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一考 | レダの会

 久世光彦さんが先週の水曜日にですぺらへいらっしゃいました。矢川さんと当店で逢われたのが最後とか。それは二月九日、当店では三度目のレダの会の日でした。レダの会とは野溝七生子さんを偲ぶ会の名称です。「野溝七生子という人」でも触れられていますので詳しくは書きませんが、久世さんは忙しい中、三度とも参加なさっています。
 如月さんの掲示板でやっきさんが書き込まれていますが、「BRIO」(光文社)8月号には久世さんの追悼文が掲載されています。
 「矢川さんは晩年のアナイスについて、ほとんど語っていない。異様とも言える熱心さで〈アナイス・ニンの少女時代〉に目を凝らすのである。まるで自分の少女時代を解剖するような執拗さと、愛着とをもってアナイスとの同化を企(はか)っているのだ」
 言うまでもなく、他人に託けて自らの情念を描くのが表現です。だとすれば、表現者に「他」と「自」もしくは「公」と「私」の区別は御座いません。生きるとは取りも直さず「私」の解体であり、捐棄であり、棄甲でしかないのです。それ故、表現者とは常に傷を負った存在です。その傷の深さ、裂け目の按配に「個」が「個」としての愛着を眷恋を感じるのです。かねてより、久世さんの文章の底辺には〈高等遊民〉や〈少女〉の血脈への憧憬が妖しげな旋律となって刻み込まれています。今回も文章の要の部分に「信用」との信仰告白がさり気なく鏤められています。鬩ぎ合いに終始せず、決して抱いてはならない信頼という名の麗しいディスタンスに囚われてしまった表現者をまた一人識りました。
 久世さんがかいま見た希有な出逢い、醸し得た出逢いの絶景、言い換えれば個と虚無との逢瀬。その苦衷と遣る瀬なさに一献捧げたく思います。



投稿者: 一考    日時: 2002年07月08日 05:51 | 固定ページリンク





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