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一考 | 秘密倶楽部

 moondialさんへ

 「便器は兎も角、貴兄に倣って」はないでしょう。私の性癖なんざあ貴方に比べりゃ可愛いもので、ちょいと花柳界に生まれたのが災い(幸いかなあ)しただけですよ。こだわりのSM倶楽部とやら、考えなくもないのですが、元手をすべてモルト・ウィスキーの購入に使っちまいましたので、老いたる先の楽しみに取り置く次第。でも、北海道のライダー・ハウスや牧場にも未練があるなあ。ライダー・ハウスでスワッピング教室や乱交パーティーでも催しますか。
 「倶楽部DOMA」と「スキン2」より古いのが「ジュニア」です。もっとも「ジュニア」は神戸最古のゲイバーにして、マスターは博多の産。その「ジュニア」の一期生が「タミー」のオーナーです。たしかカルーセル・麻紀さんも「タミー」の出身者ではなかったかと思います。三宮のゲイバーでちょいと古いお店「三番街」「タブー」「漁火」(この店は郡司さんをお連れしました)など大半はその二店の出身者です。当時「タミー」の独身寮が福原の拙宅の道を挟んで真ん前にあり、幼少の頃から徹底的に性的玩具としての教育を受けたのも懐かしい思い出です。「ジュニア」さんからはゲイバーの発祥の地は博多で、神戸の「ジュニア」が二番目なのよと再三聞かされました。「どん底」「田園」「アスター」のオープンが昭和22年、「ジュニア」は昭和21年ですから、私が生まれる直前の話です。その時の保証人が「ムーンライト」のオーナーで、その「ムーンライト」の一期生が「飛鳥」の創始者だった百地さん。貴方もご存じの、私が15歳で一緒になった最初の女房は「飛鳥」の二代目ママ。それに父と同じ部隊にいた「上高地」「不二家」「明治屋」のオーナー、その辺りの方に支えられて私の十代は成り立ちました。
 かつての国際会館の浜側、奥まった路地の突き当たりにあった「ジュニア」は夜の12時になるとシャッターを閉め、秘密倶楽部に変身します。ゲイバーであるにも関わらず、白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード。今日は鞭打ちで来週は縛りと浣腸……はじめて招かれたのが小学六年生の時、刺激強すぎたよなあ。でも、デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう。こんなことしか自慢するものありませんから。
 一昔前「幻想と怪奇」という雑誌が出ていましたが、その編集長だった人が「髭のサロン」とのSMサロンを営んでいます。私の父が昔関係した「スナイパー」に独自のページを持っていますので、ご存じかも。ちょいとわけありで詳細は控えますが、HPもあります。リンク先に見るべきところ多く、一度覗いて下さいな。例えば新宿の「マーキス」もリンク先のひとつ、こちらはサロンではなく倶楽部です。東京では現在のところ最も過激な秘密倶楽部でしょう。
 「ジュニア」のママ(と呼ばれるのを嫌がっていたので、私はマスターと呼んでいました)は引退後、大丸上の柳筋でステーキ・ハウス(よく食べに行きました)を、「タミー」のママは新開地でお好み焼き屋を営んでいました。最後にお会いしたのは20歳と30歳の頃、私がコーベブックス入社前に「ジュニア」さんは死去、「タミー」さんのその後は存じ上げません。兎にも角にもお世話になりました。
 追伸。私に秘密などまったく御座いません。というよりは暴露するのもされるのも大好きなのです。何故なら、人の中で最も変わらない部分は性愛構造、ブルトン流に申せば「野をひらく鍵」ということになりましょうか。それが災いして東京ではこのところ絶交状が飛び交っております。ちなみに、当方からの一方的絶交です。プライドは格闘技の世界に任せたいものですね。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 01:31 | 固定ページリンク





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