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一考 | カクレガニ

 外山時男さんへ
 ご指摘を受けるまで知らなかったのですが、ピンノことカクレガニ(隠蟹)の習性は興味津々です。小・中学校で将来なにになりたいかといったアンケートがよくありますが、私はいつも「ひも」と応えて叱られていました。どうやらジゴロにはなりそこねたようですが、夢はどこまでも夢、蒲団のなかで私が仕合せそうな顔をしているときは、間違いなくゆめを叶えているときなのです。
 油虫、寄生虫、毛才六、ゴキブリ、才六、甚六、パラサイト、宿六等々、いかように申してもよろしいのですが、ピンノもまた、私が生涯を費やして追い求めてきた見はてぬ夢を具現した、あこがれの存在だったのです。ムラサキイガイ、ハマグリ、アサリ、カキ、ナマコ、ホヤなどの外套腔や排出腔に寄生するもの、ゴカイやギボシムシの棲管に棲みつくもの、なかにはサザエピンノのように、チョウセンサザエやマルサザエの胃のなかに棲むという信じがたい習性をもつ種もあるとか。胃のなかと云われると、やはり羊水のなかでさかんに欠伸する胎児を思い起こします。
 私は過去において、二度の過ちを犯しました。ひとつは生まれ落ちたこと、いまひとつは二十歳を迎えてしまったことです。取り返しのつかない失敗を、しかも厭きもせず繰り返してしまったところに問題があります。精神がニュートラルなのは十九の春まで、二十歳を越えてしまえば四十も六十も八十も同じようになにかが刷り込まれてしまいます。要するに、みんなただの爺婆になるのです。サザエピンノに倣い、生涯を羊水のなかで終えるべきだった、水子として昇天すべきだった、といまになって悔んでいるのです。
 実を申せば、「ジロッリ」と「ギロッリ」はミラノに工場を持つ自転車のフレーム・メーカーで、「チネッリ」のオーナーとは縁戚関係にあります。などという駄法螺を吹きだすと止まらなくなります。私のような死にそこないは法螺とぼやきの振幅のなかを生きるしか、手立ては残されていないようです。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月08日 21:18 | 固定ページリンク





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