ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「ドブ板の下の蟋蟀」 | | 次の記事「黒木書店-2」 »

一考 | 神戸の古本力

 林哲夫さんから「神戸の古本力」(みずのわ出版 神戸市中央区旗塚通3-3-22-403 電話078-242-1610)が送られてきた。ステキな外題であって、今の私が気に入る装いの本である。書物の命は中身であって、表現や表装を引っくるめて表層には興味をなくした。生きているあいだのみ添い寝してくれればよろしいのであって、死後どうなろうと私の知ったことではない。
 昨日、季村敏夫さんから「最近の鈴木創士さんとのやりとりなぞなんともいえぬ風を感じ、いざ生きめやも、おもわず口笛が出てまいります」とのメールを忝くした。そのSさんが「神戸の古本力」へ文章を寄せている。阪急岡本にあった小さな古本屋のはなしなのだが、買った本をその古本屋の親父からちょっと貸してもらえないかと乞われ、その後本の消息はバッタリと途絶える。似た経験は私にもあって、タルホの署名本をすべて喪った。展示を理由に取り込んだのは、神保町では知られた古書店である。
 Sさんの文章を読んでいて、思い出したことがある。それは六甲道の南側にあった大段書店である。間口は一間半、Sさん描く「自分の蔵書をそのまま店頭に並べ」たと思しき典型的な古本屋だった。記憶が正しければ開店は昭和四十年の末、亭主ご妻女ともに目の輝きには非凡なものがあり、文学をよくし、中島敦には一家言をお持ちだった。山本六三、大月雄二郎、西尾光冶はじめ、神戸大学や神戸高校の文学部の知己の大方は出入りしていた。高価な書冊はなにもなく、私などは読もうかどうしようか迷っていた翻訳書を購入していた。その一冊にバルビュスもあった。しかし、そのようなことでは活計にならず、五年を経て自死されたと聞いた。

 「神戸の古本力」には南輝子さんも寄稿されている、ロクサンとワンタン(山本六三と私)の登場である。「たまに古本屋行のロクサンにくっついていた少年ワンタンは特別待遇だったのか。いつもロクサン家にいて、いつも本を読んでいたから、きっとイソーローしていたのだろう」と著されている。週のうち五日は一緒に酒を飲んでいたから、居候に違いない。そのロクサンとワンタンが日参したのが黒木書店である。
 同書には黒木書店が繁く登場する。国文学といえば、九州の黒木というほどに昔から知られた古本屋だった。黒木さんが神戸へ出てきたのは昭和三十年頃だが、詳しくは知らない。私が知遇を得たのは昭和三十六年だった。そして、私にとって黒木の客といえば谷沢永一しか思い浮かばない。ことほどさように、黒木さんと谷澤さんは親しかった。互いに才力知識を研摩しあった、否、それを通り越して命懸けの付きあいだったと思う。黒木書店についてなにかを著すとは、取りも直さず黒木と名付けられたひとつの文学を語ることになる。その覚悟がなくて、迂闊に黒木書店について書くのは己が無知をさらけ出すことにしかならない。冒頭で書いたように表層をいくらメトニミックに撫で廻したところで、黒木書誌学の核心に迫るのはかなわない。
 その黒木さんには息子と娘がいた。黒木さんから頼まれて娘さんとはコーベブックスで一緒に仕事をした。その後結婚なさったが、表現者ではないのでここでは触れない。息子さんは四十二歳で亡くなられた。フラメンコギターの名手で昆虫学、特に蝶に関しては畏るべき学識を持っていた。三ノ宮にブルーリボンというフラメンコの店があって、そこの店主と息子さんとが二人してギターを弾くのを何度か聴いたことがある。
 かれは無類の酒飲みだった。そして酒を飲む度に荒れた。それも尋常な荒れ方ではなかった。一度は屋台を叩きつぶして、やっちゃんの出番になったこともあった。腕っ節は滅法強かったが、父親から受ける圧力にいつも押しつぶされていた。元町の店を手伝いだして間もない頃、東京の大市で棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」の一枚を百万円で落札し、父の怒りを買った。親父に言わせると黒木は書店であって画廊ではない、ふざけるなとなる。それ以降、息子は一切の仕入れを禁じられた。版画は長く店の奥に飾られていたが、無事に売れた。絵は売れたが、父と子の蟠りがとけることはなかった。
 やがて彼は結婚し、子供をもうける。しかし、彼の酒癖はおさまらず、妻子は家を捨てる。血を吐いて仰け反った遺体が見つかったのは死後数日を経てからであった。葬儀は兵庫区松本通二丁目の願成寺で執り行われたが、地元の古書店主の参列はほとんどなく、大阪から浪速書林の梶原正弘さんと、天牛書店の天牛高志さんの二名が参列、じつに淋しい葬儀だった。妻女は東京の出版社社主と再婚した。彼女とは二十代の頃、何度か酒を酌み交わした仲だったが、今はお付き合いは途絶えている。従って、なにも書くことはかなわない。黒木書店はともかく、その息子について書くひとは絶えていない。ひとことでもいいから触れておきたかった理由である。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月28日 00:24 | 固定ページリンク





« 前の記事「ドブ板の下の蟋蟀」 | | 次の記事「黒木書店-2」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る