邉一考 | 追悼


 もっとも知りたくない、触れたくない事態に逢着致しました。横須賀功光さんの指折り
数えての死。そして今回の遁走と申すべきなのでしょうか、人生を疾駆した佐々木絢子さ
んの唐突の死。深い慟哭に襲われつ、いまの私にはなにも考えられないのです。誕生日を
四日後にして、絢子さんは25歳で歩みを止めました。その彼女の遁走をいかに解釈し、い
かに言い聞かせ、余人に伝えればよろしいのか、いよよますます「自分」がわからなくな
るのです。
 私にはこころを癒そうなどという考えはもうとうありません。ひとはみな、こころのな
かに病いをひそめているのですから。それゆえ、彼女の死から、彼女の選択から何を読み
とり、いかに読み換えるか。おそらく「この世で唯一有効と思われる選択」を選び取った
彼女の畏れと飛翔、その駈け抜ける意志力を目前にして、軽佻浮薄な私ごときはただ首を
垂れるの他、なすすべとてないのです。
 ただ、絢子さんの精神とその生き方から、私の頭のなかでは、私が23歳の年の11月25日
に遭遇した事件が思い起こされてならないのです。彼女は他動的な生を拒否し、老いも他
動的と言い続けてきました。だからこそ、毎日ダンベルを持ち、身体を鍛え、造り上げて
きたのです。純度の高い無償の愛を求めて、頑是ない子供のような無垢なこころで、とも
すれば挫けそうになるこころと、肉体と闘っていました。「美よりも速く走る」とはジャ
ン・コクトーの言葉ですが、彼女もまたストップモーションするために命を絶ちました。
間違いなく、彼女の人生には道徳が、そしてドラマがありました。「知的なものを感覚的
にあらわし、精神的なものを肉体化して定着する」それが彼女における最高の道徳だった
のだと思います。

 ですぺら掲示板はお手伝い下さった絢子さんへの恩を仇で返すような仕儀になってしま
いました。これが掲示板の限界点と知りました。本来なら棺のなかで共に消滅するはずだ
った哲さんの文章で、ですぺら掲示板の役目のひとつは終わったと思っております。
 今回の件では、ヴァレリー・ラルボーのいう〈教養人〉が表現者の世界にすら滅多にい
ないということを再認識させられました。知性とは気配りの謂であり、思索とは逡巡の、
懐疑の謂ではないかと信じ、そのことだけを掲示板で書き続けてきたつもりだったのです
が。悲しいことでございます。
 掲示板は当分のあいだ私の日記のような変則的なかたちにします。絢子さんの納骨が済
み、しかるべき時が経巡れば、掲示板としての機能を再開します。その折は絢子さんの死
についてみなさんに論じていただきたいと思っております。そして、それは掲示板の消長
に合わせ、細く長く何年も忘れずに続いてほしいと願っているのです。ですぺらのお客さ
ん全員がお書き下さればうれしく思います。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 渡邉一考    日時: 2003年05月06日 15:41 | 固定ページリンク




管理人 | 書き込みテスト


書き込みテストです。



投稿者: 管理人    日時: 2003年07月03日 20:31 | 固定ページリンク




管理人 | あけてみました


ですぺら掲示板をあけてみました。
皆さまよろしくお願いします。

とりあえず今年いっぱいはこの掲示板は動きます。
私らの会社がうまくいけばその先も続くでしょう。わはは。



投稿者: 管理人    日時: 2003年07月14日 00:50 | 固定ページリンク




一考 | アイデアに感謝

 moondialさんへ
 OSXを試みたのは日曜日のみ、9.2.2自体が9.1とはまったく異なるのが分かりました。USBが機能しなくなり、そちらはUSB Adapter Card Support 1.4.1と差しかえることによって解決されたのですが、ソフトはトラブルつづきになりました。ついこのあいだまでLC475を使っていたのですから無理もありません。エクセルとLightWayText 4.0.2以外のソフトはフォトショップから会計ソフトに至るまで、ちょいと古すぎたようです。仕事にならないので、やむなく9.1に戻しました。それにしても「爺3」は結構な代物、大いに気に入っております。

 お申し越しの解説書付の小瓶のセット販売とやら、食指が動きますねえ。酒販の免許が製造、輸入、取り次ぎ、卸、小売りとかなり煩雑です。あなたのご意見ですと小売りの免許が必要になります。ぜひチャレンジしてみましょう。相応しい小瓶と貼付するシール、それと五本セットで格納、送付しやすいケースを考案しなければなりません。元のボトルを撮影するデジカメとインクジェットのプリンターも必要です。親しい広告屋、酒屋、インポーター、メーカーの人に今週中に集まっていただきます。
 これというモルト・ウィスキーは一万円から二万円位の価格帯が多いので、50ccに小分けし、蒸留所やボトラーの歴史に偏愛的香味を書き加え、14セットもしくは28セットの限定頒布なら売れそうに思います。忝なきお言葉に感謝致しております。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月14日 20:43 | 固定ページリンク




一考 | ケンタウロス・サマーパーティ

 ケンタウロスの「Summer Party in Gotenba」の紹介です。
日時  2003年7月26日(土曜)雨天決行
    受付開始9時 イベント10時~17時
場所  やまぼうしオートキャンプ場
    静岡県御殿場市坂妻181 電話0550-89-2923
会費  事前振込6000円 当日受付6500円(中学生以下無料)
    振込の方には参加記念Tシャツ進呈
    駐車料二輪無料 四輪2000円
振込先 横浜銀行元町支店 普通口座1381054 ケンタウロス
問合せ 鉄馬人実行委員会
    横浜市中区元町1-54-3 KENTAUROS内
    電話045-662-0304 ファクシミリ045-662-2005
    (翌朝まで宿泊の折は野営のご用意をお忘れなく)
 なお、ですぺらにキャンプ場への地図とチラシを置いていますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月14日 21:07 | 固定ページリンク




一考 | 新掲示板に託けて

 辻健さんへ

 このところ悲しい話が続きますね。神戸も大阪も京都の街も、なべて未練や思い入れはないのですが、幼少期を過ごしたのは事実です。二十歳を経てからの上方には憎悪しかなく、栖を流転しましたのも、その憎悪すなわち自らの悔恨から逃れたい一心だったのかも知れません。若くして故郷を喪った者に安住の地などあろう筈もなく、またかかる地で心を許せる友を求めるなど烏滸の沙汰でした。いや、こんなことを書けば貴方や山本六三さんには礼を逸することになります。確かによき友を得ました。でも、友を得たら得たで、それは新たな拒否を、更なる拒絶の芽を自らのなかに生み出すだけなのです。落ち行く先で未知な友を拵えたところで、同じ消息の繰り返しとなります。
 いかように託けようとも、ひとに存在理由はありません。ならば、友も同様にして、「私は友であった」と口にした瞬間に、友は指の間から砂粒のように零れ落ちてゆきます。「友であった」かどうか、逝った他者の真意を推し量るなど、欺瞞以外のなにものでもなく、もし仮に友たりえたとしても、相方の死と共にすべてのかかわりは消滅します。それゆえに、友の存在を退けるのが本音なら、友の死を悲しむのは建前ということになりましょうか。自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨ててゆくのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別になりましょう。ひとの死の悲しみと生きることの哀しみ、この両端を結ぶ橋は存在しません。かつての友というよりは戦友の死を前にして、悲嘆に暮れるなど我がままな振る舞いは許されるべきではないのです。彼が歩んだ思索者としての言動をいかに解釈し、いかに読み換えるか。山本六三さんに対して私に出来る供養と申せば、それを除いて他にはありますまい。

 ちょっと切り口を換えてみます。「いかように託けようとも、ひとに存在理由はありません」と著しました。確かにひととしての個体には生きる価値も生き延びる理由もなにもないのです。すべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」とはあまりにも犬儒的になりましょうか。しかし、確かにひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。
 でも、それら余りにも茫漠とした風景にひとのこころは堪えかねます。そこで編み出されたのが、世のしがらみです。しがらみとは柵(さく)であり、渡しであり、堰なのです。要は流動する心を塞き止めるためのノーハウということになります。謀と言って拙(まず)ければ方策で結構です。その方策の中に人は胡座をかき、かかわりの中に存在理由を見つけ出そうとするのです。今様のひとたちが携帯電話やパソコンを手放さず、架け渡された平面の交錯に刹那の自己満足を得たいと願うように、さらにはひとから必要とされる存在であるとの誤謬を自らに刷り込むために。そうした存在理由に、より確とした信憑性を持たせるために、しがらみは時と共に複雑化され、より錯綜したものになってゆきます。しがらみの最たるものが家族であり、仕事であり、友であり、金品なのでしょう。
 さて、しがらみの対極に個があります。個が個であることの証明はひとつ、それは才能と権威の拒否です。才能とは実績に他なりません。さればこそ、実績を積めば権威が生じます。いわゆるその道のプロというやつです。プロに成り果せるのは容易ですが、それを拒むのは然るべき意志力が必要です。なぜなら、飯の種を自ら抛り出すことになるからです。山本六三さんは人生の後半、全力を傾注してやまなかった一群のタブローを一枚として売却しませんでした。否、値付けが高すぎて売れなかったのかもしれません。氏の本意がいずれにあろうとも、六三さんが個に拘泥しつづけたのは事実です。
 志をもたない六三さんに同志やともがらは必要なく、人を愛する能力が欠落した氏に連れ添いや伴侶は本来不似合いだったのです。また、特定の趣味を持たない氏に常に親しく交わる仲間の要もなく、定めのない氏の生き方に従者や道づれなど生じよう危惧すらない筈だったのです。もっとも、それらの要因を構成する六三さんの性癖や奇矯な癖については著すひとも多くあろうかと思います。ことさら屋上屋を架す必要はなく、また氏と私とのかかわりはそのようなものではなかったと信じております。

 私が山本六三さんとお付き合い願ったのは十六歳から澁澤龍彦さんに「銅版画のマニエリスト」を著していただくまでの十余年間、すなわち六十三年二月から七十七年六月までなのです。その澁澤さんのエッセイがお気に召さなかったらしく、掲載された「芸術生活」の上梓を契機に、また生田耕作とのトラブルを遠因に、私は彼との間に距離を置くようになったのです。澁澤さんにお書きいただいたエッセイは今なお正鵠を得たものであり、彼への好意に満ち溢れた文章と解釈しております。それなのに、「お節介」との小言を頂戴致しました。絵描きとはかくまで文意が読み取れないものかと、当時いささか辛い思いをさせられました。言われたことの内容ではなく、その時の六三さんの反応が私を裏切るものだったからです。五十人のひとがいれば五十通りの、百人のひとがいれば百通りの自分が生まれます。自己にとって他者とは常に多面性を内包した鏡、それを裏返せば自己とは他者の投影ということになりましょうか。思い込みとひとの評価の落差に身を曝してこそ、そこにエネルギーが、精神の運動が生まれると、これは花田清輝や石川淳からわれら共に学んだところのものでした。マラルメのエロディヤードを好んで朗誦していた六三さんはメタフィジックの信奉者なのです。だからこそ、そのメタフィジックを意識的に操作しようとしたのではなかったのか。少なくとも、私はそう理解していました。
 しかるに、澁澤をして「もしかしたら、この画家は技巧に執するあまり、画面の背後からにじみ出てくるすべての曖昧なものを、潔癖に拒否しているのではないか、と思われるほどである。目に見える線や形に執するあまり、目に見えないメタフィジック(形体の背後にあるもの)の襲来を、意識的に阻止しているのではないか、と思われるほどである」と看破せしめた山本六三が韜晦を失い、一瞬たじろいたのです。躊躇いをひとに晒し、誤解を懼れた山本六三さんを目にしたのは後にも先にもあのとき一度だけなのです。澁澤をもしくは自分自身を嘲笑する、否、嗤いとばす方が彼には相応しかったのですが。
 実はその後の消息はつまびらかではないのです。東京から西明石へ転じ居酒屋を営みはじめる直前、山本芳樹さんから連絡をいただきました。芳樹さんによると、六三さんの体調思わしくなく、いまのうちに是非会っていただきたいとのことでした。拙宅での再会はおそらく十七、八年ぶりだったと思われます。その晤語の内容はいまなお著すつもりはないのです。ただ、生田耕作のこと、過去の友人に対する痛烈な批判とともに、六三さんが私に対して抱きつづけた信義とそこから派生した苦衷を聴かされ、小一時間私は涙がとまりませんでした。それからは西神のお宅へもなんどか伺い、タブローを観せていただきました。お世話になったこしかたへの埋め草のひとつとして東京での個展を画策、まずは「銀花」や「太陽」「幻想文学」などで紹介をと念じ、幾人かの編輯者を紹介致しました。しかし、六三さんの好悪は予想以上に激しく、頑なな姿勢に個展の話は途中で断念、その詳細もここでは触れたくありません。ただ、相手が山本六三なればもっと違った遣り方があったろうと、済んだことを申しても詮無いのですが、私の組み立て方が稚拙だったと反省しきりで御座います。

 徒し事はさておき、本題に入りましょう。まず、彼がなぜ具象の世界へ入っていったのか、なぜ巧緻な技術を前面に押し出すしかない作風に自らを追い込んでいったのか。往々にして華麗としか言いようのない、あまりにも耽美的な作品を前にして澁澤同様私も考え込まざるを得ないのです。若年にして非凡な懐疑精神を持っていた山本六三さんが、なぜ自らの技巧と卓越した美しさを無批判に信じるに至ったのか。思想と作品との間に横たわる大きな乖離をいかに解釈し、咀嚼し、また自らに言い聞かせて来たのか。澁澤さんのエッセイの「白痴美の銅版画家」の一言に彼は立腹しました、山本六三の思想を読み解いていない、無視していると。さればこそ、そこのところの乖離、自己撞着をつつきたくなるのです。
 私は六三さんと面識があるからよろしいのですが、六三さんの画しか知らないひとには六三さんのメタフィジカルな面を窺い知ることはできません。作者と作品とのあいだの架け橋、すなわち弁証を彼自らが断ち切っているからです。かかる種類の画を描くという選択、その選択をもって自らの立場の闡明としたのが山本六三なのです。それはディレッタントの常套手段であり、怒りを私に宣した瞬間から、彼は好事家の、趣味人の道を一人歩むことを宿命づけられたのです。言い換えれば、思索者としての側面への評価を抛り出し、孤高の画家としての立場を自ら選び取ったということになるのです。そこのところの消息が彼にどこまで理解できていたのか、はなはだ心許なく思うのです。ひとを傷つけまいとする澁澤さんの目くばり気くばりの行きとどいた文章に対して六三さんがもし胸襟を開けば、私とのかかわりも異なったものになっていました。その点に関して六三さんとのあいだに対話が持てなかったことを残念に思っているのです。もっとも、人品骨柄の批判に類する議論を闘わせるのは六三さんとは不可能でしたが。

 貴方もご存じの三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦のあらかたが示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。すなわち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。「枕の中」から滲みでてくる曖昧なもの、押し寄せるメタファーの洪水、それこそが、六三さんの画に私が求めてやまなかった唯一の主題だったのです。私が知り合ったころの六三さんは辻潤を愛読し、荘周の夢物語を枕頭にシュルレアリスムに遊び、二項対立が対立でなくなるような一種の球体感覚を追求していました。二十代の頃の彼が立ち徘徊る情念の場にはめざましいものがありました。弁証につぐ弁証、繰り返される懐疑のなかでふつふつと沸き上がる自己欺瞞、ともすれば消え入ろうとする自己を支えるための韜晦。斟酌せず、生死を呵責し、自らを追い込んでゆく姿勢に私は讃歎し、驚愕させられたのです。
 にもかかわらず、氏にとって自意識における弁証の対立項に大きく立ちはだかったのは与り知らないところの影のような他者だったようです。反語めきますが、六三さんにとって思うに任せぬ他者とはほかならぬ山本六三その人だったと申せばあまりに悲しい話になりましょうか。彼は山本六三という名の男を、他との関係においてのみ在るもの、一定の関係、一定の状況においてだけ妥当するものとして咀嚼せず、そこに絶対値としての存在を夢見るようになっていったのです。自らの相対化を潔しとしなかった彼は「ひとは変わらないよ、変わるものじゃないよ」との言葉を呪文のように口ずさむようになりました。
 ある日を境に、氏にとって山本六三は常に変わらぬものとしてそこに存在しつづけたように思われます。そうした自己の固着には大きな落とし穴が待ちかまえています。撞着も懐疑も本来自己に向けられ、我とわが身を穿つための知的水準器であり掘削機なのです。旺盛な懐疑精神は自己解体と再構築の繰り返しを間断なく強要します。自己と他者そして自身の作品との三つ巴の弁証法を構築するか、もしくは二項対立を際限なく増やすことによって自らの立ち位置を意識的に見失うような方法論を薬籠中のものにすれば、もう少し自在に振る舞えたのではないかと思うのです。ディレッタンティズムやダンディスムといった鎧のような安っぽい固定観念から解放され、新たな精神の領域が立ち顕れたに違いなかったと思うのです。
 繰り返しますが、西脇順三郎や吉岡実、稲垣足穂や石川淳、土方巽や寺山修司に見られる過度なまでの方法論、固着した精神や趣味性を呪い続けた彼等の瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想、そうした自らへの懐疑のみが思想ではなかったのか。それこそが、かつて六三さんから剥ぎ取り刮げ落とし簒奪した私の思想であり、また、山本六三そのものであったにもかかわらず。どうやら早熟な六三さんはスポイルド・チャイルド世代固有の自己疎外に苛まれ、「人は終生変わらない」という精神の荒野に足を踏み入れてしまったようです。

 「勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます」これは私の口癖です。六三さんと出逢い、私は六三さんと同化したいと願いました。自己解体が私のなかで繰り返されたのです。その解体によって私は「相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプ」を撰び取り、六三さんは否応もなく、勉めて山本六三であることを強いられたのです。もちろん、それを強いたのは私ということになります。友という眷恋の情が、ひとを慕い募るこころがひとをあやめる。塚本邦雄さんの「感幻楽」に「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」との句がありますが、真に親しく接するとは互いの身を絶巓に押しやり、ときとして奈落の底へと背を衝くことになりかねないのです。友とはそして愛とは残酷なものです。はじめに「自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨ててゆくのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別」と著したのにはこのような事情が秘められていたのです。互いが互いを敬い、思慕するがゆえに、精神的には引き裂かれて行く。その距離に絶望を、あまりもの怖ろしさを感じたとき、私は六三さんの元を去るしかなかったのです。もちろん、彼の精神の躍動を跳梁を願っての行為であり、私にとっては一種の自傷行為のようなものだったのです。だって結果として、恋人を、もう一人の自分を失うのですから。

 うつしよに旅人のかすかな息づかいを遺したい、かりそめの華を咲かせたいとの表現への思慕、表現への自意識、その強弱が表現者の呼吸であり、搏動であり、思想そのものなのです。若かりしころの彼の思索の痕跡、彼の精神の振幅、彼固有の特異な弁証法、そこのところを何時の日か私なりに綴らねばなりますまい。つらい仕事になりますが、おそらく山本六三という存在をなぞらえることが可能な一人に違いないのですから。
 先頃、高柳重信さんの若書きに「戸田橋へ乾反葉走る切通」との句があるのを知りました。故郷の風景ををかくまで冷淡かつ冷酷に描いた句があったでしょうか。一切の帰属を拒否しつづけた高柳さんの壮絶なまでの覚悟、苛烈なまでの現体験が過不足なく著されています。この句に登場するのは風を身にまとった虚無のみ。いや虚無を携えた風でしょうか。切通しの彼方にも此方にも趣はおろか、情念のひとかけらすら存在しません。重信さんの句を引用したのは他でもない、高柳重信の名を十六歳の私に教えた人の名は山本六三。彼もまたマントの中に虚無をひそめて、さりげなく現れ、にこやかな微笑みを残して去って行ったのです。


 追記。
 本稿は「友の死に思う」と題して二00一年十一月十一日(日)にですぺら掲示板に掲載したものに加筆修正を施したものです。文章の一部は「残日を指折りかぞえて」と重複します。後者の文中で「主要な部分はすべて一人の男のために著されている」とありますが、その横須賀さんのご指摘どおり、山本六三さんを執拗に意識して書かれた文章が夥しい量にのぼります。理由はすべて文中にて触れています。従って、掲示板に掲載したものを糊と鋏でつなげれば一篇の山本六三論ができあがる筈だったのです。それは掲示板に対する私のささやかな企みでした。しかし、そこに問題が生じました、山本六三さんの死の直後にやってきた横須賀功光さんの出現と突然の死です。十六歳で得た友とそれから四十年を経て得た友と、そのデスタンスを埋めるのは不可能事と悟ったからです。横須賀さんはわたしにとって修復不能な裂け目のような存在であり、四十年の間に私の内部で繰り返された変化も大きかったのです。
 同一の文章を用い、双方を並行して書き進める。そこから私の四十年間の自意識における乖離と撞着を追体験できるのではないかと思いました。一月十八日以降、十日間をそれに費やしました。書き終えたわけではありませんが、取り敢えずの段落をみました。 今一人の友、辻健さんにお読みいただければと念じます。なお、現在存命の人に触れた部分はすべて削りました。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月14日 21:47 | 固定ページリンク




一考 | 世迷いごと

 藤田博史に「桜さくら桜」なる句集がある。1991年4月10日に花神社より上梓されたものであり、「少年をのせた水牛」「絲綢之路」「桜さくら桜」の三部構成で、220句が収録されている。まずは第一章二節目の頭の十三句をどうぞ、

 ふとワープロのうえに虫
 夜仕事に冷えた牛乳のうまさ
 無限の可能性から引き出したものは只のこれだけか
 考え過ぎてなにもかもがパーになる
 うーんとうなってコーヒーを飲む
 ラカンはわからん
 言い切ることのできなさ言い切ることしかできないさ
 思考の過剰、行動の失効、感情の鼓動
 すべてが言い換えであることをたれぞ知る由もなく
 言葉なんかおぼえるんじゃなかったと言葉が後悔している
 句集をくすっと苦笑
 光と音にこんなにうまくだまされている
 ただ文字ばかりの文字である

 「ラカンはわからん」はたしか週刊サンケイかなにかで用いられたタイトルだったと記憶するが、いかがなものであろうか。もっとも、あまりのばかばかしさに調べる気も起こらない。そして、あとがきと思しき文章のあとに、「感謝の辞」が添えられ、「個性的な句集」との自画自賛の文字が見受けられる。わたしが営んできた南柯書局は俳句を主として出版してきたが、これほど「個性的な」俳句にはついぞお目に掛かったことがない。抱腹絶倒のコミッ句、否、まさに絶句と申せようか。コンビニで売られている伊藤園の「おーいお茶」を想い起こさせるが、伊藤園新俳句大賞の水準にすら及ばない。ちなみに、「おーいお茶」所収の俳句より四句、

 白い息セリフのようにはき出した(11歳、鈴木まりあ)
 動かない私の夢と北極星(13歳、徳山幸和)
 ねこじゃらし地蔵をくすぐりあはははは(15歳、越川智美)
 右の手でメール左で春を知る(16歳、二宮理歌)

 通常、読書に求められるのは現象の非凡ではなく、発想の非凡である。なにを読むかでなく、いかに読むかが問われる。屍体解剖でなく、生体解剖のなかにしか血沸き肉踊る読書はないのである。一冊の書物にはさまざまな肉声が込められている筈である。そこから滲み出るメタファーを読み解き咀嚼しなければ、本を読んだことにはならない。しかるに、藤田博史の自称俳句には作品の背後からにじみ出てくる曖昧なもの、目に見えないメタフィジックなものがなにもない。書き手のヴィヴィッドな感性、ふるえやおののき、要するに肉声がてんから欠落しているのである。
 ディレッタントが書物のなかに自分の研究対象となるような面をしか見ようとしないように、医者が人間に興味を抱かずその病気や症例に嬉々とする典型ではないか。美術館やアカデミーに封じこめられた書物や美術品に屍体解剖されているかのようないらだたしさを覚えるように、藤田博史の作品および姿勢にも思想を見失い、知識にのみ偏した俗物の死臭が漂っている。かような世迷いごとを活字にし、かような欠損商品を平気で拵える彼の意識の傲慢さ、尊大さに異議をとなえたい。
 もちろん、「桜さくら桜」にもそれなりの存在理由はある。同書を読めば、たとえいかなる御仁であれ、わたしにだって句が作られるとの確信が持てよう。そこまでの思案と気配りに裏打ちされたものであれば、前言は撤回されなければならない。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月14日 22:17 | 固定ページリンク




moondial | 予約

一考さんへ

ひょんな思い付きなのですが、お気に召して頂いた様子で嬉しいです。
景気づけにと言うにはちと大仰ですが、遠方組の先頭を切って、その偏愛的香味セットを一つ予約させていただきます。

あまり大層なセットにしなくとも、「ですぺら」で催されているモルト会の内容そのままでも佳いのではないでしょうか。添付する解説書も二度手間にならないし、お店でもモルト会の復習用に或いは保存版として販売でき、好都合ではないですか。それに、捕らぬ狸の皮算用かも知れませんが、モルト会毎にセットが売れると云う嬉しいことにもなります。売れれば月夜に狸(一考さん?)の腹鼓、売れなければ単に元瓶に戻せば良い訳で、通販用のものは受注生産(薫子さん、ご苦労様)でも宜しいかと。意匠を凝らしたセットは余裕が出来てからでも良いかと思います。最初から凝りすぎると採算割れになりますよと、老婆心ながらのご忠告。



投稿者: moondial    日時: 2003年07月16日 01:13 | 固定ページリンク




一考 | 川内村へ出発

 芳賀さんへ
 川内村への参加人員はゴールデン街のなべさんのマダムを入れて、もっかのところ九人です。にぎやかな宴になりそうです。埼京線の戸田公園駅で落ち合って出発します。そろそろ、仕入れの用意をせねばなりません。必要なものはすべて持参しますので、お構いなく。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月16日 20:25 | 固定ページリンク




薫子 | 少女頌

 スパンアートギャラリーにて企画展「少女頌 2003」が催されています。
井筒啓之、水口理恵子、中原淳一、酒井駒子、四谷シモン、山本タカト、やまだないとの作品を展示。
 「少女というイノセントで霊的な存在には形而下と形而上の、つまりファッションから夢の世界までという表現の可能性がある。と考えると、この7作家の作品を邂逅させることで、少女という感覚領域の風景を顕在化できるかも知れないと思うのである。(キュレーター宇野亜喜良)」(案内DMより)

7月18日(金)~8月7日(木) 11:00~19:00 最終日17:00
 
スパンアートギャラリー 
 東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
 03-5524-3060
 http://www20.big.or.jp/~sag
ギャラリーの奥には種村季弘さんの署名本が置いてあって、購入できます。



投稿者: 薫子    日時: 2003年07月18日 16:57 | 固定ページリンク




石塚 | お邪魔します

7月24日(木)~8月10日(日)横浜ランドマークタワー3F遊歩廊にて
江戸川乱歩・永井荷風・谷崎潤一郎・稲垣足穂・澁澤龍彦・寺山修司
泉鏡花・ジャン・コクトー・宮武外骨の人形と写真を展示します。
お近くにお出でのさいには、よろしくお願いします



投稿者: 石塚    日時: 2003年07月21日 23:08 | 固定ページリンク




松友 | 御祝いそして御礼・掲示板復活

掲示板復活おめでとうございます。
管理人様、遅まきながらですが取り急ぎ御礼まで。

蛇足的付記:なんてこった、学研・大人の科学の「大江戸からくり人形」に完成品があるなんてっ。この間、東急ハンズに行ったら売っていました。しかも電子ブロックの拡張キットまでっ。お金が_Σ(°Д°)



投稿者: 松友    日時: 2003年07月22日 23:32 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 公演終了致しました~♪

みなさまこんばんは し~ちゃんです
無事、公演終了致しました~と申し上げたかったのですが…

実は川上は舞台で怪我をしてしまいました
最終日 動きのタイミングが合わず相手役の男の子の頭突きを目の上に
くらってしまい 腫れ上がってお岩さん状態に!
冷やして冷やして その日の公演中は大丈夫でしたが数時間後の
打ち上げの時には目の下(ぶつけたところじゃなくって)にアザが… 
この十日間 顔面ブチ犬状態でした(泣)

今はもう治りかけの黄色になってるので もう少しです
大病院の眼科で診てもらいましたが 問題なしでした
ただ、検査の結果 網膜に弱い部分があるので
頭部に衝撃を受けると網膜剥離の恐れもあるとか・・・
今回はこの事実を知るための怪我だったのかも知れませんね
ただ、もうボクサーとしてリングに上がる事は二度と・・・
(って、いや、もとから無いから)

今後の予定は『えろきゅん』朗読イベントと
智恵の森文庫の恋愛エッセイ&短歌です
またお邪魔させて下さいませ~  川上史津子拝



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年07月23日 16:35 | 固定ページリンク




一考 | モルト会9

 7月26日(土)の夕6時から9時にかけて第8回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は8月23日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。
7月
 ラフロイグ,('90 ブラッカダー)アイラ
 マクファイル,(30年 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 ミルトンダフ,(12年)※ スペイサイド
 モストウィー,('75 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 モートラック,('90 ダグラス・レイン)スペイサイド
 グレン・モール,(15年 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 タリバーディン,(10年)※ ハイランド
 ダルウィニー,(15年)※ ハイランド
 ロッホサイド,('88 マーレイ・マクデヴィッド)ハイランド
 ローズバンク,('92 ヴィンテージ・モルト)ローランド
8月
 ブルイックラディ,('86 ブラッカダー)アイラ
 オスロスク,(10年 スコッチ・モルト・セールス)スペイサイド
 グレンファークラス,(10年 シールダイク)スペイサイド
 グレンフィディック,(15年ソレラ・リザーヴ)スペイサイド
 グレンロセス,('90 マクギボン)スペイサイド
 タムドゥー,(8年 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 クライヌリッシュ,('89 マクギボン)ハイランド
 グレン・ギリー,('82 ダグラス・レイン)ハイランド
 ヒルサイド,('71 U.Dレアモルト)ハイランド
 ブラッドノック,('87 ゴードン&マクファイル)ローランド

 今回はですぺら掲示板、ですぺら通信双方で告知させていただきます。



投稿者: 一考    日時: 2003年07月24日 20:52 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ


掲示板の再スタートおめでとうございます。川内村のキャンプ行けなくて残念でした。次の機会がありましたら、またお誘いください。



投稿者: 内山    日時: 2003年07月29日 06:31 | 固定ページリンク




薫子 | 種村さんの新刊

 7月刊行の『澁澤さん家で午後五時にお茶を』(学研M文庫)のサイン会を計画しています。種村さんのご都合で日程はまだはっきりしませんが、8月中にはできるのではと考えています。決まり次第、お知らせいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年07月30日 04:15 | 固定ページリンク




薫子 | 亀鳴屋の新刊

 牛込櫻会館のリンクに入っている金沢の出版社、亀鳴屋さんの新刊が届きました。「稚兒殺し 倉田啓明譎作集」普及本(4200円+税)です。
ですぺらに5冊いただきましたが、残り2冊となりました。ご希望の方はお早めに。



投稿者: 薫子    日時: 2003年08月02日 06:18 | 固定ページリンク




如月 | 矢川徳光氏

インターネットの古本屋でエルヴェシウスの「人間論」を見つけ、購入しました。根岸国孝氏による抄訳で、1966年に刊行されたものです。「世界教育学選集」(明治図書)というシリーズのなかの一巻でした。 それで、もしかしてと思い、巻末の同選集目録を開いたところ、訳者陣のなかにあるべき人の名前を発見しました。「矢川徳光」氏です。彼が訳したのは、「集団主義と教育学」(マカレンコ)、「労働教育論」(ルナチャルスキー)です。他に「レーニン教育論大系」の訳者の一人としても名前が出ていました。 ちなみに、この「世界教育選集」というシリーズは、ソヴィエト教育論とフランス啓蒙思想の教育書のアマルガムのような感じの構成ですね。フランス啓蒙思想関係では、エルヴェシウスの他に、フェヌロン(女子教育論)、コンドルセ(公教育の原理)、ルソー(エミール)が入っています。   *   *   * エルヴェシウスについては、小サイトの↓ページをご参照ください。 http://www.furugosho.com/vertige/mably/peuple18.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年08月02日 09:10 | 固定ページリンク




薫子 | 種村さんのサイン本

 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』(学研M文庫)のサイン会を、と計画していましたが、種村さんより「八月は暑いからねえ、九月にしようか」とのお言葉。九月だとちょっと先になりますので、とりあえず本にサインをしていただき、ですぺらに置くことにいたしました。ご希望の方は是非。
サイン会はまた別途催そうかと考えています。



投稿者: 薫子    日時: 2003年08月06日 03:39 | 固定ページリンク




薫子 | 8月のですぺら

 今夜もとっても静かな一日でした。くすん。
夕方の大雨のせいか、ベッカムや阪神戦のためか。
落ち着いた雰囲気の中で飲みたいとお望みの方は、
ですぺらが一番。今ならゆっくり座っていただけます。
って、いつも空いてるってば。 
 ですぺらは8月も通常通りの営業(日曜、祝日休業)です。、
よろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年08月06日 03:55 | 固定ページリンク




薫子 | 今夜は

 昨日はいろんな方に来ていただきましたが、今夜は素晴らしい台風日和のせいか、カウンターには閑古鳥の雛がズラッ~と。くすん、しくしく。
でもお陰で厨房のレンジはピカピカになり、ピエール・ルイスの評伝を読み進めることもできました。来週はぜひとも閑古鳥の駆逐にご協力をお願いいたします!



投稿者: 薫子    日時: 2003年08月10日 03:25 | 固定ページリンク




moondial | 閑古鳥

メニューに「薫製の閑古鳥」を追加されれば逸興かと。

小売り販売(ネット通販)の免許を取るのも難しいのでしょうか。地方では入手困難なお酒も多く、貴兄の拘りのセレクション、偏愛的香味とオマージュを綴った冊子付きで販売すれば、小瓶のセット販売が駄目でも、フルボトルで数十本は売れると思うのですが。通常のネット販売の単価は一万円から二万円程が限界だとは思いますが、ボーナス月には三万円から五万円の稀少なのを限定販売されるとか。



投稿者: moondial    日時: 2003年08月10日 09:21 | 固定ページリンク




し~ちゃん | TVに出ま~す!


皆様こんばんは お暑うございます 川上史津子です 

関西テレビ「よるけぃ」(関西ローカル)に
出演します 初の地上波です~! 
近畿地方(二府四県)のみで放送 
15日深夜0:55~1:55OAです
「トークのおけいこ」というコーナーのゲストで
関西テレビの藤本景子アナにインタビューして頂きます

関西方面のお知り合いに広めて頂けたらありがたいです~



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年08月11日 22:18 | 固定ページリンク




つきだし | (無題)


>ぜひとも閑古鳥の駆逐にご協力を

「幻想的掲示板」や「一般的掲示板」で、もっと宣伝されてはいかがですか。
「幻想的掲示板」のほうは、それっぽい話題をまず振ってからでないと
ルール違反かも知れませんが。



投稿者: つきだし    日時: 2003年08月12日 08:35 | 固定ページリンク




如月 | マブリの試訳をアップ♪


先日から取り組んでいたマブリ「市民の権利・義務について」の試訳を↓URL
にアップ致しました。
http://www.furugosho.com/vertige/kenri-gimu1a.htm
この政治的著作は、ルイ15世の統治の後半である1758年前後に書かれたも
のの、エルヴェシウス「精神論」の発禁処分、「百科全書」の出版許可取り消し
などの言論弾圧が続く中で刊行が見送られ、マブリ没後の1789年(=フラン
ス革命の当年)にようやく出版されたものです。今から約250年前の作品では
ありますが、自然法と実定法の比較の論議のなかから、市民の反抗権の正当性を
論証していくプロセスなどを読みとっていただければ幸いです。
なお試訳は、第二の手紙まで準備しており、それらも順次アップしていく予定で
すが、公開期間は限定させていただきます。



投稿者: 如月    日時: 2003年08月13日 08:12 | 固定ページリンク




一考 | モルト会10

 8月23日(土)の夕6時から9時にかけて第10回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は9月27日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

8月
 ブルイックラディ,('86 ブラックアダー)アイラ
 オスロスク,(10年 スコッチ・モルト・セールス)スペイサイド
 グレンファークラス,(10年 シールダイク)スペイサイド
 グレンフィディック,(15年ソレラ・リザーヴ)スペイサイド
 グレンロセス,('90 マクギボン)スペイサイド
 タムドゥー,(8年 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 クライヌリッシュ,('89 マクギボン)ハイランド
 グレン・ギリー,('82 ダグラス・レイン)ハイランド
 ヒルサイド,('71 U.Dレアモルト)ハイランド
 ブラッドノック,('87 ゴードン&マクファイル)ローランド

9月
 アイル・オブ・アラン,('96 クライズデール)アイランズ
 アードベッグ,('90 マクギボン)アイラ
 アベラワー,('90 ドナート)スペイサイド
 アルタナベーン,('89 グレン・アラン)スペイサイド
 オルトモーア,('89 ミルロイ)スペイサイド
 バルヴィニー,(12年)※スペイサイド
 マノックモア,('90 マクギボン)スペイサイド
 グレン・アルビン,('77 シグナトリー)ハイランド
 ベン・ネヴィス,('84 ブラッカダー)ハイランド
 ロイヤル・ロッホナガー,('73 ダグラス・レイン)ハイランド



投稿者: 一考    日時: 2003年08月16日 22:12 | 固定ページリンク




一考 | バーベキュー大会

 川内村につづくキャンプの案内です。
 9月14、15日の連休に奥秩父のキャンプ場へ行きます。川で泳げることと露天風呂(300円で二日間有効、何度でも入られます)があります。近所にまあまあの蕎麦屋もあります。今回は芳賀さんのワンボックスが加わりますので定員は12名。宇野邦一さんも参加なさいますので朝まで討論になりそうです。参加はもっかのところ9名、あと3名は大丈夫です。集合場所は芳賀さんの車がある国分寺になりそうです。なお、車で参加なさる分には定員は関係ありません。
 必要なのは割り勘の費用と寝具すなわち寝袋と枕のみ。テントは手持ちが4張りありますので大丈夫です。必要なら自費でコテージを取るのも可能です。コテージの費用は確かめておきます。参加ご希望の方はなるべく早めにご連絡ください。



投稿者: 一考    日時: 2003年08月16日 22:14 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ

ご無沙汰しております、内山です。9月14日・15日の奥多摩のキャンプに私も(1名)、参加したくお願いします。まだ余裕はありますか? その場合は国分寺の集合は、午前中になりますか? 



投稿者: 内山    日時: 2003年08月20日 12:49 | 固定ページリンク




一考 | 「稚児殺し」倉田啓明譎作集

 泥棒作家として識られるのはジャン・ジュネだが、わが邦にもひとり、文体とイデーを盗ませて右に出るものがいないと称される泥棒作家倉田啓明がいる。「ヤオヨロズの貧乏神でにぎわい」をみせる亀鳴屋の勝井隆則さんから久しぶりに小荷物到来。中味は倉田啓明譎作集、題して「稚児殺し」。勝井さんの弁によれば「貧困小説家の次は奈落の作者、縁起でもない不吉な作家」シリーズの第二弾とか。
 言うまでもなく、出版人とはこころざし、すなわち夢にかたちを与えるのを生業とする。そのためには出版人、編輯者、書き手(物故作家の場合は書誌学者)の三位一体が必須である。もちろん、生業とする以上は購入者がおおきなウェートを占めるはずなのだが、こちら(読者)はコーベブックス、南柯書局、雪華社、研文社と渡り歩いたわたしの経験から申して実にか細く、頼りがいがない。出版とは金銭との格闘だったと嘯きたくもなるのである。

 山田一夫、鈴木泉三郎、鈴木善太郎、富ノ澤麟太郎、大泉黒石、正岡容、十一谷義三郎、郡虎彦、池谷信三郎、稲垣足穂、城昌幸、西条八十、牧野信一、岩田準一、坂ノ上言夫、酒井潔、野溝七生子、平井功等々、どうやらわたしが書き散らかしてきた対象はその大半がモダニズムないしはモダニズムに深くかかわる作家たちである。それがわたしの嗜好であり、偏愛なのだからどうにもならない。ただ、新興芸術派や新感覚派と称されるひとびとの書冊を読んでいて、同時代の虚無思想家やアナーキストたちと同質のものを強く感じさせられるのである。後者には古谷栄一、野村隈畔、松永延造、大泉黒石、武林夢想庵、辻潤、大杉栄、与謝野晶子、竹久夢二、といった面々がいる。もちろん、幸徳秋水や堺利彦なども加えなければならないが。
 同質と述べたのは他でもない。時代に強姦され蹂躙された個の呻吟といえばお分かりいただけようか。欧州にあっては19世紀への反旗としてスタートしたものが、わが邦にあっては1868年からつづく富国強兵もしくは殖産興業政策が帝国主義へと変質してゆくその歴史的思考の呪縛への反逆であったような気がしてならない。日本のモダニストたちの闘いの相手とは国家であり、国体であると同時に、日露戦争での勝利に酔いしれ、償金を求めて日比谷焼打事件を起こした一般大衆ででもあったろう。民意とは怖ろしいもので、歴史的思考の呪縛の構造からは容易に逃れ得ない。日比谷事件から戦後の力道山に至るまで、ひとが憂さを晴らすときには必ずといっていいほど、ある種の「歴史哲学」が全面に躍り出てくるのである。どうやら勝井隆則さんにとっての出版とは、新たな文学観の構築によって思想と歴史の交錯点に光をあて、前述の呪縛の構造から脱却しようとの、すこぶる大胆な試みではなかろうか。

 さて、「稚児殺し」である。巻末に添えられた西村賢太さんの解説「異端者の悲み」が絶品。「異端者にも、世にもてはやされる者とそうではない者の二種類があるなら、啓明は無論後者に属しよう。獄中記を書いても無反省と評され、本人なりの人生を歩んでいても性格破産の烙印を押される。そんな先に述べたような、全くの肯定での讃辞も逆説の用をなさず、言葉通りの響きのみが残る。同様に柵山人や坂本紅蓮洞、藤澤清造、兵本善矩、或いは泉斜汀や荒川義英なども、啓明の落ちた穴とは異なるが、いずれも大なり小なり、文字通りな異端の者ゆえの蹉跌に埋もれていった作家たちである。啓明には、本書が出た。これら決して虚栄に祭り上げられることはない、悲しき・怪しの人・の文学が、今後どのように再評価されるか。その展開に期待したい。」と西村さんは文章を締めくくる。おそらく「期待」は読者へのお世辞であろうが、平気でお世辞を述べる西村さんの軽みと狷介なまでの嗜好との狭間には大いに興味をそそられる。なぜなら、西村さんの挙げる作家たちへたどりつくためにいかほどの読書とそれに伴う屈折が必要であったか、その膨大な書冊、すなわち「個の呻吟」の一端が文章の端々に垣間見られるからである。稟質とは宣うものでなく、滲み出るものなのである。勝井さんの弁によれば、西村さんのプロフィールは「何年も前から神田の朝日書林より、『藤澤清造全集』全五巻、別巻二巻を、全く独力で編集して出そうとしている恐れ入った御仁・・・何せ清造のお墓の台座に、先年自分のお墓を並べて建てちまった人で、今住んでいるところも、清造が野垂れ死にした時に住んでいた借家があった、まさにその所番地に建っているマンション。魂をそっくり清造に売っちまった西村さんは、年は三十チョイ、百キロ近くの巨躯、性は狷介、生き方無頼」とか、お会いする機会には恵まれないが、おそらく、勝井さんにとって最良の戦友であろうと推察する。
 いずれにせよ、エンターテインメント一色のご時世にあって、勝井隆則さんや西村賢太さん、ひいては亀鳴屋の佇まいが出版とはなにか、編輯とはなにか、書誌学とはなにかについて明瞭なひとつのかたちを与えつづけているのは大切なことである。現在わたしがもっとも尊敬する編輯者は勝井隆則さんを除いて他にはない。
 谷崎潤一郎の名で「誘惑女神」という約20枚の偽作を拵えて稿料を詐取。さらに芥川龍之介名の「魔神結縄」を出版社へ売りつけたり、北原白秋や山崎俊夫をかたり、坪内逍遙の紹介状を偽造していたという稀代の詐欺師にして泥棒作家、自らの性器の尖端に刺青を彫り込んだ倒錯者にして同性愛者。本書を繙かずして圏外文学を語る資格はない。地方の方は下記住所へご注文を、東京在の方はですぺらへご注文を頂ければ幸甚です。

  「稚児殺し」倉田啓明譎作集 亀鳴屋本第三冊目 限定499部 頒価4200円
   亀鳴屋 石川県金沢市大和町3丁目39番地 Tel.076-263-5848



投稿者: 一考    日時: 2003年08月20日 19:43 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ

奥秩父のキャンプの件、よろしくお願いします。 まず、最初の楽しみといえる「近所の下調べ」をさせていただきます。



投稿者: 内山    日時: 2003年08月21日 05:58 | 固定ページリンク




管理人 | ますますひどいのでこっちにも


幻想的掲示板に書いたんですけど、ますますひどいのでこっちにも。
奥歯からメールが来たりしたんで。
ま、原理はわかっていますからいいんですけどね。

どういうわけかわかりませんが、今日はウィルスメールが大量に来ています。
うーむ、またぞろ大流行しているようです。うざし。
Windowsユーザの皆さん、ウィルス対策はしといたほうがいいですよ。
ウィルス対策しておかないとPCがホラーなクラッシュを起こすと思うけど。

こうもひどいと、DeepMacでもWindows用のウイルス対策ソフトを販売しますかねえ。
とばっちりがうざすぎるんだよなあ。

ところで、DeepMacで、
iBook G3 800MHz/12.1TFT/128MB RAM/32MB VRAM/30GB HDD/CDドライブ/Ethernet/56K Modem
114,800円(送料・消費税別)在庫有り AppleSore Price 124800円
があるんですけど、どなたかお買いになりません?安いよ。

購入希望の方は、管理人の櫻井までメール下さい。

ウィルス対策の仕方がわからない方の相談も承りますよん。



投稿者: 管理人    日時: 2003年08月26日 00:00 | 固定ページリンク




一考 | クロックアップ

 ひろさんへ
 土曜日は有難う御座いました。さっそくフラットケーブルのバス側コネクタを改造して取り付けを試みましたが失敗。G3/DTとG3/MTに使われているマザーボード(ゴッサマー)には初期型と後期型の2種類があり、初期型にはRev.1、後期型にはRev.2とRev.3があるのを知りました。拙宅のはRev.1ですので、E-IDEバスに接続できるATAPI型ドライブは一台のみ。従って、ハードディスクとCD-ROMドライブは異なるE-IDEバスに接続されています。Rev.2から二台のATAPI型ドライブが接続可能になったそうです。現状ではSCSI型ドライブかATAカードを購入するしかないのです。
 同じインターフェイスカードとは申せ、FirewireやUSBカードには2000円くらいのバルク商品がいくらでもあるのですが、ATAカードの安価なものは少ないようです。100でも133でもどちらでもよろしいのですが、内外にコネクタのついたバルク商品が御座いましたらお教え下さい。
 G3/DT266のジャンパピン配列を変え、CPU動作速度を300MHzにクロックアップしました。CPUは32~36゜ですので問題なし。メモリは66.8MHz、512KBのバックサイドキャッシュは150.2MHzです。CPUは333、400、433、500MHzから1GHzまで揃っているのですが、軍資金がなく、とりあえずクロックアップで辛抱しようと思っています。ちなみに、Norton Utilitiesは必ずと言ってよいほどトラブルが発生します。その点、XLR8 MACh Speed Controlは全体の動作速度の確認に便利です。

 クォーターのバイクは適当なものが手に入りましたか。とことこ走るのであれば奥秩父はご機嫌なところです。昨日帰り道でスクーターの暴走族を見掛けました。ノーヘルで鉢巻き、カットマフラーによる蛇行運転。他人様がどのようなバイクに乗ろうが勝手なのですが、スクーターのような平和な乗り物での暴走は見ていて腹が立ちます。明石では暴走族とはでな立ち回りをなんどか演じました。四十代の時なら後ろから鉄パイプでなぎ倒すところなのですが。



投稿者: 一考    日時: 2003年08月26日 19:57 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

加藤郁乎さんが来店中です。先日、郁乎さんのサインを望まれていた方がいらっしゃいましたが、お暇ならどうぞ。店でサインが可能です。



投稿者: 一考    日時: 2003年08月28日 19:27 | 固定ページリンク




一考 | 間村俊一画集「ジョバンニ」

 間村さんへ
 サインを入れる書冊が俳句評論社版の「球体感覚」とは驚きました。高柳重信さんが拵えた加藤郁乎さんの処女句集じゃないですか。日曜か祭日で御都合のよろしい日を教えて下さい。ですぺらでのサインはよして御一緒に旗の台へ参りましょう、郁乎さんが喜びますよ。
 貴重なあなたの画集をありがとう御座いました。ゆっくり読ませていただきますが、とりあえず当掲示板で宣伝です。

 間村俊一画集「ジョバンニ」天沢退二郎詩 洋々社 頒価10000円+税

 詳しくは次回に書かせていただきますが、栞には唐十郎、種村季弘、塚本邦雄、佐々木幹郎、清水昶、福島泰樹さん他、十一名が頌を寄せています。ですぺらに置いておきますので、興味ある方はどうぞ。店主お薦めの一本です。



投稿者: 一考    日時: 2003年09月01日 06:52 | 固定ページリンク




一考 | 之潮

 次回のキャンプですが、芳賀さんが出版社立ち上げのため欠席です。車は遠慮なくどうぞと勧められましたが、ご当人の都合がつかないのに車だけお借りするのは気がひけます。参加者は四人減って八人になります。当方は車とバイクを使うつもりですが、それでも定員増です。わたしは行きたいのですが、どうやら無理のようです。またの機会に致しましょうか。

 青森の津軽書房、福岡の葦書房がなくなりました。小さな出版社はみなさんの協力がなければ成り立ちません。発行部数の5パーセントはわたしが売るとの意気込みで、25歳からの20年余いろんな形での営業を試みてきました。南柯書局以外の小出版社の本を抱えて全国の書店を歩き回りました。専門誌での書評も多く著しました。しかし、90年代に入ってから書店の廃業がつづきました。書店も版元も書物が売れてこその自転車操業です。取り次ぎを経由しない版元にとってこころざしを持った書店の廃業は命取りになります。そしてわたしも弓折れ箭尽き



投稿者: 一考    日時: 2003年09月04日 19:26 | 固定ページリンク




薫子 | 亀鳴屋さまへ

 残暑きびしき折、いかがお過ごしでしょうか。
ですぺらは、今日も閑古鳥が大猟でして、閑古鳥の焼き鳥、閑古鳥ステーキ、閑古鳥のケチャップ煮、などなど、もうお腹一杯。
さて、この週末にですぺらのお手伝いスタッフの愛子嬢が、金沢を訪ねる予定です。勝井さまに、金沢のお薦めスポット、安くて(これが大事です)おいしい食事処など、御指南いただけないかと、厚かましいお願いでございます。それから『倉田啓明譎作集』をあと三冊、発注いたします。ご都合がよろしければ、愛子嬢が飛脚となってくれます。
どうぞよろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月05日 05:10 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんへ


秩父のチャンプの件、そうゆうことでしたら、個人的には、またの機会の方がよろ
しいかと思います。



投稿者: 内山    日時: 2003年09月07日 04:52 | 固定ページリンク




薫子 | 美濃瓢吾展

 幻想文学別冊『種村季弘の箱』に絶妙な味のエッセイをよせてくださった美濃瓢吾さんの展覧会が催されます。

 美濃瓢吾展 浅草人間絶景論3
 2003年9月23日(火)~10月5日(日)
 午前11時~午後7時(最終日は午後5時まで 月曜29日は休廊)
 SD602
 ギャラリーKINGYO
 〒113-0022 東京都文京区千駄木2-49-10
 http://sd602kingyo.tripod.co.jp/
 e-mail:sd602@a-net.email-ne.jp
  地下鉄千代田線根津駅より徒歩7分



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月09日 16:23 | 固定ページリンク




一考 | キャンプは中止

 キャンプ参加予定のみなさんへ
 秩父のキャンプの件ではご迷惑をお掛け致しました。宇野邦一さんと話し合った結果、キャンプはあきらめて14日の3時から拙宅の庭でバーベキューをすることになりました。埼京線の戸田公園駅まで迎えの車を出しますので、どうかよろしくお願い致します。キャンプには不参加だった方も参加なさいますので、12名の予定です。

 内山さんへ
 申し訳御座いません。拙宅の方へぜひご参加下さい。



投稿者: 一考    日時: 2003年09月09日 18:42 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんと薫子さんへ

嬉しいお招きを頂き、ありがとうございます。 ぜひ、お伺いさせていただきます。さて無粋な私ですが、手ぶらで参るわけにはまいりません。バーベキューに合うワインか日本酒、 それとも、食後のコーヒーや甘い物などを勝手に考えております。 いかが致しましょうか? 滅多にないチャンスですので、薫子さん(もしくは一考さん)がご所望されるものをリクエストください。



投稿者: 内山    日時: 2003年09月09日 19:17 | 固定ページリンク




薫子 | 内山さまへ

 どうかお気遣いなきように。本来ならご招待といいたいところですが、諸般の事情により、というよりもある切迫した事情により、今回は割り勘ということでお願いいたします。申し訳ありません。食料、お酒はこちらで用意します。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月10日 05:26 | 固定ページリンク




薫子 | ケンタウロス族長ご来店に感謝

 先日はケンタウロス族長にご来店いただき、ありがとうございました。
族長ならではの豪快なお話、大変楽しく聞かせていただきました。
横浜中華街の、アブラムシは浮いているけれどおいしいお店、挑戦してみようと計画しています。今後ともよろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月19日 05:31 | 固定ページリンク




薫子 | 『珍説愚説辞典』出版記念

 高遠弘美さんの『珍説愚説辞典』の出版お祝いパーティーの二次会を、ですぺらにて催します。9月26日(金)午後9時より会費3000円。どなた様でもお気軽にお越し下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月21日 14:31 | 固定ページリンク




りき | 二次会ですかあ。

高遠さんの記念パーティーの二次会ですかあ。
職場が引越したばかりで、なんともいえず。

都合がつけば、是非お邪魔したく。

久生十蘭「魔都」はゆっくりと読んでます。
日比谷公園で、こんどじっくり鶴の銅像を眺めてみようかな・・・。



投稿者: りき    日時: 2003年09月22日 00:13 | 固定ページリンク




Campagnolo | 失礼しました

 ご無沙汰しております。 バーべキューをするというので、お宅の方へ慌てて、 差し入れをしたんですけれど、お気に召さなかったようですね。 申し訳ありませんでした。 高遠さんの時にもお送りしたいのですが。まずいですか。



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年09月24日 13:32 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 朗読&近況のご報告です~♪


急に涼しくなって参りました 皆様おかわりありませんか?
川上は21日に32歳になりました!元気にがんばってます♪

9/30 19:30~20:00
「ブロードバンドニッポン」にゲスト出演します
BSデジタル放送(ラジオ)のLFX488という局と、
ブロードバンドでの同時生放送。
川上コーナーのリピート放送もあります
http://www.lfx.jp/

10/10発売の「Hot-Dog PRESS」(講談社)にて
『えろきゅん』がモノクロ4pで取り上げられます
著者インタビュー・写真も少々

10/11(土)17:00~23:00
富ヶ谷のgallery bar 「4156 M」 にて
著者・川上史津子による『えろきゅん』朗読ライブを行ないます
入場料は¥1500/1D  川上の出番は20時頃を予定
他、bossadubit(g・vo&sax )ライブもあります
http://www.4156m.jp/

10/31(金)22:30~23:00 他 ON AIR
スカイパーフェクTV MONDO21ch
新・モンド総合研究所にて川上の特集番組
「#149:えろきゅん~エロ短歌女優・川上史津子~」
が放映されます リピート放送ありです
http://www.mondo21.net/mondo-soken/index.html

11/5発売 笠倉出版 月刊「ルパン」12月号と
12/5発売 同1月号の2号に渡り
島田雅彦氏・京極夏彦氏との鼎談が掲載されます
また、同誌にて川上がエロティックな妖怪に扮した
写真&短歌の連載を準備中です


今後ともよろしくお願い致します    川上史津子拝 



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年09月24日 22:43 | 固定ページリンク




薫子 | CAMPAGNOLOさまへ

 すぐに御礼メールをお送りしたのですが、届いていなかったでしょうか。申し訳ありません。珍しいお酒をありがとうございました。皆さん大喜びでいただきました。(それにしても誰にメールを送ってしまったのでしょう)いつもお気遣い下さり、恐縮です。高遠さんも喜ばれると思いますが。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月25日 05:00 | 固定ページリンク




Campagnolo | 差し入れ


薫子さま

よかった。味にうるさい一考さんのことだから、気に食わなかったのかと
思って、他の物を探していた所でした。高遠さん宛に当日の夜に配送される
筈です。盛会を祈ります。
僕も直後にメールを出したんですが、一体どこに届いたんでしょうね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年09月26日 03:29 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがとうございます

※わたくしもすぐに以下のメールをお送りしたのですが、戻ってきてしまいました。この掲示板に転写いたします。

CAMPAGNOLOさま
取り急ぎ、掲示板を拝見して嬉しい驚きをお伝えしたくて、メールを差し上げます。
お祝いの美酒をご恵贈下さるとのこと。まことにありがとうございます。慎んで頂戴いたしたく存じます。
お礼と申しては何ですが、「珍説愚説」を献呈申し上げたく存じます。
どこにお送りすればよろしいかお教え下さいませ。
高遠弘美



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年09月26日 09:08 | 固定ページリンク




Campagnolo | 忝く存じます

 高遠さま 
ご高著を頂けるとは、幸甚の限りです。
出来ましたら、ファンの一人として、宛名付きの署名をお願いできませんか。
送り先は宅急便クロネコヤマトの伝票に記した通りです。
六月、中眞さんの展覧会の折、会場でお会いしている筈です。
あの時もメールが戻ってきたので失礼ながら、奥様にお電話してしまいました。お互いにアドレスを持ちすぎなんじゃありませんか。あの時の不審な人物がわたくしです。下記が本家のメールアドレスです。

 一考さま
濱田君のAMUSも今月いっぱいで閉店すると連絡が来ました。海文堂はとうに撤退したし、元町にあった神戸丸善までも今年、店じまいしてしまいました。一体どこで洋書を買えばいいんだろう。そういう僕も殆どネットで買ってるけどね。当然ながらネットじゃ立ち読みが出来ないんですよ。殊に雑誌が困ります。CDは試聴できるのにね。
神戸における出版史を既に大倉山の図書館の司書の方々が、かつて手がけていました。コーベブックスとその後の取材もしていますね。もう少しちゃんとした出版史を作りたいものです。



投稿者: Campagnolo    日時: 2003年09月26日 14:03 | 固定ページリンク




薫子 | 昨晩は

 昨晩は多くの方にお越しいただき、ありがとうございました。
CAMPAGNOLOさまよりのお酒、宴の直前にきっちり届きました。ありがとうございます。
 「珍説愚説辞典」はまだ拾い読みをした程度ですが、翻訳苦労話を伺っていたわたしは、涙なくしては読めません。ということはなく、ニヤニヤ、クスリ、とっても面白いです!でも珍説愚説の著者たちは皆、真面目に書いている。物を書くというのは怖ろしいことなんですね。高遠さんは「昼寝の枕に」と記していらっしゃいますが、確かに枕にぴったり。悪意に満ちたよい夢を見られそうです。いえ、この厚みで4500円は吃驚です。国書刊行会は偉い。と、ヨイショしておこう。



投稿者: 薫子    日時: 2003年09月27日 05:46 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 御礼申し上げます

高遠弘美です。
今回の「珍説愚説辞典」の刊行に際しまして、多くの方々の暖かいお言葉を頂戴いたしました。掲示板ゆえ、お名前は敢えて出しませんが、一次会、二次会にご来臨頂いた方々、薫子さんをはじめ、心より感謝申し上げます。
なお、早速本日(28日)の日経の読書欄に書影入りの紹介記事が載りました。幸先のよいことだと喜んでおります。
ありがとうございました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年09月28日 15:06 | 固定ページリンク




一考 | 格闘中

 moonさんへ
 ご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。健闘中なのですが、うまくいかないのです。新JIS漢字すなわちJIS X 0213に対応していても、問題はワープロソフトがどこまで対照表を内包しているかで決まるようです。当方のMacWORDは3.0なのでOffice-Xと共に使用不可。他ではJedit4.0.9、iText 3.0.2、LightWayText 4.0.2はユニコードに対応していますが、OS9.2.2では駄目でOSX上でなければ文字が起きません。OS9.2.2だとやはり「Kandata」か「Habian」のフォントを入れるしかなさそうです。「Habian」はリゾルバブルフォントなので、アウトラインフォントとしては機能しません。「Kandata」の方は著作権で悶着を起こしたらしく現在では入手不可。Seizenさんの仰る不都合とはそのことだと思います。
 Atok13の「Unicord表」は前記対照表が中途半端、従ってヒラギノが生かされるのはEGWORD12に附属しているEGBRIDGE13ということになるのでしょうね。
 7300と7600にOS9.2.2とOSXをインストールしたため、いろいろと問題が生じています。旧型PCIPowerMacへのインストールにSCSI-0が使えないとか、USBやFireWireのカードが機能しなくなったり、DHCPサーバからのメッセージやアカウントを読み込めなくなったりと、大騒ぎの日々です。機能拡張をすべて洗い出し、Device ExtensionのJ1-1.5.8をJ1-1.5.6に戻したところ、とりあえずインターフェースカードは認識してくれました。ここ二週間ほど、パソコンとの睨めっこが続いていますが、もう少し格闘が必要なようです。お申し越しのOS-Xのバージョンアップはスムースに済みました。ただし、旧型には10.1.5にアップ出来ない不具合があります。
 神戸行きの件ですが、10月11日に琵琶湖でケンタウロスのパーティがあります。その翌日に親父の墓参りに行こうかと思っているのです。だって一度も線香をあげていないのですから。しかし、現状では希望的観測です。



投稿者: 一考    日時: 2003年09月29日 01:50 | 固定ページリンク




moondial | ご苦労さまです。

一考さんへ

ご希望のヒラギノフォントを使うには、OS-Xでないと駄目です。OS9ではユニコードに対応出来ていないそうです。つまり、表示出来ない文字や、違った文字が表示されると言う不具合が生じます。7600にOS-Xさえインストール出来れば、OS-X附属の「ことえり」でも「EGBRIDGE13」でもほぼ問題なく使えます。ワープロは「EGWORD12」で良いのではないでしょうか。旧機種なので「EGWORD12」が、もし重いようなら、最新バージョンの「iText 」「LightWayText」の選択肢もあります。まずはOS-Xを使える状態にしないといけない。無断リンクなのですが、以下のサイトに、旧機種(7600)にOS-Xをインストールされた方の詳細な報告があります、参考にしてください。掲示板もありますのでご相談されては如何かと。

http://www.mac-rescue.net/osx/pb/7600.html
http://www.mac-rescue.net/osx/


事前にご連絡さえいただければ、いつでも遠慮なくお立ち寄りくださいね。



投稿者: moondial    日時: 2003年09月29日 17:05 | 固定ページリンク




moondial | 申し訳ない。

下記のアドレス、既に掲示板は消滅しているようですね。
また他の参考になりそうなのを探しておきます。



投稿者: moondial    日時: 2003年09月29日 17:31 | 固定ページリンク




一考 | フォントとOS

 moondialさんへ
 旧機種(7600)にOS-XをインストールするにはXPostFacto 2.2.5を用いるのがもっとも簡単で、そちらはすでに試みました。OS-Xのインストールによって生じるトラブルはこの二週間でほぼ解決致しました。また、OS-Xと9.2.2のパーティーションを切ることによって、便利な裏技が使えるのも知りました。しかし、レスポンスが悪く、とても実用向きとは申せません。そこで、9.2.2でなんとかならないかと模索したのです。青空文庫が採り入れた方法がもっともスマートではないかと思い、前述の「Kandata」を入れるとの結論を得ました。しかるに「Kandata」は現在では入手不可能です。当座はOS-Xでしのぐしかなさそうですね。
 今回の試行錯誤に至った原因は、過去に綴ったモダニズム派の作家たちにかんするエッセイをホームページに掲載しようと思いたったことなのです。12~3篇はあるのですが、漢字制限に引っかからないエッセイはわずかに一篇。これではpdfかjpegで掲載するしかないのです。それにしても、自宅と店のパソコンに限っては第六水準まで出てくれないと人名がどうにもなりません。「Habian」や「Mojikyo」だと9.2.2でも起きますが、その箇所だけ目をむく始末。もっと善い解決策があるようにも思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2003年09月30日 21:01 | 固定ページリンク




りき | こんにちは。

昨日は一考さん風邪でダウンとのこと。
具合は大丈夫ですか?
今年の風邪は頭痛+発熱の症状のようです。
私も昨日烈しい頭痛に襲われ、大変でした。

今日は私用のため会社はお休みです。
夜は別途お伺いします。

高遠さま、出版記念パーティー、お誘いいただいたのに
出席できませんでした。
すいません。
二次会すら行けませんでした。

メールをお送りしようとしたのですが、
あて先不明で戻ってきてしまいます。
この場を借りて、お祝い申し上げます。



投稿者: りき    日時: 2003年10月02日 10:18 | 固定ページリンク




薫子 | 矢吹申彦さん個展

 ですぺらにも度々お越しいただいているイラストレーターの矢吹申彦さんの個展が開催されます。
 矢吹申彦 2003年個展 「浮雲之展」
 2003年10月7日(火)~10月16日(木)
 11:00AM~7:00PM 日曜休廊・祝日開廊
 福原画廊 東京都中央区銀座7-5-15 銀座蒲田ビル2F
      電話・FAX03-3289-1710
矢吹さんの作品はCDジャケットや雑誌、書籍の装画などで皆様お馴染みだと思いますが、
最近の絵を直に見られるよい機会です。是非お運びくださいませ。     



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月02日 15:14 | 固定ページリンク




高遠弘美 | りきさま

りきさま
お祝いのお言葉ありがとうございました。
ですぺらに下手ながら署名本を何冊か置いて頂いております。もしよろしければどうぞ。

一考様
お風邪とは。実はわたくしも一昨日の夜から具合悪しく、昨日は働きましたが、今朝からダウンして伏せっております。
どうぞお大事に。お見舞い申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年10月03日 13:36 | 固定ページリンク




薫子 | 本日

 本日午後6時半よりですぺらにて、須永朝彦さんがカルチャーセンターの生徒さんとの懇親会を催されます。会費3500円で、どなたさまでも参加歓迎。どうぞよろしく。



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月04日 06:39 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 率爾ながら

ご報告申し上げます。
こんなことはこの先ないので図々しいのを承知で申します。
Amazonの「フランス語」の部門をご覧頂けませんでしょうか。
「珍説愚説辞典」が何と売れ行き一位になっています。
こんなことは二度とないので敢えてお知らせ申し上げました。
失礼をお許し下さい。
こういう瞬間がたとえ一度でもあったということにつき、ご支援下さった方々に心より御礼申し上げます。感謝を込めて。
高遠弘美



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年10月06日 00:17 | 固定ページリンク




松友 | おめでとうございます

高遠先生
おめでとうございます。
そこで、ですぺら通信にキャプチャー画像をアップしました。本投稿アドレス欄に入れてあります。
まずは取り急ぎお祝いまで。



投稿者: 松友    日時: 2003年10月06日 06:43 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがとうございます

松友さま

ありがとうございました。お言葉も、該当頁のアップにつきましても。
素天堂さま、如月さまもご自身の掲示板に書いて下さいました。皆様が後押しして下さるありがたさを感じております。御礼申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2003年10月06日 09:10 | 固定ページリンク




一考 | ケンタウロスのサマーパーティ

 moondialさんへ
 ケンタウロスのサマーパーティ西日本に参加。従って、11日の夜は琵琶湖畔のキャンプ場。明石の暴走族仲間が来ているとよろしいのですが、いかがなものでしょうか。
 翌12日に5年ぶりに神戸の実家へ線香をあげに行きます。その夜、(http://r.gnavi.co.jp/k139300/)にて鯨カツでも食しませんか。前回、来住さんへ呼び出した空手家の山下さんが営むお店。西明石で4人のやくざを血の海に沈め、私の出番を端折った猛者です。貴方もご存じでしょう。
 実は、豆皿、帯留につづくぽち袋の原稿が滞っているので、13日中に東京へ戻らねばならないのです。今回は来住さんへ行く時間が取れません。11月に連休が2回あるので、その折りは西明石へと思っております。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月10日 19:57 | 固定ページリンク




薫子 | 本日は

 先程とど店長は、大騒ぎの末、ようやく琵琶湖へ向け出立されました。ばんざーい。
ということで、本日「ですぺら」は美女二人による営業となります!どうぞよろしゅう。



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月11日 10:39 | 固定ページリンク




moondial | 薫子さんへ


鯨より美女二人の方が好みなので、私はそちらへ出向きましょう。



投稿者: moondial    日時: 2003年10月11日 18:51 | 固定ページリンク




薫子 | 久しぶりに

 今日は久しぶりに展覧会に行ってまいりました。素天堂さんにお付き合い願って、「フェアリー・テイル 妖精たちの物語」に。素天堂さんは二回目とのことでしたが、何回も見に行きたくなる気持ちがわかる、見応えのある展覧会です。ジョン・アンスター・フィッツジェラルド、ジョン・ダッドなど、イッテシマッタ画家の絵がいい。小さな作品も間近で見ることができ、絵の具の盛り上がりまで確認してしまいました。素天堂さんは監視のおばさんに「舐めないで下さい」と注意されていました。挿絵入り初版本も数多く展示されていて、「一冊でいいから欲しい」と素天堂さんにお願いしたのですが聞いてもらえませんでした。11月3日まで、JR京浜東北線北浦和駅西口から徒歩3分の北浦和公園内の、埼玉県立近代美術館にて開催中。噴水前のベンチでランチというのも良さそうな所です。お薦め!
 ところでとど店長は、雨にもあたられ(さすが雨男)、かなり長時間かかったようですが、無事琵琶湖に到着して焼き肉を食べることができたようです。でも右足がつったとかで、明日バイクで戻ってくることができるのだろーか。



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月12日 23:55 | 固定ページリンク




素天堂 | 妖精展


直前の書き込みには若干のフィクションが含まれておりますので、訪問者の方はご注意を。
それからダッドのファーストネームは“リチャード”ですよ薫子さん。
軽口はともかく、浪漫派の絵画作品としても水準の高い作品が多かったです。



投稿者: 素天堂    日時: 2003年10月13日 07:43 | 固定ページリンク




如月 | 「向田邦子の恋文」


四谷シモン、現在来年1月にTBSで放送予定のドラマ「向田邦子の恋文」
(演出:久世光彦さん)の撮影中です。久世さんはこれまでも向田邦子原作のド
ラマを数多く手がけていますが、今回のドラマは向田邦子本人が主人公で、彼女
には隠れた恋人がいたという設定です。台本を読むと、向田さんが飛行機事故で
亡くなる前に残した留守電のテープ(最後の声)もうまく利用され、現実と虚構
が入りまじったおもしろいドラマになっています。向田邦子役は山口智子さん、
四谷シモンは向田さんの恋人の友人の役で1シーンだけ登場します。
   *   *   *
私事ながら、本日、私に新しい仕事の依頼がありました。
正直言って、「う~む、できるかなあ」という気持ちも少しありますが、なんと
かやってみようと思います。
どんな仕事かって?
それはヒ・ミ・ツ。
今度お店に行った時にでもお話します。



投稿者: 如月    日時: 2003年10月18日 12:11 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせいろいろ

 素天堂さま、ご指摘ありがとうございます。素晴らしい絵にコーフンして頭が煮えていました。如月さま、シモンさんのドラマ出演、とっても楽しみですね。それにしてもお仕事って、なに何?いろいろと想像してしまいます。あらぬ噂が飛ぶ前に教えてください。
 
それではお知らせいろいろ。
その一
 画家の多賀新さんより展覧会のお知らせを頂きました。
「復活 resurrezione」
 10月14日~25日 AM10:30~PM18:30(日12:00~18:00)
 青木画廊 東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F 03-3535-6858
 ”quattro+uno” 市川伸彦 川口起美雄 多賀新 建石修志 宇野亜喜良 
 多賀さんは新作ドローイングを5点出展されています。

その二
 詩人・エッセイスト・画家の亀山巌さん(1907-89)が発刊した「名古屋豆本」と、名古屋詩壇のさきがけ伴野憲さん(1902-92)の同人誌などを展示した回顧展が10月10日から30日まで催されます。
 俳句・短歌・詩の専門書店「書物の森」にて
 名古屋市中村区名駅5-10-7 花車ビル中館1F 052-551-3133
 地下鉄桜通線「国際センター」下車3蕃出口1分
 お近くにお住まいの方は覗いてみて下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月19日 03:27 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ追加

 大事なお知らせをしなくては。
装幀家の間村俊一さんの個展が催されます。「ですぺら」では単なる酔っぱらいのおっさんですが、本職ではいい仕事してます!

以下 案内状より
間村俊一装訂展「本から」
いま、もっとも注目を集める気鋭の装訂家・間村俊一の二度目の個展を開催いたします。典雅な文学書からアクチュアルな実用書まで、書物そのものの物質性を強烈に感じさせる彼の本の宇宙を一望する展覧会です。前回の「本へ」(1998年)に続き、今回のタイトルは「本から」。この五年のあいだに手がけた装訂本をすべて展示、求心的に書物だけを追いもとめてきた段階からひとつ抜け出た新しい間村俊一の仕事を見ていただくとともに、関連イヴェントとして、本がとりもつさまざまな関係の豊かさにも触れていただきます。
会期 2003年10月24日(金)~11月6日(木) 12:00~19:00 休廊日なし
場所 ギャラリーカフェ sakura
   東京都渋谷区神宮前4-4-7 2F 電話03-3408-7676 地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線 表参道駅A2出口から徒歩2分
関連イヴェント 
 渡辺一考トーク「本談義(1)詩歌篇」10月26日(日)18:30~
 佐々木幹郎×菊池雅志セッション「詩朗読と尺八演奏」10月29日(水)18:30~
 佐藤洋一郎トーク「本談義(2)競馬篇」(ゲスト伊与田翔)10月30日(木)18:30~
 岡崎武志トーク「本談義(3)古本篇」10月31日(金)18:30~
 福島泰樹ライブ「短歌絶叫」11月2日(日)18:00~
 立松和平トーク「本談義(4)小説篇」11月4日(火)18:30~
 すべて会費1200円(ワンドリンク付)

イヴェントの顔ぶれからは間村さんの幅広い交遊関係が窺えますが、おっと、なんということでしょう、「ですぺら」店主がトークに名を連ねているではないですか。店で呑みながらくだを巻くのは得意ではありますが、大勢の人前で話すことができるのでありましょーか。
ともかく是非ぜひ覗いてくださいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2003年10月19日 04:08 | 固定ページリンク




松原和雄 | 茶飲み友達募集

au bon cafe’                   茶飲み話友達募集 茶飲み友達やパートナーを見つけませんか。 出合いは人生を豊かにします。既婚・未婚・年令制限一切無し。 ○電話帳を開くといわゆる”結婚紹介”ばかりです。既婚・未婚にとらわれず、年令に制限を設けず(エイジレス)、気に入った男女がお茶を飲みながら楽しい会話をする機会が日本にもっと有っても良いのではないでしょうか。当方はこういった当然の希望を持つ人達の出逢いと紹介の場です。 ○福沢諭吉の「福翁百話」より 西洋文明社会にチーパーチーと称し、簡単に茶菓を用意して客を招き、男女打ち交わりて遊戯談笑、一夕の楽事を共にするの例あり。 ◆主催 アストライアの会(社会教育団体) ◆場所 豊島区立青年館(JR池袋駅・西口) ◆連絡先 松原 和雄 〒354-0041 埼玉県入間郡三芳町藤久保1-11  Tel/Fax 0492-58-3218 ホームページアドレス http://www.asutoraia.com/



投稿者: 松原和雄    日時: 2003年10月19日 18:56 | 固定ページリンク




一考 | モルト会12

 10月25日(土)の夕6時から10時にかけて第12回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は11月22日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。
 今月のモルト会で、ちょうど一年になります。11月からは香味の異なる新規ボトルを投入いたしますのでどうかよろしく。このところ、3本の解説文を抱えて難渋致しております。掲示板の書き込みならびに、新規ボトルの紹介も滞ったまま。まことに恐縮ですが、今月一杯はご勘弁頂きたく思います。

10月
 トバモリー(10年)※アイランド
 レダイグ('90 ゴードン&マクファイル)アイランド
 グレン・エルギン('78 ハート・ブラザーズ)スペイサイド
 グレンダラン('85 マクギボン)スペイサイド
 スペイバーン('90 ダグラス・レイン)スペイサイド
 ダラス・ドゥー('79 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 オーバン('80 ユナイテッド・ディスティラーズ)※ハイランド
 グレンユーリー・ロイヤル('76 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 トマーチン('77 ヴィンテージ・モルト)ハイランド
 ブレア・アソール(12年 ユナイテッド・ディスティラーズ)※ハイランド
11月
@ラガヴーリン('93 ヴィンテージ・モルト)アイラ
@ダルユーイン('80 サマローリ)スペイサイド
 トミントゥール(10年)※スペイサイド
@ピティヴェアック('85 ケイデンヘッド)スペイサイド
 ベンローマック(12年 ゴードン&マクファイル)※スペイサイド
@アバフェルディ('77 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 グレンカダム('74 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 マクダフ('75 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 バルブレア('73 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 インヴァリーブン('84 ゴードン&マクファイル)ローランド

 @は新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月20日 08:07 | 固定ページリンク




一考 | 訃報

舞踏家、故土方巽さんの奥方、アスベスト館館長、故永田耕衣翁の友、ですぺらへもお見えになられた元藤(火偏に華)あき子さんが亡くなられました。昨日朝、電話で知らされたのですが、詳細はここでは触れません。通夜は21日、本葬は22日、自宅は世田谷区下馬4-22-8。後日、お別れ会が開かれます。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月20日 10:21 | 固定ページリンク




一考 | 連絡

元藤あき(火偏に華)子さんの通夜は自宅で21日夕6時から、告別式は22日午前11時から執り行われます。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月20日 20:46 | 固定ページリンク




一考 | 間村俊一装訂展

 パソコンの全盛を迎えていますが、出版の場にあってダイレクト出力は今なお不可能です。フォトショップやイラストレーターを用いて装丁しても、現場では色校、フィルム、刷版と、昔と変わらないアナログ作業が待ち受けています。モニター上で自らの装丁の結果を事前に確認するとの利便性以外、パソコンに目立った取り柄はまだないのが実状です。
 間村さんはパソコンは使われないようです。バラ打ち、切り張りで版下を拵えるとお聞きしております。間村さんに限りません、私が存じ上げる装丁家は皆さんパソコンが苦手なようです。
 はなしは換わりますが、文章表現は糊と鋏による継ぎはぎ細工からはじまります。鋏さばきや糊使いなど、細工の巧拙が問われます。巧みであればあるほど、紹介が単なる紹介にとどまらず、換骨奪胎の妙味を示唆することができるのです。そこで大事なのは糊と鋏を通しての指先の触感と眼差しのなかに構築される全体図すなわち方向性であろうと思われます。指先の触感が身体とするなら、眼差しのなかにはプラトン的な、幾何学的な、ある種情念のようなものが芽生えます。その双方が絡み合ってこそ、自らの呼吸が、血液の流れが、鼓動が聴こえてくるのだと思います。
 間村さんはバラ打ち、切り張りという行為のなかに、みずからの身体を搏動を求めていらっしゃいます。氏にあって装丁も俳句も絵画もオブジェもすべては等価なものなのです。自らの拵え事が互いにいたるところで滲透し合う、澁澤さんの言葉をお借りして申すなら、すべての観念がオブジェと化し、「明確な輪郭を保ち、華麗な色彩をおび、きらきらした鉱物質の輝きを放つ」ような装丁を陸続と生み出されているのです。装丁の場にかくまで搏動を持ち込み、肉声にこだわった例を私は知りません。ちょいと失礼な表現ながら、間村さんの体重から推して「とどの涎」のようなものではないでしょうか。よだれ結構、迷い結構、繰り言結構、そういった立ち徘徊りのなかに文学の、さらには表現の要諦があるのですから。
 今後の間村さんのご活躍をお祈り申し上げます。

 なお、装丁もしくは装幀を装訂と表現したのは季節社の故政田岑生さんです。やはり故人となられた向井敏さんは装訂についてのエッセイを著していらっしゃいます。政田さんの書物に対するこまやかな愛情は間違いなく間村さんに引き継がれています。政田さんはよいお弟子さんを持たれたなあと、感無量です。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月30日 19:41 | 固定ページリンク




一考 | 酒井潔のことなど

 大変な一箇月でした。細かいものに積み残しが出ましたが、難儀なものはあらかた終了致しました。ギャラリー・カフェsakuraにおける26日のトーク、27日は48枚、28日は12枚の解説を脱稿。いささか疲れ果てました。27日はですぺらを薫子さんにまかせ、出先で朝までキーボードを叩いておりました。りきさん、テイラーさんをはじめ、御来店のみなさまに迷惑をお掛け致しました。
 11月の10日に酒井潔の「悪魔学大全1」が学研から上梓の予定。拙い解説を付しました、お買い上げ下されば幸甚です。
 その酒井について一言。酒井潔の著書のなかに「確固たる権威」という言葉がでてくるのに興がさめる思いがしました。社会的な承認を得られないのが自明であるがゆえの権威への希求、それは分かりますが、権威の裏面にはおおむねセンチメンタルな情動が寄生しています。その感傷をこそ表現していただきたかったのにと、私などは願うばかりなのです。
 文献の渉猟・博捜は当然として、文芸上・風俗学の研究上、なぜその文献が必要なのか、その必要性の表明がなされなければ、それは単なる焼き直しにしか過ぎず、とても換骨奪胎の域にまで達しているとは申せません。
 もっとも必要性などという概念はこの世に存在しません。「冷斎夜話」に「然れども、その意を易えずしてその語を造る、これを換骨法と謂い、その意を規摸してこれを形容する、これを奪胎法と謂う」と著されているように、独自性の問題でもなく、あくまで修辞学上の問題なのです。謂わば精神の修辞法とでもしておくしかなさそうです。表現には必然性もオリジナリティもなく、忖度の繰り返しでしかないわけです。その忖度、すなわちいかに読み解き、いかに読み替え、いかに書き換えるか、スタイルと申しますか形振りが大事との消息はそこらあたりに派生するようです。
 評論家と称するひとたちは歴史的時間を引き算の対象にします。確かに不都合な部分は時代のせいにするのが無難な策なのですが、同時代に小林秀雄や柳田国男も活躍しているのです。圏外文学を前に、今回はいろんな意味で頭を抱え込みました。酒井潔はとんでもない難題を私に突きつけたのです。追々、掲示板で考えていきたいと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月30日 22:18 | 固定ページリンク




一考 | 佐々木幹郎さんの詩


 29日、佐々木幹郎さんの詩の朗読会に参加しましたが、アイルランドの詩人に託けて、氏が面白いことを語っていらっしゃいました。曰く、むかし神話と妖精は箇々の家庭にあり、人々と起居を共にしていた。やがて神話は国家のものとなり、妖精は死に絶えた。その神話を国家から取り戻し、妖精を蘇らせるのが詩人に与えられた使命である、と。
 詩人のというより佐々木さんの格好良さに私は弱いのですが、それにしても大変な発言です。昨今の文学に喪われたものは個であり、その個を育みさらには突き放すセンチメンタリスムやリリシズムが肝要というのが私の持論なのですが、それとどこか通底するように思われます。センチメンタリズムやリリシズムが個の味方であれば、漱石の「自己本位」などというしみったれた文学しか生まれて来ないのです。時として寇なす輩であるがゆえに双方向の付き合いが可能になります。正義すなわち超人力と悪意の狭間に詩が棲息すると私は信じたいのです。信じたいというのは、どうもそういった弁証がなされない詩が増えてきたように思うのです。
 「たまや」に掲げられた氏の「メアリーとダニーの庭」は、

 この村で、午前九時に待ち合わせるなんて
 そんな約束を守る奴なんて
 誰もいない

の三行で閉じられています。イノセントと申しますか、アイルランド的な無邪気さと好い加減さ、そして「誰もいない」孤絶。どうやら佐々木さんの詩には「白痴的なまでの美しさ」が揺蕩っているようです。氏が郵便配達人の格好をして神話を各家庭に届ける、否小荷物はすでに届けられているのです。悲しいかな、妖精の死体とともに。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月30日 22:25 | 固定ページリンク




アルファプラス | レンブラント、フェルメール、ゴッホ

レンブラント、フェルメール、ゴッホのポスター、ポストカード アクリル特殊加工の複写画をオランダから輸入販売しております。 是非一度、ホームページにお立ち寄りください。



投稿者: アルファプラス    日時: 2003年10月30日 23:01 | 固定ページリンク




佐々木幹郎 | 昨夜はありがとうございました。

ふむ。ほめられたのか、けなされたのか。「白痴的なまでの美しさ」とは、もちろん、ほめ言葉だと理解しております。複雑骨折の多い一考的文体は、その表現の襞の奥に入り込むまで、長く考える時間を与えてくれました。。わたしは郵便配達夫として、歩いていきましょう。それにしても、はやく「とど」になりたい。。。



投稿者: 佐々木幹郎    日時: 2003年10月31日 00:02 | 固定ページリンク




一考 | からだのなかを風が吹く

 佐々木幹郎さんへ
 もちろん、ほめ言葉です。単刀直入に褒めればあなたのことです、きっと気分を害するに違いないと思ったのです。臆面もなくセンチメンタリズムやリリシズムを肯定する表現者の神経経路や思考回路はおおむねざんばら髪か複雑骨折に違いありません。
 ところで、複雑骨折とは骨折端と外界が行き来している状態を指すのであって、開放骨折とも云います。きっと詩人なら外界と身体とのコレスポンダンスを夢見るのでしょうね。これまた風通しのよろしいことです。
 ひとに期するところなにもなく、ひととの出逢いは一顰一笑。源氏の時代であるまいに、「千々にくだけはべる思ひに」とは嘲み笑いか薄笑いの謂いではなかったかと。かようなことを申しますのも、失意のなかにしか友は得られぬものと十代の頃よりこころして生きてきたからなのです。
 佐々木幹郎さんのリリカルな詩、間村さんのつぶらな泥酔、松井さんの後ろ髪ひかれる哄笑、それらの裏面には「意志弱行」の遁走曲が流れているような気がしてならないのです。
 今年はいくたりかの友の死に逢着致しました。そして一方であなたのようなよき友を得ました。松柏摧為薪、ほろびの前のわるあがきをいとど愉しみたく思いおる次第。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月31日 19:32 | 固定ページリンク




一考 | 蕎麦の実の浅漬け

 蕎麦の実の外皮を取り去った(丸抜き)ものを蕎麦米といいます。徳島、愛媛、山形では干した大根の葉や生姜、椎茸、牛蒡などとともに雑炊にしていただきます。三好郡の祖谷地方や美馬郡あたりの山村の蕎麦米は特に知られています。また新潟や山形の一部では蕎麦米の浅漬けが酒の肴として食されます。江戸期の蕎麦百珍にもそのレシピが書かれ、蕎麦通には馴染みの食べ物です。
 ところが東京へ来て以来、蕎麦屋で蕎麦の実の浅漬けに出会ったことがございません。そして検索をかけて驚いたのですが、ネット上に浅漬けの記述がないのです。どうやら東京の蕎麦好きにとって興味の対象は蕎麦切りであって、懐石としての蕎麦はうっちゃられているようです。もとを正せば、蕎麦が名をなしたのは懐石料理で採り上げられたからなのです。もう少し料理人が差配する蕎麦懐石にも目を向けていただきたいものです。
 さて、その蕎麦米の浅漬けのもっとも簡単な作り方を書いておきます。所要時間は二時間以内、末尾に購入先も記載しておきます。

 一 しかるべき量の蕎麦米を一時間ほど水に晒した後、水切り。
 二 白出汁に酒と微量の酢と塩を加え煮立てます。そこへ蕎麦米を入れて七分から十分とろ火で炊き、再度水切り。
 注意事項
 白出汁はインスタントの出しの素で結構ですが、その場合は塩は不要です。
 酒は全量の五分の一から四分の一ぐらい。間違っても吟醸酒は用いないように。
 酢は水四合にティースプーン一杯といった感じ。
 蕎麦の実が水を吸って三倍ぐらいに膨らみますので、だし汁は潤沢に用意してください。
 三 冷ました蕎麦米を密閉容器に入れ、三分の二ぐらいまで浅漬けの素を入れます。そうするとあら不思議、三十分で出来上がりです。

 蕎麦好きにはそのプチプチ感が堪らないのですが、にべもない香味であるのも事実、カタルシスからはほど遠いと思われる向きには鷹の爪の微塵切りを一緒に漬け込むのをお薦めします。ただし、微量にしてください。

 ネット検索の結果、埼玉の「米のこくまん」(http://www.kokuman.com/cargo/cargo.cgi)が最も安かったようです。蕎麦米一キロ700円、どうぞ御贔屓に。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月06日 20:34 | 固定ページリンク




如月 | 「病院ギャラリー」写真集

四谷シモンの作品15体は、2001年10月から2003年9月にかけての 717日間、愛媛県伊予三島市の整形外科病院、名付けて「病院ギャラリー」に 展示されました。この「病院ギャラリー」をとりあげた写真集「病院ギャラリー 717DAYS 2001-2003」が、11月14日心泉社から刊行されます(A5版 96 ページ、税別価格¥1,900)。 手術室に立つ「解剖学の少年」、病室に幽閉された「男」。幻のような展示は2 年間で幕を閉じましたが、その世界はこの写真集に再現され、残り続けます。 【編集・発行】メディアプロダクション ヒッティ編集部 くわしくは、↓ページをご参照ください。 http://www.simon-yotsuya.net/information/GH717DAYS.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月09日 02:07 | 固定ページリンク




如月 | パリの人形展に出展!

2004年1月19日~7月26日、パリ市立アル・サン・ピエール美術館で開 催される人形展に四谷シモンが4~5点の作品を出展することが決定しました。 展覧会の詳細については、↓ページをご参照ください。 http://www.simon-yotsuya.net/information/sp-poupee.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月10日 01:45 | 固定ページリンク




薫子 | おおっ!

 シモンさんの作品をパリの美術展に出品ですか。すごい!どのような人形を出すのでしょうか。パリの人達がどういう風に見てくれるのか、楽しみですね。私もパリまで見にいきましょう。なんていうことが、できるようになりたいものです。くすん。病院ギャラリーは終わってしまったんですね。遠くていけませんでした。店に貼ってあるポスターを見て、彼の人形はどこに行けば見られるのか、とアメリカ人に問いつめられたことがあります。いつもどこかに居てくれるといいのに。



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月10日 12:26 | 固定ページリンク




megumi | 楽しみましょう!

最近私たちの間ではやってる遊び教えちゃうね。新宿のある所なんだけど、最初掲示板みてしってそれから同じ会社の寮の友達といってみたんだけど、超楽しい。。。女性は全部無料で!!行ってみるとなんと有名店ケーキに豪華な食事食べ放題、飲み放題、そしてきわめつけは!!超いけてる男をゲットできる。もう友達とはヤミツキになってしまった。一人でもよく行ってる。あんなにいい所見たことないよ。超はやってる。だまされたと思って足を運んでみては??あそこを悪いって言う人はいないはず。



投稿者: megumi    日時: 2003年11月10日 15:07 | 固定ページリンク




太田 守 | (無題)

先月西明石駅前の小さなギャラリーでひと月小生の作品展をやりました。来年一月末にかなり大きな展示会を開催するので、今製作にオオワラワです。



投稿者: 太田 守    日時: 2003年11月12日 00:05 | 固定ページリンク




薫子 | 太田さんへ

 ご無沙汰しています。西明石の「ですぺら」ではお世話になりました。よく明け方まで一考と「朝まで生テレビ」状態になりましたよね。私は側でヘラヘラ聞いていただけでしたが。ADSL開通おめでとうございます。ゆっくりネットサーフィンできる環境になったのですね。でも怪しいHPにはお気を付けくださいまし。はまりそうな予感が。個展の日程等、詳細も教えてください。赤坂へも是非いらしてください。



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月13日 14:30 | 固定ページリンク




薫子 | 酒井潔「悪魔学大全(1) 愛の魔術」

 学研M文庫より発売(税別1000円)。11月11日より店頭に並んでいる筈であります。なかなか見かけない学研文庫、さらにこの本は部数も限られているでありましょうから、是非お早めにお求め下さいませ。淫靡な夢を見る方法から愛の成就、呪いのかけかたまで、元祖オカルト、占い本でもあります。それにしても印刷所さま、ご苦労様です。
 皆々様、今後の学研M文庫文芸シリーズ(?)の存続のためにも、ご協力ください!



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月13日 15:09 | 固定ページリンク




りき | すいません。

>一考さん、薫子さん
明日は友人の誕生会ということで、
ビーフシチューをお願いしていたのですが、
人が予定よりこないことになってしまいました。

ビーフシチューが余ってしまいますよね?

明日、ですぺらに行かれる方はいますか?
明日早めにいかれれば、ですぺら隠しメニュー
ビーフシチューがおいしくいただけるはずです。
(ただし、数量限定)



投稿者: りき    日時: 2003年11月15日 00:44 | 固定ページリンク




一考 | 「Kandata」入手

 久しぶりに「Kandata」と「Habian」の両フォントが入手可能になりました。ウインドウズ用のTTFフォントとマック用のスーツケースタイプの双方が入手可能です。TTFからの変換は富田倫生さんの尽力によるもので、感謝感激です。「Kandata」や「Habian」はテキストブラウザーのT-Time にもなじみ、青空文庫の「新JIS漢字総合索引」が活用できます。
 そして、Mac OS X以前の環境でも、JIS X 0213で新たに定義された第3第4水準の文字の入力や表示が可能になります。ダウンロード先のURLは以下のごとし。
 http://fairuse.hp.infoseek.co.jp/



投稿者: 一考    日時: 2003年11月16日 03:20 | 固定ページリンク




一考 | さくらでのお喋り

 積み残しの原稿に手間取りましたが、やっとの思いで終了。しかし、次の締め切りが迫ってきました。新宿で朝まで酒を飲みたいなあなどと、埒もないことを夢見ております。
 12月の10日に酒井潔の「悪魔学大全2」が学研から上梓の予定、「悪魔学大全1」に続いて拙い繰り言を付しました。お買い上げくだされば幸甚です。また「料理王国」の12月発売号にはですぺらでのテイスティングが掲載されます。対象はカリラ、ラガヴーリン、ラフロイグを各六種類づつです。同誌にはカスクについての短文も併載、どうかよろしくお願い致します。

 松井純さんにはトークでお世話になりました。あれでショーになりましたかどうか。心許なく思っております。二十歳の頃の私をおそらくもっとも正確に知っていらっしゃるのは編集長の谷さんと松井さんに違いないのです。だって当時、それ以外のひとと本音すなわち文学論など話し合った記憶はないのですから。人文書院と私との関わり合いについて存分に話せました、感謝致しております。
 U野さんが「煮ても焼いても食えない頑固親父」と一言、K沼さんは「話すことが真っ当すぎる。喋るときは正論ばかりで、なにか腑に落ちない、逆に胡散臭さを覚える。一考さんのいかがわしさが皆目伝わってこない」などなど。生真面目なご批判も頂戴しましたが、私にとっては駄法螺を吹いて煙に巻くがごとき快なる一夜でございました。実はあのあと、メールが入りました。私がお喋りしたヴァレリー・ラルボー全集や稲垣足穂の書簡集を本にしたいとの内容です。たとえ一冊でもはなしがまとまればよろしいのにと思っております。
 次の原稿は間村さんのご依頼、やっつけ仕事では済みますまい。ひとつ濃厚な「とどの涎」を擦り付けねばと覚悟致しております。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月17日 23:05 | 固定ページリンク




一考 | 陽のあたらない文学館

 先日、酒井潔の「悪魔学大全2」の解説で「庶民派エンサイクロペディストの石井研堂、そのあとを継いだ和田健次や日置昌一。『東西薬用植物考』の川端勇男、『東西香薬史』の山田憲太郎、『東西沐浴史話』の藤浪剛一、『日本化粧史考』の久下司、『見世物研究』の朝倉無声、『香具師の生活』の添田知道、『賭博と掏摸の研究』の尾佐竹猛、『とらんぷ』や『奇術随筆』の阿倍徳蔵、『奇術の世界』の坂本種芳、『カメラ社会相』の片岡昇、『奇妙な存在』や『露西亜舞踊』の大田黒元雄、『夢』の研究に没頭した石橋臥波、芸者心得帳とでも称すべき『候べく候』を著した楠瀬日年、『金魚の研究』に生涯を捧げた松井佳一などなど、圏外文学のネタには事欠きません。青裳堂書店の『日本書誌学大系』の向こうを張った本朝圏外文学大系の上梓を私は心待ちにしているのです」と著しました。
 固有名詞を並べ立てるのは私の趣味ではないのですが、某編輯者に唆され、まあそれもよかろうと言うことに相成りました。この内の三冊は重版が上梓されましたが、その他の書冊はいまなお顧みられないようです。
 柵山人、坂本紅蓮洞、藤沢清造、兵本善矩、泉斜汀、荒川義英、倉田啓明は亀鳴屋さんにお任せするとして、稲垣足穂、池谷信三郎、郡虎彦、十一谷義三郎、鈴木泉三郎、鈴木善太郎、富ノ澤麟太郎、山田一夫、正岡容、西川満、大黒田元雄、木下杢太郎、牧野信一、野溝七生子などは気になる作家です。その内、郡虎彦、木下杢太郎、牧野信一は全集が出ているので不要。山田一夫と正岡容は全集ではないのですが、一応読むことが可能です。野溝七生子は小出昌洋さんが頑張っておられるのでこちらも問題なし。とすれば他の八名になります。
 毛並みの変わったところでは大泉黒石、松永延造、辻潤、武林夢想庵は纏まった形で読まれるのですが、野村隈畔の著書はただの一度も重版されていません。さらに加えるに城左門と西条八十の詩は上梓されましたが、平井功、矢野目源一、石川道雄は未刊のまま。そう言えば、石川信夫を読むのも不可能に近い・・・とこんなことを申し上げるのは他でもない。東京の某出版社が来年、この辺りの「陽のあたらない文学館」にどうやら陽を当てるらしいのです。第一回は「跫音」や「白樺になった男」を著した十一谷義三郎。正夢になりますようにと祈っています。M井さん、頼みますよ。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月18日 00:02 | 固定ページリンク




一考 | モルト会13

 11月22日(土)の夕6時から10時にかけて第13回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内および来年の開催は毎月第4土曜日、従って次回は12月27日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

11月
@ラガヴーリン('90 シールダイグ)アイラ
@ダルユーイン('80 サマローリ)スペイサイド
 トミントゥール(10年)※スペイサイド
@ピティヴェアック('85 ケイデンヘッド)スペイサイド
 ベンローマック(12年 ゴードン&マクファイル)※スペイサイド
@アバフェルディ('77 ゴードン&マクファイル)ハイランド
@グレンカダム('91 ウィスキー・ガロア)ハイランド
 マクダフ('75 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 バルブレア('73 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 インヴァリーブン('84 ゴードン&マクファイル)ローランド
12月(こちらは予定です)
@ハイランド・パーク(8年 ゴードン&マクファイル)アイランズ
 グレン・グラント('76 ウイルソン&モーガン)スペイサイド
@グレンバーギ('88 グレン・アラン)スペイサイド
 グレンクレイグ('75 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
@グレンロッシー('89 ダグラス・マクギボン)スペイサイド
@ダフタウン('90 ダグラス・マクギボン)スペイサイド
@エドラダワ-('76 シグナトリー)ハイランド
 グレンアギー('67 ゴードン&マクファイル)ハイランド
@ノックドゥー('89 ケイデンヘッド)ハイランド
@プルトニー('90 ヴァン・ウィー)ハイランド

 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月19日 20:24 | 固定ページリンク




一考 | 内藤三津子さんのことなど

 馬場さんへ
 いつぞや某誌に「今となってはすべて懐かしい思い出である」と書いてこっぴどく叱られたことがある。確かに不用意な文章である、というよりは内容空疎、陳腐な常套句と言えようか。懐かしさを「懐かしい」との言葉を用いずに書き表すのが表現であって、これが私の肉声だとするならば恥じ入るしかない。
 「閑話休題」と「物懐かしい」は宇野浩二がよく用いる文言で、宇野浩二の愛読者である私はついうっかりしていたのである。私のような凡庸な輩は文章を反芻せず、むしろ緊迫感すら抱かずに文章を拵える、悪い癖だと分かっているのだが、そこから抜けきられないがゆえの凡庸なのである。
 さて昨夕、「何ともいへぬ物懐かしい臭い」と久しぶりに出逢った。臭いの主は内藤三津子さん、臭いを漂わせた場所は「風紋」ではなく新宿の「エイジ」。実は締め切りを終え、居ても立ってもいられなくなり、深夜のエイジへ酒を求めて立ち寄ったのである。三十余年前に幾度となく内藤さんとはお会いしているのだが、その後は電話のみにて、ついぞお会いする機会がなかった。カウンターでお互いその人と知らず、官憲の悪口を肴に酒を飲んでいたのである。やがて私に電話が入り、「一考ですが」・・・「あら、あなた渡辺一考さんなの」で官憲への罵詈雑言は薔薇十字社時代の「戦友の思い出」に取って代わった。三島由紀夫から澁澤龍彦へと華やかな会話の裏で内藤さんがふと洩らした一言「晩年がこんなに長いとは思いだにしなかった」。
 記憶が違っていれば申し訳ないのだが、たしか「血と薔薇」が創刊されたのが68年か69年、四冊の終刊から一年を経て、薔薇十字社が設立されたと記憶する。わずか四年の期間であったが、内藤三津子の名はいまになお語り継がれている。
 編輯とは他者との出逢いと排斥、他者と自己との境界を劃定し続ける試みに他ならず、出版は金銭との格闘に終始する。そして権威、才能、実績の裏面にはかならずやセンチメンタルな情動が寄生する。その感傷を、薔薇十字社時代の恨み辛みを近々札幌の出版社から上梓されるとか、鶴首して待ちたい一本である。
 この書き込みを馬場さん宛にしたのは他でもない。「さくら」に於ける月一回のトークショーは結構なのですが、過去に生きた自らの歴史をかなぐり捨て、沈黙してしまった60年代、70年代のプライヴェート・プレスの人たちとのトークに出来ないものでしょうか。華やかな一時を過ごした敗残兵たちの、血と薔薇ならぬ宿酔と血痰の日々、若いときには想像することすらかなわなかった老いてからの屈折と苦衷、陽の光に翳さねばならないのはそちらの方ではないのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月20日 20:34 | 固定ページリンク




一考 | つわものどもが夢のあと

 先日、酒井潔の「悪魔学大全2」の解説で神戸の古本屋「俳文堂」について触れた。ろくに調べもせず、記憶で書き綴ったため、担当編輯者に迷惑をお掛けした。すこしく訂正しておこうと思う。
 俳文堂主人有川正太郎さんは沛文洞と号し俳句を嗜まれたが自らの句作は纏めず、第六和露句集「阿蘭陀渡」(昭和四十九年八月刊)を遺し、糖尿を煩って逝った。
 私が中学生のころから入り浸り、懇意にさせていただいた古本屋は元町六丁目の俳文堂と同五丁目の黒木書店、それと大阪の浪速書林である。有川さん行きつけの茜屋珈琲店で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧、または松岡青蘿や内藤丈草の句を教わったのも、すべては有川さん在ってのことである。
 第六和露句集の巻末に付された有川さんの「玉稿愚考」より引用する。

 川西和露逝きて三十年。
 いま、和露第六句集を編みつつ、その玉稿より、ひとつの「驚き」を発見したのである。
 (中略)
 「コビヘツラウ」ことだけが尊重され、高貴な精神的なものを認めようともしないばかりか、まかりちがえば、異端視もされかねないのが世の常で、私達の日常生活の周囲には勿論、あらゆる面においても「オベンチャラ」が余りにも多く感じられるのである。併も、純粋と知性を誇り、人格の反映ででもあるべき筈の「芸術の世界」にあっても、それが常に醜悪な妥協となって、堂々と通用するのが現在社会である。
 碧梧桐門の逸材で、その短律化された数多い和露の秀句からは、微塵も「オベンチャラ」を感じられないばかりか、そこに瞑想的な摯実な真情を吐露する俳人の全貌をみることができるのである。そして定形化した「句の色と形」を、ものの見事に打ち砕き、読む者をして、和露との間に、美に、いのちに、連帯観すら生れてくる不思議さが魅力となってくるのである。

 序でに川西和露の略年譜を。

 1875年 神戸市兵庫区東出町に生まれる。鉄商を営む。本名徳三郎。
 1907年 この頃より碧梧桐に師事。
 1910年 摩耶会を起こす。玉島俳三昧に参加。玉島俳三昧とは備中の玉島で全国行脚中の碧梧桐を中心に十数名の同人が一つ宿に一週間ほど寝食を共にして催された俳三昧を指す。
 1914年 第一和露句集上梓。
 1915年 12月、第二和露句集上梓(短律見ゆ)。海紅同人。
 1916年 12月、第三和露句集上梓(短律多し)。射手同人。
 1914~1916年 和露主宰の俳誌「阿蘭陀渡」発行。
 1920年 第四和露句集上梓。碧梧桐外遊に贐けして。
 1925年 10月、第五和露句集上梓。碧梧桐銀婚式を祝して。
 1938年 和露文庫俳書目をひむろ社より上梓。
 1944年 須磨月見山へ転居。和露荘と名づく蔵書の散逸を恐れ、古俳書を天理図書館へ収め、明治以後の活字本を神戸市立図書館へ寄贈。
 1945年 死去。享年七十一歳。

 今日、「俳諧大辞典」を繙くも俳人の部に川西和露の名は登録されていない。しかし、俳書の部には「和露文庫」が載っている。和露文庫が俳諧史の研究に大きな功績を残したことはひろく識られている。「和露文庫」は野田別天楼開題、安井小洒校訂になる「蕉門珍書百種」の後を追って出版されたもので、共に川西和露が多年蒐集した珍書佳冊の飜刻である。蕉門珍書百種刊行会と和露文庫刊行会は共に神戸市上筒井通七丁目にあったなつめや書店に設けられた。なつめや書店の店主は安井知之、小洒と号した俳人で、全冊の校訂兼発行者である。取り敢えず、頭五冊の紹介を。

 第一編 已酉初懐紙 大正15年1月
 蕪村の後継、高井几董の寛政元年の初懐紙。几董の初懐紙は従来安永二年から天明七年までの十五冊とされてきたため、寛政没年の初懐紙は新発見。衆目に触れざりし珍書。
 第二編 誹諧生駒堂 大正15年4月
 元禄三年、月津燈外の編になる。来山、鬼貫を中心とした浪花の俳風が談林の諧謔より蕉風の閑寂に移ろうとする機運を伺うに最適。
 第三編 青蘿発句集 大正15年6月
 松岡青蘿は日夏耿之介がわが邦のマラルメと讃じた天明の俳豪。巻末に付された同じ播磨の人戸田鼓竹の「青蘿考」は貴重。
 第四編 骨書 大正15年12月
 天明中興の峻豪、樗良と青蘿の両吟を骨子に、青蘿門下の句を収録。加えるに青蘿の未収録秀句を付載。
 第五編 印南野 昭和3年7月 
元禄九年、播州の人、井上千山の撰になる蕉門古老の吟。主として来山、鬼貫系の句の蒐録。

 上記書冊とは別に、野田別天楼編輯になる「丈艸集」が大正十二年九月に雁来紅社から上梓されている。別天楼こと野田要吉が編輯と発行を兼ねた私刊本で、住所は兵庫県武庫郡御影町字掛田。俳句と文章が収録されているものの、連句と漢詩は割愛。安永三年に開版された蝶夢編の丈艸発句集に拾遺五十二句が加えられている。瀧口修造が愛惜措く能わざる一本と評した書冊である。
 青蘿や丈艸に付いて述べるのは他日を期したい。ただ、神戸にかかるユニークな出版人がいたということを書き残しておきたく思う。私は番紅花舎の名で本を出したこともある。番紅花とはサフランのことだが、雁来紅社を念頭に置いての命名であった。薔薇十字社同様、短命に終わったが、五典書院や椿花書局など神戸にもすぐれた出版人がいた。とりわけ、新開地にあった中山書店のご子息中山隆一郎さんが起こした限定本書肆椿花書局の存在は私にとっては大きな励みであった。限定番号を活版で摺り込み、扉本文は共紙による二色刷。彼の典籍形態美に対する熱い思いがなければ南柯書局を続けることはかなわなかった。いまは届かぬ戦友への憐憫、何ともいへぬ物懐かしい紺青の臭いを噛みしめたく思う。

 追記
 日夏耿之介の讃とは「松岡青蘿の象徴句風」、内藤丈艸と瀧口修造については加藤郁乎さんの「夢一筋」を参照されんことを願う。また、「掌中破片」をはじめとする瀧口修造晩年の箴言とも短律ともつかぬ作品には丈艸の響影大である



投稿者: 一考    日時: 2003年11月21日 04:17 | 固定ページリンク




moondial | (無題)


佳いですね、凛とした二十歳前後の一考さんを思い出します。
これからが楽しみです、もっと書いてください。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月21日 15:30 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが「球体関節人形展」に出展

四谷シモンは、来年2月~3月に東京都現代美術館で開催される映画「イノセンス」
公開記念の押井守監修「球体関節人形展」に「未来と過去のイヴ」から近作まで、
約10点の人形を出展します。同展覧会の情報は↓ページをご参照ください。
http://www.simon-yotsuya.net/information/exposition2003.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月21日 23:41 | 固定ページリンク




松原和雄 | 癒し系お話会


癒し(いやし)の会

癒し(いやし)系・お話会です。
 「人を癒すのは人である」という精神から始めました。
話題は人生の悩み・病気・失恋・孤独・失業・社会問題、etc
出会いの場・友人作りの場にして下さい。
 
◆場所    豊島区立青年館(JR池袋駅・西口)
◆連絡先   松原 和雄 (ケーシー松原)
         Tel/Fax 0492-58-3218
         ホームページアドレス http://www.asutoraia.com/



投稿者: 松原和雄    日時: 2003年11月23日 21:10 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 松原和雄さんへ
 友を求めてか、商いなのか詳細は判じかねますが、人を癒すのが可能と信じていらっしゃるのであれば、他の掲示板へいかれるがよろしかろう。当方は非癒し系掲示板でございます。
 「人を癒すのは人である」という意趣が精神であると仰るなら、小生はそのアントニムの方にこそ興味を抱きます。人生の悩み・病気・失恋・孤独・失業・社会問題、etcが出会いの場・友人作りの場とどのような関わり合いを持つと仰るのか、まさに珍説。とは申せ、かかる能転気な発想へのお付き合いは御免被ります。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 05:23 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 馬場さんへ
 貴女に託けて勝手なことを言っているだけですので、お気になさらないように。しかし、内藤さんとトークをしたいなと思ったのは本当です。松井さんと話し合ってくださいませんか。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 09:01 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 moondialさんへ
 薫子さんが連休のあいだ線香をあげに神戸へ帰っています。おそらく八木さんのところだと思うのですが、貴方へも連絡がいくのでしょう。その折はどうかよろしく。
 この二箇月ほどのあいだに45冊の寄贈を受けました。嬉しいのですが、悲鳴をあげています。だって、すべてに感想文は書けませんもの。
 四谷シモンさんの人形写真集「病院ギャラリー」が心泉社から出版されました。全ページカラーで1900円、今月一番のお薦めです。19日に人文書院から本をすこし送っていただきました。岡田温司さんの「カラヴァッジョ鑑」と「モランディとその時代」、ピエール・プチの「モリニエ」、それとブルトンにあまり興味はないのですが、ジュリアン・グラックの「アンドレ・ブルトン」はやはりおもしろい本です。もっか日本酒を飲みながら、宮園洋さんの遺稿集を読んでいます。思潮社の製作を担当していた友人で、詩人にしてイラストレーター、装丁家にして編集者、編集工房百鬼界の創立者です。岡山時代にずいぶんとお世話になりました。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 09:02 | 固定ページリンク




moondial | 番紅花舎?


「番紅花舎の名で本を出したこともある」と書かれておられますが、
はて、何を出されたのでしょう。一考さんが十代の頃ですよね。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月24日 12:16 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 moondialさんへ
 番紅花舎の名で出したのは吉岡実さんの「サフラン摘み」です。南柯書局自体、必要があって書肆南柯を用いたこともあり、一考以外の名前もなんどか使っています。一志とか本名の一孝とか、苗字も渡邊、渡邉、渡辺、福原、神戸などいろいろです。確かに十代の頃から何冊かの本は造りましたが、そちらは内緒です。貴方には私のペンネームも一部明かしましたがそちらは言わないでくださいよ。理由があって名を伏しているのですから。
 東京で画廊を切り盛りしてきたO田さんや日本橋で編輯プロダクションを営むS原さんはそれぞれ10種類ほどの変名を使っています。O田さんが書かれた小説は膨大な量ですが、内容はW康さんのむこうを張るものです。一方は生活のため、片方は変態趣味の産物ですが、共に本名は一度も明かしていません。もう5年になりますが、W康さんが亡くなった時、書肆山田の鈴木一民さんから遺稿集が編めるのは御主しかいないのだからと言われ、肝を冷やしました。
 世のなかには闇から闇へ葬ったほうがよいと思われるものがいくらでも御座います。それでなくとも、生きるとは質の悪い冗談、こころあるひとは自らをあざむき騙しつづけて生き延びているのですから。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 16:11 | 固定ページリンク




一考 | 宮園洋さんのことなど

 宮園洋さんの遺稿集「洋さんのあっちこち」がれんが書房新社から出版されている。宮園洋さんは2001年1月19日、岡山の自宅前で車に轢かれて逝った、享年59歳だった。
 1970年に出版されたバタイユの詩集は宮園洋さんの手になるもの、従って私が洋さんと出逢ったのは同年の春先ということになる。洋さんのみならず、この前後には桑原茂夫さん、菅原孝雄さん、大泉史世さんなど思潮社のおかしな人々と知り合った。
 1985年、雪華社での仕事にありついて上京、中野新橋に仮寓を構えてから洋さんとの酒宴がふたたびはじまった。中野新橋には洋さん御贔屓の酒場「なべや」があり、そこを一考も贔屓にせよと桑原さんから強く薦められたのである。
 「会えば酒。日付の変わるところで終わることはない。どこまでも」と和久井昌幸さんが著しておられるが、1989年までの4年間というもの、東京消防の編輯の仕事で洋さんが上京するたびに燗酒を酌み交わした。私が借りた家がもと料理屋で、家のどまんなかをカウンターが走り、業務用の冷蔵庫や1.5メートルの俎板が備わっていた。やがて行き場を失った編輯者の溜まり場となり、「なべや」ともども「一考亭」も大繁盛、洋さんと二人で鍋物や天麩羅をよく拵えた。
 東京を離れたあとも岡山の手帖舎や生協の雑誌の仕事を彼は回してくださった。明石と岡山をバイクで往復、三枝和子さんや山崎剛太郎さんのエッセイを掲載したのである。
 「洋さんのあっちこち」の前半は内田百けん(門がまえに月)論、後半には「東京あっちこち」と題するイラストレーションと仲間による追悼集が収められている。イラストレーションは根津の居酒屋「根津の甚八」やゴールデン街の「まえだ」など、ノスタルジックな風景47点を収録。洋さんの気質をそのままに、実に克明に描かれたペン画である。
 百けん(門がまえに月)論の第一話には「御馳走帖」に出てくる盛り蕎麦のはなしが著されている。

 ・・・蕎麦を正午に届けさせるために蕎麦屋を訓練し、その効あって蕎麦が届くと正午だと思えるようになる。しかし、外出していて正午が近くなると、家で蕎麦がのびるのではないかと心配し「八銭の蕎麦の為に五十銭の車代を払って」大急ぎで帰って来る。
 外出先の近くに名代の蕎麦屋があっても、「そんなうまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違う点で、まづい」と言下に否定する。この思いは、飼っている小鳥たちが毎日同じ摺餌をあてがわれているのは、その同じ味故にうまいに違いないと想像するに至る。この頑迷固陋とも思える屁理屈のような理屈が、合理的にはまってしまうところに百けん(門がまえに月)の面白さがある。
 百けん(門がまえに月)は、いわゆるグルメという人種の対極に位置している人のようである・・・その美学を解さない限り、百けん(門がまえに月)先生の方が理不尽に見えて来る。

 この辺りの消息はまるで種村さんの「食物漫遊記」を思い起こさせる。屁理屈の合理化にはまるとは不思議な夢の旅、地図のなかにしか存在しない町を彷徨い続けるようなものである。「いつまで経っても、行きたい場所に辿りつけない」のは著者そのひとではなかったか。というようなことを書けばはなしが長くなる。要するに、洋さんの百けん(門がまえに月)論はおもしろいのである。A5版320頁で2381円の安価である、その半分を百けん(門がまえに月)論が占めている。
 洋さんの奥さんが営む割烹の鴨鍋はめっぽう旨かったと書けば、こちらはこちらで「岡山の焼鳥」をなぞることにしかならない。いずれにせよ、岡山へのバイク行はしばらく続いた。風はひとのこころを掻きむしる。風を欲してバイクに乗るのか、バイクに乗るから風に出逢うのか、私にとってはどっちだっていいのである。今年の五月の連休、東京から広島までバイクを飛ばした。倉敷の手前から横殴りの雨になった。きっとあれは洋さんが出迎えにきてくださったのだと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月25日 02:05 | 固定ページリンク




moondial | ファンレター

吉岡実さんの「サフラン摘み」は明石のご自宅で拝見したことを思い出しました。 曖昧なのですが、確か十部程の私家版で吉岡さんの何かの記念に出されたもので、非常に高価であったと記憶しております。 貴兄の出版されたものは出来る限り拝読させて頂きましたが、貴兄が十代の頃の京都時代と、三十代の頃の東京時代の出版物は読んでいないものが少なからずある筈です。 もしあるものなら、変名で書かれたであろう貴兄の「変態趣味の産物」をも含め、貴兄が関与された出版物のリストを一度送って下さいな。 貴兄は、私の青春時代のスーパーアイドルの一人でしたので、年甲斐もなく、また笑止の沙汰ながらミーハー振りを発揮して、今からよぼよぼとファンの追っかけをしてみたくなりました。

一昨日、薫子さんから携帯へ電話を頂きました。一度目は電話が取れなかったので、着信履歴を見ててっきり貴兄からだと思いご自宅にお電話した次第です。

「一考さん、電話くれましたか?」
「いや、電話していないですよ、寝ていたから」
「そうですか...」
「夢の中からも、電話した覚えはないですよ...」

素敵ですね、「夢の中からも...」って、座布団か花束を贈りたくなります。このような何気ない貴兄の言葉には、詩的な味わいや含みもありいつも感心させられてしまいます。貴兄の書かれた刺激的な文章は凡庸な私にはちょいと難しいけれど、誠に失礼ながら、貴兄の話し言葉は私にも判りやすく、素晴らしく面白い。今回薫子さんから、貴兄が文体を変えようと考えておられると伺いましたが、僭越ながら、その軽妙洒脱な話し振りをこそ文章にされれば宜しいのに。孰れにしろ、定点を持たない貴兄の更なる素敵な変身振りを楽しみにしておりますので、どの様な文体であろうがどんどん書いて下さいね。それに、またK沼さんの文章も是非読みたいものです、「取扱書」の続編、楽しみにしておりますので宜しくとお伝え下さい。

薫子さんとは久しぶりなので何か神戸ならではの馳走でもさせていただきたく思ったのですが、八木さんと待ち合わせがあるとかで小一時間程お茶をしただけで別れました。何もおもてなし出来ず申し訳なかったです。またゆっくり遊びに来て下さいね。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月25日 15:12 | 固定ページリンク




一考 | 土屋和之さんの私家版

 高遠弘美さんの弟子すじにあたる土屋和之さんがエフライム・ミカエル詩集「玩具店」を上梓なさった。発行所は書肆あいか、印刷悦楽印刷、製本蹌踉とおくつけにある。もうお分かりかと思うが、自らパソコンでプリントアウトし、糸かがりした私刊本である。ミカエルにかんしては白鳥友彦さんの訳詩集「月と奇人」を参照されたいが、私自身二十代はじめのころ、曽根元吉さんからずいぶんと聴かされた。土屋さんの跋にもご両名の名が摺りこまれている。四篇の散文詩が収録されているが、末尾に置かれた「毒花」の出だしを紹介したい。

 森の中、あらゆる枝々に毒花が生ずる。毒花は残忍であつかましい。獣に似てゐるし、死にかけの手、あるいは古傷、またはおぞましい口に似てもゐる。それはまた、醜悪な鳥の首のやうに茎を伸ばす。花々はお互ひに向かい合ひ、狭い小径の上に、恨みこもった毒の雨を花の額よりほとばしらせた。
 をりしも、騎士は、教へに従ひ鉄兜の黄金の仮面をかむり、毒花咲く枝々の下をゆるゆると馬に乗つて行つた。

 用紙の選択ならびに製本は楚々として瀟洒、たって申せばかがり糸に麻糸を用いて頂きたかったことのみ。かつてはかような簡冊子を拵えるのにも数十万の金数を必要とした。パソコンを道具に私家版を造る、その姿勢に私は大賛成である。それでなくとも、メディアは活字からデジタルに変わりつつある。あと三年ほど経てば文字制限からも解放されるであろう。土屋さんのこれからの活躍、ご健闘を祈ります。

 先日、土屋さんがお連れになった女性はシュオブが卒論で、もっかノエルを翻訳なさっておられるとか。土屋さんと一緒に手縢り本を造られるよう強く望みます。なお、土屋さんが最近引っ越されたらしく、住所が分かりません。「玩具店」を購入なさりたい方は(電話090-2935-4401)へどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月26日 20:36 | 固定ページリンク




一考 | 小出昌洋さんの私家版

 小出昌洋さんは長く個人社(練馬区上石神井2-12-5-406)を続けていらっしゃる。森銑三さんの著作集未収録の作品の発掘を目的に拵えた出版社である。このほど個人社叢書別冊と題して森銑三さんの「最上徳内」が上梓された。「新島ものがたり」は印刷だったが、今回はワープロによるプリントアウト。萬里閣書房蔵版、昭和六年一月十日発行、世界探検全集第三巻日本篇所収の一文である。森銑三はその前年、昭和五年八月より「歴史地理」にて「最上徳内事蹟考」を執筆している。「最上徳内事蹟考」はのち「最上徳内」と改題のうえ「学芸史上の人々」へ、下って著作集第五巻へ収録されている。同「事蹟考」とは別に、新資料を基に読み物風に書くことを楽しまれたと思しい。徳内は蝦夷地の探検家であり、蝦夷地図を制し、蝦夷草紙を著した。シーボルトは徳内を通じて蝦夷地を研究したのである。本書では蝦夷地巡検地の一行の踏査の途が活写され、血湧き肉踊る読み物となっている。
 小出さんで忘れられないのは森銑三さんが亡くなられた際に上梓された「昌平黌勤皇譜」である。同書には没年と享年をのみ小出さんが埋めた森翁の自叙略伝が収められている。

 明治二十八年九月、三河刈り谷に生る。特に一事に習得するものなく、生計に疎にしばし免れざりしも、辛うじて読書作文の生活を続けて一生を送り得たる。また幸おほかりきとやいはむ。半百を過ぎて西鶴の研究に志し、新見解を立得たるもの一二あり。而して未だ広く認めらるゝに及ばず。冀くば後世の批判を俟たむ。昭和六十年三月七日逝く。享年八十九歳。

 西鶴作の草子は一代男の一作のみ、またその原形は七巻だとの独自の私見・解釈への強い執着がみられる。けだし、執着は固執や異執とは異なる。読書生活はひとに夢を、幻をもたらす。西鶴への惜愛の情が辿りついた果て、夢見の果てに立ち顕われた蜃気楼のなかに森銑三は遊んだのである。

 小出さんは桃源社から吉川弘文館へ移り、日本随筆大成を一人で編輯した碩徳の人。私も研文社時代にご一緒させていただいた。昨今は展望社にて杉本秀太郎、野溝七生子、矢野峰人などユニークな書冊を編輯、岩波文庫でも森銑三の著書を編輯、いろいろ活躍なさっている。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月26日 21:21 | 固定ページリンク




土屋和之 | ありがたうございます

一考さま

ありがたうございます。
これからも飜譯、装釘ともに精進していきたいと思ひます。



投稿者: 土屋和之    日時: 2003年11月27日 04:56 | 固定ページリンク




一考 | 郡司正勝さんの句集

 須永朝彦さんの編輯で郡司正勝さんの句集「茫々」が私家版で上梓されている。「編集後記」にいう。

 先生が公刊された句集は「ひとつ水」(1990年・三月書房)のみだが、実は私家版の句集が二冊あり、一冊は戦後間もない1946年刊の「艸むら」、もう一冊は1952年刊の「ひとつ水」で、三月書房版「ひとつ水」にはこの二集からも若干の句が採られている。なお、私家版二句集は、古稀記念創作集「かぶき夢幻」に完全な形で収録されている。この創作集には、他に舞踊台本・戯曲・詩・訳詩・連句などが収められているので、未読の方には一読をお奨めしたい。

 幼(いと)けなき声して氷解けている
 郭公の絶え間を母の野辺送り
 砂流れて止むときもなしはま(玉偏にのぶん、第3水準1-87-88)瑰(はまなす)の花
 リラの花朽ちたるままの北の宿
 幻となつて堕つる蝶の老(おい)
 腸(はらわた)のなか見ゆる夢の寒さかな
 自殺する少年がゐる憎らしさ
 生ぬるき息を捨てたき雪の原
 ぼろ布かなんぞのやうに秋の暮
 物真似を後悔せしか鴉去る
 枯れ山に暮れ残したる一つ水
 往くでなし帰るでもなき一つ水
 亡き人の夢多くなる目覚めかな
 貝殻の遠くなる日の想ひかな
 帚木(ははきぎ)の野辺の果の一つ水

 「茫々」には俳句にかんする四篇のエッセイも収録されている。三月書房版「ひとつ水」を上梓した際の思いを綴った一文が「私の句集」(東京新聞1990年8月11日)である。

 ・・・なかには第二句集を待ちますなどという礼状をくださる人もあり、やっぱりこれは見るに耐えられるものではなかったのかと、自分では人さまに見せられるようなものではないといいながらも、がっかりしたりするのである。
 いずれ、ちっぽけな欠け石一つでも、投げ出せば、かならず多少の風圧が起こって、それなりに自分に返ってきて傷つき易くなるのだから、人生なにごとも為さぬにかぎる。と、老子の「無」のようなことをいって、ちょっぴり澄ましてみたりするが、しかしまた、傷つくことは、さざ波のような、生きているあかしのようなものだと思い返して、俗人に立ち戻るという有様である。

 さらに「夢・句・狐」(俳句朝日1997年11月号)から引用する。

 夢の構造は、人間にとって、古今東西変わらぬ哲理であろうが、夢と現実の距離は、人により年齢によって、近くなったり遠のいたりするのではないか。耄碌とは、ひょっとして、現実と夢とが入れ替わる時節のことかもしれない。

 郡司さんの句歴は長く、西朔と号す。当初は新傾向の句作をなさっていたが、須永さんの吹挙により、永田耕衣の句に大いに共感を覚えたと聞く。前述の須永朝彦さんの「編集後記」には、

 禅味やシュルレアリスムに通ずる独特の渾沌(カオス)を湛えているとして俳壇外にも熱狂的な支持者を持ち、舞踏家の大野一雄などもその一人であったから、先生の御共感に私は何となく納得した。後には神戸須磨に耕衣翁を訪ねて交友の緒を自ら作られた。

と著されている。

 いわゆる文人俳句のなかにあって、鏡花の句には散文作品と通じる非凡な着想があります。郡司さんの句も同様に、放恣と自制のコラボレーションが見受けられます。郡司さんの為人と作品とを規定する主旋律とでもいいましょうか。もしくは自制の影が為人にも差し、放恣の影が作品にも顔を覗かせる。その錯綜した陰影こそが郡司さんの魅力ではなかったか。自虐に充ちた精神回路を持つひとがマゾヒストになる可能性はほとんどなく、悪意と嘲笑を生きるひとが往々にして自分を責めさいなむのです。それにしても「第二句集を待ちます」などという非礼な礼状を認めるひとなどいよう筈もなく、これは郡司さん一流の自らの悪意への韜晦だったろうと思われます。
 自殺する少年がゐる憎らしさ
 この句を知ったとき、私は越路吹雪の「指からこぼれて、過ぎゆく人生・・・」を惹い起こしたのですが、ここには郡司さんの悪意の構造の原点が示唆されているように思うのです。その原点をいっそ「救いようのない性の悪さ」と書き換えればよりお分かりいただけようか。郡司さんの文言を借りれば、悪意の魅力は、その「骨冷えたる」恐怖感にある。世の中の押しつけがましい、脅迫がましい、動物じみた妖怪とは趣を異にする。また鏡花の人間臭い、妖怪の心意気みたいなものでもなく、いわば宇宙の回帰線上に起こった、いや、実は何も起こってはいない恐怖感のようなもの、向こうへ向こうへ、遠くへ透明に引かれてゆく、冷たい引力のようなもの、そんな骨冷えたる(存在すること)の恐怖感を郡司さんの悪意には感じるのです。
 「だったら死ねば」「だから死ねば」の裏面に張り付いて離れないのは自らをいやしめ見下すこころ。郡司さんほどビビッドな悪意を終生持ちつづけた例を私はあまり知らない。悪意という名の放恣、卑下という名の自制、その狭間にあって郡司正勝の句は屹立している。

 せんだっての連休はひさしぶりに読書三昧に暮らした。読んだ記憶のない鏡花の句をいくつか拾う、ただし未収録かどうかは未確認。序でに斜汀の句を拾う機会もあった。共にお世辞にも出来がよいとは思われませんが、御参考になれば幸甚です。

鏡花
 君か代の石ともならす芋の頭
 雨の中摘むべき草を見て過ぎぬ
 土手の柳母衣靡く事五十間
 大俎の端に寸余の山葵かな
 音や泉石の荵のあさ緑
 物言はぬ僧に逢ひけり閑古鳥
 蛾多く我灯を消して寐たりけり
 新藁や馬の尾結ふ一しごき

斜汀
 つき果てて手鞠の糸のほつれたる
 藪入の早船行くや神田川
 紙袋の蜂の巣誰か流したる
 童の芹を切るなり小俎
 ナイフ磨きて切試みし馬藺哉
 隧道を出てて十里の青田哉
 雷雨霽れたり大四手網荷ひ行く
 重ぬるよ大石小石鮓の壓
 打それし蛍這ひけり乳のあたり
 遠浅や海松布寄せ来る乳のあたり
 踊散つて手拭落ちし草の上
 流れ来る刈草に虫の声すなり
 十町の梨皆紙に包みけり
 炉煙や今朝立つ君に小菜の汁
 額堂の吹雪急なり鳩の声



投稿者: 一考    日時: 2003年11月28日 04:33 | 固定ページリンク




一考 | 不実な友より

 moondialさんへ
 吉岡実さんの「サフラン摘み」は限定五部でした。自分の過去の仕事には未練も興味もありません。従って、現在では蔵していません。過ぎ去ったことは過ぎ去ったことにしか過ぎず、過去の栄光ないしは虚名にすがって生きるには私の精神は若すぎます。もっとも、いささか頑迷、というよりはわがままな部分があるのは認めますが。
 明日はまた一日馬齢を重ねることになります。今日、たったいまがもっとも若いのです。ですから一日一日に新たな迷いが逡巡が立ち顕われます。過去の肩書きを消す、どなたかの詩ではありませんが、消しゴムで自らの人生を消して歩くように生きたいと願っているのです。あいつはいろんなことをしてきたが、考えてみればなにも残さなかった。ひょっとしたら、なにもしていなかったのではないか。そう人から云われるようになりたいものです。
 とは申せ、七顛八倒の醜態を晒しながら死んでゆくのかもしれません。まあ、先行きはどうでもよろしいのです。ただただ、今のために生きているのであって、明日のために生きているのではないのですから。
 私はI田と喧嘩をして以来、二度と友は持つまいと努めてきました。そのこだわりを狂わせ、突き崩したのが横須賀さんでした。いまなお、彼のおもかげが眼前をよぎります。ふと店で泣き出すことがあるのです。友であることと友でないこととのあいだに明確な境界線は引けません。あくまで相対的なものなのです。それゆえ、私なりの概念をでっち上げようとして当掲示板と格闘してきました。概念とは物思いに耽っているときに浮かんでは消える泡沫のようなものです。ごろんとそこに転がっているようなものではないのです。概念は流動的であるがゆえに、しばしば破綻をきたします。破綻に逢着したとき、ひとしれず私は涙を流します。
 掲示板でも書き継いできましたが、貴方は神戸における唯一の友なのです。もっとも、友との表現が貴方に対して傲慢でなければのはなしですが。そして、その傲慢についてもさまざまな視点から反芻を繰り返しています。強気になったり、弱気になったりの繰り返しで、とどまるところがないのです。ご指摘の「定点を持たない」とは自信のなさを偏に表現したまでであって、自らの至らない部分、恥部を恰好よくちょろまかす術にいささか闌けているという、ただそれだけのこと。それゆえ、貴方からファンレターが送られたりスーパーアイドルなどと云われると、生きていてよかったなあと思い、俗人に立ち戻るのです。貴方の前でなら、ちょいとはいい恰好が出来るかなあ、「すごいだろう」って自慢できるかなあ、意地も見栄も張れるかなあって、それでしょう、そこだけでしょう、友の利用価値って。
 あなたの情けにはずっと感謝しつづけているのです。ですから、貴方からパソコンの手ほどきを受けた際、ファイルメーカーで拵えた出版物と著作のリスト、ペンネームで出した書物(内緒ですよ)もお渡しした記憶があるのですが、あれも夢だったのかしら。ひとりぐらい証人がいてもいいやとの私の俗物根性がそれをさせたのですが、再度お送りしましょうか。
 掲示板が再開されたとき、山本六三についての一文を載せましたが、それとは異なる50枚の稿を書きはじめました。こちらの締め切りは1月15日、薫子さんの文体云々はそのことです。はなしは変わりますが、このところ、また酒が飲めるようになりました。新宿で立て続けにウィスキーを一本開けました。忙しいと酒も底なしになるようです。そのウィスキーのはなしを12月6日発売の「料理王国」に書きました。10日発売の酒井潔の「悪魔学大全2」(学研M文庫)には解説を著しました。同じく10日に匿名の本が出版されますが、こちらは高価な本であり一般の書店には出回らないのでお送りいたします。どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月28日 19:33 | 固定ページリンク




moondial | 恐縮です。

一考さんへ

本当に耄碌したようです。ファイルメーカーのファイルは頂いていたようですね。慌てて古いMOの山を探してみましたが見つかりません。もしやと思い、フロッピーディスクの山をも調べたところ、大切なディスクを保管する防磁ケースに貴兄の名を貼付けたディスクがきちんと収まっておりました。ファンを公言しているのに恥ずかしい限りです。ただこのファイルは、随分と以前のものなので、御面倒でなければ更新されたであろうファイルを再度送っていただけないでしょうか、誠に厚顔ながらもお願い申し上げます。

貴兄から友などと呼ばれると実に恥ずかしいです、耄碌したミーハーなファンのひとりと云う事で結構ですよ。貴兄との出会いは、私が十代後半の頃、吉田一穂氏の編纂した新詩社の「マラルメ」を黒木で購入したところから始まった訳で、あの時以来圧倒され続けておりますし、当時は本当にお世話になりましたからね、私に出来る恩返しと云えばパソコンの知識ぐらいしかないのですが、それも最近では貴兄の方が詳しいですからね、あまり助けにならないので申し訳なく思っております。しかしこの季節になると、豚鍋や泥鰌の筏、田螺の佃煮、剣菱が懐かしいですね。私が黒木に出入りするようになったのも、須永さんの、「海」に百けん(門がまえに月)と日夏の追悼文だったかを拝読してからです。当時、ご両人の著作は大半が新刊書店では読む手立てがなかったものですから、まずは黒木書店に並んでいた百けん(門がまえに月)の棚一列を購入、それからは黒木さんから教わるままに、黒木さん贔屓の石川淳や荷風などを読み漁るようになり、たまたま黒木さんの息子が貴兄を紹介してくれた訳です。当時、躍起になって探していた吉田一穂や日夏の詩集などが貴兄の蔵書に全て揃っていたのには吃驚、しかも貴兄はそれらを十五歳ごろから愛読されていたと判り貴兄の早熟ぶりには更に仰天、驚愕いたしました。それからは貴兄から教わるままに猟書と読書とお酒の楽しい日々を送っておりましたが、貴兄からは教わる事ばかり、当時の私の読書は全て貴兄のほんの一部、一千分の一、いや万分の一ぐらいでしょうか、をそのままなぞることで精一杯、貴兄とはたった三年程の歳の差なのにその読書量の差だけでも愕然としました。「すごいだろう」てなものではなかったですよ、私からすれば「キャー素敵!一考さ~ん!」てな具合でそれこそ憧憬の的、お逢いするたびに全身身震いしておりました。そう云えばその頃、突然須永さんが荒田に遊びに来られた時には本当に吃驚しました。だって須永さんのあの「海」の文章を読まなければ、貴兄との出会いはなかった訳ですからね。あの夜の須永さんの紫のビキニパンツ姿の妖しいストリップ、忘れられません、それに夜中に襲われそうになったのも今では実に楽しい思い出です。最近ではなんと須永さんもパソコンを触っておられるそうですが、こちらへは何か書いていただけないのでしょうか。 耄碌した私にはたわい無い嬌声ぐらいしか書けないので、須永さんや一考さんでこの掲示板をこれからもどんどん盛り上げて頂きたいものですね。もう新刊書籍はほとんど読みませんが、お二人の書き物は是非これからも読み続けたいものです。最近、貴兄が書き続けておられるので、実に楽しいですよ。これからも楽しみにしておりますので、宜しくね。

追伸、郡司正勝さんの古稀記念創作集「かぶき夢幻」と句集「茫々」は未だ手に入りますか?もし可能ならご面倒ですが送って頂けないでしょうか、代金着払いか、後で送金させていただきますので。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月29日 14:18 | 固定ページリンク




一考 | 種村さんの新刊

 種村季弘さんの「江戸東京《奇想》徘徊記」の初稿が出ました。朝日新聞社から12月30日に発行される予定です。「東海道書遊五十三次」につづく書冊で、装丁は間村俊一さん。「サライ」への連載の一回四百字六、七枚の原稿枚数では物足りなかったご様子で、三十回の連載に縦横に書き加え、初稿の約四倍にふくれ上がっています。事実上の書き下ろしのようなもので、「着古したシャツのぬくもりがある場末裏町徘徊」に傾いた偏屈な、赤毛布漫遊記。先生のさらなる御健筆に期待するとともに、ホッケの改訳版が一刻も速く上梓されんことをお祈り申し上げたい。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月29日 23:53 | 固定ページリンク




一考 | 郡司正勝さんの本

 moondialさんへ
 自分の仕事を自分で整理するほど酔狂ではなく、薫子さんに任せています。更新されたものがあればお送りします。
 「かぶき夢幻」は昭和58年7月7日刊、限定700部、発行所が西沢書店、発売元は名著刊行会、発売元の住所は東京都中野区松が丘1-22-7、頒価16000円、編輯造本が須永朝彦さんです。
 句集「茫々」は平成11年4月15日刊、発行所は郡司正勝先生を偲ぶ会、住所は東京都新宿区戸山1-24-1早稲田大学文学部演劇研究室内、電話03-5286-3631、頒価の記載はなく非売品です。
 「茫々」はさきほど須永さんの方から手配していただきました。須永さんは毎週木曜日にですぺらへいらっしゃいますので、しばらくお待ち下さい。「かぶき夢幻」は古書で1万円を切る値段でよく出品されています、検索して下さい。

 新詩社の「マラルメ研究」は山本六三さんの愛読書でしたが、それにしても値の張る本でした。「豚鍋や泥鰌の筏、田螺の佃煮、剣菱」いいですねえ。いつのことだったか忘れましたが、西尾さんも一緒に元町の金盃へ天麩羅を食べに行きました。確かに鱧や穴子の天麩羅は旨かったのですが、酒が金盃ではねえ、かなり我慢して酒を飲んでいたのです。その後、吾作へ行きましたが、あのときの剣菱特級の冷用酒は旨かった。私は別に剣菱のファンではないですし、どちらかといえば灘の酒は避けていたのですが、あれには感心させられました。後日、「銀花」の取材で舞子ヴィラへゆき、同じ剣菱を飲んでやはり驚きました。
 酒で思い出しましたが、そちらの某新聞には酒のエッセイや書評を4~50本は書きました。もちろん小遣い銭稼ぎで、すべて匿名。しかし、役得で酒だけは潤沢にあたりました。西明石の店の看板もそのときの産物といえます。コーベブックスでの最後の本は須永さんのエッセイ集でしたが、書評とはいい条、内容はすばらしいものでした。それと比して私の書評は顧みて忸怩たるものがあります。匿名は無責任になります、匿名と手抜きはシノニムではなかったかと反省致しております。
 泥鰌の筏は梅雨の季節のみ、子持ちの泥鰌の旨さは筆舌に尽くしがたいものがあります。東京へきてから食生活は反転しました。刺身しか食べなかった私が揚げ物ばかり食べています。だって、4~500円では鰈や鮃を買うことができないからです。トレーとラップの間で跳ね回る鮎魚女、皮剥、目張、おこぜ、角飛び、鱧などなど、夢に出てきます。老後はやはり北海道の漁港で住みたいものです。

 当掲示板を読まれているのは主として編輯者と広告屋さんです。書き込みのなかからテーマを抽出し、いろんな企画が持ち込まれます。6~70年代のプライヴェート・プレスの社主とのトークはさまざまな編輯者や出版社が協力してくださいます。30社ほどをリストアップしたのですが、短詩形にはユニークな出版社が多く、またそのほとんどは親しいひとたちです。貴重な時代の証言になると思います。昨日も内藤三津子さんが澁澤幸子さんを伴って来店、後を追って間村さん、松井さん、宇野さんとつづき、またまた朝まで生テレビになってしまいました。内藤さんからトークの快諾を得、「銀花」での間村さんの特集、河出書房新社から出る予定の間村さんの画集に宇野さんが文章を添える等々、愉しい企画がずいぶんと纏まりました。私の方も三本の締め切りが生じたようで、来月からは掲示板へ書き込む機会が減ると思います。私にとっては雑誌も掲示板も等価なのですが、雑誌には締め切りがございます。私はアマチュアですが、例えプロであっても締め切りはことのほか疲れます、情緒的に追い込まれるのです。その分、解放されたときの酒は五臓六腑に染みわたります。最後になりましたが、須永さんはプロの作家ですから掲示板に文章を書かれるのには反対です。「明石町便り」だけで結構かと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月30日 00:08 | 固定ページリンク




如月 | ガリマールの人形カタログ

以前ご案内したように、四谷シモンは来年1月19日からパリのアル・サン・ピ エール美術館で開催される人形展に出展しますが、その折ガリマール社から刊行 されるカタログの概要が判明しましたので、その情報ページを新設しました↓。 http://www.simon-yotsuya.net/information/poupees-gallimard.htm フランスでは、どんなカタログを準備しているか、ちょっとアクセスしてみてく ださい。刊行は展覧会のオープニングに合わせ、来年の1月19日か20日を予定してい ます。ガリマール社の書籍ですから、日本でも、大きな書店の洋書コーナーに注 文していただけば比較的簡単に手にはいると思います。



投稿者: 如月    日時: 2003年11月30日 02:17 | 固定ページリンク




moondial | 多謝多謝です。

一考さんへ

句集「茫々」、さっそく手配していただきありがとうございます。須永さん、ありがとうございます。薫子さん、発送よろしくお願いしますね。「かぶき夢幻」は昭和58年刊のものだったのですね、てっきり最近出版されたものだと思いました、探してみます。

しかし、締め切りがある書き物って大層辛そうですね、しかも三本も。前回の、締め切り直前までバイクで逃げておられたのは、無事終えられたのでしょうかね。馬上で書くものを纏めておられたのかな。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月30日 11:46 | 固定ページリンク




一考 | 元藤さんのお別れ会

 元藤あき(火偏に華)子さんのお別れ会が執りおこなわれます。日時は12月1日(月曜日)午後7時から。場所は千日谷会堂、新宿区南元町19-2(JR総武線信濃町駅徒歩1分)。
 加藤郁乎氏の献詩、斎藤徹氏の演奏による追悼と資生堂ギャラリーでの元藤あき子さんの最後の舞踏の映像が上映されます。

 上記とは別にA.R.T恵比寿にて追悼・元藤あき子が企画されました。日時は12月5日から14日まで。A.R.T恵比寿の住所は東京都渋谷区恵比寿南2-12-19トランスビル、電話090-9000-0499。
 生前、元藤さんは舞踏パフォーマンスとダイトウノウケン氏との写真のコラボレーションを進めていらっしゃいましたが、企画なかばで亡くなられました。多くの関係者がその意志を継ぎ、「元藤あき子への追悼の意を表現する」場として写真展、上映会、パフォーマンスなどを催されます。詳細は土方巽記念アスベスト館もしくはA.R.T恵比寿へお問い合わせ下さい。ちらしはですぺらにも置いています。

 なお、今回の訃報に際し、逐一ご報告いただいた自動焦点の佐々木治巳さんに感謝致します。お別れ会には柿沼さんと参加させていただきます。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月01日 01:06 | 固定ページリンク




薫子 | ワープロ探しています

 歌人・作家の須永朝彦さんがワープロを探しておられます。
 「実はワープロが全く言うことを聞かなくなり、またOさんにお願いしているネット・オークションでの探索も不調にて、困り果てています。」とメールを頂きました。
条件は、

  ワープロ=富士通OASYS、バックライト。
   30-AX401以外の機種はマニュアル・元フロッピー完備のものを希望。
   親指シフトがベストなれど、JIS規格でも可。
   貧民ゆえ、なるべく廉価にてお譲り下さい。

とのことです。須永さんには、ワープロはもう製造中止になってしまったので、パソコンへの移行をお勧めしているのですが、長年ワープロの親指シフトでの入力で慣れていることと、漢字制限の問題もあってメール程度はパソコンでも良いけれど、執筆となるとやはりワープロが必要のようです。私なんぞでも、森おう外も内田百けんも里見とんも出てこないのにイライラするぐらいですから。早くなんとかしてくれい。
お譲りいただけます方はメールにてご連絡くださいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月03日 08:03 | 固定ページリンク




黒瀬珂瀾 | 詩歌フリマのおしらせ


こんにちは、みなさん。
ぺすぺらにも暫くお邪魔しておりませんが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
えっと、この週末の6日(土)、午前9時半から正午まで、アルカディア市ヶ谷において。
「詩歌フリマ」なるものが開催されます。
詩歌関連の出版物、同人誌などの即売会です。
http://www.sweetswan.com/weare/pfrima/
ボクも参加していますので、もし、ご興味のある方はどうぞ。
きっと面白いと思います。
午後はそのまま川柳の大きなイベントになるのです。



投稿者: 黒瀬珂瀾    日時: 2003年12月03日 13:01 | 固定ページリンク




外山時男 | 蕎麦の実の浅漬け


 東京の蕎麦屋です。
 蕎麦の実の浅漬け作ってみました。蕎麦屋のくせに知りませんでしたが、想像どおり美味しくいただけました。
酒の肴には、ごく薄味にしてほんのちょっとがいいかなと思いました。やはり少量の味噌漬け牛蒡なんかと一緒に出せばコントラストもついてさらにいいかもしれません。
 東京の蕎麦好きは懐石としての蕎麦をうっちゃっているとのご指摘ですが、これは懐石としての蕎麦以前に、懐石そのものをうっちゃっているのでしょう。
 以下は半分冗談です。
 懐石料理中の蕎麦からは、なんだかノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユみたいな印象を受けませんか。大宗教に囚われた八百万の神の趣があります。だから、逃げろ、逃げろ、とそそのかしてやりたくなるのです。
 モルトウイスキーの世界も事情は似ている気がするのですが。
 ちがってたらスミマセン。



投稿者: 外山時男    日時: 2003年12月05日 13:36 | 固定ページリンク




外山時男 | 蕎麦の実の浅漬け

 東京の蕎麦屋です。
 蕎麦の実の浅漬け作ってみました。蕎麦屋のくせに知りませんでしたが、想像どおり美味しくいただけました。
酒の肴には、ごく薄味にしてほんのちょっとがいいかなと思いました。やはり少量の味噌漬け牛蒡なんかと一緒に出せばコントラストもついてさらにいいかもしれません。
 東京の蕎麦好きは懐石としての蕎麦をうっちゃっているとのご指摘ですが、これは懐石としての蕎麦以前に、懐石そのものをうっちゃっているのでしょう。
 以下は半分冗談です。
 懐石料理中の蕎麦からは、なんだかノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユみたいな印象を受けませんか。大宗教に囚われた八百万の神の趣があります。だから、逃げろ、逃げろ、とそそのかしてやりたくなるのです。
 モルトウイスキーの世界も事情は似ている気がするのですが。
 ちがってたらスミマセン。

 気づかないうちに私たちは何時死んでもおかしくない歳に達してしまったのです。だからこそ、連れ立ってよく酒を飲みに行きました。恋も酒もそして友も、いまだけ、たった今だけなのですから。
 今日はなにも書けません。今日は貴方のための私一人の追悼会です。夜が明けるまで、貴方のために乾杯。



投稿者: 外山時男    日時: 2003年12月05日 13:36 | 固定ページリンク




一考 | 蕎麦味噌

 外山時男さんへ
 お書き込み下さって恐縮致しております。添えるに際し、味噌漬け牛蒡とはさすがにプロのご意見と感服致しました。触感の妙を楽しめますね。
 小生がながく連れ添っているのは「閑古鳥」と「ヤオヨロズの貧乏神」のみにて、「大宗教に囚われた八百万の神」など逢いたくともあちらさんから見限られているありさまです。「懐石料理中の蕎麦」との註釈を付けておられるので何も申しませんが、懐石自体たいしたものとは思っておりません。ただ、飲んべえゆえ小鉢ものにいたく心が惹かれるのです。例えウィスキーであろうとも、少々ウエットな雪花菜とか筑前煮、小芋や大根と豚肉の煮転がしなどはよく合うと思います。そういった小鉢もののヒントを得るのに懐石ほど結構な対象はないのではと愚考する次第。
 小鉢で思い出しました。西明石で飲み屋をはじめた頃、日替わりで4~5種類の小鉢を用意したのですが、「これわたし嫌いなの」とか「こんなもの注文してないぞ」といわれびっくり仰天。世の中にはそんな方もいらっしゃるのだとはじめて知りました。きっとお任せ料理など頂いた経験がないのでしょうね。京都の割烹から居酒屋まで多くの店が一見さんお断りなのはその辺りに理由がありそうです。
 スペイサイド地区にベンローマック蒸留所がありますが、そこのモルト・ウィスキーの解説で「飲むほどに苦みが増すモルト・ウィスキー。根生姜、がり、茗荷を思わせる苦みであり、飲むにつれ、もろみ味噌が恋しくなる。もろきゅうでもよろしいが、胡瓜のサクサクした食感はウィスキーには馴染まない。北京味噌もしくはしゃもじに塗りつけて焼く蕎麦味噌のような焼き味噌が相応しい」と著したことが御座います。ベンローマックはともかく、蕎麦に合うウィスキーとの発想には興味が惹かれます。それと、モルト・ウィスキーに嵌ったのは単に目新しいものが好きなだけであって、70年代にパンク・ロック系の新しいロック・ミュージックに好奇心を抱いたのと大差ないと思われます。要するに老いては子に従えとか、ニュー・ウエーブが気にかかる歳に至ったわけで御座います。そんなことよりも、外山さんは東京で蕎麦屋を営んでいらっしゃるとか、お店を御教示いただければ忝なく存じます。必ずや、参上仕ります。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月05日 23:30 | 固定ページリンク




外山時男 | マーマイト

 一考さま
 こちらこそ恐縮です。ですぺらには必ずお伺いします。

 板わさ、玉子焼、焼味噌(練味噌)と、蕎麦屋の酒肴は定番に偏る傾向があります。これには一応の理由があります。

 ①「おい親爺、なんかないか」と乞われたので、手持ちの食材で応じた。
 ②まさに貧乏暇なしの厨房作業なので、手の空いた者だれもが作れる品にせざるをえなかった。
 ③仕込時間のほとんどを蕎麦を打つ作業にとられ、とても事前に他の準備はできない。
 ④儲からぬ商売だから専任はおけない。

 なんだか言い訳みたいになりました。でも①の真偽はともかく、②③はまあまあ、④は断然事実です。じつは加えて⑤、「ほんとは大半の蕎麦屋が酒飲み大嫌い」ってのがありそうなのですが、これを明言するには裏を取らねばなりません。

 わたしの店は酒飲みオーケー、スモーカーオーケー。ただし蕎麦はたいしたものありません。閑古鳥なんか群れで餌をついばんでいらっしゃいます。
 手打蕎麦業界には求道者が多くて困ってます。わたしの元師匠などは「おれの蕎麦を食べたら登校拒否が直ったんだよ」などと言いだす始末で絶句します。ちかごろナチスの健康オタクぶりについての本が出ましたが、蕎麦求道者の消息もその言わんとする点に似たり寄ったりです。
 今度はなんだか愚痴みたいになってしまいました。

 ところでマーマイトを使って蕎麦と酒とに合う肴が作れませんでしょうか。画策しているのですがうまくゆきません。

 中央区八重洲2-10-7 八重洲富士屋ホテル右路地入ル 「三日月」



投稿者: 外山時男    日時: 2003年12月06日 05:20 | 固定ページリンク




りき | 昨日はありがとうございました

一考さん,薫子さん
昨日はありがとうございました

ご迷惑をおかけしました
本当に



投稿者: りき    日時: 2003年12月07日 07:37 | 固定ページリンク




一考 | あいにくと今日は満月

 外山時男さんへ
 蕎麦味噌の次にマーマイトとはおそれ入りました。外山さん一流のブリテッシュにかけての知的ユーモアかどうかは判じかねますが、あなたとならぶっ飛んだ会話が楽しめそうですね。もっとも、マーマイトは味噌というよりは糠味噌に近い香味、いっそ糠床に用いて牛たんか豆腐でも漬け込みますか。おっと、貴店には味噌漬け豆腐がちゃんと鎮座しておられるご様子。
 西明石で好評だったものに合鴨のケチャップ煮と葱の牛肉味噌炒めがございました。ケチャップ煮はケチャップ、トマトピューレー、チャツネ、赤ワイン、濃口醤油、塩、胡椒、白出汁にて煮込んだもの。牛肉味噌炒めは溶き卵1個、酒2、塩胡椒、片栗粉5、サラダ油2に漬け込んだ細切り肉を油で揚げ、フライパンで酒1、砂糖3、赤味噌1、濃口醤油1と絡めます。それを大量のさらし葱すなわち白髪葱で挟むように盛る、という芸のない小鉢ですが、葱の辛みと絡めソースの甘みとのコントラストが受け入れられました。それと赤せんまいの煮込み、ただし煮込みとは申せ、こちらはデミグラスソースを用いて洋風に仕立てます。当然、トマト、ブイヨン、ワイン、微量の味噌の香味を生かすので、女性に人気でした。
 日曜に合鴨、月曜にさらし葱、火曜に日持ちのする煮込み、水曜はお互いさまにて、木曜は納得、かてて加えて金曜に「大半の蕎麦屋が煙草と子供は大嫌い」。ここまでは蕎麦屋の定番でまだ我慢できるのですが、外山さんのおっしゃる「求道者」はさしずめ土曜。こいつが私には許せないのです。
 「蕎麦道」なる御託宣が壁一面に張り出された店が池袋にございました。「蕎麦は思想であり哲学であり精神そのものである、心して食されよ」というようなことが書かれていたのです。師の教えに従順なだけなのか、蕎麦の啓蒙に励んでおられるのかはともかく、蕎麦にまで権威が必要かと悲しい思いをさせられました。
 私が知る板前はレシピを常にオープンにしています。同じものが作れるなら作ってみろ、もしくは追いつかれた時には次の領域に達しているよ、との心意気だと思われます。それと比して焼き鳥屋、鰻屋、お好み焼き屋、饂飩屋、蕎麦屋などにはもったいぶって教えない方が多く見受けられます。秘密めかすことが権威付けになるとでも思っていらっしゃるようです。いずれにせよ、茶道、華道、柔道、空手道など、「道」がつくものほど賤しく、いかがわしいものはないのですが。
 「三日月」さんは酒飲みオーケー、スモーカーオーケーとやら、嬉しくなりました。閑古鳥相手に愚痴をこぼしつつ、蕎麦をついばめればこれにまさる喜びはなく、近くお会いできる日を愉しみにしております。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月08日 04:23 | 固定ページリンク




薫子 | 「料理王国」に掲載

 宣伝であります。6日発売になりました雑誌「料理王国」1月号に、小特集「シングルモルトをボトラーで飲み比べる」が掲載されています。テイスティングの舞台はなんと「ですぺら」です。輸入業者の蔦さん、大熊さんとともに、とど店長がまたまた好き勝手なことを言わせていただいております。是非、本屋さんで立ち読みを。いえ、ご購入をお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月08日 05:10 | 固定ページリンク




薫子 | ヴァンパイア・シネマ

 歌人・作家の須永朝彦さんの朝日カルチャーセンター公開講座のお知らせです。
今回のお題は「ヴァンパイア・シネマ 血のアラベスク」。以下はチラシより。

 吸血鬼伝説はヨーロッパ屈指の暗黒ロマンであります。18世紀に頻発した吸血鬼事件は甚だ土俗的なものだったのですが、19世紀になるとロマン派の詩人・作家たちが吸血鬼を怪異小説の主人公に据え、古城に住む貴族などに仕立て上げたのです。有名なドラキュラは19世紀末に英国で造形されたキャラクターであります。20世紀に興った映画産業がこれに眼を着け、吸血鬼は忽ち銀幕の夜を席捲し、今日に至るまで夥しい数のヴァンパイア・シネマが作られております。このたびは、数多の作品の中から屈指の名作はもとよりマニアックなものまで、耽美的映像に焦点を定めて選び出し、その見所また魅力についていささかをお話いたします。(講師・記)

2004年1月22日 アートからエンターテインメントへ--銀幕を席捲
    2月26日 英国の逆襲--ハマー・フィルムの吸血鬼映画
    3月4日  名作・奇作・怪作・珍作--巨匠からB級まで
    3月25日 美しき誘惑者たち--美形ヴァンパイア総まくり
日時 木曜日 19:00~20:30 全4回
受講料(税別) 会員 10400円 一般12400円(入会金不要)
場所 新宿住友ビル48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)
問い合わせ先 朝日カルチャーセンター 
       郵便番号163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
       電話 03-3344-1945  http://www.acc-web.co.jp

珍しいビデオを沢山お持ちのようですから、吸血鬼好きの方は是非。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月08日 05:30 | 固定ページリンク




薫子 | 寺山修司監督作品「草迷宮」

 12月6日よりレイトショー公開が始まっています。1983年に公開された「草迷宮」。没後20年を記念して、撮影監督の鈴木達夫氏が新たにデジタル処理して蘇りました。主人公の明には、15歳の新人、三上博史、その青年時代を若松武史、母親役には新高けい子、そして主人公の行く手に現れる「男」として伊丹十三が、校長、僧侶、老人の三役を演じています。
毎夜9時上映。渋谷ユーロスペースにて。(03-3461-0211)
当日一般1700円/学生1400円/シニア・会員1000円 併映作品あり。
なお、12月10日には三上博史、若松武史らをゲストに、寺山修司生誕記念トークショーが催されます。
ポスターハリス・カンパニーよりのお知らせでした。よろしく。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月08日 05:46 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

 高橋正義さんへ
 早速のご返事ありがとうございます。OASYSを複数台お持ちで、しかもお頒けいただけるとは忝ない。なによりも、須永朝彦さんが喜ばれます。厚かましいはなしですが、LX-2100Sと40APの二台を須永さん宅まで着払いでお送りくだされば、幸甚に存じます。ご指摘のとおり、LX-2100Sは1995年5月発売ですが、40APの方はその前年の発売ではなかったかと記憶します。いずれにせよ、須永さんお使いのOASYSは30-AX401でしたので、より新しい型式へとバージョンアップすることになります。
 高橋さんが営まれる「人間社」および「書物の森」のユニークな出版・企画のさらなる展開に期待しております。名古屋は日本のモダニズムにとって母なる地です。貴方のような方に踏ん張っていただかないと困るのです。あいにくと「伴野憲/亀山巌 邂逅/回顧展」には行けなかったのですが、今後ともご案内の方はよろしくお願い致します。
 東京へいらした際は必ずですぺらへお立ち寄り下さい。須永さんともども酒を酌み交わしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月08日 19:13 | 固定ページリンク




一考 | インターフェイスカード

 ひろさんへ
 ATAのカードについて一言。現行のギガバイト級マックでATA133カードとドライブを搭載しても、レイドでも組まない限りは単体での100MBはおそらく無理。いわんや私のG3のATAは66MBはおろか33MBすら出ていません。SCSIが現状では10MBですから100や133MBなどという速度は夢のまた夢。インターフェイスの転送速度をいくら速くしたところで、混在するドライブ自体の性能がそこまで達していないのですからどうにもなりません。そこで66MBのATAカードを購入しようと思っているのです。だってそれなら5000円ほどで売っていますから。もしくはウインドウズ用のカードの抵抗器をマック用のそれに取り換えるかですが、いかがなものかしら。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月08日 21:02 | 固定ページリンク




一考 | アスベスト館

 元藤あき(火偏に華)子さんのお別れ会で加藤郁乎、松山俊太郎、種村季弘のお三方が同席なさいました。実に十数年ぶりとのおはなしでした。種村さんはお帰りになられましたが、例によって朝まで酒宴はつづきました。話のなかで私のなかに大きな誤解があることに気付かされました。元藤さんがアスベスト館を作られたのは土方さんと出逢う8~9年も前であるとの由。今日まで土方さんがアスベスト館を立ち上げたものと私は思い込んでいたのである。
 本日付けの朝日新聞には元藤さんへの「惜別」が掲げられている。

 土方の生前は彼の芸術の産婆役に撤した。ショークラブ経営で生活と舞台の費用をまかない、土方作品のプロデュースに奔走した。
 土方の死後はアスベスト館を改築、遺志を継いで後進の指導に当たり、自らの舞台活動も再開した。夫の舞踏を伝えつつも、独自の表現を旺盛に模索する姿は、「舞踏の母神」を思わせた。

 千日谷会堂は300人を越える参加者で賑わったが、それにしても大野一雄さんと大野慶人さんを除き、舞踏家の欠席が目立つお別れ会であった。その事情の裏には大きな誤解が横たわっているような気がしてならない。
 12月5日から12月14日までつづく「Akiko Motofuzi Memorial」と10月11日から明年1月12日まで催されている「肉体のシュルレアリスム 舞踏家土方巽抄」のパンフレットを二十部ほど頂戴してきました。ですぺらに置いていますのでよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月08日 21:05 | 固定ページリンク




松友 | 次回訪問は平面物と共に

 漸く暦と気温が揃うようになったかと思えば時節外れの低気圧が駆け巡ったりした昨今、如何御過ごしでしょうか。
 間合いの悪さは如何ともし難く御容赦御願い申し上げます。

 空冷はもとより水冷でも、そして勿論油冷でも走り込むのに気持ちよい季節になりました。屋根無く座しながらであればこれからが最も楽しめる時期です。天に兎を眺めながら、あるいは陽が眼にしみつつも防寒装備を万全に整え蓮の花やら赤毛の汗馬と共に海岸線の国道を峰の合間を駆け巡った頃が思い出されます。早く厩が賑うようにしたいものです。

 この所、モルトの会はもとよりお店もそうなのですが此方の掲示板もすっかり御無沙汰になってしまっております。太田様よりの書き込み、先程漸く拝読致しました。御懐かしぅ御座います。
 西のお店では先輩諸氏が難しい話をなさっておられるのを傍らの止り木で感嘆の念を持って拝見しておりました。そして個展をなさる御予定の由、是非日程を御教え願えれば幸いです。幸いにも関西に訪れる機会と重なりましたら是非御邪魔したく存じます。

 さて私め、往時は硫黄分の混じる粘土を盛ったり削ったりしていたのですが最近は専ら平面相手で陰極線管を複数並べ向かい合ったりの日々が続いております。嘗て苦闘していた鉄の馬は場所を取りしかも重いのでそうそう気軽にお持ちできませんでした。ですが先頃片手でとは申しませんが両手であれば携える事が出来るものに関る事叶いました。

 次にお店に御邪魔できる折にはその平面物と共に参上致します。
 まずはその折まで。



投稿者: 松友    日時: 2003年12月09日 20:33 | 固定ページリンク




し~ちゃん | お寒うございます~♪


一考様 皆様おかわりありませんか?
川上は ぼちぼちと頑張っております~

初の週刊連載が始まりました!
毎週月曜発売 洋泉社『週刊特報』にて 
その名も「色仕掛け時事川柳」です♪ 
「ニュース三本締め」のページの一角です

発売中の 笠倉出版 月刊『ルパン』12月号に
島田雅彦氏・京極夏彦氏との鼎談が掲載されてます

12/1発売の月刊誌『別冊週刊実話』に3pと
徳間書店の女性誌『attiva(アッティーバ)』
12/25発売の2月号で1p
「忘れられない恋」についてのインタビューが掲載されます

『@ぴあ』にて恋愛相談コーナーを担当致します
川上史津子の「詠う♪恋愛相談室」
皆様のお悩み 広く募集しております~!
http://www.pia.co.jp/date/

イベントのお知らせです 出番は21時頃を予定
『上目一presents エロ短歌の夕べ vol:1』 
10月オープンした「中目卓球ラウンジ」で
エロ短歌女優・川上史津子を囲い、嗜むエロきゅん短歌の夕べ
ボサダビット、bon voyage、stereo handsの織りなすライブ
で、濃い一夜をゆるゆると体感してください
12/20 19:00/open ¥1,000/1drink付
http://www.mfs11.com/news/news.html

また、12/12 レインボータウンFMに出演します
江東区のコミュニティFMです
19:00より『ユカイのマイファニーバレンタイム』です
http://www.792fm.com/

いつも告知ばかりですみません 
今後とも宜しくお願い致します 史津子拝
(あ、転載して下さってる方、直リン禁止でよろしくでっす♪)



投稿者: し~ちゃん    日時: 2003年12月12日 01:42 | 固定ページリンク




薫子 | シモンさんのサイン会お知らせ

 サ行が並ぶ題になってしまった。
四谷シモンさんの作品写真集「病院ギャラリー 717DAYS 2001-2003」(心泉社¥1900)の出版に合わせて、サイン会が以下のとおりに催されます。
 12月12日(金) 表参道 青山ブックセンターにて 19:00~
 12月21日(日) 新宿タワーレコードにて 19:00~
ナマのシモンさんに会える!もしかして握手もしてもらえるかもしれない!きゃ~~!
という方は是非どうぞ。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月12日 05:52 | 固定ページリンク




CAST | 様々な有名アーティスト達が大集合します

管理人様、イベント告知させて下さい。
長くてすみませんが、失礼致します。

2003年12月29日(月)ageha@新木場

ハイクオリティなオカマショウ!世界レベルのダンス・BMX・Wダッチパフォーマンス!
ビューティえろ姉チャンのエロショウ!有名監督の映像参加!まさかのあの人のライブ!
などなど盛りだくさん!
みんな集まれ~集まれ~集まれ~!!!
来て観て感じなきゃ年越せないよおおお~~~!!!

OPEN:23:00~
料金:3500円(1drink)

http://www.ageha.com

arena:●DJレイチェル&DJ MONDO●VJルチアーノ
rose room:●DJ KANGO
water room:●bayaka

出演者
●bayaka●クリスティーヌ ダイコ★&セバスチャン●田中光太郎(BMX)
●オナンスペルマーメイド●宅八郎(ハチロック)●パーフェクトカンバッション(ブレイクダンス)
●江戸川卍丸(変)●ナジャ・グランディーヴァ●森山開次(舞)●HOSSY
●長瀬哲朗(装)●MASH.ニコ.mari.ユカ.ミスズ.KETZ(キャバレーダンサー)
●もりもりジャイアント●ニコル(ベリーダンス)●肉襦袢ゲブ美(手話)
●マーガレット●竹内スグル(映像)●ランディークルー(Wダッチ)
●神風(ブレイクダンス)●マルガリータ&ロリータ
●YAN-C&ワドゥー
●ミカリン&もやん(キャットファイト/モデル・井原秀和円奴S天宮有香・まちゃまちゃ・ルチアーノ・あきよ・そのえ・南部虎弾{電撃ネットワーク}・ひろゆき{2ちゃんねる管理人}北狼・SIMA・ひろすみ)★coba(アコーディオン.友情出演)

●上野雄次(舞台美術)
●ホスト フミヒト
http://cast1229.hp.infoseek.co.jp/



投稿者: CAST    日時: 2003年12月15日 04:30 | 固定ページリンク




松友 | maria † cuore ~マリアの心臓~

 過日の閉館から既に一年が経とうとしています。
今回はどのような空間を展開して下さるのでしょうか。
以下、案内の便りより内容抜粋(一部加筆)致します。

マリアの心臓・展
日 程:2004年01月07日(水)~26日(月)
時 間:13:00~21:00(ライブデー18:00まで)
入館料:¥1,000.-(ワン・ドリンク付、税込)

プレビュー:2003年12月20日(土)~29日(月)

†【聖なる心臓】シークレットライブ†
2003年12月20日(土)~27日(土)開場18:30‐開演19:00
2004年01月10日(土).11日(日).17日(土).24日(土)
¥2,800.-(税込)

会 場:†マリアの心臓†東京都神南1丁目20番9 パークウェイビルB1
場 所:渋谷駅ハチ公口を出、山手線沿いに北上、公園通りへ左折。信号を渡り、道を挟んで山手教会の向かい辺り。徒歩5分程度。

 以上、勝手にお知らせでした。



投稿者: 松友    日時: 2003年12月16日 02:22 | 固定ページリンク




そういえば前の越年の折は、と | 気になっている松友 年末年始は如何塩梅との御構想でしょうか  

 連続投稿御容赦御願い申し上げます。

 もう年の瀬が迫ってきております。確か前の折は31日が年越し蕎麦で4日が鴨鍋でしたですね。鴨鍋の会では終わりの頃に(相変わらず間合いが悪い)、下仁田葱を背負って馳せ参じた記憶が御座います。来年の1月4日は日曜日ですから何か御考え願えるとしても5日月曜日でしょうか。流石に3日というのは、ちょっと、ですし。もしや4日(日)に実施してしまう、という手段も御座いましょうがそれは御店の御方々の塩梅によるかと存じます。
 尚私事ではありますが5日であれば拙メ恐らくお伺いするのは無理です(その方が会を開くには好都合とは存じますけれども)。拙メ年末年始何所まで休みを取れるか判らなくなってきております。

 同じ投稿で御無礼申し上げます。Deep Mac様も今回が初めての年の瀬になるのではと御推察申し上げます。何時も御世話になっております。ですのになかなか御願いできなくてすみません。拙メの場合、夜半になってから明朝までにコレがっ、とかいう事がしばしば、閉まりかかったシャッター越しに品物を探しまわるのが少なくありません。計画性がないといってしまえばそれまでですが如何ともし難くです。
 少し早いですが、良い年の瀬と新年をお迎え戴きますよう御祈り申し上げます。
 ではでは。



投稿者: そういえば前の越年の折は、と     日時: 2003年12月21日 18:16 | 固定ページリンク




太田 守 | (無題)

本日、焼き豚をお送り致しました。明日14時から16時の間に届く筈です。ご笑納頂ければ幸いです。



投稿者: 太田 守    日時: 2003年12月22日 20:52 | 固定ページリンク




如月 | 「向田邦子の恋文」

1月2日、午後9時からTBS系で「向田邦子の恋文」が放送されます。 生身の四谷シモンはこちらにワンシーンだけ登場します。



投稿者: 如月    日時: 2003年12月26日 20:32 | 固定ページリンク




一考 | モルト会14

 12月27日(土)の夕6時から10時にかけて第13回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内および来年の開催は毎月第4土曜日、従って次回は1月24日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

12月
@ハイランド・パーク('91 リキッド・ゴールド)アイランズ
 グレン・グラント('76 ウイルソン&モーガン)スペイサイド
@グレンバーギ(8年 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 グレンクレイグ('75 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
 グレンロッシー('89 ダグラス・マクギボン)スペイサイド
@ダフタウン('87 イアン・マクロード)スペイサイド
@エドラダワ-('92 シグナトリー)ハイランド
 グレンアギー('67 ゴードン&マクファイル)ハイランド
@ノックドゥー('89 アデルフィ)ハイランド
@プルトニー('90 スコティッシュ・リキュール)ハイランド

1月
@アイル・オブ・ジュラ('87 スコッチ・モルト・セールス)アイランズ
@カリラ('91 ウイルソン&モーガン)アイラ
@インチガワー(14年 ユナイテッド・ディスティラーズ)※スペイサイド
@インペリアル('79 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
@クレイゲラヒ(19年 イアン・マクロード)スペイサイド
@グレン・キース(10年)※スペイサイド
 コールバーン('80 ダグラス・レイン)スペイサイド
 グレン・オード(12年 ユナイテッド・ディスティラーズ)※ ハイランド
 グレンモーレンジ(10年)※ ハイランド
 ミルバーン('72 ゴードン&マクファイル)ハイランド

 ※はディスティラリー・エディション。
 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月26日 21:19 | 固定ページリンク




Humility | 罪なきに罪をつくっているものがおりますので冤罪回避解決をどうぞ宜しく御願い致します。


罪なきに罪をつくっているものがおりますので冤罪回避解決をどうぞ宜しく御願い致します。

国の有資格者の御方々に心から感謝謙遜致します。あなた様の資格でダンロップを助けられたい。
このメッセージを新聞雑誌メディアの記事に御使用されこの芸術を地球文明向上国際社会貢献に御使用下さい。
http://www.bcast.co.jp/webevents/yahoo/news/stream/g031224m.asx
http://www.dunlop.co.jp/ http://tyre.dunlop.co.jp/
https://www.dunlop.co.jp/newsrelease/user/2003/2003_004.htm
ダンロップをかってください。こころあたたまるはーとでかってください。売買需要供給使用浪費学等の御方に謙遜。
ダンロップの御方々の生活を国の有資格者の御方々で理想に守られます。どうぞ宜しく御願い致します。

このメッセージを有意義に活用されたい。意思の疎通学で優秀な御方に一任致します。

私が他にインターネット掲示板に上記を御挨拶させて頂いております方と理想の意思の疎通を保たれたい。

感謝謙遜の心を与え、伝説の記録の販売数をつくりましょう。

情報破壊の解決と共に情報処理の理想に保ちます。

健康学及び心身学及び空気学及び意識学の御方にダンロップの御方々及び顧客及び国民を綺麗にして頂きたいのでどうぞ宜しく御願い致します。



投稿者: Humility    日時: 2003年12月27日 06:20 | 固定ページリンク




薫子 | 焼き豚御礼

太田様 焼き豚沢山送って頂き、ありがとうございました。リッチなクリスマスディナーとなりました。お正月までもたせるのはちょっと無理かしらん。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月27日 15:23 | 固定ページリンク




外山時男 | ある日の電話

 一考さま

 三十年ほどむかし恵比寿のガード下に「張り紙禁止」の張り紙がしてあって実にしゃれていました(これホントです)。しかし「蕎麦は思想であり哲学であり精神そのものうんぬん」となるとゲラゲラとは笑えません。同業ヒサン物語です。
 まあ「蕎麦」を「コンドーム」に変えたら八方すこしは笑えるのかもしれません。
 「ココロして装着されよ」
 でもこれはちょっとお下品。

 ある日の午後、電話が鳴ったので取るとご婦人の声で一番、
 「雑誌で見ました。おたくはこだわりの蕎麦屋さんなのですね」
 「は」
 「ですから、おたくはこだわりの蕎麦屋さんなのですね」
 「いや・・・」
 「わたくしはですね」
 「は」
 「ですからわたくしはですね」
 「はい」
 「きこえてますか」
 「はい」
 「わたくしもいろいろありましてもうこだわりの蕎麦屋さんにしかゆかないことにしているんです」
 「・・・」
 ガチャン!
 これもホントの話です。ただ正気でない分まだゆるせます。
 池袋のご託宣蕎麦屋といいこの電話といい、たしかに「世はすべてこともなし」
 
 ですぺら年内にお伺いさせていただきたくおもっておりましたが果たせそうにありません。
 すみません。
 合鴨ケチャップ煮、葱牛味噌炒め、その他小皿の数々楽しみにしております。
 

外山時男



投稿者: 外山時男    日時: 2003年12月28日 05:22 | 固定ページリンク




りき | peganalost8.8号

未谷おとさんからの依頼です

ただいまダンセイニ研究誌peganalostの来年夏刊行にさきだち復刊準備号として8.8号をだすことになりました

短編ひとつとリンカ-タ-の文章がひとつ

ささやかですが

ただいま赤坂ですぺらで無料配布中

数に限りがございます品切れの際は連絡ください



投稿者: りき    日時: 2003年12月29日 19:18 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺらは31日まで

 例年通り、「ですぺら」は31日まで営業いたします。大晦日には年越しそばをご用意いたします。蕎麦はもちろん手打ち!
なんてことはありえません。てきとーなそばと出汁です。まあ縁起ものですからご容赦を。
年が明けたらレロレロに酔っぱらっているであろう店主を引きずって、近所の豊川稲荷へ初詣の予定です。今年はお賽銭、5円では御利益があまりなかったので、もうちょっと奮発してみよう。倍ぐらいに・・・。
 年頭は4日までお休みをいただき、5日(月)から営業いたします。5日には昨年好評だった鴨鍋をつつく会を催します。会費4000円。どうぞお越しくださいませ。



投稿者: 薫子    日時: 2003年12月30日 06:00 | 固定ページリンク




高遠弘美 | あけましておめでたうございます

一考さま
薫子さま
ですぺらにゆかり深き皆々様

新年明けましておめでたうございます。月並みではありますが、昨年は本当にお世話になりました。今年も旧に倍するおつき合ひをお願ひ申し上げます。年末にですぺらに伺ふつもりでしたが、何年ぶりかの大掃除に何日もかかつてゐたため、ついと機会を失ひました。申し訳ありません。
年の瀬は大掃除の合間に、種村季弘先生の新刊と、一考さんがみごとな解説を書いていらつしやる酒井潔を読んでをりました。このやうな書物に出会ふことのできる幸ひを感じます。と同時に、M編集長さまのご苦労と気概を感じます。今年もご活躍を祈念してをります。
末尾ながら、皆々様のますますのご清栄をお祈り申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年01月01日 09:20 | 固定ページリンク




薫子 | 明けましておめでとうございます

 昨年は本当にお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。ですぺらは本日より通常通りの営業です。皆様お正月休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。ですぺら店主ならびに皿洗い担当の私は、思いっきりの寝正月でありました。ちょっと太ってしまったカモ。ということで、本日はカモ鍋を用意してお待ちしております。



投稿者: 薫子    日時: 2004年01月05日 13:30 | 固定ページリンク




一考 | 純白のOS X

 moondialさんへ
 先日はどうもお騒がせ致しました。コピー・ペーストしたOS Xを立ち上げるととんでもないことになるのですね。漢字トークの頃からの癖でしてエクステンションを入れるのが面倒くさく、ついついシステムをまるごとコピーしてしまいました。どうやらユニックスを甘くみていたようですね。
 モニターがいきなりまっしろになり、上部左端に「_unknown word」の文字。スペースキーを押してのリスタート、シフトキーを押してのリスタート、オプションキーを押してのリスタートでもOS9.2.2は知らんぷり。最後にリスタートを立て続けに四度繰り返してP+R+シフト+オプション+コマンド、ここで2ちゃんねるの方が示唆するように一台は回復。しかし、残る一台にはなんら効果なく、「_unknown word」が「_」に変化してからはmac.boot+リターンキー、boot+リターンキー、bye+リターンキーを無視。コマンド+オプション+シフト+デリート+SCSIナンバーでつむじを曲げたのか、逆にフリーズを起こす始末。
 PCスロット横のリセットスイッチを押してバッテリーを外してみました。このリセットスイッチはマッキントッシュのリセットスイッチではなく、CPUモジュールを交換した際に用いるものと承知の上、藁をもつかむ思いでした。その時、目に入ったのがマザーボードの下のほこり。ついでにと、電源、内部コード、メモリー、ラム、各種カード、マザーボードのすべてを外し、大掃除。新たに組み立てたところ、なんのトラブルもなかったかのようにブート致しました。分解掃除をしたために、結局「_unknown word」の因果関係は分からないまま。ハードディスクは初期化の上、OS Xを一からインストール、OS10.1.5で元気に活躍しています。
 それにしても、このところかつて経験のないトラブルが続きました。どうやらシステムのカスタマイズが過ぎたようです。こんなことに時間を取られているとなにも出来ませんね。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月06日 16:29 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | Mac OS X


 管理人の櫻井清彦です。
 遅くなりましたが、新年おめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします>皆さま。
 
 DeepMacもよろしくお願いします。http://www.deepmac.com/
 パソコン出張サポート(Winndowsも世話します!)も始めましたのでこちらもよろしくです。
 http://www.aisasystem.co.jp/
 コンピュータのことでしたらお任せ下さい。

一考さん

 一応専門家なので調べてみました。
 
 > モニターがいきなりまっしろになり、上部左端に「_unknown word」の文字。
 これはMacのブートプロセス途中、Open Firmwareの段階で落ちていることを示しています。
 bootとかbyeというのはOpen Firmwareのコマンドです。
 原因はPRAMに書かれているOpen Firmware用のデバイスリストと実際のデバイスリストが
 合致していなかったからだと推測されます。だからunknownなんでしょう。
 PRAMクリアするとOpen Firmwareのデバイスリストが初期化されますから、これで生き返ります。
 言うことを聞かなかったマシンはばらすことによってPRAMクリアされたのだと思います。
 
 OS Xでバックアップを取る場合は、フリーでCarbon Copy Clonerというソフトがありますから、
 これを使うといいと思います。ディスクイメージファイルでコピーを作ることができます。
 
 マックのブートプロセスを概念的に簡略に書いたものはアップルのページにあります。
 http://developer.apple.com/documentation/MacOSX/Conceptual/BPSystemStartup/Concepts/BootProcess.html
 Open Firmwareは少々難しいですが、こんな解説があります。
 http://www6.plala.or.jp/yan2/openfirmware.html
 ForthをもとにしたOpen Firmware言語を理解すれば、手動で起動ディスクを選択することもできます。
 まあ、ハードウェアのドライバを書くような人しか知らない世界ですけど。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2004年01月06日 20:58 | 固定ページリンク




一考 | いまなおブート中に落ちっぱなしの男

 櫻井さんへ
 ブート中に落ちているのは理解、bootとかbyeというのがOpen Firmwareのコマンドであることも了解していました。
 PRAMクリアするとOpen Firmwareのデバイスリストが初期化されますから、それで生き返るはずだったのです。ところが一台はそれを無視して暴走をはじめました。そこからが私の手におえなくなったのです。
 フリーソフトCarbon Copy Clonerの御教示に感謝。そこから先、Open Firmware言語の世界はあまり関与したくないのです。バイクをいじっていたいのです。だって、余命が気になる歳になりましたから。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月06日 21:42 | 固定ページリンク




一考 | 海馬レス

 勝井さんへ
 龜鳴屋の屋号どおりの亀レスなら、当方は海馬レス、例え馬の字が入ったところで俊足とはおよそ縁なき存在かと思います。一月後、半年後、否一年後に返書を認めるなんざあ、それこそ風流と申すべきもの。私は内藤三津子さんよりちょうど十歳年下ですが、「こんなに老後が長いとは露知らず」の心境は解る気がするのです。現役でいられるのはあと十年ほど、いかに悪あがきしようかと腐心致しております。
 あなたの亀レス「敵前逃亡の顛末」には薫子さん共々、大笑いさせて頂きました。私はあなたが仰るような「一代の鬼才」ではなく、また人から莫迦呼ばわりされることはあっても、「畏れ」を抱かれるような経験はとんとなく、近しいひとからも「尊敬するには値しない人間」と常に言われ続けております。
 せっかく上京され、赤坂のホテルに泊まりながら、しかもですぺらの真ん前にまで来られながら踵を返されたとは残念至極。私相手に遠慮は無用、いささか恨みに思いますよ。だって、いずれ叶うことならあなたとは一度対談をさせていただきたいと願っているのですから。当然、費用は当方の負担、編輯者としてではなく、出版人としての晤語(泣き言、繰り言の類)を愉しみたいと思っているのです。
 金沢では愛子さんが大層な歓待を受けました。またその料理屋経由の山女の子の醤油漬け、河豚肝の味噌漬け等々、石川の珍味の馳走に与っております。せめて赤坂で飲まれるときは飲み代の心配はなさらないようにお願い致したく思います。拙宅にもぜひお泊まりいただきたいと薫子が申しております。
 「次に上京することがあれば、密かに二階まで上がってみたく思います。三度上京の機会があれば、そのときこそ勇気をしぼって、ドアに手をかけてみようと思っております」とやら、寺山修司のポスターが貼ってあるですぺらは三階ですよ。一気に三階までいらしてください。次回の上京のおりは朝までゆるりと酒を酌み交わしましょう。
 菊地信義さんが角川の「本の旅人」で『稚兒殺し』をとりあげてくださるのは私にとっても嬉しい限りです。では、龜鳴屋ご一党さま、よいお年をお作りください。

                           一考生



投稿者: 一考    日時: 2004年01月06日 21:43 | 固定ページリンク




櫻井清彦@管理人 | G3 DTでDVD再生


一考さん

電話でお話ししたDVD関係のURLはここらです。

OS 9でDVD映像を再生するにはビデオカードが必要みたいです。

http://www.yoshi-mac.com/urawaza.asp

http://www.h4.dion.ne.jp/~mitake/mac/mac1_12.html

http://smuraki.fc2web.com/DVD/DVD.html
ここにはOS Xで動き、しかもビデオカード不要のフリー再生ソフトの情報があります。



投稿者: 櫻井清彦@管理人    日時: 2004年01月08日 01:07 | 固定ページリンク




.... | 整備書

h12年式のFDの整備書が欲しいのですが、手に入りますか?



投稿者: ....    日時: 2004年01月13日 13:55 | 固定ページリンク




一考 | 友の命日

今日は横須賀功光さんの命日。一年を経て、この間の千々に乱れる思いにひとつの形を与えようと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月14日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

.... 整備書さんへ
「h12年式のFDの整備書が欲しいのですが、手に入りますか?」と訊ねられても、FDだけならなんのことやら解りません。中型トラックのFDなのか、ハーレーのFDなのか、RX7のFDなのか。いずれにせよ、ご自身で検索されるかメーカーへ赴かれるがよろしかろう。もしRX7なら電装はともかく、あのエンジンをばらすのは私なら止めます、専用工具が必要ですから。それと平成12年式ならロータリーが摩耗するはずもないと思われますが。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月14日 23:56 | 固定ページリンク




新年会のお知らせ | 新年会のお知らせ


みなさま今晩は。
櫻井清彦@幻想的掲示板&ですぺら掲示板管理人です。

さて久しぶりに新年会を開催したいと思います。
東御大、倉阪御大、御両人とも参加予定です。

初めての方でも大歓迎です。
ですぺら掲示板しか見ていない方の参加も大歓迎です。
参加希望の方は櫻井sakurai@aisasystem.co.jp
までメールを下さい。
参加メールをお待ちしておりますよ。

○日時 1/31(土) 19:00~深夜まで
○場所 赤坂ですぺら
○会費 5000円
○申し込み期限 1/26(月)深夜まで
○定員 一応20人ぐらいですかねえ

よろしく。

ところで京極さん、祝!直木賞!
うちのオフ会にも来てくれないかなー。



投稿者: 新年会のお知らせ    日時: 2004年01月15日 22:34 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 遅れ馳せながら・・・


一考様 皆々様 あけおめことよろでっす
ひとり「旧正月」川上史津子です(笑)

初の携帯小説が決定致しました!毎週更新です 
がんばって面白いものに致します 読んでやって下さい

AMラジオのニッポン放送携帯電話情報サービスで、
川上史津子の連載小説が2月1日スタートします。
タイトルは「恋する放課後」。
10代の恋や愛に関する揺れ動く気持ちを表現します。
こちらの小説は、ニッポン放送携帯電話情報サービスの
会員がご覧になれます。(月額280円)
アクセス方法は、iモード、ボーダフォンライブ!、EZwebの
それぞれのトップメニューから「TV・メディア」から
「ラジオ」の「ニッポン放送」にアクセスしてください。
「ニッポン放送」のトップページの「人気作家連載小説」から
ご覧いただけます。
http://www.allnightnippon.com/mobile/

またこちらも初の ロフトイベントでございます!
サブカル好きな方は是非ゼヒ 終演後一緒に飲みましょう!

2004年2月15日(日)新宿ロフトプラスワン
(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2 03-3205-6864) にて
『念力家族VS.えろきゅん 新世紀トンデモ短歌会』
「トリビアの泉」で話題の唐沢俊一さんプロデュースです 
歌集『念力家族』を上梓された笹公人さんとご一緒させて
頂きます さて、内容は・・・? 唐沢さんによると
「念力の少女の詠める五七五七七聞けば胸もえろきゅん」
だ、そうです(笑)
http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

それからコチラ『@ぴあ』にて「詠う♪恋愛相談室」
まだ投稿があまり来ておりません(泣)
親身になってチカラのかぎりお答えさせて頂きますです ハイ
川上の詐欺としか言いようの無いプロフィール写真もご覧頂けます 
JAROにはナイショで、ひとつ
http://www.pia.co.jp/date/

本年も宜しくお願い申し上げます



投稿者: し~ちゃん    日時: 2004年01月18日 04:46 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会15回

 1月24日(土)の夕7時から10時にかけて第15回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は2月28日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

ですぺらモルト会1月
@ジュラ・スーパースティション※アイランズ 
@カリラ('91 ウイルソン&モーガン)アイラ 
 インチガワー('89 ベニーヴァ)スペイサイド 
@インペリアル('79 ゴードン&マクファイル)スペイサイド 
@クレイゲラヒ(19年 イアン・マクロード)スペイサイド 
 グレン・キース('76 ジェームズ・マッカーサー)スペイサイド 
 コールバーン('80 ダグラス・レイン)スペイサイド 
 グレン・オード(12年)※ ハイランド 
@グレンモーレンジ・セラー13(10年)※ ハイランド 
 ミルバーン('72 ゴードン&マクファイル)ハイランド

ですぺらモルト会2月
@スプリング・バンク('93 クライズデール)キャンベルタウン
 ロングロウ(10年)※ キャンベルタウン
 カードゥ(12年)※ スペイサイド
@ベンリネス('81 ヴィンテージ・モルト)スペイサイド
 ロッホデュー(10年)※ スペイサイド
@ロングモーン('90 ウィスキー・ガロア)スペイサイド
 グレンゴイン(17年)※ ハイランド
@ブローラ('82 イアン・マクロード)ハイランド
@グレンタレット('86 ジェームズ・マッカーサー)ハイランド
@リトルミル('85 ゴードン&マクファイル)ローランド

 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月21日 23:31 | 固定ページリンク




一考 | 誕生会また来たれり

 二月五日(木曜日)がまたやって来ました。須永朝彦さんと不肖私儀の合同誕生会を「ですぺら」にて催します。本命は須永さんにて、徒に齢のみ重ねる私如きはほんのつけたりに過ぎません。須永さんには本年も御健筆を願う次第ですが、念願の小説集「就眠儀式」の新版が学研文庫から上梓される予定です。当日、小生は下拵えのみにて客席に陣取っての置酒歓語、つちのこ編集者の遠吠えにお付き合い下されば幸甚です。
 午後七時より、会費は男子四千円、女子三千円。アルコール類は潤沢に用意致します。滅びを忘れるわけには参りませんが、いとせめて一会の切なさに身をまかせたく、ご参加賜らんことを願い上げます。



投稿者: 一考    日時: 2004年01月23日 06:29 | 固定ページリンク




りき | ペガーナロスト8.8追加委託の件

こんにちは。
昨日はありがとうございました。一考さん、薫子さん。

在庫切らしていました「PEGANALOST」8.8号ですが、
未谷さんのほうで、増刷をしていただきました。

昨日、ですぺらのほうに20部くらい全てを委託してきました。
ご興味或る方は、是非お持ちください。

無料配布です。念の為。



投稿者: りき    日時: 2004年01月24日 14:36 | 固定ページリンク




如月 | パリの人形展のご報告

先ほど四谷シモンともども、無事パリから帰りました。 パリのアル・サン・ピエール美術館との出展交渉は基本的にメールだけでしたので、 行ってみるまでどんな場所なのか、四谷シモンの人形をどんな風に展示してくれ るのか等、わからないことだらけだったのですが、日本とフランスで展覧会のや り方の違いがあるのは事実としても、われわれをとても歓迎してくれ、いいオー プニングになりました。 美術館の場所はモンマルトルのサクレ・クール寺院にのぼるケーブル・カー乗り 場のすぐ右横、鉄骨とガラス張りの建物。その2フロアが人形展にあてられ、1 階は世界の人形コーナー、螺旋階段をのぼった2階がアーチストによる人形コー ナーです。 四谷シモンの人形4点の展示場所は2階の一番奥(全体の中央)ですが、美術館 がそのコーナーを自由に使わせてくれたので、こちらの思うように作品をならべ ることができました(作品が到着するまで、ガラスケースが割れたりしないかと ても心配だったのですが、すべて無事でした)。 四谷シモンの人形のすぐ横はハンス・ベルメールの写真とスケッチですが、これも、 四谷シモンへの影響関係がよくわかるよう、美術館が球体関節人形のスケッチを 四谷シモンの人形(「木枠で出来た少女」)のすぐ隣にならべてくれました。ま たオープニングでは、これらの写真やスケッチのコレクター・ノザルゼフスキ氏と、 ベルメールがシモン作品をみたらなんというだろうかとか、親しく話をすること ができました。 フランスの人たちは、作品を見たあとで、これはどんな人がつくったんだろうと 四谷シモンのプロフィールを熱心に読んでくれて、それがとても印象的です。 また展覧会のポスターは2種類あるのですが、そのうちの1枚は四谷シモンの人 形(今回パリでは非展示)でつくってくれ、地下鉄の駅をはじめ、パリの街のい ろいろなところに四谷シモンの人形のポスターが貼られだしています。 滞在中、曇り空の日が多かったのは残念ですが、それほど寒くはなく、比較的気 持ちよくパリの滞在を楽しむことができました。 寒がりの四谷シモンは、ホッカイロを大量にもっていったのですが、これは一度 も使うチャンスがなく、東京からのおみやげといって美術館のスタッフにあげたら、 とてもよろこばれました(笑)。



投稿者: 如月    日時: 2004年01月26日 01:39 | 固定ページリンク




薫子 | お帰りなさいませ

 シモンさん、如月さん、ご無事にお帰りのようで、安心しました。寒いパリで凍った道で滑って転んでいるのではと心配していたのです。展示の様子もいい感じですね。パリの街中にシモン人形のポスターが貼られるなんて、想像しただけで嬉しくなってしまいます。ですぺらで詳しい報告を聞かせてくださいね。



投稿者: 薫子    日時: 2004年01月26日 04:16 | 固定ページリンク




薫子 | 「ぽちぶくろ」

 伝えたい日本の美しいものシリーズとして「ぽちぶくろ」が上梓されました。京都の骨董店てっさい堂のコレクションで、歌舞伎を題材にしたもの、江戸小唄シリーズ、面づくし等々、見ているだけで嬉しくなるような素敵なものばかりです。こんなぽちぶくろを贈られたらどんなに楽しいだろうか、中身が一杯だともっと嬉しい・・・。
 一考が編集をお手伝いしたこともあって、「ですぺら」でも取り扱っております。フルカラー320頁、定価3900円、スーパーエディション刊。プレゼントにもよろしいかと。同じシリーズで「まめざら」「おびどめ」も出版されています。



投稿者: 薫子    日時: 2004年01月26日 04:35 | 固定ページリンク




alicejam | 多田智満子さんの一周忌


1月23日、多田智満子さんの一周忌が神戸で行われました。米子のワタナベさんが、「不良の一考ちゃん」を懐かしがっておりました。
この日、神戸は寒かったのですが、加藤・多田家の庭にそびえるユーカリの木が、多田智満子さんの面影を伝えていて、美しかった。



投稿者: alicejam    日時: 2004年01月27日 00:05 | 固定ページリンク




如月 | パリのポスター

多田さんが亡くなられて1年ですか…。早いものですね。 さて昨晩desperaに四谷シモンの人形をつかったパリの人形展のポスターをおい てきました。実物をご覧になりたい方はぜひどうぞ。 またその折、おみやげにランボーが住んでいたアパルトマンを写した絵はがきを おわたししたんですが、灯台もと暗し、あらためてその住所(10, rue de Buci) をみると、われわれが滞在したホテルのすぐそばで、たぶん毎日のようにその下 を歩いていたんですね。気がつけばもっとよく見てたのに、残念。



投稿者: 如月    日時: 2004年01月27日 11:39 | 固定ページリンク




薫子 | 宴会御礼

 「恐怖の新年会」にお越し下さった皆様、ありがとうございました。久しぶりに人で一杯になった「ですぺら」。嬉しゅうございました。管理人様、掲示板のみならず、店の面倒までみていただいているようで、申し訳ないです。でも、またよろしく。



投稿者: 薫子    日時: 2004年02月02日 07:25 | 固定ページリンク




薫子 | 次の宴会は5日です

 年が明けたと思ったら、もう2月。2月5日の木曜日は、須永さんと一考の誕生会であります。午後7時より、男性4000円、女性3500円、どちらでもない方4500円(?)。どなたさまもお気軽にお越しくださいませ。お待ちしております。



投稿者: 薫子    日時: 2004年02月02日 07:33 | 固定ページリンク




薫子 | わーい、お酒だ!

 昨晩、久しぶりにお邪魔ビンラディンさんがご来店。5日は仕事で出席できないとのことで、にごり酒の差し入れをしてくださいました。いつもありがとうございます。これで更に酒は潤沢に揃いました。朝まで飲めるぞ~。
 先の書き込みで誤りがありました。会費女性3500円とありますが、3000円に訂正いたします。どちらでもない方はやっぱり4500円?



投稿者: 薫子    日時: 2004年02月05日 03:52 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

 5日には大勢の方にお越しいただき、ありがとうございました。須永さんにも夜遅くまで、というか朝早くまでお付き合いいただきました。五十肩にも負けずに今年も良い仕事をして下さると期待しております。一考は太り過ぎにもめげず(?)、暴れてくれるでしょう。多くの方からお心遣い頂きましたことも、この場を借りて御礼申し上げます。



投稿者: 薫子    日時: 2004年02月08日 07:29 | 固定ページリンク




如月 | パリ滞在記を擱筆


本日、小サイトの「徘徊録」コーナーにパリ滞在記:その6をアップ致しました↓。
http://www.furugosho.com/nomadologie/2004-1-Paris6.htm
これにて今回の私のパリ滞在記は一応擱筆です。滞在記は全部で1~6まであり、
大半は私のたわいもない雑感ですが、これを機に、パリ市立アル・サン・ピエール
美術館の人形展はどんな感じなのか、四谷シモンはそこで何をしてきたのか等々、
お読み頂ければ幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2004年02月13日 22:50 | 固定ページリンク




KAWAIHIDEYUKI | 名古屋に転勤になりました

ご無沙汰しております。

2月2日付の辞令で、名古屋に飛びました。
先週からは、赤坂から400Kmほど遠いところにおります。

できる限り出張を作って、お邪魔しますので、
またよろしくお願いします。

スプリングバンクもまだ終わりそうもないし。



投稿者: KAWAIHIDEYUKI    日時: 2004年02月14日 11:19 | 固定ページリンク




如月 | 「幻獣標本博物記」

銀座の青木画廊(中央区銀座3-5-16島田ビル2F、http://www.aokigallery.jp)で、とてもおもしろい展覧会がはじまりました。 題して「幻獣標本博物記」です。 幻獣とはなにか、幻獣の標本とはなにかとても気になりましたので、本日青木画 廊を訪問し、これらの獣を採集し、標本にされた江本創(はじめ)さんとお会い してきました。 伺ったところによると、江本さんは旧ソ連のアレクサンドル・ヒロポンスキー博 士らのもとで珍しい生物の採集・標本作製を学んだとのことで、ヒロポンスキー 博士の手記の断片や博士と一緒に採集した珍獣の標本(その一部は青木画廊で 展示)を、このたび「幻獣標本博物記」(パロル舎)から上梓され、その記念に 展覧会を開催されたとのことです。 江本氏のサイト↓に氏が採集した珍しい生物の標本が掲載されていますから、ぜ ひアクセスを! http://sow.ggnet.co.jp/ そして、実際の標本を青木画廊でぜひご覧下さい。展覧会は28日(土)まで開 催です。



投稿者: 如月    日時: 2004年02月17日 00:43 | 固定ページリンク




薫子 | KAWAIさまへ

あらら、名古屋にお引っ越しですか。
名古屋といえば思い出すのは、新幹線名古屋駅前の予備校のビルと、味噌煮込みうどん。
うどんを一口食べて、これはまだ茹であがっていないではないか、店の人に言った方がよいだろうか、と暫し悩んだものです。
そちらにはスコッチ文化研究所の名古屋支部があります。Malt club(http://www.malt-club.com/)という、こゆ~いサイトを御覧くださいまし。テイスティング会などいろいろと活動なさっているようです。
名古屋のお酒事情、バー情報など、赤坂にお越しの折りは是非お聞かせください。
お待ちしています。



投稿者: 薫子    日時: 2004年02月17日 05:02 | 固定ページリンク




如月 | 新聞二題

東京都現代美術館で開催中の「球体関節人形展」についての記事が、2月17日 付の朝日新聞文化面に掲載されました。題して「まがまがしいエロス」。オープ ニングの際の四谷シモンの言葉も少し引用されています。 朝日新聞をとっていない方、地方在住の方には、共同通信をとおしてゲイビー・ ウッドの「生きている人形」(青土社)の書評がさまざまな地方紙に掲載されだ しています。 お手元の新聞、四谷シモン関連の記事がないか、みてみてください。



投稿者: 如月    日時: 2004年02月19日 00:27 | 固定ページリンク




如月 | 中井英夫に捧げる展覧会


desperaファン必携のミステリー「虚無への供物」刊行40年を記念して、「虚
無への供物」そしてその著者・中井英夫を愛するアーチストによるオマージュ作
品展「永遠の薔薇」が2月29日から開催されます。「虚無への供物」は、東京
オリンピック開幕を半年後に控え、日本中が祝典ムードでわきたっているなかで
刊行されたのですね。
会場は高輪の2カ所で、第一会場がギャラリー・オキュルス(港区高輪3-10
-7、TEL=03-3445-5088)、第二会場が古書啓祐堂(港区高輪
3-9-8、TEL=03-3473-3255)。2つの会場はすぐそばです
ので、まわるのは簡単です。
参加アーチストは次のとおり。
石塚公昭、梅木英治、喜国雅彦、今道子、佐中由紀枝、多賀新、竹本健治、建石
修志、司修、楢橋朝子、畑農照雄、板東壮一、藤田新策、本多正一、間村俊一、
森山大道、山下陽子、山本美智代、渡辺東。
顔ぶれからいって、おもしろい展覧会になりそうですね。
会期は2月29日~3月10日です。
   *   *   *
下方↓でご紹介した江本創さんの「幻獣標本博物記」(パロル舎)、本日(2
2日)の朝日新聞読書欄でさっそく取り上げられています。曰く、「魑魅魍魎の
存在を、実は感じているひとの心に働きかける超シュールなビジュアル文集」。
でも江本さんの実際の標本はもっと超シュールです。青木画廊でぜひご覧あれ!
(「幻獣標本博物記」の見本はdesperaに置いておきましたので、手にとって見
てください♪)



投稿者: 如月    日時: 2004年02月22日 10:19 | 固定ページリンク




如月 | マルゼルブの出版理念


木崎喜代治氏の著作「マルゼルブーーフランス18世紀の一貴族の肖像」(岩波
書店、1986年)にもとづき、小サイト内に「マルゼルブの出版理念」のペー
ジを新設致しました↓。
http://www.furugosho.com/precurseurs/malesherbes-idees.htm
マルゼルブの出版理念は、18世紀を知るための非常に優れた証言であると同時に、
今読んでも、メディア論として第一級のものですね。
木崎さんの著作を要約しながら、ある部分、これはインターネット・メディア論
にそのままおきかえられるな…などと考えておりました。
みなさんの感想もお聞かせくださいね。小掲示板でお待ちしております♪



投稿者: 如月    日時: 2004年02月27日 10:52 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会16回

 2月28日(土)の夕7時から10時にかけて第16回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は3月27日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

ですぺらモルト会2月
@スプリング・バンク('93 クライズデール)キャンベルタウン
 ロングロウ(10年)※ キャンベルタウン
 カードゥ(12年)※ スペイサイド
@ベンリネス('81 ヴィンテージ・モルト)スペイサイド
 ロッホデュー(10年)※ スペイサイド
@ロングモーン('90 ウィスキー・ガロア)スペイサイド
 グレンゴイン(17年)※ ハイランド
@ブローラ('82 イアン・マクロード)ハイランド
@グレンタレット('86 ジェームズ・マッカーサー)ハイランド
@リトルミル('85 ゴードン&マクファイル)ローランド

ですぺらモルト会3月
 ポート・エレン('80 ゴードン&マクファイル)アイラ
@クラガンモア('89 ヴァン・ウィー)スペイサイド
 グレンリヴェット('75 イアン・マキロップ)スペイサイド
@ストラスアイラ('89 ダグラス・レイン)スペイサイド
 ノッカンドオ('87)※ スペイサイド
 グレングラッサ('74 ハート・ブラザーズ)ハイランド
@スペイサイド(8年)※ ハイランド
@フェッターケアン(12年)※ ハイランド
@ロイヤル・ブラックラ('94 ダグラス・マクギボン/カスク・ストレングス)ハイランド
@セント・マグデラン('80 ゴードン&マクファイル)ローランド

 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2004年02月28日 00:32 | 固定ページリンク




如月 | 読売新聞+紀伊国屋画廊


本日(4日)の読売新聞朝刊・週刊テレビ番組「Zip Zap」(東京&関東版)の
広告紙面に四谷シモンの作品「木枠で出来た少女3」(現在、東京都現代美術館
で開催の「球体関節人形展」に出展中)が超アップで登場します(撮影・沢渡
朔)。ぜひご覧下さい。
また、本日から新宿・紀伊国屋画廊(紀伊國屋書店本店4階)で第23回エコ
ール・ド・シモン展がはじまります。この展覧会に四谷シモンは新作「Le
Garcon」を出展します。入場無料ですので、新宿にお出かけの際はぜひお立ち寄
りください。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月04日 00:59 | 固定ページリンク




如月 | 「イノセンス」+東京新聞

今日(6日)はいよいよ映画「イノセンス」公開ですね♪ さて四谷シモン、本日は東京新聞夕刊の「名流」面に見開きで登場します。 題して「前衛に根付く伝統の心、シモン人形は米の味ーーパリで、日本で、耽美 なエロス開花」。 どんな記事に仕上がっているか、ぜひお読み下さい。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月06日 09:37 | 固定ページリンク




一考 | インプレッサ

 このところ小生の車の走行距離が19万5000キロを超え、いつタイミングベルトが切れてもおかしくない状態でした。数年前からクーラーは故障したまま、オイル下がりがひどくなって白煙の垂れ流し、千キロごとにオイルを追加しながらの綱渡りでした。従って遠出をひかえるようになり、みなさまにご迷惑をお掛け致しました。
 この度、江戸川区本一色3丁目にて朋廣自動車を営む吉川雅偉さんのご協力にてスバルのインプレッサを入手致しました。吉川さんの希望価格は37万円だったらしいのですが、信じられないような価格で譲渡してくださいました。本日、拙宅の庭へ到着、レスポンスのよさに驚いております。走行距離は58661キロ、ワンオーナーで修復歴なし、定期点検記録簿もあるフォレストグリーンの5ドアステーションワゴン。正確にはHXエディションS-1.8L-4WDのオートマチック車です。
 もっとも、2月は小生ちょいと忙しく、車検を取りに行く暇がなかったものですから、吉川さんに取り敢えずの車検をお願い致しました。あとは毎月一箇所ずつきちんと整備していこうと思っております。ショックアブソーバの柔らかいのも気になるところですが、先立つものがなく、あれやこれやと一年ほどの間、吉川さんを悩ませることになりそうです。
 いずれにせよ、これで群馬行きも可能になりそうです。もっとも、こちらは佐々木幹郎さんを悩ませるのが目的ですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月06日 22:51 | 固定ページリンク




一考 | 皮膚感覚

 念願の横須賀功光さんについての一文を書き上げました。間村俊一さんが主宰する「たまや」第二号に掲載の予定。書きながら何度となく落涙、稿が進まなくて難儀致しました。畏友佐々木幹郎さんから特異な「皮膚感覚」を持った文章と言われ、悦に入っております。三島由紀夫ではありませんが、からだの中に魂があるとするならば、皮膚こそが魂の深淵。一体に私はひとさまから褒められるのが大好きで、佐々木さんのお言葉はいささかの優越感をもたらしました。それが劣等感の過補償であろうがなかろうが、そんなことは私の関知するところにあらず。なにはともあれ、久しぶりに掲示板への戦線復帰ということになります。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月06日 22:52 | 固定ページリンク




外山時男 | 一考さま 桜井さま

 一考さま 
 もう三月になってしまいました。ですぺらなかなかゆけなくてすみません。
 「数年前からクーラーは故障したまま、オイル下がりがひどくなって白煙の垂れ流し、千キロごとにオイルを追加しながらの綱渡りでした。したがって遠出はひかえるようになり」には吹き出してしまいました。まるで荒川河川敷の住人へのインタビュー答えみたいではないですか。
 でもインプレッサお買いになったとのこと。スバルいいですね。やはりエンジンはボクサーなのでしょうか。昔FF1に乗ってました。ボロボロいうあの独特の排気音はなつかしいです。

 桜井さま
 いろいろご迷惑かけてしまいもうしわけありません。ほんとうに世の中は幻想に満ちていてシュルレアリスムです。

ですぺらのウィスキーに会いたいです。 



投稿者: 外山時男    日時: 2004年03月10日 02:49 | 固定ページリンク




一考 | 知と粘膜

 菊地さんへ
 「皮膚感覚」にさほど想いを込めたわけではなく、粘膜質な文章を著してみたかったというにとどまります。ひとの口唇は哺乳動物にあってもとりわけ複雑なものですが、唇で赤く見える部分、すなわち俗にいうくちびるに興味があるのです。紅唇 朱唇 丹唇 花唇 花吻などといわれますが、言語を発するときに重要な役目をはたす、その役割分担におもしろみを感じるのです。
 唇らしきものは魚にだってあるのですが、ほとんどは皮膚もしくは甲殻であって、角化現象のすくないピグミーチンパンジーやマウンテンゴリラは約五十種ほどの鳴き声で意志を伝えあうと聞き及びます。ひとのくちびるはボノボと比してさらに角化現象がすくなく、複雑な言語を獲得するに至りました。脣竭きて則ち歯寒く、魯酒薄くして邯鄲囲まるというではありませんか、脣亡歯寒は友の習い、さればこそ横須賀功光さんに託けて粘膜質な文章を著そうと思ったのです。
 ご子息の安理さんからは「横須賀はですぺらで言葉による最後のクリエイトを試みた」と告げられました。「言葉によるクリエイト」を残照というのはいささかきつい物言いかもしれません。しかし、大部な仕事をすでに残された横須賀さんが死を携えての「試み」、それも最初から病名を私に告知してはじめられた言葉のゲームだったのです。
 人生の残照、すなわち沈んだあとに残される夕焼けに「えろきゅん」ならぬ「むねきゅん」を私は感じます。そして残照はふたつの属性をもっているように思うのです。片方には残傷や残心が潜み、片方には慙羞、慙色、慙沮などが栖みついているのではないでしょうか。言葉の遊びをしているのではありません。ただ実績を抛りだした敗者の残滓のさまに私はこころを動かされるのです。

 横須賀さんが自分自身のために撮り続けた作品をあなたと二人で見に行きました。あの一連の遺作を目の当たりにして、私は深い悲しみと嗚咽に見舞われました。そこにはイタリアン・ヴォーグや資生堂での商業写真にみられる才気走った構図や華やかなひかりの階調をまとった稠密な作柄はなにもなく、ぬえのような虚無が跋扈する荒漠たる風景が拡がっていたのです。時代に蹂躙され、組織に打擲され、才能を簒奪され、個に立ち帰ったとき、横須賀さんは撮るべき対象と為す術を見失ってしまったようです。作品はそのあたりの消息を端的に物語っています。かつての圧倒的な才能のまえに平伏していた闇の部分が大きく鎌首をもたげ、本来なら花と咲くべき横須賀さんの搏動は、宿酔と血痰、そして汚物にまみれたものとなりました。しかるに、虚名が通り過ぎることによって、横須賀さんはひとが暫定的な存在であったことを再認識するのです。早熟だったひとが必ず払わねばならないタックスのようなものなのでしょうが、そこから先の領域にしか私は興味を抱きません。
 私はきっといい季節に横須賀さんと出逢えたと思うのです。もうすこし前であれば、間違いなく喧嘩別れに終わっていたでしょう。考えるってなに、思惟するってなに、立ち徘徊るってなに、横須賀さんとの論議の底流には常に不確実性が、懐疑が漂っていました。死を目前にした彼ゆえの孤絶された残照、定まらない揺蕩う残照がそこに息づいていたのです。才能や実績、矜持や自信、帰属や立場といった、なにかしらの存在理由を喪失した者は名状しがたい恐怖のようなものに襲われます。白血病と作品、自ら排泄し自ら発した自恃そのものに裏切られ、撤回を余儀なくされた横須賀さんの呻吟と哭慟、かつ消えかつ結びし日々を泡沫とさだめ、宙ぶらりんを選択するしかなかった横須賀さんの姿勢に私は心底からの共感と情愛を感じていたのです。
 それゆえ、単なるオマージュを著したのでは横須賀さんから「わかっちゃないね」と叱られます。昨年末、間村さんから原稿依頼を受けたときから書く内容は決まっていました。知と粘膜の弁証とでもいうほかない、究極のテーマを投げかけたのは横須賀さん。僅か十五枚を著すに丸二箇月を要しました。さらに一年間、このテーマに添って書き継いで行きたいと思っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月10日 22:54 | 固定ページリンク




一考 | ボクサー万歳

 外山時男 さんへ
 昨年末のコンドームの「ココロして装着されよ」には爆笑、返事も書かずに失礼致しました。
 お互い商売優先ですので、なかなか機会が御座いませんが、気長に行きましょう。
 ところで、拙宅は荒川河川敷の根際、ほんとに目の前で御座います。たまにひなたぼっこに行くのですよ。日曜日は釣り客でいっぱいです。店のメニューに鮒のあらいや鯉の味噌煮でも加えますか。
 インプレッサの代金はすべて込みこみで5万円でした。中古のホイールと夏タイヤ9分山のセットが11500円と送費1680円、中古のスタッドレスタイヤ6分山が2100円と送費2700円、タイヤの換装と破棄代が4000円、車検が109000円、月曜日に車庫証明が2600円、火曜日の名義変更の書類代が530円、同じくナンバープレート代が1480円、締めて185590円の散財で御座いました。原資は某作家の書簡を売却して得た20万円だったのですが、うまく収まりました。
 私は古いBMWのオートバイに乗っていますので、二輪、四輪ともにボクサーになりました。ボロボロ、オンボロロン、ぼろぼろと、襤褸を着て走っております。でも、これで10年、20万キロまでは大丈夫、とりあえず安堵致しております。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月11日 00:08 | 固定ページリンク




LIVE KIDSスタッフ | 見に来てください!!!


突然のメールで失礼いたします。
私たちは京都市を中心に青少年の様々な支援活動をおこなっている(財)京都市ユースサービス協会で活動しているボランティアスタッフです。 昨年10月より『LIVE KIDS』というアマチュアを対象とした音楽とダンスのフェスティバルの企画・運営をしています。
今回、是非このフェスティバルへ多くの方にご来場いただければと思い,WEB上でのプロモーション活動として,突然ではありますがメール,掲示板等へご案内を差し上げています。
このフェスティバルは今年で14回目を迎え、2004年3月13日(土)17:30~20:00
(DANCE部門)、14日(日)13:00~18:00(MUSIC部門)の2日間にわたって、アマチュアバンド&ダンスイベントとして京都会館第2ホールで開催します。
入場無料ですので、御家族・御友人等もご一緒にお気軽にご来場ください。
皆さんのご来場をお待ちしています。

◆お問い合わせは・・・◆
(財)京都市ユースサービス協会「ライブキッズ運営事務局」  担当職員:小嶋・松野
●〒604-8147 京都市中京区東洞院六角下ル御射山町262
            京都市中京青少年活動センター内
        (水曜日を除く平日10:00~21:00/休・祝日10:00~18:00)
●TEL 075-213-3681 *FAX 075-231-1231
●E-MAIL    k.y.serv@kyoto.email.ne.jp
●URL    http://www.ys-kyoto.org
●携帯はこちら http://www.ys-kyoto.org/lk



投稿者: LIVE KIDSスタッフ    日時: 2004年03月11日 13:38 | 固定ページリンク




外山時男 | ノビル

 一考さま

 河川敷でひなたぼっこをなさるとのこと。ならばフナの洗いの付け合せにノビルはいかがでしょうか。そのまま味噌をつけて齧るかヌタにするか。
 田舎の黒土の畦道に生えてるのよりは小ぶりに決まってますが、荒川にもきっとあります。
 目黒の我が家の坂下に小さな鉄工場があって、そこによく古いBMWのサイドカーがとまっています。いつだったかはボクサーじゃないやつ(R26?)がおりました。奥から鉄を切ったり溶接したりする音が聞こえてきますが、あれは絶対本業の音ではなく、サイドカーのフレームをいじっている音だとつねづね勝手に想像し楽しんでおります。
 ノビルはソバの薬味としてもけっこうです。ちょっと晒せば蜜柑の皮のみじん切りなどとともに田舎ソバとはよく合います。
 いわゆる二八の江戸ソバには一種のイデア風のものがあるみたいで、その点不自由です。田舎ソバにはなんら縛りなし。
 つながろうがつながらなろうが関係ありません。たぐれなくても日向臭くても、たとえてんとう虫の羽根が混じっていてもOKの世界はなかなかチャーミングであります。
 ラ・ジョコンダの微笑みが江戸ソバなら、その背景の曲がりくねった川や橋が田舎ソバ。まあそんなデマ飛ばしながら商売してるってワケでござんす。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年03月17日 14:06 | 固定ページリンク




一考 | ほほえみ

 今回の横須賀さんへの文章について、佐々木幹郎さんから病名と亡くなられた日付は入れた方がよろしかろうと云われ、白血病であったことを書き加えました。そして昨夜、高遠弘美さんから「横須賀さんのほほえみ」は特筆大書すべきテーマであろうとの貴重な示唆を受けました。
 いろんなことを思い浮かべます。一昨年は横須賀さんとふたりしてよく笑い転げました。「駟馬も追うあたわず」を逆手にとって、取り返しのつかない箇所をたがいに穿っての咲笑い、嬉笑にも怒罵にも相感じる日々がつづきました。あるときは堪えかねてくっくっと、またあるときは輾然と、夜が明けるまで笑いさざめく声が途切れはしなかったのです。俳諧の軽みのようなきわやかな笑み、風が吹き通るさわやぎのような微笑みのなかに横須賀さんの意気の俊爽を私は見届けたのです。それこそが夢中にあっても決して放心することのなかった横須賀さんの詩精神そのものでした。
 ダイヤルを回す能動的かつ意識的な行為のなかに人生があるのではなく、回されたダイヤルが戻ってゆく緩慢な時差のなかにこそ、人のいとなみがある。これでよかったのだろうか、電話を掛けてよかったのだろうか、これからなにを相手に伝えるのだろうか、伝えるべきなにかがあるのだろうか、やはりやめておこうか。横須賀さんにとってほほえみは繰り返される人生の途中停車、「生きるってもどかしいものですね」との言葉こそが、戯けであり、飄逸であり、うつうつと最高を行く横須賀さんの表現でした。
 十二月に入ってからは「一週間ですぺらへ来なければ死んだと思ってください」との言葉が重ねられるようになりました。一瞬の沈黙を肴にウィスキーを呷りました。次に出てくる言葉を共有しようとして、互いの呼吸をはかり、脈拍を確かめ、からだを寄せ合い、見つめ合いました。精神の収縮を一緒にできないかと、じれったさのなかで酔いがにぶい悲鳴をあげます。鏡を前にしゃがみ込む憂い、言葉がうしなわれ、相似形のように時が凍てつくこともありました。

 あれから一年を経て、ですぺらのなかに、いまなお横須賀さんの存在を感じるのです。如月さんに撮っていただいた肖像写真を大事に飾っています。みなさん有難うございました。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月19日 00:57 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらモルト会17回

 3月27日(土)の夕7時から10時にかけて第17回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は4月24日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

ですぺらモルト会3月
 ポート・エレン('80 ゴードン&マクファイル)アイラ
@クラガンモア('89 ヴァン・ウィー)スペイサイド
 グレンリヴェット('75 イアン・マキロップ)スペイサイド
@ストラスアイラ('89 ダグラス・レイン)スペイサイド
 ノッカンドオ('87)※ スペイサイド
 グレングラッサ('74 ハート・ブラザーズ)ハイランド
@スペイサイド(8年)※ ハイランド
@フェッターケアン(12年)※ ハイランド
@ロイヤル・ブラックラ('94 ダグラス・マクギボン/カスク・ストレングス)ハイランド
@セント・マグデラン('80 ゴードン&マクファイル)ローランド

ですぺらモルト会4月
@スキャパ('89 シグナトリー)アイランズ 
 ブナハーブン('90 ダグラス・マクギボン)アイラ 
 キャパドニック('74 イアン・マクロード)スペイサイド
@グレンアラヒ('89 ケイデンヘッド)スペイサイド 
 グレン・マレイ('89 シグナトリー)スペイサイド
 コンヴァルモア('77 ケイデンヘッド)スペイサイド
@ストラスミル('88 ダグラス・レイン)スペイサイド
 グレンドロナック('88 ケイデンヘッド)ハイランド
 ディーンストーン(12年)※ ハイランド
@ティーニニック(10年 ユナイテッド・ディスティラーズ)※ハイランド

 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月19日 22:46 | 固定ページリンク




如月 | 人形についての複数の相補性


このところあちこちで人形展が続いていますが、先日、銀座の松屋で開かれてい
る「ドールファンタジア」展を見てきました。東京都現代美術館の「球体関節人
形展」と比較すると、表と裏、光と陰のような構成になっており、おもしろいで
すね。ただしこれはどちらがすぐれているかというようなことではなくて、どち
らも他方なしには存続できないような関係にあるということだと思います。つ
まり、ドールファンタジアの光は球体関節人形展の闇を呼び込み、球体関節人形
展の闇はドールファンタジアの光を希求するということです。
では人形展にはこの2つのコンセプトしかありえないかというと、パリのアル・
サン・ピエール美術館の展覧会はこうした相互依存の関係性から一歩抜け出した
ところで成立しており、示唆的ですね。

さて本日、最近の人形展を特集した2つの雑誌が同時に刊行されました。「月刊
美術」と「ドール・フォーラム・ジャパン」です。これがまた、さまざまな人形
展を異なる視点から相補的に再構成しており、一連の展覧会に興味のある方に
は、双方が必携でしょう。

実はかくいう如月も、世俗の名前で両方の雑誌にアル・サン・ピエール美術館の
展覧会のレポートを寄稿しており、ご用とお急ぎでない方は、大きめの書店や図
書館などでご確認ください。2つのレポート、ほぼ同じ字数でこれまた相補的に
書いたつもりではいるものの、その書き分けがうまくいっているかは、定かであ
りません。ご高評を乞うゆえんです。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月20日 12:53 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ほほえみ、拝読

一考様
先夜は余計なことをべらべらとたいへん失礼いたしました。
今回の「ほほえみ」の書き込み、拝読。私も一考さんの筆の力で、横須賀さんのあのほほゑみを眼前に思ひだし、不覚にも涙しました。これは取つておかれるべきお言葉でせう。ほほゑみについて、かくも的確に述べられたものを私はほとんど識りませんでした。感謝申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年03月21日 08:53 | 固定ページリンク




一考 | 島崎博さんのことなど

 内藤三津子さんと話していて思い出したのだが、島崎博さんが「幻影城」を拵えたのは内藤さんの協力の賜物であった。それまでは、島崎さんは文京区白山一丁目の吉本ビルで風林書房という大衆文学と雑誌専門の古書店を営んでいらした。後年、沖積社から「黒死舘殺人事件」の復刻版が出版されたが、あの原本は私の蔵書を譲りしもの、元を正せば島崎さんから購入した書冊であった。島崎さんは「幻影城」の編集人になる前に「麒麟」(1972年7月創刊)や「大衆文学論叢」(1974年10月創刊)で編輯の予行演習はしていたものの、本格的な雑誌の編輯は彼にとってもはじめての経験で、内藤さんが実務をかなり手伝った、いや、むしろ島崎さんを誑かして出版社を起こさせたと、これは島崎さんからお聞きした消息でもある。
 ところで、島崎さんとはじめてお会いしたのがいつだったのかは覚えていない。ただ、紹介者が日暮里の鶉屋書店の飯田さんであり、「麒麟」の創刊に立ち会っているので、おそらく1972年だと思われる。ちなみに、この年には島崎さんと三島瑤子との共編で「定本三島由紀夫書誌」が刊行されている。「幻影城」には断続的にコーベブックスおよび南柯書局の宣伝が掲げられているが、これは後日のはなしである。
 さて、ここで紹介したいのは八木昇さんが編輯した「麒麟」と島崎さんが編輯・発行人を務めた「大衆文学論叢」である。「麒麟」創刊号には「妄言(編集後記に代えて)」と題する一文が添えられている。いささか長くなるが、往事の愛書家の心意気が如実に著されているのでぜひお読みいただきたい、筆者は八木さんである。

 やっと『麒麟』第一号が出来上がりました。東京神田の古書店早出組の定連で、大衆文芸関係に興味をもっている拾人の強者(つわもの)? が、類は友を呼ぶのたとえ通り、いつの間にか知り合いとなり、自然に一つのグループが形成されました。
 名付けて「麒麟の会」――命名者は島崎博です。「みんな畸人(きじん)で唯我独尊、書物道では人にぬきんでていると自称し、麒麟(きりん)の如し、と思っているんだから、語呂も合うし面白いじゃないか」という、何だか妙な理由で提唱し、みんなの暗黙の了解のうちに決まったという次第です。
 「麒麟の会」は淵源を辿ると、遠藤憲昭と井上敬二郎の出合いから始まります。挿絵収集の遠藤と、時代小説収集の井上とは、昭和初年の剣戟映画に共通の話題が生じ、交際が開始、やがて少年物の秋山正美が加わり、別に共存していた探偵物の島崎博と大衆物一般の八木昇の二人が合流し、グループとしての形が出来てきました。そして島崎を介して胡堂物の種市登が加わり、遠藤を介して少年物の藤田清美が、八木を介して花柳物の中嶋光一が、それぞれ参加、春浪物の佐々木信敏、異色物の岩本史郎が加入するに及んで、今日の「麒麟の会」が誕生し親睦の機関誌『麒麟』が出来たわけです。
 この拾人は大衆文芸書収集の点ではエキスパートを自認し、それぞれ火花を散らす激戦を演じています。いささか呉越同舟の感なきにしもあらずの「麒麟の会」ですが、書物を追ってのこけぶりは一面天真爛漫、この世の太平楽でもあります。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月23日 00:56 | 固定ページリンク




一考 | ところで著作権は・・・

 moondialさんへ
 夥しい量のCDを恐縮です。あなたの家でお聴きしたなかで、私が訊ねたのがバッハの「ヴァイオリンソナタとパルティータ」だけだったとはお寒いかぎりですね。実はむかし、田村隆一さんが身を震わせて聴いていらした、それがフランス組曲だったかブランデンブルグ協奏曲だったかは忘れてしまったのですが、首を振りふり、髪の毛を掻きむしり、全身をわななかせ、涙を流し、洟をすすりあげ、最後には失神状態にまで立ち至る、とにかくあまりもの迫力に度肝を抜かれてしまったのです。その後には相澤啓三さんがいらっしゃいます。名は控えるように云われていますので書けませんが三ヶ日のクラシックマニアとも深いお付き合いをさせていただきました。それやこれやで、いつかしら私は音楽のはなしは避けるようになったのです。かなわないことは教わるのが一番、私のような半可通がお付き合いできるのは自転車か金魚か製本技術、もしくは古本か酒のはなしぐらいなものですよ。ですぺらにあっても、写真、映画、音楽、芝居、舞踊のはなしは聞こえないふりをしています。
 短い人生でかかわりを持てる対象はごく限られます。恋愛同様、なにかを選ぶのは他を蔑ろにすることであって、そこには偶然性への寄り掛かり、言い換えれば強い差別意識が働きます。その意識についてはここでは書きませんが、区分けを無意識に繰り返してしまう自らの至らなさ、かたわな部分、ゆがめられた領域に興味を抱くのです。だって、私は五人もの女性に逃げられたのですから、その理由は知りたくもありませんが、私の悪意ぐらいはもう少し自分自身が知っていてもいいのではないかと思うのです。ルーツとかアイデンティティという言葉が嫌いですが、その理由は相互依存の先にある偏見や先入観の中にしか個はないと思うからです。

 今回ご送付に預かりし膨大なCD、その選択眼と賭けられし元手、すなわちあなたの歪な趣味、邪な精神をうかがい識ることが、私にとって最高の快楽であり、明日を生きる糧そのものになるのです。心して聴かせていただきます。どうもありがとうございました。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月23日 03:25 | 固定ページリンク




一考 | アナロジー

 高遠弘美さんへ
 お読みいただき感謝、身に余るお言葉に満腔から謝意を表したく思います。
 横須賀さんの追悼文を書きはじめてから、いよよ美文調なるものから遠ざかってゆくような気がするのです。思いをいかに著すかではなく、いかなる文章が思いをすなわち呼吸をたくすに相応しいのか。著されたものはそれなりの論理的整合性を持つのですが、ひとの思いには整合性がありません。行ったり来たりの繰り返しで、思いはゆがみ、よどみ、微睡みます。そのたわみ、ねじれ、とどこおりのようなものを、なんとかして原型を保ったまま言いあらわせないかと。これは既に修辞の問題ではなく、おそらくメタファーやアナロジーの問題だと思われます。先夜、お話し致しました言葉の輝き、そのかがやきがアナロジーそのものかと、かかる宵を過ごせましたことに深謝。
 先日、宇野邦一さんから「ジャン・ジュネ」(以文社)が届けられました。巻頭の「エクリチュールと内在平面」には「確かにそれは〈書くこと〉にかかわるのだが、書かれた言葉の間にさらにもぐり込み、記録や伝達や指示や意味や表象に半身をひたしながら、そこから逸脱する気配や振動のほうにもう半身をひたしている。エクリチュールという言葉は、同時にエクリチュールが意味するすべてのものの影や分身さえも意味する」と著されています。
 さまざまな意味を持ち、しかもいずれにも帰着しない定義しがたいもの。プルーストのエクリチュールについておはなしを伺えるのはあなたを除いて他にはいないのです。今後ともどうかよろしくお願いいたします。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月23日 03:35 | 固定ページリンク




ユリーカ | Give me a Que


私達は、ゲーム盤上を磁石で這い回る駒のように、追いつ、追われつ
しながら、欲望が完遂してしまう事=ゲーム・セット!の回避に毎日
を賭ける生身の人形です。

そして、宇宙が「こうである」と考えられている以上に「そうである」
ように、そこに絶対神が存在しないように、この場所には勝者も敗者
も居ません。

もし、許されるものならば、虚ろなままに忘れがちな、夢幻の煌めき
に似た戯れの瞬間だけが、私達の唯一の行動原理であらんことを。

蛇足ながら見誤って欲しくないのは、私のコトバに賢しらな「意味」
はありません。かと言って、コトバ遊びでもありません。
ただ、「イメージ」は躊躇いません。

「アレ」は元もと何でもなかった筈なのに、「ソレ」と指し示された
途端、彼等の内面で瓦解し変容してしまいます。
だからこそ「このまま」から「そのまま」への緩やかな移行は、困難
を極める永遠の無感動状態=常態快楽=涅槃かも知れませんネ。

「あれ」とは、決して曖昧なものではありません。
寧ろ「あれ」への変調運動こそが唯一の現実生活なのです。
そして、「あれ」から「それ」が現前する瞬間こそが、「曖昧さを嫌う
天使」の出番です。お解りですね?

………ACTION QUE!!



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年03月23日 17:09 | 固定ページリンク




mirror | 「三宅流映像個展」のお知らせ

(はじめまして。失礼致します、お知らせさせて頂きます。)


この度3月27日~4月2日の1週間、「三宅流映像個展」がアップリンクファクトリーにて開催されます。新作「白日」をメインとしたプログラムが組まれ、トークやパフォーマンス等の関連イベントも予定しております。詳細はアップリンクのホームページを見て頂くか、直接お問い合わせ下さい。
アップリンクファクトリー;http://www.uplink.co.jp/ 〒150-0041東京都渋谷区神南1-8-17横山ビル5F
TEL: 03-5489-0750 FAX: 03-5489-0754

3月27日から4月2日までアップリンク・ファクトリーにて公開する『白日』は、フランスの現代思想家/小説家のモーリス・ブランショの散文小説『白日の狂気』に衝撃を受けた作家三宅流がブランショの思想を受け継ぐ形で作り上げた作品です。27分間の完全なる沈黙劇のこの作品は映像そのものの持つ力、言語化され得ない映像特有の表現を意識の深淵において感じる事の出来る作品です。
タルコフスキー、ソクーロフと言った映像作家、埴谷雄高、ブランショ、等の思想家、文筆家に三宅は影響を受けたと話しますが、彼の映像における表現はそのような至高者たちに匹敵すると言っても過言ではないでしょう。

主なイベントスケジュール (いずれも19:45~の上映回後)
3/27(土)対談
ゲスト:石田尚志 (映像作家)
※石田尚志監督作品参考上映有り
3/28(日)対談+朗読
ゲスト:石田瑞穂 (詩人)、高貝弘也 (詩人)、生野毅 (評論家/俳人) ほか
3/31(水)能舞「白日の印象」
津村禮次郎 (観世流能楽師) ×猿山修 (音楽)
4/2 (金)演劇「フィルム」
安藤朋子 (出演)×藤田康城 (演出)×猿山修 (音楽)
※対談は両日とも三宅流監督参加



投稿者: mirror    日時: 2004年03月25日 00:39 | 固定ページリンク




如月 | ベルメール・コンフェランスのご案内

国内のいろいろな人形展が閉幕したのを機に、現在の日本での<ベルメール現 象>とは別に、原点に戻ってベルメールとはどういうアーチストなのかを語り合 うベルメール・コンフェランス(ベルメールを語る会)を開催します。 コンフェランスといっても、実質的には、とりあえずベルメール研究者が一堂に 会して、親睦を深めながら互いの研究情報等をざっくばらんに交換しあう呑み会 になる予定で、3月30日(火)午後7時、despera集合です。 会費は1人¥3,000~¥4,000程度を予定しています。 ベルメールについて真剣に語りたい、考えたいという方はどなたでも参加できま すが、人数把握のため、事前にメール等で如月またはdesperaまでご連絡いただ ければ幸いです。 主な参加予定者は、宮川尚理さん(慶應大学助教授)、Blaue Katzeさん(「ハ ンス・ベルメール:日本への紹介と影響」サイト↓運営者)など。 http://bluecat.web.infoseek.co.jp/bellmer/index.html また、四谷シモンも少し顔を出す予定です。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月26日 10:24 | 固定ページリンク




如月 | パリ「人形」展のレポート仏語版

「ドール・フォーラム・ジャパン」40号掲載のアル・サン・ピエール美術館の「人形」展レポートの仏訳ページを↓に新設しました。 http://www.simon-yotsuya.net/information/sp-poupee-dfj.htm また同じく、「月刊美術」4月号(特集:人形を愛でる)掲載のアル・サン・ピエール美術館「人形」展レポート仏訳ページを↓に新設しました。 http://www.simon-yotsuya.net/information/sp-poupee-ram.htm 本来であれば、どちらも日本語でお読み頂きたいところですが、版権の問題もありますので、仏訳でご紹介させていただくようになったこと、ご了解ください。 ちなみに、ガリマール社のサイトのなかにカタログ紹介ページ(こちらもフランス語)ができましたので、カタログをビジュアル的に知りたい方はこちらへどうぞ↓。 http://www.gallimard.fr/catalog/html/event/index/index_poupees.html カタログは、アマゾンや大手書店をとおしてどなたでも取り寄せることが可能です。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月26日 13:44 | 固定ページリンク




moondial | 次は湯葉豆腐でも送りましょう

 田村隆一さんが失神されるほど感動されたと云う事なら、多分バッハなら「マタイ受難曲」あたりでしょう、或いは特別に思い入れ深い曲でもあったのでしょうかね。相澤啓三さんのオペラに関するご本は随分と以前から是非読んでみたいとは思っておりましたが、老眼で無理をして活字を追うのは相当疲れるものですから未だに果たせずにおります。クラシックは如月さんもお詳しいそうですね、公道でいきなりオペラ・アリアを唄われるとか...、しかも夜の女王のアリアまで...、唄えるものなら私も試みたいものですね。そちらでは、周りには芸達者な方が多いので日々実に楽しい事でしょうね。

 私の「選択眼と賭けられし元手」にはそんな大層な趣味や精神は存しておりませんよ。「歪な趣味、邪な精神」は失礼ながら一考さんのが格別に面白いので、自己分析されてそれらをこちらで表現される方が遥かに有益かと存じますよ。

 素敵な新車で叉神戸にも遊びに帰ってきてくださいね。



投稿者: moondial    日時: 2004年03月26日 19:03 | 固定ページリンク




如月 | マブリもモーツァルトも18世紀


マブリ「市民の権利・義務について」(第三の手紙・その2)を以下↓にアップ
致しました。
http://www.furugosho.com/vertige/kenri-gimu3b.htm
この部分では、ぱら戦争以降のイギリスの内乱や革命、オランダ独立戦争などを
例に、対外戦争と国内戦争(=革命・内乱・叛乱)が比較され、暴政に抵抗して
引き起こされる内戦はけして悪ではないと、かなり過激な原理が主張されます。
18世紀当時、これらの戦争がどのように見られ、評価されていたかを考えるう
えでも興味深いと思います。また1789年にこの著作が出版されたとき、フラ
ンス人がどんな思いでこれを読んだかなどを合わせて考えると、とてもおもしろ
いですね♪
マブリの政治的主張は、基本的に歴史学に裏打ちされているのですが、これを弟
のコンディヤック(1714年-80年)の思想と対比しながら考えることも可
能だと思います。
この兄弟は二人ともすごいと思いますが、マブリは歴史・政治・法律、コンディ
ヤックは認識論・論理学・言語学と互いの研究分野が重ならないようにうまく棲
み分けているのですね。ですから、マブリに不足していることをコンディヤック
で補うことができます。

さて、第三の手紙をアップしてから、天気がいいので、ヴェランダの鉢植えを少
し手入れしました。それで鉢が増えましたので、春咲きグラジオラス(アヤメ
科、南アフリカ原産)、トリトニア(アヤメ科、南アフリカ原産)、ユーコニア
(ヒガンバナ科、南米原産)、黄金オニユリ(ユリ科、日本原産)、舞鶴草(ユ
リ科、日本原産)などをもって明石町へ。そこで、いつもCDをコピーしてくだ
さるということで、moondialさんのお話しも少しでましたよ♪
ちなみに最近の私は夜の女王のアリアはあまり歌いません。さすがにあの超高音
がきついですね。フィオルディリージやドンナ・エルヴィーラに甘んじておりま
す(笑)。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月28日 22:19 | 固定ページリンク




moondial | 風変わりなオペラ?

如月さんへ

 どちらにしてもソプラノ、よくそんな声が出ますね...。如月さんがドンナ・エルヴィラを唄われるのなら、ジョバンニも真っ青、実生活で五千人切りの実績を誇る一考さんにドン・ジョバンニを唄ってもらい、その来歴をほぼ熟知している私はレポレロのカタログアリアでも唄いましょうか。一考さんのバリトンはピンツァも色褪せるほど魅力的ですからね~。加えて、薫子さんにはドンナ・アンナを、明石町の御方にはツェルリーナをお願い致しましょう。これを「ですぺら」でやると、まず客は入ってこれないでしょうね。



投稿者: moondial    日時: 2004年03月29日 11:11 | 固定ページリンク




ユリーカ | ヴァリアント


コトバは 足りないほどに充分だ
インフォーメーションの具では決してない
コミュニカシオンの一要素に過ぎない
誤解を生み出すアナロジーであり 
立ち消えとなるメタファーだ
古人曰く「仏に逢ったら仏を殺せ」
現前するモノを破壊せよ

世界は 合わせ鏡の幕劇(コメディ)だ
自己や事象を同定、限定しないことだ
何も目指さないことだ
目的を持たせる輩は企ての商売人だ
自分や世界に対して銭勘定してもはじまらんぞ

芸術は 変幻、往還自在の宇宙遊戯だ 
勝者のいない終わり無きレースに賭けるのだ
価値や権威すらも一切認め得ない地点を超えて 
それがこのレースだ

真実は ありふれた点と線だ
それらを結ぶダウジングだ
目覚めるように眠ればいい
瞬間の中に見失えばいい
期待と共に忘れてしまえばいい



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年03月30日 02:14 | 固定ページリンク




薫子 | 須永朝彦さんよりお知らせ

 4月3日(土)6時半より、「ですぺら」にて須永さんが、カルチャーセンターの講座に参加された方々と打ち上げ会を催されます。会費は3500円。どなたさまでもお気軽にお越しくださいとのことです。妙齢の美しいお嬢様方がいらっしゃる予定。でも須永さんの講座の生徒さんですから、話題は濃~いかも・・・。



投稿者: 薫子    日時: 2004年03月30日 04:15 | 固定ページリンク




如月 | 歴史のなかのif


昨晩は、最後に秋山祐徳太子さんの飛び入り参加などもあり、盛会のうちに、楽
しくベルメール・コンフェランスを終えることができました。
酔っ払っていたために、みなさんの発言はあまり覚えておりませんが、最後に宮
川尚理さんがおっしゃった「もしベルメールが原宿にエコール・ド・ベルメール
を開いていたとしても、生徒は誰も集まらなかっただろうね」というのが、全体
の結論でしょうか(笑)。



投稿者: 如月    日時: 2004年03月31日 09:43 | 固定ページリンク




薫子 | ぎや~~!

 昨日の夕方、店に入る時にふと見ると・・・。なんとビルの一階の牛丼(豚丼)の吉野屋さんが閉店しているではないですか!ぎゃ~~!なんということでしょう。前日まで普通に営業していて、閉店します、なんてお知らせもなかった。「ですぺら」は「赤坂一ツ木通り中程、一階は牛丼の吉野屋のあるビルです」というのが、店の場所を説明するのに便利で、名刺にまで刷っているのに。おまけについ最近、名刺を大量に追い刷りしたところなのに・・・。どうしてくれるの、あの名刺。
 米国BSE問題で牛肉の仕入れ値が高騰しただけでなく、さらに追い打ちが。一考はアメリカ大使館の前で立ちションしてやると息巻いております。
 ますます落ち込む赤坂。ですぺらの閑古鳥駆逐のためにも、是非お寄り下さいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2004年04月04日 04:15 | 固定ページリンク




りき | なんてこったい!!

>薫子さん
吉野家なくなってしまったのですか!?
お店の場所が、説明しにくいですね。これから。
しかし、赤坂のさびれ具合も半端じゃないですね。
ですぺらの近くの本屋もなくなってしまったし。

どうなることやら。



投稿者: りき    日時: 2004年04月07日 00:00 | 固定ページリンク




マルドロール | オークション

<突発的オークション>のお知らせ。

 本日より今月末までのオークションを2点アップしました。
 苦渋(あるいは身に余る)の仕入?に付、当方ではめったに出ない
 2点ではあります。

1 虚無への供物  塔晶夫 帯付初版  昭和39年 最低入札額48,000

2 山師カリオストロの大冒険 限定30部 昭和53年  〃   10万
    種村季弘毛筆署名入 函入私家版

 詳しくは、古書肆マルドロール<新入荷>をご覧下さい。
 ふるってご参加を、というには高額ですがよろしくお願い申し上げます。


薫子さんへ
 先月末に通ったとき、吉野家に客一人でした。それにしても早い幕切れ
 でしたね。悔しさをバネ?にして頑張ってくださいませ。



投稿者: マルドロール    日時: 2004年04月07日 14:15 | 固定ページリンク




石橋 | ご無沙汰です(^_^)

横浜の石橋です

ご無沙汰してしまいました。

http://yokohama-noh.com/

近々、あります、時間あれば是非(^_^)

こちらをごらんの皆様でも、上記サイトで
能のネタ募集をしてます(^_^;

一孝さんも何かいいのあれば、是非是非!



投稿者: 石橋    日時: 2004年04月22日 06:20 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらにて

4月26日が通り過ぎて行きました。愛するですぺらの友の喪があけたらしいのですが、気は重うございます。佶屈としてしかも不羈、ただただ瑰麗としかいいようのない種類の孤独と触れ合えたことに不思議を感じます。この世には理解を拒み続けるがゆえに美しさを咲かせるような魂も存在するのです。にっと哄ってあの痛々しいまでの傲慢さを容認するしか為す術はないのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2004年04月27日 00:31 | 固定ページリンク




松友 | マリアの心臓開館記念展【幼きマリア様】と他

流れに沿わない内容を暫し御容赦御願い申し上げます。
御無沙汰しております、松友です。

表題、御徒町の地下から渋谷へと替わり、あの空間が還ってまいりました。
以下、案内メールより一部抜粋加筆変更。

日時:4月29日~5月9日、12:00~20:00
場所:渋谷区神南1-20-9・B1「マリアの心臓」
   渋谷公園通り山手教会道向かい。
料金:¥1,000.-(1ドリンク付)
内容:アンティーク人形をはじめ恋月姫、中里絵魯洲、
   木村龍らの作品を展示。

そしてもう一つ。
コアな作品をかける東京・杉並の「ラピュタ阿佐ヶ谷」で
「田園に死す」が上映されます。
日時:5月22日~5月28日、21:00~のレイトショー上映
場所:東京・中央線阿佐ヶ谷駅北口「ラピュタ阿佐ヶ谷」
   渋谷公園通り山手教会道向かい。
料金:一般¥1,200.-。他前売り、年齢別割引有。

以上、勝手に御連絡でした。



投稿者: 松友    日時: 2004年04月28日 23:13 | 固定ページリンク




松友 | 義躰少女 ~三浦悦子作品展~

表題、先の投稿の続きとなりますが、以下、フライアーより一部抜粋加筆変更。

日時:5月22日~5月30日、12:00~20:00
場所:渋谷区神南1-20-9・B1「マリアの心臓」
   渋谷公園通り山手教会道向かい。
料金:¥1,000.-(1ドリンク付)
付記:今週末までにはフライアーをdesperaさんにお持ちしたいと考えております。
   又、拙メは関係者では御座いません、一応念の為。

以上、勝手にご連絡でした。



投稿者: 松友    日時: 2004年05月04日 19:16 | 固定ページリンク




薫子 | 綺想の映画館

種村季弘氏セレクトの映画上映会が神田のアテネフランセ文化センターにて催されます。

2004年5月18日(火)~5月22日(土) 5日間
上映予定の作品は
「東海道四谷怪談」「木乃伊の恋」「吸血鬼ノスフェラトゥ」「魔女」「小人の饗宴」「荒野のダッチワイフ」「血を吸うカメラ」「アリス」「赤ちょうちん」「陽炎座」
そして特別上映「KINTOKI」 種村さん主演?のレア物です。

料金は1200円/アテネフランセ文化センター会員800円
アテネフランセ文化センター
東京都千代田区神田駿河台2-11 アテネフランセ4F
電話 03-3291-4339

詳しいプログラム等は下記アドレスにてご確認下さい。
http://www.athenee.net/culturalcenter/



投稿者: 薫子    日時: 2004年05月09日 14:35 | 固定ページリンク




一考 | オポッサム

 オポッサムと豆


 頭蓋骨の中で からからと鳴るのは豆粒
 オポッサムは二十五個 スカンクは三十五個
 アライグマは百五十個 アカギツネは百九十八個
 コヨーテは三百二十五個 オオカミは四百三十八個

 北アメリカの雪の原野で
 シートンは言う
 オポッサムは救いがたい

 小さな豆が二十五個しか入らない頭蓋骨なんて
 何を考えているのか
 森の中で出会うと 突然眼を閉じて
 眠り出す 何時間でも 死んだふりをする

 狩猟で暮らした祖先たちにとって
 闘うことを知らない獣は はじめてだった
 眠ることが闘いだなんて

 ケンタッキーの冬
 叔母さんの家のかまどの横で寝ていた
 オポッサム一頭
 頭をもたげて 雪降る野に出た

 七日後
 夜の台所の扉をひっかいて
 十頭のオポッサムが戻ってきた

 叔母さんは考える
 暖かさについて
 仲間に伝えることができる言葉について
 オポッサムはオポッサム語で

 かまどの横で寝続ける十頭
 頭蓋骨の大きさに何の意味がある
 豆が何個入るかなんて


 「現代詩手帖」二〇〇二年一月号へ掲げられた佐々木幹郎さんの詩の無断掲載です。横書きの詩は一切読まないと公言してはばからない、そのご当人の詩を横組みで掲げるのですから、叱責を受けるのは覚悟のうえ。無謀を承知で敢えて掲げたのは他でもない。一読、感嘆を久しうしたからである。この詩を読んで佐々木幹郎さんの才能に目を見張らないものに詩を語る資格はない。吉岡実さんの「僧侶」を想わせる寓意詩であり、花田清輝の「泥棒論語」や「鳥獣戯話」を彷彿させる。現代詩のひとつの到達点、謂わば「婉曲」の極致を示唆してあまりある傑作だということを特筆大書しておきたい。

 文中「死んだふりをする」と著されているので、対象になったオポッサムはキタオポッサム。アメリカ合衆国からアルゼンチンに分布するドブネズミに似た有袋類。水辺の森林を好み、尾をたくみに枝に巻きつけ高いところへ登りたがる。夜ともなると腹を空かしてちまたを徘徊、果実、小鳥、卵など口にはいるものは手当たり次第。ひどい空腹は強度のヒステリーをもたらし、ときにニワトリを襲いもする。体は白から灰色だが、特に腹の黒い奴が高級官吏をつとめる。きっと九頭の仲間を連れ帰ったオポッサムは墨田区長なみの太っ腹かつ親分肌のオポッサムと思われる。
 コモリネズミ、フクロネズミとの別名を持つが、これもお得意の韜晦がなせる業。子守の名称を冠せられたのは荒淫の結果であって、実は腟と子宮をふたつずつ併せ持つ名うての色魔。真獣亜綱と異なり、大脳半球を結ぶ神経路の脳梁がないため、性欲が満たされないときには癇癪を起こす。この脳梁の切断を誤解したのがフロイト。ヒステリーの治療法に脳梁の切断を選んだとき、彼の頭にあったのは英語の「play opossum」であって、意は「死んだ、眠った、忘れたふりをする」である。一方、アメリカ‐インディアン語の「オポッサム」には「癇声を発するネズミ」すなわち「こけおどしのあかんたれ」の意が含まれている。さすがのフロイト大先生もネイティブ・アメリカンにまでは思いが至らなかったようである。
 ベネズエラからアルゼンチンに生息するミナミオポッサムとのあらがいは南北朝の闘いにも似て、アメリカ両大陸を股にかけての歴史上でも前例のない動乱の世紀であった。などと書き出すとはなしは長くなる。次回は、頭蓋骨の中でからからと鳴る二十五個の豆粒の註釈を試みたいと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2004年05月18日 00:31 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 同感です、一考様

一考さんが引いておられる佐々木氏の詩、わたしも素晴らしいと思ひます。久しぶりにいい詩を読んだといふ感じがしてゐます。オボッサムと豆といふとりあはせが何ともいへません。もともと現代詩にはくらい私ですが、こんな現代詩があるのだと驚き、かつ感嘆を久しうした次第です。一考さんと私の詩の好みは存外似てゐるのでせうか。それはそれですこぶる嬉しいことですけれど、今回は佐々木幹郎といふ、昔から活躍してゐる詩人がひときは優れた詩人であるといふことを再確認できたことだけでも、一考さんにお礼を申し上げたく思ひます。これは決して追従のたぐひではありません。天野忠にも通じるこの詩の世界は、私の愛してやまぬものです。先だつて佐々木氏は、ですぺらでお見かけしましたが、生来人見知りする私ゆゑ、ご挨拶もいたしませんでした。そのことを今更に悔やんでをります。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年05月19日 01:18 | 固定ページリンク




一考 | ワインディスカバリー

 イギリスで出版されているテイスティング用の解説書がわが邦でも売られています。「ワインディスカバリー」がそれで、セット内容は香りの素(40種類)、ガイドブック(英語版及び日本語要約版)、ワイン用テイスティングシート50枚です。
 ワインの香りを構成する40種類のアロマがそれぞれ小さいプラスチック容器に収められ、その香りをもとにテイスティングをしていくと、ワインの品種、産地、熟成度等がわかってしまう優れものです。
 もともとワインの勉強をする方のために開発された商品ですが、モルト・ウィスキーやコニャックの香りを構成するアロマも多数含まれていますので、広い意味での「お酒」の香りを表現なさる方にもご利用いただけます。価格は1万円ちょいですが、いかがなものかしら。
 ついでに、その40種類とやらの紹介です。果てがなくなるので註釈は付けません。それにしても、これだけで酒の香りが片付けられた日にはたまったものではありません。もともと私はソムリエとかテイスティングシートとかいうものをまったく信用していないものですから、あくまでご参考に。


☆花の香り
1 すいかずら
2 ローズ
3 すみれ

☆動物系の香り
4 琥珀
5 猫のおしっこ
6 皮革

☆植物系の香り
7 松
8 トリュフ
9 干草
10 タバコ
11 マッシュルーム

☆濃厚な香り
12 バター
13 ヘーゼルナッツ
14 蜂蜜
15 キャラメル
16 紅茶
17 チョコレート

☆香料系
18 ペッパー
19 甘草
20 シナモン
21 バニラ

☆人工の香り
22 フルーツ飴

☆果物の香り
23 グレープフルーツ
24 バナナ
25 カシス
26 アプリコット
27 ピーチ
28 ライチ
29 ラズベリー
30 レモン
31 アップル
32 マルメロ(ナシ科の果樹)
33 ストロベリー
34 プルーン
35 イチジク

☆ワインには相応しくないとされる香り
36 硫黄
37 コルク
38 カビ
39 ピーマン(ししとう)
40 洗剤



投稿者: 一考    日時: 2004年05月19日 19:39 | 固定ページリンク




一考 | 堀口大学について

 高遠さんへ
 昨夜はありがとうございました。結局、間村さんと夜明けまで飲みました。菊地さんがあんなに遅くまで飲まれたのもめずらしく、装丁の大御所の揃い踏みとなりました。

 詩の要諦について貴方の貴重なご意見をうかがえたことに感謝。ありがたく思っております。かねてより、堀口大学の訳詩における文体の妙味にはこころ惹かれるものがあります。対象に即してあそこまで文体を遣いわける柔軟な姿勢におどろかされるのです。上田敏などにはじまる日本の近代詩は朗誦に重きを置いてきました。蒲原有明、薄田泣菫、伊良子清白、北原白秋、萩原朔太郎、日夏耿之介等々、訳詩だと山内義雄、村上菊一郎、齋藤磯雄と、これまた枚挙に遑がございません。
 日夏耿之介の例を持ち出すのが手っ取り早いと思われるのですが、日夏の詩は朗誦には打ってつけなのですが、あの固着した佶屈な文体でいろんなものを翻訳されると読み手は困惑するばかりです。翻訳という点を考慮するにせよ、さまざまな個性を持つ作家達の詩を同一かつ同質の日本語に置き換える、その無謀と云いますか、思慮のなさに呆れ返るのです。その点、堀口大学には矢野目源一を想起させる歌舞音曲の響影からプルーストを意識したであろうポール・モーランの訳に至るまで、おびただしい文体への配慮と(こだわり)の選択がなされています。そこには私の好きな婉曲への嗜好があるのです。迷い、逡巡、屈折、立ち徘徊る、どう言い換えてもよろしいのですが、堀口大学の「伸縮自在な発想」の核には「暫定」というべきものへの偏愛がごろんと横たわっていたのではないか。それを私は思想と呼びたいのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年05月19日 21:28 | 固定ページリンク




一考 | カラオケ

 moondialさんへ
 カラオケボックスなるところへ郁乎さんに連れられてはじめて行きました。酔っ払って飲み屋で唄うのはよくあることですが、カラオケという中途半端な風俗が嫌で、なんとなく避けてきたのです。(物議をかもすので3行略)でも、一度行ってしまえば何度行っても同じです。先週も芳賀さんやなべさんの菜穂ちゃん共々あさぼらけの新宿を徘徊、行き着く果てはカラオケ屋でございました。菜穂ちゃんはピアノの弾き語りが達者なひとで、福島では私も四十数年ぶりにピアノを弾く真似をさせられました。指が動かず連弾とはいかなかったのが残念ですが。
 昔、神戸の行きつけの店は私の好きな織井茂子の曲をたくさん用意していたのですが、カラオケにはほんの五、六曲しか収められていないのですね。戦時下の和製シャンソンがまったく含まれておらず、悔しいおもいをさせられました。それにしても、カラオケボックスは狭いところですね。声が響いてしまうので、菜穂ちゃんも私もマイクなしで唄いました。
 ご託を並べたのは他でもない。ジャズに飽きたのでタンゴとファドのCDを送っていただけませんか。あなたから頂戴したティノ・ロッシがあまりによかったのです。オペラでいうカウンターテナーですが、あの哀歓には魅せられました。老後はセンチメンタル一色でゆこうかと思っております。
 母の痴呆は日を追ってひどくなっているようです。そちらに詳しいヒデキさんからいろんな知識を教わったのですが、やはり姉まかせ、姉からはきつい叱責を受けました。否応なしに神戸へ帰らねばならないようですが、このままだと私自身運転中に突然ボケるかもしれないほど、追い詰められています。



投稿者: 一考    日時: 2004年05月19日 21:46 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さんに再び

すぐにメールの返事をするのを「ピンポンメール」と言ひ、避けるべきものと伺ひ及んでおりますが、一考さんのお言葉に、俳諧風にいへば何かまた「附け」たくなりました。またぞろ下らぬことを記すのをお許しください。
一考さんの言はれること、実は私も感じてをりました。原文で読めばいつそ簡単なのに、あるいは俗語や日常語と地続きといふことが尠くないのに、日本語の訳文だけ妙に威儀を正して裃を着てゐるごときものが貴しとされてゐた時代がたしかにありました。しかし、堀口大学の翻訳は、まさしく一考さんの仰せのとほり、融通無碍で、いつまでも手許において飽きることがありません。先日『月下の一群』の三つの版を揃へたのもさういふ思ひからでした。ただ、不思議なもので、これは私の狭量のせゐでせうが、エッセイであれば、堀口大学より日夏、日夏よりはるかに泣菫の方が飽きが来ません。堀口大学は翻訳とエロチック詩があれば私としては言ふことはありません。括弧をつけて補足しておきますと、泣菫『白羊宮』の「わが故郷は日の光蝉の小河にうはぬるみ」で始まり、「かなたへ君といざかへらまし」のルフランを持つ「望郷の歌」は「朗誦に重きを置いた」ものですが、それにしても舌で転がすだけで何と気持ちのよい詩だらうと思ひます。「ああ大和にしあらましかば、/いま神無月」も同様に心地よい朗誦向きの詩ですね。日本の詩人の話を始めるとそれこそ際限がないので、ここにて筆をとどめますが、もうひとつだけ括弧に入れて附けくはへます。それは浄瑠璃の言葉のみごとさです。といふより、すぐれた大夫の語る義太夫は凡百の詩など吹き飛んでしまふほどこちらの魂に訴へかけてくると申した方がいいでせうか。現今では竹本住大夫師のみ。すでに鬼籍に入られた方では、越路大夫、山城少掾、四世津大夫など。とくに住大夫師と越路大夫(こちらはCD)は聴けば聴くほど、至高の境地にあるやうに私には思はれてなりません。住大夫師が何年後かに引退なさったら、あとに一体誰が続くのか、まつたく見えない現状をまともに考へるのが恐ろしくて、ひたすら住大夫師の公演を追ひかけ、越路大夫さんのCDを聴いてゐるといふのが偽らざるところです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年05月20日 18:25 | 固定ページリンク




moondial | タンゴ!

一考さんへ

 御母堂の病気、嘸かしご心配でしょうね。私にも経験がありますから貴兄のご苦労は良く分かります、お察し申し上げます。しかし、私の経験からすれば、案ずるより産むが易しですよ。出来ないからと後回しにすると、そのツケは倍にも三倍にもなって返ってきます。一度などは包丁を振り回された事もありましたが、貴兄も早急に出来得る限りの事をしてさしあげれば、事は意外と簡単に解決しますよ。微力ですが、何か私にお手伝い出来る事があれば遠慮なく仰ってくださいね。

 なんと、カラオケボックスですか...私は遠慮させていただきますが、ミル嬢は仲間が増えたと喜んでおりますよ。 しかし、一考さんが弾かれるピアノ曲って、多くの女性を失神させたアントン・ルービンシュタイン作?とも言われている、あの超有名曲なのでしょうかね。貴兄がピアノを弾かれるとは知りませんでしたねえ。それに、「老後はセンチメンタル一色」って、何を今更、貴兄は若い頃からセンチメンタル一色でしたよ。

 「タンゴとファド」をご所望とのこと、「タンゴ」は今将に明石町のお偉い先生から個人授業を受け賜っているので(お仕事の邪魔ばかりして申し訳なく、貴兄からも御礼の程を宜しくお伝えくださいね)、センチメンタルで素敵なのが目白押し、しかもほぼ毎週の様にストックも増え続けておりますから、特にセンチな目白を選んでお送りいたしましょう。

注:超有名曲=「猫踏んじゃった」



投稿者: moondial    日時: 2004年05月22日 13:20 | 固定ページリンク




真帆 | 学生妻なんて・・・

私、まだ学生なんだけど結婚してるんです。勢いとノリで(笑)結婚しちゃって最初のうちは良かったんだけど ・・・やっぱりまだまだ遊びたいなぁって。 だから旦那がいないときにこっそり会ってくれる人募集します! もちろんエッチもアリで(照)心も体も満たせる秘密の関係になれたら嬉しいです(*^_^*)



投稿者: 真帆    日時: 2004年05月22日 13:29 | 固定ページリンク




し~ちゃん | お久しぶりです~


川上史津子です~ 来週イベントが2つあります!
平日ですが是非ゼヒ遊びにいらして下さい♪

*5月25日(火)@横浜山下町CLUB LIZARDでの
 クラブイベントに参加します 出番は深夜1時頃を予定
 http://www.fad-music.com/club_lizard/index.html

*5月26日(水)「新世紀トンデモ短歌会2」
 @新宿ロフトプラスワン(新宿区歌舞伎町1-14-7林ビル
 B2 03-3205-6864)開場18:30開演19:30  
 唐沢俊一プロデュース 出演:笹公人・川上史津子 
 皆様からの短歌を募集しています 優秀作には賞品も!
 詳細はロフトHPにて 
 http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

*ニッポン放送のインターネットラジオ
『ブロードバンドニッポン』に出演致しました 
 連載中の携帯小説『恋する放課後♪』の朗読&トーク
 「エロ短歌」創作の秘密を語ってます 30分弱のOA  
 宜しかったらお付き合いくださいませ~   
 http://www.lfx.jp/ondemand/a_300.php?cid=29



投稿者: し~ちゃん    日時: 2004年05月24日 03:43 | 固定ページリンク




薫子 | 「銀花」を見てね

 現在発売中の「銀花」夏 第百三十八号(文化出版局)に装幀家の間村俊一さんの小特集「間村俊一の装幀と俳句と鉛筆画」が掲載されています。
「ちょっと格好良すぎるんとちゃうん」という声もありますが(誰やそんなこと言うのは、私じゃないです)、素敵な記事になっています。間村さんってただの酔っぱらいじゃなかったのね。堀江敏幸さんの一文も良いです。是非書店で手にとってご覧下さいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2004年05月27日 04:02 | 固定ページリンク




薫子 | 大竹収の世界

 展示会のお知らせです。
「手づくり木工家具 大竹収の世界」
「北アルプスの麓・長野県穂高町で、
木工家具をつくり続けてきた大竹収。
詩人佐々木幹郎のプロデュースで、個展を開きます。
代表作「Cat」と名付けられた椅子を中心に、
しゃれたメモリアル・ボックス、不思議な木組みの箱、
ユニークな木の湿度計、ウイスキー樽のランプなど、
秘蔵の作品の数々と、新作を紹介します。
小さなギャラリーで、手にとってご覧ください。」(案内チラシより)

 先日、「Cat」椅子に座ってきました。木の肌触りがすごく滑らかでやさしく、おもわずゴロニャンと椅子の上で丸くなりたくなりました。佐々木幹郎さんはこの椅子に座って詩作に励んでいらっしゃるのだろう、いやきっと気持ちよくなって居眠りしているに違いない・・・。

企画:佐々木幹郎
会場:AU HASARD(オ・アザール)
   東京都世田谷区等々力2-15-17
   TEL 03-3705-9262 FAX 03-3705-3909
   東急大井町線尾山台駅より徒歩3分
   E-mail mikuriya@tc4.so-net.ne.jp
会期:2004年6月4日(金)~13日(日)
開館時間:13:00~19:00

 オープニング・パーティー 6月4日(金)18:00~
 詩の朗読コンサート    6月12日(土)18:00~

大竹さんの作品や、展示会場の地図などは下記のホームページで見ることができます。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~woodwork/



投稿者: 薫子    日時: 2004年05月28日 05:32 | 固定ページリンク




ゆきち | コンテンツ法

覚えておいででないと思いますが、何度かお店を尋ねたことのあるものです。如月さんの掲示板に書いたことの再掲なのですが、お許しください。

さきごろ、「コンテンツ法」というのが成立したそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20040528i313.htm
法律の詳細を読んでないのですが、ざっと記事を見る限りは、既存の既得権益の強化のように読めます。

どうも、ここ最近、急激に著作権法および関連法による消費者(?)への圧迫が強いように思うのですが、これは、いったいどうしたらよいのでしょう。例えば、著作権の保護期間というのが、作者の死後50年ということですが、これは現在の情報の流れのスピードからいったらほぼ永遠といっていい長さです。一個人が生きている間に切れることすらないかもしれないくらいです。それこそ、保護期間は初出から20年でいいと僕個人は思う位です。

そこで、既存の著作権保護対象者に近いみなさんにお聞きします。
・著作権保護、コンテンツ保護はどれくらいの期間あるべきか
・消費者(読者、リスナー、視聴者)にやって欲しくない行為はどんなことか
・既存の著作権法が一切なくなったとして、そこから資本主義社会でやっていけるだけの利益をあげるにはどうしたらいいか、また、それは可能か
・本を一冊著作者のことわり無しにまるまるコピーする行為をどう思うか
・300ページ程の本を書いたとして、それを勝手に電子媒体にし、インターネット上にあげるなどの行為をどう思うか

以上、お目汚し、失礼しました。



投稿者: ゆきち    日時: 2004年05月29日 05:17 | 固定ページリンク




一考 | アヴァンギャルド

 持病が悪化、今年に入ってからはまったくバイクに乗られない日々が続いてきたのですが、今週の月曜日と火曜日にとうとう寝込んでしまいました。私が休んだ日にご来店くださった方にお詫び申し上げます。
 水曜日にジャパン・アヴァンギャルド展のポスター搬入があり出店、状況劇場の犬狼都市と少女都市、天井桟敷の身毒丸と奴婢訓と邪宗門の五点が壁面に飾られました。少女都市が上演された69年12月前後は西荻窪の秋葉荘に住んでいました。状況劇場にいた大月雄二郎さんが借りていたアパートに潜り込んだのです。大月さんが20歳、私が22歳、文化庖丁と文化鍋、文化式魚焼き器等々を購入、焼き魚を食したいとの大月さんの期待に応えて秋刀魚を買い、西荻窪を煙に巻いておりました。少女都市の上演に関するトラブルの数々は四谷シモンさんの「人形作家」に詳しく著されていますので、ぜひお読みください。また、12日と26日の両日、新宿の「ナジャ」で安保由夫さんのライヴがあり、シモンさんがゲストとして参加、5曲ほど唄われる予定です。

 60~70年代の作家、舞踏家、役者、編集者の表情にははにかみがありました。消え入らんばかりの夕日のような輝きと明るさに彩られた不良少年少女のはにかみです。彼等はひとの帰属や立ち位置と称するところのもの、すなわち権威や権力を刎ねつけてやまなかった異端の人々でした。右翼も左翼もありません、彼等みんなが革命を必要とし望んでいたのです。私たちが敵対したのは現状に甘んじ、精神のあり様を保持しようとする保守反動の輩でした。権威を拒むとは、他者のそれを突っ撥ねる以上に自らの権威や名声を固辞することが必要になります。その道のプロになるという、謂わば生活の保障を退けるわけです。巷の評価、他人の好意に対して冷笑を振りまくのですが、その冷笑がもたらす苦さのなかに照れ臭さが、含羞があったように思うのです。つなぐ手のかすかな湿りに後ろ髪惹かれながらもデスペレートに折り屈む、そんな屈折のはたてに圏外文学があったと思います。そういった圏外文学の徒花のひとつひとつに形を与えたいとの願いを持って出版社を興しました。それ故、編輯が生業の一端になりかけた時、私はご免を被らせていただいたのです。
 以上、笹目さんとの度重なる晤語によって、跋扈する「前衛」を想い起こす機会を得たことに感謝。今回の企画は桑原茂夫さんと笹目浩之さんの尽力になるもの、同時に上梓された「ジャパン・アヴァンギャルド・アングラ演劇傑作ポスター100」もご両人にて編まれました。「ですぺら」にも在庫が御座いますのでどうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月10日 22:22 | 固定ページリンク




一考 | コンテンツについて

ゆきちさんへ
・5項目挙げていらっしゃいますが、著作権は商標登録同様、期間に制限を設ける必要があるのですかと、お聞きしたくなります。盗用を目的としないかぎり、他人様の著作権が100年であろうが1000年であろうが、どうでもよいではありませんか。もっとも、死後の金の分配など当人の与り知らないことであって、それこそどうでもよろしいのですが。

・消費者(読者)にやっていただきたくない行為は一に万引き、二に破損、三に焚書です。この項目に直接の関係はございませんが一言。歴史に真実がないのと同様、私にとっては事実関係などどうでもよいのです。例えば書物に函があろうがカバーがあろうが帯があろうが、さような瑣末なことこそネット上に委せておけばよろしいかと。情報が情報であるかぎりにおいて、それはなんら意味を有しません。情報が読み解かれ、再構成されたとき、はじめて情報がそのひとの肉声に変態するのであって、それを掻っ払ったときのみ咲嘩誕生となるのではないでしょうか。私が「一に万引き」と申しましたのはそのことで御座います。

・著作権の有無に関わりなく、文章を著すときの元手(資料代)が取り戻せるほどの印税、もしくは原稿料を頂戴できるような売れっ子作家とお付き合いが御座いません。と申すよりも、執筆はすべて持ち出しであって、それで飯を喰うなどという夢をかなえられたお方は私のまわりにはいらっしゃいません。と、ここまで書いてこのままだとご立腹なさる方が約一名私のまわりにいらっしゃることに気づきました。でも、なんとか日々のおまんまには不自由せずとも、蔵がたったとは聞き及んでいないので、まあいいか。

・「本を一冊著作者のことわり無しにまるまるコピー」しようがしまいが、そのひとの勝手。ただ、それを別人の名前で公表すれば問題でしょう。引用は自由ですが、無断盗用は困ります。手間隙かけて地ウィスキーを買ってきたのに中味がサントリーだったでは笑えませんもの。

・電子媒体の将来は買いますが、電子媒体が活字媒体に取って代わるにはまだ数十年は掛かると思います。私のパソコンには標準辞書以外に35万項目のユーザー辞書が登録されていますが、対応するフォントはKandataとHabianとMojikyoのみ。そのフォントを除くと人名すらろくに出ないのですから話になりません。大衆小説ならともかく、300ページの本を著したからといって、それがインターネット上にあがるのは私の生前にはとても無理かと思われます。だって、外字に対応した閲覧ソフトすら存在しないのですから。当分は電子媒体と活字媒体、すなわち情報と文学の棲み分けが続くのでは。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月11日 00:18 | 固定ページリンク




一考 | 浄瑠璃姫物語

 高遠さんへ
 「エッセイであれば、堀口大学より日夏、日夏よりはるかに泣菫の方が飽きが来ません」なんの異議もございません。大学についてなにか書きたくなったのは単なる天邪鬼とお思い下さい。
 じつは去年末、浄瑠璃について文章を書かされました。三河国矢矧の十二段草子についての短いものだったので引き受けたのですが、冷や汗が出ました。一連のこの種語り物の代名詞となった作品であり、また舶来の楽器三味線について触れてくださいとのこと。三味線ならいささかの資料はあると高を括ったのが運の蹲。菽麦を弁えずとはこのことで、いくら飯の種とは申せ、去年はひどい為事をやまのように致しました。もう少しはやく識っておればご教示をお願いしたのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月11日 01:02 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お大事に

一考様
このところ野暮用重なり、なかなかお邪魔することができませぬが、ご病気と伺ひ、案じてをります。一日も早いご本復をお祈りしてをります。ときにはゆつくりお休みください。薫子さんはそのときはたいへんでせうが。

浄瑠璃について書かれたご高文、ぜひに拝読いたしたく。
私など何もわからずにただ住大夫師の義太夫に涙してゐるだけのこと。浄瑠璃の奥深さはうすうす感じるものの、詳しいことがらについてはいまだに不案内のままのていたらく。教へを乞ひたいのはわたくしの方です。

追記1
どんな書き込みにも誠実にお応へになる一考さんに頭が下がります。ときには無視するしかない代物もありませうに。わたくしの書き込みのやうに。
追記2
齋藤貴男『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)、お読みになりましたか?近頃読んだなかで最も共感した書物です。かういふジャーナリストがまだゐらしたといふことに、救はれた思ひです。もちろん辺見庸さんの著作も見逃せません。情報に疎いのですが、お元気になられたのでせうか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月11日 13:05 | 固定ページリンク




一考 | 類語辞書

 moondialさんへ
 もっか、三種類のユーザ辞書を拵えて使い分けています。そのうち、最低限必要な3.9MB-160572項目の辞書を送りました。ATOK12-13の出力テキストですから、EGBRIDGEでそのまま読み込めます。ただし、EGBRIDGEでユーザー辞書を拵えるのは至難のわざです。健闘を祈ります。
 ベージュのG3はOS-10.1.5とOS-9.2.2までの対応です。ベージュのG3にOS-10.2が可能と聞き試してみましたが、G2にOS-10を入れるのと同様、機能に若干の制限がかかります。
 そしてOS-10.1.5対応のATOKはなさそうです。現在用いているATOK13はOS-9.2.2に対応する最終バージョンで、ATOK14はOS-10.2、ATOK15はOS-10.3の専用バージョンです。要するに、OS-10とOS-10.1で使用可能なATOKはないそうです。「ないそうです」と書いたのは伝聞であって、私が試したわけではないからです。
 ことえりの変換能力が低いのは辞書の非力に原因があります。従って上記の16万項目に記号を500ほど追加してやればATOKと変わらない能力を発揮します。またEGBRIDGEと違って、ユーザ辞書の容量に限界がないので助かります。言い換えれば、ことえりは潜在能力の高い入力ソフトだと云えます。ただし、学習能力ではATOKに劣ります。
 自宅のエプソンLP1500ARTがOS-10に対応していないのもショックでした。対応は2200
以降のモノクロレーザープリンターに限定されます。それやこれやで、OS-10.1.5をインストールしたものの拙宅ではなんの役にも立たないのです。
 Kandataの入手によって、OS-9.2.2の上でひらぎの同様、第四水準まで出るようになったことがせめてもの救いでしょうか。Kandataをはじめ、フォントと格闘なさっている方々には頭が下がります。
 このところ新しい類語辞書が三点ほど上梓されましたが実用性はまったくありません。角川の類語以来、すべての辞書がジャンル別になりました。中国語のようにイロハがなければジャンル分けも仕方がないと思うのですが、日本語にはあいうえおやイロハがちゃんと存在するのです。ジャンルを超えた其他の項目が全体の過半数を占めるようになればまだしも、類別優先で棄てられてゆく項目のなかにこそ私が識りたい熟語があるのです。実用性から判断するに、東京堂の類語辞書がいまなお、もっともすぐれた辞書だと思います。
 その東京堂の類語辞書の一端をこれから当方のユーザ辞書に加えたいと願っているのです。お送りしたユーザ辞書にもささやかですが類語辞書の要素を含ませています。ことばによっては変換でトチ狂うかもね。でも、使い慣れると便利ですよ。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月12日 19:28 | 固定ページリンク




一考 | 夾竹桃

 ひろさんへ
 店はダイヤル・アップで駄目ですが、拙宅から891Kの圧縮ファイルが問題なく送られました。ウェッブサイトに繋ぐひまがあれば美味な日本酒でもちびりちびり呑んでいる方が嬉しいのです。従って、必要なフリー・ウェアーなどは神戸のムーンさんからその度に送っていただいております。そうした時にファイル分割ソフトのUploadHelper04bFとファイル結合ソフトのCatFiles1.23b(ppc)Fが役に立ちます。もっとも、そのソフト自体もムーンさんから送られたものなのですが。
 ところで、あなたから頂戴したウォッシュレット、先月連休の末日に設置したのですが、八面六臂の大活躍でございます。主治医の山崎さんから頒けていただいた薬剤とともに、もしなければ今頃は大変なことになっておりました。たしか夾竹桃の花ことばは危険、坐薬を打ちつつウォッシュレットを抱き締める日々がやって来ようとは。バイク乗りにとっては最悪の日日草、失意の五弁花がケツの穴に咲いたようでございます。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月12日 22:09 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

 12日と26日の両日、新宿の「ナジャ」で安保由夫さんのライヴがあり、シモンさんがゲストとして参加、5曲ほど唄われる予定です。
 と書きましたが、26日にその予定はなく、今宵一夜のみ、悪しからず。それと当店にて「ジャパン・アヴァンギャルド・アングラ演劇傑作ポスター100」(頒価5000円)を購入された方には同展覧会のポスター(B全判)をおまけで添付致します。ぜひ、お買いあげください。
 25日の金曜日に「四谷シモン─土方巽を語る─」との宵を予定しております。もっか、細かい打ち合わせの最中です。詳細は追って掲示板に掲げますので、よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月12日 22:35 | 固定ページリンク




高遠弘美 | この国はもうだめか

多少感情的になることをおゆるしください。

仕事を終へて帰宅。夕刊で、君が代・日の丸強制は如何なものかと挨拶で話したPTA会長が辞任に追ひ込まれたとのニュースを読みました。
ファシズムはすでに浸透し、抑圧を深めてゐます。
このやうなとき、どうして誰も何も言はずに、コイズミ内閣の支持率が依然として54パーセントもある状態で我慢できるのか。
マスコミが、売れれば何でも、といふ目算で動いてゐるとき、どうして殆どの物書きが黙つてゐられるのか不思議でなりません。
書ける人は書いたらどうでせう。言へる人は言ふべきです。この国の現状は本当にあぶない。誰も、自分が、あるいは自分の係累が大丈夫なら大丈夫と考へがちなことはよくわかります。私だつてさう。でも、それでも、この国のetat actuelは本当に危ない。せめて何とかするべく努めなくてはと思ひつつ、さて何をすればいいかと迷ふ日々です。ご教示お願ひいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月14日 23:10 | 固定ページリンク




一考 | 非国民のすすめ

 高遠さんへ
 齋藤貴男『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)はぜひ読ませていただきます。ご教示かたじけなく思います。以下は例によって託つけてのはなしですので、無視してください。
 今般の中野区の小学校PTA会長辞任のはなし、北朝鮮の拉致被害者およびその家族へのいわれなき非難、イラクで拘束されたひとたちに対する悪口雑言の数々。いつから日本の大衆は弱いものいじめを専らとし、マスコミは日本的お上思想のプロパガンダと化してしまったのか。読売新聞、産經新聞、週刊新潮、または2ちゃんねるへの外務省役人のリーク、それに乗せられて浮かれるネット雀の猛々しい囀り等々。
 高橋源一郎さんの「どこかの国の人質問題」が4月19日の朝日新聞夕刊にかかげられるまでは、まさに誹謗中傷の嵐でした。民意という名の愚に反し、大胆な提言を著された高橋さんに深く感謝したいと思います。数日後に掲載されたアンケートによると国民の65パーセントが憲法改正に賛成とやら。憲法は理念であって法律とは異なるのです。時代に似うかそぐわないかが問題になるのは法律であって、憲法の領域で論議の対象になるような問題ではないのです。民が先行きいかにあるべきか、日本が遠い将来、どのような国家になるべきか、そういった子々孫々の代へのヴィジョンを描き示唆するのが憲法であり、そのヴィジョンに対する議論を深めるのが政治家本来の仕事であったはずなのです。国家、国体のためと称し人民を死の淵に追いやるような愚挙を犯した点では日本もドイツも朝鮮人民民主主義共和国もすべて同罪ではなかったか。そして、それら国家と国家の構成要員である国民、もしくは異を唱えず例え間接的にせよ独裁体制を支えた大衆、それらはすべて同罪ではないですか。ネットの匿名性、個の抽象化はひとをここまで大政翼賛会や国民義勇隊的なものの考え方へと誘うものかと愕いております。もちろん、大政翼賛会とは時代が異なります。しかしながら、強制ではなく、みずから顧みることなく多数の意見を選択したとあっては、「隣組」の時代以上に怖ろしい状況に立ち至ったのではないかと憂えるのです。
 とりわけ悲しく思ったのはですぺらのお客のなかにさえ、イラク問題に関して「好きで行ったのだから自業自得」とか「自己責任をとらせるべきで税金を使うな」とか「政府に逆らうのはけしからん」といった滅茶苦茶な暴論を吐く御仁がいらしたことです。ひとのおつむが平凡であることを非難はしません。しかしながら、凡庸を羞じることなく、あまりの民度の低さを誇らしげに表出されたら「ですぺら」の名が可哀想です。非凡とまではいかなくとも、せめてもうすこしの懐疑、屈折をお持ちいただきたい。そう冀っての掲示板だったはずなのですが。無視するしかないような書き込みに応じるのも、土方巽や寺山修司に共感を覚えるような「非国民」がひとりでも増えていただきたいがために他ならないのです。

追記
 イラクで拘束された三名はたしかに自己責任を果たしたとは言い難い部分もあります。それは彼等に対して「反日分子」との暴言を吐いて謝罪すらしない広島選出のそれこそ反日分子的政治屋や民度の低い大衆に対する非難、論難そして啓蒙をいまだ試みていない点なのです。

 この件に関し、ぜひ http://www.ac-net.org/honor/ をご覧いただきたい。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:34 | 固定ページリンク




一考 | 幻の猫

 先週の土曜日、龜鳴屋から伊藤人譽さんの「幻の猫」が到着、さっそく間村峻一さんとその人譽幻談を肴に痛飲。それ故いまだ未読なのですが、室生犀星や花田清輝をして「空恐ろしい作品」と瞠目せしめた怪奇幻想の逸品です。私は「穴の底」一篇しか識りませんのでなにも申せませんが、その一篇を以ってしても購入にあたいする傑作です。
 龜鳴屋本第四冊目にして五百十四部の限定制作。頒価は二千九百四十円。「おいら、ひとり横向いた猫」のあやしげな写真を表に、スーパー活字(と思われる)による箔押し、洒落た型染め紙に限定のナンバーリング、「かはたれそ女の声で泣く蛙」との伊藤人譽さんの句と顔料による手彩色のかえるを配した栞が添附されています。心憎いまでの勝井隆則さんのあそびごころ、金がないならない(と断定できそう)で、ひとはここまで雅に立居振る舞ってみせるものかと、遠地金沢に挙手の礼を奉げたく思う。
 とりあえず、ですぺらへは五冊。安価な書冊なれば、一冊でも多く購入たまわらんことを庶幾います。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:35 | 固定ページリンク




一考 | 土方巽について

 四谷シモンさんに宇野邦一さんをご紹介した折り、のっけから土方巽のはなしがはじまりました。それ以来、お二方につづきをお願い致したく、手ぐすね引いて待っていたのです。昨晩、おふたりから快諾を得ました。従って、25日の金曜日は土方巽について四谷シモンさんと宇野邦一さんにお喋りしていただくことになりました。「お喋り」との表現が肝要なところです。内容空疎かつ陳腐な専門用語はそのすべてを端折り、日常用いる言葉によって土方巽の天才に肉薄していただこうとの趣旨なのです。頭のよろしい方、切れ者は万人にひとりはいらっしゃいます。しかし、天才の名にふさわしい方は滅多にいらっしゃいません。
 会費はドリンク付きで2000円(追加500円)に致しました。多数のご参加を希います。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:36 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考様

一考様

本当に、匿名の暴力と言ひますか、匿名ゆゑに何でも勝手な、しかし、大抵は体制迎合の恥づべき言説を吐く御仁の何と多いことでせうか。
齋藤貴男さんの今度の御本、装幀は間村さんです。このところ、いい本だと思ふとそのほとんどは間村さん装幀。それだけで頭が下がります。

亀鳴屋の本、一冊予約致します。お願ひいたします。
取り急ぎ。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月15日 00:14 | 固定ページリンク




一考 | 幻の猫つづき

 高遠さんへ
 亀鳴屋の本のご予約ありがとうございます。九右ヱ門こと悍い猫が出てくる表題作「幻の猫」は絶品。久しぶりに小説を読む醍醐味を味わいました。いつの日か、伊藤人譽さんの文学について語らねばなりません。それにしても、こういう作品をきっちり掘り出してくる勝井隆則さんの眼力に平伏。同じ時代をひととき勝井さんと過ごせただけで、「生きていてよかった」と思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月15日 20:30 | 固定ページリンク




一考 | そのまたつづき

 高遠さんへ
 私にいささかヒステリカルな発言をお許しいただきます。もっとも、いつに換わらぬ人生幸朗と行方幸子流のぼやきですが。

 「編輯が生業の一端になりかけた時、私はご免を被らせていただいた」と先日著しました。収入すなわち下心が絡むと編輯者は勤め人になります。金銭尽くの出版であればリスクのない私家版を多く手掛け、それらの書き手に「あんたが大将」と媚を売らねばなりません。そんな形で出版をつづけるのであれば、ニコヨンのような肉体労働の方が私には気が安まったのです。からだを担保に小金をこつこつ貯めた結果が飲み屋の親爺です。それもこのところ、風前の灯なのですが。
 「マスコミが、売れれば何でも、といふ目算で動いてゐるとき、どうして殆どの物書きが黙つてゐられるのか不思議でなりません」
 先日、記載した新聞社や出版社には友人が多くいます。私自身お世話になっています。でも、あれらの紙誌を購入するひとは、逮捕された日に「やましいことはなにもない」とうそぶくような役員を頂く三菱自動車の車を買うにも似て、売上げのためにはひとを貶めようが、殺めようがお構いなしというのと同じではありませんか。
 私にとっては物書き以上に編輯者がどうして黙して語らないのか、そちらの方がよほど不思議です。編輯者にとって発言とは本を拵えることであって、その書冊はとりもなおさず自らの志の表明でなければなりません。造りたい本があれば結構、一冊でよろしいではありませんか、あとは沈黙すればよいのです。企業の論理を出版に持ち込む、そのお先棒を担ぐようなひとのどこが編輯者なのでしょうか。まずは売上げが大事ですから、などというしたり顔は見飽きました。龜鳴屋の勝井隆則さんがごとき破滅型のあとを追うすじの通った編輯者がなぜ生まれないのでしょうか。
 ですぺらのお客さんにはあまりにも編輯者が多いので話題を変えます。薫子さんから叱られそうです。

 これまで「文学」などという概念はどこにも存在しなかったのです。だって表現者の数に比例してさまざまな「文学」があったからです。ところが世はあげてミステリー時代、かかるエンターテインメント一色のなかにあってはそれらしきものすなわち「文学」を明瞭に示唆することが可能になってきたようです。どうやら、ひどい堕落が根付いてきたようです。元来、表現者が追うのは「他の作品とはひと味ちがう小説」であったはず、ところが、いまでは自称編輯者が需める「柳の下」へと作家たちが群がるのです。足穂ではありませんが、おそらく書き表すに足ることはひとつ、そして一度のみ。それが世に受け容れられるかどうかは偶然の骰子、要するに編輯者との出会いに賭けるしかないのです。
 意識するところの私が常にいる、との呆けたシニシズムに浸っておられるほど脳天気なあいだはよろしいのですが、ひとはやがて弁証法を学びます。意識しようがしまいが、たとえ無意識まで総動員させようが、なにひとつものごとを変えることはできないことに気付きます。自らの至らなさから失意が生じ、やがてそれは含羞みへと深化して行きます。そこまでいけばもう立派な不良の誕生です。私が興味を抱くのはそこから先の領域なのですが。
 書く必要のないことを書きつづったのは他でもない。物書きに限らず、異質なものへの寛容さがなく、万能感から抜けきられないひとたちが多くを占めるようになってきたからなのです。万能感はひとを保身に向かわせます。不良の逆の保守反動ですね。この国の本当に危ないetat actuelはそこいらに在るように思うのです。私がしばしば「搏動」とか「肉声」とか声を荒らげる理由もそこにあります。私があなたになり、あなたが私になる、その振幅のなかで今まで見えなかったものにひとつの形が与えられてゆく。非凡とは異質なものとの相互嵌入、そのイマジネーションの間合いの取りようにあると思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月15日 23:12 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 失礼ながら

一考様
お書きの御高文、味読しました。
仰言るとほり、売れればいい的な思ひのみがわだかまつてゐるやうに見えます。もちろん、批判めいた言説など誰でもできるので、私がさう言つたからといつて、何ほどのこともありませんが、「こころざし」、せめてその一語は忘れたくありません。珍説愚説辞典を訳してゐてつくづく思ひました。今の評価などなんぼのものでもないと。みなわかつてゐる顔をして、いまの売れ行きしか見てゐない。一例。司馬遼太郎など、私にはどこが面白いか皆目わからないし、昨今流行のミステリーにしても、あまりにレベルが低すぎます。ああいふ代物にまともにつき合つてゐる暇はすくなくとも私にはありません。それくらゐなら私は本業のフランス語教育にもつと励まなくてはならない。さらに言へば、私が文楽と歌舞伎の世界に深入りしてゆくのはしかたのない仕儀なのです。
みなさん、一家言をもつてをられる。それは「民主主義」の世の中、いいことかもしれない。でも、ほんとうに守るべき民主主義的価値はひとへに言論の自由であり、人間の平等であり、精神の自由です。そこを忘れた議論など私には何の興味もない。
一考さんの、ときとして「偏屈」に思はれるかもしれない佶屈。私はそれを愛します。私も物わかりのいい「大学教師」にだけはなりたくないと思ひつつ。久しぶりに、勝手ながら、fraterniteを感じつつ。
一考さん、また呑みませうね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月16日 01:31 | 固定ページリンク




あひる | (無題)

すみません。
親子関係の記事を書いたものです。
別のHP用に書いたものを間違ってこのHPに投稿してしまいました。
削除お願いします・・・・。



投稿者: あひる    日時: 2004年06月16日 02:39 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ある俳優・演出家の死

ほとんど私事に近いことを書き連ねることをおゆるし下さい。
動顛してゐるので、ひどい文章になることもあはせてご寛恕ください。
かつて、お互ひに親友だと言ひあつてゐたフランスの友人が亡くなっつてゐたことをさきほど、知りました。
1999年から2000年にかけて7ヶ月ほどフランスのリヨン大学に在外研究員としてに滞在してゐたとき、パリの自宅に何度か電話したのですが、いつも女性が出て、今はゐないといふ一点張りでした。その後たまたまフランスにゆく機会を逸してゐるあひだに、彼は世を去りました。2002年8月28日。
Jacques Ardouin。ジャック・アルドゥワン。演出家・脚本家・劇作家・俳優。そして私の最愛のフランス人の友人でした。享年64歳。死因は癌。ソフィー・マルソーの映画「ラ・ブーム」などにも出てゐましたが、何よりも舞台のひとでした。パリのモンパルナス近くのリュセルネール座で「星の王子様」の脚本・演出・主演をしてゐました。
私が最初に知り合つたのは、1989年。あるフランスの女性の友達の紹介でした。その晩「星の王子様」をみたあと、食事をし、すぐに意気投合。友人の女性が帰つたあとも朝まで飲み明かしました。それ以来、パリでも東京でも何度も飲み明かし、お互ひがお互ひをどれほど大切かを痛感してゐたのです。芝居を観にゆくときはいつも「お前のためにするからよく観ていろよ」と言つてゐました。あるとき、パリでのことですが、やはり朝まで飲み明かしてゐるとき、突然ジャックが言ひました。「お前は本当は誰だい?」。私がふざけて、ぼくは日本人でこれこれでと今更のやうに言ふと、ジャックは「お前が日本人かどうかはどうでもいい。お前は俺が心から信頼する人間のひとりだ。どうだ、このままフランスに残つて俺と一緒に芝居をやらないか」と言つたのです。私がそんなことができるわけがないといふと「いや、お前と俺ならできる。セーヌ川に沿つて小さな町の小さな芝居小屋をまはるつてのはどうだ。愉しいぞ」と言ふ。もちろん、私の貧弱な語学力ではそんなことは無理な話ですが、いまでもそのときウイと言つてゐたらどうなつたらうと夢物語で思ふことがあります。ジャックに対してほど、私がフランス語を外国語として束縛に思はずに喋つたことはなかつたし、もうこれからは絶対にあり得ないでせう。生涯に出会つたもつとも大切な友人をなくした喪失感が今の私を苦しめます。せめて2001年にでもフランスにいつてゐればよかつたと臍をかむのみ。後悔先に立たず。孔子がいつたといふ天喪予の叫びをこころのうちで叫ぶことしかできません。せめてもこの掲示板に書かせて頂き、ジャックと私の友情のよすがとしたいと思つた次第です。勝手な書き込みをどうかご海容ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月17日 23:37 | 固定ページリンク




一考 | ご冥福を

 高遠さんへ
 傷心を癒すのは不可能ですが、文字で著すことによっていささかの距離を設けられるのではと思っております、思い込むしかないと云ったほうがただしいのでしょうが。私はYさんへの懐いにそれなりのかたちを与えるのに一年掛かりました。それにしても、死を迎えるときには親しい友、謂わば戦友には知らせたくないものなのですかねえ。その時になってみないと分かりませんが、私はやはりひとりで死にたいと思っています。親しければ親しいほど、看取られての死は御免蒙りたいのです。だって、最后ぐらいは気取らずにうんうん呻りながら、恨み節の一節を他人に叩き付けてやりたいと願っているのです。
 面識とてなく、慎んでご冥福をお祈りするほかなすすべがございません。不用意な発言であれば、ジャック・アルドゥワンさんとあなたにお詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月21日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 言論の自由について

 題目は「言論の自由」。例によって宛先不明の海馬のよだれです。
 問題が問題だけに本来なら「言論」の定義からはじめるべきなのですが、この場は掲示板。それに私がぼやきたいのは人生幸朗のそれ。アレオパジティカを持ち出して、「許可なくして印刷する自由」を強く求めて検閲制度に抗した革命詩人の趣旨を陳べたところでさまにもなりますまい。
 さて、ぼやきです。「言論の自由」とは偏にときの権威・権力に対して発せられる少数者の言論にのみ課せられる自由である、と私は信じています。
 公権力に対して、常に懐疑を抱き、反論を試み、もしくは異なる意見の存在を示唆し紹介するのがジャーナリズムの唯一の勤めといえます。それは公権力の暴走への歯止めであると同時に、数を頼みに横車を押そうとする一般大衆への警鐘ともなる筈でした。しかるに「売れれば何でも、といふ目算で動いてゐる」のが現今のジャーナリズム、マスコミの大方です。企業の論理を無反省に持ち込み、大衆に諛い媚を得る時代にあって、林達夫のようなジャーナリストの不在を悲しむのは私ひとりではないと思うのです。
 民主主義の根底をなす近代的人間観においては、人は生まれながらにして自由で平等な存在であり、人はひとしく理性的存在である、という考えを前提としています。かかる合理的・同質的人間観が前提になるところに民主主義の危うさがあります。気候、風土、言語、宗教、民族、階層、階級等々、ひとはさまざまな隔壁や差別のなかで生きています。それら強いられた条件を抜きに合理的・同質的人間観を描かれるという論拠があればお目に掛かりたいものです。また、アメリカやイスラエルのようなテロ国家のどこをもって理性的と云えばよろしいのか。
 多数意見が少数意見よりも原則的に優れているという仮説が成り立つためには強行採決などという愚挙はあってはならないのです。ところが、わが邦の議会では強行採決が繰り返されます。国会の現況は多数の横暴以外のなにものでもなく、少なくとも民主的な国家とはほど遠いものです。またそれを承知で、コイズミを支持し、グッズを買い集めるような国民を何故に理性的存在として認めなければならないのでしょうか。
 「言論の自由」を護るために私は過去二度公権力と闘いました。内容証明の遣り取りや告訴合戦なら実に多くの経験をさせられました。公権力との闘いは疲れます。警察の家宅捜査が這入り、やがては税務署の査察がはいります。今ではさすがにそこまでの虐めはなくなったようですが、七十年代の終わりまではお上に楯突くには生活を捨て去る覚悟が必要だったのです。先に「課せられる自由」と述べたのはその責任の取り様を指してのことなのです。匿名の発言を私が非難する理由も同じです。「課せられる」もの、すなわち「責任」がないところに「自由」はなく、闘わずして「言論の自由」など得られるはずはないからです。ミルトンの「アレオパジティカ」からジャン・ジュネの「シャティラの四時間」や「恋する虜」に至るまで「言論の自由、人間の平等、精神の自由」のために多くの作家たちが血を流してきました。そしておそらく、そのような「自由」が地上に存在したためしはない、と私は思うのです。
 「地上に存在したためしはない」その可能性をさらに遠ざけたのがインターネットではないでしょうか。よちよち歩きの新しいメディアの今後を断定することはできません。ただ、私はその危険性を示唆しておきたいのです。テレヴィジョンと同じ、苦難の道をこれからインターネットも歩みます。もっかのところは、マイナス面が目立ちます。例えば「個人の勝手」と「言論の自由」とが「匿名」との鎧をまとい、二人三脚で押し寄せてくるように思うのです。ネット上の意見が多数であれば、それは屋上屋を架すまでのはなしであって、あまりに喧しくなったとき、その「言論」は「暴力」と化します。先に「権力に対して発せられる少数者の言論」と限定づけたのは、いかに立派な文言であっても、それが多数派の意見であれば所詮は鸚鵡よく言えども飛鳥を離れずに同じく。また体制迎合の言説であれば、「恥づべき」ものと判断するしかないのです。
 言うまでもないのですが、たとえネット上の発言が言葉の暴力という他ない民度の低いものであっても、それが理由の検閲に私は反対します。検閲制度はかならず公権力に利用されるからです。ネット社会の誕生と共に派生した言葉の暴力といかにして闘うか、個の尊厳や著作権にとどまらず、日常の名誉毀損やプライベートなことがらを守るための厳正な法整備が急がれます。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月23日 00:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さん、ありがたう

 昨夜、ですぺらに伺つてお話を伺ひ、何やらしごく心和むものを感じました。一考さんのお気持ち、有り難く存じます。酔つぱらひの戯言に辛抱強くつき合つてくださつた薫子さんにも感謝してをります。
もうパリに行つても会へないと思ふと寂しい限りで、胸の中央に空いた穴は当分埋まりさうもありませんが、それはそれで仕方のないこと。せめては知り合ふ二年前の1987年に岩波ホールで行はれた東京公演のビデオで、在りし日のジャックを偲ぶことといたします。1987年当時のジャックは49歳。いまのわたくしよりも若いのですが、顔に窺ひうる魂の深みが、いまだ幼稚なわたくしとはまるで違ひます。やはりジャックはわたくしにとつて親しい友であるとともに、心から尊敬しうる人生の先達でもありました。
 ときに、言論の自由についての一考さんの書き込み、一々納得しながら拝読しました。齋藤貴男さんの御本を続けて二冊読みました。一つは書評集。もうひとつは高橋哲哉さんとの対談集。どちらもいたく感銘を受けました。
それと、もつときちんと花田清輝を読み返さうと思ひました。それは昨日お店で拝見した「幻の猫」を作られた亀鳴屋さんの序にあつたからでもありますが、すこし前から著作集を書棚の奥から取り出しては繙いてゐたのです。ジャックのこともさうですが、この世には必然としか思へない偶然といふものがありますね。ですぺらの響きに「絶望」DESPERAだけではなく、「希望から」D'ESPERAを感じたと、最初に一考さんのお話を伺ふやうになつたときに冗談めいて申したことを覚えておいででせうか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月24日 00:22 | 固定ページリンク




薫子 | 念押し 「土方巽を語る」

 以前、一考がさらりと触れていますが、今一度書き込みしておきます。
6月25日(金)20時より、四谷シモンさんと宇野邦一さんに「土方巽を語る」と題して、対談していただきます。
会費は2000円。(ワンドリンク付き、おつまみも少し用意いたします)
どなた様もお気軽にお越しくださいませ。



投稿者: 薫子    日時: 2004年06月24日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 言論の自由2

 Hさんへ
 先に「厳正な法整備が急がれます」と述べました。憲法が理念なら法律は規制であるべきです。規制は時代の変遷もしくは要請に応じて変化していきます。車がない時代に道路交通法はなかった、すなわち犯罪のないところに法律は必要なく、逆に言えば法律がなければ犯罪は存在しないのです。犯罪は刑法その他の特別法や行政取締法規の規定により、刑罰を科される行為なのですが、その根拠はモラル、すなわち道徳の退廃にあります。例えば、著作権が重んじられ保護されていれば著作権に関する規制もないわけです。モラルを守らないひとがいるので、次から次へと新たな法律が生まれ、規制のためまたその事務方にと多くの役人の雇用が必要になってきます。私にいわせれば、一部のモラルを守らないひとのために、無駄な税金が湯水のごとく費やされているのです。
 思うに、法律で規制されるような事柄は概ね常識の範疇で片付くようなものだと思っているのです。自らの思いを通そうとすれば、他者の思いにこころ致さねばなりません。こちらの思いとあちらの思いの兼ね合い、垣根をどのあたりに設けるかがもっとも肝要になります。だって、掛け違えると諍いになるからです。この自己と他者の弁証については当掲示板で一年にわたって書き継いできたので繰り返しません。
 あなたが専門になさるネット社会(もちろん、すべてを指してのはなしではないのですが)は、私の目には揚げ足取り、他者への誹謗中傷のオンパレードのように見えるのです。それも、相手方の論旨を無視したところに大きな問題があると思うのです。例えば、コイズミを非難するのであれば、彼の政治理念の至らなさや危険性を政治理念でもって論難すべきなのであって、若い頃の過ち、要するに重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをいくら試みても、あちらさんは傷付きもしません。誹謗の相手が公人の場合はまだ許せるのですが、対象が私人となれば、これはその時点でモラルの無視であり、言葉の暴力の行使だと思うのです。そのような無神経かつ雑駁な輩に発言の場を与えてしまったところに、ネットの怖さがあると思うのです。ただし、車とは異なり、ひとに発言の免許の取得が必要とは申しません。そして検閲にも反対です。とは申せ、無視してすむ問題でもありますまい。車が走る凶器なら一部のネット社会は喋る凶器とでもいう他なく、個の尊厳への裏切りは殺人や窃盗や泥酔運転となんら変わらない犯罪だと思います。私ごときアウトローが敢えて「厳正な法整備」と述べた理由はそこにあります。もっとも、新たな法的規制が公人の擁護に利用されるのは必定、繰り返しますが、一握りの心ないひとのお陰で、日本は官僚や政治屋の統制する全体主義国家へと転げ落ちつつあるのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 20:40 | 固定ページリンク




一考 | 斎藤貴男さんの著書

 高遠さんお薦めの書冊のうち『「非国民」のすすめ』は前回紹介しましたので、もう一冊の対談集の紹介です。『平和と平等をあきらめない』高橋哲哉+斎藤貴男、晶文社、1400円+税となっております。290余ページの本ですから、安価と申せます。文学が本来有さねばならないラディカルな精神について、縦横に月旦ないしは時評がなされている。ご購入を薦めます。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 22:44 | 固定ページリンク




一考 | 泥鰌の季節

 外山時男さんへ
 この二週間ほどのあいだだけですが、泥鰌のうまい季節になりました。私は昔からの烏賊フリークで、角飛び・白鱚とつづいたあとは白烏賊のげそばかり食しておりました。半生で一塩、剣先と比して頭腕部が著しくたくましいので食感が好きなのです。げそなら、山陰地方の「シロイカ」にとどめを指すと思っています。
 今年はとなりの割烹のご主人から貴重な食材のお裾分けにあずかり、太刀魚の刺身、穴子のあらい、鱚の真子と白子の和え物、鱚のせんべい、六月のイクラ等々、久しぶりに四谷シモンさんと舌鼓を打ちました。
 ところで、お聞きしたいことがございます。普段は筏焼きですが、この時期の泥鰌は子持ちで外套長も大きくなり、蒲焼きにするとごきげんなのです。三木や三田の方ではごくまれに超大型の泥鰌が捕れ、あらいでも頂戴致します。東京では泥鰌鍋や柳川鍋はよく見るのですが、その他の食べ方がほとんどない、ないと云うよりもまったく見掛けないのです。鍋以外、東京では泥鰌は食べないのでしょうか。もし、なにかご存じならお教えくだされば幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 22:47 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 齋藤貴男さんのもう一冊

一考さんが書いて下さつた本のほかに、最近出た齋藤貴男さんの御本があるので、記します。
『人を殺せと言われれば、殺すのか』。副題は「自由のための書評&ルポ集」。太陽企画出版。1700円。2004年6月。

これもすばらしい本です。齋藤貴男さんの御発言、目を離せません。
齋藤貴男、高橋哲哉、辺見庸、姜尚中。まだまだほかにもいらつしやいませうが、この方々の御本は見逃せません。齋藤貴男さんには一度お会ひしたいくらゐ。
齋藤さん、面識はございませんが、どこかでこの書き込みを見てくださればと思ひます。貴方のやうなジャーナリストがいらして本当によかつた。
とともに、これを出した版元に敬意を表します。少なくとも一部の、といふか、それが大勢になつてゐる、真実・真理とは無縁の暴露・体制側ジャーナリスムの卑しさとは無縁であることの、この時代に何と貴重なことか。体制翼賛メディアと化して恬として恥ぢない読売・産経は言ふに及ばず(同紙の記者のみなさんに問ひたい。あなた達は本当にコイズミでいいのかと)、毎日・朝日も、自らをもつと律すべきでせう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月25日 23:40 | 固定ページリンク




外山時男 | 泥鰌

泥鰌ですか。難問ですね。
東京の人間が泥鰌が好きかというと、実はそんなことはないような気がします。
たとえば三社祭のとき、駒方町内では『駒方泥鰌』からの切符が配られて、みんなそこで食事を取るのではありますが、それは旨いとか旨くないとかの話ではありません。
大相撲本場所の冷めた「焼き鳥」同様、そう旨くないのは知ってはいるけれど「食べねばならぬナニモノカ」みたいな感じがします。
これは「文化」の一種なのでしょうか。それとも「文明」の一種なのでしょうか。微妙なところです。ぼくは「文明」のほうに一票を投じる。
「鍋」とは「丸鍋」のことですね。泥鰌を丸のまま煮てどっさり葱をかぶせるアレですね。根深の青いところまでぶった切りにして、臭みが消えるまでぐつぐつ煮る。適宜「ダシ」を足して煮つまらぬうちに食べる。
東京の人間は貧乏臭さが好きなのかも知れません。

だいたい「東京の人間」なんて定義しようがないじゃありませんか。

しかしながら、東京の泥鰌料理については興味あるので、調べさせてください。
それについては充分以上の時間をください。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年06月26日 06:00 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

 昨晩の「土方巽を語る」トークイベントにお越し頂きました皆々様、ありがとうございます。お陰さまでとっても久しぶりに複数のお客さまが・・・。対談の感想など、お聞かせ下さいませ。
 なお、本日26日シモンさんは新宿ナジャ(TEL 03-3351-9058)で唄われるそうです。シモンさんの歌声にはしびれる~。わたしも聴きにいきたい。おっと、ですぺらはモルト会の日でありました、残念。



投稿者: 薫子    日時: 2004年06月26日 07:02 | 固定ページリンク




外山時男 | 泥鰌 その2

 駒形(さきほどは「駒方」になってました。すみません)の友人にたしかめたところ、やはり鍋か柳川だそうです。から揚げは数度どこかで食べた記憶がありますが、その他となると、さて。むろん蒲焼は東京にもあります。
 以前は原宿や青山の魚屋にも樽が置いてあって、中で泥鰌がつぎつぎに息継ぎしに上がってきていました。だから山の手の家庭でも普通に食べられていたのはマチガイありません。
 超大型の泥鰌のあらいっていいですね。蒲焼がごきげんとのこと。うらやましい。一度食べてみたいものです。
 でも超大型とはどのぐらいの大きさなのでしょうか。むかし川崎に「東横水郷」って釣堀がありました。砂利の採掘跡に水が溜まったのをそのまま釣堀に利用したのだと聞いていますが、そこではマレにおおきな泥鰌が採れました。20センチはゆうに越していたような気がします。もっと大きなのがいると何かで読んだ記憶もありますが、しかしその記事には「養命酒の工場のある川の下流では」とあったので大笑いしました。まゆつばであります。
 山陰ではありませんが、先日福井の方から鯖の「へしこ」をいただきました。たいへん旨かったです。白烏賊とへしこがあったらこれは酒がすすみます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年06月26日 17:07 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 舌莫迦の身にして

泥鰌(鰌)について、皆さんご存じと思ひますが、喜田川守貞『近世風俗志』(私の持つてゐる版は明治41年刊。1908年)には、以下のごとき記述があります。余計なことと思ひつつ。漢字は新字にしました。

「どじやう昔は丸煮と云て全体のまま臓腑をも去ず 味噌汁に入れ鰌汁と云 三都専之を食す 京阪は是亦生洲等にて兼売る
江戸は葺屋町川岸堺屋某 龍閑橋 数寄屋橋 御門外 等鰌汁鯨汁に名あり又全体のまま醤油煮付にしたるを丸煮と云 蓋し丸煮は骨抜きありて後の名なるべし 鰌汁鯨汁ともに一椀十六文 鰌鍋四十八文也 骨抜鰌鍋の始は文政初め此江戸南伝馬町三丁目の裡店に住居せる万屋某と云者鰌を裂て骨首及び臓腑を去り鍋煮にして売る 其後天保初此横山同朋町にて是も裡店住の四畳許の所を客席として売り始め 家号を柳川と云 其後横山町二丁目新道表店に移り大に行はれ今に存在す」 

そのすぐ横には骨抜鰌鍋の図といふものが載つてゐます。説明は以下のごとし。

「二重土鍋也 上の鍋浅くし是に鰌を入る 二重土鍋をかさね蓋置きたる図此ごとし 一鍋二百文を専とす 蓋底には笹掻牛蒡を敷き其上に菊花の如く鰌をならべ鶏卵閉にする也 下の土鍋には沸湯を入れ席上冷ざるに備へ且形深く外見乏からざるが如くするの意あり」

けふはここにて



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月27日 01:00 | 固定ページリンク




一考 | 神戸の泥鰌屋

 外山さんへ
 神戸の元町二丁目に「吾作」と号するドジョウ屋があり、酒は剣菱の樽酒、昔は常連のひとりでした。先日馳走になったアナゴの洗いがあまりに旨かったもので、つい神戸のドジョウを思い出したのです。洗いと云っても体長は20センチほど、さぞかし捌くのが面倒だったろうと思います。30センチに達するような大物もいるらしいのですが、それははなしだけで見たことがありません。
 高遠さんが紹介なさった稿の元はたしか「守貞漫稿」。室町の「大草家料理書」に酒蒸しの味噌煮、下って江戸初期の「料理物語」には味噌仕立てのドジョウ汁、天明の「豆腐百珍」にもドジョウ汁が掲げられています。「わり葱白(ひともじ)にても、白髪牛房にても、あしらひに油煤腐(あげとうふ)の細きりを入る」とあって、油揚げを用いるところから百珍物シリーズに収録されたもよう。どうやら、どじょう鍋の出現はずっと後、文政以降のようです。それにしても、東京のどじょうに関する文献はお寒いかぎり、ウナギの出世に取り残され、同類の下級品として扱われたようです。「飲食日本史」のなかで、本山荻舟はドジョウについて「渡りもののウナギと異なり、いずれもその土地々々のはえぬき・・・ウナギもドジョウも四季を通じての栄養食品で、寒暑ともに用いられながら。一所不定のウナギがどこで繁殖するかまだわかっていないのに対し、夏のドジョウはみんな子をもっているのに見ても、土地っ子のドジョウこそを夏のシュンとしてよいはず・・・」と著しています。
 ちなみに、先代の頃の「吾作」はどじょうのコース料理も置いていました。そのような遊び心は東京では育たなかったようですね。幕末の江戸っ子がうどんを軽蔑したところから、そば粉となんら関わりのない中華風麺までが支那ソバとの名称に化けたのと同様、江戸っ子の選民意識に、ドジョウはそぐわなかったのかしら。ずいぶん昔のはなしですが、詩人の吉岡実さんに連れられてドジョウを食べに行った折、広い座敷にきちょうめんに並べられた長い卓にそって他の客と一列に並ばされ、家畜が餌を食うがごときいやな気分にさせられたことを思いだしました。
 福井のへしこはもともとはイワシ、近頃はサバが増えてきたようですが。それと石川のフグも忘れられません。龜鳴屋さんから頂戴したことがあるのですが、あれは能登半島ではなく、南の美川だったように記憶します。いずれにせよ、地のひとはかつお節、すりごま、さらしねぎを加え、熱い番茶で茶漬けにするそうですが、茶漬けにはもったいないような気がします。酔っぱらいの私は酒肴優先ですもの。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 04:55 | 固定ページリンク




一考 | ちりめん山椒

 高遠さんへ
 じつはちりめん山椒について書かねばならないのですが、ネタがなくて困っているところです。こちらではしらす干し、「白簀乾」とも書くらしいのですが、上方ではちりめんじゃこ。もともとは徳島、香川が特産地で、阿波藩の淡路のものはよく識られています。
 で、ちりめん山椒がどうしてどじょうの食べかたに化けたのかと申しますと、共に下世話な食い物という点で似てい、また食する側のなにかしら差別意識のようなものが感じられたからなのです。
 ちりめん山椒がいつごろできたものか分かりませんが、最初は山椒の葉、青い実の醤油漬け(いわゆる有馬山椒)を用いるようになったのは後年のことらしいのです。
 福岡のイワシのちり鍋、長崎のイワシ餅等々、いろんな郷土料理があるのですが、どうやら香川のいりこ飯がちりめん山椒の原形らしいのです。もっとも、いりこ飯はイワシのしょうゆ漬けを飯に加えたもので、趣がまったく異なります。いっそ大磯のたたみいわしや煮干し、ごまめ、たづくりの方が稚魚を用いるのでちりめんには近いのです。
 ちりめん山椒といえば京都が有名ですが、歴史は九州、中国、四国の方が古く、例えば、播麿でクギ煮を造っているところは昔からちりめん山椒も造っています。「らしい」ばかりで申し訳ございません。どのようなことでも結構ですのでご教示ください。
 ウナギなら日野草城や斉藤茂吉の「白桃」、火野葦平の「赤道祭」、獅子文六の「てんやわんや」などいくらでもあるのですが、ちりめん山椒はお手上げ。料理は食べるもので、書くものではなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 04:56 | 固定ページリンク




一考 | オホーツクの匂い

 外山さんへ
 以下、例によって龜レスですみません。「ラ・ジョコンダの微笑みが江戸ソバなら、その背景の曲がりくねった川や橋が田舎ソバ」とやら、うまく表現なさいますね。
 神戸時代には日本海側を走って北海道へ行きました。北陸自動車道は新潟西ICまで、あとは8号線のつづきの1号線で北上します。山形、秋田、青森と曲がりくねった道沿いに田舎ソバ屋が並びます、もっともあちらの名称は板ソバですが。新潟と山形はつなぎに海藻を入れるのでたぐりは問題なし、外山さんのおっしゃる日向臭さが、あちらで食べるとなんともいえない薬味になります。
 お説のとおり、たまには「イデア風のもの」をはずして、ソバとひなたぼっこもいいものです。北海道が楽しかったのか、途次のソバが嬉しかったのか、今となっては判然と致しません。気が置けないのが田舎ソバとでも申すべきか、眼前を日本海の風景が悄然として通り過ぎてゆきます。
 ところで、鮭とばの茶漬けはいけます。出刃で薄く削ぎきり、それに魚醤を一滴のみ。つぶ貝(北海道ではゴマ)の炊き込みご飯とともに知床のアイヌの古老から教わったのですが、オホーツクの匂いがします。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | デジカメの記録媒体

 ミノルタのデジタルカメラ第一号機「RD175」についての質問です。
 同機の記録媒体は「PCMCIA2.1/JEIDA4.2規格のPCカード(ATA仕様 Type2、3)」となっています。付属のPCカードは Type3ですが、当然 Type2とは互換性があると思います。そこで、知りたいのは、 Type2のアダプターにスマート・メディアやフラッシュ・メモリーを装着して使えないかということです。PCカードがなくてもSCSI接続で取り込めます。従って、普段の使用に問題はないのですが、記録媒体があればなにかと便利だと思います。このあたりの消息をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
 なお、IBMや日立のPCカード Type3は規格が異なり認識不可、また初期化にも対応しておりません。「RD175」は三種類のリチウム電池を使っていますが、7.2ボルトのリチウムイオンNP-500HはソニーのOEMですので、NP-F550が代用可能です。PCカードに関してもこの辺りがヒントになるかと思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月29日 21:31 | 固定ページリンク




りき | こんばんは

>一考さん、薫子さん
先日来ご無沙汰しています。
ダンセイニ「戦争の物語」の委託を引き受けてくださりありがとうございます。

先日やっとネット環境が構築されました。
一応100Mでることにはなっています。

お店のほうになかなかうかがえませんで申し訳ありません。
今週の金曜日あたり、「戦争の物語」の追加委託分でももってお邪魔できたらいいのですが。

伊藤人誉さんの本は抜群の出来です。
面白かったですね。本当に。
装丁は汚してしまいそうで怖いですが。



投稿者: りき    日時: 2004年06月29日 22:19 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 東様 増田様 一考様

このところ、私事にかまけて缺くべからざる義理を缺いてをりました。
当掲示板をお借りして、まづもつてお詫び申し上げます。

東雅夫さま、増田編集長さま
先日は『ゴシック名訳集成』をご恵贈に与りまことにありがたう存じます。懐かしい訳を十分に堪能いたしました。このやうなお仕事を続けられていらつしやることに深甚の敬意を表します。御礼が遅くなりましたこと、重ねてお詫びいたします。ご海容ください。近くお目にかかる日もあらばと願つてをります。

一考様
一昨日でしたか、浪速書房さまより、一考さんのご紹介にて、例の依頼が届きました。菲才のゆゑ、ろくな事は書けませんが、折角の足穂特輯。一考さんのお顔に泥を塗らないやうに励みますので、よろしくお願いいたします。ありがたうございました。

このところ、亡き友のことばかり思ひだされます。その温顔、温情がいまもわたくしを支へてくれるやうです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月30日 10:00 | 固定ページリンク




一考 | ちりめん山椒いろいろ

 静岡 舞阪 360円 小
 紀州 下津 450円 小
 広島 音戸 天日干し 735円 中
 淡路 南淡 420円 中
 淡路 津名 180円 大
 阿波 和田島 330円 不揃い
 大分 佐伯 230円 大
 鹿児島 川内 150円 極小
 鹿児島 川内 天日干し 280円 極小

 以上のちりめんじゃこが築地から到着(値は100グラム)、明日は上記と産地の異なるちりめんじゃこが十種類入荷予定。本格的にちりめん山椒に取り掛かっております。ちりめんじゃこは産地や時期によってかなり味わいが変わりますが、実山椒と共にいまが旬。その後判明したことや注意事項を書いておきます。
 まず、山椒について一言。
 ちりめん山椒が漁師料理であった頃は主として葉山椒が使われていましたが、戦後、京都の割烹で出されるようになってから実山椒が用いられました。当初、塩茹でした実山椒をそのまま使っていましたが、やがて醤油と砂糖で煮込んだ実山椒すなわち有馬山椒を用いるようになりました。「少しでも手の込んだ京料理」を地でゆく変遷だと思います。なお、塩茹だけの実山椒、有馬山椒は共に瓶詰めで売られていますので、入手は容易。
 江戸時代の文献をいくら調べてもちりめん山椒の記述がなく不思議に思っていたのですが、冷蔵庫の発達がちりめんじゃこには不可欠であることに気がつきました。ちりめんじゃこは冷蔵庫に入れても3~4日、内蔵が酸化するので一刻も早く冷凍しなければならないのです。家庭用の氷冷蔵庫が電気冷蔵庫に取って代わるのは60年代、冷凍庫付き冷蔵庫が家庭で普及するのは70年代に入ってからです。業務用冷蔵庫や氷の普及と共に、カクテルが一世を風靡したのが昭和33年。ちりめんじゃこの歴史は古く、また戦後間無しに京都の上賀茂でちりめん山椒が作られているのですが、一般家庭に普及したのはやはり昭和30年代で間違いなさそうです。
 「播麿でクギ煮を造っているところは昔からちりめん山椒も造ってい」たと書きましたが、漁師が拵える郷土料理であったちりめん山椒が京都でブランド化されるには眞空パックの技術開発も必要でした。それやこれやで、ちりめん山椒がフリークと呼ばれるひとたちを生んだのはこの20~30年のことなのです。
 香川のいりこ飯を速達で送ってもらったのですが、実態は醤油で煮詰めたいわしのかんから乾し、紀州の貝塚煮と共にちりめん山椒とは赤の他人でした。
 調理について一言。
 製法はかつて二度当掲示板で書いていますので、重複は避けます。Googleで検索したのですが、作り方はほとんどが同じ、おそらく孫引きが多いのだと思います。まず、油で十分に炒めるのと味醂ではなく砂糖を用いるのは共に食感をよくするために大事。味醂はべたつきます、ちりめん山椒は佃煮とは異なるので、味醂は使わないでいただきたい。「水と酒を浸るまで加え、灰汁を取ります」と前回書きましたが、さほど灰汁は出ません、これは塩抜きだと思ってください。ちりめんじゃこは塩茹したものを乾して作るのですから、塩抜きしないとだだ辛くなります。それを笊に取り水切りしたあと、醤油と砂糖を加えて煮詰めてください。山椒は同時に入れようが、あとから入れようが香味は変わりません。ただし、有馬山椒を用いるときはその漬け汁は除去してください、やはり辛くなりますので。醤油と砂糖の量ですが、100グラムのちりめんに30ミリリットルの同割り。繰り返しますが、醤油30ミリリットルと砂糖30ミリリットルの合計60ミリリットル、言い換えれば大さじ2杯づつです。これを超えると佃煮になりますので注意。
 しらす干しは最近は水分の多い軟らかいものが多くなり、煮て水切りしただけの釜あげしらすが出回っています。水分の多い軟らかいものは、だいこんおろしと和えたり、卵とじ、てんぷらなどにしますが、ちりめん山椒にはどうあっても、よく乾したちりめんじゃこを使ってください。食感がいのちの食べ物です。固めに硬めに作るように心掛けてください。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月30日 21:13 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 縮緬雑魚

一考様

篤学の一考さんに、今更こんなことを申すのも詰まらぬことですが、日本国語大辞典第二版には、
「縮緬雑魚」ちりめんざこ、ちりめんじゃこの二項目が挙がつてゐて、「カタクチイワシの稚魚を煮て干したもの。ちりめんじゃこ。ちりめんぼし」「季語・春」と書かれた後に、俳諧七車集(1694か)の「半月は江口の里に船留て」といふ尺艸に附けた、横九の「縮緬雑魚に覆ふ夏草」が引かれてゐます。また「物類称呼」(1775)に「いさざ、俗に、ちりめんざこ、といふは此魚の乾たる物也」や、鏡花の「高野聖」(1900)の例もあります。あるいは、また、咄本・咲顔福の門の例も引用されてをりました。愛媛では「ちめんじゃこ」といふとも。
これらは今回一考さんの仰言つてをられる「ちりめん山椒」とは違ふものでせうね。
余計なおしやべりをいたしました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月01日 00:10 | 固定ページリンク




一考 | 平井呈一のことなど

 高遠弘美さんへ
 迷惑をお掛けし、申し訳ございません。足穂の件はどうかよろしくお願い致します。このところ文学以外の書物ばかり作っているので、あのような企画を突然持ち込まれて困っておりました。〆切は8月に延びたようですね。
 『ゴシック名訳集成』には平井呈一さんの訳が多く収録されてい、牧神社時代を思い出しました。ところで、平井さんは死ぬ日まで訳稿を推敲しつづけていらっしゃいました。おとらんと城綺譚、マッケン作品集成、ラブクラフト、私の机書だったダウスンのディレンマやこわい話・気味のわるい話等々、真っ赤に朱を入れた自筆訂正本をやまのように見せていただきました。重版がでるときはこれを使いたいと目を輝かせていらした、あれらの書物はどこへ行ってしまったのでしょうか。吉田さん(奥方)は二年ほど前に老人ホームで亡くなられました。娘さんが保管なさっていればよろしいのですが・・・心配です。某編輯者から平井さんのことを書けと命じられているのですが、事情があってまだ果たせずにいます。「世間をわざわざ狭くして生きている」との叱責を受けるのですが、それが性格なら致し方ございません。
 ご指摘の俳諧七車集はさっそく調べてみます。芭蕉、蘭更、丈草には結構な句があったのですが。いづれにせよ、常に貴重なご指摘ご教示にあずかり恐縮いたしております。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月01日 04:28 | 固定ページリンク




一考 | ちりめん山椒つづき

 ちりめん山椒の貴重なレシピがはいりました。京都の西方嵐山(らんざん)で最も有名な割烹と申せばどなたにもお分かりでしょう、当然屋号は伏せさせていただきます。
 
 ちりめんじゃこ1キロに水4合と酒6合を沸かして灰汁取り。
 あとのレシピは以下のごとし。
 濃口醤油 1.4合
 たまり醤油 0.4合
 砂糖 200グラム
 有馬山椒 150グラム
 水飴 0.2合

 私の方式だと20分ほどで出来上りますが、こちらの方式だと1時間半は掛かります。それと最初に入れる水と酒をそのまま使うので、やや臭みが残るかもしれません。その分、高級なじゃこを用いればよろしいわけです。先々代の板長と親しかったものですから、ご教示いただきました。京都のちりめん山椒を代表する作り方と解釈していただいて結構です。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月01日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | ちりめんと異物

 このところ、かなりの種類のちりめんじゃこを食べている。それらのなかからお気に入りを紹介しておきたい。河出書房の紹介で知った中原水産がそれで、淡路で海産物製造卸を営んでいる。住所は兵庫県洲本市炬口1-1-44、郵便番号は656-0011、電話0799-22-1406、ファクシミリ0799-22-2683、炬口はタケノクチと読む。淡路の地名の読みは濁音に間違いが多い。地震で有名になった南淡町は当時の新聞や週刊誌ではナンダンと読ませていたが、字限図、地籍図では共にナンタンである。私が育った福原は土地台帳ではフクハラだが、古老を除き、ほとんどのひとはフクワラと発音する。これは東京の吉原も同じである。
 余談はさておき、中原水産のちりめんには廉いものと高いものの二種類がある。この違いは天日干しか否かによるのがほとんどだが、中原水産の場合は大きさを揃えることと掃除にあるらしい。子供のころのちりめんじゃこには子蛸や子烏賊、またイワシ以外の稚魚がよく紛れ込んでいた。私はそれらの異物が好きで、大事に取り置き、最後に食べたものである。アジ、ママカリ、カレイの稚魚などは特に宝物のようなもので、それが当たった日など、一日中機嫌がよかったのを覚えている。ひとはどのような環境下、閉塞された場にあっても夢を抱く、ちりめんに紛れ込んだ異物になにを響影させようとしたのか、すくなくともそこには「おいら、ひとり横むいたオットセイ」のような孤独な存在があった。私がなぜ、ちりめん山椒に惹かれ、ちりめんじゃこにこだわるのか、理由はそのあたりにありそうな気がする。
 もっとも、そんなことを述べていては美味いちりめん山椒は作られない。中原水産の高い方のちりめんはグラム340円、お薦めである。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月01日 19:43 | 固定ページリンク




高遠弘美 | しばしば書き込みをして申し訳ありません

一考様

もう十五、六年になりませうか。わたくしが愛読してゐる本のひとつに、三橋淳『世界の食用昆虫』といふ本があります。『悪食大全』の後書きや、ユリイカの「昆虫の博物誌」などのときにも引いた書名なので、ご記憶にあるかと思いますが、食べたことはなけれど、わたくしが最も感動したレシピを紹介いたします。文化の根本といふのはここにあると思ひました。

世界のある国の人々の料理を紹介した部分です。以下引用。

彼らは尾長猿を殺して、腹を割いて腸を取り出し、体腔にシトルスヒストリックスという柑橘の葉やそのほかハーブをつめて、切り口を縫い合わせる。それから彼らは白蟻の巣を探しにゆき、巣を切って、その中味でペーストをつくり、それを猿の体に塗って、完全に覆ってしまう。
このようにした猿を、木の枝に吊し、その下に皿を置いておくと、液体がしたたり落ちて皿に集まる。これはマンキーソースとして珍重されており、美味であるという。一週間か二週間そのままにしておくと、今度は皿に蛆が落ち始める。これは多分、肉蠅の幼虫であると思われる。この蛆がもう落ちてこなくなったとき、猿を木からおろして切り開くと、通常二ないし三匹の甲虫の幼虫と思われる大きな虫がみつかる。次に彼らは、ココナツの実を集め、熱し、殻に穴をあけ、中の液が冷えてから、一個のココナツに一匹ずつその甲虫の幼虫を入れ、穴を白蟻の巣のペーストでふさぐ。ココナツはさらに布で包まれ、またその上にペーストが塗られる。そしてさらに三週間くらい放置したあと、殻を割ると、蜜柑くらいの大きさにふくれあがった幼虫が出てくる。この幼虫は非常にうまいものとして、特別な儀式の際に食べられるという。


如何でせうか。 一考様

もう十五、六年になりませうか。わたくしが愛読してゐる本のひとつに、三橋淳『世界の食用昆虫』といふ本があります。『悪食大全』の後書きや、ユリイカの「昆虫の博物誌」などのときにも引いた書名なので、ご記憶にあるかと思いますが、食べたことはなけれど、わたくしが最も感動したレシピを紹介いたします。文化の根本といふのはここにあると思ひました。

世界のある国の人々の料理を紹介した部分です。以下引用。

彼らは尾長猿を殺して、腹を割いて腸を取り出し、体腔にシトルスヒストリックスという柑橘の葉やそのほかハーブをつめて、切り口を縫い合わせる。それから彼らは白蟻の巣を探しにゆき、巣を切って、その中味でペーストをつくり、それを猿の体に塗って、完全に覆ってしまう。
このようにした猿を、木の枝に吊し、その下に皿を置いておくと、液体がしたたり落ちて皿に集まる。これはマンキーソースとして珍重されており、美味であるという。一週間か二週間そのままにしておくと、今度は皿に蛆が落ち始める。これは多分、肉蠅の幼虫であると思われる。この蛆がもう落ちてこなくなったとき、猿を木からおろして切り開くと、通常二ないし三匹の甲虫の幼虫と思われる大きな虫がみつかる。次に彼らは、ココナツの実を集め、熱し、殻に穴をあけ、中の液が冷えてから、一個のココナツに一匹ずつその甲虫の幼虫を入れ、穴を白蟻の巣のペーストでふさぐ。ココナツはさらに布で包まれ、またその上にペーストが塗られる。そしてさらに三週間くらい放置したあと、殻を割ると、蜜柑くらいの大きさにふくれあがった幼虫が出てくる。この幼虫は非常にうまいものとして、特別な儀式の際に食べられるという。


如何でせうか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月01日 23:37 | 固定ページリンク




外山時男 | 泥鰌とちりめん

一考さま

 忘れていました。わたしの店の入っているビルはもともとは泥鰌屋だったのでした。昭和初期の四階建てです。四階の端にはいまも粗末な畳敷きの部屋が残っていて、板を打ち付けた壁に裸電球がひとつ。四畳半のわりには大きな下足の棚があります。従業員がかわるがわる階段をのぼってそこで休んだのではないかと勝手に想像しています。ご存知でしょうが八重洲富士屋ホテルの裏はむかしは青果市場で、近くには「大根河岸跡」なんて碑も立っています。泥鰌屋があっても不思議ではありません。当時としては立派なビルだと思いますから、よほどはやっていたのでしょう。いまはお化けが出そうですが。
 友人の「江戸っ子」たちに限っていえば、彼らに選民意識があるとはとても思えません。そのうちのひとりに泥鰌について尋ねてみたところ、浅草では昭和三十年代中ごろまでは「泥鰌売り」がやってきて家で味噌汁にして食べていたとか。見なくなったのは、第一にはたぶん近隣の田園で泥鰌が売るほどには採れなくなったからでしょう。これには農薬の影響があるかもしれません。それとやっぱりあの姿。洗濯機や冷蔵庫など生活が電化され日常に「清潔さ」が増すにつれ、ああいうヌルヌルしてなまなましいものはだんだん駆逐されていったと見るのが妥当かと思います。なにしろ都会生活はどんどんデオドラントになって、いまや魚は生き物ではないみたい。
 一考さんのご質問の趣旨とははなれてしまいました。
 泥鰌とちりめんじゃことが結びついていたとは想像もしていませんでした。反復反復のちりめんじゃこにまぎれた異物がモンダイなのなら、泥鰌の場合は泥鰌自身が都会の異物なのでしょうか。
 味噌汁の浅蜊に1個まじったシオフキだとか、浅蜊の身に隠れていたちいさな蟹だとかを見つけたときは妙に嬉しかったものです。ただこの嬉しさの感覚は一考さんの仰る「ひとり横むいたオットセイ」とはすこし違うような気がいたします。
 泥鰌と蕎麦とはきっとどこかで似ています。
 ちりめんじゃこにはその一匹いっぴきに目がついているのが印象的です。
 一考さんにとってのちりめんじゃことは、安部公房の「砂」みたいなものなのですか?
 ひとつひとつの目が、「世間」みたいなものなのですか?



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月02日 04:00 | 固定ページリンク




一考 | 新潟麦酒

贔屓にしている新潟麦酒がホームページを設けました。プレミアムエール・エディンバラはお薦め、ぜひご購入ください。
http://www.niigatabeer.jp/



投稿者: 一考    日時: 2004年07月02日 07:58 | 固定ページリンク




一考 | 注文です

 やまいちの山田さんへ
 こちらこそご無沙汰致しております。白生にごりもそうですが、新潟麦酒のエディンバラ、ゴールデン・エディンバラ、エール・ド・ブルーベリーの3種類を置いて下されば、これからはやまいちで購入します。それとイギリス・マンチェスターのパブエール「バディントンズ」も欲しいのですが、こちらは値段次第です。ウィット・ブレッド社のドラフト・ビールで、10年位前は大阪の重松が輸入していました。しばらく扱うインポーターがなかったのですが、2年前に六本木の某社が半年前からは池袋の某社が扱っています。目白の田中屋さんには常備されています。貴社で取り寄せが可能なら、仕入れが楽になります。返事はメールで結構です、どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月02日 08:29 | 固定ページリンク




一考 | 縮緬山椒まだつづきます

 土曜日に京都の錦市場から冷凍の実山椒が到着。既製品の香味がいまいちなので、たまり醤油を用いない有馬山椒を作ろうと思ったのです。まず、掃除が一仕事、次いでふっくらさせるために湯掻いてから蒸すのですが、時間がないので電子レンジを使いました。おそらく月曜日にはそれなりのものが出来上っていると期待しています。
 せっかくの生の実山椒ですから、その状態でのちりめん山椒も作りました。ちょっと山椒がきついかとも思われますが、色彩はあざやか、いい照りが出て、写真撮影には最適のものになりました。ただし、こちらは一時間半はゆうに掛かりました。
 郡司正勝さんの口癖は「ぐんぐんよくなる郡司正勝」だったのですが、ですぺらのちりめん山椒もぐんぐん良くなっています。かかる機会を与えてくださった「料理王国」に感謝。撮影は水曜日ですが、問題なくクリアできそうです。掲示板で与太を飛ばしたおかげで、原稿の方も一日に済ませました。外山さん、高遠さん、そして何時ものことながら管理人の櫻井さんに感謝致します。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月05日 01:23 | 固定ページリンク




一考 | 目の観念論

 外山時男さんへ
 浅蜊とシオフキですか、潮干狩の雰囲気になってきました。子供のころよく行った播麿の東二見の浜を思い出します。「浅蜊の身に隠れていたちいさな蟹」、あれは隠れていたのですか、私はてっきり補食されたものだと思っていました。だって、半ば消化済みの蟹をなんどか見掛けたものですから。子蛸やアジの稚魚と違って、なんとなくグロテスクな雰囲気を感じていたのです。
 ちりめんのなかに身をかがめた見馴れない魚たちからなにを読み取ろうとしたのか、今となっては定かでないのです。ただ、小・中学生のころは無性に淋しかったのです。当然ですが、他者や世間に責任があるのではなく、自らのへまや至らなさが心底いやになったのです。それからあとはグレてしまって女漬け、酒浸りの日々を送りました。東京で云うところのねりかんブルースを地でゆく荒れ模様の生活で、ずいぶんひとさまに迷惑を掛けました。蕎麦の世界は知りませんが、福原のような色町は渡りのごろつき職人ばかり、60年代の板前には八九三者が多く、間違いなく私もその片隅に籍を置いていたのです。もっとも、同じ神戸でも花隈の高級割烹には専門莫迦とでも称する他ない実に立派な板さんがいらっしゃいましたが。
 料理はさておき、私が述べたいのは十代前半の学生のころのはなしです。フィヒテやヘーゲルではありませんが、ひどい疎外感に悩まされていました。フィヒテが分かっていたのかなどと素見さないでくださいよ、あのころは必死だったのですから。そがいはそがいでも性格が背向だったのかも、などと今なら駄洒落のひとつも平気で出るのですが、当時は難儀致しました。ハイキングや旅行などの団体行動への不参加にはじまった駄々(っ子)イズムはやがてお定まりの登校拒否へと深化し、教科書を破り捨てての古本猟り。私のような間抜け面の半可通が世間さまが読むような書物を繙いてはいけない、手に取ってはならないとの強迫観念が古本の世界への誘いとなったのです。いまなお、「貧困小説集」や「陽のあたらない文学館」などと嘯いているのをみると、きっと反抗期がいまなお続いているのですね。
 はなしを戻します。ちりめんのなかの異物がひょっとして仲間はずれにされたさかなではなかったか、致し方なくカタクチイワシのなかに身をひそめていたのでなかったか、そんな宙ぶらりんを選択するしかなかった存在、さらに申せば、ひろい海にあって寄る辺のないものたちを囲ったのがイワシの稚魚たちだったとすれば・・・海のなかにはまだいのちへの愛が友情が残されているのではないか・・・そのような惚けたことを案えながら、肝心のちりめんに舌鼓を打っているのですからひどいはなしです。
 それにしても、「ひとつひとつの目が、『世間』みたいなものなのですか」とのご発言には参りました。「デオドラント」を据えて「泥鰌の場合は泥鰌自身が都会の異物なのでしょうか」と結論づける明解な論旨、加えるに非凡な着想と鋭い奇想が交錯する妙な味わいをあなたはお持ちです。例えば「ノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユ・・・大宗教に囚われた八百万の神の趣」などは抱腹絶倒、あなたに食べ物のはなしを書かせる編輯者はいないのですかねえ。すこぶるユニークな随想集になると思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月05日 01:25 | 固定ページリンク




外山時男 | ピンノ

一考さま

 二枚貝の中にいる蟹は「ピンノ」と呼ばれる種類だそうです。「半ば消化済み」に見えたのはおそらくメスのピンノと思われます。メスは二枚貝へ入ったあとは二度と外へ出ずに暮らすので、オスよりいっそうぶよぶよしているとか。または、そこで生涯を終えて溶けかけたピンノだったのかもしれません。
 蟹で思い出しました。
 夏の数日は館山の友人宅へ行って磯遊びをするのですが、あるときそこへ向かう途中の高速を降りて国道へ入ったあたりの左手に、大衆蟹料理店『蟹工船』の巨大な看板が立ちました。これにはたまげました。
 戦後世代もいいところの私にとってさえ「蟹工船」と言えば築地警察の取調べ室なのに、なんじゃこりゃあ。
 先年、築地警察はなんの批判もなくあっという間に建て替えられてしまいましたが、これも東京の無味無臭化の一環なのでしょう。 



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月05日 17:15 | 固定ページリンク




一考 | 文学論

 高遠弘美さんへ
 かくまで複雑かつ錯綜したものを知らないのですが、はじめて鮒寿司を食べたとき、知床のくさや風鮭とばを食べたときを思い出しました。確かに、調烹とはとんでもない文化だと思います。類推の標本のようなもので、想像力の飛翔以外なにもないと思うのです。
 掲示板で一度書いたことですが、昔、らんちゅうを飼っていました。先祖帰りと云って金魚の子の一割は鮒の子になります。そのままにしておくと、成長の早い鮒の稚魚が金魚を食ってしまい、池は鮒だけになってしまいます。要するに、人の手が加えられての存在なのです。プルーストやユイスマンスが金魚にこだわった理由が、またはデカダンスの骨法が金魚を飼うことによってはじめて実感として諒解できたのです。もっとも、池の主が金魚であろうが鮒であろうが、私の知ったことではないのです。でも、それを承知でどこまで意地を張るか、飼い主が自分なら喝采を送るのも落ちこむのも自分ひとり、生きるってそんなことですよねえ。
 外山さんではありませんが、恵比寿のガード下の貼り紙、立ち寄った喫茶店で泳ぐ一匹の金魚、笊のうえに並べられたちりめんじゃこを見詰めることによって、ひとは間違いなくどこかへ旅立ちます、なんの役にも立たない旅立ちですが。一方、いくら美しく盛り付けられた料理であっても、数分後には跡形もなく消え去ります、食い荒らされるまでの刹那の旅程。その食に費やされる時間が短ければみじかいほど、ネタを吟味し調理に途方もない手間ひまを掛けたくなる。これも一種の意地の張り方なのでしょうね。だって、材料の見定めや下拵えの段取りなど分かる客は万人にひとり、客が鮒であろうが金魚であろうが、そんなことはどちらでもいいのですよ。
 あなたの書き込みに秘められた「途方もない手間ひま」、そのあたりに「死を目前にした、定まらない揺蕩う残照」のようなもの、要ははにかみがあると思うのです。はなしがぶっ飛んでいますか。ものを著すのと割烹には似たところがあると思うのです。好奇心と無意味さとが手に手を取っての旅立ち、嘘のペーストで欠落した箇所を補い、さらに大風呂敷で包み、またその上を嘘のペーストで塗り固める。それが本命かと思いきや、一挙に「岡山の焼鳥」と化す。きっと、引っ込み思案で恥ずかしがり屋の駄目人間でなければ料理人にはなれないと思うのです。いわんや物書きに於ておや。
 感嘆措くあたわぬ書き込みに深謝、fraterniteを感じつつ。

追記。アラビア半島のアハダル山脈に栖む尾長猿は昆虫や鳥の卵をよく補食するそうです。年代不詳ですが、オマーンのマスカット港の闇市でマンキーソースが売られていたとの記録があり、フランスのオリエント学者アントアーヌ・ガランによれば、件の幼虫はイスラム教少数派のひとつイバード派の儀式に用いられたとか。また、タクヒール・ザビロフの云うところによればサイード・ブン・タイムールの好物であったそうな。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月05日 20:31 | 固定ページリンク




一考 | きんたまが西瓜

 外山時男さま
 小林多喜二は大館の没落農家の生まれ、館山とは一字違いですから、それもなにかの縁。築地警察で下腹部に30数本の釘を打ち込まれての拷問死、きんたまが西瓜ほどに腫れ上がっていたそうな。「蟹工船」の看板料理はまさか蟹の釘刺しではありますまいね。こんなことを書けば慎みに欠けます。「蟹工船」「不在地主」「工場細胞」から「右翼的偏向の諸問題」までよく読ませていただきました。文学といえばプロレタリア文学、マルクスを挟んで実存主義とプロレタリア文学が共存していました。共存というよりも、ほとんど同じものだったのです。
 ピンノの「メスは二枚貝へ入ったあとは二度と外へ出ずに暮らす」とか、ご教示ありがとうございます。まるで、フランスの作家マルセル・シュオブのような存在ですね。夭折したのですが、病弱のシュオブは生涯部屋を出ることはなかったそうです。だからでしょうか、海にあこがれ、海賊の研究をよくしています。現実の海も仮想の海もそう変わるものではなく、「表現者はいざりになるしかなく、生活に未練を持つあいだはものは書けないよ」これは種村季弘さんの弁です。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月05日 21:30 | 固定ページリンク




一考 | 泥鰌御礼

 さきほど、龜鳴屋の勝井さんより小包到着。なかを開けてびっくり、泥鰌の蒲焼でございました。勝井さん曰く「泥鰌といえば、金沢では蒲焼」お見逸れいたしました。お見逸れついでに、お手紙の一節を無断で紹介させていただきます。
 「金沢で一番おいしい泥鰌の蒲焼を焼いていた水野商店が数年前に店じまいし、以来まったく口にしていなかったのですが、掲示板のやり取りに、なにやら辛抱たまらなくなり、いろいろお店をあたられた」との由。「市内で泥鰌を専門で焼いているのは三軒、そのうちの浅田どじょう蒲焼店に目星をつけたところ、悪くない」らしく、「えらくギュッと串に縮めて刺してあるものの、小骨の小気味いい歯ざわりも焦げた苦味も舌によし。これならばと、泥鰌談議にひと味添えるべく」ご送付くださったとか。ちなみに、泥鰌は小形なるも、しっかりと旬の子持ち、農薬の薬味が含まれない芳ばしさ、とびきりの甜味でございます。
 持つべきは友、書くべきは食したきもの、もの欲しげな趣を顕に、遠慮なくひとに甘え、無心し、ひとを強請る。「売るのは媚、買うのは顰蹙」これぞわが人生の極意。もっとも、さんざんに為呆けた人生ですが。
 勝井さん、どうもありがとうございます。金沢か東京か、いずれであれ、徹宵痛飲の日を鶴首して待っております。

追記。ですぺらへ養子に参りし幻の猫十五匹、各々無事に里親が決まりました。当地の動物愛護協会からも感謝状を頂戴。ついては仔猫をあと十匹お送りくだされたく、どうかよろしくお願いいたします。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月05日 23:20 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 続いて

一考様


たまたまプロバイダーのサーバーがダウンしたせいで、一日インターネットに繋ぐことができず御礼が遅くなりました。

「文学論」一々首肯しつつ拝読しました。最後の「追記」にも大笑ひし、ジャックの死を知って以来、このところ鬱いでゐた気が晴れました。「マンキーソース」を他の箇所でみたことがなかつたので、十九世紀ラルース的「博識」にも通じる一考さんの愛すべき悪戯心と思はれなくもなく、それはそれで、と言ひますか、わたくしの気鬱ぎを敏感に察してくださつた一考さんの優しい思ひやりに窃かに涙した次第です。
さて、『世界の食用昆虫』はわたくしの座右の書ですが、前回ご紹介したものほど複雑怪奇ではなく、ごく単純ですが、わたくしの蒙をひらいてくれた箇所から二つだけ紹介しておきませう。だし、前回同様、カタカナ部分は漢字等に変へてあります。

【蚊】蚊は一般に知られているようにか細い昆虫である。これを食べるだけ集めるのは大変な仕事であろう。その蚊の目玉を集めて食べるという料理がある。いちいち蚊から目玉をくりぬいていたのでは、とても食べられるだけ集まらない。そこで、蚊の多いところで蝙蝠をつかまえ、腹を割く。腸の中で、蚊の目玉だけがこなれが悪くて残っているので、これを取り出して食べるのである。これは味よりも舌触りや歯で噛んだときの感触を楽しむものである。

蜻蛉の胸の筋肉などはほれぼれするほど美しい。残酷な話であるが、蜻蛉の翅を左右に引っ張ると、胸の真ん中がさけて、縦に並んだ筋肉が露出する。(略)活溌な運動を司る筋肉には赤身が多い。たとえば素早く逃げ回る雄のごきぶりの肢の筋肉は赤色筋である。(略)ごきぶりの後肢基節や腿節の、外皮をはがしてみると、食欲をそそるようなきれいなもも肉が現れる。顕微鏡で拡大してみれば、十分鶏のもも肉に比肩しうる様相を呈している(鶏肉のもも肉とごきぶりのもも肉の、相似た拡大写真あり)。もし、ごきぶりを鶏くらいの大きさにすることができれば、ブロイラーとして十分役立てることができよう。

ちなみに、著者の三橋氏は、東大農学部出身の農学博士。日本農学賞、読売農学賞などを受賞した昆虫学者。同書の最終章は、食糧供給の悪化対策から「未来食としての昆虫」となつてゐます。

追記
わたくしの分の「猫」もお願ひいたしますね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月06日 23:08 | 固定ページリンク




一考 | ちりめんと異物決定稿

 ちりめんと異物

 縮緬山椒のちりめんはカタクチイワシのしらす(稚魚の意)干しを指し、白簀乾とも宛てる。関西ではちりめんざこ、ちりめんぼしとも云ったが、松山から丸亀にかけての呼称、ちりめんじゃこが普及した。
 金沢のへしこ、福岡のイワシのちり鍋、長崎のイワシ餅、香川のいりこ飯、紀州の貝塚煮等々、イワシにまつわる郷土料理は多いが、大磯のたたみいわしと京都の縮緬山椒は特段の扱いを受けるようになった。とりわけ、縮緬山椒は瀬戸内の漁師料理の枠を飛び越え、いまや京都を代表するブランドのひとつともなった。出世につれてちりめんフリークと称するひとたちが現れ、どこそこの縮緬山椒がどうのこうのと、喧しいかぎりである。
 静岡の舞阪、紀州の下津、広島の音戸、淡路の南淡から津名、阿波の和田島、大分の佐伯、鹿児島の川内等々、ちりめんじゃこの産地には事欠かない。また、縮緬山椒はもともとは賄い、家庭で自分好みの味わいを娯しむには打ってつけの調烹である。実山椒や有馬山椒を買ってきて、気楽にチャレンジして頂きたい。
 廉いものから高価なものまで、さまざまなちりめんじゃこがある。その違いは天日干しか否か、もしくは掃除が行き届いているかどうかである。私が子供の頃には天日干ししかなかったが、掃除となるとはなはだ心許なかった。当時のちりめんじゃこには子蛸や子烏賊、またはイワシ以外の稚魚が紛れ込んでいた。私はそれらの異物が好きで、大事に取り置き、最後に頂戴するのを常とした。アジ、ママカリ、カレイの稚魚などは特に宝物のようなもので、それが当たった日など、一日中機嫌がよかったのを覚えている。ちりめんのなかに身をかがめた見馴れない魚たちからなにを読み取ろうとしたのか、今となっては定かでない。ただ、すくなくともそこには「おいら、ひとり横むいたオットセイ」のような孤独な存在があった。私がなぜ縮緬山椒に惹かれ、ちりめんじゃこにこだわるのか、理由はそのあたりに潜んでいそうな気がする。
 もっとも、そんなことを述べていては美味い縮緬山椒は作られない。みなさんはずんと高級なちりめんじゃこに舌鼓を打っていただきたい。

追記。縮緬山椒の決定稿です。掲示板は言葉のゲーム、連想ゲームの場と心得ています。掲示板をどのように利用しているか。これでは参考にもならないでしょうが、一度私の舞台裏を明記しておきたいと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月07日 18:46 | 固定ページリンク




櫻井清彦・渡辺一考 | ですぺらオフ会

 ホームページや掲示板にカウンターを設ける趣味はまったくないのですが、管理人の櫻井さんが内緒でカウントを取ったそうです。カウントの二割ぐらいが実数らしく、もしそうだとすれば、三十名ほどの方が当掲示板を常時ご覧になっておられる計算になります。静岡に二人、石川に一人、京都に二人、大阪に一人、神戸に一人、明石に二人、九州に一人、以上はメールを定期的に頂戴している方々です。従って残りの二十名が東京近郊ということになりましょうか。いずれにせよ、蛸の糞で頭へ上がるがごとき私の書き込みを厭きもせずお読みくださり感謝しております。そこで、七月二十五日の日曜日に初のですぺらオフ会を催そうと思っております。肴を鍋ものにするかどうかは参加者のご意見次第、いずれにせよ、実費割勘でお願い致します。割勘と申しても酒を嗜まれない方はそのぶん考慮させていただきます。
 会場はですぺらにて4時から、参加ご希望の方は一考までメールをご送付ください、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 櫻井清彦・渡辺一考    日時: 2004年07月07日 19:21 | 固定ページリンク




一考 | 目玉蜘蛛

 高遠弘美さんへ
 出入りの肉屋さんからカンガルーのもも肉をスモークに使えないかと云われ、挑戦したのですが、おそろしく不味いものでした。「活溌な運動を司る筋肉には赤身が多い」のはそのとおりなのですが、鶏肉のもも肉には脂ののった皮が付いています。その皮と赤身のバランスが食をそそるわけで、皮を剥いでしまえば、味けのないものになってしまいます。そこのところが気懸りですが、コオロギやイナゴで予行演習は済ませています。ごきぶりのDNAを弄くった亜種のローストやカツレツもしくはラカンやボンレスハムに期待すると致しましょう。
 蜻蛉の胸ロースにも唆られるのですが、今回の圧巻は前段。蚊の目玉は中国でも知られた料理ですが、蝙蝠が介在するところがモンテスキュー的悪趣味のきわみでございましょう。
 ところでタスマニアの目玉蜘蛛はご存じですか。東南アジア、オーストラリア、中央・南アメリカ、アフリカに広く分布し約50種が知られていますが、八眼中前列の側眼がとくに巨大なのでこの名があるのです。四角形の網をつくり、これを前脚で広げて支えるか、数本の糸でつり下げて待機。餌の小動物が近づくとこの網を伏せたりすくい上げたりしてとらえるのですが、その腰の動きが泥鰌掬いの振りにそっくりです。
 そのタスマニアのオッサ山を含む西部の山地に棲息する目玉蜘蛛は巨大なものは体長15~20センチに達すると云われます。ゴンドワナ大陸からの生き残りで、体長1メートル余りのタスマニアデビルと共に生きた化石とも云われます。
 タスマニアを発見したのは1642年オランダの航海家タスマンですが、そのタスマニアが島であることを確認したのは1798年イギリスの探検家G・バスおよびフリンダーズです。そのあたりの消息は中井英夫さんも書かれていますが、タスマンが残した膨大な航海日記とG・バスおよびフリンダーズが著したタスマニア探検記については中井さんは触れていらっしゃいません。書中、原住民が儀式に用いる、目玉蜘蛛の目玉の調烹が詳しく誌されています。しかしながら、この目玉料理と似た料理が岡山と広島の県境、高梁川流域のカルスト地形にも残されています。松本の飴市の職人から紹介され、車を飛ばして蜘蛛神社の神主に会いに行ったのは20年ほど昔のはなしです。
 眼球の球内を満たしている透明な寒天様物質を硝子体と云いますが、これが水晶体を構成する水様液とは異なり特段に濃厚、ちょうど鯛の目のごとく美味であるとのはなしを端緒に抱腹絶倒の一宵を過ごさせていただきました。白蟻の巣のペーストではなく、もち米で作った汁飴と蜂蜜を練り合わせたペーストで目玉蜘蛛の目玉を包み、陰干ししたものを古名そのままに「たがね」と云うのですが、その飴玉を舐り、たがねの部分が割れて寒天質が口腔に拡がる瞬間、地元のひとは「じろり」と叫ぶのだそうです。また、その目玉とワニ(鮫の意)の白子のスクランブルを「ぎろり」というらしく、仄かなアンモニア臭がたまらない香味であるそうな。牛眼に疾んだ蜘蛛の目玉の巨大な逸品を「大目玉」と称しますが、その眼球筋と外眼筋はとりわけ珍重、海鼠腸や海鼠子同様、半干しもしくは生のものを一塩で頂戴するとか。
 かかる料理の馳走にあずかるのが「お目玉を喰う」「お目玉をちょうだいする」といい、前述の「大目玉」を食するのを「目玉が抜け出る」「目玉が飛び出る」と云うそうです。ちなみに神主曰く、目玉蜘蛛の歴史は古く、古墳時代の棗玉から能面の飛出、龕柩の語源に至るまで、そのおもかげは瑞穂の国の津々浦々にまで形相を変えて伝えられているとか。思うに、花田清輝や石川淳の弁証法は目玉蜘蛛のニスタグムスから掻払ったのではなかったか、ここはひとつ奥本大三郎さんのご登場を願うしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月07日 22:45 | 固定ページリンク




一考 | かちり

 昨日は終日ちりめん山椒と格闘、産地と味わいの異なるちりめんじゃこに合わせて六種類の微妙に違う作り方を試みました。ちりめんじゃこを「かちり」と呼ぶ地域があると、これは格闘中に来店なさった須永朝彦さんから教わりました。「かちり」との言い方は私も記憶があるのですが、そのように呼ばれていた地域が思い出せません。ご存じの方がいらっしゃれば教えてください。ちりめんじゃこはもともと西日本の食べ物で、おそらく北限は伊豆半島だと思います。しかし、記憶が正しければ甲信越での呼称でなかったかと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月07日 22:53 | 固定ページリンク




外山時男 | かちり、じろり、ぎろり

 一考さま

 「かちり」については申し訳ありませんが何も知りません。「じろり」「ぎろり」はひょっとすると一考さんのお好きらしいイタリアの自転車部品メーカーの名前なのかも。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月08日 07:29 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 譬喩

一考様

とりわけて暑い日が続きますが、皆様お元気でお過ごしのことと存じます。
縮緬雑魚について、大言海で調べようと思つたのですが、陋屋に山のやうに積まれた本をどけて大言海までたどり着くことは、この炎暑のなか、到底できることではありませんでした。いづれどなたか篤学の方がお書きくださるでせう。
さて、けふは、『世界の食用昆虫』第三弾(これにて打ち止め)として、いくつかご紹介しておきたませう。
わたくしの亡父(1897-1962)は、生前、まだ幼いわたくしに、「雉はね、白菜の漬け物とピーナッツを一緒に食べたときの味に似てゐるんだよ」と申してをりました。植物が突然鳥の肉の味に変ずる。わたくしはまだ小学生の子供でしたが、そのときはじめて、世界に存在してゐる種々の事物を結びつけるメタフォールといふものがあるのだといふことを実感したと言つてもいいかもしれません。世界には目に見えぬ網が縦横に張り巡らされてゐて、その関係に気づいたとたん、世界は混沌ではなくなる。さう亡父は言ひたかつたのかもしれないと、のちになつて思つたりしました。
面識こそありませんが、外山様の「ひとつひとつの目が、『世間』みたいなものなのですか」といふご発言に感銘を受けたものとしては、『世界の食用昆虫』にみられる譬喩を並べるのも一興かと思つたしだいです。

・ブゴング(かぶら夜蛾に近い夜蛾の一種)の成虫を木の窪みなどに入れ、石で搗いてつくったペーストは、脂肪のかたまりのようで、甘いナッツのような味がする。
・かまきりは、海老と生のマッシュルームを混ぜたような味で、美味である。
・長野県産蝉の缶詰を食べたが、ちょっと海老に似て、なかなか美味であった。
・水虫(風船虫の仲間)の味は、キャビアに似ているという。
・生の髪切り虫の幼虫は、ゼリーがとろけるような感触で、鮪のとろよりこってりしていて、うすい甘味があり、わさび醤油に合う。
・げんごろうは、干し海老のようだという人もいるが、するめのような味がして酒の肴に好適だった。
・象虫を火であぶって食べると、牛の骨髄に似た味がする。
・白蟻は生きているのをそのまま食べる場合が多いが、パイナップルのような風味がある。
・(ここは芥川の「虱」の引用で)「左様さ、油臭い、焼米のやうな味でござらう」(これが芥川の、知らぬがゆゑの形容といふことも今なら察しられますね)
・音楽評論家の藤田光彦氏によると、蛾の味は「チョコレートとヌガーやキャラメルをミックスした」ようなものだという。
・松毛虫の味は、海老と鶏肉を同時に食べるようで、特有の風味があり、たいへん良い。
・紋白蝶の幼虫である青虫のかき揚げは、甘味があって結構食べられた。この甘味は、青虫の腹に一杯つまっていたキャベツによるものらしい。
・根切り虫のローストは、外側はカリカリしていて、内部はスフレのようにねっとりとしており、ハーブのような植物風味がある。
・黄金虫の幼虫のシチューは、ゆでた海老や蟹の肉に似ている。
・飛蝗のスープの作り方は、まず、塩胡椒とおろしたナツメグで味付けをしながら、強火で飛蝗を煮る。時々かき混ぜる。茶色になるまで揚げたパン、またはおもゆと一緒に、煮た飛蝗をすり鉢でつきつぶす。次に鍋に入れ、弱火で、沸騰しないように煮詰める。スープをこして、クルトンを浮かべる。海老のスープのような味がする。


きりがありませんから、このへんにしておきませう。
一考さんの「目玉蜘蛛」はすごい。大いに愉しみました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月08日 20:47 | 固定ページリンク




一考 | カクレガニ

 外山時男さんへ
 ご指摘を受けるまで知らなかったのですが、ピンノことカクレガニ(隠蟹)の習性は興味津々です。小・中学校で将来なにになりたいかといったアンケートがよくありますが、私はいつも「ひも」と応えて叱られていました。どうやらジゴロにはなりそこねたようですが、夢はどこまでも夢、蒲団のなかで私が仕合せそうな顔をしているときは、間違いなくゆめを叶えているときなのです。
 油虫、寄生虫、毛才六、ゴキブリ、才六、甚六、パラサイト、宿六等々、いかように申してもよろしいのですが、ピンノもまた、私が生涯を費やして追い求めてきた見はてぬ夢を具現した、あこがれの存在だったのです。ムラサキイガイ、ハマグリ、アサリ、カキ、ナマコ、ホヤなどの外套腔や排出腔に寄生するもの、ゴカイやギボシムシの棲管に棲みつくもの、なかにはサザエピンノのように、チョウセンサザエやマルサザエの胃のなかに棲むという信じがたい習性をもつ種もあるとか。胃のなかと云われると、やはり羊水のなかでさかんに欠伸する胎児を思い起こします。
 私は過去において、二度の過ちを犯しました。ひとつは生まれ落ちたこと、いまひとつは二十歳を迎えてしまったことです。取り返しのつかない失敗を、しかも厭きもせず繰り返してしまったところに問題があります。精神がニュートラルなのは十九の春まで、二十歳を越えてしまえば四十も六十も八十も同じようになにかが刷り込まれてしまいます。要するに、みんなただの爺婆になるのです。サザエピンノに倣い、生涯を羊水のなかで終えるべきだった、水子として昇天すべきだった、といまになって悔んでいるのです。
 実を申せば、「ジロッリ」と「ギロッリ」はミラノに工場を持つ自転車のフレーム・メーカーで、「チネッリ」のオーナーとは縁戚関係にあります。などという駄法螺を吹きだすと止まらなくなります。私のような死にそこないは法螺とぼやきの振幅のなかを生きるしか、手立ては残されていないようです。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月08日 21:18 | 固定ページリンク




まき | あまり経験ないけど…

普段と違う自分になっちゃいたいんですけど、付き合ってくれる人いませんか? 今まで大人しく生きてきたから… 私は27歳で語学学校の教師をしています。 身長は160?で痩せ方です!



投稿者: まき    日時: 2004年07月09日 13:45 | 固定ページリンク




一考 | 夢見がちなる陣中

 まきさんへ
 ですぺらは結構な歳を経ながらチョンガーという変態の溜まり場。年齢が変態の証明にはなりませんが、いい歳晒したおっさんがひけらかすロリコン趣味は立派な変態。ニンフェット、ロリータ・コンプレックスなどの言葉を生んだのはナボコフの小説ですが、本題は窃視嗜愛(ヴァヤーリズム)にあるのであって、決して年端のいかぬ女性へのあこがれではありません。若さや美へのあこがれだけなら、それは倒錯。倒錯とはさかしまになることを指すのであって、それ自体はおそろしく単純なものなのです。
 窃視嗜愛は窃視症(スコポフィリー)に通じるもので、のぞくところがかぎ穴であろうが戸のすき間であろうがカーテン越しであろうが委細構わないのです。のぞき見することでしか性的満足を得られないのはそのひとの勝手ですが、問題なのは窃視者は自らがのぞかれるのは極端に嫌がるという点です。
 ハンカチを被せてことに至るとよくいいますが、これは相手の顔を見たくないのではなく、上気した自らを見られたくないのが本音です。相手の顔を伏せようがどうしようが、クレオパトラや楊貴妃を想像するぐらいの芸当はどなたさんにも可能です。されば、涎でねたついた赭ら顔をひとの目に晒したくない、見られたくない、そこに真意があるのです。
 このような書き方で意が通じるかどうか、はなはだ心許ないのですが、窃視などという夢見が過ぎるひとたちに満足な対応(性交渉)ができるとは私には思われないのです。当掲示板であなたが期待なさるような結果が得られないであろうことは保証いたします。不悪。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月10日 00:01 | 固定ページリンク




一考 | 甘藍の詩

 高遠弘美さんへ
 「譬喩」はおもしろい。一部、ウィスキーの香味の表現に使えますので、掻払わせていただきます。
 秩序嫌いの私には世界は混沌のままの方がよいのですが、隠喩、暗喩に見られる直接対象物に属性を移しての文言には大いに惹かれます。属性の転移の妙味にまず目を見張るわけですが、その属性がさらに別な属性に変態してゆく、言い換えれば、対象につかず離れず、気づいたときはそれを越えてしまっている、というオチにメタフォールの醍醐味があるのではないかと思うのです。
 属性の転移を、自在な組み合わせ、野放図な取合わせ、デペイズマン等、いかように申してもよろしいのですが、私の好みを優先させれば、折衷、いろどりの方が座りがよろしいかと。ローストされた根切り虫や青虫のかき揚げはいうにおよばず、ブゴングの毳々しい装いとペーストされたときの滑らかなクリーム色に思いを致せば、隠喩とは醜いもの、不器量なものたちが飾る綺羅であり、競い合う華麗そのものではなかったかと思われます。おそらく、醜怪なものを対象物に撰んだほうが劇的なエフェクトが容易に得られる、ということに表現者は古くから通じていたのでしょう。古代ローマの庭園に設けられたグロッタからシェイクスピア、あるいはザムザの物語から幻の猫にいたるまで、彼等は「縦横に張り巡らされた目に見えぬ網」のすぐれた利用者であり、遣い手であったと申せましょう。

・紋白蝶の幼虫である青虫のかき揚げは、甘味があって結構食べられた。この甘味は、青虫の腹に一杯つまっていたキャベツによるものらしい。

 ここに見受けられる甘味を介在させての属性の変態。おそらく、ここから先の領域に詩歌があると思うのです。当然、著されるのは甘藍の詩になります。否、甘藍を通り越して、さらに仰々しく風変わりな毒虫の詩になるかもしれないのです。そこのところの詐欺的と云いますか、いい加減さがたまらない快感を私にもたらすのです。

追記。文中「長野県産蝉の缶詰」とあるのは「長野県産蝉の幼虫の缶詰」の間違いかと思いますが。  高遠弘美さんへ
 「譬喩」はおもしろい。一部、ウィスキーの香味の表現に使えますので、掻払わせていただきます。
 秩序嫌いの私には世界は混沌のままの方がよいのですが、隠喩、暗喩に見られる直接対象物に属性を移しての文言には大いに惹かれます。属性の転移の妙味にまず目を見張るわけですが、その属性がさらに別な属性に変態してゆく、言い換えれば、対象につかず離れず、気づいたときはそれを越えてしまっている、というオチにメタフォールの醍醐味があるのではないかと思うのです。
 属性の転移を、自在な組み合わせ、野放図な取合わせ、デペイズマン等、いかように申してもよろしいのですが、私の好みを優先させれば、折衷、いろどりの方が座りがよろしいかと。ローストされた根切り虫や青虫のかき揚げはいうにおよばず、ブゴングの毳々しい装いとペーストされたときの滑らかなクリーム色に思いを致せば、隠喩とは醜いもの、不器量なものたちが飾る綺羅であり、競い合う華麗そのものではなかったかと思われます。おそらく、醜怪なものを対象物に撰んだほうが劇的なエフェクトが容易に得られる、ということに表現者は古くから通じていたのでしょう。古代ローマの庭園に設けられたグロッタからシェイクスピア、あるいはザムザの物語から幻の猫にいたるまで、彼等は「縦横に張り巡らされた目に見えぬ網」のすぐれた利用者であり、遣い手であったと申せましょう。

・紋白蝶の幼虫である青虫のかき揚げは、甘味があって結構食べられた。この甘味は、青虫の腹に一杯つまっていたキャベツによるものらしい。

 ここに見受けられる甘味を介在させての属性の変態。おそらく、ここから先の領域に詩歌があると思うのです。当然、著されるのは甘藍の詩になります。否、甘藍を通り越して、さらに仰々しく風変わりな毒虫の詩になるかもしれないのです。そこのところの詐欺的と云いますか、いい加減さがたまらない快感を私にもたらすのです。

追記。文中「長野県産蝉の缶詰」とあるのは「長野県産蝉の幼虫の缶詰」の間違いかと思いますが。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月10日 00:14 | 固定ページリンク




薫子 | 能公演

 能公演のチケットを頂きましたが、行くことができないので、ご希望の方にお譲りします。

 櫻間右陣 襲名記念公演
 日時 7月11日(日) 第一部 11:00開演(10:00開場)
 開場 国立能楽堂  東京都渋谷区千駄ヶ谷4-18-1
 舞囃子 金春安明(金春流)
 能「西行櫻」
   シテ 櫻間右陣 ワキ 室生 閑 
   笛 藤田次郎  小鼓 亀井俊一
   大鼓 安福建雄 太鼓 金春國和
 A席自由席 2枚 

 チケットはですぺらにあります。ご希望の方は御連絡下さい。
 ですぺら 03-3584-4566



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月10日 05:01 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 補遺

一考様

 属性の転移。醜悪なものの装ひ。仰言るとほりだと思ひます。
さて、わたくし、ここ数日の酷暑で、すつかりへばつてしまひ、わづかにのこつてゐた気力をもみごとに失ひました。それゆゑ、今回は簡単に補遺のみ。
 さすが、悪食にも通じた一考さん。蝉の幼虫の缶詰の誤記といふことを見抜かれました。ただ、缶詰のラベルには「信州セミのからあげ」となつてゐますし、キャプションにも「長野県産セミの缶詰」となつてゐるのですけれど、中味はたしかに羽化直前の幼虫です。ついでですから、その製法を記しておきます。今度こそ『世界の食用昆虫』の引用の打ち止め。

 その製法は、羽化直前の幼虫をつかまえ、一昼夜水につけておいて、そのあとゴマ油の入った鍋で三十分くらい時間をかけてカラカラに揚げ、油をきって調味料と食塩をふりかけたもので、保存用にこれを缶詰にしたのだそうである。

 皆様、どうぞ夏ばてなどなさいませぬやうに。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月10日 10:19 | 固定ページリンク




外山時男 | ウィスキー

一考さま

 先夜はありがとうございます。ウィスキーがあまりに旨かったので、もう少しで違う自分になってしまいそうでした。
 『世界の食用昆虫』はさっそく手に入れました。高遠さま、どうもありがとうございます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月10日 12:48 | 固定ページリンク




一考 | 投票のすすめ

 劣化ウラン弾やクラスター爆弾の被害など、亡くなられた橋田さん以外にも米軍の民間人に対する恒常的なテロを撮り、書き継ぐ方がいらっしゃいます。それらの貴重な記事や証言がどうして日刊紙から閉めだされるのですか。彼等が身銭を切ってタブロイド誌を出さなければならないのはなぜなのでしょうか。
 肛門を棒状の化学照明具や箒の柄で犯し燐酸液をたらす、打ち据えた傷を痲酔もなく憲兵に縫わせるがごとき拷問の数々(ダルバ報告)、撃ち殺した道端の死体に手榴弾を仕掛けてその女房や子供まで殺そうとするイスラエルやアメリカの侵略者たち。イスラム系テロリストによる死者数が連日発表され、米軍系テロリストによる死者数またはベトナム戦争を上回る脱走兵の実態が公表されないのはどうしてですか。イラク戦争がいかなる理由によって、パレスチナ問題から切り離されるのですか。イラク特措法であれ、憲法であれ、ついぞ議論がなされないのはどうしてなのでしょうか。

 日本人は疑うことをやめたのですか。日本人は考えることをやめたのですか。今日は参議院選挙です。


追記。投票所で求めれば投票済証が発行されます。その証書をお持ちくださった方にはグラスワインを一杯プレゼント致します。有効期限は7月12日から15日まで。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月11日 05:55 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一杯のワインのためでなく

 さて、選挙にいつてきませう。
 「生活保守主義」に浸つてゐたのでは、権力者の思ふ壺。
 けふ日、「言論の自由」や「いのちの大切さ」などと声高に言ふと、揶揄軽侮する向きもありませうが、民主主義がいまだ根づかぬこの国にあつて、選挙権を行使しないのは、とくに現下の政治的状況のなかでは、いともたやすく長いものにまかれることにほかなりませぬ。
 一考さんの訴へに呼応して、さて、わたくしもこれから炎暑の中ではありますが、一票の権利を行使してくるつもりです。曽我さん一家の再会といふ仕組まれた「出来事」で、内閣支持率があがつてしまふやうなこの国のありやうでは間違ひなく死に票になつてしまふでせうが、それでも、選挙に行かなければ何も始まらないのですから。
ことしほど、学生諸君にも現今の政治状況を考へるやうに説いた年はありません。
On est aux portes du fascisme!



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月11日 10:43 | 固定ページリンク




一考 | 死に票

 選挙は民主党の惨敗に終わりました。公明党が11議席を取るなら自民党は32議席以下でなければ政権政党の過半数は崩れない。ところが自民党は49議席を確保、共産党の議席が民主党へ移行しただけのはなしである。
 いくつかの選択肢のなかから最良のものを選ぶのが選択なら、そのような選択を可能たらしめるための前提そのものを選ぶのも選択である。その選択の違いを大澤真幸氏は英語の二種類の助動詞「ought」「must」でもって説明する。
 氏は「われわれは何も選んでいない(朝日新聞7月12日夕刊)」のなかで、「mustに関る新たな選択をなすということは、あるものを選択の余地のないものに見せていた『生存』の枠組みそのものを変えるということである。だが、年金法に『否』を突きつけているだけのとき、われわれは、単に、この生存、この現在の生活に固執しているだけなのだ。確かに、このままでは破綻しそうだということを理解しており、この生存から脱出したいとも考えてはいるが、だからといって『別の生存』のあり方についてのイメージはまったくない」と既存政党の政策の無為を非難する。
 「通常の選択(oughtの水準)の前提をなす本質的な選択(mustの水準)へと人を誘うのは、難しい。事実、社民党や共産党はこれに完全に失敗した、単に護憲や自衛隊の海外派兵を批判しているだけではだめである。まったく、異なった枠組みのもとでも、共同体の秩序が存続しているということ、構造のトータルな崩壊はありえないということ、こうしたことを保障してやらなくてはならないのだ。そのために必要なのは、決定的な構想力(想像力)と結果責任への覚悟である」と論じ、今回の選挙結果のあいまいさをあぶり出す。
 つづく結句は以下のごとし「だが、それらを担う者はどこにもいなかった。今回の選挙が選んだこと、それは、選択ということの拒否そのものである」

 選択を色分けし、「枠組み」を変える担い手の不在を指摘するのは結構だが、書かれた内容は「どの党(政治家)も期待ができない」との多数の有権者の考えを一歩も出るものではない。「すでにグローバルな(軍事)行動に参加しているのだが、まずはローカルにものを考えた」と有権者の立場を総括し、「有権者は、単に、不安だったのである。自分たちの将来の生存に関して、つまり自分たちが何十年か後に安全に幸福に暮らしているかどうかということに関して」との指摘が有権者の投票行動を規定した生活保守への非難として著されるならともかく、政治家の無為無策にのみ転嫁されることに、私は危惧を覚える。
 私などはもっと単純に、政治の悪しき部分は政官・官官・官民の癒着におおかたの根があると思っている。大澤氏が述べるように「構造のトータルな崩壊はありえない」のである。だからこそ、必要なのは政権交代なのであって、交代が頻繁になされることによって、癒着の構図は構図としての用をなさなくなる。過去一度チャンスはあった、細川内閣のときである。あのまま、政権に携った経験のない政党がさまざまな組み合わせによる内閣の成立に参加していれば、間違いなく日本は変わっていた。ところが当時の社会党の造反によって自民党は息を吹き返し、その状況は政権政党の補完にいそしむ現在の公明党にまで続いている。
 当時、政権交代にもっとも近い政党が共産党であれば、私は共産党に協力するとまで公言して憚らなかったのは小沢一郎である。一部の有権者は「あのひとでなくちゃあ」と考える。この「あのひとでなくちゃあ」と政治家本人の「わたしでなくちゃあ」にはoughtに基づく同種のコンポジションがある。他方、mustに関る選択を示唆した唯一の政治家が小沢一郎でなかったか。自民党を離党してから現在に到るまで小沢氏の立場は一貫している。投票日の夜、古館伊知郎と田原総一郎が小沢一郎に対してなぜ民主党の委員長にならないのか、といった生臭い質問を繰り返していた。一介のジャーナリスト風情に小沢氏の理念など理解の外らしく、氏は「政権交代がなされるのであれば誰でもよい」「だれでもよいのですよ」との文言を残してスタジオから立ち去った。
 政党不信と同時に、個人の積極的意見表明をあまり評価しない日本の政治風土は明治から今に続いている。平準化志向の強い知的風土が関連していると思われる。広島の愚同様に、静岡にあっても、飛行場の建設を否定した海野徹氏が落選し、藤本祐司氏が当選した。総論賛成、各論反対、地元への利益誘導にしか興味を持たない連合の浅ましい謀略であった。
 私は日本の政党にも政治家にもなんら興味を抱くことができない。oughtに関する選択に終始し、その実績を誇るがごとき、公明党などが日本的政党の典型であろう。彼らは自らの近視眼的言動ないしは条件闘争が民衆の夢や理念を蝕み、政治不信を増長させていることに気付かない。
 とまれ、「ought」であろうが、「must」であろうが、そんなことはどうでもよいのである。問題なのは風通しであり、政権交代である。だれが総理大臣になってもよいのである。そのような瑣末なことを気に病んでいては何もはじまらない。いつか成就されるであろう政権交代の日まで、私の「死に票」は繰り返される。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月13日 22:42 | 固定ページリンク




ユリーカ | シンクロにして~っ!

死に票=今日のそれいちばん大切なこと!
けだし、あなたと宇宙の結果=幸運という力=君が知っているもんばかりのはずだが。(~繰り返し何度でも~)

「シンクロニシティ」の翻訳語を相変わらず「共時性」などと言ってる輩は、時間意識、空間、物質概念が虚弱だし、私に言わせれば愚鈍だ。
私ならさしずめ、もっとこう、本当の意味で楽しくも怖ろしいワンダーで不可知な音感を込めて「暗合」と叫きたい。

世界じゅうに思わぬカタチでバラバラに投げ出され、残酷なまでに展開している或る種の俗的なるものに対して、じつは各々誰しもが独自に切実な興味をもって敏感に反応を示すのであり、彼の見えざる触角(アンテナ)=カニ星人は、磁力に振れながら知らず知らずのうちにそれに接近し、そこに特別なナニカを看取ってしまわずにはいられない。そして、その時こそ、中空存在としての自分の姿に気付かされる筈だ。或る種の居心地良さのようなものと共に・・・

晩年のニーチェが、あの寒い朝、辛そうに荷車を引く疲れ切った痩せ馬を見た途端に号泣し、オンマさ~ん!オンマさ~んっ!と言ってなりふり構わず抱き付き発狂したのも、そこに打ち捨てられた見ず知らずの本当の自分の姿を見つけてしまったからに他なるまい。
それは、意志を断滅する限りに於いて世界との調和を手に入れたということだ。

要はこういうことだ。人は自分の思うようなものになっっていく、ということ。
振り出しに戻ればいつもそうだった。=望まれた未来。(~繰り返し何度でも~)

斯様に見渡せば世界は、暗合=暗号= QUE に満ち溢れて、すべからく人心をそそのかし続けている。
だから私は、さがすけれども選べません。
選択、決定が出来ると云うことは、或る種の自由を意味するが、それはナニモノカへの裁きでもあることをココロしていなければならない。けだし限定とは、それ以外への排除であり、即ち精神的不自由の謂いだからな。

補遺
キチガイ機関車野郎=ろくちゃん=どですかでんっ!どですかでんっ!どですかでんっ!・・・・「こらっ、うるさいっ!」・・・のように自らを或る運動状態として世界を道連れにすると云う高等戦術もある。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月15日 01:02 | 固定ページリンク




薫子 | ご返事

 ユリーカさんへ
 何度も書き込みありがとうございます。でも、わたくし、アホなもので、お書きになっている内容が全くわかりません。どうぞアホにもわかる日本語にてお書きください。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月15日 21:15 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらあれこれ

 外山時男さんがですぺらへいらっしゃいました、お連れさん共々娯しい語らいに終始。外山さんは想像したとおりのけったいな方でした。結滞ではなく、関西方言の卦体でございます。東京風に申せば稀代、あやかし、きてれつ、へんてこりんの意が含まれます。澁澤龍彦さんほどではないにせよ、やはり風采は小振り、しかるに発言は大胆、思惟するところは磊落にして雄渾。無頓着が割烹着をまとってふんぞりかえるの図を思い起こしてください。間違いなく、私のもっとも好きなタイプの御仁だったのです。
 外山さんがいらした日、遅れて福島泰樹さん、佐々木幹郎さん、間村峻一さんたちがいらっしゃいました。虚説閑話、辞柄、珍談が夜を徹してつづき、あちらこちらで微睡むひとあり。嫌がる佐々木さんを口説き落とし、結論はあさぼらけの新宿行となりました。どうやら、間村さんと私はともにアナザー軒の癖があるらしく、赤坂で酔いつぶれたことはなさそうです。
 以前、掲示板で紹介させていただいた「オポッサムと豆」所収の佐々木幹郎さんの新しい詩集「悲歌が生まれるまで」が月末に思潮社から上梓されます。ですぺらでの出版記念会は8月7日(土曜日)、詳細は追って掲げますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月15日 22:47 | 固定ページリンク




ユリーカ | ダウジング翻訳


私達は
外部の繋がりだけじゃ 
決して満足出来ない存在だ
憎悪と友愛のなかでさえ…
音楽と陶酔のなかに     
おまえを抱きしめたいのか
殺してしまいたいのか
判断出来ないイキモノだ…

Charles Baudelaire 『遺稿集』より 



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月16日 20:09 | 固定ページリンク




余暇浜ショップ | 余暇浜ショップ

ウェブコンビ二の余暇浜ショップです。 コンビ二のようにお使いください。全国どこへでも一律290円です。代引き手数料もコミコミです。



投稿者: 余暇浜ショップ    日時: 2004年07月17日 02:43 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | ボオドレエル遺稿集とは、はて面妖な?

ユリーカさんの「ダウジング翻訳」によると、Charles Baudelaire 『遺稿集』
なる本に、かれ(またはかの女)が書き込んだところの「詩」のごときものが
あるというのだが、翻訳を通じて30年以上、曲がりなりにもフランス語を読める
ようになってから四半世紀以上は原文、翻訳、研究の三者を通してこのフランスの
詩人に親しんでいるものの、幸か不幸か、わたしは、いままでこのような表現に出
会ったことはない。 
どこぞに同姓同名の詩人が存在しているのか、あるいは、「火箭、赤裸の心」の
堀口大学訳同様、自分の気質に合わない原文を「超訳」されたものなのか、ぜひ
とも原文併記のうえ、御教示いただけると幸甚と存じます。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2004年07月17日 06:40 | 固定ページリンク




外山時男 | ニイニイゼミ

一考さま

 「無頓着が割烹着着てふんぞりかえる」はひどいじゃあーりませんか。
 まるで中世ヨーロッパの世俗版画の題名です。あんなに行儀良くかしこまっていたのにひどいなあ。
 ゆうべニイニイゼミが迷い込んできてほうっておいたら今朝もまだ床で生きていました。食べようかどうか迷っているうちによちよち歩きはじめたので、これはよかったとつかまえてジージー鳴くのをベランダのオリーブの幹にくっつけてやると上へ上へ昇ってゆきました。
 仕事の電話を一件して顔を洗って戻ってみるともう姿はなし。
 どこかへ飛んでいったのですね。
 哀しいような嬉しいような。

 これから蛾の季節になります。外灯に細かなゴミみたいな蛾があつまります。良く見ると蝶よりずっと綺麗です。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月18日 14:11 | 固定ページリンク




ユリーカ | 磁気作用

 薫子さんへ

御返事、ありがとうございます。
かのサルバドール・ダリの創作態度はパラノイアック・クリチック(偏執狂的批判的創造)であるが、私のは更に加えて、メタフィジック・メガロマニアック・エピレプシー・ダウジング(形而上的誇大妄想的癲癇)な性分であります。

綜合して、私は或る抽象的な駒となり、此の盤上を縦横無尽に駆け巡る、変幻自在な自動人形であり、万年中学生であり、太陽に焼かれ立ち上がり、雨に吹かれ花を散らし、どこまでも飛び続けるあらゆる総ての欲望の種子なのだから。瞬間ごとのチャンスに賭け続け、その中に自分を見失いながら光りのようにバラバラになってしまうこと。
私が自分であり続ける限り想いは完遂しないのだから。

画家が好んで描いたモチーフに「種蒔く人」というのがあるが、芸術はドライヴ、バイアスが過剰に掛かったコミュニケーションだから放恣に蒔き続けるしかありません。
「欠損の美学」と「過剰の美学」、「内在する不在感」と「外の主体」について。
コレは誰もが、血や唾や糞尿、陽なたの臭いにまとわり付かれながらわが身を以て知る最後の形而上学だ。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月18日 23:54 | 固定ページリンク




ユリーカ | ボウドレイル・フラグメント

 ビンラディンさんへ

レス、ありがとうございます。でも、わたくし、突発性脳内出血ニヨル海綿状血管腫、及ビ海馬萎縮硬化ニヨル側頭葉癲癇なもので、お書きになっている内容が全くわかりません。どうぞ癲癇にもわかる日本語にてお書きください。

ただ、ワタシは本は読まなくても内容は解ってしまうので、30年以上も字面を追うような只の翻訳じゃあありません。ダウジング式翻訳です。お勉強で読むのは他人に任せてありますから。
書き置かれた文章=遺稿と云うのは、読み替えられ、書き換えられるその時を、常に待っている、と云うことがお解りか?そういう意味で翻訳は面白いのですネ。

>原文?
御自分で見つけ出して下さい。探すのは楽しい事です。

電気を帯びたこの脳でダウジングすれば解ってくる。わかってきた。そういうふうになっているのだ。そろそろ誰しも、自分というモノが一体全体どういうナニモノなのかを知る時に来ているのだと思う。
私の脳は煙草を喫いすぎて電気を帯びるほど炭化しかかったカーボン・ファイバー・アンテナとしてソレをダウジング探知している。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年07月18日 23:59 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺらオフ会

 今一度、お知らせいたします。
7月25日(日)午後4時より、ですぺらにて
はじめてのオフ会を催します。
会費は実費割り勘で、お酒を飲まれない方には割引いたします。
どなたさまでも、お気軽にご参加くださいまし。
メールにてお知らせいただければ、幸甚です。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月19日 20:31 | 固定ページリンク




一考 | オフ会へいかが

 御邪魔ビンラディン伊藤さんへ
 この度はご迷惑をお掛けし申し訳ございません。ところで、久しぶりにあなたと呑みたいので、ご都合がよろしければオフ会に出席してください。でも、割り勘ですから手ぶらで来てくださいね。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月20日 19:51 | 固定ページリンク




一考 | うわばみ

 外山さんへ
 無頓着といってもいろんなむとんじゃくがあり、前回ご紹介の佐々木幹郎さんも無頓着に毛が生えたような方だと思います。佐々木さんと酒を酌み交わしていると、アイルランド的な無邪気さ、おおらかさの内に秘めた詩人の悲しいまでの覚悟を思い知らされるのです。その「無邪気さ、おおらかさ」を無頓着と称したくなるのです。同様に、あなたが醸し出す「妙な味わい」に、なにかしら浮世離れしたもの、ノン・シャランな匂いを嗅ぎつけるのです。もっとも、私のそれは蓬頭垢面、蓬頭垢衣の類ですが。
 ベランダでオリーブとはそれもまた豪気なはなしですね。一体どんなベランダなのでしょうか。阪神大震災の折りに庭木はすべて伐採しましたが、オリーブは年毎に1センチは太くなります。10年も経てば立派な大木ではないですか。
 ところで蕎麦の出前の件は今回は見送らせてください。迷惑の掛けっぱなしで恐縮ですが、出版記念会が午後七時から翌日の始発までになりました。参加なさる予定の半数がアスクレピオスの末裔で、うわばみ科に属する高等生物らしいのです。私自身、ホモ・サピエンスのなかの亜種関係とみられているらしく、参加者より費用はすべて酒に費やせとのきつーいお達しでございます。申し訳ございませんが、どうかよろしく。
 上海蟹や藻屑蟹の酒付けは有名ですが、うわばみの酒付けなんぞ、煮ても焼いても食えませんよね。酒にウワバミソウのあしらいがよろしいのではと思いおる次第。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月20日 19:54 | 固定ページリンク




外山時男 | オリーブ

一考さま

 出前の件、了解いたしました。ウワバミの中身はやはり豆ならぬゾウがふさわしく、ちかくのバオバブからは酒が噴出するのにちがいありますまい。
 我が家のべランダのオリーブは鉢植えで、ほとんどちりめんじゃこみたいなものです。小豆島のオリーブとはちがいます。小学生のころの2年間を高松で過ごしたので、オリーブの樹にはなじみがあります。高松の家庭では普通の植木としてオリーブが植えられていました。
 高松でのセミはやはりクマゼミです。あの朝っぱらからシャアシャア鳴く大声には血沸き肉踊るものがありました。広島の平和公園で聞いたクマゼミの声はちょっとモノクロームでフクザツではありましたが。
 そのころ読んだファーブルの昆虫記のセミの章には写真があって、それは我が家のオリーブみたいな細い枝に何頭ものセミがとまっているものでした。いま考えればヤラセみたいな写真でしたが、セミは欅や桜の太い幹で鳴くものと決めつけていたので、ひどく新鮮な印象をうけました。
 で、痩せたオリーブにニイニイをとまらせてみたしだい。

 赤坂の弁慶橋ではヘラブナが釣れます。鮒鮨はヘラではつくれないのでしょうか。ちなみに不忍池ではタウナギが、大きな声では言えませんが明治神宮の菖蒲園では、ギギ、もしくはギバチが釣れます。カラス貝も棲んでいます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月21日 02:26 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご馳走様でした

一考様

 昨夜はご馳走様でした。
 ちりめん山椒、三種類。舌莫迦の身ゆゑ、それこそ猫に小判だつたと思ひますが、それでも、縮緬雑魚のあはい味はひと、舌をかすかに刺戟する山椒の、絶妙のとりあはせに、しばし憂を忘れました。酒でないのにネパンティス。いやはや、凡俗の生活を送るわたくしにとつても、すこぶるつきのすてきな贈り物でした。感謝申し上げます。

 外山様
 お蕎麦、遠からず食べに参ります。その節はよろしくお願ひ申し上げます。

 追記
 十年ほど前に巴里で買つたバオバブの種はいまだに種のままで我が机上にあります。いつか植えたいと思つてゐますが、さて、どこにとなると場所もなく。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月21日 09:39 | 固定ページリンク




外山時男 | 高遠弘美さま

高遠さま

 お出ましくださるとのこと。こちらこそよろしくお願い申し上げます。ただし昼は怠惰で留守がちにつき、かなうならば夜がいちばんなのです。
 勝手なお願いすみません。心よりご来店お待ち申し上げます。
 バオバブを植えるのは昔ならとうぜん丸善のあたりでしょうが、それでは今や、イヤ、それどころか昔でも気が長すぎます。パリでお買いになった種子ならマダガスカル産ではなく、象牙海岸、奴隷海岸あたりの種なのでしょうか。マダムの脇の下なる夜間飛行は一考さん作のティーバックにもどこかで繋がっているみたいで、初心なわたくしはアタマがくらくらしてまいります。「翼よ、あれはどこの灯だ」
 バオバブの種がどんなものなのか、どうかお教えください。花は咲くのでしょうか。まさか桜みたいにハカナク散っては欲しくありませんが。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月23日 02:57 | 固定ページリンク




高遠弘美 | バオバブ栽培法

外山時男様

ぜひ近日中にお伺ひいたします。その節は何卒よろしくお願ひいたします。

さて、本日はバオバブの育て方について。
種に附いてゐる説明書を訳しますと……(ちやんとした翻訳ではありませんが、この暑さに免じてお許し下さい)。

【バオバブ(学名Adansonia digitata)】
Bombacacee科。セネガル原産。世界有数の巨木。セネガルでは胴回りが20メートルを超えるものもあります。
《一年中発芽可能》
同梱の種子は発芽能力が高いものを厳選、処理したもので、白くなつてゐたり種子によつて大きさが違つたりといふこともありますが、不良品ではありません。種子の発芽能力は大きさとは関係がないのです。
《栽培のしかた》
◎小鍋でお湯を沸騰させたのち、火を止め、種子を入れます。そのまま24時間漬けておきます。
◎10センチから20センチくらいの鉢かプラスチック製のミニ・セール[フランス人は植物栽培が好きなので、温度管理ができる小型の栽培用棚や栽培ケースが売られています。セールは本来「温室」の意味です。蓋が附いたりビニールの覆ひが附いたりしてゐます]の四分の三まで、川砂か採掘場の砂を入れます。その際、砂をあまり詰めすぎてはいけません。砂は園藝店や花屋さんや種苗店で買ふことができます。鉢かミニ・セールの底に、水はけ用の穴があいてゐることを確かめてください。
◎その砂の上に、ある程度間隔をあけて、種子を置いてゆきます。そうしたら、5ミリくらゐの厚さになるやうに均等に砂をかぶせてください。
◎砂の表面に水を遣ります。必要ならば噴霧器を使つてもいいでせう。砂はつねに湿らせておかなくてはなりませんが、水を遣りすぎるのは禁物です。朝晩、規則正しく水を遣ることが発芽の時期には大切です。
◎鉢かミニ・セールを明るく温かな場所に移します。場合によつてはヒーターを使つてください。摂氏25度から30度の温度で管理すれば、10日から15日で発芽します。
◎若芽が出てきたら、直射日光を避け、25度から25度の温度管理をしてください。ミニ・セールの場合は、この段階で蓋やカバーをとります。
◎苗が8センチから10センチになつたら、砂も一緒に、もつと大きな鉢に移植してください。
◎そこには砂とテール・ド・ブリュイエール[ヒースの腐植土に砂を混ぜた酸性の強い培養土]を同量混ぜたものを入れます。
◎規則正しく水を遣るやうに心がけてください。さうすればバオバブは育ちます。


追記1
私の持つてゐるバオバブの種は、大きさ一センチ弱。焦げ茶色で楕円の片側をぎゆつとへこませたやうな形をしてゐます。煎つたらビールのつまみになりさうです。
追記2
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/baobab.html
に写真と説明がありました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 14:21 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 訂正

前書き込みで、25度から25度といふのは、20度から25度の誤記です。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 14:24 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 『幻の猫』讃、否、絶讃

龜鳴屋
勝井隆則さま

 一考さんの紹介で、先日御社刊行の伊藤人誉著『幻の猫』を需めました。
けふ昼頃でしたか何の気なしに読み始めたら、あまりの面白さに頁を繰る手が止まらず、さきほど読了いたしました。
 亢奮がさめやらぬまま、また直前二回に続けての書き込みになつてしまふにもかかはらず、ひとこと御礼申し上げたくて、書かせて頂くことにしました。一考さんが先月半ばに書かれてゐるごとく、勝井様のやうな出版人と同時代に生きる幸せをつくづく感じます。
 どれも傑作といふほかない、みごとな小説ばかりで、心底堪能しました。近頃、ここまで面白い小説を読んだことがありません。どの作品も読後感が強烈で、といつて決して押しつけがましくなく、いつまでも余韻が残る、素晴らしい小説だと思ひました。これこそ小説でしか表現できない世界です。
 そこでお願ひなのですが、ぜひ伊藤氏の小説の第二集をつくつては頂けないでせうか。著者自筆年譜によれば、まだまだ御作はあります。タイトルを拝見するだけですぐにでも読みたくなるやうなものばかりです。「女の声で泣く蛙」「赤い洞窟」「幻の虫」「光る鎖」「落ちてくる!」「寝化粧」「登山者」「青の湖」「盗人は夜来る」などなど。短編集『登山者』や長篇『猟人』は1958年の刊行ですから、入手はなかなかに困難ではないかと拝察いたします。
 ぜひ、ぜひ、御社での第二集の刊行を、読者のひとりとして切にお願ひ申し上げるしだいです。
 失礼の段は何卒ご容赦ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月23日 16:15 | 固定ページリンク




薫子 | オフ会の連絡

 オフ会の連絡です。参加者はメールによるご連絡が4名、直接お聞きしした方が6名の合せて10名となりました。ご参加くださる方が思いのほか少なかったので、鍋はやめて焼き肉に致します。野菜は埼玉で購入しますが、肉類は近所のハナマサで間に合わせましょう。会費は2000円までです。首に巻くタオルをご持参のうえ、においがついてもよいファッションでお越しください。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月23日 20:01 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | お誘いありがとうございます。

最近、この掲示板をみるのは週に一、二度のことなので、せっかくお誘いがあったのを見るのが遅れ、返辞が遅くなりました。
さいきん、見る回数が減ったのは、高遠弘美さんとの充実したやりとりを「相聞歌だね」などといってまぜっかえしたくなる自分
のアホぶりを恥じてのことです。
御迷惑でなければ、やや遅れて、6時前ころに出没したいと考えています。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2004年07月24日 10:07 | 固定ページリンク




如月 | 息抜きページ

ちょっと息抜きに、小サイトに次のようなページ↓、アップしました。 おひまな方はどうぞ。 http://www.furugosho.com/precurseurs/oi-no-kobumi.htm   *    *    * このところ「存在と時間」を読むのに忙しくて、明日のオフ会のこと、今知りま した。明日の夕方は友達と会う可能性があるのですが、もしそれがキャンセルに なったら、ふらっと寄らせてくださいね♪



投稿者: 如月    日時: 2004年07月24日 12:56 | 固定ページリンク




フク | 本日行けず無念

 この週末に上京し、また本日がオフ会とは知りつつ、矢張り日曜日まで滞在は相成らず、昨晩一人でですぺらプレオフ会に臨ませて頂きました。御馳走様でした。今頃、煙で店内は濛濛としているのではないかと推察致しますが、楽しんで下さいませ。またいつか皆様ともお目に掛かれる機会があるものと思います。

 ところで昨日、噂の『幻の猫』を落掌し、帰り道で一気に読了致しました。何というか、雰囲気とその先にある何かを醸し出すのに長けた作品だと感じました。また年輪というか、センスだけでは描き得ないと感じさせられる描写からさりげなくも鬼気迫る迫力があります。小生の稚拙な表現力では感じたことが言い尽くせないのが歯痒いのですけれど。



投稿者: フク    日時: 2004年07月25日 18:57 | 固定ページリンク




薫子 | オフ会御礼

 昨晩のオフ会に参加いただきました皆々様、ありがとうございます。
プレオフ会にわざわざお越しくださったフクさん、ですぺらでゆっくり飲むためにと、赤坂に宿をとってまで、いつもありがとうございます。お察しのとおり、煙もくもく、エアコンはきかず、暑かったです~。冬に鴨鍋の方がよいかも。



投稿者: 薫子    日時: 2004年07月26日 02:08 | 固定ページリンク




一考 | 鮒の念仏

 外山さんへ
 釣りがお好きなんですね。それにしても、不忍池のカワヘビと菖蒲園のハゲギギですか。どちらも食いたくないなあ。ブラックバス同様、それは誰かが放したのでは、自然分布じゃないですよ。ヘラブナは鮒鮨になりますが、弁慶橋の水質はどうなのですか。琵琶湖の源五郎鮒は北湖の狭い水域のものに限られると聞いています。琵琶湖の風物詩の一つ、いわゆるえり漁ですね。
 源五郎鮒はもともと琵琶湖特産だったのでしょうが、溜池のような狭いところでも育つようにと大阪の河内で品種改良されました。そのカワチブナがヘラブナの代表選手ということになります。根っ子は同じものですから、問題ないと思います。釣りの世界ではマブナ釣りとヘラブナ釣りはまったく異なるものですが、日本各地に移殖されたヘラブナと在来ブナとの交配による雑種が多く、諸説紛々、学説もかなり混乱してきたようです。
 話序でに、むかし京都書院の仲間と酒を呑んでいて、鮒鮨が「熟れずし」か「馴れずし」なのかで論争になったことがありました。私はとうぜん「馴れずし」だと思っていたのですが、「鮒鮨のマニアは飯が好物なのよ」といいながら、むしゃむしゃと食べるひとがいて愕かされました。近江は知りませんが、少なくとも京都の鮒鮨は「熟れずし」のようでした。
 以上、鮒の念仏です。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月26日 19:17 | 固定ページリンク




間村俊一 渡辺一考 | 「悲歌が生まれるまで」出版記念会

 「むかし神話と妖精は箇々の家庭にあり、人々と起居を共にしていた。やがて神話は国家のものとなり、妖精は死に絶えた。その神話を国家から取り戻し、妖精を蘇らせるのが詩人に与えられた使命である」とのはなしを佐々木幹郎さんから聴かされました。アイルランド的な無邪気さ、おおらかさの内に秘めた詩人の悲しいまでの覚悟を思い知らされた日でした。
 かつて掲示板で紹介させていただいた「オポッサムと豆」所収の佐々木幹郎さんの新しい詩集『悲歌が生まれるまで』が月末に思潮社から上梓されます。氏の頭蓋骨の中でからからと鳴る二十五個の豆粒、その一粒一粒に明瞭なかたちが与えられたのです。諧謔と哀愁、そして失意へのポーラー・メソッドとでもいう他ない同書の誕生を著者と共に祝したいと思います。菊池雅志さんの笛演奏を伴う徹宵痛飲、長夜歌吹のくさぐさ。日時は八月七日の土曜日、午後七時より翌日の始発まで、会場はですぺら、赤坂一ッ木通の真ん中あたり、一階は手作り居酒屋「かっぽうぎ」、会費は五千円、月下にせぐり来る思いを語りあかそうではありませんか。



投稿者: 間村俊一 渡辺一考    日時: 2004年07月26日 19:41 | 固定ページリンク




和子 | 41歳の主婦です

結婚して20年になりましたが夫とは歳がだいぶ離れていて正直相手になりません。 というか疲れきってて倒れそう!? そんな結婚生活20年間、遊びという遊びは控えてきましたがここまで歳をとるとどうしても元気な男の人を求めたくなってしまって…。 私は最近フラダンスに夢中、特技は編物です! よかったら元気な男の人返事ください。



投稿者: 和子    日時: 2004年07月27日 14:48 | 固定ページリンク




一考 | 孫太郎虫

 私の家は上越の高田、姫路からの国替えによるものですが、松平ではなく榊原十五万石の時代の家老職でした。新潟は幕末期には十一の小藩に分立していましたが、そのなかで高田は最初に薩長連合軍に白旗を掲げた軟弱きわまりない藩、私は無血開城に近い不名誉を背負った親藩の末裔ということになるのです。従って、長岡や会津や新選組といえばただただ平伏する他なく、とりわけ会津には怠状とあこがれが綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱いていました。
 某新聞社で編輯に携っていたおり、その会津へ取材に出掛けました。東京本社からのお出ましということで、わざわざ料亭を朝まで借り切っての饗応。さぞかし旨いものが喰える、しめしめとほくそ笑んでおりました。ところが目前に並べられたのは、生きた蜂の子、蝉の幼虫、カイコ、ざざ虫、蝗をはじめ、あとは正体不明の昆虫のフルコース。思惑が大きくはずれ、蛆虫に囲まれた私は悲鳴をあげました。得体の知れない虫が一品か二品であれば、他の野菜や山菜に紛れ込ませてなんとかやっつけるのですが、オンパレードとなると気後れします。怯むどころか、私は失神寸前にまで追い詰められてしまったのです。
 動顛した私をなだめたのは遅れて出された一枚のざる蕎麦、今宵の数多の料理のなかで唯一食べられる最高の馳走、この一皿を逃せば人生が瓦解すると思った私は蕎麦を丁寧にほぐし、一本ずつすすり上げながら朝までなんとか遣り繰りしたのです。

 このところ昆虫談義がつづきますが、文字のうえでの昆虫はともかく、真物の昆虫はからきし駄目なのです。思うに、こどもの頃にむりやり飲まされた熊の胆や孫太郎虫が遠因ではなかったかと思うのです。ざざ虫はカワゲラ、カゲロウ、トビケラなどの幼虫の佃煮ですが、時にはヘビトンボの幼虫も含められます。このヘビトンボの幼虫の黒焼きを孫太郎虫というのですが、私はそれが大の苦手で、四、五センチの幼虫五匹を串刺しにしたものをこどもの頃に食べさせられて泣き出した記憶があるのです。熊の胆はクマの胆汁を乾燥させた円板状のもので、共にこどもの疳の妙薬、または腸内寄生虫の特効薬とされていました。しかし味は当薬のせんぶり同様、ただ苦いだけの気色のわるい民間薬でした。最近はあまり見掛けなくなりましたが、毒消し売りや富山の薬売りと称するひとたちが、万病に効く反魂丹などと一緒に売り歩いていたのです。山東京伝の「敵討孫太郎虫」は紙衣で有名な宮城の白石の孫太郎伝説を小説化したもの、ご存じの方もあろうかと思います。
 虫といえば、忘れられないのが蛇屋。むかしはどこの町にも蛇屋と俗称される漢方の薬局がありました。メスシリンダーに収められた白蛇や臓物をさらけ出したアオダイショウやシマヘビ、、疥に霊験あらたかとされたマムシを漬け込んだ液体、アルコール漬けのムカデ、イモリの黒焼、鹿の珍宝、得体のしれないふぐり等々。いかがわしさではサーカスや化け物屋敷よりも上に位置し、少年のこころをときめかせ、沈ませ、そしておそれさせる謎にみちた場所でした。
 捕まえる時に硬い頭胸部をヘビのように動かし噛みついてくるところからヘビトンボの名があるのですが、ためを持ったあの屈折した動きには怖ろしさを感じたものでした。いかに瓶越しとはいえ、こわごわ指を差し出し、または手をかざしながら覗き込む、怪獣と自分とのあいだにもうけられたガラスの仕切を確認し、さらに顔を近づける、大丈夫だと聞かされていても、瓶を割って跳びかかってくるのではないかとの恐怖心が私を逡巡させました。古本屋通いの一歩手前で繰り返された蛇屋通い。思うに、自己と他者とのあいだの垣根のしつらえ方、距離の取りようをはじめて学ばされたのが蛇屋ではなかったか。間違いなく、あのメスシリンダーにぎりぎりと刻み込まれた目盛りの一条一条に私の青春が、拓落失路がまるまるあった。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月27日 20:54 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 蛇屋

 伊藤さんからは「相聞歌」と冷やかされたこともあり、また、先日のオフ会では「書きすぎ」を指摘されたりもしたので、しばらく書き込みはやめようと思つてゐたのですが、「蛇屋」となると、書かざるを得ません。管理人さんからは「そろそろペンネームにしたはうがいいですよ」とご親切にも言はれたのですけれど、どうも匿名といふのは性にあはなくて。
 向後、あまり書き込みはしないといふことでこの名前での書き込みをお許し頂けたらと思ひます。
 むかし、生家の、通りの向かひ側の真ん前が蛇屋でした。信州は上田といふ田舎町でのことです。たしか「まむしや」といふ屋号だつたやうな気がします。ここは民間漢方の店といふよりは、まさに蛇屋で、網といふか檻といふか、ともかく金網の向かうに何十匹かわからない蛇たちがごによごによからみあつてゐました。私たち兄弟は可愛がられてゐて、学校から帰つてくると、「ひろみちやーん」などと呼ばれ、「はい、あげるね」などといはれて「孫太郎虫」やら「ざざむし」やら、時にはとぐろをまいた縞蛇をそのまま黒こげにしたのを、かき氷を作る器械にかけてじやりじやりと擂つた黒い粉などを貰つてゐました。たまには生きた蛇を渡されたりしましたが、兄は首に巻いてにこにこしてゐたものです。私はさすがにそれはできませんでしたが、蛇のあのてらつとした感触はいまだに覚えています。35年前に他界した私の亡母は蛇が大嫌ひで、あるとき、昔のことですから、下水がラフにつながつてゐたせゐでせうか、セメントでできた「流し」の排水溝からにゅつと蛇が顔を出したことがあつて、母は「ぎやつ」と叫んで卒倒。それほど蛇嫌ひの母なのに、もらつた小遣ひで、デパートでゴム製の蛇を買ひ、毎日着物を着てゐた母の箪笥に入れたことがありました。箪笥は二階にあり、朝、二階で母の絶叫が聞こえ、数秒後「ヒロミ!」といふ、ここはゴチックにしたいほどの大声が聞こえました。あとはご推察のとほり、こつぴどく叱られ、しばらくおやつもお小遣ひももらへませんでした。あのとき、母は、どうしてこんな子供を産んでしまつたのだらうとひどく、恐らくは心から後悔してゐたにちがひありません。その絶望を明るい希望に変へる間もなく、母は死んでしまつたのですから、私はすでにそのときからPARRICIDEたる宿命を負はされてゐたのかもしれません。

追記
外山さんのお蕎麦のお店、とつても素敵で美味しいお店です。おすすめ!クロワッサンを頼りに検索するとわかります。東京八重洲。

追記2 
某社から頼まれた賃仕事を手伝つてくださつたIさん。どうもご苦労様でした。お名前も伺はず、お話もほとんどしませんでしたが、ご協力に感謝いたします。バオバブはどこかにきつとうゑませう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月29日 00:49 | 固定ページリンク




外山時男 | バオバブの花

高遠弘美さま

昨夜はあの蒸し暑い中ご来店いただきありがとうございます。なんだかロウバイして妙なこと申し上げたかもしれません。恐縮です。
 またバオバブ栽培法大変おもしろく読ませていただきました。こちらもありがとうございます。わたくしもネットで調べてみたところ、花は白の五弁で全体の形状は小型ビゼンクラゲか傘の開いたマッシュルームのよう。成木はデブで奇怪ですが、あの花だけでもじゅうぶん面妖です。
 種は勾玉か腎臓みたいでじっさい食用になるとの記述もありました。
 セネガルはご存知パリダカールラリーの終点でもあります。起点がパリなのは心底腹立つようなもはやどうでもよいような。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月29日 00:49 | 固定ページリンク




外山時男 | アオダイショウ

一考さま

 いえ、わたくしは釣りはダメなのです。食べるためではなく飼うために魚や昆虫を採っていたので、釣り針を使ったとしても採集といったほうが近いとおもいます。目黒のわが「マンション」の入口にちいさな池があります。高田公園ではないので咲くのは蓮ではなく睡蓮がちょぼちょぼなのですが、そこにはまだ霙が降るころガマが集まってきて産卵します。その時期の道路には轢かれたカエルの死体があちこちにへばりついている有様。なかには雌雄折り重なったカエル煎餅もありポンペイのようです。敬意を払って灰でもかぶせようかとおもいますが、なかなかそうはゆきません。
 ガマが沢山いるせいかどうかは知りませんが、アオダイショウ、シマヘビも生息しており、今年ももう二度目撃しました。一度はうちの駐車場に寝そべっていました。もう一度は深夜近所の大谷石の壁面をシマヘビがゆっくり登ってゆくところでした。
 なるほど会津はすごいところですね。わたくしの店の石臼は会津の火成岩を使って会津の石工に作ってもらっているので、たまにその工房へゆかねばなりません。数年前は明け方高速が福島へ入ったとたん、ただまっすぐ走っていただけなのにスピード違反で捕まり、警察署まで連れてゆかれました。じつはわたくしはもともとは薩摩なのであります。したがってもちろん用心に用心を重ね、会津生まれの友人の所有する真黄色のイギリス製スポーツカーを引っ張り出し、アイルランドの羊の毛で編んだ脂臭いセーターを着て弁当には鮒鮨とブルーチーズまで用意していったのに、それでもダメでした。彼らはどんな微量の薩摩芋の匂いもけっして見逃さないのです。サザエ堂では金縁眼鏡のブヨブヨのピンノに不審の目で見られるし、たまったものではありません。
 釣りに戻ります。どうせ殺して喰うならヤスで突くのがもっとも良いようにおもわれます。生き物を殺すダイレクトな感覚がありますし、おまえはおれが喰ってやるという実感がいたします。
 いちばん嫌いなのはリリースというやつです。なにをもってあんなえらそうなことするのか、わたくしにはわかりません。
 余談ながら、ゴキブリを殺すのは新聞紙でひっぱたくのが正統派です。ケミカル製品を使うなんて愚の骨頂。正々堂々スリッパか素手でつぶして息の根を止めましょう。
 うちの従業員はゴキブリが一匹でも出ると大騒ぎをしてスプレーやらバルサムやらを使います。あんまり情けないので「こんど出たらおれが手でつぶしてやるからよく見ておけ」と宣言したのですが、幸いその後出現しておりません。生活に大問題をかかえて生きてゆくのは辛いものであります。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年07月29日 18:34 | 固定ページリンク




ユリーカ | Baudelaire Variante


秒読み セコンド ゼロゼロ地点 
後ろ向きに時間を歩く
心も身体も世間を離れ 
ますます甘い 僕の熱

幼年期  まるで出会いの心待ち 
怪物   打ち捨てられた玩具の私
幼年期  逃れられない方位磁針
怪物   血脈芝居の幕開けだ

言葉と時間は 邪魔だった
そして見世物 始まった
とっくに僕が 死んでいた
照り返す朝陽は 眩しすぎた

な~んだ、おまえ、そこにいたのか

~繰り返し何度でも~

言葉と時間が 邪魔だった
そして見世物 始まった
とっくに僕は 生まれていた
照り返す夕陽が 眩しすぎた

な~んだ、おまえ、そこにもいたのか

~繰り返し何度でも~



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年08月01日 14:39 | 固定ページリンク




一考 | 薩摩の国分

 外山さんへ
 むかし贔屓にしていた黒姫の藤岡や出石のそば庄もたしか会津の石臼ではなかったかと思います。会津はともかく、福島の川内村へはよく行きます、往路にはいつも常磐道を使います。外環の三郷からいわきジャンクションまではオービスが二箇所、目立ちますし、まず捕まる心配はないのですが、東北道はそうはいかないようです。佐野SAと栃木ICのあいだ、安達太良SAと二本松ICのあいだは特に危険がいっぱいです。もっとも、外山さんは「警察署まで連れてゆかれました」とありますので、パトカーそれも覆面ですね。やはり薩長への昔年の怨みと考えるべきなのでしょう。奥羽二五藩や越後六藩へ旅するときはご用心。
 外山の読みは「とやま」か「そとやま」、そして富山にも通じます。藤原北家摂家流もしくは日野氏流の外山家があり、美濃国本巣郡外山邑より起こった土岐氏一族の外山氏も識られています。また、伊勢、伊豆にも外山氏がみられますが、薩摩で外山の姓氏は珍しいのでは。
 薩摩といえば国分、国分といえば天狗タバコですが、その口付き紙巻きの「金天狗」「青天狗」を売り出した岩谷松平(薩摩の人1849-1920)について書かされたことがございます。お題はタバコの文化史だったのですが、「商一位大勲位功爵国益大明神」などという愛国心を売り物にした商法にいささか興ざめ、露伴の「新羽衣物語」を景品につけて名声を高めた敵方の村井兄弟商会をよいしょ致しました。それにしても、煙(タバコ)と水(酒)はいつになれば自由に造られるようになるのでしょうか。

 「いちばん嫌いなのはリリースというやつです。なにをもってあんなえらそうなことするのか、わたくしにはわかりません」とお書きですが、リリースについてかくまで明瞭な意見を聞かされたのははじめて。考えてもみなかったのですが、云われてみればそのとおりですね。リリースされた魚はおそらく半数は死んでしまうのです。自らが欲する分、要するに食べる量だけ釣るのが一番よろしいのにと思います。
 自らが必要としない分まで多量に釣り、もしくは拵えて売捌くのが企業の論理、資本主義の論理ですね。その隙間に食い込むのが銀行や広告屋といった虚業家たち、乗せられるのがマニア、コレクター、選ばれた少数者などと煽てられて脂下がる消費者。
 北海道は霧多布のキャンプ場でのことです。「アイヌのように自分が食べるだけの熊や鮭を捕っているような怠惰かつ自己中心的な人間は許せない、われわれこそが戦後日本の経済を引っ張ってきたのであって、われわれが居なければ日本には進歩も発展もなかった。君たち若いものはわたしに感謝すべき」と宣われて殴り倒してやろうかと思いました。世の中にはゴキブリのようなやつがたくさんいらっしゃいます。やはり「新聞紙でひっぱたく」か「正々堂々素手でつぶして息の根を止め」るしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月02日 01:20 | 固定ページリンク




一考 | ハーフがお奨め

 外山さんへ
 「東京から見た広義の関西方面での、最初の求道的蕎麦屋のひとつ」とはおもしろい表現です。青磁色にこだわった細めの蕎麦と元手の掛かった音響装置に感心させられたのです。「彫刻家の手みたいにエロティックな感じ」は申し分ないのですが、彫刻家みたいな矜持はいただけません。贔屓にしていたのが「むかし」である理由です。
 そんなことよりも、あなたが結構こわい蕎麦屋であり、気味のわるいひと(讃辞ですよ)なのだと改めて分かりました。もっとも、そうでなくちゃおもしろくありません。どうやらいい友をまたひとり私は得たようですね。
 生意気な言い方で恐縮ですが、舌を持ったひとにモルト・ウィスキーを理解していただくにはハーフ・ショット50杯で充分です。ウィスキーの香味の基礎をなすのはその程度で、あとは知らなくても応用がききます。ちょっと値の張る50杯(量は25杯分ですから約ボトル一本)になりますが、骨格さえ分かってしまえば、常時出回っている約1万種類といわれるモルト・ウィスキーの香りとカスクの違いが自動的に引き出しに格納されていきます。もっとも、それを知る必要があるかないかと酒を楽しむのは別問題ですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月03日 06:26 | 固定ページリンク




ユリーカ | コレガ何ダカ ワカルカ?

片手に100円ライター。片手にダイナマイト。
ありふれた日常と非日常の狭間で、男は言った「コレガ何ダカ ワカルカ?」

対話(ダイア・ローグ)の妙味とは、あらかじめ話そうと用意され、準備していた事柄以外のナニモノカが、自分でも相手からでもなく、その関係性の中(その途中=プロセス)から生じてくる面白さ。待機していた意味と、伝達可能な言語の節々を掻い潜って、予定調和に亀裂を穿つこと。其れは、天啓のように出現、到来する第三の方法論。
これは、説得でもなければ、説明でもない。近年、喧しい「インフォームド・コンセント(説明責任)」、「アカウンタビリティ(情報公開)」でもない。似て異なる領域にまで、敢えて土足で踏み込むこと。 自他共に知り得なかったことを、ブラック・ボックス=マジック・ボックス=白い何も書いて無い本=リボンにデコレートされた空箱に放り込んで、掻き混ぜられるだけ掻き回す。敢えて、カオスを引き起こすべく、或る種の起爆装置が必要となってくる。もしかするとそれは、黒船から発射された一発の砲弾かも知れないし、東南アジアを焼き尽くしたナパーム、原子爆弾、ダイナマイトと片手に100円ライターでもあろう。けだし、それ程世間は、日常の平静と云う時空間を盲信し切っているからだ。

前述したが、外圧でしか変わらない(変われない。私は変える必要性を感じていないが・・・)とすれば、方法論としての民主主義政治=多数決原理の野蛮さは否定する。戦術論としてのテロリズムは肯定する。それで壊れるようなものは、実は、もうとっくにコワレテイルからだ。この事は、誰しも知ってか知らずか、やり過ごしているだけの日常生活ではないか。ヤラズブッタクリと云うモノだ。
再度、言う。そんなモノは始めからありもしないのだ、と。
色即是空空即是色受想行識亦復如是~。
無いことだけを強調するのは盲目だ。反対に、有ることだけを盲信するのも白痴的にバカげている。無いから有る。有るから無くなる。

私は絶望を知らない。何故なら、決してあきらめないからだ。どんなドン底に突き墜とされても、そこに楽しみを見出せる生き物だ。
けだし私は、私でない限り、あらゆる時代(現在、過去、未来に於いて)、あらゆる場所に存在するからだ。
私は、一人二人とは数え得ない。一カ所二カ所、もしくは、一回目二回目、とのみ数え得る。



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年08月04日 01:27 | 固定ページリンク




一考 | 夏休み

 ばかばかしい(8行略)暑さでやってられない。しばらく夏休みを取ります。ですぺらの催し物はもうひとつの掲示板「ですぺら通信」をご覧ください。そちらは店のお客さま以外の書き込みは削除させていただいております、悪しからず。
 「ですぺら通信」はホームページからお入りください。また、催し物のお問い合わせはメールでお願い致します。

 追記。先のはなしですが、9月19~20日は福島の川内村で、恒例のバーベキューとカラオケの会が催されます。主宰は之潮(Correggio)の芳賀さんで、ステージではピアノによる伴奏も可能、にぎやかになりそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月04日 19:51 | 固定ページリンク




ユリーカ | トランスフォーメーション  8月のうた  マーチン・デニーの曲から、から

揺れながら  ただ揺れながら  立ちすくむ
行けども行けども  水平線  「果てには?」
御存知、僕らの  垂直線  「果てれば?」
巻き込む汽笛  吹き出る蒸気
太陽の十字架まで  流れ出すなら
光の中  ただ立ちすくむ
揺れながら  ただ揺れながら  立ちすくむ

【ダウジング翻訳】



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年08月04日 22:26 | 固定ページリンク




まき | あまり経験ないけど…

普段と違う自分を見付けたいです。
誰か付き合ってくれる人いませんか?
私は27歳、語学学校の教師で
身長は160cm 痩せ方です!



投稿者: まき    日時: 2004年08月08日 13:35 | 固定ページリンク




芳賀啓 | 多摩地形図

 いかなる物語も、人の生死も、場所を伴っている。地図はひとつの言い方をすれば「神の掌」であって、何人といえどもその視線を逃れることができない。
 世にあるものは場所を脱し得ず、ついに地図から逃れられない。場所とは空間の一面ながら、ひとつひとつの所業の在処を直接指し示す。地図とは、場所を指し示すものすべての謂いである。そうしてまた、地図は時間をも指し示す。たとえそれが錯誤や歪曲を伴っていたとしても、時間は逃れようなく地図に付帯する。
 かつての現世を反映した古い地図が、出版物として世に役立ち得るためには、図葉ごとに三層の装置が不可欠であると考えている。
 ひとつは、地図の内部に記載されている言葉の一覧、すなわち注記分類索引。ひとつは、それ自身の点検のために比較されるべき、信頼できる現在の地図。そして最後のひとつは、地図を解析するヒントとなる、一連の、外部からの言葉(いわゆる解説)である。
 地図は基本的に図(イメージ)であって、言葉の世界の序列に属さない。しかし言葉の世界の外部を指し示すためにも、地図は言葉を必要とする。言葉も、その原形質はイメージにほかならないからである。
 互いに位相を異にする図と言葉の相克、あるいは相補。オーストリアの社会哲学者ノイラートの『絵とき人類史』シリーズを念頭に置きながら、地図史料出版の「標準」を摸索した。古い地図は、そのままでは情報の原石にすぎないのである。
 原石の研磨剤は記録としての言葉である。各市町村史、とりわけ地図が作成された、大正末期の三年間の記述をできるだけ丹念に拾い、場所にふりわけ、要約して綴っていった。しかしながら当然にも、地域の外部者の作業としては限界がある。最後の段階で、多くの方々に点検と教示を仰ぎ漸くに本書は一人前の身づくろいをして世に出ることになったのである。
 地図に入りこむための言葉を紡ぎながら、地図自身が雄弁に語りだす局面に出会った。「人跡は水跡に沿う」とでも言うのだろうか。江戸時代からの用水路・玉川上水以前、開拓前線は一般に水路や川を遡行していたし、また湧水点は遺物の出土地点と接するのである。建物群が等高線を覆い隠す以前の「地形」図の威力であった。また、地図が直接指し示す景観史という言葉に並行して、景音史もありえるのだった。
 田無(西東京市)の「谷戸のブウブウ」とは、中島飛行機のエンジン試験工場の謂いで、十五年戦争期は四六時中の大騒音だったという。昭和九(一九三四)年に南沢に引っ越してきた自由学園とは、一キロも離れていなかったのである。工場ばかりでなく、号令やサイレン、自動車の警笛や爆撃音、呼子やラジオの音、叫び声は、それまで桑畑と雑木林を風をわたっていた多摩地域の音の景観を確実に塗り替えたのである。
 立川が軍都だったとすれば、それはまた音の都でもあった。後世に遺されることのなかったさまざまの音もまた、目を凝らせば図柄の間からそのいくつかを聴きとることができるのである。例えば、サーベルと拳銃が交叉した憲兵隊本部の記号からも。
 衰えんとして、再び活気を帯びた音もある。水車は戦争末期の電力制限によって動力源として見直され、一時盛んに用いられたのだという。のどかなゴトン、ゴトンの響きは、サイレンや爆音と共存する折があった。
 一見、元気そうな音も朝の風に混じっていた。疎開してきた子どもたちが、宿泊先の寺や農家の蚕室から、隊伍を組んで所定の国民学校に向かうときに歌うことになっていた軍歌の類。
 戦争末期の桑や松などの樹木の運命とその残照についても、解説に盛り遺したことがある。しかし、いつまでも地図が抱え込まれていてよいわけがない。この本の刊行がひとつの契機となって、私たちの生きる社会の基層が、その具体相において発掘されることを念ずるばかりである。
                  (二〇〇四年六月十日 東京新聞・夕刊)

 之潮ホームページhttp://www.collegio.jp/
 メールアドレスinfo@collegio.jp

 芳賀啓さんが営まれる之潮(Collegio)の第一回刊本ができあがりました。大日本帝国陸地測量部と都市計画東京地方委員会によって、戦時都市計画のため空中写真測量により作成された東京西郊の3000分の1地形図をまとめたもの。書店にはおろさず直接販売のみ。『多摩地形図』清水靖夫編・菊四裁版・原図162葉収録・限定300部・価格49350円。
 案内パンフレットには「編集余滴」と題する文章が掲げられているが、それは東京新聞所収の文を補訂せしもの。地図に対する芳賀さんの熱い思いと氏一流の地図論が簡潔に著されている。芳賀さんの許可を得てここに元稿を転載する。
 ですぺらでお会いなさった方も多いと思うが、改めて略歴を掲げておく。
 1949年仙台生まれ。早稲田大学法学部中退。柏書房社長を一昨年10月に退任後、之潮(コレジオ)を興す。著書に「身體地圖」(深夜叢書社)がある。(一考記)



投稿者: 芳賀啓    日時: 2004年08月15日 21:48 | 固定ページリンク




松友 | 渋谷・地下の一角に四谷シモン氏の作品が展示中

 最近お酒から遠ざかりつつある拙メですが、久々に御邪魔致します。赤坂見附「牛丼の吉野家」さんが「手作り居酒屋 かっぽうぎ」さんへとかわり、目立つ橙色のネオンを目指して歩いていると何時の間にかビルの前を通り過ぎてしまいそうで(実際行過ぎて焼鳥今井屋さんの角までもいったりしてます)。

 さて表題、既に此方を御覧の御方々は御存知とは思いますが一応お知らせというと事で暫し御容赦を御願い申し上げます。

 渋谷の「マリアの心臓」は人形展示&イベントスペースとして開館中です。此方折々に触れ演奏会やらダンスパフォーマンスやらが開かれているのですが、現時点での常設では四谷シモン氏の作品が弐躰展示されています。御徒町の地下で御馴染であった御人形さんも一緒です。但し不定期で替えてゆくかもとの事ではありましたので此方は御容赦を御願い申し上げます。

「Rock'n Doll Museum マリアの心臓」
場所:渋谷区神南1-2O-9・B1、渋谷公園通り山手教会道向かい。
イベント等で開館日時や料金が随時変更されますので、確認してから向かった方が無難です。
Info:O3-4499-15O8(15:OO~18:OO)
サイトURL ttp://www.mariacuore.com



投稿者: 松友    日時: 2004年08月25日 02:25 | 固定ページリンク




一考 | 「マンゴー幻想」について

 不眠やフラッシュバックがどうして起こるのかを解明するには、患者に症状を尋ねるだけでは駄目で、状態を見極めながら根気強くはなしを聴き、相手の内側に入り込まなければなにも見えてこない。それとおなじで、詩歌を繙き、そこに認め綴られたことばの意味を訊ね、内容を追ったところで作品のひとつの側面をなぞることにしかなりません。要するに、選択された文言やその作家の語彙を気にしていては詩は読まれないのです。意味内容や表象を読み解くのと同時に、そこから遠く逸脱してゆく書き手の影や分身、いわば著者の搏動のようなものを諒解しなければ、書物を繙いたことにはならないのです。
 著者によって選ばれた文言にのみ注意が向けられていると大事なものを見失う、と前述しました。同様に、なにかしらもっと大きなディメンションがあって、テーマはそのなかで取り扱われる些細なパーツのひとつに過ぎないのかもしれません。月並な批評家のスタンスに気を取られていると、詩の本質は指のあいだからみごとにこぼれ落ちて行きます。なにかテーマがあって、もしくは特定の作家の作品からテーマを取り出し、それだけについて書く、というのが長年にわたって返覆されてきた旧態依然たる批評家的こわばりでなければなんなのでしょうか。詩はアナロジーで書かれます、種村季弘さんがよくおっしゃる「アナロジーのアヤだけ」は表現行為の核心をついたことばです。分かりやすくいえば、すぐれた詩は一篇の探偵小説のようなものだと思えばよいのです。
 オリジナリティーを声高に宣うひとは、自分の情念を表現すれば芸術になると信じ込んでいます。芸術は過去に鑑賞したものやそれらから得た識見や情動のなかから、いま必要なものを抽出し寄せ木細工のように組み立てていく、ただし既に用いられた組み合わせではなく、新しい組み合わせが必須の条件となります。その調烹にこそ詩人の真骨頂が、さらなるディメンションがあるのであって、個性ならまだしも、独創などというものは芸術の世界には存在しないのです。
 一方で、選択に立場の闡明があるとよく云われますが、選択とはあくまで立場のこちら側に蹲居するものであって、いわば作品の装いに属するものではないかと思うのです。たしかにそれも作品の大切な一部なのですが、重層するさまざまな側面を繙いてこその読書であり、それを怠れば書蠹との謗りを免れないのです。「作品の向こう側から押し寄せてくるメタファーとの鬩ぎ合いのなかにこそ、読書の醍醐味がある」と私が執念く言い続けるのは理由があってのことなのです。

 さて、以上のことをこころにとどめて読まねばならない、とんでもない詩集が出版されました。相澤啓三さんの詩集「マンゴー幻想」がそれで、四月三十日に書肆山田から上梓されたのです。「とんでもない」と書いたのは他でもない、吉本隆明から谷川雁に至るまで戦後詩人の多くが挑戦して果たせなかった、文学と政治とテロルとの三位一体に相澤さんが明確なかたちを与えたからなのです。ギリシャの先哲を持ち出すまでもなく、元来、文学と哲学的思索と政治はよく似た志向性を持っていました。それは破砕された現実と現実を、そして現実とひとの存在についての意識をつなぎ合わせる役目を背負っていたのです。背負っていたはずなのですが、いつかしらず散り散りになり、文学が内省という二元論の片割れに特化するところから、有効性すなわち現在形を失っていったのです。
 一方、美はそのままで全体だから分析はできません。逆にいえば、分析可能な知性で拵えたり、知性で分析できるものは美ではないのです。その美と知性という異質な領域にアナロジーでもって橋梁を架けようとの困難な企てが立てられました。例えばボードレールのコレスポンダンスやランボーの錬金術のような詩がそれで、それ自体が一種のエステティークな感覚を内包しているのですが、決して美にとどまるものではなく、より大きなディメンションを舞台にした運動としての文学と解釈していただきたいのです。
 表題作「マンゴー幻想」にあって、現実はモザイク、一種の象眼のようなものとして再構成されていきます、自らの恥辱の証しとして。諍いを生み出す不信と対立、それら不信や対立の不毛の証明として、不慥かな成り立ち、かりそめの来歴、姑息な思惟等々が累ねられてゆきます。そして隙間を塞ぐように立ち顕われる恥辱の証しとしての自責。償われることのない、贖われることのない、謂わば幻日のふたつの光点のあいだを立ち徘徊る暫定的な存在、繰り返される迷いのなかにしか不毛を解く鍵はなく、繰り返されるためらいのなかにしか現在形はないのです。
 時代に脊を向けたところで拵えられる閉戸された作品はいくらでもあります。しかし、時代と正面から向かい合い、かつ時代に対して有効性を持つ詩というのはほとんど例がないのです。おそらく、相澤さんは日本語による詩の歴史についぞ存在しなかった、まったく新しいタイプの詩を創出しました。ジャン・ジュネの「恋する虜」やピエール・ギヨタの「500万人の兵士の墓」の精神の系譜に列なる作品がはじめてわが邦に誕生したのです。
 中井英夫の死後、十年の沈黙を経て、詩集「五月の笹が峰」「孔雀荘の出来事」、歌集「風の仕事」が堰を切ったように上梓されました。交錯する憐憫と流涕、愛憎半ばする戦友との別れにくだされたとどめの一撃のような詩群でした。そのあとに、それらを真向から否定するような新しいホモロジーを内包した詩集「マンゴー幻想」が顕れたのです。読み手を突き放し、読み手を拒否しかねない気配や振動を「マンゴー幻想」は内包しています。前書きを添えざるを得なかった理由はそこのところにあります。大方の読者はくっきりと一つ相澤作品のイメージをもたれ、そのイメージを拡げよう、もしくは自らの期待に添うように読み取り、解釈しようとされるに違いないのです。ところが、今回の詩集はリップ・カレントのようなもので、巻き込まれると思いもかけない遠いところまでもっていかれます。
 本書で取り扱われた対象は著者にとってかならずしも取り扱うべき対象ではなかったと書けば、アイロニーに過ぎましょうか。対象をだしにして、対象に託つけて精神の循環を、三次元を超えた新たなユークリッドのストイケイアのようなものを相澤さんは示唆されたのです。失礼ながら、相澤さんは私などよりもお歳を召された方なのです。しかるに、今回の詩作品で晰かにされた恥辱と自責、出現と消滅の弁証法、瑞々しい柔軟さとかいろぐ屈折、休むことなく滲透しあい、そして震蕩しつづける精神の放縦、伸縮自在な詩精神、それらはまさに驚愕であり、慴れでした。個としての相澤啓三そのもののエピファニーを深く感じさせられたのです。
 ガンジス川中流域のバイシャーリー市郊外にあるマンゴー樹の園林で釈迦は維摩経を説いたといわれます。文殊は垢と浄らかさは究極的に不二、無言無説であるとことばで表現したのに、維摩は沈黙でもってそれを示したとされます。過去の実績を棄て、名声や立ち位置を顧みず、新たな詩の世界へ躍り出たひとりの詩人、相澤啓三さんにとって過激と柔軟さは云うまでもなく不二、作品の裏にしつらえられた沈黙、その沈黙からとめどなく湧き出るメタファーの洪水をいかに受け止めようか。

追記
 ですぺら通信にかたちを変えて書き込んだものをひとつにまとめました。先日高橋睦郎さんとの晤語にめぐまれ、また後日「るしおる」に掲げられた高橋さんの「テロルの木をめぐって」を読んで、まとめる必要に駆られたのです。「ものを書く最良の苗床は孤独」とは高橋さんの口癖ですが、相澤さんの十年におよぶ沈黙(孤絶)に対する畏敬の念を私なりに著したいと思ったのです。ちなみに、詩集「マンゴー幻想」に瞠目なさったのは現時点では佐々木幹郎さんと高橋睦郎さんのみ。詩集の表題にもなっている「マンゴー幻想」を引用したかったのですが、作品は必要最低限のことばで成立しています。従って、一部分を抽出するような無礼は私にはできません。「マンゴー幻想」の定価は2800円、購入をお薦めする次第。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月25日 19:33 | 固定ページリンク




一考 | 私刊本二点

 ロード・ダンセイニの「戦争の物語」が西方猫耳教会から上梓されました。訳者の稲垣博さんは映像ディレクターを生業になさる方、土日の週末を翻訳に当て、三年を費やしての為事とか。三十四篇の短編小説に「訳者あとがき」、さらに刊行者未谷おとさんの「編者解説」が掲げられている。それにしても、A五版二段組、130ページで1000円は廉い。こちらはですぺらに在庫がございます。お買いあげをお願いいたします。

 鎌野創一郎さんがレオ・ペルッツの「アンチクリストの誕生」を出版なさいました。エディション・プヒプヒの「ビブリオテカ・プヒプヒ第一巻」と表記されている。先に、土屋和之さんがエフライム・ミカエルの詩集「玩具店」を上梓なさったことは書いた。今回の鎌野さんの出版も、自らパソコンでプリントアウトし、綴じ込んだ私刊本です。
 ご紹介せねばと思いつつ、ずいぶん遅くなってしまいました、鎌野さんにお詫びを申し上げたい。遅延の理由はレオ・ペルッツについて私がなにも知らないからなのです。しかしなにも書くことがないからというのは理由になりません。ソフィストなればアナロジーのレトリックで処理しなければならない。否、するしかないのである。

 自分自身が限定本を造ってきたからだと思うのだが、よく愛好家、書痴、コレクターと間違えられる。マニアだから限定本を造るのではなく、もともと売れない本を造るから限定本なのである。私がもっとも多く手掛けた句集は200部から500部がせいぜい、翻訳であっても1000部を超えたことはない。また、通常の出版は全部数を一時に造らなければならない、あとの管理が大変である。地方で出版を営んでいると、なおのこと在庫の処理に日数と元手がかかる。そこで手っ取り早く売り上げを確保するために、特装本の登場となるのである。しかし、作り手が興味を持たないのだから、手元にはほとんど残されていない。私自身特装版と普及版とがあれば、躊躇なく普及版を購入する。
 初版本といわれるものにも私はなんら興味を持たない。書物はすべて版や刷を重ねるたびに内容は修正され、誤字や脱字も訂されてゆく。従って、書き手としては最新の版を引用してもらいたいのである。活版印刷の時代であれば初版初刷のみが直刷りであり、二刷からは紙型から起こした鉛版刷りになる、それなら初刷に価値があると云っていえなくもないのだが、活版はすでにほとんど用いられていない。だとすれば、なんのための初版本なのか、一部の古書店の謀略に乗せられているだけではないのかしら。
 書物のいのちは内容であり、テキストである。そこからなにを読み取るかは個人差があるので、私の知ったことではない。ただ、出版にあって最も大切なことはテキストを後生に託すことであろう。判断は後生のひとたちに、歴史に委ねるのが重畳、同時代の判断は私自身をひっくるめてさかしらなものと何時も言い聞かせるようにしている。だって、判断なるものは時代とともに推移していきます。そこに変遷、すなわち個と時代の弁証法がなければ文学なんてものは成り立たないのです。
 はなしをもどします。「パソコンでプリントアウトし、綴じ込んだ私刊本」の登場は私にとって驚愕であると同時に、出版の先行きに希望を抱かせる大きなできごとなのです。「在庫の処理に日数と元手がかかる」と前述しましたが、倉庫代や毎年支払わねばならない固定資産税の類いは馬鹿になりません。そうしたものからの解放は出版に伴うリスクすなわち閑古鳥の皆殺しでもあるのです。オンデマンドをさらに押し進めれば、かかる「私刊本」の出現に当然出遇うと信じていました。通信ソフトが外字フォントに対応せず、PDFが重すぎれば、パソコンでプリントしたものをひとに委ねるのが最良の方法です。吉田一穂、春山行夫、稲垣足穂、亀山巌等々、作家の死と共に膨大な量の作品が埋もれていきます。さしたる部数が望めない書物であろうとも、鎌野さんの方式ならば、上梓が可能になるのです。
 不興をこうむり、窓際でさびしく余生を送る編輯者、手形の遣り繰りで女房をすら質屋に預け、孤閨にうち沈む出版者、いじけ僻むだけが編輯者の末路ではないのです。出版社、取次、書店の役目は終わりつつあるのです。時代はこれから大きく変わります。鎌野さんや土屋さんに倣い、「私刊本」をみんなで造ろうではありませんか。

追記
 そのような私刊本専門の書評サイト、私刊本を対象とした「塵芥賞(ちりあくたしょう)」のような権威や権力を恫喝する文学賞を設けようではありませんか。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月25日 23:22 | 固定ページリンク




Ms. | 急成長中!

はじめまして。突然の書き込み、失礼します。
今、最も急成長している健康産業の業界の中でも
トップで成長中の会社の需要に伴い、
この会社とタイアップした画期的な新システムを使って
自宅からお仕事をしてみたい、という方を探しています。
家事・育児の合間や、本業がお休みの日やお仕事後に
今のご自分の毎日の予定を大きく変えることなく
やっていくことができます。
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とてもシンプルなシステムです。
毎月のお小遣いやプラスアルファの収入があれば、という方、
今の状況を変えたいとお思いの方、
詳細はサイトより資料をご請求下さい。



投稿者: Ms.    日時: 2004年08月26日 02:03 | 固定ページリンク




moondial | 蜩?

一考さん、 「塵芥賞(ちりあくたしょう)」、面白いではないですか。

「ですぺら」危急存亡の秋にしては、何故か貴兄の書き物が益々面白くなっています。
拍手喝采。

moondial



投稿者: moondial    日時: 2004年08月26日 12:07 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございます。

>一考さま

ご無沙汰しています。
なかなかお店にうかがえず申し訳ありません。

「戦争の物語」の宣伝ありがとうございます。
折みて「ぺガーナロスト」9号の委託もお願いしたいと思います。



投稿者: りき    日時: 2004年08月26日 20:27 | 固定ページリンク




一考 | 建前と本音

 moondialさんへ
 お誉めにあずかるとたちどころに饒舌なものを書きたくなる。あなたは私のいい性格をよくご存じですね。
 危急存亡に関しては「もう、どうでもいいや」が本音です。そもそもモルト・ウィスキーの専門店などという無謀なことを考えたのが運の蹲。戸田の税務署から、赤提灯や縄暖簾のような安価が売りの店の原価は10~15パーセントまで、モルト専門店の平均原価は40~60パーセント、これではやらない方がましじゃないの、と注意されました。それでも、利益率は出版よりは遥かにマシなのですが。
 先日、お客さんに連れられて行った某有名店に、予て気にしていたモルトがあったので遠慮なく馳走になりました。価は一杯4000円だったのですが、ボトルの仕入れ値は48000円、原価率は55パーセント、そんな商売したくないですよ。こころはオホーツク、知床の空を翔び舞っています、こちらは建前です。

 建前と本音と云いますが本音と建前とは云いません。これは憲法と法律、理念と制度のようなもので、おそらく優先順位に従っているのでしょう。当然、建前と本音は理念的な文化と制度的な文化、言い換えれば、規範的な行動と現実的な行動との対照を示唆しています。
 ものを書くのは本音と云うか、他人の迷惑を顧みないで限りなく本心に近づいてゆくものなのだ、と疑いもなく信じていたのですが、掲示板をはじめてから必ずしもそうでないことに気がつかされました。
 親や兄弟、連れ添いや子供を相手に自由な発言は慎まねばなりません。例えば変態(内容は個人差があるので触れません)であるとして、その歪みはご当人の理念であり立派な建前なのですが、それを家庭内に持ち込んだり、連れ添いに強いることはできません。できなくもないのですが、その場合はおそろしく骨の折れる難儀な問題、おそらく離別や離婚のやむなきに至ります。従って、最初からひとり身を通すか、想像の世界でのみ済ませるか、もしくは理念の発露にふさわしい場へわざわざ赴くことになります。ところが理念それ自体が千差万別、たとえ然るべき場であろうとも、状況からの要請を受け容れて現実と妥協しなければなりません。文化人類学者我妻洋に従えば、内面的な一貫性に価値を置くアメリカ人も、実際にはアド・ホックな(その場限りでの)解決法をみつけようとするし、またダブル・スタンダード(二重基準)を設けて現実の建前化を図っているようです。
 十代のときのはなしですが、はじめて鏡花を読んだ折、善玉と悪玉の二項対立のオンパレードにうんざりさせられました。団十郎の「荒事」と云うよりは中国の瞼譜からヒントを得た隈取りの紅の熱情と藍や墨の陰性、すなわち正義や超人力と恐怖や悪の類型との図式です。一方で鏡花には黄昏時や逢魔が時にただならぬ関心を寄せるという、一見、包括弁証法を想わせるような面もあるのです。本音が相対的に優位を占める日本社会では、建前と本音のあいだの相互浸透や両者の使い分けが顕著です。私は鏡花のあまりにも日本的な部分、詭弁をもてあそぶような部分、または一貫性のなさに愛憎半ばするものを感じたのです。要するに、善玉と悪玉を対置した作品が鏡花作品のなかからなくなれば私にとって理想的な作家ということになるのですが。
 二項対立を拒むのは不可能と云うよりも、二項対立から逃れ得ないと云った方がより正確なのでしょう。しかし、何かしら胡散臭さがつきまとうのです。十五、六歳のころ、現代思潮社からブルトンの「シュルレアリスム宣言」が出版されましたが、境界線の引かれないものに無理矢理境界線を拵える「ブルトン流」に嫌悪感すら抱きました。至高点の必要を説くに際して、ねじ曲げられた二項対立のオンパレードが説得力を持つとでも思ったのですかねえ。ブルトンは感じるひとなのであって、決して考えるひとではないのです。その証拠に「シュルレアリスム宣言」は箸にも棒にも引っ掛からない駄作ですが、「ナジャ」はすばらしい作品です。
 さて、理念的文化は妥協というフィルターを通して、そのことごとくが制度的文化と化していきます。そして生活上の行動を動機づけるのは、本音としての制度的文化の方なのです。ならば、妥協を排して一途に建前の追求にひたはしるのが文章を認め綴る場ではなかったかと、そう気づいたのです。「掲示板をはじめてから必ずしもそうでないことに気がつかされた」と前述した理由です。
 思うに、私はいままで妥協とはあまり縁がなく、勝手気儘に過ごしてきたようです。そのわがままは当然私の欲するところだったのですが、それは本音ではなく、あくまで建前だったようです。他人の迷惑を考慮するのが本音であって、他人の迷惑を顧みないのは建前、生活破綻者の私は振り返るまでもなく建前論者だったわけです。そんなことすら気づかずに、建前と本音と云う二項対立の親玉を目の前にして深い溜め息をついていたようです。もっとも、建前と本音のような下らないことはどうでもよいのです。なにが建前でなにが本音かは閑人がそれこそ勝手にやればよろしいのであって、私がもっともこころ惹かれるのはその狭間、どちらともつかない曖昧な領域に棲息する「ぼやき」なのです。花の都三ノ宮でぼやきを肴に飲みつぶれたいものです。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月27日 01:16 | 固定ページリンク




ユリーカ | ■カバ■シィ


 煮ても焼いても  喰えない肴
 マスかく方図の  凭れ合ひ  
 いけすの底で   射精しテロ

     文壇バァ 『despera賛』



投稿者: ユリーカ    日時: 2004年08月27日 02:42 | 固定ページリンク




通行人 | ちょっとひとこと

「despera掲示板」って「ですぺら」の悪口を書き込むところなの。「ですぺら」ってステキなお店だと思うけど。



投稿者: 通行人    日時: 2004年08月29日 07:08 | 固定ページリンク




外山時男 | あの股にもう一度

一考さま

 へんな事情で近々我が家へ水泡眼が一匹来ます。ごぞんじ頂天眼か出目金かみたいなあの水泡眼です。金魚の世界は盆栽の世界同様、えらそうな漢風が吹きまくっていて大嫌いなのですが、一考さんとランチュウの話などした直後だったので、おっちょこちょいにもついつい引き受けてしまいました。ベランダに適当な容器を見つけてきて飼ってやろうとおもいます。問題は水の管理。サブ水槽などしつらえて頻繁な水換えなどできるはずもなく、しかしフィルター装置つけてかき回すのも金魚には不適とのこと。ならばローレンツ流に自然めかして小型の睡蓮やオモダカなど植えて自浄させるしかありません。
 もうひとつの問題は餌です。光に湧き上がるミジンコは東京ではもはや夢の夢、ここはフレーク飼料に頼ろうとおもいます。
 とつぜんですが、十代、二十代のころは日に何度もマスをかいておりました。五十になったいまはさすがにかく機会もマレでありますが、振り返ってみますと、通説に反して、マスはネエサン方にモテまくっているとき、さらには、もうこうしてカーテンを引いた部屋の中で君とまぐわい続けているのが一番なのであって、ふたりして何処へ落ちてゆこうが人生どうなろうが他人の知ったことか、といった幸福としか言いようのないひとりの相手に恵まれたときにこそ、より多くかきたくなるものであったと記憶します。
 むかしむかし鎌倉にそんな方がいらして、そのときは雀の囀り始めた明け方、泣く泣く手を振って別れ、第三京浜をオートバイの前輪浮かして東京のアパートへ駆け戻ったとたん、いましがた別れてきたばかりのその人の股間をおもい起こしてその場でマスをかき、昼過ぎには仕事などそっちのけでバイクのタンク叩いて等々力からまた鎌倉へぶっ飛ばす。車なんか走るパイロン。
 心身ともにスッキリして二キロは痩せて帰ってシャワーを浴びると、バスタオル使い髪乾かすころにはまたもや血が昇って矢印は鎌倉へ。性交とマスとの毎日でありました。
 したがってわたくしにとってのマスとはなにか性的充実をさらに補強するものであって、そこには「それはマスターベーションにすぎぬ」などといったしぼんだ情けない揶揄は成り立たないのであります。
 あの胸にもう一度、ではなくて、あの股にもう一度、であります。
 軽い脳梗塞と軽い胃潰瘍で寝込んでました。
 またウイスキーいただきにゆきます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年08月29日 23:59 | 固定ページリンク




一考 | すべて車検切れ

 外山時男さんへ
 第三京浜をぶっ飛ばすバイクがあってよかったですね。拙宅は走られるバイクがとうとうなくなりました。BMWだけは車検を取ってきたのですが、その費用すら賄いきれなくなりました。店のフードの仕入れ用の原チャンだけになってしまったのです。原チャンにリヤカーでも括りつけようかと思っています。
 マスだかオショロコマだか知りませんが、そちらはmoondialさんを相手にかなり過激な猥談を当掲示板で繰り返しました。おっしゃっての通り、元気なときはすべてが元気になるのであって、駄目なときはなにもかもが駄目になります。急がしければいそがしいほど仕事は捗ります。また、忙しければ睡眠時間はいくらでも切り詰めることができます。
 出逢った初日に関係を持てればともかく、初日になにもなければ一生関係は生じないようです。これは私の経験則、遊里であろうがなかろうが消息は同じです。お付き合いするに手続きが必要な女性はこちらから願い下げです。だって、勿体振るひとほど平凡と相場が決まっているのですもの。
 二十代の前半に四年間セックスから遠ざかりましたし、今ももう二年ほど致しておりません。どうやら私までが車検切れのようです。もっとも、それは男女のあいだの掛け違い、はなしの落としどころを謬ったというほどのもので、強いてのことではございません。一方、まぐわいがすべてではなかろうとも思うのです。充足していれば想像力が飛翔しません。想像力が欠けると猥談はできなくなります。「禁欲とは限りなく淫蕩になること」と高名な歌人が申しましたが、まったく正しい意見であり、文学のそして表現者の核心をついた文言だと肝に銘じております。

 「えらそうな漢風」を吹かせば、水泡眼の値打ちは左右の水泡の大きさが均等であることと泳ぎが水平であることだそうです。ベランダならフィルターの濾過装置が一番いいと思います。濾過装置といっても水槽の上部に設置するタイプではなく、生け簀に用いるタイプの簡易型もあります。一匹とローレンツ流との条件であればエアーだけで大丈夫かもしれませんね。メダカなら飼いたいのですが、拙宅には野良猫軍団が控えているので諦めるしかありません。
 またのお越しを楽しみにお待ちいたしております。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月30日 18:44 | 固定ページリンク




一考 | 掲示板について

 掲示板とは申せ、いろんな種類のものがございます。よく承知しています。ただ、当掲示板はですぺらの宣伝板であり、広告塔なのです。従って、ですぺらもしくは店のスタッフに対する誹謗や中傷、勝手な憶測や邪推は許されません。私が許さないのです。どうあってもそうしたことを論議なさりたい方にはしかるべき掲示板がいくらでもございます。言論が国家権力によって封殺されるなら私も共に立ち上がります。しかし、意見を陳述なさる場所はいくらでもございます。ここはあくまで、ですぺらのお客さまとスタッフが語り合う、そしてシングル・モルトの情報や催し物をを告知するための掲示板です。ご覧になる自由はございます。しかし、書き込みには最低限のマナーと気配りを求めたく思います。

 2003年5月に上記のごとく書き込みました。思いはなにひとつ変わりません。発言の自由が問われるのは「言論が国家権力によって封殺された」ときだけです。民間の、況やネット上に発言の自由などという言葉はふさわしくありません。だって、そこらじゅうに自由が転がっているのですから。従って箇別の掲示板に自由の必要はありません。主宰者もしくは管理人が不愉快だと思えば遡ってでも全文を削除すればよろしいのであって、それが論議の対象になるなら本末顛倒です。たとえ管理人によって改竄が行われたとしても、それを問題にする側の姑息さこそ問われるべきだと思います。なぜなら、管理人は改竄によって整合性を付加しようとしたまでなのですから。
 足穂やバタイユのような作家はひとつの作品の書き直しに生涯を費やしました。改竄は文学におけるサブスタンスのようなものです。こころある作家は版を重ねるたびに修正や改訳を繰り返します。書きっぱなし、訳しっぱなしで捨て置くような姿勢こそが非難されるべきです。
 新陳代謝は自然の法則であって、ひともそれを逃れることはできません。おおよそは暫定的な存在なのです。いかに高名な作家であろうと百年もすれば忘れ去られます。われら凡人は死後二、三日もすればなにもかも忘れ去られてしまいます。同様に、掲示板における書き込みは文学でもなく、歴史でもなく、事実でもなく、資料ですらありません。掲示板をひっくるめてネットそのものはひとの存在に付随するものであって、メモや鉛筆や電話と同種の、ただし些か便利な道具に過ぎないのです。掲示板を私は簡易書簡と心得ています。だからこそ「最低限のマナーと気配り」が必要だと思うのです。不快感を抱きながら掲示板を続けるとなれば、それは人とものとの主客顛倒になります。
 当掲示板に詩についての書き込みがあろうとも、当掲示板は投稿欄ではないのです。そのような他人の理解を拒むような種類の書き込みに私は返事を認めません。掲示板に限りません、実生活の場であっても、それが不毛な対話であれば私は拒否します。たとえ相手が親兄弟や連れ添いや竹馬の友であろうとも、理不尽な言動、横暴な態度、さかしらな批判があれば即刻離別します。要するに思索のない対応であれば、それを私は許しません。
 今回、ですぺらへの誹謗中傷が書き込まれました。しかも、悪意に満ちたものです。もっとも、意味内容が理解できたはじめての書き込みだったのですが。いずれにせよ、それら書き込みをなさった方の人品の卑しさを物語るものとして捨て置くつもりです。そして私は掲示板というものへの接し方を一から考え直そうと思っています。
 以上、メールにお答えするのが面倒なので、こちらでまとめてご返事するということでご勘弁願います。この件に関して私のなかの不快感を増幅させる気はありません。それ故、少なくとも私にとってはこれですべてお仕舞い。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月30日 18:46 | 固定ページリンク




patra | 種村さんの事でお伺いします。


はじめまして、>一考様!まことに恐縮ですが他では伺う術がなかったものですから
種村先生が先日、亡くなられた!と新聞で知り驚愕しました。
忍ぶ会の詳細をご存じでしょうか?
昔、いささか御縁がありまして、矢川澄子さんと共に飲み会に御一緒し
ある開眼を頂きましたので、御無礼ながらのお尋ねです。
企画がおありなら、もっと親しかった友人にも知らせたいのですが。



投稿者: patra    日時: 2004年09月03日 04:57 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 patraさんへ
 種村さんの遺志により告別式は密葬のみ、偲ぶ会の類は執り行われません。しかし、個人が内緒で偲ぶのは勝手だと思います。



投稿者: 一考    日時: 2004年09月03日 12:00 | 固定ページリンク




一考 | 種村さんのサイン本

 問い合わせが多いので、こちらへ種村さんのサイン本の在庫を記しておきます。ただし、これらの著書はですぺらのお客さま宛に署名されたものなので、発送はご遠慮いただきます。

 偽書作家列伝 学研M文庫 650円 在庫5册
 澁澤さん家で午後五時にお茶を 学研M文庫 850円 在庫16册

 別冊幻想文学「種村季弘の箱」のサイン本はたった今売り切れました。サイン本ではありませんが、こちらはアトリエOCTAに在庫あり、アトリエOCTAの住所は以下のごとし。種村さんの最初の特集号です、中味は編輯者の私が保証致します、ぜひのお買いあげを願います。

 郵便番号408-0034 山梨県北巨摩郡長坂町大八田4296-7 電話048-825-0683 振り替え00460-4-13387

 種村さんのご子息が営まれるスパンアートギャラリーにはかなりの量のサイン本が在庫されています。スパンアートギャラリーの住所は以下のごとし、お問い合わせをお願いします。

 郵便番号104-0061 東京都中央区銀座2-2-18西欧ビル1階 電話03-5524-3060



投稿者: 一考    日時: 2004年09月03日 19:18 | 固定ページリンク




patra | なるほど、


お返事、ありがとうございました。
本のご紹介など、とても参考になりました。



投稿者: patra    日時: 2004年09月04日 05:10 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 種村季弘先生

 今回はほとんど皆さまご存じの本からの引用です。

 「一人の人間の死は、なんといっても生身の人間の死だ。精神像としてフォローしていた人に、思いもかけず肉体の死が訪れたのだった。精神としては書かれたテキストの上に生きている。しかし肉体としてはもうこの世にいない。突然訪れたこのズレに戸惑った。思っていた以上に人間としての澁澤さんの魅力が大きかったのである。没後にそれをじわじわと思い知り、いまもいよいよ大きな空白感にさいなまれている。澁澤龍彦の死は、私にとっては一つの時代の終わりだった」

 「最後になりましたが、故人なきあと、故人にとつては一切であった、そのかけがえのない文業を守るという仕事が私たちに残されました」

 種村先生が書かれた澁澤に関するご文章の一節です。最初の部分については、「澁澤龍彦」を「種村季弘」、「私」を「私たち」と置き換へて読まざるを得ません。また二つ目については、一読者として、一考さん、お忙しいでせうが、ぜひに、とお願ひするしだいです。

追記
 昨日送られてきた神保町のある古書肆の目録に、学研M文庫の『偽書作家列伝』ペン署名落款入り、『種村季弘の箱』金ペン署名入り、が出ていました。署名本でなければ何も言ひません。しかし、つい最近のことにして著者の署名を頂きながら、どうして売つてしまふのでせうか。私にはまつたく理解できません。そんなことなら最初から署名などお願ひしなければいいのに。
 悲しみはますばかりです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年09月04日 07:58 | 固定ページリンク




一読者 | 追悼

 種村季弘先生の訃報に接し、驚いている読者のひとりです。
 ファンとして先生の著作を拝読するようになって約10年程度ですが、その間、過去のものにさかのぼり、著作を通じて人となりまで知るようになりました。サイン本は宝物です。
 若かりし頃は、ホッケのマニエリスムを援用して鏡花を論じたものなどが、同じ東大で学内に残ったほうの方から叩かれたりしていたようですが、そうした批判に消されなかったのは、(私などには十分理解できませんが)やはり深い理解のうえに書かれたものだったから、もうひとつには切り口の鋭さがあったからだろうと思います。
 最近のものでは、河出の山田風太郎のムックに掲載されたインタビューなど、なるほどいうところが沢山ありました。先生は、談話がエッセイと同じくらい面白い方ではないでしょうか。。
 資質的には創作家というより評論家のほうでしょうが、オリジナルな着想には小説家以上のものがあります。いきなり「岡本綺堂はとにかくものすごく英語ができた」とか、「ん?何だろう」みたいな。
『種村季弘の箱』のお写真で見ると、アングラ劇団の方と車座になっているときのお顔など、大変楽しそうで、この方はほんとにそういった、アウトサイダー的なものを愛された人なんだなというのが伝わってきます。牧野信一にしろ、他人の評価がどうであれ、自分が好きだから好き、というような強さ、迷いのなさがあります。
 そんな種村先生を自由に泳がせてあげた奥様が立派だったということも(これもインタビューで知るのみです)。名を残した偉い人でかつ、そういうところが幸運だったりするケースが多くあるようですが、種村先生もそのひとりだろうと思います。
 残念でなりません。



投稿者: 一読者    日時: 2004年09月05日 11:42 | 固定ページリンク




一考 | 種村さんの本

 高遠弘美さんへ
 二つ目についてですが、もっか制作進行中の書冊から、平凡社のマゾッホ、論創社の映画評論集、学研の五木さんとの対談集、それとファンタジー・マップの四点は出版されます。その内の一本は木曜日に最終校が出る予定、平凡社と論創社のものが先行、おそらく十月中に上梓されます。いずれにせよ、論創社の「楽しき没落──種村季弘の綺想の映画館」が遺著になります。
 その他にも企画されたものが、私が知っているだけで5~6点はあります。ただ、故人の遺志で出版なさらないものがある、と聞き及んでおります。自らの著作を「面白いけどちっともためにはならない」と公言なさったり、近親者だけの簡素な葬儀や偲ぶ会を催すなと指示なさる方ですからそれもありかと拝察する次第。いずれにせよ、遺された膨大な量の原稿をどう取り纏めるかを決めるのは奥様です。一読者としてならできるだけ活字になるのを願うのですが、さてどうなりますか、少々時間が掛かりそうです。
 ところで、この内の一本に関してご相談致したきことあり、近々お時間をいただけないでしょうか。

追記。
 先週末には宇野邦一さん、相澤啓三さん、四谷シモンさん等がご来店、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2004年09月06日 19:52 | 固定ページリンク




一考 | すり抜けの達人

 「種村季弘の箱」をお読みとか、ありがとうございます。
 種村さんは映画を語って映画にとどまらず、舞踏を語って舞踏にとどまらず、演劇を語って演劇にとどまらず、食物を語って食物にとどまらず、といった風情で、「有心は生死の道、無心は涅槃の城」などという分かったようなはなしを最も嫌われました。変身と顛倒を生涯の伴侶とした種村さんにとって、謎は解き明かされるものではなく、より大きな謎に至るための方便でしかなかったようです。
 「種村季弘の箱」の対談は荘子で終わってますが、あれには続きがわんさとあり、遺著として出版される書物のなかでも繰り返し述べられています。

 「孔子ってのは障子の格子みたいなもんで、たとえば童子格子ってのがありましたね。格子があってそれをすり抜けるのが童子。それで童子は『悪』というかアポロン的な秩序ってのがあるとすると、それをすり抜けるヘルメスなんだけど、ヘルメスとか童子とかはトリックスターであって、格子と童子の双方の張り合いの遊戯のなかで世の中全体が、世界が成り立ってるんですね。どちらが欠けても渾沌に戻っちゃうわけですよ。
 孔子の側に立って老子的なカオスも受け入れて、聖人君子のこわばりをあざけるとか、馬鹿にするとか、批判するっていうのが、荘子の『両行』の在り方なんです」

 種村さんは老子側に立ちながら、生きてる世界では孔子を否定はしなかった。孔子を、そして荘子の「両行」との概念を認め気に入りの武器として縦横に使いながら、「それをすり抜けるヘルメス」に撤しきっっていたようです。「両行」に気を取られていると、知らない間に種村季弘はどこかへ逃げ出してしまってるわけで、敢えて申せば、この「すり抜け」に種村さんの本懐があった、と申せましょうか。山田風太郎の忍法帖やカムイ外伝にみられる「抜け忍」に殊のほか執着なさっておられたようで、今回もエイヤーと掛け声をかけたばかりに地上をすり抜けてしまった、否、出掛けた先をまたいつすり抜けるかも知れず、私が種村さんを追尾するのを諦めた日、それははじめてお会いしたときではなかったかと、そんな思いに浸っております。



投稿者: 一考    日時: 2004年09月07日 00:41 | 固定ページリンク




外山時男 | 天気晴朗なれど波高し

一考さま
 ですぺら通信での水泡眼への言及には仰天。ゆえに仰天眼です。もし仰天眼なる金魚ほんとうにいるとするなら、招聘元はとうぜん反共水産。毛沢東末期のマカオあたりでの商談です。むろんこれは親爺ギャグ。ちかごろ髪薄くなってきてオールバックも危なくなってきました。すでにじじいギャグです。
 陸封型の鱒族にはいろいろあるらしく、しかし降下型の体形大振りの兄弟たちとどちらがより自由かなんて言い出したらキリなくて、わけ判らなくなってよくわかりません。双方我こそが真性ディアスポラと片意地張って主張しているみたいで気が滅入ります。
 どっちにも抜け忍いると思いたい。
 三陸あたりの陸からの鮭釣りでの一番の餌は青大将だそうです。ぶつ切りにして引っ掛けるのだとか。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年09月12日 00:10 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 9月17日(金)午後7時より「凶鳥の黒影--中井英夫へ捧げるオマージュ」(河出書房新社刊、赤江瀑、有栖川有栖、 嶽本 野ばら他、本多正一監修)の出版記念パーティが、ですぺらにて催されます。高原英理さんの「ゴシックハート」出版のお祝いとの共催になります。会費は5000円。どなたさまもお気軽にご参加ください。



投稿者: 薫子    日時: 2004年09月14日 16:40 | 固定ページリンク




如月 | 院政期和歌のレトリック~「賦字」

小サイトに院政期和歌の「賦字」というレトリックについてのページを新設しました↓。 http://www.furugosho.com/inseiki/fuji.htm 和歌、言語、レトリック等にご興味のある方にアクセスして頂ければ幸いです。 このページ、ホッケの「迷宮としての世界」なども意識しながら書きました。 あらためて、種村さん、矢川さんのご冥福をお祈り致します。



投稿者: 如月    日時: 2004年09月15日 00:09 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 住大夫師の初CD絶讃

一考さま。
先日はありがたうございました。相澤さんの詩集一冊予約いたします。

Mさま、どうぞお力落としのなきやうに心よりお祈り申します。大兄の作られる御本はどれも貴重で、机辺から離したことはありません。

また、先夜は辞去寸前にて心焦り、きちんとお答へできなかつたことをお詫びするとともに、いささか詳しいことを申し上げます。

七世竹本住大夫師初のCDは『摂州合邦辻 合邦住家の段』です。住大夫師の師匠筋にあたられる越路大夫師や山城少掾師のCD全集にも入つてゐない、住大夫師のお得意とされる演目です。
「しんたる夜の道」で始まるこの話は、現代の感覚からすればそんな莫迦なと思ふやうな話ですが、これが住大夫師が語られると一変。何度も涙せずにはゐられない情の話になるのですから、藝の力といふものはげに恐ろしいものです。野澤錦糸師の三味線がまた素晴らしい。これは義太夫の最高の境地に達した方だけが語りうる難曲でせう。いまの文楽の最大の悲劇は、住大夫師のあとを継ぐまでの力をもつた演者が皆無だといふことです。これは言ひすぎだと思はれるかもしれません。文楽の素人の世迷ひ言と片づけられても構ひませんが、東京、京都、大阪、と住大夫師のご公演を追ひかけ聴いてゐるひとりとして、しかも斯界のしがらみにとらはれない者として申さざるを得ないことなのです。義太夫、浄瑠璃がお好きなら、せめてもお近くの公演は行かれることをお勧めしますし、このCDをお買ひもとめになることをつよくお勧めしたいと思ひます。このあとも陸続とCDが出ます(現在の予定ではあと10枚は最低出ます)。
アマゾンなどで手に入ると思ひますが、万一お手に入らない場合はご一報下されば手配致します。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年09月18日 12:39 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモン、『ゴシックハート』が気に入ったようです。

高原英理さんの『ゴシックハート』、四谷シモンはとても気に入ったようで、エ コールドシモンの掲示板http://6012.teacup.com/simon/bbsにちょっとした感 想が書き込んであります。



投稿者: 如月    日時: 2004年09月22日 01:08 | 固定ページリンク




如月 | 九条家論

小サイト「院政期社会の言語構造を探る」のコーナーのなかに、 「天台・浄土・禅ーー九条家をめぐる仏教諸派」 http://www.furugosho.com/inseiki/kanezane/bouddhisme.htm および、 「達磨歌」 http://www.furugosho.com/inseiki/kanezane/darumauta.htm のページを続けてアップ致しました。 良経論、十題百首論、六百番歌合論そして九条家失脚の経緯の叙述がのこっては おりますが、私の九条家文化論の骨格をなす基本的論考は、これでとりあえずす べてアップしたことになります。この機会に、上掲の二つのページだけでなく、 九条家論全体をお読み頂ければ幸いです。 ちなみに、私の九条家の文化・政治的位置づけは、朝廷対幕府(武家)という背 景を完全に異にする権門対立の枠組みのなかで朝廷側の一権門として九条家のあ り方を理解しようというものではなく、朝廷のなかに、院と摂関家の政治的文化 的対立を見、そうした摂関家文化を代表するものとして九条家文化をみていくと いうものです。



投稿者: 如月    日時: 2004年09月22日 08:40 | 固定ページリンク




高原英理 | 御礼


如月 さま

お教えありがとうございます。
さっそくのぞかせていただきました。
シモンさんのお気に入っていただけたのは
とても嬉しいことでした。



投稿者: 高原英理    日時: 2004年09月23日 00:00 | 固定ページリンク




如月 | 山田史生さん

高原さんが喜んでいただけて、うれしいです♪ さて、先日から小掲示板で取りあげている『渾沌への視座ーー哲学としての華厳 仏教』(春秋社)の著者・山田史生さんですが、灯台もと暗し、『幻想文学』に 寄稿していたことがわかり、desperaをとおし、コピー入掌しました。山田さん が寄稿号とタイトルは、65号「幻想の文法ーー露伴『観画談』の場合」、66 号「渾沌」、67号(=最終号)「夢の記憶」です。『幻想文学』をおもちの 方は、お手持ちの号でご確認あれ!そのうえで小掲示板を読むと、『渾沌への視 座ーー哲学としての華厳仏教』をめぐる話が、新たな視点から見えてくるかもし れませんね。



投稿者: 如月    日時: 2004年09月25日 08:57 | 固定ページリンク




薫子 | お忘れ物

 忘れ物のお知らせです。
1.革のジャケット。
2.「虚無への供物」文庫
 お心あたりのある方はですぺらまでご連絡ください。
電話03-3584-4566



投稿者: 薫子    日時: 2004年09月28日 16:23 | 固定ページリンク




薫子 | サンデー毎日に

 9月28日発売(10/10号)の「サンデー毎日」に切り絵作家の成田一徹さんが、「to・the・Bar」の記事で「ですぺら」を取上げて下さいました。是非、本屋さんで立ち見してみて下さいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2004年09月30日 03:23 | 固定ページリンク




こま | 成田一徹


「to the Bar」は、大好きな本です。成田氏がですぺらを!それは楽しみです。ですぺら訪問の楽しみはまだ先になりそうです。



投稿者: こま    日時: 2004年10月01日 09:17 | 固定ページリンク




薫子 | 感想いろいろ

 こま様、ご覧頂きましたでしょうか。常連さんの感想は、「かっこいい」「かっこよすぎる」「やさしそうに見える」などいろいろでありました。
雑誌掲載の効果で、新規のお客様がドット押し寄せ、ということに全くならないのが「ですぺら」であります。いつでもゆっくりと飲んでいただけます。お越しをお待ちしております。



投稿者: 薫子    日時: 2004年10月05日 02:46 | 固定ページリンク




如月 | 山陽テレビが四谷シモンの人形を紹介


岡山・香川県を放送エリアとする山陽テレビで、9日(土)、四谷シモンの人形
を常設展示している坂出の「淡翁荘」が紹介されます。「淡翁荘」を紹介するの
は、『はぴデリ』というバラエティ番組で、番組枠は午後1時から午後2時まで。
この時間帯のなかの何時ぐらいに「淡翁荘」の紹介が入るかは、まだ決まってい
ないそうです。
岡山、香川両県にお住まいの方、ぜひご覧ください。



投稿者: 如月    日時: 2004年10月07日 15:50 | 固定ページリンク




一考 | デジカメとマック

 「デジカメの記録媒体」での質問の答えを書いておきます。グーグルの検索で疑問を書いていらっしゃる方が他にもいらしたのですが、応答はなにもなかったようです。きっとお困りの方がいらっしゃると思います。
 ミノルタの「RD175」の記録媒体は「PCMCIA2.1/JEIDA4.2規格のPCカード(ATA仕様 Type2、3)」となっていますが、Type2のアダプターにコンパクト・フラッシュを装着して使えます。初期化その他、256MBに至るまでまったく問題が生じません。間違っても、IBMや日立のPCカード Type3は購入なさらないように。コンパクト・フラッシュのアダプターは秋葉原で660円ほどで売っています。
 ついでにゴッサマーについて一言。ベージュG3には3種類のバージョンがございます。そのうち、Rev. 2とRev. 3はよろしいのですが、Rev. 1はATAのマスターとスレーブがサポートされていません。要するにATA機器は1台しか接続できないのです。これはいろんなところで記載されています。また、Rev. 1のスロットF1にはATI,mach64-3DU 6MBが、それ以外にはATI,mach64-3DUPro 6MBがセットされています。そしてここで書いておきたいのは、Rev. 1はUSBをうまく認識しないということなのです。手持ちの機器だけですが、MO、ハードディスク、メモリー・スティックなどは駄目でした。唯一認識したのがマウスのみ。それがマザーボードのせいなのか、ROM(パーツNo.820-0961-A)のせいなのかは確認していませんが、大きな問題なので著しておきます。
 さらに、初期のベージュG3の一部に装着されていた Royal Technology社製のVRM (Voltage Regulator Module) は、供給できる電力が小さいのでアップグレードカードに対応できません。VRMにRoyal Technologyと表記されている場合、アップグレードにはVRMの交換が必要です。純正のVRMを購入してください。



投稿者: 一考    日時: 2004年10月07日 22:24 | 固定ページリンク




如月 | ポツドール『ANIMAL』

 劇団「ポツドール」http://www.potudo-ru.com/の最新公演『ANIMAL』を観
た(脚本・演出:三浦大輔、会場:三鷹市芸術文化センター風のホール)。
 私がこれまでに観たポツドール公演、王子小劇場、下北沢駅前劇場という小さ
なプライヴェート・ホールで行われているのだが、今回は公共団体が運営するパ
ブリックなホールでの公演ということで、観る前に、ポツドールらしさが薄まっ
てしまうのではないかと懸念していたのだが、そうした懸念はみごとに裏切られ、
ポツドールの公演の中でも屈指の作品となっていた。脚本・演出の三浦大輔さん
に心からの敬意を捧げたい。
 『ANIMAL』のストーリーは比較的単純である。
 とある橋の下に約10人の若者たちが集まり、耳をつんざくようなディスコ音
楽をかけて踊ったり、しゃべったり、たわいもないことで喧嘩したり、時間をつ
ぶしている。そのうちに橋の下の一画にテントがはられ、若者達は、一人、二人
とそのなかに入ったり、出てきたり、局面が動く。肝腎なこと(いかがわしいこ
と?)はすべてテントのなかで行われ、観客には決定的なことは何もみえない。
そうこうしているうちに、テントの中で裸になっていた若者が突然死んでしまい、
その死をめぐって若者達の間に動揺がおこる。
 さて実は、『ANIMAL』という芝居のすごさは、こうしたストーリーにはない。
 開演当初、単なる舞台音楽だと思われていたディスコ音楽はいつまでたっても
やまず、この騒々しい音楽のために、出演者のセリフは一言も聞き取れない。
 つまり、上に書いたストーリーと、それをすすめる会話は、観客の耳には最初
から最後まで一切届かないのだ!
 これはいわゆる「無言劇」ではない。セリフ(会話)があることを前提とした
芝居であり、実際、役者はみんな一生懸命口を動かしているのだが、それはまっ
たくといっていいほど聞こえない(時々、「オイ」とか「コラ」とかいう言葉が、
かろうじて洩れ聞こえてくる)。
 セリフとは聞こえるもの、芝居とはセリフを聴かせることによって意味を伝え
るものということに対する、これはなんという強烈なアンチ・テーゼ!
 芝居の進行ののなかで、途中、登場人物が二度、ディスコ・サウンドを止める
のだが、その時舞台を支配する沈黙もいい。しばらく沈黙が続いて、そこで何が
「語られる」のか、観客が固唾をのんで見守るなか、別の道場人物がまた音楽の
スイッチを入れ、それと同時に(観客には聞こえない)会話のやりとりが再開する。
 すべては示唆されるだけである。
 同公演、東京は本日が最終日だが、15日~17日まで大阪のin→dependent
theatre 2ndで大阪公演が行われる。関西地区の人はぜひ!



投稿者: 如月    日時: 2004年10月11日 21:27 | 固定ページリンク




薫子 | ハッピBIRTHDAY

 10月20日は、佐々木幹郎さんのお誕生日です。21日(木)に幹郎さんが「ですぺら」にいらっしゃる予定ですので、一日遅れですがついでに(?)お誕生日お祝いをしたいと考えております。って、結局いつもどおりに飲んだくれるだけかも。会費○○円云々のパーティ形式にはいたしません。どなた様でも、お集まりいただけると嬉しいです。



投稿者: 薫子    日時: 2004年10月17日 14:41 | 固定ページリンク




薫子 | 朗読会のお知らせ

 ですぺらのお客さまでもある歌人の玲はるなさんの朗読会をですぺらにて催します。

 レイハル☆ヴォイスコレクション2004~ひとり歩きのママのうた~
 日時 2004年11月13日 土曜日
    19時~21時まで
 会費 2000円
    お酒と軽食付き

 「朗読会の案内」http://homepage2.nifty.com/tanka/rvc.htmのページ
 「朗読ムービー」http://homepage2.nifty.com/tanka/rvc/rvc-movie.htmのページ

 参加ご希望の際は、メールにてお知らせいただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。



投稿者: 薫子    日時: 2004年10月19日 03:10 | 固定ページリンク




玲はる名 | ありがとうございました。それと、

一考さん、薫子さん、いつも楽しいお時間をありがとうございます。
先日は終電は逃しましたが、大丈夫でした。

来月、いろいろよろしくお願い致します。

ですぺらを愛するみなさんこんにちは。
玲はる名です。
この秋、ですぺらで朗読会をすることになりました。
予約をとりますが、
どなたでも気軽にお声をかけてくださいませ。
よろしくお願いいたします。


 ご案内は下記でございます。

 http://homepage2.nifty.com/tanka/rvc.htm
 日にち 平成16年 11月 13日 土曜日
 時 間 19:00 ~ およそ21:00
 場 所 赤坂(赤坂見附) ですぺら
 会 費 2000円 
 申し込み 玲はる名 bxi10236@nifty.com へお願いします。

 朗読は、普通の短歌の朗読と、
 詩や一行絶句の朗読。
 他に短歌と、イタリア歌曲や日本歌曲に
 自作をのせて歌ってみようと思っています。

 舞台での朗読会と違って、
 ゆっくりとやりたいと思っています。

薫子さん、ご案内してくださって、ありがとうございます。


ではまた。

玲はる名 bxi10236@nifty.com
http://homepage2.nifty.com/tanka



投稿者: 玲はる名    日時: 2004年10月23日 14:29 | 固定ページリンク




遥名 | 挑戦者求ムV(^O^)

整体の専門に通う23歳の遥名です。 がんばってるんだけどなかなかマッサージが上達しません..ρ(..;) 誰か練習台になってくれませんか?料理が好きだからお礼は私の手料理で… 得意料理はシチューですよ!



投稿者: 遥名    日時: 2004年10月25日 09:55 | 固定ページリンク




亜由美 | いろんな出逢いしたいな♪

22歳社会人。介護の仕事を2年位してます。
いつもお年寄りの相手で
いい出会いもないし、最近ちょっと不満気味かな(><)
そこで思いついたのが趣味のコスプレと仕事の実益を
兼ねて介護プレイしてみようかと思ったんです(^^)vV
介護されたいって人いませんか?

直接会いたい人はここから・・・ね。
http://www.1251.to/bin/hub?t=main&m=929



投稿者: 亜由美    日時: 2004年10月26日 17:01 | 固定ページリンク




し~ちゃん | 「青い部屋」デビュー&週刊ココログガイド登場~!

みなさまこんばんは ご無沙汰しております し~ちゃんa.k.a.川上史津子でございます
憧れの「青い部屋」デビューであります! そしてバンドデビューも致します!

☆10/28(木) 生まれて初めてバンドで唄います~♪ 場所は青山イミグランツ・カフェ(表参道から骨董通りMAX・MARA横 青い看板が目印 共同ビル地下1階 03-5766-8995)http://www.immigrantscafe.com/

バンド名は?solstice(サルスティス)?G.&Per.&ツインVo.が川上シスターズ! バーシア/クラプトン/スティービー・ワンダーのカバー お酒と食事を楽しみながらご覧頂けます チャージ無し 19:30と21:00 約30分ずつの2ステージです

同じイミグランツカフェでもう一つ

ハロウィンイベントで拙著「えろきゅん」朗読致します
10/30(土)23:30~ 川上の出番はAM2:00~を予定 ハロウィン@青山Immigrant's Cafe エントランス無料

☆作家でシャンソン歌手でいらっしゃるビッグママ・戸川昌子さんのお店 渋谷『青い部屋』のイベントに呼んで頂きました! 初出演でございます♪ http://www.aoiheya.com/

11/5(金)19:00open 23:00close ¥2500(1D付)¥2300(1D付/予約)
限りなく愛して★
出演/越路姉妹、東京やさぐれ女、東京詠吟、MotherKeySession
「えろきゅん」朗読/川上史津子 with DJ・SAKAE ※タロット占いあり

まだ少し先ではございますが お運び頂ける方、前日までに川上へメールでご一報を! お客様リストに名前を載せさせて頂きます。予約料金扱いになります。当日急に「行ける!」となられたら、受付にて「川上扱い」とお申しつけ下さいませ~(その場合、当日料金になってしまうそうです。ごめんなさい)。出番は20時以降です。自分の出番が終ったら一緒に飲めます! ぜひぜひいらして下さい♪

☆先月スタートしたWeb日記 「パイロン」が10/25配信の「週刊ココログ・ガイド」にてご紹介頂きました! なんと今週のトップ紹介です! おかげさまでヒット数も着実に伸びております~ http://guide.cocolog-nifty.com/guide/

☆縁あってAll About JAPANというサイトインタヴューして頂きました♪ 蔵出し写真満載
http://allabout.co.jp/entertainment/technopop/closeup/CU20041011A/index.htm

ご来場&WEBご覧頂けたら嬉しいです~♪

れいはるさんの朗読 先約があり伺えません・・・(泣)がんばって下さい!



投稿者: し~ちゃん    日時: 2004年10月27日 05:01 | 固定ページリンク




高遠弘美 | また掲示板をお借りして

 尊敬してゐる方がまたなくなりました。せめてはこの掲示板に記して、ご冥福を祈ります。
 古谷忠弘さん。
 十月二十八日歿。享年六十三歳。大阪の国立文楽劇場支配人としてご活躍でした。京劇公演をプロデュースしてゐるTさんのご紹介で知り合ひ、以後、大阪の文楽公演のたびごとにチケットをとつて頂いてをりました。公演の前や幕間に、ロビーでこちらの姿に気づかれると笑顔を浮かべて迎へてくださいました。文楽を心から愛した、実に物静かで温厚な方でした。亡くなつた方の笑顔ばかり脳裡に浮かぶのはどうしたわけでせう。古谷さんとのお話、メールやお手紙のやりとりが私には大阪公演と分かちがたく結びついてゐるので、十一月の公演にゆくときは、古谷さんがロビーにおいででないことをこの上なく悲しく思ふに違ひありません。吉田玉男写真集などに解説を書いてゐる古谷さんですが、文楽が世界無形文化遺産に選ばれてますます張り切つてをられたのに、残念でなりません。私たちは古谷さんのあの優しい笑顔と文楽に対する深い理解と限りない愛情を決して忘れることはありません。どうか安らかにおやすみ下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年10月31日 00:58 | 固定ページリンク




tanguy | 展覧会と上映会のお知らせ


画家の福山知佐子さんの展覧会とドキュメンタリー映画の上映会のお知らせをさせていただきます。

福山知佐子展+花輪和一/宮西計三原画名品選
2004年12月6日(月)―15日(水)pm0:00(初日のみpm4:00開場)―pm8:00 
会期中無休
なかのZERO本館地下2階展示ギャラリー

画家・福山知佐子の作品を中心に、福山と交流の深い漫画家・花輪和一と宮西計三の原画作品を展示。会期中の10日と13日には花輪、宮西も出演のドキュメンタリー映画『たった8秒のこの世に、花を』の上映と監督の稲川方人、花輪和一を迎えてのトークイベントもある。

映画『たった8秒のこの世に、花を』上映会
監督・構成 稲川方人
出演 福山知佐子 吉増剛造 花輪和一 宮西計三 他
2004年12月10日(金)+13日(月)pm6:30開場 pm7:00上映開始
上映後トークイベントあり
なかのZERO本館地下2階視聴覚ホール
入場料1,500円

なかのZERO
〒164-0001 中野区中野2-9-7 tel.5340-5000
JR中央線・地下鉄東西線「中野駅」下車、南口より徒歩7分

問い合わせ
福山知佐子を記録する会(球形工房内) 
tel:03-5388-6607 fax:03-5388-6609 e-mail:jdw07203@nifty.com



投稿者: tanguy    日時: 2004年11月02日 20:13 | 固定ページリンク




鍛治多恵 | 有難うございました。


はじめまして。私、古谷忠弘の娘の鍛治多恵と申します。
父の名前で検索していたらこちらへたどりつきました。

父が生前、大変お世話になり有難うございました。
父も本当に11月からの文楽公演に仕事復帰することを
目標として頑張っておりましたが10月の半ばごろから
急に食事が摂れなくなり、点滴を打ちながら4,5日で
退院する予定でしたが先月27日の夜11時ぐらいから
急に意識がなくなり、そのまま28日の朝5時39分に
亡くなりました。
まだ家族の者は父が亡くなったことが信じられなく、
東京に出張に行っているような感覚です。
生前、父は東京と大阪を行ったり来たりしていましたので
その延長みたいです。
本人もきっと悔しかったと思います。
この場を借りてお礼申し上げます。
有難うございました。



投稿者: 鍛治多恵    日時: 2004年11月06日 19:24 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 鍛冶多恵さま

鍛冶多恵様

ですぺら掲示板を再度お借りして、先日亡くなられた国立文楽劇場支配人であられた古谷忠弘さんのお嬢様に、そしてご遺族の方々に改めてご挨拶申し上げます。わたくしは仏文学を看板に挙げてゐるものの、単に仏語のABCを教へてゐるだけのしがない大学教師に過ぎません。文楽につきましても、どの附く素人でしかありません。ただ、ご縁あつて住大夫師のご公演のたびごとに「追ひかけ」をし、住大夫師のご謦咳に触れることを何よりの生き甲斐にしてゐる者でございます。
古谷忠弘さんはそんなわたくしの気持ちをいつもお汲み取り下さり、住大夫師が舞台左手で語られる妹背山のやうなときは中央より左寄りに、舞台右手で語られるときは右よりの、しかもそれぞれ一番舞台と住大夫師と錦糸さんを味はふのにふさはしい席をおとりくださいました。東京国立でも地方公演でも、住大夫師にチケットをお願ひしてをりますのに、大阪だけは古谷さんにお願ひするといふのがわたくしの常でございました。大阪のロビーでお礼を申し上げるたびに古谷さんはあの、誰をも魅了せずにはゐない笑顔を湛へられて「いやあ、いつも早く頼んでくれるから全然大変ではないんですよ。これからもいつでもどうぞ」と繰り返すばかりで、わたくしはただひたすら恐縮するばかりでした。11月の大阪公演は、最初ご遠慮しようと思つてをりました。わたくしどもの稼業は実は11月が滅法忙しく、土日もないほどに予定がつまります。授業を休むわけにはゆきませぬから、諦めてをりました。しかし、住大夫師の山科閑居です。もう何度も聴いてはゐる演目ながら、ぜひまた聴きたいといふ思ひがつのり、古谷さんにメールでお願ひいたしました。10月の半ば。お嬢様がお書きになつてをられるところでは、「急に食事が摂れなくなり」といふ時期だつたのでせう。当然お返事はなく、何とも悟らぬ鈍きわたくしは文楽劇場に電話をかけました。古谷さん、いらつしやいますかといふこちらの言葉に、「いまお休みをとつてゐます」とのおこたへ。まさか、まさか御病気がそこまで篤いとは思ひもよらず、夏休みを今頃おとりなのだらうなどと暢気に構へてをりました。そのことだけでも万死に値するやうなものです。ここにて鍛冶多恵さまとご遺族には心よりお詫び申し上げます。
古谷忠弘さんは、文楽を心から愛されてをりました。片言隻語でそれと知れました。わたくしなど、古谷さんの前では文楽が好きだなどとよくも申せたものと反省してゐます。
古谷さんのやうな方がいらしたからこそ、文楽は今の繁栄にいたつたのではないでせうか。
いくら連ねてもご遺族のお悲しみの癒えることはないと痛いほど知りつつ、せめてそのことだけは何度でも繰り返して、拙き筆を擱かせて戴きます。
インターネットの掲示板で、このやうなことをしたためることを赦して頂くとともに、管理人の桜井様、そしてですぺらの一考さんに心より感謝申し上げます。
末尾ながら、古谷忠弘さんのご冥福を今一度心底念じをります。
高遠弘美



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年11月06日 21:52 | 固定ページリンク




薫子 | 「たまや」第2号発行!

 大変長らくお待たせいたしました。詩人、季村敏夫氏、瀧克則氏と装訂家、間村俊一氏による同人誌「たまや」第2号が発行となりました。種村さんのエッセイ、高橋睦郎さんの詩など、盛りだくさんであります。
是非、ご一読を。ですぺらに創刊号とともに置いております。定価1200円。おっと、そうだった、一考も寄稿しております。これは皆様に買っていただかなくては。
 下記宛、FAXにて連絡いただければ、発送も可であります。

 山猫軒 
   郵便番号 162-0825
   東京都新宿区神楽坂三丁目6-28 土屋ビル2偕
   FAX 03-5225-7181



投稿者: 薫子    日時: 2004年11月15日 02:40 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 本日24日のみとなりますが、おでんとローストビーフをご用意しております。おでんにはちくわぶは入っていません、キッパリ。
 なお、25日(木)は6:30より貸し切りとなります。ご了承下さいませ。
 また、「たまや 2号」は執筆者の方々のサイン入りとなりました。どうぞお早めに。



投稿者: 薫子    日時: 2004年11月24日 05:29 | 固定ページリンク




薫子 | 「楽しき没落」

 種村季弘さんの映画評論集『楽しき没落』(論創社)、5月に刊行予定だったものがようやく刊行となりました。「映画評論」等に掲載された評論の数々と、ロング・インタビューが収録されています。このインタビューは一読の価値ありです。ですぺらにも数冊置いてありますので、是非!!



投稿者: 薫子    日時: 2004年11月27日 15:34 | 固定ページリンク




薫子 | 忘年会、新年会受付中です

 ですぺらにて忘年会、新年会はいかがでしょうか。少人数から25名までOKです。詰め込めば40名まで大丈夫、かな・・・?メニュー、予算等、ご相談下さい。
 12月は31日まで営業です。(日曜、祝日でも予約いただければ営業いたします)



投稿者: 薫子    日時: 2004年11月27日 15:44 | 固定ページリンク




一時の客 | 楽しき読書

 財布もさびしき折りながら、京都四条のジュンク堂にて種村先生の『楽しき没落』を購入し、読み始めました。
 何となく、もっとシンプルな(白水社ふうな)装丁を予想していましたが、種村さんの他の単行本と違和感がなく、とても好感が持てました(装丁者が同じだから当然といえば当然ですが)。

 タイトルは種村先生のアフォリズム「男性最高の快楽は落魄である」を連想させます。あとがきにネットで読んだ映画祭のリードが収録されているのがうれしい。初めて読んだとき、これこそ種村先生の原点だと思ったものです。
 Ⅲ部のインタビューから読み始め、あまりに面白く一度に読むのはもったいないので、あとは本文を通読した後で楽しもうと、半分置いています。
 植草甚一氏も触れていたと記憶する「ニノチカ」がこちらでも出てくる。種村先生と植草氏ではまるで接点がないことから、逆に当時の映画というのはある程度は共通基盤(教養)となっていたと言えるのではないでしょうか。それに較べると現在はやはり、趣味が拡散、多様化していると思われます。小生にしろ観ていないものが多い。にもかかわらず、種村先生のエッセイであれば、観ていない映画についてであっても、読むことによりたくさん得るものがある、という感じがします。何か映画の外にあるものまで見せてくれるような濃密さ、読み応えがあって、これで税別2,000円は安い。

 奥付に「渡辺一考」の名を見つけ、つい駄文を草した次第。学研の『まほろばの力』は遅れているようですが、楽しみにしています。それにしても、五木寛之氏とは何でなんでしょうか(いいけど)。ともあれ、これからも決定版ネオ・ラビリントスを作る勢いで、テーマ別にどんどん出版していただきたいです。



投稿者: 一時の客    日時: 2004年12月11日 15:38 | 固定ページリンク




如月 | テレビ・ドラマ×2


来年1月5日午後9時からTBS系で放送予定のテレビ・ドラマ「夏目家の食
卓」(久世光彦演出)に四谷シモンが医師役でワン・シーン登場する予定です。
このドラマは夏目漱石の実生活に基づくコメディー・タッチのもので、夏目漱石
役は本木雅弘さん、鏡子夫人役は宮沢りえさんという豪華キャストです。
みなさん、お見逃しなく。
   *   *   *
テレビ・ドラマといえば、私の方は、NHKの大河ドラマ「源義経」にあてこ
んで?小サイトに仏語版の日本中世史用語事典を構築中です。
http://furugosho.com/moyenage/index.htm
内容もさることながら、言葉の誤りも多々あるかと存じます。みなさんのご意見
伺うことができれば幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2004年12月13日 11:30 | 固定ページリンク




一考 | 市井風流

 「吉田一穂詩集」に続き、加藤郁乎さんの俳林随筆「市井風流」が岩波書店から上梓された。「風流遊蕩に徹し粋に生きた江戸の俳人・数寄者達の世界」を描いた一本である。
 文中、吉田一穂の項で「黒潮回帰」に収められた「半眼微笑」に採り挙げられた

  三日月や早や手に触れる草の露   桃隣

の一句引用の誤りを指摘なさっている。・・・桃隣にかようの句はなく、『古太白堂桃隣句選』には中七が「手に障る」とあり、支考編の『三日月日記』にはやはり中七が「手にさはる」と見える。俳書そのほか、何に拠り右一句を拾われたものかうかがわずに終ったのが惜しまれる。ただ、桃隣という号が桃青芭蕉の俳名に似るところから『一葉集』に芭蕉の作として同句が出ることを知られた上で、ひょっとして誤記されたのかもしれぬ・・・
 ここで終われば風流にもなににもなりはしない。郁乎さんの仕掛けはどうやら享保十五年に刊された『三日月日記』を登場せしめるところにあった。同書には一穂の号をしるした句が収められている。

  さゝ波に居り兼るや三日の月   一穂

 件の一穂は起承転結の転というよりは動顛の顛であろうか。当然、われらが『稗子伝』所収「野分抄」の初出、「聖餐」に掲げられた十一句がそのあとに続く。

  夜ふけて渡る鳥あり初時雨
  灯を消せば臥床に迫る虫の声
  木枯や妻子の留守の残り酒
  冬ごもり幾夜を月の雁の声
  薄明りこもる厨の酒の匂
  ふる郷は波に打たるゝ月夜かな

 附された郁乎さんの文章を引用する。・・・周知のごとく、最後の句は「魚歌」に銘句として示されてある。一穂先生ゆかりの地、北海道古平の厳島神社に建つ詩碑「魚歌」を訪ね拝した折、海風松濤のなか、改めてその句柄の大きさに打たれた・・・
 それにしても時空を超えた一穂と波と月のコレスポンダンス、詩精神のふるさとを詠じてこれほど大柄な随筆も稀であろう。

 「市井風流」には金魚一筋の研究家松井佳一氏に託つけての「金魚」との項も拵えられている。『新続犬筑波集』を初出に、柳亭種彦の『用捨箱』や『柳亭筆記』などに引かれた詠句

  をどれるや狂言金魚秋の水   松滴

が拾われ、

  藻の花や金魚にかゝるいよ簾   其角

と続けられる。おそらく『嬉遊笑覧』巻之十二近藤版からの引用ではなかろうかと思われるのだが、だとすれば、作者は不角ではなかったか。立羽不角は其角よりひとつ年下、化鳥風と呼ばれた雑俳点者で、浮世風の新風から後には古典パロディ手法に堕したひと。もっとも、雑俳から川柳狂句への流れは、連歌・俳諧の本道ともいえるもの、堕したとあっては苦言を呈されよう。
 もっとも、其角が不角であろうが不角が其角であろうが、そんなことはいっこうに構いはしない。郁乎さんの論点は「人生やり直しが効かぬというがあれは俗の言い触らした尤もらしい嘘で、風流の片意地さえ失わなければ七顛八起なぞ朝めしの前」にあるのであって、郁乎流ポエジー、意気の俊爽を知らずしてなにを読み解いたと言うのか。重箱の隅をつつくような野暮はよろしくない。
 世に「金魚の刺身」と言う、役に立たないものの意で用いられるが、和金などは洗いにすると鯉よりも歯切りがよくて甘味がある。学芸における風流の本意俳趣も金魚の刺身のようなものではあるまいか。

 この度の上梓を機に加藤郁乎さんを囲む会をですぺらにて催したく思います。日時は十二月二十三日(木)午後五時より。会費は五千円。休日につき多くの御参加を願い上げます。


                              小出昌洋
                              渡辺一考



投稿者: 一考    日時: 2004年12月16日 00:18 | 固定ページリンク




外山時男 | 三日月年末年始のお知らせ

三日月は年末23日(木、祝日)、25日(土)も営業いたします。
営業時間は通常通り。
大晦日は「お渡し蕎麦」のみとなります。
要予約。お二人前1400円。
里山(田舎風)蕎麦、お二人前1500円もあります。
ご予約他は、03-3516-6801、三日月まで。
(聞くところ、どちらもきわめて美味とか)
年始は4日よりの営業です。

なお店主は23日の夜、出掛けておりません。
いろいろのご無礼、平伏いたします。

三日月

追伸
一考さま 三日月の地図はおぼろでよう言いません。ありがとうございます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年12月16日 07:56 | 固定ページリンク




KAWAIHIDEYUKI | お久しぶりの赤坂の夜

一考さま、薫子さま
昨夜は、遅くに失礼しました。

泥酔者には酒を売らぬのが、酒屋の鉄則といいますが、
寛大なお二人にはいつも感謝しております。

アルコール血中濃度は相当に高かったと思いますが、
とりあえず飲ませていただいたウイスキーのノートを
付けております。
以下、ご参考まで

ポートエレン15yo(19821020-1980414)43%、Signatory
色:薄い琥珀
香り:スモーキーでピーティ、ビタミン剤、華やかに立ち上る、
後半はふくらみと落ち着き。
味わい:ピーティでありつつも、熟成感のある旨み、最初は以外に軽やかで
すっきり。一口ごとに旨みの厚みが増す。
ボディ・余韻:ミディアム・ボディ、ピーティな余韻。

バルミニャック11yo(19900900-19911200)43%、イアン・マクロード
色:琥珀
香り:スムーズ、香水がかった樽、落ち着きを感じる。
味わい:しっかりと麦芽、熟成感、ちょっとニスっぽい酸味、小倉餡の風味が
ほんのりと。
ボディ・余韻:ミディアム・ボディ、十分に長い余韻。

また、お邪魔します。



投稿者: KAWAIHIDEYUKI    日時: 2004年12月16日 16:30 | 固定ページリンク




KAWAIHIDEYUKI | 酔っ払いからの訂正文

ポートエレンの瓶詰め年月日
1980414→19980414

バルミニャックの瓶詰め年月日
19911200→20011200

いまだ手元不如意?アルコール性の注意散漫か?

失礼しました。



投稿者: KAWAIHIDEYUKI    日時: 2004年12月16日 17:19 | 固定ページリンク




飛鳥 | Fカップが自慢です(*^_^*)

21歳の飛鳥だよv(^^)v 性格はめちゃ明るいです。 外見はややぽちゃでよく豆タンクと言われるかな?(デブじゃないよーっ)。 自称★ミクロでセクシーな辻・加護系!?写メあるよ(^^). 気軽に遊べる友達からいろいろ募集中!!メール待ってるね!!



投稿者: 飛鳥    日時: 2004年12月17日 14:59 | 固定ページリンク




外山時男 | 七月堂の昆虫食

一考さま、高遠さま

 「七月堂」のホームページに「昆虫食」の欄があります。
 ご承知かと思いますし、食べてしまえば枯尾花かもしれませんが、いちおうご報告まで。

薫子さま
 先日花の銀座のど真ん中でチクワブ食べました。やっぱり旨いと思ったのはこちらがオカシイのでしょうか。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年12月21日 03:47 | 固定ページリンク




薫子 | 年末年始のお知らせ

 「ですぺら」は31日まで通常通り営業いたします。
31日9時半以降には、極めて美味との噂の「三日月」の蕎麦が到着予定。
ただし数に限りがありますのでご了承下さいませ。「必ず食べに行きます」という方は手を挙げてください。
 なお、年初は4日からの営業となります。4日は7時頃より恒例の鴨鍋宴会を催します。会費5000円(お酒飲まないけど、鍋食いたいという場合は3000円)。年の初めから鴨の油で口の周りをギトギトにして、暖まって、新しい一年を乗り越える活力を養いましょう。こちらの方も参加ご希望の方は手を挙げてください。(メールでも可)
 29、30日の赤坂はおそらく殆ど人通りもなく、「ですぺら」でもゆっくりと飲んでいただけると思われます。走り回っても大丈夫かも。(いつもそうやんか、って言ってるのは誰や!)よろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2004年12月27日 05:35 | 固定ページリンク




りき | お蕎麦食べに行きます&「PEGANALOST」の件

>薫子さま
年越そば食べにいきます。絶対に。

なお、明日、「PEGANALOST」10号の在庫を預かることができました
ら、そのまま、ですぺらに委託させてください。
あまり、部数がないようですが。



投稿者: りき    日時: 2004年12月30日 21:07 | 固定ページリンク




高遠弘美 | よいお年をお迎へ下さい

外山様
七月堂の昆虫食のサイトを教へてくださつてありがたうございました。あまりのすごさに驚倒しました。

一考様
このところずつと伺へなくて申し訳ありません。勤務先でのあまりに下らぬ雑事茫々、自宅への泥棒侵入などで身辺ごたごたがあり、とても酒杯を傾ける余裕なく、けふの大晦日に至りました。年賀状も書いてゐません。新年の用意も何もしてゐません。こんなに索漠とした歳末はめづらしいくらゐでせう。泥棒は逮捕されましたが、絵画リトグラフのたぐひ、DVD数十本はすでにリサイクルショップで見知らぬ他人に買はれて、戻つてはきませんでした。ブックなんたらにしても、何とかの創庫にしても、リサイクルショップなるところには盗品があまた並べられてゐるといふ事実に愕然としてゐます。

今は亡き前澤征男さん。
あなたの作品も全部盗まれました。一点も返つてはきませんでした。せめてはさうしたリサイクルショップに通つて、あなたの作品にともかくも目をつけて買つていつたどこかのヤカラの日々の生活の潤ひとならんことを祈ります。

私はこの先、リサイクルショップなるところに二度と足を踏み入れることはないでせう。もしかしたら盗品かも知れぬ品物が我が物顔に並んでゐるやうな場所はごめんです。本を整理するときは、町の古本屋さんに行きます。

とまれ、みなさま、よいお年をお迎へくださいますやう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年12月31日 13:18 | 固定ページリンク




薫子 | 明けましておめでとうございます

 もう明けて3日になってしまいました。昨年は皆様には本当にお世話になりました。「ですぺら」が一日でも長く生きながらえることができますよう、今年もどうぞよろしくお願いいたします。4日より通常通り営業いたします。7時より鴨鍋宴会です。
 大晦日には三日月の出張蕎麦、ありがとうございました。お疲れのところ追い打ちをかけてしまったかも。すんごっく美味しかったです。職人ふみちゃんにもどうぞよろしくお伝えください。
 店主腰痛のため、初詣は省略。オヤジはパソコンの解体、組み立てとテレビで任侠モノと格闘技を見るのに忙しく、私は映画と「ER」まとめ鑑賞、食っちゃ寝の極楽状態。この三日間で確実に3キロは太るでありましょう。
 高遠さま、災難にお遭いになったご様子。御見舞い申し上げます。居直り強盗に刺されなかっただけでも儲けモノとするしかありませんね。どうぞ憂さ晴らしに飲みにいらして下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年01月03日 04:18 | 固定ページリンク




三日月 外山時男 | 賀正

みなさま、どこがおめでたいのかよくわかりませんが新年おめでとうございます。
大晦日にお集りくださったみなさま、ありがとうございます。
重ねて御礼申し上げます。

台風やらなにやらボディブロウにつぐアッパーカットで今年は蕎麦の厄年だと思い、ダウン寸前津々浦々マット這い回ってどうにかこうにか良い素材集めましたが、そんなことどうでもよくなる災いが続きました。

むかし洗濯屋けんちゃんてのがありました。「職人ふみちゃん」はその面影残したいいにいちゃんではありますが、まだ、「ザ・職人」といえるほど立派なものではありません。蕎麦をこねる、伸す、切る、茹でる。それは並みの手打蕎麦屋がやる以上に出来るようになったとわたくしが太鼓判を押すものの、蕎麦職人、それでしまいであるわけありません。
しかし今後ともごひいきに。

おもうに蕎麦を打つのはスポーツに似ています。いわゆる素人料理ならレシピがあればとまれ何事かを作れるのかもしれませんが、プロのスポーツとなるとそうはゆきません。野球のカットボールの打ち方、サッカーのセンタリングの合わせ方、テニスの危険なストレートへのドライブショットのタイミング、つまりレシピはあっという間にどこかへ消え、実戦では御破算で何度練習した技術や戦術さえも耳鳴りのようになってしまいます。

いちどスポーツに深くかかわって、その複雑さ、限界のカナシサを体験なさった方なら、この消息、たちどころにおわかりいただけるかと存じます。

蕎麦がスポーツならやはりそれは肉体が打つのであって、同時にまた違うなにかが打つのであって、またそれらがねじれ、あるとき軋みあって、つぎの瞬間殺しあう何者かが打つのであって、それについてはわたくしは言葉足らずでなにもお伝えできません。
はっはっは、大袈裟でござんした。
ま、そんなのどうでもよいのであります。

本年も三日月どうかよろしくお願いいたします。
ではまた。



投稿者: 三日月 外山時男    日時: 2005年01月05日 07:06 | 固定ページリンク




如月 | 「人びとと人形展」

四谷シモンは、4月23日から6月12日まで、英国ブライトン市のブライトン
・ミュージアム・アンド・アートギャラリーで開催される「人びとと人形展 
Guys and Dolls」にパネル展示で参加します。
同展は、人びとと人形のかかわりを探究し、ジュモーやブドワール人形、ファッ
ション・マネキン、解剖模型などさまざまなコンセプトの人形とアートとしての
人形を集めた展覧会。アート作品としては、オスカー・ココシュカの作品とそれ
に関する手紙、ハンス・ベルメール作品などが展示される予定です。
≪ This exhibition will explore the ways in which dolls, in a variety of forms, have been used as vehicles for reinforcing and questioning the cultural and social roles men and women play in society. The definition of dolls in this context has been widened to include forms not ususlly associated with the traditional concept of the doll as a child's plaything. Mannequins, anatomical wax models, the ventriloquist dummy and 'love' dolls will feature prominently as either objects or images alongside examples of artists' and filmmaker's work that has relied heavily on the use of the dolls. ≫
くわしくは、こちらのページをどうぞ↓。
http://www.simon-yotsuya.net/information/exposition.htm



投稿者: 如月    日時: 2005年01月14日 14:00 | 固定ページリンク




如月 | 『日経マネー』


本日発売の雑誌『日経マネー』(日経ホーム出版社)3月号・確定申告特集で、
小サイト「世善知特網旧殿」が「マネーDIGITALステーション~この人のブック
マーク」(152頁)に取り上げられました。取り上げてくださったのは、キャ
リア&マネーアドバイザーの渋井真帆さんで、「視点を広げる手助けをしてくれ
るサイト」とのことです。
渋井さんという方はまったく存じ上げなかったのですが、こうしていろいろな人
が小サイトにアクセスしてくださっているということは、とても励みになります。
くわしくは『日経マネー』をどうぞ♪
なお、「マネーDIGITALステーション~この人のブックマーク」は、ウェブから
もアクセス可能です↓。
http://nk-money.topica.ne.jp/bookmark.html



投稿者: 如月    日時: 2005年01月21日 15:54 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 矢野峰人訳『ルバイヤート』


 如月さんの記事、いつも興味深く拝読してをります。いろいろな方の目にとまるのも当然かと思ひます。今後とも刺戟的な記事を期待してをります。

 さて、泥棒騒ぎが一段落したかと思ふと、今度は雑事がいろいろ押し寄せ、なかなかしづかな読書の日々が訪れませんが、一冊ご紹介いたしたい本があります。

 矢野峰人訳『ルバイヤート集成』(国書刊行会)。


 矢野峰人訳のルバイヤートは三種あり、いづれも七十五部とか百二十五部とかの限定出版のため、なかなか実際に手にとつて味はふことができなかつたのですが、その長年の渇を一気に癒す本です。
 三種類全部収めて、本体価格五千円。
 装訂はですぺらにもいらつしやる間村俊一さん。すばらしい装訂です。先日は水原紫苑さんの心打たれる歌集『あかるたへ』の装訂もなさいましたが、いづれ劣らぬみごとな出来栄えだと思ひます。
 解説はけふ23日の朝日の読書欄に、悪魔の本で「ひと」欄に紹介されてゐる作家・英文学者の南條竹則さんと、不肖わたくしです。南條さんの解説は微に入り細に入つた力作です。
 どうぞご支援ください。ルバイヤートのお好きな方なら、買つて損はしない筈です。

最後に余計なことをつけ加へますが、「ユリイカ」一月号「翻訳の作法」に名訳詩集についての駄文を載せました。図書館等でお目通し頂ければ幸ひです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年01月23日 15:15 | 固定ページリンク




福井の紙布屋 | 充実した時間をありがとうございました。

酒の弱い私が、なぜ モルトに惹かれるのかはわからない・・

ひとことでいうなら やはり
      ですぺら は 感激 でした。

  「どうして ちゃんとしたバーがないんだろう」
  「客にこびるbarばかりが、どうして多いんだろう」 と
   福井のイナカで、つまらないグダを巻きながら、
   たまに飲む、めずらしくもないブレンデッドが 
   ときどきかわいそうに思えてきます。


ですぺらよりもすごいbarがあるかもしれません。
  が、
ワタシのつたないモルトバー暦の中で、
やはり、ですぺら は別格でした。
出張のたびに しこしこ探し回るモルトバーの中で、
言い分けなく在住期間のすべての夜を通ったbarは
ですぺらだけでした。

初心者のワタシには とても楽しい時間でした。
また是非、お邪魔したいと思います。

いまごろ おどろいています、
  酒の弱い私が、なぜ モルトをあれだけ飲めたのかはわからない・・



投稿者: 福井の紙布屋    日時: 2005年01月25日 23:42 | 固定ページリンク




薫子 | 誕生会のお知らせ

 もはや誕生日など喜ばしくもない歳になりましたが、よくも今まで生き延びたと確かめ合うのもよろしいかと、今年も須永朝彦さんと店主渡辺一考の合同誕生会を催したく、ご案内申し上げます。
 日時は二月五日の土曜日、午後七時から。場所は赤坂一ッ木通りのなかほど(一階は居酒屋かっぽうぎ)。会費は男性四千円、女性三千五百円、乙女オヤジはじめ、分類不可能な方は四千円でございます。葡萄酒とウィスキー、焼酎はたっぷりと用意いたします。
 どなたさまもお気軽にお越し下さいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2005年01月27日 16:47 | 固定ページリンク




一考 | 跫音

 福井の紙布屋さんからの書き込みに託つけて一言。
 先日、常連の女性客が相手にしろと突っ掛かってき、「なめたらあかんぜな」と言って追い出しました。もう二度と来ないでしょう。その女性は飲み屋のママで、ですぺらの営業方針について説教を試みようとしたのです。一万人のひとがいれば、一万通りの生き方があるように、一万軒の飲み屋があれば一万通りの営業方針があります。否、あってほしいのです。
 客にこびるのが飲み屋だと思っている方や、客へのサービスが当たり前だと信じている方が多いのは不思議です。お客さんの固定観念に則せば、世界中の飲み屋の営業方針は同じものになってしまうではありませんか。客に合わせるのではなく、客が飲み屋に合わせてこそ、個性ある飲み屋が生き残れるのです。
 亡父によると、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出し屋、割烹までが水商売なのであって、飲み屋は堅気さんになります。水商売という言葉自体、「商いは水物」からきたのであって、水ものを売るから水商売というのは間違いです。飲み屋風情、要するに堅気のあきんどから水商売について意見を聞かされるのは御免蒙りたいのです。水商売とは、赤坂とは等々、したり顔の小言は聴く耳を持ちません。たとえ最後のひとりの客であっても、客商売やってんだろと言われれば、即座にお引き取り願う覚悟でですぺらを営んでおります。
 私は赤提灯へひとりで飲みにゆくのが好きなのです。たまに千円札を二枚握りしめて近所の「赤坂亭」もしくは戸田笹目の焼鳥屋へ行きます。そこでは口もきかず、ひたすら飲んでいます。誰からも興味を持たれず、誰からも相手にされず、ひとりで酒を飲んでいると、体内をめぐるアルコールの跫音が聞こえてきます。自分と酒、その双方が互いの呼吸をはかり、脈拍を確かめ、からだを寄せ合い、見つめ合います。やがて酒がからだを浸食し、同化し、異物同志がひとつに収斂されて行きます。そのじれったさのなかに身をしゃがませる時、そんな時なのです、生きていてよかったなあと思うのは。充実した時間、それは時間が凍てついたときなのではないでしょうか。このまま滅んでしまいたい、誰か殺してくれないかなあ、などと他愛ない妄想に耽ることができるのです。
 かつて「みせびらきの詞」に「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学です。ところが、その変身を事もなげにやってのける存在がいまひとつ。それは淡い琥珀の液体、すなわちアルコールです。酒は人を虎に、天狗に、狼にと変身させ、挙げ句は宿酔という地獄へ向かっての道行きと相成ります。アルコールを西洋でスピリットと称するのは、まさに言い得て妙。酒には酒の人格があり、屡々人品の面倒すら看てくれるのです」と著しました。なにも変わりませんね。



投稿者: 一考    日時: 2005年01月27日 22:35 | 固定ページリンク




一考 | 高見順賞

 外山時男さんへ
 相澤啓三さんの詩集「マンゴー幻想」が高見順賞を受賞致しました。高橋睦郎さんのお骨折りに感謝。授賞式は飯田橋エドモンドで3月18日ですが、当夜は多人数のため、新宿のナジャとですぺらの二箇処で8時から二次会が催されます。相澤啓三さんや高橋睦郎さんはですぺらの方へいらっしゃいます。蕎麦好きの詩人たちの大集合となります。ぜひ外山さんのご出席を願います。チラシを40枚ほど持参してくださいね。
 風立ちぬ、洗濯屋けんちゃん、ディープスロートは座右の一本ならぬ8ミリで御座いました。「職人ふみちゃん」もどこへやらご出演なさっておられるのでしょうか。三日月一家総出のadult映画「三日月屋ときちゃん」なんざあ、オスカーならぬラジー賞にノミネートされるは必定。私も風呂敷を拡げた手前、相澤さんについて書かねばならないことになり、塵芥(ちりあくた)賞をねらっております。
 冗談はさておき、大晦日の蕎麦には大感激。三日月へは佐々木幹郎さん、高遠弘美さん、間村さんも何度か食しに出掛けているらしく、みなさんご満悦のようす、あなたとあなたが打つ蕎麦に相見えたことに感謝致しております。



投稿者: 一考    日時: 2005年01月27日 23:30 | 固定ページリンク




一考 | 精神の深煎り

 高遠弘美さんへ
 先夜はありがとうございました。
 リサイクルショップを恨むのはご随ですが、真に憾むべきは逮捕された盗人やらでしょう。人を怨むより身を怨めとか罪を悪んで人を悪まずと言いますが、そのような為たり顔には腹が立ちます。その罪が道徳的または宗教的な規範に反した行為ならまだしも、法律的背反行為、要するに法律上の犯罪であれば論外だと思います。法律自体が相対的なものであり、気候、風土、時代、もしくは時の権力者によって任意に歪められるのが常態なのです。従って罪を悪むなどというのは戯言にしかすぎず、悪まれるのはひとでなければならないというのが、私の持論なのです。
 「まだしも」と書いたのは、道徳的または宗教的な規範に反した罪の中心的準拠点は人間の共同体の全体的意向です。そちら側は折口信夫の専門とするところであり、掲示板で採り上げるにはあまりに重いテーマになります。しかしながら、「人」「共同体」「全体的意向」と並べただけで、なにやら胡散臭くなってきます。折口の古代研究は海辺流離や貴種流離にとどめるのが重畳、深入りは精神の深煎りになると危惧致しております。
 いずれにせよ、相澤さんの詩に則って今年は「地上に呪詛を自己に嫌悪を」で行くことに致しました。



投稿者: 一考    日時: 2005年01月27日 23:31 | 固定ページリンク




一考 | がんどうがえし

 一時の客さんへ
 『楽しき没落』のご購入ありがとうございます。「決定版ネオ・ラビリントスを作る勢い」は何処やら、わからぬ遠い国へ忘れ物をしたようです。幕切れがどんでん返しならその後の展開もがんどうがえしの繰り返し、結局『江戸東京《奇想》徘徊記』の続編のみが上梓されるそうです。出版社も現時点では不明だそうです。もっとも、同時代のひとたちが思い込みで拵えるより、後世生れてくるひとや御子息たちにすべてを委ねるのがよいのかもしれません。ご当人も、死後はすみやかに忘れ去られるのを望んでおられたと思います。
 先ほど、角川書店から上梓されていた高名な詩人の全集が完結致しました。ご遺族や著作権継承者に印税を受け取る権利はあっても、出版の是非を決める権利はないと、その全集の編纂に携っておられた方と意気投合致しました。
 いずれにせよ、柿沼さんの尽力によって『楽しき没落』はいい本になりました。4~5年の期間を置いて、あのような書冊を編めばよろしいのではないかと思っております。



投稿者: 一考    日時: 2005年01月27日 23:44 | 固定ページリンク




薫子 | 福井の紙布屋さま

 わざわざ赤坂に宿をとってのご来店、ありがとうございます。こちらの方こそ感謝感激であります。モルトを楽しんでいただけたようで、なによりです。
 北陸は関西に住んでいた時に度々訪れた地ですので、親近感があり、タメ口になっていたのではと後で反省しました。学生時代の貧乏旅行で福井にたどりついたはいいけれど、お金が足りなくなって銀行から引き落とそうとしたら、その当時はまだ全国どの銀行でもOKのATM、などというものが存在せず、今はなき太陽神戸銀行を探しても見つからず、その後悲惨な超貧乏旅行になりました。思い出深い場所です。
 一考がなんだか冬眠から覚めたように好き勝手書き散らしておりますが、お気になさらぬように。また機会がありましたら是非お越しくださいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2005年01月28日 04:38 | 固定ページリンク




高遠弘美 | リサイクルショップはやはり許せない

敬愛する一考様

お説の通りかもしれません。
反駁といふのではなく、私の個人的感懐で申しますと……

 何とかの創庫といつたリサイクルショップをいまとなつては蛇蝎の如く嫌ふのには、私なりの理由がないわけではありません。結局、大切な絵や版画が返つてきませんでしたが、ああいふところで「絵」がどのやうに扱はれてゐるかご存じでせうか。まさに二束三文。一枚1200円とか、それくらゐの値が附けられて雑然と放り出されてゐるのです。
 画廊で売られたならまだいい。しかし、ああいふところは「物」に対するrespectがまつたく缺けてゐるのです。CDなど一枚120円くらゐ。それがただ雑然と放り出されてゐる。どこに「物」を大切にする姿勢がありますか。彼らにとつてはちんけな置物も景品も、本来の所有者からするとすこぶる大切な絵もDVDもCDも本(しかも盗品)もまつたく同じなのです。ただ、儲かればいい。そんな輩に何を同情することがありませう。
 泥棒はもちろん憎い。ですけれど、同等かそれ以上に憎いのはリサイクルショップです。私は絶対にリサイクルショップを許すことはできない。何でも安く買へればいいのか。物にはそれなりの価格があるはずではありませんか。本だつて、大切にしてゐる作品が二束三文で放り出されてゐたら我慢できますか。第一、盗んだ免許証の写真も変へずに品物を売りに来たのに、何のチェックもしてゐないのですよ。そのときに変だと思つて警察に届けてくれれば私の大切な絵だつて返つてきたかもしれないのに。電化製品は返つてきました。ですが、あへて申せばそんな物より、私にとつて精神的価値の高い絵やDVDが返つてきた方がどれほど嬉しかつたでせうか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年02月02日 00:19 | 固定ページリンク




香賀薫 | 思い入れに値段は付きません


 高遠様
 リサイクルショップの身元確認が甘いのは憂うべきことですが、物に正しい
値段があるという幻想は、お捨てになった方が諦めがつくかと。
 どんなに貴重な書物でも、興味のない者にはただの古紙、ゴミであります。
 一方、掘り出し物や格安品を探す楽しみというものもございます。
 すべての人に価値があるものはなく、すべての人に価値の無いものもまた
無いのです。
 不慮の災難のお嘆きに野暮を申しましたが、思い煩いはお体の毒と
申します。どうぞご自愛くださいませ。



投稿者: 香賀薫    日時: 2005年02月02日 12:22 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご親切に

どなたか存じ上げませんがご親切にありがたうございます。
ですから、私は「個人的見解」と申しました。
ご自分が大切にしているものがあのやうなところ(思ひ出すだに反吐が出ます)で売られた口惜しさは経験した者でなければわかりますまい。
繰り返します。「個人的見解」をこのやうな掲示板に書き込むことがいけないのなら、私は以後一切書き込みなどいたしますまい。その方が読まれる方もご不快でないでせう。
今後何を書かれても反論はおろか感想のひとくさりとも申し上げますまい。
さやうなら。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年02月02日 12:52 | 固定ページリンク




一考 | お詫び

 いささか難儀な問題が起こったようです。私は泥棒問題を別な方向へ振ろうとおもったのですが、どうやら、薮をつついてしまったようです。お二方に私の不用意と無神経さを深くお詫びします。
 香賀薫さんには多人数の宴会などでしばしばお店を手伝っていただいております。当然、香賀さんは高遠さんをご存じで、さればこその「不慮の災難のお嘆きに野暮」でございます。一方、高遠さんからはちりめんから昆虫談義のごとく、このような掲示板に少しでも文学的香気をと、お力添えをいただいております。

 個人的見解とことわってはいませんが、私の書き込みはすべて個人的見解です。だって、個人的見解しか書けないではないですか。一般論やひとさまの見解など私の知ったことではないですし、例えひとさまのことであるにせよ、それは他者に託つけて自分のことを書いているまでなのです。
 ただ「経験した者でなければわかりますまい」は表現者にとっては禁句ではないでしょうか。それを推し進めれば想像力の否定にすらなりかねません。経験を含むあらゆる事象は風化して記憶となり、記憶はさらに風解されて歴史になります。その歴史という厚い風化層から自らの搏動を伝えるに相応しいと思われる砕片を撰び取り、さらにそれに形式を与える。その形式によってのみ経験は文学になり、人間の文化を表すことが可能になるのではないのでしょうか。従って、真の経験とは風化層の博捜にあるのであって、それこそが高遠さんのもっとも得意とする領域ではなかったかと。
 高遠さんにひとこと、ご立腹は私に受けさせてください。そして香賀さんにひとこと、これに懲りず、ですぺらとですぺら掲示板をこれからもどうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月03日 02:25 | 固定ページリンク




一考 | 矢野峰人のことなど

 高遠弘美さんへ
 矢野峰人訳のルバイヤートは装丁なさった間村俊一さんから頂戴しました。
 貴方が解説で一部触れておられる上田敏、厨川白村、矢野峰人、戸川秋骨、平田禿木、竹友藻風、山宮允、片山広子、森亮などを私も憑かれたように読みました。そのうち、矢野峰人と戸川秋骨には全集もしくは選集の類いが上梓されていません。かつて大泉史代さんが「世紀末英文学史」を、先だって小出昌洋さんが「猟書今昔物語」を編纂なさったように、単行本でよろしいからつぎつぎと上梓されるよう望んでいます。
 十代のときのはなしですが、田村書店に日孝山房の刊本一括が出ました。従って、私が最初に読んだ矢野峰人のルバイヤートは西川満が上梓した「四行詩集」でした。また、大雅洞の本はその大半を新本で購入しておりました。
 当時、どこの古書店にも並んでいたのが「思舊帖」、もしくはその元版だった「半面像」と「途上」あたりではないでしょうか。後者では晶子の「君死にたまふことなかれ」に対する桂月と劍南との論争、また晶子自らの反駁が収録された「ひらきぶみ」を引用、

 私は晶子のために辯護しようとして居るものでもなく、また桂月の所説をば、強ひて是認しようとするものでもなく、たゞ過去を囘顧する序に、むかし詩歌壇の一話柄となつた事実を紹介し、史料を提供しつつあるに過ぎない。されば、私は、今、「温藉」を以て詩歌の骨髄となす桂月の見解の是非を論ふ意志さへない。

と書きながら、数頁あとでは、

 何等の危険性無きものを危険視し、更に大声疾呼してこれに衆目を集むるが如き軽挙妄動こそ、実は最も危険なのである。・・・況や、公器に拠つて、社会的地位ある人を国賊呼ばはりするに至つては、それこそ危険極まるものと言ふべく、刑罰は斯かる輩にこそ加へらるべきである。

 さらに「桂月は文芸批評家として無資格なる事を茲に完全に暴露したのである」と結論づけ、桂月が示唆する「皇室或は国家に対する毒舌悪口」「反帝国主義思想の表示」を峻拒、その筆鋒は痛烈を極めます。しかも矢野峰人が「君死にたまふことなかれ」と題するエッセーを雑誌に掲載したのが戦争たけなわの昭和十七年。あっぱれ、毒にも薬にもなるきわやかなエッセーでございました。
 装丁に関して一言。裏表紙の王様の顔は間村俊一さんそのもの、そのようなことを書けば間村さんが怒るでしょうが、あれはきっと自画像、彼お得意のコラージュですよ。
 西川満が主宰した日孝山房は台湾の布や手漉き紙にこだわった限定本書肆、島田謹二訳アランデル・デル・レーの「のって・う゛えねちあな」なども愛読書の一でした。また西川満は「七宝の手筺」「赤嵌記」など数冊の小説集を著していますが、後者はオー・ヘンリーやダールを思わせる異色の短篇小説集、ぜひお読みくださらんことを願います。

 はなしついでに、先日、間村さんと酔いどれて百万遍から銀閣寺町辺りのはなしになったのですが、若かりし頃夢二のモデルだった女将が営んでいた東今出川通の「夢二」に彼は入浸っていたそうです。百万遍の「梁山泊」は手もと不如意にて行くことかなわず、専ら寺町界隈の縄のれんか「夢二」をアジトにしていたと。間村さんと私は八歳違いですが、彼が同志社へ通っていた年頃のころ、私は四条河原町の労働会館で人文書院や京都書院の仲間と飲んだくれていました。おおかたの飲み屋のはなしは通じたのですが、千中はまったく知らないとのこと。じつは、京都千本中立売を西へ入り、愛染寺の斜向かいにあった小さな飲み屋がこころの引き出しに蔵われています。上田敏、厨川白村、矢野峰人が贔屓にした居酒屋で、鮒の洗いを喰わせる店でした。京都書院裏の「山一」同様、赤ら顔の店主と割烹着のよく似合う痩身の女房が二人で営み、カウンターの背に設けられた小さな卓子席でいつも赤子が泣いていました。はじめて行った折に座った席が先代のころは矢野峰人の席だったと聴かされて、周章てて席を変えたものです。
 当掲示板をお読みの方で、その千中の飲み屋の屋号をご存じの方がいらっしゃればご教示いただきたいと思います。四十年近く前のはなしですが、間口は二間ほど、細長い飲み屋で、入って右にカウンター、左にふたり掛けのちいさな卓子が三つあったと記憶します。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月03日 02:55 | 固定ページリンク




さつき | 40代はだめですか?

42歳バツイチのさつきです。 お相手の方に贅沢言える年齢ではないので多くは望みません。 優しく包んで下さるような方でしたら年齢・容姿は不問です。 正直あまり優しくされた事がないから…。 真剣に募集してるので冷やかしはご遠慮下さい。



投稿者: さつき    日時: 2005年02月03日 11:29 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

大泉史世さんのお名前を間違えておりました。申し訳ございません。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月04日 20:38 | 固定ページリンク




一考 | 熊鷹

 moonさんへ
 「鷹なんとかと云うお店」は百万遍のたくまだと思います。たん熊北店の板長さんが独立してはじめられた料理屋で、京都の佐伯さんの紹介です。種村さんや田村書店をはじめ、東京の古書店のオヤジ連中とよくいきました。貴方と飲みにいったのは千本中立売ではなかったと思うのですが。
 でも、貴方のメールで熊鷹という屋号を思い出しました。熊鷹との屋号は記憶しているのですが、それがどの店だったのかが分からないのです。なにかのはずみで思い出すかもしれません。

 今日は58歳の誕生日です。記憶に大きな穴が開き、いっそこのまま記憶を消して新規に生き直そうかと思っております。私事はともかく、今日は相澤啓三さんと宇野邦一さんがお会いし、マンゴー幻想について語り合いたいとのこと、そこへ四谷シモンさんも加わるので、ちょいと面白くなりそうです。文学におけるポリティカルなものについてユニークなご意見が聴けそうです。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月05日 14:22 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お誕生日おめでたうございます


一考さま
須永朝彦さま

お誕生日おめでたうございます。
これからの一年がまさしく幸多きものでありますやうに、切に祈つてをります。
土曜日のパーティー、むろん伺ふつもりでしたが、風邪で倒れ、伏せつてをりましたので、失礼いたしました。お詫び申し上げます。
風邪はいまだなほらないので、医者に行きましたら、幸ひインフルエンザではなく、ただの風邪とのこと、ただし、安静第一にと言はれました。それは愚かなりしわが心についても言へることでせう。反省しきりではあります。
またお店に伺ひますので、よろしくお願いいたします。
けふはここにてまた布団に潜り込みます。
皆様もお風邪など召しませぬやうに。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年02月06日 18:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 桜井さま

高遠弘美です。
どうも勝手がわからず、風邪のねつのせゐもありませうが、おなじものをいくつものせてしまひました。
削つてくださるとありがたいのですが。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年02月06日 21:04 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 削除しました


高遠様
 こんばんは。管理人の櫻井です。
 ご依頼のとおりにいたしました。
 ご養生ください。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2005年02月06日 21:33 | 固定ページリンク




一考 | 忘れられた眼

 誕生会は三十八名のご参加を得ました。あまりの多人数に椅子を抛りだしての宴会となりました。さぞかしお疲れになったのではと思います。
 お出ましいただいた佐々木さんと到津さんをはじめ、添田、飯田、木村、幣旗、増田、伊藤、石神、寺田のみなさまからの贈り物に感謝。お隣の「かさね」さんからの差し入れに感謝、毎度のことながら、申し訳ございません。
 吉村さんと伊藤さんは松山俊太郎さんと共におそらく新宿へ向かわれたものと思います。当方は須永、服部、間村各位と赤坂亭へ行きましたが、間村さんが泥酔、呆気ない幕切れになりました。で、その間村さんのコートのポッケになぜか老眼鏡が這入っておりました。徳田秋声の老眼鏡ではなく、正真の老眼鏡です。お集まりいただいたなかで、眼鏡にお心当たりのある方はかならずご連絡ください。
 席上、「たまや」の第三号に相澤啓三、高橋睦郎、佐々木幹郎さんの詩と白鳥友彦さんのピエール・ルイスの訳詩、そして加藤郁乎さんの俳句と須永朝彦さんの俳句六十句が一挙掲載されることになりました。乞うご期待。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月07日 23:06 | 固定ページリンク




薫子 | 須永朝彦さんより

 須永さんよりのメッセージです。

 5日には、松山俊太郎さん、相澤啓三さんをはじめ、皆様、お寒い中をお出かけ下さり、ありがたう存じました。お心尽しの品をいろいろ頂戴致しましたが、直接お礼を申し上げ得なかつた方々に、この場を拝借して感謝の意を表します。
 前夜、チョコレートをお届け下さつた書肆マルドロールの小山さん、おいしく頂いてをります。
 勝手に所望した品を贈つて下さつた【サバトの会】+素天堂の皆様=市川さん、今井さん、大野さん、小坂さん、西さん、山口さん、山崎さん、待望の山田まりおの新刊ほか、楽しく読んでをりますよ。
 紫宮さん、いつもお菓子の差し入れ、恐れ入ります。相澤さんをはじめ、皆さんに賞味していただきましたよ。
 柿沼さんからのお菓子、これは持ち帰つて独りで味はつております。美味! 美味! 明石町にお出かけ下さるとのこと、お待ち申し上げます。
 堤さん、福家さん、今年も素敵な花束をお届け下さり、傷み入ります。淡黄色の薔薇、見事に開きましたよ。
 比呂さん、増田さん、伊藤さん、添田さん、石神さん、幣旗さん、そして肝煎役らしいヒデキさん、素敵なマフラーをありがたうございます。
 比呂さんからは別に深い葡萄色(えびいろ。私には猫の木天蓼=マタタビにも等しき禁断の色)のマフラーも頂戴しました。常々PCの件にてお手数を煩はせてゐる上にこの御厚意、何だか罰が当りさうです。
 一昨年来、体調を崩し不如意を託つてをりますが、漸く回復の兆しが仄見えてまゐりましたので、今年は何とか立ち直りたく思ひます。この後も、御厚誼のほどを願ひ上げます。



投稿者: 薫子    日時: 2005年02月08日 14:10 | 固定ページリンク




薫子 | お忘れ物

 5日は大勢の方にお越しいただきありがとうございます。
カウンター席にて眼鏡の忘れ物がありました。お心あたりの方はお知らせ下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年02月08日 14:21 | 固定ページリンク




外山時男 | 3月18日

一考さま
お誘いくださってありがとうございます。チラシ百枚もってお伺いさせていただきます。もちろんその前にも。
アダルト映画「蕎麦屋屋ときちゃん」はラジー賞よりビジー賞を狙っているのですが、せいぜいクラミジー賞でしょう。
蕎麦屋は三業に入るのでしょうか。このあいだ三業地と第三次産業をごちゃ混ぜにしている友人がいて大笑いしました。だったら東京の大半は三業地ですね。でもこういう間違いはわたくしもよくやらかすので、本当はあまり笑っている場合ではありません。

間村さま
先日ご来店のおり、奥様に「浅草の蕎麦屋」についてお知らせする約束をいたしましたが、まだ果たしていません。すみません。こんどよく調べてファックスいたします。



投稿者: 外山時男    日時: 2005年02月09日 17:57 | 固定ページリンク




薫子 | 風邪ひいてまんねん

 本日、店主は風邪ひきのため、お休みさせていただいております。寝込んで4日になりますが、わたくしの看病放棄もあり、全く快癒いたしません。アララ。でも今日はバレンタインデー!今夜いらしてくださった男性諸氏にはチョコレートとともにわたくしの接吻(ゼップン)をプレゼントいたします(風邪菌付き)。どうぞよろしゅう。



投稿者: 薫子    日時: 2005年02月14日 18:30 | 固定ページリンク




美織 | 場違いだったらすいません。

40代の女ですがみんな若い方の投稿ばかりですね! 私の投稿は場違いな気もしますが・・・ 若い方から年配の方迄、年齢や容姿はあまり気にしませんので メールや実際に会う事が出来る方がいらしたらメール下さい。 こんなおばさん相手にされるわけないかもしれませんが この投稿が目にとまったらメール下さい。 遅くなっても必ずお返事いたします。



投稿者: 美織    日時: 2005年02月14日 20:59 | 固定ページリンク




一考 | 寝込んでも自慢話

 普段からひとの存在は新陳代謝などとほざいておりますれば、ひとが死のうが生きようが、そんなことはどうでもよろしく。ましてや病気などという中途半端なものは恥ずかしさの対象にすらなりません。然りとても、御見舞いをいただきながら礼を逸したとあってはこちらは恥ずかしさの対象になります。よって、経過報告。
 水曜日に体調悪しく、店は早じまい、木曜日は九時半に店へ到着致しましたが、頭痛激しく、この時点ではしばしば遭遇する偏頭痛だと思っておりました。金曜日から割れんばかりの頭痛とからだの震えが止まらず、食事はスポーツドリンクと栄養剤だけにしました。月曜日の午前三時にやっと潤沢とまではいかなくとも敷き布団、二枚の掛け布団、それと毛布があたり、いささか暖かくなりました。それまでの金土日の三日間はとにかく寒うございました。思うに、私には寝間着やパジャマを着用する癖がありません。普段着のまま、それもジャンパーなどを着たまま寝込むのであれば薄い布団でよろしいのですが、パジャマに着替えるのであれば、暖かい寝具が必要になります。そのあたりの切替がうまくなかったと反省しきりです。いずれにせよ、二十四時間からだを煖めたおかげで、火曜日の午前三時にひさしぶりの食欲、五日ぶりに焼きそばをハーフにて頂戴いたしました。嘔吐もせず、胃袋に治まったようですので、これからひろさんの差し入れのアイスクリンを一口舐めてみようかと思っております。甘さを感じることができれば全快です。
 薫子さんの体調がよろしくありません。風邪に効く薬はなく、抗生物質の類いで有効なものもないと思います。暖かくして寝るのが一番。おあと、がんばりやす。

 それにしても、あのひどい体調で、サントリーの「マクレランズ スペイサイド」の中味はオスロスク、「マクレランズ ハイランド」の中味はダルモアと推定、こんなことでよろしいのでしょうかねえ。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月15日 06:13 | 固定ページリンク




一考 | コレクション一口

 高遠弘美さんへ
 ルバイヤートについて書いたものですから、友から連絡がございました。私の旧知には書誌学者が多く、まわりにもルバイヤートを研究している方が三名いらっしゃいました。みなさん鬼籍にはいられましたが、そのうちの二名の蔵書は一口にされて置かれているとか。入手の易い書冊はなく、珍本、稀書のルバイヤートのみ三百点のコレクションだそうです。取敢えず展覧会でも催そうと思っておりますが、いずれお譲りしたいとのこと。貴方に相応しいのではないかと思います。いかがなものでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月17日 22:31 | 固定ページリンク




一考 | 恐縮ですが

 間村俊一さんへ
 松岡達宜さんの処女歌集「青空」には大いに興味あり、感想を書かせていただこうと思っております。しかしながら、体調いまだすぐれず、もうしばらくお待ちください。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月18日 12:28 | 固定ページリンク




一考 | 松岡達宜歌集「青空」

 イエーナ時代のヘーゲルは宗教における屍体解剖を非難しつづけた。現象を個別的に見て統合しえない思考の能力、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力を悟性として論難し、意志・感性、さらに理性とも峻別した。若いヘーゲルの示唆するものが、例えカントの受け売りであったにせよ、生きた宗教、揺れ動く宗教を提示しつづけた姿勢には着目すべき点が多くある。
 形式的には意識主体に現れている事実一般を現象という。しかし現れている「すがた」がどう捉えられるかによって、現象はさまざまな意味を持ち様相を変えてゆく。例えば、動物・植物・化石・鉱物など、採集の対象がなんであれ、採集に到る目的によって、留意すべき事項は異なってくる。もしくは、どのような目的で採集するにしても、留意すべきことは、いつ、どこで、どのような方法で、何を採集するか、ということになる。
 植物も動物もそれぞれの生活史を、分布域を持ち、それぞれの分布域の内部においても、生物は特定の生息場所にのみ生息している。はなしを複雑にする気はないが、採取者もまたそれぞれの生活史や生息場所を有してい、採集される側にしてみれば異邦人なのかもしれない。ただ、いくらはなしが込み入ったところで、上述の事項についての正確な知識それ自体が、非弁証法的な反省的・抽象的認識能力であることに違いはない。いつの時代にあっても客体は抽象であって、抽象は知識でしかないのである。
 「いつ、どこで、どのような方法で、何を採集するか」と著したが、ここにはもっとも大事な「誰が」が抜け落ちている。自然界のものに限らず、切手や書物やフィギアなど人口のものを集めるのであれ、ことばを談話や文献のなかから拾い集めるのであれ、そこに秘められた歴史的時間や価値や道徳を、誰が、どのように統合しようとしているのか、主体であるところの蒐集者は採取した対象と語り合い、そして語り続けなければならない、みずからの思想について。採集地のわからない標本にはほとんど価値がない、同様に採集者の肉声を伴わない標本にもなんら価値は賦与されない。ものの収集にあって肝要なのは当事者の思想・哲学である。現象と自己、言い換えれば自己と他者との統合を意識した思考、現象と自分自身とのあいだで繰り返される弁証法的な搖れ、その「搖れ」のなかにヘーゲルは生体解剖を、そして生命を捉えようとしたのではなかったか。

 誕生会の日、大部な著書を頂戴した。松岡達宜(まつおかたつよし)さんの歌集「青空」である。実は松岡さんとは二度目の邂逅で、共に間村俊一さんの紹介であった。初手はうまくはなしが噛み合わず、たがいに消化不良に終わっている。「遠い彼方の闇から漣が寄せてくる」ような舌足らずの情念、純情、含羞、慟哭、そうしたものが未整理のまま、なかば暴力的にどっと吐き出される、彼のやさしい心根や深い悲しみは伝わるのだが、それを私がどう読み解けばよろしいのか、有り体に申して途方に暮れた一夜であった。間村さんにしてからが、すばらしい歌人だと宣うだけで、どのように結構なのかを説明せず、また肝腎要の作品を私は読んでいない、雲をつかむとはこのことで、いささか不機嫌な態度をとったのではないかと、松岡さんへの非礼を顧みて忸怩たるものがある。ただ、維新以降の日本の現代史の側面のひとつをひたすら聞かされた記憶がある。思うに、「青空」一巻を繙くための、あれが松岡さん一流の解説であり、跋であったと、いまにして諒解できる。

 赤軍の夕づつかげろうあじさいの影踏みていきたるや遠山美枝子
 斉藤和よ誰もが忘れしおおかみのたてがみ靡く 赦されよ酒 
 鉄もまた汗をかくのだ白昼の電車揺られて浴田由紀子は
 青森県三沢古びた写真館にて遠きまなざしせし沢田教一

 ここに記された名前に心当たりのないひとに「青空」を読む資格はない。それほどにこの歌集は尖鋭かつラディカルな文学なのであって、松岡達宜の一回限りの精神の軌跡をぎりぎりと刻み込んだ崇高な墓碑そのものであるといえよう。「墓碑」と書きはしたものの、松岡さんを殺す気はさらさらない、松岡さんほどの御仁であれば、権威や権力を求めるような気遣いはまったくない、それどころか、彼の作品がいつなんどき断ち切られたからといって、それを彼自身が惜しむ懸念すらないと思われる、ということを強調したかったのである。ひとは明日のために生きるのではないが、間違いなく過去を曳きずって生きている。だからこそ、たったいま、この一瞬になにかを賭けて生きている、書物を繙くことによって、そんな呼吸に出遇えたのは久しぶりである。なんの義理もない松岡さんについてものを書こうと思った理由の一である。そして、本書に七十枚のエッセイを寄せられた福島泰樹さんと装丁をなさった間村俊一さんが松岡さんの歌のどこに嘱目し、なにをどう読み解こうとしたのか、それを私なりに擦ってみたくなったのである。

 不幸が帽子のごとく似合ふ父ありき風ばかりのボストンバッグも
 銭湯の湯気のかなたに佇ちゆくはわが父ならむ 菖蒲を愛す
 ジンタ遠離りしのちを自転車来 あれは酔っ払いの父上ならん
 大きな鉄塔ありまして疾風怒濤ありまして行方不明のわが妹は
 後髪(オールド・バック)ポマード匂わせ外套(コート)羽織る「少し早いが昭和を閉じて街に出る」
 唇を重ねることもなき夜々を過ごせしことも性愛(エロス)なりき
 鞭のように風、黄昏(たそがれ)雑踏泪橋すっからぴんの男がゆくよ
 丘に登れば波止場の灯口笛さえも病んでいるのだ美空ひばりよ
 散り散りの風の橋上(はし)にて花火見ゆ夜空(そら)に抱かれ苦しひまわり
 十四戦一敗敗れし日の真珠湾その日エディ鉄拳袋置きしと聞く
 リングサイドの灯よ天井桟敷の灯よみんなみんな消えゆきて外套佇てり
 おとうとはかえらぬ風の五月にて角川文庫「岸上大作歌集」
 ひそやかに夜目にバラなぞ咲きおれば唯一人(いちにん)を愛でしことあり
 西成区天下茶屋北一丁目流転の果てか御茶ひきおりぬ
 昭和四十七年わが終末のヘルメット一条さゆり濡れた欲情
 あこがれの「上海航路」ゆきしまま還らず父の戦後やあわれ
 六月のみそら映せしスプーンを蒼くひばりの翔びゆきにけり
 こもごもの生活(たつき)っていう悲の器 煽りておる匕(ひ)の首あわれ
 「ニンゲンは燃える屍せいぜい六〇ワット三時間」愛するひとへ
 人生を消す消しゴムの彼方より光さしくるおさげの治子

 先だって、当掲示板で「経験を含むあらゆる事象は風化して記憶となり、記憶はさらに風解されて歴史になる。その歴史という厚い風化層から自らの搏動を伝えるに相応しいと思われる砕片を撰び取り、さらにそれに形式を与える。その形式によってのみ経験は文学になり、人間の文化を表すことが可能になるのではないか」それゆえに「真の経験とは風化層の博捜にある」のではなかろうかと著した。
 松岡さんの作品をひとことで要約すれば、吃音系短歌とでもなりましょうか。ここでは新旧仮名遣いが入り乱れ、短歌の世界にあっては不用意としか思われないような文言が平気な顔で登場する。言い換えれば、ここには短歌固有の修辞法を無視した奔放さと、かかるレトリックに感けていられないほど極端に孤絶された一箇の主体がある。巻末には「この歌集には多くの引用があります。申し訳ないので、せめて著者の名を列記します」とあり、荒川洋治、辻征夫、村上一郎、萩原朔太郎、美空ひばり、桑田佳佑、北原白秋、吉原幸子、ローリングストーンズ、伊東静雄、中原中也、塚本邦雄、吉本隆明、鮎川信夫、横光利一、山本太郎、ビートルズ、中島みゆき、森山大道、藤原新也、埴谷雄高、福島泰樹、そのほか。と著されている。
 かつて吉岡実さんの晩年の詩を「括弧で括られた〈引用〉への旅」と名付け、澁澤龍彦さんの「唐草物語」を「球窩譚(アンボアトマン)」として珍重させていただいた私であれば、松岡さんが試みようとする相互嵌入をうながすような作品には大いに食指が動く。その相互嵌入が「作者」と「作中人物」と「読者」といった位格(ペルソナ)であれ、「自己」と「他者」と「歴史」といった弁証法的生体解剖であれ、それらの質は同一である。本書にあって相互嵌入、すなわち入れ子構造は技法ではなく、ずばり、書き手ののっぴきならない思想として強く脈搏っている。個々の作品は時間軸を持たない。時間軸がありそうでどこにもない、という方が正確であろうか。時間軸は縦に流れず、横に配列される。時間すらが入れ子として恣意的に扱われ、会津藩士も赤軍派もボクサーもストリッパーも、ことごとくが一つの平面に包括的に置き換えられるのである。そうした手法を、精神の置換法を松岡さんはブルトンから学んだと覚しい。
 「短歌の世界にあっては不用意としか思われないような文言」と先に記したが、思うに短歌的文言とはなにか、さらに「歌人ではない」とか「専門歌人」とかいうような無意味かつ無定見な言葉を書き殴るがごとき歌壇プロパーはどこまで行ってもプロパーであって、いかなる意味においても表現者ではない。そのようなことを書くのも、おそらく「青空」はかかるプロパーからは一顧だにされないと信じるからである。歌集であるかどうかよりも、もっと大切なことがある。それは作品になっているかどうか、言い換えれば、書き手の肉声が、存在の眩暈(めまい)が十二分に表現されているかどうかである。「青空」一巻は短歌という狭量なジャンルで評価しきれるような柔な文学ではないのである。六十年代から七十年代における歴史という名の風化層を博捜し、寄せ木細工のように何度もなんども組み立てては執拗に壊す、その悲鳴のなかに彼の作品は踏みとどまり、哭きながら、小刻みに揺れ動き、そして屹立している。
 最初にヘーゲルに託つけながら「採集者」について書いた理由は松岡さんと彼の人生、要するに時代とのまぐわい、さらには彼の歴史観を私なりに図式化してみたかったからである。そして彼の歴史観を知れば知るほど、このような感想を認めること自体が小賢しく思われてくる。書きものとはそして作品とは、取りも直さず、書き手の目線の移動を伴うものでなければならない。目線の移動を伴なわない作品はディレッタントやコレクターが著すオマージュの域を一歩も出ない。「非弁証法的な反省的・抽象的認識能力」要するに固着した観念をいくら並べ立てられてもそれは毒にも薬にもならない。文学にたとえいささかの趣味性があるにせよ、趣味は趣味であって、それはそのままでは文学にはならないのである。一見、稚拙とも受け取られかねない松岡さんの作品の裏面にどす黒く渦巻くメタファーの洪水、そこにこそ松岡達宜の思想があり、哲学がある。
 彼はあらゆる概念の垣根を取り払い、さまざまな領域を気ままに飛びまわる、絵画や写真・音楽のタイトル、歴史や民俗学の断片、流行歌や出典不明の文言、手を加えられもしくは新たに書き直された箴言、そしてかつて著された自らの作品から他人のことばや作品までもが一人歩きし、勝手気ままに出入りする。内と外との弁証法、内面性と膨張の弁証法が三十一文字の襦袢をまとい、墨東向島の横町の朝ぼらけに、ぼんぼりを点けて顕れた。一読をお薦めする。


 「青空」松岡達宜歌集 2005年2月15日発行 定価2400円+税  
 洋々社 東京都新宿区南町15-101 電話03-3268-0796



投稿者: 一考    日時: 2005年02月18日 19:26 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ルバイヤート

一考さま
間村俊一さま

先夜はお目にかかつてさまざまお話をして頂きましたこと、感謝申し上げます。
このところ毎日続いてゐた雑用でへとへとに疲れてをりましたときだけに、お会ひして元気が出ました。
矢野峰人訳「ルバイヤート集成」に際して、尊敬する間村さんととともに関はることができましたこと、今さらながら喜んでをります。
矢野峰人訳「ルバイヤート」は解説にも書きましたとほり、私にとつても若い頃からの大切な本ですが、矢野峰人訳以外にもひそかに愛でてきたルバイヤート訳はあまたあります。ただ、これまた解説に書いたことですが、大抵は手に入りにくいので、全篇筆写してをりました。まともなコピーなどなかつた時代ですし、また、日常的にコピーがあつたとしても、筆写することの方が価値があるとされてゐた時代でした。さういふ時代はしばらく続いてゐました。一九七六年頃だつたでせうか、そろそろコピーといふものがでまはりはじめた頃のことでしたが、村上菊一郎先生に、十九世紀のフランスの詩集をお借りしたときも、先生は私にその本を手渡すまへに、「まさかコピーはしないよね」と仰言いました。もちろん、「はい、手で写します」とお答へし、気に入つた詩をノートに一篇一篇写しました。
さういふわけですから、本の形で存在してゐる「ルバイヤート」の文献にはいたく心惹かれます。どういふものがあるのか、譲つて頂けるとして、まとめてでなくては叶はぬものなのか、たとへば私の勤務先の大学図書館と交渉して、誰もが閲覧できるやうにした方がよろしいのかといつたことについて、ご教示頂ければ幸ひです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年02月20日 09:37 | 固定ページリンク




一考 | 黄眠詩塾のことなど

 かつて幻想文学で黄眠詩塾について書いたのだが、なにを書いたのかが思い出せない、おそらく、日夏耿之介のかかわった雑誌についての文章だったと思う。聖盃、假面、鈴蘭、東邦芸術、サバト、游牧記、戯苑、半仙戯、豊葦原、開花草紙、ドノゴ・トンカ、文藝汎論、汎天苑、婆羅門、表象、古酒から関川左木夫さんの玻璃に到るまで、思いつくままに挙げてみても、ハイブロウな雑誌がよくもまあ、あれほど刊行されたものよと、いまにして驚く。幾多のすぐれた詩人を集めた日夏耿之介のカリスマ性にも駭魄させられる。
 「浚渫船」「昨日の空」の高森文夫、「ゆふされの唄」「北海」「半仙戯」の石川道雄、「光塵」の燕石猶、「奥ゆかしき玖瑰花」の長谷川弘、「揺籃」やアラビアンナイトの名訳を遺した矢野目源一、「槿花戯書」「近世無頼」の城左門、その城左門が編纂した「西山文雄遺稿集」等々が惹い起こされる。
 「光塵」の上梓されたのがわたしが十七歳のとき、「昨日の空」が宮崎の延岡から送られてきたのが二十一歳のとき、当時のわたしは黄眠詩塾の渦中にあった。それが昂じて矢野目訳の「黄金仮面の王」やサバトの復刻版、日夏耿之介の「鏡花文学」などを後年編むことになる。最後に編まれたのが「涓滴」だったと記憶するが、単行本、全集未収録の原稿は七、八冊分におよぶと聞く。ところが、牧神社から出版した「城左門詩集」にしてからが売れた部数は百部たらず、どなたかが払うであろう金銭の犠牲によって良書の出版は維持される。口先だけのファンなど一万人いてもなんの役にも立たないのである。身銭を切って出版するような奇特の士は龜鳴屋を除いて他にはいなくなったのではあるまいか。
 読む側にしたところで、日夏門下に限らずとも「風祭」の足立重や塚本邦雄に到るモダニズム短歌の幕開けを飾った「飛行毛氈」の松本良三、「木莓」の平田松堂、「シネマ」の石川信雄、さらには原田禹雄の「鱗屑」や「錐体外路」すら昨今は読まれなくなったと聞き及ぶ。評価が定まり、人口に膾炙する書冊しか繙かず、それで愛書家を気取るなどもってのほか。ラルボーを持ち出すまでもなく、読書の娯しみはひとがあまり読まないものを見付けて来、ざまあみろ、と与太をとばすところにある。あまり趣味ではないのだが、閑ができれば、その与太をとばそうかと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月24日 00:06 | 固定ページリンク




一考 | 同窓会の予定

 高遠弘美さんへ
 ご当人と三月にお会いします。思いがけない久しぶりの出遇いだったのですが、かつての出版仲間の同窓会をですぺらで開くことになりました。のみすけが多いので、間村さんにも参加していただく予定です。日時が決まればお知らせしますのでどうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月24日 00:17 | 固定ページリンク




松岡達宜 | 側女のような心地にての御礼状


拝啓 渡辺一考様
2005年02月18日の、過分なお褒めの言葉、痛く、感謝いたしています。確かに、ご指摘のようにわたしの歌は吃音的短歌であり、歌壇のorthodoxyからは多分、ご褒美の便りはないでしょう。なぜなら、初めて「歌集」を出版してみてわたしの手から離れたわたしの歌集が、ひどく風変わりなobjetに見えてくるのでありました。それは渋澤龍彦さんの、「夢みる少女ーバルテュスの場合」にあるような王国、(処女歌集とはよく言ったもので)少年・少女の恋のみが真のリーベンであり、成長していやらしい陰毛が生え揃えば王国は崩れる。処女歌集の一瞬の夢見る処女性などはたかが、知れているがそれでも、ひとりの処女の時間を少しくでも長く、見つめてくれとわたしのobjetはいうのでありました。ところで、バルテュスの少女の姿態は爛熟した側女(ソバメ)のような淫靡さもそれはかとなく、漂わせています。午睡のたゆたいの奇妙なエロティシズム。ああ、わたしの歌集はそんなEROTICな雰囲気は当然にももってはいないのですが、正しき意味で正妻ではなく、ニゴウさんの、少しくドモリの側女なのだ。ソバメは正しい生き方は下手で美味くできないだろうが、下方からの「目線の移動」は黒塀、路地裏、ヒヤシンス(?)の哀愁のまなざしがあり、淫靡で色ぽいだろう。隣りの人妻に横連慕した、北原白秋の「哀(かな)しくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを投げやりにする」の歌を、水先案内人としてわが「処女歌集」が隠花植物のように、たまには側女のさ庭に咲く朝顔のように、路地裏に咲くことを不肖の隣人として願っています。渡辺一考様、貴方様の「論」でわたしはしばらく、いい気持ちでいられます。敬具 拝松岡達宜



投稿者: 松岡達宜    日時: 2005年02月25日 00:06 | 固定ページリンク




松岡達宜 | (無題)

渡辺一考様、有難う御座いました。 先程、20行ほどの御礼の文章を書きましたが、操作ミスで全文入っていませんでした。 後日、改めて書きますので、今回の尻切れトンボの文は消去して下さい。



投稿者: 松岡達宜    日時: 2005年02月25日 00:25 | 固定ページリンク




薫子 | 緊急出動要請

 昨晩は店からの帰り道、ぼたぼた雪が降ってきて、あっという間に積り始め、ズルズル滑りながらなんとか帰りつきました。
 「ですぺら」の営業も滑りっぱなしであります。先週は風邪引き騒ぎで一週間無かったようなもので、今週も閑古鳥が大量発生。ピンチであります。掲示板をご覧の皆様、どうぞお越しくださいませ。風邪から完全復帰して元気有り余りの一考の相手をどなたかして下され。よろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年02月25日 08:02 | 固定ページリンク




一考 | 紫葵の花

 松岡達宜さんへ
 全文無事に掲載されておりますのでご心配なく。
 「記事を書く」の下段に、

 投稿(改行無効) (HTML で記事を投稿)
 投稿(整形済み) (整形済みテキストを投稿)
 投稿(改行有効) (HTML で記事を投稿、改行を
に変換)

の三項目が選択できるようになっています。一番上を選択なさったものと思われますが、通常は三つ目の(HTML で記事を投稿、改行を
に変換)を選びます。それにしても分かりにくい表示で申し訳ありません。いっそ、改行なし、投稿者のレイアウトのまま、自動改行とした方が理解できるかと思います。掲示板を覗かれる方のモニターの大きさや表示解像度はてんでんばらばら、またディスプレイに対する閲覧ソフトの展開面積比もめいめいの勝手です。従って自動改行がよろしいのではなかろうかと思うのです。
 出版社を営む友人の業務用パソコンのシステムを修復する程度の知識は持っているのですが、電脳の世界の専門用語はからきし駄目、それと面倒なことにはできるだけ首を突っ込みたくないのが本音で、櫻井、飯田両氏にすべてを管理していただいているのです。管理人との意見が折り合わず、たまに拗ねて書き込みをさぼるのも当掲示板の愛嬌かと。いづれにせよ、せっかく書き込まれたのですから、今後ともよろしくお願い致します。

 ひととひととが出遇ったとき、互いがたがいになにを求めているのか、押したり引いたり、どこまで対応すべきなのか、そのあたりの呼吸や消息を知るのに最短でも三十回は会ってはなしをする必要があると思います。でも貴方の場合はあいだに作品が介在しましたから、次回から対話が成り立つと思います。書きあらわされたものは過不足なく書き手の稟質を読み手に伝えます、たとえ「ひどく風変わりなobjet」であろうとも。いや風変わりであればあるほど、表現者の搏動は特異なものとして読者のこころに刻まれます。朔太郎の「紫葵(ゼラニウム)の花は咲きたり」を持ち出すまでもなく、表現のあらかたは「路地裏に咲く隠花植物」でなければならない、あってほしいと思うのです。「成長していやらしい陰毛が生え揃えば」、王国が崩壊する前に陰毛を剃り落とせばよろしいのであって、その覚悟がなくてなんの詩精神なのでしょうか。剃毛された陰部のいびつさや惨めさを知らずしてバルテュスの絵画を読み解くことはできません。貴方がおっしゃるorthodoxyが自慢げに語る精神の健康さ、懐疑のなさがわたしには許せないのです。
 わたしは基本的にオマージュを書くのが好きではないのです。好悪を決めるにたる確固たる価値基準を信じなければオマージュの書きようがないではありませんか。そうした固定観念、固着した価値観を持つのがわたしはいやなのです。どう考えてもオマージュは「目線の移動」の否定にしかなりません。第一、讃辞になるか非難になるかは書き始めてみなければ分からないのです。
 繰り返します。書物を繙くにさいして、詩であれ俳句であれ短歌であれ小説であれ随筆であれ、委細かまわないのと同様、頌であるか批判であるかといった形式的な問題はどちらでもよいのです。そのようなことではなく、作品について述べるに際して大事なことは、書き手の文言が文学たりえているかどうか、さらに申せば文学とはなにか、という自らの迷い・眩暈(めまい)のようなものが刻印されているかどうかなのだと思うのです。対象を敬愛するがあまり、身を引いてしまっては、自らの精神の(搖れ)のようなものを見喪ってしまいます。それでは毒にも薬にもならない文章しか著せないのです。身を引くという一見謙虚な振る舞いが、逆に対象となる作家のラディカルな部分を消し去り、凡庸な作家との印象を読者に与えてしまう、それを不遜といわずになんと呼べばよろしいのでしょうか。
 またまた勝手な与太を駄法螺を吹いてしまいました。ただ、「青空」の随所に顕れる深い哀しみに、貴方のこころの(搖れ)を間違いなく読み取ったのです。その嬉しさをわたしなりに書きあらわしたいと思ったのです。お喜びいただけたようで、こちらこそ恐縮致しております。お会いできる日の近からんことを願っております。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月25日 22:07 | 固定ページリンク




松岡達宜 | 側女のような心地にての御礼状 (再投稿)

2005年02月18日の、過分なお褒めの言葉、痛く、感謝いたしています。確かに、ご指摘のようにわたしの歌は吃音的短歌であり、歌壇のorthodoxyからは多分、ご褒美の便りはないでしょう。なぜなら、初めて「歌集」を出版してみてわたしの手から離れたわたしの歌集が、ひどく風変わりなobjetに見えてくるのでありました。それは渋澤龍彦さんの、「夢みる少女ーバルテュスの場合」にあるような王国、(処女歌集とはよく言ったもので)少年・少女の恋のみが真のリーベンであり、成長していやらしい陰毛が生え揃えば王国は崩れる。処女歌集の一瞬の夢見る処女性などはたかが、知れているがそれでも、ひとりの処女の時間を少しでも長く、見つめてくれとわたしのobjetはいうのでありました。ところで、バルテュスの少女の姿態は爛熟した側女(ソバメ)のような淫靡さもそこはかとなく、漂わせています。午睡のたゆたいの奇妙なエロティシズム。ああ、わたしの歌集はそんなEROTICな雰囲気は当然にももってはいないのですが、正しき意味で正妻ではなく、ニゴウさんの、少しくドモリの側女なのだ。ソバメは正しい生き方は下手で上手くできないだろうが、下方からの「目線の移動」は黒塀、路地裏、ヒヤシンス(?)の哀愁のまなざしがあり、淫靡で色っぽいだろう。隣りの人妻に横連慕した、北原白秋の「哀(かな)しくも君に思はれこの惜しくきよきいのちを投げやりにする」の歌を、水先案内人としてわが「処女歌集」が隠花植物のように、たまには側女の庭に咲く朝顔のように、路地裏に咲くことを不肖の隣人として願っています。渡辺一考様、貴方様の「論」でわたしはしばらく、いい気持ちでいられます。敬具 拝松岡達宜



投稿者: 松岡達宜    日時: 2005年02月26日 11:28 | 固定ページリンク




一考 | 催し物

 3月11日の金曜日は6時30分から石内都さんの新刊2点「キズアト」(日本文教出版)と「SCARS」(蒼穹舎)の出版記念会です。前著の装丁は間村俊一さん。石内さんは古い建物の壁や人体の皮膚、傷跡、爪など、物や人の表層に、時間の集積である歴史そのものを見届けようとする特異な写真家でありエッセイストです。「種村季弘の箱」にも作品が収録されています。同日は席にほんのすこし余裕があります、石内さんとお話なさりたい方はどうぞ。会費は7千円。

 3月12日の土曜日はひできさんのオフ会。出席者は現在のところ、ひできさんと櫻井さんのみ。いささか空席が目立ちますので、よろしくお願い致します。こちらは会費制でなく、各人の飲食分のみとなっております。店主も自前で酔っ払うつもりですので、管理人さんどうかよろしく。

 3月18日の金曜日は相澤啓三さんの高見順賞授賞式です。8時30分からですぺらにて二次会が催されます。多くの詩人がご参席の予定、須永朝彦さんの誕生会以来のにぎやかな会になります。相澤さんは滅多にサインをなさらない方ですので、相澤さんの著書をお持ちの方にはいい機会になると思います。ですぺらの常連さんでは松山俊太郎さん、高橋睦郎さん、佐々木幹郎さん、宇野邦一さん、また久しぶりに書肆山田の大泉史世さんもいらっしゃいます。本人が嫌がらなければ、かつての牧神社のはなしも可能かと思われます。会費は5千円。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月09日 20:36 | 固定ページリンク




一考 | 「之潮」創立二周年を祝う会

 地図資料の編纂者として識られた元柏書房社長の芳賀啓さんが一人出版社「之潮(コレジオ)」を創業なさいましたが、この度、一大プロジェクトの成就が明らかになりました。名づけて「帝都地形図」。出版界では稀な匿名組合方式に依り、また地図資料出版としては異例の手厚い編輯過程を経たものとなっています。社会全体が短路捷径に流れんとする昨今、出版を後世に伝える文化財とする重厚な試みは際立っています。
 「帝都地形図」の発売は三月二十日。発刊を祝い、芳賀さんと「之潮」を励ます会が三月十九日の土曜日、神楽坂の日本出版クラブ会館・きくの間で催されます。時間は午後四時半受付開始、五時開宴、七時閉宴。会費は一万円ですが、出席者には「帝都地形図」別冊が贈呈されます。その価格だけでも会費の数倍はします。参席ご希望の方がいらっしゃれば、明日中に一考までご連絡下さい。地図はメールでお送りします。(自宅048-421-1895 ですぺら03-3584-4566)

 ここまでは連絡なのですが、先程芳賀さんから電話があり、二次会は神楽坂、三次会と四次会は新宿のなべさんとエイジ、五次会はですぺら、六次会は夜が明けてからカラオケへ行きましょうか、とのお話。二次会はともかく、三次会からあとは行き当たりばったりが常道、団塊の世代とはまことに怖ろしいものです。日曜日の昼まで生き延びているのははてさて何名か、いずれにせよ、壮絶な飲み会になりそうです。
 話ついでに、佐々木幹郎さんが新たに編輯なさった中原中也全集の別巻所収の三角関係の地図は芳賀さんの尽力になるもの、また麻布の西班牙大使館横にあった偏奇館の地図がなく困っていたところ、こちらも芳賀さんの手によって拙宅へ届けられました。「腕くらべ」「おかめ笹」が生れ、「断腸亭日乗」が起筆された高台の木造洋館なのですが、戦時下の地図が入手不可能だったのです。
 余談はともかく、地図に興味があり、お足とひまを持て余しておられる方には絶好の機会かと思います。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月09日 22:45 | 固定ページリンク




増本 | お願いします。

いきなりの割り込みでご免なさい。下記の件でお願いしたいのです。 明窓出版がひろくレビューを求めます。 明窓出版のホームページを見に来て下さる読者の方に、本の概要を簡潔に紹介できるようあなたの力を貸してほしいのです。 ご応募の方は、明窓出版のホームページ「書名別検索」に記載されている下記の本からお読みになりたい本を5冊まで選びご連絡下さい。無料にて本文テキストデータをまるごとメール送信します。採用された場合の報酬は本一冊あたり2.000円です。お読みになった本に関しましては、必ずレビューをお寄せ下さいますよ



投稿者: 増本    日時: 2005年03月10日 14:20 | 固定ページリンク




薫子 | 新めにゅ~

 日曜日の午前中は良いお天気でありました。風は肌寒いものの日差しは暖かく、ああ春よ来い、早く来い、ぼんやり外を眺めていて見つけたものは、ガラス窓の汚れ、部屋のあちこちに溜っている埃。ゲッ、カーテンも黒ずんでるやないの。春の陽は明るすぎて残酷・・・。見なかったことにしよう。
 さて恒例の春の新メニューです。(そんなものあったっけ?)管理人様の強いご希望もあってフードメニューに「カミカツ」登場、600円也。ですぺらに因んで「ぺらぺらカツ」にしようかとも考えたのですが。牛、豚両方あります。「ローストビーフ」、800円也。こちらは数量限定、売り切れ御免。是非一度お試し下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年03月14日 00:47 | 固定ページリンク




内山勝司 | 不義理な私

一考さん、薫子さん、すっかりご無沙汰しております、内山です。
来週末の25日の夜(22時ごろかと思います)、最低5名ほどで伺う予定です。
2次会のため、時間と人数がアバウトです。
閑話休題。2月25日の、一考さんの記事の「……最短でも三十回は会ってはなしをする必要があると思います。でも貴方の場合はあいだに作品が介在しましたから……」という部分のは絶妙なリアリティーに関心しております。



投稿者: 内山勝司    日時: 2005年03月14日 06:14 | 固定ページリンク




一考 | 会費変更

 3月18日の相澤啓三さんの会は8時30分から11時まで、会費は3000円に変更されました。アルコール類はいつもと同じですが、おつまみは手軽なもので簡便に済ませます。時間を短縮し、その分お安くしようとの工夫です。
 11時半以降は通常の営業となります。従って、居残りのお客さんからは追加のご注文をいただくことになります。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月14日 19:56 | 固定ページリンク




ヒデキ | キルケニー

 土曜日はお世話さまでした。
 先日お話したキルケニーを扱っているお店の名前ですが、「アイリッシュパブ 
スタシェーン」でした。JRの駅構内にあるようなお店ですから、もうあちこちに
出来ているものと思っておりましたが、現在はまだ上野、田町、西荻窪の三駅でのみ
営業しているようです。
http://www.nre.co.jp/stasiun/
 昨日も行ってきましたが、キルケニーはそれだけでも、あるいはギネスとのハーフ
&ハーフでもやはりとてもおいしかったです。
 難しい条件のあることは先日も伺って承知しておりますが、貴店の素晴らしいスモーク
を肴にキルケニーを楽しみたいという気持ちを捨てきれないでおります。



投稿者: ヒデキ    日時: 2005年03月15日 20:18 | 固定ページリンク




一考 | 託つけて

 内山さんへ
 アバウトで結構です、お待ち申しております。なにとぞよろしくお願い致します。
 拙い書き込みをお読みいただき恐縮です。「最短でも三十回は会ってはなしをする必要がある」はひととのコミュニケーションの煩雑さを、「あなたの場合はあいだに作品が介在しましたから」との文言は彼の作品が文学になっているとのわたしの意思表示を繰り返したまで。
 先だっての書き込みでどこかの出版社がひろくレビューを求めていらっしゃいましたが、概要がレビューとは笑止。とは申せ、概説に好き嫌いもしくは良い悪いを付け足せば書評と勘違いなさっておられる方が多いように思われます。書評に限りませんが、ものを著すに当たって留意すべきは概要と鉤括弧を用いてはならないとの二点だと思うのです。
 概要で用が足りるならなんのための書きものなのか、五十枚なら五十枚、百枚なら百枚が必要だから書くのであって、それを概説にしてしまえば伝わるものはことばの意味内容や表象に限られてしまいます。それら表象から遠く逸脱してゆく書き手の影や分身にこそ肉声が罩められているかもしれないのに。
 鉤括弧すなわち引用にはさらにふたつの問題点が加わります。こんなものを読んでいるぞとの自慢がひとつ、今ひとつはそれほどに巧く表現できないから引用するとの逃げの一手。前者は可愛げがあってまだ許せるのですが、後者は困ります。だって、うまく書けないのなら書くのを止めればよろしいのであって、なにをじたばた騒いでいるのかと言いたくなります。なんでも書きゃあいいというものではないのです。
 まずは鉤括弧を外せばよいのです。外すことによって盗作と言われるのがいやなのであれば、それを読み解いて自分の言葉に置き換えれば済みます。読み解くとは自らの言葉への置換を指すのであって、置換の結果がいかに稚拙であってもそれが自分の実力と知るべきなのです。
 引用との行為はものの考え方までをひとに委ねることになりかねません。それは危険な思想に繋がります。文学はどこまでも個の営みです、されば読み手にも個が強いられます。文学に随伴するのは「なにかしらもっと大きなディメンション」につねに向き合おうとする意志、言い換えれば能動的マイノリティ哲学に違いないと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月16日 00:47 | 固定ページリンク




一考 | キルケニー

 ヒデキさんへ
 銀座ライオンの二号店が神戸店だったのです。それでキルケニーを飲みによく出掛けました。ギネスで煮込んだ羊肉と鯖スモークがお気に入りだったのです。従って上京後、銀座ライオンへは真っ先に種村さんと連れ立って行きました。ところが、既にキルケニーは置いていないと言われ、腹立たしく思いました。
 ところで、日本の黒ビールはどうしてあんなに不味いのでしょうか。露時の裾の濡れたようなビール、メリハリのないぼてっとした時化た味わい、苦いか酸味が強いかのどちらかでコクがまったくないビールばかり、まだ飲めるのはヱビスの黒だけではないでしょうか。ウィジェットによるクリーミーな舌触りは望むべくもないのですが、せめてマーフィーズやギネスのような味わいを持つスタウトが欲しいものです。
 その後、神戸の銀座ライオンは不良外人の溜まり場になり、転居したとか閉店したとか聞きました。しかし伝聞ゆえ、神戸のムーンさんに確かめていただくしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月16日 20:55 | 固定ページリンク




内山 | ローストビーフの予約はできますか?


25日の件、こちらこそよろしくお願いします。当日、人数と時間が確定したと
ころでご連絡いたします。また、先日薫子さんが書かれていた、新メニューの中の「ローストビーフ」を2人前、予約することは可能でしょうか?



投稿者: 内山    日時: 2005年03月19日 06:24 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンがNHK「暮らしの中の茶」に出演

NHKの番組「趣味悠々~暮らしの中の茶」(放送時間22:00~22:55)
第七回(3月21日放送予定)、第八回(3月28日放送予定)に、四谷シモン
が裏千家の客として招かれ、千宗室さんのお茶を賞味する予定です。
どんな破天荒なお茶会になりますか、どうぞお楽しみに♪
なお、同番組の詳細につきましては、↓サイトをご参照ください。
http://www.nhk.or.jp/syumiyuuyuu/cha.html



投稿者: 如月    日時: 2005年03月20日 10:37 | 固定ページリンク




松友 | キルケニーといえば

 先輩諸氏の御話中に御邪魔致します。
 西の地でキルケニーを頂戴しましたお店といえば三宮、いや元町の「ザ ダブリナーズ アイリッシュ パブ」でしたかしらと。ライオンチェーンのお店だったと思いますが確かにサイトで見ても神戸にはお店がないようになっています。往時は確か神戸の三宮と元町の間の海側で、大丸傍の東京三菱銀行の東隣のビルの地下辺り、階段を下りると片側がライオン、片側がダブリナーズでした(今は昔なので場所は間違っているやも)。同サイトですと、此方、赤坂にはあるようですので今度寄る機会があれば、です。取り合えずキルケニーはサイトには出ていますし。
 その頃はなんと言っても西明石に行けばヒューガーデンの白生が戴けたのですし、神戸に出たからにはカクテルの美味しい北野(あるいは此方も当時の話、ハーバーランド・モザイク)の「SAVOY」、ソサエティーの品揃えが剛毅な「Main malt」、面白いモルトと素敵な内装の「バランザック」などなどお邪魔したい場所がいっぱいあってなかなか伺えせんでした。昼はランチに元町海岸側のインド料理「ラジャ」に足しげく通いましたっけ。知り合いとですとタイ屋台料理「トゥクトゥク」なども行きました。で、有る時期からは、西明石では割烹「きし」さんに通っていたのでますます行く機会を逸していました。
 そういえば美味しいインド料理を最近頂戴していないような。

ダブリナーズ アイリッシュパブ 赤坂店
千代田区永田町2-11-1山王パークタワーB1
11:30~23:00、土・日・祝、休
http://r.gnavi.co.jp/g357100/menu5.htm



投稿者: 松友    日時: 2005年03月20日 16:20 | 固定ページリンク




一考 | 橋本真理さん

 相澤啓三さんの高見順賞授賞式で三十年ぶりに橋本真理さんと出遇い、次々回の「たまや」への寄稿をお願いした。
 2004年9月1日に発行された「長帽子」66号へ「花」と題する橋本真理さんの詩が掲げられている。


 ほんのすこし
 土に帰れる場所があったので
 わたしは咲いた

 どこからきたのかは
 きかないでほしい
 硬いねむりがはじけ
 夢は夢のまま
 うらがえってはなびらになった
 その一枚一枚をもとめるので
 ひび割れたコンクリート護岸の隙間から
 空へ
 空へ
 のけぞるように
 わたしは咲いた

 河川敷の空はひろいが
 都会では不幸な人しか空を見ない
 土手を行く乳母車の幌は深く
 若い母親の帽子は
 つばびろに陽射しを防ぐ
 漕艇場では
 長いオールが
 しわばんだ水をかき寄せ
 汗に光るからだが反りかえっても
 若者はうつむいたまま
 斎場の煙が上がり
 喪服の家族がやっと
 この日の青空に気づく
 夜は許されない男女が斜面に座り
 女だけが
 星のない空を見上げる


 ことばは人とひととをつなぐ道具、連結器でつながれることによってひとは抽象でなくなる。
 悲しいのはわたしだけではない、そしてあなただけではない、それが実感できる共同体としての装置が書物でなかったか。
 ひとは運命とどのような約束を交わすのかしら、繰り返される「わたしは咲いた」を読んでわたしはひとひ泣かされた。
 はなしはそれだけである。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月21日 03:14 | 固定ページリンク




一考 | ふたたび

 橋本真理さんの詩集「幽明婚」(深夜叢書社1974年1月16日発行)は前述した「長帽子」の16号から32号へ掲げられた詩篇を中心に編まれた。その二年前に評論集「黄昏の系譜」(深夜叢書社1972年3月15日発行)が、四年後には「螺旋と沈黙」(大和書房1978年6月20日発行)が上梓されている。
 当時のわたしは上京のたびに荻窪南口商店街のミニヨンにあった人魚館へ行き、それから南口仲通りの路地を這入った鳥よし、西口のすずらん通りの左側にあった「じゅにあ」(屋号は漢字だったと記憶するが、思い出せない)で酔いつぶれるのを常とした。「じゅにあ」は現在のわたしぐらいの年格好の夫婦が営む酒場で、二階をわれわれのために解放区として提供してくれていたのである。店主は占いを得意とし、荻窪界隈に住む作家や編集者の溜まり場で、深夜叢書社を営む斎藤慎爾さんも入浸っていた。その斎藤さんの紹介で橋本真理さんと知り合った。飲んだくれて二階で雑魚寝になったことも何度かあった。
 とにもかくにも橋本さんは早熟なひとで、三橋敏雄論(上記二著に未収録)などはこのような俳句の読み方があるのかと驚かされたものである。橋本さんはわたしよりひとつ年下だったが、当時すでに仰ぎ見るような存在で、多田智満子さんと共にもっとも尊敬する閨秀(多田さんは閨秀ということばを嫌悪した)詩人だった。情念を重んじ非論理的な文言は赦さず、「賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る」輩が迷い込んできたときは弾劾する、謂わばこわもての看板娘のようなもので、一目も二目も置かざるを得ない逸材であり、天才少女だった。
 その橋本さんの消息が80年代になって途絶えてしまった、表現を中断してしまったのである。中断に到った事情に興味はなく、その理由を問うつもりもない。「ほんのすこし 土に帰れる場所があったので わたしは咲いた・・・のけぞるように わたしは咲いた」それだけで十分である。「ほんのすこし」で結構、もう一度咲いてほしいと願う。「星のない空を見上げ」てほしいと思う。「継続はチカラなり」という、その継続の危険性、継続への懐疑をこそ唄ってほしいと冀求する。
 表現ならばなおさら、ひとっことを続けるのは難しい、なぜなら継続はひとに権威や権力をしか齎さないから。自らの権威を恫喝するのはむずかしい、なぜなら不確実性や懐疑のなかでのらりくらり生きるのは不安との道行きにしかならないから。権威を捨てるのは才能の拒否、権威を捨てるのは実績の否定、権威を捨てるのは賓辞の投擲、権威を捨てるのは肩書きの固辞、権威を捨てるのはおまんまの食い上げ。でもその権威の彼方にのけぞりかえる曼珠沙華、「定まらない揺蕩う残照」のなかにしか思想はない。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月23日 00:54 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 五十路をもうかくも過ぎて

 よしなしごとを連ねるのをおゆるしください。
 わたくしがこの掲示板に何事かを書きつけるのを楽しみにしてゐる方がいらつしやるといふことを最近はじめて知りました。さうともとれないことのない言ひ方をなさる方が立て続けにいらしたものですから、勝手にさう思ひこむことにしました。世にはありがたき人のゐるものかな。これも桜井さんや一考さんの寛容のおかげと感謝いたしてをります。
 亡母がやはりさうだつたのですが、先日突然の腹痛で医者に駆け込んだところ「虫垂炎」といはれ、注射と抗生物質で「散らし」ました。こんど同様のことがあれば手術とのこと。食餌制限を言ひわたされ、ひたすら謹慎の毎日。歯も悪くなつて歯医者がよひの日々でもあります。
 そんななか、日曜日の朝日の書評で、中条省平さんが「ルバイヤート集成」についてすこぶる好意的な書評を書いてくださったことは、率直に申し上げて嬉しいことでありました。一日おいて火曜日は、わたくしの誕生日でした。最高のプレゼントだと思ひました。この誕生日をむかへて五十路をみつつ越したことになります。
 いましばし生き延びたいと思ひます。
 いろいろご迷惑をおかけするとは思ひますが、何とぞよろしくご厚誼のほどをお願ひ申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年03月23日 01:07 | 固定ページリンク




矢野通彦 | ふう


ふう



投稿者: 矢野通彦    日時: 2005年03月24日 14:31 | 固定ページリンク




一考 | 魑魅魍魎

 先日、NTTのひとがISDNを奬めにやってきた。一方、NTTから電話で光ファイバーの勧誘があった。ちなみに拙宅は有線でネットに接続している。店はNTT経由のADSLだが、ホームページがソネットのため、こちらは変更しようがない。そこへKDDIからの誘いである。事情を説明すれば、ホームページごと引っ越せとのこと。誰が引っ越しをやってくださるのかしらん。
 CSとBSが混在し、地上波がデジタルになるとか。NTTもNHKももとは国営のようなもの、ISDNやBSがまだ生きている理由はその辺にありそうである。既得権とは怖ろしいもので、不具合が判っていても、なにも是正されない。そういえば、フジテレビの会長さんも既得権の権化のような顔つきをしている。文化やコンテンツを本当に大事にされるのであれば、ホリエモンに会長職を譲ればよろしかろうにと思う。十年先、二十年先のメディアのありようが読めなくなったオジンはくたばればよい。もっとも楽天に球団を奪われたのと同様、今回もおいしいところはすべてソフトバンクに簒奪されます。暗躍したK国会議員こそ糾弾されるべきかと思う。
 I知事が誕生してから東京は変わった。世田谷など二箇所を除いて、区立図書館の業務は民間に委ねられ、書物の購入費は大きく削られ、区立図書館の宝である地誌にかんする膨大な資料は片端から破棄されつつある。地方図書館の仕事で大事なのは図書館が属する地域の地誌の蒐集と整理、そこに住むひとたちの生活のための情報源の二点ではあるまいか。後者には旅行者あるいは日本に住む異国人が判断し行動するために役立つ資料や知識がとうぜん含まれる。それらが有効に生かされているのは都内では梅丘図書館ぐらいなものではあるまいか。
 図書館のベストセラーの購入部数は平均15000冊、これはひとつの図書館が同じ本を10~20冊購入するからである。その利用頻度によって年間の図書購入費が決められる。役人の発想はその程度、それこそ文化もコンテンツもあったものではない。図書館が文芸書のような安価なものを購入すること自体がわたしにはナンセンスに思われる。その手間ひまを地誌に書誌学に振り向けていただきたいものである。現今の書誌学者たちが図書館を正常に機能させるために、I知事を引きずり降ろすために、なぜに立ち上がらないのか不思議である。
 朝日の越村佳代子さんが昨日の夕刊紙上で芳賀啓さんが上梓なさった「帝都地形図」を紹介してくださった。感謝なのだが、末尾に同書が高価なので「一般の人も見られるように公立図書館などに備えてほしい」とある。購入してくださる公立図書館はおそらく全国で十箇所もあるまい、悲しいことである。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月24日 18:40 | 固定ページリンク




薫子 | 港千尋展 ひとときの山

 原宿のギャラリー・カフェ「sakura」にて「港千尋展 ひとときの山」開催中です。
 「永い時、いつもそこに在ながら、人間を見送ってきた山。大気のなかで姿を変え、闇に深い音を響かせる山。朝の光に立ち現れる錐体が、夕暮れには長い影を残します。写真集『瞬間の山』限定版(インスクリプト刊)に加え、未発表作品を展示します。遙かな山々に囲まれながら、春のひとときをお過ごしください。港千尋」(案内状より)

 2005年3月15日(火)~4月16日(土)
 11:30~19:00 日・月休

 ・トーク・イベント「イメージの山」 4月10日(日)15:00~
  上記イベントは¥1000(ドリンク付)先着30名 sakuraにて予約受付
 ・ポスト・ダイアリー 3月25日~4月2日
  ヨーロッパ滞在中の港氏より毎日sakuraに写真が届きます。

 gallary cafe sakura
 渋谷区神宮前4-4-7 2F
 tel 03-3408-7676 fax 03-3408-7678
www.sakura.apse.jp

原宿の中でほっと落ち着ける素適なスペース「sakura」。是非一度お運び下さいまし。



投稿者: 薫子    日時: 2005年03月26日 02:12 | 固定ページリンク




内山 | 一考さんと薫子さんへ

昨日は「お店に行きます」などと豪語しながら、ご連絡もせず、
申し訳ございませんでした。お恥ずかしい話しなんですが、都内某所で、
魔法の水の魔力にかかり、前後不覚に陥りました。不実な私をお許し下さい。



投稿者: 内山    日時: 2005年03月26日 09:10 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 糸井茂莉詩集『アルチーヌ』頌

1982年に現代詩手帖賞を受賞した詩人、糸井茂莉いといもりの最新の詩集『アルチーヌ』(思潮社。2005年4月1日刊)を読みました。糸井は『しれーぬ、その他の詩篇』『夢の水槽』などの詩集で知られる詩人ですが、今回の詩集は現実世界に下ろしてゆく詩人の測深機sondeurが今まで以上に鋭敏繊細になつてゐることを感じさせるいい詩集でした。ルネ・シャールの同名の散文詩に触発されたこの詩集には、変転と沈潜を、きわめて思索的でありながら、時としてすこぶるエロティックでもある言葉をつむいで表現してゆく糸井の美点がよく出てゐるやうに思ひます。さりながら詩人の世界を短くまとめる無粋は控へて、ひとつだけ引用しませう。
たとへば「珠の軌跡」と題されたこんな一篇。

「夢の地図の線がとぎれる。あのひとの行程が途絶え、消滅してゆく。放物線から外れてゆく、ゆるやかにはじかれた珠の軌跡。

驚異のうねりを穿ち、蛇行してゆく河。月の光を鈍い銀色に映し、生き物となってあのひとの狂った素足にからみついてゆく。

河は凍っていなければならない。凍った河の向こうには国境があり、不寝番の冴えたまなざしをくらます純白の形象が近づいてこなければならない。

埋めたはずの馬が土のなかから這い上がり、轡をはずして疾走し、国境の向こうの闇のなかに消えてゆかねばならない。忘れられた円環のふち。

凍った河をわたるあのひとの足音が聞こえる。そしてすぐそれも遠のき、静寂のあとに氷の割れる音が遅れてやってくる。

夢の頭蓋を力ずくで砕き、わたしの寝床まで押し入って挑んでくるひと。硝子窓に身をすり寄せ、私が近寄れば、かるがると夜の透明をくぐりぬけて」

これ以外にも引用したい作品はいくつもありますが、あまりに長くなるとご迷惑でせうから、けふはここにて筆をとどめます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年04月01日 21:43 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンwebギャラリーが完成


2月、3月とせっせとPC教室に通い、ながらく未完のまま放置していた「四谷
シモンwebギャラリー」↓を、このほどようやく完成させました。
http://www.simon-yotsuya.net/oeuvre/index.htm
貼り付けてある画像は、すべて2000年の回顧展図録に掲載されているものば
かりですが(撮影:篠山紀信)、この機会に改めてご訪問いただければ幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2005年04月02日 13:50 | 固定ページリンク




けー | 人妻バンク

★人妻バンク!
実際に交際を希望する男女のための交際クラブです。
素敵なパートナーをご紹介します。
退屈な日常をしばし忘れて秘密の交際を楽しみませんか?

詳しくはメールか電話でお問い合わせください。
090 7825 3612

※なお、未成年はご利用できません。
また、「援助交際」目的の方はお断りします。
実際に「会う」ことを前提にご紹介しますので「サクラ」などは一切ありません
のでご安心ください。



投稿者: けー    日時: 2005年04月05日 12:42 | 固定ページリンク




フク | 『最後の審判の巨匠』出版記念オフのお知らせ

 この三月、(゜(○○)゜)プヒプヒ日記でお馴染み、puhipuhiさんこと垂野創一郎さん初の翻訳書となる、レオ・ペルッツ『最後の審判の巨匠』(晶文社)が刊行されました。その刊行を記念致しまして、御本人を囲んでですぺらで出版記念オフ会を開催したいと思います。

 
 日時:4月13日(水) 20:00~夜中
 会場:ですぺら
 会費:4,500円を予定

 料理の予約人数がありますので参加できる方の表明をお待ちしております。
途中参加もOK、もちろんご本人と面識のない方でも大歓迎です。puhipuhi日記の読者という方も歓迎。
  御本人と面識のない方も大歓迎です。場所の関係もございますので人数をある程度把握致したく、小生(フク fuku@kyogoku.com )宛てメールをお願い致します。題名を「オフ参加希望」としてお名前をお知らせ下さい。
 お祝い事なので飛び入りもOKですが、参加できるかどうか現時点で不明という方も、できればメールを頂けますと幸いです。
 一応、メールの方はですぺらへの連絡の関係がありますので11日月曜日に締切とさせて頂きます。

 あ、小生は(例の如く)大阪からの遠隔幹事しますので何かと不都合があるかと思いますが、宜しくお願い致します。



投稿者: フク    日時: 2005年04月06日 07:42 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご報告

いつも何かしら書きたいことがあると、この掲示板を利用させて頂いてをりましたが、ご迷惑になるといけないので、今回、知人の示唆もあり、個人的なブログを開設することにしました。関心のおありのかたで、つれづれのときを迎へられた場合に、ちらりと思ひ出して訪れて下されば幸ひです。と申しても勝手な戯れ言を不定期に書きつけるだけのことですから、失望なさることは目に見えてをりますけれど。romitak.exblog.jpです。なほ、論争はいたしませんし、不快なことはなるべく書かないつもりでをります。ただ気まぐれなわたくしのこと、いつ辞めるかもわかりませんが。

またまたの病院通ひで、投薬中です。
水曜日の会はぜひ伺ひます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年04月11日 00:32 | 固定ページリンク




まいたん | パソコン初心者です

パソコンがおかしくなってメルアドが全て消滅ました… 新しいメルトモになってくれませんか? 年は19で、病院で働いてます←看護婦じゃないけど… 年上の面白い男の人限定でお願いしますー!(^^)!



投稿者: まいたん    日時: 2005年04月13日 12:45 | 固定ページリンク




一考 | 「邯鄲ビレ」に期待しつつ

 川津望さんへ

 あなたが未成年で酒が呑めないのは結構なはなしだと思います。当店は終日ウーロン茶だけで、アルコール類の売れない日があるという、摩訶不思議なショットバーなのです。その分、店主が飲んだくれてい、何時までたっても利益が出ないと、こちらはすこぶる順当な業務店なのです。
 客がなにを呑もうが呑むまいが、それは小生の関知するところではありません。いわんや、学生さんであれば貧乏と相場は決まっています。500円持ってですぺらへいらっしゃい、ジュースを飲む金数がなければ水でよいではありませんか。
 ただし、詩の感想は期待なさらない方がよろしいかと思います。掲示板をお読みだそうで、それには感謝しますが、小生は名にし負うひねくれ者、某詩人からも複雑骨折の異名を頂戴しております。ただ、無心に読ませていただきます。そして、この無心が食わせもの、思慮・分別のないこと、無神経なこと、情趣を解する心がないこと、風流心のないこととの意味をも内包しております。
 錯綜した、時としてさかしまな意を含む言葉を暴力的に弄び、蹂躪するのが詩ではないでしょうか、当掲示板で幾度か触れております「アナロジーの魔」の渦中にぽいと抛り出されるのが詩の宿命、もっとも、類推があってこそ、詩は書き手を離れて自立し、読み手の頭上を翔けていくのです。
 詩を著し、この度詩誌を創刊なさるとか、楽しみにしております。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月18日 20:52 | 固定ページリンク




一考 | 訃報

 18日に荻窪のミニヨンのママ深沢千代子さんの告別式があった。通夜は17日だったが、淋しい通夜だったと聞かされた。95歳での大往生であった。
 戦前は学校の教師をなさっていたが、満州へ渡り、とんでもないご苦労をなさったと聞かされたことがある。引き揚げられて荻窪で豆腐屋を営み、1961年に北口でミニヨンを開店、1971年に現在地へ移られた。ギャラリー人魚館が併設されたのが1972年、私はその時からの客である。井伏鱒二、三枝和子、中井英夫、瀧口修造、種村季弘、窪田般彌、相澤啓三等々との出遇いをもたらした荻窪は私にとって思い出深い街である。
 ミニヨンは村上さんによって引き継がれたが、ひとつの時代が終わったと思う。


 ここまで書いて電話あり、三日月の外山時男さんが17日に急性膵炎で亡くなられた。お別れ会は21日の木曜日午後六時から。場所は西五反田の桐ヶ谷斎場(品川区西五反田5-32-20)、東急目黒線不動前駅徒歩7分。
 地図は以下を参照。
 http://www.kosaido.co.jp/memorial/kirigaya/kiri_map.html



投稿者: 一考    日時: 2005年04月19日 22:51 | 固定ページリンク




一考 | お別れ会

 外山さんの当掲示板への最初の書き込みを再掲する。同年11月06日に私が著した「蕎麦の実の浅漬け」に対する返答であった。

外山時男 蕎麦の実の浅漬け 2003年12月05日(金)13時36分51秒
 東京の蕎麦屋です。
 蕎麦の実の浅漬け作ってみました。蕎麦屋のくせに知りませんでしたが、想像どおり美味しくいただけました。
酒の肴には、ごく薄味にしてほんのちょっとがいいかなと思いました。やはり少量の味噌漬け牛蒡なんかと一緒に出せばコントラストもついてさらにいいかもしれません。
 東京の蕎麦好きは懐石としての蕎麦をうっちゃっているとのご指摘ですが、これは懐石としての蕎麦以前に、懐石そのものをうっちゃっているのでしょう。
 以下は半分冗談です。
 懐石料理中の蕎麦からは、なんだかノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユみたいな印象を受けませんか。大宗教に囚われた八百万の神の趣があります。だから、逃げろ、逃げろ、とそそのかしてやりたくなるのです。
 モルトウイスキーの世界も事情は似ている気がするのですが。
 ちがってたらスミマセン。

 気づかないうちに私たちは何時死んでもおかしくない歳に達してしまったのです。だからこそ、連れ立ってよく酒を飲みに行きました。恋も酒もそして友も、いまだけ、たった今だけなのですから。
 今日はなにも書けません。今日は貴方のための私一人の追悼会です。夜が明けるまで、貴方のために乾杯。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月19日 23:34 | 固定ページリンク




北端あおい | ありがとうございました

外山さん
お蕎麦たべにいきますね、といってまだ行かないままです。
でも、外山さんのハイテンションな酩酊、とてもたのしかったです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。



投稿者: 北端あおい    日時: 2005年04月20日 09:56 | 固定ページリンク




薫子 | (無題)

 大晦日の蕎麦の美味しさ、酔った外山さんのどんぐりまなこ、忘れることはないでしょう。職人ふみちゃんたちが三日月の蕎麦を打ち続けてくれることを願ってやみません。
 お別れ会は献花のみのシンプルな式のようです。三日月の蕎麦を味わわれた皆様、どうぞご参列下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年04月21日 05:22 | 固定ページリンク




薫子 | 「課外授業ようこそ先輩」

 詩人の佐々木幹郎さんがNHKの番組「課外授業ようこそ先輩」に出演されます。本放送は昨晩でしたが、再放送がありますので、お知らせします。
 4月22日(金)深夜1:55~2:24(NHK総合)
 4月24日(日)午前8:05~8:34(NHK総合)
 4月28日(木)午前11:15~11:44(NHKBS2)

 ビデオ予約しておきましょう。願わくば、ツッコミどころ満載であらんことを。



投稿者: 薫子    日時: 2005年04月21日 05:29 | 固定ページリンク




puhipuhi | 外山さんのご冥福をお祈りします

下の記事を見てびっくりしました。大晦日に蕎麦をご馳走になったときは,
病気のけぶりさえ見えなかったのに……。何かよくわからなくなってきました。
お別れ会には参列できませんでしたが、いまここで追悼を捧げたく思います。



投稿者: puhipuhi    日時: 2005年04月21日 22:12 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 追悼

つひいましがた、帰宅して最初に掲示板を拝読して愕然としました。「三日月」に伺つた折りのお声とお優しい応対を思ひだして、何とも言へぬ無常の思ひを感じてをります。言葉なく、ただ黙し、ご冥福をお祈り申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年04月21日 22:38 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら五周年

「五年経てば成り立つようになるよ」との先輩の言葉を頼りに細々続けてきました「ですぺら」も今年で開業丸五年になります。成金になりたいという夢にはほど遠い有様ですが、多くの方々との出逢いが一番の財産となりつつあります。四月二十五日(月)より二十八日(木)までの間、ご来店の際にはグラスワインとスモーク盛り合わせ(小皿)をサービス致します。また、三十日(土)は午後七時より鍋パーティを予定しております。会費は四千円。お誘い合わせの上、お越しいただければ幸いです。(なお、五月二日は休業とさせて頂きます)



投稿者: 薫子    日時: 2005年04月23日 04:09 | 固定ページリンク




一考 | 終点酒場

 「多くの方々との出逢いが一番の財産」との薫子さんの意見は正しいと思います。それにしても、当店のお客様の死亡率は目立って高いようです。掲示板での記載は遠慮しましたが、年末から年初にかけて、常連さんでもあり、若いころから親しくさせていただいた俳人が三名亡くなられました。知己の死はこの五年間で二十名を超えました。平均年齢は五十二~三歳、ちょいと若すぎるように思います。
 からだに悪い酒を売っているわけではないのだが、との問いに「この店は、手遅れさんいらっしゃい、の店なのですよ」と常連さんは応えます。沖山さんからは「終点酒場」との呼び名を頂戴しました。
 知己の死の影響なのでしょうか、二月十日からずっと体調すぐれず、何度か欠勤のはめに落入り、お客様に迷惑を掛けております。五月二日をめずらしく休業にしたのは、一日から五日までの福島、栃木のキャンプ場巡りでなんとか気分転換をはかりたいからなのです。
 それにしても、シェイクスピアの悪しき影響なのでしょうか、生死が問題となる話題が多いようです。ひとは必ず死ぬのですから自死に対して私は否定的な意見しか持たないのです。
 他者への憧憬、そしてやってくる同化、同化の過程で必ず起こる自己解体。そういった自己との論争、自らへのあらがい。言い換えれば、自分自身のマイナー哲学への忠実さ。さらに言い換えれば、生成変化や連続変化として存在するマイノリティ。再構成を常に余儀なくされる宙ぶらりんな状態に身を置くことこそが、思索だと思っている私にとって、哲学的な死と生物学的な死とがどんぶり勘定でなされるような話を聴かされるのは不愉快なのです。
 自己を信じ、神を信じるような蒙昧主義者であれば、それこそ「勝手に死ねば」としか言いようがないのです。ちなみに上記二十余名のなかにそのような方は入れていないのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月25日 19:43 | 固定ページリンク




一考 | ジュマンフーヴィスム

 ふたたび友が死して

 愛したひとから託されたひとこと、逝ったひとから告げられたことばは重い。でも、そのことばがもたらす波紋は惨い。こころ優しいひとにとって無慈悲なことばは時として死を招く。それは死人の邪気なのか、はたまた深慮遠謀なのか。
 他者が身をひそめ対話が喪われ死者が一人歩きをはじめる。ことばが秘められそのなかに悪意が充填される。込められたもののなんたるかを当事者たちはだれも気づかない。気づきさえしなければ罪に問われることはない。
 ひとは死者のために涙する、ひとは生者を顧みない。その尊大さは誰のためのものなのか。死者のためではなく、生者のためではなく、それは当事者のみが浸る慢心と傲慢。あのひとのためならとの美詞に隠されたゆがんだ欲望。
 死者の名において鉄の雨が降り、惨劇が繰り返される。おびただしい生贄の最初のひとりに選ばれるのはあなたなのか私なのか。私の近親者ならなにもいうまい、私自身ならさらになにもいうまい。自己犠牲も自欺の一種なのか。
 濡れた壁の向こう側に射止められたあなたは明らめて見るのをやめた、なんの道義もないのに。いつわりのたばかりの凍てついた笑いのなかで、あなたはなにを見失おうとしたのか。託されたのはあなたでなく、告げられたのは決してあなたではなかった。
 波紋がひろがらないように努めるのが生きとし生けるものの習い、ことばや知恵は諍いを鎮めるためのものでなかったか。遺された一口のことばを生者のために置換する、内なる機構の外の世界への置換、それをなおざりにすれば死者の名誉は毀損する。

 死者が粧られて展示される人権博物館。入館許可書の片隅に小さく空押しされたひとこと、糞食らえ。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月25日 20:06 | 固定ページリンク




一考 | 病膏肓

 内山さんへ
 よくあることでございます。私も新宿へ行きますと言いながらすっぽかすのは常套。ひとは生き物、「魔法の水の魔力」が平気なときもあれば、たわいなく術策に嵌められるときもございます。前後不覚に陥るのは決して不実などではなく、それは病膏肓に入ると申します。
 お気に召した折に、いつでもいらしてください。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月25日 20:08 | 固定ページリンク




一考 | 季村敏夫さん受賞

 今年の山本健吉文学賞の詩の部門が季村敏夫さん。評論の部門が加藤郁乎さんと宗田安正に決まった。お三方共にですぺらのお客さんである。季村さんは神戸在の詩人で、神戸時代からの古いお付き合い、間村さんと共に「たまや」を主宰する同人のひとりでもある。宗田さんは俳人で元立風書房の編集長、二十代半ばからのお付き合いで、ずいぶんといろんな本を造ってきた。
 いろいろと物議をかもす文学賞であり、裏に控える角川春樹さんそのひとが、俳句部門の受賞者である。だが、事情がどうであろうとも、評論の二人の選者のひとりは私が信頼する飯島耕一さんである。よって今回ですぺらのお客さんから三名もの受賞者が出たのは嬉しい。授賞式は山の上ホテルで七月二十二日。金曜日だが、おそらく当店は貸し切りになる。その頃は私もいささか元気になっているに違いない。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月25日 21:20 | 固定ページリンク




一考 | 三回忌

 ですぺら三周年の前日、2003年04月26日夜10時半に佐々木絢子さんが自死なさって二年、今日は三回忌です。今宵も時を忘れて献杯。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月26日 23:22 | 固定ページリンク




ようこそ後輩 | 教えてください

「課外授業ようこそ先輩」の佐々木幹郎氏の放送の再放送がもうなくなってしまい、もう一度見たくても見られない状態で困っています。 番組の内容で、「一歳のときの思い出を詩にしよう」という宿題に対して、子供達が作ってきた詩を見て「こんなんじゃだめだ。私の作った詩を読むぞ。」とか言って佐々木幹郎さんが読んだ詩はどんな詩だったのか覚えている方いらっしゃいますか。 私も放送を見て良い詩だなと思ったのですが、いざ思い出したくても忘れてしまいました。 もし知っている方いましたら、一節でもかまいませんので教えていただけたらと思います。 また、詩の題名、その詩が載っている書籍名などもわかる方いましたら教えていただけたらと思います。



投稿者: ようこそ後輩    日時: 2005年04月27日 21:12 | 固定ページリンク




一考 | 泥酔

 昨夜は朝の5時32分まで赤坂でちょっとブルーな苦い酒を呑みました。献杯にお付き合い下さった方に感謝。
 佐々木幹郎さんと相澤啓三さんの詩集をお買いあげ下さった光文社の駒井さん、ありがとうございました。黒田和美さんの歌集「六月挽歌」は間村さんの方から送られるそうです。

 六月のアート・フィルムずたずたに裁断されしままラッシュ・バックせよ

 黒田さんとはついこのあいだお会いしたばかりなのですが、生きることの切なさを痛感させられた歌集です。もっか、彼女の世界へ深くのめり込んでおります。

 お名前は書きませんが、今日、絢子さんの追悼でいらした方に感謝。「ごめんなさいね、なにもできなくて」私からはそのひとことのみ。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月28日 00:09 | 固定ページリンク




一考 | ゴッサマー

 櫻井さんにOSXをインストールしていただいたのだが、SCSIをまったく認識しない。SCSIが内蔵されていない機種でインストールするとSCSI関連の機能拡張が入らないとすると、これはコマッタちゃんである。
 拙宅の周辺機器はすべてSCSI、一日かけてOS10.1.5をインストールするはめに陥った。PCカードを外し、CPU、ROMすらも最初のバージョンに差し替えなければならない。そして格闘中に妙なことに気づいた。ATA接続なら8GBの制約があるのだが、SCSI接続なら容量が解放される。20GBへインストールし、ATAに接続し直したところ、問題なく機能する。
 ハードディスクはOSXで初期化してマックのドライバを入れる必要があるのだが、そのままだとファイルが開かれたままになる。再度OS9で初期化しなければならない。どう考えてもゴッサマーは難儀なマックである。
 この三日間、拙宅のパソコンは不通である。明日中にソフトをインストールしようと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月28日 01:48 | 固定ページリンク




まきまき | 佐々木幹郎氏の朗読された詩について


番組の中で、佐々木幹郎さんが朗読された詩は下記のものでした。
(録画をいたしましたので)
ただ、どの詩集に収められているのかは、わかりません。
お役に立てれば良いのですが。

夢から醒めたとき
既に流されていたのだ
うぶすなの上に

母親は両手を伸ばして
一本の木につかまり
笑っていた

アマ 
アンマア

アマという名の海
アマという名の空

アンマア

海と空の交わる白砂の上で
私は叫んだ
海と空をてらす 母のことを

アンマア



投稿者: まきまき    日時: 2005年04月28日 21:49 | 固定ページリンク




一考 | 鴨鍋

 今頃書いても間に合わないのですが、本日の鍋は鴨鍋です。
 拙宅のパソコンがまだ不通のため、連絡が遅くなりました。申し訳ございません。



投稿者: 一考    日時: 2005年04月30日 19:02 | 固定ページリンク




如月 | 日本18世紀学会全国大会

私も参加している日本18世紀学会第27回全国大会(6月11日・12日)のプログラムが明らかになりましたので、ご案内させて頂きます。

全体の概要は、11日自由論題報告5題、12日自由論題報告1題、共通論題報告&討論で、共通論題は「近代都市の胎動」。ちなみに、11日は私も報告させて頂く予定です。

プログラムの詳細は次のとおりです。
【6月11日<土>】
①「18世紀の舞踏資料が語る、宮廷舞踏会の絶対主義的様態」(赤塚健太郎氏)
②「思考において他者の立場をとるーー名誉欲をめぐる初期カント美学の分析」(木村覚氏)
③「筑前唐泊孫太郎ボルネオ漂流記」(岩尾龍太郎氏)
④「マブリの初期政治思想におけるノミナリスムとレアリスムの相剋」(如月)
⑤「デュ・シャトレ夫人と『プリンキピア』をめぐる謎:ジェンダーはいかにしてテクスト解釈に忍び込むのか」(川島慶子氏)
⑥コンサート:ヴァイス「リュート組曲」、バッハ「リュート組曲」(佐藤亜紀子)
【6月12日<日>】
①「ベルナルド・ベロットの景観画再考ーー点景人物の問題を中心に」(金沢文緒氏)
ーー共通論題「近代都市の胎動」(コーディネーターおよび総合司会・佐々木健一氏)ーー
②「マンチェスタ:近世から近代へ」(近藤和彦氏)
③「ルーマニアの古都スチャーヴァ」(三宅理一氏)
④「殖民都市バダフィアの盛衰」(野村 亨氏)
⑤「ヴェルサイユ・北京・江戸」(渡辺浩氏)
⑥討論

メイン会場は日本大学文理学部 百周年会館・国際会議場
私の報告はともかく、非常に多角的な視点からの報告が予定されており、おもしろい大会となるのではないでしょうか。非会員も聴講可能と思いますので(昨年、私は非会員でしたが聴講させていただきました)、聴講希望等、くわしいことは直接日本18世紀学会http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsecs/index.htmlにお問い合わせください。
なお、如月報告は6月11日14:40~15:30が予定されており、逸見龍生さん(新潟大学)が司会してくださる予定です。



投稿者: 如月    日時: 2005年05月01日 11:44 | 固定ページリンク




佐々木幹郎 | 『砂から』


「ようこそ後輩」さま、「まきまき」さま。
「課外授業」の番組で朗読した詩の題名は「木」。
詩集『砂から』(書肆山田、2002)に収録されています。



投稿者: 佐々木幹郎    日時: 2005年05月04日 12:40 | 固定ページリンク




佐々木幹郎 | 


詩篇「木」の全文を転記しておきます。

夢から醒めたとき
すでに流されていたのだ
うぶすなの上に
母親は両手を伸ばして
一本の木につかまり
笑っていた
夢から醒めたとき
神の名も呼ばずに
口を開けていたのだ
東の海の大きな桑の木の繁る島で
銅の顔をした九羽の烏たちが
木の枝からわたしを見ていた
アマ アンマア
アマという名の海 アマという名の空
アンマア
海と空のまじわる白砂の上で
わたしは叫んだ
海と空を照らす 母のことを
アンマア
蚕のような目をして
二千年
見えない絹の糸を吐き出しながら
                (詩集『砂から』書肆山田、2002)



投稿者: 佐々木幹郎    日時: 2005年05月05日 11:21 | 固定ページリンク




一考 | ゴッサマー2

 G3のゴッサマーはIBMが開発したパソコンである。従ってウインドウズ同様、8.4GBの制限が設けられている。120GBであっても認識するのだが、システムのインストール時のみ制限がかかるのである。
 そのシステム用に5台の小容量のハードディスクを用意していた。5台共にインストールまでは成功するのだが、2~3回再起動を繰り返すとフリーズを起こす。ノートンによると、
 マスターディレクトリブロックで重度のエラー
 ボリュームヘッダーブロックで重度のエラー  
 アロケーションファイルで重度のエラー
 ラッパーのカタログBツリーのリーフノードで重度のエラー
 ラッパーのカタログBツリーのインデックスレコードで重度のエラー
となる。B'sCrewでイニシャライズからフォーマッタまで試みても結果は同じ。フォーマッタの後はノートンでは不良セクタなしになるのだが、ファイルをコピーするとファイルのリソースが壊れてしまう。
 拙宅のパソコンは4月26日から不通のままである。8.4GBのハードディスクを買えば解決するのだが、気が乗らない。5台のハードディスクがすべて損壊するとは、今年もつきに見離されたようである。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月06日 18:56 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 出張パソコン修理屋です


出張パソコンサポート屋の管理人です。
5台のハードディスクはファイルシステムは壊れていますが、物理的に損傷しているのではないと
推測します。また使える可能性大。
PowerMac G3 DT/MTのハードディスク交換/増設時にはいろいろ障害が発生するようです。
ひとつのATAバスにマスター/スレーヴで2台のディスクを繋ぐことは推奨されていないようです。
(ATA66の場合)。
Gossamerには8.4GBの制限があるので、細かくパーティションを切ってだましだまし使うしかないとおもいます
(これでもディスククラッシュが報告されています)。

OS 9専用マシンにしたほうが安定するんですけどね。

情報源

http://platinum-mac.com/_old/topics/gossamer/gossamer_t.html

http://www.geocities.jp/nekono_ko/more.html

http://www.geocities.jp/a094497502/mac.html

http://www.ann.hi-ho.ne.jp/kamiru/library/1999/990520_ibmhdd.html



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2005年05月07日 14:38 | 固定ページリンク




一考 | 点・点・点

 拠ない事情によって、この連休はどこへも行かれなかった。せめてひとりで西伊豆へキャンプに行こうと思い立ち、二年ほど乗っていない小型のバイクを引っ張り出した。始動に成功したので一万円をはたいてバッテリーを購入したものの、まったく走らない。予測通り、キャブが詰っている。ひょっとすればチャンパーも詰っているかも。修理する気にもならず、ふて寝の繰り返し、この五十八年間で最悪の大型連休と覚悟した。
 四日夕、宇野さんから電話、東十条から新宿へと飲み流れた。なべさんではマクレランズが用意されていた。宇野さん、會利さん、菜穂ちゃんと呑むアイラモルトは美味い。連休が最悪から救われた一夜、感謝を込めて八つ当たり気味に宇野さんに喰ってかかる。
 ジュマンフーヴィスムへの信仰告白を過日書いたが、人生にとりとめなんぞあってたまるかと思っている。それでなくても、わが範は辻潤にある。私は野村隈伴について、菜穂ちゃんは和田久太郎について語りはじめる。ゴールデン街の夜はアナーキーでなければならない。
 ますます息苦しく、生きにくくするのが生来の性癖のようなものである。世間をどこまで狭めて生きて行けるのか、馬鹿な実験を常に現場に持ち込んでいる。来年の連休までキャンプは控えようかとも思っている。
 世間を狭めるとは自らを狭めることに他ならない。例えば食事に関して気に入らないことがあって、私は一日一食のり弁当を三年間つづけた。のり弁当が好きなのではなく、なにを食するかを考えるのが嫌なのである。要するに煩わされるのが真平御免なのである。
 會利さんが宇野さんを指して「点・点・点のひと」と云うが、言い得て妙、すぐれた疑問詞だと思う。それにあやかるなら私も「点・点・点」に浸りたいのである。自己であろうが他者であろうが、統一的理解とか統一的解釈とか云う実証の類いに嘔吐が出る。第一に、自己と他者とのあいだのどこに垣根があると云うのか。他者の言動によって自らが搖れ、己の言動によってひとは迷う、存在はその大略が暫定的なものである。書物という名の大きな謎、そして聳える他者。書物という名の他者は同化と解体の繰り返しを私に命じた。
 答えはどこにもない、だからこそひとは彷徨う。そして徘徊のひとつに物思いがある。振動や振幅への欲求は私の身体に深く刻まれている。物思いに浸るのに相応しく思うのが海辺である。だから私は海辺のキャンプ場を好む。物思いが、妄想であろうが気晴らしであろうが気分転換であろうが委細かまわない。要は情念のいささかの解放であるはずなのだから。それ故、キャンプ場の周辺に温泉があろうがなかろうが、バーベキューの具材が肉であろうが海産物であろうが、そのような添え物に私は興味がない。例えモヤシだけであっても結構、私は「点・点・点」を求めて西へ東へ遁走するのである。
 年に一度の機会に活用できないようでは道具でない。単なるコレクションに興味は抱かれない。キャンプ道具はこのまま封印するか売り払うのが賢明かと思う。キャンプであろうが食い物であろうが女であろうが友であろうが、それを求めて煩わされるのであれば、なにもいらない、なにもしない。その覚悟がなくて世間を狭めるのは世迷いごとにしかならない。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月07日 18:44 | 固定ページリンク




一考 | 無事インストール

 櫻井清彦さんへ
 ご教示に感謝。さっそくATAケーブルを取り換えました。3台のうち2台(FujitsuとQuantum)は蘇り、OS 9.2.2で無事に起動しました。1台(Quantum)はどうやら物理的損傷のようです。あとの2台(SamsungとWD caviar)は明日にでもインストールを試みます。
 やはり安物のスマートケーブルを用いたのがわざわいのもと、ATA66規格のフラットケーブルに取り換える必要に迫られました。
 確かに推奨はされていませんが、ROMはRev. AからRev. Cへ差し替えています。システムプロフィール上で、ROM Revisionが「$77D.45F2」と表示される分です。従ってマスター/スレーヴは問題ないと思うのですが。それとG3 DTはATA33の半分のスピードだったと思います。ただ、速度の異なるデバイスを同じバスに接続している点は気になっています。

 ご指摘のようにOS 9専用マシンにしたほうが安定しますね。仕事で使うのですから、OS Xは潔く諦めるべきなのでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月07日 19:50 | 固定ページリンク




一考 | 無事終了

 櫻井さんへ
 あとの2台(SamsungとWD caviar)のうち1台は損壊、それとは別に家と店のあいだを持ち歩いていた2台の2.5インチ(Fujitsu)もあえなくご臨終。ハードディスクはよく壊れるものですね。でも、これでシステムのスペアができたので一安心です。本日の夕刻、片肺飛行から解放されました。
 明日、CPU、ジャンパピン、ROM、メモリ、PCカードを差し替えればお仕舞い、長いトラブルでした。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月09日 23:03 | 固定ページリンク




一考 | 蘭越のアイスクリーム

 沖山さんへ
 今回は福井の合宿へ行かなかったので、函館からの海の幸は無事に入手、ありがとうございました。一部は薫子さんの知らない食べ方、ウニは焼いて、ホッキガイは吸い物で馳走になりました。埼玉で活けウニが食べられるとは驚きでした。「ただし道東産」と書かれてましたが、それは仕方がありません。積丹のウニが食べられるのは7月1日からの1カ月間だけです。
 それにしても、7日間にて70湯とは頑張りましたね、と云うよりは気違い沙汰です。稚内-日高ラインより東の方が見るべきところ入るべきところは多くなります。夏以降の連休にはタウシュベツめがね橋で有名な糠平湖をコースに入れてください。洞窟温泉は必見、URLを入れておきます。もっとも夏場はめがね橋は水面下に隠れてしまいますが。

 http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/SANKOSOU.htm

 今回は「北海道一美味いアイスクリーム」のあと、ニセコから岩内へ下りられたと思いますが、なべさんの菜穂ちゃんは岩内のひと。この連休のあいだ、お姉さんと共に五色、薬師、昆布、湯本、雷電、いわない、朝日、新見、盃、神恵内などの温泉のはなしを肴に酒を呑みました。その頃、貴方はいずれかの温泉に浸かっていたわけです。チセヌプリから岩内へ駆け下りるニセカンバの林はいかがでした、私が好きなロケーションのひとつです。貴方がおっしゃる「でっかいどう」、私のスタートは積丹半島からはじまったのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月09日 23:06 | 固定ページリンク




沖山 | 湯あたりツアー

一孝様。
こちらこそ処女地北海道への幾多の実感秘蔵情報、ご教授ありがとうございました。積丹の雲丹/東北海道は次回・海の日連休(予)以降の課題と思っております。
 今回、旅行というよりは温泉修行といった趣の旅でございました。世には3,000湯・4,000湯と湯渡り人生を重ねる方もおり、私も温泉マニア界では末席程度ですが。ちなみに菜穂さん(ご面識はありませんが)の挙げられた温泉10湯のうち雪で通行止の新見以外の9湯に浸かりました。しかもどれも疲れたはしご湯客にとっても印象深い・渋い湯ばかり。数例挙げて、現地メモをご紹介いたしますと…

○雷電温泉/石膏泉。1,650mg/kg,PH不明(たぶん中性),温度53.3℃。つぶれたかとおぼしき旧式ホテルにある隠された秘湯。大海原を眺める浴場にはやわらかな石膏泉。舌にも石膏泉の独特の感触・清涼さを感じる。福島・甲子温泉と完全に同系統。ぬるめの湯にいつまでも入っていたくなる。すばらしい!(8.5+/10)

○朝日温泉/硫黄・石膏泉(たぶんね)。成分表ナシ。4WDとはいえ、リッターカーで雪の残る険しい山道をはるばる越えていったら、ほぼ廃業状態の宿!失意の私に、道路工事中の地元おじさんが教えてくれた「露天」。雪の上を素足で歩き、こわれそうな橋を渡り、ようやく川沿いに残る”なんとか入れる浴槽に到達・そこが湯口。強い硫黄臭。沈殿物は硫黄(白緑)と朽ちかけの木の葉。浮く葉をかきわけ入ったこの経験はインパクト強すぎ。湯もいいよ、これ。(9+α/10)

○ニセコ薬師温泉/含炭酸弱食塩泉。PH5.9/成分2159mg/kg。足元湧出のすばらしい温泉。濁り湯と透明湯あり。どちらも足元源泉。大塩温泉と同系統のサイダー的泡立ちと浴感。ぬるま湯の絶妙さとあいまって、おもわず意識が遠くなる。長湯を楽しみながら、体もぽかぽか。まったくすばらしい(9/10)

 こう考えると温泉の楽しみはモルトの楽しみとも似て、キリのない多様性と見果てぬ未知の湯(体験)への憧憬こそが、湯(盃)を重ねる原動力となります。とはいえ、ほとんどが一期一会。再訪したくなるほど惚れる湯は少なく、だからこそ、そのような肝胆相照らす湯(?)に逢えたときの悦びは格別です。あと数回訪れなければ北海道とその湯の地平線は見えてこないように思っています。



投稿者: 沖山    日時: 2005年05月10日 19:02 | 固定ページリンク




一考 | ホテル地の果

 沖山さんへ
 文中「積丹の雲丹」とございますので一言。余市から積丹半島の北側を西進するとして、古平を抜け、美国の町へ入る手前左側に美国小泊野営場があります。そのキャンプ場には食堂が併設され、ウニ丼や海産物のバーベキューが売り、地元のひとしか行かないのですが、2000円のウニ丼は美味。美国小泊野営場を通り越して300メートルで美国川、川を渡ったすぐ右側に魚屋があるのですが、積丹の生ウニを買うならここが一番。
 さらに進み、積丹岬と神威岬のあいだにある武威岬のすぐ横の来岸へ行ってください。目的は来岸港の前にあるなぎさ食堂です。ライダー御用達の食堂で、メニューはウニ丼のみ、普通盛が2000円、大盛が3000円、飯の量は同じでウニの量が異なります。半端な量ではありません、きっと驚きますよ。飯の温かさであっという間にウニは溶けて行きます。なりふり構わずがっついてください。当然、生ウニですから営業は6月下旬から8月上旬まで、他は閉店しています。ちなみに、美国小泊野営場のウニ丼も同じ季節だけの限定メニューです。
 さらに進むと、貴方が今回行かれた神威岬の根元、神崎の食堂みさきが右側に現れます。次回はそれを通り過ぎてください。

 一気に東の端へ飛びます。知床横断道路から知床五湖へ入っていくと、途中で右へ下る細い道があります。ホテル地の果と書かれた小さな看板が出ています。下りたところがイワウベツ川、道のどんつきが岩尾別温泉。URLは以下のごとし。

 http://www6.ocn.ne.jp/~iwaobetu/

 ホテルの前に三段の湯と滝見の湯があります。共に無料で混浴。羅臼の熊の湯と共に、どうあっても行っていただきたい温泉です。

 http://www.aurens.or.jp/hp/theRAUSU/h33.html
 http://www.aurens.or.jp/hp/theRAUSU/kumanoyu.html

 熊の湯は現在、存亡の危機を迎えています。上記URLもご覧ください。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月11日 01:07 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 白鳥友彦さんが雑誌を作られました。その名も「L'EVOCATION」(Eの上にアクサン-テギュ)。15日に完成とか。発行元は森開社、白鳥友彦さん、白鳥環さんが詩(創作)を、土谷裕之さんがプチロマン派の作家の短編翻訳、小野夕馥さんが訳詩を寄せられています。定価600円。ですぺらに常備いたします。
 また、5月19日(木)、午後7時より10時まで、ですぺらにて創刊を祝う会を催されます。どなた様でも参加歓迎です。会費は4000円。メール、電話にてお知らせ願えれば幸甚です。



投稿者: 薫子    日時: 2005年05月11日 04:38 | 固定ページリンク




一考 | 小さな旅

 21・22日の両日、小さな旅へ出かける。目的は海辺で酔いつぶれること。目的が目的だけに、誰と出かけるか、すこし迷った。相方を決めようと思って昨日、相談方々無沙汰見舞を兼ねて新宿へおもむいた。私が酔いつぶれても、料理や後かたづけをとどこおりなく進行させてくださるひと、勝手を許し、かつ無益なおしゃべりに興じてくださるひと、となれば同業者しかいない。いつもの仲間が店を閉めていきたいと、ひとことではなしはまとまった。沖山さんの湯あたりツアーの影響か、今回は西伊豆に決まった。
 駿河湾と相模湾では魚の味が違う、磯魚を食べるなら駿河湾に限ると、種村さんからよく聞かされた。熱海から熱函道路を抜けると沼津、そこには魚市場とひもの市場があり、今回は魚市場に寄ろうと思う、あとはキャンプ場を探しながら17号線を下るだけ。
 21日の土曜日、私は不在だが、ですぺらの営業は薫子さんが受け持つ。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月18日 00:48 | 固定ページリンク




一考 | ギヨタ来日

フランスの作家ピエール・ギヨタ(「500万人の兵士の墓」「エデン エデン エデン」など)が来日し、鵜飼哲さん、宇野邦一さんを交えてシンポジウムを催します。
日時 5月25日(水)午後6時 
場所 青山学院大学(青山キャンパス)正門すぐ横 総研ビル12階 大会議室
参加無料 通訳あり

興味ある方はぜひご参加ください。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月18日 22:53 | 固定ページリンク




一考 | 「夢と真実」について

 小野塚力さんから「〈視〉への執着」と題する富ノ澤麟太郎論が送られてきた。四十四枚の労作であり、彼によれば二年のあいだ書き継いできたという。
 着想が結構、論点も整理されていて起承転結がきわやかに著されている。ただし、富ノ澤麟太郎に対する中井繁一の交誼を結句に持ってきたところにいささかの難点がある。これでは文学ではなく、書誌学的趣が強くなってしまう。
 ひとには死が宿命づけられている。従って、人生は一種のカウントダウン、それがメトロノームであれ振り子であれ時計のセコンドであれ、それらが刻む音を翻訳する、その自傷行為のみが文学ではなかったか。
 「彼は恍惚として、セコンドの刻み、靴音、ノツク、雫、月光の波、星の閃き、見えないものの足どりに聞き耽つた」富ノ澤のなかで高まる〈死〉への予感を力さんは全身で受け止めようとする。だからこそ、結句を伏線へ持ってゆき、富ノ澤の文学そのもの、あえぎをうめきを呻吟を主題にしていただきたい。もう半年間、富ノ澤のために時間を費やしていただきたい。間違いなく力さんの搏動に色彩られた傑作が誕生する。
 最近では文芸書すらが立派な実用書に化けたという。文芸書は知識を振り回し、薀蓄を傾け合うための道具に過ぎない。書物から得た知識がひととの回路の接続端子になり、知識は永久に知識の世界に封じ込められる。クイズ番組の達人のようなひとが跳梁跋扈し、考える能力は打ち捨てられて久しい。かような浅薄な時代にあって、力さんのエッセイは清しい。これから立場は顛倒する。力さんの語る文学とはなにか、それを私が学ばねばならない。なにはともあれ、新たな友を得たことを喜びたい。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月21日 00:36 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございます。

>一考さま
掲示板ではご無沙汰しております。
拙い文章ですが、なにか一考さんを動かすものがあったのかと
思うと素直にうれしいです。

書き直しは地道にやります。

ありがとうございました。

とりいそぎ、お礼まで。



投稿者: りき    日時: 2005年05月21日 08:59 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらの営業

 21日の土曜日は忙しかったようで、感謝しております。

 西伊豆で同業の仲間たちと話し合い、今後のですぺらの営業方針を一部変更します。
 6月1日以降、6時から12時までは今までどおり薫子さんが店を続けます、謂わば第一部。そして第二部は12時から朝の5時までを一考が営業します。第二部は店指定の酒(ワイン、ブレンド・ウィスキー、ビール、焼酎など)を飲み放題、税込み2500円にします。私たちの通勤を電車にする方策の一ですので、その間の時間制限は設けません。ただし、混み入った時にはご協力をお願いします。
 モルト・ウィスキーは半分以下の300種類まで暫時減らしていきます。5年も同じことを繰り返してきますといささか飽きてきます。飽きは疲れに直結します。そろそろ次の展開を考えなければならないのです。最終的には赤坂を退去し、新宿へ引っ越そうかと思っています。酒の種類を減らすのはそのための準備です。
 思うに、文学がキャラの店は5坪が限界、またモルト・ウィスキーのお客様と文学関係のお客様とがバッティングするのも事実です。二部構成にするのはそのための緊急避難的な対策です。
 第一部はもうひとり、女性に手伝っていただこうと思っています。第二部は私が前面に出ます、酒も飲みます、毒舌も吐きます。とは申せ、同じメンバーですから杓子定規なことはなし、深夜以降モルト・ウィスキーを飲まれたい方はおっしゃっていただければ別会計に致します。
 以上、勝手な変更で申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月23日 19:45 | 固定ページリンク




りき | 恐縮ではありますが、質問があります。

こんばんは。
ですぺらの営業方針変更の件で質問があります。

おつまみおよび軽食のメニューには、第一部と第二部とでは
どのような変更があるのでしょうか?

詳細が判明している範囲でご教授いただけると幸いです。

追伸
私、ですぺらのお好み焼きが大好物です。



投稿者: りき    日時: 2005年05月23日 21:10 | 固定ページリンク




薫子 | 考え中

りきさま
 当分、独りでやることになるので、フードのメニューは絞らざるを得ません。ただいま検討中です。お好み焼きの作り方、伝授いたしますよ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年05月26日 09:30 | 固定ページリンク




一考 | 出版再開

 りきさんへ
 急にはなにも変わりません。赤坂の店はそのままにして、将来、私だけが新宿の五坪の店へ引っ越すことになります。それまでの過度的措置と考えてください。女性に手伝っていただくとしても、現況では時給は千円しかお支払いできませんし、見込みも目当てもなにもないのです。搾取するつもりはなく、売り上げが増えればいくらでもお支払いできるのですが。
 それと、南柯書局の再開一冊目の限定本を来年には造らないといけません。そのためにはこの夏から制作に入らねばなりません。また念願の同人誌「塵芥」も年末の発刊をめざしています。そうしたことを手伝ってくださる方がかつては複数いらしたのですが、今は誰もいないのです。ひとりで処理しないといけないので、店の仕事は深夜に回したいのです。
 それやこれやで、取り敢えず営業時間が長くなるだけで、年内は内実は変わりません。一部二部通して私は店にいると思います。ただ、出歩くのが増えると思いますので、いらっしゃる時は連絡をくださいな。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月26日 20:05 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございます

>一考さん、薫子さん
丁寧なご回答をありがとうございます。
あまり頻繁にはうかがえませんが、お店にいくときには
事前に連絡をしますね。



投稿者: りき    日時: 2005年05月26日 21:41 | 固定ページリンク




一考 | 売春という黒い穴

 このところ、松岡さんの歌集「青空」の出版記念会とピエール・ギヨタのシンポジウムが続きました。出版記念会のあとは佐々木幹郎さんと酒を酌み交わし、高橋睦郎さんの初期三冊の詩が英訳され、欧米の同性愛者のあいだで熱狂的な支持を得てると聴かされ、うれしく思いました。
 先月、ドウォーキンが亡くなりました。男性と女性の関係はすべて性関係であり、その性関係はすべて性差別である、との信念に則って、彼女の「強姦一元論」(すべての性行為は強姦である)は展開されました。吉澤夏子さんはドウォーキンの信念を「極端にいえば、誰かを女だと見なした瞬間、それはすでに相手に合意のない性関係を強いていることになり、それこそが性差別だ」と著し、「ドウォーキンを読むことの醍醐味は、この鮮やかな世界観の反転を体験・感受するということのうちにある」と結論する。ドウォーキンが引き継いだ「性と政治」の論理はSMの世界や同性愛の世界にもそのまま通じます。彼等、彼女たちはマイノリティであるが故に、日々、否応もなくポリティカルな場に裸で抛り出されているのです。
 イギリスで客死したシモーヌ・ヴェーユはホメロスの叙事詩を「敵に対する侮蔑の不在」と論じた、否、論じざるを得なかった。それほどまでに、第1次世界大戦以降の争いは汚濁に満ちたものになりました。ジュネやギヨタが、人身売買、売春、奴隷といった戦争と性の関係を執拗に書き綴ったのも、「性と政治」の問題、売春という黒い穴をいまいちど穿ち直そうとしたのでなかったかと思うのです。
 家庭と娼窟と戦場では強姦と奴隷性が合法的に演じられ行使されます。その偽善と暴力を問い、個人のなかに潜む政治性を告発しつづけるギヨタの文学は人間性に対する根元的な侵犯行為そのものではなかったかと思います。人間の身体は人間の欲望によって使用されます。謂わば人間の身体は生きた貨幣のようなものなのです。それを諾わなければ、性愛の可能性について思惟することはできないのです。
 美しい言語を巧みに操るところに文学があるのではなく、「文学とのかかわり方を根底から検証しなおすことを余儀なくさせる」もしくは「50万人の兵士の墓」を読んだあとではもはや同じ人間ではありえない等々、今回のシンポジウムはいろんな刺戟をもたらしました。機会を与えてくださった鵜飼さん、宇野さん、そしてギヨタ氏に感謝。

 当掲示板で「50万人」を「500万人」と誤記したらしく、見てきたような嘘を書くのが文学ならいっそ「5000万人」の方がよかったのでは、それでは全国民になります、いや滅びた方がよかったのではと、大笑いになりました。もっともギヨタの文学とは関係なく、さような瑣末なことをあげつらうような貧乏性のひとはいまいと思います。
 ギヨタの文学はマルクスの量と質の弁証法とベンヤミンの「単なる性」を大向こうから文学に持ち込んだのですが、ルリイのサドに関するエッセイから大きな影響を受けたと聴きました。ドゥルーズがマゾッホの影響下にあるのと併せて、ますます興味を抱きました。ドウォーキンが「強姦一元論」で定義づけた絶望の果てにやってくる価値観や世界観の顛倒に一縷の望みを託したように、「50万人の兵士の墓」の第七章はあまりにも美しい。第七章に顕れた動物の概念をこれから読み解かなければならないのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月27日 19:43 | 固定ページリンク




一考 | 予行演習

 ですぺらの旧営業方針は昨日で終了しました、どうもありがとうございました。りきさんのせいなのでしょうか、この一週間はお好み焼きのオンパレード、最後の三日はオムライス、オムそば、カツサンドがよく出ました。今日からそれらはメニューから消えます。薫子さんは明日は肉じゃがを作ると張り切っております、家庭の味の押し売りに方向転換するようです。
 私は今日から十一時過ぎに店に出ます。来年秋に出店する新宿店の予行演習です。新宿での営業時間はさらにずれ込みますが、赤坂は取敢えず朝の五時まで、どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月01日 15:36 | 固定ページリンク




一考 | 恋愛と読書

 「自分探し」とか「アイデンティティ」といった種類の言葉を聞かされるたびに思うのだが、それを発したひとは自分が日本人であることをどう理解しているのだろうか。私はこの日本という「辺地にある粟粒を散らしたように小さな国」に生れ、日本語を解し、日本語でものを考え、宛てがい扶持の生活様式にどっぷり浸っている。
 「この島国の子供騙しの迷信と、底の見え透いた偽善の中に握りつぶされたような長い一生を送るよりは、寧ろ露西亜のような露骨な圧制国に生れて、一思いに警吏に叩き殺される方が増しだ」とアナーキーなことを著したのは啄木だが、北海道ウタリ協会がとりまとめた陳述書の主旨から大きく変節したアイヌ文化法ができて北海道旧土人保護法が廃止されたのは1997年、「日本は単一民族国家」との迷信のただ中にいまなお私たちは生きている。
 そして私の生活の骨格をなす母国の文化が好きかと問われれば、大いなる疑問を抱く、疑問どころか、はっきりいって鼻持ちならないのである。私にとって目の前にごろんと転がるアイデンティティはそこから遁走すべき性質のものなのであって、決して索し求めるものではない。この「アイデンティティ」を「意識」に置き換えても要諦は同じである。

 精神は運動であり、運動はエネルギーである。だからこそ、精神は常に揺れ動いていなければならない。その搖れや振れを求めて、ひとはさまざまな変化や差異に身を委ねる。言い換えれば、自らの連続性、統一性、不変性、独自性に抗して思索の領域に深く沈潜するのである。もっとも、アイデンティティといっても千差万別である。一部の人格障害、意識障害の治療に人格における同一性の再認が有効な時もある。ただし、千差万別とはいっても、一般論を展開する気はさらさらない。第一に私の意見は常にエトセトラ、初手から一般論にはなりえないのである。知識を振りかざせば骨太になり、肉厚も増す。しかし、そのような塩梅になんら興味はない。どちらかといえば、神経症のひと、譫妄のような意識変容のひと、謂わば置換不能ないびつなものこそが私の偏愛の対象になる。なにかを是正しようとか、訂そうとか、癒そうとか、救おうとかいったよこしまな考えを私は持たない。あるがまま、置換不能な個のなかでの振れ、蠢きのようなものにいたく惹かれるのである。
 私は恋愛は妄想のようなものと思っている。従って、妄想ごっこができるひとが恋人なのである。いっそ、妄想が恋人といった方が早いのかもしれないが、やはり妄想の震源地が必要になってくる。現実の性交渉も書きあらわせば抽象性を帯びる。書くことによって性が即物的な性でなくなってしまうのである。自然界では独立した生活を営むが生殖能力をもたない動物、すなわち幼生が成体、あるいは次の段階の幼生へと変化する際に変態がおこる。同様に、SMの世界ではひとが人形に、オブジェに、いとも簡単に変身する。それを「さまざまな変化や差異」といってもよいのだが、要はメタモルフォーシスという自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させることにおいて、SMと文学は似た力を持っているといえようか。その力を空想と呼ぼうが妄想と呼ぼうが、それはひとの勝手である。

 日常であれ精神であれ、生活を意識できても、イマジネーションを意識するのは難儀である。なぜなら、イマジネーションの世界では意識されるものと意識されないものとの識閾が意味をなさなくなるからである。例えば一部の文学の世界では意識されるものと意識されないもの、さらには意識するものすらが一種の入れ子構造に陥る。ギヨタやジュネの文学がそうだし、私などは種村季弘さんから言われつづけた「躄になれよ」との言葉を思い出す。この場合の躄は生活への未練を断ち切れとの勧告であって、ものを書くとは躄になることとの注意を喚起させるための愛情の発露であったと解釈している。
 「一種の入れ子構造に陥る」と書いたが、それを個の喪失といえなくもない。意識するもの、意識されるもの、意識されないもの、それらの側面に個がい、またある側面には個がいない。要は実体と思しきものがどこにもないようであり、あるようでない。
 「書物を繙くとは読み解くことである」と先だって書いた。読み解くためには書き手の思索の淵に立ち入らねばならない。立ち入るためには自己解体の止むなきに到る。この解体は読書にあっては必定である、なぜなら、みずからの信念や好悪で判断すれば、それはどこまで掘り下げても誤読にしかならない。書き手と読み手が入れ子構造になることによって、はじめて読書は環を閉じる。この辺りの消息は恋愛と同じである。さらにいえば、入れ子のなかから思いもかけぬ、新しい人格が、意識が派生することもある。この同化と解体の繰り返し、謂わば個の喪失が読書だと私は思っている。それ故、みずからの信念や信条を託すための引用は著者に対する最大の冒涜ではないだろうか。掲示板では書かなかったが、佐々木幹郎さんが「木」の全文を転記してくださったことに私は感謝している。読書とはなにか、文学とはなにか、という大事を幹郎さんはからだで示唆したのである。小説であれ、詩歌であれ、作品を引用するなら著者の許可を得て全文引用すべきであろう。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月02日 03:48 | 固定ページリンク




薫子 | 本日は

 日替わりフードメニューとして、今日は一考風汁だく肉じゃがを予定しております。11時ごろまではひとりで営業ということになりますので、しばらくは不手際などあるやもしれませんが、ご容赦願います。でもうるさいオヤジがいないので、いい雰囲気、かも。いない人の噂話をするのが「ですぺら」の掟? 
 どうぞよろしくお願いします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月02日 15:22 | 固定ページリンク




薫子 | 試食を

 日曜日の午後、料理上手のM子さんから水餃子とキッシュ・ロレーヌの作り方を教わってきました。粉まみれになりながら、気分は餃子職人。いびつな皮にMちゃんが器用に餡を包んでくれました。店に持っていきますので、勇気ある方に試食をお願いいたします。合格点を頂ければメニューに加えたいと思っております。どうぞよろしく。
 二人で試食したところ、とってもおいしかったです。Mちゃん、どうもありがとう!



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月06日 01:04 | 固定ページリンク




一考 | ウミネコ

 知床に限らないが、船から与えるエビセンをねらってカモメやウミネコがあとを追う。カモメは鈍くさいので、海に取りこぼしたエビセンを拾って食べている。一方、ウミネコは指先のエビセンを見事な所作で啄ばんでいく。船客は嬌声をあげて喜び、それを見通して船着き場ではエビセンが大量に売られている。いつに変わらぬ見慣れた風景なのだが問題がある。カモメは雑食性だが、ウミネコは海面の魚等を主食にしているので「炭水化物」を消化できない。捕食しても吐き出すしかなく、食べ過ぎたウミネコは死ぬ。親からもらったヒナは吐き出せないので、大半が死んでしまう。
 繰り返すが、強風のなか、高くつきだされた指の先から餌をかすめとる至上の芸のあとに死が待っている。言い換えれば、得意の絶頂と死が手に手を取ってやってくるのである。他方、ウミネコが死ぬのを承知で餌を与えているとしたら、ひととは見上げた悪意の持ち主である。当然だが、ひとつの国の、ひとつの地域の生態系が狂おうが、種が滅びようが私の知ったことではない。それでなくとも、生あるものはすべて亡びるべしと思っている。

 今日、はやがけにY・Nさんがいらしたと薫子さんから聞く。深沢さんが亡くなられてから、お会いしたいと思っていたのに残念である。掲示板をお読みなので、書いておきたいのだが、久しぶりにゆっくり酒を酌み交わしたいと願っている。紋別、知床、根室、釧路、函館と、たとえどのようなお店であっても、あなたと一緒ならお店中がきらきら輝くのである。エビセンを飽食したウミネコが死ぬのであれば、ひとが悪意を捕食しすぎるとどうなるのか。ひょっとして、輝きのあとに死が約束されているとしたら、そんな恐怖の予感がにんまりと漂うようなY・Nさんではなかったか。このところ世の中への呪詛を肴に酒を飲む機会がめっきり減っってしまった。されば死ぬ前に一度だけ、ホテル地の果てへイバラ蟹の内子の生を食しに行こうと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月07日 01:34 | 固定ページリンク




薫子 | 今夜は

 M子ちゃんが遊びに来てくれる。でも、今日はW杯予選対北朝鮮戦。ですぺらにとってはマイナス要因。閑古鳥襲来の予感。心優しき紳士のご来店をお待ちします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月08日 18:20 | 固定ページリンク




一考 | コバルトブルー

 三年ほど前に積丹半島出岬町、島武意の海の色の青さについて当掲示板で書いた。その宝石のような色について深く書かなかったのにはわけがあった。じつはすぐ横の美国港からビヤノ岬を周遊するグラスボートが出てい、私はそれに乗船したのである。
 底の岩が真っ白に続き、海藻は何も無い、点在する黒い点はすべてキタムラサキウニ。石の表面が白くなっているのは無節サンゴモに被われているからであって、要は一面の磯焼け。目の当たりにした積丹の海は死の海だったのである。
 「磯焼け」とは通常は海藻類が生えている岩礁地帯からコンブなど有用海藻はもちろん、ほとんどの海藻類が無くなり、岩礁表面が石灰藻に覆われた状態をいう。当然、コンブを主食とするキタムラサキウニに身は入らず、アワビなどの生産も著しく減少する。北海道では日本海南西部沿岸の後志南部や檜山沿岸に多くみられたが、最近は道北でも見られるようになった。別の折に下北半島の仏ヶ浦の惨状を書きましたが、どうやら磯焼けは確実に北上しているようである。
 「あの時に見た海の色の青さとひそやかな野辺の送り」と著せば恰好はよいのですが、その実体は海の荒廃にあるのです。積丹の海の青さと石垣島の海の青さはよく似ています。珊瑚の白と磯焼けの白とが海を同じようなコバルトブルーに変化させるのです。同じ群青とはいえ、石垣島のそれには興味がなく、私が積丹に惹かれる最大の理由はその海が漂わせる死の匂いにあるのです。
 中標津町の開陽台の売りは「地球がまるいことが実感できる」、標茶町の多和平の売りは「今にも落ちてきそうなほどの星が、満天に広がる」。共にライダーなら必ず訪れるところだが、牧場はゴルフ場同様、保水能力はまったくない。ちょっとした雨でいたるところが川となり、地面をえぐって滝となる。台風が上陸すれば、河川の氾濫、土砂崩れが方々で起こり、道路は流され、水田や畑は泥に埋り、流木が家屋をなぎ倒していく。満天の星空にはなんの罪もないが、牧場はひどく環境を破壊している。反論を喰らうのを承知で言いたいのだが、それら根釧台地から積丹の海に至るまで、自然はひとの悪意を飽食してきたのだと思う。いまにそこら中が悪意だらけになって、死の匂いが充満し、日本全土が崩壊する日がくるのを一日千秋の思いで待っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月09日 03:32 | 固定ページリンク




一考 | 恋する悪意

 紋別へはじめて行った日に泊まったのはたしかセントラルホテルだったと思う。宿に設えられた和風レストランでなく、町へ出て飲もうと友に誘われて幸町へ出掛けた。友がどうあっても、紹介したいひとがいる、あなたならきっと気に入ると、たっての願いであった。ちいさな居酒屋だったが、包丁をさばく女将のただならぬ気配に気後れしたのを覚えている。
 シマエビやサンマ、好物のゴマツブの刺し身を食したのだが、そんなことよりも、その女将が私に与えた妙な印象がこころに深く残った。それが気掛かりで、十年後に紋別を再訪した。
 「お久しぶりね」「ご無沙汰」「どう、お元気」と挨拶が続き、懐かしさでおつむが弛緩した私は自らの近況をとくとくと語った。十分もしないうちに、女将が一言「黙って聞いてればなによ、誰があんたのことを訊いているのよ、あなたの連れのことを訊きたいのよ」
 そうか、これだったのか。ちょいとシャイな身のこなし、現場できたえて叩きあげたカンの良さ、客を自分の眼と手を通じてのみ選別するなににも頼らない芯の強さ。十年前に、得体のしれない妙な印象、割り切れないままに、どこかしら気掛かりだった女将の情念のようなものがやっと私にも垣間見えたのである。いまの私であれば「スピノザ的な嘲笑、サディスティックな悪意」とでも表現したであろうが、当時の私はその種の悪意に羨望を抱きこそすれ、自分のものにするだけの度量はまだなかった。
 これほど強靭な悪意を身体に刻み込むのに、どのような経験を積めば、どのような体験を重ねればよいのか、女将の弟子になろうと決めるのに、さして時間は掛からなかった。それからの一箇月、私は四六時中女将と起居を共にした。共に寝、共に起き、仕入れに行き、仕込みを済ませ、二人で暖簾を出し、暖簾を仕舞い、後かたづけをし、残り物で酒を呷り、飲みつぶれてはふたりで抱き合って眠りこけた。
 ひとを理解するに、ひとを愛するに、他に方法があるのなら教えていただきたい。観念的な操作でことにあたっていてはなにを理解したことにも、なにを諒解したことにもならない。自らの面皮の裏を返して生きるようなひとと付き合うには、自身もまた面皮の裏を返さねばならない。しかるべき研究機関の講座には「人生」との課目はない。推論的理性の対局に徘徊があり、徘徊の奥座敷に鎮座するものこそが弁証法的想像力ではないだろうか。
 件の女将はいまも紋別で小料理屋を営んでいる。彼女との出逢いがなければ、私が飲み屋を営むことなどなかった。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月14日 03:55 | 固定ページリンク




比呂 | 久しぶりにフクさんと呑むフクの会オフ


 恐怖の会永久幹事のフクさんが久しぶりに上京されます。幹事でありながら前回puhipuhiさん出版記念オフでぎりぎり参加できなかったフクさんをねぎらう意味もこめて、フクさんの会オフを下記の日程で行いたいと思います。
 
 日時:6月24日(金) 19:00頃から~夜中
 会場:ですぺら
 会費:5000円程度を予定(人数にもよりますが、普通に飲み食いにするかも)

 最近はフクさんとも、なかなかゆっくりと顔を会わせる機会も少ないかと思いますので、よろしくご参加の程お願いいたします。
 予約人数がありますので参加できる方の表明をお待ちしております。参加したいという方は、こちらへのコメントか、メールで私比呂までご連絡ください。
 一応、メールの方はですぺらへの連絡の関係がありますので21日火曜日に締切とさせて頂きます。

 ちょっとバタバタで申し訳ありませんがご都合のつく方、宜しくお願い致します。



投稿者: 比呂    日時: 2005年06月17日 13:45 | 固定ページリンク




薫子 | 懇親会のお知らせ

 須永朝彦さんがカルチャーセンターの聴講生の方々と懇親会を催されます。
どなたさまでもお気軽にご参加下さい。

 日時 7月9日(土) 午後6時~10時半
 会費 3500円



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月19日 02:59 | 固定ページリンク




薫子 | 「義経伝説」

 須永朝彦さんの次回のカルチャーセンター講座のテーマは「義経伝説」。
以下、ちらしより抜粋です。

 「義経伝説」 貴種流離譚から存命伝説へ
 源義経のTVドラマが人気を博しているようですが、信頼の置ける一級史料に載る彼の
記事は驚くほど僅少であり、よく知られた逸話の多くは史料的裏付けの無きものの如く
であります。古来、この国には非命非業に終わった者を悼み畏れる優しき習俗があり、
御霊(ごりょう)信仰などにその一端が看て取れます。殊に若者の場合には悲劇の伝説化
が顕著であり、「判官贔屓」(ほうがんびいき)の語源と成った義経は代表的存在と申せ
ましょう。一部のファンの間では「蝦夷や大陸に渡って生き延びた」と信じられるに至り、
果ては「ジンギスカンとなった」という説まで唱えられております。『義経記』(ぎけいき)に始まり、能・幸若舞・浄瑠璃・歌舞伎などの芸能、また近世の小説・随筆に描かれた
義経像について些かを申し上げたいと存じます。(講師・記)

 7月21日 同時代の証言--「玉葉」「吾妻鏡」「平家物語」など
 8月18日 さかのぼる伝説化--牛若・遮那王・東下り
 9月1日  芸能の義経像--能・幸若舞・浄瑠璃・歌舞伎
 9月15日 渡海伝説--蝦夷・清朝の祖・ジンギスカン同一説

 日時 木曜日 19:00~20:30
 受講料(税込み) 会員 10920円 一般 13020円(入会金不要)
 場所 新宿住友ビル 48階 朝日カルチャーセンター
    郵便番号163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
    東京都新宿区西新宿2-6-1 電話 03-3344-1945
    URL: http://www.acc-web.co.jp



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月19日 03:25 | 固定ページリンク




りき | 冨ノ澤ファンサイト発見

検索でみつけました。
書誌とかかなりしっかりしてます。

http://747seconds.nobody.jp/index.html

これで作家の大体の全貌がつかめると思います。



投稿者: りき    日時: 2005年06月19日 21:42 | 固定ページリンク




薫子 | フード新顔

 点心風フード、加えてみました。
 箱入りおこわ(海鮮)500円、スープ餃子(海老)500円。
またキッシュ作りました。500円。お試しあれ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年06月20日 19:24 | 固定ページリンク




如月 | イギリスの人形展

四谷シモンが参加した『人びとと人形展 Guys n dolls』(イギリス、ブライ
トン・ミュージアム・アンド・ギャラリー)が先日終了しましたが、イギリス
では、『タイムズ』『ガーディアン』などの代表的新聞もこの展覧会を取り上
げ、大好評だったようです。同展覧会の紹介ページを新設いたしましたので↓、
みなさん、ぜひのぞいてみてください♪
http://www.simon-yotsuya.net/exposition/brighton.htm

(この展覧会の名前、もっといい訳ないでしょうかね?アイデアありましたら、
ご提案ください。)



投稿者: 如月    日時: 2005年06月29日 15:18 | 固定ページリンク




一考 | 記憶

 K・Iさんへ
 こちらでご返事させていただきます。
 72年の人魚館でのタロット展では辛島宜夫さんは占いのデモンストレーションをしていません。ただし、池袋パルコの方は私は知りません。彼は最初は絵描きさんで、その後占い師になり作曲家にもなりました。当時はみなさん喰うためになんでもしていました。
 ところで、辛島さんが1974年9月に「・・・三年前、わたくしがタロット・カードの実占をする機会を得たのは、池袋パルコと荻窪の人魚館画廊で併催された、日本で最初のタロット展の催事中のささやかなデモンストレーションでありました。この企画は、種村季弘氏の監修によって覆刻された薔薇十字のタロット・カード二十二枚(スタジオTUM作製)の発売を記念するためになされた催しでありましたが・・・」と著していらっしゃるのですから、それはそれでよろしいではありませんか。文章通りだとタロット展は71年ということになりそうですが、真実というようなものはどこにもないのです。わずか三年でひとの記憶は狂っていきます。記憶は改竄され、歴史は都合よくもしくは都合悪しく歪められていきます。いわんや、辛島さんは数年前に自死なさいました。辛島さんの仰言るとおりで、岡田さんにも私にもなんの不都合もございません。 過日、掲示板で触れた荻窪の飲み屋の屋号がカタカナの「ジュニア」であり、店主であると同時に深夜叢書社の大家でもあった方の名が林田さんだったと思い出しましたが、そのようなこともどうでもよいのです。ただ当時、瀧口さん、窪田さん、中井さん、種村さん、三枝さんたちと荻窪で飲み歩いた一刻一刻がかけがえのないものであり、きらきら輝く黄金の日々であったという、そのことだけが記憶の片隅に刻まれているのです。
 他にご指摘の項目も同様、眼に見える世界を踏破して眼に見えない世界の住人になってしまったひとびとにとって時系列はどうでもよろしいのであって、貴方がなにをどう書かれたところで眉をひそめるような小心者は私のまわりにはひとりもいないと断言しておきます。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月30日 01:48 | 固定ページリンク




一考 | ちょいとお待ちください

 りきさんへ
 冨ノ澤ファンサイトをご教示いただきありがとうございます。高遠弘美さんのブロブのように一服の清涼剤になるようなサイトは少ないものなのですね。
 このところ、めちゃ多忙でどうにもなりません。「〈死者〉の告発」については時間をください。七月の半ばになれば大丈夫だと思います。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月30日 01:52 | 固定ページリンク




一考 | 新システム

 北端あおいさんへ
 メールはどうせ読まないでしょうから、こちらで書きます。

 「お気に入り」は「システムフォルダ」のなかの「初期設定」のなかの「Explorer」のなかの「Favorites.html」を新しいシステムの同じ箇所に移せば終了。
 アドレスと過去のメールは 「Mac OS 9.1」のなかの「書類」のなかの「Microsoft ユーザー データ」のなかの「ユーザー」とのフォルダを新しいシステムの同じ箇所に移せば終了です。念の為に書き添えますが「ユーザー」フォルダのなかには「ニュースグループ キャッシュ」というファイルと「メイン ユーザー」というフォルダが入っていて、「メイン ユーザー」のなかには8個のファイルが入っています。それらすべてをフォルダごと差し替えるのです。
 OSには貴女の名前以外は入力していません。 「Mac OS 9.1」のなかの「Applications (Mac OS 9)」のなかの「ユーティリティ」のなかの「アシスタント」のなかに「Mac OS 設定アシスタント」というファイルが入っています。それを起動させてOSとインターネット接続の設定をしてください。

 新しいシステムは無事に起動したとひろさんから聞きましたが、上述した過去のメールの移動が済まない内は使えません。そうでないとメールが両方のシステムに分散され、まとめるのに難儀します。外付けのハードディスク20GBに収めたアプリケーションも使えません。なぜなら、古いシステムには機能拡張が入っていないからです。無理に立ち上げればクラッシュします。と言っても分からないでしょうから、とにかく新しいシステムはまだ使ってはいけないと、これだけ覚えておいてください。過去のメールの移動と設定には時間がかかりませんので、櫻井さんに頼んでみてください。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月30日 02:20 | 固定ページリンク




如月 | 『金葉集』についての論考

小論『金葉集成立史小考ーー輔仁親王鎮魂の視角から』を掲載した再興中世前期
勉強会会報『段かづら』第5号が発行されました。
小論が依拠する位相につきましては下記のページに掲載しておりますが、この機
会に小論をお読みいただき、またご批判を頂戴できれば幸いです。
http://www.furugosho.com/information/kinyoshu.htm

なお、メール等でご連絡いただければ『段かづら』をお送りできますが、私の手
元にもまだ小部数しかないため、ご興味のある方、お手数ですが、↑ページから直接事務局にお問い合わせいただければ幸甚です。



投稿者: 如月    日時: 2005年06月30日 11:38 | 固定ページリンク




りき | 亀鳴屋さんの新刊『馬込の家 室生犀星断章』伊藤人譽著

亀鳴屋さんから新刊告知がでています。
伊藤人誉さんによる犀星についてのエッセイのようです。
詳しい内容は以下のリンクを参照してください。

http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/shinkan/shinkan04.htm



投稿者: りき    日時: 2005年07月03日 20:36 | 固定ページリンク




一考 | DTPについて

 北端あおいさんへ
 返事はこちらで。
 DTP用とお聞きしましたので、そのようにセッティングしました。
 そちらから送られてきたハードディスクにインストールされていたPhotoshopとIllustratorはバージョンアップの上プラグインその他を、Officeはテンプレートを若干補強しました。PageMakerとQuarkXPressは共に飾り罫を2000項目ほど追加しておきました。
 フォントはスーツケース、ポストスクリプト、オープンフォントが使用可能です。
 和文用の124書体をフォントフォルダに収録、そのなかにはヒラギノやイワタも入っています。他に横文字用スーツケースフォントを273書体、ポストスクリプトは433書体添付しました。文字鏡、GT書体2000、広辞苑外字なども別項目で収録していますが、そちらは慣れてからにしてください。
 内田百けんの「けん」等々、第六水準まで完全に出ますが、こちらも慣れてからにしてください。取り敢えず、「Kandata」とT-Time所収の「index.ttz」の使い方を覚えてください、それだけでも第四水準まで出ます。ATOKとEGBRIDGEの辞書は最低限必要な188364項目と現行の辞書では削除されてしまった450項目の熟語も追加登録しました。なお、入力システムの文字制限は解除しています。
 語学辞書、国語辞書、百科辞典の類いはマック版で入手可能なものは全部追加しておきました。
 DTP基礎講座として定評あるものを数種類1.3GBほど入れています、下記のURL共々ご参考に。

 http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/pasokongihou.html

 おまけとして、地名・人名辞書とProAtlasやMapFanをはじめ32種類の地図ソフト、先行きを考えてDVD、CDR-RW、iTunesなどのソフトも入れておきました。ところで、ATOK用に限らず、地名辞典や花辞書の類はファイルメーカーで一覧表にしておく方が役に立ちます。例えば、知床の東端に相泊(アイドマリ)という地名があるのですが、泊で検索をかければ、泊の付く全国の地名が出てきます。これが結構、役に立つのです。私は4000種類のモルト・ウィスキーの詳細をファイルメーカーで利用しています。
 Illustratorで装丁ができるようになるのに、半年ほど掛かると思います、頑張ってください。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月04日 09:57 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考様 ありがたく

一考様。先日はお目にかかれて嬉しく存じました。拙ないわたくしのブログについて、思ひがけず、ありがたいお言葉を賜り、恐縮してをります。そもそもわたくしがブログなるものを始めましたのも、この掲示板で、書き込みをする愉しさを教へて頂いたからでした。いかなることにも先達のあらまほしきことかなと痛感してをります。これからもよろしくお願ひ申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年07月05日 22:41 | 固定ページリンク




薫子 | ああ、また

 ですぺらの入っているビルの一階の屋号がまた、変わりました。
「かっぽうぎ」という居酒屋さんでしたが、7月11日より「東京やきとり食堂」という
名になるそうです。ううう・・・。また名刺訂正せねば。
表の店構えはほとんど変更なく、コンセプトが変わるらしいです。
コンセプトってなんやねん。ブツブツ。
 一階の店を目印においで下さっている皆様、どうぞお気をつけくださいまし。
ですぺらはまだあります。



投稿者: 薫子    日時: 2005年07月06日 20:10 | 固定ページリンク




如月 | 拙論への初RES

下方に書き込みました拙論『金葉集成立史小考ーー輔仁親王鎮魂の視角から』
に、三重大学人文学部・山田雄司さんから非常に丁寧なRESをいただきました↓。
http://www1.ezbbs.net/27/yonnoji/
こうしてRESをつけていただけると、やはり非常にうれしいです♪
(手元の『段かづら』、先日某放送局の人に渡して全部なくなってしまいまし
た。一考さんになかなかおわたしできなくて、ごめんなさい。)



投稿者: 如月    日時: 2005年07月07日 00:14 | 固定ページリンク




steward | 7月22日は薫子さんのお誕生日!

 mixiでも提案させていただいておりますが、こちらでも。

 7月22日は薫子さんのお誕生日です。薫子さんとお親しい皆様、
当日『ですぺら』に来店し、薫子さんにお祝いの言葉をお伝えに
なりませんか。
 特にパーティー形式はとらず、三々五々集まって、散り散りに
帰っていくゆるい集まりにしたいと存じます。

 ぜひご参加くださるよう、お呼びかけ申し上げます。



投稿者: steward    日時: 2005年07月17日 13:53 | 固定ページリンク




一考 | 山本健吉文学賞

今年の山本健吉文学賞受賞者五名のうち、三名がですぺらのお客さんである。

 詩部門  季村敏夫 『木端微塵』(書肆山田)
 評論部門 加藤郁乎 『市井風流―俳林随筆』(岩波書店)
      宗田安正 『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店)

贈呈式は7月22日、神田駿河台の山の上ホテルにて招待客のみ120名で催される。二次会は9時から朝まで当店にて。当日は薫子さんの誕生日でもあり、かなり混乱が予想される。右往左往大歓迎、詩歌句について語りあかしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月21日 00:14 | 固定ページリンク




一考 | いつでもどうぞ

 櫻井さんへ
 先日はありがとうございました。ファームウェアの書き換えやインストールの時にパッチを当てたりファイルに小細工を施し、入る筈のないソフトをインストールするのには馴れてきたのですが、Terminal.appを弄くるのは私にはまったく無理ですね。teTexのソースファイルの展開で触ろうかと思ったのですが、UnixやLinuxの構造が頭に入っていないのですからどうしようもありません。
 お申し越しの件ですが、原盤に含まれているPDFファイルに問題があるらしく、3枚焼きましたが検証が効かず、すべてお釈迦。ハードディスクに移して問題のファイルを修整したところ、焼けるようになりました、インストールも可能です。今日、店へ持っていきますので、ご都合のよい折にどうぞ。
 北端さんのシステム構築で一週間かけて辞書を、さらに一週間かけて不具合なフォントの整理をしたのですが、それが今回役にたちそうです。CD2枚になりますが、Adobeご推薦のフォントならびに関連ソフトを揃えておきました。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月21日 07:21 | 固定ページリンク




一考 | 求む

マックの雑誌に添付されたCD「まーぱろむ」の2003年4月から12月までが欲しいのです。お持ちの方、ご連絡いただければ幸いです。所収の「Onlineware Express」を求めているので、コピーでもなんでも結構です。
私が求めるシェアウェアが何月号に掲載されているかが分からないので4月から12月までと記しました。当然、バラでも結構です。急ぎませんので、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月23日 18:59 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

「2003年4月から12月」と書きましたが、2002年の間違いです。2002年4月から12月までのMac PowerやMac Peopleなどに添付されていた付録のCDです。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月24日 05:56 | 固定ページリンク




花ハウス | ルーマニアへようこそ

自然が沢山あります ルーマニアへ遊びに来ませんか 物価が安くてのんびりと海外で生活



投稿者: 花ハウス    日時: 2005年07月26日 14:31 | 固定ページリンク




一考 | 「馬込の家(室生犀星断章)」伊藤人誉著

 龜鳴屋から新刊が上梓された、伊藤人誉さんの「馬込の家(室生犀星断章)」である。このところ多忙で紹介が遅れた、勝井隆則さんにお詫び申し上げる。
 「小景異情」に著された猫が首をくくる話や玄関を閉め切って物置きがわりに使うはなしは私にも経験があって、興味深く読ませていただいた。つづく第五章は短いが、犀星の小説の特異性である「執拗な粘り」がうまく活写されている。この「執拗な粘り」にみられる犀星の屈折した女性観にはかねてから興味を抱いている。荷風にとって女性は性的玩具の対象でしかなく、鏡花にとっては信仰の対象でしかなかった。「でしかない」と言わざるを得ないところにひっかかりを覚えるのであって、排泄であろうが信仰であろうが、そこにそれほどの差違があるわけではない。一方、徳田秋声や徳田秋江のような情念や怨恨とのいたずらなクリンチにも疲れを覚える。その点、室生犀星や谷崎潤一郎の屈折といおうか、気質に私はこころ惹かれるのである。
 「馬込の家」の最終章のタイトルに用いられている「女ひと」は犀星の作品のなかでも傑出した一本だが、正・続の「随筆 女ひと」のあとを追って「随筆 硝子の女」が上梓されている。巻末の「消える硝子」の書き出しを紹介したい。

 ガラスの女といふのは、たださう言つただけで硝子のやうな女がゐるとも、ゐないとも言ふ譯ではない、ことばが透明で美しいからさう附けたのである。けれども私はひそかに硝子を透かして見た世界とか、女とかいふ意味も考へてゐたのである。も一つは何時も硝子の壜の中に、ずつと何十年か前の記憶がアルコール漬になつてゐて、見ようとすれば何時でも、そこに記憶の山河があり女の人も見られるふうに考へてゐた。むかしの人はアルコールの中で、まだ生きてゐるとも言はれるのである。このアルコール漬がなかつたら私は小説なぞ書けないのだ、普通の化学実験室なぞとちがひ、私のアルコールの壜も時々新鮮な液体に取りかへられ、漬けたものが変色異常を呈することはなかつた。或日の私はガラスを透かして見た顔に二重の美しさを見附け、ガラスの中に誰かが泳いでゐる閃きを感じたものである。

 この二年後に川端康成の「眠れる美女」が上梓されている。一連の犀星の作品が川端に影響を与えたなどと思いをめぐらしてみるのも愉しいではないか。
 戦時下の馬込の家を舞台にした第八章と第九章は圧巻。「談柄の妙はさすが伊藤さん。資料的な意味もさりながら、読物としてダントツに面白く思った」とは社主勝井さんの弁だが、たっぷりと元手を掛けた資料収集と適度に抑制を効かせた文章との絡みが巧く、犀星に託つけての伊藤さんのイデエの発露の方法論に感心させられた。表現者とは妙なもので、対象がなんであれ、要は対象に託つけて自らのことを著すのである。手に負えない対象を相手にすれば、書き手の寸法が測られてしまう。コンプレックスの不在に立ち会えば、書き手の人目を憚る劣等感や負い目が剥きだしにされてしまう。その辺りにエッセイの妙味がそして怖さがある。
 「俺たちには、これが自分のだという姿なんぞありはしない。お前さんのお好み次第で、お前さんが俺たちにお望みのどんな姿にでもなるのさ」とはハイネのある舞踊劇台本の前書きに登場する悪魔の言い種だが、伊藤人誉さんの書きものにはどうやらそう言った価値観の自在な顛倒がそこらじゅうに仕掛けられているように思う。前述の悪魔を前にして莫迦と思えば自分が莫迦なのであり、思慮深いと思えば取りも直さずそれは自らの思慮深さの証明なのである。すぐれた表現者はそうした魔性を内に秘めている。
 「馬込の家」第十章からの引用、

 私は犀星がじっとものを見ているとき、次第にその中に移入してしまうのではないかと思っている。見られているものが感じているように思われる感じを、自分でも感じているのではなかろうかという気がする。たとえば縁側の日なたにいる猫を観察しているとき、自分を見返している猫の気持ちを感じているのではあるまいか。川でうなぎを捕っている川魚師のことを書いているとき、膝まで水につかったその男の気持ちばかりでなく、石垣の穴にひそんで人間のすることをじっとうかがっているうなぎの気持ちも感じているのではあるまいか。あるいは樹の上でこごえているなめくじの気持ち、ぎんいろの蛇のような女の指の気持ち、張り詰めている氷の気持ちさえ感じているのではあるまいか。

 ここには犀星との対置はなく対峙もない、あるのは共棲であり同化であって、見るものと見られるものと言った二元論がきれいさっぱり欠如しているのである。深沢七郎や島尾敏雄や井伏鱒二のそれと同じくトートロジックな重語法によって、文学の原器的形態が述べられている。さるにても、伊藤人誉とは恐るべき作家である。
 「馬込の家」の「あとがき」には「室生朝子の結婚の裏話や、犀星の父親についての私の疑いや、晩年の犀星をめぐる女たちの話を書き加えた」と著されている。「女ひと」の章が「晩年の犀星をめぐる女たちの話」にあたる。この一章を以てしても、過去余人によって著された犀星論が書き直しを余儀なくされるのは必定である。犀星のファンのひとりとしてまた伊藤人誉さんのファンのひとりとして、本書を産み落された勝井隆則さんに満腔の謝意を表したく思う。

 「馬込の家」は部数を五百五十部に劃っての印行である。頒価は三千二百円。ですぺらに在庫有り、乞うご購読。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月29日 04:23 | 固定ページリンク




一考 | 徳田秋江のこと

 昨日、ですぺらで徳田秋江との記述は間違いなのではないかと訊ねられたものですから、一言触れておきます。

 近松秋江(1876―1944) 小説家、評論家。明治9年5月4日、岡山県和気郡藤野村(現在の和気町)の生まれ。本名徳田浩司。初め徳田秋江と号したが、のちに敬慕する近松門左衛門にちなんで改めた。

 通常の文学事典には上記のように記載されているはずです。シルレルの翻訳なども徳田秋江の名で公刊されています。いまでは秋江の名前は知っていても、作品を読まれる方は少ないと思います。それ故、昨日のような誤解が生じるのでしょう。
 秋江といえば「黒髪」と相場が決まっているようですが、より高く評価していただきたいのが評論です。「秋江随筆」「文壇三十年」などがありますが、印象批評を創案した最初のエッセイ集が「文壇無駄話」(明治43年3月)で、明治文学研究の基本図書の一とされています。元版を買わずとも昭和三十年に河出文庫から増補版が上梓されています。元版も追刷りされていますが、文庫版も同年中に五刷まで行き、途中から武者小路実篤の装幀になるカバーが付けられ、本文紙も上質紙に変わりました。
 西園寺公望が催した雨声会や漱石の印税の裏話もさることながら、徳田秋声の作品の称揚にじつに多くの紙数を割いています。秋声の崇拝者であった秋江なればこそ、徳田秋声と書けば徳田秋江と続けるのが当然の成り行きだと思います。
 今は全集が出ていますが、私が二十歳の頃はなにもなく、膨大な量の雑誌を集めました。秋江を読むために雑誌を求めて古書店をかけずり回った日々を思いおこします。なかでも、秋江掲載の雑誌や鏡花作品の初出誌を数百冊、入るたびに神戸へ転送してくださった高橋書店の親父には頭が下がります。その尽力あって、近松秋江や泉鏡花や永井荷風の著作目録や著書目録を何度か拵えました。
 幻想文学35号の巻頭に載せた鏡花著書目録抄が私の書誌的仕事の最後ですが、あの拙稿がいまごろ役立っているようです。もっか鏡花本に挿し絵を施した絵師、刷り師、彫り師たちとその時代を紹介する番組が某テレビ局で作られています。マルセル・デュシャンのときと同じ担当ディレクターが拙宅へなんども来られていますが、鏡花著書目録抄には助けられていると、こちらは機会を下さった東雅夫さんに感謝せねばなりません。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月30日 15:32 | 固定ページリンク




薫子 | 8月のですぺら

8月のですぺらの営業は、お盆休み無し、通常通りです。
休みなんて無い、お盆の間は空いている東京にいるという方、
お待ちしております。
8月13日(土)に鍋パーティを予定。暑い時には鍋に限る!?
詳細は追ってお知らせいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年08月02日 01:57 | 固定ページリンク




如月 | 二つの論考

一考さん、こんにちは。 一昨日、小論『金葉集成立史小考』および『マブリ初期政治思想におけるノミナ リスムとレアリスムの相剋』送らせていただきましたので、まもなくお手元に届 くかと思います。いずれも拙い論考ではありますが、お読みいただければ幸いです。 また、『金葉集成立史小考』を掲載した『段かづら』方は、複数部数同封させて いただきましたので、お店に置いて、興味ある方におわたしいただけければあり がといと思っております。 お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。



投稿者: 如月    日時: 2005年08月03日 10:58 | 固定ページリンク




薫子 | <種村季弘 断面からの世界>展

銀座のスパンアートギャラリーからのお知らせです。

 開廊10周年記念として、<種村季弘 断面からの世界>展を開催。
 2005年8月22日(月)~9月3日(土)
 (11:00~19:00 最終日17:00 日曜休廊)
 オープニングパーティー:初日17:00~19:00

 <国内出品作家> 赤瀬川原平 秋山祐徳太子 池田瀧雄 井上洋介 上原木呂
 加福多恵 川原田徹 鬼海弘雄 桑原弘明 佐伯俊男 瀧口修造 土井典
 中根明貴子 中村宏 美濃瓢吾 真島直子 丸尾末広 山本美智代 渡辺兼人

 <国外出品作家> エルンスト・フックス カール・コーラップ ハンス・ベルメール
 フリードリッヒ・シュレーダー=ゾンネンシュターン フリードリヒ・メクセパー
 ホルスト・ヤンセン
 
 スパンアートギャラリー 東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
 電話03-5524-3060 http//www20.big.or.jp/~sag

 この展覧会にあわせて、平凡社より種村季弘著「断面からの世界--美術稿集成」が刊行されます。(定価:本体3800円+税)



投稿者: 薫子    日時: 2005年08月04日 18:21 | 固定ページリンク




一考 | ナジャ

 光文社の「BRIO」九月号で新宿二丁目にあった「ナジャ」が四ページで取りあげられている。吉田好男、金子國義、四谷シモンさんの座談とママだった古田真理子さんのインタビュー記事が掲げられている。文中で吉田さんが、自殺した資生堂の杉山登志さんを思い起こしている。「リッチでないのにリッチな世界などわかりません ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません ウソをついてもばれるものです」との名コピーを遺したひとで、横須賀功光さんの親友でした。真理子さんも杉山さんのことを書かれているのですが、横須賀さんが預かった杉山さんの猫が、もとをただせば、真理子さんの家からもらい受けた猫だったということを知りました。ちょいと無断で引用します。

 彼は私の家からもらい受けた猫を飼っていたんですが、海外出張のため、写真家の横須賀功光さんに預けたんです。帰国後、すぐ引き取ろうとしたけれど、横須賀さんはあまりの可愛さに「もう少し預かっていたい」と言い、杉山さんは承諾、すぐ後で、杉山さんは自ら命を絶ちました。「あの時猫をすぐ返していれば家で独りじゃなかった」と横須賀さんは悔やんでいました。

 このアビシニアンのはなしは横須賀さんから何度か聞かされました。そして昨日、ご子息の安理さんからアビシニアンを返したくなかったのは私でしたと伺いました。そのアビシニアンが死んだのは1976年。「ナジャ」の楽屋話のひとつでしょうが、このところ写真集の件もあって、横須賀さんをよく思い出すのです。

 二丁目の「ナジャ」はその後三丁目に移りました。状況劇場にいらした安保由夫さんが店主で頑張っていらっしゃいます。この度、営業日・料金などを一新されたので、紹介させていただきます。

 無休(日・祭日も営業)
 18:00~2:00(日曜日は16:00~22:00)
 ボトルセット・・・1000円
 チャーム・・・500円
 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/morikuni/nadja1.htm
 http://www.kisseido.co.jp/column/nadja.html



投稿者: 一考    日時: 2005年08月04日 22:52 | 固定ページリンク




一考 | 一段落

 りきさんへ
 十日間ほど、六時からの出勤がつづきました。間村さん絡みの仕事がふたつ片付き、やっと肩の荷が下りました。月末にあと一本ですが、こちらは鷹揚にかまえていても大丈夫です。それにしても、私のように才能も学歴もなにもない法螺吹き人間には大変です。毎日十時間ほどパソコンとにらめっこして、十五枚が限界でした。間村さんはもっか難産の真っ最中、ひとの不幸ほど愉しいものはありません。「ざまあみろ」を肴にこれからひとりで酒盛りです。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月04日 23:19 | 固定ページリンク




可憐 | あわわぁ

恋を語らず何を語る?という世の中ですが、 このコピペを必ず5つのスレに書き込んでください。 あなたの好きな人に10日以内に告白されます 嘘だと思うんなら無視してください。 ちなみにあなたの運勢が良かったら5日以内に告白&告白したらOKされます



投稿者: 可憐    日時: 2005年08月07日 23:24 | 固定ページリンク




ユリーカ | この場をお借りして告知させて下さい。


皆様、こんにちは。

 現在発売中の「ユリイカ  2005年8月号
 http://www.seidosha.co.jp/eureka/200508/
 特集*雑誌の黄金時代 紙上で見た夢」に、
 私の作品が2ページ載って居ります。
 筆名、平岡靖生。題名、「かえる賛」です。
 御笑覧戴ければ幸甚です。

   夏はあの世とこの世の橋渡し
   回路が開きますね
   皆様の御活躍を!


【ははのちち】 HP
http://www10.plala.or.jp/EUREKA/

【ははのちち】 BLOG
http://blogs.yahoo.co.jp/eureka_blog



投稿者: ユリーカ    日時: 2005年08月10日 15:58 | 固定ページリンク




薫子 | 真夏の鍋

 13日(土)午後7時より、ですぺらにて真夏の鍋パーティを催します。
ブタ鍋の予定。お酒はビール、ワイン、焼酎などを用意いたします。
会費はお酒を飲まない方は3000円、飲まれる方は4000円、ものすご~く飲まれる方は5000円。ものすご~く飲んだかどうかの判断は私がしますので、うまくごまかして下さい。どなたさまでもお気軽にご参加下さいませ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年08月10日 20:01 | 固定ページリンク




GGG | G

海外旅行用海外専用GSM携帯電話のご紹介です。世界180カ国以上で使用可能。 DOCOMOのFOMAカード、VODAFONEのUSIMカード、または、現地のコンビニなどで購入できるプリペイド型SIMカードを挿入して、使用できます。詳細は、 http://www.deedeegsm.com/または http://openuser1.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/auctions?userID=takatakabkk&u=takatakabkk http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/deedeegsmcom をご覧ください



投稿者: GGG    日時: 2005年08月12日 14:37 | 固定ページリンク




一考 | 投票

 経済評論家の内橋克人氏は「東証一部の上場企業に限っても、82兆円が現金預金として眠っている。今年度も16兆円増える見込みで、企業は過剰マネーの投資先に頭を抱えている。民営化で郵貯・簡保資金が民間市場に流れ込んでも設備投資には回らず、利回りの有利な運用先を求めて米政府証券など海外に流れるだけ。国民の資産不安定な投機マネー市場におびき出され、高い海外リスクにさらされる」と著している。
 330兆円の郵貯の行き先は、どうやらどこにもなさそうである。民営化すれば、たちどころに破綻するのは目に見えている。一方、郵貯は財政投融資の原資の過半を占めている。運用先は政府金融機関等を通じて対民間投融資、事業特別会計・日本道路公団等への政府事業建設投資、地方公共団体への貸付または地方債の引受等に大別される。ところが、その運用先はどこもかしこも赤字である。政府が元利払いを保証しているので、郵政公社は理屈の上では黒字である。だが実体は770兆円、国民一人あたり640万円の借金があり、その金数は郵貯が回りまわって化けたものである。郵貯はとっくの昔に不良債権化し、腐臭を放っている。金をじゃぶじゃぶ使った政治家や官僚が悪いのか、運用の手立てをなにも持たずに、すべてをお上に委ねた郵政公社が悪いのか、なにも考えない脳天気な預金者(国民)が悪いのか・・・そんなことを今更言ってみても、なにもはじまらない。
 郵政公社の窓口業務がなくなれば、地方の町村の経済機能は成り立たなくなる。当然、現行のシステムは縮小して国民の税金で維持すべきである。縮小としたのは民間銀行のある都会では不要だからである。現在、特定郵便局は19000局、簡易郵便局は4500局を数える。特定郵便局は19000局の内、3000局を残し、他は簡易郵便局へ衣替えすべし。それだけで、年間2000億円の人件費が浮く。ついでに、利子は民間銀行のそれと同じくし、ペイオフを1000万円に設ける。前述したように、今の世の中、利子が稼げるような運用先はどこにもない。元金保証で利子がつくような預け先があること自体がおかしい。
 とは言え、郵貯・簡保の健全な落としどころは自然消滅以外ないように思われる。消滅が目的なら国有化でも民営化でも賛成である。

 http://shinsho.shueisha.co.jp/toranomaki/010821/

 ポリティカルなはなしには興味があるが、現実の政治にはなんら興味が抱けない。小泉首相が振り回す二元論は特にいただけない。さりとて、全特やJPUや全郵政のご用政党には嫌悪感すら覚える。既得権益にしがみつく今の民主党は10年前の自民党そのものではないか。今回の自民党の造反組のやくざの親分のような立ち居振る舞いには嘔吐がでる。彼等に対立候補を立てることによって、自民党ははじめて政権維持政党から政策集団に変わろうとしている。ことの是非はともかく、17年ぶりに自民党へ投票しようかと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月13日 02:29 | 固定ページリンク




一考 | 書き直し

 せっかく片づいたと思った原稿の書き直しを命じられた。私は才能の持ち合わせがないので、頻繁に突っ返される。今回の原稿は13回書き直した。だからこそ、編集者の許可が下りるまで何度でも書き直す。書き直すことによって、対象との距離の取りようが分かってくる。もしくは対象への理解が深まるのではないかと思っている。
 エッセイとは妙なもので、書き込めば書きこむほど、描いた対象のうちに書き手の気質のようなものが穿り刻まれていく。対象がなんであれ、それら相関者から書き手の内面が逆照射されるのである。手に負えない対象を相手にすれば書き手の至らなさが、コンプレックスの不在に立ち会えば、書き手の人目をはばかる劣等感や負い目が剥きだしにされてしまう。対象にかこつけて自らのことを著すのが文学であろうから、当然といえば当然である。しかし、そこにエッセイの妙味が、そして怖さがある。妙味とは対象に導かれて書き手がみずから関知しない新たなディメンションに到達してしまうことである。怖さの方の説明はいたって簡単で、自分の化けの皮が剥がされることであろうか。そのどちらであるにせよ、対象にかこつけて自らのニヒリズムを頓着なしに書き綴るしかない。
 繰り返しになるが、一篇の作家論を読んで対象たる作家が詰らないと思ったとき、詰らないのは書き手の方なのであって、決して俎上に載せられた作家ではない。逆に対象たる作家がきらきら輝くとき、光彩を放っているのはエッセイを著した側なのであって、こちらも俎上に載せられた作家ではない。「問われるのは切り口である」などとよく言われるのはそのあたりの消息を指している。なにを採択するかに問題があるのではなく、いかに料理するか、その調烹に力点が置かれねばならない。なぜなら、対象になにを取りあげるかは好悪の問題であり、それは「自由意志」のなせるわざに過ぎない、翻って調烹には書き手の気質がありのままに露されるのである。
 種村季弘さんは「時計」のなかで「時計=ユートピアに対する私たちの好き嫌いもまた、まさに自由意志のなせるわざなのである・・・それなら、いっそ自由意志のレンズを通して見ることをやめてしまえばどうなるか。そのとき時計なら時計は、時間計測器として私たちを拘束する悪しき機械でも、永久運動の模造物として恐怖と魅惑を同時に発生させる装置でもない、ただの無意味なオブジェとして、そこらにごろんと転がされ、しかもそうして無意味なオブジェと化した瞬間からいよいよ謎めいた表情を帯びはじめる・・・いまや自由意志を蝉脱して謎と化したオブジェとしてよみがえるのである」と著している。自由意志がもたらすものは「自由」に悖反するものであって、巧みにひとをあざむくものである、と種村季弘は示唆する。怖ろしい言葉である。
 で、前述の書き直しである。面白くないとの意見が返ってくるのは読んでいただけた証拠、もしくは期待をかけられた証拠である。忝く思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月13日 03:08 | 固定ページリンク




一考 | 断片からの世界

 平凡社から種村季弘さんの「断片からの世界」が上梓された。単行本未収録を中心にした美術ラビリントスである。腰巻に、覗き、集合論、変幻、妖怪画家、からくり、漫遊記、太母、空壜、練糞術師、仮面、架空紀行、贋物、輪、狂画人、解剖学、魔法、西日、トポス、迷路、没落、箱、夢、歩行者、との言葉が記号のように記されている。「私は」との主辞のあとにやってくる「何々である」との賓辞を一定の方向にどこまでも拡張してやまない、といった風情がそこに見て取れる。そしてそれらの言葉自体が種村さんの文学の方法論を示唆していることに気付かされる。畸型、傀儡、人外への偏愛と自在なアナロジーによって、種村さんには「韜晦」との文言がしばしば冠せられる。しかし、種村さんはなにひとつ包み隠していないし、晦ましもしない。「韜晦」を口にした瞬間、種村さんはたやすく抜け出して、間のぬけた念を押すはめになりかねない。賓辞の数だけ繰り返し念を押しても無駄である、すでに我々は種村さんの詭計に嵌められている。向こうの方が一枚も二枚も役者がうえで、尋常の手立てが通じる相手ではない。
 種村さんは二者択一のような対立的・図式的なものの考え方を否定するかと思えば、サディスム=マゾヒスムのような安易な弁証法的統一をも等しく拒む。前者は葛藤、つまり情念とのクリンチをもたらし、後者は個々の項目の異質性や多義性を視界から簒う。プラトンのイデア界と感性界、ライプニッツの可能界と現実界、カントの叡知界と現象界、またはデカルトによる物心二元論等々、哲学史上もっとも影響力を持ち続けているのが二元論である。種村さんはそれら二元論をすり抜ける術を編み出したようである。万物の根源を水と定め、航海術に通じた種村さんは、ランタンの下で航海日誌を書き綴るに余念ない。遺された百冊を超える日誌にはヤコブの杖やアストロラーベの使用法から血湧き肉躍る冒険譚までがところ狭しと置かれている。臍を噛むのを承知のうえで、八幡の薮知らずに誘い込まれる、そこにこそ種村文学の醍醐味がある。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月13日 12:53 | 固定ページリンク




一考 | 喪失感

 二十歳からお世話になっている新宿の文壇バーが今月で閉店する。どうやら家賃の更新料が工面できないようである。はなしでは取り敢えず新宿の店は閉めるが、他の町で再起をはかられるとの由。しかし、こういう稼業では箱物を失うのは致命的である。新規の出店には金がかかる、店の改装に1000万円、運転資金に2000万円は最低必要である。件の文壇バーは平成元年にゴールデン街から三丁目に移ったのだが、当初の資金は3000万円だったと聞く。ですぺらはその金額をはるかに超えて、なお赤字である。従って、再起の難渋は十二分に理解できる。
 羞ずかしいはなしだが、平成元年まで私は薬物中毒だった。何もできないことからくる不安感、仕事に対する自信のなさ、対人関係における恐怖心、自身の情緒不安定などが私を薬物に走らせた。その店がゴールデン街にあった頃、薬で呆けた私の頬にひっきりなしにマダムのビンタがとんだ。苦い思いだが、一方では感謝している。おそらく、Y・Nさんとマダムのおかげで少しはまっとうな人間になったかと思う。ですぺらがオープンした時も、マダムはかつての飲み仲間を多勢引き連れて来られ、エールを送ってくださった。
 60年代後半から70年代にかけて熱かった新宿を代表したバーがまた一軒消えてゆく。失いたくない文壇バーである。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月13日 13:54 | 固定ページリンク




残酷な天使 | ぶらりと寄り道。

かつて自身を束縛したメビウスリングのような運命も、いつかはそれが己を救ってくれた良き思ひでとなっている事に気付く・・・。
私もそんな一人。名前こそ名乗らないがどうかお体に気を付けて。
それではまたどこかで会いましょう。



投稿者: 残酷な天使    日時: 2005年08月15日 20:15 | 固定ページリンク




一考 | 政治がおもしろい

 「書き直し」で書こうとしたのは論じる側と論じられる側との両義性についてである、と書いても通じないので具体的に書く。民主党や社民党の幹部が異口同音に今回の政変を自民党のコップのなかの嵐という、個とか政策といった発想がなにもなく、組織のことしか念頭にない岡田克也氏や菅直人氏にはそうとしか見えないのであろう。他者を論じるときには、必ずや自身の化けの皮が剥がされる。ひとは自らの頭脳水準でしかひとをはかられない。
 今回の民主党の若手議員に対する締め付け、拘束は凄まじいものだったと聞く。郵政民営化に賛同する民主党議員は約80名、それらの意見をことごとく無視し、対案すら提出せずに反対を強いる、そこに独善的かつファッショな組織の匂いを嗅ぎつけたのは私だけではあるまい。先頃、郵貯の縮小をはじめて口にしたが、縮小に伴う人員整理をどうするのか、官から民への資金の流れをどのように設えるのか、またもや具体論はなにもない。民営化しなければ、郵政公社の職員は公務員である。公務員の首を切るためには法律が必要である。JPUや全郵政をはじめ、官公労に支持される政党にそのような法律は作られない。それよりなにより、公務員の首を切るための法律など、国会で承認されるはずもない。掛け声だけで国民をたぶらかすのはいい加減にしろ、といいたくなる。
 衆院選マニフェストの「政策各論」で予算の無駄遣いを洗い出し、3年内に歳出10兆円を削減するとある。しかしながら、小泉首相は3年間で10兆円を超える削減をしてきた。歳入が40兆しかないのに、70兆の金を使う政府も政府だが、小泉氏が首相になる前年に組まれた歳出は87兆であった。財政改革の大元は人件費の削減にある、だからこそ民営化しか手立てがないのである。
 「投票」で書いたように、郵貯・簡保の縮小や郵政民営化の必然性は当事者を含むみんなが諒解している。郵政公社の職員たちは地方経済の疲弊や利便性を口にするが、郵便のネットワークや郵貯の維持は廃案になった「郵政民営化法案」に明記されている。にもかかわらず反対するのは保身以外のなにものでもない、公務員という身分の保障が安逸な夢が棄てられないのである。
 「特定郵便局は19000局、簡易郵便局は4500局を数える」と書いた。19000局のうち地方の町村にあるのはわずか2000余局、他は都会にある。この十年で北海道の人口2000人を切る町村にすらコンビニが開店したのを確認した。それらコンビニにATMを設置すれば郵便局の存在意義は半減する。どうしようこうしようと煩悶する前にどのような手立てがあるかを考察するのが、政治家の仕事ではないだろうか。われわれ一般人はたかだかネットの情報しか持たない。政治家、それも政権を担当するひとたちの情報網には畏るべきものがある。第一に国会図書館は国会議員のために設けられた専用図書館ではないか。
 今回、自民党が義理と人情にまみれた政権維持政党から政策集団に変わろうとしているのはみものである。昔からの支持母体である郵政一族を切り捨ててまで政策を完うしようとするのは健気ですらある。だが、郵政民営化の裏で着々と進められている自民党の構造改革に着目したい。ポスト小泉を狙っていた平沼、亀井、高村、古賀、加藤、麻生各氏のような、いわゆる中二階が討ち死にし、大幅な世代交代が行われそうである。郵政民営化がもたらす次の問題は民間過剰債務の戦略的なカットであり、その処理は旧世代には無理である。金融調査会や財務金融委員会の若手のお出ましを願わねばならない。小泉首相が描く戦略に興味を抱いている、12年ぶりに政治がおもしろくなってきた。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月16日 18:12 | 固定ページリンク




ももき | 本日デビューの千里愛風ちゃんについてです

テレビ東京系国民投票型バラエティ『OUT PUT』(日曜25:00)のMCをつとめる、千里愛風が、哀愁をおびた『I LIKE THE WAY/恋』で、8月17日にデビューしました。とってもいい曲で、おもわずホッとしたくなります。 愛風(まなか)ちゃんも「誰もが経験したことがあるような、恋愛のせつなさや大切さを素直に歌っています。世代に関係なく色々な方に聴いてもらえたらうれしい」とコメント。アレンジが80年代を彷彿させるものなの で、世代による抵抗感はさほどないはずです。 http://birthday-energy.co.jp/のBIRTHDAYにてまなかコラムがありますので、興味をもたれたらぜひみてください。



投稿者: ももき    日時: 2005年08月16日 19:48 | 固定ページリンク




一考 | 追記

北海道のコンビニでは既に簡易郵便局が併設されていると、北海道から複数のメールを頂戴しました。北海道のコンビニといえばセイコーマートとセブンイレブンです。早速調べましたが、結構ありますね。どうも失礼致しました。

8月15日から選挙情報の老舗である「選挙でGo」さんが復帰、大歓迎です。
Make Peaceさんはじめ、選挙の情報源として他の追従を許さないサイトを紹介しておきます。

http://homepage3.nifty.com/makepeace/
http://jiyuto.exblog.jp/
http://lovelysakura.way-nifty.com/sakura/

沖山さんへ

http://a.chakuriki.net/chakuwiki/index.php?title%E5%AF%8C%E5%B1%B1

上記アドレスは「各県の噂を持ち寄ることにより、ご当地のイメージを明らかにするプロジェクト」だそうですが、その中の「北海道の噂」は「ご当地の踏み絵」といった類いでは傑出、中身の正確さは保証します。ただし、温泉には触れられていません。「溜池通信」のかんべえさんの紹介です。

http://a.chakuriki.net/chakuwiki/index.php?title=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93



投稿者: 一考    日時: 2005年08月17日 16:40 | 固定ページリンク




一考 | 談合政治

 このままでは郵貯は破綻するということは、少しでも政治や経済に興味を持つひとなら分かっている。郵貯のほとんどは定額貯金で、その九割以上が国債で運用されている。定額貯金の利回りは解約オプションを考慮すれば国債利回りにほぼ等しい。調達金利が運用利回りと同じなら、永遠に利ざやは稼げない。どなたが経営に当たろうと、早晩破綻するのは目に見えている。
 貸借対照表が読めないひとは下記のアドレスの下段を見ていただきたい。口座の残高を口座数で割れば、民主党がマニフェストでいう総額規制がいかにナンセンスな政策であるかが分かる。そして、民営化をあと二年待てば、国鉄の二の舞になることも明らかである。

http://www.yu-cho.japanpost.jp/disclo/siryou/index.htm

http://www.yu-cho.japanpost.jp/disclo/siryou/7475.htm#747506

 官邸主導の政治こそが唯一責任のとれる政治だと思う。官邸ではなく、自民党の側に総理をしのぐ権力者やフィクサーが常にいたからこそ、政策の与党への丸投げや談合政治がまかり通ってきた。談合のなかを漂流するあいだに、政策それ自体が曖昧になり、責任や決定の所在が分からなくなる。ポスト小泉になった途端にもとの自民党にもどるのではなんの意味もない。だからこそ「中二階」にはお引き取りを願いたいのである。
 それにしても、小泉首相になってはじめて、官邸主導の政治がわが国にもたらされた。民主党にいちばん見習ってほしいのはその一点である。政策決定があやふやであり、支持団体の意向を気にし、総花的なことを言っているあいだは政権政党にはなれない。おそらく、次回の総選挙で民主党は最大の政党になると思う。しかし、民主党が政権を担えば日本の経済は破綻する、経済界はそれを許さないに違いない。
 小泉首相の非協調路線の結果、自民党が四分五裂になれば、民主党も細分化される。その時にならないと、政策集団は生まれない。私が願っているのは、談合政治の元凶である現在の政党が壊れて、政策集団に生まれ変わることである。はからずも、小泉純一郎氏はその種蒔きを試みたのである。

 次回選挙の議席予想。コメントを添えると果てがなくなるので、数字のみ掲載します。

定数 - 480
自由民主党 249(212) 200~210
公明党 34 31~33
自由民主党(造反組) 37 7~10
民主党 175 190~210
日本共産党 9 7~9
社会民主党 6 3~4
自由連合 1 1
無所属 3 2~3



投稿者: 一考    日時: 2005年08月18日 03:13 | 固定ページリンク




無名子 | よく分かる郵政民営化論


こういうHPもあります。

http://www.geocities.jp/dokodemodoa_jp/



投稿者: 無名子    日時: 2005年08月18日 17:16 | 固定ページリンク




政治研究者 坂本 | 小泉政権のダークサイド!!国民よ、目を覚ましてください。

突然の投稿をお許しください。解散総選挙に向けて皆様に申し上げたき事がございます。それは
小泉首相と取り巻きについての懸念です。
 まず、第一に公約違反、小泉首相の言辞を借りれば「公約違反は大したことではない。」だそうです。国債発行は何としても30兆円枠を堅持すると言っておきながら守られていません。そもそも30兆円枠という根拠が分かりません。要するに経済オンチが適当な数を上げたのでしょうか。それから、「誰がなんと言おうが私は靖国に終戦記念日に行く」と豪語して置きながら、実行されていません。こんな事は公約すべきことではないと思います。なんて常識的な事すらわきまえない人なんでしょう。また、靖国参拝はアジア諸国との国際問題化して関係が冷え込み、外交が手詰まり状態です。「1内閣1閣僚」といいながら、田中真紀子氏を更迭しました。総裁選では母親を慕うかのように田中真紀子氏を頼り、協力を得ておきながら都合が悪くなると切り捨てて、己だけいい思いをする。身勝手にも程があります。内閣では適材適所の人事を行うべきなのです。「特殊法人をゼロ」という事も口先だけです。そもそも特殊法人がすべて無用なわけではありません。天下りや税金の無駄使いの特殊法人がいらないということです。
 第二に「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」です。ご存知ない方が多いと思いますが、これはアメリカが日本の政策決定に関して、指令する事柄が記されており、毎年送られてくるもので
す。小泉政権の従米体質により日本政府は日本独自の日本国民のための経済政策をとることが強
く制約されています。日本がアメリカの植民地であり、日本政府はアメリカ政府から見れば一地方の行政府にしか過ぎないというのでしょうか。郵政民営化にしろ法改正のほとんどがこれに従ったものです。国民の知らぬところでこんな恐ろしいことが起きているのです。米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」はアメリカ大使館のホームページにアクセスして日本語で読むことができます。
 第三に小泉首相の盟友と言われる山崎拓氏の前代未聞の「変態疑惑」で、週刊文春」(2002年5月2/9日号)が掲載した、元・愛人女性Sさんによる告発によると、ホテルではAVビデオを大音量で流すこと、「俺は議員じゃなかったら、絶対AV男優になるんだ」と発言したこと、2度の妊娠中絶を経験したSさんに「女というものは、堕ろせば堕ろすほどセックスがよくなるもんだ」と暴言を吐いたこと、さらに、氏が「飲尿プレイ」を好んだこと、Sさんの母親を交えた、俗にいう「親子丼プレイ」を要求したことです。変態と変人は変同士で盟友というのでしょうか。こんな人たちに日本の未来を任せていいのですか。また、ネット上では小泉首相の若い頃の良からぬ疑惑も飛び交っていますが、ご自分でお調べください。
 第四にイラク自衛隊派遣です。開戦前にイラクが大量破壊兵器を持っていたとする不確かなアメリカの情報を元に、国連中心の政策を謳いながら、国際社会の観点からも、国連憲章上からも、違法なものでありながら、アメリカ様のご機嫌取りだけで戦争を支持し、国民に対して説明責任を果たしませんでした。結局、大量破壊兵器などなくイラクの軍事力などアメリカの比ではありませんでした。その後、小泉首相は、イラク自衛隊派遣では非戦闘地域であり、戦争は終わったなど嘘をいい強行しました。しかし、イラクの自衛隊宿営地には迫撃弾が何度も打ち込まれ、車両も爆弾攻撃を受けました。外交官やジャーナリストなどが武装勢力に処刑され日本人犠牲者が出ています。これで非戦闘地域や戦争終結のはずがありません。これは内戦・抵抗戦という状態です。
 第五に北朝鮮との拉致・核問題です。支持率に陰りがでるや、訪朝し拉致問題について交渉し、一部の被害者とその家族の来国を実現したが、それからはまるで関心なし、経済制裁もピョンヤン宣言もどこかへ忘れてしまったようです。核の脅威にいたっても大事な安全保障問題なのに関心なし。工作員に国民を拉致されようがミサイルで脅されようがどうでもいい考えで国家・国民の安全と平和が守られるわけは無いのです。
 第六に解散のきっかけになった郵政民営化問題であるが、そもそも国民から出た事ではない。小泉氏の昔からの持論に過ぎず、性急な必要性は無い。行政改革は必要だが、本丸といって郵便局に責任をすべて転嫁して、それさえすればすべて良しと言うのはごまかしであり、おかしい。それにこれは「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」のアメリカ政府の対日要求そのものです。財政投融資の財源とはいえお金を集めるのが悪いのではなく、その使い方が悪いのである。無駄な公共事業や特殊法人を廃止して、官庁の非効率な制度を改革するのが重要である。財政立て直しも必要である。日本の経済発展を明治から支え、インフラ整備や国民の貯蓄・保障に多大な貢献をし日本の文化的財産でもある郵政を儲け至上主義の営利会社にするなどもっての外ではないか。ほかにもありますが本件ではこのぐらいにして、後は読者の方にゆだねます。
 小泉首相は国民を騙し、日本を独裁して、自分のエゴを実現することで満足している変人である。ぶっきらぼうで他人事のような言いぶり。都合が悪い事はすべてマル投げ。小泉首相の言動を批判したり、自省を求めたりすると『抵抗勢力』のレッテルを貼られる。衆参議院の採決にまつわる反対派への締め付けや制裁は異常で非常識です。意見のひとつも許さずにこれが民主主義でしょうか。自殺者まで出ています。自己中心的で偏執的な性格である事は疑いありません。これ以上国政を任せたら明るい将来はなく、きっと後悔するでしょう。皆様は是非この事をよく検討され反小泉の行動をしていただきたい。ご同意の方々がこの事実をお友達や知人に伝えてネットワークを広げて政党を超えて、世論の力で正しい政治を発現しようではありませんか。マスコミは事実を伝え、いたずらに小泉政権を賛美しないようにしていただきたい。
追記
小泉首相のマニフェストにはそれまで予定されていた、サラリーマン増税が選挙の餌のために否
定されている。まったくサラリーマンを馬鹿にしており、馬脚を現したとしかいえない。郵政民営はほかの問題のすり替え。政権公約のポイントは全ていままで求められ課題に挙がりながら、やらずにごまかしてきた事ばかりで、飴と鞭の選挙対策でしかない。新党も出てきた事だし、皆さんここで新しい政界を国民の手でつくりましょう!!
最後に素晴らしい未来がこの国と皆様に訪れる事を願望してやみません。



投稿者: 政治研究者 坂本    日時: 2005年08月22日 17:51 | 固定ページリンク




一考 | 目を覚ますのはあなた

 坂本さんへ
 貴方の書き込みは個人への誹謗中傷以外のなにものでもありません。そして、貴方の書き込みのどこを索しても、学問としての政治は見当たりません。「政治研究者」と書かれていますが、単なるゴシップ大好き人間としか私には思われないのです。私が管理人なら即刻削除するのですが、当掲示板は管理人と私の二人三脚で維持されています。従って、書きたくもない反論を少々。
 時事的なことを書けばこのような書き込みもあろうかと思っていましたが、それにしてもなにを仰言りたいのかがまったく分かりません。坂本さんの頭のなかでは小泉首相とその取り巻きについての罵詈雑言が即「政治」のようですね。貴方自身が「そもそも30兆円枠という根拠が分かりません」と書いておられるように、なんら根拠を持たない公約が守られようが、守られまいが、どうでもよろしいではありませんか。
 靖国参拝にせよ、田中真紀子氏の問題にせよ、世は移ろいます。その時、そう思ったからもしくはそう言ったからを理由に、政治家が固着した概念を持とうとするならば、それこそが独善や独裁の母胎になるのであって、もっとも避けねばならない事態でしょう。政治家であれなんであれ、私は理念や節操を持った人間を信用しないのです。
 「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」は少なくとも当掲示板をご覧の方ならみなさんご存じでしょう。民主党桜井充議員の「郵政民営化は米国の意向を受けての改革ではないか」との8月2日の参院郵政特別委員会で発言がことの発端だと思います。下記サイトで愚にもつかない暴論が書かれていますが、貴方のお仲間なのでしょうか。

 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu100.htm

 郵政民営化が、金融市場の開放を求める米国の利害と一致していようがいまいが、それが国民にとって必要な改革であるかどうかとは、なんの関係もないと思います。それでなくとも、日本の公的年金や郵貯・簡保の資産運用業務に参入するために設立された外資系信託の閉鎖、解散、買収が相次いでいます。ピー・エヌ・ピー、ユー・ピー・エス、ドイチェ、クレディ・スイス、そして米国金融最大手のシティグループのシティトラストは今年十月ですべての業務を閉鎖し銀行免許を返上、全面撤退することになりました。
 話ついでに、サンフランシスコ条約(第1条 (b) )によって日本の主権が承認されたのは1952年4月28日、その講和会議に続いて、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地で日米安全保障条約が締結されました。この二つの条約をもって日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰したのですが、その独立の日以来、「日本がアメリカの植民地」になったのだと私は堅く信じています。

 公人の概念が私にはよく分からないのですが、とりあえず「議員や公務員など公職にある人」ということにしておきましょう。一方、私人とは野に下ったひとを言うのであって、公務員でなかった私などは一般人と言うのが正しく、私人とは申しません。で、その公人と一般人との差違は私生活があるかないかだと思うのです。従って、公職にある山崎拓氏の私生活が暴かれるのは仕方がないのかもしれません。しかし、貴方自身が書かれておられるように、それらは「疑惑」にしか過ぎないのです。『週刊文春』『東京スポーツ』双方との告訴合戦も裁判の途中で和解してしまい、灰色決着が付けられました。書かれたことが事実であるのなら、『週刊文春』はどうして最後まで戦わなかったのでしょうか。貴方は文章の末尾でマスコミは事実を伝えていないと非難しながら、山崎拓氏の件に限ってはマスコミを信じられるのですか、その根拠は奈辺にあるのでしょうか。
 ギリシャ悲劇からシェイクスピアに至るまで「親子丼プレイ」ごときはいくらでも描かれています。「親子丼プレイ」や「飲尿プレイ」のどこが、「前代未聞」なのでしょうか。それこそネット検索してください。いずれにせよ、貴方の書き込みは単なる魔女狩りです。山崎拓氏の性癖への嫉妬心が「小泉政権のダークサイド」を書かせたのであればご同情申しあげますが、そうでないのなら貴方の品位を疑います。

 北朝鮮に関しては経済制裁はなんら意味をなしません。なぜなら、韓国や中国が援助額を増やすだけだからです。悲しいことですが、恫喝外交には恫喝以外に有効な手立てはないのです。イラクであれどこであれ、戦地への自衛隊派遣によって実戦訓練を積んでいただいた上で憲法を改正するの他、拉致問題の解決方法はないのではと愚考します。韓国、中国、ロシアとの断交を覚悟で北朝鮮を海上封鎖するか、もしくは消費税を十パーセントに上げてその金数を身代金として北朝鮮へ支払うか、方法はかなり限定されます。そしてなによりも、国民の総意が必要になります。
 ひとの言動を非難するのは容易いのですが、問題は対案を生み出すことだと思います。都合の悪い事はすべて政治家に丸投げするのではなく、国民ひとりひとりが考え、方策を編み出し、世論を喚起し、そして政治家に進言する、それが国民の責任であり務めなのではないでしょうか。貴方や私のような脳天気な人間が拉致を誘発させ、「国家・国民の安全と平和」を脅かしているのではないでしょうか。

 第六はすでにお答えしました。

 小泉首相は歴史に名を残す名宰相だと思います。大臣の任命に際し一本釣りを敢行し、派閥を形骸化させました。また政策集団への脱皮に異を唱えた代議士にかつてなかった締め付けや制裁を加え、刺客をはなちました。道を造れとか橋を造れといった地方の権益を覆すために、立候補者を官邸で決め、落下傘候補を増やしました。既得権益を守るために汲々とする派閥や地方組織や支持母体を壊すことが、貴方のいう「騙し」であり「独裁」だとするなら、貴方が佳しとするのは田中角栄のような金権まみれの政治家なのでしょうか。
 澁澤龍彦や種村季弘が文学の世界に現れたトリックスターであったように、政治の世界にも後れ馳せながら小泉純一郎というトリックスターが誕生しました。渡辺喜美氏のホームページには下記のように書き込まれています。

 小泉総理は自民党や連立与党の要求に耳を貸すべきではない。思った通りの非妥協路線を貫けばよい。その結果、連立が壊れたり、自民党が分裂の危機に瀕したりすることがあっても良いではないか。「永田町のハルマゲドン」の後には「政界ビッグバン」が起こるのだから。

 貴方の文章は「新党も出てきた事だし・・・素晴らしい未来がこの国と皆様に訪れる事を願望してやみません」で閉じられています。貴方はきっと大樹の会の関係者なのでしょうね。まあ、そんなことはどうでもよろしい。ここは「素晴らしい未来」を信じるような方が出入りなさる掲示板ではございません。「素晴らしい未来」を「素晴らしい地球」を望むなら、まず、人類を滅ぼすための算段を致さねばならないのです。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月24日 12:29 | 固定ページリンク




愛信 | 年金未納の公明党が積極推進する法案

9月11日の総選挙で貴方の一票が日本国民を救う
郵政民営化

ある所にハゲタカがいました、ハゲタカは弱い者や困った人、困った
会社を見つけると殺してして食べてしまいます。
世界中にはハゲタカのような怖い虎や狼やライオンがいっぱいいます、
長いこと景気が悪く赤字がいっぱい溜まったハゲタカや虎達はみんな
お腹がぺこぺこでもう死にそうです。
ある日のことです、狼が云いました
「日本の郵政牧場には丸々と太った美味しい羊がいっぱいる、あの羊を
腹いっぱい食べたい、なにか良い知恵はないかな。」

郵政牧場では村の人たちから羊を預かって飼っていました。
村の人たちの生活はけして楽ではありませんが、老後の生活を支える
年金に不安があるので、少しずつお金を節約して買った羊を一番安全
な郵政牧場に預づけて飼ってもらっています。

ハゲタカや狼達は郵政牧場へ行って、牧場の周りに柵があるがこれで
は自由に中に入れない、それに羊が運動不足になる、周りの柵を取る
ように牧場の持主に要求しました。

牧場の持主は村人の代表に相談しました、郵政牧場の周りにある柵を
取り除きハゲタカや狼に頼んで羊に運動をさせて元気な羊を育てる、
更に元気な羊にするために牧場のことを全部ハゲタカや狼に任せた方
が良いと考えて、郵政牧場民営化を提案しました。
村人の代表達は牧場の周りの柵をなくて大切な羊が迷子になったり狼
に食べられてしまったら大変だと云って反対しました。
牧場主はハゲタカや狼がお腹をすかして今にも死にそうだと云う事は
隠して、この郵政牧場改革は今すぐに必要だからと言い出して、村の
人達全員参加の総選挙で決める事にしました。
牧場主は羊の運動や牧場のことは全部ハゲタカや狼に任せる事も隠し
て、元気な羊を育てる郵政牧場民営化に賛成か反対か決めてもらう事
にしました、反対している人を石を投げて追い出してしまいました。

郵政牧場の羊は村の人みんなの老齢年金の元になる財産であると同時
に、羊の持主の老後の生活をささえる大切な個人の資産です。 

郵政牧場には村人の万が一の時の蓄えが預金や保険で350兆円もあ
ります。
これはハゲタカや狼達が溜めた赤字4年分に匹敵します。


あなたはこの郵政牧場民営化に賛成ですか反対ですか。
9月11日の総選挙で貴方の一票が日本国民を救う

もっと詳しい話しはこちらにあります。

郵政民営化とは、郵政ロックフェラー化
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yuuseiminneika.htm

年金未納の公明党が積極推進する法案
人権擁護法案の恐ろしさは下記アニメを御覧ください

http://homepage2.nifty.com/save_our_rights/jinken001.swf

実践株式情報
http://www.aixin.jp/AJI0.htm



投稿者: 愛信    日時: 2005年08月24日 23:44 | 固定ページリンク




一考 | ファシズム

 かつて、某新聞社で働いていたとき、書籍の印刷を知り合いのところで出来ないかと伺いをたてた。許可を得てかなり安く見積もったのだが、大手印刷会社からこの仕事は10円でやろうとの横やりが入った。はなしはあっけなく頓挫し、それ以降理由の何如を問わず、便宜をはかるのは止めた。私がいいたいのは企業談合がなくなれば、生き残るのは大手だけで、中小の企業はすべて潰されるということである。ことの是非は問わない、事実関係を述べているまでである。

 85年のプラザ合意を持ち出すまでもなく、日本は米国との貿易摩擦を避けるため、常に内需拡大を迫られてきた。その結果、上下水道、都市公園、産業廃棄物処理場などの生活関連投資、もしくは地方空港、新幹線、道路整備など、多くの公共事業に多額の金を投じてきた。そこで問題なのは、地方の政治・経済は依然としてインフラ頼みだという点と、審議会が役所の追認機関になってしまっているとの点である。道路関係四公団民営化推進委員会の猪瀬直樹氏や大宅映子氏などは数少ない例外であって、官僚たちは意のままになる学者をしか集めない。まあ、そんなこともどうでもよい。問題は「インフラ頼み」にある。

 自民党は長いあいだ、地方支部から推薦された候補者を党本部が公認してきた。地方が欲したのは「利権」であり、必要としたのはそのための「しがらみ」だった。そうしたボトムアップ型の手法がもたらしたものは、世襲議員の横行と若手の新人の排除であった。その間に、民主党は枝野幸男氏のようなすぐれた若手を落下傘候補として陸続と地方に送り込んでいった。得票率において、民主党が自民党を追い上げていった理由はそこにある。このままでは自民党は解体する、との危機感を小泉首相が抱いたのは当然であった。しかるに、自民党の地方支部の幹部は既得権にしがみつき、仕切ってきたのは俺たちなのだと、ことここに至ってなお平気で官邸に楯を突く。談合体質が身に染みこみ、ボトムアップ型思考に馴らされたひとたちは、個々の意見の折衷にこそ平和があり、個々の意見を少しずつ取り込むことによって責任から逃れられる、それこそが民主主義だと信じているのである。時代が変われば理念も変わる、世界には掃いて捨てるほどさまざまな民主主義がある。そしてさまざまな民主主義がなければ困るのである。これこそが民主主義だというような固着した概念が生み出された瞬間、それは繭を脱ぎ捨ててファシズムに変態する。

 実体は「郵政関係者の、関係者による、関係者のための郵便事業」であるにもかかわらず、先だって坂本氏は「日本の経済発展を明治から支え、インフラ整備や国民の貯蓄・保障に多大な貢献をし日本の文化的財産でもある」と著していた。そのような「俺たちが」といった意識、言い換えれば我田引水こそが騙しであり、独善であり、エゴそのものであることに気が付かない。自民党の地方支部の幹部と同根の選民意識がふんぷんと臭うではないか。今回、小泉首相は民主党に倣い、地方支部のゴリ押しを無視し、多数の若手の落下傘候補を戦いに送り込んだ。それが奏功するかどうか、9月11日は近い。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月25日 02:37 | 固定ページリンク




一考 | 白痴的アナーキスト

 2007年には団塊の世代の大量退職がある。民間企業は退職引当金を長年かけて積み立ててきたが、政府も自治体も公社もひっくるめて公務員にはそれがなにもない。信じられないほど深刻な問題なのだが、これまでだれも手をつけずにきた。郵政民営化を急ぐ理由のひとつであると同時に、公務員のまま退職を迎えたい人々にとってはなんとかして逃げ切りたい歳月なのである。その鬩ぎ合いを演じているのが今回の選挙である。
 全国の地方自治体も同じ問題を抱えている。国の後年度負担を信じて自治体が借りた金額が70兆円を超える。それに団塊の世代の退職金が加わっただけで多くの自治体は借金地獄に陥る。国も地方も「橋や道路を造って」どころでなくなるのである。
 この前の参院選挙で「一区現象」が起きた。民主党が都市部に落下傘候補を立て、多くの議員を誕生させた手法である。今回、小泉首相はその選挙手法を踏襲した。そうして選ばれた議員は従来のように政府と地元をつなぐ仕事はしなくなる。国会議員の意識が変わり、国政に専念するようになる。国会議員が国政のエキスパートになることによって、地域の政治家は地域の政治に責任を持たなければならないようになる。陳情能力ではなく、個々の政治家の政策能力が問われるようになるのである。臼杵市長の後藤国利氏はその間の消息を「小泉手法は分権に向けた頂門の一針だ」と看破する。今回の選挙に関してこれ以上的確な文言はないように思う。

 さて、私は小泉首相のファンでもなければ、自民党の支持者でもない。と言うよりは、自民党が大嫌いである。その自民党を内部から壊そうとしているひとがいる。最初は冗談だろうと思っていたのだが、やがてそうでないことに気づいた。だから一度ぐらいは自民党に投票してもいいと思ったのである。繰り返すが、私は自民党の崩壊に一票を行使するのであって、再生に一票を行使するのではない。民主党の内部から民主党を、共産党の内部から共産党を壊そうとするひとが現れたら、同じ理由で支持したい。
 上記のような書き方をしないとなにも通じないことに気付かされた。身内からすら、私が自民党のシンパであるかのごとく言われて愕かされた。あえて苦言を呈しておきたいが、文章というものは全体を読まないとなにごとも判断してはならない。断片を取上げてどうのこうのと言われるのは不愉快である。いわんや、その砕片を好き嫌いの定規で計られては堪ったものでない。当掲示板がツチノコの糞か海馬の涎かはともかくとして、理解を欲しての掲示板ではない、だからこそ、誤読は覚悟の上である。しかし、自民党の支持者であるかのごとく曲解されるといたたまれない。要は私の書き込みはなにひとつ読まれていないと言うことではないか。この件をこれ以上書くと繰り言になるのでやめる。
 前述したごとく、大方のひとは好き嫌いを判断の中心に置く。好き嫌いがないわけではないが、私は私自身の好悪を信じない。その理由は複雑なので稿を改める。私はプラトン主義者だが、それは弁証法的想像力に興味があるのであって、プラトンのいうイデアにはなんの興味も抱かれない。イデアが多姿性のものであれ、単姿性のものであれどうでもよく、また物の形や姿、形式や種類がいかようなものであれ、私は意に介さない。だから「美学」とか「高踏派」とか「様式」とか「ダンディスム」とか、固着したものや丸ごと捉えることを強いるようなものを遠ざける。分かりやすく例えれば、日夏耿之介や吉田一穂や伊東静雄や宮沢賢治などの作品にいかがわしさを覚えるのである。念のために言っておくが、不信感を抱くのと読書を楽しむのとはいささか領域が異なる。「いかがわしさを覚える」からといって必ずしも拒否し、否定しているわけではない。
 先日「理念や節操を持った人間を信用しない」と書いた。前項の「丸ごと」と「理念」は通底する。そして理念を必要とし、また内包せざるを得ないとの理由で国家、民族、宗教、国民、社会、家庭、伝統、自己同一性といった概念そのものに危機感を抱いている。サディスムとマゾヒスムの例を持ち出すまでもなく、フロイトは気ぜわしい二者択一や安直な弁証法的統一によって、二項対立のあいだの垣根をこともなげに跳び越えてしまう。異質性の立証ないしは自立や関係の多義性を考察するのではなく、二項対立を相互補足性、弁証法的単位性として捉える。その統一されてしまうことの怖ろしさを私は言っているのである。「理念」が「理念」の名のもとに個々の異質性や多義性を剥ぎ取り、掻っ攫ってきたのが人類の歴史である。歴史とは個の蹂躪の謂いであり、簒奪の繰り返しそのものではなかったか。私はいかなる理由においても拘束や束縛されるのは勘弁願いたいのである。私は弁証法のアンビギュイティの世界を心おきなく彷徨いたいと願っている。個に生きる人間にとって、国家や国民は厄災しかもたらさないのである。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月29日 19:17 | 固定ページリンク




一考 | 両義性

 moonさんへ
 励ましのメールを忝く読ませていただきました。私の悪しき癖で、ついつい、書いてはいけないことを書いてしまうのです。
 先日も常連の某作家の過去の女関係を客から聞かされ、「だからどうなのよ」と声を荒らげてしまいました。また某翻訳家の翻訳を、あれは昔に流行した作家で云々と註釈を入れられ、君とははなしが成り立たないと気色ばみました。誰が誰と付き合おうが、流行した作家であろうがなかろうが、私の知ったことではないのです。そのようなゴシップは文学とはなんのかかわりもないのであって、仮にゴシップを述べるのであれば、そのゴシップ自体がそのひとの文学観と交点を持つように抽象化されなければなりません。
 文学観であれ、歴史観であれ、世界観であれ、それらの外側にたって、対象的に眺め、理解しようとするのであれば、私は御免蒙ります。どのような見方をするにせよ、見るひと自身が世界を構成する一部分であり、世界観を形成する人間もまた現実の世界の動きに巻き込まれて存在するしかないのです。従って、自分自身の主体的なあり方、言い換えれば、文学観であれ、歴史観であれ、世界観であれ、それらの内側にたっての理解でなければ話にも何にもなりません。
 大体が、歴史と世界観などは両義的なものとして捉えなければどうにもならないではないですか。歴史的現実のなかから世界観が生まれるのですが、その世界観は常に歴史をつくりかえてゆくではありませんか、少なくとも歴史には事実とか真実といった客観性は存在しないのです。
 種村さんに時計とユートピアの両義性について考察した「時計」(『澁澤さん家で午後五時にお茶を』学研M文庫所収)と題するエッセイがあります。「幾何学的秩序の魅惑と同時に全体主義の恐怖が支配」するユートピアの二律背反は、城と牢獄の両義的関係についても成り立つ、と種村さんは予断します。「外敵を寄せつけない城は、囚人自身以外の何人も立ち入れない牢獄と同一のトポスに立っている。同じ場所が、主人にとっては城となり、奴隷や囚人にとっては牢獄となる」種村さんが注意を喚起しているのは、ものごとは一筋縄ではいかない、一義的な判断を下してはならないということです。
 先日「私は弁証法のアンビギュイティの世界を心おきなく彷徨いたいと願っている」と書きましたが、それは澁澤さんや種村さんを念頭に置いての文言です。文学は資料でも史料でもないのです。主体的・実践的契機として捉えなければ、どこまで行っても文学とは平行線なのではないでしょうか。間村俊一さんがとても素適な俳句をつくられました、無断掲載です。

 またしても弁証法的秋の暮れ



投稿者: 一考    日時: 2005年08月31日 20:26 | 固定ページリンク




一考 | 間に合わず

 櫻井さんへ
 「以下選挙期間中につき省略」とは洒落ています、ご厚志に感謝。実はあの数値に移動があり、コメントを添えて第二弾と思っていたのですが、本日締め切りの文章が二本あって間に合いませんでした。それにしても、プロパガンダのお相手はできません。かなり抽象化したつもりだったのですが、時事問題の困った部分が露呈したようです。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月31日 20:43 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

 會利さんへ
 宇野さんの「眼と深淵」と拙稿を抱えて、横須賀さんがいま帰られました。「射」についてここまで書き込まれたものはないと、大層お喜びでした。残された写真を見てたちどころにあれだけ明晰な文章をお書き下さったことに、私からも感謝です。これで横須賀さんの作品集は重みを加えました。発行は11月19日ですが、展覧会場での発売が書店より先行します。写真展へはぜひご一緒致しましょう。なお、念のため当方で校正しましたが、「計量」以外は問題ありませんでした。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月01日 02:51 | 固定ページリンク




Cocoa | エッチなお友達探してますぅ~っ

まずは自己紹介ってことなんだけど、ここに書くと色々長くなっちゃいそうだからとりあえずCocoaのHP見てね。かなり自己満?なサイトだけど、Cocoaがどんな女の子かって分かってもらえると思うので。 写真もいっぱい載せてみたので、良かったら見てねぇ~!! http://g-space.jp/~flyhigh/



投稿者: Cocoa    日時: 2005年09月01日 14:54 | 固定ページリンク




一考 | 二日酔い

 昨夜というよりは今朝、帰宅途次の櫻井さんのはなしがむやみに面白かった。オタクにとって文学は資料以外のなにものでもない。文学の意味内容に立ち入ってしまうとオタクでなくなり専門家になってしまう、オタクたるもの書物の表層に踏みとどまらなければならない。
 帰宅後、産経ニュースの一報に目を通す。郵貯の口座数が六億に近く、その10パーセント強が1000万円を超えた違法貯蓄であり、20パーセント強が1000万円の口座である等々。郵政公社の資料編を訂正し、わかりやすいグラフに仕立て、民間の銀行口座との差違を詳しく述べていた。
 わが国の人口がいつの間に六億になったのかなあと思いつつ、民間企業なら株価操作や粉飾決算で逮捕者が出るのに公社は無責任でいいなあと思いつつ、日本人の民度を考慮すれば選挙によって民意を問うことだけはしてはならないのではないかと思いつつ、やけ酒を喰らう。
 知己のサイトはほとんどが休止した。選挙期間中はどのような表現が公職選挙法142条に該当するかが分からないからである。当掲示板も某政治家秘書から指摘された部分を削除した。もっとも、当掲示板はアナーキズムのプロパガンダを専らとする、従って142条は糞食らえである。

 2007年問題の派生は1947年から予測されていたのであって、なにを今更である。91年からのわずか16年のあいだに団塊世代の退職金を工面しなければならないのである。年金や保険の負担を軽減するために早期退職を勧め、正社員を減らし派遣社員を増やすのは序の口、諸団体の民営化がたとえうまく行ったところで、年金制度に多大な混乱をもたらすのは必定である。
 この件に関し、ホリエモンが非凡な意見を述べていた。既に破綻したものを誰が弄くろうがどうにもならない。そして国民の過半数は現状の年金制度にそっぽを向いている、第一、もっとも大切な自分の老後を国まかせにするとはなにごとぞ。そこでホリエモンさんに一言、フジテレビを買収する金があれば、自民党を買い取っていただけまいか。選挙に立候補するような柔なことはせずに、日本国のオーナーに直接なるべきではなかろうか。
 この四年間に政治の世界でいかなる改革が行われてきたか、「表層に踏みとどまる」のを潔しとするひとたちは理解しない、理解しようともしない、否理解する必要もないのである。個々もしくは地域の利権に拘泥するイラクや日本のような国の民、言い換えれば、現状を諾い、精神のあり様を保持しようとする保守反動の輩が心底から求めているのは独裁者である。王様にとって唯一の財産は国民、従って専制君主は民を大切にする。ことここに至っては、中国の経済圏に取り入ってマルティニーク島やバージン諸島のような海外領になるか、もしくはアメリカにお願いして五十一番目の州に格上げしてもらうのがもっとも賢明な方策ではないだろうか。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月02日 21:16 | 固定ページリンク




一考 | だめ押し

 先だって理解を求めないと書いたので、なおさらのこと註釈は入れたくない。従って註釈ではなく、だめ押しを一言。時事問題に関し、言いたいことの大略は述べた。そして意見が合う合わないはそのひとの勝手である。ただし、意見の相違を私は黙視しない。考えのないひとの考えを私は思考や思想として認めない。そのためにこそ「現状を諾い、精神のあり様を保持しようとする保守反動の輩」と書いた。「保守反動の輩」すなわちものを考えないひとは、私にとって敵である。そいうひとが過半数を占めたとき、日本はアメリカの五十一番目の州になるしかないのであって、決して冗談で書いたのではない。そして、それはそれでよいと思っている。ただし、私はアメリカという国を積極的に嫌っている。従って、私が生きているあいだは困る、迷惑なのである。

 ここからはおまけである。靖国問題は小泉ひとりの問題ではない。戦争責任を戦犯にのみ押しつけて、安穏を決め込んできたわれわれ全員の問題であろう。昨今「講和条約十一条の誤訳」とか「侵略」という文字がポツダム宣言に含まれていないとか喧しいが、「目を覚ますのはあなた」で書いたようにサンフランシスコ条約と日米安全保障条約の受諾を交換条件に日本は独立を与えられた。素直に認めるのがいやなら、サ条約に調印した四十九箇国を相手に戦争をすればよいではないか。
 たとえ百回謝罪しても新たな悪口雑言があれば、百一回目の謝罪をしなければならない。責任転嫁や暴論が繰り返されるから謝罪を繰り返すしかしかないのだが、同じ謝罪が五十回も繰り返されると、その謝罪をいかように信じればよいのか分からなくなってくるのは当然である。
 なにを差し置いても、戦争責任に対するわが国の統一見解を出すべきである。自らの意見を持たない、その曖昧さが諸外国につけいる隙きを与えているのである。国家として民族としての統一見解をこじつけなければ外国とコミュニケートしようがないではないか。そのこじつけが理念であり、理念のない政治などあろうはずがない。なにも政治に限らない、他者との接点は強牽、詭弁の繰り返しのなかからしかうまれてこない。それが嫌なら首を吊るしかない。
 前述した暴論によって、わが国にあってはしばしば大臣の首が挿げ替えられる。「談合政治」で書いたように、ここにも政党が政策集団でない弊害が顕れている。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月03日 21:29 | 固定ページリンク




如月 | サイトが復旧しました。


8月中旬から、小サイトおよび掲示板がサーバー・ダウンしておりましたが、このほど復旧いたしました。
みなさん、どうぞ、倍旧のご贔屓を。
(先日渋谷のシネマライズでみた犬童一心映画『メゾン・ド・ヒミコ』がとてもおもしろかったので、当面、歴史棚上げでそれについていろいろ書いてみようかな…、なんて風にも思ってます。)



投稿者: 如月    日時: 2005年09月05日 08:58 | 固定ページリンク




一考 | 弁証法の魔

 マゾヒスムに関するユニークな論攷として、ジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』(蓮實重彦訳)、河野多恵子『谷崎文学と肯定の欲望』、種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』の三冊が七十年代に相ついで上梓された。ユニークと著した理由は、クラフト=エビングが論じたサディスムとマゾヒスムの相互補足性、弁証法的単位性を不当として否定した点にある。クラフト=エビングの著書が狹隘な諸前提のうえに成立したひとりよがりの心理類型学の典型であったにもかかわらず、これら三冊の書物が現れるまでは疑いを持たれずにきたのである。その内、ドゥルーズと河野多恵子の著書に関しては宇野邦一さんがエッセイを著されている。ぜひお読みいただきたい。
 ウィーンの精神医の『性の心理学』の公刊が一八八六年、ドゥルーズの原著の公刊が一九六七年である。実に八十年の間、サディスムとマゾヒスムは並置の接続詞「と」によって無批判なまま、一種の依存関係に置かれてきた。その依存関係への反論としてドゥルーズはひとつの艶笑談を紹介している。某所でマゾヒストがサディストと出会う、千載一遇のチャンスとばかりにからだを痛めつけてくれと願うのだが、サディストは取り合わない。生贄に快感を感じられてしまっては、サディストとしての立場がなくなる。鞭を振るう側もふるわれる側も、共にマゾヒスムの世界の住人でなければ困るのであって、どこまでいこうがサディスムの世界とは無縁なのである。
 サディスムとマゾヒスムの問題に関して、クラフト=エビングもフロイトも気ぜわしい二者択一や安直な弁証法的統一によって、二項対立のあいだの垣根をこともなげに跳び越えてしまう。二項対立にあって大切なのは、双方の異質性や多義性を知ることであると先日書いた。サディスムとマゾヒスムにあって、性徴と性格はことごとく一致しない。従って、それらが対置されるに至った条件、主と従、または支配と服従の関係を明らかにし、それからの解放を導くための二項対立でなければならない。ところが、クラフト=エビングもフロイトもふたつの異なる概念を一枚のコインの裏表であるかのように錯覚してしまう。そのような虚構に迷い込ませてしまうところに二項対立の危うさがある。いわば、弁証法の魔のような隙間にクラフト=エビングもフロイトも陥ったのである。
 ドゥルーズと種村さんの著書がクラフト=エビングの「サディスム=マゾヒスム」とのどんぶり勘定に鉄槌を下したと書けば手数はかからないが、はなしはそれで終わらない。二元論的対立を肯うがごとき身振りを演じながら、徐々に視点をずらせていく、その転移もしくは転位によって、二元論がもたらす虚構が、また不毛が赤裸々にされていく。ドゥルーズの著書にあっては、そうした志向的内在が、並置されたそれぞれの項目の自立をうながしていく。雨後の筍のようにひしめきあう二項対立、ありとある弁証法が仲良くあるいは仲悪しく共存するなかにあって、それら全体を蓋う球形の宇宙のようなものが、やがて立ち顕われる。否定するでもなく肯定するでもなく、二項対立をまるごと呑み込んでしまう開かれた場、開かれた言語にあって、乾枯した殻を脱ぎ捨てて解放された個々の項目は独自の問題を提起する。その辺りの消息はこと細かく書かない、書物を直接読んでいただきたいからである。
 ここで書いておきたいのは、種村さんは『ザッヘル=マゾッホの世界』(平凡社ライブラリー)を著すに際し、先行するドゥルーズの著書から多くを負っているということである。言語体験としての世界体験、離郷体験や流浪がもたらす未決の宙づり状態、あるいは生きかたそれ自体が一種のだまし絵であるかのようなマゾッホの演劇性等々である。「サドにスピノザ思想が、推論的理性があるとするなら、マゾッホにはプラトン主義が、弁証法的想像力がある」とはドゥルーズの卓見だが、そのドゥルーズと種村さんとのあいだには、「イデアを拒否する変則的プラトン主義」との共通項がある。「白痴的アナーキスト」でも触れたのだが、洋の東西を隔てて同時期に、畸型や倒錯の内部に身をひそめながら二項対立からの遁走を試みたところに、ひとつの時代の要請を感じるのである。

 種村さんに関するエッセイを書くに際して、頭を離れなかったのは二元論である。二元論でも、二項対立でも、葛藤でも一向に構いはしないが、ひとがものごとを考えるときに二元論なしではほとんど不可能に近い。ヘルメスやトリックスターについて考えるときにも、遁れようと思っても二元論からは遁れられない。その二元論からの解放を試みた最初の作家が澁澤龍彦であり、種村季弘でなかったかと思い続けてきた。歴史と社会の存続の基盤である二元論的思考の拒絶はひとをアナーキーな場へ誘う。そのアナーキズムの有りようが、澁澤龍彦と種村季弘ではずいぶん異なる。その差違を的確に言い表せないものかとずっと考えてきたのである。書いては消し、書いては消しを繰り返し、なんとか二十枚に纏めた。当書き込みはその折の反故の一部に手を加えたもの。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月05日 19:24 | 固定ページリンク




一考 | シュルレアリスムと性

 グザヴィエル・ゴーチエの「シュルレアリスムと性」が平凡社ライブラリーから再刊された。訳者は三好郁朗さん、かつてルネ・クルヴェルの「ぼくの肉体とぼく」を私は編輯している。「シュルレアリスムと性」が最初に上梓されたのは1974年、朝日出版社からであった。当時、評判だったケイト・ミレットの「性の政治学」と一脈相通じるきわめてアクチュアルなインパクトを内包したエッセイである。
 ミレットはD・H・ロレンス、ヘンリー・ミラー、ノーマン・メイラーのような性の文学の作家たちを男根中心主義と批判し、彼らの状況判断が誤っていて、作品の偏向が有害であると指摘する。他方、フロイトの男根中心的な理論体系、すなわち主観的秘教主義、禁欲、保守性などはそっくりそのままブルトンに受け継がれてい、それこそが革命に対するシュルレアリスムの裏切りだとゴーチエは糾弾する。
 性差別を温存したままでの性の解放など、所詮は男性がよりよく女性を享有するための強弁であり、反動的改良策でしかない。自ら革命思想を自認したコミュニズムとシュルレアリスムが、結果として、性欲をその原理において抑制するに至った反革命性をゴーチエは明確に跡づける。 まことに手厳しいブルトン批判なのだが、当時の私の目には説得力があるように思われた。「シュルレアリスムと性」一巻は、私にシュルレアリスムとの決別を迫るものであったと言っても過言ではない。そして、女性の疏外状況の理想化、永続化を計る企てに抗議しつづけた倒錯的性愛実践者のルネ・クルヴェルに傾倒していったのも、ゴーチエの導きであった。
 ラカンの影響が強いが、そのラカンやドゥルーズを経た今日ではいささかの問題点もある。同性愛の章で当然触れなければならないマイノリティの概念を考察せず、サド・マゾヒスムの章では否定するフロイトの理論からの解放をなんら試みていない等々である。しかし、その辺りをさっ引いても面白い、現在にあってなお有効なシュルレアリスム批判の書である。
 種村季弘さんがつとに指摘するように、フロイト、ライヒ、マルクーゼという精神分析学の一系譜はシュルレアリスムの理論形成と深く重なり合っている。重なり合うのは構わないが、その反動的傾向は困ったもので、ネット社会の今日、その性差別の傾向はますますひどくなっているように思われる。「異常」であれ「倒錯」であれ、もしくは「男らしさ」であれ「女らしさ」であれ、性欲を常に性器的なものに閉じ込めようとする男性中心の文化が瓦解するのは何時なのか。男であれ、女であれ、なんであれ、そのような概念はどうでもよい。個々のひとはまず欲望の主体であると同時に欲望の対象である。それは対立する概念ではなく、融解し滲透しあうものでなければならない。エロティシズム、ひいては性の問題こそが、革命の起源の場であり実践の場であらねばならない。

 平凡社ライブラリー版には旧版の「訳者後記」も収められている。六十年代の思想的激動の一端が垣間見られる傑出したエッセイである。また「訳者後記」に出てくる「君」は若くして縊死した大槻鉄男さんのことである。セリーヌやブルトンやシュペルヴィエルの名訳を遺したフランス文学者にして詩人。七十年代、私の京都時代は彼と共にあった。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月06日 02:07 | 固定ページリンク




一考 | 軍産複合体

 アメリカはかつては民主主義の国であった。交戦権が議会に属し、文民統制が効いていた時代があったのである。ところが交戦権を大統領ひとりに委ね、議会としての役目を自ら抛り投げたとき、アメリカは絶対資本主義の国となった。議員の過半数が軍産複合体と関わりを持ち、そこから得られる寄付金がしがらみとなって利権を生み、交戦権を手放すに至ったのである。ブッシュにせよ、ラムズフェルドにせよ、ライスにせよ、みなさん軍産複合体の代理人である。
 支持するひとがいなければ、政治家になれないが、支持者が組織であれば、国政に専心することはかなわない。その典型を私はアメリカの議会に見る。ロビイストが跋扈する、あのような国にだけはなってほしくないと願うのである。

 9.11が他国を侵略する免罪符として用いられている。だったら、8.4(トンキン湾事件)や1.1(イラク空爆)はどうなるのか。アメリカは理由をでっちあげ、他国の民間人を理由なく殺戮しても謝罪ひとつしない。開戦の3月19日未明、B-1B爆撃機によって50発の精密誘導兵器が投下され、軍事目標に命中したのはわずかに8発、他の42発は見事に民家へ着弾、狙い通り多くの民間人が殺された。
 しかし、そのようなことをいくら述べても虚しい。素手に石を持って、ミサイルや戦闘機や戦車と闘ってきたパレスチナの例もある。宗教の教えに叛いてまで、爆弾を身体に巻き付けて突撃する個人をテロリスト呼ばわりする理論的根拠がどこかにあるとでも言うのであろうか。彼らは軍産複合体が仕掛けた戦争に否応なしに従わされているのであって、闘わなければならない相手は軍産複合体とかかわりを持つ世界中の企業ならびにそれら企業で働く労働者なのである。殺戮に用いられる最新兵器は軍産複合体の産物であり、世界中の企業が深くかかわっている。当然、わが国の企業も50余社が部品の製作にかかずらっている。私がいいたいのはわれわれも殺戮の当事者だということである。意識するとしないとに関らず、生きるという行為それ自体が、「現実の世界の動きに巻き込まれて存在する」ことなのである。

 さて、市会議員や県会議員が出世して国会議員になるのであれば本末顛倒である。地域には地域の、国には国の行政があり、個々の政治家の視点も哲学も異なる。自らの立ち位置は自らの理念と信念の背丈に合わせて決められなければならない。地域固有の政策立案はそれら地域に詳しい議員に委ね、地元出身者や特定の団体の利益を代弁するようなひとは国政に参加させるべきでない。今回、地縁も血縁も持たない公募された候補者が多く立候補したが、数年前には考えられなかったことである、かかる構造が機能するさまを民主主義という。余談ながら、軍産複合体の成立を許さなかったのがわが国の憲法の存在である、大いに自慢すべきことと心得ている。
 グローバル化によって単一の国家の利益を追求することは不適切になりつつある。それを強引に押し進めればアメリカや北朝鮮の二の舞になってしまう。相互依存の深化は国際関係を緊密にさせる反面、均衡した依存の内容をもたないので、しばしば利害の対立を誘発する。国益という概念そのものを梳る時代がやってきたのである。旧態の利権の論理は世界のいずれにあっても通用しない。さればこそ、地域の利権を掌中にしたいひとは地域に、組織の利権を掌中にしたいひとは組織にお帰りいただく、今回の衆院選挙の最大の眼目はそこにある。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月06日 20:55 | 固定ページリンク




一考 | 貸し出し可能

 北端あおいさんへ
 グザヴィエル・ゴーチエの「シュルレアリスムと性」が貸し出し可能になりました。ですぺらに置いています、いつでもどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月07日 23:09 | 固定ページリンク




北端あおい | わぁ!


どうもありがとうございます。
先日は、ほんとうにそちらへ行くのは久しぶりでした。
また、近々伺いますので、どうぞよろしくです。



投稿者: 北端あおい    日時: 2005年09月09日 15:18 | 固定ページリンク




一考 | らっきょの皮むき

 『澁澤さん家で午後五時にお茶を』(学研M文庫)を読んでいて、巻頭に気になる文言を見付けた。

 「一般に表現活動に従事する人間は、軽微の、あるいは重傷の二元論に冒されている。彼の内部と外部、影と光、過去と現在との間には調停し難い落差があり、その対立物の葛藤から作品世界が形作られているので、葛藤を形成する主要な原型的モチーフを洗い出せばそこから作家の全貌が窺い知れるだろう。しかるにこの場合には、当の葛藤が存在しないのである。つまり、二元論がきれいさっぱり欠如しているのだ。したがって、澁澤龍彦はしばしば『白痴的』に見える」

 「二元論がきれいさっぱり欠如している」とは痛快きわまりない指摘だが、その伝でいけば、種村季弘は「二項対立を体現する両義的・媒介的性格」を具えたひとということになる。と書くのは易しいが、この間の消息は難儀である。「きれいさっぱり欠如している」といわれて「ああ、そうですか」とうなずけるものではない。そもそも、いくら気質に恵まれているからと言って、まったく葛藤のない人間なんぞいるのだろうかといささか心配になる。

 柿沼裕朋さんは種村季弘論のなかで、種村さんが生涯こだわり続けたテーマに、詐欺師、言葉、無意味、影法師、錬金術といった実態がないものと怪物、ねじれ、畸形、水、まどろみといった無垢なるものがある、と指摘する。柿沼さんが言いたいのは、虚無的な種村季弘と、虚無主義に徹しきれない種村季弘とのあいだに葛藤があったのではないか。その潔しとしない部分、未練がましさにこそ、種村季弘と澁澤龍彦との違いがあったのではないかと言うのである。柿沼さんの文章はつづく、

 「(種村さんは)人生は不確かで無意味であるという考えをきっぱりと割り切って受け入れることが出来なかったようだ。戻られないと解っていても、幼年期の、自己同一崩壊以前のまどろんだ状態を渇望していた。言い換えれば、世界と主体が混然一体となり、外殻を不死身甲虫に守られた安全地帯のなかで、何もしないでぶかぶかと無力で浮いていたかったのである」

 この辺りからは柿沼さんの独断場である。漱石以来続いてきたわが国近代文学の宿痾とも称すべき「自己本位」などというしみったれた文学の乾枯した殻を蝉脱せんとしたところに、澁澤龍彦の、種村季弘のおもしろさがあるのだが、その構造を柿沼さんは知悉している。
 種村さんがいう「澁澤龍彦の気質」は種村自身にとって大きな憧憬であると同時に、越えねばならない障壁でもあった。種村と澁澤というまったく異なった作家において、共通項がもしあるとするならば、おそらく二元論からの解脱だったと思われる。二元論からの蝉脱に澁澤さんは両義性を、種村さんは自己同一崩壊以前のまどろみを器官射影として携える。器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である。

 種村さんの『書物漫遊記』が上梓されたのが1979年1月20日、澁澤さんの『玩物草紙』が上梓されたのが1979年2月25日である。共に骨法は小説、偶然とは言え、おなじ時期に創作の世界へ大きく足を踏み入れることになる。言葉による観念の解放を試みるひとにとって、自分自身は玩弄の対象にこそなれ、検閲の対象にはならない。「草紙=喪志」との語呂合わせめいたタイトルがその間の消息を物語っている。他方、種村さんは澁澤の小説について「人の世は夢、夢のまた夢のカルデロン風の建造物は層をなしてつみ重なる。けれども材質が夢であるからには、いくらつみ重ねても男根状に聳立することはない」と著している。
 同時期の種村さんに「夢」または「夢記」と題された掌編小説の連作がある。島尾敏雄や井伏鱒二や澁澤龍彦のそれと同じくトートロジックな重語法で小説の原器的形態を表出した作品で、タイトルに相応しく内容的な実体はなにもなく、言葉の現実による記述に終始する。「夢」とあるからには当然で、二元論的緊張が不気味なほど欠如した、謂わばらっきょの皮むきのような作品なのである。澁澤さんの「高丘親王航海記」を「自由意志の羅針盤をうしなって偶然の洪水の只中をひたすら受け身のままに漂う」作品と評した種村さんが「自己同一崩壊以前のまどろみ」を著したといえようか、ただしその場合、「偶然の洪水」を「逆理の洪水」に差し替えなければならない。そして柿沼さんの種村論もまた、トートロジーの輪のように種村季弘のまわりを漂い続ける。マゾッホ、ドゥルーズ、澁澤龍彦、種村季弘、そして柿沼裕朋とつづく文化的先天性に着目したい。反転、転位、顛倒、仮装、弁証法的分裂といったソフィスト的技法の駆使にあって、出来合いの中身や内容といったものは夾雑物に過ぎない、内容のなさにおいてあらゆる事象は等価になるのである。

 「がらんどうとまどろみという永劫の乖離は種村さんのなかに複雑な屈折をもたらした。空虚と無垢なる状態への引き裂かれた願望とそこから生じる屈折がいくつもの入れ子をなして重なりあい、目に入る世界のさまざまな現象や物質を巻き込み作り上げられていく迷宮。そうした幾層もの屈折が、一筋縄ではいかない種村ラビリントスや百面相ぶりを生む一つの要因であったと思う」(引用はすべて「迷宮タネムラの解剖学」より)

 柿沼裕朋さんの種村季弘論「迷宮タネムラの解剖学」は平凡社の「月刊百科10月号」に掲載される。発売日は9月25日、ご購読をお薦めする。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月09日 20:18 | 固定ページリンク




一考 | 投票終了

 選挙がはじまる前日の予測だったのですが、書き込む機会をなくしました。投票時間が終了しましたので載せておきます。共同ならびに五紙のなかでは東京新聞にもっとも近いようですが、比例で自民と民社のあいだにもうすこし差が出るかもしれません。最後まで拮抗し、予測のできない選挙区が二十区ほどありました、それらは今回の風向きに応じて自民党に加えました。これほど流れが読みにくい選挙は珍しいと思います。
 マニフェストはひとわたり目を通しましたが、相も変わらず理念はなにもございません。ちゃらんぽらんな投票を強いられているようで、気分のよいものではなかったと申し添えておきます。理念がない以上、既存の組織ないしは常識とされている価値判断の顛倒の可能性を投票基準にするしかなく、お寒い選挙だったといえます。目標は二大政党制であり、政権交代なのですが、民主党党首のネガティブな発言の繰り返しには幻滅させられました。討論会での岡田氏の発言は小泉首相へのヤジに終始、逆に公明党や国民新党党首の控えめな発言に建設的かつ具体的な信念が垣間見られました。精神とはことばであり、言葉によってしか理念を表明することはできません。ヤジやネガティブ・キャンペーンでは選挙になりません。政権交代は再度見送られることになりそうです。
 選挙とは関係ありませんが、鈴木邦男さんのホームページに乃木坂うづき氏の「がんばるな!?新左翼」が掲載されています。三章の「ステ貼りは芸術だ」は抱腹絶倒、新左翼の立候補者がいないのを寂しく思いました。
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/ganbaruna001.html

     小選挙区  比例    計
自民    187  76  263
民主     88  66  154
公明      7  25   32
共産      0   8    8
社民      1   4    5
国民      2   0    2
日本      0   0    0
大地      0   1    1
無所属    15   0   15
計     300 180  480



投稿者: 一考    日時: 2005年09月11日 20:03 | 固定ページリンク




一考 | 選挙結果

 予測以上に自民党が大勝したようだが、もっと勝ってもよかったのにと思っている。なぜなら、私は若者にしか期待しないからである。
 新人八十三名のうち十名がなんらかの形で派閥にかかわりを持っているが、他は無派閥であり、首相は派閥に属さなくても必要な資料の開示を認めると公言した。団体や組合の支持基盤がなければ、政策だけが闘いの武器になる。そのような若手代議士にとって官僚が抱える資料と勉強会が必須になる。首相の意見は正しく、すばやい対応は見事である。これで視界から消え去っていた政治が抱える多くの問題が浮かび上がってくる。
 新人の数に比例して政治家から驕りは薄らいで行く。数を頼みとする長が陥るのが慢心であって、新人は奢り高ぶりとは縁がない。また派閥に属さない新人はイエスマンには成り得ない。今回棄権を含めた造反議員のうち、自らの意見で反対したのはわずか三名、一名は私怨、他は派閥の締め付けであった。民主党の河村たかし氏が選挙期間中、党議拘束について再三触れていたのも見逃せない発言であった。
 かつて、アメリカの核は帝国的侵略が目的であって、共産圏の核は世界平和が目的であるとの暴論が闊歩していた。イデオロギーと支持母体は論理を狂わせる、百害あって一利もない。三島由紀夫がイデオロギーへの不信を表明してから四十年を経て、政治がやっとイデオロギーと支持母体の呪縛から逃れようとしている。
 これからの自民党は百花斉放を迎える。東京選出の新人が議員年金の廃止を声高に叫んでいたように、これから新旧の世代抗争がはじまる。そして明年、カリスマが居なくなれば組織は求心力を失って崩壊する。冷飯を喰わされる旧世代の分派ではなく、新世代が新党を立ち上げ、逆に中枢がそちらへ移動するようなことが起こる。そうならなければ、政権交代可能な二大政党制ははじまらない。次の衆院選挙は四年を待たずして起こる。端緒はともかく、改革の本番は若者にしか行えない、今回の総選挙はそのための種蒔きであった。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月14日 00:07 | 固定ページリンク




一考 | 理念はいずこ

 郵政民営化における最大の問題点は郵貯資金をハイリスク、ハイリターンの金融市場に放出すること、いまひとつは、このままでは値上がりが見込まれない不動産の売買や高層ビル建設に使う、の二点でなかったろうか。とりわけ、後者には不透明感が付きまとう。高年齢化と人口減少に伴う低成長社会にあって、新たな社会的基盤の整備に金を使う。それは経済の閉塞感を打ち破るための苦肉の策であり、言い換えれば、ミニバブルを意図して起こさせるための新手の手法でなかったか。国債の金利が一パーセント上がれば消費税を一パーセント上げるのに相応する。しかし、そのためには数十兆円の財政投融資が必要になる。さればこそ、赤字国債を増やさずに経済の活性化をはかるにはどうすればよいのか。しかも、資金の直接利用ではなく間接利用によってである。経済官僚の視線が郵貯の有効利用の一点に集まったのは、蓋し当然であった。
 「官から民へ」の掛け声のもと、足並みは揃った。しかし、民間銀行による無節操な融資と不動産会社による無鉄砲な海外投資が巨大な不良債権をもたらしたのではなかったか。郵貯資金の放出によって、せっかく減らした不良債権が増えないとの保証がどこかにあるのだろうか。与野党共に、市場競争に郵貯を委ねる、さらには市場競争に国益を委ねることの是非を問う論議がなされなかったのはなぜなのか。さらに、郵政民営化に必要欠くべからざる金の「出口」の規制にかんする法律論議をどうしてしないのか。完全民営化までのあいだ、一握りの官僚や政治家に私物化されないように、頑丈かつフレキシブルな郵貯の蛇口を拵えるのが立法府の役目ではないのか。にもかかわらず、過疎地の郵便局の存否や小口預金利用者の利便性などに問題が際限なく矮小化されていったのはなぜなのか。この論点のすり替えを考案した黒幕はだれなのか。
 郵便局の内部構造や職員の身分のことなど私にはどうでもよい。そして郵政は民営化されなければならない。ただ、無法状態での民営化によって郵貯はいずれを彷徨うのか、それを知りたいのである。

 来週中にも造反議員とその支持者たちの自民党からの除名がはじまる。それと平行して、国民新党、新党大地、そして郵政造反組十余名による「新・新党」構想が進んでいる。綿貫民輔、野呂田芳成、亀井静香、堀内光雄、平沼赳夫、滝 実、亀井久興、荒井広幸、野田聖子、鈴木宗男、田村秀昭、長谷川憲正など大物ばかりである。私怨と慢心の交差点に咲く徒花であれば、早晩小沢一郎に飲み込まれてゆく。
 一方、民主党では派閥抗争が続いている。前原誠司の他に民主党代表を狙って菅直人が手を挙げている。現状で、菅直人が代表になれば間違いなく民主党は自壊する。共産党や社民党は論外として、政策立案能力のディメンションが自民党と変わらないのであれば、民主党の存在理由はなにもない。一つ穴の狢ではどうにもならないではないか。しがらみや既得権がものを言ってなかなか物事が決まらない間接民主主義のまどろっこしさに、小泉純一郎はひとつの解決法を試みた。民主党の代表に求められているのはそうした発想の転換であり、大胆さである。政権交代可能な二大政党制をめざすのであれば、菅直人を窓際へ追いやるぐらいのエネルギーがなければならない。生臭さと勘の悪さは政治家に鬼門である。(敬称略)

 太田さんへ
 掲示板をお読みだとか、恐縮です。二日ほどサーバーが落ちていたようです、悪しからず。頭の文章は民主党への叱咤激励であり、私を含めた「IQの低い層」への警鐘です。ですぺら通信へ載せたのですが、あなたにお読みいただきたいので、若干手を加えてこちらへ転載します。
 マッチョの街明石と異なり、東京は右を向いても左をみても知識人ばかり、権力者に対してポジティブな評価をすることは、自分の知性を下げるとでも言わんばかりのインテリ評論家のオンパレードで当惑させられています。「具体的なことは何も分からないけれど小泉首相のキャラクターやリーダーシップを盲目的に支持するIQの低い層」のみなさんが世の中を動かしているのですがねえ。IQの低さにおいては私も人後に落ちっぱなし、だれかさんの唱える「草の芽保守」を逆手に取っているつもりなのですが。
 前原誠司さんが「民主党を闘う集団に作り替えてゆく、その一言のみ」と夕方の記者会見で述べていました。戦争中の隣組のような勇ましいお言葉なのですが、鬼畜米英ではあるまいし、なにとどう闘うのか、詳細はこれから思案なさるらしい。マニフェスト同様、抽象的思索が民主党は不得意のようです。私は「具体的なことは何も分からない」のですが、抽象と聞いただけで下腹部がもぞもぞ致します。
 「ポジティブな評価」と書きましたが、私も自民党に対して先入観は持っています。それも著しく悪しき先入観です。しかし、小泉純一郎というひとは、自民党の小泉でなく、かと言って小泉の自民党でもなさそうです。とりあえず、小泉ありきとでも申しておきましょう。そして、この「とりあえず」に奇妙な引っかかりを覚えるのです。「奇妙な引っかかり」とは党人を超えた個を強く感じさせる部分なのです。個を論じるに一切の先入観は無用です。彼の出処進退を振り返るに、ひとの存在が新陳代謝であり、理念の大略は過度的なものだとの思いが伺えます。言い換えれば、利己主義、享楽主義、無気力などとアクティブに向き合おうとする姿勢が垣間見られるのです。政治家相手に用いる文言ではないのですが、ある種のニヒリズムが漂っていそうな、そんな感じがしてならないのです。その一点だけでも、あなたとなら朝まで激論になることは請合い、もっか互いに困窮しておりますが、それも新陳代謝、過度的なものでございます。大酒を呑める日を楽しみに致しております。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月16日 00:39 | 固定ページリンク




薫子 | 「でぶ大全」出版記念会

 この掲示板でも度々書き込みして下さる高遠弘美さんが訳された
「でぶ大全」(ロミ&ジャン・フェクサス著、作品社 定価2800円)が
上梓されました。
『人類が愛してきた魅惑のでぶの歴史 ダイエット全盛時代に挑戦する、
でぶ讃歌! 珍品図版200点収載!』(帯より)
読めば「でぶ」であることに誇りを持てます!?

これを祝しての宴会をですぺらで催されます。
日時は9月22日(木)、19時より。
会費 男性5000円、女性4000円。間の方は4500円。
どなたさまでも、参加歓迎いたします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年09月16日 19:41 | 固定ページリンク




薫子 | 山本六三銅版画展

 展覧会のお知らせです。
高輪の啓祐堂ギャラリーにて「山本六三銅版画展 銅版画挿絵と本の世界 」が
催されます。

『山本六三没後初の展覧会となります。
書物に寄り添う銅版画の世界を掘り下げて行った作品と
初めて公開されるバタイユ「眼球譚」の挿絵ヴァリエーション、
アトリエに残された「大天使のように」の装釘案資料や銅版画下絵、原版等、
貴重な作品と資料を多数展示。銅版画は一部販売いたします。』(案内状より)

2005年9月19日(月)~10月3日(月)
1:30pm~7:30pm 水曜定休
啓祐堂ギャラリー 東京都港区高輪3-9-8 高輪インターコート1F
         電話 03-3473-3255
         http://www.keiyudoh.com/
         都営浅草線高輪台駅下車3分・JR品川駅下車10分



投稿者: 薫子    日時: 2005年09月16日 19:56 | 固定ページリンク




薫子 | ミステリの中のゲイ・テイスト by 須永朝彦

須永朝彦さんの朝日カルチャーセンター新講座のお知らせです。
今回のお題は「ミステリの中のゲイ・テイスト 探偵小説と同性愛」。

「エドガー・アラン・ポーの創始に成る探偵小説(detective story)は、その後、本格推理物を軸に次々と新分野(ハードボイルド、警察刑事物、スパイ物、サスペンス・スリラーなど)を開拓し、呼称もミステリと変じて、益々隆盛を誇っているようであります。160年余の間には社会理念や風俗習慣にも相応の変遷があり、当初はタブー視されていた題材も採用されるようになりました。ホモセクシュアルもその一つで、1940年代まではまず採り上げられる事は稀でしたが、第2次世界大戦後は果敢に挑戦する作者が現れ、単に犯罪動機として採用するにとどまらず、遂にはゲイの探偵を主人公とするシリーズまで登場しております。そんな変遷を踏まえながら、ミステリの中のゲイ・テイストについて、いささかを申し上げる所存であります。」(案内チラシより)

1 10月20日 欧米編1 ゲイの探偵&調査員--バクスト、ハンセンなど
2 11月17日 欧米編2 凄腕の女流作家たち--ハイスミス、レンデルなど
3 12月 8日 欧米編3 様々なる意匠--フェンリー、ホワイト、ナーヴァ
4 12月15日 日本編  やっぱり乱歩?--江戸川乱歩、濱尾四郎など

日時 木曜日 19:00~20:30 全4回
受講料(税込み) 会員 10920円  一般 13020(入会金不要)
場所 新宿住友ビル 48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)

問い合わせ先 朝日カルチャーセンター
       163-0204 新宿区西新宿2-6-1 電話 03-3344-1945
       http://www.acc.web.co.jp



投稿者: 薫子    日時: 2005年09月17日 02:47 | 固定ページリンク




薫子 | 小さな猫の展覧會、矢吹申彦

ですぺらのお客様、画家の矢吹申彦さんの個展が催されます。

画報『猫づくし』刊行にあわせて
「小さな猫の展覧會、矢吹申彦」
2005年9月28日(水)~10月8日(土)
11:00am~700pm 会期中無休
初日夕5時から小さな猫の宴あります。

福原画廊  東京都中央区銀座7-5-15 銀座蒲田ビル2F
      電話 03-3289-1710
 
猫好きの皆様、覗いてみてください。



投稿者: 薫子    日時: 2005年09月17日 02:57 | 固定ページリンク




愛信 | 今日から明るい日本建設の日まで

今日の株式ニュース

総選挙の投票で有権者の半分以上が郵政民営化反対票、
しかし、自民党の大勝利に広がる政治不信と
経済無策で低迷の東京市場。

6793 山水電
8% 3円 41円、株価異常銘柄速報配信


投稿者:新潟平野

今日から明るい日本建設の日まで

ーー引用開始ーー

だれもまさかと言うだろう
だれももうだめだと言うだろう
だれもあきらめたほうが良いと言うだろ
でも、大勝はごまかしのデマ宣伝の結果
でも、大勝はごまかしのデマ宣伝の結果
脅迫と、懐柔、
脅迫と、懐柔、
金と権力
金と権力
そんなものに乗った代議士がいつまで続くか
冬を前にして雪囲いのない家
雪が降る前の物干し竿
なにも用意がなく
主人のためでなく
風で吹き寄せられたごみの山に過ぎない
今、日本んは悲しみの中
亀さん、綿さんに助けを求める声が聞える
山から、野から、町から、村から、島から
本気で立とう、
本気で立とう、
自分のこととして、
明日を考えることを始めよう、
日本が泣いている
日本が悲しんでいる
悲しみのすすり泣きが大きくなって
悲しみの涙が大きくなって
大衆が亀さんを、綿さんを先頭に立てて
立ち上がって
明るい日本を作る日が来るまで君は
明るく働き、
明るく信じて
その日に備えようではないか、
じっと耐えて、その日を
その日を
じっと耐えて
その日を君と作ろう、
その日をみんなで作ろう

ーー引用終わりーー

掲示板亀井静香勝手連より
http://6258.teacup.com/newjolly/bbs

実践株式情報
http://www.aixin.jp/AJI01.htm



投稿者: 愛信    日時: 2005年09月18日 21:20 | 固定ページリンク




一考 | 六者協議

 六者協議で共同声明が採択された。北朝鮮の核廃絶も軽水炉の提供も具体的スケジュールがなにも示されない基本原則のみの合意であって、約束されたことは北朝鮮に対する韓国の二百万キロワットの電力供給と第五回協議が十一月に開催されるとの二点のみ。
 北朝鮮は間髪を入れず、軽水炉の提供があってはじめて核兵器および既存の核計画の放棄が交渉の対象たりうると明言した。軽水炉が稼働するまでは現在稼働中の黒鉛炉を停止せず、核兵器は造り続けられるわけである。また、黒鉛炉を止めることによって生じる二十万人の雇用問題にも責任を取れという。ちなみに、二百万キロワットの電力供給も軽水炉も応分の負担が日本に求められている。
 日朝の部分は「平壌宣言にしたがって、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として、国交正常化のための措置をとることを約束した」となっている。わが国の解釈だと「懸案事項」に拉致問題が入るのだが、それが「前提」ではなく「基礎」になったところに大きな問題がある。字義どおりに解釈すれば、拉致問題が解決しようがしまいが、国交は正常化しなければならない。しかも国交正常化は多国籍間の協議の結果であり、二国間の懸案事項の解決に優先する。韓国の南北協調路線は加速され、わが国に対する中国、韓国、北朝鮮からの圧力は増大する。今回の声明によって、中国と韓国は日米のあいだに楔を打ち込むのに成功した、謂わば中韓の罠に嵌められたのである。はなしはそれで終わらない、声明にいう「適切な時期」が米朝双方で噛み合うはずがない。早晩、声明は崩壊するのではなかろうか。日米と中韓朝の対立の激化によって、新たな火種を抱え込むことになるのではなかろうか。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月20日 16:36 | 固定ページリンク




一考 | オブローモフ気質

 友から当掲示板はアナーキズムの掲示板だと言われた。それでも一向に構いはしないのだが、やはり虚無思想の掲示板と言われた方がなんとなく座りがいい。なにしろ号して「ですぺら」である、されば拗者の苦笑いをひとつ。

 ひとの性格、気性、ものの考え方、好悪の類いは年齢もしくは存在する環境によって、いかようにも変化すると私は思っている。自らを顧みて、ひとほど当てにならないものはない、生存は著しく不安定なものだと信じるに至った。その辺りの消息をF・ヤコービやニーチェ、ツルゲーネフ描くところのバザーロフやシェストフ、または辻潤や金子光晴はうまく著している。しかし、私は辻潤でなければ、バザーロフでもない。下手を承知で、拙悪を覚悟で、自らの思いを書き綴るしかない。
 変化すると書いたが、「かならずしも」すべてが変わるわけではない、事と次第によってはいっかな反応しないこともある。ひとの生や行為にあって、「かならずしも」因と果が直結しているわけではない。時として因と果は複雑に絡み合い、重なり合うように入れ子構造をなしている。副詞の「必ず」に助詞の「しも」を付けて「必ずしも」なのだが、その意は一部分はそうであっても、全部がそうではないということになる。部分が変わるからと言って、全部が変わるわけではない、その曖昧さ、及び腰を指して「当てにならないものはない」と書いたのである。
 さて、変化するのであれば、反応するところの元ネタがなければならない。この場合の元ネタとは生来の気質のことなのだが、私は稟質とのことばが大層気に入っている。ただし、同じことばを用いていると飽きるので、たまに刷り込みとかインプリンティングの類いを用いる。そんなある日、宇野さんから「文化的先天性」でいいのではないかと言われて、すぐさま飛びついた。築地東仙の文化干しを持ち出すまでもなく、文化鍋・文化包丁等々、東京下町のハイカラな匂いが感じられるではないか。常日頃、宇野さんから私に相応しいのは文明であって文化ではないと言われている。シュペングラーに言わせれば、誕生、成長、衰亡、死の過程を経て、文化は最終的に文明になる。謂わば文化のなれの果てが文明なのであって、それこそが「西洋の没落」であると説く。
 この「なれの果て」がまたしても私の琴線に触れる。なれの果てとはとどの詰まりであり、落ちぶれはてた結果である。では、その結果がやって来るまではどうだったのか、過去に思いを致せば、夢と願望が綯い交ぜになって洪水のように押し寄せてくる。私のことだから、事実関係は眼中にない、それでなくとも「歴史的現実のなかから世界観が生まれるのだが、その世界観は常に歴史をつくりかえていく、だとすれば歴史には事実とか真実といった客観性は存在しない」のである。私が財閥の御曹司であろうが、神々の貴種流離であろうが、まるきり構わないのである。この先を著せば、見てきたような嘘をくわしく述べることになる、それは既に文学であって果てがなくなる。従って宇野浩二に倣い、閑話休題とする。

 ニーチェが考証の対象にしたのは、プラトン主義の大衆バージョンであるキリスト教とその道徳観である。肉と霊、此岸と彼岸、自由と摂理といった二元的な差別と乖離がそのまままるごと秩序になるような一神教の世界である。世界の階層的な差別の頂点に神が君臨する以上、いっかな二元的な分裂であれ、究極のところで統一されるとの脳天気なものの考え方にニーチェは危惧を抱いたのである。もしも、神が死ねばあとに残されるのは差別だけではないかと。
 ここまではニーチェの美点なのだが、ことさらにニーチェを論じたいのではない。私が触れたいのは伝統的権威、政治社会上の諸制度、宗教などを否定し排斥する傾向についてである。しかし、そのような傾向を歴史的転換期の現象と位置づけるひとがいる。ニヒリズムに取り憑いて離れない利己主義、享楽主義、無気力などにやましさを感じる人種といっても構わない。利己主義は鶏卵のカラザのようなもので、取り去ると黄身は位置をなくして宙に浮いてしまう。そういえば、生たまごを食するときに、カラザを取り除こうとして必死になっているひとをよく見掛ける。あれは白色不透明糸状のカラザと闘っているのか、箸と闘っているのか、それとも卵白と卵黄の両端を結ぶ放物弁証法と闘っているのか、もし後者だとすれば、鶏卵の秩序を排斥しようとしているのであって、これもまたニヒリストということになる。まあ、それもどちらでもよろしい。
 「歴史的転換期の現象と位置づけるひと」の多くは既存の価値体系の崩壊を背景にして、新たな価値選択の原理を見いだそうとする。しかしながら、それでは自らが神に取って代わるまでのはなしである。多くのニヒリストがファシストに化けた例は歴史上、枚挙に遑がない。ベンやニーチェにしてからが、価値体系の崩壊それ自体を克服しようとして超人思想を打ち立てた。それも彼らの勝手で、私の知ったことではない。ただ、ニヒリズムに至る遠因が、社会的な困窮状態や生理学上の変質や心的困窮などではなく、「一つの特定の解釈、つまりキリスト教的、道徳的な解釈」であるとするのではお粗末に過ぎる。あまりにも長く「特定の解釈」に信を置き続けたのはドナウから西の人々だけではなかったか。ニーチェが説いたのはギリシア文化を範とする芸術的哲学だが、同時代のマゾッホが念仏のように唱えた「ギリシア人」をいかように読み解いていたのか、物見遊山の私には大いに興味がある。
 種村さんの影響なのだが、ヨーロッパ近代社会やキリスト教文明の根底に対する否認の思想を説いたマゾッホと、無や空を主張する仏教や老荘思想と同質のものを西洋文明のなかに探し求めたドゥルーズとのあいだには、とんでもなく大事な共通項があるような気がしてならない。ちょいと難しく書けば、畸型や倒錯の内部に身をひそめて、無償の遊戯を、饒舌をこばみ、まるで緘黙症患者のように稀薄な言葉でもって「否認と宙吊りの過程」を著す、と言ったところであろうか。先の書き込みで触れた「利己主義、享楽主義、無気力などとアクティブに向き合おうとする姿勢」がここにもあるように思う。そして、それは東邦の思想であり、苦行僧のような趣があるといってもなんら差し支えはない。「アクティブ」と「苦行僧」はその主体の積極性において通底する。
 取り留めがなくなってきたようだが、ニヒリストがニヒリストであり続けることの困難を私は強調しているのである。出自のせいか、私の回りには拗ね者やつむじまがりが多かった。しかるに、二元論を武器にして多勢はファシストへと転向していった。この場合の二元論とは好悪そのものであり、好悪の基本原則に則って否認の対象から自分を除外したに過ぎない。新たな価値体系の探求といえば聞こえはいいが、超克とか克服とかの素面は以外と簡便な二者択一もしくはお手軽な弁証法的統一だったりする。
 変化しつづける自分、当てにならない自分、著しく不安定な自分、ひとは皆さまざまな性質を内包している。個々の異質性や多義性を大切に思うなら、個の内にある異質性や多義性にも目配りが必要になる。好みや趣味で自らを律しては、自分のなかに潜む多種多様な価値観を遠ざけてしまうことになる。そのような危機感を覚えたとき、ひとは出発点に、ニヒリズムの「元ネタ」に立ち帰らなければならない。元ネタとは先項の「利己主義、享楽主義、無気力」などである。ひとのなかで最も変わりにくい部分、そこに、「無気力」がどっかと腰を据えている。そう考えれば、無気力にどっぷり身を浸せるのは「文化的先天性」そのものでなかったか、と思われてくる。もしも、この世に才能というものがあるとすれば、無為徒食や意志弱行を除いてなにがあるのだろうか。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月20日 23:09 | 固定ページリンク




一考 | そして神戸

 太田守さん・ムーンさんへ
 十月の九日と十日の二日間、父の遺品を整理しに神戸へ帰ります。八日に店が終わり次第、1号線を京都まで、あと所用があって372号線を西へ進み、175号線から明石へ出ます。九日の夜は来住さんへご挨拶の予定、その折りにお会いできればと思っています。それと貴方のメールアドレスをご教示いただければ幸いです。当方のメールアドレスは一行開けて下段です。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月29日 13:13 | 固定ページリンク




一考 | すき焼きパーティー

 高遠弘美さん、石井さん、りきさん、盛大なパーティーをありがとうございました。みなさま方のご厚意によって、ですぺらをもう少し続けられたらと願っています。
 「プライベート・プレスに春は永遠にやって来ない」とどこかで著しましたが、プライベート・プレスに限らず、世の中は苛しいものでございます。
 つきましては、三日の月曜日七時から、久しぶりのすき焼きパーティーを催したく思います。ご迷惑を承知で、みなさま方のご好意におすがり致したく、どうかよろしくお願いします。
 戸籍上での男子四千円、女子三千円、アルコール無用の方は千円引きでございます。

 今月の悪戯書きは無事に終了したのですが、花の句の解釈という飛び込みの仕事で今週は追われています。このところ、ずっと早い時間から出勤してきたのですが、来週からは私も六時の二時で定時出勤致します。それに合わせて営業時間も六時の二時に再度改めさせていただきます。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月29日 14:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考様

 こちらこそありがたうございました。お蔭ですこぶる愉しい会になりました。三日は夜学が和泉校舎であり、伺へないかもしれませんが、ご容赦ください。
 拙ブログへの周さんの書き込みで、今さらながらに感激したのが、岩崎力「ヴァルボワまで」を作られたのが一考さんだといふことです。あの本は大切な本です。いまもときどき読み直します。一考さんを仰ぎ見る瞬間です。感謝を込めて。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年09月30日 09:42 | 固定ページリンク




一考 | 塩っぱい魚

 高遠弘美さんへ
 東大在学中だった娘さんが自死なさって、その悲しみを束ねた書冊、扉の次ページに刷られた三行のフランス語、あの三行のためにのみ、同書は編まれました。本が出来上った日、大塚の小料理屋で馳走になった活魚、ハンカチで拭いもせず、二人して「大塚のさかなは塩っぱいね」。あれから二十年経ちました。ご購読に感謝。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月01日 04:32 | 固定ページリンク




一考 | ひとりごと

 夥しい量のエッセイを岩崎さんは著されています。岩崎さんの他にも、私にお金があれば、もっと出版したい本があったのです。でも、財産を使い果たし、自分の生活すら成り立たなくなったとき、出版人であることを断念しました。持続と更新、すなわち「生きること」(ラ・ヴィ)をがっしり支えるカリアティードを刻もうと、ひとはあがき続けるのですね。ですぺらの消息も似たようなもので、残日を指折りかぞえる状況に至りました。人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在。ですぺらもまた、夜毎の演目を終え、やがてなにごともなく消滅。その日までは媚びを売り顰蹙を買う、いたずらな搏動におつきあい頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月01日 06:28 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 逆縁とは

一考様。
あの三行、お嬢様のこととは迂闊にも存じませんでした。逆縁の悲しさ、絶望感は察してあまりあります。さういふなかでの岩崎力先生のお仕事だつたのですね。黙して思ひを馳せるのみ。

ですぺらの隆盛をこころより祈つてをります。「売るのは媚び、買ふのは顰蹙」といふ名言を貫きとほして頂くためにも。ご自愛下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年10月01日 09:23 | 固定ページリンク




佐藤 周 | ヴァルモワまで

まだ一読しただけですが、本当にいい本だと思います。
二十年、それだけ時が流れれば、もう購読すらかなわないのです。僕が読んでいる同書は図書館にあったもの。この先購入しても一考さんの仕事の手助けになるわけでなく、古本屋の利益になるのみ。それだけの時が流れています。けれども、この本の「良さ」だけは些かなりとも減じていないと思います。後書きに「分裂病的に」とありましたが、この言葉が、もしかしたら一考さんと岩崎さんを結びつけた一つのきっかけではないかと思いました。固着しないこと、というのは一考さんが何度も繰り返し、この掲示板で語られていることの一つである気がしています。岩崎力さんを教えていただいたのは一考さんの仕事によってでしたし、その後手にとった本も一考さんのお仕事でした。この「ヴァルモワまで」だって一考さんのお仕事だと知らずに借りたのです。これでは、まるでストーカーです。
ユルスナールの「どこで死のうと地球の上であることに変わりはない」というような言葉は、そのまま一考さんの「残日を指折り数えて」に通じるような気がします。それだけ、「今」に悔いが残らぬようにしているということでしょう。けれど僕はまだ、ですぺらに未練があります。月曜日は財布の底を振ってでも参りたいと思います。
 以上とりとめのない文章で申し訳ありませんでした。



投稿者: 佐藤 周    日時: 2005年10月01日 23:33 | 固定ページリンク




佐藤周 | (無題)

ヴァルボワまで。がヴァルモワまでになっています。
直したいのですが、直し方が解りません。恥さらしですが
ここで訂正します。



投稿者: 佐藤周    日時: 2005年10月01日 23:39 | 固定ページリンク




一考 | 掲示板四周年

 佐藤周さんへ
 ヴァルボワがヴァルモワであろうがパルモアであろうが、そのようななことは恥にすらなりません。いかなる誤記、誤字、脱字であろうが、また誤用、言い間違い、勘違い、思い違い、記憶違いの類いは決して恥ではないのです。枝葉末節なんざあどうでもいいではありませんか。そんなことより、「『今』に悔いが残らぬようにしているということでしょう」との文言で私は暫くいい気持ちでいられます。と同時にその解釈はあなたの血肉であり、思想なのです。中身、内容へはなしがおよぶとき、自己と他者は優位や劣位のような評価を超えたところで相対し、そして垣根は崩れ、滲透しあい、溶解して行きます。
 自己の内部に植え付けられた基準に従う「罪」行動、すなわち自責的な「罪」の意識ならいざ知らず、自己の行動に対する世評に気を配ったり、他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定めるような「恥」の概念は思い切りよく捨て去りましょう。
 私のように幼少期から存在それ自体が人さまの笑いものであり、値打ちがないといわれ続けられて育つと、自尊心の持ちようとてなく、嘲笑われようが醜さを指摘されようが、何をいまさらでございます。この掲示板をはじめて明日でちょうど四年になりますが、私ゆえ同じ書き込みの繰り返し、ますます「分裂病的」症状が顕になって行くようです。傍迷惑と思われる方がもし一人でもいらっしゃれば、それこそが私の至福なのです。
 与太はともかく、明日は掲示板の忌日、酒を呑むしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月02日 14:33 | 固定ページリンク




佐藤 周 | 自責。

「自責的な「罪」の意識」という言葉がでた時にふと思いついたのですが、自責というのは、何処までも内面的で、人にさらすものではない。そういうものですが、それが一転「自虐」になると、まさに恥を先回りして隠す、その為に道化るような、そんな気がします。ならば、恥知らずにもという謙遜の言葉にはすでに自虐的な意味が内包されて、なんとも醜い感じになりますね。ところで、一度怪我した部分は厚く皮が盛り上がるものです。こそげおちた「恥」はきっと顔にあったのでしょう。これを機に「厚顔無恥」を肝に銘じたいような気も致します。



投稿者: 佐藤 周    日時: 2005年10月05日 01:25 | 固定ページリンク




管理人 | ですぺらの危機


管理人の櫻井です。
私が言うべきではないことは重々承知していますが、
非難されることを承知の上であえて書きます。

ですぺらの経営状況が極めて悪いのです。
店の家賃の支払いにさえ苦慮する状況になっています。
このままでは店を閉めざるをえないでしょう。

掲示板をご覧になっている皆様、ぜひともですぺらにご来店ください。
お願いします。
このままではちかぢか本当に閉店となってしまいます。
この店がなくなってしまうのはとても惜しいと思うのです。



投稿者: 管理人    日時: 2005年10月06日 00:32 | 固定ページリンク




一考 | 与太話

 櫻井さんへ
 書き込みに感謝。「すき焼きパーティー」ならびに「ひとりごと」でその旨を書きましたので、繰り返しようもございません。そしてすき焼きパーティーにご参加くださった方に深謝。

 ひとに相談すべき事柄なのかどうかの判断すらつかず、たとえ相談しようにも、相手にとってはただ迷惑なだけ。そして、ですぺらの最大の問題点は当事者意識の欠落にあると思います。当事者が当事者意識の欠落をいう、そのような無責任では到底店の存続ははかられません。
 残された手立ては店の営業方針を変えることなのですが、それは私ひとりではどうにもなりません。ひとりで判断しようとすれば、ひとりで業務がつとまる店に引っ越すしかないのです。赤坂はそのままにして、新宿にちいさな店を構えようかと過日書いたのはその辺りの消息を指してのことでした。
 なにはともあれ、ひとりでないところの私に判断できるのは、そして判断すべきなのは最初と最後の判断だけなのです。そして去年の二月に結論は出ていたのですが、私の優柔不断でいまに至りました。
 「ええい面倒」と思った日に間違いなくなにかが終わります。若ければそれが明日への手掛かりにも足掛かりにもなるのですが、そのような齢はどこぞに置き忘れて参りました。糸口が喪われた人生をすでに歩んでいるのです。しがない飲み屋であれ大企業であれ、ひとは支えを若さに求めます。しかしながら、思うにまかせないのが世の常、気落ちする方向へと徐々に歩を進めているありさまです。

 いかような結果になるにせよ、貴方さえよろしければ、当掲示板は続けたいと思っています、例え神戸からでも、北海道からでも。今日、高遠さんからお叱りを受けたのが大きな理由なのですが、南柯書局のこと、手漉和紙のこと、反物のこと、活字のこと、製本のこと、当時の編集者仲間のこと等々、書物にまつわるあれこれを重複を気にせず書き込もうかと思っっているのです。ヒステリーと掛け合わせてニヒリーな、いささか気取って申せばイコエスクなものを著せないかと、これはまた例によっての与太でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月07日 01:52 | 固定ページリンク




薫子 | 建石修志展

展覧会のお知らせです。

建石修志展 本に微睡む 或は 紙に浮かぶ夢
10月17日(月)~29日(土)
AM10:30~PM6:30(日曜PM12:00開廊)
於 青木画廊 東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F・3F
 TEL 03-3535-6858  FAX 03-3567-3944
 URL http://www.aokigallery.jp

建石修志公式HP http://cherubim-tateishi.site.ne.jp



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月07日 05:19 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 今夜、神戸を目指して出かけます。よって「ですぺら」は本日に限り、12時閉店とさせていただきます。
勝手ながら、ご了承のほどお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月08日 05:22 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 十二時閉店の理由は、朝の七時までに知立を越えて名四バイパスへ入りたいからです。勝手を言って申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。

 太田さんへ
 ずっと洲本にお住まいとか、お会いするのはまたの折に致しましょう。
 洲本は私が重傷を負ったところです。交通事故には何度も遭遇していますが、洲本での事故には悲鳴をあげさせられました。でも、過ぎ去ればなにほどのこともなく、冬になると両手先の痺れがひどくなり、握力が落ちることぐらいです。
 速度を落として眺め行くなかにあって、僅かにひとり、私を助けてくださったタクシーの運転手とその無線によってあとを引き継いでくださった救急車の方々に感謝。タクシーの運転手のご厚志に倣い、あれ以来、ひとの事故には積極的に関与するように心掛けています。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月08日 14:41 | 固定ページリンク




一考 | りきさんへ

 先日は恐縮。掲示板ではまだ書けませんが、某雑誌の編集の手伝いをお願いしたいのです。昨日、ぷひぷひさんが同席なさっていたので、お願いしました。金光さん、土屋さん、山口さんにもご協力いただければと思っています。週明けにお集まりいただきたいのですが、私のパソコンは十一日の夕方まで不通になります。面倒をお掛けしますが、音頭をとっていただけませんでしょうか。
 仕事はY・Tさんが拵えた年譜と書目録をデジタル化するところからはじまります。あとは謄本と地籍簿の確認、関係者(特に往時の編集者の肉声が必要)への電話、アンケート、面語等々が必要になると思われます。雑誌社からの希望は個々の著書にユニークなコメントを添えること。こちらもみなさんのご協力を得たいと思っています。どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月08日 15:14 | 固定ページリンク




一考 | 「sai」

 過日紹介した柿沼裕朋さんの「迷宮タネムラの解剖学」(「月刊百科10月号」平凡社)が手に入りにくいようです。平凡社にその旨を伝えたところ、本日ですぺらへ送られてきました。従って、コピーでよろしければお渡しできます。

 黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんが参加なさった同人誌「sai」が創刊されました。詳細ならびに入手方法は以下をご覧ください。お薦めです、その理由は後日書かせていただきます。
 http://www.kurosekaran.com/sai/

 このところ多忙で書き込みも思い通りになりません。週明けにはすこし時間が取れそうです。 ですぺらですが、十一月末日で車が使えなくなります。通勤にはバイクを用いる予定ですが、そのバイクを動くように整備しなければなりません。開店当時のように、私は酒が飲めなくなります。飲まないと決めたら飲みませんので、どうかよろしくお願い致します。
 ご来店くださった方にはお分かりいただけたと思うのですが、店の方針を改めました。十一月からはマクレランズのボトルキープをはじめます。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月14日 18:57 | 固定ページリンク




薫子 | ジャパン・アヴァンギャルド

昨年、「ですぺら」も会場の一つとなりました、「ジャパン・アヴァンギャルド--アングラ演劇傑作ポスター100」展。そのときにお世話になったポスターハリス・カンパニー代表の笹目浩之さんが朝日カルチャーセンターで一日講義をされます。

「ジャパン・アヴァンギャルド--1960年~70年代のアングラ演劇ポスターの魅力」
以下、案内チラシより

1960年~70年代にかけて、演劇界ではアングラ演劇(小劇場運動)が勢いを持ち、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信、串田和美らが、実験的な舞台を繰り広げていきました。
この頃、舞台と相乗効果をもたらしたのが、天井桟敷、状況劇場、黒テント、自由劇場などの旗印として登場したポスターです。ある意味このポスターがアングラ演劇の先導的な役割を果たし、時代を挑発し、現在その象徴として存在します。そしてこれらは、横尾忠則をはじめとし、赤瀬川原平、宇野亜喜良、林静一、金子國義、篠原勝之など、多くの一流アーティストがかかわりました。彼らの手によるポスターは、アングラ演劇の軌跡にとどまらず、単なる公演告知のポスターの枠を超え、日本の熱かった60年代から70年代を鋭く切り取り、そのポスター自体が発しているメッセージは時代を越え今も輝き続けています。
そんなポスターの魅力を、現代演劇ポスター収集・保存・公開を主宰し、数々のポスター展覧会を手掛ける講師が、自らの貴重なコレクションをもとに熱く語ります。

日時 2005年12月16日(金) 18:00~20:30 全1回
受講料(税込み) 会員 2730円、一般 3250円(入会不要)、ゼスト・学生会員 1000円
場所 新宿住友ビル48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)

問い合わせ 朝日カルチャーセンター
      163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
      東京都新宿区西新宿2-6-1 電話03-3344-1945(直)
      インターネット情報接続先 http://www.acc-web.co.jp

講師紹介の欄に「ウルトラポスターハリスター」とありますが、何なんでしょ?



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月16日 06:22 | 固定ページリンク




一考 | 高橋康雄さん

 土曜日の深夜、雨のなかを金光寛峯さんが来店。稲垣足穂の単行本未収録の作品を九点お持ちくださった。私の手持ちは幻想文学の「タルホスペシャル」に提供、あれ以来、図書館や古書店で探し回るのはやめた。足穂は高橋康雄さんに委せることにしたのである。その高橋さんが北海道で亡くなられたのが2000年7月4日、59歳だった。
 1985年の秋、私は東京中野新橋へ転居、雪華社で仕事をはじめた。その折、潮出版社の編集長だった高橋さんが「一の会」をつくってくださった。いかに忙しかろうが、毎月一日には一考を囲んで酒を呑もうとの趣旨であった。ほとんどのひとは私を「いっこう」と呼ぶが、高橋さんは最初から最後まで「いちこう」さんと呼んでいた。名前なんぞ単なる記号と思っている私にとって、「いちこう」であろうが「にこう」であろうがどうでもよろしく、逆に聞きなれない呼び方にいたく感激したものだった。
 高橋さんについては改めて書くこともあろう。ただ、久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまるのである。

 西巣鴨新田を検索していて、大崎啓造さんの『イナガキ・タルホ・アーカイブ』を見つけた。一押しのホームページである。
 http://www3.ocn.ne.jp/~tarho-ar/index.html



投稿者: 一考    日時: 2005年10月17日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | お喋り

 済んだから書くのだが、十五日の午後、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。関係者によると「推協」というらしいが、事務所のある南青山の秀和青南レジデンスは小泉喜美子さんがお住まいだったところ。そこで、幻影城、薔薇十字社、南柯書局について二時間ほど、お話しさせていただいた。
 それにしても、初対面のひとの前でははなしづらい。私流のあんちょこを二十枚ほど用意していったのだが、それは半分しか使わなかった。あとは野となれ山となれで、手漉和紙、活字、活版印刷、綴じのことなどを話した。そのような経験が前に一度だけあるのだが、その時は酒を飲んでいた。今回はじつは酒を隠し持っていたのだが、飲む機会に恵まれなかった。
 お喋りも原稿を書くのと同じで、言いたいこと言わねばならないことなど何もない。ただ、与太を飛ばしてお金を頂戴できたのは嬉しかった。おかげで、ワインを数本仕入れることができた。残金で帰りにハナマサへ寄って焼酎の特大ボトルを買うつもりにしている、それと好きな烟草をひと箱。自分自身へのご褒美であり、今宵はその焼酎で酔いつぶれたいと思っている。今日は薫子さんは昼から居ない、明日の夕刻には帰るだろうと思っているが、それは希望的観測である。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 01:24 | 固定ページリンク




一考 | 「PARADO ZERO」

 「sai」と名付けた雑誌が創刊された。黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんの作品が掲げられている。ここでは「PARADO ZERO」と題された黒瀬さんの作品について触れたい。引用は巻頭の四首であって、選択したものではない。

 Welcome to JFK と死者の名の大き文字見ゆ機窓より見ゆ
 きりもなく L'etranger なる喜びに満ちて差し出す指紋、面相
 空港は都市の周縁なればまた空港の周縁に移民が
 ニューヨーカーが住む場所ゆゑにニューヨーク 冬晴れに輝ける冬空

 先月の九日に私は「らっきょの皮むき」と題する紹介文を書き込み、文中で種村季弘さんのトートロジーについて述べた。「種村さんに『夢』または『夢記』と題された掌編小説の連作がある。島尾敏雄や井伏鱒二や澁澤龍彦のそれと同じくトートロジックな重語法で小説の原器的形態を表出した作品で、タイトルに相応しく内容的な実体はなにもなく、言葉の現実による記述に終始する。『夢』とあるからには当然で、二元論的緊張が不気味なほど欠如した、謂わばらっきょの皮むきのような作品なのである」
 黒瀬さんの作品を「らっきょの皮むき」に見立てるつもりはさらさらないのだが、彼が用いた重語法には驚かされた。一読、「なるほど、そう来ましたか」が最初の感想であった。卓越した修辞法を身につけたうえでの重語法である。修辞法としてのトートロジーではなく、プラトン的な匂いが紛々と漂っている。このような曲球(くせだま)を素直には受け取られない、その裏を覗き見たくなるのは人情であろう。

 第一歌集での試みは、塚本邦雄、春日井健といった戦後の前衛短歌への憧憬だったのか、訣別だったのかというような形式論ではなにもはじまらない。例えば、同一人がベケットとジュネを翻訳するとして、その訳文が同じであろう筈がない。否、同じであっては困るのである。同様に、ひとを評し論じる折、その対象に即して自らの水準基準を変更させなければならない。鴎外と足穂が、鏡花と久生十蘭が同日に論じられては堪ったものではない。一度書き上げた作品を触らない作家が一方にいれば、終生弄くりつづける作家もいるのである。
 タルホの『ヰタ・マキニカリス』における改作は、構成し直すなどという生易しいものではなかった。鏤刻の名に相応しい、大胆にして繊細な添削が細部にいたるまで施されている。「黄漠奇聞」は84枚が25枚に、「星を売る店」は70余枚が」25枚にいった按配である。「タルホ・コスモロジー」の自註には、「生活記録を出ないもので、文学以前」とか「まだ冗漫なようだ」とか「なお意に満たない」などと書き記されている。同時代の作家の作品を「存在的であっても、存在学的ではない」と看破するタルホならではの、はったりを利かせた為事であった。
 タルホにとって文体が技法の問題ではなく、ヴィジョンの問題であったように、黒瀬珂瀾の短歌に接することは、そのまま彼の思考のプロセスなりリズムなりを擬(なぞら)えることになる。彼はタルホのように旧作の書き換えはしない、しかし、その書き換えが実は書き換えではなく、そのままタルホヴィジョンの再構成作業を追うことであり、タルホの宇宙模型のなかへ潜り込んでゆくことであったように、黒瀬珂瀾はこともなげに精神を改作しつづける。言い換えれば、思考そのものを実に身勝手に脱ぎ捨ててゆくのである。そして、それはそのままカラネスクの再構成作業を追うにとどまらない。黒瀬さんの短歌を読むことは、自分自身のヴィジョンを作り上げる方向へと読者を駆り立てる力そのものに触れることになる。
 10月5日の朝日新聞夕刊に黒瀬さんのインタビュー記事が載っていた。「歌で世界を変えられると信じたい。言葉で世界が開けて、世界の見え方が変わるような歌。内容より、言葉を信じたい」また「意味にとらわれて地に足が着いたような歌より、もっと高く意識を飛ばす歌を」と文中で黒瀬さんの言葉が紹介されている。「意味」と「意識」との関係が月並な二項対立ではなく、弁証法でもなく、より透明感を有した新たな領域へ曳きずりだされているのが諒解できる。
 かつて相澤啓三さんの詩について、「詩歌を繙き、そこに認め綴られたことばの意味を訊ね、内容を追ったところで作品のひとつの側面をなぞることにしかならない。要するに、選択された文言やその作家の語彙を気にしていては詩は読まれないのである。意味内容や表象を読み解くのと同時に、そこから遠く逸脱してゆく書き手の影や分身、いわば著者の搏動のようなものを諒解しなければ、書物を繙いたことにはならない」と私は著した。黒瀬さんの場合、この意味内容のひとつに短歌の形式や約束事が含まれるのは言うまでもない。
 黒瀬さんの作品を読んでもうひとつ感じたことがある。短歌や俳句を自分の好みにあわせて撰び、組み直すといった美意識は黒瀬さんの作品にはもはや通用しない。通用しないと言うよりも、通用させてはならないということである。そもそも「美意識」の屋台骨は私たちが個々に持つ好き嫌いである。さらに、その好き嫌いを自由意志といってもなんら不都合は生じない。そして、世界を自由意志のレンズを通して見ることをやめ、ただの無意味なオブジェとして、そこらにごろんと転がそうではないか、と言いつづけたのが澁澤であり、種村でなかったか。世界は無意味なオブジェと化した瞬間からいよいよ謎めいた表情を帯びはじめる。言い換えれば、「自由意志を蝉脱して謎と化したオブジェとしてよみがえるのである」
 黒瀬さんを述べるに、タルホを持ち出したのは他でもない。稲垣足穂や澁澤龍彦や種村季弘と同質の「存在学的」稟質を私は黒瀬さんの作品に感じるのである。「PARADO ZERO」はひとつのオブジェになっていると言いたいのである。それでなくとも、「自らの水準基準」の変更を余儀なくさせる書き手などそうはいない。知的に屈折し、価値観の自在な顛倒を繰り返し試みる無責任かつ悪意にみちたこのものへ、私は敬愛の念を抱いている。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 20:34 | 固定ページリンク




一考 | 「でぶ大全」のことなど

 昭和六十三年十一月に森銑三の「書物の周囲」を研文社から上梓した。日夏耿之介の「鏡花文学」につぐ、二冊目の出版だった。編集は当時、机を並べて仕事をしていた小出昌洋さんで、栞は外山滋比古、三國一朗、渡部昇一各氏にお願いした。装丁は読売の「アールヌーヴォーとアールデコ」以来、共同作業の多かった斉藤芳弘の手になるもの。カバー、帯、奥付けに南柯書局のマークを用いたので、分かるひとには分かるようになっている。
 同書の元は昭和十九年三月二十日に白揚社の現代生活群書の一冊として上梓された森銑三、柴田宵曲共著の「書物」。ちなみに、「書物」は昭和二十三年一月二十日に、同じ白揚社から増訂改版が上梓されている。
 増訂改版の序文には「一昨年罹災して、蔵書の全部を失ったが、『書物』はその後に人から贈られて持っていた」とある。戦争ではないが、私は罹災によって全体の三分の一、約一万冊の蔵書を失った。以来、蔵書を含めて、ものへの所有欲は希薄になった。それに比例して、過去に拵えた限定本をはじめとする自分自身の為事への興味を喪った。震災が私の世界観になんらかの影響を与えたようで、虚無主義への傾きが著しくなったように思う。
 そのような個人的なことはどうでもよい、ここで大書しておきたいのは森銑三と柴田宵曲の睦まじさである。「本をよく読む人はあまりものを書かないし、書く人はどちらかというと読書家でない」とは外山滋比古さんの弁だが、森銑三と柴田宵曲は読書家であると同時にすぐれた著述を多く残している。そういった類い希な例外に属するひとに高遠弘美さんがいる。
 今回、作品社から高遠さんの達意の訳文による「でぶ大全」が上梓された。当掲示板をお読みの方なら、当然購入済みであろうから、中味については触れない。ただ、ロミとジャン・フェクサスの意気投合ぶりに、森銑三と柴田宵曲のそれを重ね合わせたくなったまでのはなしである。巻末の「後書きにかえて」ではロミやジャン・フェクサスが触れていない、でぶにまつわる逸文が紹介されている。薄田泣菫、谷崎潤一郎、吉田健一、チェーホフ、澁澤龍彦とつづき、結句として種村季弘の文章が引用される。天下の読書家高遠弘美ならではの博覧強記、奇行を除けば和歌山県生まれの大英博物館東洋調査部員と似た趣が感じられる。引用で論旨を組み立て、起承転結の要に引用を配し、引用で締括る。それが、どんなに難儀なことかは修辞法を学んだひとなら諒解できよう。自分の言葉と他人の言葉、過去著された言葉、現在誕生しつつある言葉、そういったありとある言葉が高遠さんの手によってさまざまな書物から抜け出し、滲透しあい、自在に結びつき、そして離れる。言葉と言葉がいくつもの入れ子をなして重なりあい層をなす。本好きにはこたえられない醍醐の味がここにはある。
 先行するかたちで、国書刊行会から高遠さんが翻訳なさった奇書「珍説愚説辞典」が上梓されている。高遠さん共々、一代の高士として敬愛する加藤郁乎さんがタルホを論じた「新一千一秒物語」に添えられた「ENCYCLOPEDIA IKUYANICA」を私は思い起こした。そちらの紹介は長くなる、従ってまたの機会に譲るとしよう。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月20日 01:03 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 限りなき感謝とともに

一考様。
 穴があつたら入れたい、もとへ、入りたい思ひで一杯です。恥づかしさを無理矢理押さへて申します。
 一考さんの本や編集者や出版をはじめ諸事万象についての言葉を拝読いたしたいと先夜申し上げました。その甲斐あつてか、最近一考さんのエッセイを読む愉しみが増えて喜んでをりますが、それはしばしば大きな驚きをともなひます。
 森銑三『書物の周囲』を一考さんと小出氏が作られたといふことを今まで知りませんでした。ご想像のごとく、私は森銑三が大好きで、この散らかつた倉庫のやうな書斎のなかでも、森銑三の本はいつでも取り出せるやうになつてをり、『書物の周囲』も目の前の棚に並べてあります。森銑三の文章はもちろんですが、小出氏が後書きで書いてをられる一文、
 
 「私が知る晩年の先生の購入せられた書物といつたら、岩本素白全集三巻があるにすぎないのである」
 
 も私の支へのひとつでした。私は村上菊一郎先生に教へて頂き、素白を知つたのでしたが、敬愛する森銑三が素白を最晩年に読んでゐたといふ記述を読んだとき、どれほど励まされたことでせうか。
 それにしても自分がどれだけ迂闊で粗忽な者かよくよく思ひ知らされます。たしかにカヴァー、奥附、帯に南柯書局のマークが入つてゐますが気づきませんでした。救ひやうがない阿呆だと、自己嫌悪に陥るばかりですが、どうか一考さんにお願ひいたします。これからも一考さんの「思ひ出ばなし」をどんどんお書き下さい。この掲示板の読者がみな心待ちにしてゐることです。
 最後に、十分意を盡すことは叶ひませんが、心よりの感謝を申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年10月20日 21:40 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」

 高遠さんがすぐにご返事を書かれるところを見習わなければならないのですが、当掲示板はそのような時期を逸してしまったようです。まあ、トドの涎でよいではありませんか。店の繁盛はわずか二日で終わり、今週は坊主の日が二日も生じました。それに比して掲示板のカウントは鰻登りだそうで、これは断末魔を楽しむヤオヨロズの貧乏神の悪戯かと思っております。
 管理人からいつも笑われるのですが、当掲示板は私が書き込む一方通行なのですが、実はそうでもなく、メールによる返信が結構多いのです。ときどき、突拍子もない書き込みがありますが、裏では辻褄があっているのです。先日の研文社についても複数の問い合わせがあったので、こちらで書かせていただきます。

 日夏耿之介の「鏡花文学」ですが、あれは私の不手際によって、校正をしていないものが製本され、市中に出回ったのです。翌月に校正したものを二刷りとして発行、初刷りを回収したのですが、五十冊ほどは未回収に終わりました。従って、「鏡花文学」の初刷りは私の無能を証明する以外、なんの役にも立ちません。今となっては、初刷りをお持ちの方にはご愁傷さまとしか言いようがないのです。
 研文社では、肥田晧三さん、中野三敏さん、小出昌洋さんなど、書誌学の仲間が集まって「江戸漢詩選」を全十卷で編纂しようと目論んでいました。他にも青裳堂書店の「日本書誌学大系」に収録されないであろう、雑纂編のようなものを拵えようと国会図書館へ日参し、三千枚のコピーを取りました。前者は規模を縮小したアンソロジーが岩波書店から上梓されました。で、どうしてそれらの書冊が上梓されなかったかというと、社長が蒸発したのです。蒸発というよりは駆落ちのようなものと私は勝手に解釈しています。いずれにせよ、親子二代で築き上げた会社を抛り出す、その好い加減、でたらめ、ちゃらんぽらん、無責任、投げ遣り、捨て鉢にはいまなお憧憬を抱き、拍手喝采を惜しまないでいるのです。その社長とは中野や荻窪でよく飲みました。「君のような社員が入ってくるのを待っていたんだよ」「あとは君にたのむよ、よろしくね」そのような会話がなんどか繰り返されました。はじめに結論ありきで、私は出しに使われただけなのですが、無責任さにおいては私も勝るとも劣らないのです、誰がそんなものを引き受けますか。
 聞くところによると遁走した社長は千葉で花屋を営んだとか、私が飲み屋をはじめたのも、おそらくその社長の影響ではなかったかと思うのです。お会いする機会はないでしょうが、いつ何時お会いしても昨日のつづきのように快なる晤語がもたらされることは間違いないと、これは同類にしか分からない「秘めやかな心の声」でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:01 | 固定ページリンク




一考 | 業務報告

 「キネマの会」の第二回目は二十四日の月曜日です。会員のみなさんはお忘れなくご参加ください。なお、来店の前にピストルでお星様を撃ち落とすのはやめてください。最近、赤坂署がうるさいものですから。

 ところで、どこやらの掲示板で伊太利亜の酒商ドナートの紹介をしたようですが、ですぺらにも入荷しています。ただし、安くはないのでご覚悟を。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:16 | 固定ページリンク




puhipuhi | (無題)

ピストルにお月様はダメですか。まったく赤坂署は無粋ですね。では代わりにイルリガートルやネリギなど用意して参上いたしましょうか。

手元の『鏡花文学』の奥付には「昭和六十三年十一月十八日印刷/昭和六十三年十一月三十日発行」とのみあり、二刷の記載は特にないです。これがその未校正版なのでしょうか。確かに出たときすぐ買ったような記憶はありますが、いまのいままで誤植の存在には気づきませんでした。お恥ずかしい限りです。



投稿者: puhipuhi    日時: 2005年10月22日 21:43 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」追記

puhipuhiさんへ
石野重道のようなところがなきにしもあらずで、りきさんならズドンと一発やりかねないと思ったのです。シュオブに木の星という短篇があって、あの星はヴィヨンが飲み屋の看板に、ルードヴィッヒが勲章に用いた、いわくつきの代物。ですから、穴をあけずに後世に託そうかと、これはとど爺の親切心です。

「鏡花文学」二刷は平成一年二月十六日の発行です。ところで、小生がかかわった書物の発行月日ほどちゃらんぽらんなものはございません。ちょいとステキな事務員とか馴染みの飲み屋のホステス、ミニスカートをはいていた友人の妻や網タイツの似合う女友達の生年月日等々から採られているのです。
あなたがお持ちの「鏡花文学」ですが、正誤表を含めてなんらかの方法を考えます。「キネマの会」の会報が出来上ってからになりますが。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月24日 15:52 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

先日の書き込みで春日井建氏のお名前を間違えました。お詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月26日 23:08 | 固定ページリンク




一考 | 能登の消息

 河崎徹さんが亀鳴屋の勝井隆則さんについて書かれている。龜鳴屋店主のドジ、アホ、マヌケぶりを、出自の裏日本に引っかけて面白おかしく表現なさっている。「裏日本」は差別語ではなかったかと思うのだが、地元のひとが用いるのであれば、差別にもなるまい。私自身、瀬戸内少年愚連隊を気取っていたものの、田舎は高田、いまの上越市である。
 文中「リンゴのプレゼント」のはなしがあって、苦笑いさせられた。中井英夫の葬儀の日、金がなくてオートバイで一号線を北上した。神戸の友人から頂戴したリンゴを後部座席に縛り付けてである。福島泰樹さんが住職を勤める下谷の法昌寺には他にも多くの高級フルーツが置かれてい、表に出ないで台所に籠って皮むきに励んだのを覚えている。
 河崎徹さんが指摘なさった「シャイで恥ずかしがりや」や「一歩さがって」の底辺には貧困がごろんと横たわっているような気がしてならない。勝井さんはどうか知らないが、私などは何事につけ一歩さがるのを常としてきた。飲み屋で一歩さがっていると見兼ねた女将が声を掛けてくれる、飲み屋で一歩さがっているとなにかしら思慮分別がありそうに思われる、飲み屋で一歩さがっていると知らない間に勘定が済まされている等々、どうやら私の頭のなかは飲むことしかなさそうである。
 「シャイ」は内気、気弱、小心、内向的、消極的、遠慮深い、恥ずかしがり、照れ、決まりが悪い、面映い、はにかみ、含羞、帯羞、可羞と続くのだが、この裏面では辱め、恥辱、汚辱、屈辱、冒涜、凌辱、国辱等々が手ぐすね引いて待ち構えている。このように書けば、シャイとはマゾヒズムの謂いではないかと思われてくる。
 酒と色情倒錯では、はなしにならない。私がいいたいのは勝井さんの稟質についてである。いつぞや、ですぺらの前まで来られたにもかかわらず、入店されなかった、その時の気持ちが河崎さんの文章を読んで諒解できたのである。そして、後段では「粋なはからい」が綴られている。「粋なはからい」とは片便宜のようなものなのだが、その辺りの消息が涙ぐましいまでによく描かれている。ジミー・ヴァン・ヒューゼンなら「モダン・ミリー」だし、「ポケット一杯の幸福」といえば私などはアン・マーグレットしか思い出さないのだが、さすがに勝井さんは芸が細かい。場所は真冬の金沢、知識人の悲哀を双肩に担ったがごとき心遣いではないか。それにしても、懲りもせず、厭きもせず、無駄を承知の気配りを繰り返す勝井さんは、やはりただ者ではない。某テレビ局が泉鏡花の番組を拵えていて、それを機会に勝井さんとお会いできるかと楽しみにしていたのだが、諸経費節減を理由に駄目になった。「ただ」でない部分を計りそこねて口惜しく思っている。

 前述の中井英夫の葬儀だが、香典はオートバイのガソリン代に消え、持ち合わせがない。先日、種村季弘さんをしのぶ会があったが、家賃に追われて会費が工面できなかった。「一歩さがる」と言えば聞こえはいいが、私の場合も二歩も三歩も下がらざるを得ないのである。なんやかやと用事を拵えて出版記念会は遠慮させていただいている。展覧会は構わないのだが、身にやましさを感じるので、オープニングは極力行かないように心掛けている。

 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/iwana/iwana21.htm



投稿者: 一考    日時: 2005年10月27日 23:38 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

赤坂のK社の鈴木様、お心遣いいただきありがとうございます。
昨晩、四名様でお越し下さいました。
ですぺら延命計画はあれこれと摸索中です。今後ともご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
鈴木様もたまにはお顔を見せてくださいね。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月29日 16:06 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀功光の写真魔術「光と鬼」

2003年1月に亡くなった横須賀功光さんの展覧会。
生前にもなかった大規模なもので、60年代からの作品150点を展示。
広告写真だけではなくて、全く違ったイメージの写真も見られる可能性大です。

会期:2005年11月19日(土)~12月18日(日)
場所:東京都写真美術館
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:2階展示室
料金:一般800(640)円/学生700(560)円/中高生・65歳以上600(480)円

*( )は20名以上の団体割引料金及び東京都写真美術館友の会会員割引料金
*小学生以下および障害をお持ちの方とその介護者は無料
*第3水曜日は65歳以上無料

東京都写真美術館のHP
http://www.syabi.com/index.html

今でも時々、夜半にふらりと横須賀さんが店に入って来られるような気がします。
若干ですが、招待券があります。ご希望の方はお申し出ください。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月30日 10:31 | 固定ページリンク




一考 | ご協力お願い

 第三回目「キネマの会」はありがとうございました。第四回目は十四日の月曜日です。会員のみなさまはお忘れなくご参加ください。

 ところで、どこやらの掲示板でドナートのモルト・ウィスキーに次いで、シチリアワインを紹介しました。企業秘密に属することなので、「どこやらの掲示板」と書いているのです。奇想天外な安価につき、お薦めなのですが、小生の飲み分は残しておいてください。

 十一月と十二月は朗読会を催しますので、モルト会はお休みになります。モルト会は形を変えて明年一月から再発足の予定。一回目はさまざまなダブル・マチュアードのテイスティングになります。なお、モルト会のスタンダードを作り、そちらはカタログへ組み入れます。いずれにせよ、明年のことはすべてが予定です。明年もみなさまとお会いできますよう、十一月と十二月のご支援、ご協力を切にお願い致します。

 朗読会の一回目は佐々木幹郎さん、十一月十七日(木曜日)。二回目は黒瀬珂瀾さん他、十一月二十六日(土曜日)。月末ぎりぎりに松岡達宜さんの短歌絶唱です。ワンドリンク付きで二千円の予定。詳細は追って当掲示板に載せますので、どうかよろしくお願い致します。

追伸
 鈴木さんに感謝です。日曜日にアイスペールとアイストングを買っておきますので、どうかよろしく。ミネラルは二リットルをどんと出しておけばよろしいですよね。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月05日 01:16 | 固定ページリンク




りき | (無題)

>一考さま
え、9日ではないんですか?



投稿者: りき    日時: 2005年11月05日 08:48 | 固定ページリンク




一考 | 間違い

りきさんへ
小生の勘違いです、次回は九日、申し訳ございません。
昨日も徹夜、表記の統一ならびに原本との照合を済ませました。八九年までは二冊を除いて終了、九日はプリントアウトしてお渡しできます。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月08日 00:04 | 固定ページリンク




一考 | 南柯の夢

 南柯書局が出版社として何年つづいたかは定かでない。コーベブックス在籍中にすでに南柯書局の号を用いているし、この十五年ほどは南柯書局名義での出版はしていないものの、いろんな出版社の企画や編集などを手伝っている。コーベブックス、南柯書局、雪華社、読売新聞社、研文社等々、職を転々としているが、それらは私のなかではひと続きになっていて、どこからどこまでが某社といった割り振りはできない。名刺の肩書きで仕事をしたことがないので、なおさらである。少しく消息を述べれば、折々の名刺に役職名は刷り込まない。著者と編集者との間柄は私のような流れ編集者にとってはなおさら個人的なものである。原稿を取ってくるのは私なのであって出版社ではない。従って責任は個人に在するのであって、仕事の場に逃げ道は無用である。
 いずれにせよ、どこで働いていようと南柯書局というプライベート・プレスは常に機能していた。南柯書局は私の頭のなかに棲みついた編集局のようなものであった。それ故、転職のたびに手持ちの企画のなかから、相応しかろうと思うものを上梓してきた。雪華社のときの中井英夫、山崎剛太郎、三枝和子、小高根二郎、杉本秀太郎、三好郁朗、岩崎力各氏の著訳書。研文社のときの日夏耿之介、森銑三各氏のエッセイ集がそれである。そして雪華社解散の折りは、編集中だった十数冊の出版を小沢書店、筑摩書房、岩波書店等々で肩代わりしていただいた。
 編集を生業としたのはコーベブックスが最初である。昭和四十七年の入社だが、出版部があったのは昭和四十九年八月から昭和五十二年七月までのわずか三年、その間に六十六点の書冊を上梓している。最初が岡田夏彦さんの『運命の書』であり、最後が須永朝彦さんの『硝子の繭』だった。詳細を著せられればいいのだが、自分で編集ないし出版した本を私はほとんど持っていない。過ぎ去ったことになんの興味も抱かれないからである。ひとは時代の渦中を生きる、言い換えれば刹那を生きるのであって、刻々と過去へと移り過ぎてゆく現在にしか興味は抱かれない。従って、過去の為事など、私にとってはどうでもよいのである。この「どうでもよい」との感慨は日々強くなる。それが今日への好奇心の旺盛さからなのか、年齢のせいなのかはよく分からないでいる。老いに比例してアクティブさが弥増る、そのような馬鹿がひとりぐらい居てもよいと思っている。
 『運命の書』はさて置いて、コーベブックスで拵えた書冊のほとんどは限定本である。販路が東京しかなく、東京以外の地で出版が成り立たないのを承知で、神戸で出版を営むのである。生き残りを考えれば、畢竟するに部数を限るしかない。その変わり、原材料は贅を尽した。尽したと言うよりは、豪奢な材料を用いて一部のマニアの方に経営の基部になっていただこうと願ったのである。この件も、より正確に言葉を補足しておきたい。私の為事を肯定するにせよ、否定するにせよ、いつも付きまとうのが趣味性である。それを私は苦々しく思ってきた。生き残りを賭けての限定本だったのであって、趣味で限定本を拵えたのではない。
 私が恋したのは文学であって、書物ではない。この書物と文学との関係はデカルトのいう属性、物体と精神という二実体の属性をそれぞれ広がりと意識と見るようなものなのだが、先哲の意見をそのまま採り入れようとすると、やはり無理がある。文学はメディアを必要とするが、メディアは文学ではない。そして、書物はメディアの一形態でしかない。凸版印刷機の原型が開発されたのは一四四五年頃だが、それが多く書物に用いられるようになったのは一八00年代に入ってからで、さらにオフセット印刷が石版印刷に取って代わるのは一九0三年のことである。たかだか二百年の歴史しか持たない書物を文学と同等視するわけにはいかないのである。平版印刷、凹版印刷、孔版印刷についてはここでは触れない、はなしが煩雑になるからである。
 装いがどうでもよいとは思わないが、装いはどこまで行っても装いでしかない。私は装丁をパッケージデザインだと思っている。謂わば、商品を売るための媚(販売促進)の部分に属するわけで、それで中味の質が変わるわけではない。そして今、パソコンの急速な伝搬によってメディアが大きく変わろうとしている。不物好きの謗となろうとも、好奇心強く、新奇なことを好む私のような輩にはこのような端境期が相応しい。

 ところで、私は編集者としては素人である。装幀家、蔵書家、書誌学者といってくださる親切なひとがたまにいらっしゃるが、大学の研究室やしかるべき研究機関の書誌学の講座などとは無縁で、義務教育しか終えていない。その私を救ってくださったのが、懇意にしていた人文書院の小林ひろ子さんである。紙の種類から箱、表紙、見返しの取り方、紙の目の読み方から口目、または紙の裏表からサイズ剤や中性紙に至る知識まで、小林さんはなにも知らない私に書物制作の基本を教えてくださった。いい機会だから、書いておきたいのだが、私は子供の頃から口先だけの人間で、才能とか実績の持ち合わせはなにもない。製本や印刷の段取りはおろか、活字の大きさも校正記号も解さないずぶの素人である。それが突然、手漉き和紙を用いて書物を造ると言い出したのである。小林さんのご協力がなければ不可能だったのは言うまでもないが、人文書院のみなさんはさぞかし呆れ返られたことと思う。出版に自信などはなからなかった、上梓に至らなければ至らなかったで仕方ない、私の生活そのものがそのような危険な賭けの繰り返しだった。割り切っていたのではなく、私の無責任さがそうさせたのだと思っている。
 人文書院から最初に紹介していただいたのが、仏光寺高倉の森田和紙である。毎日新聞社の『手漉和紙大鑑』や『手漉和紙』の残紙を大量に頒けていただいたのが昭和四十八年の初冬。印刷所の前の往来へ和紙を拡げ、一枚ずつマイクロメーターで計って全体を五山ほどに取り分ける。組版の面と印刷機の胴とのあいだを紙が流れて行くのだが、その胴に薄紙を巻き付けて印刷の圧の微調整を取る。ところが、手漉和紙は厚みにばらつきがある、それで前述のような作業が必要になるのである。手漉和紙に固有の耳を生かすためにトンボは入れられない、そんな状態で本文の二色刷、限定番号の活版刷り等の刷り合わせをうるさく言うのだから、職人は全神経を注ぎ込まざるを得ない。現在では突き返されるであろう難儀の果てに南柯書局の本はかたちを整えて行った。
 自分のことを「物数奇」と前記したが、一方でセナンクールも重々理解できる。みなさんがしばしば引用なさる「人間は所詮滅びるかもしれず、残されたものは虚無だけかもしれない。しかし抵抗しながら滅びようではないか」である。1970年代、書物の世界から手漉和紙と活版印刷は駆逐されつつあった。平井功や日夏耿之介が見た夢にひとつの形を与えるラストチャンスと私には思えたのである。そしてその最後の機会こそが、私の抗いであり、情念や怨恨とのクリンチではなかったかと、そう想い起こす。
 前述した限定番号の活版刷り、これも『游牧記』の平井功に準拠した。一番から終番まで順に活字を差し替えてゆくのだが、手差しの印刷機では版面が荒れる、ドイツ製の高価な印刷機がオーバーヒートして煙を吹き出すのは序の口、全頁共紙の多色刷りを前に、職人が途方に暮れる日々が繰り返された。須永朝彦さんと一緒に造った久生十蘭訳『ファントマ』の地を見ていただきたい。私がかかわった書物の組付けは天地が逆になっている。天を化粧裁ちにし、地を成り行きにまかせている。この当たり前の印刷が東京では通用しない、関東と関西では組版の天地が逆になっている。埃は天に溜るのである、かつての岩波文庫などは印刷文化に対する汚辱であり冒涜でしかない。
 話ついでに、用紙についてひとこと。澁澤龍彦さんの『神聖受胎』の見返しにはアート紙系の紙が用いられています。それが理由で、貼り見返しと遊び見返しとが喉でくっついてしまった本をよく見掛ける。アート紙やコート紙によく見られる症状で、湿気に弱い紙を見返しに用いてはならない。それでなくても、アート紙やコート紙は柔軟さがなく、折り目を加えると、そこから紙は千切れて行く。ますますもって見返しには不向きな紙ということになる。印刷効果を考慮しての選択なのだろうが、見返しに絵画を刷り込むに際し、そのような紙を用いれば最悪の結果をもたらす。戦前はオランダの木炭紙と共に舶載の紙として重宝がられ、堀辰雄の限定本などにも使われたが、時を経れば惨憺たる有様になる。
 他に絵描きがかかわった悪例として版画用紙に施される礬水(どうさ)引きがある。墨・インキ・絵の具などのにじみ止めや和紙の毛羽立ちを抑えるために使用されるが、礬水の原材料は膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の混和液。従って、礬水を引くことによって、せっかくの和紙が酸性紙に化けてしまう。日夏耿之介の『定本詩集』の挿絵に用いられた長谷川潔の版画などは礬水が強く、絵の具はみごとに止まっているものの、湿気による滲みがひどくて、目も当てられない。礬水引きをやめて雁皮紙刷りにしていただきたかったと思う。どうやら、絵描きが装丁に携わると碌でもない結果になるようである。
 それと糸縢りがなくなったのも大きな問題である。昨今の出版物は網代綴じか無線綴じになってしまった。網代綴じは折り工程で本の背に切れ込みを入れて接着剤でとじる方法、無線綴じは背をまるごと接着剤で固める方法。繰り返し繙けば早晩、書物はばらばらになってしまう。共に再製本は不可能で、謂わば使い捨ての本と言えよう。この使い捨ての書物に装いを凝らす装丁がまた、私には理解できない。装丁に費やす金数があれば、それを糸縢りに使っていただきたいと思うのである。
 次に活字のはなしを少々。南柯書局で拵えた本はすべて活版印刷を用いた。特に活版にこだわったのではなく、手漉和紙同様、書物に利用するに、最後の機会ではないかと考えたのである。花柳界で育ったがゆえに、滅び行くものへの嗜み、消え行くものへの共感や憧憬が子供のころから根付いていたのだと思う。過去形のものには興味がないが、いま消え去ろうとしているものには手を貸したくなる、というよりも、足を引っ張りたくなる。いやはや、難儀な性格である。
 当時は日活、元活、精興社などの活字が主流だった。精興社の書体は写植のそれに近く縦横の肉が細い、すなわちシャープでモダンなのですが、それが私には気に入らない。日活や元活の書体は縦側の肉が太く、謂わば太り肉(ふとりじし)の活字で、矢野目源一の名訳「ふともも町の角屋敷 こんもり茂った植込に弁天様が鎮座まします」を思い起こさせる。肉厚がある分、紙にくっきりとめり込むように印刷される、その触感が私に堪らない懽楽をもたらしたのである。
 著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁である。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生する。それはそれで結構なのだが、どうやら手漉和紙に魅せられたあたりから、ヤオヨロズの貧乏神に追い立てられる生活がはじまったようである。「読み手をどこかへ連れていくような物語の楽しさ」とよく言うが、楽しいのは読者だけであって、版元が楽しかろう筈がない。すでにレールの敷かれた出版社の一員として働くのであればともかく、プライベート・プレスに春は永遠にやって来ない。六0年代、七0年代に異常発生したプライベート・プレスは八五年を境にほぼ途絶する。「プラザ合意」以降の経済不況が関係したかどうかを知らないが、「文字通りな異端の者ゆえの蹉跌に埋もれていった」出版社が復興したとのはなしは打ち絶えて聞かない。パッケージデザインの達人には成り果せたかもしれない、しかしながら、いま顧みて、出版とは金銭との格闘だったと嘯きたくもなる。


 先日、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。後段は薔薇十字社の内藤三津子さんと「幻影城」の島崎博さんのことを喋った。そちらは既に掲示板で書き込んでいるので端折った。大半は掲示板で書き綴ってきたことだが、それはそれ、トドの涎とご笑覧あれ。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 22:43 | 固定ページリンク




一考 | 大きなお世話

 中重徹の「新編薫響集」について書いたことがあると思って、検索を試みたが出てこない。検索の仕方がまずいのだろうか、どうもよく分からない。櫻井さんに教えを乞うたところ、過去ログの一部が壊れているらしい。しかし、過去ログがあろうがなかろうが、私にはどうでもよいことである。どのみち、似たような繰り言を飽きもせず書き継いでいる。
 「新編薫響集」に触れた「断屁断笑」では、伸縮自在な思考こそが書誌学者には相応しいというようなことを書いた。その証明を芭蕉にかんする書き込みで試みたのだが、何時のことかは覚えていない、従って重複を気にせず、勝手に書きはじめるとする。
 学問としての書誌学の対象に現代文学は入っていない。多くの先達の努力によって、やっと江戸文学が書誌学者の考証の対象になったばかりである。逆に言えば、書誌学がなければ江戸文学が学問の対象にならなかったのである。
 小出昌洋さんの手になる「日本随筆大成」などはそうした努力の好例であろう。と書いてみたところで、五年も経てばひとは老いもし、若返りもする。人生は「少年や六十年後の春のごとし」である。その人さまの為事であれば、たとえ学問と言えども変化するにしくはない。現今の作家の著書目録に書誌とか書誌学といった大仰な字句を用いるのに私はいまなお抵抗を感じるが、それが時代の趨勢ならなにも言わない。ただ、書誌学の本意は既存の学問を遠く離れ、対象を縦横に批評するところにある。従って、書目録や年譜の類いはそのための基礎資料にしかす
 国文学者の見る芭蕉、歴史学者の見る芭蕉、俳人の見る芭蕉、言語学者の見る芭蕉、精神分析学から見る芭蕉、地方地誌から見る芭蕉、さまざまに異なる芭蕉をひとつの象に結ぶのが書誌学者の責務とでも言っておこうか。
 私が言いたいのは、ひとつの種類のアプローチ、すなわちスタイルや様式美は文学の世界にあってはなんの役にも立たないということである。医師が患者を診るに際し、問診、血液、尿、心電図、エコー、レントゲン、CTスキャンとさまざまなアプローチを試みたうえで病名を判断するように、批評にあって最重要なのは書き手の対応の柔軟さと気配りの多様さであろう。これ以上、自分が変わりようがないと思われるまで、アプローチは繰り返さなければならない。その繰り返しがアクティブの証左ともなる。
 スタイルや様式美は丸ごと存在するのであって、考証や論証の対象には成り得ない。ダンディスムなどという俗流と同じで、切り分けたり一部を除去するのは適わない。芸術を生の高揚、陶酔としてとらえようとしたニーチェを持ち出すまでもなく、それらはそっくりまるのまま肯定するか否定するかしかないのである。そのあたりの消息は長野順子さんの論考を繙かれるのをお薦めする。そして、そのような全体主義的、排外的理念に私は組みできないでいる。
 読書の醍醐味は、読む前と読んだあとではそのひとの価値観なり世界観に変化をもたらすことにある。だからこそ、読書にあって問われるのは、書物に対するアプローチの多様さである。多様さの持ち合わせがなければ、好悪で判断するしかなくなる。問われているのは常に繙く側であって、書物の側ではない。そこへ「自己本位」などというしみったれた趣味性を持ち込むのを本末転倒という。肝胆相照らすような読書は毒にも薬にもならない、自身の価値観なり世界観に変化をもたらさない読書ならやめちまえ、と叫びたくなる今日この頃である。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | 稲垣足穂

 このところ、稲垣足穂の年譜と著書目録を作らされている。「作らされている」と書いたのは、そのような仕事をあまりしたくなかったからである。私ひとりだと引き受けなかったのだが、店に来られる若いひとたちの協力を得られた。山口雄也、鎌野創一郎、金光寛峯、小野塚力、土屋和之、佐藤周の各氏である。敢えてお名前を挙げさせていただき、深く感謝したい。
 これだけ逸材が揃えば私ごときは無用者で、遠慮なく寝惚け眼でいられる。このところ「キネマの会」との符丁を用いていたのは、その編集会議であった。議長は「ユリイカ」の郡淳一郎さん、爺やは片隅でみなさんの仕事の進行ぶりを見守るのみ、たまにフムフムと頷きながらシクハード・ハインツェルよろしく煙に巻いていれば万々歳なのである。
 今回の稲垣足穂特集のはなしが舞い込んだ日、札幌で亡くなられた高橋康雄さんを憶い、墓参りすら覚束ない不実な私はひとりで杯を傾けた。過日、「久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまる」と書いたのはこのことだった。

 パソコンはおろか、コピーすらなかった時代に私は書誌学の真似事をさせられた。当時はすべて原稿に書き写すしか手立てはなかった。moondialさんの手ほどきでパソコンが使えるようになったいま、文明の利器のありがたさが身にしみる。そこでこの利便さを用いて広くご教示いただきたい。もっか、稲垣足穂の未発表作品やヴァリアントもしくは筑摩書房版全集に収録されなかった作品を探している。なにかしらご存じの方がいらしたら、ぜひともご連絡いただきたいのである。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月11日 00:44 | 固定ページリンク




薫子 | 佐々木幹郎さん朗読会

 11月17日(木)19:00より、佐々木幹郎さんの朗読&トークの会をですぺらにて催します。会費はワンドリンク付きで2000円。

 詩作、エッセイ、評論を始め多方面で活躍されている佐々木幹郎さん、ですぺらでは明るい酔っぱらい。でもなによりも詩に対する深い想いをお持ちです。自作の詩の朗読と、現代詩について語っていただく時間を設ける予定です。詩ってよく分からない、詩人てどんな人?とお思いの方にも、この機会に是非ご参集下さい。どなたさまでも大歓迎です。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月11日 06:57 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら朗読会―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

歌人の黒瀬珂瀾 さんに朗読会をお願いしたところ、詩人の小笠原鳥類さん、俳人の高柳克弘との豪華共演朗読会をアレンジして下さいました。深謝。
掲示板用告知まで書いていただきました。以下に転載します。

ですぺら朗読会  
―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

日時 11月26日(土曜日) 午後7時開演(開店は午後6時)
会場 ですぺら  東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html

入場費 2000円(ワンドリンク)

 現代詩・俳句・短歌の若手3名が一堂に会しての一夜。朗読会の後に軽いトーク、その後打ち上げ(実費)を予定しています。お気軽にご参加ください。

朗読者紹介
 小笠原鳥類
 1977年生まれ。動物の名前および動物に関する語彙が多く登場する詩を書いている。1998~99年に「現代詩手帖」「ユリイカ」に詩を投稿。その後、詩誌「はちょう」「鐘楼」「GANYMEDE」「分裂機械」「歴程」などに詩・散文を執筆。2004年に第1詩集『素晴らしい海岸生物の観察』(思潮社)を刊行。現在、第2詩集を準備している。

 高柳克弘
 昭和55年静岡県生まれ。平成14年、俳句結社「鷹」入会。平成16年、第19回俳句研究賞受賞。現在、同誌編集長。早大教育学部博士後期課程在籍。

 黒瀬珂瀾
 1977年生まれ。春日井建に師事。2002年、歌集『黒耀宮』を刊行。同歌集にて「第11回ながらみ書房出版賞」受賞。現在、[sai]、「鱧と水仙」各同人。読売新聞毎月最終金曜夕刊(一部地域のぞく)にて、「カラン卿の短歌魔宮」連載中。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月13日 09:17 | 固定ページリンク




りき | 同人誌「某」創刊記念無料配布会開催の件

かねがね準備中の同人誌計画ですが、
いろいろ考えて、創刊準備号を急遽つくることになりました。
その名を「某」(ぼう)といいます。

概要もきまりました。

100部限定。ナンバー入り。
重版なし。売り切れごめん。

内容。
ぼくの椿實論
フォルヌレの短編
エフライムミカエルの詩幾編か

全部で20頁くらい。
定価300円。

で、ですぺらで一日のみの無料配布日を設けます。
特に予約などはしません。この日いらしていただけた方に、無料で差し上げます。
ようは、ですぺらが埋まればいいのです。
日程は以下の通り。

日時:11月25日(金)19時くらい~

以上、よろしくお願いします。

以降はですぺらで販売していただく予定です。



投稿者: りき    日時: 2005年11月13日 11:49 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらの地図

 りきさんへ
 お気を遣わせて申し訳ない。開店当初にイラストレーターで拵えたですぺらの地図に修正を加え、今朝土屋さんへお送りしたのですが、済ませてからもしやと思いホームページを確認したところ、一階の屋号が既にひろさんの手で訂正されていました。イラストレーター、フォトショップ、JPEGの三種を拵えたのですが、また無駄な時を費やしてしまったようです。
 「大きなお世話」に限らず、貴方を念頭に置いた書き込みがこのところ続きます。紹介ではない、独自のアプローチを試みられるよう、切に願っております。椿實論は楽しみですね。
 タルホ生前の著書七十六冊、死後の六十五冊、文学全集及びアンソロジーの三十四冊の内、未確認はあと十余冊ほどになりました。今日は金星堂版「一千一秒物語」の写真製版による複数の復刻版の本文校訂を済ませました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 00:24 | 固定ページリンク




一考 | 「ぼう」あれこれ

 りきさんへ
 同人誌の名が「某」だとか、面白いですね、結構ついでに毎号「ぼう」の字を変えてみたらいかがでしょう。
 細胞内部の浸透圧と外部の浸透圧の差を膨圧といいますが、動物には細胞壁がなく、細胞の最外層は薄い細胞膜なので細胞を水中に入れると膨れて破裂します。従って、動物に膨圧との概念は通用しないのですが、植物細胞は堅い細胞壁で覆われています。水によって体積を増した細胞が、堅い細胞壁によって押さえつけられて膨圧が生じます。膨圧は数気圧から数十気圧に達することもあります。はなしがややこしいですが、椿実や「白樺になる男」なら「膨」でもおもしろいですね。
 イネ科の多年草に血茅がありますが、根茎は鱗片に覆われ、発達して深く地中を横に匐い、きわめてじょうぶで、地上部が焼き払われても枯死しません。されば「茅」なんぞ、千の肺を持つフォルヌレにこそ相応しいのではないかと思います。「ホテルの時間は、鳥のない翼だ」をマクタガート風の「非実在の時間」と通底すると仰有ったのはプヒプヒさんですが、私なんざあ、紡脚類のシロアリモドキを想い起こします。樹皮の割れ目などに、前脚の膨れたふ節にある腺から糸を出し、幕を張って巣をつくるので、紡脚の名があるのですが、あの生命力のしぶとさと雌に羽のないところはフォルヌレに通底するのではと、だって草叢のダイヤモンドの女性に対する性愛は異常そのものではないですか。従ってこの場合は「紡」ですね。
 岡本かの子の河明りに「主人側の男たちは靉靆として笑つた」との一節がありますが、この靉靆は古くは眼鏡のことであり望遠鏡のことなのです。遠方の物体を拡大して眺めるのがミカエルの世の拗ね方なのですが、あれは拗ねてるのか諦めているのか、ひょっとしたら悦に入っているのではないかと読み手をして迷わせるようなところがあります。されば「望」も可能ではなかろうかと。
 新しい雑誌の不死を願って萌芽林の「萌」もよろしかろうと、芽を吹くのは切り口付近の定芽、不定芽、休眠芽と相場は決まっていますが、文学の切り口と解釈するのも洒落ているのでは。ついでに、創造的思考は冒険的思考ともいい、波瀾万丈の旅を示唆する「冒」などもありますね。「惘」や「貿」だとですぺらの私小説になりますし、「茫」「蓬」「莽」なら得意の臍下三寸のはなしになってしまいます。以上、箸にも「棒」にもかからないはなしで御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 20:42 | 固定ページリンク




薫子 | 音で聴くツハラヤスミ@ですぺら

津原泰水さんのミニライブ&朗読&トークという豪華三段仕込みの会をですぺらにて催します。
会場の都合により、メールにてお申し込み頂いた方先着30名様ほどに限らせていただきます。
ただし、立ち見でもよいから入場希望との場合はその旨お知らせ下さい。
複数箇所で告知しているため、公正を期して11月20日午前10時より下記アドレスにて受け付けます。

メールアドレス:amane3110@mail.goo.ne.jp
タイトルを「ツハラヤスミ@ですぺら」としてお名前を明記の上、お送りください。

よろしくご理解の程お願いいたします。


 ---音で聴くツハラヤスミ@ですぺら---

日時 12月11日(日曜日)19:00より
会費 男性5000円 女性4500円 (ドリンク、フード付き)
会場 「ですぺら」 東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html


■ミニライヴ
 演奏――ラヂオ商店(小山亜紀 v、津原泰水 g、他)
■朗読(書き下ろし新作を含む)
 朗読者――栗田ひづる(声優)
■トーク「恐怖の手順(仮)」
 お話――小中千昭(脚本家)、津原泰水
■フリータイム
 サイン等も可(礼儀の範囲で求めてください)



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 07:55 | 固定ページリンク




薫子 | 詩人の朗読

昨晩は佐々木幹郎さんの朗読会にお越しいただいた皆様、ありがとうございます。こぢんまりとした会になりましたが、佐々木さんはこのメンバーだったらこれでいこうとおっしゃって、二十代、三十代に作った詩から最近の作までを当時の思い出、心情とともに語ってくださいました。
どうしてこの詩を書いたのか、何故詩なのか。もだえ苦しみながら詩を書き続けてきた詩人の姿を見せてくれました。
あのような形の朗読になるとは予想もしていなかったのですが、それだけにとても興味深かったです。ボキャブラリーが貧困でうまく書けずに申しわけないです。楽しい一夜でした。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 08:14 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀さんの写真展

本日より東京都写真美術館にて横須賀功光さんの写真展が始まります。(12月18日まで)
会場で写真集「光と鬼」が先行販売されます。一週間後には書店にも並ぶようです。550ページの大冊で定価は6000円(税別)、PARCO出版発行。この内容でこの価格は驚きです。PARCO出版、えらい!また、PACRO出版に橋渡しをしてくださったポスターハリスカンパニーの笹目さんに感謝。
皆様、是非会場にお運び下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月19日 15:43 | 固定ページリンク




薫子 | ドイツワインサービス

ドイツの白ワインを全て2割引にいたします。
この機会に是非ドイツワインをお試しあれ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月21日 16:07 | 固定ページリンク




薫子 | 本日

店主、風邪気味のためふせっております。知恵熱?
明日からイベント続きなので大事をとって、ということでご容赦願います。
独りでやってます。よろしく!



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月24日 20:20 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございました。

昨日、お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
深く感謝いたします。

なお、「某」創刊準備2号は、12月11日発行予定です。
よろしくお願いします。



投稿者: りき    日時: 2005年11月26日 08:52 | 固定ページリンク




一考 | 龜鳴屋に託つけて

 龜注付き「ただ者ではない」を愉しく読ませていただきました。文中、「勝井家兼・龜鳴屋」とあり、藤原兼家ならぬ勝井家兼(イヘカネ)も一興かと思いました。「兼」は「気をかねる」の意で用いられます。「姑の手前を兼ねる」のがわれらプラトン的「ムコ殿」の実相。また、「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六を兼ねる、かの庭園を「家」の一部に取り込むところなど、文学を山師の吹くヤマコと心得る我らにふさわしい池泉大回遊式名前かと感服致しました。ヤマメとニジマスの魚卵漬に感謝、河崎徹さんへよしなにお伝えください。

 以下は「ムコ殿」からの連想ゲーム、一代のヤマコ稲垣足穂についての一言です。
 昨日、加藤郁乎、松山俊太郎両先達とタルホ星について歓談致しました。酒を断っての三時間余、土方巽、澁澤龍彦、種村季弘各氏も降臨、「ユリイカ」の郡淳一郎さんのお陰をもって快なる刻が過ごせました。
 女性は時間と共に円熟する、しかし少年の命は夏の一日である。少女と相語ることには生涯的伴侶が内包されているが、少年と語らうのは常に「ここに究まる」境地であり、「今日を限り」のものである。上記は共にタルホの言葉ですが、「美のはかなさ」の身勝手な刹那主義と「白鳩の記」における飛行機は墜落するものとの恣意的なものの考え方とが、既視感とドッキングしたところにタルホ的永遠癖が宇宙的郷愁があったように思うのです。言い換えれば、タルホの母への対峙の仕方、姉への反感、夫人への冷酷さ等々、女性への憎悪がタルホの文学を支えるエネルギーの源ではなかったかと、そう思うのです。
 「およそ世にある情けなさのなかでも夢でものを食べるほどの儚さに匹敵するものはない」こちらもタルホの言葉ですが、ここで触れられている「儚さ」とタルホ文学の主流をなす「不安」を読み解いた高木隆郎氏の文言は鋭い。折目博子さんの「虚空 稲垣足穂」から孫引きする。
 「稲垣足穂氏のロールシャッハ図版にたいする反応によると、その人間像は現実の世界に生活するそれではなくて、演劇的人物、悪魔ないし極度に象徴化された人間等々である。このことは、かれの豊かな創造性、空想力を示すと同時に、人間をリアルな社会的生活体として見ておらず、それから情緒的な距離をへだてていることを意味している。彼の情緒的な共感性は具体的人格に対しては拒否され、自らの創造になるイマジナリイな、抽象的な人間性にむけられ、またそうした独自の空想的世界に遊ぶ人間と自己を同一視する。(中略)要約すると、稲垣足穂は分裂性性格者で、具体的なものを拒否し、現実的情緒的な対人関係をともなう現実社会への適応に欠けるが、独自のはなはだ豊かな空想力によって幻想的世界を創造して、そこに住む人間と情緒的共感性を得ている。その観念活動はパラノイア的傾向をおびることすらある。同性愛的傾向が窺われるが、真性倒錯ではなく、非常化された性器を通じての原始心性への復帰、物神崇拝的願望への強い執着である」
 またコバルトの空に飛行船が浮かんでいるタルホお得意のパステル画について、高木隆郎氏は分析する。
 「画面は分裂病的性格者に特有な幾何学的水平分割であり、飛行船は空間の上下左右とも完全な中央に懸垂し、それに原画では暗いコバルトの空と山脈の色彩--私はこの絵を見せられた瞬間、ほとんどショッキングなほどの不安を感じとってしまった。揚力と重力のぎりぎりの均衡である。これは現実の不安でもなく、夢想された不安でもない。現実と幻想の間に宙吊りにされた不安に他ならない」
 長々と引用したのには理由がある。これだけの材料があれば、五十枚のタルホ論が書ける。私たちの世代のタルホは終わった。オマージュがこれ以上繰り返されてはならない。文学の一翼にオマージュがある。しかし、オマージュのなかには憎悪も儚さも不安もなにもない。文学とは軋轢であり、コンフリクトである。言語体験としての世界体験、離郷体験や流浪がもたらす未決の宙づり状態、あるいは生きかたそれ自体が一種のだまし絵であるかのような演劇性等々のなかにしか文学は存在しない。次の世代がタルホをいかに読み解くのか、それを見届けてから死にたいと切に願っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月28日 23:28 | 固定ページリンク




一考 | つづき

 「某テレビ局が泉鏡花の番組を拵えていて、それを機会に勝井隆則さんとお会いできるかと楽しみにしていたのだが、諸経費節減を理由に駄目になった」と書き込んで忘れていたら、その某テレビ局のプロデューサーが来店、「一考さんは金沢へ行くつもりだったのですか」と訊ねられてこちらが周章てた。端から行けるとは思っていないし、また行く気もない。勝井さんと会うときは妙な紐はない方がいいに決まっている。「会いたいねえ」との意思表示が主題であって、テレビ局ははなしの主旨から遠く離れる。
 私にとって、ウエッブサイトへの書き込みは基本的に無責任である。適当に書いておればよろしいのであって、あとは野となれ山となれである。とは申せ、ですぺらのお客には新聞社の方が多い。従って、時事問題に現れる数値ならびに全体の流れに関しては極力正確に書くように心掛けている。複数の新聞社の記者が私の文言の裏を取って驚いていたようだが、企業の統合や合併に関しては専門の新聞記者よりも情報が早い時もある。ただし、そういった情報は新聞社の方とは話すが、掲示板では書かないことにした。ひとことにどれだけの資料の分析が罩められているか、などと言い出すと泣き言にしかならないし、挙句に「一考にかかるとはなしが倍増される」ではやってられない。今年の夏の書き込みで話の裏が通じるのは新聞屋さんだけだと身にしみて判った。ひとの死に関しても消息は同じである。横須賀功光さんが亡くなられてから、共同通信の配信が済むまでは一切触れないことにした。

 「能登の消息」で河崎徹さんの文章に触れたのは、かれの文章によって勝井隆則さんをより身近に感じたからである。「シャイ」と「マゾヒズム」との関係が私の舌っ足らずな表現によって、マゾシストになろうが、エクソシストになろうがそんなことはどうでもよい。勝井隆則、気配り、片便宜との弁証を楽しませてくださった河崎さんの人物活写、その実のある筆力に驚かされたのである。時の綺羅になんら興味を抱かれない「融通の利かない人間ぎらいのガンコなおっさん」の仲間に加えてくだされば幸いと思っている。
 河崎さんの文章の末尾を無断で引用したい。「マゾ、サド、暴力性、自虐性、残虐性…を持った人間が、勝手気ままに世界中に向けて言いたい放題を放出するインターネット、それがいいのか悪いのか私にはわからない。ただその事を時間をかけてゆっくりと検証する間もなく次から次と(インターネットに限らず)便利なものが生み出されていくのに、私はどうも付いていけない(人間の体の構造は数世紀前とほとんど変わっていない――私だけではない)。こんな事を言うと、どこからか『だからお前は時代遅れと言われるのだ』という声が聞こえてきそうだ」
 「毎月抄」に「或人、花実の亊を、歌にたて申て侍るにとりて、古の歌は、みな実を存して花を忘れ、近代のうたは、花をのみ心にかけて、実には目もかけぬからと申ためり」とある。意味内容を実にたとえるのに対し、表現技巧を花といっているのだが、論旨は「実を存してこその花」にある。定家の時代からインターネットの時代まで、変わるところが何もないとするならば、これは既に恐怖の対象でしかない。実に目もかけぬ表現技巧がそらごとでなければなんなのか。タルホの手づつの文章に一服の清涼を覚えるのは私ぐらいのものなのか。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月29日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 朗読会

 佐々木幹郎さんの詩の私は断片的な読者でしかない。それを今、恥じている。十七日の朗読会はよかった。恥じ入るほどによかったのである。二十歳の頃、種村季弘さんとはじめて出会った時も「水」のはなしに終始した。それは鏡花の文学作品に顕れる「水」だった。
 思潮社の「別冊現代詩手帖第一巻第一号泉鏡花」が刊行されたのは一九七二年一月、編集を手伝ったのはその前年の一年間である。所収の種村さんの鏡花論は水・水・水のオンパレードだった。六九年から七一年にかけて、泉鏡花に託つけて、種村さんから文芸評論のありよう、エッセイの書き方を教わった。役に立たない私なれば、ついぞ身にはつかなかったが、ご教示くださったことを忝なく思っている。
 その「水」や「流れ」のモチーフがそれこそ「流れのまま」に息づいているのが幹郎さんの詩である。引っ掛かっていた疑問、結石のように固まっていた疑問が「水」のひとことで砕かれ流されてゆく。空中をひらひら落ちる木の葉、水中を泳ぐ魚、空を飛ぶ鳥、はたまた帆船に働く風の力、飛行機の翼に働く揚力、暴風によって建物の受ける破壊力、幹郎さんの詩の「野をひらく鍵」は流体にあった、と気付かされたのである。幹郎さんにとって詩は一種の水祝儀、灌頂のようなものであった。朗読によって端緒が開けたと思うのは恥じでもなんでもない。そんなことよりも、幹郎さんの詩をいちから読まねばならない、と脅迫せしめた朗読会に感謝である。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月29日 22:33 | 固定ページリンク




一考 | 海馬注

このところの書き込みにひとこと。「龜鳴屋の表紙」最下段の「龜鳴屋目次へ」をクリック、強力連載の項に河崎徹さんの「イワナ売ります」があります。龜注入りの文章はそのなかです。九本の連載が強力、微力、魅力に三分割されている。知力か腕力かは迷うところだが、ここは素直に後者としておこう。龜注ならぬ海馬注でした。

 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/index.htm



投稿者: 一考    日時: 2005年11月30日 01:44 | 固定ページリンク




一考 | 短歌絶唱

 朗読会の三回目は 二月に処女歌集「青空」を洋々社より上梓された松岡達宜さん、明日の金曜日、午後七時開演です。
 出演は松岡達宜(朗読)、横山雅弘(三味線)、木下愛子(ピアノ)、半田綾子(歌)各氏の豪華メンバー。唐十郎さんの「夜叉奇想」「唐版 風の又三郎」に寺山修司の短歌や「青空」等々、Rock'n'roll over traditional poem by Tatsuyoshi .Matsuoka ってなぐあいらしく、鳴り物入りでの空前絶後の絶唱であるらしい。この日を楽しみにしていた筆頭人が、なにを隠そう店主自身なのである。ワンドリンク付きで二千円、なには扨措き、お集まりいただきたい。



投稿者: 一考    日時: 2005年12月02日 01:39 | 固定ページリンク




友野健二 | (無題)

唐突に失礼致します。
ミカエル邦訳掲載との由、残部があれば頒けて戴きたくお願ひ申し上げます。郵送を含め、可否を御教示下さいませ。



投稿者: 友野健二    日時: 2005年12月03日 23:01 | 固定ページリンク




一考 | 友野健二さんへ

「某」の執筆者から連絡させますので、メールアドレスを教えてください。
私のアドレスは下記、空メールで結構ですが、Subjectにお名前を入れてください。

もしくは下記URLへどうぞ、りきさん宛メールアドレスが分かります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6824/



投稿者: 一考    日時: 2005年12月04日 21:47 | 固定ページリンク




友野健二 | (無題)

わざわざ御教示忝く。御教示の宛先に連絡を差し上げました。御礼のみにて。



投稿者: 友野健二    日時: 2005年12月06日 04:58 | 固定ページリンク




薫子 | 舞踏・石井満隆

舞踏家 石井満隆さんよりお知らせいただきました。

GLOBAL ART PARTY 9 IMPROVISED CONCERT
出演 深町純(Piano)
Guest 石井満隆(舞踏)
Food work 天海

日時 2005.12.9(金)
   PM 6:30  OPEN  
   PM 7:00  START(PM 8:30 PARTY)
会費 当日3500円 軽食付き 前売・予約3000円
会場 東京都港区赤坂7-5-56 ドイツ文化会館1F OAG-Hausesホール
  (地下鉄・青山一丁目駅下車 徒歩3分)
問い合わせ  03-3582-7743 OAG内



投稿者: 薫子    日時: 2005年12月08日 04:36 | 固定ページリンク




薫子 | コンサートチケット譲ります

 クラシックコンサートのチケットを、どなたかご希望の方にお譲りします。倉阪鬼一郎さんが行かれる予定だったのですが、新居へのお引っ越しに重なり行けなくなったとのこと。
 
 東京都交響楽団 定期演奏会 第619回 Aシリーズ 指揮 ジャン・フルネ
 2005年12月21日(水) 6:30PM 開場  7:00PM開演  東京文化会館 大ホール S席 一枚

ですぺらにてお預かりしています。



投稿者: 薫子    日時: 2005年12月10日 05:01 | 固定ページリンク




椿 紅子 (べにこ) | 稲垣足穂草稿

ログに投稿するのは慣れないので不安ですが、稲垣足穂の未発表作品やヴァリアントもしくは筑摩書房版全集に収録されなかった作品について。。。ぜひともご連絡いただきたい、との記事に後押しされご連絡申し上げます。神保町玉英堂書店のカタログには、『椿實の快走調』と表記された草稿8枚があります。そのウェブ・カタログの写真でも、タイトルは私にはどうしても『椿實の快速調』のように見えます。

私は椿實(2002年没)の長女で、この作品の背景と収録先を探しております。足穂より椿實宛の葉書一葉(『椿實全作品』の別刷に収録されたもの)は日本近代文学館に寄贈いたしましたが、そこで言及されている作品なのかどうか。また、『聖母月』の資料についても知りたいと思っております。



投稿者: 椿 紅子 (べにこ)    日時: 2005年12月13日 10:28 | 固定ページリンク




薫子 | 郡司正勝「鶴屋南北」頒布のお知らせ

須永朝彦さんよりお知らせです。

郡司正勝先生の著書「鶴屋南北」(中公新書)が絶版となります。在庫を遺族の方が買い取られました。一部をですぺらでも販売いたしますので、どうぞお申し付け下さい。

<内容説明>
・1994年3月刊行 中央公論社 新書版224頁 
 定価700円のところを、ですぺらでは600円にておわけします。

・目次 発端・「おお南北」か「だい南北」か/南北の肖像/南北の街/劇場に身を投ずる/立作者となる/南北無学説/奇想「鯨のだんまり」/出世作「天竺徳兵衛」/寛政かぶきのリアリズム/小幕作者時代と道化方/南北襲名/生世話の誕生/小説の視覚化 /見世物と南北/「櫻姫東文章」とその時代/薬と毒薬/「四谷怪談」とその時代/南北独り旅「五十三駅」/死もまた茶番/あとがき

また、須永朝彦さんの情報ページ(下記アドレス)では、メール便にての配送も受け付けておられます。遠方の方はこちらをご利用下さい。

 http://www.d2.dion.ne.jp/~octa/sun/sunaga.html



投稿者: 薫子    日時: 2005年12月14日 06:18 | 固定ページリンク




一考 | 稲垣足穂草稿について

 椿 紅子さんへ
 ご返事が遅くなり恐縮です。
 三十年以上前のはなしですが、澁澤さんから椿實の名を教わり、第十四次新思潮や群像を集めて椿氏の小説を読んでまいりました。過日、立風書房の宗田安正さんが小生の編著を出してくださり、いまなお親しくお付き合いさせていただいております。従って「椿實全作品」のときもいささかのお手伝いをさせていただきました。
 「椿實の快走調」の件ですが、値が値だけに、頭を悩ましておりましたところ、友人から購入したとの連絡が入りました。小生が営むショットバーに明日中に届けられるそうです。現物を確認の上、なにかしら分かることがございましたらご連絡させていただきます。
 まずは取り急ぎ要用のみにて失礼致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年12月15日 21:39 | 固定ページリンク




一考 | モルト・ウィスキー&トーク

 佐々木幹郎、黒瀬珂瀾、小笠原鳥類、高柳克弘、松岡達宜、横山雅弘、木下愛子、半田綾子、津原泰水、小山亜紀、栗田ひづる、小中千昭、ラヂオ商店の各位のご協力をもって四回の朗読会が無事に終了、みなさまに深く感謝致します。
 ご報告を兼ねてひとこと。イベントの収入で十一月までの家賃の支払いをやっと済ませることが出来ました。今月が更新月ですので、あと二ヶ月分の家賃を工面すれば、しばらくの余命をつなぐことが可能になります。
 そこでですぺらの新年会として、一月七日の土曜日に高級モルト・ウィスキーの飲み会を催します。会費は二万五千円ですが、五万円分のウィスキーを提供させていただきます。ウィスキーは半額、フードは無料サービスになります。フードはひさびさに小鉢ものを五、六種造ろうと思い、淡路のちりめんや京都の山椒なども注文済みです。
 佐々木幹郎さんと小生のウィスキー・トークをまじえながらの飲み会です。ウィスキーの在庫状態から推してご参加は十一名に限らせていただきます。仕込みと食器が必要ですので、事前にお知らせください。以上、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年12月20日 20:26 | 固定ページリンク




りき | 「某」創刊準備2号完成!!

ご無沙汰しています。

先日の津原さんの会にあわせて「某」の創刊準備2号を製作しました。
ライブのリーフレットを兼ねています。
内容は、

・津原さんのライブに寄せたエッセイと当日使用された曲の歌詞
 (ライブに寄せた津原さんの文章はこれでしかよめないです)
・周くんの津原さんの「天使解体」論
・私の趣味が暴走したムットーニ「山月記」論

なんの雑誌だか、ますますわからないです。
責任編集は私です。

ですぺらで一部100円で販売しています。
通信販売も承ります。メールをください。



投稿者: りき    日時: 2005年12月23日 17:39 | 固定ページリンク




りき | ぺガーナロスト11号完成のお知らせ兼ダンセイニオフ会@ですぺら

ぺガーナロスト11号が完成しました。
明日、先行で8部ほどですぺらに委託します。11号を。
定価1000円になります。

また、発行人の未谷おとさんが、12月30日に
ですぺらにきます。特に予約などはしませんが、
この日に私もですぺらにいくつもりです。
ダンセイニやアイルランド文学について語り合いませんか?
お気軽にご参加いただければと思います。
発行人とはなかなか会う機会が私もないので・・・



投稿者: りき    日時: 2005年12月25日 23:04 | 固定ページリンク




 | インターネットと犯罪と

父(一考)に何か物の一つや二つ書いてみろとご指名があったのですが、どうも音楽と経済知識以外乏しく、何も書けないので最近ふと考えた事を。 独断と偏見に満ちた下等な文章ですがどうか御容赦を。
この所痛ましい事件が目立ちます。どんな犯罪者でも一番多く動機としてあげるのが「うらみ」ではないでしょうか。最近「キレる」などという言葉がありますが、この「キレる」はなにか自分に対する不快感に対して即座に反応する事を指します。それに対し「うらみ」はその時は反抗できず我慢しなくてはいけない弱者的要素があるわけです。「うらみ」は甘えが根源だ。などという逆接的な捕らえ方が一般的に言われているようですが、最近の事件の動機となる「うらみ」が何かと考えてみると首を傾げる事はありませんか。そう、大部分が被害妄想という言葉で片付けられるのです。その代表例がインターネットの掲示板等の書き込みです。「チャットで、自分のことについてAさんが書き込んだ内容が面白くなかった。いすに座らせて切った。殺すつもりだった」(長崎小6女児殺害)これは成人の犯行ではありませんが、どのネット関係の傷害事件を見ても犯行動機が酷似しています。最近は傷害事件があまりにも多く、殺さない限り新聞にすら載りませんね。また、犯行予告を掲示板に書き込む者もいます。(栃木小一女児殺害)この時に使われたのが「2ちゃんねる」という掲示板です。もう誰でも知ってるであろうこの掲示板は日本の「インターネットが招いた低俗化」による産物の代表格ではないでしょうか。Eメールにも同じ事が言えます。日本人は「携帯を持った猿」と言われますが、正確に言えば「猿になったインターネットユーザー」とでも言うべきでしょうか。日本語が喋れない(掲示板やメール等で)若者、著作権すら知らない歌手。そして何より深刻なのは、子供を幼い頃からインターネットという閉鎖空間にどこの家庭でも平気で閉じ込めているという事にあるでしょう。私の高校でもそうですが、最近は「情報」という授業があります。パソコンの使い方やパソコンで何ができるのか、そんな下らない事を教えるよりも「インターネットの特性」「情報の捕らえ方」「感情のコントロール」「命の大切さ」といったもっと大切な事を教えるべきではないでしょうか。さらに言えばそんな「ごく当たり前」の事を家庭で教えられない無責任な親が増えているだけなのかもしれません。さて、話は大きく逸れてしまいましたが、最近多い理解に苦しむ犯罪心理を紐解くぐらいならより正確でより大人な「メディアリテラシー」を子供に植え付ける必要があるのではと思う今日この頃でした。 駄文、長文そして生意気な文章失礼致しました。
>>一考さん
メールアドレス載せておきます tuba-entertainer@infoseek.jp それからパソコンはの速度は233MHzでした。



投稿者: 隆    日時: 2005年12月29日 11:20 | 固定ページリンク




 | (無題)

文章が下らないと母からクレームが来たので、簡単な詩をですぺら メールアドレスに送ってみました。(笑)また見ておいて下さいね。 それでは、良いお年を。



投稿者: 隆    日時: 2005年12月29日 22:02 | 固定ページリンク




一考 | 隆さんへ

 久しぶりですね。父としての責務を抛り投げた情けなくもだらしない私の掲示板へよくぞ書き込んでくださいました。忝なく思います。
 君の書き込みには感じ入りました。自己と他者との葛藤の渦中にあるということがよく理解できる文章です。説明は端折られていますが、結論の「大部分が被害妄想」には異議なく、「『キレる』はなにか自分に対する不快感に対して即座に反応する事を指」すとの指摘には賛同します。「キレる」の因果関係を他者に預けるのではなく、自らへの「不快感」へと帰結させるあたりは立派にひとつの識見を示唆しています。
 「低俗」への癇癪をひとこと挿んだうえで、メディアリテラシーの必要を説く。正論すぎていささか物足りなさも感じますが、そこのところは君の年齢を考慮に入れて、まずは及第点です。「無責任な親」は耳の痛い文言で、「猿になった掲示板主宰者」としては頬被り、黙りを決めこむしかなさそうです。

 ウエブサイトでの書き込みにもっとも欠落しているものは他者ではないかと常日頃から思っています。知識の披瀝も購入図書の羅列もなかみは同質、独りよがりの書評や自己中の日暦の洪水のなかにあって、対象のようなものがまったく窺えないのです。ひとがどう思うだろうか、ひとからどう思われるだろうか、世間を騒がせたい、衆目の的になりたい、それらは大方が同根で、しみったれた自己とみすぼらしい他者では絵にもなりますまい。そもそも自分を振り返ってくれるようなひとなど、世の中に居ようはずもなく、自己と他者との鬩ぎ合いは自意識のなかで繰りひろげられる修羅なのです。それは「子供に植え付ける」あるいは教育できるようなものではなく、自らの摂食脱糞のなかから個々が学んでいくしかないのです。
 電話や手紙などのパーソナルメディアとインターネットや携帯電話などの新しいメディアとは新旧の差こそあれ、中味も利用方法も同じです。従って、手紙を書かないひとにメールなど書けるはずもないのです。そして文章を著すのはひとに読んでもらうためではなく、自分の考えを知り、まとめるための最良の手立てです。与えられる青春の期間はわずかに五年、自棄になる限界まで自意識を研ぎ澄まされんことを願います。──パパ君より



投稿者: 一考    日時: 2005年12月30日 00:29 | 固定ページリンク




薫子 | 明けました

明けましておめでとうございます。
皆様のご厚意により、なんとか年を越すことができました。有り難うございます。
今年も引き続きご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。



投稿者: 薫子    日時: 2006年01月01日 02:08 | 固定ページリンク




moon | 明けましておめでとうございます。

 御子息との会話、愉しく拝読致しました。隆君の成長に吃驚しています。
父君より遥かに素直に育たれていますよね。それに、彼の年齢からすれば立
派な文章です、いや寧ろ、いつもの父君の文章より言わんとするところを判
りやすく書いておられ感心いたしましたよ。父君は「自分を振り返ってくれ
るようなひとなど、世の中に居ようはずもなく」だなんて、未だに捻くれて
おられますからね(笑) 



投稿者: moon    日時: 2006年01月01日 15:06 | 固定ページリンク




一考 | 御礼

 土曜日の「モルト・ウィスキー&トーク」は満席になりました、ありがとうございます。小鉢ものを五、六種類と思っていましたが、もう少し増やすことにしました。小鉢以外に、合鴨のケチャップ煮なども用意しますので、結構な量になると思います。その分、仕込みが煩雑になりますので、当日は貸し切りにいたします。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年01月05日 15:09 | 固定ページリンク




一考 | 献立

セロリのピーナツバター和え、蓮根の梅肉和え、帆立貝の苺ソース和え、茹で海老の生姜ソース、烏賊と韮の炒めもの、縮緬山椒、蕎麦の実の浅漬、筑前煮、雪花菜(おから)、葱の牛肉味噌炒めかけ、合鴨胸肉のケチャップ煮。

本日の献立の一部です。モルト・ウィスキーは田中屋の栗林さんのご協力を得て、二十種類ほど揃えさせて頂きました。かなりな珍品が入っています。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年01月07日 12:14 | 固定ページリンク




薫子 | 「夢幻の美 鏡花本の世界~泉鏡花と三人の画家」

随分以前に店主が書き込みしましたが、鏡花本の画家を取上げた番組の放映
日が決まりました。

1月22日(日)
「夢幻の美 鏡花本の世界 ~泉鏡花と三人の画家~」
NHK教育 9:00~と20:00~の放映です。

須永朝彦さんがビデオ出演されています。
是非、ご覧下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2006年01月20日 06:01 | 固定ページリンク




薫子 | 誕生会のお知らせ

 須永朝彦さんとですぺら店主一考の誕生会を催します。

日時 2月5日(日)午後5時より10時まで
会費 4000円(お酒を飲まれない方は3000円。貧困にあえぐ方、相談に応じます。)
場所 ですぺら 港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂3F
        03-3584-4566

毎年恒例の誕生会ですが、今回が最後となりそうです。
多くの方にお集まりいただければ幸いです。



投稿者: 薫子    日時: 2006年01月24日 23:16 | 固定ページリンク




一考 | お詫び

 2005年06月30日の書き込みに関して警察から問い合わせがありました。文中「辛島さんは数年前に自死なさいました」と著したのが間違いで、捜索願が出されているとお聞きしました。不謹慎な書き込みを慙じると共に、ご迷惑をお掛けした関係者各位にお詫び申し上げます。
 私自身、行方をくらました友を探して北海道を彷徨ったことも御座います。また、その友を東京で見掛けたとの噂を小耳にはさみ、駆けずり回ったこともありました。そのような心労に鞭打つような言葉を書き込みました。深くお詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年02月06日 20:18 | 固定ページリンク




薫子 | 「たまや」第3号刊行記念パーティー

大変永らくお待たせいたしました。装釘家の間村俊一さん、詩人の季村敏夫さん、瀧克則さんが発行されている同人誌「たまや」第3号、ようやく刊行されます。
2号の倍の144頁の大冊、執筆者は30名にのぼります。種村季弘さんの未発表原稿も掲載され、追悼号ともなっています。同人誌の域を超えております。
刊行記念パーティーを「ですぺら」にて開催予定。どなた様でもお気軽にご参加下さい。


「たまや」第3号
執筆者=岡井隆、加藤郁乎、高橋睦郎、中原道夫、小澤實、時里二郎、
藤原安紀子、安水稔和、佐々木幹郎、笠原芳光、鬼海弘雄、種村季弘、
四方田犬彦、間村俊一、渡辺一考、勝本みつる、岩成達也、季村敏夫、
瀧克則、細見和之、立松和平、松岡達宜、島田幸典、黒瀬珂瀾、須永朝彦、
寺田匡宏、倉橋健一、多田智満子、熊田司(掲載順、敬称略)


「たまや」第3号刊行記念パーティー
日時:3月8日(水)午後6時30分より
場所:シングルモルト・バー「ですぺら」
   港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
   電話番号 03-3584-4566
   一ツ木通り中程、1階は居酒屋「東京やきとり食堂」
会費:7000円(「たまや」第3号2000円を含む)



投稿者: 薫子    日時: 2006年02月25日 02:48 | 固定ページリンク




増本利博 | お願いします

いきなりの割り込みでご免なさい。下記の件でお願いしたいのです。 私どもが広くレビューを求めています。 明窓出版のホームページを見に来て下さる読者の方に、本の概要を簡潔 (300~350字)に紹介できるよう貴方の力を貸してほしいのです。 ご応募の方は、当社のホームページ「http://meisou.com/review.html」に記載 されている本の中からお読みになりたい本を5冊まで選びご連絡下さい。無料に て本文のテキストデータをまるごとメール送信します。採用されました場合の報 酬は本1冊あたり2.000円です。お読みになった本に関しましては、必ずレ ビューをお寄せ下さいますようお願いいたします。レビュー締め切りは、データ 送信後1ヶ月です。 将来的には、ブックレビュー作成スタッフとしてばかりでなく、新規出版物や持 ち込み原稿の採用審査に携わっていただくようお願いする場合もあります。ご応 募の方はお名前メールアドレス等をご記入の上、meisou@meisou.comにメールく ださい。           担当 増本利博



投稿者: 増本利博    日時: 2006年03月03日 17:16 | 固定ページリンク




一考 | 沙の上のラブレター

 Y・Nさんがミニヨンの現ママとともに来店。荻窪界隈の飲み屋のはなしで盛りあがり、夜明けまで酒を酌みかわした。想い起こすに、西明石以来の徹宵痛飲でなかったか。Y・Nとの置酒閑語を私はこよなく愛している。酒の肴としての晤語ではなく、逆に酒が一語一語のつまみになる。酒と喋りとの主客顛倒はたがいに気が置けない仲に限られる。厚情や好意のあるところには遠慮がつきものである。こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである。
 駄洒落の達人であるY・Nの行くところには笑いが絶えない。言い換えれば、人生の真面目を洒落のめして生きている。荻窪駅の西側の南口に神谷バーがある。萩原朔太郎が「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男になにを思ふらん」と詠んだバーである。行きゆけの「吟雪」は微睡みのなかだが、こちらは午前中からの営業であって、徹夜明けにしばしばおもむいた。ある日、Y・Nと出掛けたのだが、暖簾をくぐるなり「掃きだめに鶴ね」とひとこと。鶴はみづからの言葉に拘泥わらない。数分後には鮪のスジトロをほおばりながら冷や酒を聞こし召している。そういったY・Nの反応を見るのが楽しくて、ライオン丸こと私はアナザー軒を繰り返す。
 頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである。
 種村さんから言われ続けた「馬鹿」、横須賀さんから言われつづけた「分かっちゃないね」と同様に、普段私が口にする文言の多くはY・Nから得たものである。「ソノヒグラシはカネカネと鳴く」「売るのは媚、買うのは顰蹙」等々である。なにを隠そう、実は私はのっけからY・Nを師とさだめているのである。ああ言えばこういう、こう言えばああいう、そうした屁理屈こそが目線の移動であり、価値観の顛倒の原資ともなる。駄洒落が自らのガードの硬さや気取りを取り払うように、屁理屈はアプローチの多様さをもたらす。ひとが刺戟を受け、触発をうけるのはそのような言葉のゲームからであって、劇場でもなければ、美術館でも博物館でもない。

 当時、茫然と行き迷っていた処をY・Nは掬いあげてくださった。その掬いあげた小さなスペースをY・Nは金魚鉢と名付けた。飼い主たるY・Nの存在は私にとって「渡し場にしゃがむ女」のそれであり、取り留めのない語らいは吹き迷う野風となった。Y・Nに促されて私はものごとを少しは複雑に考えられるようになった。ここでいう複雑とは不規則な変動であり、「風の息」と解釈していただきたい。人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう「死なず甲斐な目に逢うて」以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる。なにをどう述べてみたところで、ものを著すとはメトニミックすなわち換喩であり、重語法そのものである。実体や本質を否定し、言葉の意味内容の表層を滑空する術を私は金魚鉢で学んだ。荻窪の一隅にしつらえられた金魚鉢で、私は「著す」との夢裡を生活したのである。
 慨然として大に感寤すると申せばお分かりいただけようか。Y・Nは筆舌に尽しがたい存在となった。さればこそ、ウミネコから恋する悪意に至るまで、当掲示板への書き込みにはY・Nさんがいたるところに立ち顕われる。蔓草のように縺れあって解けない仲であってほしいと願う。最後に「生きていてよかったね」と言い合えるような、そんな徹宵痛飲の機を鶴首している。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月03日 22:30 | 固定ページリンク




一考 | 飯を喰う自由

 周さんへ
 いつか忘れましたが、当掲示板で東西の酒の文化の違いについて書きました。西洋の酒は料理に合わせてあとから造られたもの、わが国のそれはまず御神酒(おみき)ありきで、決して食に従するものではない。言い換えれば、西洋の酒は存在する前に本質、すなわち概念設計がなされてい、一方、日本酒は実存が本質に先立つと、そのようなことを書きました。実存が本質に先立てばこそ、下手な用途に縛られることもなく、月見で一杯、花見で一杯といった情趣が可能になります。そして、そのような風習は西洋には見受けられないと聞いています。
 一昨日のトラブルは酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのかという点に起因します。外国であれば、食事をしながら酒を飲むのに、なんの問題も生じません、食と酒は主従関係にあるのですから。しかし、わが国では酒の肴は塩、せいぜいがお新香まで、との御神酒に対する信仰のようなものがいまなお大手を振ってまかり通っているのです。

 先日ご登場いただいたY・Nさんと知り合うまで、私は米粒を残したことがなかったのです。体調がすぐれず、盛られたご飯を前に苦痛すら覚えていたときに、Y・Nさんから「残せば」との一言。これは私にとって食べ物にかんして受けてきた教育や道徳の否定を意味します。家が花柳界だったものですから、料理屋では酒は飲まない、居酒屋では日本酒と香のもの、洋酒バーではハイボールのみ、料理人や板前やバーテンの腕を試すような品を注文してはいけない。また出されたものは残さない、残すことは美味い不味いの意思表示になり、そのような非礼は花柳界にあってはならない等々、同業者への気配りの数々を身体に叩き込まれて育ったのです。それら禁止事項がY・Nさんの一言で崩れ去りました。最初は途方に暮れていたのですが、Y・Nさんに倣い、徐々に食べる自由と残す自由、飲む自由と飲まない自由などを身につけていったのです。
 さらに一話。I・Kさんの初期句集「微句抄」の原稿を頂戴に上がったとき、新宿で丸二日の酒盛りになりました。やれいたざけや鬼ごのみを浴びるほど飲んだのですが、なにも食べていないので、胃液すら出てきません。捻じれる腹を両の手で押さえつけながらの空もどし、そんなときにベーコンとポテトの炒め物が目の前に登場したのです。「一考、おまえなにも喰っていなかったな」ところが、思わず差し出した箸は無惨にもI・Kさんの手によって払い落とされたのです。「男は酒を飲むときにこんなものを喰っちゃいかん、匂いだけでいいんだよ」

 さて、酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのか私には分かりません。分からないというよりは、そんなことはどうでもよいのです。ただ、S・Mさんを見ていると、東アジアの「かび酒文化圏」と欧州の「麦芽酒文化圏」の差違についてエッセイを書きたくなるではありませんか。また、個々のひとたちの酒への接し方を知るに、そのひとの文化的先天性がうかがい知られて面白いのです。懐石や寿司に作法がないように、酒に飲み方なんぞあっては堪りません。それ故、酒はこう飲まねばならないと言うのは一種の権威づけなのです。そこには形振り、美学、こだわり、ダンディズムと言った根拠のない、不明瞭ないかがわしさが漂っています。かかるいかがわしさに寄る辺を求めるしかないひとは賛けを求めているのですから、黙ってお付き合いしてあげればよいではありませんか。
 あなたのように「奢ってもらっていないのだから言われる筋合いにない、私の勝手でしょ」と言うのは相手に喧嘩を売ることにしかなりません。この「おまえから言われる筋合いにない」との文言はしばしば聞かされる常套句なのですが、これほど浅薄かつ品のない言葉はないと私は思っています。また、無人島ならいざ知らず、都会に住んでいて「私の勝手」など、在立しようがないではありませんか。それよりも、相手の文言の理不尽を突き、言い負かすための算段をふだんから考えておくべきだと思います。況や、酒席で飯を喰うとのスキを与えてしまったところで、あなたは負けていました。酒席では水を飲むことすら憚られます。花柳界の人間は厠で隠れて水を飲むのです。どうあっても、食べなければならない生理状態にあれば、二十四時間営業の丼屋がすぐ根際にあったではないですか。
 遊びの本意は抗いではなく、知らぬ間に自分の領域に相手を引きずり込むことにあるのです。そのためには元手をかけなければならないのです。相手から指摘される前にその上前ををはねるようなダンディ振りを発揮すればよいのです。そのような役者魂の権化、ぬえのような存在が金子國義さんではなかったのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月10日 19:45 | 固定ページリンク




一考 | タルホの未収録作品

 掲示板で書くのははじめてなのですが、「ユリイカ」の別冊で稲垣足穂特集をまとめることになり、その手伝いをしています。
 三鷹にはN・OさんやN・Tさんと言った、古書界でもちいとは知られたひとたちが住んでいます。N・Oさんは今までなにかを訊いて応えがなかったためしがない、という碩学の士で、大阪のK・Hさんや石神井のS・Kさんと共に古い付きあいです。この度、その方々のご協力によって、足穂の全集未収録もしくはヴァリアントが四十点ほど入手できました。とりわけ、N・Tさんがお集めくださった関西学院の定期刊行物に掲げられた稿には愕いています。青土社の郡さんには申し訳ないのですが、今回、未収録作品が最低三十点集まらなければ、この企画はお断りしようと思っていたのです。
 足穂が著した可能性のある雑誌を八百冊ほど博捜、拾い出した作品は約七十点、その内収録済みを除去して残ったのが三十五点、加えるにキネマの会での収集作を加えて四十点になりました。これでなんとか、「ユリイカ」で別冊を拵えるための基礎資料が揃ったと安堵しているのです。本来なら十数年かかる作業を数箇月で済まさねばならなかったのです。ご協力くださったみなさまの詳細を著すのは現時点では憚られますが、深く深く感謝致しております。
 整理にもう少し時間が掛かりますが、それが済めば、急いで加藤郁乎さん、松山俊太郎さんとの鼎談の校正、そして著書目録と年譜が待っています。
 そこでキネマの会のみなさんに下記稿を調べていただきたいのです。これはN・Tさんからのご指摘になるものです。どうあっても調べていただきたく思います。どうかよろしく。

「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「西岩倉金蔵寺」美しい日本 昭和四十八年四月

以下は電話を通しての口述筆記
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月



投稿者: 一考    日時: 2006年03月10日 20:45 | 固定ページリンク




一考 | 個人社の新刊

一考 個人社の新刊 2006年03月12日(日)00時09分41秒
 前項のS・Kこと小出昌洋さんから個人社叢書の新刊が送られてきた。「新編 夢の舞台誌」深澤節子著と「森銑三西鶴論集1」の二冊である。

 深澤節子さんは江口隆哉・宮操子舞踊研究所の門下である。大野一雄さんは戦前からの江口・宮門下なので、いわば兄弟弟子にあたる。巻頭に配された表題作には江口隆哉・宮操子から伏屋順仁、池田瑞臣、大野一雄、土方巽等の名前が並んでいる。深澤さんご自身も敗戦から1960年頃にかけての創作舞踏界では識られたひとで、伏屋の振付、演出で上演された「発火」は、大野一雄や土方巽にも大きな影響を与えている。文中でも、ガニ股、猫背、猪首、縮んだ手足など、東北地方の土俗的情念の肉体化に挑んだ土方巽の舞踏を激賞、それぞれの時代に「荒ぶる情念をたぎらせた」舞踏家を熱っぽく語っている。わが国の舞踏の歴史を知るに好著といえる。
 「夢の舞台誌」は1998年に私家版で上梓されているが、今回は内容を刷新しての個人社叢書となった。

 「森銑三西鶴論集1」は「西鶴随筆」と「新西鶴随筆」に分冊されてい、とりあえず「西鶴随筆」が上梓された。三十一篇が収録されているが、「一代男の跋文」では三田村鳶魚を中心とする西鶴輪講について触れている。鈴木南陵や林若樹の発言を引用しながら、「一代男」の跋文の難解さにチャレンジし、私見としながらも、森銑三ならではの解釈を著している。曰く、跋文の撰者は西吟とされているが、それは間違いであって、西鶴そのひとに違いない。文章はつづく、
 「『一代男』という作品には、特別の資料というべきものもないものだから、この跋文を通して何者かを獲ようと、何人も志すのであるが、いかにも要領を得難い。それでその中に『転合書』の一語のあるのを取上げて、『一代男』は転合書だ、いたづら書だ、なぐり書だといい立てて、ただそれだけで茶を濁している。そしてそれ以上には出ないというのが現状である」
 引用に他意はない、このところ上梓される西鶴論を読むに現状はなにひとつ変わっていない。かつて当掲示板でも書いたことだが、森銑三の西鶴論を暴論と片付ける前に、小気味いい断定形の語り口に耳を傾けてほしい。西鶴随筆と題されてはいるが、本書は「一代男」へのオマージュ集であり、西鶴と森銑三との葛藤の場でもある。西鶴の創意、軒昂たる意気を窺うには「一代男」しかないのである。

「新編 夢の舞台誌」深澤節子著 定価1260円
「森銑三西鶴論集1」小出昌洋編 本体定価2000円

 個人社 郵便番号177-0044
 練馬区上石神井2-12-5-406



投稿者: 一考    日時: 2006年03月12日 00:09 | 固定ページリンク




りき | 新創作時代

一考さん

早速、ネットですが検索しました。

「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「西岩倉金蔵寺」美しい日本 昭和四十八年四月

以下は電話を通しての口述筆記
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月

上記のうち、「作家」「美しい日本」は国会で閲覧可能。
「詩と詩人」も神奈川近代文学館に該当号は所蔵されています。
ただし、「創作時代」は雑誌が「新創作時代」に改称されて、パンナム書房というところから発行されたものではないでしょうか?

ただし、新創作時代は所蔵が駒場の近代文学館に一冊しか所蔵がなく、しかも該当号ではありません。

ネットでの検索はここまでが限界かもしれません。



投稿者: りき    日時: 2006年03月12日 12:00 | 固定ページリンク




一考 | 誤植が多すぎます

 郡さんへ

 三月十日 『稲垣足穂詩集』現代詩文庫1037 思潮社
シヤボン玉物語(馬をひろつた話、どうしてその煙草を吸ふか?、ピエロー登場、カイロから帰つて来た人の話、Aの気転、追つかけられた話、無用意な誘拐、朱唇の力、レモン水の秘密、客と主人、停【ま】(トルツメ)らない理由、本が怒つた話、ジエケ【キ】ル博士とハイド氏)、香炉の煙(1笑、2夕焼とバクダートの酋長、3李白と七星、4東玻【坡】と春、5黄帝と珠、6ビバヤシヤと芥子粒、7盗跖と月、8王と宝石商人、9老子と花辯【瓣】、10荘子が壷【壺】を見失つた話、11アリババと甕、12墨子と木の鳶、13アリストフアネスと帆、14ふる里)、瓦斯燈物語、忘れられた手帳から、バンダライの酒場、星が二千【銭】銅貨になつた話、タルホと虚空、坂でひろつたもの、芭蕉の葉、秋五話(詩を作る李白、僧と木の実、葉山と月、杜甫が夜中に忍び足をきいた話、竹林)、散歩を【トルツメ】しながら、僕はこんなことが好き、戦争エピソード、滑走機、僕の五分間劇場、宇宙に就て、生命に就て、物質に就いて、人間に就て、薔薇(ダンセイニ【ニイ】)、詩人対地球(ダンセニ―)、へんてこな三つの晩(パツパツと消えてしまつた話、すぢを引いて走つた話、アセチリンがうまく点も【トルツメ】らなかつた話、もうひとつ)、ハイエナ追撃、カ-ルと白い電燈、空中世界、月に就て、晩二つ、戦争、質屋のショ【ヨ】ーウィ【イ】ンド―、タダ、一筆啓上、物質の将来、羽【根】なしの歌へる、青い壷【壺】、東洋更紗(1私と木の竜、2老子と藁の犬、3黄帝と谷、4ロバチエウスキイの箱)、犬の館(1犬の館 、2月夜の不思議)、空の寺院、仙境、ピエトフ、青い独楽、時計奇談、兎の巣、円錐帽氏と空壜君の鎖【銷】夏法、善海、星は北にたんだく夜の記、タルホ拾遺、白いニグロからの手紙、ある旧友からの音信、私のLSD、キャプテン・カボ【ポ】ロを送る。【トルツメ】――丸山薫追悼

 さきほどベースになる原稿をお送りしたものの、上記の短い文章のなかに15箇所の誤植があります。ことごとくがこの調子です。全体で500箇所ほど訂正しましたが、まだ1000箇所以上の誤字・脱字があります。ただ、この調子だと私の仕事はなにも進まないのです。総点検をいちからやり直さなければならないのです、ご協力を願います。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月14日 00:08 | 固定ページリンク




一考 | 「新創作時代」は時間があるときに調べましょう

 「創作時代」は結構知られた雑誌で、過去、明治古典会や七夕市の目録でも見ていますし、かつて高橋書店がよく扱っていました。新感覚派の論客として鳴らした片岡鉄平がよく書いていたように記憶します。従って、紅野敏郎さんの「文芸誌譚」なら載っているのではないかと思います。紅野さんからコピーを頂戴できないのでしょうか。「新創作時代」にかんして私はなにも知りません。いずれにせよ、手分けしてコピーを集めてくださいませんか。
 余談ですが、阪急岡本時代の片岡鉄平と生島遼一さんは親しく、片岡鉄平が亡くなって全集を拵えるとき、未完の小説が多かったので生島さんが補筆したと、これは本人から何度か聴かされました。でも、詳細は掲示板では書けません。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月14日 00:11 | 固定ページリンク




一考 | タルホの未収録作品2

 郡さんへ
 あなたのお友達のZ・Kさんのご協力にて、足穂の全集未収録作品がさらに四点ほど増えそうです。ヴァリアントを加えれば、ゆうに単行本一冊分になろうかと、楽しくなって参りました。
 それにしても、多くの方からメールを頂戴しました。ありがたく思います。他にも足穂の全集未収録作品と思われる作品をお持ちの方がいらっしゃれば、ご一報ください。

 稲垣足穂の既存の著書目録には刊行年月日の誤植がある、というところから今回新たに起こそうということになったのですが、その新稿にも刊行年月日の誤植が見つかりました。現物主義とは申せ、打ち込むときにミスがあれば同じことです。すべてにわたって修正もしくは入力し直すことにしました。110枚ですから10日ほどで仕上げたいと思っています。
 年譜は201枚、文中の引用文は拙宅に筑摩版全集がないため校正できません。そちらでの校正をお願いします。郁乎さんとの鼎談は今週中に終わります。
 先日、金光さんにもちょいとキツいことを言いましたが、それはみなさんの若さへのジェラシーです。一刻も早く、私を踏み倒して前へ進んでいただきたいと願っています。郡さんもそれを望んでいらっしゃるのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月16日 20:45 | 固定ページリンク




一考 | さらなるお願い

 ユリイカの別冊稲垣足穂に収録するために集まった全集未収録作品の一覧です。当掲示板で収集の旨を記したところ、多くの方からメールを頂戴し、以下のような作品が集まりました。みなさんのさらなるご協力を得たいので、敢えて公表します。下記の稿も本文は入手できたのですが、巻数や号数が不明のもの、発行月日が分からないものなどが御座います。ご協力たまわらんことを重ねてお願い致します。

1.「椿実の快速調」     肉筆原稿 昭和二十年代初期

2.「学生論を読みて」 「学友会誌」第二号 大正六年十二月 私立関西学院中学部学友会
3.「誇大妄想十一編」 「学友会誌」第二号 大正六年十二月 私立関西学院中学部学友会
4.「オルベア広場の月(淡い夢心地を好む人たちのための小品)」 「三越」第十五巻八号 大正十四年八月一日発行 三越呉服店
5.「姉さんと私」 「婦人グラフ」第三巻第七号 大正十五年三月 国際情報社
6.「桑畑のなかの村」 「開化草子」第四号 大正十五年五月 開化書舗
7.「雲を消す話」 「アサヒグラフ」第九巻第十五号 昭和二年二月
8.「はじめに」 (ヂョヴアンニ・ヴェルガ作 千葉武男、井村成郎共訳『山雀の一生』のはしがき) 昭和二年八月 新潮社
9.「竹林談」 「黄表紙」第二巻第三号 昭和三年四月十五日
10.「無題」(渡辺修三作『エスタの町』の感想) 「詩之家」 昭和三年七月 詩之家編集部
11.「アートスミスの記憶」 「黄表紙」第二巻第五号 昭和三年十月一日
12.「鳩座から来た人」 「黄表紙」十二月号 昭和三年十二月一日 黄表紙社
13.「タルホ一家言」 「新文学準備倶楽部」第一巻第二号  昭和四年七月一日(一月の証言あり)
14.「クリスマスプレゼントに何を選んだか」(アンケート) 「婦人サロン」第一巻第四号昭和4年十二月一日
15.「青谷のおち葉」 「中学時報」 昭和四年十二月十五日 関西学院
16.「前菜」 「漫談」 昭和五年三月 漫談社
17.「星と蝙蝠」 「牧歌調」 昭和五年四月 牧歌調詩社
18.「女を語る」 「食道楽」 昭和五年四月 食道楽社
19.「私の『おのろけ』」 「食道楽」 昭和五年五月 食道楽社
20.「酒をかたる」 「食道楽」第四巻第六号 昭和五年六月一日 食道楽社
21.「ちひさい牛」 「LE銀座」第一1巻第一号 昭和5年十二月一日
22.「無題」(一周年記念に際して寄せられたる諸家の感想(その一)) 「文芸汎論」 昭和七年九月 文芸汎論社
23.「ロング君よショート氏の話」 「週刊朝日」第二十二巻第二十八号 昭和七年十二月十八日 朝日新聞社
24.「“海・船・旅”座談会」 「海」第四十三号 昭和十年四月 大阪商船株式会社
25.「懐中時計」 「日本歌人」第二巻第一号 昭和十年一月十日 日本歌人発行所
26.「無題」(「気に入った自著・愛蔵本・出したい本・etc.」と題するアンケート) 「書窓」 昭和十年五月 アオイ書房
27.「無題」(「装幀についての諸家意向」と題するアンケート) 「書窓」 昭和十年十月 アオイ書房
28.「俗人論」 「帝国美術」 昭和十二年二月 帝国美術社
29.「コメット・コント ライオンと僕」 「スタイル」第二巻第十号 昭和十二年十月一日 スタイル社 
30.「お手軽阿片スタンド」 「スタイル」第二巻第十一号 昭和十二年十一月一日 スタイル社
31.「阿片学校読本巻の一」 「スタイル」第二巻第十二号 昭和十二年十二月一日 スタイル社
32.「Y談見本帳」 「スタイル」第三巻第二号 昭和十三年二月一日 スタイル社
33.「明石」 「スタイル」第三巻第三号 昭和十三年三月一日 スタイル社
34.「愛蘭土製襟飾ピン六種(ダンセニイから)」 「スタイル」第三巻第三号 昭和十三年三月一日 スタイル社
35.「荒談」 「スタイル」第三巻第四号 昭和十三年四月一日 スタイル社
36.「当世洒落読本」 「スタイル」第三巻第五号 昭和十三年五月一日 スタイル社
37.「茶話集」 「スタイル」第五巻第一号 昭和十五年一月一日 スタイル社
38.「飛行機の黄昏」 「科学知識」 昭和十六年六月 科学知識普及会
39.「真理」 「科学知識」 昭和十六年十一月 科学知識普及会
40.「読後寸感」(上田光雄作「アインシュタインの脳髄」の感想) 「宇宙と哲学」 昭和二十二年三月 日本科学哲学協会
41.「一千一秒物語」 「くいーん」 昭和二十二年十月 くいーん社
42.「無題」(「私のベストテン」と題するアンケート) 「文芸往来」 昭和二十四年四月 鎌倉文庫
43.「夜長抄」 「日本歌人」 昭和二十九年十一月 日本歌人社
44.「文芸時代の頃──十一谷義三郎のことも合せて──」 「現代日本文学全集 月報52」 昭和三十一年七月 筑摩書房
45.「ボクの剪定法」 「PHP」 昭和三十四年十二月 PHP研究所
46.「我れ幻の魚を見たり」 「作家」 昭和四十五年三月 作家社
47.「E氏との一夕」 「りびどう」 昭和四十五年十月 外苑書房
48.「西岩倉金蔵寺」 「美しい日本」創刊号 昭和四十八年四月一日 美しい装い社
49.「スタンプ由来」 『芳彩玉辞集』 昭和五十年六月九日 亀山巌を楽しむ会

以下は調査中
「子供五題」 「漫談」第一巻第二号 昭和五年四月一日 漫談社
「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月
「触背美学」詩と詩人 昭和二十六年一月
「どれも小粒」(作家賞選評)作家 昭和四十六年三月
「才能不足」(作家賞選評)作家 昭和四十七年三月
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)作家 昭和四十八年三月
「女の根性」(作家賞選評)作家 昭和四十九年三月
「これが流行か」(作家賞選評)作家 昭和五十年三月



投稿者: 一考    日時: 2006年03月17日 21:24 | 固定ページリンク




一考 | 詩的自叙伝

 寺山修司の「詩的自叙伝」が詩の森文庫の一冊として思潮社から近く上梓される。巻末に高取英氏の「寺山修司は走った」との跋文が掲げられている。
 「扇動でない詩など存在するものだろうか」
 「詩人はなぜ肉声で語らないのだろうか」
等々、寺山修司の著作からの引用の妙味に感心させられた。
 「彼(寺山)は、グーテンベルグが印刷機械を発明したことを、『詩人に猿ぐつわをはめる』ためのものと考える。なぜなら、『印刷活字の発明以来、詩人たちはことばでなくて、文字で詩を書くようになっていた』からである」
 これなどは昨今詩を著すひとたちに立ち返っていただきたい原点である。文章の上手い下手など、文学となんのかかわりもない。寺山のいう「詩の存在が本質に先行してい」ることこそが問われ続けなければならない。さすがに寺山の仕事のアンカーをつとめたひとだけに、高取英氏は寺山修司の文学を理解し、十全に咀嚼している。結句にいま少しの鋭さが求められるが、発想の非凡さには脱帽である。
 高取英氏には他に寺山修司論がある。同書の発売は四月一日、定価は九百八十円。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月17日 22:23 | 固定ページリンク




一考 | 足穂未収録作品訂正

室蘭より連絡があり、調査中のうち、

「八月の朝のちょっとした話」創作時代 昭和八年八月

は昭和三年八月の誤りです。ものは近代文学館にあります。金光さんにお願いできるかしら。
このところ、仕事の量が増え続けています。手助けしてくださる方はいないかしら。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月18日 18:59 | 固定ページリンク




一考 | 訂正の二

同じく訂正です。

「触背美学──京都だより──」 「詩と詩人」昭和二十六年一月号 通巻九八号 昭和二十五年十二月 詩と詩人社

上記は金光さんのご協力によって入手、感謝致しております。
なお、ご協力いただいているN・Tは高橋信行さん、Z・Kは加藤仁さんです。かかる丹念かつ周到な読書子を持つ足穂は幸せものですね。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月18日 19:26 | 固定ページリンク




薫子 | モルト会について

第四土曜日は「ですぺらモルト会」の日ですが、今月は都合によりお休みとさせていただきます。ご了承の程、よろしくお願いいたします。次回はカリラ12種の予定です。



投稿者: 薫子    日時: 2006年03月20日 01:17 | 固定ページリンク




一考 | 虚い

 「終わりなんざあ、どこにもない」と思っている。敢えて申せば、死ぬ時がなにかの終わりなのであろう。この場合の「なにか」は「かくしあらばなにか植ゑけむ山吹の止む時もなく恋ふらく思へば」の「なにか」であって、疑問を表したつもりである。ひとに限らず、存在は押し並べて新陳代謝である、物質交代と言ってもよい。従って、死をも含めてひとは暫定的なものだと思っている。暫定的だからと言って、死後の生活や霊魂、もしくはサンサーラを肯うわけではない。
 「人間は死後もなんらかの形で存続するという普遍的信念」など私にとってはどうでもよいし、人間の本質が実体的な霊魂だとも思っていない。普遍性にせよ信念にせよ、それらはひとを惑わすものであって、訝しく思うだけである。また、「人間の本質」を考究しようにも、概念それ自体が未だに諒解できないでいる。「実体的な霊魂」など、私にとっては雲をつかむようなはなしであって、胡散くささ以外のなにものでもない。そもそも、肉体と精神を分離しようとの試みそれ自体が不可能事で、包括的に考えなければ身体論など成り立ちようがないではないかと思われてくる。

 澁澤さんの作品には氏の趣味や嗜好が色濃く表出されている。そして、趣味や嗜好は自己の信仰告白であって、他のなにものでもない。自分を信じなければ趣味や嗜好の持ちようがないからである。しかしながら一方で、氏は自らのオブジェ化への志向を執拗に書き表す。自らのオブジェ化とは取りも直さず自分自身の否定である。氏の作品を評するにタピストリーとの文言がよく用いられる、それは氏の否定と肯定との弁証をつづれ織りに擬えたものかと思っていたが、どうやらそうではないことに最近気付かされた。氏の作品にあって、色とりどりの糸で織り出されるものは粧いであり、仮面のようなものなのだが、どうやら大方が示唆しようとしているのはそちらのようである。音が同一なので、その粧いを虚いと言い換えてもよい。虚いは表層ではなく、澁澤が織り出すに用いる糸そのものではなかったか。否、澁澤にあっては表層も内面も、暗喩も換喩もことごとくが入れ子構造になっている。
 例えば、足穂の「少年愛の美学」は少年愛や男色とはおよそ縁のない書物であって、あれは刹那の哲学的宣言書だったと私は解釈している。作家は自らの趣味性を恣行し、それを原資に飛翔し、そして墜落する。澁澤さんから勝手に学んだいましめは、「人生は朽ち縄に取りつくようなもの」である。澁澤の虚いについてふたたび書いてみようかと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月26日 00:03 | 固定ページリンク




一考 | 原稿が送られません

 北端あおいさんへ
 お申し越しの原稿を五回に分割して送ったのですが、すべて「送信先のサーバーメールボックスが一杯でお届けできませんでした」とのコメント付きで返送されてきました。
 かつてゴミ箱が一杯でハードディスクがパンクし、システムがクラッシュしていたようですが、パソコンに対する基礎的な取扱い方に問題がありそうですね。

 ですぺらは業務上のメールも出していますので、Returned mailやNon Deliveryの類いはなかを確認せずに、無差別に捨てています。従って、あなた宛の数十通のメールはなにひとつ届いていなかったのだと思われます。今回は添付ファイルが重たかったので気づいたのです。ちなみに店のお客さんに訊ねたたところ、あなた宛のメールは常に返送されてくるそうです。サーバーのメールボックスを空にしてください。
 あなたの住居は遠く、また拙宅と方向が逆ですからセッティングの手伝いはできません。処理は以下のごとし、
 Outlook Expressを立ち上げ、ツールのプルダウンメニューからアカウントを選択、そのなかの(POP)をダブルクリックするとアカウントの編集の窓が開きます。二頁目のオプションを開けて「メッセージのコピーをサーバーに保存する」をチェックし、サーバー上のメッセージをリセットしてください。以上を済ませたあと、「メッセージのコピーをサーバーに保存する」のチェックを外してください。それでお仕舞いです。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月27日 04:54 | 固定ページリンク




一考 | 二律背反

 「これが私ですよ」と言って、ひとさまに差し出せるようなものは何もない。もっとも、引き出しがないわけではないので、なんでもよいと言われれば、適当に見繕う。酒の肴を見繕うようなもので、ちゃらんぽらんである。山海の珍味から竹輪の穴にチーズをねじ込んだだけの簡便なものに至るまで、引き出しに収められたネタはさまざまである。相手の変化相を観察し、それにふさわしいと思われる尻尾を配り歩く、といっても差し支えない。従って、その尻尾が好みでないと言われたところで、それは相手様の責任であって、私の責任ではない。差し出せと言われたから差し出したまでのはなしであって、個々の尻尾に悪意とか戦略といった大仰なものはなにひとつ含まれていない。

 「私には包みかくさなければならない本心や才能の持ち合わせは最初からなにもない」と書けばそれは嘘になるが、それに近くありたいと願っている。だとすれば、ひとさまの評価が私の総体になる。その消息を逆に述べれば、ひとさまがそうだと言えばそうなのだし、そうでないと言われればそうではないのである。この場合、当方にしかるべき刷り込みがないので、それらの評価は取りも直さず、評価者自体の本心を指すケースが多い。
 かつて福原では狂犬と呼ばれた、神戸のムーンさんからはセンチメンタリストと呼ばれ、某詩人からは複雑骨折、某歌人からは品がないと言われている、つい先頃は女友達から「世界を常に陵辱し、それが生きることなのだと」思っていると評された。世界を視姦し陵辱するほどの能動性が私にあるかないかで思い悩むより、評した女性が視姦や陵辱を望んでいると解釈したほうがはなしは分かりやすい。もっとも、彼女にそう思わせる尻尾を届けたのは私である。「にんまりとほくそ笑む尻尾配達人」との言葉はこのような状況で用いなければならない。
 徒し事はさておき、環境や相手によって、「私は何々である」との主辞と賓辞の関係はさまざまに変化する。その変化相に応じて、予期しなかった新しい環境や相手が現れてくる。その度々に引き出しのネタが増えてゆく、要するに尻尾が増えてゆくのである。やがて引き出しは満杯になって混乱し、ますます自分が遠のいてゆく。
 まあ、自分のことなどどうでもよろしい。遠のいたら遠のいたで、遠ざけておけばよいのである。自分自身への好奇心や執着はなにも生まないが、ひとさまに対して抱く好奇心は精神の若さをもたらす。個々に異なる生活環境に即応してひとはとりどり、また言語や気候に応じて人情世態も多様である。それを刮げおとしていくのではなく、永久磁石のように取り込めばどうなるのか。足穂ではないが、青菫派が流行れば青菫派、未来派が流行れば未来派、キリスト教が流行ればキリスト教、実存主義が流行れば実存主義、宇宙論が流行れば宇宙論、仏教が流行れば仏教と、彼ほど流行りものに対して操を奉げた作家は珍しい。そのちゃらんぽらんさに私は魅入られたとでも言っておこうか。
 またまた脱線気味だが、これはひとつの読書論でもある。自分自身が胎動をはじめるまで、他者すなわち書物のなかで解体を繰り返していればよいのである。そして胎動がはじまらなければはじまらないで結構なことである。そんなときは夢野久作でも読むにしくはない。蠧魚生活がながくつづけば、「これが私ですよ」と言って、ひとさまに差し出せるようなものは薄らいでゆく。その代わり、ひとさまのお好み次第で、望むがまま、どのような姿にでもなられるようになる。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月29日 22:12 | 固定ページリンク




一考 | 稲垣足穂全集未収録作品の連絡

金光寛峯さんと加藤仁さんのご協力にて、その後入手がかなった稿。

調査中だった下記五点は入手。

「子供五題」 「漫談」第一巻第二号 昭和五年四月一日 漫談社
「八月の朝のちょっとした話」 「創作時代」 昭和三年八月
「どれも小粒」(作家賞選評) 「作家」 昭和四十六年三月 作家社
「才能不足」(作家賞選評)「作家」 昭和四十七年三月 作家社
「鳥のメルヘンを」(作家賞選評)「作家」 昭和四十八年三月 作家社
「女の根性」(作家賞選評)「作家」 昭和四十九年三月 作家社
「これが流行か」(作家賞選評)「作家」 昭和五十年三月 作家社

さらに下記二点も入手

「無題」(「辻馬車」同人への書簡)「辻馬車」十二号 大正十五年二月一日 波屋書房
「月に寄せて」 「婦人画報」四五二号 昭和十六年十月一日 婦人画報社

さらに、プランゲ文庫の検索から、下記の稿が上がっています。なお、プランゲ文庫には他にもアンケート回答、月評、対談などがいくつかあるようです。

「きらきら日誌:傷つけるおもて」 『文潮』 1948.10.1 吉田隼之助
「ヴイラージユダエロ」 『魔法』1948.3.1 原地社
「当世犬つれづれ」 『浪漫小説』1949.9.1 浪漫社
「先覚」 『アメリカ』 1947.12 新英社
「読後寸感」 『宇宙と哲学』 1947.3.28 日本科学哲学

上記の五点は国会図書館で閲覧可能です。動ける人はいらっしゃいませんか。

それと読売新聞のアンケート二篇が私の手元にないのですが、郡さんの手元でしょうか。

稲垣足穂著書目録と原本との突き合わせが終了しました。
四月五日十九時に全集未収録作品の突き合わせをします。郡さん、よろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月30日 00:03 | 固定ページリンク




一考 | 求む、電子レンジ

店の家庭用サイズのオーブンレンジが故障しました。どなたか古いものをお持ちでしたらご一報下さい。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月30日 00:29 | 固定ページリンク




一考 | 電子レンジ

 書いてみるものである。高遠さんと曽利さんから電子レンジありとの連絡を頂戴した、忝なく思う。取敢えず、曽利さん宅の電子レンジを頂戴することになった。明日の夕方にお伺いしますので、どうかよろしくお願い致します。

 私の一族は新しもの好きで、テレビ、電気冷蔵庫、電子計算機、電気式自動ドア、ボウリング、温水プール等々、なんでもかんでも神戸で一番最初を自慢にしていた。小学生の頃にはキャデラックやハーレー・ダヴィッドソンに乗せてもらったし、本体の上に螺旋状の放熱板がついた電気冷蔵庫は町内のひとが列をなして見学に来た。電子計算機は六十センチ角の巨大なものだが、割り算は不可能、値は当時の新車一台分に相当した。自動ドアは入店するお客が優先されるので当然内側へ開く、勘定を済ませた客がドアに激突するのを笑って見ていた記憶がある。一レーンのボーリング設備だったが、西日本では最初のボーリング場で、アメリカから取り寄せたのである。父の長兄は新潟の高田で百貨店を営んでいたが、屋上には日本初のコイン式双眼鏡が設置され、わざわざ新潟まで蒸気機関車に乗ってそれを覗きに行った。高田の家では従兄たちが金属パイプを切断して大砲やピストルを造っていた。もっとも、当時の私は小さいが真物のピストルを所持していた。そのピストル用として少量の火薬を分けていただけたのはうれしかった。とにもかくにも、妙な叔父や叔母に囲まれて育ったようである。
 さて、電子レンジである。私が中学校を卒業して料理人になった昭和三十七年の年末に第一号の電子レンジが発売された。しかし、今様の「使い物」になる電子レンジの誕生はそれから二十年の年月を経てからである。その間にもさまざまな電子レンジを使い潰してきた。メーカーごと、機種ごとに勝手が違う。毎日二十回ぐらい使い続けても慣れるのに二、三箇月は掛かる。鮪のような刺身の解凍がうまくできるようになれば、卒業である。飯を炊くと一食分づつラップでくるんで冷凍庫、肉の薄切りも一枚づつラップで折り畳んで冷凍庫、好物の麺類に用いる薄揚げや葱も刻んで冷凍庫、お好み焼きに用いる筋と菎蒻の煮付けも冷凍庫、拙宅では電子レンジがないと生活が成り立たないのである。敢えて食生活と書かずに生活と書く。読書やもの思いに耽るのが生活とは承知しない、おさんどんこそが生活であり、自らが耽るところの「もの思い」を支える下僕が私自身なのだと心得ている。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月30日 20:50 | 固定ページリンク




一考 | 恐縮です

N・Tさんへ
いつも貴重なご意見をうかがい、感謝致しております。みなさんに伝わらないので、こちらで書かせていただきます。

前記の

「月に寄せて」は筑摩版全集第八巻に収録済み
「読後寸感」 『宇宙と哲学』 は既に入手済み
『文潮』編集人の名は吉田準之助の間違い
「ヴイラージユダエロ」 『魔法』は最終稿であるらしい大全版「飛行機の墓地」が全集所収

とのご指摘を受けました。近頃、私の頭のなかも混乱致しております。
いずれにせよ、「きらきら日誌:傷つけるおもて」と「ヴイラージユダエロ」の二点のコピーをお持ちいただければ助かります。これらヴァリアントを含む未収録作品に関しては異なる企画がございます。お会いする折りに詳しくお話しようと思っていますので、どうかよろしく。
従って、当方で探さなければならないのは下記の二点になりましょうか。そしてそれらは国会図書館では閲覧不可能なのでしょうね。

「当世犬つれづれ」 『浪漫小説』1949.9.1 浪漫社
「先覚」 『アメリカ』 1947.12 新英社



投稿者: 一考    日時: 2006年03月30日 21:35 | 固定ページリンク




一考 | バックバーの棚卸し

 スコッチ・ブレンデッド、バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ブランデー、グラッパ、マール、ジン、ラム等をバックバーから追放しております。店の商品構成をますます特化しようと思っているのです。
 バックバーから落ちたボトルはすべて一杯三百円、管理人の櫻井さんと沖山さんが、もっか高級バーボンとライ・ウィスキーを抱え込んで格闘中です。
 モルト会のために、好きでもない蒸留所のウィスキーを揃えていましたが、そちらも漸次処分していきます。早晩、焼酎や日本酒やカクテル類も追放、管理可能な本数でのモルト・ウィスキー専門店への蝉脱です。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月03日 22:08 | 固定ページリンク




一考 | 「三日月」閉店のお知らせです。

 去年の四月十七日、三日月の外山時男さんが急逝されました。三日月の今後を案じておりましたところ、上野直子さんからお手紙を頂戴しました。ここに転載させていただきます。

 ご無沙汰いたしております。ずいぶん春めいてまいりました。
「三日月」閉店のお知らせをお届けいたします。来たる四月二十三日(日)をもちまして、六年間お世話になりましたお店を閉めさせていただくことにいたしました。早いものでもうすぐ一年です。やっと一年です。これまで続けてこられたのも、みなさまのおかげと感謝いたしております。
 以前よりビルの立替が予定されておりましたが、いよいよ本決まりとなりましたので、これを節目に幕引きとしようと思います。「三日月」は外山の眼で成立しておりました。眼差しが店に残っているうちに、おしまいにするのがよかろうと判断いたしました。
 あと一ヶ月あまり、従業員一同、気持ちを引き締めてまいります。お時間がありましたら、春のお散歩がてら、お出かけください。
 末筆になりましたが、どうぞご自愛くださり、穏やかな季節をお迎えください。 

 最後の週は土・日も営業させていただきます。
二十二日(土)、二十三日(日)ともに、十二時から七時までの営業です。
なお、二十二日、二十三日は、通常メニューに少しばかりの変更がある場合もございます。
なにとぞ、ご了承ください。

詳細につきましては 03-3516-6801(店舗)までお問い合わせください。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月04日 20:16 | 固定ページリンク




k | 質問です。

はじめまして。初めて書き込みさせて頂きます。
変な質問で申し訳ないのですが、お店にはいわゆるノンアルコールの
飲み物も置いていますのでしょうか(注文可能でしょうか)?
当方飲めないのですが、お店は一度覗いてみたいなあと思っているのですが。
NGでもお返事頂けると幸いです。よろしくお願い致します。



投稿者: k    日時: 2006年04月11日 00:54 | 固定ページリンク




薫子 | kさまへ

 ノンアルコールの飲み物もございます。
ティーソーダ、オレンジジュース、グレープフルーツジュース、烏龍茶などです。
お気軽にお越しください。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月11日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 七十六歳の少年

 昨夜八時過ぎ、谷沢永一さんがですぺらへ来られた。十三年ぶりの邂逅である。最後に酒を酌み交わしたのは一九九三年十二月の末、梅田での浪速書林の忘年会の席だった。中井英夫の葬儀のすぐあとだったので、よく覚えている。席上、谷沢さんの弟子筋と鴎外、漱石のことで議論になり、詰問調になったところで谷沢さんから窘められた。ひとを咎めたり、きびしく問いつめるのは私の好むところではない。ただ、学者になる気など端からなく、教師であるために為方なく学者をやっているような大学人を許せないのである。
 文芸時評ないしは文芸評論では川端康成、小林秀雄、谷沢永一にとどめをさすと私は思っている。深夜を回って一時頃から話はいよいよ佳境に入り、開高健、向井敏、山野博史、冨山房百科文庫の完本茶話を編んだ浦西和彦等々について、夜明けまで談論風発して時の過ぎるのを忘れた。明治大正文学のはなしなど、店ではしたくともできない。欲求不満をはらすに絶好の機会だったと申せば、谷沢さんから叱られるであろうか。
 いままで私が会ったひとのなかで、読書家といえるのは五名しかいない。そのうちのお一人であり、過去二度ほど、仕事をご一緒させていただいた。谷澤さんと私の文脈は異なるものの、本好きの一点では共に人後に落ちない。なによりも、これが文学だなどという固着した観念を持たない。エッセイを著すにみづからの好悪をまず却ける。三段論法の名手であり、そのキャパシティの広さと柔軟さ、すなわち精神の若さには脱帽するしかない。文学史の書き換えに結びつかないエッセイなど書きたくもない、が谷澤さんの口癖である。ですぺらには若者が多いものの、年齢が若いだけでその実体は益体もない爺婆が大半である。爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。

 フランスで学生のデモがCPEを撤回させたが、わが国では義務教育の教員までもが非常勤となり、ファーストフードや一部のビジネスホテルではアルバイトが店長を務めている。店長がつとまるひとをアルバイトで雇うのが搾取でなければなんなのか。企業も組織もこぞってリストラ狂想曲にうなされている。フランスにはアルバイトという雇用形態はない、終身雇用が当たり前である。そのフランスのようなシステム下で生じる二割の未就業もしくは失業者の比率を日本に当てはめると三割を軽く超える。自由を制限され、格差社会の下流でうごめきながら、怒りを抱かず、髪の毛を逆立てもしない。異質なものを排除する社会に反抗しないような脆弱なひとたちを若者というのであれば、そのような若者などくたばってしまえと思う。ポリティカルなものが即文学とはいえない、しかし、文学とは常にポリティカルな問題を内包している。自意識、他者、マイノリティとマジョリティ等々、いずれもがすぐれてポリティカルな事柄である。そんなはなしを谷澤さんと朝まで繰り返したのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月11日 21:48 | 固定ページリンク




puhipuhi | >Kさん

某りきさんをはじめとして、よく顔を見せる人の中にも下戸の人が何人もいますので、そんなに気にすることはないと思います。(一方グデグデになって人のコートを着て帰ったり奥さんに迎えにきてもらう人もいるようですが~~誰とは言いませんが~~) 
ノンアルコールだけでは売り上げに貢献できず申し訳ない!、と思うならフード関係を頼むのも手です。お好み焼きとかカツサンドとかがおいしいです。



投稿者: puhipuhi    日時: 2006年04月11日 21:52 | 固定ページリンク




一考 | 「神戸の残り香」成田一徹

 神戸は湊川の生まれである。福原、平野、菊水、夢野から東川崎、築地、和田岬、御崎に至るまで兵庫区で知らない路地はない。兵庫区に限らない、旧神戸市内の道という道はことごとく自転車で走っている。駄菓子屋からお好み焼き屋、居酒屋から女郎屋、喫茶店から外人バー、パン屋からミンチカツ屋、散髪屋から古本屋、仕立て屋から家具店、三井桟橋からメリケン波止場までである。最初は玉子屋にはじまり、郵便局、運送屋等の配送アルバイトを長くつづけたので、否応なしに覚えてしまった。しかし、未曾有の大地震によって神戸の町は崩壊した。従って、私の知る神戸はかつての神戸の残り香でしかない。
 その記憶を洗いざらい絞り出しに来たひとがいる。切り絵をよくする成田一徹さんである。彼とは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された。理由は書かないが、当時の私の仇名は「狂犬」、それだけでお分かりいただけるかと思う。十代の頃は荒れていた、ひとも社会も許すことができず、手当たり次第に叩き壊すといった反抗的な生活だった。煉瓦や鉄パイプは言うにおよばず、刃傷に及んだことも一度や二度ではない。触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていたのである。それを彼は知っている、知ったうえでの取材であった。

 子供のころ、築地の中央市場や兵庫港、もしくは和田岬へ行くには新川や兵庫運河の渡し舟に乗らなければならなかった。ゴム長を履き親父に連れられて店の仕入れに、または三菱造船で修理される艦船を見によく行ったものである。その新川に大輪田橋が架かっていた。成田さんは綴る。

 これほど凄みのある生き証人も少ないだろう。
 一九四五年三月十七日の神戸大空襲のときは五百人の命とともに自らも炎に包まれた。生へのかけ橋となるはずが地獄になった。そして一九九五年一月十七日午前五時四十六分、三本の飾り柱が落ち、欄干の一部が壊れた。が、それでも崩れ落ちずに踏ん張って生きていた。
 新川運河に架かる石造りのアーチ橋、大輪田橋である。
 飾り柱の一本はモニュメントとして復元され、二つに割れたもう一本は傍らに置かれた。欄干の黒い焼け跡が消えることはない。
 晴れた日には欄干に深い影ができる。
 齢八十一歳の沈黙の語り部。こいつにはかなわない。

 神戸という街に住んでいたひとたちにはいささかの未練も執着も持たない。ただ、記憶のなかを当てどなく彷徨う神戸の街そのものには怨みもつらみもない。いっそ、記憶という名のかすかな匂いを好ましく思っていると書いておこうか。

「神戸の残り香」成田一徹 切り絵・文
神戸新聞総合出版センター 定価1800円+税



投稿者: 一考    日時: 2006年04月11日 23:01 | 固定ページリンク




ケケ | (無題)

先日の電子レンジのお話どうなりましたか。
新しいのをお買いになりましたでしょうか?

実はうち3つありまして、
特に1つはこの間まで
半年だけ町屋で暮らしていたときに
買って少しだけ使ったもので、
1人モン用の温めのみのものなのですが、
よろしかったら使いませんか?



投稿者: ケケ    日時: 2006年04月14日 14:25 | 固定ページリンク




薫子 | ケケさま

電子レンジは譲っていただくことができました。
快調に稼働中です。
お気遣いありがとうございます。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月16日 10:37 | 固定ページリンク




一考 | 石橋さんと津原さん

 エコール・ド・シモンの石橋まり子さんが津原泰水さんのために道産のボタン海老とイクラをお持ち下さった。相伴にあずかったのは言うまでもない、石橋さんに感謝である。次の日、イクラを白出汁にて五、六回洗い、薄味に改良させていただいた。イクラは北から南まで、醤油と味醂の同割に漬け込むか、もしくは塩漬けで頂戴する。それはそれで冷凍も可能なので、日持ちもするし重宝する。しかし、食するときにはいささか手を加えるべきではないだろうか。白出汁で繰り返し洗うと一粒一粒が離れて、さらさらの食感になる。ただし、一両日しかもたないので、要注意である。
 この調法はイクラに限らない。ホタルイカも目玉を除去したあと、白出汁に漬け込むと滅法おいしくなる。その場合は白出汁にごく少量の薄口醤油と味醂を加える。早いはなしが吸い物に漬けると思っていただければよい。薄口醤油と味醂の量を加減すれば、ナマコ、甘エビ、カニなども美味しく頂ける。今は甘草からわさび菜に至るまで、あしらいには不自由しない。いつもとは異なる食べ方と組み合わせを愉しみたい。
 ボタン海老は身を刺身に、頭は串刺しにして塩焼きで頂戴した。普通は吸い物やスープに使うのだが、ボタン海老の頭は車海老のそれよりも甲殻が薄いので焼けば香ばしさが増す。津原さんはたいそう喜んでいらした。北海道のキャンプ場ではボタン海老やサロマ湖産北海シマ海老をまるごと塩焼きにしてよく酒を飲んだ。そういえば、駿河湾産の桜えびや富山県新湊の焼きしろえびも美味い。たしか、しろえび漁の解禁は四月一日ではなかったか。焼きしろえびを杯に一匹入れ、熱燗を注ぐと日本酒がまろやかになる。富山や石川は山廃が多いので、この飲み方はすこぶる有効である。富山のキャンプ場で、地元のひとから教わった。

 津原さんと海老づくしの徹宵痛飲などさぞや楽しかろうと思う。海老で鯛を釣るというが、鳴門では釣り人はミミイカ、漁師はイカナゴを餌に用いる。なにで人生を釣り上げ、なにを持って人生をオシャカにしたか、津原さんのニヒリズムの基点みたいなものを肴に酒を飲みたいと思う。彼は戦後の焼け跡みたいなひとで、背景がなくてがらんとしている。並列的思索の達人というか、存在それ自体にパンフォーカスなところが強く滲み出ている。それと比して彼の作品には継起的な時間の空間でビクンビクンと跳ねている海老のような趣がある。そしてその交点がまたブツブツに切れている。「一粒一粒が離れて、さらさらの食感」というのが、津原さんの小説を読んだ私の感想であり、ひととなりを知るにおよんで、さらにその感を強くした。手前から奥までピントが合っている、またはピントが合っているように見える、詐欺的ともいえるパンフォーカスな言葉の問題提起をこんなに心躍る思索に展開した人は珍しい。おそらく、そこまで見届けた上での石橋さんの差し入れだったのだと私は信じている。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月17日 21:53 | 固定ページリンク




一考 | 国会図書館探訪

 芳賀さんの紹介で知り合ったのだが、国会図書館に知己がいる。とんでもなく偉いひとらしいが、私にとってはじつに気さくな読書人である。先日櫻井さんも同席し、国会図書館を肴に酒を酌み交わした。その折り、連休明けの国会図書館の探訪が決まった。普段は入られないところも含めて、隅から隅まで案内していただくことになった。日時は平日の15時から17時を予定している。参加を望まれる方はご連絡を乞う。
 聞くところによると、蔵書のマイクロ化に要する費用は10億円からせいぜいが20億円。明治・大正期は終了したものの、昭和、それも戦後の仙花紙本のマイクロ化が急がれるとの由。農道と平行する短い高速道路を一本節約すれば済むはなしである。かつては鏡花の、今回は足穂の資料収集でお世話になっっている。探訪のあとは、日本の文化行政の貧弱さについて話し合いたいと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月17日 22:22 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら開業六周年

まさか持つまいと、やっている本人が思っていたのに、丸六年経ちました。
お越しくださる皆様のおかげと感謝しております。
4月27日(木)より5月2日(火)まで感謝デーとして、
「ですぺら」にご来店の際には、グラスワイン1杯とオードブル小皿をサービスさせていただきます。なお、ゴールデンウィーク中の営業はカレンダー通りです。
また、5月6日(土)はすきやきパーティを計画しております。詳細は追ってお知らせします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月21日 04:38 | 固定ページリンク




一考 | 親と子

 Mさんへ
 沙の上のラブレターはY・Nさん宛に書いたものですから、いささか難解かもしれません。あの二倍ぐらいは書いたのですが、文中でも触れたようにY・Nさんは頭の回転が鋭いひとですからくどい説明は無用です。それで、あのように短くなってしまったのです。
 「人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう『死なず甲斐な目に逢うて』以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる」は確かに端折りすぎています。親子の問題を書いているのは分かるが、「生み落された」と「生み落ちてしまった」との行間が読めないとのご指摘も宜なるかなと思います。
 生み落ちるとの複合動詞を他動詞対自動詞と解釈してもきっとなんの解決にもなりません。それでなくとも、自他の区別は日本語ではかなりやっかいです。まずその前に、個と個もしくは親と子、さらには個と親子といった画一的な見方で私は父と付き合ってきたのではないのです。父が難渋していたように、私自身もいつも頭を抱えてきたのです。
 動詞における語形の屈折とよく似た、図式では割り切れない一種のひずみが、ひととひととのあいだには横たわっています。親子であれ、夫婦であれ、恋人であれ、友であれ、その消息は同じだと推察します。おそらく、およそ通じることはないのではないかと。
 だからこそ、どのような関わり合いがよいのかをお互いが探り合わなければならないのです。他人の事情や心中をあれこれ考え思いやらねばならないのです。親子でありながら、敢えて「他人」と書く、そのような関係を父も私もこころのどこかで求めていたのだろうと思います。どうにもならなくなった時は訪ねてくれ、と父はよく申しておりました。機会は父が死んだ日にやって来ました。そしてその日付で私自身が父に昇格してしまいました。新たな親子問題はまだ端緒についたばかりです。
 「ひずみ」と書きましたが、捩れや撓みは資質のようなもので、暗部を形づくる元素のひとつなのです。そして関わり合いは外交のようなものなのです。例えば、今朝の盧武鉉の特別談話は国家指導者が先頭に立って民族感情を煽っているようなものです。問題を拗らせるだけで、政治家云々の前に、ひととしての未熟さばかりが目に付きます。きっと、私と私の子供もそのような過程を経て育っていくのではないかと思うのです。
 自らの意見の陳述や展開は最終的にはひとを煽ることにしかなりません。好悪を前面に出す怖さもそこにあるように思います。どのワインがうまいとか、どこの店の何々が結構だとか、某作家の作品がよいとか、非難であれ肯定であれ、そのどちらもがひとを煽り焚きつける結果しか生まないと思うのです。それではつまるところ喧嘩にしかなりません。そして諍いを回避するには緘口結舌しかないのかもしれません。
 掲示板の書き込みで、いつも困惑し逡巡うのはそこのところです。どうでもよいこととどうでもよくないことの区分け、それと主張すべきことと箝口すべきことの分別で迷い続けるのです。気後れした時に私が立ち帰るのは「文学はオピニオンとは逆の場に位置する」とのいましめなのです。
 双方が仕事ゆえ、父と私は料理の味付けでしばしば衝突しました。私は神戸生れですが父は東京、味覚が違うは当たり前です。意見を違えるたびに、まったく異なった調烹がどこかにあるのではないだろうかと、試行錯誤を重ねました。いまは顧みられなくなった昔の、または地方の文献をあたり、「この調理法はひどいね、喰えないよ」と苦笑したこともありました。父と喧嘩をするために生れてきたのではなし、といって父を口説くために生れてきたのでもないのです。父を師として育ち、そして遠く離れて行く、すごく順当で真っ当なことがらから存在は暫定であり、生死はのろのろしげにはばかる所もなく繰り返される代謝なのだと覚えるに至ったのです。

 このようなはなしをいくら書いてもあなたへの返事にはなりますまい。生み落されたことに対する怨みを生み落ちてしまったと言い換えるようになるまでの距離が私の読書体験だったとでも言っておきましょうか。ついうっかり生れてしまったのは私の方であって、怨むならそれは親ではなくて自分自身なのだと。自らの迂闊さを兼ねての「ですぺら」ではなかったかと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月25日 22:41 | 固定ページリンク




如月 | スパン・アート・ギャラリーでエコール・ド・シモン人形展

連休明けの5月8日(月)から5月20日(土)まで、故種村季弘さんゆかりの画廊であ る東京・銀座のスパン・アート・ギャラリーhttp://www.span-art.co.jp/(中 央区銀座2-2-18西欧ビル1F、TEL=03-5524-3060)で、エコール・ド・シモン人 形展が開催されます。 この展覧会は、毎年三月、新宿・紀伊国屋画廊で開催されている恒例の人形展と は切り口をかえてはじめて企画されたもので、エコール・ド・シモンで学んだ人 たちの多彩な作品をさまざまな人に広く観ていただくことが狙いの新たな試みです。 出展者は、四谷シモンの他、井桁裕子、久保寺裕治、坂口愛子、佐藤公子、 佐藤晋、佐藤久雄、高橋竜男、田原ひろし、土屋ひとみ、刀弥健二、中島清八、 新妻朱彩美、ヒロタサトミ、増記真由子、松山智子、山田恵子、柳川欣之、小沢茂。 紀伊国屋画廊の人形展よりも一歩踏み込んだ個性的で刺激的な作品の出展が予定 されています。 初日(8日)の18:00から20:00まではレセプション・パーティーも予定されてい ます。 大勢の方のご来場をお待ちしております。



投稿者: 如月    日時: 2006年04月30日 22:16 | 固定ページリンク




津原泰水 | ボタン海老


一考様 薫子様
 たいへんお世話になっております。
 お聞きおよびかとも思いますが、某日打合せの席にて一考さんが
気をきかせてくだすったボタン海老、とりわけかしら焼き、金子画伯は
心からお気に召したようで、翌日早速ボタン海老探しに出掛けられた
ほどとか。美術倶楽部ひぐらしでの個展初日、その深夜にもボタン
ボタンと懐かしまれていました。
 それほど美味かった、私にも美味かった、という御報告のみのつもり
でしたが、ふと、金子國義という画家の本質にふれたような気すらした
むねも、追伸いたします。
 氏、たとえばヴィスコンティのような気に入った映画監督の作品は、
全場面を自演できるほど繰り返し御覧になっている。本なら鏡花。
暗唱できるほど読みこまれ、他は要らんとまで仰る。あるいは
ですぺらで『桜姫東文章』の終幕を再現されていたのは、むろん
一考さんも御記憶でしょう。
 一度旨いと思ったものは食い尽くす、翌日も食うし、思い出しては
また食い、ひたすら本質を見極めんとする。きっと、それを美味いと
思った己との対峙です。それが一生続く。金子様式が出来上がる。
 情報ラーメンで日々満腹している我身を恥じいる一方、氏の
ストイシズムにはゴッホが「牡牛のごとく邁進する」と評した
ゴーギャンを、ははあと思い重ねた次第です。
 海老の、頭の、串焼きは象徴的とさえ云えるほど「金子ごのみ」の
一品だったようです。



投稿者: 津原泰水    日時: 2006年05月06日 20:51 | 固定ページリンク




薫子 | 金子國義個展

金子國義さんの個展のお知らせです。

Notredame des Fleurs
会期 5月3日(水)~5月30日(火)
  サイン会14日(日)16時から
  (会場にて画集等をお買い上げの方のみに限らせていただきます)

会場 101-0051 千代田区神田神保町1-26
   美術倶楽部ひぐらし
   03-3219-2250
   営業時間 13:00~19:00(会期中無休)
下記URLに会場の地図があります。
URL: http://www.kuniyoshikaneko.com/

このお知らせをアップしようとしたら、津原さんが金子さんについての書き込みをしてくださっていました。金子さんの周りには何やら不思議な力が渦巻いているような気がいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年05月08日 01:04 | 固定ページリンク




一考 | 鱒助

 一昨日、久しぶりに鱒助(マスノスケ)を櫻井さんと食べた。「かさね」からの差し入れである。マスノスケは六月から七月にかけて北海道沿岸で主として定置網で漁獲されるキングサーモンである。岩手や宮城ではダイスケもしくはオオスケとも呼ぶが、非常に数が少なくほとんど一般の市場には出回らない。
 キングサーモンはアムール、カムチャッカ、アラスカ、カナダからカリフォルニアまで分布するが、ロシアに回帰する一部が北海道で漁獲される。鮭の仲間では最大種で、全長一メートルを超すものも少なくない。かつて北海道でも放流が試みられたが、成功しなかった。
 昨今、スーパー等で比較的安く販売されているキングサーモンは外国産の海中養殖魚で、マスノスケとは食味が異なる。マスノスケには鮭特有のまったりした食感があまりなく、さわやかな舌触り、淡泊な味わいはウトロ産の鮭児とは正反対に位置する。全身これ大トロの鮭児は年間四、五百匹しか捕れず、羅臼市場のセリ値で一尾数万円になるという。しかし、マスノスケは値はともかく、さらなる貴種である。鮭児を本マグロの大トロに見立てるなら、マスノスケは銚子沖でとれる近海ものの鮪の淡い赤身であろうか。春先から秋にかけての産卵前がことさら美味、ソフィストケーテッドな味わいにいつも愕かされる。
 鮭ついでに、「スケ」とは、「サケ」の語源であり、地方によっては鮭の中でもとくに大きなものを指す。また、「スケ」は「介=大将」の意であり、サケ・マス類中最大となる本種が「鱒の介(大将)」であるといわれる。

 知床の「鮭児」、日高の「銀聖」や「時鮭(ときしらず)」、羅臼の「いばらの内子」、鵡川の「シシャモ」等々、北海道ではいろいろな珍味を教わった。そう云えば、横須賀さんはですぺらに残っていた「いばらの内子」を来るたびに食されていた。内子の在庫が無くなったとき、それが彼の命日であったように思う。



投稿者: 一考    日時: 2006年05月25日 23:53 | 固定ページリンク




如月 | 25日の「新日曜美術館」

6月25日(日)放送予定のNHK新日曜美術館「異端の画家シリーズ(2) きたない絵ではいかんのか~大正画壇の奇才・甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)~」に、四谷シモンが甲斐庄の手記の読み手として出演します。お楽しみに。 甲斐庄という画家については、たとえば↓のサイト(甲斐庄楠音研究室)をご参照ください。 http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/index.html



投稿者: 如月    日時: 2006年06月15日 11:51 | 固定ページリンク




薫子 | 版下バカ

◆「版下バカ」の仕事展 ◆ 工藤強勝・間村俊一・多田進・和田誠

デジタルではなくてアナログでブックデザイン、装幀を手がける4名の版下原稿が並びます。
珈琲も美味しいそうです。


【会場】
 珈琲&ギャラリー ウィリアム モリス

【会期】
 2006年6月1日(木)~6月30日(金)
 12:30p.m~6:30p.m
 日曜・月曜・第3土曜17日休

【住所】
 150-0002 
 東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
 電話 03-5466-3717



投稿者: 薫子    日時: 2006年06月18日 07:30 | 固定ページリンク




薫子 | 國義ゑがく

金子國義さんの展覧会のお知らせ。

会場:スパン・アート・ギャラリー
   東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
   03-5524-3060 URL:http://www.span-art.co.jp/

会期:2006年6月12日(月)~24日(土)日曜休廊
   最終日17時まで

 新作ゆかた、絵短冊、屏風、絵日記などが展示されています。



投稿者: 薫子    日時: 2006年06月18日 07:36 | 固定ページリンク




りき | 平井功発刊記念会

プヒプヒさんよりかねてから作業をしていた、
同人誌「某」別冊平井功訳詩集の原稿を入稿したという連絡がありました。
7月13日に発刊予定です。
ですぺらで記念のオフ会をやろうと考えています。

7月14日(金)にやりたいと思います。
会費制にせず、飲食分は各自で負担。

ようは平井功をだしにですぺらに集まるというだけです。

なお、平井功訳詩集の目次は以下の通り

・評論「平井功の横顔」 私が執筆
・平井功訳詩集本体 原詩との本文と対照する感じで収録
・平井功エッセイ「グロリエ倶楽部のこと」

このうち、グロリエ倶楽部のことは、遺稿集にもはいっていない、今回新発見の資料です。非常に面白いエッセイです。
なお、平井功訳詩集は、発行部数を絞っています。勿論ですが。このチャンスに幻の夭折詩人の世界に触れてみませんか?

プヒプヒさんからの伝言です。

・当日来てくれた人には割引販売
・限定200部(番号入り)なので、早くこないと無くなるぞ(ありえんけど)

だそうです。



投稿者: りき    日時: 2006年06月24日 22:56 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 一考 高橋康雄さん

比較的新しい情報として巡り会いました。まだ、実兄と対話している方がいることを知り、嬉しく思っているところです。7回忌を迎える兄の軌跡を何とか残したいと思い、私の自宅(A&Dギャラリー)に「高橋康雄の仕事部屋」を創設しております。何とか体裁が整いつつあります。今後とも関連する資料収集に努める覚悟をしているところです。



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年06月27日 19:40 | 固定ページリンク




一考 | 紫陽花の死

 花ふたつ紫陽花青き月夜かな 鏡花

 昔、紫陽花が好きで鏡花を読むに至った。北野町や須磨のジェームズ山にはいくつもの洋館があって、庭にはかならず紫陽花が咲いていた。少年期、画筆を持って出掛けるのだが、眼目はつねに紫陽花であった。山本六三と出遇ったのも、そうした紫陽花詣での途次であった。六甲山にはわが国最古の額紫陽花が自生してい、六甲小学校の生徒の手によって株分けされ、毎年日本中へ送り届けられている。明石に住んでいた時はその額紫陽花を四株と玉紫陽花を四株殖えていた。紫陽花は栽培が易いのだが、大輪の花を思う色に咲かせるとなると、結構難儀である。下枝を利用して株立ちを助けなければ、直径三、四メートルのこんもりした紫陽花の花冠はできない。上部は捨て置いても大丈夫だが、下部には慎重な手入れが必要である。

 戸田の庭には紫陽花が植わっていた。先人が樹えた玉紫陽花と奥秩父から採ってきた山紫陽花である。後者は挿し木から四年を経てやっと大きな花を咲かせた。下枝の花を裁って枝を土に触れさせ、根付かせる機会が巡ってきたのである。来年には根と根のあいだが幹になって株が拡がる。さらに一年経てば、そちらの株からも多くの芽が出てくる。そうした手入れが十年繰り返されて小山のような花冠が完成する。
 ところが先日、下枝が一本残らず刈り込まれていた。重さで土に触れる花を不憫に思った薫子さんの為業である。言い争いになったが、たかが花のことで喧嘩はしたくない。暁方、鋸でもって紫陽花の根元を切断した。斬首された紫陽花の遺体は陽に晒されてやがて絶命する。「そこまでしなくても」と言われそうだが、それが私の流儀である。
 今後、犬を飼うことはない、金魚を育てることもない、そして薔薇に次いで紫陽花を植えることも二度とない。例えば、食事にしてからが、味付けで諍いになる可能性があるのなら、作るのも食するのも別々がよいと思う。同衾にしてからが同様で、したけりゃ一人で済ませればよい。たかが供御や肉体関係のことで喧嘩はしたくないのである。では何故に、連れ添いと暮らすのかと問われる。世の中には妻女には妻女の本質、つまり概念があるらしいが、それは私の知るところではない。私にとって連れ添いとは、いま選択した闘いを共に闘ってくれる戦友であり、死を見取る相方である。見取るのであって、間違っても看取るのではない。もし看取れば、個の領分を互いが侵すことになる。
 そもそもがどうだって、何だってよいのである。生れてきたのが不本意なら、死を迎えるのも不本意である。不本意だからこそ何だって構やしない、宛行扶持の人生を駈け抜けるまでのはなしである。宛行扶持と書いた理由はひとつ、選択はあっても、選択に自由はないからである。自由とは選択の領域を遠く超えたところにある。それ故、選択に際しての私の姿勢はちゃらんぽらんである。例え負け戦と分かっていても私は邁進する。ただし、元気はあっても、目的のない勇往邁進である。目標や理想はなにもないが、底部には私という存在に対する呪詛のような深い憎悪がある。

 さて、紫陽花の祟りで薫子さんが発熱し、店を休んでいる。紫陽花の祟りなら手を下した私にもたらされそうなものだが、取り憑かれたのは彼女である。思うに、立派な相方であり、戦友ではないだろうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年06月29日 02:05 | 固定ページリンク




一考 | 高橋康夫さんのこと

 高橋貞雄さんへ

 はじめまして。
 高橋さんとは1973年からのお付き合いですが、彼が『吉行淳之介自選作品』と沼正三の『ある夢想家の手帖から』を上梓なさった頃から、特に親しくさせていただきました。それらの著書は色違いの鉛筆による署名本を各五十部、計五百五十部頒けていただきました。そのお礼を兼ねて上京、新宿の池林房で店主の太田篤哉さんと共に酒を酌み交わしたのが、直接お会いしたはじまりでした。たしか、1975年の末だったかと記憶します。
 同じ75年に上梓された『多留保集第五巻 キネマの月巷に昇る春なれば』所収の多田智満子さんのエッセイ「異類の人」は足穂について著された、もっとも美しい文章のひとつだと思っているのですが、それについての語らいが池林房で続けられました。晤語のなかで、高橋さんが神戸の歴史や街並みに詳しいのに驚かされました。『多留保集』にとどまらず、後年『タルホ神戸年代記』などを編まれる彼ならではの気配りの行き届いた知識の一端を垣間見る思いでした。
 一方、高橋さんは「タルホ大好き」を自明の前提とする無批判なエッセイの跳梁を悲しんでおられました。当掲示板でユリイカの足穂特集号について書いてまいりましたが、そのユリイカ誌上、宇野邦一、津原泰水というすぐれた書き手にご登場いただきました。そして、単なるオマージュの時代は終わった、これからは「足穂という作家の弱点の容赦ない指摘が、そのまま足穂という作家のかけがえない価値の発見」に繋がる、とのエッセイをお書きいただきました。宇野さんと津原さんには若干の年齢差があるのですが、世代を超えてふたつのエッセイはシンクロしているのです。高橋さんがきっと小躍りして欣ばれるであろう特集になったのではと思っています。

 1985年に東京中野新橋へ転居してからは屡々酒を酌み交わすようになりました。「いちこうさんも書かなきゃ駄目だよ」と、第三文明や河出書房の編集者を紹介してくださいました。鏡花や足穂についての文章も、彼に背を突かれなければ書かなかったと思うのです。しかし、話題は文学と宗教に限られ、プライベートなお話をした記憶がございません。従って、ご家族についてはなにも存じ上げないのです。これを機に、私が存じ上げない高橋康夫さんの側面をご教示いただければ幸いに存じます。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月04日 23:44 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが『東京タワー』に出演

一考さん、みなさん、こんにちは。

四谷シモン、7月29日午後9時からフジテレビ系で放送予定の『東京タワー』↓に
医師役でワンシーン出演する予定です。この作品は、リリー・フランキーさんの
ベストセラー小説のドラマ化で、ほんらい、先日なくなられた久世光彦さんがご
自身演出する予定で計画をすすめていたのですが、久世さんが急逝されたため、
久世さんの遺志をいかすかたちで企画されたものです。
お見逃しなく。

http://wwwz.fujitv.co.jp/tokyotower/index.html



投稿者: 如月    日時: 2006年07月05日 14:24 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが多摩美大でトーク


連続投稿、失礼します。

さて、7月22日(土)午後1時から、四谷シモンが人形について語ります。
このトークは、多摩美術大学が大学内外に向けてひろくアート情報を発信するオ
ープン・キャンパスの一環として企画されたもの。一般の人も無料でトークを聴
くことができます。多摩美術大学(八王子市)への交通アクセス方などオープン
・キャンパスに関するくわしい情報は多摩美術大学サイト内の↓ページをご参照
下さい。

http://www.tamabi.ac.jp/geigaku/



投稿者: 如月    日時: 2006年07月07日 11:21 | 固定ページリンク




ですぺらのホープ | 読んでしまいました

 このところ、以前からのフードは「肴あったりなかったり」へまとめ、黒板は居酒屋メニューに書き換えた。赤海老、つぶ貝、下足酢味噌、ハラス、鰻蒲、鰤照、鰈フライ、烏賊飯の類いだが、週二回はご新規さんが加わっている。ちなみに、今日は道産の鯣烏賊と千葉のめじ鮪の刺身が入荷した。それを知ってかしらいでか、金沢の虚無さんこと河崎徹さんからヤマメの佃煮が送られてきた。このての佃煮は砂糖や味醂の使いすぎで甘いものが多い。しかし、送られてきたものは甘味が抑えられ、ヤマメの苦みが生かされている。要するに滅法美味いのである。去年、勝井さんから送られてきた泥鰌の蒲焼もそうだったが、燗酒が無性に呑みたくなる、そんな趣が秘められている。管理人のひろさんが早速製造元の住所を控えていった。どうやら注文するようである。

 河崎さんは当掲示板で三度ご登場いただいている。川魚料理「かわべ」のご亭主で、龜鳴屋主人勝井隆則さんの友である。「虚無さん」などと書いたのは他でもない。「イワナ売ります」と題された彼のサイトには落日を迎えた不良中年の咳きが満載である。人生への適応障害(河崎さんによると同障害は高貴な人しかかからないらしい)にある時はもたつき、またある時は虚勢を張って謳歌してみるといった塩梅で、投げ遣りな気配がサブリミナルのように鏤められている。
 第一回の「読みたい奴は読め。わしゃ知らん」から第二十五回のタバコの話に至るまで、あかんたれ(関東のひとには分からない)と偉そうなこととが交錯する。悲しさとふてぶてしさが実を避け、虚をついての懸引きである。彼の律儀なまでの開き直りに接していると、虚無主義とは健気の謂いではなかったかと思われてくる。そうした彼の自意識のありように深く賛意を表したくなるのである。
 文中、「『純文学の純とは何ぞや』、またいつもの悪いクセが出てきた。『純』があるのなら『不純』もあるのだろうか」とある。その伝でいけば「自意識」があるのなら「無意識」もあるのだろう、である。自意識が強ければこその適応障害であって、無意識なひとは終生適応障害とは縁がないのである。河崎さんの目線には屈折した価値観があり、彼の自意識こそが文学なのだと、私は信じている。

 おもしろきかな 昨日 消したる初雪の朝
 春なれど、なぜ咲き急ぐ 桜まで
 老木なれど、まだやり直す気か、芽吹きの頃
 何もかも 息を殺して 秋の暮れ
 秋風に 負けじと鳴くか セミ一羽
 蝶なれど 休むしぐさや 秋の風
 セミしぐれ 咎めてみたし 過疎の村
 釣れてよし 釣れずともよし 春の海
 落つるとも 今美しきかな やぶ椿

 上記は河崎さんの句である。「おもしろき」とか「美しき」は不用意な言葉だと思う。不用意とは習作の意である。けだし、彼の個がピンを刺すように正確に射留められている。彼の句を読むのは私の愉しみのひとつである。



投稿者: ですぺらのホープ    日時: 2006年07月08日 22:59 | 固定ページリンク




りき | 平井功訳詩集発刊記念オフ会日程変更の件

14日に予定していた平井功訳詩集発刊記念オフ会ですが、
印刷の遅れにより、14日ではなく、21日におこないたいと思います。

実施方法には変更はございません。

また、22日には薫子さんのお誕生日です。
薫子さんのお誕生日おめでとうをいう会も兼ねることになると思います。

たくさんの方のご来場をおまちしております。



投稿者: りき    日時: 2006年07月10日 23:27 | 固定ページリンク




おき | 世界離散、ですぺら。

昨夜、despera.comドメインが全世界的に放置されている事をライブで確認。
斯くの如くやけっぱちな識別子を自ら掲げる諸団体は、人口65億人超の世界でも希有な由。
小生の眼前にて、一考店主が早速にも獲得保持しましたので、皆様にご報告します。

.jpでも.netでもない.comドメインへの固執は、
みずからのディアスポラを愉しむコスモポリタンの店主故の拘りではないか?察します。
または世界遺産ならぬ、世界離散の場として発展を狙う野心ではないか?と察します。
なお先日、櫻井さま、比呂さまからドメイン取得に対し疑問符を頂いた、とのことですが、
「1年990円」、つまり1ヶ月当「8うまい棒(80円)」程の格安レジストラを発見してしまった、
店主のささやかな道楽と思われますので、理に目を瞑り、情を汲み、ご寛容下さいまし。

皆様ご存じの通り[.com]とは、諸処の営利団体に与えられる属性でございます。
これを機に、文字通り、「利を営むdespera」となりますよう、
常連、通りすがり、興味本位の皆様の穏やかなでやけっぱちなご愛顧と、
そして夜毎の店主・客共々、辣言・放言・暴言の夢の競演へのご寛容を、
僭越ながら、この機に乗じてお願い申し上げます。

なお「ですぺらのホープ」書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。
その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい。

※現時点では、サイト・掲示板・メールとも従来のものと変更ありませぬのでお間違えなきよう。



投稿者: おき    日時: 2006年07月11日 11:38 | 固定ページリンク




一考 | 離散について

 十代に多くの友を喪った。不良と文学青年がシノニムで、とんでもない捨て鉢な日々を送っていた。しこたま酒をかっくらい、ヤクザに因縁をつけては派手な殴り合いを演じていた。自殺に失敗し、頼むから殺してくれというような身勝手な因縁であった。みんな蒼ざめた末期の眼で友を見据えていた。当然、仲間内での諍いも絶えなかった。友が友としての用をなさない、そんな救いのない状況下で自殺率ばかりが高まっていった。個々の死について、今なお書く気持ちにはならない。
 七九年一月十四日の友の死を境に、私の自殺の消滅時効が成立した。寂静と煩悩といった二項対立が過ぎ去り、有為転変、念念生滅が愉しみとなったかのようである。

 「盃が流れることがある。盃の下がわずかに濡れていて机の表面とのあいだに薄い層ができ、不意についと流れる。
 ひとりでお酒を飲んでいるとき、私は傍らに本を置いていて、それを読みながら、ということがある。本のほうに気を取られていて、盃へ延ばす手がおろそかになっているころ、盃がついと流れる。ほっておく気か、とすねているようだ。私はあわてて、徳利から酒を注ぎ、盃を口に運ぶ」

 誰の文章かは書かない、書きたくないのである。ただ、おきさんの書き込みを読んで、七九年一月の祇園の焼鳥屋を想い起こした。盃と机とのわずかな別れ、盃の毫かな流れにふたりしてなにを思い、なにを感じたのか。あれは友と見た世界離散の場だったのかもしれない。もとより、過去は懐旧の対象ではない、過去は自身の立ち位置を明らかにするための道標でしかない。「明らかにする」ところが要点であって、立ち位置や道標はなんでもよくどうでもよい。そして過去が「やけっぱちな識別子」であったとするなら、おそらく、私は納得する。「七十人訳聖書」を生んだディアスポラの呼称を頂戴したことに感謝しつつ。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月12日 00:44 | 固定ページリンク




ジョニー | 平井功訳詩集の件で。


平井功訳詩集を入手したいのですが、どうしたらよいのでしょうか。発刊記念オフ会には出席できないのですが…



投稿者: ジョニー    日時: 2006年07月13日 19:49 | 固定ページリンク




puhipuhi | >ジョニーさん

お問い合わせありがとうございます。
オフ会以外の販売体制については今検討中です。もうすぐ告知できると思います



投稿者: puhipuhi    日時: 2006年07月14日 00:19 | 固定ページリンク




steward | 薫子さんのお誕生日2006


 mixiですぺらコミュのトピックの、ほぼそのままの転載
ですが、どちらさまもお赦しください。

 7月22日はK子さんのお誕生日です。昨年同様「ですぺら」
を訪れてK子さんにお祝いの言葉をお伝えになりませんか。

 7月22日は第4土曜日で、モルト会が開かれる予定があり
ますので、どちらかといえば20日、21日のほうがK子さんと
ゆっくりお話が出来ると思います。

 みなさま、ぜひ今週のご予定にですぺら訪問をお入れ
くださいませ。



投稿者: steward    日時: 2006年07月18日 22:52 | 固定ページリンク




一考 | despera.com

 ひろさんへ
 despera.comのDMSを取得、メールアドレスも使えるようになりました。無料のサーバー(50MB)を見つけてきたのですが、手続きが煩雑かつ英文(専門用語の羅列)で困っていました。例によって、おきさんを煩わせました。あとはホームページをリンクさせなければなりません。
 迷惑メールが日々百通を超え、OS Xならいかようにも対応できるのですが、OS 9だとルールをいくら複雑にしても九割ほどしか削除できません。そこへ [meiwaku] の援助があったものですから、一挙にパーフェクトに削除できるようになりました。こちらは感謝です。
 ただ、そのためにインポーターと海外の蒸留所のメール・アドレスを登録しなければならず、またオークションでのフリーメールやヤフーからのメールそのものが迷惑メールに分類されるのを防ぐためのルール作りが面倒でした。

 かっきーさん家の通信ですが、DTI会員向けのWebツール(DTI Tools)を用いる以外、手立てはなかろうと、これもおきさんの意見です。要するに、Webサイト上のメール送受信を使うのです。電話回線のノイズが大きすぎて、HUBを介在させたところでPPPの不安定は改善しないと思われます。
 送信が可能になれば受信がかなわず、受信が可能になれば送信できません。それだけならまだしも、システムが不安定になってフリーズの繰り返しです。今回ばかりは手を上げました。その家の電話回線でADSLが使えるのかどうかを計るテスターが必要だと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 06:43 | 固定ページリンク




おき | DOPPLE GANGER

前回ディアスポラとデスペラート、D-S-P-R の韻の類似性に語源一致の可能性を見たのですが、
現在までの調査ではどうやら異なる根を持つようです。
どなたか詳しい事を教えていただければ幸いです。

さて、昨夜、各種設定を終え(一孝さん! DNSっす...)、despera.comの運用を開始しました。
蕩々とした電脳網界の仕組の蘊蓄など、文化に無縁の無粋の極みなので省略致しますが、
端的に言えば、従来のメールサーバーやサイトを物理的に利用。現在の存在を活かしながら
表面的な部分、すなわち見える文字列のみdespera.comの表示にすげ替えるのです。

斯くして[despera.com]とは、赤坂の薄暗い空間を一意的に示す世界唯一の記号でありながら、
その位置づけ自体、オリジナルの存在に対する、幻、いわば[ドッペルゲンガー]としての表象。
まやかしの仮想的URLとして活きるこの存在感は、虚実入り乱れる観念遊技場にふさわしい。

もちろんこれは同時にオリジナルとは何か?という議論を惹起させるものの、ここに検討する暇はありますまい。
ただし、それでも突き詰めれば、オリジナル、とは、一考語録から拾うなら”「身体感覚」の有無”ではないかと。
所詮、インターネット網に存在する01ビットの情報列はどちらにしても幻。
罵詈雑言飛び交う赤坂一隅の迷宮、様々な褐色の薬液を棚に並べ、夜毎に調合する錬金術ラボ、
..いや...お化け屋敷にあってこそ、デスペラートな世界市民となることができるのではないでしょうか。

各種サイト設定は以下のとおりとなります。
[メールアドレス] 
 ikko@despera.com  (従来:despera@tc5.so-net.ne.jp) 
 ※転送失敗の可能性もありますので、当面、従来のメアドにもCCして下さい。
 ※かおるこさんや、お店名のメールは設定検討中です。やはり、親父優先かい!

[ホームページ]:アドレスの直接入力で勝手に転送されます!従来のサイトURLやリンクも活きています。
 「www.despera.com」    →ですぺらトップ(従来の:ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/despera)
 「bbs.despera.com」    →ですぺら掲示板(従来の:http://ushigome.bird.to/bbs/despera.html)
 「maltbbs.despera.com」 →ですぺらモルト掲示板(従来の:http://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=despera&no=21580)
 「maltinfo.despera.com」 →ですぺらモルト解説(従来の:http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/zyouryumolt/moltkaisetu.html)

あと5つぐらい設定できますので、直リンクしたいページの候補を上げてくださってもかまいません。



投稿者: おき    日時: 2006年07月19日 12:03 | 固定ページリンク




おき | 誤植訂正

下記記事、誤植訂正です。
 ×一孝 → ○一考。
ワタシの調教不足のATOKを笑ってやって下さい。
ちなみにタイプミスで[despra.com]とするとカスタムバイクのページに行きます。因果応報?!



投稿者: おき    日時: 2006年07月19日 12:27 | 固定ページリンク




一考 | 「平井功訳詩集」について

月の光に
     J・V・L

あけ方のひかりのやうに
あかるい光(かげ)がこころにしみる
冴えながら淡くけぶつて
唯あをく 唯あをく
光はしづかにこころにつもる
稍につめたく 稍に重く
──気付かぬほどに
しづかに 微かに……

夜は更けて
光は冴えて
猶あをく 猶あかるく
月の光に映(うつ)しだされて
くろぐろとこころの奥にわだかまる
わが身の姿(かげ)は更に黒く

窓を越えて
斜にゆるく流れる光は
猶あおく 猶冴えて
冴えゆくままに
消(け)ぬがに おぼろに昔の夢が
遠い日がふとも浮んで
私を其処に誘ひもするが

月の光のあかるさに
こころは暗い こころは重い
やくざなこころを哀(かなし)んで
さびしく つめたく泪が滲む
嗤ふ力も尽きはてた今
月の光よ 月の光よ
むごく 情(つれ)なく つめたく冴えて

夜は更けて
光は冴えて
夢かとも 霧かとも
すき透つてあをい小さな姿(かげ)は
いつしかに いつしかに数をまして
月の光に
影もなく 響も立てず
遠い日の塵をかすかに舞はせて
昔にばかりあつた森の
今は忘れられた古い踊を
しづかに しづかに舞ひつづける
──遠い日よ 昔の夢よ
思ひ出になほ存(ながら)へて
さしのべる手を嗤笑つて
雅(みや)びに あでに 昔の儘に

つめたく冴えて
さびしく澄んで
しづかに流れて ふと澱んで
部屋の片隅に こころの上に
いつしかに積つてゆく月の光は
私のこころをあざけるやうに

知つてゐる! 月の光よ!
つめたく冴えて
さびしく澄んで
そのやうにはつきりと見せて呉れずとも
昔の夢を前にして
こころは重い こころは暗い
僅かばかりの煩(わづらは)しさにも
猶堪へかねるやくざなこころは

あかりを消した部屋にあをく
唯澄んで 唯冴えて
流れ入る月の光に
音もない影の踊を見つめながら
昔の夢を浮べながら
こころは暗い こころは重い
やくざなこころに滲(にじ)む泪に
つとめて気付かぬ素振(そぶり)はしても

月の光に──


 最上純之介こと平井功の「月の光に」と題する詩です。平井功の名が今に識られている理由のひとつは彼が書誌学をよくしたからです。従って、書誌学を齧ったひとで彼の名を知らないものはいないと思われます。「月の光に」も竹清三村清三郎がかかわった雑誌に掲げられた稿であり、諦念と憂鬱との陰翳が愛情のやわらかい光と相映じて、独自のスタイルをくっきりと示している。
 小出さんは昭和五十三年の「ももんが」に「平井功の蔵書のことなど」を掲載している。豊未亡人の手元に遺された唯一の蔵書グロリエ倶楽部刊本「フィロビブロン」の由来の詳述にはじまり、単行本未収録の訳詩を紹介なさっている。久しぶりに読んだのだが、ポオの詩論の他、さばと南柯叢書の一冊として刊行せられる予定であったスティブンスンの「其の夜の宿」の校正刷りや「驕子綺唱」の原稿等々、平井イサクさんの手元にあった貴重な資料が今ではどうなったのか気懸かりである。
 石川道雄が「書物展望」第十二巻第十号に掲げた「『爐邊子残稾』に繋がりて憶ふ」も平井功に興味があるひとには欠かせない秀逸な文章である。それにしても、ですぺらの若いひとたちが協力して「平井功訳詩集」を拵えるなど、夢にも思わなかった。泪(なんだ)したくなるような快挙である。南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている。
 話序でに、「驕子綺唱」についてひとこと。同書は最初、第一書房から発售の予定であった。日夏耿之介監修「さばと頽唐詩叢」がそれで、第一巻が「驕子綺唱」、第二巻が城左門の「槿花戯書(はちすざれがき)」である。
 近刊予告には、

 詩集「驕子綺唱」堀口大学氏序 J・V・L著
 早く詩集「孟夏飛霜」を著して雄麗瑰き(王篇に奇)の荘麗体に少年の日の空想を誇りし作者は、此一巻に臻つてその高普なる詩魂の驕傲にした孤独、狷介にして不覇なるを歎けり。詩境は一展開して昔日の華麗絢爛は見るに由なけれど、しかも詩風の益々明澄にして典雅、詰法の流麗にして清新なるを覚ゆ。天賦の詩才は輝きいでて漸く未踏独自の境地を拓かんとす。

と著されている。ところが製本で第一書房と衝突、我刊我書房発兌、南宋書院発売と変更される。ご存じ、さばと南柯叢書の出版社である。この段階で原稿がまとまり、序詞日夏耿之介、跋龍胆寺旻となった。南宋書院版の近刊予告は金曜日にお見せします。ウオトカを飲みながら豊未亡人、平井イサクご夫婦のお話を伺ったのは一九七三年、翌年に平井功について短い文章を書いたが、「孟夏飛霜」を読んでから既に十一年の年月が経っていた。
 「平井功訳詩集」につづいて「驕子綺唱」を活字にしていただきたい。いかなる協力をも惜しまない、切なる願いである。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 23:25 | 固定ページリンク




一考 | ちょいと待ってください

 おきさんへ
 牛込櫻会館へのリンクは外してください。ホームページとメールの方はありがたいのですが、ですぺら掲示板は櫻井さんとなにも話し合っていないのです。こちらは櫻井さんの意見がなによりも優先されます。また、それを承知での掲示板です。恐縮ですが、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 23:34 | 固定ページリンク




おき | 解除しました

これは拙速失礼しました。
取り急ぎ牛込掲示板へのリンクを解除しました。



投稿者: おき    日時: 2006年07月20日 00:03 | 固定ページリンク




一考 | 改名

 おきさんへ
 一考が一孝になるのは誤植ではありません。小生の車の免許証には渡邉一孝、本籍地は新潟県上越市北城町となっています。
 昔の謄本は墨による手書きだったのですが、それをデータ化するときのミスでしんにょうの点がひとつになっていました。免許証を取得した平成元年に府中の免許センターで注意されて気付いたのです。同年明石へ引っ越して市役所で相談、勧められるがままに改名しました。その折り、一考に改め、いっそ本籍地も神戸に移そうかと思ったのですが、生きているあいだはそのままにしておいてほしいとの父の意見を優先させました。父は亡くなりましたが、私にその気がなくなりました。きっとおきさんのATOKはそのあたりの事情をご存じなのだと思います。
 ご指摘の「身体感覚」で述べるなら、私の名前は父の情念のなかに、本籍地は私の在するところにあると心得ています。さもなくば再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます。先だって、新宿のAGEで昭和四十二年に廃止された同じ学院生と朝まで酒を酌み交わしました。私にも同窓生がいたという驚きとその院生がモルトウィスキーに精通しているのを知って嬉しく思ったのです。
 同じ学院生とは、おきさんもご存じのK村さんです。この前のポート・エレンの飲み会でK村さんはゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスにとどめを射すと、これは立派な「身体感覚」です。思い入れや思い込み、要するに記憶をよりどころとせず、自らの好き嫌いを却けなければ、あのカスク・ストレングスの荒々しい香味は諒解できないと思うのです。ウィスキーのなかに自分を捜し自分を確認するのか、それともポート・エレンの味を求めて自らが彷徨うのか、そこのところに利き酒の醍醐味が、「身体感覚」があるのではないでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月20日 04:14 | 固定ページリンク




一考 | ボジョレー・ヌーボー

 予約をしてまで、航空運賃が加算された高価なボジョレー・ヌーボーを飲みたいとは思わない。しかし、横須賀さんの写真展会場で出されたヌーボーは美味しかった、宇野さんもいけると頷いておられた。バーテンに銘柄を訊いたのだが、知らないメーカーだという。一箇月ほどして、友人からさまざまなヌーボーを飲ませていただいた。個別の解説を書くのが代価である。不味いので有名なジョルジュ・デュブッフからノンフィルターのジャン・クロード・ジャンボン、マルセル・ラピエール、トラン、ジャン・ポール・セル、モラン、さらにルイ・テットやドメーヌ・シャサーニュ等々、約二十種類である。そのうち、トランのヌーボーで盃が止まった。同社は数種類のヌーボーをボトリングしているが、友人の店には三種類のトランのヌーボーがあった。そのなかに「ラ・パレイユ」というボトルがあった。横須賀さんの写真展で馳走になったヌーボーはこれである。高級品であることが興味の対象にはならない、しかし旨いものには尽きせぬ興味が湧く、あとはその「ラ・パレイユ」だけを一本まるごと馳走になった。

 晩年の横須賀さんはかなり貧していた。従って、彼と食事にいくのは松屋、飲みにいくのは和民と決めていた。しかし、彼と盃を重ねると和民のワインが輝きを増す、酒とはそういうものである。彼がですぺらへ現れたとき、一番安いワインを所望なさったが、そのシチリアのキャンティーネ・セッテソリと最高級のフォンテーヌ・ガニャールのモンラッシェ'89に感心なさっていた。そこが彼らしいところであり、それ故に気をつかう。例えば、日本酒の磯自慢だが、生酒を五度以下で五年以上寝かせたものを八百円で売っている。ワイルドターキーは94年のボトルを七百円で売っている。共に一万円を軽く超える値で取引されている。過日、水谷さんがラフロイグ30年の味が他店と違うとご指摘なさった。当然である、ヴィンテージが異なれば値にも五万八千円から一万八千円の差が生じる。そしてヴィンテージはラベルには記載されていない、香味で確認するしかない。味をききわけるに際し、観念的な操作でことにあたってはお仕舞いである。体験的にきたえた眼と鼻と舌を通じて選別する職人に徹することが必須である。蒸留所が全焼した2000年以降のターキーとそれ以前のターキーを峻別できないひとにターキーは不向きである。70~80年代のコルドンブルーを識っているひとに現今のコニャックは淡麗辛口に過ぎて飲まれない。それでも飲むならアーリーランテッドを除いてなにもない。ラベルではなく、香味で飲む、文句があるなら口でこい、である。
 かかるご託を並べるのは他でもない。このところ酒の整理が続いている。インポーターがウィスキーを、銀座の某酒店がワインを買いにやってくる。持っていてもしかたなく、店の売値に色を付けるというので、自宅の高級ワインを処分している。このようにして、こだわりがまたひとつ消えてゆく。さて、新宿ではなにを売ろうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月20日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 直リンク

 おきさんへ
 直リンクのおはなし、興味深く拝読。例えば、kame.despera.comなら龜鳴屋へiwana.despera.comなら「かわべ」の河崎徹さんのサイトへ飛ぶわけですね。なにかしらおもしろそうですね。しかしリンクを張られた方にしてみれば、「ですぺら」では浮かばれないでしょうね。河崎さんではないですが、「今はやりの自殺願望の人達のホームページで、ワシにいっしょ に死んでくれ、という事」になりそうです。悪意が悪意として通じる相手でなければ直リンクはとても張られません。
 悪意の申し子(オーメン)のようなひとならともかく、大方は根は生真面目で、気取りや形振りを構うようなひとばかりですから、到底無理ですね。畠山某のような反社会性人格障害もしくは反社会性適応障害のひとが主宰するサイトを探さなければ駄目ですね。
 畠山で思い出しましたが、能代の蔵元喜久水酒造の縄文能代と喜三郎は旨い酒です。縄文能代は穏やかな吟醸香、喜三郎は義侠の縁や侶を連想させるような男酒で、香味はまったく異なります。他では福島の大七・生貯蔵、愛知の義侠、富山の吉の友のにごり、福井の梵・ときしらず、広島の金泉・万葉、それに前述の焼津の磯自慢・生貯蔵を加えたあたりが私の好きな酒です。ただ、ウィスキー同様、年々味は変わりますから、飲んでみないと分かりません。明石の時は毎年、新酒に解説とランキングを付してお客に配っていたのですが・・・こちらは胃袋と直リンクのはなしでした。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月21日 06:31 | 固定ページリンク




おき | 直リンク

一考様。
実は、単なる転送機能ですので、サイトURLさえ指定できれば何処へでも直リンク可能です。
ただし転送した後の設定には2つあり、1つは素直に相手側の真のURLを表示するもの、
もう1つは図々しくも自分側のアドレス(まやかしURL)を表示し続けるというものです。
いずれにしても、一時的にせよ相手の商標、立ち位置を乗っ取るわけですので、
悪意を悪意として、善意までをも悪意と茶化して笑い飛ばす程の間柄でなければ、
なかなかリンク指定をできるものではございません。

さてわたくしの方も舌と胃袋のリンクを。閉店間際の「蕎麦 三日月」で飲んだ酒は、福井の「白龍」でした。
誤植ではありません。ポピュラーな銘酒「黒龍」にほど近い、同じ九頭竜川の水で作る「白龍」との事。
本気か冗談か?パチもんちゃうか? しかし好奇のリンク先には、喩えブラクラでも飛んでみるのが性。
店にすすめられるまま常温で飲むその純米は、まさに米を食むかのごとき、ふくよかな旨み。
インターネットで調べてみれば、酒米栽培には決して条件のいい環境とはいえぬ福井にて
自らの田で「山田錦」を作り、また自ら居酒屋を営みつつ、醸し供する酒。
我が意を得たり!と感心しました。斯くして戻る元を失いつつ味覚のリンクで福井に飛ばされたのです。



投稿者: おき    日時: 2006年07月21日 09:52 | 固定ページリンク




一考 | ADSLについて

櫻井さんへ
かっきーさん家のADSLが不安定で困っています。
詳しくは書きませんが、建物の構造上、最悪の配線になっています。スプリッターを最端末にしか付けられないのです。
次回はハブを入れる予定です。できることはすべて試みるつもりですが、質問をふたつ。

スプリッターからADSLモデムまでのモジュラーケーブルまたは壁面モジュラー端子からスプリッターまでのモジュラーケーブルをLANケーブルに置き換えるためのアダプタが売られていますが、この場合のLANケーブルはノイズに有効でしょうか。

ADSL用のノイズフイルターが売られています。中身はフェライトコアだと思います。名称はどちらでもよいのですが、こちらも有効でしょうか。

お忙しいところ恐縮ですが、他になにか方法があればご教示ください。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月21日 17:03 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 足穂への旅


1972年の4月私の編集発行となる「銀河系」に40枚ほどの<星は時間を捨てる 稲垣足穂頌>を発表しております。山形の新聞記者を止め、上京し、雑誌の編集者となり傍ら、幾つかの同人誌やマイナー誌の第三文明に表現の場を作り上げていきました。1971年から1973年は高円寺時代とも言えるこの時期に、宮沢賢治を主軸に三島由紀夫、高橋和己、太宰治、島尾敏男、吉本隆明、志賀直哉、坂口安吾へ取り組んでいます。1975年には編集者として稲垣足穂からの一通の葉書。「小生の新旧作の中から、みんなが余り知っていないようなものを探し出されて新編集と言うことになれば可能性もあるかと存じます。」(昭和48年7月4日)この便りに勇気を得て「多留保集」(潮出版社)シリーズの編集に携わっています。その後数多の多留保の本の解説、1990年には著作「タルホ逆流事典」へとタルホの宇宙へ浮遊していきました。一昨年亡くなられた種村季弘さんからは、タルホへ取り組みを強く勧められ、そしてその様子は、水魚の如しと言う話がありました。



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年07月21日 22:35 | 固定ページリンク




如月 | 『東京タワー』が放送延期

フジテレビのドラマ『土曜プレミアム 東京タワー~オカンとボクと、時々、オ トン~』の放送が当分延期されることになったそうです。楽しみにしておられた 方には申し訳ありません。新しい放送日程がわかりましたら、またご案内致しま す。



投稿者: 如月    日時: 2006年07月22日 09:32 | 固定ページリンク




りき | 平井功訳詩集オフ会、おつかれさまでした。

昨晩お集まりいただいた皆さん、
ありがとうございました。

平井功訳詩集、ですぺらに委託させていただいてます。
発行人のぷひぷひさんが詳細は書かれると思いますので。

他委託先については現在検討中です。おまちください。



投稿者: りき    日時: 2006年07月22日 10:04 | 固定ページリンク




一考 | 端折り

 おきさんが「世界離散、ですぺら」で「なお『ですぺらのホープ』書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい」と書き込みなさったが、掲示板の書き込みと活字とでは微妙に違えている部分がある。掲示板では、当事者以外には分からないように間合いを外す、もしくは内容を一部端折っている。この手法は絢子さんから学んだもので、真意を知られたくないので意図してひとを煙に巻くのである。
 例えば、先にグザヴィエル・ゴーチエの「シュルレアリスムと性」で、「平凡社ライブラリー版には旧版の『訳者後記』も収められている。六十年代の思想的激動の一端が垣間見られる傑出したエッセイである。また『訳者後記』に出てくる『君』は若くして縊死した大槻鉄男さんのことである。セリーヌやブルトンやシュペルヴィエルの名訳を遺したフランス文学者にして詩人。七十年代、私の京都時代は彼と共にあった」と書いた。下って「離散について」で「七九年一月十四日の友の死」と書いたのは大槻鉄男のことである。七年前に明石から埼玉へ引っ越した時、杉本秀太郎さんからミカン箱一杯の原稿や書簡が送られてきた。なかはすべて大槻の資料であり、私が持っていても仕方がないので杉本さんへお送りした大槻の遺稿も含まれていた。実は大槻のシュペルヴィエル訳を上梓しようとして、杉本さんと渡辺淳一さんに大槻の思い出を書いていただこうと思ったのが、その遣り取りの発端であった。しかし、送られてきた他人の書簡を読んでその気はなくなった。ずいぶんと私が悪者になっている。悪者になるのは一向に構わないのだが、そのまま出版すれば大槻さんのせっかくの推敲が誤解されかねない状況であると判断したからである(この部分も、この後のはじめも説明を端折る)。
 ひとが死ねば私こそが友人であったと、各人各様に信じ、思いこむのである。だからこそ、「いかように託けようとも、人に存在理由はありません。ならば、友も同様にして、『私は友であった』と著した瞬間に、友は指の間から砂粒のように零れ落ちて行きます。『友であった』かどうか、逝った他者の真意を推し量るなど、欺瞞以外のなにものでもなく、もし仮に友たりえたとしても、相方の死と共にすべてのかかわりは消滅します。さればこそ、友の存在を退けるのが本音なら、友の死を悲しむのは建前ということになりましょうか。自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨てて行くのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別になりましょう」と書いた。
 ひとりが長く書き込みを続けていると、多くの書き込みが互いにリンクしあうことになる。さればこその端折りである。また、友の死で傷つき悲しんでいる虚無主義者は絵にならない。そのような側面は活字ならともかく、掲示板には似合わない、と勝手に思い込んでいるのである。

 「再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます」と書いた。網走湖の呼人浦には小さなキャンプ場があって、私のお気に入りである。そして国道を挟んで向かいの丘の上には網走の監獄と北方民族博物館がある。建て替えられた旧監獄であって博物館になってい、網走刑務所ではない。そして修法ヶ原池の北西には再度山学院がある。通称再度少年院と呼ばれていた施設である。廃校ではなく、「昭和四十二年に廃止された」と書いたので分かるひとには分かる筈である。昭和九年に竹馬学園再度山林間学校として完工、戦時中は抑留敵国人収容所となっていたが、昭和二十二年に建物は法務省少年院に寄付された。次いで、昭和三十七年に神戸学園に譲渡されて竹馬学園は解散、現在ではくすのき会ひふみ園となっている。足穂の小説に出てくる諏訪山の金星台はこの再度山への登山道の入り口にあたる。堀も塀も格子もないすこぶる特異な少年院で、いわば脱走が勝手なわけだが、同じような施設がかつて静岡にもあった。神戸、静岡共に、学院長(このような名称は使わない)は同一人であり、そのご子息がですぺらのお客さんである。ただし、この少年院への出入りは修法ヶ原池からではない。平野から上る428号線、通称有馬街道からである。その理由は平野の下祇園町と荒田町三丁目に少年鑑別所と家庭裁判所が道を挟んであるからである。鑑別所は通称「ごろいけ」といい、青い丸屋根の壮麗な建物だった。
 上記書き込みのすこし前、「南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている」と書いた。私は問われれば、どのようなことでも受け答えする。しかし、訊かれもしないのであれば、言いたくないことも多少はある。書きづらいことを暈かして書くのは当然である。季節遅れのボジョレー・ヌーボーを書いたのも同様で、店にはバーテンやソムリエが多くやってくる。まったく頓珍漢なご意見ばかりで普段は黙って拝聴している。だが、デュブッフは中味を偽ったことが発覚してもっか係争中だし、ワイナリーやネゴシアンが異なれば香味が違うのは当たり前。ブルゴーニュであればこそ、白のヌーボーならまだしも、ボジョレー地区の赤についての一般論など聞きたくもない。その困惑を書くのに、十箇月ほど日をずらしたまでのはなしである。

 また、詰らぬことを書いてしまったようである。飲み屋の掲示板でありながら、酒について書けば、かならず人生航路(後年は人生幸朗・生恵幸子コンビ)になる。そこで、おきさんの「白龍」についても身勝手な一言。先日、「黒龍」の大吟醸をかさねさんへお持ちした。ポピュラーな点では双方似合いである。酵母が同じでそれがまず気に入らない。九号酵母を楽しむなら香露か通潤を飲めばよいのであって、どうして福井の酒でなければならないのか。そもそも「黒龍」が私は嫌いである。吟醸酒はしっかり造っているが、あの蔵元の二級酒は飲まれたものでない。「シチリアのキャンティーネ・セッテソリと最高級のフォンテーヌ・ガニャールのモンラッシェ'89に感心なさっていた。そこが彼らしいところであり」と横須賀さんについて書いたが、その「彼らしいところ」が肝要だと思っている。同じ福井の「梵」は吟醸や古酒は当然、もっとも安価な「精選」が滅法旨い。山形の「樽平」や岐阜の「三千盛」と共に熱燗にして飲まれる数少ない酒のひとつである。名のポピュラーではなく、味わいのポピュラーを意識して広島の「金泉・万葉」を紹介した。例えポピュラーな酒であっても、人口に膾炙しないものがいいに決まっている。「黒龍」や焼酎の「百年の孤独」のような中味が伴わない酒が跋扈すればこそ、日本酒や焼酎は店に置くのをやめようと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月24日 23:13 | 固定ページリンク




一考 | 第一回塵芥賞発表

 過日、「私刊本二点」で「不興をこうむり、窓際でさびしく余生を送る編輯者、手形の遣り繰りで女房をすら質屋に預け、孤閨にうち沈む出版者、いじけ僻むだけが編輯者の末路ではないのです。出版社、取次、書店の役目は終わりつつあるのです。時代はこれから大きく変わります。鎌野さんや土屋さんに倣い、私刊本をみんなで造ろうではありませんか・・・そのような私刊本専門の書評サイト、私刊本を対象とした『塵芥賞(ちりあくたしょう)』のような権威や権力を恫喝する文学賞を設けようではありませんか」と書いた。
 そして、平井功訳詩集オフ会で愉快な発言が飛び交った。曰く、出版社は蛮勇社がよかろう、あとは野となれ山となれ叢書等々である。ネット関連の出版は自分の著したものが大半を占める。他人が著した稿となったその瞬間から、それは編輯であり出版である。龜鳴屋とはひと味違う版元に育ってほしいと願う。そこで、プヒプヒさんとりきさんに敬意を表して、今回の蛮勇に第一回塵芥賞を授与することになった。危急存亡のですぺらを顧みて賞金はつかない。だが、すき焼き食べ放題が賞品である。トロフィーはひろさんが勘案、授賞式は拙宅の庭園にて執り行われる。おふたりさん、日時と招待客ならびに持ち込み客を決めてください。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月24日 23:44 | 固定ページリンク




一考 | こまぶり

 おきさんと酒を飲みながら魚について話し合った。隣のかさねさんはカサゴが好物らしいが、そのカサゴにはじまって十数種類の魚にはなしが及んだ。もっともカサゴとはいっても、カサゴ科にはメバル、ソイ、メヌケ類などが属し、釣り人に好まれるガシラ、アカメバル、ホゴなどが含まれる。そしてガシラとクロメバルは刺身が旨い。
 この時期は海川を問わず、一年のうちでもっとも魚が美味である。九日解禁の釧路のサンマと鳥取・島根のアゴのはなしに興がひかれた。五島列島から能登半島にかけての日本海側では「飛魚」のことを「あご」と呼ぶ。「あご」はシーボルトが紹介した長崎の方言がそのまま定着したものである。関西ではトビ、三重ではウズ、紀州ではフルセン、焼津ではマイオ、富山ではタチョ、また石川ではツバクロともいう。
 春先のハマトビウオにはじまって、初夏にはツクシトビウオやホソトビウオなどが北上してくる。ホソトビウオを丸トビ、ツクシトビウオを角トビと呼ぶ。山陰での名称は丸アゴ、角アゴである。兵庫・鳥取・島根では丸アゴは焼いて、角アゴは刺身で頂戴する。カサゴと違って脂肪分が少ないので加熱すれば身が硬くなる、従って煮つけには向かない。
 角トビの刺し身にその魚卵をまぶしたものをこまぶりといい、いたく珍重される。イクラと同じように醤油漬けにしたものをトビッコというが、こまぶりでは生を用いる。京都では鮒の洗いに魚卵をまぶし、長野では鯉の洗いに魚卵をまぶす、それと同じ調法である。地域によっては穴子の洗いに魚卵をまぶして食するところもあり、それもまた珍味である。
 アゴの子の煮付は、昆布で取った出汁に濃口醤油一と薄口醤油一、味醂二の同割にショウガを加えて煮る、水から煮ると臭みが残るので要注意である。鯛の子の煮付けは花のように開かせるために敢えて強火にするが、アゴの場合は卵が破裂しないように弱火でコトコト煮付けるのがコツである。
 最近はラーメンの出汁に多用されるので、隠岐の「割りあご」が東京で有名になったが、平戸の焼あご、出雲の野焼、三宅島の揚げ団子、.伊豆七島のくさや等々、調理法は多種多様である。兵庫県の香住にも野焼が売っている。脂の品の佳さとかすかな甘味が身上である。包丁の金気が野焼きに移るので手でちぎって食べるのが通。この作法は他の練りものにも共通しているが、例外もあって、料理人の世界では仙崎かまぼこには柳刃が必要とされる。

 明石から日本海側の久美浜のキャンプ場まで、深夜なら車で三時間かからない。従って週末はいつも出掛けていた。青海島から若狭までを股に掛けてのキャンプ場巡りであると同時に、磯魚を珍味佳肴を求めての彷徨であった。
 角トビは地場では安い、大きなものでも百円以下で入手できる。こまぶりも、香住の漁師に教わった食し方なのだが、これがアイラ・モルトによく似合う。スコットランドで“Briny”(塩辛い)と言われるヨード香とこまぶりの磯臭さ、そのコレスポンドンスが堪らない。もっとも、出雲地方には、昔からアゴ用の「地伝酒」と呼ばれる独特の酒がある。ただし、地伝酒は濃厚すぎて飲用には適さない。一時期生産が途絶えていたが、野焼はもとより島根の郷土料理には欠かせない調味料として最近復活された。
 地伝酒で思い出したが、モルト・ウィスキーとワインにはワサビと酢の物が合わない。ワサビはウィスキーの熟成年数を読めなくする。アリル・イソ・チオシアネート(アリルカラシ油)の峻烈な匂いと辛味が舌の熱くなる部位を狂わせるのである。ウィスキーやコニャックは熟成年数が若いほど舌の先が熱く感じる。ひとによって差違があるが、およそ13年から15年で舌の中央部が、それ以上の長期熟成品になればなるほど舌の奥の部分が熱くなる。一方、酢はもともとは醸造酒を酢酸発酵させてつくる、従ってタンニン(渋み)が酸味に化けてゆくワインの微妙な熟成過程が判りにくくなる。早いはなしが、ヴィンテージが読めなくなるのである。従って、酢を用いるなら甘酢を、ワサビでなくショウガ醤油もしくは薬味にショウガが使える種類の刺身がウィスキーやワインには適している。さもなくば、いっそ酢味噌なら洋酒の香味を味わう邪魔にならない。
 先ほどからカサゴやアゴの刺身について触れてきたのも、私はそれらの刺身を酢味噌で頂戴するからである。前述の三宅島の揚げ団子も、トビのタタキに味噌、生ショウガ、大葉などの薬味を加え、すり鉢で擦って団子にしたものを油で揚げる。
 つくねに限らず、アゴはそのままフライにもするが、間違えてもタルタルソースは使われない。アゴにとどまらず、ヒラメであれ、カレイであれ、白身魚のフライには和辛子を薄く溶いたものが相応しい。極端に薄く溶くところがミソである。瞞されたと思って試していただきたい。タルタルソースやマヨネーズなどという塵みたいなソースで魚の味、言い換えれば磯の香を壊さないでいただきたい。どうあってもタルタル状が、とおっしゃる向きは擦った長芋や細かく切ったオクラを少量のせて食べていただきたいのである。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 05:10 | 固定ページリンク




一考 | 八島について

 前項のしゃばしゃばの和辛子については亡くなった中島らもさんも、神戸三ノ宮の居酒屋「八島」に関するエッセイのなかで繰り返し述べている。八島で彼と面識を得たわけではないが、同時期に入浸っていたらしい。モルト会で大浦さんから指摘されて気づいたのだが、中島らもさんと私は「八島」の同窓生だったようである。八島と京都の労働会館については当掲示板で書いた気がするのだが、検索で出てこないので改めて書く。
 八島は昭和四十年から四十六年にかけて、山本六三と日参した飲み屋である。記載した年次はあくまで山本さんと日参した季節を指している。山本さんは私よりかなり年上なので八島への出入りは古く、私にしてからが、中学生時代から居続けたジャズ喫茶「バンビー」の牢名主ともいうべき小原さんや下中さんに連れられて八島へは出入りしていた。他方、現代詩神戸研究会の詩人たちとも繁く通っている。過日、神戸の季村敏夫さんに往時の詩人たちの消息をお訊きしたのだが、ことごとくがはかなくなられていた。
 山本さんは水曜会(マラルメに敬意を表して一日ずらしていた)を、私はやや遅れて土曜会を催していたが、八島ではそのメンバーのいくたりかが一緒だった。やかんへ放り込んで直火で温める二級酒が五十五円、「あか」と称する一級酒が六十五円、塩辛が十円、冷や奴が二十円、湯豆腐が三十円、もっとも高価な品が百八十円の肉豆腐と肉葱炒めだった。喰いたいが高くて注文できないその肉葱炒めに対する恨みつらみを中島らもさんは著している。彼は納豆ひとつを注文し、あとはポケットのなかの硬貨を握りしめる、そして銚子を一本注文するごとに硬貨を手から落としてゆくのである。掌に金がなくなったとき、その日の人生が終わるのである。
 山本さんは生鮨(キズシとの言い方は関西、東京ではシメサバ)、私は烏賊の塩辛が専らであった。四、五人で塩辛を囲んでの酒盛りである。塩辛には長いものや短いものが混じっている、箸で摘まんだ烏賊が長いと、ひとに悪い気がしてそっと戻すのである。若いときは暇はあるが金がない、十円の肴で四時間でも五時間でも酒を飲み続けるのであった。絵描きの武内さん(「世界のライト・ヴァース5 神様も大あくび」の挿絵を担当)や詩を書いていた岩田さんなどもそのころの飲み仲間だった。
 八島で忘れられないのが六十五円の赤出汁つき天丼である。天丼とはいいながら、厚さが一センチほどのぶよぶよのメリケン粉のせんべいに干しエビが三匹と僅かな玉葱と紅ショウガが入った、すこぶるシンプルな掻き揚げである。収入はことごとく本代で消えてゆく、従ってこの一日一膳の天丼が私の食生活のすべてだった。四十歳代半ばまで体重が五十から五十三キロを前後していた理由はこのような若いときの粗食にあったと、勝手に思い込んでいる。
 中島さん同様、百八十円の肴は私にも手が出せなかったが、七十円の玉子焼きと魚フライはごくたまに馳走になった。玉子焼きは中がじゅくじゅくで大根おろしの替わりにてんこ盛りの紅ショウガが付く、魚フライには水のごとく淡い和辛子がどっぷりと掛かっている。その潤沢さが、ひとのこころを豊かにし仕合せをもたらすのである。紅ショウガで二時間、玉子焼きで二時間の世界である。中島らもさんが書き綴っているのもそこのところである。
 今も八島は同じ場所で営業をつづけている。どうやら、赤出汁つき天丼は二百八十円に値上がりしたようである。天丼を喰いたいとは思わないが、あの魚フライでまずい燗酒を飲みたいと思っている。

  あま酒のくがだち酒のたぎち酒鏡花小史に酒たてまつる  吉井勇

(この稿つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 20:16 | 固定ページリンク




一考 | バンビーについて

 前項の小原さんや下中さんについてひとこと。彼等は「バンビー」を中心に神戸モダン・ジャズ倶楽部を主宰してい、アート・ブレイキーを神戸へ呼んだ張本人のひとりであった。伝説の興行師神彰がアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズの日本公演を企んだのが昭和三十五年、翌年の正月に東京、大阪、神戸と、九日間にわたって演奏会が催された。メンバーは アート・ブレイキー(ドラム)、リー・モーガン(トランペット)、ウエイン・ショーター(テナーサックス)、ボビー・シモンズ(ピアノ)、ジミー・メリット(ベース)、ビル・ヘンダーソン(ヴォーカル)の六人の黒人だった。中学二年生の私は下中栄子さんに連れられて国際会館の小ホールへ聴きにいった。ファンキーとかバップとかビートとか、聞きなれない言葉が飛び交うなかでジャズの洗礼を受けたのである。
 彼女は私が小学四年生のときから面識がある。福原、三ノ宮を問わず、バー街では知られた存在で、いつも女王様のように振る舞っていた。百万$をはじめ、ビクター、石、山、大$、やながせ、アカデミー、北野クラブ等々、いろんな店を紹介し、挙句に浮世風呂(今のソープランド)で酒を飲む癖を私に植え付けたのも彼女であった。アート・ブレイキーを境に急速に親しくなるのだが、それは夙成を認めたからなのかもしれないと、いまにして思っている。
 中山手通一丁目の喫茶店「にしむら」の裏手のアパートに「バンビー」の寮があって、そこでジャズの特訓を受けた。学んだというよりは、いいおもちゃにされたと言ったほうが正確かもしれない。いずれにせよ、当時開盤されたブルーノートの詳細を覚えさせられたのである。ですぺらではジャズを流しているが、私はジャズと映画のはなしは避ける。ワイン同様、ジャズについて語るひとは自らの好悪すなわち薀蓄を傾けるに終始する。個人の好き嫌いやジャズについての概説や一般論など聞きたくもないのである。私が訊きたいのは、そのひとの生き方にジャズがどのような響影をもたらしたのか、もしくはジャズが招来させたであろう個人の搏動についてである。これは文学においても同様である。

 彼等から私が最初に学んだのは「ワンステップ」という生き方だった。ダンスでいうステップなのだが、人生は一度きり、なにごとも一度きり、かかわり(愛情や友情)も一度きりという、アドリブを地で行くような刹那的かつ無責任な生き方だった。例えば一緒に飲んでいても、「それではこれで」のひとことを残して無情に立ち去る。酒を飲むに意味がなければ、飲まないことにも意味はない、要するに理由はいらないのである。気候が変わり、季節が移り、海も山もかたちを変えてゆく。ひとの存在もそれと同じで、生まれ落ちた瞬間から立ち枯れてゆく風景のようなものである。一切の種に永遠はない。そのような「ワサビのように峻烈な」生き方を彼等は中学生の私の身体に刻み込んだ。これがジャズなのだ、とばかりに。
 過日、「『神戸の残り香』成田一徹」で「触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていた」と書いたが、その遠因は福原に限らず、彼等から学んだ「ワンステップ」にもある。きっと、あの前後に価値観の瓦解が、私の敗戦体験があったように思う。
 「にもある」の意は「推定」であり、助動詞の「らしい」と同義である。思案をいくら重ねても分からないものは分からない。いかように判断を下しても、それらは一応の算定であり、仮の判定でしかない。だからこそ、同じ趣向のはなしを二度三度と蒸し返し綴り直すことが人生であり文学なのだと、そうした重語法的エポケーそれ自体が私の信仰告白なのかしらん。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 23:11 | 固定ページリンク




蛮勇社社主 | 「平井功譯詩集」通販および書店取扱い

割り込み恐縮です。
「平井功譯詩集」通販フォームができました。html記法不慣れなため物凄く不恰好ですが、こちらからお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/00010101

また神保町の書肆アクセス(http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/)に五冊置かせてもらえました。
価格は通販・アクセスどちらも1500円です。(通販の場合は送料込み)


>一考様
塵芥賞ありがとうございます。と言って喜んでいいのでしょうか……おまえの本は塵芥も同然であると言われてるような気がしないでもありませんが…… まあともかく塵も積もれば山になるよう地道に続けていきたいと思います。
バーベキューのお誘いもありがとうございます。ただいま「某」メンバーと相談しておりますが、おそらく九月以降になろうかと思います。



投稿者: 蛮勇社社主    日時: 2006年07月27日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | 平井功と塵芥賞

 先日、佐々木幹郎さん来店、「塵芥賞を勝手に決めちゃったの」と言われてしまいました。実は塵芥賞は佐々木幹郎、宇野邦一、それと私の三人で選考の予定だったのですが、今回ばかりは私の独断で決めちゃいました。
 「権威や権力を恫喝」しているかどうかが選考基準なのですが、蛮勇社社主ならびに「平井功譯詩集」の編者ははなから権威、権力の持ち合わせがないのですから、選考の対象外なのです。これは澁澤さんや種村さんについても同じことが言えます。彼等は権威、権力からはのらりくらりと逃げ回っていましたから、アイドルにはなりえても学者にはなられなかったのです。と、ここまで書いて、編者には権威、権力の持ち合わせはないまでも、志向はあるのではないかと、後方をヤジが飛び交っています。
 で、選考の対象外ならひとりで決めても差し障りはなかろうと、また最初からあじゃらに拵えた文学賞なのですから薬味に孤憤の情(ですぺら)が必要になります。薬味でも妻でもあしらいでもよろしいが、なにかしら添えものがなければ冗談と怨念とが双方向になりませんもの。
 今までいくつかの出版社を興しては潰し、また乗っ取られてきたのですが、常に平井功「驕子綺唱」の開板が念頭にありました。この間の消息は先日平井功訳詩集オフ会にて少しくお喋りいたしました。それ故、ここで申し上げたいのは、今回の「平井功譯詩集」の造本体裁を覧てこれはとても私には造られないと思ったことなのです。平井功に限らず、対象に執心があると、かくも簡略な出版には踏み切れないものなのです。出版人にとって、造本それ自体が評価の唯一の顕わし方だと、そのような思い込みが私のなかにしぶねく残っていたのです。言い換えれば、彼等が拵えた「平井功譯詩集」に世代の断絶を覚えると共に、爽やかなやっかみを感じたということになりましょうか。しかし、それで結構、その軽みが彼等のいいところであり、軽薄さこそが次世代のメディアを、文化を形成してゆくのだと諒解しています。
 選者のひとりの宇野さんが佛蘭西へ外遊なさるので、八月早くに授賞式を済ませたかったのですが、九月以降のようですので、予定変更です。塵芥賞ですからそれもよし、あれもよし、なんでもよしでございます。授賞式はですぺらでも結構、「まあ、いいから飲みましょうよ」で締め括ることができれば幸いに思います。

追記。宇野邦一さんの予餞会は八月九日です。みなさんのご参加を願います。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月29日 21:44 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 足穂の星へ

1972年4月私の発行となる「銀河系」に原稿40枚ほどの<星は時間を捨てる 稲垣足穂頌>の評論を掲載しております。このころ山形の新聞社を辞め上京し、雑誌編集に携わり、高円寺時代と言える1971年から1973年の間に宮沢賢治を主軸に三島由紀夫、高橋和巳、太宰治、島尾敏雄、吉本隆明、志賀直哉、坂口安吾に取り組み、幾つかの同人誌や月刊誌第三文明に表現していきます。                        一昨年亡くなられた、種村季弘さんに足穂への取り組みを勧められ、大変喜んだとの話を聞いております。足穂の宇宙を浮遊する喜びであったのでしょう。 



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年07月30日 21:14 | 固定ページリンク




一考 | 夢の王国

 高橋貞雄様
 ご返事おそくなり恐縮です。気儘な掲示板ですので、ご容赦いただきます。
 繰り返しますが気儘です。何時もひとに託つけての身勝手な発言ばかりで、掲示板として形式内容共に体はなしていないと、自ら承知致しております。
 はじめた当座はそうでもなかったのですが、半年もしないうちに意思表示の了知は諦めました。掲示板とは名ばかりで実体はブログです。それ故、海馬の涎などと嘯いているのです。

 貴兄の発行になる「銀河系」を存じ上げないので、当然「星は時間を捨てる 稲垣足穂頌」は未読です。高橋康夫さんの高円寺時代はAGEの清水弘子さんからお聞きしたような記憶もあるのですが、なにも覚えていないのです。彼女の岡田時代になるのかもしれませんが、覚えは曖昧で、やはり75年以降ということになります。
 高橋康夫さんからは数冊の書冊を頂戴しましたが、北一輝や正宗白鳥を除き、大半は少年文学に関する論攷です。「TBS調査情報」へ連載された「夢の王国」や「アサヒグラフ」連載の「少年小説の世界」は楽しく読まさせていただきました。彼は私の子供嫌いをご存じだったので、その歪な部分への呼びかけだったのかもしれません。
 少年時代に対して私は嫌悪感しか持っていません。従って、自らをなつかしむ気持ちがないのです。同様に、親としての自覚に欠けますから、逆に親が亡くなってもなんの感慨も抱かれないのです、ひとの生は新陳代謝に過ぎないと。それと比して「のらくろ」「少年探偵団」「ああ玉杯に花うけて」等、少年時代の郷愁をそそる<夢の王国>について語る彼の目は輝いていました。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月31日 13:47 | 固定ページリンク




一考 | 富ノ澤麟太郎の雑誌

 りきさんへ
 父の遺品を整理しに神戸へ行った折り、実家で私が使っていた机の引き出しに入っていたものを八つのダンボール箱に詰めて持ち帰りました。そのなかから、富ノ澤麟太郎の「流星」と大正十四年五月号の「文芸時代」がでてきました。後者は富ノ澤の追悼特集号です。
 横光利一編による「富ノ澤麟太郎集」を入手する前に蒐めていた雑誌の一部と思われます。「流星」は大正十三年十月の「改造」に掲げられましたが、商業誌に載ったはじめての作品だったと思います。「文芸時代」は横光利一以下、六名が執筆、中井繁一と古賀龍視の文章がよかったように記憶します。いずれも十代のころのコレクションです。もしお持ちでなければご一報ください。
 実は昔、蛸に関する文献を二十冊ほど蒐めたことがあって、内一冊に感心させられました。もっかその新書を探しているのですが、まだ見つからないのです。店の維持費で五十万、百万といった単位のお金が必要で蔵書を売り払い、残部は一万冊を切りました。それにも拘らず、相次ぐ転居で資料の整理がままならず、私の頭のなか同様、乱雑に犇めき合っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月02日 22:43 | 固定ページリンク




薫子 | 壮行会?

 ですぺらの大切なお客様で、店主の友人でもある宇野邦一さんと牧子さんが8月末から1年間の予定でパリに行かれます。
しばしのお別れになりますので、8月9日(水)19時よりお二人を囲んで飲みましょうの会を催したいと思います。特に会費制にはいたしません。
よろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年08月04日 04:12 | 固定ページリンク




薫子 | 八月のですぺら

俗に「にっぱち」と申しますが、ですぺらはその「ぱち」に突入しております。
夏休みなぞ取っていられません。
ということで、ですぺら八月も通常通りの営業であります。
皆様のお越しをお待ちしております。



投稿者: 薫子    日時: 2006年08月04日 04:15 | 固定ページリンク




一考 | 明石蛸

 餓えに魘されて、このところ食い物に関するはなしが続いた。それ故か、季村敏夫さんからいまが旬の明石蛸が送られてきた。夫婦で営む太寺三丁目の山下魚店からのご送付とあるが、徒歩一分のところに私は住んでいた。81年から82年までは枝吉だったが、82年から85年までは太寺三丁目、89年から99年までは太寺一丁目と、明石の東端で点々と借家住まいを繰り返していた。あの頃は東京から作家が訪ねてくると、山下魚店と二丁目の角のミニコープへ走っていたのである。また、兵庫県水試場長で、後年神戸市立須磨水族館へ移られた蛸学者の井上喜平治さんも太寺に住んでおられた。
 それにしても、なぜ山下魚店の蛸なのかが不思議である。神戸から明石界隈の魚屋には精通している。仕入れの用があって、明石屋やかねきなど名の通った店とはほとんど取引があった。それは酒屋も同様である。季村さんが住む多聞台にもいい魚屋が一軒ある。とここまで書いて思いだした。先日、ながらみ書房から歌集「ジャワ・ジャカルタ百首」を上梓された南輝子さんから、私が太寺に住んでいたのを聞かされたのだと思い当たった。彼女とは十代からの付きあいであり、私を「ワンタン」を呼ぶ数少ない友のひとりである。彼女なら、明石時代のことをよくご存じである。
 蛸がやってきたのは嬉しい。どのようにして食させていただこうかと、もっか調法を思案中だが、薫子さんはぶつ切りのバター炒めがいいと言う。しかし、蛸の訪ないにはなにかしら下心があるに違いない。おそらく彼がかかわる雑誌への執筆依頼であろう。季村さんのことだから、題目は割烹やバーではあるまい。震災もしくは神戸の古書店、新刊書店、出版社、古裂、古道具屋、おそらくその辺りだろうと思う。それは後日のはなしとして、蛸については書いておきたいことがある。
(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月04日 20:37 | 固定ページリンク




一考 | タコヤキ屋三十軒

 蛸といえば、かつて種村季弘さんが「怪人百面相綺譚 または、渡辺一考とは何か」のなかで、
「拙訳のオスカル・パニッツア『三位一体亭』を本にしてくれたとき、私は広島の旅先から当時西明石に住んでいたこの人の寓居にサインをしに訪れたことがある。そのときにご馳走になったタコの吸盤のさしみが滅茶苦茶にうまかった、などということを思い出すとまた話が長くなる。
 しかしこのときの話に出たタコヤキのことだけはどうしても書いておかなければならない。タコヤキを食いにいこうというのである。こちらはすでにタコの吸盤で満悦しているので丁重に辞退すると、『いやうまいんです』と何とかという店の名をあげていきり立つように言った。西明石には三十軒のタコヤキ屋がある。それをしらみつぶしに食べあるいて叩き出した結論というのが、これであった。ああタコヤキ屋三十軒」
と著された。
 種村さんご指摘のとおり、明石へ引っ越して真っ先に調べたのが、たこ焼き屋から明石蛸の歴史に至る蛸あれこれであった。
 「たこ焼き屋は商売である」とは言いながら、三十軒のたこ焼き屋の風味はさまざまに異なる。まず、蛸の大きさが違う、メリケン粉(薄力粉)とじん粉(浮粉)の比率が違う、粉と出汁の比率が違う、つけ汁の出汁の取り方が違う、つけ汁の味付けが違う、つけ汁の薬味が違う、さらに焼く鍋の材質が違う、火力と焼き方が違う、「などということを思い出すとまた話が長くなる。」しかし、これを書いておかないと家庭でたこ焼きを作るのはかなわない。また、たこ焼きの一部を俯瞰できれば、食するときの居住まいも変わってこよう。
 種村さんに倣ってたこ焼きと書いたが、明石のそれは明石焼きであり、地元では玉子焼きと称する。玉子焼きを焼く銅製の器具を鍋と言うので、鍋一枚、鍋二枚とのあんばいで注文する。明石駅前の大明石町にある老舗「松竹」 はよく知られた玉子焼き屋だが、その筋向かいにも玉子焼き屋がある。日曜日と祭日のみ営むほとんど知られていない店だが、そこのスペシャルヴァージョンには巨大な蛸が入っている。通常の四、五倍はあろうかと思われる活蛸が中央にでんと鎮座している。
 駅から見て、「松竹」の手前を右に曲がれば「お好み焼き道場」がある。そこの玉子焼きは明石全体の玉子焼きのセオドライトのようである。文芸評論でいう伊藤整のようなもので、それ以下なら駄目、それ以上でなければならない一種の水準器となっている。生地を何度か加えながら焼くのでひとつひとつが大きくてやわらかい。つけだしは昆布で常温、甘くなく辛くもない、要するに少量の醤油と味醂のバランスがよく塩が控えめに用いられているのである。姉妹店に「酒道場」があり、蛸の天麩羅、鯛の子の煮付け、鯛のあら煮、太刀魚の刺身、鱧の湯引きなど、明石ならではの肴が豊かである。また「酒道場」で玉子焼きの出前をたのまれる。地元ではひろく知られているが、週刊誌などで取上げられたことが一度もない、いわば隠れた名店なのである。店名は伏せるが、屡々東京のマスコミで取上げられ、観光客が玉子焼きと蛸の関東煮を求めて列をなす店があるが、あれは明石でもっとも不味い店である。
 次にじん粉だが、小麦粉でんぷんを精製したものを本浮粉(うきこ)と呼び、さつまいもでんぷんで代用した物を浮粉と呼ぶ。ここで用いるのは当然本浮粉だが、主たる特徴は加熱しても固まらないところにある。従って、玉子焼きのふわふわした食感を出すに重要な役割を果たしている。片栗粉やコーンスターチも同じでんぷんだが、そちらは水になじみにくく焼き加減にムラが生じて味が落ちる。明石の魚の棚の中島商店、中村商店、白川南店などで売っていて、ネット通販でも購入可能である。メリケン粉とじん粉の比率は八対二からはじめ、徐々に同割にまで持っていく。最初から同割だとまるく焼くのに苦労させられる。
 粉と出汁の比率は簡単である。じん粉は小麦のでんぷん質のみで出来ているが、小麦粉には蛋白質(グルテン)が含まれるため、熱をかけると固くなる。その固くなる限界点まで、出汁で薄めるのである。前述したように玉子焼きは「ふわふわした食感」を楽しむのであるから、たこ焼き屋は柔らかさの限界を競い合う。割烹の出汁巻きに思いを巡らせていただきたい。柔らかくなければ大阪の、もしくは縁日の屋台のソースたこ焼きになってしまう。それは玉子焼きとは似て非なるものである。
 つけ汁の出汁の取り方だが、昆布、かつお、いりこ等を用いる。間違っても東京式の鰹節だけの白出汁はやめた方がいい。蕎麦や饂飩と玉子焼きは異なる、あくまで、薄めの吸い物を念頭に置いていただきたい。昆布とかつおのどちらが勝っても駄目で、そのバランスはセンスと言うほかない。酒ならともかく、吸い物のような根元的な香味のセンスを言葉で言い表すのは至難である。インスタントの粉末出汁を用いるなら、味の素のほんだしがいい、シマヤだと焦げ付いてしまう。ただし、味の素は味にえぐみがあるので量を控えめに。いりこだしだとヤマキなのだが、インスタントの粉末出汁は総じて塩とアミノ酸が強い、慎重な取扱いが必要である。
 玉子焼きが熱いのでつけ汁は常温で、そして薬味は三つ葉にとどめをさす。念のためにいっておくが、玉子焼きのなかは蛸だけである。
 玉子焼きの鍋は銅製の厚板鍋に限られる。鋳物は熱伝導が悪いので鍋に熱ムラが生じ、ふわふわには仕上がらない。安福保弘さんが打ち出す玉子焼工房か、大阪の甲野製作所の鍋がお薦め。共にネット通販での入手が可能である。

 末尾に当文章の構造式を書いておく。言明、つまり命題を分解していくと、最後には、これ以上分解すると命題にならないような命題に到達する。蛸の場合は「蛸は軟体動物門頭足綱八腕形目に属する動物の総称である」もしくは「蛸は食品である」ということになろうか。その原子的命題から出発して、「そして」「あるいは」「ならば」「でない」といった論理演算を潜って、しだいに複雑な命題を構成するに至る。その過程がおはなしである。命題とは、なんらかの主張を表した記号の組合せであり、主張そのものであると同時に、主張を成立させる状況の集合であるとも言える。後者の場合、命題の主語が人名であろうがなかろうが、そのものの棲息環境、謂わば人生そのものだと言えようか。そして原子的な命題が内包する棲息環境と複雑な命題のそれとでは状況が異なる。さらに言えば、状況それ自体が環境に即して壊れたり喪われてゆくこともありうる。要するに、命題は主張を成立させる状況の集合であるにとどまらず、時として喪われてゆく状況をすら内包する。言い換えれば、意味内容や表象から遠く逸脱してゆくそのものの影や分身、時として遺影すらもが含まれているのである。
(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月04日 21:38 | 固定ページリンク




一考 | 引用と剽窃

 太寺に住んでおられた井上喜平治さんの著書が見つかった。その本を紹介したくて「タコヤキ屋三十軒」を書いたのだが、数十年ぶりに繙いた「蛸の国」と闇雲と掴み合っているうちに惹きずりこまれ、それこそ蛸の国を逍遥うことになってしまった。書き手すなわち井上さんと蛸との出身成分(家柄)が相互に嵌入しあい、どこまでが井上さんの信念で、どこからが蛸の考え方なのかが判然としない。異なる価値判断が交錯しながらひとつの意見と見紛うばかりに表明される。そのような書物を名著という。名著であればこそ、つづきを書くのは読み終えてからにしようと思った。

 「蛸の国」を紹介しようとすれば、引用の誘惑に駈られる。しかし、著作権継承者の許可を得ないで引用すると碌な結果を招きかねない。先日来、友がブログで訳詩を引用した、引用というよりは好意にもとづく紹介であり佐藤春夫を髣髴させる可惜しい鑑賞文である。しかるに、著作権を盾に取って遺族は応じようとしない。インターネットなどと称するいかがわしいところに身内の作品が軽々に載せられたことが、遺族には堪えられないのである。一方、ひとがらを存じ上げるがゆえに、友の苦衷、困惑は察するに余りある。
 当掲示板でも、過去に遺族や著作権継承者とのあいだで悶着があり、あらぬことを誣いられて書き込みの削除の已むなきに至った。専横であり踰越であって、公人の私物化だと異議を唱えても双方にかみ合うところなく水掛け論に終わる。パソコンを使うひとと使わないひととの間柄は想うよりも疎遠である。印刷機が発明されたときもそうだったが、新たなメディアが認められ、それなりの文化を育成するには七、八十年の年月が掛かる。インターネットが固有の価値や様式を創出するのは次の次の世代あたりであろうか。
 仕事柄、いくたりかの作家の書冊を上梓してきたが、遺族とのお付き合いは何時もぎこちない、うまく行ったためしがないのである。継いでいるのは血脈のみで、詩精神の場にあっては何人といえども赤の他人である、それが諒解できるひとなら削除など端から命じてこない、と私は信じている。どうやらそうした考え方が遺族のお気に召さないようである。この血脈に関しては私なりの意見の用意があるが、ここでは繰り返さない。

 引用に関しては日頃から細心の注意を払っている、もしくは払っているつもりである。引用は著作権の切れた作品もしくは存命している知己の作品と劃定している。「存命している知己」に限るのは謝れば済むことだし、「著作権の切れた作品」に関しては後は野となれ山となれ、である。そして「作品」に限るのは、やはり水掛け論は避けたいからである。主張を手早く伝えるために、時としてひとは駄洒落をとばし、意味内容や表象から外れたお喋りをする。というよりも、日常の会話とはそのようなものなのである。従って、あのひとがこう言った、このひとがこう言ったとの伝聞を私は採らないし信じない。論旨を咀嚼し適確に判断するような聞き手や話し手がそこらじゅうに居るとは思われないからである。
 伝聞で思い出したが、貴方はこう言った、ああも言ったと過去の贅言を知己から指弾されることも度々である。そのような時はアドレス帳の項目を「知己」から「頓痴気」に書き直している。余談ながら、この書き直しは二度と覆らない。
 当掲示板での書き込みに限ってだが、極力引用は避けている。活字なら編集者が責を負ってくれるが、ウェブサイトではそうはいかない。管理人とはいい酒を飲みたいのであって、紛争地への共同出兵はお断りしたいものである。従って、引用ではなく自分の言葉に置き換えて書くように努めている。言い換えれば剽窃に汗を流しているわけだが、意地無地の生じないように、念には念を入れているのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月07日 20:01 | 固定ページリンク




一考 | 小咄

 塵芥賞の受賞者と金光さん、玲はるなさんが平井功の詩集を拵えているらしい。先日、せっかくの集まりだったのだが、厨房が忙しくて私ははなしもできなかった。その折り、フライパンを振り回しながら、価値判断を構造主義的に歪曲した小咄を考えていた。

 料理人の腕は包丁で決まる、要するに包丁を研ぐ伎倆がそっくりそのまま調法に反映されるのである。料理に対する知識は調理の現場ではなんの役にも立たない。なぜかと言うに、知識は一貫性や確証性を基礎にするが、料理に用いる材料は変化相が決まっているわけではない。例えば、羅臼の鮭とウトロの鮭、日高の鮭では食感から味わいまでがまったく違う。また、ときしらずのように同じ鮭でも季節によっておもむきを異とする。要するに、じかに材料にあたって味をききわける以外、手立てがないのである。食材の硬さによって、用いる包丁の刃の角度が違ってくる。大工道具ほどではないにせよ、さまざまに研ぎすまされた包丁がどうしても必要になるのである。
 同様に、文筆家の腕は鉛筆で決まるのではないだろうか。足穂が景品の鉛筆を禿びるまで使っていたのはよく知られたはなしである。原稿用紙も名古屋の「作家」へ応募してきた反故の裏面を使っていたと聞く。景品の鉛筆なら納得がいくが、足穂が三菱鉛筆(かつての真崎鉛筆)のユニを愛用していたでははなしがおさまらない。三菱財閥や逓信省御用達といった官製の影がちらちら付きまとう鉛筆でお伽話風のしゃれた幻想譚や「彌勒」のようなアナーキーな私小説など書けようはずがない。
 三菱にとどまらず、トンボであれコーリンであれ、ブランド品でプロレタリア文学は書けないだろうと思うのだが、どなたかゴシップ通の方に、大杉栄や小林多喜二がどこの鉛筆を使っていたのかを調べていただけないだろうか。
 もしも、文筆家の腕が鉛筆で決まるとするならば、パソコンについても同じことが言えないだろうか。マイノリティの文学を語るに際し、ウインドウズで打ち込みましたでは、面を張るか向こう臑を蹴飛ばしたくなる。ウインドウズで文学を語るとなれば、渡辺淳一や村上春樹のようなベストセラー作家に劃られる。これからの時代はさような細かい気配りが必要とされるのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月08日 21:03 | 固定ページリンク




おき | 裏視線

一考様。枯れ木も山の賑わい。涎も受ける砂場がなければなりますまい。

「三菱鉛筆(かつての真崎鉛筆)」とお書きになっているので、
確信犯なのか、何らかの反語表現なのか、わからないのですが、
三菱鉛筆は過去も今もひとときたり、三菱財閥ではありません。
日本における鉛筆のパイオニアでありUNIはユニークの謂い。
逓信省へ納入成功した事が、飛躍の転機というのは事実ですが。
一方でかつて三菱グループ入りの誘いを断った伝説があります。

またPC史を知る者の視線からみればマッキントッシュの方が、よっぽど官僚的ともいえます。
WINDOWS&IBM-PC/ATの世界の方が相当なアナーキーワールドでもあるのです。

パチもん、という言葉があります。
語源を調べるとどうも「こんパチぶる」PCの「パチ」をとってパチもんだそうで。大阪発か?
ところで、現在IBMの現在のPCシェアは芥子粒の如し。ノートはレノポに売り払いました。
要するにパチもんワールドがPC/ATのハードウェアレイヤーの世界の現実の風景なのです。

プロセッサレイヤーでみてみましょう。ん?同じメモリアドレスに複数のアクセス方法がある!
(旧)インテルプロセッサの「論理的汚さ」には、唖然とするやら少々可笑しくなるやらでした。
互換性(俗世)を捨てるかわりに、コマンド体系が断然美しい旧モトローラプロセッサは見事。
大衆の情念を巻き込む政治の世界がPC/AT,理想主義の学者根性がMAC、とも言えます。

ましてOSレイヤーで語るなら、MACもWINDOWSも、安易すぎる「剽窃」でしかない。
そのレベルたるや、五十歩百歩であり、今更目くじらたてて差別化するような差はありません。
真の革命とクリエーションは、パロアルト研の真の天才たちによってなされました。
金余りのXEROXが、それを活かしきれなかったのも歴史の皮肉と言えるのです。

ちなみに味はともかく白龍は9号酵母ではありません。
酵母も味も一定していません。書生的酒でございます。
もしや新潟の白龍酒造との混同をされていないか、と。

料理の包丁の件は全面的に賛成いたします。なかなか研げず、
歯欠けばかりの毎日ですので。



投稿者: おき    日時: 2006年08月09日 01:17 | 固定ページリンク




一考 | 斜視線

 おきさんへ
 ちなみに私はUNI(ユニ)の愛用者で、原稿はいつも鉛筆書きです。だって、消しゴムが使えるのですもの。
 創業者の家紋「三鱗」が先に商標登録されたことや三菱財閥からの誘いを断わったことも存じ上げております。正確には眞崎鉛筆製造所ですね。第一、足穂が「お伽話風のしゃれた幻想譚や「彌勒」のようなアナーキーな私小説」を書いていた頃にはUNIブランドは誕生していません。
 音楽の歴史が楽器の歴史でもあるような、そうした歪曲が文章にも応用できないかなと思ったのです。つまり、小咄です。
 ご指摘のとおり「MACもWINDOWSも五十歩百歩」ですから、マイノリティの文学を語るに際しマックを使えとは書かなかったのです。ウインドウズで動くOS10.4.8やインテルマックで動くXPが平和に共存する時代ですから、なにも言うことはないのです。 ただ、あまりのシェアの高さをちょいと揶揄してみたかったのですが、例題が悪かったようですね。パロアルト研については詰らぬ文献ですが、少し集めて読みました。
 IBMはともかく、「パチもん」のはなしには興味があります。私が子供の頃の福原は縮の七部袖にステテコか股引、それとラメ入りの腹巻きが正装でした。ヤクザからテキ屋、蝦蟇の油売りからバナナの叩き売りに至るまで、いわゆる香具師のスタイルですね。あの股引の朝鮮語がPachiで、当然そこからきたものと思っていたのです。
 関西では「パッチもん」なのでしょうが、バッタ商品もしくは人称代名詞としても用います。「ゴン太」や「ゴンタクレ」の意もあって、広義な意味でのデスペラードですね。ただ、それでははなしが古すぎます。これからは大阪発の「こんパチぶる」でいくとしましょう。

 白龍が香露酵母でないことも、メールがあってすぐ分かったのですが捨て置きました、済みません。新潟の白龍酒造と間違えてはいません。黒龍の純米大吟醸が香露酵母だったと記憶するのですが、こちらも確認はしていません。そして白龍の生貯蔵酒の香りが黒龍の吟醸酒とよく似ていたものですから、早とちりしたようですね。
 昔は七号、九号、十一号、十二号位しかなかったのですが、義侠酵母にはじまって、いまでは数百種類の吟醸酵母があります。もっとも国税庁には数千種類あるそうで、その内の数種類は飲ませていただきました。ただ、昨今は純米吟醸酒にはまったく興味をなくしました。興味をなくしたのはいいのですが、吉田酒造にご迷惑をお掛けしたのであれば、謝罪しなければなりません。
 以上、取り敢えず。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 05:45 | 固定ページリンク




一考 | DNSサービス

おきさんへ
ところで、so-netから北品川通信なるメールあり。

ドメインの初期登録料 3,990円
同じく年額基本料 3,990円

ドメイン管理(DNS)サービス 月額525円

プラスドメインメールアドレスサービス
1アドレスにつき月額315円

と書かれていました。「ひやあーっ」でございます。
安く済みましたことに感謝。モルト・ウィスキーを一杯おごりますよ。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 06:09 | 固定ページリンク




一考 | なまづ

 moonさんへ
 お誉めにあずかり恐縮。
 神戸の季村敏夫さんからのご依頼で、「なまづ」というミニコミ誌に連載をはじめます。お題は神戸の古本屋ですが、ご指名があって、黒木書店と俳文堂だそうです。ともに書くことはいくらでもあるのですが、旨く書けますかどうか、例によってまったく自信がないのです。
 神戸の出版史を語るに俳文堂は欠かせません。また、江戸俳諧の今日を作ったのは神戸の古本屋と出版社です。大正末期から昭和にかけてが神戸の出版の全盛期だったと思うのです。
 ミニコミ誌ですから余部はないと思いますが、そちらへはお送り致します。ご笑覧いただければ幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 06:46 | 固定ページリンク




moon | (無題)


「なまづ」をお送り下さるとの事、ありがとうございます。
 ただ、鯰料理なら兎も角、貴兄の書かれた文のみ拝読出来れば嬉しい
ので、態々送っていただかなくても此方か彼方へアップして戴ければ幸
甚に存じます。俳文堂さんとは殆どお付き合いがなかったのですが、黒
木さんと貴兄との話は面白いのがありそうですね。楽しみにしておりま
す。



投稿者: moon    日時: 2006年08月09日 11:26 | 固定ページリンク




おき | ぱちの探求。

一孝様。
含みのある論評を為されている通り、ぱちもん=コンパチPCというのは俗説・都市伝説の類です。
なぜならIBM-PC/ATとそのコンパチ機の誕生以前からこの言葉は使われていたのですから、
「足穂の三菱鉛筆」同様、歴史の遠近をねじまげた小噺の装飾子に過ぎません。

「ぱちる」=「取る・盗む」の表現がもとより関西地方にあるとの説がもっとも真面目な語源説ですが、
こういう時にこそ覗いてみたい権威の力、広辞苑・平凡社大百科辞典・大辞林等々、
錚々たる辞書には、残念なら項目設定はもとより、文章表現としても一切見いだされません。
権威と優雅と標準を重んじる観点からは、言葉自身の存在を無視されるような俗語なのです。
その中で唯一、項目掲載をし、怪気炎を吐いているのが「通信用語の基礎知識 電算用語 技術俗語篇」。
以下、引用します

 「パチる」分類:コンピュータ>用語・俗語>技術>技術スラング
  ◇近畿以西の方言で”取る”の意。類義語に”ペチる”がある。いわゆる関西弁の一。
  ◇プログラミングの世界では、例えばLinuxで他のディストリビューションで使っているパッチを
   必要に応じて「パチってくる」という言い方をする。
  ◇受注が途絶える二八(にっぱち)にベンチャー経営者が陥りがちな精神状態。
    やけっぱちな状態を指す。

腹巻きのラメ刺繍とは、全く違う文脈で、Patchが語源となるジャーゴンもあるようです。
また、3つめは、当然、即興で拵えた親父ギャグでございます。



投稿者: おき    日時: 2006年08月09日 14:45 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 暇なのでいろいろと

一考さま。
ご無沙汰してをります。いつも拝読してをります。
横から差出がましい書込みをいたすやうで、お許しを願ひます。
「ぱち」について、私は「パッチ」=股引は知つてゐましたが、あとの言葉は知りませんでした。暇にまかせて、日本国語大辞典第二版を眺めてゐましたら、以下の項目にぶつかりました。これと関係のあることなのでせうか。ご教示を賜りたく。

「ぱち」=1「嘘、虚言」2「偽物」
「ぱちもの」=「時計・指輪など、金銀の細工物の贋物をいう、てきや仲間の隠語」〈「隠語輯覧」1915〉

なほ、「パッチ」の項目には「朝鮮語のba-jiから」として「股引のこと。関西では木綿・絹製ともにいうが、江戸では絹物類のみをいう」として十七世紀後半の例から載つてゐます。
「語誌」として以下の説明がありました。
「1 朝鮮語ba-jiは(イ)男性がはくズボン状の服(ロ)女性がt∫i-ma(スカート)の下にはく下着をさす。
 2 十八世紀頃には日本語として定着していたようで、京阪では、股脚の長い物ほ「パッチ」といい、旅行用の短い物を「股引」といった。江戸では宝暦(1751-61)の頃から流行し始め、木綿製を「股引」、縮緬・絹製を「パッチ」と読んで区別した」

熟語として「パッチを穿く」があり、
「1 軍隊で上官から叱られる意にいう」として「真空地帯」の例が載つてゐますが、興味深いのは2と3と4でせうか。
「2 (わらじをはく」の言い換えか)逃げる意の、盗人・やくざ仲間の隠語」
「3 (「下駄をはく」の言い換え)中間にたって値段を上げ利益をとる。うわまえをはねる」
「4 他人の作品を無断で翻案製作する意の、映画界の隠語」



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年08月09日 16:05 | 固定ページリンク




一考 | サルマタ文化

高遠弘美様
 ヤシ、香具師、テキ屋関係の書冊を調べてみましたが、なにも出てきません。おそらく、どなたもが最初に購入するであろう添田知道の「香具師の生活」から山崎美成、小峰大羽、宮武外骨、正岡容、前田勇の著書、地方で刷られたテキ屋の教本に至るまで、「ぱち」についての記述は見当たりませんでした。
 拙宅の貧しい蔵書のなかでは東京堂の「隠語辞典」に、

「ぱち」=1「にせ物、まやかし物」2「詐欺的な行為」
「ぱちもの」=「耳」〈盗人の用語〉
「ぱちもの」=「時計・指輪などの贋物」〈香具師の用語〉

とあるだけです。
 「京阪では、股脚の長い物を『パッチ』といい、旅行用の短い物を『股引』といった」そうですが、異なる辞書では「地域によってはすべてパッチとも言う」と記載されていました。記述に異議なく、神戸では股引との言葉はあまり使いません。ことごとくがパッチで、防寒用の股引はラクダのパッチと言います。大阪の友人にも聞きましたが、やはりパッチだろうとのことでした。念の為に書き添えますが、このパッチにはステテコの意も含まれ、と言うよりはパッチとステテコとは同義語になります。
 一所懸命をひっしのパッチ、くすねること、ちょろまかすことをパチると言いますし、イワシやイカナゴを獲る引網は朝鮮のパジに形体が似ているところから、瀬戸内ではパッチ網と呼ばれています。
 「斜視線」で「ステテコか股引」と書きましたが、上が縮の七部袖なら下はステテコ、すなわちパッチに決まっています。「正装」と書いたのも、町内ではその恰好で床几に座って将棋を指したり西瓜を食ったり、また福原界隈でもっとも大きな商店街は新開地(淀川長治の生地)でしたが、大通りを闊歩するときも、映画を観に行くときも、ショッピングのときも、大旨そのスタイルでした。
 長距離列車ではズボンを脱ぎステテコ姿で弁当とお茶、みなさん寛いでいました。女性のあっぱっぱと共に、いま流行りのクールビズの先取りです。オフィススペースを涼しく快適におくるために最適の服装であり、洒落者はミントやラベンダーなどの香りを焚きこめれば「ケッコウ毛ダラケ猫灰ダラケ、見アゲタモノダヨ屋根屋ノステテコ」となるはずです。
 江戸時代の男は夏場はほとんど裸体に近い状態で、それを見かねた明治政府が最初に考案した洋装ではなかったかとも思われるのですが、信ずべき根拠はなにもありません。

 ご指摘の「あとの言葉」ですが、関西での「もん」は「もの」が訛ったもので、物と者双方の意味が含まれます。「やくざもん」「ならずもん」「ええもん」「わるもん」のように、私のようなちゃらんぽらんな性格を指して「パッチもん」と言っていました。当時の友人は然るべき組織の会長、総長、組長になってしまったので、「パッチもん」の語法の当否を直接電話で聞くわけにはいきませんが、あれは福原だけの、もしくはわれわれ仲間内だけの用法だったのかもしれません。
 ご指摘の、熟語として「パッチを穿く」には興味を抱かされました。
 「真空地帯」は未確認ですが、パッチが一般に普及するのは風呂同様、軍隊だったと言われています。濡れたパッチで兵卒をしばく(たたく、ぶつの意)はなしを父から聞かされたことがあります。「2(わらじをはく」の言い換えか)逃げる意の、盗人・やくざ仲間の隠語」は存じ上げませんが、他の二項目は前述の「パチる」の活用変化形のひとつと思われます。
 お答えにはなっていませんが、この辺りでご勘弁を。サルマタ文化(地域によってはサルマタイまたはサルマートとも言う)に関してはお話しする用意がいくらでもございます。例えば、紀元前五世紀から後四世紀末にかけて黒海から中央アジア草原地帯で花開いたサルマタ文化を担った遊牧民が、甲冑や鉄製鎖帷子の下に履いていたのがパッチの原型。一時期はドナウ川を越えてローマ帝国領内に進出するも、やがてゲルマン系のゴート族に押され、四世紀末には、アジアから西進してきたフン族に征服される。このフン族の王アッティラが自ら滅ぼした民族を偲んでパッチをサルマタと改名、以降サルマタもしくはサルマータ文化との言葉が定着し、ものとしてのサルマタは中国を経て日本に伝えられた。
 というのが、福原大學でスキタイに関する歴史の講義で学んだ内容なのですが、これを信じると顰蹙を買うそうです。掲示板ではなく酒席が相応しいように拝察致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月12日 18:53 | 固定ページリンク




高遠弘美 | サルマタイとはこれ実に愉快なり(明治の頃の日記などに出て来る言ひ方の下手な真似です)

一考さま。
 さすが博学多識の一考さんのご教示、すこぶる興味深く拝読しました。サルマタイその他の福原大学の歴史学講座も大笑ひして拝見。一本も二本もとられた感じです。ありがたうございました。実は前回はあへて書かなかつたのですが、「ぱち」ならぬ「ばち」には以下の説明がありました。これまたまつたく知らなかつたので、ふむふむと読んだだけでしたが。
 説明のあとに、地方別の別表現が書かれてゐます。地方名を抜いて引用します。前回と同じく日本国語大辞典第二版です。
「ばち」(方言)
1 女をいう卑語。ばじ・ばじっこ。ばちこ。ばっち。ばっくす。
2 女の子。ばっち。
3 下女。
4 相手を罵っていう語。
5 はんてん。
6 魚、めばち。
7 魚、かながしら。
8 貝、赤貝。

 これとは別項目で「ばち」があり、それは「イトメが成熟して、泥底から抜け出し、海面に浮上群泳している時期の称」と説明がありました。

なほ、日本国語大辞典では
「ばちもの」の項に、
「耳をいう。盗人仲間の隠語」とありました。東京堂の隠語辞典とは「ば」か「ぱ」かの違ひはあるやうですが、この手の言葉はさういふところが曖昧なのだと思はれます。

 また同辞典によれば、「すててこ」は江戸からある囃子ことば「ああすててこすててこすててこてんてこてんとんとん」が元で、すててこ踊りで一世を風靡した三遊亭円遊が穿いて踊つたところから、仰せの「正装」クールビズの「すててこ」となつたさうで、例文として畑山博「いつか汽笛を鳴らして」から

「頭のはげあがったステテコ一枚の男とアッパッパを着た女は夫婦者だろう」

が引かれてゐますが、奇しくも「アッパッパ」と併記されているところが面白いと思ひました。わたくしの子供の頃も、夏になると母親が家着としてアッパッパを着てゐたことを思ひ出しました。

最後に、追記として。
たまたまけふ読んでゐた明治の頃の日記に「円遊来りて沢山落語をなし、一時頃帰る。料理は偕楽園なり」といふ記述があつただけに、ご教示からいろいろ連想が広がり、愉しい宵をすごしました。御礼申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年08月12日 20:05 | 固定ページリンク




一考 | 知己もいろいろ

 大風呂敷製造販売商店のCEOなればこそ、駄法螺を吹くのが唯一の芸。得意とするすててこ踊りは吉原に限らず、福原の幇間のあいだでも盛んに踊られていました。
 過日、「沙の上のラブレター」にて「頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである」と書きました。
 「洗練された理解者」のおかげを持って、こちらこそ愉しい宵を過ごさせていただきました。感謝致します。

 そのようなはなしの後に続けることではないのですが、九日の集いが引けてから店内で喧嘩があり、オープン以来の六年間で最悪の不快感を抱かされました。貴方や宇野さんが帰られた後だったのがせめてもの救いでした。
 打ちつづく警察沙汰に嫌気がさしての上京だったのですが、実体は東京も同じでございました。常連客でなければ張り倒すのですが、逆に客であることを担保に取っての狼藉、鄙劣きわまりない立ち居振る舞いに呆れ返りました。いづこにも品のない馬鹿がいるもので、当分のあいだ、店を閉めようかとまで思い詰めております。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月13日 20:21 | 固定ページリンク




一考 | ラ・ミシオン・シャルドネ

 先日、宇野邦一さんからサンセールの注文を受けたのだが、ギィ・サジェのサンセールを私は飲んでいない。要は味見もせずに店に置いているのである。モルト・ウィスキーはすべて確認しているが、ワインには一部未確認のものもある。旨いかと問われれば、正直に飲んでいないと言うしかない。
 それではおいしいワインを、とご注文なさったので、ピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリのラ・ミシオン・シャルドネを抜栓した。チリワインだが、2004年以降に飲んだシャルドネ種ではもっとも旨かった。
 
 「ル・クラスマン」でフランソワ・ラヴノーと共に三つ星評価を受けたウィリアム・フェーヴルのシャブリはコスト・パフォーマンスが高い。二千円を切る安価でボトリングしているが、高級品ほどフィニッシュの酸味が生かされてくる。シャブリにうるさいひとには、1erのボーロワやレ・リスのヴィンテージものがお薦めである。
 そのウィリアム・フェーヴルやチリのピノ家等々が創設したジョイント・ベンチャーがピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリである。ブテック ワイナリーなので、生産量は限られている。現在出回っているラ・ミシオン・シャルドネは2005年のヴィンテージだが、五~六年寝かせれば柔らかな酸味が加味され、果実味が豊かな味幅のあるワインになると思う。しかし、そのゆとりは現在のですぺらにはない。
 詳しくは下記を。
 http://item.rakuten.co.jp/miyakata/10000585/



投稿者: 一考    日時: 2006年08月13日 20:23 | 固定ページリンク




一考 | コノ・スル・オーガニック

 こちらで酒について書きます。前項が白ワインだったので、今回は赤の紹介です。
 チリの葡萄畑はサンチャゴ周辺の北からアコンカグア、マイポ、ラペル、マウレなどの川の流域に拡がっている。そのマイポ・ヴァレーにチリ最大のワイナリー、コンチャ・イ・トロ社がある。コンチャ・イ・トロのシャルドネ種はシュルリー製法で造られる。スモーキーな香りとふくらみのある辛口が特徴で、ピスケルト社のラ・ホヤ・シャルドネやピーニャ・サンタ・モニカ社のティエッラ・デ・ソル・シャルドネと共によく識られたワインである。
 ピーニャ・コノ・スル社はそのコンチャ・イ・トロ社の傘下で、ラペル・ヴァレーのチンバロンゴに100年以上続く単一畑を所有するワイナリー。カベルネ・ソーヴィニョン、メルロ、ピノ・ノワール、シャルドネの四種とリザーヴを三種、それと20バレルと名付けた高級品をボトリングしている。ちなみに、ピノ・ノワールとシャルドネはカサブランカ地区で栽培されている。
 インポーターとしてもっとも信頼できる和泉屋のヒット商品の一つで、 コストパフォーマンスの高いワインです。
 そのコノ・スルからオーガニックワインが発売されています。他のラインナップとは赴きの異なる自転車のラベルで、店でも八本ほど販売致しました。
 葡萄種は有機栽培のカベルネソーヴィニョンとカルミネーレ。ダークチェリー、ラズベリー、ストロベリーなどの果実香のほか、フレンチオーク樽に由来する煙草やヴァニラのキャラクターが特徴。豊富なタンニンと酸味を持つフルボディですが、千円のワインでこれだけの味はまず無いと思います。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月14日 00:49 | 固定ページリンク




一考 | 志乃田について

 おきさんへ
 「ぱちる」ではないのですが、「しのだ」もそこいらの権威ある辞書には記載がなく、悔しい思いをさせられています。
 神戸ではきつねうどんを「しのだ」と言います。語源は大阪泉北の信太の森ですから、閉じれば「信太」もしくは「信田」か「篠田」なのでしょうが、通常は「志乃田」と著します。地名を料理名に取り込むときは昔から洒落て違う漢字を宛てます。信太の森は浄瑠璃や歌舞伎で有名ですから、そちらについては触れません。プライベートなことに終始したいと思います。
 神戸の湊川市場の北端に旧丸新市場(東山商店街)があり、その市場に隣接して満州からの引き揚げ者が雑多な商店を営んでいました。果物屋、電気屋、服屋、寿司屋、饂飩屋、串カツ屋、お好み焼き屋、おもちゃ屋等々ですが、服屋とは申せ、先日来触れている腹巻き、ステテコ、アッパッパ、加えるに作業着と麦わら帽子のようなものしか置いていません。商品を需要のあるものに限定すれば、そのような結果になるわけです。
 父と同じ部隊にいたひとが数人含まれていて、饂飩屋と串カツ屋にはよく行きました。串カツ屋については当掲示板で書いた記憶があるので、饂飩屋について書きます。
 その店に限らず、福原の饂飩屋さんもそうだったのですが、あの頃はどこともがご飯を置いていました。かやく飯、おいなりさん、穴子の箱寿司、玉子巻き、太巻き、簡略な握り鮨の類いです。
 かやく飯は炊き込みご飯のことですが、他にかやく丼やかやくうどんがあって、漢字には「加薬」を当てました。この「かやく」に関しても辞書の語釈はほとんどが間違えています。「かやく」は「あしらい」とは違うので、必ずしも料理の副材料ではないし、植物性の食品にも限定されません。「すきやきの牛肉に配するネギ、こんにゃく、豆腐など、ちりでは魚に配するハクサイや豆腐などをさす」とよく書かれていますが、料理人のあいだではより広義に解釈されています。
 そのかやく、すなわち具材は店によって異なります。また炊き込むときの出汁の取り方も異なります。老舗の寿司屋では昆布と鰹で出汁を取りますが、饂飩屋は熬り子(いりこ)と雑節で出汁を取ります。煮干を「熬り子」と言うのも関西特有です。雑節は水からでないとだし汁が濁るので、熬り子の方もワタをきれいに除去します。そうしないと苦みが勝ってしまいます。掃除した熬り子を用いれば甘味が加わるので、仕上げの味醂の量を減らすことが可能になります。
 「おいなりさん」は稲荷寿司もしくは信田寿司のことですが、酢飯に限らず、かやく飯を詰める方が多いようです。ただし、その場合はかやく飯に少量の酢を振りかけます。
 江戸での握り鮨の誕生は文政年間ですから、九州や瀬戸内と比してかなり遅かったと思われます(この発言は料理人や漁師からの伝聞で、確認はしていません)。それまでは江戸では「笹巻き鮓」が一般的でした。将軍にも献上されたという「松が鮨」の秘伝は「玉子巻き」です。でんぶやかんぴょうなどの具材をご飯で巻き、それをさらに薄焼き玉子で巻いたものです。しかし、私が言う「玉子巻き」は「松が鮨」の「玉子巻き」の簡略版で、中村真一郎さんのいう「アプレゲール・クレアトリス」の産物かと思います。白味魚などを練り込んだ厚焼き玉子で巻いた寿司で、一種の飾り寿司と言えます。
 最後に穴子の箱寿司です。明石には大善、下村、林喜商店等々、焼き穴子の専門店があります。下村は神戸の三ノ宮で穴子料理の専門店を営んでいますし、明石にも山城があって、穴子の棒寿司や押し寿司で識られる菊水鮓もあります。ただ、東京の著名な泥鰌屋が中国産の泥鰌を使っているように、明石の穴子屋も中国産活け締めの穴子を使っています。鰻同様、板前がその場でさばいて調理した前物の味は滅多なことで味わえなくなってしまいました。
 関西にも蒸し穴子や白焼きの穴子があるのですが、大半は蒸さずに焼く焼き穴子です。焼き穴子とコップ酒を両手に持って、明石の街を散策するのが種村季弘さんの得意とするところでした。関東の蒸し穴子にはない香ばしさが身上で、ものが固いだけに歩きながら食することができました。
 さて、その固い穴子の箱寿司です。棒寿司には蒸し穴子を使いますが、箱寿司もしくは押し寿司には焼き穴子を使います。そちらで有名なのは神戸元町の青辰です。薫子さんは青辰の穴子寿司がことのほかお気に入りです。その青辰の穴子を極度に薄くしたのが引き揚げ者風穴子の箱寿司でした。世の中に旨いものはいくらでもあります、しかし、私はあの薄さに執心しているのです。日本が独立し、朝鮮戦争が終わったあとも、路地裏にはそこかしこに戦後の残照が息づいていました。なにかしら捨て鉢な、そして妙な活気に晒されながら、あの日あの時、しのだと三切れの穴子の箱寿司を前に、私は至福を味わったのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 03:36 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限

ひろさんと櫻井さんへ
「のちのおもひに」さんと「red fox」さんのところで書き込んだのですが、Firefox 1.5.0.6なら、おうがい、ひゃっけん、さとみとん、が表記されます。小生の原稿もほとんどが大丈夫です。こちらでも調べますが、ユニコードに対応しているのかどうか、ご教示いただければ幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 05:18 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限2

moonさんへ
大事なことなので、こちらで書き込みます。
Internet Explorerと違って、Firefoxが第四水準までは多分網羅されているヒラギノフォントに対応しているのは分かりました。おうがい、ひゃっけん、さとみとん、さばと、をはじめ、フランス語のアクサン記号も問題なく表記できます。
しかし、別の問題が生じました。OS.9で拵えた文章は数種類のフォントを使っています。従って、OS.10.2.8のヒラギノへは変換不能です。先程からいろいろ試しているのですが、一文字、一文字拾っていかなければなりません。最初からOS.10で書き込まなければ駄目なようです。もう少し模索してみますが、難儀ですねえ。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 06:27 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限3

moonさんへ
Firefoxの書き込みに対していくつかのメールをいただいたので、再度こちらで書き込みます。
Firefox 1.5.0.5は未対応です。最終ヴァージョンとなったMozilla 1.2.1以降のもの、すなわち1.3.1の三種類も試してみましたが、まったく駄目です。もっかのところ、対応しているのはFirefox 1.5.0.6のみのようです。

私はワープロソフトのファイルとしてはMacWORD4.0とExcel9.0.5とWord9.0.5、テキストエディターのファイルとしてはLightWayText4.0.2を使っています。店のカタログはリュウミンライト-KLなので、第三水準以降の漢字は避けています。通常の文章の場合はヒラギノ明朝、Kandata、Mojikyoの混載で、日本語のフォントは132書体がシステムに入っています。
混載の欠点は他のメディアへコピーしたときに、フォントの指定が勝手に外れてしまうことです。某俳人へ送った手紙のコピーが文字化けし、なにを書いたのかが思い出せない、という笑うに笑えないはなしが頻繁に起こります。
サーバーのユーザー領域は未使用のものがたくさんあります。従って、PDFファイルを画像ファイルに変換して添附するのに問題はありません。画像として扱うと内容を文字検索出来なくなりますが、検索できようができまいが、ひとさまに読んでいただくようなものは書いていませんので、どうでもよいのです。

「それらテキストファイルをソフトを使って一つのファイルに統合し、特殊な文字を一文字ずつ記号(例えば*1、*2、*3...のように)に一括置換し、それをOS-X上でユニコード漢字に再度一括置換すると言う手作業になるのでしょうね。確かに難儀だと思います」
ご指摘の通りです。ですからOS.10へ移行できずにいるのです。拙文よりも、酒の解説の類いが勿体ないのですが。

KandataやMojikyoで書いた第三水準以降の漢字はFirefoxでも文字化けします。と言うことは、Firefoxはオープンフォントにのみ対応していると思われます。
昨夜、管理人両名をはじめみなさんが加わり、Firefoxのはなしで持ち切きりでした。結論は、Firefoxがオープンソースなので、誰ぞこころあるひとが手を加えたに違いないということです。ウインドウズの場合はインデザインに添付されているヒラギノをインストールすれば、対応可能だそうです。従って、一般的ではありませんね。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月16日 21:18 | 固定ページリンク




一考 | 黒木書店

 銀花88号で神戸について書いた記憶があったのですが、その一部分に黒木書店に触れての文章がありました。薫子さんが打ち込んでくださったので、ここへ転載しておきます。

 「海港詩人倶楽部」に代表される神戸のモダニズム文学を語ろうとすると、元町の黒木書店の親父の顔が目に浮かぶ。もっとも、黒木正男さんの風□をもって当世風とはいえない。長い眉の下、狷介なまなざしは常に正面上方に据えられ、口は真一文字に結ばれている。いわば古武士の趣があり、石川淳に極めて似ているのである。この親父、単なる古本屋の店主と思って油断するとひどい竹篦返しを喰らう。棚に並べられた書冊はすべて親父の目をくぐったものと思って間違いない。何故なら、自らが評価に価しないと信じた作家の本は、たとえ売れ筋のものであっても断じて店には置かないからである。真一文字の唇と著したが、その状態ではなんら問題はない。しかし、その口がひらかれる時は要注意である。毒舌が飛び交い、客が店から追い出される予告に違いないからだ。そういう現場を私は何度も目にしてきた。従って、この店でコーヒーを振舞われるのは容易ではない。その大事の最中に、ゆくりなくも私は学校では教わらないことを多く学んだ。
 十一谷義三郎は元町のヴィスコンティであり、稲垣足穂は子午線の天文館館長、竹中郁はドテ(新開地のこと)の手品師、増田篤夫は平野のアストラカン、西東三鬼は、トア・ロードのホテルマンetc……中学生だった私を相手に、黒木さんは本読みの楽しみと愁いを、過不足なく教えて下さった。実に、私は黒木さんの謀に乗せられて書物の世界に迷い込んだのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月16日 21:29 | 固定ページリンク




内山勝司 | すっかりご無沙汰しています。 チリのコノスルは美味しかった

一考さんの赤ワインの紹介記事の中の「豊富なタンニンと酸味を持つフルボ
ディ……」という言葉に引かれて、さっそく和泉屋さんに赤2本と白1本を16日に
注文し、17日の夜に到着。17日・18日で「コノスル」のオーガニックはなくなり
ました。農夫たちが、畑に通う自転車のかわいいラベル、味・香り、そして驚き
の価格(¥1000)。(一考さんの名誉のために言いますと、私はかつて一度も一
考さんにだまされたことはありませんが……)だまされたと思って飲んでみて良
かった。一考さんこのワインは、(東京や千葉の)他の酒屋(やワイン専門店)
でも置いてあるものですか?



投稿者: 内山勝司    日時: 2006年08月19日 07:04 | 固定ページリンク




一考 | でんすけすいか

本日、比呂さん主宰の納涼企画・高級スイカ宴会です。
飲み代は個別会計ですが、デンスケスイカ代がお一人様1000円かかるそうです。
デンスケスイカは明石で何度も食していますし、北海道へ行くたびに購入しています。
国道5号と道道66号の交差点に二セコビュープラザという道の駅があって、そこにニセコヌプリホルスタインズミルク工房の売店があります。
後で水が欲しくなるアイスクリームが多いのですが、ニセコヌプリのアイスクリームは後味がすっきりしています。乳化剤を用いないのでミルクシャーベットのような味わいです。
北海道には有名なアイスクリームがいくらでもあるのですが、私はニセコヌプリのファンです。
その売店でデンスケスイカを教わったものですから、ニセコの特産だと勝手に思いこんでいたのですが、当麻町が商標登録していました。
どこの特産であろうと旨いものは旨い、デンスケスイカをご存じない方はぜひご参加下さい。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月19日 09:36 | 固定ページリンク




一考 | 販売店

 内山勝司さんへ
 お久しぶりです。置いてあるところにはあって、置いてないところにはない、としか言いようがないのですが、コノ・スル・オーガニックとラ・ミシオン・シャルドネは共に安売りチェーン店のBIGでも取り扱っています。先ほど電話で確認しましたが、ミシオンは数量が少ないので、常備というわけにはいかないとのことでした。
 単価の安い酒は当然儲けも少ないので、高級酒店や専門店は置くのを避けるようです。インポーターから直接購入するのが間違いないようです。
 ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません。業務店でもっとも困るのはその確率の低さです。神戸では日本酒と焼酎それと洋酒の二店は先代からのお付き合いで信頼できる店と親しくさせていただきました。しかし、東京では目白の田中屋さんを除いて、いまだに信頼できる店とは巡り会っていないのです。

 今朝の書き込みは寝惚けていたので、間違っていました。ニセコビュープラザのアイスクリームも美味しいのですが、私が驚かされたのはソフトクリームです。北海道で何十種類ものソフトクリームを食べましたが、一番はニセコビュープラザのそれでした。アイスクリームは送付可能ですが、ソフトクリームは現地でしか食べられません。ニセコ方面へ行かれた方はぜひお立ち寄り下さい。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月19日 18:56 | 固定ページリンク




内山勝司 | 一考さんへ

おはようございます、内山です。
色々とご丁寧に、ご教示ありがとうございます。今後の参考にさせて頂きます。

なお、書き込みの中にある「……ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本
買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません」。
その確率の低さ(=その分、試す勇気や根気)に驚くとともに、改めて、お酒の
奥の深さを感じております。



投稿者: 内山勝司    日時: 2006年08月21日 06:36 | 固定ページリンク




一考 | 白ワインいろいろ

 ローマを州都とするラツィオ州のDOCワインではエスト・エスト・エストとフラスカーティが有名である。そのエスト・エスト・エストを飲むならイタロ・マツィオッティ社のディ・モンテフィアスコーネが秀逸である。私が飲んだものは十六種類だが、わが国に入荷されたものは二十種類を超えると聞く。要するに全部を飲んだわけではないので大きなことは言えないが。
 エスト・エスト・エストは酸味を大きな特徴とする。しかし、いくら酸味が売りのワインと言えども、酸っぱいだけで、香りに奥行きがなければ興醒めである。酸味は塩味(鹹味)、甘味、苦味と共に四原味を構成する基本的な味のひとつである。その四原味を支え補助するのが香味、辛味、渋味、えぐ味、うま味、収斂味、清涼味、滑転味、アルカリ味、金属味などだが、この内の香味だけは嗅覚の領域に属する。ワインの香りの種類と表現法についてはかつて掲示板で書いたので、ここでは繰り返さない。
 アルコール飲料にあって、「うまい」「まずい」の判断の九割が香りで決まる。残る一割の九分を四原味が占め、よく言われる辛味や渋味は一分に過ぎないと私は思っている。その比率はウィスキーもワインも同じである。
 従って、飲むまでもなく匂いを嗅ぐだけで九割方は判断できると思う。判断の対象はボディやキャラクターにとどまらず、フィニッシュにまで及ぶ。ウィスキーの場合は熟成樽の種類からカスク・コンディションまで、大略を予測することが可能である。
 エスト・エスト・エストはムスカデやシャブリ同様、「安くてマズイ」とのイメージが強い。それら比較的安価で飲めるワインこそ、多少の金数を無理していただきたいと思う。こんなことを書くのも、イタロ・マツィオッティ以外のエスト・エスト・エストを飲んでワインへのイメージを落とすぐらいなら私は水を飲んで我慢するのである。
 シャブリもここでは繰り返さない。ムスカデに関してはルイ・メテロのムスカデ・セーヴル・エ・メーヌ・シュル・リーがお薦めである。ルイ・メテロのムスカデには1995年8月29日収穫の葡萄から造った長期熟成のプルミエ・ジュールがあり、そちらは三千円を超えるが、前者なら二千円で購入できる。イタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら千八百円ぐらいで手に入るはずである。二千円のワインをホテルやレストランで飲むとなると八千円を超す値段になる。プルミエ・ジュールを私は神戸のホテルで飲んだが、一万五千円に税サが加えられた。ただし、95年のイタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら一万円の出費も惜しくはない、それほどに美味なワインである。
 赤ワインに限らず、白ワインや日本酒にも熟成が必要なことは何度も書いてきた。前期プルミエ・ジュールほどではないにせよ、樽熟が十分になされたワインにスペインの北西、大西洋に面したリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスがある。98年以降は熟成期間が短くなったと聞くが、リースリングに似たアルバリーニョ種から産出されるだけあって、柑橘系の厚い酸味と凝縮した果実味のバランスが心地よい。年初に03年ものを飲んだが、味の基本はしっかり守られていた。ちなみに、同ワインの96年ものは、添加剤の入らないボトルが間違えて輸入されている。神戸の酒屋でそれとヴィッキオマッジオのリパ・デッレ・モンドーレ(こちらは赤ワイン)をですぺら赤坂のオープニング用に十ケースずつ購入、雀躍りしたものである。
 上述したワインの一部は以下のサイトでも紹介されている。信頼できる書き込みである。
 http://www.atelier-v.jp/column.html



投稿者: 一考    日時: 2006年08月21日 10:33 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション

 朝鮮支配と台湾の植民地化を目的とした1894年の日清戦争、翌1895年の閔妃殺害、韓国に乙巳保護条約を、中国に対華二十一箇条要求をつきつけた1904年の日露戦争、1919年の三・一独立運動の圧殺、1931年の柳条湖事件にはじまる満州侵略、1935年からの華北侵略、1937年の日中全面戦争、それら侵略戦争の結果としての真珠湾攻撃が1941年、日本の敗戦までの70年間にわたる軍事侵略や武断統治を引っくるめて自存自衛の闘いであったというならば笑止としか応えようがない。
 東アジアから東南アジア、太平洋地域一帯に対して行われた日本の軍事行動は米軍によって順次打破されていったが、私たちはアメリカ一国と闘ったのではない。いみじくも、日本の指導者層はさきの戦争を大東亜戦争と呼称した。文字通り、1874年の征韓外交から70年つづいた朝鮮侵犯と1931年の満州事変にはじまる日中十五年戦争の延長線上に太平洋戦争がある。総じて大東亜戦争と呼称してなんら問題は生じない。
 アジア諸民族の独立を促したとの異論もあるが、帝国主義の植民地体制を打破する重要な契機となったのは占領地域の民衆が抗日のための民族的な統一戦線を結成、武装抵抗を行ったところにあるのであって、日本は「帝国主義的植民地体制」の元締だったのである。
 ちょいと書き連ねてみたが、歴史というのは不思議なもので、項目の選択によっていかようにでも改竄できる。そこが文学と異なるところで、歴史にあっては選択が立場の闡明たりうるのである。だからこそ、中国には中国の、韓国には韓国の、日本には日本の歴史があるのであって、ある側面から眺めるにすべての歴史は正しいとも言える。言い換えれば、歴史とは作為的なものであって、無作為な歴史などというものは存在しない。いっそ歴史には真実がないと言った方が正鵠に当たるのかもしれない。

 天孫民族による世界統治こそ神聖至上なりとする八紘一宇の思想はあったものの、ドイツのナチ党やイタリアのファシスタ党に相応するファシズムは日本にはなかった。にもかかわらず、当時の指導者層は戦争を避けられなかった。国民の選民意識をマスコミが煽り、そのマスコミを国民がさらに煽る、そうした民意に突き上げられるかたちで富国強兵が加速され、戦争へ深入りして行ったのではなかったか、私はそのように解釈している。
 民衆が愚かであるかどうかとの設問の度に繰り返される事例がある。1905年のポーツマス講和条約の内容に国民(東京市民)が激怒し、小村寿太郎は飛礫をもって迎えられた。一方、1933年に国際連盟を退席した松岡洋右は「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、凱旋将軍のような歓迎を受けた。
 1899年末には発行部数が東京の新聞中第1位に達していた萬朝報は日露戦争開戦の折、非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、大きく発行部数を落とす。やがて、黒岩涙香が主戦論に転じるに及んで非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に社業は傾き凋落の一途を辿ることになる。いかに大新聞といえども、開戦を唱和する民衆の前では形無しになる。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 10:32 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション2

 食うや食わずの状況を一歩でも抜け出るとひとは慢心する。そこにいささかの閉塞感が香辛料として加味されると、ひとは他愛なくナショナリズムに陥る。ナショナリズムは鼻閉塞、要ははなづまりがもたらす高鼾のようなものだと思っている。傍迷惑だが、本人は意外と気付いていないのである。「親兄弟が闘っているのに勝てと願うのは自然な思いであった」と大佛次郎が発言しているが、かように無批判な情動こそがナショナリズムを生む元肥となる。
 エモーションが元肥なら、集団生活の最小単位である家族が苗床となる。掲示板で常に書き継いできたことだが、わが子に限って、わが親に限って、わが家族に限ってとの一随な意識が、おらが村、おらが地域、おらが民族、おらが国、おらが宗教へと拡大深化して行くのは易い。そして家族愛は視線の移動を著しく難しくする。「視線の移動」を想像力に、気配りに、価値観や歴史観の相互嵌入に置き換えていただきたい。念のために申し添えるが、家族愛をやみくもに否定しているのではない、家族愛を掘り下げてゆくとそこにはとんでもない危険性、すなわち家族主義が横たわっている、それを示唆したいまでである。
 情動を拒み続けた作家に荷風がいる。断腸亭日乗にみられる冷酷なまでの目線は戦争批判にのみ向けられたものではない、家族はおろか愛人や恋愛までを荷風は否定してやまない。戦争批判と民衆批判が取りも直さず、家族主義の否定に一直線に繋がることを荷風は深く諒解していた。言い換えれば、会話、共感の共有、互いの生命の確認等を荷風は「冷笑」したのである。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 19:20 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション3

 会話や共感の共有の好例は中世の一味神水に求められる。行動を同じくするひとたちは、お互いのこころの結びつきを確認し合わなければならない。同じ釜の飯を喰うとか、婚礼の三三九度、または献杯や返杯などの喫飯から掛け声や手締めのようなセレモニーに至るまで、集団としての紐帯を強める儀式の材料には事欠かない。しかし、そこには部外者を「劣った者」と見る差別観や強者の奢りがちらついている。儀式の裏面には常にパターナリズムが巣くっているのである。
 明治憲法下にあって国家のありようを説く国民道徳論が政府の奨励のもとに広い支持を受けた。そして「家族国家」とか「国民は天皇の赤子である」とかいう表現に則って家族主義的国家観が打ち立てられた。その総仕上げが1940年の「部落会町内会等整備要綱」によって結成が義務づけられた隣組であった。情報の伝達、防空防火、資源回収、国民貯蓄、体位向上厚生にとどまらず、食糧その他生活必需品の配給を隣組が担ったとき、パターナリズムを「おためごかし」とか「大きなお世話」として誰ひとり拒否できなくなった。拒否できなくなったと言えば聞こえはいいが、率先して隣組へ常会へと参入し、小旗を打ち振ったのが実態である。自分で決めずに常会に委ねる彼方任せも、パターナリズム容認として俎上にのぼるのは必至である。
 かつての「女大学」の「独身であれば父に従い、結婚すれば夫に従い、夫が亡くなれば息子に従え」から「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず」の布達に至るまで、父権的あるいは国権的権威が大手を振って罷り通り、民衆から熱狂的に支持された。日本民族のマゾヒストぶりには救いがたいものを感じる。
 先の項で、「70年間にわたる武断統治」と書いたが、朝鮮の加羅にあった任那日本府の時代からパターナリスティックな関係は続けられていたのである。この上下関係は植民地や委任統治といった政治の表層にとどまらない。日本人のこころに深く穿たれた集団意識それ自体がパターナリズム一色に染め抜かれているのである。

 戦時中に限らない、個人の意志決定を尊重するような世態がわが国に一度でも芽生えたときがあったのだろうか。鎖国時の江戸三百年と富国強兵の百年を合わせた四百年の長きにわたって、民衆はオマカセ主義に慣れ親しんできた。その結果、日本人は考えるのが不得意な国民になってしまった。
 先項の冒頭で「選択が立場の闡明たりうる」と著したが、軍人さんとして韓国へ行くか満州へ行くか南の島嶼へ行くか自由に選択しろと言われても私は困惑する。まるで昆虫の世界でいう寄主選択のようなものなのだが、民衆が思い悩むのはいつの世にあっても宿主の選択に限られている。宿主を峻拒し、寄主を拒むところから自由がはじまるのだが、その自由には出口がない。冥く湿った井戸の底に、妻子と共に投げ棄てられた大杉栄を私たちは知っている。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 21:09 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション4

 友が主宰するブログで「民衆が愚かであるかどうか」との遣り取りがあった。私自身、その民衆のひとりとして坐視しえない問題である。ただ、いくら書き綴っても日本という国もしくは日本人という民族に対するオブセッションが強くて深く立ち入ることができない。まるでコブレンツを拠点としたエミグレのような心境である。

 1874年以降の「征韓外交」にはじまって1945年の敗戦まで、日本人はナショナリズムの坩堝に嵌まっていた。そしていま、中国と韓国はそのナショナリズムを初体験しつつある。一方、中国はプラザ合意で生じた日本経済の混乱の前轍を踏むまいと実に慎重な為替管理を行っている。されば、日本が中国に表明すべきなのは、かつてのナショナリズムの管理ミスとそのリスクの高さである。互いがナショナリズムを競い合っては元も子もなくなる。
 英国との関わりを断たなければ、太平洋戦争を回避できたのではなかったか、と私は思っている。振り返るに、現況は米国の核の傘にいればこその繁栄である。わが国が自前の軍隊を持ち、核武装すれば米国との関わりはやがて途絶える。
 朝鮮戦争から数次にわたる中東戦争まで、日本はひとの不幸に付け入って贅沢な暮しを享受してきた。それらは米国から教わり学び取ってきた技法である。昨今、殷賑な「反米右翼」も結構だが、貪ってきた安逸を捨てる覚悟があるのだろうか。ハメルーンの笛吹よろしく、破滅に向かうのであれば、私は躊躇なく賛同する。しかし、それが自滅への戦略でないとするならば、憲法改正にも遊就館のプロパガンダにも苦言を呈したい。
 憲法についても靖国に対しても私なりの意見の用意はある。ただ、それらは掲示板には馴染まない。こう見えても書き込みのアウトラインは管理人と呼吸を合わせるように心掛けている。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 21:53 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 政治について


お久しぶりの管理人であります。
神楽坂大学政治学科を卒業したわたくしが、自ら管理する掲示板で政治について真摯に議論できないというのは忸怩たるところです。でも昨今のインターネットは荒れてますからねえ。ご容赦願います。
そこらへんの議論は、お店にてということでお願いします。でも、変なお客さんと相対するのは嫌かも。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2006年08月31日 22:23 | 固定ページリンク




一考 | ご参加乞う

櫻井さんへ
お説のとおり、「荒れ荒れ」でございます。
政治について書くのは疲れます。
「サルマタ」のように与太っているのが似合いです。
ふざけているときは文章がイキイキしていますでしょう。
ところで、九月三日はお願いしますよ。
塵芥賞は当掲示板主宰の賞なのですから。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 22:38 | 固定ページリンク




薫子 | サウンドトラック・フロム・ブラバン

津原泰水さんの新刊『ブラバン』の上梓に合わせて、イベントのお知らせです。

来る九月十七日、赤坂ですぺらにてブラバン発売記念イベント
『サウンドトラック・フロム・ブラバン』を開催します。
会場が狭いため、先着三十名の申し込み制にさせていただきます。

日時  九月十七日(日)十九時~

料金  ソフトドリンク+食事 三千円 または 飲み放題+食事 五千円

どちらのコースでもキャッシュ・オン・デリバリーにて、ですぺらの豊富なドリンクメニューからウィスキー等の注文をしていただくことも可能です。

内容は

ラヂオデパートによる演奏
著者自身によるDJタイム

なお、今回のイベント向けに版元のバジリコ様が、
『ブラバン』を先行販売してくださることになりました。
読了後いらっしゃるほうが『ブラバン』の世界にいっそう浸れること請け合いです。
希望者は、住所氏名を明記して、合わせてお申し込みください。

申し込み先は
amane3110@mail.goo.ne.jp

となります。



投稿者: 薫子    日時: 2006年09月01日 04:28 | 固定ページリンク




一考 | トラブルです

櫻井さんへ
カッキーさん家のパソコン(G3ベージュ433)で質問です。
画面上にmac-boot……のコードが現れて立ち上がらないのですが、これは慣れたもので、問題なく解決。と思ったのですが、コードは消えたもののやはり立ち上がりません。
そこで三台の内蔵ディスク(Maxtor)をはずしてチェックしました。システム・ディスク(20GBをパーティーションで二つに)はなんの異常もなかったのですが、アプリケーションを入れた二台のディスク(20GBと40GB)が応答なし。「応答なし」の意味内容はマウント不可能と読み込み不可能の二点です。
システム・プロフィールでハードディスクの詳細を調べるとドライババージョンが白紙になっていました。
拙宅のハードディスクのドライバはATA Bus 3.3もしくはB'sCrew Exte 3.1.8のどちらかになる筈なのですが、そのドライバが消えてなくなったのです。
面倒なので、初期化してアプリケーションをコピー、元に戻りはしたものの、ドライバが消えた理由は分かりません。
他にDVDドライブとPCカードが二枚(ATA128とUSB)内蔵されています。まさか電圧が理由ではないと思うのですが、なにかしらご存じのことがあれば、ご教示願います。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月01日 20:32 | 固定ページリンク




一考 | わが最愛の……

 ウルグアイ原産のパイプ葉を使ったフィルター付き紙巻タバコ「アーク・ロイヤル」が私の好物である。タール 分 18mg、ニコチン分 1.4mgの白地の箱のアーク・ロイヤルである。ただし、好きだからといって普段から喫んでいるわけではない。理由は値が高いからである。
 神戸の元町一丁目に杉本酒販というモルト・ウィスキーと葉巻煙草の専門店がある。最初はオールド・フェッターケアンとタリバーディンのスティルマンズ・ドラムで知り合ったのだが、話し込むにつれ、葉巻のとんでもないプロだと分かった。かなわないひとには逆らわない、黙って教えを請うのが一番である。
 杉本酒販には葉巻紙巻きパイプタバコ総計七百種類を超える商品が揃っている。一度にすべては味わえないので、四年ほどかけて手ほどきを受けた。私はパイプタバコが好きなのだが、仕事中にパイプは嗜まれない、そこで葉巻講座の傍ら、啣え煙草が可能なパイプ葉を使った紙巻タバコを所望した。ご教示いただいた十数種のなかで、もっとも気に入ったのがアーク・ロイヤルだった。パイプ葉を乾燥させるときの黒砂糖の使用量が少ないのであろうか、甘味が抑えられている分、喉にやさしく暖かい印象を受ける。
 しかし、パイプ葉を用いているので、匂いには癖がある。癖があっての嗜好品なのだが、店は半ば公共の場でもあり気が引けるので、癖のない洋モクを吸っている。その場合、煙になればなんでもよいので、手当たり次第である。その対象が最近キャスターマイルドに変わった。理由は十円安いからである。
 そのキャスターマイルドの吸い口に金色の丸いマークが付いているのだが、薄暗い店ではそれが鼻くそに見える。と言うのも、私は幼少期から肥厚性鼻炎で難儀してきた。従って、ひどい時には一箱のティッシュペーパーが数時間で空になる。その代価も馬鹿にならないので、専らロールティッシュを利用する。鏡花ではないが、紙に対する畏敬の念から、我が家ではロールティッシュとの呼称を用い、トイレットペーパーとは呼ばないのである。近頃のロールティッシュはエンボスが施され二重になっているのでトイレでなら五十センチもあれば用が足せる。大半は鼻くその梱包用紙として重宝されているのである。
 ロールティッシュの頌を書いているのではない、鼻くそと私が切っても切れない関係であるという道行を語っているのである。鼻孔を占居する鼻くそは私の最初の連れ添いであって、肥厚し桑実様に肥大した粘膜の隙間から途切れとぎれに吐き出される呼気と水鼻は歓喜にむせび泣く物憂き響きとしか聴こえないのである。誤解を虞れずに申せば、鼻くそを除いて私の人生なんぞ考えられない、文字通り「鼻くそのような人生」を送ってきたのである。
 ある日、親しくしている医師から君の症状は鼻アレルギーだから、二週間酒を断ってみろと言われた。不思議なことに症状はなくなり、件の医師は血管運動性鼻炎だと私に告げて立ち去った。しかし、私から鼻炎を取上げれば、私の人生そのものが無くなってしまうのである。第一に、塩水の蒸気を鼻に突っこまれた小学生の頃は酒とも花粉とも縁がなかったのである。論理的矛盾性はどうなってしまうのか。一昼夜、寐もせずに考え倦ねた私は、死ぬ日まで酒を飲み続けることを決意した。余生は鼻くそと共にあり、それがわが鼻くそへの慈悲であり、アガペーではなかったかと。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月04日 23:36 | 固定ページリンク




一考 | 

 中学校を出てバーで働いたのだが、何事に寄らず規制を受けるのが嫌だった。黒の上下に蝶ネクタイの装束(いでたち)が我慢ならず、愚図っていたところ、一番奥のカウンターから声が掛かった。「嫌なものは仕方ないけん、こっちゃで賄いでもやれ」声の主の角田さんから三年間、洋食と喧嘩の基礎をみっちり仕込まれた。
 実は彼とは中学一年生のときからの付きあいである。福原でも名うての武闘派(やんちゃん)で、その道のプロからも一目置かれる角田さんに喧嘩を売り、一撃で伸された記憶がある。弟子入りしてから聞かされたのだが、空手四段とのことであった。
 薫子さんが目を丸くしているが、ブロックの肉を百五十グラム、二百グラムと言われるがままに狂いなく切り分けられるのは彼の仕込みである。一本の食パンを四ミリとか五ミリとか指定通りにしかも正確に直角に切り揃える、余所見をしながらキャベツのせん切りが刻める、両手にフライパンを持って異なる具材を同時に炒められるようになったのも、彼のしつけの賜物である。
 私は妙な精神主義が子供のころから大嫌いである。彼はそれを承知していた、しかし「気合いじゃけん」「気合いが入っとらんけん」とはよく言われた。それは調理で怪我をするなとの注意であり、そのための掛け声であった。沸騰した湯や飛び散った油が手に掛かるのは毎度である。それを気にしていては仕事が捗らない。そして気合いが入っていれば百五~六十度の油に指先が二~三センチ入っても火傷をしないのである。あれは掛け声というよりは呪文のようなものだったのかもしれない。
 三年後、彼は「教えることはもう何もないけん」と言って、隣の割烹の板長だった石田さんを私に紹介した。それからの六年間、さまざまな地魚や前物との格闘が続くのである。

 そんなことを思い出したのは、昨日、右手にボタンほどの火傷を負ったからである。私は自分の身体が火傷をするなどと思っていなかったのである。油が飛んだのは知っていたが、捨て置いて問題なしと信じていた。それが翌日には水ぶくれになったのである。いくらなんでも水ぶくれは恰好がよろしくないので、皮膚を包丁で切ってバンドエイドを張った。しかしながら、どう思案しても気持ちの整理がつかない。
 またまた、薫子さんが目を丸くして「あら、嫌だ、老人になったのね」。彼女に言わせると、皮膚が油を弾かなくなって、油を吸い取ってしまったらしい。火傷の主たる要因は皮膚が皮膚自体の油分を失い、枯れてしまったところにあるらしい。それを端的に表現すると「爺」なのだそうである。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月05日 22:37 | 固定ページリンク




一考 | 塵芥賞授賞式

 プヒプヒさんとりきさんのご参加を得て、第一回塵芥賞の授賞式を拙宅で催した。平井功の編集にご協力くださった六名と管理人二名、それと私たちの十名である。「ラム」の肩ロース・ステーキを主とする焼き肉パーティで、約二名の食らひ抜け、おっと失言、大食らいの方がいらしたが、なんとか量は足りたらしく安堵している。みなさん、ありがとうございました。
 平井功にとどまらず、稲垣足穂におけるプヒプヒさんの活躍には目を見張るものがある。先日、足穂の年譜に「卓識精到」との文言を用いたが、あれはプヒプヒさんの為事に対するオマージュであった。よき友を得たと感謝している。
 席上述べたことだが、実は彼との接点を得るに私はいささか時を要した。難渋の内容を述べれば、デジタル回路の一言につきる。彼の思考がデジタルだと言っているのではない、彼の会話法がデジタル方式なのである。書物のはなしをするに、趣味、趣向、嗜好の類いが前面に躍り出てくる。念のために申し添えるが、彼は決して好悪にとどまらない。好悪の基いとなる近接、熟知、類似、相補などという概念(意味内容)をどんどん掘り下げて行くのである。一方、私は分析は苦手で、零でもなく一でもない割り切れないもの、未分化なものへの思いが強い。対象たる書物から逸脱して行く著者の影や分身のようなものに気もそぞろなのである。
 私がデジタル的物言いにこだわるのは、ひろくウェブサイトを表現の場とするひとには自己中心的なひとが多いからである。その自己中心性に対して私の防禦本能が働いたとでも言っておこうか。齢を重ねると悲しいことに、そうした拒否反応ばかりが強くなって行く。だからこそ、彼が平井功訳詩集を造りだしたときは驚いた。彼にとって平井功はまったくの赤の他人である。面識もない第三者のために財を投げ出すのである。ひとを見る目がないと薫子さんから言われ続けてきたが、そのとおりであった。彼はさらに「驕子綺唱」を造ると言う。ことここに到っては何をか言わんやである。かなわないひとには逆らえない、いっそ剃髪して弟子入りしようかと思っている。

 もうひとりの「某」同人の土屋さんから「『某』という雑誌の名前は、誰でもあり、誰でもないもの、揺るぎない自分というものなど信じない、そうした精神の動きこそ『文学』なのではないかという思いで付けました」とのメールを頂戴した。忝い言葉であって、プリントアウトして書斎に掲げておこうと思っている。
 かつて「胡桃の中の世界」について「入れ子のテーマによって惹き起される眩暈(めまい)について執拗に触れている。絶対的な存在、または中心点といったものを否定し、世界はまったく同質にして同価値の諸部分から構成されている。言い換えれば、一切の比較とアイデンティティをほうり出した思索者の姿がここにある」と書いたことがある。
 澁澤氏が好んで用いた入れ子構造であろうが、伸縮自在であろうが、相互嵌入であろうが、何だって構わない。搖れや振れ、迷いや逡巡、低回や彷徊、いっそ揺蕩いが貧乏揺すりであっても構やしない。ただただ、戦ぎ揺らめき続けることが大事と思っている。
 子供にあっては好悪に基づく行動が端的に示されるが、大人になるとそう単純明快には表明されなくなる。と言って、その理由が社会的な規制や利害関係による制約からくるものならば、単なる不幸としか言いようがない。ああでもないこうでもないと考え込むのは単純なことがらを複雑に、明快なことがらを昏迷に、謂わば自らを溟海に追いやることになろうか。しかし、それは自分自身への抗いの結果であって、千編一律な凶事ではない、類推の効かない個としての不幸である。
 塵芥賞は、かかる負を意図して背負ってしまったひとの才気をさまたげ、足を掬うために設けられた。もとより、精神錯乱の発作で母親を刺し殺した姉メアリーのために生涯独身を決意するも、いつも駄洒落を考えるのを楽しみにしていた「ラム」を肴の授賞式である、塵芥賞がなんの役にも立たない賞であることは言うまでもない。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月07日 22:12 | 固定ページリンク




防犯・防諜普及会 | 北朝鮮による侵略に備えましょう。

防犯・防諜普及会

北朝鮮による侵略に備えましょう。

日本政府の動議により、北朝鮮非難の安保理決議1695号が可決しました。これに対し北朝鮮は強く受け入れを拒否しています。国際社会から孤立した北朝鮮にとって今後の進展は厳しいものとなり、局面の打開を目指して一気に軍事的行動に出てくる可能性が高くなります。国民の皆さんは、進んで国防に協力しましょう。特に開戦に備えてスパイ活動やテロ活動を強化しますので、周囲に工作員や、北朝鮮に協力しそうな人物がいないか気をつけましょう。また反政府的な言動をするグループなどが防衛行動を妨害するかもしれませんので積極的に情報を政府機
(以下、あて先明記のこと。)
内閣情報調査室
http://www.iijnet.or.jp/cao/cas/jp/goiken.html
公安調査庁
psia@moj.go.jp
自衛隊情報本部
kouhou1@joint.info-jda.go.jp
自衛隊中央情報保全隊
gsopao@jgsdf.info-jda.go.jp
警察庁警備部公安課
http://www.npa.go.jp/goiken/index.htm
入国管理局
http://www.immi-moj.go.jp/cgi-bin/datainput.cgi
政府機関への総合窓口
http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose



投稿者: 防犯・防諜普及会    日時: 2006年09月08日 19:38 | 固定ページリンク




防犯・防諜不要不急会 | 国民のつとめ

今の日本は、不逞な公安が跳梁跋扈し、自衛隊の工作員も我が物顔で活動する、とんでもない国になってしまいました。これも占領憲法を否定する右翼勢力や日和見主義者たちのせいです。これらを排除し、本来の日本を取り戻しましょう。
国民のつとめとして、これらの活動を認めたときはマスコミへ速やかに通報しましょう。
そして反日議員や警察官の集会、スパイ活動、挙動のおかしな自衛隊員などを見かけたら以下へ情報を提供しましょう。(あて先明記のこと。)
http://www.jcp.or.jp/
http://money4.2ch.net/kyousan/



投稿者: 防犯・防諜不要不急会    日時: 2006年09月10日 00:23 | 固定ページリンク




一考 | 渦状銀河

 土屋さんの文言中「誰でもあり、誰でもないもの」は意識される側の領域規定である。「揺るぎない自分というものなど信じない」は領域規定からくる論理的結果である。「そうした精神の動きこそ『文学』なのではないか」は演繹的推理であろうか。いずれにせよ、彼から大きな刺戟を与えられた。以下は意識の中核とも言うべき自我についての与太話である。
 意識は流動的で片時も静止しない。言い換えれば、意識は移出と移入が間断なく繰り返される、従って意識する側とされる側との分布域は変化しつづける。あまりの目まぐるしさに信頼性はほとんどない。と言うよりは、意識する側とされる側とのあいだに境界線は見当たらない、と言ったほうが無難である。内燃機関における吸気弁と排気弁のような役割を担う器官を意識は持たない。役割を分担する能力が欠落しているということは、その分、多義的かつ主観的なものとならざるを得ない。主観的であればこそ、経験や行動が過不足なく意識されているとは限らない。
 当掲示板で、意識にかんする遣り取りが何度かなされたが、「意識しているから世界は存在しているのであって、意識がなくなれば世界は消滅する」「なんだかんだと言ってはみても、それを意識しているあなたがいるじゃない」というような内容で、私はなにひとつ承伏できないでいる。「あなたがいるじゃない」のあとに続く文言が「あなたがいるように私もいる。それを分かってよ」ならまだ可愛げがあるのだが、文脈はおよそ異なる。概して、意識を強調するひとは自己中心性の強いひとである。そういうひととの恋愛や友情は心すべきである。よほどの見返りが期待できないかぎり避けるのが無難である。
 まず、意識するしないと「智慧」とはなんのかかわりもない。さらに、「意識する」との行為が即そのまま主体の延いては存在の証明になるとも思われない。自意識の反語はおそらく無意識である、その無意識がいいこととは思わないが、例え無意識であろうとも存在は存在であって、無意識を理由に存在が揺らぐことはない。私に言わせれば、かつての遣り取りは下世話のはなしに過ぎない。
 下世話と称した理由は、意識するしない、もしくは意識する側される側といった二項対立式発想ではどこへも出口が通じないからである。個人によって体験され、気づかれていることを意識というが、この「気づかれていること」には著しく個人差がある。個人差があれば、当然そこには改善の余地がある。改善と書いたが、それが改悪であっても一向に構わない。要は異なるアプローチがあるということを示唆したいのである。思案に耽るときに二項対立はおよそ非効率である。どうどう巡りを楽しむならなにも言わないが、ひとの生は限られている。有効性を持たない試みなどくそったれである。
 それよりなにより、「意識する・しない」を能動的なサ変動詞と思い込むところに誤謬があるように思う。私にとって「意識する」のは受動的なはたらきであって、それ自体はなんらの結句ももたらさない。なにかを生じせしめるのは意識と共に機能する解析能力の方である。体験され、あるいは気づかれていることを読み解き、抽象化して、はじめて意識したと言えるのではないだろうか。繰り返すが、意識する自分を意識してもなにもはじまらない、意識されているところのものを推量し、いかに追体験するかに大事がある。
 「意識されているところのものを推量し」と書いた。押し測らねばならないほど、意識の対象は多義にわたる。認識には感覚・知覚・直観・思考などの様式があるが、それらを総動員したところで、意識されるものと意識されないものとの狭間を填めるのはかなわない。両者の境界を無視はできないが、識閾を僅かずつでも移動させることは可能である。非回帰移動になるところに一抹の不安はあるが、意識のはたらきを高めるのに有効な手立てではないだろうか。意識する自分を反芻し、思いを巡らすのは悪いことではない。しかし、意識それ自体の領域を拡げることに心胆を摧くのも一興である。
 識閾の移動と、移動に伴って意識の側を渦状銀河の微分回転するディスクのように改竄させられないだろうか、人工的な眩暈を作り出すために。最近はそのような由なきことばかり考えている。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月10日 00:31 | 固定ページリンク




一考 | 「総特集=稲垣足穂」出版記念パーティ

ユリイカ 2006年9月臨時増刊号 総特集=稲垣足穂(9月21日発売)
【新発見作品10篇】(資料提供=高橋信行・金光寛峯・加藤仁)
誇大妄想十一編/学生論を読みて/青谷のおち葉/桑畑のなかの村/姉さんと私/雲を消す話 /鳩座から来た人/ロング君とショート氏の話/赤と青/椿實の快速調/タルホ座新星群――稲垣足穂 新発見作品・解題/垂野創一郎
【鼎談】彼等、すなわち足穂とその眷族/加藤郁乎+松山俊太郎+渡辺一考
【対談】オマケ派宣言/荒俣宏+あがた森魚 司会=香川眞吾
【インタヴュー】「ハイゼンベルク変奏曲は、足穂さんの実験第一号だった/松岡正剛 聞き手=ばるぼら

以上だそうです。ですぺらでの出版記念パーティの日時が決まりました。23日の土曜日、秋分の日です。時間は18時から21時、会費は3000円です。
青土社の担当編集者ならびに新発見作品・年譜・著書目録の編集にたずさわったキネマの会のみなさん、東京近郊の著者も出席します。足穂に興味をお持ちの方はこぞってご参加ください。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月11日 22:09 | 固定ページリンク




一考 | バンビーについて-2

 去年の五月にながらみ書房から「ジャワ・ジャカルタ百首」を出版なさった神戸の南輝子さんが来店してくださった。その南さんが雑誌のコピーを持ってきた。題して「神戸バンビ狂い」、もちろん彼女が著したエッセイである。文中、中島らも、鈴木創士、タケウチヒロクニ、ロクサン、ワンタンが登場する。ロクサンは山本六三、ワンタンは私である。私が一考を名宣るようになったのは二十歳ぐらいからで、それまではワンタンと呼ばれていた。
 「私がジャズ喫茶バンビに溺れていたのは60年代バンビ全盛の、ジャズが世界中でもっとも輝いていた時代で、らもや創士はそれ以降の学園紛争で騒然としていたころからだから、もはや色褪せた、ジャズ喫茶ともいえないバンビでしかなかったのに、それでも彼らは狂ってしまった」
 彼女が見た創士に興味があって、それを書きたいのだが、宇野邦一さんから聞くところによると創士と私は喧嘩をしたらしい、心当たりはなくもないが、私は喧嘩をしたとは思っていない。後にわだかまりを残すのが嫌なので私は意思表示はする。と書いてもひとにはなんのことやら理解しようがない。
 「創士が……後に生田耕作といろいろあったのはワンタンと同じだ。生田耕作は頑固一徹だったのである」と書かれている。創士と生田耕作とのあいだに何があったのか知らないし、知りたくもない。ただ、喧嘩のあと、創士から電話があって、これからは仲良くしようと言われた、その発言に不名誉な欺瞞を感じたのである。私と生田との喧嘩は私と生田との問題であって、創士とは関係がない。同様に創士と生田との喧嘩は創士と生田との問題であって、私とは関係がない。「敵の敵は味方」というような鄙劣きわまりないものの考え方に私は忿怒を禁じ得ないと言ったまでで、怒りの対象は「ものの考え方」であって、創士ではない。
 ひとは歳と共にものの考え方は変化していく。怒りをひとに向けるのが逡巡われる理由のひとつである。ただし、年長者はその限りではない。文中「頑固一徹」とあるが、頑固は避ければ済むことで、対応は易しい。あの年長者は「鄙劣きわまりないものの考え方」を「文学」だと嘯くような燕石である。箸にも棒にもかからない御仁と別れて間がない創士がまだその影響化にあったとするなら、同情の対象たりえたのかもしれない。そこは私の反省すべき箇所なのであろう。
 最近の鈴木創士はいい為事をしている、紹介の機会はいくらでもある。はなしをワンタンに戻す。
 「ワンタンといえば、神戸の書肆南柯(税金対策で、当時は南柯書局と書肆南柯を遣分けていた)を廃業し東京へ移る直前、私の詩画集『美しき豊潤』を手がけてもらった。永田耕衣にほれこみ、耕衣を全国区へ押し上げた誇り高き彼は、私家版は絶対出さぬといいながらも出版してくれたのはバンビの縁である。打合わせの時、出来上ったばかりの三橋敏夫句集特装本を、恋人を愛でるように撫ぜさすりながら『押し当つる枕の中も銀河かな。ええなあ、ええなあ』と恍惚としていた。装幀家林哲夫によれば東京で酒場の亭主をやっているという。詩人の季村敏夫……の同人誌『たまや』第3号のワンタンすなわち渡辺一考による追悼種村季弘論『詐欺師昇天』を読み、バンビの隅で鬱勃たる情念をかかえ暗く居た少年ワンタンが蘇った。」
 彼女とはじめてバンビーで遭ったのが何年かは覚えていないが、どうやらタケウチヒロクニの紹介らしい。坊主頭(私の世代は小中高と丸坊主を強制されていた)の中学生がバンビーへ入浸っていると聞かされ、物珍しさに声を掛けたそうである。彼女が神戸大学の学生だったというから、おそらく62年か63年だと思われる。その頃は二階がドラッグの中毒患者の溜まり場で、私は一階の大きなスピーカーの前を定席にしていた。彼女に言わせると、中学生の私は当時からふんぞり返っていて、神戸大学と神戸高校の学生が主宰していた「波」の同人を相手に文学の講釈を垂れていたそうな。同人のうち、五名はいまも鮮明に覚えている。ひとりは自死、ひとりは狂い、その内のひとりと十七歳から二十二歳までの五年半のあいだ同棲することになる。64年から69年のはなしである。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月12日 22:15 | 固定ページリンク




一考 | この途はいつか来たみち

書き込みのあと、メールの受信。私信が一通とインポーターからが四通、必要なのはそこまでで、あとはソネットから一通、ミクシーから一通、ヤフオクから四通、ビッダーズから二通、楽天から一通、そして自動振分けでゴミ箱へ直行する迷惑メールが147通。
昨日、飲みながら管理人が「メールの時代は終わったよ、これからは電話とファクシミリだね」。なんの異存もございません。メールが生き残る道はエロメールだけ。同様に、掲示板が生き残るのはプロパガンダだけかも。
恥さらしは置いておけ、との管理人の意見で残された先日のプロパガンダを私流に書き換えると以下のごとし。

日本政府の動議により、北朝鮮非難の安保理決議1695号が可決されました。これに対し北朝鮮は強く受け入れを拒否しています。国際社会から孤立した北朝鮮に明日はなくなりました。この機に局面の打開を目指して一気に軍事的行動に出て、北朝鮮を植民地化すべきです。南朝鮮にはなにもありませんが、北朝鮮には鉱物資源が豊富にあります。
国民の皆さんは、進んで軍事行動に協力しましょう。特に開戦に備えてスパイ活動やテロ活動を強化しなければなりません。北朝鮮に協力しそうな人物や反政府的な言動をするグループなどが日本の侵略を妨害するかもしれませんので、積極的に情報を政府機関に通報しましょう。

民主主義を信奉し、規制緩和や自由競争を唱えるが、いざとなると組織も個人も頼るのは国。子供のころに頌められて育つと自尊心が強くなり、貶されて育つと駄目人間になるそうな。されば、ひとの生き残る道はファシズムだけなのかも。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月12日 23:22 | 固定ページリンク




薫子 | 「古くて新しい鏡花の世界」

講演会のお知らせです。

金沢の石川近代文学館にて「文豪たちの遺したもの」と題して、収蔵品より詩人、作家直筆の
原稿・書簡・軸・色紙・短冊等を展示する展覧会が催されます。

主な展示作家ー鏡花・秋声・犀星
         夏目漱石・尾崎紅葉・正岡子規・谷崎潤一郎・佐藤春夫・芥川龍之介・
         川端康成・三島由紀夫・井上靖・萩原朔太郎・斎藤茂吉・中野重治等々
   
会期  9月23日(土)より11月12日(日) AM9:30~PM5:00 会期中無休
入館料 一般500円(450円) 中高生200円(100円) ( )内は団体料金20名以上

石川県金沢市広坂2丁目2番5号
 TEL 076-262-5464/FAX 076-261-1609
http://kinbun.com/

関連行事として、10月14日(土)午後3時より文学館の2階講堂にて、
須永朝彦さんが「古くて新しい鏡花の世界」のお題で講演をされます。
 入場無料(ただし館内見学の場合有料)

お近くにお住まいの方、是非お出かけください。



投稿者: 薫子    日時: 2006年09月22日 04:35 | 固定ページリンク




薫子 | 「猫の王国美術館」

展覧会のお知らせです。

直江真砂展 「猫の王国美術館」

1984年に刊行された「猫の王国美術館」(文藝春秋社 絵/直江真砂、文/直江博史)の原画を展示。

2006年10月10日(火)~10月21日(土)
 AM11:00~PM19:00(日曜12:00~18:00)会期中無休

会場 青木画廊 
東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F・3F
 TEL 03-3535-6858/ FAX 03-3567-3944
http://www2.tky.3web.ne.jp/~aokigaro/

猫好きの方、覗いてみてはいかがでしょうか。



投稿者: 薫子    日時: 2006年09月22日 04:37 | 固定ページリンク




一考 | おでん

 ふたたび北海道のはなし、思い出したのはおでんのネタである。
 1973年の冬、札幌の東急百貨店でタロット展を開催、十日ほどすすきの駅前の東急インでお世話になった。その間、東急百貨店の支店長と東急インの支配人から連夜の接待にあずかった。同ホテルの地下のレストランで馳走になったシャーベット状態の生ハムがとんでもなく旨かったのだが、それは次回に譲るとして、二軒目に連れて行かれた炉端焼屋のおでんについては書いておかなければならない。
 昆布を用いた薄味のだし汁で煮付け、仕上げに生姜入りの味噌ダレをかける。おでんに味噌ダレをかけるのは北海道の他、青森、岩手、静岡の一部、名古屋、福井、京都、香川、愛媛、徳島、九州のごく一部などにみられる。ただし、名古屋は八丁味噌でぐつぐつと煮込むので、おでんならぬ黒でんである。福井が味噌ダレなら富山や石川はと訊かれそうだが、残念なことに同地でおでんを食していない。四国に詳しいのは頻繁に出掛けているからである。

 札幌での具材は蕗、蕨、筍(ネマガリダケ)、昆布巻き、ワカメ、馬鈴薯、焼き豆腐、大根、玉子、菎蒻、てんぷら(薩摩揚げのことで、関西弁に准ずる)の他、ご当地ものにつぶ貝、帆立貝、ホッケのつみれ、鱈の白子などがある。
 つぶ貝は北海道から台湾にまで分布するが、死肉を貪り食ういささか出自のよろしくない巻き貝である。太平洋岸ではツブ、日本海側ではバイと呼ばれるが、北海道ではゴマとの通り名を持つ。地方による個体変異が著しく、道産のそれは巨大ですらある。
 オホーツク産のつぶは刺身が一般的だが、函館の屋台のつぶ焼きや室蘭の地球岬の売店で喰わせるつぶおでんは夙に知られる。地球岬のそれは味噌の煮込みで、いわゆる田楽ではない。大阪でよくみられる牡蠣の土手焼きをご想像いただきたい。函館のそれは神戸の夜店で売っている大貝のつぼ焼きと風情が似ている。函館では生姜を添えた甘辛い汁をつけて食べるが、おでんに辛子ではなく生姜を添えるのは北海道から山形や福島まで北日本では広く行き渡っている。もっとも、つぼ焼きはおでんの領域には入らないが。
 話序でに、大貝のつぼ焼きについて一言。オオガイとの名称は神戸市内でのみ通用する。明石ではホンジョガイ、淡路ではオクガイ、知多半島では大アサリという体幅十センチを超えるウチムラサキ貝のことである。苦みがあって刺身には不向きだが、濃厚なダシが出る。細かく切って栄螺の貝殻へ塩で調味したダシと共に入れ、金網で焼いて頂戴する。あしらいは晒し葱より三つ葉が似合う。白老産のものは苦みが少なく、湯引きでならなんとか食することができる。有名な厚岸産大アサリは内房の三番瀬の大アサリ同様、体幅六センチほどのアサリ属の貝でウチムラサキとは異なる。ツブ、バイ、ゴマ、大アサリなどは俗称なので混同しやすい、現物で識別するしかないのである。
 ウチムラサキは帆立と共にラッコの好物だが、面談に応じた道東のラッコはナイトウェアに極上の昆布を用いるとか、ラグジュアリーな鼬であった。

 道南と青森では小粒のつぶを殻ごと串に刺しておでんにするところもある。ウチムラサキほどではないが、殻つきだとシジミやアサリに勝るとも劣らぬいいダシが出る。腸(わた)がもたらす潮、海風、海藻の香りと僅かな苦み、加えるに昆布の甘味が溶けあった風味は筆舌に尽くしがたい。ダシと言えば、北海道、関西、中国、四国、九州、沖縄は一部を除いて昆布ダシが伝播している。これには北前船が大きく影響している。前述の「てんぷら」もそうなのだが、上方と北海道には共通する文言ならびに調法が多い。
 鱈の白子と書いたが、夏から秋なら鮭の白子もおでんネタに使われる。北海道では鱈の白子をタチもしくはタツ、秋田ではダダミとも呼ぶ。積丹ではその白子を原材料に用いた蒲鉾が作られているが、おでんネタとしてすこぶる美味である。小樽で烏賊の白子を馳走になったが、地方によっては、鮟鱇、鯛、河豚の白子も活躍していそうである。おでんの白子づくしなど、ぜひ味わってみたいものである。
 おでんは第九十八条を削除した憲法のようなもので、根っからだらしがない食い物である。しまりや節度のないもの、腑甲斐ないものは私の好物である。おでんほど野放図な料理が他にあろうか。出汁の取り方から入れる具材まで各人各様であって、これがおでんと言うような定式はどこにもない。言い換えれば、我流にこそおでんの醍醐味がある。それを逆に言えば、我流でなければおでんではないということになる。コンビニで売られている似而非おでんをおでんと呼ぶのが躊躇われる理由である。醍醐味の頭に「そ」を付ければコンビニおでんの概略がお分かりいただけようか。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月22日 06:03 | 固定ページリンク




椿紅子 | 聖母月に引用の聖歌

先日のパーティでご教示頂いた、カトリック聖歌351番第1節は以下のとおり。「五月のきさきを あめつち歌う/ひと年めぐりて 百合咲く季節/マリア祝しませ 祝せられませ」(聖歌集改訂委員会編,1966年1月5日初版発行)http://www.minc.ne.jp/~hosanna/menu5.htmではメロディも聴けます。 1966年に歌詞が平易な口語に変更された後でも「祝しませ 祝せられませ」のリフレインは残ったとのこと。旧バージョンの歌詞は今後調査を要します。



投稿者: 椿紅子    日時: 2006年09月26日 21:27 | 固定ページリンク




一考 | 美しい日本

 足穂の「西山金蔵寺」のヴァリアントについて昔に書いたが、同じタイトルの「西岩倉金蔵寺」が金光さんから届けられた。今回のユリイカ足穂特集の編集真っ直中であり、掲載誌は「美しい日本」だった。この「美しい」という形容詞が遣うに難儀で、毎回困惑させられている。万葉集や枕草子に表れるごとく、いつくしみ、いたわり、かわいらしさの意で用いられるに逆らう気は生じないのだが、「美しい友情」や「心の美しい人」のような抽象的な意味合いを附されるとむっと顔にならざるをえない。
 なぜ不承知なのかと言えば、抽象的な意味内容があまりに突飛で、皆目咀嚼できないからである。内容、本質、概念、どう言っても構わないが、そのようなシロモノを美しいと形容して済むのであれば、文学は不要である。
 表現と換喩は同義であって、その伎倆には上手下手がある。また比喩法や修辞法の骨格をなす想像力にも強弱はある。そして強弱を巧拙に置き換えても厄介は生じない。ただ、巧拙と美醜とは置換不能であって、別種の領域に属する概念だと思う。
 編集を稼業にしていると、しばしば悪しき文章と出遇う。この場合の「悪しき」とは読み手を拒否する文章を指す。なにを書こうとしているのか、なにを伝えようとしているのかが理解できない、要は文意を汲まれないミミズの足跡のような文章である。そして、巧拙で取上げられるのはここまでであって、ここから先へはなしを拡げる必要はない。言葉という流動的な生きものを対象の考察は、思うに任せず、意に満たず、愚痴のみ零すことにしかならない。結果、相手方の不満や苦情を募らせることになる。歴史、伝統、美などという面倒は学者に委せるにしかず、と心している。

 先日、友人から「あなたも美しいとの言葉を遣っている」との指摘を受けた。おそらく、「水浅葱の夢」の巻頭に置いた「今日顧みて、鏡花の本は美しい」を指してのことだと思う。確かに「美しい」から文章を書きはじめたのだが、どのように美しいかとのお喋りに恰度十枚の原稿用紙を費やした。ただし、美しいとはなにかについては一切触れていない。
 「今日顧みて、鏡花の本は美しい」が末尾に置かれたのであれば論外であって、想像力の枯渇を通り越して迂闊ですらある。しかし、私は「美しい」を枕詞として用いたのであって、結句として用いたのではない。遣うに際して試みたささやかな修辞法と受け取っていただきたい。それとこれは大事なことなのだが、「鏡花の本」が美しいと書いたのであって、鏡花の心根が美しいとはどこにも書いていない。鏡花の特集号でありながら、小説を描くための背景としての鏡花の詩精神には目もくれていない。文章は小説家と挿絵画家のコラボレーションに終始する。
 鏡花にとって国家や官憲はバイキンと同じくらい人心を恐怖せしむるものであった。されば「国家官憲黴菌論」でも書けばよいものの、そのような考えを抱くことすらが、鏡花にとっては憚られた。
 個別文化の一部分を構成しながら、相対的な独自性を持つサブカルチャーを鏡花ほど認めなかった作家も珍しい。ゲイでありながらフリークスを斎み毛嫌いする三島由紀夫にも似て、鏡花のマイノリティに対する扱いは非論理的であり前時代的ですらある。当然、その根本には彼一流の美学が横たわっている。
 ところで、美はそのままで全体である、まるごと、あるがままのものに解析は意味をなさない。言い換えれば、論理演算を苦もなくくぐりぬける能力を美は持ち合わせている。と言うよりは、その能力こそが美の天資なのである。従って、美の守護神にとって、非論理的であり前時代的であるのは的を射たことなのである。
 個人は全体を構成する部分である、そこまでなら異議はない。しかしながら、個人の一切の活動は全体(この場合は美)の成長、発展(助長、深化でも同じ)のために行われなければならない、とするならばかなり危険な思想に近づいてくる。さらに、美に対する懐疑が喪われ、美が讃美の対象と化したとき、それを全体主義という。
 もちろん、作家がひとの内面にかかわる道徳、思想、宗教、自然観、価値観などに博くかかわり、逡巡しようがしまいが大した問題ではないと言えなくもない。なぜなら、内面それ自体のベクトル(方向性と強弱)が個々人によって異なるからである。その伝でいけば、描かれた物語を愉しめばよいと言うことに尽きるのかもしれない。もっとも、私にそのまねはできないが。
 「水浅葱の夢」に戻るが、文中「清方は女性像を描くための背景としての自然には目もくれない。女性そのものを周囲の自然と照応し合う自然の一部として捉えるのである」と著したが、あれが唯一の肉声であって、他に中身のある発言はなにもない。書きにくい、あるいは書きたくないといった事柄をいかにして手前に引きつけて贅言を弄するか……そこまで分かりやすく説明する必要はあるまい。「美しい」との空疎にして陳腐な言い回しを字義通り証明するために、桂月流擬古文体を意識してあの文章は拵えられたのである。
 虚無主義を描くに辻潤調の文章は書かれない。私は自らの作法に則るしか手立てを持たない。文章の上手下手など知ったことではない。さりながら、「善意と冗談ばっかりだよ。タチは悪いけど」との本意は遂げたと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月26日 22:18 | 固定ページリンク




一考 | 白い色鉛筆の王国

 父のせいで、幾人(いくたり)かの政治家と言われる稼業のひとと親しくしている。かつては数十人いたのだが、最近では数人になってしまった。減った理由は私と付き合っても票には結びつかないからである。
 先頃、懇意にしている詩人から、先生、先生と煽てられながら、握手ぜめにあっている時の政治家は性的興奮の真っ直中にある、と聞かされた。同じはなしは政治家からも何度となく聞かされている。ただ、有能な詩人だけに、醒めた学者には理解できない種類の勃起であって……と細やかなはなしに相槌を打つうちに抱腹絶倒に巻き込まれてしまった。
 民意がつねに漠然としたものであり,主として為政者の側の用語として用いられるものであろうとも、その民意による支えがなければ稼業としての政治は成り立たない。人気が如実に跳ね返るという点において政治家と芸能人はよく似た商売なのである。本意は媚を売り、迎合するところにあるのであって、政治家と芸能人はオピニオンリーダーにはなられない。そこが学者先生と異なるところである。
 いかに右傾化ぶってみても、それ自体が民意の反映に過ぎない。かてて加えて政治家本人には矛盾意識がないのであるから、毒にも薬にもならない自己中心的思考の持ち主としか言いようがないのである。
 アイデンティティという言葉で包括される帰属や境界を教えるのは、子供がはじめて体験する社会、すなわち学校と親なのであって、そこには国家も民族も宗教も政治も本来介在しない。そしてその帰属と境界が差別や排除の根本を形成して行く。言い換えれば、親と学校こそが諸悪の根源なのであって、その責任をおりおりの政治や政治家に帰趨させようとするのは了簡違いである。A級戦犯に責任をおっ被せて知らぬ顔の半兵衛を決め込むのとよく似ている。
 多民族が共存しようとすれば、単一のアイデンティティではなく、重層的なアイデンティティが必要になる。その重層的なアイデンティティの意識と、それをめぐる葛藤を考察するのが文学だと私は心得ている。多民族を個々人に置き換えようと消息は同じである。
 個が個であるためには他の個を認めなければならない。その共存に到る途は平坦ではない。どのようにして帰属意識を捨て去るか、どうすれば個がカテゴリー化から抜け出すことができるのか、課題は目白押しである。

 先だっての足穂のパーティで、一言二言しかはなさなかったイタガキノブオさんから小包が送られてきた。なかにはそれこそ小さな詩画集「白い色鉛筆の王国」が入っていた。シュオブのファンだと聞かされたのだが、シュオブやプチ・ロマン派の作家のほんとうの面白さは「重層的なアイデンティティの意識と、それをめぐる葛藤」にある。趣味性をごっそり洗い流した形でのプチ・ロマン派の紹介が望ましいと思っていたのだが、それと呼応しあうような作品である。歌志内で生まれ、いまは東小岩に住むというイタガキさんに感謝すると共に、一冊は土屋和之さんのために取り置くことにした。

「白い色鉛筆の王国」イタガキノブオ
1994年4月4日発行 沖積舎 定価2000円



投稿者: 一考    日時: 2006年09月28日 22:48 | 固定ページリンク




佐藤弓生 | 御礼

こんにちは。
先週、貴店の足穂パーティーにイタガキノブオ氏同伴で伺った者です。
よんどころない事情で、ご挨拶もなく中座してしまい失礼いたしました。

イタガキ氏にはシュオブ「二重の心」の漫画化作品があり、
「種村季弘氏から直筆の回答を受けたことがある」
「矢野目源一訳『吸血鬼』を持っている」
などの武勇伝(?)をたびたびお聞きしていたので、
それなら折を見て渡辺様にお引き合わせしましょうかという話に
なっていました。

イタガキ氏はご自宅にネット環境がないので、当記事の件、
のちほど私からお伝えしておきます。ありがとうございました。
私がなかなか夜遅くまで出られないのですが、イベントのない日にまた、
ゆっくりおうかがいできたらと思います。
その節は、よろしくおねがいいたします。



投稿者: 佐藤弓生    日時: 2006年10月01日 07:17 | 固定ページリンク




一考 | 白い色鉛筆

 佐藤弓生様
 「白い色鉛筆の王国」はよくできた寓話です。寓話ゆえ、いかようにでも読み解くことが可能です。でも、あのようにポリティカルに曲解するとイタガキさんから叱られそうです。イタガキさんに託つけての勝手な書き込みですので、ご勘弁いただきます。
 私は平和主義者ですので、帰属や境界を越えたところで棲息したいと念じています。従って、軍備にも憲法改正にも反対ですし、国連の集団的自衛権にすら異議があります。さらに申せば、国とか、民族、宗教といったものにも否定的見解を持っています。だからこそ、個と個が共存するための「重層的アイデンティティ」のことばかりを考えているのです。そのモチーフが「白い色鉛筆の王国」では一捻りも二ひねりもする形で過不足なく描かれていました。昨今はやりのライト・ノベルのもみなさとは違う、少年の頃にのみ感じられる違和感と失意、そしてそこから生まれる漂泊の悲しみが巧みに表現されていたのです。すぐれた作品とひさびさに新鮮な出会いを得られたことに感謝しています。
 それにしても、一本の白い色鉛筆からあれだけの物語を拵えるイタガキさんの想像力の端正さに感服させられました。よしなにお伝えください。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月03日 00:00 | 固定ページリンク




一考 | 黄金色の階調

 モルト・ウィスキーにはどれぐらいの種類があるのかと、よく尋ねられます。昨今繁く出回るようになったディスティラリー・ボトルならいざ知らず、独立瓶詰業者のボトルは基本的にシングル・カスクすなわち一樽のリミテッド・エディションです。一口で樽といっても、容量も種類も異なります。また、樽は熟成の度に補修されます。使用頻度によって、樽のコンディションはさまざまです。従って、シングル・カスクの世界にあっては樽の数だけのウィスキーが存在します。
 イギリスに自生する二大樹種はセシルオークとコモンオーク、南部から東部の粘土質の土壌に多く生育します。共に古くからワインやコニャックなどの樽材として活躍してきたヨーロピアンオークですが、ウィスキーの熟成には役立ちません。ウィスキーの樽材としてはアメリカ東部に分布するホワイトオークが重宝されます。そして、スコットランドではホワイトオークが採れないがゆえに、スコッチの熟成に新樽が使われることはなかったのです。また、新樽を用いずとも、シェリー樽の中古が潤沢に手に入りました。イギリスは昔からシェリー酒の世界最大の消費地で、かつては樽で輸入し量り売りをしていました。余った空き樽をスコッチ業者が再利用してきたのです。やがて、ウィスキーの生産量が増え、シェリー樽の需要と供給のバランスが崩れてきた時に、業者が目を付けたのがバーボン樽でした。アメリカの国内法ではバーボン・ウィスキーの熟成は新樽であることが義務付けられています。わずか一度の使用で破棄されるのです。第二次世界大戦後、解体された大量のバーボン樽がアメリカからイギリスへ送られるようになりました。
 樽が大きければ大きいほど、ウィスキーはゆっくり熟成され、まろやかさが増します。そこでスコットランドではバーボン樽の再生の際、側板を補って容量を180リットルから250リットルへ拡大します。貯蔵効率を高めると同時に、ウィスキーと樽との接触面積を少なくし、木香の影響を薄めようとの工夫です。その拵え直した樽をホグスヘッドといい、現在もっとも多く出回っています。シェリー樽は500リットル、ほぼ同量のラム酒用の樽がパンチョンで、こちらはたまに出番がやってくるていどです。一六世紀以降はそれらの樽材として通直木理という柾目のホワイトオークが削り出され、樽の形状も少しずつ変化して行きました。使い古してシェリーやバーボンの香味が移らなくなった樽をプレーン・カスクもしくはウィスキー・カスクといい、グレン・ウィスキーの熟成に、やがてはガーデニングにスモーク用のチップにと徹底的に活用されます。
 最近ではシェリーやバーボンの他、ポート、マルサラ、マディラ、ラム、コニャック、アルマニャック、カルバドス、赤白ワインなど、さまざまな樽が熟成に再利用されるようになりました。イアン・マクロード社からはそれらの樽をフィニッシュに用いたモルト・ウィスキーがボトリングされています。わが邦の樽酒は三、四日が限界ですが、スコッチの場合は半年から一年、長いと二年ほど任意の樽で熟成させます。ダブル・ウッドもしくはダブル・マチュアードと同じ意で、「グレンモーレンジ」「バルヴィニー」やディアジオ社の「クラシック・モルト・シリーズ」のダブル・マチュアードなどが識られています。ワインや酒精強化ワインの樽、すなわちセシルオークで最初から最後まで熟成されるとタンニンやリグニンが過剰に溶けだし、香味のバランスが崩れます。フィニッシュにのみ用いるのも職人の知恵や気配りと言えましょう。
 ボトラーのモルト・ウィスキーはカラメルによる着色や低温濾過を施しません。従って、透明感に充ちたつややかな黄金色の階調をもたらすのはタンニン成分の色素であり、その成分を引き出すために欠かせないのが樽の内側の焼き加減です。ウィスキー用の樽は中火で約20分、ブランデーの場合は強火で40分焙煎されます。マノックモア蒸留所のブラックウィスキー「ロッホ・デュー」などは樽の表面が炭化するまで焼かれています。「ロッホ・デュー」は極端な例ですが、良いウィスキーが醸されるか否かはこの加熱処理にかかっていると言っても過言ではないのです。
 いずれにせよ、ウィスキーの香味を決定づけるのは樽のコンディションと熟成庫の所在地の気候風土です。お花畑で熟成されたウィスキーにはフローラルな香りが、森のなかで熟成されたウィスキーにはウッディーもしくはナッティーな香りが、海辺で熟成されたウィスキーには潮の香が強く薫きしめられるのです。さらに、外壁に近いところと中央部、上段に置かれた樽と下段のそれとでは長い年月のあいだに随分と個性が違って行きます。下段のウィスキーは熟成が緩慢になされ、色は淡く、アルコール度数は上段と比してより低くなり、エンジェル・シェア(天使のわけまえ)も高くなります。要するに、穏やかな熟成がなされるわけです。
 樽の数だけのウィスキーが存在すると頭に著しました。それ故、これがウィスキーであるとか、これこそがシングルモルトなどという固定観念は持たない方がよろしいかと思います。酒は生き物です。齢と共に人の性格や好みが変わっていくように、酒も年々歳々香味を微妙に変化させていきます。ボトラーのボトルの醍醐味は違いを違いとして愉しむところにあります。好悪を決めるのは彼の世へ赴いてからでも遅くはありますまい。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月03日 00:21 | 固定ページリンク




一考 | ヒステリーについて

 「黄金色の階調」はかつて料理王国に著したものの改稿である。末尾に固定観念に対する否定的見解を書いたが、思うに、私の死生観やものの考え方は料理の調法や酒の味わい方から多くを学んでいる。例えば、穴子は焼くか蒸すのが一般的だが、刺身だと食べられないのだろうか、試行錯誤の末、洗いが穴子に似合いの調法だと知る。はなしはそこで止まらない、子をまぶすとどうなるのだろうか、あしらいはどうか、醤油は洗いには相応しくないからどうしようかと言った風に、連想ゲームは続く。また、懐石では同じ料理の繰り返しは避けなければならない。材料と調法を求めて、地方を行脚し書物を博捜しなければならない。料理とは間違いなく、一種の漂泊だと思う。
 出生地の都合もあって、回りはやっちゃん、ぽん引き、女衒、娼婦、てきや、おかまといった裏社会のひとたちばかりだった。子供の頃はそれが嫌で、自己形成期への瞋恚を育んだのは福原という色街だったと、いまにして思う。抛り込まれた環境に従順(すなお)に馴染めなかった私はその対局に文学やそれを研究する文学者を置いた。理由はなにもない、なんとなくそう感じたまでのはなしである。
 十代の半ばになってドストエフスキーやカフカやサルトルを読み、やはり物書きや文学者は人生の達人であって、すぐれた人品骨柄の持ち主なのだと、勝手に思い込むようになった。そう信じたが故に、書物の世界へ彷徨い込み、同時にさまざまな詩人、絵描き、小説家などと交流を深めた。
 そして十代後半、いうところの全国区の詩人、文学者、書物研究家、書誌学者などと出遇う。しかるに、「バンビーについて-2」で書いた「鄙劣きわまりないものの考え方を文学だと嘯くような燕石」と最初に出遇ってしまったのである。彼は強度なヒステリー患者だと、後日、生島遼一さんや曽根元吉さんから指摘されたが、ときすでに遅く、手の施しようのない身体症状や解離症状との道行を強いられてしまったのである。ヒポクラテスの時代のヒステリーが子宮の病なら、あれは前立腺の病でなかったかと思う。子分を集めて常時集団ヒステリーの渦中にないと精神的葛藤が処理できない、福原のやっちゃんと同じ「困ったちゃん」そのものであった。
 名前は伏せるが、某英文学者にして著名な書物研究家から「君は美しい書物を造るが中身がどうもねえ」と指弾された。「先生のおっしゃる中身があるものとは古典ですか、だとすれば、それは時代によって変わりますよね」「変わるわけないだろう、第一にどれが古典かを決める権威を有するのは私ぐらいなものだ、私は権威そのものなのだよ」。
 丸山豊が主宰した「母音」時代からの友人で左翼文学の代表選手だった某詩人兼評論家と高木護さんのはなしになった。隣には夙に知られた女流作家もいらした。その隣人曰く「あのひととは血筋が違います」。ちなみに、私は高木護のファンである。
 実名を隠しての書き込みはあまり意味をなさない。咨嗟するところは、物書きや文学者の多くは裏社会のひとたちにはないものを後生大事に携えていた、それは権威と権力であった。権威と権力の裏付けが知識であろうが格闘技であろうが渡世の筋であろうが同じ穴の狢である。神戸の広域暴力団の中枢にいたひと(ほんの一部だが)の方が配慮に闌け、複雑に錯綜したものの考え方を持っていたように思う。
 それやこれやで、近頃、私は物書きや文学者、それと読書家、要するに知識人といわれる人種をほとんど信用しない。知識がそのひとのなかで解体され、追体験され、ものの考え方にまで伝搬されている例があまりにも少ないからである。解体されずにいるのは、前述の精神的葛藤が未処理のまま無意識領域に抑圧されていることになる。

 国家、民族、宗教、言語、知識などが帰属や境界の基いになり、差別や排除のエネルギー源になる。また、
差別意識の生起の要因のひとつに国語教育がある。それは近代国家の成立の過程あるいは以降に登場したものなのだが、ナショナリズムの発生と国家語意識の発揚との関係については別の機会に譲りたい。ここで述べておきたいのは、イギリスで誕生した近代国家との概念は「万人の万人に対する闘争状態」からの脱出を願っての思想原理のひとつであり、国語はそれら思想をひとに伝えるための道具の共有化であり、知識はその道具の有効性を高めるための薬味だったということである。ホッブズからロックを経てルソーに至るまで、消息は同じである。
 複数の国語という時限爆弾を抱えるスイスやベルギーと日本のように公用語と日常の生活言語が重なっているような国では条件が異なる。そして層なるが故であろうか、「八紘一宇」であれ、その逆の「総括」であれ、どうして日本人は右も左も国家主義的発想から遁れられないのか不思議に思う。それともヒステリカルな中でしか日本人は生きられないとでも言うのであろうか。
 このところ、差別と排除について執拗に書くのは、排斥の論理がヒステリー症状ときわめて似ているからである。演技性、自己中心性、情緒不安定性、誇張された言語への依存性等々、陶酔した没我状態と強い虚栄心が綯い交ぜになるところにヒステリー性格の特徴がある。ヒステリー身体症状の典型が疼痛だが、疼痛は風の病ともいう。悪い気がナショナリズムでないことを願うばかりである。
 言葉や知識を自己顕示性の表明から解放するのは、取りも直さず言葉それ自体の開放になる。言葉を国語教育から、さらには帰属や境界という頸木から解き放たなければならない。いつの世にあっても文化は常にネガティブなものの意義を担保する。だからこそ、言葉は常に破戒されなければならない。破戒するとは、作家の主体的創造力の場に引き戻すことに他ならない。そして言葉の暴力的な破戒のなかにしか「主体的創造力」はない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月05日 11:14 | 固定ページリンク




一考 | バザール

 大磯での村上春樹さんの最初の住居だった建物が売りに出されます。敷地は百坪、価格はお問い合わせください。村上さんから購入なさった方は文化大革命をはじめて報道なさった著名な方です。家屋の売却に先立って、二十一日と二十二日の両日、現地でガレージセールを開催します。大磯の駅から徒歩六分、吉田茂の別荘の横を入って行くのですが、ちょっと分かりにくいと思います。
 アフリカや東南アジアの家具、美術品、民芸品、仮面から食器の他、タイ・シルクのブラウス、シャツ、パンツ、スカート、スカーフ、ショール、ベッドカバー等々、それとシルクの反物が多量にあります。値は衣服で千円から五千円ぐらい、現地価格での放出になります。トラック三台分ですから、夥しい量です。
 興味をお持ちの方はぜひご参加下さい。私は二十二日の午後、車で現地に赴きます。購入希望の方は二名まで同乗可能です。
 大磯・村上春樹との検索で、かなりのサイトが出てきます。そちらに地図も載っていますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月05日 11:53 | 固定ページリンク




一考 | モルト会について

 店での書き込みはともかく、自宅での書き込みは寝惚けているので誤字が多く、管理人には迷惑の掛けっぱなしである。先日も「破壊」を「破戒」と間違えたまま載せてしまいました。まことに相済まぬことでございます。

 今年の三月からモルト会は蒸留所別になりました。アードベッグ12種類、カリラ12種類、ラガヴーリン12種類、ポート・エレン9種類、スプリングバンク12種類、ラフロイグ12種類、タリスカー12種類と続いて、次回十月はハイランド・パーク12種類、次々回はレダイグ9種類です。蒸留所を横断するカスク別のモルト会も計画中です。
 毎回の解説はモルト・ウィスキーに対する私の総決算なので、こちらに掲載しようかと思っております。いずれ纏まればホームページに項目を立てることになるのですが、それまでに細かい修正を施したく思うのです。
 自己顕示欲の強い馬鹿学者の乱入によって、当掲示板を暫時閉鎖したことがございました。その間の2003年7月にもうひとつの掲示板を立ち上げたのですが、私にとっては酒も料理も文学もひとつづきになっていて、分離しようのないものです。従って、これからはウィスキーのことも書き込ませていただきます。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月06日 20:50 | 固定ページリンク




一考 | 曲肱の楽しみ

 西麻布の駐車場を拝借しているので、毎日乃木坂から赤坂まで地下鉄に乗っている。一駅なので乗車時間は二分ほど、従って扉の前で立っている。そしてドアに貼られた漢字検定のチラシを見るのを日々の愉しみにしている。今週のお題のひとつに譲与と剰余があった。
 愉しみにしていると書いたが、漢字が書けるかどうかはどうでもよいのであって、私が興じているのは連想である。日本語は漢字で書かれてしまうとそれまでだが、音だけだとさまざまなアナロジーが働く。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えているなどと書き出すと、これは管理人の専門領域に入り込む。昨今のコンピューターシミュレーションにおける抽象的知識(スキーマ)は手におえない。私が嵌まっているのは益体も無い気散じであって親父ギャグの類いである。
 例えば、辻潤は生涯贈与とは縁がなかったが、譲与のみで生計を立てた。バタイユはモースの贈与論から多くを学んだが、ブルトンが辻潤の譲与論からなにかを学べば、あそこまで権威主義に陥らなくても済んだのではなかったか……思うに、私の生活は辻潤のそれであって、ですぺら開店までの暮らし向きをひとことで要約するとヒモということになる……そもそも紐というものは強くて柔軟であらねばならない、そして独立した製品ではなく付属品にすぎない。ところで、私が誰の付属品であったかと言えば、いやいや、付属品が生意気に私などと主辞を用いてはいけない……
 大体このあたりでホームへ電車が辷り込む。そして店へ着くころにはなにを連想したかは忘れてしまっている。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月06日 20:57 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンの作品が人間と共演

ローマ大学の文化人類学者マッシモ・カネヴァッチさんが先月サンパウロ市(ブラジル)のトゥカ劇場で行った舞踏公演『砂男』で、四谷シモンの人形作品のパネルを使用し、四谷シモン作品と人間のコラボレーションが実現しました↓。
詳細は不明ですが、この公演は、ホフマンの『砂男』とそれにインスパイアされたフロイトの『不気味なもの』を原案とするもので、カネヴァッチ夫人でもあるダンサー、シェイラ・リベイロさんが、四谷シモンの人形を肉体化したかたちで登場し、ホフマンの世界を表現しました。
『砂男』『不気味なもの』というと、日本ではともに種村季弘さんが訳して紹介しており(河出文庫)、周知のように種村さんも四谷シモンの人形の大ファンでした。世界には、似た指向性をもつ人もいるものなのですね。
ちなみに、種村さんはフェティシズムにとても興味をもっていましたが、カネヴァッチさんも視覚的フェティシズムに興味をもっているそうです。
また、カネヴァッチさんは、近日、ローマでも『砂男』公演を行いたい意向のようです。

http://www.simon-yotsuya.net/profil/sandmann.htm



投稿者: 如月    日時: 2006年10月08日 13:25 | 固定ページリンク




如月 | 丸善の「人・形展」

連休、みなさんはどのように過ごされましたか? 私は今日の夕方、丸善丸の内本店の4階ギャラリーで開催されている「人・形(ひとがた)展」へ行ってきました↓。 http://www.nonc.jp/hitogataten/hitogataten.html エコール・ド・シモンのなじみの顔ぶれに加えて、ベテラン、新人入り交じった展覧会で、とてもおもしろかったです。作風が幅広いというのもこの展覧会の特徴でしょうか。この展覧会を企画したドール・フォーラム・ジャパンの小川千惠子さんが、人形展ではなく人・形展だとしたのがよくわかるような気がします。展覧会は10日(火)まで。人形に興味のある方はぜひ。



投稿者: 如月    日時: 2006年10月09日 22:11 | 固定ページリンク




一考 | 瓦版なまず

 moonさんへ
 季村敏夫さん編輯の瓦版なまずが発刊されました。執筆者は安水稔和、杉山平一、宮崎修二朗、林哲夫、扉野良人、港大尋、林宏仁、季村さんと私です。知己が五名、面識のない方が三名、しかしお名前はすべて存じ上げています。moonさんは神戸華僑歴史博物館の林宏仁さんはご存じかも。
 宮崎修二朗さんとはよく飲みました、彼が神戸新聞社にいらした頃のはなしですが。その宮崎さんがわが国のSFの開祖ともいうべき矢野徹について書いています。矢野は魚崎でDPEの店を営んでいたのですが、他にも井上勤や新開地の春秋堂という薬局の倅、横溝正史のことなどを描いています。
 私の方は何回の連載になるのか見当もつきません。「当時、坊主頭の私は俳文堂の主人有川正太郎さん行きつけの茜屋で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。茜屋は元町六丁目と五丁目のあいだに在った珈琲店である。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧にはじまり、やがて元禄、寛永、正徳、享保の江戸俳諧へと詼々の晤語は遡って行く。其角、支考、許六、嵐雪よりは去来を、その去来よりは丈草を、暁臺、樗良、几董、月渓よりは青蘿をといった塩梅で、根が天邪鬼だった私の歪んだ性格をさらに助長させ、深化させたのは間違いなく有川さんだった」
 という調子なのですが、芥川龍之介と日夏耿之介が讃歎した上筒井のなつめや書店について書きたいと思っています。大正期は阪急大阪行きの始発駅が上筒井にあり、加えるに一中、高商、関西学院が山側にありました。従って、上筒井商店街にはなつめや書店や白雲堂などが並び、関西有数の古本屋街でした。その界隈のことは関西学院へ通っていた足穂や今東光も著しています。
 神戸の出版文化や古本屋については高橋輝次の著書以外まとまったものはありませんし、その高橋さんも川西和露や野田別天楼、なつめや書店の安井小洒については触れられていません。ぐろりあそさえてや五典書院も大事ですが、五典書院がわが邦の書誌学の方向を決定づけたように、なつめや書店の出版物は江戸俳諧の歴史を、さらにはわが国の文学史の書き換えを余儀なくさせました。どなたか書くひとはいないのかなと思っていたところ、季村さんから連載依頼があったものですからお引き受けしました。私ごときには荷が重過ぎるのですが、なつめや書店から俳文堂に到る系譜について、知っている僅かなことでも書いておけば、きっと若いひとのなかから研究者が出てくると思うのです。

 「なまず」は元町の海文堂に置いてあるそうです。海事の担当者が昔私と一緒に仕事(コーベブックスか)をしていたそうですが、お名前はじめ詳細は分かりません。立ち寄られることがあれば確かめて頂けないでしょうか。ちなみに「なまず」の連絡先は(神戸市長田区東尻池町1-11-4 神港金属)です。あなたのことは伝えておきます。もっとも、尻池のなまずじゃ、油臭くて喰えませんよ。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月11日 00:06 | 固定ページリンク




一考 | 驕子綺唱の跋

  跋
 友よ、詩冊子「孟夏飛霜」の上木を賀ふてから、もう六たび裘葛(葛[第1水準1-19-75]は誤字、つくりは曷が正しい)を易へる。すると、我々の交遊も、もう六年の余になる。この六年間は、私にとって、君を別にしては洵に短く、君を交へては洵に長い。世の常の春秋に満しきれぬ思ひ出が、私の胸に残されてゐるからである。
 君が華かな鹿島立も、ひきつゞく現身(うつそみ)の憂に心を夷(やぶ)り、途次(みちすがら)、更には(さんずい偏に霸)橋驢上の閑日月を得さしめず、この六年間の、君の焦思とでう(をんな偏に堯)悩と憂磋とは、いくたび私の腸を断しめた事だ。そして、君は一度ならず詩藁を火中して、詩文を棄てようとまでした。呼、しかし、友よ、君は詩を忘れることは出来なかった。生命(いのち)にかけて忘れ得なかつたのだ。
 その思ひ出が、うれひ(立心偏に潛・僭のつくり)てはれう(立心偏に摎・樛・膠のつくり)然と私の心を逼脅(おびやか)した思ひ出の狭霧が、次第に霽れて、春闌(た)ける故園(ふるさと)の日光(ひかげ)の様な閑(しづ)かな欣びに腕(かひな)をのべて、君は、君の「驕子綺唱」は、今私の眼晴(まなこ)を煌かに差含(さしぐ)ましめる。
 曩に、「孟夏飛霜」を繙いて、金石の声に耳を欹てた人々は、うち易つた君の詩の相姿(すがた)に愕きの晴(め)をみは(目偏に崢・淨のつくり)るであらう。しかし、だれが知らう、今君が愛妻(はしづま)と向ふ夕餉の明るい燈火(ほかげ)もかつては人生の渦潮(うづしほ)の底(そこひ)に眺めて、蒼りやう(にすい偏に涼のつくり)たる月光(つきかげ)であつたことを。
 友よ、詩霄に天馬(ペガスス)を翔(か)る奔情と、法利賽(パリサイ)の徒と共に生き得ぬ資霊とは、君をして自ら世に乖き、人に孤れ、夙くもけん(め偏に絹のつくり)然として定業を直視せしめた。そして、君の情火が綜ゆる坎か(つち偏に珂のつくり)を灼きつくして、その灰の中から、君が、君の詩が、フエニツクスの如く甦つて来たのだ。茲に私は、君の詩が既に宿命に約束せられた、本然の格調に臻つたことを信ずる。
 嘗て、天狼の冷光に悲哀を矜つた心の傷みが、今、なごやかな幸多い日ざしのなかにも憂れたげな蔭翳(かげ)を落して、君の眼差を曇らすとき、古い夢の奥(おくが)に燎える、始元の霊火が、君の詩魂をして、永劫の寂寥を趁しめる。
 かくて、寥亮の伊吹の、一陣の秋風となつて、詩藁の白きに帰る日まで、友よ、君の稟賦の円熟と共に、君の詩の赴くべき定命を竭さしめよと祈る。
  戊辰夏七月
          龍謄寺 旻

 平井功の「驕子綺唱」に附された龍謄寺旻の跋文である。天才少年と謳われた平井の尖った詩が二十歳をこえて枯淡の域に達してゆく、その辺りの消息と龍謄寺の功への篤い友誼が見て取られる。
 ゆかりやよしみを描くなら他に方法があるだろうにと思う。ここまで強面を張られると、意地でも裏を探りたくなる。探れば内容の乏しさが陽に透かされる。言出し兵衛は私なのでなにも言えないが、このような文章を読むと切なくなってくる。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月16日 22:39 | 固定ページリンク




一考 | 片頭痛

 九月のはじめから片頭痛に悩まされてきた。あまりの痛みにエアーサロンパスをこめかみに塗りつけていたが、どうやら逆効果だったようである。治療に用いられる酒石酸エルゴタミンは血管の拡張を抑制する薬だが、サロンパスは促進させる。
 10月にはいってからは血圧が異常値を示すようになり、目眩いがはげしくなってきた。バッファリンやアスピリンでは手に負えなくなって、今日は朝から検査を繰り返している。主治医の見立てだと片頭痛ではなく、脳卒中の二大疾患の片割れの疑いが濃厚であるそうな。三時からMRIの検査がはじまる。
 一族のほとんどが卒中で死んでいるので、このまま死んだところでそんなものかなと思うだけである。未練や執着はなくはないが、好きな酒や烟草やフェティッシュな下着といった他愛ないものばかりである。
 取るにたりない個人的なことはどうでもよい。久しぶりに主治医と話しておもしろかったのは片頭痛と偏頭痛であった。文字を捏ね回す稼業にあるひとは偏頭痛を好んで用いる。しかし、医学上は片頭痛でなければ困るそうである。どうして困るのかはMRIの後で教えていただこうと思っている。
 主治医は浦和で開業しているが、南浦和に映像フェチの医師がいてCTスキャンからMRIまで、さまざまな電子機器を備えているのである。主治医の友人で都立豊島病院に重度の痔を抱えてエベレストに登頂した医師がいる。その医師から「どうにもならない立派な痔の持ち主」と褒められたときは嬉しかった。そのような部位に陽が当たるのは滅多にないことである。主治医は石割りの達人で、その道では知られたひとである。単純な骨折なら足も腕も指も自分で修理してきたが、臓物は手に負えない。上京後七年のあいだに三度手術していただいた。
 エリザベス・ベニヨンの著書を座右に置くような医師がいる。オタク、マニア、フェチ、どう呼称してもよいのだが、医療機器は高額である。CTスキャンからMRIまでと気楽に書いたが、いずれも数億円の価格帯である。映像フェチの医師と聞かされただけで、背筋がゾクゾクする。どうやら詼諧の検査を楽しめそうである。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月17日 13:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お見舞申し上げます

一考様。
記事を拝読して吃驚いたしました。
偏頭痛とのことで、さぞかしお辛いことと存じます。
お医者様の処方に従つて、一日も早く恢復なさいますことを切に祈つてをります。
あまりご無理をなさいませぬやうに。わたくし譯予定の「フェチ大全」もまだ緒についてをりません。一考さんにぜひお見せしたい仕事です。どうかご安静第一に、療養専一に。

追記
日本国語大辞典第二版によりますと、偏頭痛は「清原国賢書写本荘子抄」(1530)の用例「偏はかたかたぞ。偏頭痛。正頭痛」とあるくらゐで、現代のお医者様の言とは裏腹に、江戸時代でも「偏頭痛」と表記してゐたやうです。広辞苑には「片頭痛」の表記は載つてゐませんでした。
余計なことですが、言葉を蔑ろにしない一考さんだからこそ、あへて書きつける失礼をお許し下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年10月17日 23:53 | 固定ページリンク




一考 | 断層の断想

 MRIのネガを持ってしのざき脳神経外科クリニックから山崎外科泌尿器科診療所へもどった。どうやら造影剤を注入しての新体操はせずに済みそうである。あてがわれた薬はミオナール50?とデパス0.5?、それにトランキライザーの類いである。早いはなしが、筋肉弛緩剤と睡眠薬、言い換えれば、緊張をほぐして睡眠をたっぷり取れということになる。さらに翻訳すれば、肩こりからくる頭痛とめまいだったということになろうか。いずれにせよ、詳細は資料と共に主治医がですぺらへ飲みに来て説明してくださるらしい、かたじけなく思っている。
 MRIは二度目だが、道路工事中のような騒音は相変わらずで、コトコトコトコト・・・ガッキーンガッキーンが十五分ほど続く、まるでSF世界の住人である。CTスキャンはレントゲンだが、MRIは磁気、正確には核磁気共鳴撮影装置である。磁気はX線と比べてほとんど人体に害がない、早晩こちらに切り替えられると思う。90年代半ばからは画像が飛躍的に鮮明になって血管撮影(MRA)も可能になった。脳血管の立体画像も見せていただいたが、物珍しさからか妙な美しさを感じた。よって、五十枚ほどの断層写真をCDに焼いていただくことにした。
 三センチ五ミリの性器を誇示する趣味はないが、自分の脳の断層写真を愛人に見せびらかすのは嗜好にかなう。特に眼球と大脳とが並んだ図には感動させられた。言葉や文字で言い著される思いよりも断層写真により抽象性を覚えたのである。私にとって性とはおそろしく抽象的なものである。断層写真が誘引剤となって性フェロモンを放出するような牝と巡り会ってみたいものである。
 ついでに、CTスキャンも見せていただいたが、島津製作所最新のスパイラルマシーンが鎮座するのに愕かされた。大学病院ならいざしらず、個人診療所が揃えるような種類の機器ではない。さすがに映像フェチといわれるだけのことはある。
 編輯は偏執に通じる。従って、なにごとによらず偏ったものに興味がある。ただし、オタクであれマニアであれフェチであれ、パラノイアやモノマニアにとどまる限り、箸にも棒にも引っ掛からない。一つのことに異常な執着をもつのは結構だが、それが人格の荒廃をきたさなければ、なんのための固執であり妄想なのかと問い質したくなる。一度偏りはじめた障害者の行き先は餓鬼偏執しかない。

 ところで、MRIの主たる目的は脳血管の動脈瘤や脳腫瘍の有無などを調べることにある。簡単な検査で即MRIを撮りましょうと言われれば、患者は臆するものである。主治医と薫子さんとの遣り取りは知るべくもないが、神色自若を粧う私に対する主治医の竹箆だったのかもしれない。

追記
 昨夜、珍しくお客さんがあって以上の書き込みを載せられなかった。今日載せようとしたところ高遠さんのお見舞いがあって、こちらこそ吃驚いたしました。寝てれば癒るといった塩梅だそうです。
 頭のなかに感じる痛みが頭痛なのですが、私のような素人には頭蓋骨の外側にある筋肉、筋膜、動脈、神経などの軟部組織に起因する投射痛との区別がつきません。滅多に痛みを吐露しないので、主治医が気を利かせたのだと解釈しています。
 日葡によると「ヘンノヅツウ」もしくは「へんとうつう」だそうですが、手元の読み本の類いだと「かたずつう」との記載が散見されます。調べる必要がありそうですね。いずれにせよ、チョコレートやチーズの摂取も発作の誘因になるらしく飲み助には困ったものです。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月18日 14:35 | 固定ページリンク




一考 | 大脳の白蒸し

 MRIの断層写真だが、大脳と頭蓋骨のあいだと左脳と右脳とのあいだの前方に白い部分がある。これは大脳の萎縮によって生じた空白部であって、私の大脳は年齢相応の萎縮だそうである。ひとの身体は十四、五歳でピークを迎え、あとは老いさらばえてゆく、大脳の盛りは二十四歳(二十二歳との意見もある)で、あとは死に向かって萎縮が進行してゆく。医学上はそういうことになっている。
 昨日、佐々木幹郎さんとはなしていて、私の脳髄には老化や萎縮はまったく見られないと告げられた。脳外科の医者に訊ねたところ、たまにはそう思い込んでいるひともいる、老化は個人差があって迂闊な発言はできないが、萎縮が顕著に確認できないひとが一千万人にひとりぐらいいるとの話を聞いたことがある、と聴かされた。
 幹郎さんが一千万人にひとりの存在だったら、私は彼の前に跪かなければならない、なにしろ、全国でも十二人しかいない珍種、貴種である。コウノトリか幹郎かといった存在である。昨夜は嫉妬と羨望にせめ苛なまれて熟睡できなかった。

 下腹部の老化と萎縮には自信がある。ここで自信などという言葉を用いれば高遠さんから叱られる。ただ、漱石ではあるまいし、自分の才能や価値を信ずることが必ずしも肯定的でなければならないとは思わない。否定的な自信があってもよさそうなものである。下腹部がものの役に立たないことに自信を持っているのであって、悔しかったらかかってこいと世の女房共に言っておきたい。下腹部の任務や義務は他にもあるのである。
 しかし、脳、それも大脳とくれば、負けてはいられない。しかし、負けている、しかし、負けたくないとの堂々巡りが空が白むまで続けられた。これでは大脳の白蒸しである。
 しばらくは口もききたくないなと思い詰めていたのだが、ふと彼の「オポッサムと豆」を想い起こした。

 頭蓋骨の中で からからと鳴るのは豆粒
 オポッサムは二十五個 スカンクは三十五個
 アライグマは百五個 アカギツネは百九十八個
 コヨーテは三百二十五個 オオカミは四百三十八個

 北アメリカの雪の原野で
 シートンは言う
 アカギツネは救いがたい

 ・・・

 かまどの横で寝続ける十頭
 頭蓋骨の大きさに何の意味がある
 豆が何個入るかなんて

 詩の中にred fox(私のニックネーム)がちゃんと入っているではないか。「小さな豆が百九十八個しか入らない頭蓋骨なんて 何を考えているのか」幹郎さんはそこまでお見通しだった。げに詩人は怖ろしいもの恐いものである。
 詩人をぎゃふんと言わせるには百九十九個目の豆を購入しなければならない。帰りに川越街道の乾物屋に立ち寄らねばならない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月19日 21:01 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 美の壺


NHKで放送されている「美の壺」です。

ごらん下さい。

http://www.nhk.or.jp/tsubo/archives.html



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2006年10月28日 14:36 | 固定ページリンク




一考 | アンチ・オイディプス

 ドゥルーズとガタリの「アンチ・オイディプス」の新訳が河出文庫から上梓された。発売後、わずか一週間で二刷になった。しかも文庫の初刷部数の常識を越えている。
 精神分析や革命の定着はおろか、実存主義も構造主義もなにひとつとして読み解いた哲学者をわが国は持たない。小林秀雄以降、吉本隆明のごく一部を除いて、哲学や文学を語るに価する作家がひとりとして輩出されなかった日本の這辺において、いかように本書が繙かれようとするのか、面妖なはなしである。
 旧訳が開板されたときに、吉本隆明が否定的な書評を綴った他、さしたる反応はなかったように記憶する。その書評にしてからが、家族か社会か、保守か革命か、パラノイアかスキゾフレニーか、オイディプスかアンチ・オイディプスか、といった花田清輝や林達夫的二者択一を一歩も出るものではなかった。(この問題に関しては、家族という「対幻想」の場が意味するものを当掲示板で書き継いできたつもりである。さらに書き込みたいと思っているので、ここではこれ以上は触れない)
 訳者の宇野邦一が「あとがき」のなかで、スラヴォイ・ジジェックの「身体なき器官」を援用しての揶揄は取りも直さず、痛烈な吉本批判になっている。

 シニカルな資本主義は、次々シニカルな思想を生み出すので、「器官なき身体」を「身体なき器官」によって脱構築しようとするような試みも生れてくる。そもそもドゥルーズとガタリにとって、「身体なき器官」は、「器官なき身体」の危険そのものであり、「器官なき身体」と同時に部分対象の群れとして生み出されうるものであった。
  ・・・・・
 人間が身体と自己を切断(去勢)することによってある空虚(非身体)を生み出すことは、そもそも人間が精神であることに他ならない。ユーモアたっぷりに見えて、そういう自分の信念だけは決して笑うことのできないジジェックは、「アンチ・オイディプス」の生成、生産、そして器官なき身体の理論を、ドゥルーズの非身体の哲学を裏切るものとして批判する。これは奇妙な切断といわなくてはならない。

 それこそ、「ユーモアたっぷり」の明解な論理がここにはある。さればこそ、結論もいたって明解である。ドゥルーズは「精神、身体、自然を連続的にとらえるプラグマティズムあるいは一元論の発想を一度も捨てたことはない」、さらに、ドゥルーズにおいては身体の哲学と非身体の哲学がトポロジックに並存してい、いわば「双面をもつ哲学」を提出しているのである、と宇野は指摘する。
 ヘーゲルの法哲学の批判的再検討をさぐる過程でマルクスは「資本論」を著した。同様に、本書で提出される世界史的展望は、包括的に展開されるヘーゲルのそれではなく、むしろ世界史を別のまなざしによって切開し、別の問題を発見しようとする試みなのである。
 私のようにシニカルな人間にとって、「思考の対象を包括するのではなく、思考の姿勢を変えることをうながしたい」との言葉は大きな誡めとなる。まるで混沌や退行からの飛躍を常にうながされているようなものである。そういえば、種村さんも混沌から逃げ回っていらした。
 集団としての紐帯を固めるもろもろの儀式、パターナリズム、アイデンティティ、帰属、境界といった「母殺し」を絶えず繰り返してきた私などは、さしずめアンチ・オイディプスの典型と言えようか。
 土曜日の深夜の氷川台、ひょんな偶然で出遇った宇野さんに、そのアンチ・オイディプスが「アンチ・オイディプス」を碌に読んでこなかった不幸を告白した。このたび贈られた「アンチ・オイディプス」は熟読しなければならない。読書とは家族や性や自我を構成する無数の分子を注視することであり、今までとは別様のそれら分子の結合や共振を見いだし続けることに他ならない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月30日 23:10 | 固定ページリンク




最高!e精力剤(^-^*) | 最高!e精力剤(^-^*)


会社でのストレスを発散するいい方法探してます?
私の知人はE精力剤ってところで売っている商品を使っているようですが、
これがスゴイといっています。
会社でたまったストレスはその晩のうちに、ギンギ~ン!っと発散!!
家に帰って妻との夜を「愛」のあるものに。
出会った頃のドキドキ感を取り戻しませんか?
私も試しましたが、なかなかのものですよ。 
http://www.eseiryokuzai.com



投稿者: 最高!e精力剤(^-^*)    日時: 2006年11月02日 17:53 | 固定ページリンク




一考 | 精力無用

会社でのストレスが気になるのであれば、会社を辞めるのが一番。
ギンギ~ンになれば更なるストレスに見舞われることは必定。
鬼瓦との夜に「愛」なんぞ取り戻したら、それこそ地獄の日々が待っている。
なにを考えているのかねえ。
身体、器官、去勢、家族、性といったことばで引っ掛かってくるのでしょうが、ドゥルーズやガタリにとっては傍迷惑、災難ですねえ。

管理人さんへ、双方まとめて消してくださいな。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月02日 19:34 | 固定ページリンク




一考 | オークニー諸島の写真

先月のモルト会はオークニー島のハイランド・パーク蒸留所でした。席上、ウェブサイトに結構な写真が載っていると言いましたが、URLは以下のごとし。
ももんがあまんさんの旅行ブログですが、指定のページはオールド・マン・オブ・ホイの奇岩。ブラックアダー社が同名のカスク・ストレングスをボトリングしていますが、ホイは一本マストの漁船のこと。最初はスキャパの10年もの、59.3度で、オフィシャルと比して甘味に特徴があり、ハーブのキャラクターとリッチな蜂蜜の添え香がありました。ここ五年ほどはスキャパでなく、ハイランド・パークが用いられています。
ももんがあまんさんの写真はスコットランドの部が104枚、オークニーとスカイ島の他、ヨークシャーのマラムやハドリアンズ・ウォールなどが収録されています。

http://4travel.jp/traveler/momongaaman/pict/10187156/



投稿者: 一考    日時: 2006年11月02日 20:27 | 固定ページリンク




デリシャスウィートス | デリシャが演劇界に殴り込み

     ~緊急!告知!!~
グランドキャバレーニューワンマンショウ開催定!!!

「デリシャ●カーニバル とびだせ!人間!NO.14」
   新しいめまい!愉快!豪華デラックス!!
    ~日本の太陽かけ足ススメ!!~

 11月25日(土)●場所・東京キネマクラブ
         
出 演●デリシャスウィートス
ゲスト●とうごう けん(伝説のオカマ)
山田広野(活弁映画監督)
    
    たくさんのアンコールにおこたえして!
     更にデラックスに開催決定!!
     デラックスキャバレーショー
    
料金●前売り3000円(ドリンク別500円)
   当日3500円(ドリンク別500円)
  特別グンバツ席5000円(おみやげ付・指定席)

主催●(株)千代田ラフト



投稿者: デリシャスウィートス    日時: 2006年11月05日 02:20 | 固定ページリンク




一考 | 教育基本法改正

 その昔、須永さんの著書を印刷するに際し旧字との闘いを強いられた。
 明治にはじまって戦後の当用漢字(現常用漢字)の指定に至るまで、否、それ以降も輓近四代にわたって金属活字に対する規制や制限はまったくなされていない。木版活字にまで遡っても消息は同じである。江戸時代の黄表紙本では変体仮名やさまざまな書体が駆使されている。仮名遣いの論争こそしばしば起きているが、定家仮名遣いが規範として強いられることはなかった。権力者が国語に深く関与しないのはわが国の古くからの伝統なのであろうか、当用漢字にしてからが、単に指定したまでであって強制力やペナルティを伴うものではなかった。そして、当用漢字や現代仮名遣いの制定に占領下の民間情報教育局(CIE)はなんら関与していない。
 アジアではタジキスタンに次いで日本の識字率は高いとされているが、わが国の調査では被差別部落民、障碍者、病弱者などが調査対象から一律に排除されつづけた。個としての人格を重んじ、教育はその人格形成に資するものとし、国は教育に奉仕しなければならない、そこに戦後の教育基本法の骨子があった。そして識字率をさらに上げることに目的があり、それから後は個々の努力を促すところに戦後教育の理念があった。漢字にとどまらない、内閣告示の「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣は尊重されるべき」と著されている。
 思うに、新字新仮名を普及させたのは「自主規制」の名のもと、組織の利益をのみ追求した新聞社や出版社を中心とするマスコミではなかったのか。新聞は自社で印刷するのだが、文字数が少なければ少ないほど、文選・植字工の人件費が安く済む。さらに、活字は磨耗するので再使用できない。直刷りだと、膨大な量の活字代をすべて負担しなければならない。旧漢字を用いた時の印刷費用は、昭和四十年の段階で既に略字による印刷の二倍を越えていた。それを防ぐために編み出されたのが、組版からフィルムを起こして刷版を作る、もしくは紙型を取っての鉛版刷りである。しかし、それでは何のための活版か分からなくなる。とは言え、利潤を追求する多くの出版社は略字による活版印刷すら却けてきた。それは書物の生命線ともいうべき糸縢りを捨てて顧みない現在になお受け継がれている。
 はなしは旧字、略字にとどまらない。渡辺の辺には六十五種類、斉藤の斉には三十一種類、佐藤の藤には十四種類、高橋の橋には六種類の異体字が謄本や住民票で用いられている。かつて当掲示板で改名について書いたが、明石の市役所で六十五種類の「辺」を見せられて愕然とした。まるで八百屋の店先で今日の「なべ」に入れる具材はどれにしましょうかと、品定めをさせられているような塩梅である。
 異体字が際限なく膨らんだ理由の半分は謄本をデジタル化するときの書き文字の判読にあり、あとの半分は官による字体の統一がなされなかったところにある。之繞の崩し字の「てん」が繋がっていればひとつ、分かれていればふたつ、といった滅茶苦茶な分類・識別が繰り返されたと担当者から聞かされた。
 国家や政府による規制の有無に対して私は意見を持たない。ただ、「りったつ」の「てん」や「そうへん」または「はね」や「かえりてん」のように、字形の異なる母型が無数に存在する理由はすべてを民間に委ねたところにある。
 この問題は新JISにもそっくりそのまま引き継がれている。日本語には統一されたunicodeが存在しなかったのである。マイクロソフトは早くから文字制限の撤廃を薦めてきたが、自社コードをスタンダードにという日本メーカーのエゴ、一般のパソコンで印刷所なみのフォントが揃えば商売に差し支える、大衆はそのようなものを求めていない等々の理由によって無視されてきたのである。
 撤廃の口火を切ったのはマックのシステムOS Xが掲載したオープンフォントである。2005年7月末にマイクロソフトが方針を示したJISは、そのまま次世代基本ソフト「ウィンドウズ・ビスタ」にも搭載される。問題になった「侠 倶 呑 填 掴 焔 痩 祷 箪 繋 繍 莱 蒋 蝉 蝋 醤 頬 顛 鴎 」の十九文字は旧字と略字の双方がそのまま組み込まれることになるらしい。
 いずれにせよ、自らの国語すら外圧にたよらなければなにひとつ進展しないし決着をみない、日本人の不甲斐なさにはただただ呆れ返るばかりである。南堂久史さんの発案であるにせよ、要はアメリカさんのお陰で第四水準までは自由に使えるようになった。マイクロソフトは早晩、第六水準までは入れると宣しているが、それに対して「略字を消すな」と騒ぎ立てている日本人の誤解は滑稽ですらある。
 ところで、私は新字新仮名の信奉者でもなければ旧字歴史的仮名遣いの信奉者でもない。言葉はそんなに単純に割り切れるものではないだろうと思っている。好きにすればよろしいのであって、略字なら略字の、正字なら正字の正当性を囂しく述べ立てること自体がおよそ非文学的な行為ではないかと思う。文学とは二者択一のような対立的・図式的なものの考え方を否定すると同時に、安易な弁証法的統一をも等しく拒むものである。表現とは重層的なものであり、トポロジックな並存という場に常に行き着くものである。

 はなしはこれでお仕舞いである。ただ、ここで終わったのではいささか毒素に欠ける。以下は例によって与太話である。
 首相の初仕事は秋山収のあとを継いだ内閣法制局長官坂田雅裕に詰め腹を切らせることであった。次いで最高裁長官の首が挿げ替えられた。集団的自衛権の行使を容認しないとの憲法解釈を担ってきた、憲法の防波堤とも言うべき内閣法制局を一気に突き崩したのである。
 憲法改正の前に教育基本法を改正しなければならない。教育基本法は、教育を国家の奉仕者たらしめる「教育ニ関スル勅語」から教育それ自体を解放するのが目的であった。それ故、前文には基本法と憲法の一体性が明示されている。謂わば憲法第98条のようなもので、憲法改正を実現するためには、まず教育基本法の前文を削除するか書き換えなければならない。その教育基本法の改正案は来週には衆議院によって可決される。
 かつて、教育ニ関スル勅語の原案は内閣法制局長官の井上毅と枢密顧問官の元田永孚によって起草された。骨抜きにされた内閣法制局に命じられるのは「教育ニ関スル勅語」パート2である。正字・正仮名遣いを国是とする美しい国日本は安倍晋三のような国家主義者にしか創られない。保存すべき価値の積極的な選択を前提とする丸谷才一や大岡信のような文化的保守主義者は狂気して喜ぶのであろう。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月09日 12:10 | 固定ページリンク




一考 | ウィスキー学者

 某サイトで、友人がモルト・ウィスキーのコミュニティを立ち上げたというので、moonさんに無理をいって仲間に入った。ところが、個々の嗜好の表明と昔はよかった式の珍品ボトルの蒐集、所有にかんする自慢話の繰り返しなので、わずか三箇月で飽きてしまった。その手のはなしは書物コレクターで食傷気味である。従って、そちらのブログは閉鎖した。
 役者のあいだでは「らしい」「臭い」もしくは「ぶる」「ぶらない」がしばしば用いられる。ウィスキーも文学同様、旨い、不味いだけで結構だと思うのだが、通ぶろうとすれば、「旨い」にさらなる理屈を付すことが求められる。蒸留所が建てられた地域の気候風土のはなしなら納得する。海の端で熟成されたウィスキーには潮の香が、花畑での熟成にはフローラルな香が、森に囲まれた熟成ではナッティな香が特有のキャラクターとして加味される。理屈がそのような香味と密接にかかわるものならまだしも、ラベルがどうの、木栓がどうのといった外装の紹介になれば興ざめである。いわんや蒸留所の歴史や歴代オーナーがどうのといったウィスキーの通史など、知ったことかといいたくなる。飲んで味わうのは中身であって、黴の生えたラベルを舐め回したり、瓶の形状を愛でる気は毛頭ない。
 「旨い、不味い」が字義通りならどうと言うこともない。味覚には個人差があって、取りも直さずそれら差違を互いが認めあうのは麗しいことかもしれない。しかし、世の中には無神経なひとがいて、うっかりすると「旨い、不味い」がいつのまにか好き嫌いにすり替えられている。おそらく、そのあたりから正当化がはじめられるのであろう。旧字・歴史的仮名遣いを正字・正仮名遣いとするがごときで、蒸留所の元詰めにオフィシャル・ボトルとの和製英語を冠してなんら恥じ入るところがない。私に言わせれば、元詰めボトルほど不味いものはないのだが、ほとんどのひとは「オフィシャル」と名付けられた売らんがための「ぶる」の前に平伏する。ことほどさように、ひとは自らに自信を持たず、その結果として権威権力にひたすら迎合するのである。
 ですぺらはボトラーのウィスキーの収集に力を入れている。ある日、客から「それは正規品ではないだろう」と言われて銷沈した。そのような客にお飲みいただくようなウィスキーの持ち合わせはない。お引き取りいただくしかないのである。
 ウィスキー学者といった存在があるのかないのか知らないが、もしあるとすれば、それは文学者同様、とんでもなく如何わしく訝しいものではないだろうか。「樽の数だけのウィスキーがある」とはよく言われることだが、ウィスキーは熟成に用いられる樽の種類とコンディションによって、個々の香味やアルコール度数が変わってゆく。要するに一樽ごとに本質が異なるのである。されば、性質や要素の違いを違いとして愉しむところにモルト・ウィスキーの核心があるのではなかろうか。
 ボトラーのモルト・ウィスキーは基本的に一樽限定である。従って、購入した一本のボトルのなかにのみ、そのウィスキーの事象の形相がある。消息はひとであれ文学であれ同じである。どなたでもよろしいが、moonさんならmoonさんの体躯のなかにmoonさんがいるのであって、体躯という個を除去すると概念それ自体が成り立たなくなる。文学が一代限りとされる根拠もそこにある。
 蒸留器や蒸留所の歴史を教えることができても、ウィスキーの香味を教えることはできない。哲学の通史を教えることができても、哲学という行為そのものを教えることはできない。話序でに、仮名遣いを教えることはできても、それはついに文学を教えることにはならない。表現者に限らず、なんびとであろうとも言葉をおろそかにできないのは理の当然である。しかしながら、ひとにとって言葉という概念はウィスキー同様、常に不周延なのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月09日 21:28 | 固定ページリンク




如月 | (無題)

12月5日、学習研究社から四谷シモンの新しいエッセー集『四谷シモン前篇ーー
創作、随想、発言集成』が刊行されます。全408ページで、24ページの口絵つき。
予定価格\2,500。内容は、四谷シモンがこれまで出したエッセー集『シモンのシ
モン』『機械仕掛り神』(いずれも絶版)に、その後書いたエッセー、この二冊
に未収録のエッセー、対談などを加え、これまでの四谷シモンの言語活動がすべ
て通覧できるようにしたものです。
くわしい内容等は、わかりしだいまたお伝えします。
なお、刊行後、desperaで四谷シモンを囲む会なども企画したいと思います。
どうぞお楽しみに♪



投稿者: 如月    日時: 2006年11月10日 15:33 | 固定ページリンク




一考 | 言葉の翳

 「某」の編集会議で「カツ」を入れられたと書かれてしまったが、そのことを弁護はしない。ただ、言い方がきつかったのであればいかようにもお詫び申し上げる。私自身が新字新仮名を遣っているので、大きなことを言える立場にはない。しかし、遣う遣わないは別にして、旧字旧仮名を知らないよりは知っていた方がよいに決まっている。そして、それを覚える機会は今では極端に寡なくなったと思う。
 新聞はともかく、単行の出版物は一挙に新字新仮名に変わったのではない。私が子供の頃はまだ新旧仮名遣いが混在してい、目にする機会が多かったのである。従って、新旧仮名遣いのどちらに対してもなんの抵抗もない。
 しかし、編集ということになればはなしは別で、特に旧漢字にかんしては辞書と首っ引きの日々が続いた。先項で書いたように、母型屋の数だけ異体字があって、辞書によってまったく異なるのである。範とすべき諸橋大漢和辞典が完結したのは昭和三十五年、同縮刷版の完結が昭和四十三年だったが、当時はそれらを購う金銭の余裕はなく、ようやっとバラで買い集めだしたのは昭和五十年代に入ってからであった。
 私がコーベブックスで編集に携っていた昭和四十年代後半は塚本邦雄の影響であろうか。猫も杓子も正漢字歴史的仮名遣いで、なかには正漢字歴史的仮名遣いをさっぱり解さないひとまでが、著書を正漢字歴史的仮名遣いで組んでくれと願い出るようなありさまだった。
 流行と思しい旧字旧仮名の氾濫に、反吐する気持ちにさせられたのを覚えている。一方で吉岡実さんのように、嫌な時代は思い出したくないとばかりに旧字旧仮名を抛りだしたひともいらした。吉岡さんの編著書「耕衣百句」を上梓した折は、実の字もこれからは略字にしてくれと頼まれた。ひとはさまざまな人生を送る、それをとやかく言う権利は私にはない、望まれるがままの書冊を造るのが編集者の務めである。

 さて、某の同人である。平井功の詩集を開板するに際し、小出昌洋さんや私が旧字旧仮名に直したのではみなさんにとってなんの勉強にもならない。漢和辞典には旧字が、国語辞典には旧仮名が併記されている。面倒だが、辞書を引きさえすれば解決するのである。それでなくても、校正とは一字一句を辞書で確認するものである。自らの語感で推しはかる、もしくは知っている文字だけを訂してなにが済むものでもない。これを機に旧字旧仮名に取りつく端緒にしていただきたいと願うのである。さらには、辞書を引くのが習性となるように願っている。ただし、辞書はあくまで辞書である、それは表層的な意味内容と用法の羅列でしかない。そこから逃げ去ってゆく言葉の翳のような部分をいかに補足して読み解くか、言い換えれば語釈をいかように手籠めにするかというところに文学の官能的なよろこびがある。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月11日 00:22 | 固定ページリンク




如月 | タイトルの訂正

四谷シモンの新しいエッセー集のタイトル『四谷シモン前篇』ではなく『四谷シ
モン前編』でした。訂正します。
このエッセー集、もちろん、これまでのエッセーをすべて集めたものですが、こ
れからも活動して続きを書くということで、あえて「前編」をタイトルとしたと
のことです。



投稿者: 如月    日時: 2006年11月11日 21:58 | 固定ページリンク




一考 | 職工事情

 十五年ぶりに装丁をしようかと思って、あちらこちらに注文していた材料や見本が順次送られてきた。反物は見本の色調や手触りに応じて経糸がどうの緯糸がどうのと細かい指示を繰り返して、書物の表紙に相応しい布に仕上げてゆく。満足なものが出来上れば、黒谷へ送って楮紙で裏打ちするのである。丹波の麻糸や金沢の金箔、イギリスの板紙などは熟知しているので、発注通りでなんら問題は生じない。
 ところで、一部が届いたのはいいが本は造らないことになってしまった。今年の春に年内に造れと言われてお断りしたのである。年内に造らなければならない理由が気に入らなかったのだが、それはここでは書かない。原稿を提供する側の体面や面目にかかわる、あまりにも下らない個人的なはなしだからである。もっとも、既製品を用いて装丁するのなら年内に間に合ったかもしれないが、そのような安直な書冊を限定本として造ったことはない。これは当方の体面や面目と言っていえなくもない。しかし、蠧魚の絶好の餌になる絹糸や木綿糸は綴糸に用いたくないし、表紙のダンボール紙に国産の馬糞紙などは使いたくもない。限定本であるかぎり、ひとつひとつの材料は吟味されたものでなければ私としては困るのである。
 そこいらの限定本出版社が造る書物と似たものでよければ、そこいらの出版社に端から依頼すればよろしい。私に頼めば装丁材料の蒐集だけで二年は掛かる。
 造本も数物製本ではないので、ルリュールの心得のあるひとに頼むことになる。それでは飯の種にならないので、製本職人の都合に合わせて手のあいたときにお願いする。要するに、職人の好意に一方的に甘えるしか手立てがない。これにも一年ほど要する。
 印刷は活版で旧字旧仮名遣いを指定された。東京に二軒ある活版屋さんでは、旧字は半分ほどしか揃わない。福島、長野、淡路に残されている母型を取り寄せるしかない。これに下手すれば一年ほど費やすことになる。
 限定本を造る難儀については「南柯の夢」で書いたので繰り返さない。そして、造らないことになった以上、私の方から取りたてて言うべきことはなにもない。ただ、蒐集家、愛書家といわれるひとたちが、いかに書物に対して無知なのかを改めて知った。私を指名したのは神保町の某古書店だが、そちらの店主は過去拵えた私の書冊をあらかた知っている。にもかかわらず、一年でできると踏んだのであれば、限定本への会心はなきに等しい。
 かつて永田耕衣や吉岡実の著書を多く手掛けてきたが、頼んだのだからすべて委せる、と常に言われてきた。二年掛かろうが三年掛かろうが、苦言を呈せられたことは一度もなかった。それを想い起こすに、今回の結果はいささか残念である。私家版は受けないのを南柯書局の是としてきたのだが、それを崩したことが悔まれる。

 いい機会なので書いておきたいのだが、雪華社で某作家の著書を造った際、文選、植字、用紙、折り、帳合い、くるみ、箔押し、製函等々、印刷と製本にかかわる職人たちと出版を記念する会を催した。当然、著者からは参加を拒否された。作家や編集者が集う宴ならともかく、職工ごときと酒を酌み交わすのはご免被る、と言われたのである。私にとっては原稿も活字や紙や布クロス同様、素材のひとつである。それを納得しない著者の限定本を私は造らない。一冊の書物が日の目を見るにはじつに多くの職人の手をくぐる、それを知ってか知らいでか、「わたしの本」と言って憚らない御仁を私は表現者として容認しない。
 維新以降、西洋の文物を紹介し取り込むのが国是となった。それ故、本来なら文学の世界とは無縁な趣味人たちが翻訳者や大學人という立場を利用して権威権力を思うがままに行使してきた。一握の真摯な研究者や紹介者には迷惑なはなしだが、デペイズマンやオートマティスムがシュルレアリスムと誤解されるような邦である。技法や修辞法が文学と曲解されるようなお国柄であればこそ、創作も翻訳も押し並べて芸事でしかあり得ない。芸才に富む富まないを論議の対象とするようなひとたちを職工と呼ばずになんとする。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月15日 21:39 | 固定ページリンク




如月 | 『東京タワー』

長いこと放送延期になっていたテレビドラマ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』↓が、18日(土)21:00からフジテレビ系で放送されることになり
ました。

http://wwwz.fujitv.co.jp/tokyotower/index.html

四谷シモンも医者の役でちょっと出演していますから、どうぞお見逃しなく。



投稿者: 如月    日時: 2006年11月16日 13:48 | 固定ページリンク




沖山 | 岩魚と蚯蚓

昨夜、珍しい岩魚の卵の醤油漬をですぺらで頂きました。
この時期ならでは、の珍しい食材のひとつと思います。
絶好の餌に釣られての、ですぺら詣で。
一杯目・日本酒、二杯目・アイラとともに楽しみました。

餌といえば、当の岩魚を釣る餌としては、蚯蚓は恰好なもののひとつだとか。
山奥の渓流に住む岩魚と土中に蠢く蚯蚓、どうも結びつきにくいのですが、
幼時、大雨の後など、親指ほどの太さにふやけた蚯蚓が側溝を流れていった記憶を浮かべれば、
案外、彼らにとっては、蚯蚓も身近なご馳走なのかもしれません。

そして餌となる蚯蚓についていえば、蚯蚓が鳴く、という話があります。
シーとか、チーとか、いう高周波の音、ふつうの人間の可聴限界の上にあるため、
私のようなおじさんには聞こえませんが、
若者、また蝙蝠や犬のような耳をもった人には聞こえるというのです。
雌雄同体の蚯蚓でありながら、それはさておき、とばかりに新しい出会いを求めて
夏の蝉時雨とばかりに、お互いに鳴き合う足下の大合唱を想像すれば、
なんとも愉快な鳴き声ではないかと思います。

さて、当の岩魚卵の味わいについて。
イクラに比べ、一粒一粒が小粒、しかも弾力性が高く、
噛む力に対してはっきりとした,レジスタンス、すなわち異議申し立てをします。
よく見れば粒の大きさも微妙に異なって、とりどりに自己主張、
きっと、イクラよりずっと店主お気に入りの食感に違いない、と踏んでいるのですが。
その味わいにご興味の方、ぜひ足を運んでみて下さい。
(たくさん食べたので、品切れになっていたら、スミマセン...)

※蚯蚓の鳴き声の正体は、実際は虫の音の聞き違いだそうで、
 実際は「けら」(虫けらの語源、とのこと)などの鳴声だそうです。
 



投稿者: 沖山    日時: 2006年11月16日 19:02 | 固定ページリンク




一考 | 魚卵鳴く

 「古事記」における古代歌謡に現れた叙情的造型様式は「万葉集」で三十一文字となって完成する。そして「王朝貴族の社会になると、詩歌はますます民衆的なエネルギーから遊離していって、洗練された純粋な叙情詩の美学が確立された。それ以来、その特質は、俳句や近代詩に至っても、本質的に変わっていない」とは新倉俊一氏のご意見ですが、言い換えれば、自分で生みだす才能の持ち合わせがなく、転移才能のみがわが邦では発達したということになりましょうか。いずれにせよ、詠歎なんざあ、個人や主観を信じてなきゃあ成り立たないのであって、そこいらに日本文学の限界がありそうです。
 河合凱夫に「蚯蚓鳴く十七音にしたがえば」との句があって、現実に鳴こうが鳴くまいが、鳴いたと思えば鳴いたのであって、「亀鳴く」「蚯蚓鳴く」「山笑ふ」など、世の中には不思議な季語が存在します。

  夜を着きしふるさとは亀鳴けり   成瀬桜桃子

 亀を鳴かせるのは亀鳴屋の特技です。もっとも、勝井さんに言わせると「ならびいて鳴きそうになき亀ばかり(能村登四郎)」だそうで、ないているのは社主ばかりとか。
 櫻井さんご紹介の美の壺の再放送を覧ました。水木しげる描くサラリーマンの顔をさらに長くした龜鳴屋主人勝井隆則さんとの初対面でした。某編集長によると適当に人生の潮風に当たってきた顔だそうで、さすがに編集者はうまく表現すると感心させられました。また、他の人に言わせると屈託のない顔つきだそうです。もっとも、出版人に屈託がないというのは真っ赤な嘘で、私なんざあ、印刷費や製本代の工面でこころが晴れたことなど一度もなかったのですから。

  蚯蚓鳴く六波羅密寺しんのやみ   川端茅舎
  蚯蚓鳴く人の子寝まる草の庵   川端茅舎
  蚯蚓鳴く辺に来て少女賢しや   岸田稚魚

 鳴かないものの声まで聞こえるの意ですが、そこまで我を張るなら、いっそ「和名抄」に倣って「美美須」ではいかがと言いたくなる。
 さて、送られし魚卵漬けに添えられた手紙によれば、川魚料理「かわべ」のご亭主河崎徹さんが久しぶりに句入りの原稿を書かれたとか。綺羅を競うに固執し、理念を顧みなかった平安の王朝貴族への造反か、「人生への適応障害」を疾む河崎さんの句に見得や気取りはない。意気地を張らず体裁をつくろわず、ただゴロンとふて寝する、それこそが民衆的なエネルギーというものではなかったか。河崎さんの句に内在する人生への「害」に身を任せていただきたいと思う。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月21日 12:48 | 固定ページリンク




エス | (無題)


ずいぶんご無沙汰しております。
そんなことがありましたっけ。
自らの記憶と他人の記憶、さらに忘却そのものとの境目も実のところ定かではなくなってしまいました。
時おりジャズをひとりで聴いていると、バンビにいるような錯覚に突然襲われることがあります。人にはそれぞれの幻覚を生きつづける権利があるように思います。ノスタルジーの話をしているのではありません。われわれはいまも「あそこ」にいるのです。でも、どこに? それがバンビであるかどうかは、判然とはしませんが…
たしかタケウチ・ヒロクニ氏と一緒に貴兄の六甲の部屋を訪ねたのが、貴兄にお目にかかった最後だったと思うのですが、それもはっきりとはしません。隅にずらっと文芸雑誌がならべられた部屋で、朝まで酒を飲んだような、飲まなかったような…

(すずきそうし)



投稿者: エス    日時: 2006年11月22日 16:14 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

こちらこそご無沙汰です。
最後にお会いしたのが六甲なら、三十数年は経っていますね。
このところ、宇野さん、南さん、季村さんと貴方のはなしが続いたものですから、ちょいと触れさせていただきました、恐縮です。その後、脚は大丈夫ですか。
貴兄のはなしにはいつも断絶、傷跡、悪夢、幻覚、空虚などがつきまとうようです。そして空虚はノスタルジーを否定します。記憶の虚しさと記憶の入れ子構造共々賛意を表します。
アルトーに限らず、貴兄の読解力の深さにはかねてから畏怖の念を抱き続けてまいりました。どうやら十数年遅れて貴兄のあとを追っているように思うのです。
宇野さんはしばらくフランスですが、貴兄と一緒に朝まで酒を飲む機会の訪れんことを願っております。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月24日 03:46 | 固定ページリンク




エス | (無題)

「バンビ」の魔力が働いているのでしょうか、今年になってからいくつかの「再会」(!)がありました。
タケウチ・ヒロクニ氏もそのひとりで、今年になってまた時おりお目にかかるようになりました。病後といえども、タケウチさんはいたってお元気です。すごい「生き残り」です。いつも感服しています。

小生の体調は最悪で(人から体調を訪ねられるときは、いつも最悪の状態であったような気がいたします)、足もまだだめです。おまけに最近肝炎になってしまった模様です。酒、煙草、その他をしばらく控えねばなりません。まぁ、自業自得なのでしょう。
でも、いずれそのうち貴兄と一緒に酒を飲める日がきっと来ることを今から楽しみにしております。

今年でしたか、池袋で飲んでいたときに、宇野邦一さんから貴兄のお噂をうかがって、びっくりいたしました。



投稿者: エス    日時: 2006年11月24日 12:58 | 固定ページリンク




一考 | エスさんへ

 先だって毎日新聞社の方が来られて銀座で武内さんの展覧会があるとかで、お会いできるのを愉しみにしているのです。明石ではよく自転車に乗って飲みに行きました。阪神淡路大震災のときも朝の四時過ぎまで拙宅で京都の舞踏家と一緒に飲んでいて、別れた間際に襲われました。崩れ落ちた玄関から「おおい、生きているか」が彼の第一声だったのです。
 バンビーに限らず、私にとっては福原もそうなのですが、現場とおぼしいものは既に跡形もなくなりました。貴兄がおっしゃるように、定かならず、判然としないものばかりが身のまわりを漂っているようです。もっとも、判然としないのはそれらを受け止めるところの私なのかもしれません。歳と共に、およそ垣根や境界といったものは意味をなさず、いまさらに曖昧になっていくようです。
 池袋でのはなしを宇野さんから聴かされて私も驚いたのです。その宇野さんとの馴れ初めは会員制の掲示板で書きましたので、こちらへ転載しておきます。

 宇野さんと私では文脈がまったくといっていいほど異なるのですが、似たようなことを口にするひとがいると、これは書肆山田の大泉史世さんから言われ続けてきました。今回、上京して彼女から紹介されたのですが、思考方法の違いに改めて驚愕させられたのです。
 しかし、私という主辞のあとに続く賓辞を並列といいますか、連続するものとして私は捉えてきました。例えば、トイレできばっている私、酔っぱらっている私、書斎で畏まっている私、性欲に悶えている私、それらを洗い浚い引っくるめてひとつの人格が形成されていると思うのです。弁証法的に統一するのではなく、あるがままを連結させるのが一番無理がないと思ってきたのです。そのような考え方が、ドゥルーズがいう存在の一義性と重なり合うと宇野さんから聞かされました。それ以来、ドゥルーズを読んで分からないところは宇野さんから教わるのを繰り返してきました。
 思考方法が違えばこそ、一種の合標のようなものではないかしらんと解釈しているのですが、宇野さんと私の中間に位置する相澤啓三さんの毒舌が接着剤の役目をはたしているようにも思われます。相澤さんはカントやトーマス・マンをよく読まれているのですが、宇野さんとの会話は引用の問題に終始します。引用は学者のやることで、いやしくも文筆家のすることではない。要するに、宇野さんの書かれる文章から引用をまるごと刮げ落とせと仰っているのですが、それだと散文詩になってしまいます。その遣り取りが私にはとんでもなく面白く聞こえてくるのです。
 いずれにせよ、私は日本的な詠歎文学や情念とのクリンチにいらぬ時間を費やしてきました。いまなお、後ろ髪惹かれる思いなのです。それに比して、貴兄はある時、なにかを截り捨てるようにアルトーの世界へ旅立たれたように思うのです。その非凡さに敬服しているのです。
 三十年ぶりであろうが、四十年ぶりであろうが、そのようなことは委細どうでもよろしい、ひたすら貴兄との「再会」を期する所存です。どうか武内さん同様、生き残られんことを願っております。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月24日 20:13 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

震災の際はタケウチさんと一緒だったのですね。驚きました。
「おおい、生きているか」。
タケウチさんの声がここからも聞こえてくるようです。
われわれは生きています、これだけでもよしとしよう、そんな感じです。『中島らも烈伝』という本にも書いたのですが、あまりにひどい暮らしをしていたために、当時の私の親しい友人たちはほとんどが鬼籍に入ってしまいました。とどめが、中島らもでした。変なものですね、彼が逝った後、「これから俺はちゃんと生きよう」と「はじめて」思ったのですから。
地震の時は私も部屋にいましたが、最初の揺れで一挙に壁が崩れ落ちて、そこから真っ青で不気味な空が見えました。あの空の青を忘れることは出来ないでしょう。イタリア・ルネッサンスのジオットという画家が描いた「パドヴァの青」というのがあるのですが、そんな素晴らしく深い青色でした。たぶんあの時、外はまだ真っ暗だったはずなので、稲妻に照らしだされた空の色だったのだと思います。六甲山の稜線に沿って東に走り去った稲妻は、地震とともに淡路島の海底から逃げ去った「龍」に違いありません。

「ユリイカ」のタルホ特集の鼎談、とても興味深く拝見いたしました。面白かったです。



投稿者: エス    日時: 2006年11月25日 11:23 | 固定ページリンク




一考 | エスさんへ

 貴兄の足を損壊させたものとは平成元年にかかわりを断ちました。爾来、酒や烟草を代用品として嗜んでいます。こちらは嗜みですが、前者は嗜みの領域を大きく逸脱します。
 酒を飲んで不必要に乱れたり、非論理的になったり、ひとに甘えるのも困りものですが、どのように酔っ払ったところで、二日もすれば酔いはさめます。酒ほど能転気なものはなく、思慮に欠けたものもありますまい。酒は不用意の代表選手のようなもので、その迂闊さゆえに健全かつ健康的な生活のよき伴侶になる側面を併せ持つと思っています。ユベナリスの詩句を揶揄しているのでなく、皮相のはなしをしているのでもありません。ただ、酒ごときで悲壮感を漂わせるような輩に貴兄が体験なさった「ひどい暮らし」は想像だにできないだろうと言いたいのです。
 「生活費の売り切れ」といった即物的なものから、不安に嘖まれるといった個別的なものまで、「あまりにひどい暮らし」にはさまざまなファクターが介在します。それを承知の上で、貴兄とのあいだにいささかの隔たりを取ろうと努めてきたように思います。ミシンと蝙蝠傘ならぬ「浮き萍と霰石とがバンビーでの不意の出遇い」ではデュカス氏も合点がいかないのではないかと推察したのです。

 時は経回りました。容赦のない残酷な揺籃期は終わり、迂闊さにここちよく身を任せる術を心得ました。貴兄よりごくわずかに早く「これから俺はちゃんと生き」てみようと思ったのです。その結果、酒には幾分こだわりを持つようになりました。

 「ユリイカ」のタルホ特集をお読みいただき感謝致しております。貴兄が仰言る「われわれは生きています、これだけでもよしとしよう」そんな思いでの鼎談でございました。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月27日 07:58 | 固定ページリンク




エス | イジドール・デュカス氏

「浮き萍と霰石とのバンビのテーブルの上での不意の出遇い」のように美しい…
デュカス氏にも困ったものです。
彼とは、バンビで知り合いになって以来、ふと気がつくと、いつもその辺りの物陰に隠れて、こちらをじっと窺っているのですから…
「ドブ板の下の蟋蟀」みたいな奴です。



投稿者: エス    日時: 2006年11月27日 09:11 | 固定ページリンク




一考 | シモンさん出版記念

 11月10日に如月さんが書き込まれたように、四谷シモンさんの新しいエッセー集『四谷シモン前編ーー創作、随想、発言集成』が刊行されます。片頭痛に悩まされる私なれば、「前偏」の方がよかったのではと思いもします。前頭葉、特に前頭前野は思考・判断など高等な精神作用が営まれる、いわば創造の場とされてきたのですから。
 「前編」とあるからには「後編」はと考えるのですが、その任を全うするのは個々の読者なのです。愛読者カードによって、いかにシモンさんを奮い起たせるか、書物はただ目を通せばよいというものではないのです。みなさんのご厚志を束ねて「後編」を創ろうではありませんか。

 ですぺらでの出版記念は12月4日の月曜日19時からになります。会費は4000円、飲まれない方は3000円です。シモンさんの著書は書店発売の前日であり、サインを頂戴した上、消費税が減額になります。ご購入たまわらんことをお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月27日 19:08 | 固定ページリンク




一考 | ドブ板の下の蟋蟀

 「壁のなかから汝を窺うひとつの目」ですね。バルビュスのいう「地獄」ですよ。
 ところで、拙宅の庭で毎年バッタとカマキリがお産をするのです。バッタは正確にはショウリョウバッタモドキ(擬精霊蝗)です。それがカマキリを惧れてか、バッタの出産が年々遅くなるように思っていました。ところが、今年はあまりにバッタの出現が遅れ、十月末にはコオロギと共生するようになってしまいました。
 小さな雄が雌の背に乗って飛び跳ねるところをコオロギが襲うのです。コオロギは鳴きますが、ショウリョウバッタモドキは鳴きません。昆虫の世界に限りませんが、鳴くという行為は縄張り(テリトリー)を主張したり、喧嘩をしたり、雌を交尾に誘ったりと、したごころが見え見えなのです。声もなく追い払われ、ショウリョウバッタモドキは陽の当たらない裏庭への亡命を余儀なくされるのです。そんなときですね、昆虫の世界にもドゥルーズが必要だなあと思うのです。
 板前をしていた頃、石鯛や石垣鯛が生け簀のなかでハマチを襲うのを何度も見ました。もともと岩礁にすみつき、堅い歯でサザエ、アワビ、ウニ、フジツボ、カニなどをかみ砕いて食べる魚ですから獰猛なのですが、あいつは鱧と同じく、ひとの指をも食いちぎってしまいます。
 コオロギは昔は古保呂岐とも書きました。その名のとおり濃褐色の悪魔のようなもので、石鯛に似て獰猛です。かつて中国では闘蟋(とうしつ)といって、金を賭けてコオロギを闘わせていました。鼠のヒゲが一本装着された筆で突いてやると、突如噛み合いをはじめるそうです。佐々木幹郎さんというコオロギ学者がいて、嬬恋の彼の山小屋でコオロギを入れるための焼物を見せられました。彼がオポッサムについて書いたのも、闘蟋に用いる筆にはオポッサムのヒゲが最高なのではないかと憶測しているのです。
 さて、「ドブ板の下の蟋蟀」氏ですが、小生もどうやらバンビーで不意に出遇ったように記憶するのです。十代から持ち続けている本など、数えるぐらいしかないのですが、書架に現代思潮社の初版がありました。刊行は1960年6月で、購入は二年後になっています。ということは漆黒のビニール表紙の再版が気に入らなくて、わざわざ真っ白な紙装の初版を探し求めたようです。当時から、いささかの警戒感を持って接していたようです。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月27日 21:30 | 固定ページリンク




一考 | 神戸の古本力

 林哲夫さんから「神戸の古本力」(みずのわ出版 神戸市中央区旗塚通3-3-22-403 電話078-242-1610)が送られてきた。ステキな外題であって、今の私が気に入る装いの本である。書物の命は中身であって、表現や表装を引っくるめて表層には興味をなくした。生きているあいだのみ添い寝してくれればよろしいのであって、死後どうなろうと私の知ったことではない。
 昨日、季村敏夫さんから「最近の鈴木創士さんとのやりとりなぞなんともいえぬ風を感じ、いざ生きめやも、おもわず口笛が出てまいります」とのメールを忝くした。そのSさんが「神戸の古本力」へ文章を寄せている。阪急岡本にあった小さな古本屋のはなしなのだが、買った本をその古本屋の親父からちょっと貸してもらえないかと乞われ、その後本の消息はバッタリと途絶える。似た経験は私にもあって、タルホの署名本をすべて喪った。展示を理由に取り込んだのは、神保町では知られた古書店である。
 Sさんの文章を読んでいて、思い出したことがある。それは六甲道の南側にあった大段書店である。間口は一間半、Sさん描く「自分の蔵書をそのまま店頭に並べ」たと思しき典型的な古本屋だった。記憶が正しければ開店は昭和四十年の末、亭主ご妻女ともに目の輝きには非凡なものがあり、文学をよくし、中島敦には一家言をお持ちだった。山本六三、大月雄二郎、西尾光冶はじめ、神戸大学や神戸高校の文学部の知己の大方は出入りしていた。高価な書冊はなにもなく、私などは読もうかどうしようか迷っていた翻訳書を購入していた。その一冊にバルビュスもあった。しかし、そのようなことでは活計にならず、五年を経て自死されたと聞いた。

 「神戸の古本力」には南輝子さんも寄稿されている、ロクサンとワンタン(山本六三と私)の登場である。「たまに古本屋行のロクサンにくっついていた少年ワンタンは特別待遇だったのか。いつもロクサン家にいて、いつも本を読んでいたから、きっとイソーローしていたのだろう」と著されている。週のうち五日は一緒に酒を飲んでいたから、居候に違いない。そのロクサンとワンタンが日参したのが黒木書店である。
 同書には黒木書店が繁く登場する。国文学といえば、九州の黒木というほどに昔から知られた古本屋だった。黒木さんが神戸へ出てきたのは昭和三十年頃だが、詳しくは知らない。私が知遇を得たのは昭和三十六年だった。そして、私にとって黒木の客といえば谷沢永一しか思い浮かばない。ことほどさように、黒木さんと谷澤さんは親しかった。互いに才力知識を研摩しあった、否、それを通り越して命懸けの付きあいだったと思う。黒木書店についてなにかを著すとは、取りも直さず黒木と名付けられたひとつの文学を語ることになる。その覚悟がなくて、迂闊に黒木書店について書くのは己が無知をさらけ出すことにしかならない。冒頭で書いたように表層をいくらメトニミックに撫で廻したところで、黒木書誌学の核心に迫るのはかなわない。
 その黒木さんには息子と娘がいた。黒木さんから頼まれて娘さんとはコーベブックスで一緒に仕事をした。その後結婚なさったが、表現者ではないのでここでは触れない。息子さんは四十二歳で亡くなられた。フラメンコギターの名手で昆虫学、特に蝶に関しては畏るべき学識を持っていた。三ノ宮にブルーリボンというフラメンコの店があって、そこの店主と息子さんとが二人してギターを弾くのを何度か聴いたことがある。
 かれは無類の酒飲みだった。そして酒を飲む度に荒れた。それも尋常な荒れ方ではなかった。一度は屋台を叩きつぶして、やっちゃんの出番になったこともあった。腕っ節は滅法強かったが、父親から受ける圧力にいつも押しつぶされていた。元町の店を手伝いだして間もない頃、東京の大市で棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」の一枚を百万円で落札し、父の怒りを買った。親父に言わせると黒木は書店であって画廊ではない、ふざけるなとなる。それ以降、息子は一切の仕入れを禁じられた。版画は長く店の奥に飾られていたが、無事に売れた。絵は売れたが、父と子の蟠りがとけることはなかった。
 やがて彼は結婚し、子供をもうける。しかし、彼の酒癖はおさまらず、妻子は家を捨てる。血を吐いて仰け反った遺体が見つかったのは死後数日を経てからであった。葬儀は兵庫区松本通二丁目の願成寺で執り行われたが、地元の古書店主の参列はほとんどなく、大阪から浪速書林の梶原正弘さんと、天牛書店の天牛高志さんの二名が参列、じつに淋しい葬儀だった。妻女は東京の出版社社主と再婚した。彼女とは二十代の頃、何度か酒を酌み交わした仲だったが、今はお付き合いは途絶えている。従って、なにも書くことはかなわない。黒木書店はともかく、その息子について書くひとは絶えていない。ひとことでもいいから触れておきたかった理由である。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月28日 00:24 | 固定ページリンク




一考 | 黒木書店-2

 「神戸の古本力」のなかで八木福次郎さんが棟方志功の板画のことを書いておられるが、あれが理由で酒浸りになったのではない。消息は梶原さんがよくご存じである。
 中島俊郎さんのアンケートを読んでいて思ったのだが、黒木書店の勘定は常にある時払いだったし、催促など一度もされたことがない。先日「中学生だった私を相手に、黒木さんは本読みの楽しみと愁いを、過不足なく教えて下さった。実に、私は黒木さんの謀に乗せられて書物の世界に迷い込んだのである」と書いたが、通いはじめて数箇月での特別待遇だった。それは俳文堂も同じで、読みたい本があれば構わないから持って行きなさいとまで言われた。
 それでは気が済まないので、一年に一回、風呂敷を片手に拙宅へ来ていただくのだが、ダンボール函にして四つか五つ分の本を首に掛けて一挙に持ち帰られる。手伝いますと言うのだが、親父は引き下がらない。あの小さな身体のどこにかような力が秘められているのかといぶかしく思われた。
 黒木書店と俳文堂に次いで、私を客として認めてくださったのは浪速書林だった。当時の浪速書林には番頭がいて、私が行くたびに「またあの変な坊主が来た」と小声で喋っているのが聞こえた。ただ、買う量が半端でなかったからか、こちらも数箇月で店主から声を掛けられた。「花柳小説など坊主の読む本ではないんだがなあ」と言いつつも、梶原さんが私に紹介してくださったのは谷沢永一さんだった。梶原さんは黒木さんと同じことを今でも言う。「こちらから声を掛けたのは谷沢と一考だけだ」と。
 こちらが中学生だったこともあるのだが、他の書店では到底相手にすらしてもらえなかった。古書店はどこでも、店主が座る後方に高価な書冊が置かれているのだが、それを見せてくださいというと無視されるか、理由も述べずに追い出されるかだった。従って、上記以外の神戸の古本屋には悪印象しか持っていない。それほどに、悔しかったのである。後年、掌を返すように態度が変わったが、時すでに遅く、私は東京の古本屋と親しく接わっていた。
 最後に、林哲夫さんが触れられている伊丹三樹彦さんの塚口の店に所在なげに座っていた黒木の息子のいまにも泣き出しそうな顔が忘れられない。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月28日 23:50 | 固定ページリンク




エス | バルビュス氏

懐かしいですね。アンリ・バルビュス。
小生もデュカス氏と同じ頃にジャズ喫茶で知りました。年上のフーテン高校生君が、いいから読め、と薦めてくれました。
小生は貴兄よりかなりガキだったはずなのですが(いまもそうですが)、デュカス氏といい、バルビュス氏といい、相似形の何かが時間のなかを移動していたのかもしれませんね。
その後は、バルビュスがブルトンと喧嘩したことを知って、読まなくなりました。
小生は、何を隠そう、当時、ブルトン主義者だったのです。
ブルトンに関しては、その後の日本のシュルレアリスム研究の学者先生たちとはまったく意見を異にしていました。
当時は、ブルトンを法王や独裁者であると言って他のシュルレアリストたちから切り離すことが批評の常套手段となっていたと思います。
私は、何度、ブルトンとともに、いろんな奴を除名したいと思ったことか!
だって、後に除名されることになる、それでいて生涯変わらぬ友人であったアルトーやバタイユといった人物を、除名すべき友人としてもつことができるなんて、素敵なことじゃないですか。

でも、果たして、実際には、いったい誰が「除名」されたというのでしょうか。俺? それとも…



投稿者: エス    日時: 2006年11月29日 13:00 | 固定ページリンク




一考 | 地獄の季節

 世代という媒介概念は意味をなしませんが、時代という区分概念は有効なようです。小生も「ナジャ」を読んでブルトンにまんまと嵌められました。ところが、その次に読んだ「シュルレアリスム宣言」で腹が立ちました。無批判なフロイト受用と、高みと低み、昼と夜等々、境界線の引かれないものに無理矢理境界線を拵える「ブルトン流」二項対立、そんな詭弁は至高点(弁証法的統一)の必要性の証明にもなににもなりません。そして「シュルレアリスム宣言」以降の書冊など、ヴァレリーの二番煎じの出し物にしか過ぎないのです。あれは私が遭った最初の詐欺師でした。
 「除名」との概念それ自体が立派な権威主義なのです。また、ブルトンのフロイト受用同様、某大先生のブルトン受用を附和随行と言わずしてなんと呼べばよろしいのでしょうか。「無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である」とは寺田寅彦ですが、例え事実であるにせよ、そのような思慮のない表層的な箴言を書いていれば、わが国ではなんとなく物書き面ができるようです。まあ、ブルトンも、どこぞの大先生も、寺田寅彦もおつむの出来はどっこいどっこいだったと思います。
 マラルメやリラダンの翻訳を試みた鈴木信太郎や齋藤磯雄に限らないのですが、日本の翻訳家の多くは尻馬に乗って擬古文を遣います。この雅文にはひとつの落とし穴があって、擬古であればこそ現代文学にはそぐわないのです。仏領インドシナやアルジェリアで遣われていたスラングを駆使したジャン・ジュネやボリス・ヴィアン、またはアルトーやベケットに擬古文はどうあっても似合いません。
 「墓につばをかけろ」はヴィアンの代表作のひとつですが、この「墓」を萬葉語で「奥津城」とやられた日には興が醒めます。要するに、語の選択、語句の配置、文章の結構などによって翻訳の対象ならびに時代が著しく制限されるのである。彼らの翻訳の対象が象徴派に終始するのは、好みを通り越して、彼らの修辞法がもたらす必然の結果と言えます。
 私にいわせれば、鈴木信太郎も齋藤磯雄も、ほとんどの外国文学者は修辞法や美辞学のオーソリティー、より正確に申せば文壇プロパーであって、決して文学を生きてはいないのです。縁なき衆生が間違えて文学の世界へ彷徨い込んできたと思っています。
 それらインチキ商品を俗物として弾劾してやまなかったのがジャズ喫茶でした。先日、「容赦のない残酷な揺籃期」と書いたのは、きっと貴兄が相似をなして通過したであろうバンビーの地獄の季節を示唆したかったのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月01日 22:32 | 固定ページリンク




エス | 「地獄の季節」再説

僕はかの大先生から除名されましたが、そこから何かを、あるいは誰某を除名すべきグループというものがそもそも存在しなかったのですから、貴兄のおっしゃるとおりです。すべてただのけちな幻影です。
でも、ブルトンの散文とスターリン主義批判の弾劾文のなかには今読んでもとても美しいものもありますよ。たしかに小生ももうブルトンはさすがに読まなくなりましたが。

それと齋藤磯雄氏に関しては、まったく同感という他はありません。
小生もかねてから齋藤磯雄氏の翻訳に関して、巷で囁かれていたこととは反対の意見を抱いておりました。フランス語を少しかじって後に、私なりにわかったことですが、ボードレールはあんなものではありませんでした。ボードレールは擬古文で訳してはだめです。ボードレールは、もっとシャープで、もっとそっけなくて、暴力的で、どういえばいいのか、もっと現代的なのです。それに齋藤磯雄氏の訳は意味の観点から言っても原文に忠実であるとも言えません。そもそもすぐれた作家にはそれぞれ独自の文体のリズムというものがあり、それを少しでも再現しようとしない翻訳はだめな翻訳だと思います。それを試みようとしないのであれば、翻訳する意味などありません。要約を、解説を書けばいいだけなのですから。だからこそヴィアンの「墓」は「奥津城」と訳してはだめなのです。ボードレールについては、色々な翻訳を調べてみたことがあるのですが、案外、荷風の訳が忠実なことに驚いたことがありました。荷風の訳はある意味現代的と言っていいと思います。案外そんなものなのですね。
でも、私のいい加減な感想を言えば、決定的なボードレールの日本語訳はまだ存在していないと思います。
ところで、貴兄のご意見をうかがいたいのですが、平井呈一氏の翻訳についてはどう思われますか。



投稿者: エス    日時: 2006年12月01日 23:25 | 固定ページリンク




管理人 | 赤坂ですぺら閉店のお知らせ


管理人です。
悲しいお知らせがあります。
ですぺらが年明けに閉店することとなりました。
掲示板をお読みの皆様、店がある間にいっといたほうがいいと思いますよ。
うまくいけば、移転できるかもしれないんですけどね。



投稿者: 管理人    日時: 2006年12月03日 23:51 | 固定ページリンク




一考 | 不器用なひと

 表では書きづらいことがあってmixiで裏掲示板を設けています。ただし、精神衛生のために書いているので、まったくの非公開です。平井呈一についてはそちらでないとぐつが悪いのですが、差し障りが生じないように書いてみます。貴兄との遣り取りゆえ、このような問題が生じるのは最初から覚悟していました。一部はmixiからの引用です。

 一つの問題を解決しようとすれば、結果を待たずに新しい問題が次々と生み出されます。はなしが翻訳だけなら答えは明瞭です。しかし、翻訳は修辞法上の問題ですから、それだけを抽出してのはなしにはなんら興味が抱かれないのです。それとかの大先生をはじめ、翻訳は何冊もあるが自分のテキストをほとんど持たないひとがわが国には多いようです。エッセイがあればそのひとの思索のあとを追えるのですが、翻訳だけだと判断のしようがないのです。
 「こんなもの文学ではないな」と言った違和感や失意の表明が自らの作品に対して反芻されないときはディレッタンティズムに陥ります。ゲーテはディレッタンティズムを、自己の行為を客観的に反省しようとする批判精神を欠き、主観主義におぼれるものと性格づけました。そのひとりよがりが端的に顕れるのが翻訳の世界ではないかと思うのです、要するに翻訳家の大半はディレッタントではないかと。
 ディレッタントの花骨を為すのは趣味嗜好ですから、翻訳をいくら積み重ねても道楽の域を一歩も出ないことになります。また道楽ゆえに、原文が内包するイデーを読み解き、それを咀嚼するのでなく、主観にみちた要約や解説の類いもしくは信仰告白に終始します。その消息は貴兄がご指摘なさるとおりで、書くことと訳すこととのあいだには相澤啓三さんがいう「ジョークで跳べない危険なクレバス」があるように思います。
 繰り返します。叙情詩を「個人的主観的詠歎」と主張したのは新倉俊一ですが、彼に倣って日本文学の本情を詠歎文学と名付けたいのです。「古事記」における古代歌謡に現れた叙情的造型様式は「万葉集」で三十一文字となって完成します。そして「王朝貴族の社会になると、詩歌はますます民衆的なエネルギーから遊離していって、洗練された純粋な叙情詩の美学が確立された。それ以来、その特質は、俳句や近代詩に至っても、本質的に変わっていない(新倉俊一)」  彼の論旨を要約すれば、自分で生みだす才能の持ち合わせがなく、転移才能のみがわが邦では発達したとなります。転移才能は短詩型に限りません、翻訳文学などはその典型だと思われます。また、その転移才能を修辞法や美辞学に置き換えれば、はなしの通りはさらによくなります。
 「双面をもつ哲学」の時代にロマン主義的個性の尊重が額面通り存立するのはほとんど不可能に近いのです。そして、内面的な感情の搖れ、心の叙情の動き、夢想の波動、意識の飛躍等々、自我を構成する無数の分子の結合や共振は時代と共に振幅を拡げ、相貌を大きく変えていきます。詠歎がもたらす二元論的懐古趣味や復古思想では時代が要請する課題を読み解くことはできません。問題意識の切実さ、親密さ、性急さ、さらにマグマのように熱く横溢する思考と新しい思想的文体がなければなにごとにも対処できないのです。

 以上が平井呈一について小生が感じる不満です。彼との最初の出遇いはダウスンの「悲恋」(改訳版は「ディレムマ」)でした。情趣溢れる作品の翻訳にはそれなりの味わいがあります。それとディレッタントで思い出しましたが、サッカレーの訳もよかったと思います。ただ、そのような作品に今の私は興味を抱きません。だからといって、「もっとシャープで、もっとそっけな」い、もっと硬質なものを平井呈一に求めたところで詮ないはなしです。
 年月をかけた彼の翻訳に小泉八雲があります。八雲は異文化の衝突のなかを生きただけあって特異な弁証法の持ち主でした。近代化の扱き下ろしと「伯耆から隠岐へ」への賛美は平井呈一のお化け好きと、そして八雲の自らの才能への内省と疑義はいささか下手巧者な平井呈一の小説や俳句とどこか重なり合うような気がするのです。平井呈一にあってはお化けこそがエキゾティシズムであり、自身の素質や能力に対する心細さが翻訳に向かわせたのではなかったか。いずれにせよ、不器用と言いますか、たいそう手ぎわの悪い人生を送られたひとのように思われてくるのです。

 ブルトンのスターリン主義批判の弾劾文はさっそく読みましょう。バタイユの小説よりもドキュマンや社会批評における観念論との闘いに愕かされます、それとよく似た例とも思われるのですが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月04日 06:37 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

つまらぬ質問すみませんでした。
よくわかりました。
平井呈一訳小泉八雲は、どこか灰汁のとれた文章だったように思いますが、手元にまだ本があるはずなので、もう一度見てみます。
不器用な人であったというのも、彼の「名人芸」のひとつだったのでしょうか。



投稿者: エス    日時: 2006年12月04日 10:47 | 固定ページリンク




一考 | エスさんへ

 折角のご質問に率直に応じられなくて恐縮です。編輯を方便にしていたものですから、いろいろと付き合いがあって困ります。こんなことではいけないのであって、自分の意見は意見として言えるようにならないとダメですね。
 「灰汁のとれた文章」なら森銑三訳に軍配が上がるのではないでしょうか。八雲の文章の特質のひとつは簡にして要を得るにあります。同じ訳でも平井呈一のそれは文章がやたらに長くなります。江戸期の読本を意識してのことなのでしょうが、いささか疑問を抱かされます。もしそれをもって名訳とか名調子と称するのであれば、私はご免被りたいと思います。
 ランボー、ロートレアモン、アルトー、ベケット、バタイユなどの文章と他の作家の文章を違える理由のひとつは套言にあると思うのです。「バタイユは、神秘には汚穢を対置し、詩情には嫌悪をもって応じ、常識には奇矯で反撃しようとする」とは片山正樹さんの言葉ですが、常套句を峻拒し、常に挑撥者たらんとした彼等の文学とわが国の文学を比した時の、目のくらむようなへだたりには怖ろしさすら覚えます。
 誰とはいいませんが、ベルトラン、マラルメ、ラファルグ、レニエ、クローデールからプルーストまでが同じ調子の文体で編まれる訳詩集など文学への冒涜以外のなにものでもないと思っています。創作とは過去の作品への異義申し立てであり、個々の作家の新たな文体の創出なのですから、それらを一絡げに扱うのには欺瞞すら感じるのです。アンソロジー自体が一種の信仰告白であり、愛のバロメーターなのですから致方もないのですが、採りあげられる作家にとっては傍迷惑なはなしです。個々の作者の内面にいますこし深入りするか、いっそ訳者が個性を控えてさらなる透明感を持つ方がよろしいのではないかと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月05日 08:02 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

いえいえ、平井呈一氏については、行間から一考さんのおっしゃりたいことは十分うかがえました。私も似たような感想をかねてから抱いていたので、快哉を叫びたいくらいです。
森銑三訳の小泉八雲は、今度見てみるつもりです。どうもありがとうございます。
それにしても、一考さんがベケットをお好きだったとは!
実は、小生もここ十年くらいずっとベケットに興味を抱いています。
例えば、ベケットと付き合いのあった人が述懐しているように、普段道を歩く姿、その歩き方と文体がまったく同じであるような印象を受ける作家はそうたくさんはいないと思います。余計なものがそぎ落とされたベケットの文体は、呼吸と同じようなものだったのでしょう。あそこまで行くことはそう簡単なことではないと思います。



投稿者: エス    日時: 2006年12月05日 11:22 | 固定ページリンク




一考 | ベケット

 神戸にいた頃、十代、二十代のことですが、ひとと文学について本気で語らった記憶がありません。いまなお、その癖は続いているようにも思われます。その理由は話しても無駄と思い込んでいたからです。大方は何々が好き、誰それが好みですと、自分の嗜好の押しつけに終始します。オーム真理教の教祖のように得意満面におのが知識を声高に述べ立てるような人にはなんら興味を抱かれないのです。こころ惹かれるのは相手の生き方であって知識や教養ではないのです。貴兄がおっしゃるように、文体すなわち文学というものは呼吸であり個々の搏動だと信じてきたからです。
 呼吸は吸息と呼息とが片時のやすみなく繰り返される運動です。その揺らぎ、変動のなかに身を置かなければベケットのような作家を読み解くのは不可能です。運動に呼応し、あるときは逆らい、あるときは従う、その撓うさまに文学が在るように思うのです。永田耕衣のいう「しゃがむとまがり」こそが文体であり文学であり思想であるということになりましょうか。
 古い様式に固執し、新しい様式の獲得がさまたげられるようでは本末顛倒です。否、守らなければならないものなど、この世の中にはなにひとつないのです。前述した作家たちが試みた套言の否定は一直線に帰属や境界の拒否にも通じます。通じるというよりは余儀なくさせるのです。文学とは自己否定ならぬ自己破壊を強い続けるものだと思うのです。
 貴兄との遣り取りならはなしはこれでお仕舞いなのですが、掲示板は見知らぬひとも読みます、従って補足をひとこと。破壊と書きましたが、破壊は否定ではなく肯定です。ベケットにあっては寂滅思想から孔子すなわちヘルメス的な要素までが葛藤を生み出そうとして鬩ぎ合いながら共存します。累々たるきずあとが消尽に向かっての石段を築き、毀し、はたまた構築し直すのです。彼のように多くの賓辞を内包する作家は賓辞の数だけのアプローチが必要になります。ディルタイではありませんが、文化は生の表現です。さればこそ、ベケットの文学を諒解するとは人跡未踏の領域にわが身を追いやることにしかならないと思うのです。

 小中学校の同窓会からは爪はじきされましたが、バンビーの同窓会には迎え入れられたようです。貴兄の書き込みに深く感謝しております。もっとも「窃かにひとり爪はじきして天を仰いでつぶや」いていただけなのかもしれませんが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 20:52 | 固定ページリンク




通りすがり | 教えてください

しばらくお店に伺っていないので教えてください。 現在、オムライス等をやっていないそうですが、フードメニューを教えてください。 また、以前、新宿店をだされると聞きましたが、住所や連絡先、営業時間等を教えてください。 よろしくお願いします。



投稿者: 通りすがり    日時: 2006年12月07日 21:49 | 固定ページリンク




一考 | 通りすがりさんへ

新宿店は靄のなかです。オムライスは前から置いていません。フードメニューは現在六十六種類です。現在の住所、営業時間などはホームページをご覧ください。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 23:29 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらについて

 櫻井さんが書かれたように赤坂ですぺらは早晩消えてなくなります。
 当店の「モルト・ウィスキーの寡多録」の巻頭には「多くの蒸留所やボトラーが生まれ、消え去っていく。スコッチ、アイリッシュ、バーボン、ラム、酒質のいかんを問わず、営みのすべては儚くうつろなもの。もとより、人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在。ですぺらもまた、夜毎の演目を終え、やがてなにごともなく消滅。その日までは媚びを売り顰蹙を買う、いたずらな搏動におつきあい頂ければ幸甚」と開店のときから明記しております。

 実は横須賀功光さんが亡くなられた二〇〇三年一月十四日が閉店予定日だったのです。その年の四月七日に「身からでた錆」を、九日には二階堂奥歯さんが「考えたこと。勝手な、とても勝手な考え」を書き込み、そして二十六日には彼女が逝きました。
 ちょいと長居してしまったように思います。あとの予定はなにもありません。ないと言うよりは立てられないのです。残された営業日数は閉店の段取り次第です。そして、閉店の段取りがうまく行けば新宿への移転も考えられますが、現状ではほとんど不可能です。二〇〇三年を境に売上は減りつづけ、次の展開を考えられないまでに傷口が拡がってしまいました。開店が二〇〇〇年の三月だったので、二月まではと思っていたのですが、それもどうなるか分かりません。
 店主の状況説明が遅くなり恐縮です。上述したように分からないことばかりですので、説明が逡巡われたのです。このところ、いろいろとご心配いただきましたことに感謝致しております。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 23:31 | 固定ページリンク




エス | 「消滅」について

昔ならたぶん引用しなかったかもしれなかったシェイクスピアが『嵐』のなかで見事に言ってのけています。

これらのわれらが役者たちは、
すでに君に予告しておいたとおり、みんな亡霊だった、
そして
大気の中に、淡い大気の中に溶けてしまった。
そしてあの幻の砂上楼閣のように、
雲を頂く塔や、きらびやかな宮殿、
荘厳な神殿や、大いなる地球それ自体も、
そう、それが受け継ぐものすべてが、やがては消えてしまう、
そしてこの実体のない行列が次第に色褪せていったように、
後にはちぎれ雲ひとつ残らない。

『嵐』第四幕、第一場



投稿者: エス    日時: 2006年12月08日 10:30 | 固定ページリンク




KYO | 森銑三訳 小泉八雲怪談集

小泉八雲怪談集『十六桜』森銑三、萩原恭平訳、研文社、H2.9.11



投稿者: KYO    日時: 2006年12月10日 23:09 | 固定ページリンク




一考 | KYOさんへ

書き込みありがとうございます。
その研文社で小出昌洋さんと一緒に働いておりました。語釈を手籠めにするのが仕事で、内実を知って以来国語辞書の類は信用できなくなりました。諸橋の大漢和も広辞苑も拙宅のは朱入れで染まっております。未刊に終わりましたが、江戸漢詩選の編輯などは楽しかったのですが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月11日 16:48 | 固定ページリンク




一考 | シェイクスピア

 ギリシアのサッフォーやイビコスの時代、イギリスのシェイクスピアやダンの時代、それに十九世紀のロマン派に見られるバラードやエレジーやオードなど、夢幻的で甘美な情緒に裏打ちされた叙情詩こそ擬古文に相応しいのではないかと思っています。とりわけシェイクスピアは套言の百貨店で、彼の作品はありとあるコラージュやアッサンブラージュの恰好のお手本ではなかったかと思います。今日、シェイクスピアの言葉(剽窃)がステレオタイプとして用いられるのを見ているとシェイクスピアの偉大さにこころを致さねばならなくなります。ブルトンに倣えば、シェイクスピアは作法においてシュルレアリストであり、彼こそが詐欺師楽園の巻頭を飾る作家ではなかったかと。
 冗談はさておき、春のやおぼろこと逍遙が訳していなければ平井呈一氏や齋藤磯雄氏の雅文にはぴったりの具材だったと思われます。
 ウォルター・リップマンはひとがステレオタイプに固執する理由をふたつ述べています。ひとつはひとの環境適応におけるステレオタイプの経済性、いまひとつはステレオタイプの体系はアイデンティティの核心であって、自我防衛のメカニズムであるとの指摘です。この経済性は、ステレオタイプに頼ることなく日常生活に生起するできごとを端から詳細に知覚しようとすると大層な労力が必要であって実際上不可能である、とのことだそうです。
 いずれにせよ、危惧すべきはステレオタイプはひとから考える能力を簒うという点にあります。個はしばしば文化と衝突します。従って、文化からまず排除すべきなのは定義づけであり、類型化なのだと思っているのです。シェイクスピアはそれを逆手に利用しました。「虚偽も極限に達すればいささか誠実めく」というところでしょうか、彼の虚無主義には大いにこころ惹かれるものがあるのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月11日 20:35 | 固定ページリンク




エス | シェイクスピア一考

いまはシェイクスピアが平井呈一氏や齋藤磯雄氏の雅文による翻訳にぴったりの作家だとは私は思っていません。「実際に、読んでみれば」(ただし逍遥を筆頭にどの翻訳もいいとは思えません)、英文学といえばシェイクスピア、といったようなお子様向けの作家ではないことがわかると思います。同じことばっかり言っているような英文学者たちのくだらないシェイクスピア解説はいざ知らず、そしてブルトンが何と言おうが、シェイクスピアが「シュルレアリスト」だとは私は思っておりません。シェイクスピアは、語の最も危険で過激な意味で「古典」です。(誤解のないように言っておきますが、私は現代のいかなるシェィクスピア劇にも何の関心もありません。)
シェイクスピアは徹底的な「バロック」であり、その点ではジョン・ダンや貴兄のおっしゃる「虚無主義」に近いのかもしれません。実際、「人生は白痴の語る戯言」だと語るマクベスの言葉に反論できるとは私は思っておりません。
それに私はもうかつての「異端の系譜」など信じてはいません。ブルトンのお題目だった、正面を向いてボケてしまったような小ロマン派などよりも、ダンテやシェイクスピアやシャトーブリアンの方が私にとって遥かに本質的な作家になりました。「異端」という言葉をもっと神学的に、厳密に解するならば、もはやこの言葉は大した意味をなさなくなります。
ダンテ‐シェイクスピア‐ロートレアモン…、というわけです。この系譜にアルトーやベケットやバロウズを付け加えることだって可能です。
まぁ、私の独り言ですが…



投稿者: エス    日時: 2006年12月12日 09:42 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら忘年会

 12月23日(土)、午後7時より10時まで、最初で最後になる「ですぺら忘年会」を催します。お酒はワイン、ウィスキー(モルトじゃないけれど)、焼酎、ビール等をご用意いたします。フードはいつものパーティ・メニューで、鶏唐揚げ、ポテトフライ等です。
会費はお一人5000円(ソフトドリンクのみの方は4000円)。
クリスマス前なので特別にスパークリングワインとケーキも準備予定です。
どなたさまでもお気軽にお越しくださいませ。
なお、御出席の場合は、メールまたは電話にてお知らせ頂きますようお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年12月14日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 提灯

 私は仮性包茎である。仮性包茎を提灯まらともいう。提灯は老人のしなびた陰茎を指すが、仮性包茎のそれをも意味する、こころは伸びたり縮んだりである。なるほど、私の場合は双方を兼ね備えているのだから、真性提灯ということになろうか。
 仮性包茎であることを知らないうちは銭湯にも通っていた。そして十代半ばに筆下ろしをしてからはそう気軽に銭湯へ行けなくなった。女性につままれて「可愛いわねえ」とひやかされるにはよいのだが、銭湯で倶利迦羅紋紋のおじさんから「まだ子供か」と言われるのが小癪に障ったからである。大人にはない子供ならではの羞恥であり、達引きであった。
 福原の桜筋に大映トルコというのがあって、その一部に家族風呂が設けられていた。はなしは前後するが、昭和三十三年に売防法が成立してから、女郎屋は浮世風呂に職種転換した。登録は昔ながらに旅館であって、お女郎衆はにわか湯女となり泡姫となった。一六〇〇年代半ばに三都で湯女取締りの触があって、一六六八年には江戸の風呂屋七十四軒を潰し、湯女五百十二人が吉原遊郭へ移されている。ほぼ三百年後にその逆の事態がもたらされたのである。
 その浮世風呂のなかでトルコ風呂(特殊浴場の名前としては終戦直後から使われてい、大阪には昭和二十六年にすでに在った)を名告っていたのが大映トルコと同じ桜筋にあった神戸トルコである。理由は知らないが、浮世風呂に家族風呂の併設はなく、それはトルコ風呂のさらには福原だけの特質であった。
 泡姫のサービスがなく、風呂の設備をのみ提供するのが家族風呂であり、いわば個室版銭湯である。家族風呂と称していたが、客は家族とは限らない。水商売のアベックが利用者の大半を占めていた。同衾だけが目的なら湯を張っているあいだに済ませることもできる。私もそのような利用をなんどか経験している。もっとも、浮世風呂を家族風呂がわりに使ったり、複数の泡姫を連れて家族風呂へ赴いたこともある。同じ町内会であればこそ許された無礼であった。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 19:35 | 固定ページリンク




一考 | 「お風呂の歴史」

 高遠弘美さんからご本を頂戴した。ドミニック・ラティの「お風呂の歴史」である。「ロミやジャン・フェクサスの翻訳の延長線上に位置する一冊」と書かれているだけあって博覧強記、古代から十九世紀末に至る風呂や水浴の歴史が縷々綴られている。高遠さんから新著を頂戴したり、話し合っていると昔読んださまざまの書冊を思い出す。近頃は散書ばかりだが、蒐書に耽っていたころを思い出すのである。早速に書庫を探すと、

 「日本浴療史」緒方正清
 「変態浴場史」藤澤衛彦
 「世界浴場史」矢口達
 「東西浴場物語」前田健太郎
 「東西沐浴史話」藤浪剛一
 「風呂の微笑」水野芳艸

 近くは

 「風呂と湯の話」武田勝蔵
 「公衆浴場史」武田勝蔵鑑修・全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会編

などが出てきた。
 山東京伝の「賢愚湊銭湯新話」や式亭三馬の「諢話浮世風呂」から緑雨の「あられ酒」に至るまで、風呂に関する文献は数知れない。調べてみたら、明治から昭和五十年までに限っても百冊を越える関係書籍が上梓されている。それ以降はさらに冊数が多いようである。私が目を通したのはたかだか二十冊ほどだから大きなことは言えないが、「風呂の微笑」と「公衆浴場史」は一級の資料である。
 風呂の原型ともいうべき禊ぎや沐浴は仏教と共にもたらされた、従ってわが国の風呂の歴史には抹香臭さが付きまとう。前述の「風呂の微笑」にしてからが、「碧巌録第七十八則開士入浴」の項では「マルキシズムさへも、むしろまだ『とらはれ』を持ってゐるといふ理由で、宗教の立場からは未徹了のそしりを免れない」との倉田百三の文言を引用し、序文では「風呂の研究では最高権威、中桐確太郎先生の序文を忝ふした」と著す。風呂は裸で入るもの、裸の付き合いに権威は無用である。そこいらに日本の書誌学者の限界があるように思う。
 泰西にはどのような文献があるかを私はなにも知らない。なにも知らないのだが、ラティの「お風呂の歴史」は面白い。一八五〇年以降発達した衛生学の影響で、共同の洗濯場や共同浴場の設置が進められた。衛生学の分野では進歩的だったナポレオン、シャルル・フーリエ、フーリエの思想を引き継いだアンドレ・ゴダンなどによって幾多の入浴施設が設けられた。同じ頃、ペリー、ポムベ、カッテンダイク、ツンベルグ、オイレンブルグが相次いで銭湯見物ないしは湯浴み感を記述している。英公使オールコックが刺客に襲われ、浴槽に身を隠して助かったのは有名なはなしである。どうやら、「ゆ」に関してはわが国に一日の長があるようである。
 「お風呂の歴史」は下手な主観や刷り込みを交えずに事実を淡々と述べる。水浴から入浴、羞恥、化粧、匂い、衛生、建築、浴場等々が一種のプラズマ状で犇めき合っている。言い換えれば、カテゴリーが限られたときに陥るアポリアを巧みに避けている。訳者あとがきによればラティは健康食の第一人者的存在らしいが、その精神もすこぶる健康的である。知に対するしたたかな姿勢とそれを裏付ける資性が行間から窺われる。
 加えるに高遠さんの訳文は平明にして気品がある。言うは易いが平明と格調の共存は難しい。今ではあまり遣われなくなった言葉が、ごくわずかだが要所に配されている。心憎いまでの抑制である。抑制が効いているが故にひとつひとつの言葉が生きてくる。彼は決しておろそかに言葉を選ばない、その呼吸法をもって流麗な文章といわずになんとする。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 19:37 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 大事なことを書き忘れた。「お風呂の歴史」の詳細は以下のごとし。
 「お風呂の歴史」ドミニック・ラティ著 高遠弘美訳
 白水社 文庫クセジュ 二〇〇六年二月二八日発行 定価951円+税



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 20:38 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございます

一考さま

 いつも暖かいお言葉嬉しく拝読いたしました。文庫クセジュは初めてでしたが、楽しい仕事でした。と云ひますか、根が極楽トンボのわたくし、どんな仕事も楽しく感じられるのは、脳内の何かの「苦痛成分」が缺落してゐるせゐなのかもしれませぬ。それはもしかすると、未熟児で生まれた赤子のときに、兄に頭を踏まれたことに関係してゐるのでせうか。兄にいはせると「小さすぎて見えなかつた」とのことですが、生後わづかのときに兄に、まだ柔らかい頭をぐにゆつと踏まれたといふのは、わたくしをどこかで偏頗にしてゐるのではないかといふ気がしてをります。
 一考さんの提灯のお話のやうに、釣り合ひのとれたことを書くことができずに、つまらぬことばかり書いてゐることを恥ぢてをります。
 これからも一考さんのもとへお話を伺ひに参ります。エロスについてもさまざま蘊蓄をお聞きしたいと思つてゐます。それなくしてはわたくし訳のO嬢も何かを缺くことになりませう。
 御身大切に。薫子様にもよろしくお伝へください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年12月15日 10:01 | 固定ページリンク




一考 | 珍獣

 「ブルトンに倣えば」であって、シェイクスピアがシュルレアリストだとは私も思っておりません。ただ、そのような見方もできるかとの思いつきです。従って、貴兄に誤解を余儀なくさせるような書き込みだったとしたら申し訳なく思います。それと、わが国にあって「異端」とか「幻想」は商売上のコピーであって、厳密な定義づけは一度もなされていないと思っています。

 ひどい困窮生活が続くものですから、平成元年からこちら本を買ったことがございません。ひとさまが恵んでくださる本だけを読み継いでいます。そこで妙な変化に気付いたのです。どれそれが好きでどれそれが嫌い、もしくはどれそれが面白くてどれそれが面白くないといった好悪、要するに二項対立的なものの考え方がいつのまにか払拭されてしまったのです。
 取って代わって浮上してきたのが、いかに読み解くかとの作法です。その作法が目線の移動であれ、アプローチの多様さであれ、何でもよいのですが、読書の方法論のようなものが大きく変化したのです。方法論は当然思惟の一種ですが、やがて同一律や矛盾律といった原理すらが消え去っていきました。
 整合性がないならないでどこが問題になるのか。もともとひとの存在それ自体が撞着を内包しています、だとすればつじつまを合わせる必要がどこにあるのか。またそれを包括的に弁証法的に統一しなければならない理由がどこにあるのか。貴兄がお書きのように、歳とともに興味を抱く書物が変わるように食べ物も変わります。さればさまざまな書物を水平に並べてみるのも一興ではないか。さらには自らのものの考え方から境界や帰属をなくす、さらに進んで意識作用における識閾すらを動かしてみたい、と思うようになったのです。
 貧困はひとの姿形、資性、思索に大きな影響を与え続けます。ただ、それは私にとって決して不愉快なものでなく、どちらかといえば心地よさすら感じさせるものになりました。マルクスがプルードンの著作に対する「哲学の貧困」ではなく、偏に貧しさゆえの「哲学の貧困」です。そのような珍獣が一匹ぐらいいてもよかろうと思っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月17日 00:02 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

おっしゃること、小生もよくわかるような気がします。すべてを同じ水準に置く、というか、一列に並べる、というか、うまく言えませんが、だからこそサドがダンテと同じ風呂に入り、シェイクスピアとデュカスが同じ土俵で相撲しているのかもしれません…
それに最近とみに感じることですが、いつまでたっても小生は「ドシロウト」のままであり、「ガキ」から成長することができません… 
それに、それはそれで別にかまわないと思っておりますが…



投稿者: エス    日時: 2006年12月17日 10:46 | 固定ページリンク




一考 | 背負縄

 「黒木書店-2」で黒木の親父が「ダンボール函にして四つか五つ分の本を首に掛けて一挙に持ち帰られる」と書いたが、あれは額にかけて荷物を運搬する背負縄を表現したかったのである。古書組合で業者向けに頒されている木綿の風呂敷があって、ひとひとりを包めるぐらいの大きさがあった。対角線上の二方を短く、二方を長くゆとりを持たせて縛り、額にかけるのである。私も長く愛用していた。
 ドゥルーズとガタリは、ノマド(流浪の民)が空間を分割せず、固定した中心を持たず、また階層性をしりぞけることによって国家的秩序を拒む存在であることを指摘している。他方、アイヌの世界観は垂直的には三層で構成されていると信じられていた。つまり、現実の人間の世界(アイヌモシリ)は大地に、死後の世界(ポクナモシリ)は地下に、そして神々の世界(カムイモシリ)は天上にあるとされた。しかし、ポクナモシリはアイヌモシリと同じ様相を呈し、神々も儀礼の目的に応じて主役としての位置づけが変化する。至高神的性格のものは存在せず、パンテオンを構成していないのである。要するに、神々のあいだに序列はあっても、なんらの上下関係がない。同様に、神とひととはほぼ対等な位置関係にある。
 このところ、ドゥルーズの影響でアイヌ文献を繙いている。そのなかに背負縄がでてきたので思い出したのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 01:21 | 固定ページリンク




一考 | O嬢

 O嬢はどこやらでS・Yさんが翻訳したと発言なさっていますが、あれは記憶の改竄ではないかと思うのです。もっとも記憶とか時系列はそういったものなので一向にかまわないのですが。私がご当人から確認した大昔のはなしでは、S・Yさんが手伝ったのはランジェリーの名称のみ。しかも私には適訳とは思われません。もっとも、原文を解さないのでランジェリーの専門用語が遣われているのかどうかすら分かりません。従って、本当はなにも言えません。

 マゾヒズムとサディズムが同一人のなかで共存しないように、マゾヒストとサディストとの出遇いはどうあっても起こりえないものです。鞭をふるわれる側にあっては鞭を携えたひとは快楽を与えてくれるサンタクロースのようなもので、喜びを持って迎えられた瞬間からサディストはサディストとしての存在意義を損ってしまいます。そんなはなしを某マゾヒストに聞かせたところ、「私には関係のないはなしです。だって私は縛られるのが好きなのですもの」
 小説だからいいようなものの、マゾヒストは頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿、鳴く声はぬえといった化け物のような存在ではないでしょうか。ぬえ退治の源三位頼政がステファン卿や司令官と縁戚関係にあったかどうかの記載は平家物語になく、サディストであったかどうかの記述も抜け落ちています。
 余談はさておき、O嬢は恋愛をデューイのいうインストルメンタリズムに則って描いた傑作と解釈しています。O嬢の場合は恋愛や性愛ということになりますが、それら観念は状況を変えるための道具であり、その真偽よりもむしろ有効性(確定的な状況)が問われなければならないとの証明と考えれば、ジルベール・レリイとジャン・ポーランとの鞘当ても納得がいくのです。
 訳者T・Sさんのアンチ・ロマン嫌いはともかく、O嬢を高度に抽象化された小説とするのは理解に苦しむところです。貴兄の体制音調の流麗なる翻訳を心待ちにしています。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 04:01 | 固定ページリンク




一考 | Sさんへ

 先日、歌人の黒瀬珂瀾さんが泥酔、みな死んでしまえと宣っていましたが、なんの異議もございません。世の中、自称くろうとさんばかりで困惑させられます。それこそ縄にも蔓にもかからないシロモノばかりではありませんか。いまどき「ドシロウト」や「ガキ」と言えるひとが幾人残っているのでしょうか。貴兄は希少な天然記念物といいますか、神戸が生んだ珍獣です。これは褒め言葉として遣っています。
 「われわれは生きています、これだけでもよしとしよう」との原点に戻りましょう。タケウチ・ヒロクニ同様、われわれもすごい「生き残り」ではないですか。貴兄は間違いなく、なにかに帰属して温かく包まれる生き方、要するに安逸や心地よいものをしりぞけてきました。多義的で、矛盾や対立に満ちたとらえがたい文学を思想を身を挺して追い求めてきたのです。二人して「みな死んでしまえ」と小声で叫んでみたいものですね。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 20:16 | 固定ページリンク




りき | 「某」創刊記念オフ会告知

いよいよ「某」本誌がでます。

こういう雑誌です。

目次一覧です

*********************
水晶散歩(kao)…連載
皇帝の食卓(レオ・ペルッツ 垂野創一郎訳)
うかい(松本楽志)
月想(高橋郁子)
〈修羅〉の自覚(小野塚力)
時の神=クロノスを中心に(玲はる名)
編集後記(土屋和之編集長)
*********************

全100ページ。限定150部。

で、ですぺらで発刊日にうちあげをやります。

日時:12月30日 18時30分くらいから

飲食代は各自分担分。
たんにですぺらに集まるだけです。

が、「某」本誌を確実に買えるという特典が。



投稿者: りき    日時: 2006年12月20日 07:22 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

まったく同感です。畜生! もう二人してちょっくら小声で叫んでいますよ! 



投稿者: エス    日時: 2006年12月20日 21:35 | 固定ページリンク




エス | サディスト

たしかジルベール・レリーでしたか、マゾヒズムというのは自己に向けられたサディズムであって、存在するのはサディズムだけである、というようなことを言っていたと思いますが、世の中サディストばかりというのも当たり前のようでなんか面白味がないかもしれません。
ところで、ジルベール・レリーは頑固一徹なサド学の泰斗であるばかりでなく、素晴らしく特異な詩人でもありました。
翻訳がないのが残念ですが、『わが文明』という詩集は私の偏愛する詩集でもあります。
おお、サド、日々よ、山々よ、記憶の砦を彷徨う亡霊よ! カラヴォンの向こうに花の咲き乱れる谷間があったのだ。



投稿者: エス    日時: 2006年12月21日 10:45 | 固定ページリンク




一考 | マゾヒスト

 ご指摘のとおり、「O嬢におけるジルベール・レリーとジャン・ポーランとの鞘当て」と書いたのはそのことです。ジャン・ポーランのサド論にレリーが噛みついたわけですが、それを軽くいなすというか、はぐらかしたのがO嬢に附せられた長い序文です。もっとも、自傷行為をサディズムに見立てるのには跳躍があって、小生はレリーの意見に与することはできないのですが。
 サディズムとマゾヒズムを対立的・図式的に捉える、もしくは弁証法的に統一するのはどちらに転んでも同じことで、レリーのサド論はクラフト=エビングの「性の心理学」を一歩も出ていません。クラフト=エビングはサディズムとマゾヒズムは別個に独立したものでなく、能動と受動との対立によって性衝動がつくりあげられてゆく一つの単位であって、両者は切り離して考えられない、と定義します。レリーのサド論はそのクラフト=エビングやフロイトの定義に則って著されたもので、サディズムとマゾヒズムとの個々の項目の異質性や多義性を視界から簒う結果になっています。
 他方、反転・転位・顛倒・仮装・弁証法的分裂といったソフィスト的技法を駆使したドゥルーズの「マゾッホ紹介」は正確な意味において徹底したレリー批判の書として読むことが可能です。鞭をふるう側もふるわれる側も、共にマゾヒズムの世界の住人でなければ困るのであって、どこまでいこうがサディズムの世界とは無縁とするドゥルーズの考えはそのままO嬢擁護に当てはまります。エロティックな要素をしりぞけてエロティシズムに徹した、すぐれて哲学的な小説O嬢をめぐる鞘当ては、それだけで一本のエッセイを著わせるのではないでしょうか。
 いずれにせよ、ジルベール・レリーのサド論とジャン・ポーランのそれとの乖離と言うよりは、意地の張り合いが面白いのです。さらに加えるにドゥルーズです。「サドにスピノザ思想が、推論的理性があるとするなら、マゾッホにはプラトン主義が、弁証法的想像力がある」とはドゥルーズのよく引用される言葉ですが、そのところを抜きにすればO嬢の面白みは半減します。

 ジルベール・レリーの「わが文明」については当掲示板でなんどか触れたことがあるのですが、二〇〇三年五月以前の書き込みなので検索できません。「ドゥーヴの動と不動」のボンヌフォアの初来日が1968年、その折に大槻鉄男さんの通訳ではなしたのですが、ジルベール・レリーの詩を激賞なさっていました。早速ポヴェールへ問い合わせたところ、二冊の詩集が送られてき、内容と当時まだ在庫があったという点に愕かされました。
 多田智満子さんがボンヌフォアをお好きなのでレリーの詩を紹介したのですが、こんなものはダメと憤慨なさっていました。エロティックなもの万般に拒否反応を示す多田智満子さんなら当然の結果だったのですが、およそ頑固さにおいて多田智満子とレリーは双璧だと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月23日 00:25 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

なるほど。
マゾヒズムについてのお説面白く拝聴しました。
「О嬢」もう一度読み返してみます。ずいぶん昔に読んだものですから…
多田智満子さん宅には、お亡くなりになる数年前に遊びに行きましたが、文学の話はたぶんほとんどなかったと思います。ずいぶんお元気そうに風変わりな息子さんの話をしておられました。小生と重なるところがあったようです。
たしかに多田智満子とレリーというのは考えにくい取り合わせですね。
レリーのサド論で小生が興味を抱いたのは、サドとフランス革命をはっきりと対立させたところでした。つまりジャコバンのテロリストたちとサドの本質的な違いを論じたところです。サドとフランス革命についてこれほどはっきりと物を言ったのは、他にはバタイユくらいしか思い浮かびません。テロリストの起源がフランス革命にあると声高に述べるのはフランスではタブーでしたから。
ボンヌフォワは昔からレリーを評価していたようですね。
遠藤氏が「クロソフスキー会見記」で述べていたレリー像も面白かったです。実際に会ってみると、世間をあしざまに言うばかりの偏屈老人だった…
彼のリリカルな詩には、その偏屈さがとてもよく表れていて、小生は好きなのですが…
現在、レリーの本はメルキュール・ド・フランスが出しています。詩作品の全集も出ています。



投稿者: エス    日時: 2006年12月23日 12:25 | 固定ページリンク




薫子 | 年末年始の営業日

ですぺらは年末31日大晦日まで営業しております。
ただし31日のみ午後6時より12時とさせていただきます。

なお年始は4日より通常通りの営業となります。
よろしくご了承のほど、お願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年12月27日 16:43 | 固定ページリンク




管理人 | 聴いたはなし


困窮っていやですねえ。

なんでも、ですぺら主人のところでは、困窮極まって、正月の餅代もないらしい。
正月をうどん食ってしのぐと言ってました。

人が困っているときは助けあいの心がほしいものです。



投稿者: 管理人    日時: 2006年12月30日 02:56 | 固定ページリンク




りき | ご無沙汰しています。

ご無沙汰しています。
去年の12月30日に発刊された、同人誌「某」ですが、
冬コミ会場で、予想を超える30部が売れ、その時点で同人関連の予約分が、100部あり、その日にあったですぺらでの販売分で、即日完売状態になりました。

地方の方、冬コミにいけなかった方、通販を期待されていた方、本当に申し訳ありません。150部は少なかったのでしょうか・・・・

なお、若干部数、プヒプヒさんの手元にあります。
だめもとで問い合わせをしてみてください。

なお、「某」2号は、春に発刊予定です。
小特集がはじまります。
今回は「小特集 富ノ澤麟太郎」
作品集未収録資料の復刻などを準備しています。

また、今年の冬には、ぺガーナロスト12号もでるようです。
エッセイおよび短編の翻訳の準備が進んでいます。

「某」のマイナスレーベルですが、
現在、平井功の第2詩集およびポーについてのエッセイを刊行すべく準備中です。
以降は、矢野目源一歌集「ゆりかご」(許可がでればですが)、
椿實随筆集などを刊行する予定です。

2007年もよろしくお願いします。



投稿者: りき    日時: 2007年01月02日 13:00 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | お知らせ

管理人の櫻井です。

掲示板スパムの攻撃が激しいので、しばらく書込み禁止にします。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2007年01月18日 09:54 | 固定ページリンク | トラックバック (0)






 
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