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金光寛峯 | 新編大手拓次全集


沖積舎から出る予定(?)とか、「新編大手拓次全集」はいったいどうなっているのでしょうか。
どなたかご存知ありませんか。
もうみんな諦めていた「ノヴァーリス全集」ついに刊行 (1・2巻が既刊)、それじゃあ大手拓次
どうなっているの?



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年12月09日 09:37 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 乱反射

世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。
(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.44)

「敷衍曲」に対した時のおののきは、難解さによるものではありません。細かな点にまでいたる無数のすれ違いの集積を前にして、どこから手を付ければいいのか決めかねるからです。
(とりあえず金子千佳の詩が「男女の稟質の違いをよく表現している」というご意見には異議があるということを明らかにするにとどめます。)

(私に言ったのではないでしょうが)玉砕など私がするものですか。私にとって議論は戦いではありません。そもそも、戦う戦わない以前に、私と一考さんは議論の場で出会ってもいません。私たちそれぞれが持つ前提と言葉遣いは余りに大きく隔たっています。
呼びかけに返ってくる声の方向とその響きだけを頼りに、さまよいながらめぐりあおうとすることが、私と一考さんの言葉の交わしあいでなされていることではないでしょうか。
一考さんがなさったように、一節一節にこたえることは、すれ違いの集積をいたずらに大きくするだけのことでしょう。違う方法で私はとりあえずの立ち位置を示したいと思います。

学問としての哲学を学ぶとは哲学史を学ぶことに過ぎず、自分が哲学することとはまったく異なるということは、私と一考さんの共通認識かと思います。
しかし、一考さんはかつて私に次のようなことを言いました。哲学科に行ったと言うから、じゃあソクラテスなりプラトンなりアリストテレスなりの哲学をそれぞれ説明して見せろと言ってもやってもみんな答えられない。それで哲学科に行ったなんてちゃんちゃらおかしい、と。これは学問としての哲学を重視し、哲学科はそれを学ぶところだと考えているからこその発言ではないでしょうか。

「有名哲学者の学説」をうまい具合に切り取って説明できることは、哲学する上で必須の能力ではないでしょう。そんなことは、(一考さんがそうしているように)哲学のデータベースを適宜参照すれば済むことです。過去の哲学者が役に立つのは、その人が考えたことを引き受け、それをヒントにして自分が考える時だけです。そしてその時その「哲学」は変化し続ける生きたものになり、「○○の」と所有格で語られる「哲学(説)」ではなくなります。他者が考え出した概念をこのように自分の中に接木し、自分の考えと一体化させて育てたならば、その哲学者の用語は自分にとっても便利な使い勝手の良いものになりますし、理解を共有する相手と話すときにも役立ってくれます。
私も哲学用語を使うことがありますが(でもあまりない。一考さんと話すときにはほとんどないと言ってもいいくらい)、使うために使っているのではないし、必要もなく哲学者の名前を出すこともしません。先日の書き込み「パラフレーズあるいは」の背景にはエックハルトとアウグスティヌスとダンテがあったのは確かです(私の血肉と化したヴィトゲンシュタインは常にあります。そして今回の書き込みにはディヴィドソンとローティーが響いています)、だからと言って彼らの名を知ることも書物を紐解くことも必要ではないのです。私が考えたことをかつて彼らも考えたことがあるというだけのことです。私の中では重層的に響いてはいても、それはそれだけのことです。
(ところで、一考さんが会話や文章の中でばらまく哲学者の名前や用語、あれはなんのために使っているのでしょうか。(多分煙幕をはるためだと思いますけど……)。私は一考さんが「ヘーゲルの弁証法」という言葉を発するのを何度も聞きましたが、その内容に言及しているところに立ち会ったことは一度もありませんし、その言葉が議論を補強していると感じたことも一度もありません。)

私は哲学(なり文学)は、書き手がその人生によって生み出す(一対一で結びついた)ものだとは考えません。書き手は思考が生まれる為の場に過ぎないと考えます。その場が非常に細かな設定を必要とするものの場合、たまたま同様の場があらわれることがなく、ゆえに書き手と書かれたものがわかちがたく思えることがあったとしても、それは偶然に過ぎません。思考はふさわしい場におのずから立ち現れるものだというのが私の考えです。
(厳密に言うと、思考と書かれた物は異なり、書かれた物は書き手固有のものだと言えると思います。だから、文学は書き手の人生哲学なるものと固く結びつくものでもあるかもしれません。そういうものなら私はあまり興味がありませんが。)
ある人が雷雨の中びしょぬれになりながら山の天辺で鉄竿を掲げていたら、そこに雷が落ちたとします。そこでその人がそうしていなかったらそこに落ちなかったとしても、その雷をその人がおこしたとは言わないでしょう。そのような奇怪な儀式をやり続けようという決意と覚悟を持つ奇特な人物を哲学者や文学者と呼ぶことに異論はありません。でもやっぱり雷はその人のものではないでしょう。私は思考をこのようなものとして捉えています。
だから、(便宜的にそう呼ぶことはあるとしても)「○○の哲学」というものは存在しないでしょう。誰かがかつて考えたことを、私もまた考えるか、あるいは考えないかです。それはその誰かのものでも私のものでもありません。
議論が戦いではないというのは、そういうことです。「私の考え」と「一考さんの考え」がぶつかり合って一方が勝ち一方が負けるという図式を私は持っていません。私の思考と一考さんの思考があらたな場をつくり、そこに新鮮な考えが立ち現れることを期待しているのです。結果的に、両方あるいは片方の思考は大きく変化するかもしれません。しかし、それは思考のおのずからなる変化であって、「負けて屈した」ためではありません。

個やアイデンティティやオリジナリティを否定する一考さんが、「文学は書き手個人の倫理観、価値観、歴史観を綴るものであって、アナロジーもしくは一般化とは所詮馴染まない領域のものです。三島由紀夫の死と共に三島の文学も終了するのであって、三島文学とは三島由紀夫の存在そのものだと申せましょう。」と語るということが私には解せません。

多くの場合、一考さんは形式と内容を混同し、カテゴリーミステイクをおかしているのではないかと思います。
肯定・否定する(判断する)為には前提が必要です。「黄が嫌い」、「青が好き」というのと同列に「色が嫌い」ということはできません。色はこの場合判断の前提だからです。色を形式、黄・青を内容と言い換えることが出来ます。ちなみに、「色」を判断するためにはたとえば他に「温度」や「形」などを内容として持つ「感覚」という形式などを前提にする必要があります。
このように、形式と内容は入れ子になっていて、どのレベルにでも設定することができます。しかし、それ以上外側を持たない特別な形式があります。それは(もっとも根本的な意味での)「存在」、「世界」などといった形式です。
可能なのは「存在するものに対して」、「ある規準に照らして」有意味・無意味を判断することだけです。だからまず第一に、判断を可能にする土台である存在自体を判断することはできません。
そして第二に、前提や条件を伴わないならば、どのレベルでも判断はできません。

一考さんが「すべてを否定する」などと言うたびに「安易です」とか、「どこに立っているつもりなんですか」などと言うのは、自分の判断を可能にする前提をないことにして(ひょっとして、気がつかないで?)「すべて」と言ってしまうことに異議を唱えるからです。
そしてまた、一考さんの存在が「孤独や失意の中に溶解してゆく」といった内容を持っていようとも、それであらゆる人の「存在」という形式を否定しようとするのは混同も甚だしいと思います。安易と言って据わりが悪ければ、粗雑だとでも、慎重でないとでも、懐疑が不徹底とでもなんとでも言えましょう。強調しておきたいのは、一考さんの人生が安易だと言っているわけではないということです。カテゴリーをごちゃ混ぜにした上、一気に結論してしまうことを安易と言っているのです。「すべての存在は虚しい」という発言は、たしかに「大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎ」るものの考え方です。

どんなにつらかろうが不幸だろうが、それは世界の中の一登場人物のつらさであり不幸なのです。そんなものはこれまでもありこれからもあるありふれたものであり、この世界の一挿話に過ぎません。そんな一挿話を全体に敷衍して世界を語るなんて、結局自己を特権化していることになりはしないでしょうか。
(孤独を感じ、自分を憎み責め、負の感情に苦しんだことがないわけではありません。それが私にとっていかにリアルであろうとも、それは世界という形式とは違うレベルにあるということです。)

そしてまた同時に、世界は私と離れたものでもありません。
(二階堂奥歯の人生の内容に関係なく)私が存在しているということ、そしてそこにこの世界が開けたということ、その点において世界と私とはわかつことができないのです。視界と視点が離れては存在しえないように。
そして私が語りたいのは、何かが見えているということ、見える範囲、見え方です。具体的に何が見え、それが孤独な景色だとかそうではないとかいうことは、私にとって最重要事項ではありません。

一考さんは、書き手固有の人生哲学が見えてこない文学など文学ではないとおっしゃいます。そのように個の屹立を求める心性と、個を否定しようとする心性とが、どのように関係しているのかを私は知りたく思います。等価であることに絶望したがゆえに、生き延びるため・自己を肯定するために、ことさらに個人の倫理観・価値観をつづるのでしょうか?
私は誰もがひとしなみに人間であることには絶望などしません。そもそも何を希望して(それがかなえらないからといって)そんなに絶望しているのですか?
人間というカテゴリーの中にはたくさんの人がいて、それぞれの内容を持っている。皆同じ形式の中にいると気がつくことと、その個々の内容を無意味とすることはまったく次元の異なることでしょう。そして、私が形式の次元に気がつく時に感じるのは絶望ではなく、新しい視野に対するおどろきであり、よろこびです。
まさか、絶望なんて! できるならもっともっと他の次元を知りたいのです。他の次元を知ったからと言って、これまでの次元内の価値はなくなりはしません。
もちろん、それらの次元の内、どれかを重視することはできます。私は基本的に外側の次元(形式)を重視します。それだけに、内容と形式を混同し、形式を内容で汚染することによって成り立つ一考さんの考えに対して異議を唱えずにはいられないのです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月09日 15:25 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 乙女的変態話

お邪魔「伊藤敬」ビンラディンさま

昨夜は上野文庫買い出し自慢ありがとうございました。
会社が割と近くにあるので上野文庫はたまに行くのですが、まさに宝の山。貞操帯の記述がある本はないかと血眼です。

サドの「悲惨物語」が少女(!)漫画化されていると昨日お話ししましたが、うちに帰ったらタイトル等わかりました。
高階良子「十字架に血の杯を」(「なかよし」掲載)です。
掲載されたのは何十年も前、単行本収録はされていないようです。
私も見たことがありません。ご覧になったら教えてください。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月09日 15:45 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 高階良子

『十字架に血のさかずきを』1974年は、『真珠色の仮面』講談社コミックスなかよし225巻、1975年11月刊に収録されているようです。探してみよっ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年12月09日 18:07 | 固定ページリンク




朝子 | 高階女史は


黒とかげ、も書いてましてね、それは漫画文庫になっておりますので、
お手にとりやすいかと思われます。ずいぶん昔の絵柄でアナクロは
アナクロなんですけど、でも、高階さんはこの手のゴチックな漫画を
書かせたら一番だと思います。迫ってくる感じが。無駄なゴージャス
感とか。



投稿者: 朝子    日時: 2001年12月10日 02:07 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 映画「マロンブラ」讃

現在、京橋のフィルムセンターで開催中の「イタリア映画大回顧」は、たいへんな好企画です。(昨日までにわたしが見た全プログラムの3分の1強にあたる作品については、少なくとも一本もハズレがないと言うことができます。)
全作品とも一見の価値ありといって過言ではないと思いますが、この掲示板を御覧になる方にゼヒお薦めしたいのは、マリオ・ソルダーティ監督の『マロンブラ』(1942年)。今度の日曜日(12月16日)午後4時の回が、今回の特集における最終上映ダ。フィルムセンターちらし所載のあらすじによると「叔父に引き取られた、身寄りのない侯爵令嬢マリーナ。その叔父は彼女に、結婚するまでコモ湖畔の豪華な別荘を出てはならぬと命じる。」となっていますが、ファーストシーンの湖上の美しさに始まり、「別荘」はいわくありげな古いお城で、道具立てはまったくのゴシック・ロマンスそのもの。物語は終盤の破局に向けて、いろいろな複線を張りながら展開してゆきますが、これを詳細にわたって紹介すると、これから見る人の楽しみを奪ってしまいかねないので、ディテールの紹介は控えておきましょう。ジュリアン・グラックの『アルゴールの城にて』をやや通俗化して映画にすると、こんな雰囲気になるのではないかな?(前売券は、かなり残っておるぞ!!)
途中までの盛り上げ方やハズシ方によいものをもちながら、大団円に向けて突如失速するような気配のあるキーロフ・クラサコフ氏など、この映画の呼吸を学ぶと、本当の凄みのある作家に化けるのではないかと、わたしはニラんでおります。
妄言多謝、では又
追伸:管理人への注文ですが、前回の小生の投稿、改行位置を間違えて投稿したものと、送りなおしたものが並んで掲載されていますが、どちらかひとつを削除した方がよろしいのでは? そこんとこヨロシク!



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2001年12月10日 18:21 | 固定ページリンク




梅子 | 帽子

津原さんへ

ですぺらにて大切に飾ってあります。
てっきり某書房の某社長の帽子だと思いこんでおりました。
近々上京されますでしょうか。
お送りしましょうか。この冬はとっても寒そうですし。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月11日 03:24 | 固定ページリンク




一考 | 多田智満子さん入院

 多田智満子さんが子宮ガンで先週入院なさいました。詳細は控えさせて頂きますが、今週から7週間の放射線治療がはじまります。快復をお祈り申し上げます。



投稿者: 一考    日時: 2001年12月12日 09:59 | 固定ページリンク




フク | 新年会予約

一考さま、薫子さま

こんばんは。昨晩にお願いしました通り、幻想的掲示板新年会、1月12日の
方向で進めております。本来は改めて御伺いしてお願いするところ、まずは先
に掲示板にて失礼します。
年内に改めて相談に伺わせて頂きますが、よろしくお願いいたします。



投稿者: フク    日時: 2001年12月14日 01:44 | 固定ページリンク




梅子 | フクさんへ

毎度おおきに!
一週間ぐらい前に人数を教えて下さい。
一考は編みタイツ履いてお迎えしようと申しております。
よろしくお願いします。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月15日 03:26 | 固定ページリンク




津原泰水 | RE:帽子


梅子様

 緑色のものでしたら、私のです。
 長年の酷使にへたりきった、とても送付のお手間をいただくほどの代物ではありませんが、
そのぶん幼児的な愛着がありますから、例の朗読の際にでも引き取らせていただきます。
 それまで、ですぺらに咲く議論や猥談を聞かせてやってください。
 よろしくお願いします。



投稿者: 津原泰水    日時: 2001年12月15日 06:35 | 固定ページリンク




栗田ひづる | はじめてお邪魔いたします。


 一考様・梅子様

 先日はお世話になりました。
そして来年の語りの件では、更にお世話になります。(^_^)
初めての試みの上、無理等も申し上げましたが、
ご承諾頂き感謝しております。

 その後、まだ作品が決定していない状態ですが、
もし例の作品に決まった場合、
お忙しい中恐縮ですが、お手隙の時に
方言指導をして頂けましたら幸いです!m(__)m

 また、詳細が決まり次第ご報告させて頂きます。
いろいろご相談させて下さい。
どうぞよろしくお願い致します。



投稿者: 栗田ひづる    日時: 2001年12月16日 17:24 | 固定ページリンク




steward | 文字化けも失礼いたしました。

 下の書き込み、ひどい文字化けで大変失礼しました。以下の内容で書き込みしたつもりでした。
 

 
 先程は高遠様、二階堂奥歯様にお目にかかり、お話を伺うことができて大変うれしゅうございました。ありがとうございました。
 高遠様には仏語、仏文学についてとても興味深いお話を伺って楽しい時間を過ごさせていただきました。balconの深い意味などを巧みな話術でお聞かせいただいて勉強になりました。
 奥歯様にははじめてお目にかかって数秒後に抜歯した奥歯を見せていただいて、近頃希有な言行一致のお方だと感じ入りました。
 今後ともdesperaさんでお目にかかった際はよろしくお願いいたします。



投稿者: steward    日時: 2001年12月18日 00:12 | 固定ページリンク




暫定管理人 | サルベージされました


下の書き込みが一部の機種で文字化けしていましたのでサルベージしました。

steward  文字化けも失礼いたしました。 2001年12月18日(火)00時12分57秒
 下の書き込み、ひどい文字化けで大変失礼しました。以下の内容で書き込みしたつもりでした。
 

 
 先程は高遠様、二階堂奥歯様にお目にかかり、お話を伺うことができて大変うれしゅうございました。ありがとうございました。
 高遠様には仏語、仏文学についてとても興味深いお話を伺って楽しい時間を過ごさせていただきました。balconの深い意味などを巧みな話術でお聞かせいただいて勉強になりました。
 奥歯様にははじめてお目にかかって数秒後に抜歯した奥歯を見せていただいて、近頃希有な言行一致のお方だと感じ入りました。
 今後ともdesperaさんでお目にかかった際はよろしくお願いいたします。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2001年12月18日 02:32 | 固定ページリンク




Campagnolo | なべちゃん

MOONさんが、かつて投稿されていた折、resしようとして忘れていましたが、神戸元町の「黒木書店」は先月正式に廃業されたことを報告します。春頃から、古書組合に大きな酸素ボンベを引きずって、管を口にくわえてやって来ていました。「古書の鬼」のような執念を感じました。落札した書物を持って帰ることなど出来ないので、よく僕が手伝いましたが、奥さんもご病気で、店に寄ると「今日も1冊も売れなかった。」「いやな客が来たので追い返してやった。」等が、例によって、いつものセリフでした。バブル期のままの値付と入札価格ですから、売れるわけありません。それでも僕は授業料のつもりで、寄る度に損を覚悟で何万か買っていました。だからという訳ではないでしょうが、いつもココアの出前をしてくれて、なべちゃんこと一考氏の話題になり、いつまでも帰してくれないものでした。ご本人はお嬢さんのお宅に転居、いたってお元気です。処分する商品は東京の古典会に送る筈です。今週あたりから、目録を見ていたら出品しているようですね。但し飛びっきりの珍本は自宅に秘蔵する由。僕も中学生の時はじめて行った古書店が黒木さんでした。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年12月19日 10:07 | 固定ページリンク




今松泰 | 多田智満子さんのご快復を祈っております。


はじめまして。
こちらの掲示板にははじめて投稿させていただきます。
今松と申します。

多田智満子さんとはたまたま同じ町内に住んでいる(らしい)
というだけのファンに過ぎませんが、
どこかの通りですれちがうことがあるかもしれないな、
いつかサインをもらいたいな、などとミーハー精神丸出しの
期待とも妄想ともつかぬことを考えたりしていました。

一日も早くご快復されることを心よりお祈り申し上げます。



投稿者: 今松泰    日時: 2001年12月20日 00:09 | 固定ページリンク




Campagnolo | 多田さんへお見舞い

彼女はきっと、元気になって退院される筈です。実は私も同じ町内に住んでいて、ローカルな話で申し訳ありませんが、昔は篠原公設市場という所へ初代マツダキャロルに乗って買い物に毎日来られていました。処分される折には、必ず声をかけて下さいねと言ってたのに、いつのまにか別の車に替わっていました。入院先は自宅そばの海星病院ですか、それとも婦人科なら市民病院でしょうか。小学校に行く時は多田さんのお宅のそばを通っていましたし、あの庭の裏には多田邸とは知らず勝手に入って遊んでいました。お渡ししたいものがあるのですが、自宅に届けれればいいですね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2001年12月20日 20:53 | 固定ページリンク




梅子 | すみません

 随分と書き込みさぼってしまいました。どこかのダスターが、いえ、マスターが
家のマックをいじくりたおしては、調子悪くしてしまったもので。
(何でも人のせいにするのは、どこかのダスターに倣って)

伊藤ビンラディンさま
 土曜日に店に来て下さった時はいつも「今日はどんな映画見たんですか~」と
聞いているばかりで、せっかく良い映画情報を教えていただいているのに、
なかなか見に行くことができずにいます。二日酔いで倒れているおっさんは放っておいて
独りで行くしかない!来年の目標にします。

栗田ひずるさま
 朗読会はですぺらにとっても初めてのことなので、試行錯誤になるやもしれませんが、
どうぞよろしく。私はとっても楽しみにしています。スケベ店主はひずるさんに
カウンターの上に乗れだの、天井から釣り下げて、そこで語れだの勝手なことを
申しておりましたが、聞き流してください。
 方言は店主は柄の悪い福原弁、「おんどりゃ、われ、なにしてけつかんねん」
なんていうのが得意だと思います。私は大阪弁でもなく、神戸弁でもない阪神弁が得意です。
ってそんなもの必要ないかしらん・・・。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月27日 05:56 | 固定ページリンク




梅子 | 営業日のお知らせ

ですぺらは年内無休で、三十一日まで営業します。
店主は二十九日ぐらいから飲んだくれる予定を立てております。
(いつもと一緒じゃないの)
大晦日は零時過ぎたら初詣にいきませんか。
(去年も店主はそんなこと言っていたけど、飲み続けてただけだった)

新年は四日から通常通りの営業です。
四日は新年会をいたしましょう。



投稿者: 梅子    日時: 2001年12月27日 06:07 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 今年最後の御邪魔ムシ

サドの『悲惨物語』のマンガ化という高階良子『十字架に血の杯を』は、講談社漫画文庫の「高階良子傑作集」第4巻『血まみれ観音』に収録されています。(角川ホラー文庫版の『血まみれ観音』の方に収録されているか否かは未確認)
主人公の名前とシチュエーションはサドの『悲惨物語』そのままですが、少女マンガとしての「制約」のためか、サドの小説の根幹をなす近親相姦のテーマが欠落してしまい、マンガそのものとしては充分に楽しめるものの、これを『悲惨物語』のマンガ化とするのは、ロジェ・ヴァディムの映画『悪徳の栄え』 (映画の原題は『美徳と悪徳』。それにしても、サドの映画化というと、なぜ、みんなナチスを持ち出すのだろう?)をジュリエット物語の映画化と称するのと同様の無理を含んでいると思われます。
実際に時代考証なぞをはじめると……文学的感性やマンガ的感性を疑われざるを得ないような野暮な指摘のオンパレードになってしまうので、ここは,高階良子さんが、サドのモチーフを借りて、おもろいマンガ書いてるでぇ、と言うにとどめておくべきでしょう。
それから、二階堂奥歯さんへ
佐藤紅霞の『貞操帯秘聞』という本入手しました。未入手なら、いづれ、小生が読んだ後に御進呈申し上げませう。ただで差し上げると、こちらの下心を疑われかねないので、ホイスキーのビンラディン(フィンラガン)とタリバーン(タリバーディン)を一杯づつ御馳走してもらおうかな。
では又



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2001年12月28日 13:30 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 年越しは実家で

『十字架に血の杯を』、私もその後入手しました。
悪の美少女物になっていてだめでしたね。『悲惨物語』後半の、母親の元に娘が帰ってきてからがメインですし。
『悲惨物語』の魅力は無論前半。父と娘だけの甘い蜜の部屋での生活と教育の様子が良いのに、やはり「なかよし」的に実の父娘近親相姦はまずいのでしょう。

御邪魔ビンラディン伊藤さまへ
貞操帯のこと、気にかけてくださってありがとうございます!
佐藤紅霞の『貞操帯秘聞』は私も持っています。一冊丸ごと貞操帯の本かと期待させておいて、貞操帯関連はタイトルになっている文章のみという。
酒井潔も貞操帯について書いているし、あの辺を探せばきっともっとあるんでしょうけれど、書いてあることはもうほとんど同じなのですよね。図版だっていつも使いまわし。
それでも買ってしまう貞操帯本。
今年はすでに実家に帰ってきてしまったので、また来年フィンラガンとタリバーディンをご一緒できたらうれしいです。

私にメールを下さるみなさまへ
プロバイダを乗り換えた関係で、なんと実家にいる間(来年4日まで)主要メアドでメールを受けられません。御用の方は携帯メールの方に下さるかお電話で願いします。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年12月29日 01:30 | 固定ページリンク




金光寛峯 | シーシュポスの神々


ここ数ヶ月、友人の同人誌作りを手伝っておりました。
ずいぶん手がかかりましたが、ともかくも見本が刷り上るところまでは
こぎつけました。
いま手元にその現物があるのですが、見ていると、今にして了解できる
ところもありました。この場を借りて書いておきたく存じます。

「才能とはすなわち実績である」と以前お聞きしました。それでは実績と
はなんなのか。
今回私が手伝ったのは昔の作品の復刻でした。著作権者との交渉から、校
訂作業・入力・校正, 解題書きまで、途中いろいろトラブルや差し戻しを
経て、特にここ 2ヶ月というのは、仕事以外の私的な時間ほぼすべて編集
作業にかかりきりになってしまいました。お金も使いました。
他にもいろいろやりたい事や、本来ならばやっておかねばまずい事なども
ありました、本も読みたかったし映画や展覧会も良いものがたくさんあっ
た。義理ごともあった。いろいろ調べてみたい事も多くありました。
でも、体はひとつです。これはどうしようもありません。同時に二つも三
つもできはしませんし、限られた時間で何を優先するか、なんとか決める
しかありません。
ほんとうにたくさんの事を見送りました。

要するに何かを選ぶということは、その他の多くの選択肢を切り捨てると
いうことに他ならないでしょう。
「これに集中するんだ」と自分で決めた、そしていちおう結果は出た。拙
いものではあるけれども、一応これも実績といえば実績であるのでしょう。
だけれども、この選択をしていなかったのならば、もっと他のより良い事
があれもこれもできたのではないか?

しかし、その可能性は自分自身で切ってきたのです。多くの選ばれなかっ
た選択肢、あり得たかもしれない数多くの可能性や未来、他ならぬ私自身
の意思により切り捨ててきたものと引き換えに、実績はできました。

いま刷り上った見本誌を手に振り返り、見送ったものたちの多さを思いま
す。
才能とは実績、そして実績とはどんどん切り捨てることそのものでした。
なにかある事をやるとする、でも同じ時間で別のことをやった方がよりよ
い結果があったかもしれない、しかし両方は取れないのだからどちらかい
ずれかを取るしかない。捨てて、捨てて、捨てまくって挙句、無数の未来
を捨て去った、その代償として、1つの実績はここにある。

さてそれで、そもそも私の "実績" とやらがそもそも何からの意義なり、
意味なり価値なりあるのでしょうか。
無いでしょう。
「無為である、それを知悉した上で、なお行う。だから良い」。

思うに私がやっていることは大岩転がしのようなものでした。カミュの
「シーシュポスの神話」です。シーシュポスは山の頂上まで巨大な岩を転
がしていきますが、頂上は鋭角になっており押し上げられた岩はそのまま
向こう側に転がり落ちていきます。彼はまた麓まで降りていって最初から
岩を押し上げてゆきます。
永劫に続くというこの苦役は、一見は悲劇の構図です。しかし、何かを求
める行動に身を投じること。そして探求の陶酔に浸ること。ただそれのみ
が人間に許されている幸福なのではないのでないでしょうか。

私の岩は下まで転がり落ちたようです。さてまた上げると致しましょう。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年12月29日 08:32 | 固定ページリンク




如月 | 謹賀新年

みなさん、明けましておめでとうございます。
年の初めの祝歌をと、今年はまず「千載集」をひもといてみました。
  *   *   *
さて、1月12日(土)に、NHK「美と出会う」で四谷シモンが特集されます。
くわしい情報は、拙サイトに掲載致しましたので、ぜひご覧ください。



投稿者: 如月    日時: 2002年01月01日 09:57 | 固定ページリンク




暫定管理人 | あらあら


こっちの掲示板は最近すっかり流れが止まっちゃいましたか。

とはいえ、今年もよろしくお願いします。



投稿者: 暫定管理人    日時: 2002年01月07日 03:06 | 固定ページリンク




Siesta | はじめまして


先日1/4に、閉店時間をすぎて午前2時までお邪魔してしまった者です。僕は、ですぺらと同じく赤坂に住んでいるので、終電の心配が無いのをいいことに長居をしてしまいました。
最後まで一緒にいた方(掲示板での名前をお聞きしたのですが、忘れてしまいました。すみません。)と、帰りに歩きながら少しお話しました。ですぺらのこと、一考さんのこと、いろいろ教えていだきました。

「一考さんはただ者じゃないよ。」


ですぺらにはこの日初めて行ったのですが、僕の好きなGLENROTHES1981年に、店主おすすめの星印がついていたのはとっても嬉しかったです。このグレンロセスはボトルが丸っこく可愛らしくて、シングルモルトにはまるきっかけになったウイスキーでした。そして何よりも1981年は僕の生まれ年でもあります。
さらに、なんと店内ではPowerMac
と古いAppleのモニターの横でマック談義が!僕は小学生以来のマック好きなもので。小学生当時には、クアドラ、セントリスの夢のようなスペックと目を疑うような値段を見て胸を躍らせた記憶があります。


ところで、この掲示板のCAMPAGNOLOさんは、もしかしてロード乗りですか?


最後に、僕のような若造が、ですぺら及びこの掲示板にお邪



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月08日 01:58 | 固定ページリンク




CAMPAGNOLO | siestaさま

ご想像通り、ローマオリンピック以来のロードでございます。デビュウは、今はなき甲子園競輪場のバンク。当時はピストもやっておりました。イタリアによく書物を買いに行くのですが、古書店より自転車屋めぐりに終始してしまいます。この間レースで事故して以来、今はsiestaでランドナーとスポルティーフに移行しています。siestaさんはロードですか。僕のマシーンは実戦を無視して60年、70年代の物にレストアしていっています。ですから、シマノとMACは嫌いなのです。



投稿者: CAMPAGNOLO    日時: 2002年01月10日 09:43 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

 
>僕のマシーンは実戦を無視して60年、70年代の物にレストアしていっ
ています。ですから、シマノとMACは嫌いなのです。

60年、70年代のコンピューターを使っておられるのですか?(^_^;)



投稿者: moondial    日時: 2002年01月10日 11:26 | 固定ページリンク




一考 | 難儀な新春

 年末から新春にかけて、飯を喰うための仕事に追われています。今回は今までと異なる広告屋さんの販促策ですので緊張の連続、対象はビールなのですが、わが邦のビールにあまり興味はなく、頭を抱えています。12日には一段落の予定。それが済めば種村さんの対談を纏めなければなりません。締め切りまで僅か3日、間に合うのでしょうかねえ。
 奥歯さんが正月休みの間にですぺらのホームページを拵えて下さったのですが、収録予定の小生の文章に文字化けの問題が多数見付かりました。もっかお店にてすべての文章を修正中、恐らく20日頃には完成の予定。今月中になんとか開設出来ればと思っています。
 1日より、車とバイク双方の点火系が故障、電装屋が6日まで休みのため、梅子の125ccの小型バイクで赤坂を往復、4日の新年会は鍋物の予定でしたが荷物が運べず、皆さまに迷惑をお掛け致しました。鍋の会は別の日に催しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月10日 15:15 | 固定ページリンク




一考 | 先祖帰り

 Siestaさんへ
 転んでもただでは起きないただの人で御座います。若造と書かれていらっしゃいますが、かく言う私も4、5日前までは確か二十歳位ではなかったかと記憶致します。近頃若返りか先祖帰りかは判じかねますが、至って情想の風通しよろしく、精神年齢は常に十代のそれではないかと思い居る次第。昨日も四谷シモンさんと管理人の櫻井さん共々夜明けまで飲み明かしましたが、まだまだ負けてはいませんよ。
 わが家ではクアドラ650が気持ちよく走っていますが、CPUは601。ちなみにフォトショップからイラストレータまですべての仕事はこれで十分可能です。初めてパワーPCを動かしたのは転居祝いにMoonさんから贈られた7500ですが、そちらはまだ2年にもなりません。それまではLC475で本の装幀や図版の修整を行っていました。

 CAMPAさんへ
 コンピューターの通史をよくは知りませんが、パーソナル・コンピューターとしてならマックの方が古いのではなかったっけ。



投稿者: 一考    日時: 2002年01月10日 15:52 | 固定ページリンク




Siesta | CANPAGNOLOさま

僕はいまvoodooのMTBに乗っています。
冬風が身を穿つ中、HUTCINSONのスリックタイヤでかっ飛ばしております。
ロードにも乗りたいのですが、フルカンパなどで組もうものなら、
僕には到底手が出せません。
でも、いつかはカンパでロードに乗ろうと日々企んでおります。
しかし、CAMPAGNOLOさん玄人だったとは。
60、70年代のパーツはいまでも手には入るものなのでしょうか。
いや、なにしろスチールしかやらないと豪語したウーゴ・デローザも
アルミ、チタン、果てにはカーボンでフレームをビルドする時代ですから。
僕は60、70年代のカンパのパーツは
カタログでしか見たことがないのですが、今のrecordなどよりも
「イタリアの職人」的なものを感じるので好きです。



投稿者: Siesta    日時: 2002年01月11日 00:33 | 固定ページリンク




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