ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「モルト情報11」 | | 次の記事「買ひたい本は神保町では買へません」 »

一考 | 稲葉真弓さんのことなど

 今年上梓された詩集からお気に入りを刊行順に紹介。
 「遐い宴楽」入沢康夫、「水無月の水」尾崎昭代、「母音の川」稲葉真弓、「少年日記」渡辺洋、「小枝を持って」高橋睦郎、「砂から」佐々木幹郎、「孔雀荘の出来事」相澤啓三、「ブリキのWE」大石健、「いろはにほへとちりぬるを」木村迪夫、「ARROWHOTEL」北爪満喜、「老梅に寄せて」窪田般弥、「足の冷える場所」瀧克則の十二冊が特に印象の深かった詩集です。
 詩に関係するエッセイ集では、辻征夫「ゴーシュの肖像」、秋元幸人の「吉岡実アラベスク」、森乾「父・金子光晴伝」の三冊を特筆致します。
 以上、稲葉真弓さんの詩集のみ思潮社にて、他は書肆山田から刊行されています。

 「ゴーシュの肖像」は2001年に上梓された「貨物船句集」と併せて辻征夫さんの遺著となります。まだお元気なころ、「銀花」に横田稔論をお書き下さったことに感謝。雑司ヶ谷の鮨屋での幾たびかの語らいが懐かしく思い出されます。

 森乾さんとは「本の手帖」の金子光晴特集以来ですので1963年からのお付き合いでした。本書は金子光晴をめぐる散文作品を未発表のものも含めて収めた遺稿集です。氏の銘でもあったヘーゲルの「ミネルヴァの梟は、夕暮にとぶ」に因んだ装いで上梓されました。

  おいら。
  おっとせいのきらひなおっとせい。
  だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで、
  たゞ、
  「むかうむきになってる
  おっとせい」

 反骨かつ奔放な生を生きそして詩を著し、思索の体現化を作品と生との合致のなかに追い求めてやめなかった金子光晴。その搏動を識るに相応しい書物がもたらされたのです。

 「孔雀荘の出来事」は2000年に上梓された「五月の笹が峰」につづく詩集。「一夜、ですぺらで」が収録されました。巻頭の一篇は私には涙なしに読むことはできません。あまりにも遠く遅れて生まれてきた私ですが、あの人たちとすれちがった僅かな日々、かすかな息づかいは鮮明に記憶しています。

  親しい者たちが死についでゆくと
  出来事はわたしのまわりに影をひそめ
  死の出来事の大きな影の上に
  根を張ることをやめて死を待つ者の影は淡い

  死を受け入れ死に馴染む者の退廃を
  愛する者にひらいて見せるのは愛する者への裏切り――

 「年齢の開き」が「ジョークで跳べない危険なクレバス」になる歳に私もやっと到達したようです。

 「母音の川」は稲葉真弓さんの三冊目の詩集。第一詩集の「ほろびの音」が1982年、その前年の二月に第一作品集の「ホテル・ザンビア」が上梓されています。贔屓筋の頭目に安原顕さんがいらっしゃいます。安原さんの尽力によってかつて海に掲載された短篇が来年二月に河出書房新社から纏められます。私が雪華社在籍中に中井英夫さんの「夕映少年」についで出版する予定だったのですがかなわず、そのままになっていた稿です。無責任な編集者で申し訳なく思います。
 プライヴェートな憶い出で恐縮ですが、80年前後、稲葉さんとはしばしば酒を酌み交わしました。当時の私は真冬でも素足につっかけでした。貴女は「寒くないの」と訊ねましたね。「猥褻にならなければどこを晒けだしてもよいのよ、それよりなにより水虫が痒くってねえ」と嘆いてみせたのは精一杯の虚勢。なにね、靴を買う金がなかっただけなのですよ。貴女は飲み屋でスカートを捲りあげ、ストッキングを脱いで靴を肩に掛け「これで私も裸足、今日は朝まで飲みましょうね」裸足で御苑通りから新宿二丁目、要町からゴールデン街を徘徊しました。あの夜、人の情と言いますか、気配りの深さに私は驚いたのです。貴女のような詩人をいい女と言うのですよ。
 「母音の川」のあとがきから数行、

――書いている間、ずいぶんたくさんの体が私の前を通っていった。十代の少女の体、耳や手足などの部位のほかに、ややくたびれかけた女たちの体、あるいは祖母や母たちの眠り、魚や昆虫の交尾までもが「あいうえお」を発語として姿を現し。思いがけず豊かな川を渡ってきたような気がする。
 もちろんこの詩集はポルノグラフィーとして読まれていいのだ。女たちの声はポルノグラフィーの川。たくさんの娘たちが、今日もその川を熟れた果物のように流れていく――

 ひとつのテーマを決めどんどん穫り込み、そして削りとり刮げおとしてゆく、その取捨選択の狂いのなさ、自在なイマジネーションに裏打ちされたしたたかな構成力に脱帽。吉岡実、辻征夫の死以来、諦めかけていた「詩集」に久しぶりに逢着しました。才能という名の元手がたっぷりかけられた贅沢極まりない一本です。



投稿者: 一考    日時: 2002年12月16日 05:41 | 固定ページリンク





« 前の記事「モルト情報11」 | | 次の記事「買ひたい本は神保町では買へません」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る