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去年の五月にながらみ書房から「ジャワ・ジャカルタ百首」を出版なさった神戸の南輝子さんが来店してくださった。その南さんが雑誌のコピーを持ってきた。題して「神戸バンビ狂い」、もちろん彼女が著したエッセイである。文中、中島らも、鈴木創士、タケウチヒロクニ、ロクサン、ワンタンが登場する。ロクサンは山本六三、ワンタンは私である。私が一考を名宣るようになったのは二十歳ぐらいからで、それまではワンタンと呼ばれていた。
「私がジャズ喫茶バンビに溺れていたのは60年代バンビ全盛の、ジャズが世界中でもっとも輝いていた時代で、らもや創士はそれ以降の学園紛争で騒然としていたころからだから、もはや色褪せた、ジャズ喫茶ともいえないバンビでしかなかったのに、それでも彼らは狂ってしまった」
彼女が見た創士に興味があって、それを書きたいのだが、宇野邦一さんから聞くところによると創士と私は喧嘩をしたらしい、心当たりはなくもないが、私は喧嘩をしたとは思っていない。後にわだかまりを残すのが嫌なので私は意思表示はする。と書いてもひとにはなんのことやら理解しようがない。
「創士が……後に生田耕作といろいろあったのはワンタンと同じだ。生田耕作は頑固一徹だったのである」と書かれている。創士と生田耕作とのあいだに何があったのか知らないし、知りたくもない。ただ、喧嘩のあと、創士から電話があって、これからは仲良くしようと言われた、その発言に不名誉な欺瞞を感じたのである。私と生田との喧嘩は私と生田との問題であって、創士とは関係がない。同様に創士と生田との喧嘩は創士と生田との問題であって、私とは関係がない。「敵の敵は味方」というような鄙劣きわまりないものの考え方に私は忿怒を禁じ得ないと言ったまでで、怒りの対象は「ものの考え方」であって、創士ではない。
ひとは歳と共にものの考え方は変化していく。怒りをひとに向けるのが逡巡われる理由のひとつである。ただし、年長者はその限りではない。文中「頑固一徹」とあるが、頑固は避ければ済むことで、対応は易しい。あの年長者は「鄙劣きわまりないものの考え方」を「文学」だと嘯くような燕石である。箸にも棒にもかからない御仁と別れて間がない創士がまだその影響化にあったとするなら、同情の対象たりえたのかもしれない。そこは私の反省すべき箇所なのであろう。
最近の鈴木創士はいい為事をしている、紹介の機会はいくらでもある。はなしをワンタンに戻す。
「ワンタンといえば、神戸の書肆南柯(税金対策で、当時は南柯書局と書肆南柯を遣分けていた)を廃業し東京へ移る直前、私の詩画集『美しき豊潤』を手がけてもらった。永田耕衣にほれこみ、耕衣を全国区へ押し上げた誇り高き彼は、私家版は絶対出さぬといいながらも出版してくれたのはバンビの縁である。打合わせの時、出来上ったばかりの三橋敏夫句集特装本を、恋人を愛でるように撫ぜさすりながら『押し当つる枕の中も銀河かな。ええなあ、ええなあ』と恍惚としていた。装幀家林哲夫によれば東京で酒場の亭主をやっているという。詩人の季村敏夫……の同人誌『たまや』第3号のワンタンすなわち渡辺一考による追悼種村季弘論『詐欺師昇天』を読み、バンビの隅で鬱勃たる情念をかかえ暗く居た少年ワンタンが蘇った。」
彼女とはじめてバンビーで遭ったのが何年かは覚えていないが、どうやらタケウチヒロクニの紹介らしい。坊主頭(私の世代は小中高と丸坊主を強制されていた)の中学生がバンビーへ入浸っていると聞かされ、物珍しさに声を掛けたそうである。彼女が神戸大学の学生だったというから、おそらく62年か63年だと思われる。その頃は二階がドラッグの中毒患者の溜まり場で、私は一階の大きなスピーカーの前を定席にしていた。彼女に言わせると、中学生の私は当時からふんぞり返っていて、神戸大学と神戸高校の学生が主宰していた「波」の同人を相手に文学の講釈を垂れていたそうな。同人のうち、五名はいまも鮮明に覚えている。ひとりは自死、ひとりは狂い、その内のひとりと十七歳から二十二歳までの五年半のあいだ同棲することになる。64年から69年のはなしである。
書き込みのあと、メールの受信。私信が一通とインポーターからが四通、必要なのはそこまでで、あとはソネットから一通、ミクシーから一通、ヤフオクから四通、ビッダーズから二通、楽天から一通、そして自動振分けでゴミ箱へ直行する迷惑メールが147通。
昨日、飲みながら管理人が「メールの時代は終わったよ、これからは電話とファクシミリだね」。なんの異存もございません。メールが生き残る道はエロメールだけ。同様に、掲示板が生き残るのはプロパガンダだけかも。
恥さらしは置いておけ、との管理人の意見で残された先日のプロパガンダを私流に書き換えると以下のごとし。
日本政府の動議により、北朝鮮非難の安保理決議1695号が可決されました。これに対し北朝鮮は強く受け入れを拒否しています。国際社会から孤立した北朝鮮に明日はなくなりました。この機に局面の打開を目指して一気に軍事的行動に出て、北朝鮮を植民地化すべきです。南朝鮮にはなにもありませんが、北朝鮮には鉱物資源が豊富にあります。
国民の皆さんは、進んで軍事行動に協力しましょう。特に開戦に備えてスパイ活動やテロ活動を強化しなければなりません。北朝鮮に協力しそうな人物や反政府的な言動をするグループなどが日本の侵略を妨害するかもしれませんので、積極的に情報を政府機関に通報しましょう。
民主主義を信奉し、規制緩和や自由競争を唱えるが、いざとなると組織も個人も頼るのは国。子供のころに頌められて育つと自尊心が強くなり、貶されて育つと駄目人間になるそうな。されば、ひとの生き残る道はファシズムだけなのかも。
講演会のお知らせです。
金沢の石川近代文学館にて「文豪たちの遺したもの」と題して、収蔵品より詩人、作家直筆の
原稿・書簡・軸・色紙・短冊等を展示する展覧会が催されます。
主な展示作家ー鏡花・秋声・犀星
夏目漱石・尾崎紅葉・正岡子規・谷崎潤一郎・佐藤春夫・芥川龍之介・
川端康成・三島由紀夫・井上靖・萩原朔太郎・斎藤茂吉・中野重治等々
会期 9月23日(土)より11月12日(日) AM9:30~PM5:00 会期中無休
入館料 一般500円(450円) 中高生200円(100円) ( )内は団体料金20名以上
石川県金沢市広坂2丁目2番5号
TEL 076-262-5464/FAX 076-261-1609
http://kinbun.com/
関連行事として、10月14日(土)午後3時より文学館の2階講堂にて、
須永朝彦さんが「古くて新しい鏡花の世界」のお題で講演をされます。
入場無料(ただし館内見学の場合有料)
お近くにお住まいの方、是非お出かけください。
展覧会のお知らせです。
直江真砂展 「猫の王国美術館」
1984年に刊行された「猫の王国美術館」(文藝春秋社 絵/直江真砂、文/直江博史)の原画を展示。
2006年10月10日(火)~10月21日(土)
AM11:00~PM19:00(日曜12:00~18:00)会期中無休
会場 青木画廊
東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F・3F
TEL 03-3535-6858/ FAX 03-3567-3944
http://www2.tky.3web.ne.jp/~aokigaro/
猫好きの方、覗いてみてはいかがでしょうか。
ふたたび北海道のはなし、思い出したのはおでんのネタである。
1973年の冬、札幌の東急百貨店でタロット展を開催、十日ほどすすきの駅前の東急インでお世話になった。その間、東急百貨店の支店長と東急インの支配人から連夜の接待にあずかった。同ホテルの地下のレストランで馳走になったシャーベット状態の生ハムがとんでもなく旨かったのだが、それは次回に譲るとして、二軒目に連れて行かれた炉端焼屋のおでんについては書いておかなければならない。
昆布を用いた薄味のだし汁で煮付け、仕上げに生姜入りの味噌ダレをかける。おでんに味噌ダレをかけるのは北海道の他、青森、岩手、静岡の一部、名古屋、福井、京都、香川、愛媛、徳島、九州のごく一部などにみられる。ただし、名古屋は八丁味噌でぐつぐつと煮込むので、おでんならぬ黒でんである。福井が味噌ダレなら富山や石川はと訊かれそうだが、残念なことに同地でおでんを食していない。四国に詳しいのは頻繁に出掛けているからである。
札幌での具材は蕗、蕨、筍(ネマガリダケ)、昆布巻き、ワカメ、馬鈴薯、焼き豆腐、大根、玉子、菎蒻、てんぷら(薩摩揚げのことで、関西弁に准ずる)の他、ご当地ものにつぶ貝、帆立貝、ホッケのつみれ、鱈の白子などがある。
つぶ貝は北海道から台湾にまで分布するが、死肉を貪り食ういささか出自のよろしくない巻き貝である。太平洋岸ではツブ、日本海側ではバイと呼ばれるが、北海道ではゴマとの通り名を持つ。地方による個体変異が著しく、道産のそれは巨大ですらある。
オホーツク産のつぶは刺身が一般的だが、函館の屋台のつぶ焼きや室蘭の地球岬の売店で喰わせるつぶおでんは夙に知られる。地球岬のそれは味噌の煮込みで、いわゆる田楽ではない。大阪でよくみられる牡蠣の土手焼きをご想像いただきたい。函館のそれは神戸の夜店で売っている大貝のつぼ焼きと風情が似ている。函館では生姜を添えた甘辛い汁をつけて食べるが、おでんに辛子ではなく生姜を添えるのは北海道から山形や福島まで北日本では広く行き渡っている。もっとも、つぼ焼きはおでんの領域には入らないが。
話序でに、大貝のつぼ焼きについて一言。オオガイとの名称は神戸市内でのみ通用する。明石ではホンジョガイ、淡路ではオクガイ、知多半島では大アサリという体幅十センチを超えるウチムラサキ貝のことである。苦みがあって刺身には不向きだが、濃厚なダシが出る。細かく切って栄螺の貝殻へ塩で調味したダシと共に入れ、金網で焼いて頂戴する。あしらいは晒し葱より三つ葉が似合う。白老産のものは苦みが少なく、湯引きでならなんとか食することができる。有名な厚岸産大アサリは内房の三番瀬の大アサリ同様、体幅六センチほどのアサリ属の貝でウチムラサキとは異なる。ツブ、バイ、ゴマ、大アサリなどは俗称なので混同しやすい、現物で識別するしかないのである。
ウチムラサキは帆立と共にラッコの好物だが、面談に応じた道東のラッコはナイトウェアに極上の昆布を用いるとか、ラグジュアリーな鼬であった。
道南と青森では小粒のつぶを殻ごと串に刺しておでんにするところもある。ウチムラサキほどではないが、殻つきだとシジミやアサリに勝るとも劣らぬいいダシが出る。腸(わた)がもたらす潮、海風、海藻の香りと僅かな苦み、加えるに昆布の甘味が溶けあった風味は筆舌に尽くしがたい。ダシと言えば、北海道、関西、中国、四国、九州、沖縄は一部を除いて昆布ダシが伝播している。これには北前船が大きく影響している。前述の「てんぷら」もそうなのだが、上方と北海道には共通する文言ならびに調法が多い。
鱈の白子と書いたが、夏から秋なら鮭の白子もおでんネタに使われる。北海道では鱈の白子をタチもしくはタツ、秋田ではダダミとも呼ぶ。積丹ではその白子を原材料に用いた蒲鉾が作られているが、おでんネタとしてすこぶる美味である。小樽で烏賊の白子を馳走になったが、地方によっては、鮟鱇、鯛、河豚の白子も活躍していそうである。おでんの白子づくしなど、ぜひ味わってみたいものである。
おでんは第九十八条を削除した憲法のようなもので、根っからだらしがない食い物である。しまりや節度のないもの、腑甲斐ないものは私の好物である。おでんほど野放図な料理が他にあろうか。出汁の取り方から入れる具材まで各人各様であって、これがおでんと言うような定式はどこにもない。言い換えれば、我流にこそおでんの醍醐味がある。それを逆に言えば、我流でなければおでんではないということになる。コンビニで売られている似而非おでんをおでんと呼ぶのが躊躇われる理由である。醍醐味の頭に「そ」を付ければコンビニおでんの概略がお分かりいただけようか。
先日のパーティでご教示頂いた、カトリック聖歌351番第1節は以下のとおり。「五月のきさきを あめつち歌う/ひと年めぐりて 百合咲く季節/マリア祝しませ 祝せられませ」(聖歌集改訂委員会編,1966年1月5日初版発行)http://www.minc.ne.jp/~hosanna/menu5.htmではメロディも聴けます。 1966年に歌詞が平易な口語に変更された後でも「祝しませ 祝せられませ」のリフレインは残ったとのこと。旧バージョンの歌詞は今後調査を要します。
足穂の「西山金蔵寺」のヴァリアントについて昔に書いたが、同じタイトルの「西岩倉金蔵寺」が金光さんから届けられた。今回のユリイカ足穂特集の編集真っ直中であり、掲載誌は「美しい日本」だった。この「美しい」という形容詞が遣うに難儀で、毎回困惑させられている。万葉集や枕草子に表れるごとく、いつくしみ、いたわり、かわいらしさの意で用いられるに逆らう気は生じないのだが、「美しい友情」や「心の美しい人」のような抽象的な意味合いを附されるとむっと顔にならざるをえない。
なぜ不承知なのかと言えば、抽象的な意味内容があまりに突飛で、皆目咀嚼できないからである。内容、本質、概念、どう言っても構わないが、そのようなシロモノを美しいと形容して済むのであれば、文学は不要である。
表現と換喩は同義であって、その伎倆には上手下手がある。また比喩法や修辞法の骨格をなす想像力にも強弱はある。そして強弱を巧拙に置き換えても厄介は生じない。ただ、巧拙と美醜とは置換不能であって、別種の領域に属する概念だと思う。
編集を稼業にしていると、しばしば悪しき文章と出遇う。この場合の「悪しき」とは読み手を拒否する文章を指す。なにを書こうとしているのか、なにを伝えようとしているのかが理解できない、要は文意を汲まれないミミズの足跡のような文章である。そして、巧拙で取上げられるのはここまでであって、ここから先へはなしを拡げる必要はない。言葉という流動的な生きものを対象の考察は、思うに任せず、意に満たず、愚痴のみ零すことにしかならない。結果、相手方の不満や苦情を募らせることになる。歴史、伝統、美などという面倒は学者に委せるにしかず、と心している。
先日、友人から「あなたも美しいとの言葉を遣っている」との指摘を受けた。おそらく、「水浅葱の夢」の巻頭に置いた「今日顧みて、鏡花の本は美しい」を指してのことだと思う。確かに「美しい」から文章を書きはじめたのだが、どのように美しいかとのお喋りに恰度十枚の原稿用紙を費やした。ただし、美しいとはなにかについては一切触れていない。
「今日顧みて、鏡花の本は美しい」が末尾に置かれたのであれば論外であって、想像力の枯渇を通り越して迂闊ですらある。しかし、私は「美しい」を枕詞として用いたのであって、結句として用いたのではない。遣うに際して試みたささやかな修辞法と受け取っていただきたい。それとこれは大事なことなのだが、「鏡花の本」が美しいと書いたのであって、鏡花の心根が美しいとはどこにも書いていない。鏡花の特集号でありながら、小説を描くための背景としての鏡花の詩精神には目もくれていない。文章は小説家と挿絵画家のコラボレーションに終始する。
鏡花にとって国家や官憲はバイキンと同じくらい人心を恐怖せしむるものであった。されば「国家官憲黴菌論」でも書けばよいものの、そのような考えを抱くことすらが、鏡花にとっては憚られた。
個別文化の一部分を構成しながら、相対的な独自性を持つサブカルチャーを鏡花ほど認めなかった作家も珍しい。ゲイでありながらフリークスを斎み毛嫌いする三島由紀夫にも似て、鏡花のマイノリティに対する扱いは非論理的であり前時代的ですらある。当然、その根本には彼一流の美学が横たわっている。
ところで、美はそのままで全体である、まるごと、あるがままのものに解析は意味をなさない。言い換えれば、論理演算を苦もなくくぐりぬける能力を美は持ち合わせている。と言うよりは、その能力こそが美の天資なのである。従って、美の守護神にとって、非論理的であり前時代的であるのは的を射たことなのである。
個人は全体を構成する部分である、そこまでなら異議はない。しかしながら、個人の一切の活動は全体(この場合は美)の成長、発展(助長、深化でも同じ)のために行われなければならない、とするならばかなり危険な思想に近づいてくる。さらに、美に対する懐疑が喪われ、美が讃美の対象と化したとき、それを全体主義という。
もちろん、作家がひとの内面にかかわる道徳、思想、宗教、自然観、価値観などに博くかかわり、逡巡しようがしまいが大した問題ではないと言えなくもない。なぜなら、内面それ自体のベクトル(方向性と強弱)が個々人によって異なるからである。その伝でいけば、描かれた物語を愉しめばよいと言うことに尽きるのかもしれない。もっとも、私にそのまねはできないが。
「水浅葱の夢」に戻るが、文中「清方は女性像を描くための背景としての自然には目もくれない。女性そのものを周囲の自然と照応し合う自然の一部として捉えるのである」と著したが、あれが唯一の肉声であって、他に中身のある発言はなにもない。書きにくい、あるいは書きたくないといった事柄をいかにして手前に引きつけて贅言を弄するか……そこまで分かりやすく説明する必要はあるまい。「美しい」との空疎にして陳腐な言い回しを字義通り証明するために、桂月流擬古文体を意識してあの文章は拵えられたのである。
虚無主義を描くに辻潤調の文章は書かれない。私は自らの作法に則るしか手立てを持たない。文章の上手下手など知ったことではない。さりながら、「善意と冗談ばっかりだよ。タチは悪いけど」との本意は遂げたと思っている。
父のせいで、幾人(いくたり)かの政治家と言われる稼業のひとと親しくしている。かつては数十人いたのだが、最近では数人になってしまった。減った理由は私と付き合っても票には結びつかないからである。
先頃、懇意にしている詩人から、先生、先生と煽てられながら、握手ぜめにあっている時の政治家は性的興奮の真っ直中にある、と聞かされた。同じはなしは政治家からも何度となく聞かされている。ただ、有能な詩人だけに、醒めた学者には理解できない種類の勃起であって……と細やかなはなしに相槌を打つうちに抱腹絶倒に巻き込まれてしまった。
民意がつねに漠然としたものであり,主として為政者の側の用語として用いられるものであろうとも、その民意による支えがなければ稼業としての政治は成り立たない。人気が如実に跳ね返るという点において政治家と芸能人はよく似た商売なのである。本意は媚を売り、迎合するところにあるのであって、政治家と芸能人はオピニオンリーダーにはなられない。そこが学者先生と異なるところである。
いかに右傾化ぶってみても、それ自体が民意の反映に過ぎない。かてて加えて政治家本人には矛盾意識がないのであるから、毒にも薬にもならない自己中心的思考の持ち主としか言いようがないのである。
アイデンティティという言葉で包括される帰属や境界を教えるのは、子供がはじめて体験する社会、すなわち学校と親なのであって、そこには国家も民族も宗教も政治も本来介在しない。そしてその帰属と境界が差別や排除の根本を形成して行く。言い換えれば、親と学校こそが諸悪の根源なのであって、その責任をおりおりの政治や政治家に帰趨させようとするのは了簡違いである。A級戦犯に責任をおっ被せて知らぬ顔の半兵衛を決め込むのとよく似ている。
多民族が共存しようとすれば、単一のアイデンティティではなく、重層的なアイデンティティが必要になる。その重層的なアイデンティティの意識と、それをめぐる葛藤を考察するのが文学だと私は心得ている。多民族を個々人に置き換えようと消息は同じである。
個が個であるためには他の個を認めなければならない。その共存に到る途は平坦ではない。どのようにして帰属意識を捨て去るか、どうすれば個がカテゴリー化から抜け出すことができるのか、課題は目白押しである。
先だっての足穂のパーティで、一言二言しかはなさなかったイタガキノブオさんから小包が送られてきた。なかにはそれこそ小さな詩画集「白い色鉛筆の王国」が入っていた。シュオブのファンだと聞かされたのだが、シュオブやプチ・ロマン派の作家のほんとうの面白さは「重層的なアイデンティティの意識と、それをめぐる葛藤」にある。趣味性をごっそり洗い流した形でのプチ・ロマン派の紹介が望ましいと思っていたのだが、それと呼応しあうような作品である。歌志内で生まれ、いまは東小岩に住むというイタガキさんに感謝すると共に、一冊は土屋和之さんのために取り置くことにした。
「白い色鉛筆の王国」イタガキノブオ
1994年4月4日発行 沖積舎 定価2000円
こんにちは。
先週、貴店の足穂パーティーにイタガキノブオ氏同伴で伺った者です。
よんどころない事情で、ご挨拶もなく中座してしまい失礼いたしました。
イタガキ氏にはシュオブ「二重の心」の漫画化作品があり、
「種村季弘氏から直筆の回答を受けたことがある」
「矢野目源一訳『吸血鬼』を持っている」
などの武勇伝(?)をたびたびお聞きしていたので、
それなら折を見て渡辺様にお引き合わせしましょうかという話に
なっていました。
イタガキ氏はご自宅にネット環境がないので、当記事の件、
のちほど私からお伝えしておきます。ありがとうございました。
私がなかなか夜遅くまで出られないのですが、イベントのない日にまた、
ゆっくりおうかがいできたらと思います。
その節は、よろしくおねがいいたします。
佐藤弓生様
「白い色鉛筆の王国」はよくできた寓話です。寓話ゆえ、いかようにでも読み解くことが可能です。でも、あのようにポリティカルに曲解するとイタガキさんから叱られそうです。イタガキさんに託つけての勝手な書き込みですので、ご勘弁いただきます。
私は平和主義者ですので、帰属や境界を越えたところで棲息したいと念じています。従って、軍備にも憲法改正にも反対ですし、国連の集団的自衛権にすら異議があります。さらに申せば、国とか、民族、宗教といったものにも否定的見解を持っています。だからこそ、個と個が共存するための「重層的アイデンティティ」のことばかりを考えているのです。そのモチーフが「白い色鉛筆の王国」では一捻りも二ひねりもする形で過不足なく描かれていました。昨今はやりのライト・ノベルのもみなさとは違う、少年の頃にのみ感じられる違和感と失意、そしてそこから生まれる漂泊の悲しみが巧みに表現されていたのです。すぐれた作品とひさびさに新鮮な出会いを得られたことに感謝しています。
それにしても、一本の白い色鉛筆からあれだけの物語を拵えるイタガキさんの想像力の端正さに感服させられました。よしなにお伝えください。
モルト・ウィスキーにはどれぐらいの種類があるのかと、よく尋ねられます。昨今繁く出回るようになったディスティラリー・ボトルならいざ知らず、独立瓶詰業者のボトルは基本的にシングル・カスクすなわち一樽のリミテッド・エディションです。一口で樽といっても、容量も種類も異なります。また、樽は熟成の度に補修されます。使用頻度によって、樽のコンディションはさまざまです。従って、シングル・カスクの世界にあっては樽の数だけのウィスキーが存在します。
イギリスに自生する二大樹種はセシルオークとコモンオーク、南部から東部の粘土質の土壌に多く生育します。共に古くからワインやコニャックなどの樽材として活躍してきたヨーロピアンオークですが、ウィスキーの熟成には役立ちません。ウィスキーの樽材としてはアメリカ東部に分布するホワイトオークが重宝されます。そして、スコットランドではホワイトオークが採れないがゆえに、スコッチの熟成に新樽が使われることはなかったのです。また、新樽を用いずとも、シェリー樽の中古が潤沢に手に入りました。イギリスは昔からシェリー酒の世界最大の消費地で、かつては樽で輸入し量り売りをしていました。余った空き樽をスコッチ業者が再利用してきたのです。やがて、ウィスキーの生産量が増え、シェリー樽の需要と供給のバランスが崩れてきた時に、業者が目を付けたのがバーボン樽でした。アメリカの国内法ではバーボン・ウィスキーの熟成は新樽であることが義務付けられています。わずか一度の使用で破棄されるのです。第二次世界大戦後、解体された大量のバーボン樽がアメリカからイギリスへ送られるようになりました。
樽が大きければ大きいほど、ウィスキーはゆっくり熟成され、まろやかさが増します。そこでスコットランドではバーボン樽の再生の際、側板を補って容量を180リットルから250リットルへ拡大します。貯蔵効率を高めると同時に、ウィスキーと樽との接触面積を少なくし、木香の影響を薄めようとの工夫です。その拵え直した樽をホグスヘッドといい、現在もっとも多く出回っています。シェリー樽は500リットル、ほぼ同量のラム酒用の樽がパンチョンで、こちらはたまに出番がやってくるていどです。一六世紀以降はそれらの樽材として通直木理という柾目のホワイトオークが削り出され、樽の形状も少しずつ変化して行きました。使い古してシェリーやバーボンの香味が移らなくなった樽をプレーン・カスクもしくはウィスキー・カスクといい、グレン・ウィスキーの熟成に、やがてはガーデニングにスモーク用のチップにと徹底的に活用されます。
最近ではシェリーやバーボンの他、ポート、マルサラ、マディラ、ラム、コニャック、アルマニャック、カルバドス、赤白ワインなど、さまざまな樽が熟成に再利用されるようになりました。イアン・マクロード社からはそれらの樽をフィニッシュに用いたモルト・ウィスキーがボトリングされています。わが邦の樽酒は三、四日が限界ですが、スコッチの場合は半年から一年、長いと二年ほど任意の樽で熟成させます。ダブル・ウッドもしくはダブル・マチュアードと同じ意で、「グレンモーレンジ」「バルヴィニー」やディアジオ社の「クラシック・モルト・シリーズ」のダブル・マチュアードなどが識られています。ワインや酒精強化ワインの樽、すなわちセシルオークで最初から最後まで熟成されるとタンニンやリグニンが過剰に溶けだし、香味のバランスが崩れます。フィニッシュにのみ用いるのも職人の知恵や気配りと言えましょう。
ボトラーのモルト・ウィスキーはカラメルによる着色や低温濾過を施しません。従って、透明感に充ちたつややかな黄金色の階調をもたらすのはタンニン成分の色素であり、その成分を引き出すために欠かせないのが樽の内側の焼き加減です。ウィスキー用の樽は中火で約20分、ブランデーの場合は強火で40分焙煎されます。マノックモア蒸留所のブラックウィスキー「ロッホ・デュー」などは樽の表面が炭化するまで焼かれています。「ロッホ・デュー」は極端な例ですが、良いウィスキーが醸されるか否かはこの加熱処理にかかっていると言っても過言ではないのです。
いずれにせよ、ウィスキーの香味を決定づけるのは樽のコンディションと熟成庫の所在地の気候風土です。お花畑で熟成されたウィスキーにはフローラルな香りが、森のなかで熟成されたウィスキーにはウッディーもしくはナッティーな香りが、海辺で熟成されたウィスキーには潮の香が強く薫きしめられるのです。さらに、外壁に近いところと中央部、上段に置かれた樽と下段のそれとでは長い年月のあいだに随分と個性が違って行きます。下段のウィスキーは熟成が緩慢になされ、色は淡く、アルコール度数は上段と比してより低くなり、エンジェル・シェア(天使のわけまえ)も高くなります。要するに、穏やかな熟成がなされるわけです。
樽の数だけのウィスキーが存在すると頭に著しました。それ故、これがウィスキーであるとか、これこそがシングルモルトなどという固定観念は持たない方がよろしいかと思います。酒は生き物です。齢と共に人の性格や好みが変わっていくように、酒も年々歳々香味を微妙に変化させていきます。ボトラーのボトルの醍醐味は違いを違いとして愉しむところにあります。好悪を決めるのは彼の世へ赴いてからでも遅くはありますまい。
「黄金色の階調」はかつて料理王国に著したものの改稿である。末尾に固定観念に対する否定的見解を書いたが、思うに、私の死生観やものの考え方は料理の調法や酒の味わい方から多くを学んでいる。例えば、穴子は焼くか蒸すのが一般的だが、刺身だと食べられないのだろうか、試行錯誤の末、洗いが穴子に似合いの調法だと知る。はなしはそこで止まらない、子をまぶすとどうなるのだろうか、あしらいはどうか、醤油は洗いには相応しくないからどうしようかと言った風に、連想ゲームは続く。また、懐石では同じ料理の繰り返しは避けなければならない。材料と調法を求めて、地方を行脚し書物を博捜しなければならない。料理とは間違いなく、一種の漂泊だと思う。
出生地の都合もあって、回りはやっちゃん、ぽん引き、女衒、娼婦、てきや、おかまといった裏社会のひとたちばかりだった。子供の頃はそれが嫌で、自己形成期への瞋恚を育んだのは福原という色街だったと、いまにして思う。抛り込まれた環境に従順(すなお)に馴染めなかった私はその対局に文学やそれを研究する文学者を置いた。理由はなにもない、なんとなくそう感じたまでのはなしである。
十代の半ばになってドストエフスキーやカフカやサルトルを読み、やはり物書きや文学者は人生の達人であって、すぐれた人品骨柄の持ち主なのだと、勝手に思い込むようになった。そう信じたが故に、書物の世界へ彷徨い込み、同時にさまざまな詩人、絵描き、小説家などと交流を深めた。
そして十代後半、いうところの全国区の詩人、文学者、書物研究家、書誌学者などと出遇う。しかるに、「バンビーについて-2」で書いた「鄙劣きわまりないものの考え方を文学だと嘯くような燕石」と最初に出遇ってしまったのである。彼は強度なヒステリー患者だと、後日、生島遼一さんや曽根元吉さんから指摘されたが、ときすでに遅く、手の施しようのない身体症状や解離症状との道行を強いられてしまったのである。ヒポクラテスの時代のヒステリーが子宮の病なら、あれは前立腺の病でなかったかと思う。子分を集めて常時集団ヒステリーの渦中にないと精神的葛藤が処理できない、福原のやっちゃんと同じ「困ったちゃん」そのものであった。
名前は伏せるが、某英文学者にして著名な書物研究家から「君は美しい書物を造るが中身がどうもねえ」と指弾された。「先生のおっしゃる中身があるものとは古典ですか、だとすれば、それは時代によって変わりますよね」「変わるわけないだろう、第一にどれが古典かを決める権威を有するのは私ぐらいなものだ、私は権威そのものなのだよ」。
丸山豊が主宰した「母音」時代からの友人で左翼文学の代表選手だった某詩人兼評論家と高木護さんのはなしになった。隣には夙に知られた女流作家もいらした。その隣人曰く「あのひととは血筋が違います」。ちなみに、私は高木護のファンである。
実名を隠しての書き込みはあまり意味をなさない。咨嗟するところは、物書きや文学者の多くは裏社会のひとたちにはないものを後生大事に携えていた、それは権威と権力であった。権威と権力の裏付けが知識であろうが格闘技であろうが渡世の筋であろうが同じ穴の狢である。神戸の広域暴力団の中枢にいたひと(ほんの一部だが)の方が配慮に闌け、複雑に錯綜したものの考え方を持っていたように思う。
それやこれやで、近頃、私は物書きや文学者、それと読書家、要するに知識人といわれる人種をほとんど信用しない。知識がそのひとのなかで解体され、追体験され、ものの考え方にまで伝搬されている例があまりにも少ないからである。解体されずにいるのは、前述の精神的葛藤が未処理のまま無意識領域に抑圧されていることになる。
国家、民族、宗教、言語、知識などが帰属や境界の基いになり、差別や排除のエネルギー源になる。また、
差別意識の生起の要因のひとつに国語教育がある。それは近代国家の成立の過程あるいは以降に登場したものなのだが、ナショナリズムの発生と国家語意識の発揚との関係については別の機会に譲りたい。ここで述べておきたいのは、イギリスで誕生した近代国家との概念は「万人の万人に対する闘争状態」からの脱出を願っての思想原理のひとつであり、国語はそれら思想をひとに伝えるための道具の共有化であり、知識はその道具の有効性を高めるための薬味だったということである。ホッブズからロックを経てルソーに至るまで、消息は同じである。
複数の国語という時限爆弾を抱えるスイスやベルギーと日本のように公用語と日常の生活言語が重なっているような国では条件が異なる。そして層なるが故であろうか、「八紘一宇」であれ、その逆の「総括」であれ、どうして日本人は右も左も国家主義的発想から遁れられないのか不思議に思う。それともヒステリカルな中でしか日本人は生きられないとでも言うのであろうか。
このところ、差別と排除について執拗に書くのは、排斥の論理がヒステリー症状ときわめて似ているからである。演技性、自己中心性、情緒不安定性、誇張された言語への依存性等々、陶酔した没我状態と強い虚栄心が綯い交ぜになるところにヒステリー性格の特徴がある。ヒステリー身体症状の典型が疼痛だが、疼痛は風の病ともいう。悪い気がナショナリズムでないことを願うばかりである。
言葉や知識を自己顕示性の表明から解放するのは、取りも直さず言葉それ自体の開放になる。言葉を国語教育から、さらには帰属や境界という頸木から解き放たなければならない。いつの世にあっても文化は常にネガティブなものの意義を担保する。だからこそ、言葉は常に破戒されなければならない。破戒するとは、作家の主体的創造力の場に引き戻すことに他ならない。そして言葉の暴力的な破戒のなかにしか「主体的創造力」はない。
大磯での村上春樹さんの最初の住居だった建物が売りに出されます。敷地は百坪、価格はお問い合わせください。村上さんから購入なさった方は文化大革命をはじめて報道なさった著名な方です。家屋の売却に先立って、二十一日と二十二日の両日、現地でガレージセールを開催します。大磯の駅から徒歩六分、吉田茂の別荘の横を入って行くのですが、ちょっと分かりにくいと思います。
アフリカや東南アジアの家具、美術品、民芸品、仮面から食器の他、タイ・シルクのブラウス、シャツ、パンツ、スカート、スカーフ、ショール、ベッドカバー等々、それとシルクの反物が多量にあります。値は衣服で千円から五千円ぐらい、現地価格での放出になります。トラック三台分ですから、夥しい量です。
興味をお持ちの方はぜひご参加下さい。私は二十二日の午後、車で現地に赴きます。購入希望の方は二名まで同乗可能です。
大磯・村上春樹との検索で、かなりのサイトが出てきます。そちらに地図も載っていますのでよろしく。
店での書き込みはともかく、自宅での書き込みは寝惚けているので誤字が多く、管理人には迷惑の掛けっぱなしである。先日も「破壊」を「破戒」と間違えたまま載せてしまいました。まことに相済まぬことでございます。
今年の三月からモルト会は蒸留所別になりました。アードベッグ12種類、カリラ12種類、ラガヴーリン12種類、ポート・エレン9種類、スプリングバンク12種類、ラフロイグ12種類、タリスカー12種類と続いて、次回十月はハイランド・パーク12種類、次々回はレダイグ9種類です。蒸留所を横断するカスク別のモルト会も計画中です。
毎回の解説はモルト・ウィスキーに対する私の総決算なので、こちらに掲載しようかと思っております。いずれ纏まればホームページに項目を立てることになるのですが、それまでに細かい修正を施したく思うのです。
自己顕示欲の強い馬鹿学者の乱入によって、当掲示板を暫時閉鎖したことがございました。その間の2003年7月にもうひとつの掲示板を立ち上げたのですが、私にとっては酒も料理も文学もひとつづきになっていて、分離しようのないものです。従って、これからはウィスキーのことも書き込ませていただきます。
西麻布の駐車場を拝借しているので、毎日乃木坂から赤坂まで地下鉄に乗っている。一駅なので乗車時間は二分ほど、従って扉の前で立っている。そしてドアに貼られた漢字検定のチラシを見るのを日々の愉しみにしている。今週のお題のひとつに譲与と剰余があった。
愉しみにしていると書いたが、漢字が書けるかどうかはどうでもよいのであって、私が興じているのは連想である。日本語は漢字で書かれてしまうとそれまでだが、音だけだとさまざまなアナロジーが働く。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えているなどと書き出すと、これは管理人の専門領域に入り込む。昨今のコンピューターシミュレーションにおける抽象的知識(スキーマ)は手におえない。私が嵌まっているのは益体も無い気散じであって親父ギャグの類いである。
例えば、辻潤は生涯贈与とは縁がなかったが、譲与のみで生計を立てた。バタイユはモースの贈与論から多くを学んだが、ブルトンが辻潤の譲与論からなにかを学べば、あそこまで権威主義に陥らなくても済んだのではなかったか……思うに、私の生活は辻潤のそれであって、ですぺら開店までの暮らし向きをひとことで要約するとヒモということになる……そもそも紐というものは強くて柔軟であらねばならない、そして独立した製品ではなく付属品にすぎない。ところで、私が誰の付属品であったかと言えば、いやいや、付属品が生意気に私などと主辞を用いてはいけない……
大体このあたりでホームへ電車が辷り込む。そして店へ着くころにはなにを連想したかは忘れてしまっている。
ローマ大学の文化人類学者マッシモ・カネヴァッチさんが先月サンパウロ市(ブラジル)のトゥカ劇場で行った舞踏公演『砂男』で、四谷シモンの人形作品のパネルを使用し、四谷シモン作品と人間のコラボレーションが実現しました↓。
詳細は不明ですが、この公演は、ホフマンの『砂男』とそれにインスパイアされたフロイトの『不気味なもの』を原案とするもので、カネヴァッチ夫人でもあるダンサー、シェイラ・リベイロさんが、四谷シモンの人形を肉体化したかたちで登場し、ホフマンの世界を表現しました。
『砂男』『不気味なもの』というと、日本ではともに種村季弘さんが訳して紹介しており(河出文庫)、周知のように種村さんも四谷シモンの人形の大ファンでした。世界には、似た指向性をもつ人もいるものなのですね。
ちなみに、種村さんはフェティシズムにとても興味をもっていましたが、カネヴァッチさんも視覚的フェティシズムに興味をもっているそうです。
また、カネヴァッチさんは、近日、ローマでも『砂男』公演を行いたい意向のようです。
http://www.simon-yotsuya.net/profil/sandmann.htm
連休、みなさんはどのように過ごされましたか? 私は今日の夕方、丸善丸の内本店の4階ギャラリーで開催されている「人・形(ひとがた)展」へ行ってきました↓。 http://www.nonc.jp/hitogataten/hitogataten.html エコール・ド・シモンのなじみの顔ぶれに加えて、ベテラン、新人入り交じった展覧会で、とてもおもしろかったです。作風が幅広いというのもこの展覧会の特徴でしょうか。この展覧会を企画したドール・フォーラム・ジャパンの小川千惠子さんが、人形展ではなく人・形展だとしたのがよくわかるような気がします。展覧会は10日(火)まで。人形に興味のある方はぜひ。
moonさんへ
季村敏夫さん編輯の瓦版なまずが発刊されました。執筆者は安水稔和、杉山平一、宮崎修二朗、林哲夫、扉野良人、港大尋、林宏仁、季村さんと私です。知己が五名、面識のない方が三名、しかしお名前はすべて存じ上げています。moonさんは神戸華僑歴史博物館の林宏仁さんはご存じかも。
宮崎修二朗さんとはよく飲みました、彼が神戸新聞社にいらした頃のはなしですが。その宮崎さんがわが国のSFの開祖ともいうべき矢野徹について書いています。矢野は魚崎でDPEの店を営んでいたのですが、他にも井上勤や新開地の春秋堂という薬局の倅、横溝正史のことなどを描いています。
私の方は何回の連載になるのか見当もつきません。「当時、坊主頭の私は俳文堂の主人有川正太郎さん行きつけの茜屋で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。茜屋は元町六丁目と五丁目のあいだに在った珈琲店である。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧にはじまり、やがて元禄、寛永、正徳、享保の江戸俳諧へと詼々の晤語は遡って行く。其角、支考、許六、嵐雪よりは去来を、その去来よりは丈草を、暁臺、樗良、几董、月渓よりは青蘿をといった塩梅で、根が天邪鬼だった私の歪んだ性格をさらに助長させ、深化させたのは間違いなく有川さんだった」
という調子なのですが、芥川龍之介と日夏耿之介が讃歎した上筒井のなつめや書店について書きたいと思っています。大正期は阪急大阪行きの始発駅が上筒井にあり、加えるに一中、高商、関西学院が山側にありました。従って、上筒井商店街にはなつめや書店や白雲堂などが並び、関西有数の古本屋街でした。その界隈のことは関西学院へ通っていた足穂や今東光も著しています。
神戸の出版文化や古本屋については高橋輝次の著書以外まとまったものはありませんし、その高橋さんも川西和露や野田別天楼、なつめや書店の安井小洒については触れられていません。ぐろりあそさえてや五典書院も大事ですが、五典書院がわが邦の書誌学の方向を決定づけたように、なつめや書店の出版物は江戸俳諧の歴史を、さらにはわが国の文学史の書き換えを余儀なくさせました。どなたか書くひとはいないのかなと思っていたところ、季村さんから連載依頼があったものですからお引き受けしました。私ごときには荷が重過ぎるのですが、なつめや書店から俳文堂に到る系譜について、知っている僅かなことでも書いておけば、きっと若いひとのなかから研究者が出てくると思うのです。
「なまず」は元町の海文堂に置いてあるそうです。海事の担当者が昔私と一緒に仕事(コーベブックスか)をしていたそうですが、お名前はじめ詳細は分かりません。立ち寄られることがあれば確かめて頂けないでしょうか。ちなみに「なまず」の連絡先は(神戸市長田区東尻池町1-11-4 神港金属)です。あなたのことは伝えておきます。もっとも、尻池のなまずじゃ、油臭くて喰えませんよ。
跋
友よ、詩冊子「孟夏飛霜」の上木を賀ふてから、もう六たび裘葛(葛[第1水準1-19-75]は誤字、つくりは曷が正しい)を易へる。すると、我々の交遊も、もう六年の余になる。この六年間は、私にとって、君を別にしては洵に短く、君を交へては洵に長い。世の常の春秋に満しきれぬ思ひ出が、私の胸に残されてゐるからである。
君が華かな鹿島立も、ひきつゞく現身(うつそみ)の憂に心を夷(やぶ)り、途次(みちすがら)、更には(さんずい偏に霸)橋驢上の閑日月を得さしめず、この六年間の、君の焦思とでう(をんな偏に堯)悩と憂磋とは、いくたび私の腸を断しめた事だ。そして、君は一度ならず詩藁を火中して、詩文を棄てようとまでした。呼、しかし、友よ、君は詩を忘れることは出来なかった。生命(いのち)にかけて忘れ得なかつたのだ。
その思ひ出が、うれひ(立心偏に潛・僭のつくり)てはれう(立心偏に摎・樛・膠のつくり)然と私の心を逼脅(おびやか)した思ひ出の狭霧が、次第に霽れて、春闌(た)ける故園(ふるさと)の日光(ひかげ)の様な閑(しづ)かな欣びに腕(かひな)をのべて、君は、君の「驕子綺唱」は、今私の眼晴(まなこ)を煌かに差含(さしぐ)ましめる。
曩に、「孟夏飛霜」を繙いて、金石の声に耳を欹てた人々は、うち易つた君の詩の相姿(すがた)に愕きの晴(め)をみは(目偏に崢・淨のつくり)るであらう。しかし、だれが知らう、今君が愛妻(はしづま)と向ふ夕餉の明るい燈火(ほかげ)もかつては人生の渦潮(うづしほ)の底(そこひ)に眺めて、蒼りやう(にすい偏に涼のつくり)たる月光(つきかげ)であつたことを。
友よ、詩霄に天馬(ペガスス)を翔(か)る奔情と、法利賽(パリサイ)の徒と共に生き得ぬ資霊とは、君をして自ら世に乖き、人に孤れ、夙くもけん(め偏に絹のつくり)然として定業を直視せしめた。そして、君の情火が綜ゆる坎か(つち偏に珂のつくり)を灼きつくして、その灰の中から、君が、君の詩が、フエニツクスの如く甦つて来たのだ。茲に私は、君の詩が既に宿命に約束せられた、本然の格調に臻つたことを信ずる。
嘗て、天狼の冷光に悲哀を矜つた心の傷みが、今、なごやかな幸多い日ざしのなかにも憂れたげな蔭翳(かげ)を落して、君の眼差を曇らすとき、古い夢の奥(おくが)に燎える、始元の霊火が、君の詩魂をして、永劫の寂寥を趁しめる。
かくて、寥亮の伊吹の、一陣の秋風となつて、詩藁の白きに帰る日まで、友よ、君の稟賦の円熟と共に、君の詩の赴くべき定命を竭さしめよと祈る。
戊辰夏七月
龍謄寺 旻
平井功の「驕子綺唱」に附された龍謄寺旻の跋文である。天才少年と謳われた平井の尖った詩が二十歳をこえて枯淡の域に達してゆく、その辺りの消息と龍謄寺の功への篤い友誼が見て取られる。
ゆかりやよしみを描くなら他に方法があるだろうにと思う。ここまで強面を張られると、意地でも裏を探りたくなる。探れば内容の乏しさが陽に透かされる。言出し兵衛は私なのでなにも言えないが、このような文章を読むと切なくなってくる。
九月のはじめから片頭痛に悩まされてきた。あまりの痛みにエアーサロンパスをこめかみに塗りつけていたが、どうやら逆効果だったようである。治療に用いられる酒石酸エルゴタミンは血管の拡張を抑制する薬だが、サロンパスは促進させる。
10月にはいってからは血圧が異常値を示すようになり、目眩いがはげしくなってきた。バッファリンやアスピリンでは手に負えなくなって、今日は朝から検査を繰り返している。主治医の見立てだと片頭痛ではなく、脳卒中の二大疾患の片割れの疑いが濃厚であるそうな。三時からMRIの検査がはじまる。
一族のほとんどが卒中で死んでいるので、このまま死んだところでそんなものかなと思うだけである。未練や執着はなくはないが、好きな酒や烟草やフェティッシュな下着といった他愛ないものばかりである。
取るにたりない個人的なことはどうでもよい。久しぶりに主治医と話しておもしろかったのは片頭痛と偏頭痛であった。文字を捏ね回す稼業にあるひとは偏頭痛を好んで用いる。しかし、医学上は片頭痛でなければ困るそうである。どうして困るのかはMRIの後で教えていただこうと思っている。
主治医は浦和で開業しているが、南浦和に映像フェチの医師がいてCTスキャンからMRIまで、さまざまな電子機器を備えているのである。主治医の友人で都立豊島病院に重度の痔を抱えてエベレストに登頂した医師がいる。その医師から「どうにもならない立派な痔の持ち主」と褒められたときは嬉しかった。そのような部位に陽が当たるのは滅多にないことである。主治医は石割りの達人で、その道では知られたひとである。単純な骨折なら足も腕も指も自分で修理してきたが、臓物は手に負えない。上京後七年のあいだに三度手術していただいた。
エリザベス・ベニヨンの著書を座右に置くような医師がいる。オタク、マニア、フェチ、どう呼称してもよいのだが、医療機器は高額である。CTスキャンからMRIまでと気楽に書いたが、いずれも数億円の価格帯である。映像フェチの医師と聞かされただけで、背筋がゾクゾクする。どうやら詼諧の検査を楽しめそうである。
一考様。
記事を拝読して吃驚いたしました。
偏頭痛とのことで、さぞかしお辛いことと存じます。
お医者様の処方に従つて、一日も早く恢復なさいますことを切に祈つてをります。
あまりご無理をなさいませぬやうに。わたくし譯予定の「フェチ大全」もまだ緒についてをりません。一考さんにぜひお見せしたい仕事です。どうかご安静第一に、療養専一に。
追記
日本国語大辞典第二版によりますと、偏頭痛は「清原国賢書写本荘子抄」(1530)の用例「偏はかたかたぞ。偏頭痛。正頭痛」とあるくらゐで、現代のお医者様の言とは裏腹に、江戸時代でも「偏頭痛」と表記してゐたやうです。広辞苑には「片頭痛」の表記は載つてゐませんでした。
余計なことですが、言葉を蔑ろにしない一考さんだからこそ、あへて書きつける失礼をお許し下さい。
MRIのネガを持ってしのざき脳神経外科クリニックから山崎外科泌尿器科診療所へもどった。どうやら造影剤を注入しての新体操はせずに済みそうである。あてがわれた薬はミオナール50?とデパス0.5?、それにトランキライザーの類いである。早いはなしが、筋肉弛緩剤と睡眠薬、言い換えれば、緊張をほぐして睡眠をたっぷり取れということになる。さらに翻訳すれば、肩こりからくる頭痛とめまいだったということになろうか。いずれにせよ、詳細は資料と共に主治医がですぺらへ飲みに来て説明してくださるらしい、かたじけなく思っている。
MRIは二度目だが、道路工事中のような騒音は相変わらずで、コトコトコトコト・・・ガッキーンガッキーンが十五分ほど続く、まるでSF世界の住人である。CTスキャンはレントゲンだが、MRIは磁気、正確には核磁気共鳴撮影装置である。磁気はX線と比べてほとんど人体に害がない、早晩こちらに切り替えられると思う。90年代半ばからは画像が飛躍的に鮮明になって血管撮影(MRA)も可能になった。脳血管の立体画像も見せていただいたが、物珍しさからか妙な美しさを感じた。よって、五十枚ほどの断層写真をCDに焼いていただくことにした。
三センチ五ミリの性器を誇示する趣味はないが、自分の脳の断層写真を愛人に見せびらかすのは嗜好にかなう。特に眼球と大脳とが並んだ図には感動させられた。言葉や文字で言い著される思いよりも断層写真により抽象性を覚えたのである。私にとって性とはおそろしく抽象的なものである。断層写真が誘引剤となって性フェロモンを放出するような牝と巡り会ってみたいものである。
ついでに、CTスキャンも見せていただいたが、島津製作所最新のスパイラルマシーンが鎮座するのに愕かされた。大学病院ならいざしらず、個人診療所が揃えるような種類の機器ではない。さすがに映像フェチといわれるだけのことはある。
編輯は偏執に通じる。従って、なにごとによらず偏ったものに興味がある。ただし、オタクであれマニアであれフェチであれ、パラノイアやモノマニアにとどまる限り、箸にも棒にも引っ掛からない。一つのことに異常な執着をもつのは結構だが、それが人格の荒廃をきたさなければ、なんのための固執であり妄想なのかと問い質したくなる。一度偏りはじめた障害者の行き先は餓鬼偏執しかない。
ところで、MRIの主たる目的は脳血管の動脈瘤や脳腫瘍の有無などを調べることにある。簡単な検査で即MRIを撮りましょうと言われれば、患者は臆するものである。主治医と薫子さんとの遣り取りは知るべくもないが、神色自若を粧う私に対する主治医の竹箆だったのかもしれない。
追記
昨夜、珍しくお客さんがあって以上の書き込みを載せられなかった。今日載せようとしたところ高遠さんのお見舞いがあって、こちらこそ吃驚いたしました。寝てれば癒るといった塩梅だそうです。
頭のなかに感じる痛みが頭痛なのですが、私のような素人には頭蓋骨の外側にある筋肉、筋膜、動脈、神経などの軟部組織に起因する投射痛との区別がつきません。滅多に痛みを吐露しないので、主治医が気を利かせたのだと解釈しています。
日葡によると「ヘンノヅツウ」もしくは「へんとうつう」だそうですが、手元の読み本の類いだと「かたずつう」との記載が散見されます。調べる必要がありそうですね。いずれにせよ、チョコレートやチーズの摂取も発作の誘因になるらしく飲み助には困ったものです。
MRIの断層写真だが、大脳と頭蓋骨のあいだと左脳と右脳とのあいだの前方に白い部分がある。これは大脳の萎縮によって生じた空白部であって、私の大脳は年齢相応の萎縮だそうである。ひとの身体は十四、五歳でピークを迎え、あとは老いさらばえてゆく、大脳の盛りは二十四歳(二十二歳との意見もある)で、あとは死に向かって萎縮が進行してゆく。医学上はそういうことになっている。
昨日、佐々木幹郎さんとはなしていて、私の脳髄には老化や萎縮はまったく見られないと告げられた。脳外科の医者に訊ねたところ、たまにはそう思い込んでいるひともいる、老化は個人差があって迂闊な発言はできないが、萎縮が顕著に確認できないひとが一千万人にひとりぐらいいるとの話を聞いたことがある、と聴かされた。
幹郎さんが一千万人にひとりの存在だったら、私は彼の前に跪かなければならない、なにしろ、全国でも十二人しかいない珍種、貴種である。コウノトリか幹郎かといった存在である。昨夜は嫉妬と羨望にせめ苛なまれて熟睡できなかった。
下腹部の老化と萎縮には自信がある。ここで自信などという言葉を用いれば高遠さんから叱られる。ただ、漱石ではあるまいし、自分の才能や価値を信ずることが必ずしも肯定的でなければならないとは思わない。否定的な自信があってもよさそうなものである。下腹部がものの役に立たないことに自信を持っているのであって、悔しかったらかかってこいと世の女房共に言っておきたい。下腹部の任務や義務は他にもあるのである。
しかし、脳、それも大脳とくれば、負けてはいられない。しかし、負けている、しかし、負けたくないとの堂々巡りが空が白むまで続けられた。これでは大脳の白蒸しである。
しばらくは口もききたくないなと思い詰めていたのだが、ふと彼の「オポッサムと豆」を想い起こした。
頭蓋骨の中で からからと鳴るのは豆粒
オポッサムは二十五個 スカンクは三十五個
アライグマは百五個 アカギツネは百九十八個
コヨーテは三百二十五個 オオカミは四百三十八個
北アメリカの雪の原野で
シートンは言う
アカギツネは救いがたい
・・・
かまどの横で寝続ける十頭
頭蓋骨の大きさに何の意味がある
豆が何個入るかなんて
詩の中にred fox(私のニックネーム)がちゃんと入っているではないか。「小さな豆が百九十八個しか入らない頭蓋骨なんて 何を考えているのか」幹郎さんはそこまでお見通しだった。げに詩人は怖ろしいもの恐いものである。
詩人をぎゃふんと言わせるには百九十九個目の豆を購入しなければならない。帰りに川越街道の乾物屋に立ち寄らねばならない。
NHKで放送されている「美の壺」です。
ごらん下さい。
http://www.nhk.or.jp/tsubo/archives.html
ドゥルーズとガタリの「アンチ・オイディプス」の新訳が河出文庫から上梓された。発売後、わずか一週間で二刷になった。しかも文庫の初刷部数の常識を越えている。
精神分析や革命の定着はおろか、実存主義も構造主義もなにひとつとして読み解いた哲学者をわが国は持たない。小林秀雄以降、吉本隆明のごく一部を除いて、哲学や文学を語るに価する作家がひとりとして輩出されなかった日本の這辺において、いかように本書が繙かれようとするのか、面妖なはなしである。
旧訳が開板されたときに、吉本隆明が否定的な書評を綴った他、さしたる反応はなかったように記憶する。その書評にしてからが、家族か社会か、保守か革命か、パラノイアかスキゾフレニーか、オイディプスかアンチ・オイディプスか、といった花田清輝や林達夫的二者択一を一歩も出るものではなかった。(この問題に関しては、家族という「対幻想」の場が意味するものを当掲示板で書き継いできたつもりである。さらに書き込みたいと思っているので、ここではこれ以上は触れない)
訳者の宇野邦一が「あとがき」のなかで、スラヴォイ・ジジェックの「身体なき器官」を援用しての揶揄は取りも直さず、痛烈な吉本批判になっている。
シニカルな資本主義は、次々シニカルな思想を生み出すので、「器官なき身体」を「身体なき器官」によって脱構築しようとするような試みも生れてくる。そもそもドゥルーズとガタリにとって、「身体なき器官」は、「器官なき身体」の危険そのものであり、「器官なき身体」と同時に部分対象の群れとして生み出されうるものであった。
・・・・・
人間が身体と自己を切断(去勢)することによってある空虚(非身体)を生み出すことは、そもそも人間が精神であることに他ならない。ユーモアたっぷりに見えて、そういう自分の信念だけは決して笑うことのできないジジェックは、「アンチ・オイディプス」の生成、生産、そして器官なき身体の理論を、ドゥルーズの非身体の哲学を裏切るものとして批判する。これは奇妙な切断といわなくてはならない。
それこそ、「ユーモアたっぷり」の明解な論理がここにはある。さればこそ、結論もいたって明解である。ドゥルーズは「精神、身体、自然を連続的にとらえるプラグマティズムあるいは一元論の発想を一度も捨てたことはない」、さらに、ドゥルーズにおいては身体の哲学と非身体の哲学がトポロジックに並存してい、いわば「双面をもつ哲学」を提出しているのである、と宇野は指摘する。
ヘーゲルの法哲学の批判的再検討をさぐる過程でマルクスは「資本論」を著した。同様に、本書で提出される世界史的展望は、包括的に展開されるヘーゲルのそれではなく、むしろ世界史を別のまなざしによって切開し、別の問題を発見しようとする試みなのである。
私のようにシニカルな人間にとって、「思考の対象を包括するのではなく、思考の姿勢を変えることをうながしたい」との言葉は大きな誡めとなる。まるで混沌や退行からの飛躍を常にうながされているようなものである。そういえば、種村さんも混沌から逃げ回っていらした。
集団としての紐帯を固めるもろもろの儀式、パターナリズム、アイデンティティ、帰属、境界といった「母殺し」を絶えず繰り返してきた私などは、さしずめアンチ・オイディプスの典型と言えようか。
土曜日の深夜の氷川台、ひょんな偶然で出遇った宇野さんに、そのアンチ・オイディプスが「アンチ・オイディプス」を碌に読んでこなかった不幸を告白した。このたび贈られた「アンチ・オイディプス」は熟読しなければならない。読書とは家族や性や自我を構成する無数の分子を注視することであり、今までとは別様のそれら分子の結合や共振を見いだし続けることに他ならない。
会社でのストレスを発散するいい方法探してます?
私の知人はE精力剤ってところで売っている商品を使っているようですが、
これがスゴイといっています。
会社でたまったストレスはその晩のうちに、ギンギ~ン!っと発散!!
家に帰って妻との夜を「愛」のあるものに。
出会った頃のドキドキ感を取り戻しませんか?
私も試しましたが、なかなかのものですよ。
http://www.eseiryokuzai.com
会社でのストレスが気になるのであれば、会社を辞めるのが一番。
ギンギ~ンになれば更なるストレスに見舞われることは必定。
鬼瓦との夜に「愛」なんぞ取り戻したら、それこそ地獄の日々が待っている。
なにを考えているのかねえ。
身体、器官、去勢、家族、性といったことばで引っ掛かってくるのでしょうが、ドゥルーズやガタリにとっては傍迷惑、災難ですねえ。
管理人さんへ、双方まとめて消してくださいな。
先月のモルト会はオークニー島のハイランド・パーク蒸留所でした。席上、ウェブサイトに結構な写真が載っていると言いましたが、URLは以下のごとし。
ももんがあまんさんの旅行ブログですが、指定のページはオールド・マン・オブ・ホイの奇岩。ブラックアダー社が同名のカスク・ストレングスをボトリングしていますが、ホイは一本マストの漁船のこと。最初はスキャパの10年もの、59.3度で、オフィシャルと比して甘味に特徴があり、ハーブのキャラクターとリッチな蜂蜜の添え香がありました。ここ五年ほどはスキャパでなく、ハイランド・パークが用いられています。
ももんがあまんさんの写真はスコットランドの部が104枚、オークニーとスカイ島の他、ヨークシャーのマラムやハドリアンズ・ウォールなどが収録されています。
http://4travel.jp/traveler/momongaaman/pict/10187156/
~緊急!告知!!~
グランドキャバレーニューワンマンショウ開催定!!!
「デリシャ●カーニバル とびだせ!人間!NO.14」
新しいめまい!愉快!豪華デラックス!!
~日本の太陽かけ足ススメ!!~
11月25日(土)●場所・東京キネマクラブ
出 演●デリシャスウィートス
ゲスト●とうごう けん(伝説のオカマ)
山田広野(活弁映画監督)
たくさんのアンコールにおこたえして!
更にデラックスに開催決定!!
デラックスキャバレーショー
料金●前売り3000円(ドリンク別500円)
当日3500円(ドリンク別500円)
特別グンバツ席5000円(おみやげ付・指定席)
主催●(株)千代田ラフト
その昔、須永さんの著書を印刷するに際し旧字との闘いを強いられた。
明治にはじまって戦後の当用漢字(現常用漢字)の指定に至るまで、否、それ以降も輓近四代にわたって金属活字に対する規制や制限はまったくなされていない。木版活字にまで遡っても消息は同じである。江戸時代の黄表紙本では変体仮名やさまざまな書体が駆使されている。仮名遣いの論争こそしばしば起きているが、定家仮名遣いが規範として強いられることはなかった。権力者が国語に深く関与しないのはわが国の古くからの伝統なのであろうか、当用漢字にしてからが、単に指定したまでであって強制力やペナルティを伴うものではなかった。そして、当用漢字や現代仮名遣いの制定に占領下の民間情報教育局(CIE)はなんら関与していない。
アジアではタジキスタンに次いで日本の識字率は高いとされているが、わが国の調査では被差別部落民、障碍者、病弱者などが調査対象から一律に排除されつづけた。個としての人格を重んじ、教育はその人格形成に資するものとし、国は教育に奉仕しなければならない、そこに戦後の教育基本法の骨子があった。そして識字率をさらに上げることに目的があり、それから後は個々の努力を促すところに戦後教育の理念があった。漢字にとどまらない、内閣告示の「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣は尊重されるべき」と著されている。
思うに、新字新仮名を普及させたのは「自主規制」の名のもと、組織の利益をのみ追求した新聞社や出版社を中心とするマスコミではなかったのか。新聞は自社で印刷するのだが、文字数が少なければ少ないほど、文選・植字工の人件費が安く済む。さらに、活字は磨耗するので再使用できない。直刷りだと、膨大な量の活字代をすべて負担しなければならない。旧漢字を用いた時の印刷費用は、昭和四十年の段階で既に略字による印刷の二倍を越えていた。それを防ぐために編み出されたのが、組版からフィルムを起こして刷版を作る、もしくは紙型を取っての鉛版刷りである。しかし、それでは何のための活版か分からなくなる。とは言え、利潤を追求する多くの出版社は略字による活版印刷すら却けてきた。それは書物の生命線ともいうべき糸縢りを捨てて顧みない現在になお受け継がれている。
はなしは旧字、略字にとどまらない。渡辺の辺には六十五種類、斉藤の斉には三十一種類、佐藤の藤には十四種類、高橋の橋には六種類の異体字が謄本や住民票で用いられている。かつて当掲示板で改名について書いたが、明石の市役所で六十五種類の「辺」を見せられて愕然とした。まるで八百屋の店先で今日の「なべ」に入れる具材はどれにしましょうかと、品定めをさせられているような塩梅である。
異体字が際限なく膨らんだ理由の半分は謄本をデジタル化するときの書き文字の判読にあり、あとの半分は官による字体の統一がなされなかったところにある。之繞の崩し字の「てん」が繋がっていればひとつ、分かれていればふたつ、といった滅茶苦茶な分類・識別が繰り返されたと担当者から聞かされた。
国家や政府による規制の有無に対して私は意見を持たない。ただ、「りったつ」の「てん」や「そうへん」または「はね」や「かえりてん」のように、字形の異なる母型が無数に存在する理由はすべてを民間に委ねたところにある。
この問題は新JISにもそっくりそのまま引き継がれている。日本語には統一されたunicodeが存在しなかったのである。マイクロソフトは早くから文字制限の撤廃を薦めてきたが、自社コードをスタンダードにという日本メーカーのエゴ、一般のパソコンで印刷所なみのフォントが揃えば商売に差し支える、大衆はそのようなものを求めていない等々の理由によって無視されてきたのである。
撤廃の口火を切ったのはマックのシステムOS Xが掲載したオープンフォントである。2005年7月末にマイクロソフトが方針を示したJISは、そのまま次世代基本ソフト「ウィンドウズ・ビスタ」にも搭載される。問題になった「侠 倶 呑 填 掴 焔 痩 祷 箪 繋 繍 莱 蒋 蝉 蝋 醤 頬 顛 鴎 」の十九文字は旧字と略字の双方がそのまま組み込まれることになるらしい。
いずれにせよ、自らの国語すら外圧にたよらなければなにひとつ進展しないし決着をみない、日本人の不甲斐なさにはただただ呆れ返るばかりである。南堂久史さんの発案であるにせよ、要はアメリカさんのお陰で第四水準までは自由に使えるようになった。マイクロソフトは早晩、第六水準までは入れると宣しているが、それに対して「略字を消すな」と騒ぎ立てている日本人の誤解は滑稽ですらある。
ところで、私は新字新仮名の信奉者でもなければ旧字歴史的仮名遣いの信奉者でもない。言葉はそんなに単純に割り切れるものではないだろうと思っている。好きにすればよろしいのであって、略字なら略字の、正字なら正字の正当性を囂しく述べ立てること自体がおよそ非文学的な行為ではないかと思う。文学とは二者択一のような対立的・図式的なものの考え方を否定すると同時に、安易な弁証法的統一をも等しく拒むものである。表現とは重層的なものであり、トポロジックな並存という場に常に行き着くものである。
はなしはこれでお仕舞いである。ただ、ここで終わったのではいささか毒素に欠ける。以下は例によって与太話である。
首相の初仕事は秋山収のあとを継いだ内閣法制局長官坂田雅裕に詰め腹を切らせることであった。次いで最高裁長官の首が挿げ替えられた。集団的自衛権の行使を容認しないとの憲法解釈を担ってきた、憲法の防波堤とも言うべき内閣法制局を一気に突き崩したのである。
憲法改正の前に教育基本法を改正しなければならない。教育基本法は、教育を国家の奉仕者たらしめる「教育ニ関スル勅語」から教育それ自体を解放するのが目的であった。それ故、前文には基本法と憲法の一体性が明示されている。謂わば憲法第98条のようなもので、憲法改正を実現するためには、まず教育基本法の前文を削除するか書き換えなければならない。その教育基本法の改正案は来週には衆議院によって可決される。
かつて、教育ニ関スル勅語の原案は内閣法制局長官の井上毅と枢密顧問官の元田永孚によって起草された。骨抜きにされた内閣法制局に命じられるのは「教育ニ関スル勅語」パート2である。正字・正仮名遣いを国是とする美しい国日本は安倍晋三のような国家主義者にしか創られない。保存すべき価値の積極的な選択を前提とする丸谷才一や大岡信のような文化的保守主義者は狂気して喜ぶのであろう。
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