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一考 | アスベスト館

 元藤あき(火偏に華)子さんのお別れ会で加藤郁乎、松山俊太郎、種村季弘のお三方が同席なさいました。実に十数年ぶりとのおはなしでした。種村さんはお帰りになられましたが、例によって朝まで酒宴はつづきました。話のなかで私のなかに大きな誤解があることに気付かされました。元藤さんがアスベスト館を作られたのは土方さんと出逢う8~9年も前であるとの由。今日まで土方さんがアスベスト館を立ち上げたものと私は思い込んでいたのである。
 本日付けの朝日新聞には元藤さんへの「惜別」が掲げられている。

 土方の生前は彼の芸術の産婆役に撤した。ショークラブ経営で生活と舞台の費用をまかない、土方作品のプロデュースに奔走した。
 土方の死後はアスベスト館を改築、遺志を継いで後進の指導に当たり、自らの舞台活動も再開した。夫の舞踏を伝えつつも、独自の表現を旺盛に模索する姿は、「舞踏の母神」を思わせた。

 千日谷会堂は300人を越える参加者で賑わったが、それにしても大野一雄さんと大野慶人さんを除き、舞踏家の欠席が目立つお別れ会であった。その事情の裏には大きな誤解が横たわっているような気がしてならない。
 12月5日から12月14日までつづく「Akiko Motofuzi Memorial」と10月11日から明年1月12日まで催されている「肉体のシュルレアリスム 舞踏家土方巽抄」のパンフレットを二十部ほど頂戴してきました。ですぺらに置いていますのでよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2003年12月08日 21:05 | 固定ページリンク





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