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一考 | 黄眠詩塾のことなど

 かつて幻想文学で黄眠詩塾について書いたのだが、なにを書いたのかが思い出せない、おそらく、日夏耿之介のかかわった雑誌についての文章だったと思う。聖盃、假面、鈴蘭、東邦芸術、サバト、游牧記、戯苑、半仙戯、豊葦原、開花草紙、ドノゴ・トンカ、文藝汎論、汎天苑、婆羅門、表象、古酒から関川左木夫さんの玻璃に到るまで、思いつくままに挙げてみても、ハイブロウな雑誌がよくもまあ、あれほど刊行されたものよと、いまにして驚く。幾多のすぐれた詩人を集めた日夏耿之介のカリスマ性にも駭魄させられる。
 「浚渫船」「昨日の空」の高森文夫、「ゆふされの唄」「北海」「半仙戯」の石川道雄、「光塵」の燕石猶、「奥ゆかしき玖瑰花」の長谷川弘、「揺籃」やアラビアンナイトの名訳を遺した矢野目源一、「槿花戯書」「近世無頼」の城左門、その城左門が編纂した「西山文雄遺稿集」等々が惹い起こされる。
 「光塵」の上梓されたのがわたしが十七歳のとき、「昨日の空」が宮崎の延岡から送られてきたのが二十一歳のとき、当時のわたしは黄眠詩塾の渦中にあった。それが昂じて矢野目訳の「黄金仮面の王」やサバトの復刻版、日夏耿之介の「鏡花文学」などを後年編むことになる。最後に編まれたのが「涓滴」だったと記憶するが、単行本、全集未収録の原稿は七、八冊分におよぶと聞く。ところが、牧神社から出版した「城左門詩集」にしてからが売れた部数は百部たらず、どなたかが払うであろう金銭の犠牲によって良書の出版は維持される。口先だけのファンなど一万人いてもなんの役にも立たないのである。身銭を切って出版するような奇特の士は龜鳴屋を除いて他にはいなくなったのではあるまいか。
 読む側にしたところで、日夏門下に限らずとも「風祭」の足立重や塚本邦雄に到るモダニズム短歌の幕開けを飾った「飛行毛氈」の松本良三、「木莓」の平田松堂、「シネマ」の石川信雄、さらには原田禹雄の「鱗屑」や「錐体外路」すら昨今は読まれなくなったと聞き及ぶ。評価が定まり、人口に膾炙する書冊しか繙かず、それで愛書家を気取るなどもってのほか。ラルボーを持ち出すまでもなく、読書の娯しみはひとがあまり読まないものを見付けて来、ざまあみろ、と与太をとばすところにある。あまり趣味ではないのだが、閑ができれば、その与太をとばそうかと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年02月24日 00:06 | 固定ページリンク





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