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一考 | 市井風流

 「吉田一穂詩集」に続き、加藤郁乎さんの俳林随筆「市井風流」が岩波書店から上梓された。「風流遊蕩に徹し粋に生きた江戸の俳人・数寄者達の世界」を描いた一本である。
 文中、吉田一穂の項で「黒潮回帰」に収められた「半眼微笑」に採り挙げられた

  三日月や早や手に触れる草の露   桃隣

の一句引用の誤りを指摘なさっている。・・・桃隣にかようの句はなく、『古太白堂桃隣句選』には中七が「手に障る」とあり、支考編の『三日月日記』にはやはり中七が「手にさはる」と見える。俳書そのほか、何に拠り右一句を拾われたものかうかがわずに終ったのが惜しまれる。ただ、桃隣という号が桃青芭蕉の俳名に似るところから『一葉集』に芭蕉の作として同句が出ることを知られた上で、ひょっとして誤記されたのかもしれぬ・・・
 ここで終われば風流にもなににもなりはしない。郁乎さんの仕掛けはどうやら享保十五年に刊された『三日月日記』を登場せしめるところにあった。同書には一穂の号をしるした句が収められている。

  さゝ波に居り兼るや三日の月   一穂

 件の一穂は起承転結の転というよりは動顛の顛であろうか。当然、われらが『稗子伝』所収「野分抄」の初出、「聖餐」に掲げられた十一句がそのあとに続く。

  夜ふけて渡る鳥あり初時雨
  灯を消せば臥床に迫る虫の声
  木枯や妻子の留守の残り酒
  冬ごもり幾夜を月の雁の声
  薄明りこもる厨の酒の匂
  ふる郷は波に打たるゝ月夜かな

 附された郁乎さんの文章を引用する。・・・周知のごとく、最後の句は「魚歌」に銘句として示されてある。一穂先生ゆかりの地、北海道古平の厳島神社に建つ詩碑「魚歌」を訪ね拝した折、海風松濤のなか、改めてその句柄の大きさに打たれた・・・
 それにしても時空を超えた一穂と波と月のコレスポンダンス、詩精神のふるさとを詠じてこれほど大柄な随筆も稀であろう。

 「市井風流」には金魚一筋の研究家松井佳一氏に託つけての「金魚」との項も拵えられている。『新続犬筑波集』を初出に、柳亭種彦の『用捨箱』や『柳亭筆記』などに引かれた詠句

  をどれるや狂言金魚秋の水   松滴

が拾われ、

  藻の花や金魚にかゝるいよ簾   其角

と続けられる。おそらく『嬉遊笑覧』巻之十二近藤版からの引用ではなかろうかと思われるのだが、だとすれば、作者は不角ではなかったか。立羽不角は其角よりひとつ年下、化鳥風と呼ばれた雑俳点者で、浮世風の新風から後には古典パロディ手法に堕したひと。もっとも、雑俳から川柳狂句への流れは、連歌・俳諧の本道ともいえるもの、堕したとあっては苦言を呈されよう。
 もっとも、其角が不角であろうが不角が其角であろうが、そんなことはいっこうに構いはしない。郁乎さんの論点は「人生やり直しが効かぬというがあれは俗の言い触らした尤もらしい嘘で、風流の片意地さえ失わなければ七顛八起なぞ朝めしの前」にあるのであって、郁乎流ポエジー、意気の俊爽を知らずしてなにを読み解いたと言うのか。重箱の隅をつつくような野暮はよろしくない。
 世に「金魚の刺身」と言う、役に立たないものの意で用いられるが、和金などは洗いにすると鯉よりも歯切りがよくて甘味がある。学芸における風流の本意俳趣も金魚の刺身のようなものではあるまいか。

 この度の上梓を機に加藤郁乎さんを囲む会をですぺらにて催したく思います。日時は十二月二十三日(木)午後五時より。会費は五千円。休日につき多くの御参加を願い上げます。


                              小出昌洋
                              渡辺一考



投稿者: 一考    日時: 2004年12月16日 00:18 | 固定ページリンク





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