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一考 | 訂正

 12日と26日の両日、新宿の「ナジャ」で安保由夫さんのライヴがあり、シモンさんがゲストとして参加、5曲ほど唄われる予定です。
 と書きましたが、26日にその予定はなく、今宵一夜のみ、悪しからず。それと当店にて「ジャパン・アヴァンギャルド・アングラ演劇傑作ポスター100」(頒価5000円)を購入された方には同展覧会のポスター(B全判)をおまけで添付致します。ぜひ、お買いあげください。
 25日の金曜日に「四谷シモン─土方巽を語る─」との宵を予定しております。もっか、細かい打ち合わせの最中です。詳細は追って掲示板に掲げますので、よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月12日 22:35 | 固定ページリンク




高遠弘美 | この国はもうだめか

多少感情的になることをおゆるしください。

仕事を終へて帰宅。夕刊で、君が代・日の丸強制は如何なものかと挨拶で話したPTA会長が辞任に追ひ込まれたとのニュースを読みました。
ファシズムはすでに浸透し、抑圧を深めてゐます。
このやうなとき、どうして誰も何も言はずに、コイズミ内閣の支持率が依然として54パーセントもある状態で我慢できるのか。
マスコミが、売れれば何でも、といふ目算で動いてゐるとき、どうして殆どの物書きが黙つてゐられるのか不思議でなりません。
書ける人は書いたらどうでせう。言へる人は言ふべきです。この国の現状は本当にあぶない。誰も、自分が、あるいは自分の係累が大丈夫なら大丈夫と考へがちなことはよくわかります。私だつてさう。でも、それでも、この国のetat actuelは本当に危ない。せめて何とかするべく努めなくてはと思ひつつ、さて何をすればいいかと迷ふ日々です。ご教示お願ひいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月14日 23:10 | 固定ページリンク




一考 | 非国民のすすめ

 高遠さんへ
 齋藤貴男『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)はぜひ読ませていただきます。ご教示かたじけなく思います。以下は例によって託つけてのはなしですので、無視してください。
 今般の中野区の小学校PTA会長辞任のはなし、北朝鮮の拉致被害者およびその家族へのいわれなき非難、イラクで拘束されたひとたちに対する悪口雑言の数々。いつから日本の大衆は弱いものいじめを専らとし、マスコミは日本的お上思想のプロパガンダと化してしまったのか。読売新聞、産經新聞、週刊新潮、または2ちゃんねるへの外務省役人のリーク、それに乗せられて浮かれるネット雀の猛々しい囀り等々。
 高橋源一郎さんの「どこかの国の人質問題」が4月19日の朝日新聞夕刊にかかげられるまでは、まさに誹謗中傷の嵐でした。民意という名の愚に反し、大胆な提言を著された高橋さんに深く感謝したいと思います。数日後に掲載されたアンケートによると国民の65パーセントが憲法改正に賛成とやら。憲法は理念であって法律とは異なるのです。時代に似うかそぐわないかが問題になるのは法律であって、憲法の領域で論議の対象になるような問題ではないのです。民が先行きいかにあるべきか、日本が遠い将来、どのような国家になるべきか、そういった子々孫々の代へのヴィジョンを描き示唆するのが憲法であり、そのヴィジョンに対する議論を深めるのが政治家本来の仕事であったはずなのです。国家、国体のためと称し人民を死の淵に追いやるような愚挙を犯した点では日本もドイツも朝鮮人民民主主義共和国もすべて同罪ではなかったか。そして、それら国家と国家の構成要員である国民、もしくは異を唱えず例え間接的にせよ独裁体制を支えた大衆、それらはすべて同罪ではないですか。ネットの匿名性、個の抽象化はひとをここまで大政翼賛会や国民義勇隊的なものの考え方へと誘うものかと愕いております。もちろん、大政翼賛会とは時代が異なります。しかしながら、強制ではなく、みずから顧みることなく多数の意見を選択したとあっては、「隣組」の時代以上に怖ろしい状況に立ち至ったのではないかと憂えるのです。
 とりわけ悲しく思ったのはですぺらのお客のなかにさえ、イラク問題に関して「好きで行ったのだから自業自得」とか「自己責任をとらせるべきで税金を使うな」とか「政府に逆らうのはけしからん」といった滅茶苦茶な暴論を吐く御仁がいらしたことです。ひとのおつむが平凡であることを非難はしません。しかしながら、凡庸を羞じることなく、あまりの民度の低さを誇らしげに表出されたら「ですぺら」の名が可哀想です。非凡とまではいかなくとも、せめてもうすこしの懐疑、屈折をお持ちいただきたい。そう冀っての掲示板だったはずなのですが。無視するしかないような書き込みに応じるのも、土方巽や寺山修司に共感を覚えるような「非国民」がひとりでも増えていただきたいがために他ならないのです。

追記
 イラクで拘束された三名はたしかに自己責任を果たしたとは言い難い部分もあります。それは彼等に対して「反日分子」との暴言を吐いて謝罪すらしない広島選出のそれこそ反日分子的政治屋や民度の低い大衆に対する非難、論難そして啓蒙をいまだ試みていない点なのです。

 この件に関し、ぜひ http://www.ac-net.org/honor/ をご覧いただきたい。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:34 | 固定ページリンク




一考 | 幻の猫

 先週の土曜日、龜鳴屋から伊藤人譽さんの「幻の猫」が到着、さっそく間村峻一さんとその人譽幻談を肴に痛飲。それ故いまだ未読なのですが、室生犀星や花田清輝をして「空恐ろしい作品」と瞠目せしめた怪奇幻想の逸品です。私は「穴の底」一篇しか識りませんのでなにも申せませんが、その一篇を以ってしても購入にあたいする傑作です。
 龜鳴屋本第四冊目にして五百十四部の限定制作。頒価は二千九百四十円。「おいら、ひとり横向いた猫」のあやしげな写真を表に、スーパー活字(と思われる)による箔押し、洒落た型染め紙に限定のナンバーリング、「かはたれそ女の声で泣く蛙」との伊藤人譽さんの句と顔料による手彩色のかえるを配した栞が添附されています。心憎いまでの勝井隆則さんのあそびごころ、金がないならない(と断定できそう)で、ひとはここまで雅に立居振る舞ってみせるものかと、遠地金沢に挙手の礼を奉げたく思う。
 とりあえず、ですぺらへは五冊。安価な書冊なれば、一冊でも多く購入たまわらんことを庶幾います。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:35 | 固定ページリンク




一考 | 土方巽について

 四谷シモンさんに宇野邦一さんをご紹介した折り、のっけから土方巽のはなしがはじまりました。それ以来、お二方につづきをお願い致したく、手ぐすね引いて待っていたのです。昨晩、おふたりから快諾を得ました。従って、25日の金曜日は土方巽について四谷シモンさんと宇野邦一さんにお喋りしていただくことになりました。「お喋り」との表現が肝要なところです。内容空疎かつ陳腐な専門用語はそのすべてを端折り、日常用いる言葉によって土方巽の天才に肉薄していただこうとの趣旨なのです。頭のよろしい方、切れ者は万人にひとりはいらっしゃいます。しかし、天才の名にふさわしい方は滅多にいらっしゃいません。
 会費はドリンク付きで2000円(追加500円)に致しました。多数のご参加を希います。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月14日 23:36 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考様

一考様

本当に、匿名の暴力と言ひますか、匿名ゆゑに何でも勝手な、しかし、大抵は体制迎合の恥づべき言説を吐く御仁の何と多いことでせうか。
齋藤貴男さんの今度の御本、装幀は間村さんです。このところ、いい本だと思ふとそのほとんどは間村さん装幀。それだけで頭が下がります。

亀鳴屋の本、一冊予約致します。お願ひいたします。
取り急ぎ。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月15日 00:14 | 固定ページリンク




一考 | 幻の猫つづき

 高遠さんへ
 亀鳴屋の本のご予約ありがとうございます。九右ヱ門こと悍い猫が出てくる表題作「幻の猫」は絶品。久しぶりに小説を読む醍醐味を味わいました。いつの日か、伊藤人譽さんの文学について語らねばなりません。それにしても、こういう作品をきっちり掘り出してくる勝井隆則さんの眼力に平伏。同じ時代をひととき勝井さんと過ごせただけで、「生きていてよかった」と思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月15日 20:30 | 固定ページリンク




一考 | そのまたつづき

 高遠さんへ
 私にいささかヒステリカルな発言をお許しいただきます。もっとも、いつに換わらぬ人生幸朗と行方幸子流のぼやきですが。

 「編輯が生業の一端になりかけた時、私はご免を被らせていただいた」と先日著しました。収入すなわち下心が絡むと編輯者は勤め人になります。金銭尽くの出版であればリスクのない私家版を多く手掛け、それらの書き手に「あんたが大将」と媚を売らねばなりません。そんな形で出版をつづけるのであれば、ニコヨンのような肉体労働の方が私には気が安まったのです。からだを担保に小金をこつこつ貯めた結果が飲み屋の親爺です。それもこのところ、風前の灯なのですが。
 「マスコミが、売れれば何でも、といふ目算で動いてゐるとき、どうして殆どの物書きが黙つてゐられるのか不思議でなりません」
 先日、記載した新聞社や出版社には友人が多くいます。私自身お世話になっています。でも、あれらの紙誌を購入するひとは、逮捕された日に「やましいことはなにもない」とうそぶくような役員を頂く三菱自動車の車を買うにも似て、売上げのためにはひとを貶めようが、殺めようがお構いなしというのと同じではありませんか。
 私にとっては物書き以上に編輯者がどうして黙して語らないのか、そちらの方がよほど不思議です。編輯者にとって発言とは本を拵えることであって、その書冊はとりもなおさず自らの志の表明でなければなりません。造りたい本があれば結構、一冊でよろしいではありませんか、あとは沈黙すればよいのです。企業の論理を出版に持ち込む、そのお先棒を担ぐようなひとのどこが編輯者なのでしょうか。まずは売上げが大事ですから、などというしたり顔は見飽きました。龜鳴屋の勝井隆則さんがごとき破滅型のあとを追うすじの通った編輯者がなぜ生まれないのでしょうか。
 ですぺらのお客さんにはあまりにも編輯者が多いので話題を変えます。薫子さんから叱られそうです。

 これまで「文学」などという概念はどこにも存在しなかったのです。だって表現者の数に比例してさまざまな「文学」があったからです。ところが世はあげてミステリー時代、かかるエンターテインメント一色のなかにあってはそれらしきものすなわち「文学」を明瞭に示唆することが可能になってきたようです。どうやら、ひどい堕落が根付いてきたようです。元来、表現者が追うのは「他の作品とはひと味ちがう小説」であったはず、ところが、いまでは自称編輯者が需める「柳の下」へと作家たちが群がるのです。足穂ではありませんが、おそらく書き表すに足ることはひとつ、そして一度のみ。それが世に受け容れられるかどうかは偶然の骰子、要するに編輯者との出会いに賭けるしかないのです。
 意識するところの私が常にいる、との呆けたシニシズムに浸っておられるほど脳天気なあいだはよろしいのですが、ひとはやがて弁証法を学びます。意識しようがしまいが、たとえ無意識まで総動員させようが、なにひとつものごとを変えることはできないことに気付きます。自らの至らなさから失意が生じ、やがてそれは含羞みへと深化して行きます。そこまでいけばもう立派な不良の誕生です。私が興味を抱くのはそこから先の領域なのですが。
 書く必要のないことを書きつづったのは他でもない。物書きに限らず、異質なものへの寛容さがなく、万能感から抜けきられないひとたちが多くを占めるようになってきたからなのです。万能感はひとを保身に向かわせます。不良の逆の保守反動ですね。この国の本当に危ないetat actuelはそこいらに在るように思うのです。私がしばしば「搏動」とか「肉声」とか声を荒らげる理由もそこにあります。私があなたになり、あなたが私になる、その振幅のなかで今まで見えなかったものにひとつの形が与えられてゆく。非凡とは異質なものとの相互嵌入、そのイマジネーションの間合いの取りようにあると思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月15日 23:12 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 失礼ながら

一考様
お書きの御高文、味読しました。
仰言るとほり、売れればいい的な思ひのみがわだかまつてゐるやうに見えます。もちろん、批判めいた言説など誰でもできるので、私がさう言つたからといつて、何ほどのこともありませんが、「こころざし」、せめてその一語は忘れたくありません。珍説愚説辞典を訳してゐてつくづく思ひました。今の評価などなんぼのものでもないと。みなわかつてゐる顔をして、いまの売れ行きしか見てゐない。一例。司馬遼太郎など、私にはどこが面白いか皆目わからないし、昨今流行のミステリーにしても、あまりにレベルが低すぎます。ああいふ代物にまともにつき合つてゐる暇はすくなくとも私にはありません。それくらゐなら私は本業のフランス語教育にもつと励まなくてはならない。さらに言へば、私が文楽と歌舞伎の世界に深入りしてゆくのはしかたのない仕儀なのです。
みなさん、一家言をもつてをられる。それは「民主主義」の世の中、いいことかもしれない。でも、ほんとうに守るべき民主主義的価値はひとへに言論の自由であり、人間の平等であり、精神の自由です。そこを忘れた議論など私には何の興味もない。
一考さんの、ときとして「偏屈」に思はれるかもしれない佶屈。私はそれを愛します。私も物わかりのいい「大学教師」にだけはなりたくないと思ひつつ。久しぶりに、勝手ながら、fraterniteを感じつつ。
一考さん、また呑みませうね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月16日 01:31 | 固定ページリンク




あひる | (無題)

すみません。
親子関係の記事を書いたものです。
別のHP用に書いたものを間違ってこのHPに投稿してしまいました。
削除お願いします・・・・。



投稿者: あひる    日時: 2004年06月16日 02:39 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ある俳優・演出家の死

ほとんど私事に近いことを書き連ねることをおゆるし下さい。
動顛してゐるので、ひどい文章になることもあはせてご寛恕ください。
かつて、お互ひに親友だと言ひあつてゐたフランスの友人が亡くなっつてゐたことをさきほど、知りました。
1999年から2000年にかけて7ヶ月ほどフランスのリヨン大学に在外研究員としてに滞在してゐたとき、パリの自宅に何度か電話したのですが、いつも女性が出て、今はゐないといふ一点張りでした。その後たまたまフランスにゆく機会を逸してゐるあひだに、彼は世を去りました。2002年8月28日。
Jacques Ardouin。ジャック・アルドゥワン。演出家・脚本家・劇作家・俳優。そして私の最愛のフランス人の友人でした。享年64歳。死因は癌。ソフィー・マルソーの映画「ラ・ブーム」などにも出てゐましたが、何よりも舞台のひとでした。パリのモンパルナス近くのリュセルネール座で「星の王子様」の脚本・演出・主演をしてゐました。
私が最初に知り合つたのは、1989年。あるフランスの女性の友達の紹介でした。その晩「星の王子様」をみたあと、食事をし、すぐに意気投合。友人の女性が帰つたあとも朝まで飲み明かしました。それ以来、パリでも東京でも何度も飲み明かし、お互ひがお互ひをどれほど大切かを痛感してゐたのです。芝居を観にゆくときはいつも「お前のためにするからよく観ていろよ」と言つてゐました。あるとき、パリでのことですが、やはり朝まで飲み明かしてゐるとき、突然ジャックが言ひました。「お前は本当は誰だい?」。私がふざけて、ぼくは日本人でこれこれでと今更のやうに言ふと、ジャックは「お前が日本人かどうかはどうでもいい。お前は俺が心から信頼する人間のひとりだ。どうだ、このままフランスに残つて俺と一緒に芝居をやらないか」と言つたのです。私がそんなことができるわけがないといふと「いや、お前と俺ならできる。セーヌ川に沿つて小さな町の小さな芝居小屋をまはるつてのはどうだ。愉しいぞ」と言ふ。もちろん、私の貧弱な語学力ではそんなことは無理な話ですが、いまでもそのときウイと言つてゐたらどうなつたらうと夢物語で思ふことがあります。ジャックに対してほど、私がフランス語を外国語として束縛に思はずに喋つたことはなかつたし、もうこれからは絶対にあり得ないでせう。生涯に出会つたもつとも大切な友人をなくした喪失感が今の私を苦しめます。せめて2001年にでもフランスにいつてゐればよかつたと臍をかむのみ。後悔先に立たず。孔子がいつたといふ天喪予の叫びをこころのうちで叫ぶことしかできません。せめてもこの掲示板に書かせて頂き、ジャックと私の友情のよすがとしたいと思つた次第です。勝手な書き込みをどうかご海容ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月17日 23:37 | 固定ページリンク




一考 | ご冥福を

 高遠さんへ
 傷心を癒すのは不可能ですが、文字で著すことによっていささかの距離を設けられるのではと思っております、思い込むしかないと云ったほうがただしいのでしょうが。私はYさんへの懐いにそれなりのかたちを与えるのに一年掛かりました。それにしても、死を迎えるときには親しい友、謂わば戦友には知らせたくないものなのですかねえ。その時になってみないと分かりませんが、私はやはりひとりで死にたいと思っています。親しければ親しいほど、看取られての死は御免蒙りたいのです。だって、最后ぐらいは気取らずにうんうん呻りながら、恨み節の一節を他人に叩き付けてやりたいと願っているのです。
 面識とてなく、慎んでご冥福をお祈りするほかなすすべがございません。不用意な発言であれば、ジャック・アルドゥワンさんとあなたにお詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月21日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 言論の自由について

 題目は「言論の自由」。例によって宛先不明の海馬のよだれです。
 問題が問題だけに本来なら「言論」の定義からはじめるべきなのですが、この場は掲示板。それに私がぼやきたいのは人生幸朗のそれ。アレオパジティカを持ち出して、「許可なくして印刷する自由」を強く求めて検閲制度に抗した革命詩人の趣旨を陳べたところでさまにもなりますまい。
 さて、ぼやきです。「言論の自由」とは偏にときの権威・権力に対して発せられる少数者の言論にのみ課せられる自由である、と私は信じています。
 公権力に対して、常に懐疑を抱き、反論を試み、もしくは異なる意見の存在を示唆し紹介するのがジャーナリズムの唯一の勤めといえます。それは公権力の暴走への歯止めであると同時に、数を頼みに横車を押そうとする一般大衆への警鐘ともなる筈でした。しかるに「売れれば何でも、といふ目算で動いてゐる」のが現今のジャーナリズム、マスコミの大方です。企業の論理を無反省に持ち込み、大衆に諛い媚を得る時代にあって、林達夫のようなジャーナリストの不在を悲しむのは私ひとりではないと思うのです。
 民主主義の根底をなす近代的人間観においては、人は生まれながらにして自由で平等な存在であり、人はひとしく理性的存在である、という考えを前提としています。かかる合理的・同質的人間観が前提になるところに民主主義の危うさがあります。気候、風土、言語、宗教、民族、階層、階級等々、ひとはさまざまな隔壁や差別のなかで生きています。それら強いられた条件を抜きに合理的・同質的人間観を描かれるという論拠があればお目に掛かりたいものです。また、アメリカやイスラエルのようなテロ国家のどこをもって理性的と云えばよろしいのか。
 多数意見が少数意見よりも原則的に優れているという仮説が成り立つためには強行採決などという愚挙はあってはならないのです。ところが、わが邦の議会では強行採決が繰り返されます。国会の現況は多数の横暴以外のなにものでもなく、少なくとも民主的な国家とはほど遠いものです。またそれを承知で、コイズミを支持し、グッズを買い集めるような国民を何故に理性的存在として認めなければならないのでしょうか。
 「言論の自由」を護るために私は過去二度公権力と闘いました。内容証明の遣り取りや告訴合戦なら実に多くの経験をさせられました。公権力との闘いは疲れます。警察の家宅捜査が這入り、やがては税務署の査察がはいります。今ではさすがにそこまでの虐めはなくなったようですが、七十年代の終わりまではお上に楯突くには生活を捨て去る覚悟が必要だったのです。先に「課せられる自由」と述べたのはその責任の取り様を指してのことなのです。匿名の発言を私が非難する理由も同じです。「課せられる」もの、すなわち「責任」がないところに「自由」はなく、闘わずして「言論の自由」など得られるはずはないからです。ミルトンの「アレオパジティカ」からジャン・ジュネの「シャティラの四時間」や「恋する虜」に至るまで「言論の自由、人間の平等、精神の自由」のために多くの作家たちが血を流してきました。そしておそらく、そのような「自由」が地上に存在したためしはない、と私は思うのです。
 「地上に存在したためしはない」その可能性をさらに遠ざけたのがインターネットではないでしょうか。よちよち歩きの新しいメディアの今後を断定することはできません。ただ、私はその危険性を示唆しておきたいのです。テレヴィジョンと同じ、苦難の道をこれからインターネットも歩みます。もっかのところは、マイナス面が目立ちます。例えば「個人の勝手」と「言論の自由」とが「匿名」との鎧をまとい、二人三脚で押し寄せてくるように思うのです。ネット上の意見が多数であれば、それは屋上屋を架すまでのはなしであって、あまりに喧しくなったとき、その「言論」は「暴力」と化します。先に「権力に対して発せられる少数者の言論」と限定づけたのは、いかに立派な文言であっても、それが多数派の意見であれば所詮は鸚鵡よく言えども飛鳥を離れずに同じく。また体制迎合の言説であれば、「恥づべき」ものと判断するしかないのです。
 言うまでもないのですが、たとえネット上の発言が言葉の暴力という他ない民度の低いものであっても、それが理由の検閲に私は反対します。検閲制度はかならず公権力に利用されるからです。ネット社会の誕生と共に派生した言葉の暴力といかにして闘うか、個の尊厳や著作権にとどまらず、日常の名誉毀損やプライベートなことがらを守るための厳正な法整備が急がれます。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月23日 00:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さん、ありがたう

 昨夜、ですぺらに伺つてお話を伺ひ、何やらしごく心和むものを感じました。一考さんのお気持ち、有り難く存じます。酔つぱらひの戯言に辛抱強くつき合つてくださつた薫子さんにも感謝してをります。
もうパリに行つても会へないと思ふと寂しい限りで、胸の中央に空いた穴は当分埋まりさうもありませんが、それはそれで仕方のないこと。せめては知り合ふ二年前の1987年に岩波ホールで行はれた東京公演のビデオで、在りし日のジャックを偲ぶことといたします。1987年当時のジャックは49歳。いまのわたくしよりも若いのですが、顔に窺ひうる魂の深みが、いまだ幼稚なわたくしとはまるで違ひます。やはりジャックはわたくしにとつて親しい友であるとともに、心から尊敬しうる人生の先達でもありました。
 ときに、言論の自由についての一考さんの書き込み、一々納得しながら拝読しました。齋藤貴男さんの御本を続けて二冊読みました。一つは書評集。もうひとつは高橋哲哉さんとの対談集。どちらもいたく感銘を受けました。
それと、もつときちんと花田清輝を読み返さうと思ひました。それは昨日お店で拝見した「幻の猫」を作られた亀鳴屋さんの序にあつたからでもありますが、すこし前から著作集を書棚の奥から取り出しては繙いてゐたのです。ジャックのこともさうですが、この世には必然としか思へない偶然といふものがありますね。ですぺらの響きに「絶望」DESPERAだけではなく、「希望から」D'ESPERAを感じたと、最初に一考さんのお話を伺ふやうになつたときに冗談めいて申したことを覚えておいででせうか。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月24日 00:22 | 固定ページリンク




薫子 | 念押し 「土方巽を語る」

 以前、一考がさらりと触れていますが、今一度書き込みしておきます。
6月25日(金)20時より、四谷シモンさんと宇野邦一さんに「土方巽を語る」と題して、対談していただきます。
会費は2000円。(ワンドリンク付き、おつまみも少し用意いたします)
どなた様もお気軽にお越しくださいませ。



投稿者: 薫子    日時: 2004年06月24日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 言論の自由2

 Hさんへ
 先に「厳正な法整備が急がれます」と述べました。憲法が理念なら法律は規制であるべきです。規制は時代の変遷もしくは要請に応じて変化していきます。車がない時代に道路交通法はなかった、すなわち犯罪のないところに法律は必要なく、逆に言えば法律がなければ犯罪は存在しないのです。犯罪は刑法その他の特別法や行政取締法規の規定により、刑罰を科される行為なのですが、その根拠はモラル、すなわち道徳の退廃にあります。例えば、著作権が重んじられ保護されていれば著作権に関する規制もないわけです。モラルを守らないひとがいるので、次から次へと新たな法律が生まれ、規制のためまたその事務方にと多くの役人の雇用が必要になってきます。私にいわせれば、一部のモラルを守らないひとのために、無駄な税金が湯水のごとく費やされているのです。
 思うに、法律で規制されるような事柄は概ね常識の範疇で片付くようなものだと思っているのです。自らの思いを通そうとすれば、他者の思いにこころ致さねばなりません。こちらの思いとあちらの思いの兼ね合い、垣根をどのあたりに設けるかがもっとも肝要になります。だって、掛け違えると諍いになるからです。この自己と他者の弁証については当掲示板で一年にわたって書き継いできたので繰り返しません。
 あなたが専門になさるネット社会(もちろん、すべてを指してのはなしではないのですが)は、私の目には揚げ足取り、他者への誹謗中傷のオンパレードのように見えるのです。それも、相手方の論旨を無視したところに大きな問題があると思うのです。例えば、コイズミを非難するのであれば、彼の政治理念の至らなさや危険性を政治理念でもって論難すべきなのであって、若い頃の過ち、要するに重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをいくら試みても、あちらさんは傷付きもしません。誹謗の相手が公人の場合はまだ許せるのですが、対象が私人となれば、これはその時点でモラルの無視であり、言葉の暴力の行使だと思うのです。そのような無神経かつ雑駁な輩に発言の場を与えてしまったところに、ネットの怖さがあると思うのです。ただし、車とは異なり、ひとに発言の免許の取得が必要とは申しません。そして検閲にも反対です。とは申せ、無視してすむ問題でもありますまい。車が走る凶器なら一部のネット社会は喋る凶器とでもいう他なく、個の尊厳への裏切りは殺人や窃盗や泥酔運転となんら変わらない犯罪だと思います。私ごときアウトローが敢えて「厳正な法整備」と述べた理由はそこにあります。もっとも、新たな法的規制が公人の擁護に利用されるのは必定、繰り返しますが、一握りの心ないひとのお陰で、日本は官僚や政治屋の統制する全体主義国家へと転げ落ちつつあるのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 20:40 | 固定ページリンク




一考 | 斎藤貴男さんの著書

 高遠さんお薦めの書冊のうち『「非国民」のすすめ』は前回紹介しましたので、もう一冊の対談集の紹介です。『平和と平等をあきらめない』高橋哲哉+斎藤貴男、晶文社、1400円+税となっております。290余ページの本ですから、安価と申せます。文学が本来有さねばならないラディカルな精神について、縦横に月旦ないしは時評がなされている。ご購入を薦めます。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 22:44 | 固定ページリンク




一考 | 泥鰌の季節

 外山時男さんへ
 この二週間ほどのあいだだけですが、泥鰌のうまい季節になりました。私は昔からの烏賊フリークで、角飛び・白鱚とつづいたあとは白烏賊のげそばかり食しておりました。半生で一塩、剣先と比して頭腕部が著しくたくましいので食感が好きなのです。げそなら、山陰地方の「シロイカ」にとどめを指すと思っています。
 今年はとなりの割烹のご主人から貴重な食材のお裾分けにあずかり、太刀魚の刺身、穴子のあらい、鱚の真子と白子の和え物、鱚のせんべい、六月のイクラ等々、久しぶりに四谷シモンさんと舌鼓を打ちました。
 ところで、お聞きしたいことがございます。普段は筏焼きですが、この時期の泥鰌は子持ちで外套長も大きくなり、蒲焼きにするとごきげんなのです。三木や三田の方ではごくまれに超大型の泥鰌が捕れ、あらいでも頂戴致します。東京では泥鰌鍋や柳川鍋はよく見るのですが、その他の食べ方がほとんどない、ないと云うよりもまったく見掛けないのです。鍋以外、東京では泥鰌は食べないのでしょうか。もし、なにかご存じならお教えくだされば幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月24日 22:47 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 齋藤貴男さんのもう一冊

一考さんが書いて下さつた本のほかに、最近出た齋藤貴男さんの御本があるので、記します。
『人を殺せと言われれば、殺すのか』。副題は「自由のための書評&ルポ集」。太陽企画出版。1700円。2004年6月。

これもすばらしい本です。齋藤貴男さんの御発言、目を離せません。
齋藤貴男、高橋哲哉、辺見庸、姜尚中。まだまだほかにもいらつしやいませうが、この方々の御本は見逃せません。齋藤貴男さんには一度お会ひしたいくらゐ。
齋藤さん、面識はございませんが、どこかでこの書き込みを見てくださればと思ひます。貴方のやうなジャーナリストがいらして本当によかつた。
とともに、これを出した版元に敬意を表します。少なくとも一部の、といふか、それが大勢になつてゐる、真実・真理とは無縁の暴露・体制側ジャーナリスムの卑しさとは無縁であることの、この時代に何と貴重なことか。体制翼賛メディアと化して恬として恥ぢない読売・産経は言ふに及ばず(同紙の記者のみなさんに問ひたい。あなた達は本当にコイズミでいいのかと)、毎日・朝日も、自らをもつと律すべきでせう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月25日 23:40 | 固定ページリンク




外山時男 | 泥鰌

泥鰌ですか。難問ですね。
東京の人間が泥鰌が好きかというと、実はそんなことはないような気がします。
たとえば三社祭のとき、駒方町内では『駒方泥鰌』からの切符が配られて、みんなそこで食事を取るのではありますが、それは旨いとか旨くないとかの話ではありません。
大相撲本場所の冷めた「焼き鳥」同様、そう旨くないのは知ってはいるけれど「食べねばならぬナニモノカ」みたいな感じがします。
これは「文化」の一種なのでしょうか。それとも「文明」の一種なのでしょうか。微妙なところです。ぼくは「文明」のほうに一票を投じる。
「鍋」とは「丸鍋」のことですね。泥鰌を丸のまま煮てどっさり葱をかぶせるアレですね。根深の青いところまでぶった切りにして、臭みが消えるまでぐつぐつ煮る。適宜「ダシ」を足して煮つまらぬうちに食べる。
東京の人間は貧乏臭さが好きなのかも知れません。

だいたい「東京の人間」なんて定義しようがないじゃありませんか。

しかしながら、東京の泥鰌料理については興味あるので、調べさせてください。
それについては充分以上の時間をください。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年06月26日 06:00 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

 昨晩の「土方巽を語る」トークイベントにお越し頂きました皆々様、ありがとうございます。お陰さまでとっても久しぶりに複数のお客さまが・・・。対談の感想など、お聞かせ下さいませ。
 なお、本日26日シモンさんは新宿ナジャ(TEL 03-3351-9058)で唄われるそうです。シモンさんの歌声にはしびれる~。わたしも聴きにいきたい。おっと、ですぺらはモルト会の日でありました、残念。



投稿者: 薫子    日時: 2004年06月26日 07:02 | 固定ページリンク




外山時男 | 泥鰌 その2

 駒形(さきほどは「駒方」になってました。すみません)の友人にたしかめたところ、やはり鍋か柳川だそうです。から揚げは数度どこかで食べた記憶がありますが、その他となると、さて。むろん蒲焼は東京にもあります。
 以前は原宿や青山の魚屋にも樽が置いてあって、中で泥鰌がつぎつぎに息継ぎしに上がってきていました。だから山の手の家庭でも普通に食べられていたのはマチガイありません。
 超大型の泥鰌のあらいっていいですね。蒲焼がごきげんとのこと。うらやましい。一度食べてみたいものです。
 でも超大型とはどのぐらいの大きさなのでしょうか。むかし川崎に「東横水郷」って釣堀がありました。砂利の採掘跡に水が溜まったのをそのまま釣堀に利用したのだと聞いていますが、そこではマレにおおきな泥鰌が採れました。20センチはゆうに越していたような気がします。もっと大きなのがいると何かで読んだ記憶もありますが、しかしその記事には「養命酒の工場のある川の下流では」とあったので大笑いしました。まゆつばであります。
 山陰ではありませんが、先日福井の方から鯖の「へしこ」をいただきました。たいへん旨かったです。白烏賊とへしこがあったらこれは酒がすすみます。



投稿者: 外山時男    日時: 2004年06月26日 17:07 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 舌莫迦の身にして

泥鰌(鰌)について、皆さんご存じと思ひますが、喜田川守貞『近世風俗志』(私の持つてゐる版は明治41年刊。1908年)には、以下のごとき記述があります。余計なことと思ひつつ。漢字は新字にしました。

「どじやう昔は丸煮と云て全体のまま臓腑をも去ず 味噌汁に入れ鰌汁と云 三都専之を食す 京阪は是亦生洲等にて兼売る
江戸は葺屋町川岸堺屋某 龍閑橋 数寄屋橋 御門外 等鰌汁鯨汁に名あり又全体のまま醤油煮付にしたるを丸煮と云 蓋し丸煮は骨抜きありて後の名なるべし 鰌汁鯨汁ともに一椀十六文 鰌鍋四十八文也 骨抜鰌鍋の始は文政初め此江戸南伝馬町三丁目の裡店に住居せる万屋某と云者鰌を裂て骨首及び臓腑を去り鍋煮にして売る 其後天保初此横山同朋町にて是も裡店住の四畳許の所を客席として売り始め 家号を柳川と云 其後横山町二丁目新道表店に移り大に行はれ今に存在す」 

そのすぐ横には骨抜鰌鍋の図といふものが載つてゐます。説明は以下のごとし。

「二重土鍋也 上の鍋浅くし是に鰌を入る 二重土鍋をかさね蓋置きたる図此ごとし 一鍋二百文を専とす 蓋底には笹掻牛蒡を敷き其上に菊花の如く鰌をならべ鶏卵閉にする也 下の土鍋には沸湯を入れ席上冷ざるに備へ且形深く外見乏からざるが如くするの意あり」

けふはここにて



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月27日 01:00 | 固定ページリンク




一考 | 神戸の泥鰌屋

 外山さんへ
 神戸の元町二丁目に「吾作」と号するドジョウ屋があり、酒は剣菱の樽酒、昔は常連のひとりでした。先日馳走になったアナゴの洗いがあまりに旨かったもので、つい神戸のドジョウを思い出したのです。洗いと云っても体長は20センチほど、さぞかし捌くのが面倒だったろうと思います。30センチに達するような大物もいるらしいのですが、それははなしだけで見たことがありません。
 高遠さんが紹介なさった稿の元はたしか「守貞漫稿」。室町の「大草家料理書」に酒蒸しの味噌煮、下って江戸初期の「料理物語」には味噌仕立てのドジョウ汁、天明の「豆腐百珍」にもドジョウ汁が掲げられています。「わり葱白(ひともじ)にても、白髪牛房にても、あしらひに油煤腐(あげとうふ)の細きりを入る」とあって、油揚げを用いるところから百珍物シリーズに収録されたもよう。どうやら、どじょう鍋の出現はずっと後、文政以降のようです。それにしても、東京のどじょうに関する文献はお寒いかぎり、ウナギの出世に取り残され、同類の下級品として扱われたようです。「飲食日本史」のなかで、本山荻舟はドジョウについて「渡りもののウナギと異なり、いずれもその土地々々のはえぬき・・・ウナギもドジョウも四季を通じての栄養食品で、寒暑ともに用いられながら。一所不定のウナギがどこで繁殖するかまだわかっていないのに対し、夏のドジョウはみんな子をもっているのに見ても、土地っ子のドジョウこそを夏のシュンとしてよいはず・・・」と著しています。
 ちなみに、先代の頃の「吾作」はどじょうのコース料理も置いていました。そのような遊び心は東京では育たなかったようですね。幕末の江戸っ子がうどんを軽蔑したところから、そば粉となんら関わりのない中華風麺までが支那ソバとの名称に化けたのと同様、江戸っ子の選民意識に、ドジョウはそぐわなかったのかしら。ずいぶん昔のはなしですが、詩人の吉岡実さんに連れられてドジョウを食べに行った折、広い座敷にきちょうめんに並べられた長い卓にそって他の客と一列に並ばされ、家畜が餌を食うがごときいやな気分にさせられたことを思いだしました。
 福井のへしこはもともとはイワシ、近頃はサバが増えてきたようですが。それと石川のフグも忘れられません。龜鳴屋さんから頂戴したことがあるのですが、あれは能登半島ではなく、南の美川だったように記憶します。いずれにせよ、地のひとはかつお節、すりごま、さらしねぎを加え、熱い番茶で茶漬けにするそうですが、茶漬けにはもったいないような気がします。酔っぱらいの私は酒肴優先ですもの。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 04:55 | 固定ページリンク




一考 | ちりめん山椒

 高遠さんへ
 じつはちりめん山椒について書かねばならないのですが、ネタがなくて困っているところです。こちらではしらす干し、「白簀乾」とも書くらしいのですが、上方ではちりめんじゃこ。もともとは徳島、香川が特産地で、阿波藩の淡路のものはよく識られています。
 で、ちりめん山椒がどうしてどじょうの食べかたに化けたのかと申しますと、共に下世話な食い物という点で似てい、また食する側のなにかしら差別意識のようなものが感じられたからなのです。
 ちりめん山椒がいつごろできたものか分かりませんが、最初は山椒の葉、青い実の醤油漬け(いわゆる有馬山椒)を用いるようになったのは後年のことらしいのです。
 福岡のイワシのちり鍋、長崎のイワシ餅等々、いろんな郷土料理があるのですが、どうやら香川のいりこ飯がちりめん山椒の原形らしいのです。もっとも、いりこ飯はイワシのしょうゆ漬けを飯に加えたもので、趣がまったく異なります。いっそ大磯のたたみいわしや煮干し、ごまめ、たづくりの方が稚魚を用いるのでちりめんには近いのです。
 ちりめん山椒といえば京都が有名ですが、歴史は九州、中国、四国の方が古く、例えば、播麿でクギ煮を造っているところは昔からちりめん山椒も造っています。「らしい」ばかりで申し訳ございません。どのようなことでも結構ですのでご教示ください。
 ウナギなら日野草城や斉藤茂吉の「白桃」、火野葦平の「赤道祭」、獅子文六の「てんやわんや」などいくらでもあるのですが、ちりめん山椒はお手上げ。料理は食べるもので、書くものではなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 04:56 | 固定ページリンク




一考 | オホーツクの匂い

 外山さんへ
 以下、例によって龜レスですみません。「ラ・ジョコンダの微笑みが江戸ソバなら、その背景の曲がりくねった川や橋が田舎ソバ」とやら、うまく表現なさいますね。
 神戸時代には日本海側を走って北海道へ行きました。北陸自動車道は新潟西ICまで、あとは8号線のつづきの1号線で北上します。山形、秋田、青森と曲がりくねった道沿いに田舎ソバ屋が並びます、もっともあちらの名称は板ソバですが。新潟と山形はつなぎに海藻を入れるのでたぐりは問題なし、外山さんのおっしゃる日向臭さが、あちらで食べるとなんともいえない薬味になります。
 お説のとおり、たまには「イデア風のもの」をはずして、ソバとひなたぼっこもいいものです。北海道が楽しかったのか、途次のソバが嬉しかったのか、今となっては判然と致しません。気が置けないのが田舎ソバとでも申すべきか、眼前を日本海の風景が悄然として通り過ぎてゆきます。
 ところで、鮭とばの茶漬けはいけます。出刃で薄く削ぎきり、それに魚醤を一滴のみ。つぶ貝(北海道ではゴマ)の炊き込みご飯とともに知床のアイヌの古老から教わったのですが、オホーツクの匂いがします。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | デジカメの記録媒体

 ミノルタのデジタルカメラ第一号機「RD175」についての質問です。
 同機の記録媒体は「PCMCIA2.1/JEIDA4.2規格のPCカード(ATA仕様 Type2、3)」となっています。付属のPCカードは Type3ですが、当然 Type2とは互換性があると思います。そこで、知りたいのは、 Type2のアダプターにスマート・メディアやフラッシュ・メモリーを装着して使えないかということです。PCカードがなくてもSCSI接続で取り込めます。従って、普段の使用に問題はないのですが、記録媒体があればなにかと便利だと思います。このあたりの消息をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
 なお、IBMや日立のPCカード Type3は規格が異なり認識不可、また初期化にも対応しておりません。「RD175」は三種類のリチウム電池を使っていますが、7.2ボルトのリチウムイオンNP-500HはソニーのOEMですので、NP-F550が代用可能です。PCカードに関してもこの辺りがヒントになるかと思うのですが。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月29日 21:31 | 固定ページリンク




りき | こんばんは

>一考さん、薫子さん
先日来ご無沙汰しています。
ダンセイニ「戦争の物語」の委託を引き受けてくださりありがとうございます。

先日やっとネット環境が構築されました。
一応100Mでることにはなっています。

お店のほうになかなかうかがえませんで申し訳ありません。
今週の金曜日あたり、「戦争の物語」の追加委託分でももってお邪魔できたらいいのですが。

伊藤人誉さんの本は抜群の出来です。
面白かったですね。本当に。
装丁は汚してしまいそうで怖いですが。



投稿者: りき    日時: 2004年06月29日 22:19 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 東様 増田様 一考様

このところ、私事にかまけて缺くべからざる義理を缺いてをりました。
当掲示板をお借りして、まづもつてお詫び申し上げます。

東雅夫さま、増田編集長さま
先日は『ゴシック名訳集成』をご恵贈に与りまことにありがたう存じます。懐かしい訳を十分に堪能いたしました。このやうなお仕事を続けられていらつしやることに深甚の敬意を表します。御礼が遅くなりましたこと、重ねてお詫びいたします。ご海容ください。近くお目にかかる日もあらばと願つてをります。

一考様
一昨日でしたか、浪速書房さまより、一考さんのご紹介にて、例の依頼が届きました。菲才のゆゑ、ろくな事は書けませんが、折角の足穂特輯。一考さんのお顔に泥を塗らないやうに励みますので、よろしくお願いいたします。ありがたうございました。

このところ、亡き友のことばかり思ひだされます。その温顔、温情がいまもわたくしを支へてくれるやうです。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月30日 10:00 | 固定ページリンク




一考 | ちりめん山椒いろいろ

 静岡 舞阪 360円 小
 紀州 下津 450円 小
 広島 音戸 天日干し 735円 中
 淡路 南淡 420円 中
 淡路 津名 180円 大
 阿波 和田島 330円 不揃い
 大分 佐伯 230円 大
 鹿児島 川内 150円 極小
 鹿児島 川内 天日干し 280円 極小

 以上のちりめんじゃこが築地から到着(値は100グラム)、明日は上記と産地の異なるちりめんじゃこが十種類入荷予定。本格的にちりめん山椒に取り掛かっております。ちりめんじゃこは産地や時期によってかなり味わいが変わりますが、実山椒と共にいまが旬。その後判明したことや注意事項を書いておきます。
 まず、山椒について一言。
 ちりめん山椒が漁師料理であった頃は主として葉山椒が使われていましたが、戦後、京都の割烹で出されるようになってから実山椒が用いられました。当初、塩茹でした実山椒をそのまま使っていましたが、やがて醤油と砂糖で煮込んだ実山椒すなわち有馬山椒を用いるようになりました。「少しでも手の込んだ京料理」を地でゆく変遷だと思います。なお、塩茹だけの実山椒、有馬山椒は共に瓶詰めで売られていますので、入手は容易。
 江戸時代の文献をいくら調べてもちりめん山椒の記述がなく不思議に思っていたのですが、冷蔵庫の発達がちりめんじゃこには不可欠であることに気がつきました。ちりめんじゃこは冷蔵庫に入れても3~4日、内蔵が酸化するので一刻も早く冷凍しなければならないのです。家庭用の氷冷蔵庫が電気冷蔵庫に取って代わるのは60年代、冷凍庫付き冷蔵庫が家庭で普及するのは70年代に入ってからです。業務用冷蔵庫や氷の普及と共に、カクテルが一世を風靡したのが昭和33年。ちりめんじゃこの歴史は古く、また戦後間無しに京都の上賀茂でちりめん山椒が作られているのですが、一般家庭に普及したのはやはり昭和30年代で間違いなさそうです。
 「播麿でクギ煮を造っているところは昔からちりめん山椒も造ってい」たと書きましたが、漁師が拵える郷土料理であったちりめん山椒が京都でブランド化されるには眞空パックの技術開発も必要でした。それやこれやで、ちりめん山椒がフリークと呼ばれるひとたちを生んだのはこの20~30年のことなのです。
 香川のいりこ飯を速達で送ってもらったのですが、実態は醤油で煮詰めたいわしのかんから乾し、紀州の貝塚煮と共にちりめん山椒とは赤の他人でした。
 調理について一言。
 製法はかつて二度当掲示板で書いていますので、重複は避けます。Googleで検索したのですが、作り方はほとんどが同じ、おそらく孫引きが多いのだと思います。まず、油で十分に炒めるのと味醂ではなく砂糖を用いるのは共に食感をよくするために大事。味醂はべたつきます、ちりめん山椒は佃煮とは異なるので、味醂は使わないでいただきたい。「水と酒を浸るまで加え、灰汁を取ります」と前回書きましたが、さほど灰汁は出ません、これは塩抜きだと思ってください。ちりめんじゃこは塩茹したものを乾して作るのですから、塩抜きしないとだだ辛くなります。それを笊に取り水切りしたあと、醤油と砂糖を加えて煮詰めてください。山椒は同時に入れようが、あとから入れようが香味は変わりません。ただし、有馬山椒を用いるときはその漬け汁は除去してください、やはり辛くなりますので。醤油と砂糖の量ですが、100グラムのちりめんに30ミリリットルの同割り。繰り返しますが、醤油30ミリリットルと砂糖30ミリリットルの合計60ミリリットル、言い換えれば大さじ2杯づつです。これを超えると佃煮になりますので注意。
 しらす干しは最近は水分の多い軟らかいものが多くなり、煮て水切りしただけの釜あげしらすが出回っています。水分の多い軟らかいものは、だいこんおろしと和えたり、卵とじ、てんぷらなどにしますが、ちりめん山椒にはどうあっても、よく乾したちりめんじゃこを使ってください。食感がいのちの食べ物です。固めに硬めに作るように心掛けてください。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月30日 21:13 | 固定ページリンク




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