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高遠弘美様
ヤシ、香具師、テキ屋関係の書冊を調べてみましたが、なにも出てきません。おそらく、どなたもが最初に購入するであろう添田知道の「香具師の生活」から山崎美成、小峰大羽、宮武外骨、正岡容、前田勇の著書、地方で刷られたテキ屋の教本に至るまで、「ぱち」についての記述は見当たりませんでした。
拙宅の貧しい蔵書のなかでは東京堂の「隠語辞典」に、
「ぱち」=1「にせ物、まやかし物」2「詐欺的な行為」
「ぱちもの」=「耳」〈盗人の用語〉
「ぱちもの」=「時計・指輪などの贋物」〈香具師の用語〉
とあるだけです。
「京阪では、股脚の長い物を『パッチ』といい、旅行用の短い物を『股引』といった」そうですが、異なる辞書では「地域によってはすべてパッチとも言う」と記載されていました。記述に異議なく、神戸では股引との言葉はあまり使いません。ことごとくがパッチで、防寒用の股引はラクダのパッチと言います。大阪の友人にも聞きましたが、やはりパッチだろうとのことでした。念の為に書き添えますが、このパッチにはステテコの意も含まれ、と言うよりはパッチとステテコとは同義語になります。
一所懸命をひっしのパッチ、くすねること、ちょろまかすことをパチると言いますし、イワシやイカナゴを獲る引網は朝鮮のパジに形体が似ているところから、瀬戸内ではパッチ網と呼ばれています。
「斜視線」で「ステテコか股引」と書きましたが、上が縮の七部袖なら下はステテコ、すなわちパッチに決まっています。「正装」と書いたのも、町内ではその恰好で床几に座って将棋を指したり西瓜を食ったり、また福原界隈でもっとも大きな商店街は新開地(淀川長治の生地)でしたが、大通りを闊歩するときも、映画を観に行くときも、ショッピングのときも、大旨そのスタイルでした。
長距離列車ではズボンを脱ぎステテコ姿で弁当とお茶、みなさん寛いでいました。女性のあっぱっぱと共に、いま流行りのクールビズの先取りです。オフィススペースを涼しく快適におくるために最適の服装であり、洒落者はミントやラベンダーなどの香りを焚きこめれば「ケッコウ毛ダラケ猫灰ダラケ、見アゲタモノダヨ屋根屋ノステテコ」となるはずです。
江戸時代の男は夏場はほとんど裸体に近い状態で、それを見かねた明治政府が最初に考案した洋装ではなかったかとも思われるのですが、信ずべき根拠はなにもありません。
ご指摘の「あとの言葉」ですが、関西での「もん」は「もの」が訛ったもので、物と者双方の意味が含まれます。「やくざもん」「ならずもん」「ええもん」「わるもん」のように、私のようなちゃらんぽらんな性格を指して「パッチもん」と言っていました。当時の友人は然るべき組織の会長、総長、組長になってしまったので、「パッチもん」の語法の当否を直接電話で聞くわけにはいきませんが、あれは福原だけの、もしくはわれわれ仲間内だけの用法だったのかもしれません。
ご指摘の、熟語として「パッチを穿く」には興味を抱かされました。
「真空地帯」は未確認ですが、パッチが一般に普及するのは風呂同様、軍隊だったと言われています。濡れたパッチで兵卒をしばく(たたく、ぶつの意)はなしを父から聞かされたことがあります。「2(わらじをはく」の言い換えか)逃げる意の、盗人・やくざ仲間の隠語」は存じ上げませんが、他の二項目は前述の「パチる」の活用変化形のひとつと思われます。
お答えにはなっていませんが、この辺りでご勘弁を。サルマタ文化(地域によってはサルマタイまたはサルマートとも言う)に関してはお話しする用意がいくらでもございます。例えば、紀元前五世紀から後四世紀末にかけて黒海から中央アジア草原地帯で花開いたサルマタ文化を担った遊牧民が、甲冑や鉄製鎖帷子の下に履いていたのがパッチの原型。一時期はドナウ川を越えてローマ帝国領内に進出するも、やがてゲルマン系のゴート族に押され、四世紀末には、アジアから西進してきたフン族に征服される。このフン族の王アッティラが自ら滅ぼした民族を偲んでパッチをサルマタと改名、以降サルマタもしくはサルマータ文化との言葉が定着し、ものとしてのサルマタは中国を経て日本に伝えられた。
というのが、福原大學でスキタイに関する歴史の講義で学んだ内容なのですが、これを信じると顰蹙を買うそうです。掲示板ではなく酒席が相応しいように拝察致します。
一考さま。
さすが博学多識の一考さんのご教示、すこぶる興味深く拝読しました。サルマタイその他の福原大学の歴史学講座も大笑ひして拝見。一本も二本もとられた感じです。ありがたうございました。実は前回はあへて書かなかつたのですが、「ぱち」ならぬ「ばち」には以下の説明がありました。これまたまつたく知らなかつたので、ふむふむと読んだだけでしたが。
説明のあとに、地方別の別表現が書かれてゐます。地方名を抜いて引用します。前回と同じく日本国語大辞典第二版です。
「ばち」(方言)
1 女をいう卑語。ばじ・ばじっこ。ばちこ。ばっち。ばっくす。
2 女の子。ばっち。
3 下女。
4 相手を罵っていう語。
5 はんてん。
6 魚、めばち。
7 魚、かながしら。
8 貝、赤貝。
これとは別項目で「ばち」があり、それは「イトメが成熟して、泥底から抜け出し、海面に浮上群泳している時期の称」と説明がありました。
なほ、日本国語大辞典では
「ばちもの」の項に、
「耳をいう。盗人仲間の隠語」とありました。東京堂の隠語辞典とは「ば」か「ぱ」かの違ひはあるやうですが、この手の言葉はさういふところが曖昧なのだと思はれます。
また同辞典によれば、「すててこ」は江戸からある囃子ことば「ああすててこすててこすててこてんてこてんとんとん」が元で、すててこ踊りで一世を風靡した三遊亭円遊が穿いて踊つたところから、仰せの「正装」クールビズの「すててこ」となつたさうで、例文として畑山博「いつか汽笛を鳴らして」から
「頭のはげあがったステテコ一枚の男とアッパッパを着た女は夫婦者だろう」
が引かれてゐますが、奇しくも「アッパッパ」と併記されているところが面白いと思ひました。わたくしの子供の頃も、夏になると母親が家着としてアッパッパを着てゐたことを思ひ出しました。
最後に、追記として。
たまたまけふ読んでゐた明治の頃の日記に「円遊来りて沢山落語をなし、一時頃帰る。料理は偕楽園なり」といふ記述があつただけに、ご教示からいろいろ連想が広がり、愉しい宵をすごしました。御礼申し上げます。
大風呂敷製造販売商店のCEOなればこそ、駄法螺を吹くのが唯一の芸。得意とするすててこ踊りは吉原に限らず、福原の幇間のあいだでも盛んに踊られていました。
過日、「沙の上のラブレター」にて「頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである」と書きました。
「洗練された理解者」のおかげを持って、こちらこそ愉しい宵を過ごさせていただきました。感謝致します。
そのようなはなしの後に続けることではないのですが、九日の集いが引けてから店内で喧嘩があり、オープン以来の六年間で最悪の不快感を抱かされました。貴方や宇野さんが帰られた後だったのがせめてもの救いでした。
打ちつづく警察沙汰に嫌気がさしての上京だったのですが、実体は東京も同じでございました。常連客でなければ張り倒すのですが、逆に客であることを担保に取っての狼藉、鄙劣きわまりない立ち居振る舞いに呆れ返りました。いづこにも品のない馬鹿がいるもので、当分のあいだ、店を閉めようかとまで思い詰めております。
先日、宇野邦一さんからサンセールの注文を受けたのだが、ギィ・サジェのサンセールを私は飲んでいない。要は味見もせずに店に置いているのである。モルト・ウィスキーはすべて確認しているが、ワインには一部未確認のものもある。旨いかと問われれば、正直に飲んでいないと言うしかない。
それではおいしいワインを、とご注文なさったので、ピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリのラ・ミシオン・シャルドネを抜栓した。チリワインだが、2004年以降に飲んだシャルドネ種ではもっとも旨かった。
「ル・クラスマン」でフランソワ・ラヴノーと共に三つ星評価を受けたウィリアム・フェーヴルのシャブリはコスト・パフォーマンスが高い。二千円を切る安価でボトリングしているが、高級品ほどフィニッシュの酸味が生かされてくる。シャブリにうるさいひとには、1erのボーロワやレ・リスのヴィンテージものがお薦めである。
そのウィリアム・フェーヴルやチリのピノ家等々が創設したジョイント・ベンチャーがピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリである。ブテック ワイナリーなので、生産量は限られている。現在出回っているラ・ミシオン・シャルドネは2005年のヴィンテージだが、五~六年寝かせれば柔らかな酸味が加味され、果実味が豊かな味幅のあるワインになると思う。しかし、そのゆとりは現在のですぺらにはない。
詳しくは下記を。
http://item.rakuten.co.jp/miyakata/10000585/
こちらで酒について書きます。前項が白ワインだったので、今回は赤の紹介です。
チリの葡萄畑はサンチャゴ周辺の北からアコンカグア、マイポ、ラペル、マウレなどの川の流域に拡がっている。そのマイポ・ヴァレーにチリ最大のワイナリー、コンチャ・イ・トロ社がある。コンチャ・イ・トロのシャルドネ種はシュルリー製法で造られる。スモーキーな香りとふくらみのある辛口が特徴で、ピスケルト社のラ・ホヤ・シャルドネやピーニャ・サンタ・モニカ社のティエッラ・デ・ソル・シャルドネと共によく識られたワインである。
ピーニャ・コノ・スル社はそのコンチャ・イ・トロ社の傘下で、ラペル・ヴァレーのチンバロンゴに100年以上続く単一畑を所有するワイナリー。カベルネ・ソーヴィニョン、メルロ、ピノ・ノワール、シャルドネの四種とリザーヴを三種、それと20バレルと名付けた高級品をボトリングしている。ちなみに、ピノ・ノワールとシャルドネはカサブランカ地区で栽培されている。
インポーターとしてもっとも信頼できる和泉屋のヒット商品の一つで、 コストパフォーマンスの高いワインです。
そのコノ・スルからオーガニックワインが発売されています。他のラインナップとは赴きの異なる自転車のラベルで、店でも八本ほど販売致しました。
葡萄種は有機栽培のカベルネソーヴィニョンとカルミネーレ。ダークチェリー、ラズベリー、ストロベリーなどの果実香のほか、フレンチオーク樽に由来する煙草やヴァニラのキャラクターが特徴。豊富なタンニンと酸味を持つフルボディですが、千円のワインでこれだけの味はまず無いと思います。
おきさんへ
「ぱちる」ではないのですが、「しのだ」もそこいらの権威ある辞書には記載がなく、悔しい思いをさせられています。
神戸ではきつねうどんを「しのだ」と言います。語源は大阪泉北の信太の森ですから、閉じれば「信太」もしくは「信田」か「篠田」なのでしょうが、通常は「志乃田」と著します。地名を料理名に取り込むときは昔から洒落て違う漢字を宛てます。信太の森は浄瑠璃や歌舞伎で有名ですから、そちらについては触れません。プライベートなことに終始したいと思います。
神戸の湊川市場の北端に旧丸新市場(東山商店街)があり、その市場に隣接して満州からの引き揚げ者が雑多な商店を営んでいました。果物屋、電気屋、服屋、寿司屋、饂飩屋、串カツ屋、お好み焼き屋、おもちゃ屋等々ですが、服屋とは申せ、先日来触れている腹巻き、ステテコ、アッパッパ、加えるに作業着と麦わら帽子のようなものしか置いていません。商品を需要のあるものに限定すれば、そのような結果になるわけです。
父と同じ部隊にいたひとが数人含まれていて、饂飩屋と串カツ屋にはよく行きました。串カツ屋については当掲示板で書いた記憶があるので、饂飩屋について書きます。
その店に限らず、福原の饂飩屋さんもそうだったのですが、あの頃はどこともがご飯を置いていました。かやく飯、おいなりさん、穴子の箱寿司、玉子巻き、太巻き、簡略な握り鮨の類いです。
かやく飯は炊き込みご飯のことですが、他にかやく丼やかやくうどんがあって、漢字には「加薬」を当てました。この「かやく」に関しても辞書の語釈はほとんどが間違えています。「かやく」は「あしらい」とは違うので、必ずしも料理の副材料ではないし、植物性の食品にも限定されません。「すきやきの牛肉に配するネギ、こんにゃく、豆腐など、ちりでは魚に配するハクサイや豆腐などをさす」とよく書かれていますが、料理人のあいだではより広義に解釈されています。
そのかやく、すなわち具材は店によって異なります。また炊き込むときの出汁の取り方も異なります。老舗の寿司屋では昆布と鰹で出汁を取りますが、饂飩屋は熬り子(いりこ)と雑節で出汁を取ります。煮干を「熬り子」と言うのも関西特有です。雑節は水からでないとだし汁が濁るので、熬り子の方もワタをきれいに除去します。そうしないと苦みが勝ってしまいます。掃除した熬り子を用いれば甘味が加わるので、仕上げの味醂の量を減らすことが可能になります。
「おいなりさん」は稲荷寿司もしくは信田寿司のことですが、酢飯に限らず、かやく飯を詰める方が多いようです。ただし、その場合はかやく飯に少量の酢を振りかけます。
江戸での握り鮨の誕生は文政年間ですから、九州や瀬戸内と比してかなり遅かったと思われます(この発言は料理人や漁師からの伝聞で、確認はしていません)。それまでは江戸では「笹巻き鮓」が一般的でした。将軍にも献上されたという「松が鮨」の秘伝は「玉子巻き」です。でんぶやかんぴょうなどの具材をご飯で巻き、それをさらに薄焼き玉子で巻いたものです。しかし、私が言う「玉子巻き」は「松が鮨」の「玉子巻き」の簡略版で、中村真一郎さんのいう「アプレゲール・クレアトリス」の産物かと思います。白味魚などを練り込んだ厚焼き玉子で巻いた寿司で、一種の飾り寿司と言えます。
最後に穴子の箱寿司です。明石には大善、下村、林喜商店等々、焼き穴子の専門店があります。下村は神戸の三ノ宮で穴子料理の専門店を営んでいますし、明石にも山城があって、穴子の棒寿司や押し寿司で識られる菊水鮓もあります。ただ、東京の著名な泥鰌屋が中国産の泥鰌を使っているように、明石の穴子屋も中国産活け締めの穴子を使っています。鰻同様、板前がその場でさばいて調理した前物の味は滅多なことで味わえなくなってしまいました。
関西にも蒸し穴子や白焼きの穴子があるのですが、大半は蒸さずに焼く焼き穴子です。焼き穴子とコップ酒を両手に持って、明石の街を散策するのが種村季弘さんの得意とするところでした。関東の蒸し穴子にはない香ばしさが身上で、ものが固いだけに歩きながら食することができました。
さて、その固い穴子の箱寿司です。棒寿司には蒸し穴子を使いますが、箱寿司もしくは押し寿司には焼き穴子を使います。そちらで有名なのは神戸元町の青辰です。薫子さんは青辰の穴子寿司がことのほかお気に入りです。その青辰の穴子を極度に薄くしたのが引き揚げ者風穴子の箱寿司でした。世の中に旨いものはいくらでもあります、しかし、私はあの薄さに執心しているのです。日本が独立し、朝鮮戦争が終わったあとも、路地裏にはそこかしこに戦後の残照が息づいていました。なにかしら捨て鉢な、そして妙な活気に晒されながら、あの日あの時、しのだと三切れの穴子の箱寿司を前に、私は至福を味わったのです。
ひろさんと櫻井さんへ
「のちのおもひに」さんと「red fox」さんのところで書き込んだのですが、Firefox 1.5.0.6なら、おうがい、ひゃっけん、さとみとん、が表記されます。小生の原稿もほとんどが大丈夫です。こちらでも調べますが、ユニコードに対応しているのかどうか、ご教示いただければ幸いです。
moonさんへ
大事なことなので、こちらで書き込みます。
Internet Explorerと違って、Firefoxが第四水準までは多分網羅されているヒラギノフォントに対応しているのは分かりました。おうがい、ひゃっけん、さとみとん、さばと、をはじめ、フランス語のアクサン記号も問題なく表記できます。
しかし、別の問題が生じました。OS.9で拵えた文章は数種類のフォントを使っています。従って、OS.10.2.8のヒラギノへは変換不能です。先程からいろいろ試しているのですが、一文字、一文字拾っていかなければなりません。最初からOS.10で書き込まなければ駄目なようです。もう少し模索してみますが、難儀ですねえ。
moonさんへ
Firefoxの書き込みに対していくつかのメールをいただいたので、再度こちらで書き込みます。
Firefox 1.5.0.5は未対応です。最終ヴァージョンとなったMozilla 1.2.1以降のもの、すなわち1.3.1の三種類も試してみましたが、まったく駄目です。もっかのところ、対応しているのはFirefox 1.5.0.6のみのようです。
私はワープロソフトのファイルとしてはMacWORD4.0とExcel9.0.5とWord9.0.5、テキストエディターのファイルとしてはLightWayText4.0.2を使っています。店のカタログはリュウミンライト-KLなので、第三水準以降の漢字は避けています。通常の文章の場合はヒラギノ明朝、Kandata、Mojikyoの混載で、日本語のフォントは132書体がシステムに入っています。
混載の欠点は他のメディアへコピーしたときに、フォントの指定が勝手に外れてしまうことです。某俳人へ送った手紙のコピーが文字化けし、なにを書いたのかが思い出せない、という笑うに笑えないはなしが頻繁に起こります。
サーバーのユーザー領域は未使用のものがたくさんあります。従って、PDFファイルを画像ファイルに変換して添附するのに問題はありません。画像として扱うと内容を文字検索出来なくなりますが、検索できようができまいが、ひとさまに読んでいただくようなものは書いていませんので、どうでもよいのです。
「それらテキストファイルをソフトを使って一つのファイルに統合し、特殊な文字を一文字ずつ記号(例えば*1、*2、*3...のように)に一括置換し、それをOS-X上でユニコード漢字に再度一括置換すると言う手作業になるのでしょうね。確かに難儀だと思います」
ご指摘の通りです。ですからOS.10へ移行できずにいるのです。拙文よりも、酒の解説の類いが勿体ないのですが。
KandataやMojikyoで書いた第三水準以降の漢字はFirefoxでも文字化けします。と言うことは、Firefoxはオープンフォントにのみ対応していると思われます。
昨夜、管理人両名をはじめみなさんが加わり、Firefoxのはなしで持ち切きりでした。結論は、Firefoxがオープンソースなので、誰ぞこころあるひとが手を加えたに違いないということです。ウインドウズの場合はインデザインに添付されているヒラギノをインストールすれば、対応可能だそうです。従って、一般的ではありませんね。
銀花88号で神戸について書いた記憶があったのですが、その一部分に黒木書店に触れての文章がありました。薫子さんが打ち込んでくださったので、ここへ転載しておきます。
「海港詩人倶楽部」に代表される神戸のモダニズム文学を語ろうとすると、元町の黒木書店の親父の顔が目に浮かぶ。もっとも、黒木正男さんの風□をもって当世風とはいえない。長い眉の下、狷介なまなざしは常に正面上方に据えられ、口は真一文字に結ばれている。いわば古武士の趣があり、石川淳に極めて似ているのである。この親父、単なる古本屋の店主と思って油断するとひどい竹篦返しを喰らう。棚に並べられた書冊はすべて親父の目をくぐったものと思って間違いない。何故なら、自らが評価に価しないと信じた作家の本は、たとえ売れ筋のものであっても断じて店には置かないからである。真一文字の唇と著したが、その状態ではなんら問題はない。しかし、その口がひらかれる時は要注意である。毒舌が飛び交い、客が店から追い出される予告に違いないからだ。そういう現場を私は何度も目にしてきた。従って、この店でコーヒーを振舞われるのは容易ではない。その大事の最中に、ゆくりなくも私は学校では教わらないことを多く学んだ。
十一谷義三郎は元町のヴィスコンティであり、稲垣足穂は子午線の天文館館長、竹中郁はドテ(新開地のこと)の手品師、増田篤夫は平野のアストラカン、西東三鬼は、トア・ロードのホテルマンetc……中学生だった私を相手に、黒木さんは本読みの楽しみと愁いを、過不足なく教えて下さった。実に、私は黒木さんの謀に乗せられて書物の世界に迷い込んだのである。
一考さんの赤ワインの紹介記事の中の「豊富なタンニンと酸味を持つフルボ
ディ……」という言葉に引かれて、さっそく和泉屋さんに赤2本と白1本を16日に
注文し、17日の夜に到着。17日・18日で「コノスル」のオーガニックはなくなり
ました。農夫たちが、畑に通う自転車のかわいいラベル、味・香り、そして驚き
の価格(¥1000)。(一考さんの名誉のために言いますと、私はかつて一度も一
考さんにだまされたことはありませんが……)だまされたと思って飲んでみて良
かった。一考さんこのワインは、(東京や千葉の)他の酒屋(やワイン専門店)
でも置いてあるものですか?
本日、比呂さん主宰の納涼企画・高級スイカ宴会です。
飲み代は個別会計ですが、デンスケスイカ代がお一人様1000円かかるそうです。
デンスケスイカは明石で何度も食していますし、北海道へ行くたびに購入しています。
国道5号と道道66号の交差点に二セコビュープラザという道の駅があって、そこにニセコヌプリホルスタインズミルク工房の売店があります。
後で水が欲しくなるアイスクリームが多いのですが、ニセコヌプリのアイスクリームは後味がすっきりしています。乳化剤を用いないのでミルクシャーベットのような味わいです。
北海道には有名なアイスクリームがいくらでもあるのですが、私はニセコヌプリのファンです。
その売店でデンスケスイカを教わったものですから、ニセコの特産だと勝手に思いこんでいたのですが、当麻町が商標登録していました。
どこの特産であろうと旨いものは旨い、デンスケスイカをご存じない方はぜひご参加下さい。
内山勝司さんへ
お久しぶりです。置いてあるところにはあって、置いてないところにはない、としか言いようがないのですが、コノ・スル・オーガニックとラ・ミシオン・シャルドネは共に安売りチェーン店のBIGでも取り扱っています。先ほど電話で確認しましたが、ミシオンは数量が少ないので、常備というわけにはいかないとのことでした。
単価の安い酒は当然儲けも少ないので、高級酒店や専門店は置くのを避けるようです。インポーターから直接購入するのが間違いないようです。
ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません。業務店でもっとも困るのはその確率の低さです。神戸では日本酒と焼酎それと洋酒の二店は先代からのお付き合いで信頼できる店と親しくさせていただきました。しかし、東京では目白の田中屋さんを除いて、いまだに信頼できる店とは巡り会っていないのです。
今朝の書き込みは寝惚けていたので、間違っていました。ニセコビュープラザのアイスクリームも美味しいのですが、私が驚かされたのはソフトクリームです。北海道で何十種類ものソフトクリームを食べましたが、一番はニセコビュープラザのそれでした。アイスクリームは送付可能ですが、ソフトクリームは現地でしか食べられません。ニセコ方面へ行かれた方はぜひお立ち寄り下さい。
おはようございます、内山です。
色々とご丁寧に、ご教示ありがとうございます。今後の参考にさせて頂きます。
なお、書き込みの中にある「……ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本
買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません」。
その確率の低さ(=その分、試す勇気や根気)に驚くとともに、改めて、お酒の
奥の深さを感じております。
ローマを州都とするラツィオ州のDOCワインではエスト・エスト・エストとフラスカーティが有名である。そのエスト・エスト・エストを飲むならイタロ・マツィオッティ社のディ・モンテフィアスコーネが秀逸である。私が飲んだものは十六種類だが、わが国に入荷されたものは二十種類を超えると聞く。要するに全部を飲んだわけではないので大きなことは言えないが。
エスト・エスト・エストは酸味を大きな特徴とする。しかし、いくら酸味が売りのワインと言えども、酸っぱいだけで、香りに奥行きがなければ興醒めである。酸味は塩味(鹹味)、甘味、苦味と共に四原味を構成する基本的な味のひとつである。その四原味を支え補助するのが香味、辛味、渋味、えぐ味、うま味、収斂味、清涼味、滑転味、アルカリ味、金属味などだが、この内の香味だけは嗅覚の領域に属する。ワインの香りの種類と表現法についてはかつて掲示板で書いたので、ここでは繰り返さない。
アルコール飲料にあって、「うまい」「まずい」の判断の九割が香りで決まる。残る一割の九分を四原味が占め、よく言われる辛味や渋味は一分に過ぎないと私は思っている。その比率はウィスキーもワインも同じである。
従って、飲むまでもなく匂いを嗅ぐだけで九割方は判断できると思う。判断の対象はボディやキャラクターにとどまらず、フィニッシュにまで及ぶ。ウィスキーの場合は熟成樽の種類からカスク・コンディションまで、大略を予測することが可能である。
エスト・エスト・エストはムスカデやシャブリ同様、「安くてマズイ」とのイメージが強い。それら比較的安価で飲めるワインこそ、多少の金数を無理していただきたいと思う。こんなことを書くのも、イタロ・マツィオッティ以外のエスト・エスト・エストを飲んでワインへのイメージを落とすぐらいなら私は水を飲んで我慢するのである。
シャブリもここでは繰り返さない。ムスカデに関してはルイ・メテロのムスカデ・セーヴル・エ・メーヌ・シュル・リーがお薦めである。ルイ・メテロのムスカデには1995年8月29日収穫の葡萄から造った長期熟成のプルミエ・ジュールがあり、そちらは三千円を超えるが、前者なら二千円で購入できる。イタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら千八百円ぐらいで手に入るはずである。二千円のワインをホテルやレストランで飲むとなると八千円を超す値段になる。プルミエ・ジュールを私は神戸のホテルで飲んだが、一万五千円に税サが加えられた。ただし、95年のイタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら一万円の出費も惜しくはない、それほどに美味なワインである。
赤ワインに限らず、白ワインや日本酒にも熟成が必要なことは何度も書いてきた。前期プルミエ・ジュールほどではないにせよ、樽熟が十分になされたワインにスペインの北西、大西洋に面したリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスがある。98年以降は熟成期間が短くなったと聞くが、リースリングに似たアルバリーニョ種から産出されるだけあって、柑橘系の厚い酸味と凝縮した果実味のバランスが心地よい。年初に03年ものを飲んだが、味の基本はしっかり守られていた。ちなみに、同ワインの96年ものは、添加剤の入らないボトルが間違えて輸入されている。神戸の酒屋でそれとヴィッキオマッジオのリパ・デッレ・モンドーレ(こちらは赤ワイン)をですぺら赤坂のオープニング用に十ケースずつ購入、雀躍りしたものである。
上述したワインの一部は以下のサイトでも紹介されている。信頼できる書き込みである。
http://www.atelier-v.jp/column.html
朝鮮支配と台湾の植民地化を目的とした1894年の日清戦争、翌1895年の閔妃殺害、韓国に乙巳保護条約を、中国に対華二十一箇条要求をつきつけた1904年の日露戦争、1919年の三・一独立運動の圧殺、1931年の柳条湖事件にはじまる満州侵略、1935年からの華北侵略、1937年の日中全面戦争、それら侵略戦争の結果としての真珠湾攻撃が1941年、日本の敗戦までの70年間にわたる軍事侵略や武断統治を引っくるめて自存自衛の闘いであったというならば笑止としか応えようがない。
東アジアから東南アジア、太平洋地域一帯に対して行われた日本の軍事行動は米軍によって順次打破されていったが、私たちはアメリカ一国と闘ったのではない。いみじくも、日本の指導者層はさきの戦争を大東亜戦争と呼称した。文字通り、1874年の征韓外交から70年つづいた朝鮮侵犯と1931年の満州事変にはじまる日中十五年戦争の延長線上に太平洋戦争がある。総じて大東亜戦争と呼称してなんら問題は生じない。
アジア諸民族の独立を促したとの異論もあるが、帝国主義の植民地体制を打破する重要な契機となったのは占領地域の民衆が抗日のための民族的な統一戦線を結成、武装抵抗を行ったところにあるのであって、日本は「帝国主義的植民地体制」の元締だったのである。
ちょいと書き連ねてみたが、歴史というのは不思議なもので、項目の選択によっていかようにでも改竄できる。そこが文学と異なるところで、歴史にあっては選択が立場の闡明たりうるのである。だからこそ、中国には中国の、韓国には韓国の、日本には日本の歴史があるのであって、ある側面から眺めるにすべての歴史は正しいとも言える。言い換えれば、歴史とは作為的なものであって、無作為な歴史などというものは存在しない。いっそ歴史には真実がないと言った方が正鵠に当たるのかもしれない。
天孫民族による世界統治こそ神聖至上なりとする八紘一宇の思想はあったものの、ドイツのナチ党やイタリアのファシスタ党に相応するファシズムは日本にはなかった。にもかかわらず、当時の指導者層は戦争を避けられなかった。国民の選民意識をマスコミが煽り、そのマスコミを国民がさらに煽る、そうした民意に突き上げられるかたちで富国強兵が加速され、戦争へ深入りして行ったのではなかったか、私はそのように解釈している。
民衆が愚かであるかどうかとの設問の度に繰り返される事例がある。1905年のポーツマス講和条約の内容に国民(東京市民)が激怒し、小村寿太郎は飛礫をもって迎えられた。一方、1933年に国際連盟を退席した松岡洋右は「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、凱旋将軍のような歓迎を受けた。
1899年末には発行部数が東京の新聞中第1位に達していた萬朝報は日露戦争開戦の折、非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、大きく発行部数を落とす。やがて、黒岩涙香が主戦論に転じるに及んで非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に社業は傾き凋落の一途を辿ることになる。いかに大新聞といえども、開戦を唱和する民衆の前では形無しになる。(つづく)
食うや食わずの状況を一歩でも抜け出るとひとは慢心する。そこにいささかの閉塞感が香辛料として加味されると、ひとは他愛なくナショナリズムに陥る。ナショナリズムは鼻閉塞、要ははなづまりがもたらす高鼾のようなものだと思っている。傍迷惑だが、本人は意外と気付いていないのである。「親兄弟が闘っているのに勝てと願うのは自然な思いであった」と大佛次郎が発言しているが、かように無批判な情動こそがナショナリズムを生む元肥となる。
エモーションが元肥なら、集団生活の最小単位である家族が苗床となる。掲示板で常に書き継いできたことだが、わが子に限って、わが親に限って、わが家族に限ってとの一随な意識が、おらが村、おらが地域、おらが民族、おらが国、おらが宗教へと拡大深化して行くのは易い。そして家族愛は視線の移動を著しく難しくする。「視線の移動」を想像力に、気配りに、価値観や歴史観の相互嵌入に置き換えていただきたい。念のために申し添えるが、家族愛をやみくもに否定しているのではない、家族愛を掘り下げてゆくとそこにはとんでもない危険性、すなわち家族主義が横たわっている、それを示唆したいまでである。
情動を拒み続けた作家に荷風がいる。断腸亭日乗にみられる冷酷なまでの目線は戦争批判にのみ向けられたものではない、家族はおろか愛人や恋愛までを荷風は否定してやまない。戦争批判と民衆批判が取りも直さず、家族主義の否定に一直線に繋がることを荷風は深く諒解していた。言い換えれば、会話、共感の共有、互いの生命の確認等を荷風は「冷笑」したのである。(つづく)
会話や共感の共有の好例は中世の一味神水に求められる。行動を同じくするひとたちは、お互いのこころの結びつきを確認し合わなければならない。同じ釜の飯を喰うとか、婚礼の三三九度、または献杯や返杯などの喫飯から掛け声や手締めのようなセレモニーに至るまで、集団としての紐帯を強める儀式の材料には事欠かない。しかし、そこには部外者を「劣った者」と見る差別観や強者の奢りがちらついている。儀式の裏面には常にパターナリズムが巣くっているのである。
明治憲法下にあって国家のありようを説く国民道徳論が政府の奨励のもとに広い支持を受けた。そして「家族国家」とか「国民は天皇の赤子である」とかいう表現に則って家族主義的国家観が打ち立てられた。その総仕上げが1940年の「部落会町内会等整備要綱」によって結成が義務づけられた隣組であった。情報の伝達、防空防火、資源回収、国民貯蓄、体位向上厚生にとどまらず、食糧その他生活必需品の配給を隣組が担ったとき、パターナリズムを「おためごかし」とか「大きなお世話」として誰ひとり拒否できなくなった。拒否できなくなったと言えば聞こえはいいが、率先して隣組へ常会へと参入し、小旗を打ち振ったのが実態である。自分で決めずに常会に委ねる彼方任せも、パターナリズム容認として俎上にのぼるのは必至である。
かつての「女大学」の「独身であれば父に従い、結婚すれば夫に従い、夫が亡くなれば息子に従え」から「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず」の布達に至るまで、父権的あるいは国権的権威が大手を振って罷り通り、民衆から熱狂的に支持された。日本民族のマゾヒストぶりには救いがたいものを感じる。
先の項で、「70年間にわたる武断統治」と書いたが、朝鮮の加羅にあった任那日本府の時代からパターナリスティックな関係は続けられていたのである。この上下関係は植民地や委任統治といった政治の表層にとどまらない。日本人のこころに深く穿たれた集団意識それ自体がパターナリズム一色に染め抜かれているのである。
戦時中に限らない、個人の意志決定を尊重するような世態がわが国に一度でも芽生えたときがあったのだろうか。鎖国時の江戸三百年と富国強兵の百年を合わせた四百年の長きにわたって、民衆はオマカセ主義に慣れ親しんできた。その結果、日本人は考えるのが不得意な国民になってしまった。
先項の冒頭で「選択が立場の闡明たりうる」と著したが、軍人さんとして韓国へ行くか満州へ行くか南の島嶼へ行くか自由に選択しろと言われても私は困惑する。まるで昆虫の世界でいう寄主選択のようなものなのだが、民衆が思い悩むのはいつの世にあっても宿主の選択に限られている。宿主を峻拒し、寄主を拒むところから自由がはじまるのだが、その自由には出口がない。冥く湿った井戸の底に、妻子と共に投げ棄てられた大杉栄を私たちは知っている。(つづく)
友が主宰するブログで「民衆が愚かであるかどうか」との遣り取りがあった。私自身、その民衆のひとりとして坐視しえない問題である。ただ、いくら書き綴っても日本という国もしくは日本人という民族に対するオブセッションが強くて深く立ち入ることができない。まるでコブレンツを拠点としたエミグレのような心境である。
1874年以降の「征韓外交」にはじまって1945年の敗戦まで、日本人はナショナリズムの坩堝に嵌まっていた。そしていま、中国と韓国はそのナショナリズムを初体験しつつある。一方、中国はプラザ合意で生じた日本経済の混乱の前轍を踏むまいと実に慎重な為替管理を行っている。されば、日本が中国に表明すべきなのは、かつてのナショナリズムの管理ミスとそのリスクの高さである。互いがナショナリズムを競い合っては元も子もなくなる。
英国との関わりを断たなければ、太平洋戦争を回避できたのではなかったか、と私は思っている。振り返るに、現況は米国の核の傘にいればこその繁栄である。わが国が自前の軍隊を持ち、核武装すれば米国との関わりはやがて途絶える。
朝鮮戦争から数次にわたる中東戦争まで、日本はひとの不幸に付け入って贅沢な暮しを享受してきた。それらは米国から教わり学び取ってきた技法である。昨今、殷賑な「反米右翼」も結構だが、貪ってきた安逸を捨てる覚悟があるのだろうか。ハメルーンの笛吹よろしく、破滅に向かうのであれば、私は躊躇なく賛同する。しかし、それが自滅への戦略でないとするならば、憲法改正にも遊就館のプロパガンダにも苦言を呈したい。
憲法についても靖国に対しても私なりの意見の用意はある。ただ、それらは掲示板には馴染まない。こう見えても書き込みのアウトラインは管理人と呼吸を合わせるように心掛けている。
お久しぶりの管理人であります。
神楽坂大学政治学科を卒業したわたくしが、自ら管理する掲示板で政治について真摯に議論できないというのは忸怩たるところです。でも昨今のインターネットは荒れてますからねえ。ご容赦願います。
そこらへんの議論は、お店にてということでお願いします。でも、変なお客さんと相対するのは嫌かも。
櫻井さんへ
お説のとおり、「荒れ荒れ」でございます。
政治について書くのは疲れます。
「サルマタ」のように与太っているのが似合いです。
ふざけているときは文章がイキイキしていますでしょう。
ところで、九月三日はお願いしますよ。
塵芥賞は当掲示板主宰の賞なのですから。
津原泰水さんの新刊『ブラバン』の上梓に合わせて、イベントのお知らせです。
来る九月十七日、赤坂ですぺらにてブラバン発売記念イベント
『サウンドトラック・フロム・ブラバン』を開催します。
会場が狭いため、先着三十名の申し込み制にさせていただきます。
日時 九月十七日(日)十九時~
料金 ソフトドリンク+食事 三千円 または 飲み放題+食事 五千円
どちらのコースでもキャッシュ・オン・デリバリーにて、ですぺらの豊富なドリンクメニューからウィスキー等の注文をしていただくことも可能です。
内容は
ラヂオデパートによる演奏
著者自身によるDJタイム
なお、今回のイベント向けに版元のバジリコ様が、
『ブラバン』を先行販売してくださることになりました。
読了後いらっしゃるほうが『ブラバン』の世界にいっそう浸れること請け合いです。
希望者は、住所氏名を明記して、合わせてお申し込みください。
申し込み先は
amane3110@mail.goo.ne.jp
となります。
櫻井さんへ
カッキーさん家のパソコン(G3ベージュ433)で質問です。
画面上にmac-boot……のコードが現れて立ち上がらないのですが、これは慣れたもので、問題なく解決。と思ったのですが、コードは消えたもののやはり立ち上がりません。
そこで三台の内蔵ディスク(Maxtor)をはずしてチェックしました。システム・ディスク(20GBをパーティーションで二つに)はなんの異常もなかったのですが、アプリケーションを入れた二台のディスク(20GBと40GB)が応答なし。「応答なし」の意味内容はマウント不可能と読み込み不可能の二点です。
システム・プロフィールでハードディスクの詳細を調べるとドライババージョンが白紙になっていました。
拙宅のハードディスクのドライバはATA Bus 3.3もしくはB'sCrew Exte 3.1.8のどちらかになる筈なのですが、そのドライバが消えてなくなったのです。
面倒なので、初期化してアプリケーションをコピー、元に戻りはしたものの、ドライバが消えた理由は分かりません。
他にDVDドライブとPCカードが二枚(ATA128とUSB)内蔵されています。まさか電圧が理由ではないと思うのですが、なにかしらご存じのことがあれば、ご教示願います。
ウルグアイ原産のパイプ葉を使ったフィルター付き紙巻タバコ「アーク・ロイヤル」が私の好物である。タール 分 18mg、ニコチン分 1.4mgの白地の箱のアーク・ロイヤルである。ただし、好きだからといって普段から喫んでいるわけではない。理由は値が高いからである。
神戸の元町一丁目に杉本酒販というモルト・ウィスキーと葉巻煙草の専門店がある。最初はオールド・フェッターケアンとタリバーディンのスティルマンズ・ドラムで知り合ったのだが、話し込むにつれ、葉巻のとんでもないプロだと分かった。かなわないひとには逆らわない、黙って教えを請うのが一番である。
杉本酒販には葉巻紙巻きパイプタバコ総計七百種類を超える商品が揃っている。一度にすべては味わえないので、四年ほどかけて手ほどきを受けた。私はパイプタバコが好きなのだが、仕事中にパイプは嗜まれない、そこで葉巻講座の傍ら、啣え煙草が可能なパイプ葉を使った紙巻タバコを所望した。ご教示いただいた十数種のなかで、もっとも気に入ったのがアーク・ロイヤルだった。パイプ葉を乾燥させるときの黒砂糖の使用量が少ないのであろうか、甘味が抑えられている分、喉にやさしく暖かい印象を受ける。
しかし、パイプ葉を用いているので、匂いには癖がある。癖があっての嗜好品なのだが、店は半ば公共の場でもあり気が引けるので、癖のない洋モクを吸っている。その場合、煙になればなんでもよいので、手当たり次第である。その対象が最近キャスターマイルドに変わった。理由は十円安いからである。
そのキャスターマイルドの吸い口に金色の丸いマークが付いているのだが、薄暗い店ではそれが鼻くそに見える。と言うのも、私は幼少期から肥厚性鼻炎で難儀してきた。従って、ひどい時には一箱のティッシュペーパーが数時間で空になる。その代価も馬鹿にならないので、専らロールティッシュを利用する。鏡花ではないが、紙に対する畏敬の念から、我が家ではロールティッシュとの呼称を用い、トイレットペーパーとは呼ばないのである。近頃のロールティッシュはエンボスが施され二重になっているのでトイレでなら五十センチもあれば用が足せる。大半は鼻くその梱包用紙として重宝されているのである。
ロールティッシュの頌を書いているのではない、鼻くそと私が切っても切れない関係であるという道行を語っているのである。鼻孔を占居する鼻くそは私の最初の連れ添いであって、肥厚し桑実様に肥大した粘膜の隙間から途切れとぎれに吐き出される呼気と水鼻は歓喜にむせび泣く物憂き響きとしか聴こえないのである。誤解を虞れずに申せば、鼻くそを除いて私の人生なんぞ考えられない、文字通り「鼻くそのような人生」を送ってきたのである。
ある日、親しくしている医師から君の症状は鼻アレルギーだから、二週間酒を断ってみろと言われた。不思議なことに症状はなくなり、件の医師は血管運動性鼻炎だと私に告げて立ち去った。しかし、私から鼻炎を取上げれば、私の人生そのものが無くなってしまうのである。第一に、塩水の蒸気を鼻に突っこまれた小学生の頃は酒とも花粉とも縁がなかったのである。論理的矛盾性はどうなってしまうのか。一昼夜、寐もせずに考え倦ねた私は、死ぬ日まで酒を飲み続けることを決意した。余生は鼻くそと共にあり、それがわが鼻くそへの慈悲であり、アガペーではなかったかと。
中学校を出てバーで働いたのだが、何事に寄らず規制を受けるのが嫌だった。黒の上下に蝶ネクタイの装束(いでたち)が我慢ならず、愚図っていたところ、一番奥のカウンターから声が掛かった。「嫌なものは仕方ないけん、こっちゃで賄いでもやれ」声の主の角田さんから三年間、洋食と喧嘩の基礎をみっちり仕込まれた。
実は彼とは中学一年生のときからの付きあいである。福原でも名うての武闘派(やんちゃん)で、その道のプロからも一目置かれる角田さんに喧嘩を売り、一撃で伸された記憶がある。弟子入りしてから聞かされたのだが、空手四段とのことであった。
薫子さんが目を丸くしているが、ブロックの肉を百五十グラム、二百グラムと言われるがままに狂いなく切り分けられるのは彼の仕込みである。一本の食パンを四ミリとか五ミリとか指定通りにしかも正確に直角に切り揃える、余所見をしながらキャベツのせん切りが刻める、両手にフライパンを持って異なる具材を同時に炒められるようになったのも、彼のしつけの賜物である。
私は妙な精神主義が子供のころから大嫌いである。彼はそれを承知していた、しかし「気合いじゃけん」「気合いが入っとらんけん」とはよく言われた。それは調理で怪我をするなとの注意であり、そのための掛け声であった。沸騰した湯や飛び散った油が手に掛かるのは毎度である。それを気にしていては仕事が捗らない。そして気合いが入っていれば百五~六十度の油に指先が二~三センチ入っても火傷をしないのである。あれは掛け声というよりは呪文のようなものだったのかもしれない。
三年後、彼は「教えることはもう何もないけん」と言って、隣の割烹の板長だった石田さんを私に紹介した。それからの六年間、さまざまな地魚や前物との格闘が続くのである。
そんなことを思い出したのは、昨日、右手にボタンほどの火傷を負ったからである。私は自分の身体が火傷をするなどと思っていなかったのである。油が飛んだのは知っていたが、捨て置いて問題なしと信じていた。それが翌日には水ぶくれになったのである。いくらなんでも水ぶくれは恰好がよろしくないので、皮膚を包丁で切ってバンドエイドを張った。しかしながら、どう思案しても気持ちの整理がつかない。
またまた、薫子さんが目を丸くして「あら、嫌だ、老人になったのね」。彼女に言わせると、皮膚が油を弾かなくなって、油を吸い取ってしまったらしい。火傷の主たる要因は皮膚が皮膚自体の油分を失い、枯れてしまったところにあるらしい。それを端的に表現すると「爺」なのだそうである。
プヒプヒさんとりきさんのご参加を得て、第一回塵芥賞の授賞式を拙宅で催した。平井功の編集にご協力くださった六名と管理人二名、それと私たちの十名である。「ラム」の肩ロース・ステーキを主とする焼き肉パーティで、約二名の食らひ抜け、おっと失言、大食らいの方がいらしたが、なんとか量は足りたらしく安堵している。みなさん、ありがとうございました。
平井功にとどまらず、稲垣足穂におけるプヒプヒさんの活躍には目を見張るものがある。先日、足穂の年譜に「卓識精到」との文言を用いたが、あれはプヒプヒさんの為事に対するオマージュであった。よき友を得たと感謝している。
席上述べたことだが、実は彼との接点を得るに私はいささか時を要した。難渋の内容を述べれば、デジタル回路の一言につきる。彼の思考がデジタルだと言っているのではない、彼の会話法がデジタル方式なのである。書物のはなしをするに、趣味、趣向、嗜好の類いが前面に躍り出てくる。念のために申し添えるが、彼は決して好悪にとどまらない。好悪の基いとなる近接、熟知、類似、相補などという概念(意味内容)をどんどん掘り下げて行くのである。一方、私は分析は苦手で、零でもなく一でもない割り切れないもの、未分化なものへの思いが強い。対象たる書物から逸脱して行く著者の影や分身のようなものに気もそぞろなのである。
私がデジタル的物言いにこだわるのは、ひろくウェブサイトを表現の場とするひとには自己中心的なひとが多いからである。その自己中心性に対して私の防禦本能が働いたとでも言っておこうか。齢を重ねると悲しいことに、そうした拒否反応ばかりが強くなって行く。だからこそ、彼が平井功訳詩集を造りだしたときは驚いた。彼にとって平井功はまったくの赤の他人である。面識もない第三者のために財を投げ出すのである。ひとを見る目がないと薫子さんから言われ続けてきたが、そのとおりであった。彼はさらに「驕子綺唱」を造ると言う。ことここに到っては何をか言わんやである。かなわないひとには逆らえない、いっそ剃髪して弟子入りしようかと思っている。
もうひとりの「某」同人の土屋さんから「『某』という雑誌の名前は、誰でもあり、誰でもないもの、揺るぎない自分というものなど信じない、そうした精神の動きこそ『文学』なのではないかという思いで付けました」とのメールを頂戴した。忝い言葉であって、プリントアウトして書斎に掲げておこうと思っている。
かつて「胡桃の中の世界」について「入れ子のテーマによって惹き起される眩暈(めまい)について執拗に触れている。絶対的な存在、または中心点といったものを否定し、世界はまったく同質にして同価値の諸部分から構成されている。言い換えれば、一切の比較とアイデンティティをほうり出した思索者の姿がここにある」と書いたことがある。
澁澤氏が好んで用いた入れ子構造であろうが、伸縮自在であろうが、相互嵌入であろうが、何だって構わない。搖れや振れ、迷いや逡巡、低回や彷徊、いっそ揺蕩いが貧乏揺すりであっても構やしない。ただただ、戦ぎ揺らめき続けることが大事と思っている。
子供にあっては好悪に基づく行動が端的に示されるが、大人になるとそう単純明快には表明されなくなる。と言って、その理由が社会的な規制や利害関係による制約からくるものならば、単なる不幸としか言いようがない。ああでもないこうでもないと考え込むのは単純なことがらを複雑に、明快なことがらを昏迷に、謂わば自らを溟海に追いやることになろうか。しかし、それは自分自身への抗いの結果であって、千編一律な凶事ではない、類推の効かない個としての不幸である。
塵芥賞は、かかる負を意図して背負ってしまったひとの才気をさまたげ、足を掬うために設けられた。もとより、精神錯乱の発作で母親を刺し殺した姉メアリーのために生涯独身を決意するも、いつも駄洒落を考えるのを楽しみにしていた「ラム」を肴の授賞式である、塵芥賞がなんの役にも立たない賞であることは言うまでもない。
防犯・防諜普及会
北朝鮮による侵略に備えましょう。
日本政府の動議により、北朝鮮非難の安保理決議1695号が可決しました。これに対し北朝鮮は強く受け入れを拒否しています。国際社会から孤立した北朝鮮にとって今後の進展は厳しいものとなり、局面の打開を目指して一気に軍事的行動に出てくる可能性が高くなります。国民の皆さんは、進んで国防に協力しましょう。特に開戦に備えてスパイ活動やテロ活動を強化しますので、周囲に工作員や、北朝鮮に協力しそうな人物がいないか気をつけましょう。また反政府的な言動をするグループなどが防衛行動を妨害するかもしれませんので積極的に情報を政府機
(以下、あて先明記のこと。)
内閣情報調査室
http://www.iijnet.or.jp/cao/cas/jp/goiken.html
公安調査庁
psia@moj.go.jp
自衛隊情報本部
kouhou1@joint.info-jda.go.jp
自衛隊中央情報保全隊
gsopao@jgsdf.info-jda.go.jp
警察庁警備部公安課
http://www.npa.go.jp/goiken/index.htm
入国管理局
http://www.immi-moj.go.jp/cgi-bin/datainput.cgi
政府機関への総合窓口
http://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
今の日本は、不逞な公安が跳梁跋扈し、自衛隊の工作員も我が物顔で活動する、とんでもない国になってしまいました。これも占領憲法を否定する右翼勢力や日和見主義者たちのせいです。これらを排除し、本来の日本を取り戻しましょう。
国民のつとめとして、これらの活動を認めたときはマスコミへ速やかに通報しましょう。
そして反日議員や警察官の集会、スパイ活動、挙動のおかしな自衛隊員などを見かけたら以下へ情報を提供しましょう。(あて先明記のこと。)
http://www.jcp.or.jp/
http://money4.2ch.net/kyousan/
土屋さんの文言中「誰でもあり、誰でもないもの」は意識される側の領域規定である。「揺るぎない自分というものなど信じない」は領域規定からくる論理的結果である。「そうした精神の動きこそ『文学』なのではないか」は演繹的推理であろうか。いずれにせよ、彼から大きな刺戟を与えられた。以下は意識の中核とも言うべき自我についての与太話である。
意識は流動的で片時も静止しない。言い換えれば、意識は移出と移入が間断なく繰り返される、従って意識する側とされる側との分布域は変化しつづける。あまりの目まぐるしさに信頼性はほとんどない。と言うよりは、意識する側とされる側とのあいだに境界線は見当たらない、と言ったほうが無難である。内燃機関における吸気弁と排気弁のような役割を担う器官を意識は持たない。役割を分担する能力が欠落しているということは、その分、多義的かつ主観的なものとならざるを得ない。主観的であればこそ、経験や行動が過不足なく意識されているとは限らない。
当掲示板で、意識にかんする遣り取りが何度かなされたが、「意識しているから世界は存在しているのであって、意識がなくなれば世界は消滅する」「なんだかんだと言ってはみても、それを意識しているあなたがいるじゃない」というような内容で、私はなにひとつ承伏できないでいる。「あなたがいるじゃない」のあとに続く文言が「あなたがいるように私もいる。それを分かってよ」ならまだ可愛げがあるのだが、文脈はおよそ異なる。概して、意識を強調するひとは自己中心性の強いひとである。そういうひととの恋愛や友情は心すべきである。よほどの見返りが期待できないかぎり避けるのが無難である。
まず、意識するしないと「智慧」とはなんのかかわりもない。さらに、「意識する」との行為が即そのまま主体の延いては存在の証明になるとも思われない。自意識の反語はおそらく無意識である、その無意識がいいこととは思わないが、例え無意識であろうとも存在は存在であって、無意識を理由に存在が揺らぐことはない。私に言わせれば、かつての遣り取りは下世話のはなしに過ぎない。
下世話と称した理由は、意識するしない、もしくは意識する側される側といった二項対立式発想ではどこへも出口が通じないからである。個人によって体験され、気づかれていることを意識というが、この「気づかれていること」には著しく個人差がある。個人差があれば、当然そこには改善の余地がある。改善と書いたが、それが改悪であっても一向に構わない。要は異なるアプローチがあるということを示唆したいのである。思案に耽るときに二項対立はおよそ非効率である。どうどう巡りを楽しむならなにも言わないが、ひとの生は限られている。有効性を持たない試みなどくそったれである。
それよりなにより、「意識する・しない」を能動的なサ変動詞と思い込むところに誤謬があるように思う。私にとって「意識する」のは受動的なはたらきであって、それ自体はなんらの結句ももたらさない。なにかを生じせしめるのは意識と共に機能する解析能力の方である。体験され、あるいは気づかれていることを読み解き、抽象化して、はじめて意識したと言えるのではないだろうか。繰り返すが、意識する自分を意識してもなにもはじまらない、意識されているところのものを推量し、いかに追体験するかに大事がある。
「意識されているところのものを推量し」と書いた。押し測らねばならないほど、意識の対象は多義にわたる。認識には感覚・知覚・直観・思考などの様式があるが、それらを総動員したところで、意識されるものと意識されないものとの狭間を填めるのはかなわない。両者の境界を無視はできないが、識閾を僅かずつでも移動させることは可能である。非回帰移動になるところに一抹の不安はあるが、意識のはたらきを高めるのに有効な手立てではないだろうか。意識する自分を反芻し、思いを巡らすのは悪いことではない。しかし、意識それ自体の領域を拡げることに心胆を摧くのも一興である。
識閾の移動と、移動に伴って意識の側を渦状銀河の微分回転するディスクのように改竄させられないだろうか、人工的な眩暈を作り出すために。最近はそのような由なきことばかり考えている。
ユリイカ 2006年9月臨時増刊号 総特集=稲垣足穂(9月21日発売)
【新発見作品10篇】(資料提供=高橋信行・金光寛峯・加藤仁)
誇大妄想十一編/学生論を読みて/青谷のおち葉/桑畑のなかの村/姉さんと私/雲を消す話 /鳩座から来た人/ロング君とショート氏の話/赤と青/椿實の快速調/タルホ座新星群――稲垣足穂 新発見作品・解題/垂野創一郎
【鼎談】彼等、すなわち足穂とその眷族/加藤郁乎+松山俊太郎+渡辺一考
【対談】オマケ派宣言/荒俣宏+あがた森魚 司会=香川眞吾
【インタヴュー】「ハイゼンベルク変奏曲は、足穂さんの実験第一号だった/松岡正剛 聞き手=ばるぼら
以上だそうです。ですぺらでの出版記念パーティの日時が決まりました。23日の土曜日、秋分の日です。時間は18時から21時、会費は3000円です。
青土社の担当編集者ならびに新発見作品・年譜・著書目録の編集にたずさわったキネマの会のみなさん、東京近郊の著者も出席します。足穂に興味をお持ちの方はこぞってご参加ください。
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