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福井の紙布屋さんからの書き込みに託つけて一言。
先日、常連の女性客が相手にしろと突っ掛かってき、「なめたらあかんぜな」と言って追い出しました。もう二度と来ないでしょう。その女性は飲み屋のママで、ですぺらの営業方針について説教を試みようとしたのです。一万人のひとがいれば、一万通りの生き方があるように、一万軒の飲み屋があれば一万通りの営業方針があります。否、あってほしいのです。
客にこびるのが飲み屋だと思っている方や、客へのサービスが当たり前だと信じている方が多いのは不思議です。お客さんの固定観念に則せば、世界中の飲み屋の営業方針は同じものになってしまうではありませんか。客に合わせるのではなく、客が飲み屋に合わせてこそ、個性ある飲み屋が生き残れるのです。
亡父によると、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出し屋、割烹までが水商売なのであって、飲み屋は堅気さんになります。水商売という言葉自体、「商いは水物」からきたのであって、水ものを売るから水商売というのは間違いです。飲み屋風情、要するに堅気のあきんどから水商売について意見を聞かされるのは御免蒙りたいのです。水商売とは、赤坂とは等々、したり顔の小言は聴く耳を持ちません。たとえ最後のひとりの客であっても、客商売やってんだろと言われれば、即座にお引き取り願う覚悟でですぺらを営んでおります。
私は赤提灯へひとりで飲みにゆくのが好きなのです。たまに千円札を二枚握りしめて近所の「赤坂亭」もしくは戸田笹目の焼鳥屋へ行きます。そこでは口もきかず、ひたすら飲んでいます。誰からも興味を持たれず、誰からも相手にされず、ひとりで酒を飲んでいると、体内をめぐるアルコールの跫音が聞こえてきます。自分と酒、その双方が互いの呼吸をはかり、脈拍を確かめ、からだを寄せ合い、見つめ合います。やがて酒がからだを浸食し、同化し、異物同志がひとつに収斂されて行きます。そのじれったさのなかに身をしゃがませる時、そんな時なのです、生きていてよかったなあと思うのは。充実した時間、それは時間が凍てついたときなのではないでしょうか。このまま滅んでしまいたい、誰か殺してくれないかなあ、などと他愛ない妄想に耽ることができるのです。
かつて「みせびらきの詞」に「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学です。ところが、その変身を事もなげにやってのける存在がいまひとつ。それは淡い琥珀の液体、すなわちアルコールです。酒は人を虎に、天狗に、狼にと変身させ、挙げ句は宿酔という地獄へ向かっての道行きと相成ります。アルコールを西洋でスピリットと称するのは、まさに言い得て妙。酒には酒の人格があり、屡々人品の面倒すら看てくれるのです」と著しました。なにも変わりませんね。
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