ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「一考さま 桜井さま」 | | 次の記事「ボクサー万歳」 »

一考 | 知と粘膜

 菊地さんへ
 「皮膚感覚」にさほど想いを込めたわけではなく、粘膜質な文章を著してみたかったというにとどまります。ひとの口唇は哺乳動物にあってもとりわけ複雑なものですが、唇で赤く見える部分、すなわち俗にいうくちびるに興味があるのです。紅唇 朱唇 丹唇 花唇 花吻などといわれますが、言語を発するときに重要な役目をはたす、その役割分担におもしろみを感じるのです。
 唇らしきものは魚にだってあるのですが、ほとんどは皮膚もしくは甲殻であって、角化現象のすくないピグミーチンパンジーやマウンテンゴリラは約五十種ほどの鳴き声で意志を伝えあうと聞き及びます。ひとのくちびるはボノボと比してさらに角化現象がすくなく、複雑な言語を獲得するに至りました。脣竭きて則ち歯寒く、魯酒薄くして邯鄲囲まるというではありませんか、脣亡歯寒は友の習い、さればこそ横須賀功光さんに託けて粘膜質な文章を著そうと思ったのです。
 ご子息の安理さんからは「横須賀はですぺらで言葉による最後のクリエイトを試みた」と告げられました。「言葉によるクリエイト」を残照というのはいささかきつい物言いかもしれません。しかし、大部な仕事をすでに残された横須賀さんが死を携えての「試み」、それも最初から病名を私に告知してはじめられた言葉のゲームだったのです。
 人生の残照、すなわち沈んだあとに残される夕焼けに「えろきゅん」ならぬ「むねきゅん」を私は感じます。そして残照はふたつの属性をもっているように思うのです。片方には残傷や残心が潜み、片方には慙羞、慙色、慙沮などが栖みついているのではないでしょうか。言葉の遊びをしているのではありません。ただ実績を抛りだした敗者の残滓のさまに私はこころを動かされるのです。

 横須賀さんが自分自身のために撮り続けた作品をあなたと二人で見に行きました。あの一連の遺作を目の当たりにして、私は深い悲しみと嗚咽に見舞われました。そこにはイタリアン・ヴォーグや資生堂での商業写真にみられる才気走った構図や華やかなひかりの階調をまとった稠密な作柄はなにもなく、ぬえのような虚無が跋扈する荒漠たる風景が拡がっていたのです。時代に蹂躙され、組織に打擲され、才能を簒奪され、個に立ち帰ったとき、横須賀さんは撮るべき対象と為す術を見失ってしまったようです。作品はそのあたりの消息を端的に物語っています。かつての圧倒的な才能のまえに平伏していた闇の部分が大きく鎌首をもたげ、本来なら花と咲くべき横須賀さんの搏動は、宿酔と血痰、そして汚物にまみれたものとなりました。しかるに、虚名が通り過ぎることによって、横須賀さんはひとが暫定的な存在であったことを再認識するのです。早熟だったひとが必ず払わねばならないタックスのようなものなのでしょうが、そこから先の領域にしか私は興味を抱きません。
 私はきっといい季節に横須賀さんと出逢えたと思うのです。もうすこし前であれば、間違いなく喧嘩別れに終わっていたでしょう。考えるってなに、思惟するってなに、立ち徘徊るってなに、横須賀さんとの論議の底流には常に不確実性が、懐疑が漂っていました。死を目前にした彼ゆえの孤絶された残照、定まらない揺蕩う残照がそこに息づいていたのです。才能や実績、矜持や自信、帰属や立場といった、なにかしらの存在理由を喪失した者は名状しがたい恐怖のようなものに襲われます。白血病と作品、自ら排泄し自ら発した自恃そのものに裏切られ、撤回を余儀なくされた横須賀さんの呻吟と哭慟、かつ消えかつ結びし日々を泡沫とさだめ、宙ぶらりんを選択するしかなかった横須賀さんの姿勢に私は心底からの共感と情愛を感じていたのです。
 それゆえ、単なるオマージュを著したのでは横須賀さんから「わかっちゃないね」と叱られます。昨年末、間村さんから原稿依頼を受けたときから書く内容は決まっていました。知と粘膜の弁証とでもいうほかない、究極のテーマを投げかけたのは横須賀さん。僅か十五枚を著すに丸二箇月を要しました。さらに一年間、このテーマに添って書き継いで行きたいと思っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月10日 22:54 | 固定ページリンク





« 前の記事「一考さま 桜井さま」 | | 次の記事「ボクサー万歳」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る