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一考 | 「でぶ大全」のことなど

 昭和六十三年十一月に森銑三の「書物の周囲」を研文社から上梓した。日夏耿之介の「鏡花文学」につぐ、二冊目の出版だった。編集は当時、机を並べて仕事をしていた小出昌洋さんで、栞は外山滋比古、三國一朗、渡部昇一各氏にお願いした。装丁は読売の「アールヌーヴォーとアールデコ」以来、共同作業の多かった斉藤芳弘の手になるもの。カバー、帯、奥付けに南柯書局のマークを用いたので、分かるひとには分かるようになっている。
 同書の元は昭和十九年三月二十日に白揚社の現代生活群書の一冊として上梓された森銑三、柴田宵曲共著の「書物」。ちなみに、「書物」は昭和二十三年一月二十日に、同じ白揚社から増訂改版が上梓されている。
 増訂改版の序文には「一昨年罹災して、蔵書の全部を失ったが、『書物』はその後に人から贈られて持っていた」とある。戦争ではないが、私は罹災によって全体の三分の一、約一万冊の蔵書を失った。以来、蔵書を含めて、ものへの所有欲は希薄になった。それに比例して、過去に拵えた限定本をはじめとする自分自身の為事への興味を喪った。震災が私の世界観になんらかの影響を与えたようで、虚無主義への傾きが著しくなったように思う。
 そのような個人的なことはどうでもよい、ここで大書しておきたいのは森銑三と柴田宵曲の睦まじさである。「本をよく読む人はあまりものを書かないし、書く人はどちらかというと読書家でない」とは外山滋比古さんの弁だが、森銑三と柴田宵曲は読書家であると同時にすぐれた著述を多く残している。そういった類い希な例外に属するひとに高遠弘美さんがいる。
 今回、作品社から高遠さんの達意の訳文による「でぶ大全」が上梓された。当掲示板をお読みの方なら、当然購入済みであろうから、中味については触れない。ただ、ロミとジャン・フェクサスの意気投合ぶりに、森銑三と柴田宵曲のそれを重ね合わせたくなったまでのはなしである。巻末の「後書きにかえて」ではロミやジャン・フェクサスが触れていない、でぶにまつわる逸文が紹介されている。薄田泣菫、谷崎潤一郎、吉田健一、チェーホフ、澁澤龍彦とつづき、結句として種村季弘の文章が引用される。天下の読書家高遠弘美ならではの博覧強記、奇行を除けば和歌山県生まれの大英博物館東洋調査部員と似た趣が感じられる。引用で論旨を組み立て、起承転結の要に引用を配し、引用で締括る。それが、どんなに難儀なことかは修辞法を学んだひとなら諒解できよう。自分の言葉と他人の言葉、過去著された言葉、現在誕生しつつある言葉、そういったありとある言葉が高遠さんの手によってさまざまな書物から抜け出し、滲透しあい、自在に結びつき、そして離れる。言葉と言葉がいくつもの入れ子をなして重なりあい層をなす。本好きにはこたえられない醍醐の味がここにはある。
 先行するかたちで、国書刊行会から高遠さんが翻訳なさった奇書「珍説愚説辞典」が上梓されている。高遠さん共々、一代の高士として敬愛する加藤郁乎さんがタルホを論じた「新一千一秒物語」に添えられた「ENCYCLOPEDIA IKUYANICA」を私は思い起こした。そちらの紹介は長くなる、従ってまたの機会に譲るとしよう。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月20日 01:03 | 固定ページリンク





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