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一考 | 間村俊一装訂展

 パソコンの全盛を迎えていますが、出版の場にあってダイレクト出力は今なお不可能です。フォトショップやイラストレーターを用いて装丁しても、現場では色校、フィルム、刷版と、昔と変わらないアナログ作業が待ち受けています。モニター上で自らの装丁の結果を事前に確認するとの利便性以外、パソコンに目立った取り柄はまだないのが実状です。
 間村さんはパソコンは使われないようです。バラ打ち、切り張りで版下を拵えるとお聞きしております。間村さんに限りません、私が存じ上げる装丁家は皆さんパソコンが苦手なようです。
 はなしは換わりますが、文章表現は糊と鋏による継ぎはぎ細工からはじまります。鋏さばきや糊使いなど、細工の巧拙が問われます。巧みであればあるほど、紹介が単なる紹介にとどまらず、換骨奪胎の妙味を示唆することができるのです。そこで大事なのは糊と鋏を通しての指先の触感と眼差しのなかに構築される全体図すなわち方向性であろうと思われます。指先の触感が身体とするなら、眼差しのなかにはプラトン的な、幾何学的な、ある種情念のようなものが芽生えます。その双方が絡み合ってこそ、自らの呼吸が、血液の流れが、鼓動が聴こえてくるのだと思います。
 間村さんはバラ打ち、切り張りという行為のなかに、みずからの身体を搏動を求めていらっしゃいます。氏にあって装丁も俳句も絵画もオブジェもすべては等価なものなのです。自らの拵え事が互いにいたるところで滲透し合う、澁澤さんの言葉をお借りして申すなら、すべての観念がオブジェと化し、「明確な輪郭を保ち、華麗な色彩をおび、きらきらした鉱物質の輝きを放つ」ような装丁を陸続と生み出されているのです。装丁の場にかくまで搏動を持ち込み、肉声にこだわった例を私は知りません。ちょいと失礼な表現ながら、間村さんの体重から推して「とどの涎」のようなものではないでしょうか。よだれ結構、迷い結構、繰り言結構、そういった立ち徘徊りのなかに文学の、さらには表現の要諦があるのですから。
 今後の間村さんのご活躍をお祈り申し上げます。

 なお、装丁もしくは装幀を装訂と表現したのは季節社の故政田岑生さんです。やはり故人となられた向井敏さんは装訂についてのエッセイを著していらっしゃいます。政田さんの書物に対するこまやかな愛情は間違いなく間村さんに引き継がれています。政田さんはよいお弟子さんを持たれたなあと、感無量です。



投稿者: 一考    日時: 2003年10月30日 19:41 | 固定ページリンク





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