1.0 |
芳賀さんの紹介で知り合ったのだが、国会図書館に知己がいる。とんでもなく偉いひとらしいが、私にとってはじつに気さくな読書人である。先日櫻井さんも同席し、国会図書館を肴に酒を酌み交わした。その折り、連休明けの国会図書館の探訪が決まった。普段は入られないところも含めて、隅から隅まで案内していただくことになった。日時は平日の15時から17時を予定している。参加を望まれる方はご連絡を乞う。
聞くところによると、蔵書のマイクロ化に要する費用は10億円からせいぜいが20億円。明治・大正期は終了したものの、昭和、それも戦後の仙花紙本のマイクロ化が急がれるとの由。農道と平行する短い高速道路を一本節約すれば済むはなしである。かつては鏡花の、今回は足穂の資料収集でお世話になっっている。探訪のあとは、日本の文化行政の貧弱さについて話し合いたいと思っている。
まさか持つまいと、やっている本人が思っていたのに、丸六年経ちました。
お越しくださる皆様のおかげと感謝しております。
4月27日(木)より5月2日(火)まで感謝デーとして、
「ですぺら」にご来店の際には、グラスワイン1杯とオードブル小皿をサービスさせていただきます。なお、ゴールデンウィーク中の営業はカレンダー通りです。
また、5月6日(土)はすきやきパーティを計画しております。詳細は追ってお知らせします。
Mさんへ
沙の上のラブレターはY・Nさん宛に書いたものですから、いささか難解かもしれません。あの二倍ぐらいは書いたのですが、文中でも触れたようにY・Nさんは頭の回転が鋭いひとですからくどい説明は無用です。それで、あのように短くなってしまったのです。
「人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう『死なず甲斐な目に逢うて』以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる」は確かに端折りすぎています。親子の問題を書いているのは分かるが、「生み落された」と「生み落ちてしまった」との行間が読めないとのご指摘も宜なるかなと思います。
生み落ちるとの複合動詞を他動詞対自動詞と解釈してもきっとなんの解決にもなりません。それでなくとも、自他の区別は日本語ではかなりやっかいです。まずその前に、個と個もしくは親と子、さらには個と親子といった画一的な見方で私は父と付き合ってきたのではないのです。父が難渋していたように、私自身もいつも頭を抱えてきたのです。
動詞における語形の屈折とよく似た、図式では割り切れない一種のひずみが、ひととひととのあいだには横たわっています。親子であれ、夫婦であれ、恋人であれ、友であれ、その消息は同じだと推察します。おそらく、およそ通じることはないのではないかと。
だからこそ、どのような関わり合いがよいのかをお互いが探り合わなければならないのです。他人の事情や心中をあれこれ考え思いやらねばならないのです。親子でありながら、敢えて「他人」と書く、そのような関係を父も私もこころのどこかで求めていたのだろうと思います。どうにもならなくなった時は訪ねてくれ、と父はよく申しておりました。機会は父が死んだ日にやって来ました。そしてその日付で私自身が父に昇格してしまいました。新たな親子問題はまだ端緒についたばかりです。
「ひずみ」と書きましたが、捩れや撓みは資質のようなもので、暗部を形づくる元素のひとつなのです。そして関わり合いは外交のようなものなのです。例えば、今朝の盧武鉉の特別談話は国家指導者が先頭に立って民族感情を煽っているようなものです。問題を拗らせるだけで、政治家云々の前に、ひととしての未熟さばかりが目に付きます。きっと、私と私の子供もそのような過程を経て育っていくのではないかと思うのです。
自らの意見の陳述や展開は最終的にはひとを煽ることにしかなりません。好悪を前面に出す怖さもそこにあるように思います。どのワインがうまいとか、どこの店の何々が結構だとか、某作家の作品がよいとか、非難であれ肯定であれ、そのどちらもがひとを煽り焚きつける結果しか生まないと思うのです。それではつまるところ喧嘩にしかなりません。そして諍いを回避するには緘口結舌しかないのかもしれません。
掲示板の書き込みで、いつも困惑し逡巡うのはそこのところです。どうでもよいこととどうでもよくないことの区分け、それと主張すべきことと箝口すべきことの分別で迷い続けるのです。気後れした時に私が立ち帰るのは「文学はオピニオンとは逆の場に位置する」とのいましめなのです。
双方が仕事ゆえ、父と私は料理の味付けでしばしば衝突しました。私は神戸生れですが父は東京、味覚が違うは当たり前です。意見を違えるたびに、まったく異なった調烹がどこかにあるのではないだろうかと、試行錯誤を重ねました。いまは顧みられなくなった昔の、または地方の文献をあたり、「この調理法はひどいね、喰えないよ」と苦笑したこともありました。父と喧嘩をするために生れてきたのではなし、といって父を口説くために生れてきたのでもないのです。父を師として育ち、そして遠く離れて行く、すごく順当で真っ当なことがらから存在は暫定であり、生死はのろのろしげにはばかる所もなく繰り返される代謝なのだと覚えるに至ったのです。
このようなはなしをいくら書いてもあなたへの返事にはなりますまい。生み落されたことに対する怨みを生み落ちてしまったと言い換えるようになるまでの距離が私の読書体験だったとでも言っておきましょうか。ついうっかり生れてしまったのは私の方であって、怨むならそれは親ではなくて自分自身なのだと。自らの迂闊さを兼ねての「ですぺら」ではなかったかと思うのです。
連休明けの5月8日(月)から5月20日(土)まで、故種村季弘さんゆかりの画廊であ る東京・銀座のスパン・アート・ギャラリーhttp://www.span-art.co.jp/(中 央区銀座2-2-18西欧ビル1F、TEL=03-5524-3060)で、エコール・ド・シモン人 形展が開催されます。 この展覧会は、毎年三月、新宿・紀伊国屋画廊で開催されている恒例の人形展と は切り口をかえてはじめて企画されたもので、エコール・ド・シモンで学んだ人 たちの多彩な作品をさまざまな人に広く観ていただくことが狙いの新たな試みです。 出展者は、四谷シモンの他、井桁裕子、久保寺裕治、坂口愛子、佐藤公子、 佐藤晋、佐藤久雄、高橋竜男、田原ひろし、土屋ひとみ、刀弥健二、中島清八、 新妻朱彩美、ヒロタサトミ、増記真由子、松山智子、山田恵子、柳川欣之、小沢茂。 紀伊国屋画廊の人形展よりも一歩踏み込んだ個性的で刺激的な作品の出展が予定 されています。 初日(8日)の18:00から20:00まではレセプション・パーティーも予定されてい ます。 大勢の方のご来場をお待ちしております。
一考様 薫子様
たいへんお世話になっております。
お聞きおよびかとも思いますが、某日打合せの席にて一考さんが
気をきかせてくだすったボタン海老、とりわけかしら焼き、金子画伯は
心からお気に召したようで、翌日早速ボタン海老探しに出掛けられた
ほどとか。美術倶楽部ひぐらしでの個展初日、その深夜にもボタン
ボタンと懐かしまれていました。
それほど美味かった、私にも美味かった、という御報告のみのつもり
でしたが、ふと、金子國義という画家の本質にふれたような気すらした
むねも、追伸いたします。
氏、たとえばヴィスコンティのような気に入った映画監督の作品は、
全場面を自演できるほど繰り返し御覧になっている。本なら鏡花。
暗唱できるほど読みこまれ、他は要らんとまで仰る。あるいは
ですぺらで『桜姫東文章』の終幕を再現されていたのは、むろん
一考さんも御記憶でしょう。
一度旨いと思ったものは食い尽くす、翌日も食うし、思い出しては
また食い、ひたすら本質を見極めんとする。きっと、それを美味いと
思った己との対峙です。それが一生続く。金子様式が出来上がる。
情報ラーメンで日々満腹している我身を恥じいる一方、氏の
ストイシズムにはゴッホが「牡牛のごとく邁進する」と評した
ゴーギャンを、ははあと思い重ねた次第です。
海老の、頭の、串焼きは象徴的とさえ云えるほど「金子ごのみ」の
一品だったようです。
金子國義さんの個展のお知らせです。
Notredame des Fleurs
会期 5月3日(水)~5月30日(火)
サイン会14日(日)16時から
(会場にて画集等をお買い上げの方のみに限らせていただきます)
会場 101-0051 千代田区神田神保町1-26
美術倶楽部ひぐらし
03-3219-2250
営業時間 13:00~19:00(会期中無休)
下記URLに会場の地図があります。
URL: http://www.kuniyoshikaneko.com/
このお知らせをアップしようとしたら、津原さんが金子さんについての書き込みをしてくださっていました。金子さんの周りには何やら不思議な力が渦巻いているような気がいたします。
一昨日、久しぶりに鱒助(マスノスケ)を櫻井さんと食べた。「かさね」からの差し入れである。マスノスケは六月から七月にかけて北海道沿岸で主として定置網で漁獲されるキングサーモンである。岩手や宮城ではダイスケもしくはオオスケとも呼ぶが、非常に数が少なくほとんど一般の市場には出回らない。
キングサーモンはアムール、カムチャッカ、アラスカ、カナダからカリフォルニアまで分布するが、ロシアに回帰する一部が北海道で漁獲される。鮭の仲間では最大種で、全長一メートルを超すものも少なくない。かつて北海道でも放流が試みられたが、成功しなかった。
昨今、スーパー等で比較的安く販売されているキングサーモンは外国産の海中養殖魚で、マスノスケとは食味が異なる。マスノスケには鮭特有のまったりした食感があまりなく、さわやかな舌触り、淡泊な味わいはウトロ産の鮭児とは正反対に位置する。全身これ大トロの鮭児は年間四、五百匹しか捕れず、羅臼市場のセリ値で一尾数万円になるという。しかし、マスノスケは値はともかく、さらなる貴種である。鮭児を本マグロの大トロに見立てるなら、マスノスケは銚子沖でとれる近海ものの鮪の淡い赤身であろうか。春先から秋にかけての産卵前がことさら美味、ソフィストケーテッドな味わいにいつも愕かされる。
鮭ついでに、「スケ」とは、「サケ」の語源であり、地方によっては鮭の中でもとくに大きなものを指す。また、「スケ」は「介=大将」の意であり、サケ・マス類中最大となる本種が「鱒の介(大将)」であるといわれる。
知床の「鮭児」、日高の「銀聖」や「時鮭(ときしらず)」、羅臼の「いばらの内子」、鵡川の「シシャモ」等々、北海道ではいろいろな珍味を教わった。そう云えば、横須賀さんはですぺらに残っていた「いばらの内子」を来るたびに食されていた。内子の在庫が無くなったとき、それが彼の命日であったように思う。
6月25日(日)放送予定のNHK新日曜美術館「異端の画家シリーズ(2) きたない絵ではいかんのか~大正画壇の奇才・甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)~」に、四谷シモンが甲斐庄の手記の読み手として出演します。お楽しみに。 甲斐庄という画家については、たとえば↓のサイト(甲斐庄楠音研究室)をご参照ください。 http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/index.html
◆「版下バカ」の仕事展 ◆ 工藤強勝・間村俊一・多田進・和田誠
デジタルではなくてアナログでブックデザイン、装幀を手がける4名の版下原稿が並びます。
珈琲も美味しいそうです。
【会場】
珈琲&ギャラリー ウィリアム モリス
【会期】
2006年6月1日(木)~6月30日(金)
12:30p.m~6:30p.m
日曜・月曜・第3土曜17日休
【住所】
150-0002
東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
電話 03-5466-3717
金子國義さんの展覧会のお知らせ。
会場:スパン・アート・ギャラリー
東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
03-5524-3060 URL:http://www.span-art.co.jp/
会期:2006年6月12日(月)~24日(土)日曜休廊
最終日17時まで
新作ゆかた、絵短冊、屏風、絵日記などが展示されています。
プヒプヒさんよりかねてから作業をしていた、
同人誌「某」別冊平井功訳詩集の原稿を入稿したという連絡がありました。
7月13日に発刊予定です。
ですぺらで記念のオフ会をやろうと考えています。
7月14日(金)にやりたいと思います。
会費制にせず、飲食分は各自で負担。
ようは平井功をだしにですぺらに集まるというだけです。
なお、平井功訳詩集の目次は以下の通り
・評論「平井功の横顔」 私が執筆
・平井功訳詩集本体 原詩との本文と対照する感じで収録
・平井功エッセイ「グロリエ倶楽部のこと」
このうち、グロリエ倶楽部のことは、遺稿集にもはいっていない、今回新発見の資料です。非常に面白いエッセイです。
なお、平井功訳詩集は、発行部数を絞っています。勿論ですが。このチャンスに幻の夭折詩人の世界に触れてみませんか?
プヒプヒさんからの伝言です。
・当日来てくれた人には割引販売
・限定200部(番号入り)なので、早くこないと無くなるぞ(ありえんけど)
だそうです。
比較的新しい情報として巡り会いました。まだ、実兄と対話している方がいることを知り、嬉しく思っているところです。7回忌を迎える兄の軌跡を何とか残したいと思い、私の自宅(A&Dギャラリー)に「高橋康雄の仕事部屋」を創設しております。何とか体裁が整いつつあります。今後とも関連する資料収集に努める覚悟をしているところです。
花ふたつ紫陽花青き月夜かな 鏡花
昔、紫陽花が好きで鏡花を読むに至った。北野町や須磨のジェームズ山にはいくつもの洋館があって、庭にはかならず紫陽花が咲いていた。少年期、画筆を持って出掛けるのだが、眼目はつねに紫陽花であった。山本六三と出遇ったのも、そうした紫陽花詣での途次であった。六甲山にはわが国最古の額紫陽花が自生してい、六甲小学校の生徒の手によって株分けされ、毎年日本中へ送り届けられている。明石に住んでいた時はその額紫陽花を四株と玉紫陽花を四株殖えていた。紫陽花は栽培が易いのだが、大輪の花を思う色に咲かせるとなると、結構難儀である。下枝を利用して株立ちを助けなければ、直径三、四メートルのこんもりした紫陽花の花冠はできない。上部は捨て置いても大丈夫だが、下部には慎重な手入れが必要である。
戸田の庭には紫陽花が植わっていた。先人が樹えた玉紫陽花と奥秩父から採ってきた山紫陽花である。後者は挿し木から四年を経てやっと大きな花を咲かせた。下枝の花を裁って枝を土に触れさせ、根付かせる機会が巡ってきたのである。来年には根と根のあいだが幹になって株が拡がる。さらに一年経てば、そちらの株からも多くの芽が出てくる。そうした手入れが十年繰り返されて小山のような花冠が完成する。
ところが先日、下枝が一本残らず刈り込まれていた。重さで土に触れる花を不憫に思った薫子さんの為業である。言い争いになったが、たかが花のことで喧嘩はしたくない。暁方、鋸でもって紫陽花の根元を切断した。斬首された紫陽花の遺体は陽に晒されてやがて絶命する。「そこまでしなくても」と言われそうだが、それが私の流儀である。
今後、犬を飼うことはない、金魚を育てることもない、そして薔薇に次いで紫陽花を植えることも二度とない。例えば、食事にしてからが、味付けで諍いになる可能性があるのなら、作るのも食するのも別々がよいと思う。同衾にしてからが同様で、したけりゃ一人で済ませればよい。たかが供御や肉体関係のことで喧嘩はしたくないのである。では何故に、連れ添いと暮らすのかと問われる。世の中には妻女には妻女の本質、つまり概念があるらしいが、それは私の知るところではない。私にとって連れ添いとは、いま選択した闘いを共に闘ってくれる戦友であり、死を見取る相方である。見取るのであって、間違っても看取るのではない。もし看取れば、個の領分を互いが侵すことになる。
そもそもがどうだって、何だってよいのである。生れてきたのが不本意なら、死を迎えるのも不本意である。不本意だからこそ何だって構やしない、宛行扶持の人生を駈け抜けるまでのはなしである。宛行扶持と書いた理由はひとつ、選択はあっても、選択に自由はないからである。自由とは選択の領域を遠く超えたところにある。それ故、選択に際しての私の姿勢はちゃらんぽらんである。例え負け戦と分かっていても私は邁進する。ただし、元気はあっても、目的のない勇往邁進である。目標や理想はなにもないが、底部には私という存在に対する呪詛のような深い憎悪がある。
さて、紫陽花の祟りで薫子さんが発熱し、店を休んでいる。紫陽花の祟りなら手を下した私にもたらされそうなものだが、取り憑かれたのは彼女である。思うに、立派な相方であり、戦友ではないだろうか。
高橋貞雄さんへ
はじめまして。
高橋さんとは1973年からのお付き合いですが、彼が『吉行淳之介自選作品』と沼正三の『ある夢想家の手帖から』を上梓なさった頃から、特に親しくさせていただきました。それらの著書は色違いの鉛筆による署名本を各五十部、計五百五十部頒けていただきました。そのお礼を兼ねて上京、新宿の池林房で店主の太田篤哉さんと共に酒を酌み交わしたのが、直接お会いしたはじまりでした。たしか、1975年の末だったかと記憶します。
同じ75年に上梓された『多留保集第五巻 キネマの月巷に昇る春なれば』所収の多田智満子さんのエッセイ「異類の人」は足穂について著された、もっとも美しい文章のひとつだと思っているのですが、それについての語らいが池林房で続けられました。晤語のなかで、高橋さんが神戸の歴史や街並みに詳しいのに驚かされました。『多留保集』にとどまらず、後年『タルホ神戸年代記』などを編まれる彼ならではの気配りの行き届いた知識の一端を垣間見る思いでした。
一方、高橋さんは「タルホ大好き」を自明の前提とする無批判なエッセイの跳梁を悲しんでおられました。当掲示板でユリイカの足穂特集号について書いてまいりましたが、そのユリイカ誌上、宇野邦一、津原泰水というすぐれた書き手にご登場いただきました。そして、単なるオマージュの時代は終わった、これからは「足穂という作家の弱点の容赦ない指摘が、そのまま足穂という作家のかけがえない価値の発見」に繋がる、とのエッセイをお書きいただきました。宇野さんと津原さんには若干の年齢差があるのですが、世代を超えてふたつのエッセイはシンクロしているのです。高橋さんがきっと小躍りして欣ばれるであろう特集になったのではと思っています。
1985年に東京中野新橋へ転居してからは屡々酒を酌み交わすようになりました。「いちこうさんも書かなきゃ駄目だよ」と、第三文明や河出書房の編集者を紹介してくださいました。鏡花や足穂についての文章も、彼に背を突かれなければ書かなかったと思うのです。しかし、話題は文学と宗教に限られ、プライベートなお話をした記憶がございません。従って、ご家族についてはなにも存じ上げないのです。これを機に、私が存じ上げない高橋康夫さんの側面をご教示いただければ幸いに存じます。
一考さん、みなさん、こんにちは。
四谷シモン、7月29日午後9時からフジテレビ系で放送予定の『東京タワー』↓に
医師役でワンシーン出演する予定です。この作品は、リリー・フランキーさんの
ベストセラー小説のドラマ化で、ほんらい、先日なくなられた久世光彦さんがご
自身演出する予定で計画をすすめていたのですが、久世さんが急逝されたため、
久世さんの遺志をいかすかたちで企画されたものです。
お見逃しなく。
http://wwwz.fujitv.co.jp/tokyotower/index.html
連続投稿、失礼します。
さて、7月22日(土)午後1時から、四谷シモンが人形について語ります。
このトークは、多摩美術大学が大学内外に向けてひろくアート情報を発信するオ
ープン・キャンパスの一環として企画されたもの。一般の人も無料でトークを聴
くことができます。多摩美術大学(八王子市)への交通アクセス方などオープン
・キャンパスに関するくわしい情報は多摩美術大学サイト内の↓ページをご参照
下さい。
http://www.tamabi.ac.jp/geigaku/
このところ、以前からのフードは「肴あったりなかったり」へまとめ、黒板は居酒屋メニューに書き換えた。赤海老、つぶ貝、下足酢味噌、ハラス、鰻蒲、鰤照、鰈フライ、烏賊飯の類いだが、週二回はご新規さんが加わっている。ちなみに、今日は道産の鯣烏賊と千葉のめじ鮪の刺身が入荷した。それを知ってかしらいでか、金沢の虚無さんこと河崎徹さんからヤマメの佃煮が送られてきた。このての佃煮は砂糖や味醂の使いすぎで甘いものが多い。しかし、送られてきたものは甘味が抑えられ、ヤマメの苦みが生かされている。要するに滅法美味いのである。去年、勝井さんから送られてきた泥鰌の蒲焼もそうだったが、燗酒が無性に呑みたくなる、そんな趣が秘められている。管理人のひろさんが早速製造元の住所を控えていった。どうやら注文するようである。
河崎さんは当掲示板で三度ご登場いただいている。川魚料理「かわべ」のご亭主で、龜鳴屋主人勝井隆則さんの友である。「虚無さん」などと書いたのは他でもない。「イワナ売ります」と題された彼のサイトには落日を迎えた不良中年の咳きが満載である。人生への適応障害(河崎さんによると同障害は高貴な人しかかからないらしい)にある時はもたつき、またある時は虚勢を張って謳歌してみるといった塩梅で、投げ遣りな気配がサブリミナルのように鏤められている。
第一回の「読みたい奴は読め。わしゃ知らん」から第二十五回のタバコの話に至るまで、あかんたれ(関東のひとには分からない)と偉そうなこととが交錯する。悲しさとふてぶてしさが実を避け、虚をついての懸引きである。彼の律儀なまでの開き直りに接していると、虚無主義とは健気の謂いではなかったかと思われてくる。そうした彼の自意識のありように深く賛意を表したくなるのである。
文中、「『純文学の純とは何ぞや』、またいつもの悪いクセが出てきた。『純』があるのなら『不純』もあるのだろうか」とある。その伝でいけば「自意識」があるのなら「無意識」もあるのだろう、である。自意識が強ければこその適応障害であって、無意識なひとは終生適応障害とは縁がないのである。河崎さんの目線には屈折した価値観があり、彼の自意識こそが文学なのだと、私は信じている。
おもしろきかな 昨日 消したる初雪の朝
春なれど、なぜ咲き急ぐ 桜まで
老木なれど、まだやり直す気か、芽吹きの頃
何もかも 息を殺して 秋の暮れ
秋風に 負けじと鳴くか セミ一羽
蝶なれど 休むしぐさや 秋の風
セミしぐれ 咎めてみたし 過疎の村
釣れてよし 釣れずともよし 春の海
落つるとも 今美しきかな やぶ椿
上記は河崎さんの句である。「おもしろき」とか「美しき」は不用意な言葉だと思う。不用意とは習作の意である。けだし、彼の個がピンを刺すように正確に射留められている。彼の句を読むのは私の愉しみのひとつである。
14日に予定していた平井功訳詩集発刊記念オフ会ですが、
印刷の遅れにより、14日ではなく、21日におこないたいと思います。
実施方法には変更はございません。
また、22日には薫子さんのお誕生日です。
薫子さんのお誕生日おめでとうをいう会も兼ねることになると思います。
たくさんの方のご来場をおまちしております。
昨夜、despera.comドメインが全世界的に放置されている事をライブで確認。
斯くの如くやけっぱちな識別子を自ら掲げる諸団体は、人口65億人超の世界でも希有な由。
小生の眼前にて、一考店主が早速にも獲得保持しましたので、皆様にご報告します。
.jpでも.netでもない.comドメインへの固執は、
みずからのディアスポラを愉しむコスモポリタンの店主故の拘りではないか?察します。
または世界遺産ならぬ、世界離散の場として発展を狙う野心ではないか?と察します。
なお先日、櫻井さま、比呂さまからドメイン取得に対し疑問符を頂いた、とのことですが、
「1年990円」、つまり1ヶ月当「8うまい棒(80円)」程の格安レジストラを発見してしまった、
店主のささやかな道楽と思われますので、理に目を瞑り、情を汲み、ご寛容下さいまし。
皆様ご存じの通り[.com]とは、諸処の営利団体に与えられる属性でございます。
これを機に、文字通り、「利を営むdespera」となりますよう、
常連、通りすがり、興味本位の皆様の穏やかなでやけっぱちなご愛顧と、
そして夜毎の店主・客共々、辣言・放言・暴言の夢の競演へのご寛容を、
僭越ながら、この機に乗じてお願い申し上げます。
なお「ですぺらのホープ」書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。
その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい。
※現時点では、サイト・掲示板・メールとも従来のものと変更ありませぬのでお間違えなきよう。
十代に多くの友を喪った。不良と文学青年がシノニムで、とんでもない捨て鉢な日々を送っていた。しこたま酒をかっくらい、ヤクザに因縁をつけては派手な殴り合いを演じていた。自殺に失敗し、頼むから殺してくれというような身勝手な因縁であった。みんな蒼ざめた末期の眼で友を見据えていた。当然、仲間内での諍いも絶えなかった。友が友としての用をなさない、そんな救いのない状況下で自殺率ばかりが高まっていった。個々の死について、今なお書く気持ちにはならない。
七九年一月十四日の友の死を境に、私の自殺の消滅時効が成立した。寂静と煩悩といった二項対立が過ぎ去り、有為転変、念念生滅が愉しみとなったかのようである。
「盃が流れることがある。盃の下がわずかに濡れていて机の表面とのあいだに薄い層ができ、不意についと流れる。
ひとりでお酒を飲んでいるとき、私は傍らに本を置いていて、それを読みながら、ということがある。本のほうに気を取られていて、盃へ延ばす手がおろそかになっているころ、盃がついと流れる。ほっておく気か、とすねているようだ。私はあわてて、徳利から酒を注ぎ、盃を口に運ぶ」
誰の文章かは書かない、書きたくないのである。ただ、おきさんの書き込みを読んで、七九年一月の祇園の焼鳥屋を想い起こした。盃と机とのわずかな別れ、盃の毫かな流れにふたりしてなにを思い、なにを感じたのか。あれは友と見た世界離散の場だったのかもしれない。もとより、過去は懐旧の対象ではない、過去は自身の立ち位置を明らかにするための道標でしかない。「明らかにする」ところが要点であって、立ち位置や道標はなんでもよくどうでもよい。そして過去が「やけっぱちな識別子」であったとするなら、おそらく、私は納得する。「七十人訳聖書」を生んだディアスポラの呼称を頂戴したことに感謝しつつ。
平井功訳詩集を入手したいのですが、どうしたらよいのでしょうか。発刊記念オフ会には出席できないのですが…
お問い合わせありがとうございます。
オフ会以外の販売体制については今検討中です。もうすぐ告知できると思います
mixiですぺらコミュのトピックの、ほぼそのままの転載
ですが、どちらさまもお赦しください。
7月22日はK子さんのお誕生日です。昨年同様「ですぺら」
を訪れてK子さんにお祝いの言葉をお伝えになりませんか。
7月22日は第4土曜日で、モルト会が開かれる予定があり
ますので、どちらかといえば20日、21日のほうがK子さんと
ゆっくりお話が出来ると思います。
みなさま、ぜひ今週のご予定にですぺら訪問をお入れ
くださいませ。
ひろさんへ
despera.comのDMSを取得、メールアドレスも使えるようになりました。無料のサーバー(50MB)を見つけてきたのですが、手続きが煩雑かつ英文(専門用語の羅列)で困っていました。例によって、おきさんを煩わせました。あとはホームページをリンクさせなければなりません。
迷惑メールが日々百通を超え、OS Xならいかようにも対応できるのですが、OS 9だとルールをいくら複雑にしても九割ほどしか削除できません。そこへ [meiwaku] の援助があったものですから、一挙にパーフェクトに削除できるようになりました。こちらは感謝です。
ただ、そのためにインポーターと海外の蒸留所のメール・アドレスを登録しなければならず、またオークションでのフリーメールやヤフーからのメールそのものが迷惑メールに分類されるのを防ぐためのルール作りが面倒でした。
かっきーさん家の通信ですが、DTI会員向けのWebツール(DTI Tools)を用いる以外、手立てはなかろうと、これもおきさんの意見です。要するに、Webサイト上のメール送受信を使うのです。電話回線のノイズが大きすぎて、HUBを介在させたところでPPPの不安定は改善しないと思われます。
送信が可能になれば受信がかなわず、受信が可能になれば送信できません。それだけならまだしも、システムが不安定になってフリーズの繰り返しです。今回ばかりは手を上げました。その家の電話回線でADSLが使えるのかどうかを計るテスターが必要だと思いました。
前回ディアスポラとデスペラート、D-S-P-R の韻の類似性に語源一致の可能性を見たのですが、
現在までの調査ではどうやら異なる根を持つようです。
どなたか詳しい事を教えていただければ幸いです。
さて、昨夜、各種設定を終え(一孝さん! DNSっす...)、despera.comの運用を開始しました。
蕩々とした電脳網界の仕組の蘊蓄など、文化に無縁の無粋の極みなので省略致しますが、
端的に言えば、従来のメールサーバーやサイトを物理的に利用。現在の存在を活かしながら
表面的な部分、すなわち見える文字列のみdespera.comの表示にすげ替えるのです。
斯くして[despera.com]とは、赤坂の薄暗い空間を一意的に示す世界唯一の記号でありながら、
その位置づけ自体、オリジナルの存在に対する、幻、いわば[ドッペルゲンガー]としての表象。
まやかしの仮想的URLとして活きるこの存在感は、虚実入り乱れる観念遊技場にふさわしい。
もちろんこれは同時にオリジナルとは何か?という議論を惹起させるものの、ここに検討する暇はありますまい。
ただし、それでも突き詰めれば、オリジナル、とは、一考語録から拾うなら”「身体感覚」の有無”ではないかと。
所詮、インターネット網に存在する01ビットの情報列はどちらにしても幻。
罵詈雑言飛び交う赤坂一隅の迷宮、様々な褐色の薬液を棚に並べ、夜毎に調合する錬金術ラボ、
..いや...お化け屋敷にあってこそ、デスペラートな世界市民となることができるのではないでしょうか。
各種サイト設定は以下のとおりとなります。
[メールアドレス]
ikko@despera.com (従来:despera@tc5.so-net.ne.jp)
※転送失敗の可能性もありますので、当面、従来のメアドにもCCして下さい。
※かおるこさんや、お店名のメールは設定検討中です。やはり、親父優先かい!
[ホームページ]:アドレスの直接入力で勝手に転送されます!従来のサイトURLやリンクも活きています。
「www.despera.com」 →ですぺらトップ(従来の:ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/despera)
「bbs.despera.com」 →ですぺら掲示板(従来の:http://ushigome.bird.to/bbs/despera.html)
「maltbbs.despera.com」 →ですぺらモルト掲示板(従来の:http://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=despera&no=21580)
「maltinfo.despera.com」 →ですぺらモルト解説(従来の:http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/zyouryumolt/moltkaisetu.html)
あと5つぐらい設定できますので、直リンクしたいページの候補を上げてくださってもかまいません。
下記記事、誤植訂正です。
×一孝 → ○一考。
ワタシの調教不足のATOKを笑ってやって下さい。
ちなみにタイプミスで[despra.com]とするとカスタムバイクのページに行きます。因果応報?!
月の光に
J・V・L
あけ方のひかりのやうに
あかるい光(かげ)がこころにしみる
冴えながら淡くけぶつて
唯あをく 唯あをく
光はしづかにこころにつもる
稍につめたく 稍に重く
──気付かぬほどに
しづかに 微かに……
夜は更けて
光は冴えて
猶あをく 猶あかるく
月の光に映(うつ)しだされて
くろぐろとこころの奥にわだかまる
わが身の姿(かげ)は更に黒く
窓を越えて
斜にゆるく流れる光は
猶あおく 猶冴えて
冴えゆくままに
消(け)ぬがに おぼろに昔の夢が
遠い日がふとも浮んで
私を其処に誘ひもするが
月の光のあかるさに
こころは暗い こころは重い
やくざなこころを哀(かなし)んで
さびしく つめたく泪が滲む
嗤ふ力も尽きはてた今
月の光よ 月の光よ
むごく 情(つれ)なく つめたく冴えて
夜は更けて
光は冴えて
夢かとも 霧かとも
すき透つてあをい小さな姿(かげ)は
いつしかに いつしかに数をまして
月の光に
影もなく 響も立てず
遠い日の塵をかすかに舞はせて
昔にばかりあつた森の
今は忘れられた古い踊を
しづかに しづかに舞ひつづける
──遠い日よ 昔の夢よ
思ひ出になほ存(ながら)へて
さしのべる手を嗤笑つて
雅(みや)びに あでに 昔の儘に
つめたく冴えて
さびしく澄んで
しづかに流れて ふと澱んで
部屋の片隅に こころの上に
いつしかに積つてゆく月の光は
私のこころをあざけるやうに
知つてゐる! 月の光よ!
つめたく冴えて
さびしく澄んで
そのやうにはつきりと見せて呉れずとも
昔の夢を前にして
こころは重い こころは暗い
僅かばかりの煩(わづらは)しさにも
猶堪へかねるやくざなこころは
あかりを消した部屋にあをく
唯澄んで 唯冴えて
流れ入る月の光に
音もない影の踊を見つめながら
昔の夢を浮べながら
こころは暗い こころは重い
やくざなこころに滲(にじ)む泪に
つとめて気付かぬ素振(そぶり)はしても
月の光に──
最上純之介こと平井功の「月の光に」と題する詩です。平井功の名が今に識られている理由のひとつは彼が書誌学をよくしたからです。従って、書誌学を齧ったひとで彼の名を知らないものはいないと思われます。「月の光に」も竹清三村清三郎がかかわった雑誌に掲げられた稿であり、諦念と憂鬱との陰翳が愛情のやわらかい光と相映じて、独自のスタイルをくっきりと示している。
小出さんは昭和五十三年の「ももんが」に「平井功の蔵書のことなど」を掲載している。豊未亡人の手元に遺された唯一の蔵書グロリエ倶楽部刊本「フィロビブロン」の由来の詳述にはじまり、単行本未収録の訳詩を紹介なさっている。久しぶりに読んだのだが、ポオの詩論の他、さばと南柯叢書の一冊として刊行せられる予定であったスティブンスンの「其の夜の宿」の校正刷りや「驕子綺唱」の原稿等々、平井イサクさんの手元にあった貴重な資料が今ではどうなったのか気懸かりである。
石川道雄が「書物展望」第十二巻第十号に掲げた「『爐邊子残稾』に繋がりて憶ふ」も平井功に興味があるひとには欠かせない秀逸な文章である。それにしても、ですぺらの若いひとたちが協力して「平井功訳詩集」を拵えるなど、夢にも思わなかった。泪(なんだ)したくなるような快挙である。南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている。
話序でに、「驕子綺唱」についてひとこと。同書は最初、第一書房から発售の予定であった。日夏耿之介監修「さばと頽唐詩叢」がそれで、第一巻が「驕子綺唱」、第二巻が城左門の「槿花戯書(はちすざれがき)」である。
近刊予告には、
詩集「驕子綺唱」堀口大学氏序 J・V・L著
早く詩集「孟夏飛霜」を著して雄麗瑰き(王篇に奇)の荘麗体に少年の日の空想を誇りし作者は、此一巻に臻つてその高普なる詩魂の驕傲にした孤独、狷介にして不覇なるを歎けり。詩境は一展開して昔日の華麗絢爛は見るに由なけれど、しかも詩風の益々明澄にして典雅、詰法の流麗にして清新なるを覚ゆ。天賦の詩才は輝きいでて漸く未踏独自の境地を拓かんとす。
と著されている。ところが製本で第一書房と衝突、我刊我書房発兌、南宋書院発売と変更される。ご存じ、さばと南柯叢書の出版社である。この段階で原稿がまとまり、序詞日夏耿之介、跋龍胆寺旻となった。南宋書院版の近刊予告は金曜日にお見せします。ウオトカを飲みながら豊未亡人、平井イサクご夫婦のお話を伺ったのは一九七三年、翌年に平井功について短い文章を書いたが、「孟夏飛霜」を読んでから既に十一年の年月が経っていた。
「平井功訳詩集」につづいて「驕子綺唱」を活字にしていただきたい。いかなる協力をも惜しまない、切なる願いである。
おきさんへ
牛込櫻会館へのリンクは外してください。ホームページとメールの方はありがたいのですが、ですぺら掲示板は櫻井さんとなにも話し合っていないのです。こちらは櫻井さんの意見がなによりも優先されます。また、それを承知での掲示板です。恐縮ですが、どうかよろしくお願い致します。
これは拙速失礼しました。
取り急ぎ牛込掲示板へのリンクを解除しました。
おきさんへ
一考が一孝になるのは誤植ではありません。小生の車の免許証には渡邉一孝、本籍地は新潟県上越市北城町となっています。
昔の謄本は墨による手書きだったのですが、それをデータ化するときのミスでしんにょうの点がひとつになっていました。免許証を取得した平成元年に府中の免許センターで注意されて気付いたのです。同年明石へ引っ越して市役所で相談、勧められるがままに改名しました。その折り、一考に改め、いっそ本籍地も神戸に移そうかと思ったのですが、生きているあいだはそのままにしておいてほしいとの父の意見を優先させました。父は亡くなりましたが、私にその気がなくなりました。きっとおきさんのATOKはそのあたりの事情をご存じなのだと思います。
ご指摘の「身体感覚」で述べるなら、私の名前は父の情念のなかに、本籍地は私の在するところにあると心得ています。さもなくば再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます。先だって、新宿のAGEで昭和四十二年に廃止された同じ学院生と朝まで酒を酌み交わしました。私にも同窓生がいたという驚きとその院生がモルトウィスキーに精通しているのを知って嬉しく思ったのです。
同じ学院生とは、おきさんもご存じのK村さんです。この前のポート・エレンの飲み会でK村さんはゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスにとどめを射すと、これは立派な「身体感覚」です。思い入れや思い込み、要するに記憶をよりどころとせず、自らの好き嫌いを却けなければ、あのカスク・ストレングスの荒々しい香味は諒解できないと思うのです。ウィスキーのなかに自分を捜し自分を確認するのか、それともポート・エレンの味を求めて自らが彷徨うのか、そこのところに利き酒の醍醐味が、「身体感覚」があるのではないでしょうか。
ですぺら トップへ |
掲示板1.0 トップへ |
掲示板2.0
トップへ |