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一考 | 「お風呂の歴史」

 高遠弘美さんからご本を頂戴した。ドミニック・ラティの「お風呂の歴史」である。「ロミやジャン・フェクサスの翻訳の延長線上に位置する一冊」と書かれているだけあって博覧強記、古代から十九世紀末に至る風呂や水浴の歴史が縷々綴られている。高遠さんから新著を頂戴したり、話し合っていると昔読んださまざまの書冊を思い出す。近頃は散書ばかりだが、蒐書に耽っていたころを思い出すのである。早速に書庫を探すと、

 「日本浴療史」緒方正清
 「変態浴場史」藤澤衛彦
 「世界浴場史」矢口達
 「東西浴場物語」前田健太郎
 「東西沐浴史話」藤浪剛一
 「風呂の微笑」水野芳艸

 近くは

 「風呂と湯の話」武田勝蔵
 「公衆浴場史」武田勝蔵鑑修・全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会編

などが出てきた。
 山東京伝の「賢愚湊銭湯新話」や式亭三馬の「諢話浮世風呂」から緑雨の「あられ酒」に至るまで、風呂に関する文献は数知れない。調べてみたら、明治から昭和五十年までに限っても百冊を越える関係書籍が上梓されている。それ以降はさらに冊数が多いようである。私が目を通したのはたかだか二十冊ほどだから大きなことは言えないが、「風呂の微笑」と「公衆浴場史」は一級の資料である。
 風呂の原型ともいうべき禊ぎや沐浴は仏教と共にもたらされた、従ってわが国の風呂の歴史には抹香臭さが付きまとう。前述の「風呂の微笑」にしてからが、「碧巌録第七十八則開士入浴」の項では「マルキシズムさへも、むしろまだ『とらはれ』を持ってゐるといふ理由で、宗教の立場からは未徹了のそしりを免れない」との倉田百三の文言を引用し、序文では「風呂の研究では最高権威、中桐確太郎先生の序文を忝ふした」と著す。風呂は裸で入るもの、裸の付き合いに権威は無用である。そこいらに日本の書誌学者の限界があるように思う。
 泰西にはどのような文献があるかを私はなにも知らない。なにも知らないのだが、ラティの「お風呂の歴史」は面白い。一八五〇年以降発達した衛生学の影響で、共同の洗濯場や共同浴場の設置が進められた。衛生学の分野では進歩的だったナポレオン、シャルル・フーリエ、フーリエの思想を引き継いだアンドレ・ゴダンなどによって幾多の入浴施設が設けられた。同じ頃、ペリー、ポムベ、カッテンダイク、ツンベルグ、オイレンブルグが相次いで銭湯見物ないしは湯浴み感を記述している。英公使オールコックが刺客に襲われ、浴槽に身を隠して助かったのは有名なはなしである。どうやら、「ゆ」に関してはわが国に一日の長があるようである。
 「お風呂の歴史」は下手な主観や刷り込みを交えずに事実を淡々と述べる。水浴から入浴、羞恥、化粧、匂い、衛生、建築、浴場等々が一種のプラズマ状で犇めき合っている。言い換えれば、カテゴリーが限られたときに陥るアポリアを巧みに避けている。訳者あとがきによればラティは健康食の第一人者的存在らしいが、その精神もすこぶる健康的である。知に対するしたたかな姿勢とそれを裏付ける資性が行間から窺われる。
 加えるに高遠さんの訳文は平明にして気品がある。言うは易いが平明と格調の共存は難しい。今ではあまり遣われなくなった言葉が、ごくわずかだが要所に配されている。心憎いまでの抑制である。抑制が効いているが故にひとつひとつの言葉が生きてくる。彼は決しておろそかに言葉を選ばない、その呼吸法をもって流麗な文章といわずになんとする。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 19:37 | 固定ページリンク





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