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一考 | よみちゃん

 どこの掲示板なのか分かりました。噂に聞いてはいたのですが、覗いたのははじめて。誹謗中傷に重きを置かず、会話を愉しむという他愛もなき所で、用語法やからくりを知らない私は軽くいなされたようです。それはそれでよろしいのですが、別な意味で興味をそそられました。
 30年ほど前にかかる掲示板があり、匿名で書けるのであれば、材料はいくらでも御座いました。一昔、二昔前の文士、作家のゴシップなら粗方存じ上げているのですが、そのようなものに今様の御仁が興味を示す筈もなく、時代遅れの私は地団駄を踏むしかないのです。
 それにしましても、こしかたの人々は遊びには元手を掛けていらっしゃいました。酒でも、女でも、古物でも、なんでもよろしいのですが、半端な遊びではなかったように思います。私が親しくお付き合い頂いた上方の某作家は常時四、五人の女人を侍らせて騒いでおられました。私も御相伴に与ったことがあるのですが、「一考さん、君は二輪車で我慢してくれ」との仰せ。また、女性達を引き連れての御帰館、今なら即離婚でしょうね。
 左京区の大学の教授連で、芸者や愛人に店を持たせていたのが六名、中京区の二大学で三人ずつ。ちなみに、神戸には二人しかいませんでしたが、これが大阪になるとずーっと増えて、私が知るだけでも十四人、いやはやお盛んなことで御座いました。南や石塀小路の待ち屋や出会い茶屋を貸し切り、置屋の芸者を一人残らず呼び付けるような剛毅な方がいらっしゃいました。それが西陣の旦那衆なら分かるのですが、昨日までは赤貧洗うがごとき生活をしていた物書き風情なのですから驚きです。なにしろ、小説にせよ翻訳にせよ、一冊当たれば家が建った時代です。「一考君、去年は五百人の女と寝たよ」なんて馬鹿な輩も幾人か居ましたっけ。
 ネットの代わりにトップ屋が跳梁跋扈していました。トップ屋にネタを掴まれ、泣く泣く大枚を支払った作家も多くいました。また、その揉み消しに走り回ったことも御座います。
 今回、私を羨ませたちゃんねるの向こうを張って、物故作家専用の黄泉ちゃんねる、約めて「よみちゃん」。当然、スレッドはすべて私が立てさせて頂きます。連日、遺族から名誉毀損の告訴がなされるは必定。こんなの流行りませんかねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年03月27日 22:35 | 固定ページリンク





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