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一考 | ほほえみ

 今回の横須賀さんへの文章について、佐々木幹郎さんから病名と亡くなられた日付は入れた方がよろしかろうと云われ、白血病であったことを書き加えました。そして昨夜、高遠弘美さんから「横須賀さんのほほえみ」は特筆大書すべきテーマであろうとの貴重な示唆を受けました。
 いろんなことを思い浮かべます。一昨年は横須賀さんとふたりしてよく笑い転げました。「駟馬も追うあたわず」を逆手にとって、取り返しのつかない箇所をたがいに穿っての咲笑い、嬉笑にも怒罵にも相感じる日々がつづきました。あるときは堪えかねてくっくっと、またあるときは輾然と、夜が明けるまで笑いさざめく声が途切れはしなかったのです。俳諧の軽みのようなきわやかな笑み、風が吹き通るさわやぎのような微笑みのなかに横須賀さんの意気の俊爽を私は見届けたのです。それこそが夢中にあっても決して放心することのなかった横須賀さんの詩精神そのものでした。
 ダイヤルを回す能動的かつ意識的な行為のなかに人生があるのではなく、回されたダイヤルが戻ってゆく緩慢な時差のなかにこそ、人のいとなみがある。これでよかったのだろうか、電話を掛けてよかったのだろうか、これからなにを相手に伝えるのだろうか、伝えるべきなにかがあるのだろうか、やはりやめておこうか。横須賀さんにとってほほえみは繰り返される人生の途中停車、「生きるってもどかしいものですね」との言葉こそが、戯けであり、飄逸であり、うつうつと最高を行く横須賀さんの表現でした。
 十二月に入ってからは「一週間ですぺらへ来なければ死んだと思ってください」との言葉が重ねられるようになりました。一瞬の沈黙を肴にウィスキーを呷りました。次に出てくる言葉を共有しようとして、互いの呼吸をはかり、脈拍を確かめ、からだを寄せ合い、見つめ合いました。精神の収縮を一緒にできないかと、じれったさのなかで酔いがにぶい悲鳴をあげます。鏡を前にしゃがみ込む憂い、言葉がうしなわれ、相似形のように時が凍てつくこともありました。

 あれから一年を経て、ですぺらのなかに、いまなお横須賀さんの存在を感じるのです。如月さんに撮っていただいた肖像写真を大事に飾っています。みなさん有難うございました。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月19日 00:57 | 固定ページリンク





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