1.0 |
NHKの番組「趣味悠々~暮らしの中の茶」(放送時間22:00~22:55)
第七回(3月21日放送予定)、第八回(3月28日放送予定)に、四谷シモン
が裏千家の客として招かれ、千宗室さんのお茶を賞味する予定です。
どんな破天荒なお茶会になりますか、どうぞお楽しみに♪
なお、同番組の詳細につきましては、↓サイトをご参照ください。
http://www.nhk.or.jp/syumiyuuyuu/cha.html
先輩諸氏の御話中に御邪魔致します。
西の地でキルケニーを頂戴しましたお店といえば三宮、いや元町の「ザ ダブリナーズ アイリッシュ パブ」でしたかしらと。ライオンチェーンのお店だったと思いますが確かにサイトで見ても神戸にはお店がないようになっています。往時は確か神戸の三宮と元町の間の海側で、大丸傍の東京三菱銀行の東隣のビルの地下辺り、階段を下りると片側がライオン、片側がダブリナーズでした(今は昔なので場所は間違っているやも)。同サイトですと、此方、赤坂にはあるようですので今度寄る機会があれば、です。取り合えずキルケニーはサイトには出ていますし。
その頃はなんと言っても西明石に行けばヒューガーデンの白生が戴けたのですし、神戸に出たからにはカクテルの美味しい北野(あるいは此方も当時の話、ハーバーランド・モザイク)の「SAVOY」、ソサエティーの品揃えが剛毅な「Main malt」、面白いモルトと素敵な内装の「バランザック」などなどお邪魔したい場所がいっぱいあってなかなか伺えせんでした。昼はランチに元町海岸側のインド料理「ラジャ」に足しげく通いましたっけ。知り合いとですとタイ屋台料理「トゥクトゥク」なども行きました。で、有る時期からは、西明石では割烹「きし」さんに通っていたのでますます行く機会を逸していました。
そういえば美味しいインド料理を最近頂戴していないような。
ダブリナーズ アイリッシュパブ 赤坂店
千代田区永田町2-11-1山王パークタワーB1
11:30~23:00、土・日・祝、休
http://r.gnavi.co.jp/g357100/menu5.htm
相澤啓三さんの高見順賞授賞式で三十年ぶりに橋本真理さんと出遇い、次々回の「たまや」への寄稿をお願いした。
2004年9月1日に発行された「長帽子」66号へ「花」と題する橋本真理さんの詩が掲げられている。
ほんのすこし
土に帰れる場所があったので
わたしは咲いた
どこからきたのかは
きかないでほしい
硬いねむりがはじけ
夢は夢のまま
うらがえってはなびらになった
その一枚一枚をもとめるので
ひび割れたコンクリート護岸の隙間から
空へ
空へ
のけぞるように
わたしは咲いた
河川敷の空はひろいが
都会では不幸な人しか空を見ない
土手を行く乳母車の幌は深く
若い母親の帽子は
つばびろに陽射しを防ぐ
漕艇場では
長いオールが
しわばんだ水をかき寄せ
汗に光るからだが反りかえっても
若者はうつむいたまま
斎場の煙が上がり
喪服の家族がやっと
この日の青空に気づく
夜は許されない男女が斜面に座り
女だけが
星のない空を見上げる
ことばは人とひととをつなぐ道具、連結器でつながれることによってひとは抽象でなくなる。
悲しいのはわたしだけではない、そしてあなただけではない、それが実感できる共同体としての装置が書物でなかったか。
ひとは運命とどのような約束を交わすのかしら、繰り返される「わたしは咲いた」を読んでわたしはひとひ泣かされた。
はなしはそれだけである。
橋本真理さんの詩集「幽明婚」(深夜叢書社1974年1月16日発行)は前述した「長帽子」の16号から32号へ掲げられた詩篇を中心に編まれた。その二年前に評論集「黄昏の系譜」(深夜叢書社1972年3月15日発行)が、四年後には「螺旋と沈黙」(大和書房1978年6月20日発行)が上梓されている。
当時のわたしは上京のたびに荻窪南口商店街のミニヨンにあった人魚館へ行き、それから南口仲通りの路地を這入った鳥よし、西口のすずらん通りの左側にあった「じゅにあ」(屋号は漢字だったと記憶するが、思い出せない)で酔いつぶれるのを常とした。「じゅにあ」は現在のわたしぐらいの年格好の夫婦が営む酒場で、二階をわれわれのために解放区として提供してくれていたのである。店主は占いを得意とし、荻窪界隈に住む作家や編集者の溜まり場で、深夜叢書社を営む斎藤慎爾さんも入浸っていた。その斎藤さんの紹介で橋本真理さんと知り合った。飲んだくれて二階で雑魚寝になったことも何度かあった。
とにもかくにも橋本さんは早熟なひとで、三橋敏雄論(上記二著に未収録)などはこのような俳句の読み方があるのかと驚かされたものである。橋本さんはわたしよりひとつ年下だったが、当時すでに仰ぎ見るような存在で、多田智満子さんと共にもっとも尊敬する閨秀(多田さんは閨秀ということばを嫌悪した)詩人だった。情念を重んじ非論理的な文言は赦さず、「賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る」輩が迷い込んできたときは弾劾する、謂わばこわもての看板娘のようなもので、一目も二目も置かざるを得ない逸材であり、天才少女だった。
その橋本さんの消息が80年代になって途絶えてしまった、表現を中断してしまったのである。中断に到った事情に興味はなく、その理由を問うつもりもない。「ほんのすこし 土に帰れる場所があったので わたしは咲いた・・・のけぞるように わたしは咲いた」それだけで十分である。「ほんのすこし」で結構、もう一度咲いてほしいと願う。「星のない空を見上げ」てほしいと思う。「継続はチカラなり」という、その継続の危険性、継続への懐疑をこそ唄ってほしいと冀求する。
表現ならばなおさら、ひとっことを続けるのは難しい、なぜなら継続はひとに権威や権力をしか齎さないから。自らの権威を恫喝するのはむずかしい、なぜなら不確実性や懐疑のなかでのらりくらり生きるのは不安との道行きにしかならないから。権威を捨てるのは才能の拒否、権威を捨てるのは実績の否定、権威を捨てるのは賓辞の投擲、権威を捨てるのは肩書きの固辞、権威を捨てるのはおまんまの食い上げ。でもその権威の彼方にのけぞりかえる曼珠沙華、「定まらない揺蕩う残照」のなかにしか思想はない。
よしなしごとを連ねるのをおゆるしください。
わたくしがこの掲示板に何事かを書きつけるのを楽しみにしてゐる方がいらつしやるといふことを最近はじめて知りました。さうともとれないことのない言ひ方をなさる方が立て続けにいらしたものですから、勝手にさう思ひこむことにしました。世にはありがたき人のゐるものかな。これも桜井さんや一考さんの寛容のおかげと感謝いたしてをります。
亡母がやはりさうだつたのですが、先日突然の腹痛で医者に駆け込んだところ「虫垂炎」といはれ、注射と抗生物質で「散らし」ました。こんど同様のことがあれば手術とのこと。食餌制限を言ひわたされ、ひたすら謹慎の毎日。歯も悪くなつて歯医者がよひの日々でもあります。
そんななか、日曜日の朝日の書評で、中条省平さんが「ルバイヤート集成」についてすこぶる好意的な書評を書いてくださったことは、率直に申し上げて嬉しいことでありました。一日おいて火曜日は、わたくしの誕生日でした。最高のプレゼントだと思ひました。この誕生日をむかへて五十路をみつつ越したことになります。
いましばし生き延びたいと思ひます。
いろいろご迷惑をおかけするとは思ひますが、何とぞよろしくご厚誼のほどをお願ひ申し上げます。
ふう
先日、NTTのひとがISDNを奬めにやってきた。一方、NTTから電話で光ファイバーの勧誘があった。ちなみに拙宅は有線でネットに接続している。店はNTT経由のADSLだが、ホームページがソネットのため、こちらは変更しようがない。そこへKDDIからの誘いである。事情を説明すれば、ホームページごと引っ越せとのこと。誰が引っ越しをやってくださるのかしらん。
CSとBSが混在し、地上波がデジタルになるとか。NTTもNHKももとは国営のようなもの、ISDNやBSがまだ生きている理由はその辺にありそうである。既得権とは怖ろしいもので、不具合が判っていても、なにも是正されない。そういえば、フジテレビの会長さんも既得権の権化のような顔つきをしている。文化やコンテンツを本当に大事にされるのであれば、ホリエモンに会長職を譲ればよろしかろうにと思う。十年先、二十年先のメディアのありようが読めなくなったオジンはくたばればよい。もっとも楽天に球団を奪われたのと同様、今回もおいしいところはすべてソフトバンクに簒奪されます。暗躍したK国会議員こそ糾弾されるべきかと思う。
I知事が誕生してから東京は変わった。世田谷など二箇所を除いて、区立図書館の業務は民間に委ねられ、書物の購入費は大きく削られ、区立図書館の宝である地誌にかんする膨大な資料は片端から破棄されつつある。地方図書館の仕事で大事なのは図書館が属する地域の地誌の蒐集と整理、そこに住むひとたちの生活のための情報源の二点ではあるまいか。後者には旅行者あるいは日本に住む異国人が判断し行動するために役立つ資料や知識がとうぜん含まれる。それらが有効に生かされているのは都内では梅丘図書館ぐらいなものではあるまいか。
図書館のベストセラーの購入部数は平均15000冊、これはひとつの図書館が同じ本を10~20冊購入するからである。その利用頻度によって年間の図書購入費が決められる。役人の発想はその程度、それこそ文化もコンテンツもあったものではない。図書館が文芸書のような安価なものを購入すること自体がわたしにはナンセンスに思われる。その手間ひまを地誌に書誌学に振り向けていただきたいものである。現今の書誌学者たちが図書館を正常に機能させるために、I知事を引きずり降ろすために、なぜに立ち上がらないのか不思議である。
朝日の越村佳代子さんが昨日の夕刊紙上で芳賀啓さんが上梓なさった「帝都地形図」を紹介してくださった。感謝なのだが、末尾に同書が高価なので「一般の人も見られるように公立図書館などに備えてほしい」とある。購入してくださる公立図書館はおそらく全国で十箇所もあるまい、悲しいことである。
原宿のギャラリー・カフェ「sakura」にて「港千尋展 ひとときの山」開催中です。
「永い時、いつもそこに在ながら、人間を見送ってきた山。大気のなかで姿を変え、闇に深い音を響かせる山。朝の光に立ち現れる錐体が、夕暮れには長い影を残します。写真集『瞬間の山』限定版(インスクリプト刊)に加え、未発表作品を展示します。遙かな山々に囲まれながら、春のひとときをお過ごしください。港千尋」(案内状より)
2005年3月15日(火)~4月16日(土)
11:30~19:00 日・月休
・トーク・イベント「イメージの山」 4月10日(日)15:00~
上記イベントは¥1000(ドリンク付)先着30名 sakuraにて予約受付
・ポスト・ダイアリー 3月25日~4月2日
ヨーロッパ滞在中の港氏より毎日sakuraに写真が届きます。
gallary cafe sakura
渋谷区神宮前4-4-7 2F
tel 03-3408-7676 fax 03-3408-7678
www.sakura.apse.jp
原宿の中でほっと落ち着ける素適なスペース「sakura」。是非一度お運び下さいまし。
昨日は「お店に行きます」などと豪語しながら、ご連絡もせず、
申し訳ございませんでした。お恥ずかしい話しなんですが、都内某所で、
魔法の水の魔力にかかり、前後不覚に陥りました。不実な私をお許し下さい。
1982年に現代詩手帖賞を受賞した詩人、糸井茂莉いといもりの最新の詩集『アルチーヌ』(思潮社。2005年4月1日刊)を読みました。糸井は『しれーぬ、その他の詩篇』『夢の水槽』などの詩集で知られる詩人ですが、今回の詩集は現実世界に下ろしてゆく詩人の測深機sondeurが今まで以上に鋭敏繊細になつてゐることを感じさせるいい詩集でした。ルネ・シャールの同名の散文詩に触発されたこの詩集には、変転と沈潜を、きわめて思索的でありながら、時としてすこぶるエロティックでもある言葉をつむいで表現してゆく糸井の美点がよく出てゐるやうに思ひます。さりながら詩人の世界を短くまとめる無粋は控へて、ひとつだけ引用しませう。
たとへば「珠の軌跡」と題されたこんな一篇。
「夢の地図の線がとぎれる。あのひとの行程が途絶え、消滅してゆく。放物線から外れてゆく、ゆるやかにはじかれた珠の軌跡。
驚異のうねりを穿ち、蛇行してゆく河。月の光を鈍い銀色に映し、生き物となってあのひとの狂った素足にからみついてゆく。
河は凍っていなければならない。凍った河の向こうには国境があり、不寝番の冴えたまなざしをくらます純白の形象が近づいてこなければならない。
埋めたはずの馬が土のなかから這い上がり、轡をはずして疾走し、国境の向こうの闇のなかに消えてゆかねばならない。忘れられた円環のふち。
凍った河をわたるあのひとの足音が聞こえる。そしてすぐそれも遠のき、静寂のあとに氷の割れる音が遅れてやってくる。
夢の頭蓋を力ずくで砕き、わたしの寝床まで押し入って挑んでくるひと。硝子窓に身をすり寄せ、私が近寄れば、かるがると夜の透明をくぐりぬけて」
これ以外にも引用したい作品はいくつもありますが、あまりに長くなるとご迷惑でせうから、けふはここにて筆をとどめます。
2月、3月とせっせとPC教室に通い、ながらく未完のまま放置していた「四谷
シモンwebギャラリー」↓を、このほどようやく完成させました。
http://www.simon-yotsuya.net/oeuvre/index.htm
貼り付けてある画像は、すべて2000年の回顧展図録に掲載されているものば
かりですが(撮影:篠山紀信)、この機会に改めてご訪問いただければ幸いです。
★人妻バンク!
実際に交際を希望する男女のための交際クラブです。
素敵なパートナーをご紹介します。
退屈な日常をしばし忘れて秘密の交際を楽しみませんか?
詳しくはメールか電話でお問い合わせください。
090 7825 3612
※なお、未成年はご利用できません。
また、「援助交際」目的の方はお断りします。
実際に「会う」ことを前提にご紹介しますので「サクラ」などは一切ありません
のでご安心ください。
この三月、(゜(○○)゜)プヒプヒ日記でお馴染み、puhipuhiさんこと垂野創一郎さん初の翻訳書となる、レオ・ペルッツ『最後の審判の巨匠』(晶文社)が刊行されました。その刊行を記念致しまして、御本人を囲んでですぺらで出版記念オフ会を開催したいと思います。
日時:4月13日(水) 20:00~夜中
会場:ですぺら
会費:4,500円を予定
料理の予約人数がありますので参加できる方の表明をお待ちしております。
途中参加もOK、もちろんご本人と面識のない方でも大歓迎です。puhipuhi日記の読者という方も歓迎。
御本人と面識のない方も大歓迎です。場所の関係もございますので人数をある程度把握致したく、小生(フク fuku@kyogoku.com )宛てメールをお願い致します。題名を「オフ参加希望」としてお名前をお知らせ下さい。
お祝い事なので飛び入りもOKですが、参加できるかどうか現時点で不明という方も、できればメールを頂けますと幸いです。
一応、メールの方はですぺらへの連絡の関係がありますので11日月曜日に締切とさせて頂きます。
あ、小生は(例の如く)大阪からの遠隔幹事しますので何かと不都合があるかと思いますが、宜しくお願い致します。
いつも何かしら書きたいことがあると、この掲示板を利用させて頂いてをりましたが、ご迷惑になるといけないので、今回、知人の示唆もあり、個人的なブログを開設することにしました。関心のおありのかたで、つれづれのときを迎へられた場合に、ちらりと思ひ出して訪れて下されば幸ひです。と申しても勝手な戯れ言を不定期に書きつけるだけのことですから、失望なさることは目に見えてをりますけれど。romitak.exblog.jpです。なほ、論争はいたしませんし、不快なことはなるべく書かないつもりでをります。ただ気まぐれなわたくしのこと、いつ辞めるかもわかりませんが。
またまたの病院通ひで、投薬中です。
水曜日の会はぜひ伺ひます。
パソコンがおかしくなってメルアドが全て消滅ました… 新しいメルトモになってくれませんか? 年は19で、病院で働いてます←看護婦じゃないけど… 年上の面白い男の人限定でお願いしますー!(^^)!
川津望さんへ
あなたが未成年で酒が呑めないのは結構なはなしだと思います。当店は終日ウーロン茶だけで、アルコール類の売れない日があるという、摩訶不思議なショットバーなのです。その分、店主が飲んだくれてい、何時までたっても利益が出ないと、こちらはすこぶる順当な業務店なのです。
客がなにを呑もうが呑むまいが、それは小生の関知するところではありません。いわんや、学生さんであれば貧乏と相場は決まっています。500円持ってですぺらへいらっしゃい、ジュースを飲む金数がなければ水でよいではありませんか。
ただし、詩の感想は期待なさらない方がよろしいかと思います。掲示板をお読みだそうで、それには感謝しますが、小生は名にし負うひねくれ者、某詩人からも複雑骨折の異名を頂戴しております。ただ、無心に読ませていただきます。そして、この無心が食わせもの、思慮・分別のないこと、無神経なこと、情趣を解する心がないこと、風流心のないこととの意味をも内包しております。
錯綜した、時としてさかしまな意を含む言葉を暴力的に弄び、蹂躪するのが詩ではないでしょうか、当掲示板で幾度か触れております「アナロジーの魔」の渦中にぽいと抛り出されるのが詩の宿命、もっとも、類推があってこそ、詩は書き手を離れて自立し、読み手の頭上を翔けていくのです。
詩を著し、この度詩誌を創刊なさるとか、楽しみにしております。
18日に荻窪のミニヨンのママ深沢千代子さんの告別式があった。通夜は17日だったが、淋しい通夜だったと聞かされた。95歳での大往生であった。
戦前は学校の教師をなさっていたが、満州へ渡り、とんでもないご苦労をなさったと聞かされたことがある。引き揚げられて荻窪で豆腐屋を営み、1961年に北口でミニヨンを開店、1971年に現在地へ移られた。ギャラリー人魚館が併設されたのが1972年、私はその時からの客である。井伏鱒二、三枝和子、中井英夫、瀧口修造、種村季弘、窪田般彌、相澤啓三等々との出遇いをもたらした荻窪は私にとって思い出深い街である。
ミニヨンは村上さんによって引き継がれたが、ひとつの時代が終わったと思う。
ここまで書いて電話あり、三日月の外山時男さんが17日に急性膵炎で亡くなられた。お別れ会は21日の木曜日午後六時から。場所は西五反田の桐ヶ谷斎場(品川区西五反田5-32-20)、東急目黒線不動前駅徒歩7分。
地図は以下を参照。
http://www.kosaido.co.jp/memorial/kirigaya/kiri_map.html
外山さんの当掲示板への最初の書き込みを再掲する。同年11月06日に私が著した「蕎麦の実の浅漬け」に対する返答であった。
外山時男 蕎麦の実の浅漬け 2003年12月05日(金)13時36分51秒
東京の蕎麦屋です。
蕎麦の実の浅漬け作ってみました。蕎麦屋のくせに知りませんでしたが、想像どおり美味しくいただけました。
酒の肴には、ごく薄味にしてほんのちょっとがいいかなと思いました。やはり少量の味噌漬け牛蒡なんかと一緒に出せばコントラストもついてさらにいいかもしれません。
東京の蕎麦好きは懐石としての蕎麦をうっちゃっているとのご指摘ですが、これは懐石としての蕎麦以前に、懐石そのものをうっちゃっているのでしょう。
以下は半分冗談です。
懐石料理中の蕎麦からは、なんだかノートルダム寺院の屋根にくっつけられたガルグイユみたいな印象を受けませんか。大宗教に囚われた八百万の神の趣があります。だから、逃げろ、逃げろ、とそそのかしてやりたくなるのです。
モルトウイスキーの世界も事情は似ている気がするのですが。
ちがってたらスミマセン。
気づかないうちに私たちは何時死んでもおかしくない歳に達してしまったのです。だからこそ、連れ立ってよく酒を飲みに行きました。恋も酒もそして友も、いまだけ、たった今だけなのですから。
今日はなにも書けません。今日は貴方のための私一人の追悼会です。夜が明けるまで、貴方のために乾杯。
外山さん
お蕎麦たべにいきますね、といってまだ行かないままです。
でも、外山さんのハイテンションな酩酊、とてもたのしかったです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
大晦日の蕎麦の美味しさ、酔った外山さんのどんぐりまなこ、忘れることはないでしょう。職人ふみちゃんたちが三日月の蕎麦を打ち続けてくれることを願ってやみません。
お別れ会は献花のみのシンプルな式のようです。三日月の蕎麦を味わわれた皆様、どうぞご参列下さい。
詩人の佐々木幹郎さんがNHKの番組「課外授業ようこそ先輩」に出演されます。本放送は昨晩でしたが、再放送がありますので、お知らせします。
4月22日(金)深夜1:55~2:24(NHK総合)
4月24日(日)午前8:05~8:34(NHK総合)
4月28日(木)午前11:15~11:44(NHKBS2)
ビデオ予約しておきましょう。願わくば、ツッコミどころ満載であらんことを。
下の記事を見てびっくりしました。大晦日に蕎麦をご馳走になったときは,
病気のけぶりさえ見えなかったのに……。何かよくわからなくなってきました。
お別れ会には参列できませんでしたが、いまここで追悼を捧げたく思います。
つひいましがた、帰宅して最初に掲示板を拝読して愕然としました。「三日月」に伺つた折りのお声とお優しい応対を思ひだして、何とも言へぬ無常の思ひを感じてをります。言葉なく、ただ黙し、ご冥福をお祈り申し上げます。
「五年経てば成り立つようになるよ」との先輩の言葉を頼りに細々続けてきました「ですぺら」も今年で開業丸五年になります。成金になりたいという夢にはほど遠い有様ですが、多くの方々との出逢いが一番の財産となりつつあります。四月二十五日(月)より二十八日(木)までの間、ご来店の際にはグラスワインとスモーク盛り合わせ(小皿)をサービス致します。また、三十日(土)は午後七時より鍋パーティを予定しております。会費は四千円。お誘い合わせの上、お越しいただければ幸いです。(なお、五月二日は休業とさせて頂きます)
「多くの方々との出逢いが一番の財産」との薫子さんの意見は正しいと思います。それにしても、当店のお客様の死亡率は目立って高いようです。掲示板での記載は遠慮しましたが、年末から年初にかけて、常連さんでもあり、若いころから親しくさせていただいた俳人が三名亡くなられました。知己の死はこの五年間で二十名を超えました。平均年齢は五十二~三歳、ちょいと若すぎるように思います。
からだに悪い酒を売っているわけではないのだが、との問いに「この店は、手遅れさんいらっしゃい、の店なのですよ」と常連さんは応えます。沖山さんからは「終点酒場」との呼び名を頂戴しました。
知己の死の影響なのでしょうか、二月十日からずっと体調すぐれず、何度か欠勤のはめに落入り、お客様に迷惑を掛けております。五月二日をめずらしく休業にしたのは、一日から五日までの福島、栃木のキャンプ場巡りでなんとか気分転換をはかりたいからなのです。
それにしても、シェイクスピアの悪しき影響なのでしょうか、生死が問題となる話題が多いようです。ひとは必ず死ぬのですから自死に対して私は否定的な意見しか持たないのです。
他者への憧憬、そしてやってくる同化、同化の過程で必ず起こる自己解体。そういった自己との論争、自らへのあらがい。言い換えれば、自分自身のマイナー哲学への忠実さ。さらに言い換えれば、生成変化や連続変化として存在するマイノリティ。再構成を常に余儀なくされる宙ぶらりんな状態に身を置くことこそが、思索だと思っている私にとって、哲学的な死と生物学的な死とがどんぶり勘定でなされるような話を聴かされるのは不愉快なのです。
自己を信じ、神を信じるような蒙昧主義者であれば、それこそ「勝手に死ねば」としか言いようがないのです。ちなみに上記二十余名のなかにそのような方は入れていないのです。
ふたたび友が死して
愛したひとから託されたひとこと、逝ったひとから告げられたことばは重い。でも、そのことばがもたらす波紋は惨い。こころ優しいひとにとって無慈悲なことばは時として死を招く。それは死人の邪気なのか、はたまた深慮遠謀なのか。
他者が身をひそめ対話が喪われ死者が一人歩きをはじめる。ことばが秘められそのなかに悪意が充填される。込められたもののなんたるかを当事者たちはだれも気づかない。気づきさえしなければ罪に問われることはない。
ひとは死者のために涙する、ひとは生者を顧みない。その尊大さは誰のためのものなのか。死者のためではなく、生者のためではなく、それは当事者のみが浸る慢心と傲慢。あのひとのためならとの美詞に隠されたゆがんだ欲望。
死者の名において鉄の雨が降り、惨劇が繰り返される。おびただしい生贄の最初のひとりに選ばれるのはあなたなのか私なのか。私の近親者ならなにもいうまい、私自身ならさらになにもいうまい。自己犠牲も自欺の一種なのか。
濡れた壁の向こう側に射止められたあなたは明らめて見るのをやめた、なんの道義もないのに。いつわりのたばかりの凍てついた笑いのなかで、あなたはなにを見失おうとしたのか。託されたのはあなたでなく、告げられたのは決してあなたではなかった。
波紋がひろがらないように努めるのが生きとし生けるものの習い、ことばや知恵は諍いを鎮めるためのものでなかったか。遺された一口のことばを生者のために置換する、内なる機構の外の世界への置換、それをなおざりにすれば死者の名誉は毀損する。
死者が粧られて展示される人権博物館。入館許可書の片隅に小さく空押しされたひとこと、糞食らえ。
内山さんへ
よくあることでございます。私も新宿へ行きますと言いながらすっぽかすのは常套。ひとは生き物、「魔法の水の魔力」が平気なときもあれば、たわいなく術策に嵌められるときもございます。前後不覚に陥るのは決して不実などではなく、それは病膏肓に入ると申します。
お気に召した折に、いつでもいらしてください。
今年の山本健吉文学賞の詩の部門が季村敏夫さん。評論の部門が加藤郁乎さんと宗田安正に決まった。お三方共にですぺらのお客さんである。季村さんは神戸在の詩人で、神戸時代からの古いお付き合い、間村さんと共に「たまや」を主宰する同人のひとりでもある。宗田さんは俳人で元立風書房の編集長、二十代半ばからのお付き合いで、ずいぶんといろんな本を造ってきた。
いろいろと物議をかもす文学賞であり、裏に控える角川春樹さんそのひとが、俳句部門の受賞者である。だが、事情がどうであろうとも、評論の二人の選者のひとりは私が信頼する飯島耕一さんである。よって今回ですぺらのお客さんから三名もの受賞者が出たのは嬉しい。授賞式は山の上ホテルで七月二十二日。金曜日だが、おそらく当店は貸し切りになる。その頃は私もいささか元気になっているに違いない。
ですぺら三周年の前日、2003年04月26日夜10時半に佐々木絢子さんが自死なさって二年、今日は三回忌です。今宵も時を忘れて献杯。
「課外授業ようこそ先輩」の佐々木幹郎氏の放送の再放送がもうなくなってしまい、もう一度見たくても見られない状態で困っています。 番組の内容で、「一歳のときの思い出を詩にしよう」という宿題に対して、子供達が作ってきた詩を見て「こんなんじゃだめだ。私の作った詩を読むぞ。」とか言って佐々木幹郎さんが読んだ詩はどんな詩だったのか覚えている方いらっしゃいますか。 私も放送を見て良い詩だなと思ったのですが、いざ思い出したくても忘れてしまいました。 もし知っている方いましたら、一節でもかまいませんので教えていただけたらと思います。 また、詩の題名、その詩が載っている書籍名などもわかる方いましたら教えていただけたらと思います。
ですぺら トップへ |
掲示板1.0 トップへ |
掲示板2.0
トップへ |